はてなキーワード: 破壊とは
バカだね
よくこういうことを憶測で言う人がいるけど
昔の方がよっぽど重視され評価されてた
太古より本朝にマンコの御神体がどれだけあるかぐらい勉強した方がいい
近年の女権運動家は「女の出産育児労働」の評価を高めようなんて人たちじゃなく
「出産育児」や「結婚」自体を半ばルサンチマン的に憎んでる人が多かった
実際彼女達の運動は「女の出産育児労働」の評価価値をズンドコに落とすことに成功した
社会では半端モノとして扱われたよ確かに
「社会に出てもこれない半端者」じゃなくて
「社会に出るべきじゃない」だったの「男子厨房に入らず」とかとセットでね
で、男でもオカマやりたいとか料理やりたいとかいう個人個人がいたように
オカマ運動家(ほんとに一杯居たんだぞ)は男全員に女装を強いるようなことはしなかったけど
女権運動家は何故か主婦やりたい女の立場を破壊することを執念深くやっちゃったんだね
結果がこれよ
もう完全に切り替えて、新しい生活を送ってますか?
今は普通に日々を過ごしてる。
何もかわらない日々。
…しばらくは涙が枯れるまで泣いたけど、
今はそんな面影もなし
・読んだよ。
ひとことで言ってしまえば、
相変わらず抱え込みすぎ、自分のせいにしすぎ。
…って、ところかな?
ああ、もう一言だけ追加するとね…正直すぎ。
もっと軽く考えてくれれば、お互い傷つかずに済むのにね。
なんてね、これは自滅かな。
怒ったり、嘆いたり、反省したり…
けれど、必ず結論を出すから。
そして、出した結論は必ず伝えるから。
それまで待っててください。
…できれば今の状況のまま。
・わたしと二人は、嫌?
…
知ってるよ?
わたし、結構根に持つよ?
「千晶は相手より自分の都合を重視する常識人的ポジションのはず」
「この3キャラの配置ってかずさを贔屓しすぎじゃね?」みたいなことを書いたけど
トンデモ大外れっぽい。 うーん、いい感じで想定外なのでプレイしてて楽しい。
現時点だと、この千晶というキャラは、
完全に雪菜の魅力を引き立たせるために存在するような感じになってて、食われてる。
といっても、現時点では1周目しかやってないので2周目にはうまく対抗できるといいな、と思う
大学に入る前から主人公を知ってて対抗意識を持ってること(春希か雪菜かどっちかに)は確実。
どういう動機で主人公に近づいてきてたかがつかみきれてない。2周目楽しみだわ)
ライダーが宝具の槍を折ってセイバーの親指が解放されてエクスカリバーでキャスターを倒す
討伐の報酬を受け取るためにロード・エルメロイが神父と交渉して令呪の一画をもらう
綺礼が神父の死体を見つけるけ。ダイイングメッセージに書かれてた聖書の一文を読み上げる。
遠坂邸で綺礼が時臣からいままでの労をねぎらわれて宝石剣をもらう
もらったそれで時臣を殺す。
綺礼が雁屋を教会に呼ぶ
ほいほいやってきちゃった雁屋が時臣の死体と対面
なにこれwww?
時臣の妻、葵も綺礼に呼ばれていらっしゃい
雁屋おまえがやったのかーwww
おれじゃねーwwwwで葵の首絞めまくる。葵失神
間桐雁夜を綺礼がそそのかす。
殺された直後察知した切嗣が令呪でセイバーを衛宮邸に瞬間移動させる
アイリスフィールはさらわれる
イスカンダルがさらったと思い込んだセイバーがバイク使ってライダーを追う
戦闘の結果ライダーはチャリオットをエクスカリバーでぶっ壊される
アイリスフィールも殺される。あっさり殺される。
イスカンダル対ギルガメッシュはギルが乖離剣で王の軍勢を崩壊させる
馬で突っ込んだイスカンダルは負ける。死ぬ。
ウェイバーの令呪は戦闘前に「聖杯を手に入れ勝利しろ」で三回使われる
ウェイバーは死なない。
セイバー対バーサーカーはセイバー負けまくりだけど雁屋おじさんの魔力切れでセイバーの勝ち。
雁屋おじさんはなぜか生きて間桐邸まで帰るけど桜を逃す寸前で死ぬ
切嗣と綺礼の対決は綺礼の勝ち
切嗣死ぬ
ぶはwwwwでも聖杯の中身降ってきたぜwwww
令呪でも逆らっちゃう俺マジカッケー
あああwwwwww
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
・不幸を悲しむのは、不幸が起こってからでも遅くはない
・真に貧しい者としてとどまっているのは、知性のない者だけ
・敵には助言を求め、その助言の反対のことを行え
・無知が支配するところでは、自分に英知があっても何の役にも立たない
・金持ちとは、自分の富から収益をあげ、その富を楽しむ者である
・すべて金で買うことができるが、知性だけは買うことができない
・善と悪を区別できるだけでは、まだ賢者とは言えない。
二つの悪の中から小さい方の悪を選ぶことができる者が賢者である。
・すべての人に対して一様に親切な者は、たいていはまた、すべての人に対して一様に不親切である
この度行定勲監督・吹石一恵主演で映画化が決定した『ゲーセンで出会った不思議な子の話』。だが、書籍化・映画化が決定しても、このストーリーの書き手は決して名乗り出ることなく、ネット上ではこのストーリーに対し、様々な点から疑いが提出され、果ては低迷するアーケードゲーム業界によるステルスマーケティングではないかという説まで浮上している。
私は、ある裏情報筋から、このストーリーの書き手のIPアドレスを入手した。そして、エヌ県エフ市というある郊外の市から書きこまれた、という所まで書き手の所在を特定し、早速現地に向かった。
まず私はその街にゲームセンターがないかを探した。すると、今はもうないが、かつて「UTOPIA」というゲームセンターがその地にあったことが、分かり、そのゲームセンターに昔よく行っていた男性に話を聞くことが出来た。彼に、いつも帽子を被り、格闘ゲームをやっていた女性に心当たりはないか聞くと、彼はこう言った。
