はてなキーワード: エリートとは
東日本大震災からの復興施策の司令塔となる復興庁が10日、正式に発足し、東京都港区赤坂の民間ビルに設けられた本庁で、野田佳彦首相や初代復興相に就任する平野達男復興担当相らが看板掛けを行う。設置期限は2020年度末までで、本庁、地方合わせ常駐職員約250人体制でのスタートとなる。
復興関連予算の要求・配分を一元的に担うほか、被災地に規制緩和や税財政上の特例を認める復興特区、住宅の高台移転などに使える復興交付金も所管する。
もしかしたら、この記事を読んだ諸君は、「なんでもうすぐ一年にもなるというのにもっと早く立てなかったの?」とか、「なんで東北に立ててないの?」とか思いの方もいるやもしれません。
が、考えて欲しい。彼らが東北に立てた復興庁とやらに自ら足を運びたがるか?、ということだ。彼らが復興庁に通勤するためには、東京にあるということは絶対条件なのだ。
ついこないだもNEC社員と思しき人間が宮城県のしょぼい街に異動になって阿鼻叫喚だったろう?「まともな人間」にとって東京以外というのは田舎でしかない。ましてや出世から外れようとエリートであることには変わらない彼らが、どうして田吾作と一緒に汗水流して復興してやらねばならんのだ?というのが、大方の本音であろう。
というわけで、霞が関の外に庁舎が立てられたというだけ、被災者諸君はありがたやありがたやと拝まなければなりません。これは決定事項です。
女性が男性と恋愛や結婚をせずに子供だけ作り育てるにはいくらかかるのか試算してみました。
Recipient registration(精子バンク登録料)7700円
Donor Sperm(精子代)2万円~3万円
Shipping Fee(日米往復送料)4万円
Tax(入国時の税金)2万3000円
人工授精 6000円
合計すると約10万円。
1回で妊娠するケースは少ないので、多めに見積もって5回人工授精したケースだと、約20万円。
安くはない金額ですが、男性が卵子を購入し代理母出産を依頼する場合の費用が平均1600万~1800万円であることを考えると、まあ出せる金額かなという感じですよね。
卵子提供を受けるには一回100万円ほどかかりますし(摘出するのが本当に大変なのだそうです)、他人の子宮を10カ月借りるわけですからやはり相当な金額がかかります。
出産には危険も伴いますから、代理母への危険手当的な意味も含まれたこの金額なのでしょう。
精子の値段に幅があるのは、洗浄処理などの加工を行った精子の場合や、詳細プロフィール付きでの精子提供の場合、それぞれ料金が上乗せされるからだそうです。
また精子をアメリカから輸入するのはその方が却って手続きが簡単である(日本の精子バンクは未婚女性に精子を提供しない)のと、
値段が安価である(日本で精子を購入すると値段が5倍になる)ことを考慮した結果です。円高が追い風ですね。
同性婚などの議論がさかんな北米では精子バンクを気軽に利用するレズビアンカップルもおり、需要は多いそうですよ。
精子バンクではドナーの学歴や容姿などでどの精子を購入するか選ぶことができます。
ハリウッド女優のジョディ・フォスターが、精子バンクで学才・運動能力・容姿にすぐれた男性ドナーの精子を購入し、子供をもうけた話も有名ですよね。
子供を22歳(大卒年齢)まで育てるのにかかる養育費は、食費や医療費など全て合計して約1700万円だと試算されています。
それと別にかかる学費が、全て国公立でも幼稚園から大学までで約1200万円。
合計すると2900万円です。
乙武さんは重い障害者でも健常者より活躍し成功できることを社会に示し、一部の障害者には希望を与えただろうが、
今まさに障害によって苦しんでいる人に対して「乙武さんは頑張ってるのに」という言葉がかけられる機会を作り、叩きのめしたのではないか。
橋下さんも被差別部落出身でも差別を受けていない人よりよっぽど成功できる例を社会に示したが、
性的虐待被害者は水商売・風俗に堕ちていくことが多いと聞くが、
「性的虐待を受けていましたが、その悔しさをバネに勉強を頑張り、難関資格を取って成功しました」という例が次々出来たら、
