はてなキーワード: 大衆とは
はてなでウェブ上を巡回していると気づくが、ブクマ数毎に記事・ブコメの質が変わってくる。ただブクマが多ければ記事の質も比例してよいというわけではなく、数に応じて傾向がある。
人気ブクマには上がらず、その情報を探していた人にとっては有用な情報が記事になっている。またはブクマする癖のある人がふらっとブクマしただけ。
その情報を探していた人にとっては「非常に」有用な情報が記事になっている。特定の人ではなく、特定の分野(カテゴリ)に属する人が集まり、コメントも属性の近い人同士で有用な意見が集まる。
この辺りからホッテントリに表示されるようになり、特定の分野に関係の無い人、また同じ分野でも記事の意見に否定的な人が集まってくる。id指定のディベートも起こるようになるが、「あなたはこういう意見、私はこういう意見」という互いに頬をひっぱたき合って互いに納得する、調和が取れた状態で落ち着く。
ブクマが二分している状態または片方の勢力にドヤ顔でケチをつけ、「多数勢力になびかない俺かっこいい」的コメントを残す人(はてな村中級者に多い)が段々出てくる。
※ただ、既に31〜100ブクマで議論が交されたところにいきなり踏み込むと、その議論が起きるまでの経緯なしに目にすることになるので「何こいつら熱くなっちゃってんの」となってしまう心情は理解できる。
このような流れなので、せいぜい250ブクマまでが記事、ブコメ共に楽しめるバランスのいい状態。これ以上ブコメがつく記事については、そのブクマ数に達するまで短期(0〜2日)か中長期(3日〜)かで質が分かれる。
割と常識過ぎてその筋の中上級者には記事にする気すら起きないような内容(Excel で If の空白処理とか)だが、初心者には目からウロコとなるような記事はホッテントリに上がるや否や凄まじい勢いでブクマがつく。こうなると、「やり方が間違っている。正しくは○○だ」という親切心や「こんな適当な記事でブクマ数集めやがって」という嫉妬、「なんでこんなブクマついてるの」という、ブクマするお前が言うなっていう大衆忌避のブコメがダイソン状態で集まってくる。こういう記事は内容だけ軽く頭にとどめておき、ブコメの阿鼻叫喚ぶりをサラっと眺めてページを閉じるのが精神衛生上ちょうどよい。自分も熱くなってしまったら負け。
こちらは、記事の内容がよく推敲されておリ、脊髄反射的によさげな雰囲気だけでブクマされたものではなく、内容を丁寧に読んだはてな村民が丁寧にブクマした結果で時間を掛けてブクマ数が増えているため、内容が自分に合っているのであれば素直に便乗してブクマしておくべき記事である。ブコメも(ブコメ数)/ 100 ぐらいの数で記事に新たな視点を加えるような建設的・効果的な意見が上がっていることも多いので、はてな村民としては「ブクマが多いページをブクマして多数になびいたら負け」という気持ちからブクマをせずに閉じてしまいたくなる衝動にも駆られるがそこは我慢。新しい知識を得るための痛みだと思って恥を捨ててブクマした方がいい。
2011.3.11 の震災以降、情報に敏感な人が増えたのか、昔よりも記事のブクマ数が増えてきたように思う。ユーザ数が増えることは称賛すべきことだけど、(どんなサービスでもそうだが)多くなりすぎるとノイズが増えすぎてコンテンツの質を損なってしまうことが多々ある。
だけど読むべき記事、読まなくていい記事、コメントしなくていい記事など一人ひとりで基準を持って使っていれば、(時代の流れやユーザ数の遷移に伴って基準は修正しなければならないけれど)自分が得たい情報以外に無駄な感情や精神力を使わなくて済むので、はてな村の皆様もぜひはてなリテラシーを高めて過ごして頂きたく。
http://d.hatena.ne.jp/sukebeningen/20120212
も〜読んだけど全然わかんない!ヽ(;▽;)ノ
折角だから、ここに何が書かれているのかということを、
「もしかしてこんなことじゃないのだろうか」という感じで書いてみる。
以前、友人と「ユニクロって結局アリなのかナシなのか」