「あーあの女か!あいつはひどい女だったよ。なんだい、お前もあの女に騙された口なのかい?」
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その男性によれば、帽子をかぶり、奇妙な振る舞いをする女性は確かにいたという。だが、そのような女性を男性が放っておくはずもなく、彼女の周りは常に男性で囲まれていたという。
「あなたも囲んでいた一人だったんですか?」
その女性は機会があればあらゆる男性にアプローチをかけていた。例えばふたりきりで居る時に急に泣き出して見せ、理由を聞くと、自分は家庭で居場所がなく、そのためこのゲーセンに入り浸っているのだと言ってみたり、あるいは「あなただけに打ち明ける秘密」として、自分は不治の病であり、もう長くはないのだと言ったり。そのようなアプローチに非モテ童貞が転ばないわけがなく、彼女がゲーセンで囲んでいた男性の一人を連れてラブホテルに行く姿も、度々目撃されていた。
当然、そんなことをしていれば人間関係はめちゃくちゃになる。その女性をめぐってのいざこざがそのゲームセンターでは日常茶飯事のこととなり、ゲームセンターの治安は悪化、客足は遠のいた。そのゲームセンターが潰れた理由の一端は、あの女にあるんだよ!と、男性は語気を強めて言った。
だが、ゲームセンターが潰れたことにより、そのただれた人間関係も自然に瓦解した。そして、時間の経過により、いつしか囲んでいた男同士の間で、「同じ女を追いかけた者同士」という仲間感が生まれ、今では良い飲み友達になっているという。
「まぁこんな郊外の狭い人間関係の中じゃあ、いつまでもいがみ合っていても仕方ないからな!同じ穴を共有した者どうし、まぁ兄弟みたいな関係なのよ。がはははは!」
正直、このようなホモソーシャルは私にとってはとても気持ち悪かったが、それはともかく、私はその「兄弟」にも話を聞いた。しかし話を聞けば聞くほどに、その女性は、掲示板で語られたような可憐で無垢なキャラクターとは異なる存在に思えた。しかし一方で、その容姿や、外から見た雰囲気は、驚くほどあの掲示板で語られた内容と一致しており、そのことが私を困惑させた。
その女性は、今どこでどうしているのかを、なにか情報を持っていないか聞くと、彼らは口を揃えてこう言った。
「いや、全然知らねぇ。そういやあいつはどこ行ったんだろうなぁ……」
調査はここで行き詰まった。
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あの「不思議な子」は今どこで、何をしているのか。手がかりを知るために、私はその街で聞きこみを開始した。すると、ある女性教諭が、彼女の行方を知っているかもしれないというので、私はその女性教諭に話を聞きに行った。
その女性教諭は、今は教師を辞めていた。彼女に、帽子をかぶった、「不思議な子」の行方を知りませんかと聞くと、彼女はこう言った。
「あいつは、死んだよ」
その女性は、元々彼女の教え子であった。そして、卒業後も頻繁に会っていたそうだ。その関係が、教え子と教師の関係どころか、友情を超えた親密なものであったことは、その女性について語る言葉の端々から見て取れた。
女性はとても不安定な人間だった。とても自己中心的であるように見えて、実はとても繊細で、誰かから嫌われていることが分かると半狂乱になり、彼女に怒鳴り散らしたという。「あの子はね、誰にも同じように好かれたかったんだよ。とっても、弱い子だったからさ。」そう彼女は言った。
そして、ある日、女性はある男にこう言われた。「お前みたいなビッチ!死んでしまえ!」と。
「次の日、この街の外れの崖から、あいつは飛び降りたんだよ。」
女性は飛び降りる前に、彼女にだけ電話を掛けた。その内容は、自分を悪しざまに罵った男性の罵詈雑言であった。いつものことだったので、彼女が受け流していると、彼女は最後にこう言った。
『結局、セカイは、あたしのことが嫌いなんだよ』
「私は、あの子の『セカイ』にはなれなかったのさ、結局。」
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私は、彼女から、その女性が飛び降りた場所を聞き出し、そこに出かけた。掲示板に書かれたストーリーの書き手がどんな奴なのか、それはもう、私の関心からは外れていた。どうせ、最初に話を聞いたような連中が、面白がって掲示板に投稿した話なんだろうと、そんなふうに思っていた。
そして、市の外れの崖に行こうとした時、私は一人の青年が、私の前を歩いていることに気づいた。その青年の手には、あの、トルコキキョウがあった。
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「ええ、私があのお話を書いたんです。この下で眠るあの子に、何か物語を捧げようとね……」
青年もまた、あのゲームセンターの常連の一人だった。ただ、青年は、女性を取り囲む男どもの輪の中には入れなかった。遠くから、その女性を見つめていたけれど、声をかける度胸はなかったのだ。
ただ、一回だけ青年と女性は、会話をした。喫煙所で、その女性に話しかけられたのだ。にっこり笑いながら、「君は、格ゲーはやらないの?」と。
「今思えば、ずーっと見つめられていたことに、気づいてたんでしょうね(笑)」
青年が「格ゲーはやらない」と答えると、彼女は格闘ゲームのことを沢山語った。ストリートファイター4というゲームのさくらというキャラクターが可愛いとか、そんな話を。
「ただ自分は、正直憧れの子に話しかけられたことで頭がいっぱいで、彼女が話す内容は全然頭の中に入ってこなかったんですがね」
