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はてなキーワード: 本質とは

2012-02-13

スケベニンゲンさんのブログを読んで(読書感想文)

マルジェラ以降のファッションの前進について。

http://d.hatena.ne.jp/sukebeningen/20120212


も〜読んだけど全然わかんない!ヽ(;▽;)ノ

でも、ユニクロについてちょっと思うところがあったので、

折角だから、ここに何が書かれているのかということを、

もしかしてこんなことじゃないのだろうか」という感じで書いてみる。


以前、友人と「ユニクロって結局アリなのかナシなのか」

という話題で盛り上がったことがある。その時は結局は「ま、求めるレベルによるわな」という、

なんとも味気ない結論に至ったわけだが、その会話のなかの友人の言葉

ユニクロって、良いとか悪いとかじゃなくて、もう"ユニクロ"としか言えないよね」

というものがある。

ユニクロ大衆服だ。大衆服だからファッション的な価値は要らない。

デザイナーとのコラボやその他「それなりにこだわってますよ」的なやつ(日本製を強調したジーンズなど)は

あくまで大衆に売る為の最低限の質の保証の為の言葉に過ぎず、他の服との差別化なんて全く考えられていない。

マクドナルドトレイの中に敷かれた紙に書かれた、食材はこれだけこだわってるんです! ってやつと一緒。

大衆服は大衆の服だから無名だ。匿名性の高い、注目のない服だ。それが本質だ。

なのに、ユニクロユニクロとして強烈な存在感を放っている。

大衆服だから匿名であるはずなのにユニクロとしてのアイデンティティがそこにある。


一方で、マルジェラハイブランドだ。ハイブランドから、独自のデザイン個性など、

そういった価値が求められる。自分マルジェラって良く知ってるわけじゃない

(ミスチル桜井さんが好きらしいということをどっかで聞いたことがあるなあ程度)んだけど、

たまに見るネット上の画像とかだと、随分とスッキリしてて、匿名性のようなものを感じる。

服それ自体をデザインの対象としているかのように思える。

ハイブランドから個性的であるはすなのに、(マルジェラらしさはありつつ)どこか匿名的だ。


まりユニクロって、マルジェラから最も遠いようで、実は構造は同じな逆位相みたいな感じで

ひっくり返して重ねるとピッタリ重なるんじゃないかと思う。

その構造こそが、この中で書かれてる「現代」なのかな、そう理解した。

からマルジェラの次の世代を考える時は、ユニクロについて考えるべきなのかもしれない。


ジュンヤワタナベは、なんかコラボが凄いところってのは知ってる。

渋谷パルコの一階を抜けるときに良く目にするけど、いつもなんかとコラボしてる。

ブランドって、自分価値個性を強調したい筈だから、通常はコラボをしても自分価値がメイン。

あくまでコラボは相手の知名度や特徴を借りて、自分宣伝をするもの

でもジュンヤワタナベコラボは、むしろコラボ相手の服に依って自分イメージを形作ろうとしているように見える。

まりコラボ相手の服の価値ジュンヤワタナベの服の本質重要な一部として、宣伝ではなく取り込まれる。

そしてそうすると、母体であるコムデギャルソンすら、ジュンヤワタナベの利用すべき一ブランドとして、

ジュンヤワタナベの下位に置かれることになる。この貪欲な構造ジュンヤワタナベの「現代」だと、自分は思った。

エイプはもう全然知らない。高校時代に、友人が読んでたファッション誌にエイプの服があって、

「えっこれこんな高いの!? 」と驚いたことがあったけど、それ以来特にまともに見たことはない。

確かどの商品にも大体猿のマークがくっついてる。


ライセンス商法ファッション世界でもしばしば行われてる。

うちの実家にあるタオルにもYSLって書いてあるし、デパートに行けば

アナスイって書かれたハンカチが1000円くらいで売ってる。

でも、それは本体の価値がちゃんとあって、それをロゴが借りてる、というものだ。

でもエイプはもはやロゴが本体って感じ。猿の記号が本質サンリオグッズと一緒。

権威付けしてくれる本体と記号が同一だからアーノルドパーマーのように

価値暴落したりしない。とっても強い。

それがすごいところなのかなーって思う。


ここまで思ったことをなんとなく書いてみて、終着点が全然見えないか

ここでやめようと思う。

まり、なんか矛盾というか、違う視点から見たときの転換みたいなのがすごいんだよ!

っていう風に書いてあるのかなって思いました。小学生並みの感想

2012-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20120211190737

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。

(中略)

私は知った。

人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

私は知った。

神のなさることはみな永遠に変わらないことを。

それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。

神がこのことをされたのだ。

人は神を恐れなければならない。

(中略)