という話題で盛り上がったことがある。その時は結局は「ま、求めるレベルによるわな」という、
なんとも味気ない結論に至ったわけだが、その会話のなかの友人の言葉で
「ユニクロって、良いとか悪いとかじゃなくて、もう"ユニクロ"としか言えないよね」
というものがある。
ユニクロは大衆服だ。大衆服だからファッション的な価値は要らない。
デザイナーとのコラボやその他「それなりにこだわってますよ」的なやつ(日本製を強調したジーンズなど)は
あくまで大衆に売る為の最低限の質の保証の為の言葉に過ぎず、他の服との差別化なんて全く考えられていない。
マクドナルドのトレイの中に敷かれた紙に書かれた、食材はこれだけこだわってるんです! ってやつと一緒。
大衆服は大衆の服だから無名だ。匿名性の高い、注目のない服だ。それが本質だ。
大衆服だから匿名であるはずなのにユニクロとしてのアイデンティティがそこにある。
一方で、マルジェラはハイブランドだ。ハイブランドだから、独自のデザインや個性など、
そういった価値が求められる。自分はマルジェラって良く知ってるわけじゃない
(ミスチルの桜井さんが好きらしいということをどっかで聞いたことがあるなあ程度)んだけど、
たまに見るネット上の画像とかだと、随分とスッキリしてて、匿名性のようなものを感じる。
ハイブランドだから個性的であるはすなのに、(マルジェラらしさはありつつ)どこか匿名的だ。
つまり、ユニクロって、マルジェラから最も遠いようで、実は構造は同じな逆位相みたいな感じで
ひっくり返して重ねるとピッタリ重なるんじゃないかと思う。
その構造こそが、この中で書かれてる「現代」なのかな、そう理解した。
だから、マルジェラの次の世代を考える時は、ユニクロについて考えるべきなのかもしれない。
ジュンヤワタナベは、なんかコラボが凄いところってのは知ってる。
渋谷のパルコの一階を抜けるときに良く目にするけど、いつもなんかとコラボしてる。
ブランドって、自分の価値や個性を強調したい筈だから、通常はコラボをしても自分の価値がメイン。
あくまでコラボは相手の知名度や特徴を借りて、自分の宣伝をするもの。
でもジュンヤワタナベのコラボは、むしろコラボ相手の服に依って自分のイメージを形作ろうとしているように見える。
つまりコラボ相手の服の価値がジュンヤワタナベの服の本質の重要な一部として、宣伝ではなく取り込まれる。
そしてそうすると、母体であるコムデギャルソンすら、ジュンヤワタナベの利用すべき一ブランドとして、
ジュンヤワタナベの下位に置かれることになる。この貪欲な構造がジュンヤワタナベの「現代」だと、自分は思った。
エイプはもう全然知らない。高校時代に、友人が読んでたファッション誌にエイプの服があって、
「えっこれこんな高いの!? 」と驚いたことがあったけど、それ以来特にまともに見たことはない。
確かどの商品にも大体猿のマークがくっついてる。
うちの実家にあるタオルにもYSLって書いてあるし、デパートに行けば
でも、それは本体の価値がちゃんとあって、それをロゴが借りてる、というものだ。
でもエイプはもはやロゴが本体って感じ。猿の記号が本質。サンリオグッズと一緒。
権威付けしてくれる本体と記号が同一だから、アーノルドパーマーのように
それがすごいところなのかなーって思う。
ここまで思ったことをなんとなく書いてみて、終着点が全然見えないから
ここでやめようと思う。
日本の文学史で、純文学と大衆文学の論争が起きたときも、同じ理由だったんじゃないかという気がする。
「純文学が“ありのままの真実を書いている”って、検証不能じゃないか。
また本当に起きたことであっても、書いた人というバイアスを通った以上、その人の主観になる」
に傾き、そして「純文学と大衆文学の境目が薄れてきた」現実で論争は終結した。
今の時代は「小説なんて作り話じゃん」が常識だけど、昔は「事実・真実でないとダメ」と言っていた人が、
かなりの数いたんだよ。
それより「嘘がソースの話は信用するなボケ」をもっと考察した方がいいと思う。
なぜ多くの人は、言われたことをそのまま信じてしまうのか?