そして、一方的に色々なことを話しかけられて、最後に彼女はこう言った。「一回で知りたいこと全部知れるほど、簡単じゃないよ~」と。
「でも結局、私が彼女と話せたのはその一回きり。そのあとすぐ、そのゲームセンターは潰れてしまって……」
そして青年は、その女性の思い出を抱えたまま暮らしていたある日、ある女性が、崖から飛び降りたということを耳にする。そして調べていくと、その女性は、あの憧れの子であったことを知った。
「それが分かると、居ても立っても居られなくなって、そして、気づいたらあの物語を書き上げ、掲示板に投稿していたんです。」
そしてその物語によって、青年は彼女をこの汚れたセカイから救い出し、自分との、「永遠の愛」の中に、匿ったのだ。
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気づけば、話すこともなくなり、私と青年は無言のまま海の向こうを見つめていた。
この話を発表すれば、この青年の「永遠の愛」は破壊され、セカイにあふれる汚らしいゴシップネタとして消費されるだろう。だが、私はそういうことをしなければならない職業だ。だからしょうがないんだ……と、私は一人自己憐憫に浸っていた。
そんな時だった。海の向こうから、「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」という音が聞こえてきたのは。
「一体なんだ!?」と思い、私と青年が海の向こうを眺めると、そこには
クジラの上に、キャスケット帽をかぶった、ショートヘアーの、吹石一恵によく似た女性が、立っていた。
クジラは猛スピードでこっちに向かい、崖に突っ込んだ。あの子は空に向かって羽ばたき、そして、青年の胸に飛び込んだ。そして、彼女はこう言った。
彼女「ずっと待ってたんだよ、あなたが、私のことを呼んでくれるのを」
青年「え、それっとどういう……」
彼女「鈍感だなぁ君は。」
彼女「わたしは、ずっと君が、わたしを好きだって言ってくれるの、待ってたんだよ。」
彼女「でもひどいなぁ、私のこと、物語の中とは言え、殺しちゃうなんて。そんなに薄幸美少女が萌えなのかい?この~」
青年は呆気に取られたようだったが、しばらくすると、何が起きているのかに気づき、そして、まるでこどものようにわんわんと泣き出した。そう、悔し涙ではなく、嬉し涙を。
彼女「君は、絵を描くのが好きとかいう風に書いてたけど、それは本当?」
青年「いや、絵は全然描けないwコピックマルチライナーっていうのを見かけて、その言葉の響きが良くて、つい使っちゃったw」
彼女「そっかー。わたしも絵は全然描けないよw格ゲーはどうだい!」
彼女「よーし、私が特訓してやろー。お姉さんに任せなさーい! 」
もう、私がここに居ることはお邪魔だろう。そう、物語の結末はいつだってこうあるべきなんだ。
あ、そういえば一つ言い忘れたことがあったことがあったっけ。それを言っておかなきゃ。
俺「トルコキキョウの花言葉はね、永遠の愛なんかじゃないんだよ。
希望 さ。」
行動分析学マネジメント-人と組織を変える方法論 - 舞田 竜宣
パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学 - 島宗 理
明日は誰のものか イノベーションの最終解 - クレイトン・M・クリステンセン
教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する - クレイトン・クリステンセ
イノベーションへの解 利益ある成長に向けて - クレイトン・クリステンセン
イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき - クレイトン・クリステンセン
ノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材 トム ケリー
発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法 トム・ケリー
アジャイルプロジェクトマネジメント 最高のチームづくりと革新的な製品の法則 - ジム・ハイスミス
http://anond.hatelabo.jp/20120112 を捕捉
業務中にやらおん!を見ていたアニメ制作会社シャフトのウェブ担当が、やらおんのアフィリエイトリンクを公式通販にコピペ。
↓
制作会社のミスを元に「【速報】シャフト、公式通販のアマゾンにやらおんのアフィ」というスレッドがニュー速に立ち
シャフトとやらおん!は癒着しておりシャフトの関わった作品を宣伝するようになっていたのでは!?とステマ疑惑が広がる。
・「やらおんには該当商品へのリンクがなかったからシャフトのWeb担当が故意にやらおん!のアフィIDを引っ付けた」
→実際には http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-6251.html でも紹介されており、全くのデマ。
さらに
・「Amazonのアフィリエイトリンクは本人以外にはつくれない」
→アフィリエイトリンクはURLの末尾にIDをつければ誰でも作れるので全くのデマ。
↓
3.シャフトが謝罪
この頃からニュー速で”ステマ”を合言葉に特定商品や企業をソースとしたスレッドが機能しなくなる。
さらに2ch運営側も悪乗りしたのか皮肉なのか、名前欄をステマやアフィブログにちなんだ名前欄に変更し更にヒートアップ。
↓
4.VIPPER速報がニュー速VIPの転載禁止宣言スレを堂々と転載