堕ちていった性的虐待被害者に追い討ちをかけることになるのではないか。
過干渉などの「毒になる親」からモラル・ハラスメントを受け続け無力感に苛まれてニートになる人は多いと聞くが、
「そんな親からの仕打ちをバネに、勉強してエリート会社員やエリート研究者になりました」という例が次々出来たら、
成功者が一人も居ない場合は「障害者・部落・虐待被害者はゴミカス人間ばかり」という偏見が生まれて問題ではあるが、
一部の成功事例を取り上げて「なんであんたもこういう風になれないの?」と言うのもまた人を苦しめることになる。
結論:人をひとまとめにして語ってはいけない。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1877537.html
これは、思うように動いてくれない若者たちに対して「このままだとこんなひどいことになるぞ」と脅かしたり、
「やーいざまーみろ」と逆ギレの悪態をついて溜飲を下げたりする趣旨のものではない。
すでに現実として目の前にあらわれつつある動きを、少々露悪的に(もちろん「本書」のスタイルに倣ったものだ)
書き記しただけのことだ。
まず、エリート的な高機能ビジネスパーソンが国境越えて活動するのは当たり前で、
これを「(露)悪の未来」として論ずる筆者はなにかがおかしい。
防ごうとする意識の方が間違い。
彼らは国に頼らないし、活躍できる場があれば国を選ばない。
彼らに将来を任せれば、わたしたち40代の老後、少なくとも生きているあいだくらいは、
きっと安心していられる状況を保ってくれるにちがいない。
なにを根拠に「ちがいない」のか。
読んでいてなんだか切ない気持ちに襲われる。
国に頼らず「自分の能力を発揮する場」「高い報酬を獲得する場」のみを求めて国境をまたぐエリートが
どういう動機で狩場の原住民の老人の住み心地ケアなんてことに気を掛けるのか。
どうも中高年移民推進論者というのは
を何故か無視する。
(これは移民を「気に入らない日本の若者」のカウンターとして夢想するからで、
いきおい移民若者像は全てが理想的で自分に尽くしてくれる感心な若者として描かれる。)
実際は、せいぜい来日者が比較的貧しいうちは
年金を始めとした日本の高齢者向け社会福祉なんぞ来日者が維持推進する動機があろうか。
彼らにとって年金制度なんぞは「意味不明な控除で自分の手取りを減らすインチキみかじめ料」であり
それではさすがにイヤだという人もいるかもしれない。若者たちはいいとしても、
40代のなかには、あと40年以上生きる方もいるかもしれない。
もし長生きしてしまったらと考えると、現状を「幸福」と感じ、満足してしまっている若者たち、
スティーブ・ジョブズがいうところの「hungry」でも「foolish」でもない若者たちに、
どこの国の「hungry」で「foolish」な若者だったら
あなた達の老後の支えなんかを任されたいのですか
と問いたい。
具体的な答を返せたらたいしたもんだ。
老後の支えというのは
若者個人の才能や情熱やハングリー精神から産まれるものなんかではない。
社会の老後の支えは、よく練られた社会制度と、なにより社会全体の余裕から出てくる。
もう一つの足は構成員一人一人がその社会にコミットする気持ちだ。
日本はどっちも既に破壊したのだから、あとは一人一人が覚悟しましょうということ。
「頼り甲斐のあるニューカマー」なんぞを呼んだところで、
彼等傭兵は絶対に日本社会なんかにコミットをしない(当然で、薄情でもなんでもない)。
安易に助かる都合のいいボートはないのだ。
近々死ぬ人間を除き。
なにより
「見限ろう」もクソも、若者世代はとっくに見捨てられて長い。
「生意気なことを言ってるなら見限ってやるぞ!」なんて、意趣返しにも脅しにもなってねーのだ。
もらったことない仕送りの打ち切り通告で怯える人間が居ようか。
実際に筆者自身、もしくは筆者の世代が、
若者世代に具体的にどんな支援をどれだけしてきたか聞いてみたいもの。
恩着せがましく口にする「実りのないおせっかい」とは具体的になにをしたことだ?