私は見た。

人は、自分仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。

それが人の受ける分であるからだ。

だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

男が男としての本能とやらに忠実なのは本質的にはそれが最も幸福からだよ

もちろん、成長し知的生産的で社会的な活動を行う事も幸福だろうけど

それは原始的な欲求が起源になってる

それが起源になっている以上は、すなわちそれが本質だよ

幸福を求める生物からこそ

それに身を任せる事以外に何一つ良い事がないからこそ

そうするだけだ

起源を同じくする行動に高尚と低俗を隔てる壁はなくて、どちらも人の仕事

お前の目から見て、低俗に偏っているように見えているだけだ

2012-02-10

手っ取り早く脳内麻薬を出す方法が知りたい

パチンコが好きである

というのも、あれはやってると脳内麻薬的なモノがドバドバ出る。

当たる・・・当たれッ!当たれェ!的なあのメソッドは、脳にかなりガシっとくる強烈な刺激で、

パチンカスカスである、という前提を受け入れた上でもモノスゴく気持ちいい。

同様に、出会い系なんかを駆使して女の子と会ってヤるというのも、かなり良い。

人間本能的なアレを全力で揺さぶる、まさに底辺、馬鹿のための娯楽だ。

しかし、これらには当然問題がある。

この気持ちよさは本質的に「ヤバイ」ことに根ざしている。

残り財産8000円、給料日まで1週間の状態で打つパチンコヤバイほど面白い

女に関してもそうだろう。「あー、こいつに深入りしたらヤバイよなー・・・」って時ほど面白いのだ。

ぶっちゃけて、友人の彼女口説くのが一番楽しいのだ。人妻だったりすると更に良い。

そういうわけで、この手の娯楽はもうだめだ。

学生時代バイト代で遊んでいるくらいなら許されたが、社会人かつフリーランスという

社会的制約の少ない状況で、これ以上この手の遊びにかまけていたら間違いなく人生破綻する。

なにより、この手の遊びは絶頂時は恐ろしく楽しいが、その後のゆり戻しもキツいのだ。

「あー、俺死ねよ・・・」と「イヤッハァ!」の往復をいい加減断ち切りたい。

俺は多趣味な方だ。読書もするし、筋トレもする。語学もやる。料理もする。音楽もやる。

仕事自体も趣味の延長で得たものなので、それもやる。部屋に閉じこもって延々やる。

しかし、こういった「淡々と続ける」ことが続くと、放埓な遊びがしたくてどうしようもなくなる。

セックスしたいしギャンブルしたくなる。おそらく、セックスギャンブル本質ではなく、

脳内麻薬的なあれが欲しくて仕方ないのだろう。射精とか、大当たりとか、そういうのに付随するあの多幸感。

しかも、最近ヤバイことは「カネがある」ということだ。パチンコ屋で1万円遊んで満足できていた

ころはまだ良かった。しかし、最近はふと遊びに行った海外バカラにハマってしまった。しかも大勝。

今もやりたくてやりたくてやりたくて仕方がない。仕事はケリがつきそうだ、一週間くらいの休みがもうじきくる。

しかし、ここでやらかししまったら間違いなく人生は転げ落ちる方向に行くだろうという気がしてならない。

カネがさほどかからなくて、社会的リスクも少なく

かつ脳内麻薬がドバドバ出る。そんな娯楽がこの世にはないものか。

学生時代格闘技やってた頃はこれが該当していた。他人を殴り倒すっていうのはモノスゴく楽しい

KO勝ちが一回あれば、一ヶ月はその余韻に浸って暮らせた。それに咥えて、スポーツによる発散はかなり効き目がある。

ギャンブル欲も性欲もかなり減衰させることができる。

しかし、身体を壊した現在ではハードに身体をいじめる類のスポーツはできない。

筋トレ水泳では、最早全く解決にならない。どうしたものか・・・。

http://anond.hatelabo.jp/20120209183012

エンジニアの癖に本質より枝葉末節に拘るのは何なんだろうな。

まぁそういう人もいるか仕様書を綺麗に仕上げるのが仕事SEとか。

その割に、他の増田に突っ込まれてる通り、「聞くべき視点」とか珍妙なこと言っちゃってるのがまた…。

2012-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20120209042916

最初目的は大体うまく行かないが、やってみる過程で別の可能性が見えてくることが本質だろう。

2012-02-07

産業構造が昔と大きく違っている中で、「道徳を涵養していけば、道徳に忠実にやってくれる人が多くなる」

と思うのは見当違いです。とくに若者はそんなことは考えていませんから処方箋をいくら出しても、

強制でもする以外、そうはならないでしょう。強制すれば、また違う害が出てくることは明らかですから、強制もできません。



「こういうのがいいんだ」とわかっていても、そうはできないし、そのとおりにはならないのが現在の大きな問題なのです。

やる人がいないし、耳を貸す人もいません。もしいてもそれは少数だけで、根本的な解決にはならないでしょう。



長く人生を生き、戦前・戦中・戦後一定視点人間というものを見ていると、どうも人間というのは、なかなか向上しない、

立派になりにくい宿命を背負った存在ではないかと思うことがあります戦争のような大きな悪の中では、

個人個人は倫理的で善良になり、平和の中では個人個人が凶悪になっていくという矛盾があります



かえって人間としては時代を経るにつれて低下していくような気がしないでもありません。戦争から比べると、

現在はご飯を満足に食べられ、家柄や男女にかかわらず行きたい大学に行け、やりたい仕事に就ける夢のような時代になったはずです。



しかし、欲望がすべて満たされたら満たされたで、人間はまた悩み始めているのかもしれません。



あれほど未来性を持ったマルクスのような人でさえ、人類がこのような時代に直面するとは予期していませんでした。

世界の現状や個々人の考え方や生き方がこうまで問題の多いものになるとは思っていなかったと思います



いまの状態は、社会主義国だと言っている国も、資本主義国だと言っている国も

そう変わりばえのあるようなことをしているわけではありません。ひと昔前に声高に論争しあった思想や政治システムといったものよりも、

人間性や人間本質のようなものが生み出すものや、人間性そのものが問われる時代になっているのではないでしょうか。



そういうことを考えていくと、現代は人類がかつて体験したことのないまったく新しい状態まできているということになります

しかすると、これから先、歴史の繰り返し以上に人類はだめになる危険性もあります



残念ながら誰の考えをたどっていっても、こうまでは考えていなかったろうと思います。これから先のことは、

自分たちで新しく考えていくより仕方ありません。



よさそうでかつ害のなさそうなことをやる、小規模でもやっていくということ以外にこの新しい時代対処する方法はないように思います



これは、科学的に社会のことを考えてきた人も想像していなかったろうと思います。そこが現在の一番の問題かもしれません。



一つはっきり言えるのは、いいことをいいと言ったところで無駄だということです。それは歴史が何回も証明してきました。

いかいかではなく、考え方の筋道を深く追わなければ、問題の本質が見えてきません。考え方の微細な筋道をたどっていかないと、

解決の糸口を見失ってしまうでしょう。



何はともあれ、いまは考えなければならない時代です。考えなければどうしようもないところまで人間がきてしまったということは

確かなのです。人間というのは善も悪もやり尽くさない限り新しい価値観を生むことができないのかもしれません。いま、

行き着くところまできたからこそ、人間とは何かということをもっと根源的に考えてみる必要があるのではないかと思うのです。

吉本隆明「真贋」より

2012-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20120201180431

「こいつ」ってのが誰かわからないけど、「当人にとって意味のない行為を、毎日やらせ続けることができるかどうか」が本質だよね?