VIPPER速報がニュー速VIPで>>1が転載はしないでくださいと何度もお願いしたスレを堂々と転載。
後日>>1が「転載しないでほしいと書いたスレを転載された」という旨のスレをVIPに立てる。
その返信内容が>>1により晒される。
その返信メールがこちら
転載禁止とは知りませんでした。
見落としです。
許してください。
あと、余計なお世話かもしれませんが
今後は気を付けたほうがいいですよ。
でわ、失礼します。」
と、アフィブログへの風当たりが強くなっている中、VIPPER達を煽るようなメールを返信。
→いずれの情報も公開していたもので割り出したという程のものではない。
同時にVIPPER速報管理人のツイッターアカウントが先に晒されるが
↓
VIPPER速報の管理人が削除したアカウント名を2chの自称スーパーハッカーが取得。ニュー速民を挑発。
→削除され空いているアカウントは誰にでも取得可能。
削除から取得までの時間があまりにも短かった為、ほとんどの人が削除されたのは勘違いだったと誤解。
VIPPER速報に成りすました人間がニュー速民を煽るツイートを連発し、さらにヒートアップ。
さらに、運用家族(2ch運営側の人間)がこのツイッターアカウントをフォローしていることが発覚。
→騒ぎが大きくなったので発言を見るためにこの時点でフォローしたのか、元々フォローしていたのか等、理由は現時点でも不明。
その後、その事実を利用し、VIPPER速報に成りすました人間が運用家族と癒着している旨の発言をし、
2ch運営とアフィブログが裏で手をとりあっていた!!!という論調になり、ニュー速民の怒りは頂点に。
→仮に癒着しているとしたら早い段階でステマ連呼は規制されて、こんな騒動にはならなかったかと思うが・・・・
↓
「大手アフィリエイトブログ管理人の騒動に対する反応」コピペが出回る(※捏造)。
カナ速・・・「ああいう、集団で騒いで一部の存在をワルモノにする『群れの心理』。個人的に大嫌いです」
VIPPERな俺・・・「効いてるとか都合が悪いとかそういうんじゃなく、あいつらは「つまらない」んだけど」
BIPブログ・・・・・・反応せず。ニュー速を巡回対象から外す。
暇人\(^o^)/速報・・・「あの人達どうして嫌儲に行かないんだろ?」
2のまとめR・・・「三年前のニュー速の空気が好きでこのブログを始めたんだけどもうそろそろいいかな」
等々、全てデマ。
↓
それらを全て信じたニュー速民ブチギレ。
全てのスレッドに対話性の無いAAやステマ関連のコピペを大量に投下。
現在もニュー速にある程度のスレッドは立つが、ほぼ全てのスレッドにいまだに大量のコピペが投下され
まともな議論や会話は不可能な状態。
ニュー速VIP板でも同様の運動が広がるがVIPPERはアフィブログへあまり抵抗がないのか、そもそも興味がないのか
こちらの移住作戦は失敗に終わった模様。
ちなみにやらおん!、VIPPER速報はこの騒動の最中、今でもなんら影響なく通常更新を続けている
個人的には、アンチステマにステマされてしまった人間がほとんどという結果になりなんとも日本人らしいなと思う。
今現在、2ch運営側からは特に目立った規制や対応などは取られていない。
デマに扇動されたニュー速民が自分達でやったことなのだから自分達でどうにかしなさい
アフィブログは他人の褌で稼いでいるのだからそこの所自覚しなさい、
問題があった時点で燃料注いだブログをアフィブログ業界で自浄しなかったのはあなた達の問題。
と諭しているかのように。
セックス終わったあとはすぐにテキパキと後処理をして、できるだけ存在感を消しながら一人で風呂に行くようにしていたのだけど、
その振る舞いについて今日彼氏にガチギレされた。前にも一度厳重注意されていて、またやったからさすがにキレられた。
彼いわく、終わった瞬間速攻モードチェンジされて隠密機動みたいにシュバシュバ動かれると本気で幻滅すんだよマジやめろっつーか俺をナメてんのか!みたいな話なんだけど、
ナメてるどころか幻滅されたくなくて愛を失いたくなくてやってることなのでどうすればいいかわからずえぐえぐ泣くしかなかった。
賢者タイム怖い!
滾る性欲の補正がかかっていないと私の顔なぞ見れたものじゃない。
私にとって「賢者の曇りなき眼を得た彼氏がじっくりと私の顔を見ること」が今現在トップに君臨してる恐怖だ。
この恐怖を植えつけたのは、つい最近まで喪女だった私の友達のような存在「まとめブログ」であり、
数多書き込まれた"賢者タイムに感じる女の醜さ、無価値さ、ゴミクズぶり"を目にするたびに、それは洗脳のように私の意識に刻み込まれた。
賢者の男に顔や身体を見られてはならない!自尊心を破壊されてしまう!
これが行き着いたところは「彼氏の賢者タイムが怖いからセックスも正直怖い」「終わったら速攻一人で風呂に逃げる」という状態だった。
それについて彼氏にも説明したのだけど、ああいうこと書いてる奴は肉食系男子だのDQNだので俺とは違う属性の奴だから一緒にすんな、男を十把一絡げにすんな!!と怒られて、
そのとき一応は納得したそぶりを見せたのだけど、内心貴様も男である以上射精したらプロラクチン出てるだろうが!出てる以上幻滅は免れないだろうが!
DQNじゃないからイッた途端に帰れブスとか言い出さないのはわかってるが、私が怖いのは貴様の内面なんだよコラ!!!!という思いは拭えないままだった。
私は男を理解している物分りのいい女なのか、彼氏をDQNと十把一絡げにしている失礼な女なのか、それともひたすらナルシストなブスなのか。
ま、ナルシストなブスなんだろう。わかってんだよクソどもが!!どいつもこいつも不細工の癖して「性的弱者」と見ると上から目線で分析して説教してきやがって!!うぜえんだよ死ね!!