荒俣宏はそれを「アホの力」と名付けた。(と思う)
漫才で片方が何かを言うと、相方が「そうそう、○○ですね~」と復唱する。
疑わない、否定しないお約束なんだけど、(もちろんネタの核心部分に入ったら捻りが出てくるが)
「機会平等」と「結果平等」という言葉があるが、日本人(特に教師)は「子供のうちなら結果平等が実現するはず」という幻想を持っている。
しかし子供こそ「むきだしにされた素養の塊」であり、大人同様に平等とはほど遠い。
子供の結果平等に夢を見ている教師や社会は、出来過ぎてクラスで浮いてしまう「浮きこぼれ」の存在を憎む。
浮きこぼれそうな子供たちは、その憎しみを受けないために、"普通の子"のふりをして埋没しながら義務教育期間を過ごす。
今の世の中で力を握っているのは元浮きこぼれや、普通の子に擬態していた子供が成長した大人たちだ。
能力主義、成果主義、見える化、リストラといった流れは、子供時代に不遇だった元浮きこぼれたちの「無能な多数派への復讐」なのではないか。
彼らはおのれの能力によって勝ち取ったものを絶対に他人にシェアしない。「天賦の才」を、自分のためにしか使わないのだ。
なぜ自分が選ばれ、才を与えられたのか、彼らは考えず、感謝も求めず、ただただ人生というゲームで無双プレイを楽しみ、憂さ晴らしをし続ける。
彼らが大衆を憎むのは、子供の頃に教師や社会によってされたことへの復讐だ。
「最初の火付けがステマ」というのも本当かどうか怪しいもんだけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20120107185942
あーそういう事ね。
デマというか、昔から存在する悪意のまき散らし行為に別の名前がついただけだと思う。
気に入らない、もしくは関心の無い事象が世間から注目を浴びている状況に出くわした時にはき出したい台詞にぴったりフィットする言葉だっただろう。
メディアが安易に多用する「婚活」とか「草食系男子」みたいなもんで、名前そのものに元から需要があって「ステルスマーケティング(ステマ)」は見事にそれに応えてくれる言葉だったと。
もっとも、流行を作る側からしてみれば、一番痛いのは今も昔も変わらず「無視される」「話題にのぼらない」なので、ステマ呼ばわりされるだけでもかなり有り難い状況だったりするんだよね。
「○○○?知らね。つかそんなことよりさー…」と速攻で別の話題に流されるよりは「○○○?ああアレね。知ってる?○○○ってステマやってるんだぜ?」「へえ、そうなんだー。どんなの?」「実はね…」と一定時間話題になった方がよっぽどいいもん。
なんだかんだで「ステマ」という言葉はWin-Winな関係をもたらしてくれてると思う。儲けたい側は「ステマをやっていた…」と長く大衆の記憶に残るコンテンツを獲得できるし、叩きたい側は無視するよりも幾ばくかは鬱憤を晴らせるし。
いつも抽象度が高くて不満が残る作者だが不満があるけどこれはかなり実用的
フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論 ペトロスキーシリーズ面白すぎ
ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫) - マイケル ハワード おもしろすぎワロタ
有事対応コミュニケーション力 (生きる技術!叢書) - 著者陣が嫌いな人ばっかだけどタイトルが魅力
ためらいのリアル医療倫理 ~命の価値は等しいか? - 岩田 健太郎 -内田樹押しなのがやだけど魅力
かかわり方のまなび方 - 西村佳哲
自分をいかして生きる (ちくま文庫) - 西村 佳哲 最近はまってる西村先生シリーズ
クルセイダーキングス デウス ウルト【完全日本語版】 むずい
変われる人 8000人のキーパーソンと会食してわかったこと - 鮒谷周史;
あなたは、なぜ「自分に似た人」を探すのか――崩壊する「大衆」と台頭する「鏡衆」
文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325) - 丸山 真男 立ち読み一覧
資本主義と自由 (日経BPクラシックス) - ミルトン・フリードマン
「新訳」乱気流時代の経営 (ドラッカー選書) - P・F. ドラッカー
新訳 見えざる革命―年金が経済を支配する (ドラッカー選書)
別に「独裁」を連呼はしてないけど、橋下も、その支持者も嫌いなので一言。前出の動画を見て簡単に要点をまとめるけど、
まあ、おおむねそういうことを言ってる。ここまではOK?