それに対して「相手が喜ぶことがわかっているなら、愛があればやれるはず」という立場

「愛があったって、無意味に感じられる行為を求め続けたら、そんなものは続きませんよ」という立場で話しているわけじゃん?

君はどっちを否定しているの?

http://anond.hatelabo.jp/20120201175445

からこいつは話の本質とか元増田の主張とかそういうのはまったく関係なくて

比喩を拡大してみるとおかしくないかという事をひたすらつつきまわしているだけなんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20120201174932

そこで贅沢を持ち出すと、余計話の本質が分かりにくくならね?

まあ贅沢することに何の意味も感じないなら、薄気味悪く感じて続かないだろうね。

http://anond.hatelabo.jp/20120201010131

簡潔と言われても難しいな…。簡潔に語れないもの本質だと思うが。

少なくとも嫁に「一途」とか「私だけを愛してくれそう」とかは言われたことないな。

「誠実」は意味合いが(今の文脈に当てはまらないものなど)色々あって微妙だけど。

嫁に色々と厳しいこと言っても「厳しいのも優しさでしょう?」とかは言われたことあるな。

あとは俺が色々と人生に苦悩したりしながら生きていってるところも好きみたいだ。

付き合い始める前、俺が背の高いイケメンの友人(俺は背がかなり低い)に向かって冗談

「少しくらい身長くれ!」って言ってるのを聞いて感じるところがあったみたい。

「卑屈さが全然なくて、コンプレックスを受け入れて昇華してるのが分かった」って。

確かに全くその通りなんだけどね。

2012-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20120122164816

トラバありがとうございます

私も笑うことはとてもいいことだと思う。時には無理したって笑うことだって必要だと思う。

楽しいから笑うんじゃなくて、笑うから楽しいって言葉もあるしね。

からあなたのように、個人が自分の判断で意図的に笑おうとするのは素晴らしいことだと思う。

ただ、私がキにしてるのはもう少し深刻な人たちです。

こういう意図的な笑いがあまりにも頻繁に必要なのだとしたら、ちょっとそれは自分を見直す必要があるし、

まして笑いたくないところで笑いを強制されるような場があるのではないかと思ってるんですよね。

無理やり笑うって結構しんどいと思うんですよ。しんどいかこそ価値があるんだと思うけれど

あんまり頻繁にやってると、身体の根っこの部分がくたびれるような気がしてます




富樫の話はオチです。

人のことは批判してながら、結局自分もそうやって笑ったりワクワクするきっかけを求めてる。

で、それはそれでいいじゃないか、と思うんですよ。

それが仕事じゃないから、現実じゃないから、小説じゃないから、良い作品じゃないから、ステマから

批判しようと思えばいくらでも出来ますが、本質は全部一緒でしょ?