いやもう本当に賢者タイムなんて知りたく無かったよ。射精した途端にプロラクチンが出て性欲が消滅し、女を醜く臭くウザく感じる男が沢山居るなんて知りたく無かったよ。
多分彼氏にどんだけ説教されたところでこの恐怖感は拭えない。どうすりゃいいんだ。面倒くさい女は捨てられろってか。うっせーよもう死ねよ不細工。みんな死ねバーカ。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1877537.html
これは、思うように動いてくれない若者たちに対して「このままだとこんなひどいことになるぞ」と脅かしたり、
「やーいざまーみろ」と逆ギレの悪態をついて溜飲を下げたりする趣旨のものではない。
すでに現実として目の前にあらわれつつある動きを、少々露悪的に(もちろん「本書」のスタイルに倣ったものだ)
書き記しただけのことだ。
まず、エリート的な高機能ビジネスパーソンが国境越えて活動するのは当たり前で、
これを「(露)悪の未来」として論ずる筆者はなにかがおかしい。
防ごうとする意識の方が間違い。
彼らは国に頼らないし、活躍できる場があれば国を選ばない。
彼らに将来を任せれば、わたしたち40代の老後、少なくとも生きているあいだくらいは、
きっと安心していられる状況を保ってくれるにちがいない。
なにを根拠に「ちがいない」のか。
読んでいてなんだか切ない気持ちに襲われる。
国に頼らず「自分の能力を発揮する場」「高い報酬を獲得する場」のみを求めて国境をまたぐエリートが
どういう動機で狩場の原住民の老人の住み心地ケアなんてことに気を掛けるのか。
どうも中高年移民推進論者というのは
を何故か無視する。
(これは移民を「気に入らない日本の若者」のカウンターとして夢想するからで、
いきおい移民若者像は全てが理想的で自分に尽くしてくれる感心な若者として描かれる。)
実際は、せいぜい来日者が比較的貧しいうちは
年金を始めとした日本の高齢者向け社会福祉なんぞ来日者が維持推進する動機があろうか。
彼らにとって年金制度なんぞは「意味不明な控除で自分の手取りを減らすインチキみかじめ料」であり
それではさすがにイヤだという人もいるかもしれない。若者たちはいいとしても、
40代のなかには、あと40年以上生きる方もいるかもしれない。
もし長生きしてしまったらと考えると、現状を「幸福」と感じ、満足してしまっている若者たち、
スティーブ・ジョブズがいうところの「hungry」でも「foolish」でもない若者たちに、
どこの国の「hungry」で「foolish」な若者だったら
あなた達の老後の支えなんかを任されたいのですか
と問いたい。
具体的な答を返せたらたいしたもんだ。
老後の支えというのは
若者個人の才能や情熱やハングリー精神から産まれるものなんかではない。
社会の老後の支えは、よく練られた社会制度と、なにより社会全体の余裕から出てくる。
もう一つの足は構成員一人一人がその社会にコミットする気持ちだ。
日本はどっちも既に破壊したのだから、あとは一人一人が覚悟しましょうということ。
「頼り甲斐のあるニューカマー」なんぞを呼んだところで、
彼等傭兵は絶対に日本社会なんかにコミットをしない(当然で、薄情でもなんでもない)。
安易に助かる都合のいいボートはないのだ。
近々死ぬ人間を除き。
なにより
「見限ろう」もクソも、若者世代はとっくに見捨てられて長い。
「生意気なことを言ってるなら見限ってやるぞ!」なんて、意趣返しにも脅しにもなってねーのだ。
もらったことない仕送りの打ち切り通告で怯える人間が居ようか。
実際に筆者自身、もしくは筆者の世代が、
若者世代に具体的にどんな支援をどれだけしてきたか聞いてみたいもの。
恩着せがましく口にする「実りのないおせっかい」とは具体的になにをしたことだ?
せいぜいが、
「状況も見えてない無責任な若者論で説教していい気になる」ことを
なんとなく凄いことしてあげたみたいに記憶してるだけだろう。
この”暴論”すら結局はそういう匂いが濃厚に漂っている。
「若者を挑発してケンセツ的な議論を導いてあげた」とかなんとか。
「食えもしない”おせっかい”でお為ごかしの恩恵面されてもなあオジサン」
という「本書」の序文をきちんと読みながら
新春のお笑いのつもりだとしても若者から失笑しか買わないだろう。
「暴論」は状況が見えてないことの言い訳にはならない。
若者はこの筆者みたいにあてこすりで人を動かそうとか、なんかを乞うてるとか、そういうことをしてるわけではない。
何よりもう、仮に今から全速力でどのような若者向け政策を打ったって、今の20~30代世代には手遅れだ。
ライフステージにせよキャリアにせよ、取り返しが付かないことだらけだ。
もっと究極的な話をすると、
バブル世代以上中高年が下の世代に何かしてくださるつもりがあるなら、
団塊ジュニアのピークが繁殖期過ぎるまでには彼らの雇用をどうにかしとくべきだった。
あそこを無策に過ぎた時点で日本の人口ピラミッドが回復するチャンスは無くなった。
別にこの山口浩という人がそういう状況わかってたら当時何か出来てたとも思わないが、
ただ何もしてこなかったし何も出来ない人間が吠えんなよということ。
もし「いや違う、俺はやろうとすれば何かが出来る」ということなら、
今の若者世代よりざっと20年長く世に出ていながら何も出来ず今日の状況を招いて
あげく下の世代に恨み節をいうとは烏滸の沙汰だろうバブル世代。
無力を認めたほうが立場はマシ。
要するに、今後はもう全員覚悟するべき。
十年以内に死ぬ予定の人間以外は。
40代は敵に回る?