せいぜいが、
「状況も見えてない無責任な若者論で説教していい気になる」ことを
なんとなく凄いことしてあげたみたいに記憶してるだけだろう。
この”暴論”すら結局はそういう匂いが濃厚に漂っている。
「若者を挑発してケンセツ的な議論を導いてあげた」とかなんとか。
「食えもしない”おせっかい”でお為ごかしの恩恵面されてもなあオジサン」
という「本書」の序文をきちんと読みながら
新春のお笑いのつもりだとしても若者から失笑しか買わないだろう。
「暴論」は状況が見えてないことの言い訳にはならない。
若者はこの筆者みたいにあてこすりで人を動かそうとか、なんかを乞うてるとか、そういうことをしてるわけではない。
何よりもう、仮に今から全速力でどのような若者向け政策を打ったって、今の20~30代世代には手遅れだ。
ライフステージにせよキャリアにせよ、取り返しが付かないことだらけだ。
もっと究極的な話をすると、
バブル世代以上中高年が下の世代に何かしてくださるつもりがあるなら、
団塊ジュニアのピークが繁殖期過ぎるまでには彼らの雇用をどうにかしとくべきだった。
あそこを無策に過ぎた時点で日本の人口ピラミッドが回復するチャンスは無くなった。
別にこの山口浩という人がそういう状況わかってたら当時何か出来てたとも思わないが、
ただ何もしてこなかったし何も出来ない人間が吠えんなよということ。
もし「いや違う、俺はやろうとすれば何かが出来る」ということなら、
今の若者世代よりざっと20年長く世に出ていながら何も出来ず今日の状況を招いて
あげく下の世代に恨み節をいうとは烏滸の沙汰だろうバブル世代。
無力を認めたほうが立場はマシ。
要するに、今後はもう全員覚悟するべき。
十年以内に死ぬ予定の人間以外は。
40代は敵に回る?
あんた達にはたいした嫌がらせなんか出来ないし、
なによりあんた達も確実に、絶対に、助からない。子供が居るなら子供もだ。
沈む船の中でまーだ「誰を脅せばいい目見られるかな」「誰を殴れば助かるのかな」
なんてことを考えてる暢気さはさすがのバブル世代の貫禄がある。
繰り返しになるが
「暴論」という体はこの山口浩さんがまるで状況をわかってないことについての言い訳にはならない。
この世代のオッサン達がするべきことは下の世代に喚き散らすことではなく
増田や2chの言説ってのは基本的に容姿への優越感を感じる性癖の連中が、そういう性癖の発露を禁止してきた昭和人間への復讐を原動力に練り上げた絵。要するにやりたいのは容姿への優越感でオナニーしたかった自分の性癖を否定してきた昭和エリートへの復讐。しかし、やり返されて全滅した。時代はまた昭和人間中心主義だし。お前らざまあ。
普通の大人にならなくてすむ方法はそれほど多くあるわけではない。今私の知り合いの女性達は、
大きく二つに分かれているような気がする。とりあえず生活のベースになりうる仕事を持っている人と、
何も持っていなくてそれを探してもいない人のことだ。仕事を探すのは大変だ。比較的頭が良くて向上心がある女達は
つまり、ある決まった地域、区域に集中していろいろな種類の動物が住むとえさや水が不足し、弱い動物は強い動物に
常に攻撃を受けるようになる。それを防ぐ為に動物はさまざまな区域に分かれて住むようになるわけだ。
もちろん「棲み分け」はそれぞれのテリトリー完全に決まっていて、其の場所を確保すれば安全と言うわけではない。
この国は人口が、多いから、既にたくさんの成功者がいるような職種にもぐりこんでいくのはかなり難しい。
例えば編集者とかカメラマンなど、もう既に数は足りているどころか、あまっている。先輩達は道を譲ったりなんかしない。
つかんだポストは定年まで決して離そうとしない。そういうところで職を得ようとするのは至難の業だ。
たとえ人気のある出版社に入れても、面白い仕事を先輩達がやすやすと手放すわけがない。
人生に積極的な女達はこの数年、パソコンに進出してきた。パソコンのインストラクター、
さまざまなソフトを使った事務処理、ゲームやプログラムの制作、各種インターネットビジネス、
そういった女達の進出は目覚しいものがある。女はメカに弱いという常識を逆に利用した「棲み分け」への強い意志だ。
女はメカに弱い、だからパソコンを操りインターネットなどの特性を理解している女はまだ少ない。
それでもパソコンを教えたりプログラムソフトを売り込んだりするときに女のやわらかさは武器になるに決まっている。
有力なコネがない私はそういった分野に進むしかないのではないか。
そしてそれは大部分が正しい。
この「anan」の特集を読む人たちは、安易な期待をしていないだろうか。