要するに、みんな何かで感情揺り動かしたい。自分が生きてるって実感を得たいわけじゃない。

そう思うと、何か親しみを感じます。愛しい気分にすらなります

自分は理解出来ないけど、他の人はとにかくわらをもつかむ思いで恋空とかゲーセン女とかもしドラとかをその日の自慰に使うんでしょう。

私は私で違うもの使いますよ、と。

そして、お互い賢者モードになってから話をしましょうよ、と思ったり。



ただ、不安とか神経症に悩まされている人が、

眠れないから安酒を飲んで、くたびれるまではしゃいで、くたくたになって、

それで日中ろくに動けなくて、ますます不安になるとか

何かに追われるように、自分を追い詰めるようにそういうものにしがみつくのはやめたほうがいいと思う。

不安で神経が高ぶって眠れぬ時には、おとなしくクスリを飲んで寝ることです。医者相談すべきです。

根本的に治したいなら、安い話を読むのをすっぱりやめてセルフヘルプの本に真剣に取り組むべきです。


孤独のグルメの例のセリフは、本当に自分にとって真理だと思う。

モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ、独り静かで豊かで・・・

2012-01-20

言葉表現しようとするには感覚的、だけど可視化された実感




最近思うのは、正解とか不正解とかっていうのはあんまり関係ないのかなぁと。

知識も意見も思想も、誰かと繋がるための触媒なのであって、

繋がろうとする時の”摩擦”を起こすのが何よりも大切であっ

て正しさとか納得ってことよりまずはことばのやりとりによって、存在を認め合うことが最優先の目的だと









<h2>アルテイスト?</h2>



なんだろう、この全部が一つの円の中に入るんじゃないかって言う感覚

それぞれが異なった領域にあって、全く関連が無いように思える事象であっても、

なんだか全てが繋がっていて孕んでいる本質は全てに共通しているんじゃないか?という

漠然曖昧、でも確信めいた感覚。点と点が線になり線で織り成す集合体は

円になるような感じ。









私たちはチャンスをつかむためではなく

チャンスを逃さないために日々研鑽を積んでいる。

どこから訪れるかわからない、

訪れていることに気づける自分であるために。



無駄時間を過ごすためにある場面では無駄を省き効率的に進むことを

求める。



そして、むだにだらだらする時間存在がやる気と

ちょっとサボってしまったという罪悪感を呼び、

さらなる効率的にすごそうとする意志に変わっていく。









点と点が結びついて線になる瞬間は

本当にフレイクスルー!!って感じがする。

そことそこが結びつくのか、とか

そんな分野にヒントがあったなんて!って思う。


悲しいけれど私たちには

点と点を結ぶ方法はない。

点と点のお見合い成功させる仲人にはなりえない。

結ぼうとしても無理。

唯一できるのは点を増やすことだけ。

線の材料になる

点を増やすことだけ。








別々の場所にあって独立した存在であるはずのものたちも

本質的には全部同じものであって、

切り離して考えると損をしてしまうような気がしてならない。

全てが繋がっていて、

全部一緒なんだと思う。


見えてる形とか表現の仕方は違っているけれど

それぞれの領域で最終的に行き着く本質

どれも一緒なんじゃないかと思う。



誰もが自分の虹に辿り着ける。

そんな感じ。

2012-01-16

橋下大阪市長左翼

テレビ見てたら右翼左翼が相変わらず間違った定義で使われていてゲンナリ。右翼or左翼って、正しくは保守or革新のことであって、ソーシャルorリベラルのことじゃない(から左右どちらでもありえる)。保守名前の通り、古くから続くものを重視する価値観で、既存ものを積極的により良く変えようとするのが革新社会的連帯を重視するのがソーシャル、個人の自由を重視するのがリベラル

更にややこしいことに、この4象限は政治的なもの経済的なもので分かれている。「保守」の立ち位置は各国の歴史によって異なるが、日本場合政治的には天皇制支持・親米反共アンチ人権重視、経済的にはアンチ自由競争 がそれぞれ「保守」。数年前に流行したポリティカルコンパスがクソだったのは、「保守」の立ち位置歴史依存することを分かってなかったことと、保守or革新ソーシャルorリベラルをごっちゃにしてたこと。

ということで橋下大阪市長は、政治的にはソーシャル保守経済的にはリベラル革新左翼)。タイトル左翼と書いたのはそういうこと(半分釣り)。日本のいわゆる「左翼」は、政治的にはリベラル革新経済的にはソーシャル保守で、橋下さんとは見事に正反対。というか時間系列的に、橋下さんがアンチ左翼といったほうが正確か。小泉元首相は、政治的にはリベラル保守経済的にはリベラル革新かな。

日本の政治のどうしようもなさの主原因は、橋下さんにしても「左翼」側にしても、というか今の日本の政治家の8割方が、政治的と経済的でソーシャルリベラルが異なってることじゃないかと思ってる。アメリカがまだ健全なのはソーシャルリベラルが重複率がヨーロッパよりは結構低いけど日本よりはずっと高いこと。クルーグマンは両方でソーシャルだし、フリードマンは両方でリベラルオバマ中道からややソーシャル寄り、マンキューは中道からリベラルより。

アメリカでも共和党本流(保守派)は政治ソーシャル経済リベラルで、ロムニー以外の候補がマジキチばっかりなのがそのため

ソーシャルリベラルって、方法論的に根幹で矛盾するから、本気でやろうとするとどちらかに統一せざるを得ないはずなんだよね。もしくは宗教化して矛盾したままゴリ押しするか。アンチ"経済ソーシャル"な私が小泉元首相は支持しても橋下大阪市長を支持しないのは、橋下さんの本質ソーシャルにある気がするから小泉元首相は一応中道右派ってことになってるけど、どう見てもアンチソーシャルからね。

2012-01-14

世界を変えるのは技術革新イノベーションだろう。でも世界を動かし進めるのは人の手と汗だ。人の手と汗の価値を安くしちゃいけない。労働者奴隷じゃない。働いて生産することは人間本質だ。自然で至極真っ当なことだ。金のルール社会ルール労働価値を貶めてはならない。最終的に、汗がなければ何も生み出さない。働く人がいなければ、世界はまわらない。必要なのは既得権益につくられたルールにだまされないことなんだ。本当は金なんかなくても、技術があれば生きていける。動物だって働いて餌をとるんだ。人間だってそうだ。働かないで食べようとする人は、他の人間を餌にしようとしてるだけだろ?

若者意識離職率に急激な変化は見られない。企業側の採用行動の変化により、希望通りのコースを歩めないというのが事実である。働く意志がある人間がなぜ働けないのかという観点から企業の側の原因が指摘されてきた。これを、働く意思の存在しない、特異な傾向を持つ集団にフォーカスすることによって若者が甘えているからいけないのだ、と「問題のすり替え」が行われているのがニート問題(あくまで2005年段階の話です)。実際は、たとえニートを働かざるをえない状況に追い込んでも働くことはできない人が多数いることが問題。

しかニートの中でも「刹那を生きる型、つながりを失う型、立ちすくむ型、自信を失う型」の4類型が確認されているが、このうち「刹那を生きる型」のみに焦点が当たっている。ニートについてすら正確に理解されていない。ニートですら甘えが本質問題ではない。

高度に専門化した現在職業状況では、最も多いと言われる文系フリーターちょっと訓練さr他程度では使いものにならない。それゆえ彼らはノースキルでもなんとかなるアルバイト派遣社員を選択せざるを得ず、また企業側もそうした使い捨て人材を欲するという構造悪循環しかもこれを放置していると潰しの聞かない人材を多く抱えたフリーター世代が後世で日本社会の大きな負債となる。

そもそも若年層の就業問題とは、既得権益を有した、特に男性の年長世代が、相対的な弱者としての若者たか構造だったのだ。若者はそうして保護された親の既得権益たかりかえしているのであり、あくまで「たかあい」の関係。この認識ができていないと議論が進まない。