あんた達にはたいした嫌がらせなんか出来ないし、
なによりあんた達も確実に、絶対に、助からない。子供が居るなら子供もだ。
沈む船の中でまーだ「誰を脅せばいい目見られるかな」「誰を殴れば助かるのかな」
なんてことを考えてる暢気さはさすがのバブル世代の貫禄がある。
繰り返しになるが
「暴論」という体はこの山口浩さんがまるで状況をわかってないことについての言い訳にはならない。
この世代のオッサン達がするべきことは下の世代に喚き散らすことではなく
ヤクザが一生懸命やってきたことは自然災害じゃなくて天皇の犬の誰かに意図的に終わらされたんだからそいつを殺しにいけばいいのにいまだに動かないのは、動くと最悪のタイミングでそいつに人生破壊されたことを認めることになるからなのかな。しかしそいつは本当に最適なタイミングで最高の方法でクソヤクザどもの盲点をぶったたいて不細工批判というあいつらが一番気持ちよいオナニーを失敗に追い込んだんだから天才だよ。
あ い つ さ え い な け れ ば や く ざ が も っ と も 気 持 ち よ い 不 細 工 批 判 オ ナ ニ ー は 2 0 1 2 年 も 続 い て い た 。
イ ケ メ ン の 天 下 だ っ た は ず な の に 。 あ い つ の せ い で 。
クソ映画だとわかってて見たのにそれでも見てられないぐらいの凄さだった。
一応全部見なきゃいけないと思い録画して早送りしながらなんとか最後まで見た。
が、『ICHI』では演技が下手っていうレベルを超えているのでまるで演技する気がないように見える。
だいたい綾瀬演じる市は
極度に感情も表情も乏しく能動性の無い女、というつまんない人格に設定されていて
ほとんどのシーンでただ周囲の人の話を無表情無反応に聞いてるだけということになる。
こんな役を大根にやらせるので、本当に「ただ立ってるだけ」「座ってるだけ」をしていて、演技する気がさらさら無い。
(このただ座ってるだけの女にオッケーをだす監督も凄い。
静かな役なんかだけはやらすなと言いたい。
あまりの異様さに「こいつなんなの……!?」と違和感を覚えるのも最初だけで、
視聴者はすぐに市がどうでも良くなる。
他の登場人物も全くキャラが立ってないにもかかわらず。
眠くなるのとも違う新感覚。
悪役は中村獅童演じる「万鬼」という剣客が頭目の不良グループだが、
この万鬼は顔の火傷で仕官出来ないのを悩んでるだけのしょっぱい奴で
万鬼党は狂気と破壊衝動で暴れるだけの、バカが好んで描くタイプの悪役。
経済観念すら乏しくわざわざ住み心地悪そうな岩場に男だけで住んでおり
唯一の寄生先である宿場で無意味な殺戮を始めるようなアッパッパーだから
話の溜めもクソも何も無い。
悪い親分のところに市が上がりこんで行って
下手に出たりとぼけたり脅したりするような駆け引きも全く無い。
ほとんどショッカーレベルの悪役なので中学生以上だとシラフで見ていられない。
日曜朝の30分戦隊物でも『ICHI』よりはマシな脚本を書いている。マジで。
(一方、善良な民衆側の宿場の顔役は復帰直後の窪塚洋介がいつものあの抑揚で演じているが
全てが意味不明な『ICHI』ワールドの中では大変好感の持てる常識的なアンちゃんに仕上がっている。
この映画を見た人間はみんなちょっと窪塚洋介を好きになれる。)
・八州周りが宿場にやってくると街道の民衆が総出で土下座。大名か。
・八州様を宿場の顔役達が供応してるところに脈絡も無く万鬼党襲来。
よりにもよって八州様の目の前で住民の殺戮を始める。
「やや展開が無茶だけど万鬼党に抱きこまれてる八州だったかー」と思って見ていたら
血刀下げた万鬼党は震える八州の胸倉を掴み「見なかったことにしろよな!」と恐喝。
無頼の主人公が八州周りを殺しちゃうトンパチ展開も時代劇では稀にあるが、
田舎ヤクザが八州周りを単純に脅しつけて帰す展開は何気に史上初なんじゃないだろうか。
脚本書いてる奴〇ね。
綾瀬演じる市はただ杖持って伏し目がちにしてるだけ。
盲人の剣客、という役作りが物凄く大雑把に、
2「その上で自分なりの市の癖を作る」
だとして、
1すらやる気が全く無い。
歩き方も話掛けられたときの反応も何もかもが健常者。
一応目をはっきり相手に向けないことだけはしているが
内向的な市の性格なので多分目が見えても同じような動作になる。
平時でも修羅場でも、耳や全身で周りを窺う演技がまったく無い。
市の挙動は常に、ただ物事への反応が鈍い重度の鬱病さんかなんかにしか見えない。
というか、これさあ、製作陣は盲人を描く気なんか無かったんじゃないか?