でも、この上段と下段は矛盾してる。そこが理解できているのだろうか。これをなぜ矛盾というか、順に説明したい。(これが矛盾だと理解できる方は、一気に下の「矛盾について」までジャンプしていただいて構わない。)
まず、橋下や多くの橋下支持者の言う「民主主義」とは何か。本当に理解しているのか? たとえばそういう人に、民主主義って何?って聞いてみると、それは多数決のことだとか言う。馬鹿!としかいいようがない。少しはググれ。多数決というのは、民主主義の本体ではなく、言ってみれば糞のようなものだ。生きていれば必ず出る。それが糞。だが、それはものの本質ではない。やむを得ず出す余剰や排泄物を本質だと言ってみるのは、スカトロプレイに人間の真実がある、というSM愛好家の口吻と同じ程度の説得力しかない。要するに一種の自己弁護と詐欺である。
政治とは意思決定だ。その意思決定の主体を、どこにおくか。大昔は神に預託された巫女が、あるいは神権をもった王がもった。しかし、徐々に一人の意見の過誤を防ぐ意味から、多くの頭脳による方法が用いられるようになり、君主制(一定の中からトップを選ぶ)、寡頭制(複数で決める)、貴族制(階級全体で決める)、あるいはそれらを組み合わせることで意思決定がなされるようになった。古代に一度行われていた民主主義は、近代に入り、社会や経済の成熟と歩を並べ、自由主義・資本主義社会の進展とともに、「みんなの意見を合わせると、おおむね正しい結果になる」という知見の下、選挙による間接民主制という形で、多くの国で採用されることとなった。(余談だが、間接民主制をとる場合、大前提として、投票する大衆は、現下に起きている事態について、必要かつ十分な知識をもつ必要がある。そこで、間接民主制をとる集団では情報を適切に配分する方法が必要となる。多くの近代国家では、そのために民主制とセットで、権力から自由なメディアを発達させてきた。自由なメディアの無い国に、民主制は成立しない。)
で、「みんなの意見」をまとめるために、民主主義はどのような方法を取るか。それは「話し合い」である(というより、それ『しか』方法はない)。集団での意思決定であるから、理でもって他者と交渉し、協調の精神で話し合いをすすめながら、最終的に合意を得て決定する。その際、たとえ少数であっても、その少数意見を尊重すること無しには、集団で合意の形成などできない。特に、間接民主制の下では、たとえ一人の意見であっても、その一人の背後には膨大な人間が存在しているため、軽視することは許されない。少数意見を採らない場合、反対を主張する多数派には「採らない理由を合理的に説明する」義務があるのは当然だ。
ただ、もちろん政治は現実のものであり、現実の人間は不完全なので思想・信条や見解の相違がある。時代の要求する文化によっても、物の価値は変動する。その変化の前後で人の価値観は異なるだろうし、そうなると、どれだけ理を尽くしても最終的に対立が解消しない、という事態は起こり得る。だがそれでも、もちろん政治は決断をくださなければならない。だから、理を尽くして越えられない壁がはっきりしたときには、それを越えるため万やむを得ない解決手段として、『多数決』が用いられることになっているのである。
本来、とにかくひたすら話し合うのが民主主義である。だから、決定を多数決に持ち込むような事態は、民主主義が敗北するときと言ってもよい。だが、民主主義が敗北しても我々は民主制を放棄するわけにはいかない(それよりマシな方法が存在すると知られていない)から、その場合に意思決定を行う最終手段として『多数決』は許容されているに過ぎない。多数決とは民主主義の糞だというのは、つまりそういう意味だ。現代日本の民主制は、理と協調の精神による話し合いを通して多くの素晴らしい意思決定を行っているが(与野党がケンカばかりしていると思っているお子様は、日本の色々な法律がどのように成立しているかちゃんと確認すべき)、不完全な決定のいくらかを多数決という糞としてひり出してもいる。それだけを見て、多数決は素晴らしいなあ、とか思ってる人間は、スカトロジスト(糞尿愛好家)と呼ばれても仕方ない。そう呼ばれることに誇りを覚えていて、一緒にするなと怒る人もいるかもしれないな。すまん。