自己責任原則は、一方で国や企業に頼るなといいながら、あらゆる長期計画(安定性)を放棄せよというダブルバインドメッセージを発している。若者たちはこの分裂したメッセージ対処するために、やりたいことを目指しながら、現在の状況をそのまま受け入れるという宿命論を招き入れざるを得ない。結果、不断の躁鬱状態に置かれることになる。

2012-01-13

幸福の科学モンハンに似ている

「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。

貧乏性から読んでみたけど中身スッカスカやなぁという感じ。

ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。



幸福の科学モンハンと似ている

彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。

というか、そもそも自分宗教団体に属しているという認識が薄いようです。

あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。

それよりも、ボランティア組織などがすごいらしく、

彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学グループだった、とかその程度らしいです。

社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。

自分の中でのイメージは、「幸福の科学は、モンハン」です。

そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。




以下「救世の法」から面白げなところピックアップ別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ



幸福の科学宗教争いの勝者である

世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました

幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています

世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。


幸福の科学が前提とする真理

人間本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります

 しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます

人生を生きるにあたっては善悪なるものがある。

 地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。



なぜ宗教は必要なのか

上記の真理に反すると地獄に落ちてしまます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。

霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。



エル・カンターレってなんぞや?

エル・カンターレ世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。

魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドブッダを越える大きな使命を持っています

そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。

私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。

なぜなら、私は創造そのものからです。私はこの地球創造力の顕現であり、この大宇宙創造力なのです。

これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。

クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。




真理を多くの人に広めるにはマーケティング意識する必要がある

他力信仰を説かない宗教は、あまり大きくならない。

他力の宗教マーケットは自力の宗教十倍あると言われています

わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります



なぜ政治活動を開始したのか

2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。

この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります

この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。

店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています



地球温暖化の原因

本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。

地球はやがてフォトンベルトからます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います

むしろフォトンベルト地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。



子ども手当を支給するよりも大川隆法の本を支給すべき

国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります

本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、

これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。

今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく



どうして幸福の科学を信じる必要があるのか

日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。

アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。

こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています



幸福の科学には他の宗派にはない救いの力がある

漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。

しか幸福の科学経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます



親鸞の教えに詳しい人ちょっと来い

信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。

わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります

また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。

死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分存在しないのですから何の損もないでしょう?

わたしの言葉を信じる人の場合あの世があるとき利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。

親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。

そして、わたしと一緒に地獄修行しましょう。


今は地球レベルの教えが説かれなければならない時代

幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。



慈悲こそが未来キーワード

慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。

運命は自らの力と努力によって創りだすことができます

ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。

そして平和を愛し、平和な人々を愛して下さい。

他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。

そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。

そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。

慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。

そのために人はみな修行をする必要が有るのです。



第三章から五章がおもしろすぎて生きるのが辛い

さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。

インド中国日本アジア三国志

ミハエルムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。

九次元霊マニがゾロアスターアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。

霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本から松下幸之助坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!

争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。


読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め





おまけ

幸福の科学グループのご案内。

基本理念三本柱。 愛・悟りユートピア建設

主な活動は以下のとおり

海外支援・災害支援」

自殺者を減らそうキャンペーン

「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア

学校法人 幸福の科学学園滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。

仏法真理塾 サクセスNo1」

不登校児支援スクール ネバーマインド

いじめからこどもを守ろう!ネットワーク

幸福実現党」で政治活動

幸福の科学出版

入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。

さらに信仰を深めたい人は三帰誓願式を受けることができます

月刊会員として「植福の会」に参加できます一口1000円からお布施をすることができます

2012-01-07

オタク向けコンテンツと女が好きな韓流ドラマの間にあるかなりの類似と決定的な違い

モテたい理由 4章 女子が生きるファンタジーから引用

成功は、他力によるものこそ羨ましい!」という女の心性をひとまず心にとどめておいてください。



エビちゃんシアターの)話は方便であって、エビちゃんの可愛さとシチュエーション別着回しがあり、イケメンに求愛されつつ、本命と結ばれれば良い。

求愛役となる「間男」にこそイケメンは配置される。そして誠実で優しいが言葉しかよこさない男より、間男イケメン金持ちティファニープレゼントしてくれる)のほうが重要、という間男テーゼが繰り返される。

意識的と言うよりは、作り手と読者の願望そのものが、幾度もコピーされるのである

しかし、話がどうでもいいからには、むき出しの構造と身も蓋もない本質が現れる。

何の本質か?エビちゃん自己投影したい女の、ファンタジーの好みである

はい韓流ドラマですね。



本田透は、女が忌み嫌うオタクアニメゲームの多くが、女好みのドラマと全く同じであることを見抜いている。

たとえばパソコンゲーム君が望む永遠」は韓流ドラマ天国の階段」。

やってることは同じだろ!恋愛交通事故記憶喪失三角関係嫉妬!妹!