なんか意図があっての事か、単にめんどくさかったのか、なんだかわからないが。
(少なくとも市の盲目設定を取り除いても『ICHI』には全く支障が起きない。
また、斬り合いだったら斬り合いで、
息を詰めたり飲みこんだりするような演技も綾瀬は全くやらない。実力伯仲の命懸けの斬り合いでも。
クールビューティとかそういう問題ではなく、もはや製作陣は脳や神経に障害がある。
こいつらが持ってる感情演出手法は目の端からポロリと流れるふざけた一粒涙だけ。
ダイジェストでレイプされる市の目の端から同じ涙がポロリと流れるのはもう完全にギャグ)
酷すぎる。
下手とかじゃなくてもはや意味不明。
監督は剣劇なんてもんに全く興味が無い上に勉強する気すら無いのが雄弁に伝わってくる。
動きの流れにケレンミ・リアリティどっちも求めない凄い奴なのはわかっていたが
『ICHI』ではそういう酷さが悪化している。
その綾瀬の棒みたいな動きばっかりクローズアップする撮り方するので
もうどういう攻防なのか誰にもわからない動きをする。
手傷を負うシーンは必ず腕や腿がアップになって服が破れるカットで説明し
どういう流れでそこを斬られたかは多分考えるつもりすらない。
時代劇を見てれば殺陣の下手糞な役者なんかはいくらでも出てくるし
(スローモーションでバチャバチャと血を出すのだけはお気に入りみたいで、
市も蹴られて盛大に血を吹くがあれはどう見ても内臓破れてるレベルの量。
何も考えて無いからどうでもいいんだろうが。)
市が能動性皆無なので
「稽古中の事故で母親に怪我させてから真剣が抜けなくなった」という
万鬼の顔面コンプレックスに匹敵するぐらいしょーもないトラウマでグジグジ悩む男で
万鬼党との戦いに加勢しては刀と鞘を持って「抜けないいいい」とパントマイムをするのが持ち芸。
毎度渾身の力で刀を抜こうとするが
いや、「真剣が抜けない」ってそういうことじゃないだろ。
この演技指導した奴も素直に従う大沢たかおも、脳腐ってんのか。
一応筋を最後まで書くと
それを綾瀬はるかはお得意の何も演技をしてない「本当の無表情」で聞き流し、
でもなんか心が動いて戻ってきて
宿場は救われた!終わり。
だんだん浪人に惹かれていった(ような描写は乏しいので鑑賞者が補わないといけないけど)市の脳裏一杯に
フラッシュバック的に大沢たかおの笑顔が映し出されるとこが感動シーンの最高潮ですが
盲人の市がどうして浪人の顔を知ってんでしょうね。
そこは聞き覚えた声とかかつて握った手とかで演出しろよと感じますが
前述の通り市の盲人性を真面目に扱わない製作陣にはどうでもいいことだった。
根本的な間違いとして、
更に自閉的な性格をあててしまったらどうにも話が成り立たない。
なんだかんだ言いつつ相当な世話焼きで、
腰は低いけど欲も意地もあるし優しいしよく怒る。
これぐらい濃い人格が噴出してくるから目の見えない体と釣り合いが取れる。
主役の人格はやはりアクの濃い悪い奴になっている。)
中学生が初めて書いた小説の主人公みたいにおもしろみのなーい傷心由来の内向的な性格で
こんなもんを目の見えない体に入れたらそりゃ話が動かずつまらん事になるのは当たり前。
おわり。
オンライン書店ビーケーワン:死にいたる虚構 国家による低線量放射線の隠蔽 アヒンサー「読んで、知って、考えて」
見逃した方のために…NHK 追跡!真相ファイル「低線量被ばく 揺れる国際基準」文字起こし - Togetter
原発稼働のため隠される低線量内部被曝の危険性-ICRP国際基準以下で小児がん倍増 - Bloggers Today - 朝日新聞社(WEBRONZA)
「マンクーゾ報告」と「T65D」 - あだち安人「サスティナビリティ」考
二本松の子ども達 福島 原発 ・放射線 の現場から: マンクーゾ報告
葬られた微量放射線の影響調査報告(新恭) - BLOGOS(ブロゴス)
The burnout cycle (Jono Bacon, Nov 2010) (PDF) の一部より。
燃え尽きの最初の段階としてよく見られるのは、自分の価値を証明したいという欲求です。
その根幹には、自分の仕事が軽んじられているという不安感があります。
燃え尽き症候群の患者は、自分の価値を証明するため、より多く働こうとします。
長時間働くことは燃え尽き症候群の初期段階に見られる兆候です。
自分がいかにたくさんの結果を出しているかを証明しようとして、
頑張って長く働くこうとします。
夜遅くまで働きつづけることも珍しくなく、
オープンソースソフトウェアの活動の場合はさらにそれが顕著です。
たくさん働けば自分の価値をもっと分かってもらえるという信念のもと、
午前2時や3時まで働いたりもします。
この段階になると、眠ること、食べること、友達と遊ぶことなどは単なる「娯楽」であり、
自分の価値を証明しようという欲求があまりにも強い状況であり、
より多く働くことが最優先事項になります。
誰かに誘われても、断ることに抵抗を感じません。
また、働きつづけることに抵抗を感じなくなります。
深夜や早朝に働くことは珍しくなく、
この段階では、異変に気づいた身近な友人や家族から、大丈夫かと尋ねられるようになります。
ただやることが溜まっているだけだと言って、彼らの気遣いを聞き入れません。
この段階では、仕事へのこだわりが強くなることにより、
それまでの価値観において大切にしていた、友人や趣味といったものを脇にのけるようになります。
仕事でよい結果を出すことが、成功をはかる唯一の指標になります。
人付き合いや家族と時間を過ごすことが、もはややりがいのある大切なことではなくなります。
むしろそうしたものは、やりがいある仕事へのさまたげになる、と考えるようになります。
もっと働かなければならないから、と言い訳するのに抵抗を感じなくなります。
いつ尋ねてもダメだと言うので、友人から誘われることもなくなっていきます。