何か、ちょっとした工夫や考え方などで、普通の大人にならずにすむ方法があるのではないかという甘い期待だ。
「毎朝、起きたときに好きな詩集の一節を必ず読み、さわやかなバロックの曲を聴きながら、ナチュラルなメイクで、
作りたてのクロワッサンを食べる」みたいなこと、つまり、「日常生活の中でのささやかなおしゃれな工夫」では残念ながら、
人生は何も変わらない。そういう世間的な豊かな生活を楽しんでいるのは、
「普通でない」大人たち、つまり具体的に「普通」の人よりも努力した大人達だけだ。普通の大人になりたくない、というのは
つまらない人生がいやだと言うことだと思う。日本は変わってしまった。
「普通の大人」が「つまらない人生」を意味するようになったわけだが、其の認識はもちろん正しい。
「普通の大人」というのは今までの「日本の典型的な大人」と言うことだろう。
それなりの会社でそれなりのポジションにいるお父さんを助け立派に家を守り子どもを育てる「おかあさん」というのが
「典型的な大人の女の人」だ。それなりの会社でそれなりに働きそれなりの恋人を持つと言うのが「普通の大人の女」だ
其の両方に魅力を感じなくなったというのだと思うのだが、その認識はまったく正しい。
この2、3年に起こったことだが、この国の「普通」の完全な崩壊を証明している。
オウム真理教には「普通」のエリートが多く入信していた。援助交際をする女子高生は「普通」の家庭の娘達で、
神戸の十四歳は「普通」の中流家庭で育っている。テレビやメディアはそういったネガティブな人たちを
「特別な環境」に育った「特別な人」だというふうに規定したがっているが、もうごまかすのは無理だ。
もちろん「普通」で幸福に生きている人もきっとまだ大勢いる。特に田舎に多いかもしれない。
「普通」はシャープな感覚を持つ若い女の子が忌み嫌うほどに、弱体化してしまった。
それでは普通に成らないためにはどうすれば言いか。コレはもうはっきりしていて訓練しかない。
訓練というと、暗く地味なイメージがある。何か嫌なことに耐えなければならないという先入観があるかもしれない。
それは、なんでも言う事を聞く「普通」の大人を大量に必要とされた貧しい日本の間違ったやり方だ。
この国はごまかしに満ちていて、成功した人に、インタビューで「どんな訓練をしましたか。」とはほとんど聞かない。
成功した人は、「苦労した人」ということにしたいわけだ。わたしは、24歳で作家としてデビューしたが、
まったく苦労はしていない。今でも苦労なんて全然していないし、苦労なんて一度もしていない。
確かに技術を得るための訓練をするのは単純に楽しいものではない。
語学の訓練を考えてみればわかるが、単調で、忍耐力がいる。ただし、そのことが好きだったら、
それがいくら単調でも「苦労」にはならない。
だから長い訓練のためには、その訓練の対象を好きになる必要がある。
どんな人間にも、そういう、長い訓練に耐えられる好きなものが一つぐらいあるはずだ。
それを、見つけることができたかあるいはできなかったか、人生はそこで二つに、分かれる。
見つけることはできた人間は訓練が苦にならないから特別な技術を身につけて「特別」になれる。
見つけられなかった人は、特別な技術が何もないから「普通」にならざるを得ない。
「わたしはね、才能はあったのでも努力や勉強が好きじゃなかったからこうやってつまらない平凡な人生を送るはめになった、
だからあなたにはそうなって欲しくないの、だから今はつらいかもしれないけど勉強しなさい。
今、耐えて、しっかり努力しなかったら私やお父さんみたいに平凡に生きるしかないんだから。」
そういうお母さんは「努力しなかった」のではない。訓練が苦にならないないかを見つけることができなかっただけだ。
努力を好きな人はいない。私も大嫌いだ。だが、好きなことだったら、努力は苦にならない。
訓練ということで言うとたとえば20歳という年齢は既にかなりハンディがある。バイオリニストやバレリーナにはもうなれない。
語学の学習を始めるのも遅ければ遅いほど苦労するし、働きながら何か訓練するのは大変だから、
25歳という年齢はかなり絶望的だ。30歳になると、せいぜいつまらない人生を趣味でごまかすぐらいのことしか残されていない。
趣味というのは魔物だ。「そんなに好きなら趣味でやればいいじゃない」と大人たちは言う。
それも嘘だ。素晴らしい趣味を持っている人はたいてい素晴らしい仕事を持っている。
つまらない仕事をしているが素晴らしい趣味を持っているという人に私はまだあったことがない。
つまらない人生を送っている「普通」の大人たちは実にさまざまなやり方で若い人に嘘をつく。
「苦労」「努力」「勉強」「趣味」その他にも色々な言葉があって、