ただ、オタクコンテンツと女が女のために無意識で作ってしまコンテンツの間には、たった一点、違いがある。

それは、主人公の選択。どの視点ゲームをするか、である

古来、ドラマというものは苦労人の方に感情移入するように作られてきた。シンデレラを思えばいい。

それが女性誌型のドラマだと、「苦労知らず」の方が一人勝ちするのである

それは本来はドラマにはならない。「冬のソナタ」野本ネタとも言われる日本漫画キャンディキャンディ」になぞらえれば、

いじめっ子金持ちイライザが美人性格もよくもちろん金持ちで男全員にモテモテ!みたいな話なのである

それが、女の人生ファンタジー。何だろうこれ、妄想というのさえ疲れてきたが・・・。これが女がオタクを近親憎悪する理由なのだろうか。



エビちゃんが演じさせられることの、あり得なさがやたらにリアルなのである。背後にいる女たちの夢の在り得なさ、そのもののようで。

エビちゃんの演じさせられるOLは、手持ちの服と旬のアイテムいか効果的に組み合わせ自己プレゼンするか。そしてお話能力と関係調整能力だけ、

すなわちほとんど見た目とその個人の愛される質だけにたよった仕事であるしか読めないようにできている。

エビちゃんが演じるOLの内実がどう描かれているのかをよく見ると、作り手が彼女に託したい夢の自画像のようなものが見えてきて、胸が苦しくなってくる。

それは、男女雇用機会均等法が決して果たさなかった約束であり、これからも果たすことがないと定款ないし絶望している女たちの夢のようである


要するに、韓流ドラマっていうのは今で言うと豚向けアニメってことだな。

女は男がブヒィィ言うはるかに前から韓流ドラマブヒブヒしてたわけだ。

女のほうがはるかに欲望に忠実で、それを早くからしか現実人間を使ってドラマに仕立てあげてたわけだ。恐るべし。

で、オタクどもはそれの後追いにすぎない。


オタクって、偉そうなこと言ってるけど、想像力や執念においてそんじょそこらブヒ女にはるかに劣る。まだまだ常識に囚われてる奴が多いってことがわかるね。

ついつい「これはやり過ぎなんじゃないか?」とかブレーキが掛かっちゃうんだろうね。

エロ方向だけは際限なく好奇心旺盛だけれど、もっと本質的な所で欲を持てない。弱い弱い。

もっとシャルとか牧瀬紅莉栖みたいなキャラをどんどん創り上げて、エロ方向よりもっとえげつない所で欲望を満たしていけばいいのに。


ブヒアニメはこれからが本番かな、と思わされる文章だったよ。

2012-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20111022211746

バカやってる人たちと同じ事をして楽しめないのはわかる。

でもそこが本質と言うよりは、

楽しさは与えられるものだと思っているから楽しくないのでは。



楽しもうと思う姿勢や、むしろ楽しませようとする勢いで行けばいいと思う。

人を楽しませるのは難しい。

からこそ、楽しませようとがんばっているときにみんなが楽しもうとしてくれれば嬉しいし、

楽しんでもらえたとき自分も本当に楽しくなる。



自分学生時代リア充爆発しやがれと思っていたけど

社会人になって、与えられる側から与える側になりたいと思って

何事にも真剣にぶつかるようになってから色々なことが面白くなった。


偉そうなことを言っている自分も与える側初心者だけど、

せっかくの新年という機会、今日から与える側においでよ。

口を開けて待っているだけじゃいつまでも渇きは満たされないよ。

http://anond.hatelabo.jp/20120102051451

IT技術の発展は確かに直接民主制での大きな欠点である

「大規模・複雑な社会での運用の困難さ」を緩和していますが、それは

直接民主制運用上の問題点を解消しているだけです。

直接民主制自体は本質的に「統治効率の低さ、意思決定スピードの遅さ」を

内包する制度でして、統治効率を求めるなら、ビューロクラシー独裁制

いった意思決定へ関与する人数の制限、専門化を行う方向が解決策です。

直接民主制自体は、少なからぬ利点を備えた制度ですが、意思決定の速度を

重視する場合採用する制度ではなく、運用上の問題点の解決できたからと

いって制度本質が変わるものではありません。

2012-01-01

今年もネットでどんなオタの卑しい本質が露わになるか

ひっそりと楽しませてもらう予定

2011-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20111231154455

はじめに

別に独裁」を連呼はしてないけど、橋下も、その支持者も嫌いなので一言。前出の動画を見て簡単に要点をまとめるけど、

橋下「僕は民主主義ルールを守った上で、自分意見を実現するための方法を行っている」

橋下「少数意見を尊重していたら、実行ができない。少数意見尊重は理想だが、今はそれをやっている場合ではない」

まあ、おおむねそういうことを言ってる。ここまではOK?

でも、この上段と下段は矛盾してる。そこが理解できているのだろうか。これをなぜ矛盾というか、順に説明したい。(これが矛盾だと理解できる方は、一気に下の「矛盾について」までジャンプしていただいて構わない。)


民主主義とは何か

多数決は糞だ

まず、橋下や多くの橋下支持者の言う「民主主義」とは何か。本当に理解しているのか? たとえばそういう人に、民主主義って何?って聞いてみると、それは多数決のことだとか言う。馬鹿!としかいいようがない。少しはググれ。多数決というのは、民主主義の本体ではなく、言ってみれば糞のようなものだ。生きていれば必ず出る。それが糞。だが、それはもの本質ではない。やむを得ず出す余剰や排泄物本質だと言ってみるのは、スカトロプレイ人間真実がある、というSM愛好家の口吻と同じ程度の説得力しかない。要するに一種の自己弁護詐欺である

なぜ「糞」というか。民主主義本質とは何か。説明する。


意思を決定する方法

政治とは意思決定だ。その意思決定の主体を、どこにおくか。大昔は神に預託された巫女が、あるいは神権をもった王がもった。しかし、徐々に一人の意見の過誤を防ぐ意味から、多くの頭脳による方法が用いられるようになり、君主制一定の中からトップを選ぶ)、寡頭制(複数で決める)、貴族制(階級全体で決める)、あるいはそれらを組み合わせることで意思決定がなされるようになった。古代に一度行われていた民主主義は、近代に入り、社会経済成熟と歩を並べ、自由主義資本主義社会の進展とともに、「みんなの意見を合わせると、おおむね正しい結果になる」という知見の下、選挙による間接民主制という形で、多くの国で採用されることとなった。(余談だが、間接民主制をとる場合大前提として、投票する大衆は、現下に起きている事態について、必要かつ十分な知識をもつ必要がある。そこで、間接民主制をとる集団では情報を適切に配分する方法が必要となる。多くの近代国家では、そのために民主制とセットで、権力から自由なメディアを発達させてきた。自由なメディアの無い国に、民主制は成立しない。)