この段階では、不信感、狭量さ、攻撃性が顔を出してきます。
同僚がバカでとるに足りないことばかり言うように見え、
どんどん生じてくる問題の原因として、
時間が足りない、同僚が無能だ、仕事の分配が不公平だ、と文句をつけるようになります。
睡眠不足により疲れがたまり、ジャンクフードとカフェインのせいでかなり不健康な状態になっています。
自分を情けなく思うと同時に、まわりは自分のつらい状況を理解してくれない、と感じます。
他人に向かってわめいたり手をあげたりするようになり、
口喧嘩をしかけることが増え、謝罪することに抵抗を感じるようになります。
生きることがつらいと感じるようになります。
他人との接触や人付き合いを最低限に抑え、
燃え尽きが進行していくという感覚をやわらげることが重要になってきます。
酒を飲むこと、あるいは薬に頼ってストレスを解消しようとします。
何に頼るかはそれぞれですが、通常よりも深くそれにのめり込みはじめ、危険な兆候が出はじめます。
友人、家族、同僚からみて明らかにおかしな奇行をするようになります。
本来のその人でなくなったということが、近しい人の目にはっきりと分かります。
身体的に疲れ果て、頭痛、肌荒れ、意欲の低下など健康上の問題が生じます。
対人関係にプレッシャーを感じ、とくに深夜、鬱が強くなります。
自分の人生が、機械的で感情のない歯車の連続のように感じられます。
自分の価値を誇示したいという願いも弱くなり、諦めてもいいかと思うようになります。
より頻繁に酒、薬、過食、異常性欲、その他の奇行、破壊衝動などに逃げ込むようになります。
鬱がさらに進行します。
この段階では、失望感、喪失感、消耗感を感じ、将来を楽観視する理由をほとんど見出せなくなります。
変わる家族 変わる食卓―真実に破壊されるマーケティング常識 岩村 暢子
http://booklog.jp/asin/4326652780
ですね。
著者は、広告会社アサツーディ・ケイで食卓、家族、主婦などをテーマに長年、調査研究に携わっている方だそうで。読んでみると、
もともとは広告代理店がターゲットの主婦層の状況を調査することから始めてみたら、
それまであったイメージとは違いましたよ、という本です。 フェミニスト必見。
個人的には、この本が出てから『食育』って言葉が流行り始めたと認識しています。
追記
私が間違っている可能性もあるし、君が正しい場合もある、
違います。日本の主婦は、頑張っているポイントが間違っているのです。下記を読んでも笑えるかな?
これには笑った。
がんばりすぎる日本の主婦(専業、兼業とも)に、もっと力抜け!手抜きしても死なないって、といってあげていいんじゃないのかな
http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200309/09toku2.html
変わる家族 変わる食卓―真実に破壊されるマーケティング常識 岩村 暢子
http://booklog.jp/asin/4326652780
この調査は広告会社アサツーディ・ケイで食卓、家族、主婦などをテーマに長年、調査研究に携わっている方だそうで。読んでみると、
もともとは広告代理店がターゲットの主婦層の状況を調査することから始めてみたら、
それまであったイメージとは違いましたよ、という本です。 フェミニスト必見。
「言ってること(第1ステップ)」と、実際に生活場面で「やってること(第2ステップ)」の乖離が年々大きくなってきており、
若い層ほどこの傾向は顕著になっていることだ。こうした「言ってること」と「やってること」の乖離が、
〈食DRIVE〉調査という同一調査の中で、この3年間に3倍ぐらいになっている。
例えば、
「栄養バランスを重視しているので、毎日のオカズは肉と魚を交互にして、かつ野菜の多い料理を心がけている」と第1ステップの事前アンケートに答えた主婦>(27歳)は、
また、「味噌まで自家製を作るほどの手作り派」を自称する主婦(38歳)の日常料理は、
簡単料理や加工品、出来合い総菜ばかりが続いている。
「夫に子どもの前ではお酒を飲まないように言っている」と語る主婦(31歳)は、
これらを見る限り、アンケートの回答は、
「たまたま、このときは時間がなかったから」「この日は特別で」と答える主婦がいる。
調査期間の1週間の中で「忙しかった」「具合が悪かった」などで、
「仕事で疲れて夕飯を作るのが面倒になった」と夕食をラーメン屋で食べることにした主婦(28歳)の「仕事」は、午後4時に終わる在宅アルバイト。
主婦にとって食事作りは、「どうしてもやらなければならないこと」ではなく、
ほかの「しなければならないこと」「したいこと」、あるいは「その日の成り行き」の中で、結果として「作れなくても仕方がない」「簡単に済ませてもいい」
というものになっている。
個人的には、これもフェミニズムの実現した社会の暗部だと思っているんですけどねー。
あと婚活男性むけにいうと、上記のような女性ばかりではないですよー。
私見ですが最近の女性、30歳以下の女性の中には異なるタイプの女性も増えてるような印象があります(印象だけですけど)
男女とも過剰な期待をしすぎているということでFAだな。
これも違いますよ。
女性:92.1%
男性:30.2%
女性:93.3%
男性:89.9%
女性:96.0%
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm01020101.html
男性の方は「自分の仕事に対する理解」も「家事・育児に対する能力や姿勢」も
女性ほどは求めてません。
収入に関してはいわんやをやですね。 それと未婚男女の可処分所得に関しては、ほぼ並んでます。
追記
「それ、どういう調査なのか書かれてないんだけど…」という指摘があったので、
調査元に関して追記しました。