学校や家庭やメディアやその他いろいろな場所で、その言葉は囁かれる。
営業のような仕事に女は向いているのか、女には競争心はあるのか、仕事を持つ女は
どこかさびしそうに見えるというのは本当か、女が普通でなくなると色々な問題が起きることは事実だが、
それはまた別の問題である。
正月実家に帰って、たまってる録画番組をきまぐれに見てたんだけど、
人志松本の○○な話?だったかで、デヴィ夫人がこんな話をしてた。
あるあまり器量のよくないアメリカ人の女が有名な会社の社長と結婚した。
彼女はしばらくしてお金持ちと再婚したのだが、再婚相手もまた死んでしまった。
結局彼女は4回結婚し、4回とも未亡人になり、その度に裕福になっていった。
その話は結局ゾッとする話の認定をされて、
デヴィ夫人はゲストに「あなた達も気をつけなさい」ってなことを言って終わった。
二十代前半にしてもう既に三人、彼女と交際した男が死んでいる。
その彼女は裕福になったりはしていないし、もちろん殺人もしていない。
保険金を受け取ったりもしていない。
死因はそれぞれ病気だったり事故だったりと彼女に関係のないことだった。
言葉を借りるならば「器量よしとは言えない」ような、つまりそんな感じ。
性格は、何か不思議な感じがする。賢い女であると思うし、話していて面白い。
女性にこの言葉を使うことは珍しいかもしれないけれど、包容力がある感じ。
家庭的とか優しいとか謙虚とかサバサバとかクールとか子どもっぽいとか、
色んな形容詞はあるのだけれどそのどれもに当てはまるような気もするし、
どれにも当てはまらないような気もする。そういうちょっと変な女。
ただ、恋愛対象にはならない。そんな女。
それでも、彼女はいわゆるエリートだったり、レベルの高い男だったりに好かれる。
実際にその死んだ元恋人たちも、突出した才能をもっていたりするのだ。
そういう人達を呼び寄せ、虜にし、最終的には死に至らせる毒でも持っているのだろうか。
そんな風に言う彼女の背負っている哀しみのようなものに、男は惹かれるのか。
> 「君の若い力で会社を変えてくれ」とかいう言葉に騙されずに海外に出て自分の力を試せ。
OK.
では、次のクエスチョンが浮かぶ。その前に前提の話をする。
いわゆる社畜は日本企業特有のもの、と指摘されがちだが、ゴールドマン・サックスやマッキンゼーでは激務中の激務のはずだ。
霞が関、GS、Mckといったエリートが集まるところは、朝9時から朝5時まで働く不思議なところだ。
その命題を唱える海外勤務経験者が日本で言うこところの一般職勤務だとしたら、日本の総合職と海外の一般職を比較していることになる。
でかい会社に自浄能力はない。そう、グーグルも官僚主義的になってきたという。HPはIBMの真似事をしようとしてグダグダだ。
もちろん、オリンパス・大王製紙・東京電力は3社だけの企業文化ではなく、日本企業全部に当てはまっているものの、事件として顕在化していないだけに見える。
でかい企業は、海外MBAの派遣が多かった。が、海外MBA帰りは日本企業に歓迎されなかったと聞く。
日本にアメリカ流のマネジメントが適用できなかったというわけだ。
『「クリエイティブ人材として期待された人間」が行き場を失っている状態』は日本特有なのか。
そうでないとすれば、
『海外に行け』のその行き先は?たとえば、シリコンバレーのベンチャー?
とにかく、海外に行けばいいもんじゃないと思う。だって、海外にも大企業病はあるもの。かといって、中小企業はぶっ潰れかねないもの。
(本来なら丁寧語で書くべきだが、書き言葉にて思考展開する私にとって、丁寧語に変換することは私の思考を妨げるので書き言葉にて失礼。)
かたや男女関係以外は負け知らずのバリバリのエリート、自分がトップかつ正義であると信じて疑わない女傑。プレイスタイルもコツコツとコンスタントにヒット作を飛ばす堅実スタイル。ヴァイパーさんのめくりは見きれないよー。
かたや男女関係は言うに及ばず挫折の数々を経験し、常に誰かの下で縁の下やりながら、たった1冊で勝間さんの類型販売数を上回った奇跡の一発逆転スタイル。祖国のために一発逆転は男なら一度は決めてみたいよね。
なんというか、無茶苦茶相性悪そうなんですよね。お互い台パン必至みたいな
ところが、最近の言動がお互いよく似てきている。タイプが逆なはずなのに、妙にプロレス的な動きを見せるという意味で距離が狭まってきてる。今なら共通の敵を肴にして、和やかな対談が組めるんじゃないか?
ところで、ザンギVSヴァイパーってダイヤ的にどうなん?個人的にはザンギ結構いける組み合わせだと思ってるんだけれど、世間的な評価が知りたい。