で、「みんなの意見」をまとめるために、民主主義はどのような方法を取るか。それは「話し合い」である(というより、それ『しか方法はない)。集団での意思決定であるから、理でもって他者と交渉し、協調精神で話し合いをすすめながら、最終的に合意を得て決定する。その際、たとえ少数であっても、その少数意見を尊重すること無しには、集団で合意の形成などできない。特に、間接民主制の下では、たとえ一人の意見であっても、その一人の背後には膨大な人間存在しているため、軽視することは許されない。少数意見を採らない場合、反対を主張する多数派には「採らない理由を合理的に説明する」義務があるのは当然だ。


最終手段としての「多数決

ただ、もちろん政治現実ものであり、現実人間は不完全なので思想・信条見解の相違がある。時代の要求する文化によっても、物の価値は変動する。その変化の前後で人の価値観は異なるだろうし、そうなると、どれだけ理を尽くしても最終的に対立が解消しない、という事態は起こり得る。だがそれでも、もちろん政治決断をくださなければならない。だから、理を尽くして越えられない壁がはっきりしたときには、それを越えるため万やむを得ない解決手段として、『多数決』が用いられることになっているのである

本来、とにかくひたすら話し合うのが民主主義である。だから、決定を多数決に持ち込むような事態は、民主主義が敗北するときと言ってもよい。だが、民主主義が敗北しても我々は民主制を放棄するわけにはいかない(それよりマシな方法存在すると知られていない)から、その場合に意思決定を行う最終手段として『多数決』は許容されているに過ぎない。多数決とは民主主義の糞だというのは、つまりそういう意味だ。現代日本民主制は、理と協調精神による話し合いを通して多くの素晴らしい意思決定を行っているが(与野党ケンカばかりしていると思っているお子様は、日本の色々な法律がどのように成立しているかちゃんと確認すべき)、不完全な決定のいくらかを多数決という糞としてひり出してもいる。それだけを見て、多数決は素晴らしいなあ、とか思ってる人間は、スカトロジスト(糞尿愛好家)と呼ばれても仕方ない。そう呼ばれることに誇りを覚えていて、一緒にするなと怒る人もいるかもしれないな。すまん。


矛盾について

民主主義についての初歩的な知識

さて、以上を踏まえ、比喩として、もう一度言う。多数決は糞だ。少数意見を最終的に「採らない・採れない」ことはもちろんある。それでも、一定合意を得るための様々な譲歩や協調のための配慮は必要なのであって、それは民主主義コストなのではなく、民主主義による意思決定を可能な限り正しいものにするために絶対必要な手続きだ。だから多数決をタテにして少数意見を圧殺する人間は、そもそも民主主義者ではない。数の暴力を振りかざして権力を握る人間は、端的に言って独裁者である

最初に【矛盾】と言ったのは、「少数意見を尊重する」ことこそが民主主義ルールそのものであり、少数意見を尊重しないのは単なる独裁(あるいは数の暴力であるにも関わらず、「民主主義ルールを守る」と言ったその口で彼が「少数意見を尊重しない」と述べているからだ。少数意見を尊重しないなら、それは民主主義ではない。彼は法律家であり政治家であるのだから、そんな初歩の初歩をしらないわけがない。

あるいは、彼は「ここで民主主義ルールとは選挙のことを言ってるのだ」と言い逃れるかもしれない。だが、「選挙」とはあくまで「間接民主制」を成立させる手続きの一つに過ぎず、民主主義における意思決定システム本質とは無関係であることもまた、言うまでもないくらい当たり前のことだ(首長選挙で通ったからといって、その主張が議会の全体合意もなく自動的に「承認」されるような詐術が成り立つなら、最初から議会は必要ない)…これもまた、政治の初歩の初歩であり、法律家であり政治家である彼が絶対に知らないはずはない前提だ。ではなぜ、彼は平気でこういうことを言うのか?


ヒトラー尻尾

それは、選挙民のほとんどが「民主主義とは多数決のこと」であり「多数決選挙のこと」である、と二重に勘違いしていることを知っていてそれを都合良く利用するためだ、としか解釈できない。その二つの勘違いを利用することで、「選挙に通ってしまえば独裁してもよい」という思い込みを形成し、支持者がそれを支持する「空気」を作りだして、反対する良識派(というか当然起こる反対)を封じ込め、本来通るはずのない法案を作成議会を通過させようとしている…それが、目下彼がせっせとやっていることではないか。そして、そういうところがヒトラーの手口と酷似していると指摘されているところであり、彼に警察権や軍事力立法権あるかないか、ということが問題なのではない。まあ、個人的には彼は、ヒトラー尻尾というより劣化矮小版のコイズミジュンイチローだと思っているけれど。


最後

以上を踏まえて、彼の言っていることはシンプル嘘だと私は考えている。嘘から発生する利益を享受する人間をなんというか。その呼称は各自に判断に任せるが、いずれにせよ、民主主義破壊者が、口先だけ民主主義を唱えながら権力の位置にあるという現状を、どのように見るか、これは呼称なんかよりも重大な問題だと考えている。

これは、彼個人が善意の人であるか悪意の人であるかという問題ではない。民主主義システムそれ自体にそもそも脆弱性があって、その脆弱性がまさに攻撃されており、ウィルスチェッカーメディア)も、そのウィルスがまさに自己の中からメディアが創りあげたスターとして)誕生したために有効に機能していない、という状況をどう見るかという問題である


以上、簡明に反論してみたつもりだが、随分長くなった。反論があれば伺う。

2011-12-30

ゴースト暗算の件

http://togetter.com/li/232720 の件

気づいたときにはすごい馬鹿にしたブクマコメントで埋め尽くされていたんで逆張りで良いとこ探してみたら、一概に馬鹿にできたもんじゃないことがわかった。

ちなみにその東大生が書いた本は読んだことがないからぜんぜん違う話かもしれない。



2桁×2桁の暗算普通(というか自分は)筆算と同じ順序で行う。



67×43の場合



(1)67*3を計算し201を出す

(2)201を脳内のどこかに格納する

(3)67*40を計算して2680を出す

(4)(2)で格納した201を思い出す

(5)(3)の結果2680と(4)で思いだした201を足して2881が計算結果となる。



自分もそうだし、たぶん他にもいる暗算が苦手な人は

「(2)で格納した結果を(3)を計算している最中に忘れちゃって(4)で思い出せない」

からじゃないかと思う。



ゴースト暗算場合



(1)6*4と7*4から2428という数列を作る

(2)真ん中4と2を足して268という数列を作る

(3)(2)に7*3の結果の21をつないで26821という数列を作る

(4)真ん中の68と2を足して2701という数列を作る

(5)(4)に3*6の結果の18を真ん中の70に足して2881が計算結果となる



この手順の中には数列の格納・引き出しという作業がないため、それが苦手な人には暗算が簡単になるのかもしれない。

幾つかブコメ等でも指摘があるとおり「計算順序を変えただけ」というのはまさにその通りでゴースト暗算本質



計算過程の一時記憶が苦手で暗算ができないという問題を、計算順序を工夫することで一時記憶を無くし解決する」



となるんじゃないかと思う。



ただ計算過程の一時記憶ができない人は問題の一時記憶もできないので、問題文が目の前に書いてないと役に立たないという欠点はあるけどね。

個人的には67*43なら2800強であることがわかってればいいかなぁ程度で細かい計算はしない。

2011-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20111228110135

その順番で書いた意味をきちんと子供に確認して、掛け算の意味小学校的なルールのことではない)を理解してないことを確認した上で×としたなら

↑そうそう!全くその通り!

でも、もう一つ忘れちゃいけないのは、理解できているか否かの判定として俺哲学で導き出した俺理論を使うのはクソってこと。

それができて初めて

生活感覚数学合理性乖離している生徒に合わせて、それらが合致している生徒の思考様式までを制限するべきではない」

一般化すると「数式を導き出すまでの思考過程をある一つのものだけに限定するべきではない」

ということが分かっていることになると思うよ。



<俺理論およびローカルルール集>

算数ってのは、何を何倍したら何になりますか、の思考でしかなくて、数式で書くべきではないような思想の抽象化をあえて式にしてるってだけなんだよ。

数字も数式も、世の中には存在しないんだよ。

算数って学問の考え方も、実はそれに近くなってるんです。

「6本×8人/本=48本」

ていうのは数式にしたら正しく見えるけど、言葉で書いたら、

「6本を8人/本倍したら48本になるね」

「8人/本を6本倍したら48本になるね」

っていう、世の中の現実と照らし合わせたら完全に無意味数字遊びをしているだけの可変性になるわけよ。

「ずつ」そのものが掛け算と同じような事象を表し、かつ、何を何倍するか、の本質なんだよね。

ま、それでも俺の言ってることがわからないのであれば、ソシュールでも読んでくれ。

先生が正しいんだけどね。

それわかってないやつが多すぎて痛い。

6【本】 ×8 = 48【本】

であって、

「8人に6本をと6本を8人には同じだろ」って批判してるアフォもいるけど、もちろんそれは当然同じだけど、だからと言って

8【人】 ×6 = 48【人】

と表記していいわけじゃない。

「~学」っていう哲学の話なのに、問題の核心を履き違えている人が多いなあ。

「算数」って学問と「物理学」って学問の思想の違いが、今回の核心なんだけど。

2011-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20111227131118

まり、何がどうわからないのかもわからない状態ということか…。

確かにそれは小学生目線かもしれない。

  • 1皿3個のりんごが5皿分あったら3*5で15個
  • 5皿あって1皿3個ずつりんごを乗せたら5*3で15個

整数の範囲の掛け算の可換性なんてこれが直感で理解できれば十分であって何も間違ってない。

「1皿3個」を単位で書くと「3個/皿」であって、この「単位」も割り算なんか知らなくても直感で理解できる。

指導要領だか教科書だか知らんが、本質を見誤ってマニュアル思考に陥るからこんな簡単なことも分からなくなるんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20111226221147

ツリーのどっかの増田さんが言ってたけど、あなた数字信奉者よね。

物理数学算数と分けることが有益、無益で語ろうとするあたり。

数字も数式も、世の中には存在しないんだよ。

算数って学問の考え方も、実はそれに近くなってるんです。




算数ってのは、何を何倍したら何になりますか、の思考でしかなくて、数式で書くべきではないような思想の抽象化をあえて式にしてるってだけなんだよ。

から今回の例でいえば、

「6本ずつ8人に配ると48本になるね」

っていうのは、それ以外ではないってこと。




誰かがしつこく言ってる数式の単位

「6本×8人/本=48本」

ていうのは数式にしたら正しく見えるけど、言葉で書いたら、

「6本を8人/本倍したら48本になるね」

「8人/本を6本倍したら48本になるね」

っていう、世の中の現実と照らし合わせたら完全に無意味数字遊びをしているだけの可変性になるわけよ。



「ずつ」にこだわるなんてナンセンス、って言い方はわかるけど、「ずつ」そのものが掛け算と同じような事象を表し、かつ、何を何倍するか、の本質なんだよね。

ま、それでも俺の言ってることがわからないのであれば、ソシュールでも読んでくれ。

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