さて、以上を踏まえ、比喩として、もう一度言う。多数決は糞だ。少数意見を最終的に「採らない・採れない」ことはもちろんある。それでも、一定の合意を得るための様々な譲歩や協調のための配慮は必要なのであって、それは民主主義のコストなのではなく、民主主義による意思決定を可能な限り正しいものにするために絶対必要な手続きだ。だから、多数決をタテにして少数意見を圧殺する人間は、そもそも民主主義者ではない。数の暴力を振りかざして権力を握る人間は、端的に言って独裁者である。
最初に【矛盾】と言ったのは、「少数意見を尊重する」ことこそが民主主義のルールそのものであり、少数意見を尊重しないのは単なる独裁(あるいは数の暴力)であるにも関わらず、「民主主義のルールを守る」と言ったその口で彼が「少数意見を尊重しない」と述べているからだ。少数意見を尊重しないなら、それは民主主義ではない。彼は法律家であり政治家であるのだから、そんな初歩の初歩をしらないわけがない。
あるいは、彼は「ここで民主主義のルールとは選挙のことを言ってるのだ」と言い逃れるかもしれない。だが、「選挙」とはあくまで「間接民主制」を成立させる手続きの一つに過ぎず、民主主義における意思決定システムの本質とは無関係であることもまた、言うまでもないくらい当たり前のことだ(首長が選挙で通ったからといって、その主張が議会の全体合意もなく自動的に「承認」されるような詐術が成り立つなら、最初から議会は必要ない)…これもまた、政治の初歩の初歩であり、法律家であり政治家である彼が絶対に知らないはずはない前提だ。ではなぜ、彼は平気でこういうことを言うのか?
それは、選挙民のほとんどが「民主主義とは多数決のこと」であり「多数決=選挙のこと」である、と二重に勘違いしていることを知っていてそれを都合良く利用するためだ、としか解釈できない。その二つの勘違いを利用することで、「選挙に通ってしまえば独裁してもよい」という思い込みを形成し、支持者がそれを支持する「空気」を作りだして、反対する良識派(というか当然起こる反対)を封じ込め、本来通るはずのない法案を作成し議会を通過させようとしている…それが、目下彼がせっせとやっていることではないか。そして、そういうところがヒトラーの手口と酷似していると指摘されているところであり、彼に警察権や軍事力、立法権があるかないか、ということが問題なのではない。まあ、個人的には彼は、ヒトラーの尻尾というより劣化矮小版のコイズミジュンイチローだと思っているけれど。
以上を踏まえて、彼の言っていることはシンプルに嘘だと私は考えている。嘘から発生する利益を享受する人間をなんというか。その呼称は各自に判断に任せるが、いずれにせよ、民主主義の破壊者が、口先だけ民主主義を唱えながら権力の位置にあるという現状を、どのように見るか、これは呼称なんかよりも重大な問題だと考えている。
これは、彼個人が善意の人であるか悪意の人であるかという問題ではない。民主主義のシステムそれ自体にそもそも脆弱性があって、その脆弱性がまさに攻撃されており、ウィルスチェッカー(メディア)も、そのウィルスがまさに自己の中から(メディアが創りあげたスターとして)誕生したために有効に機能していない、という状況をどう見るかという問題である。
以上、簡明に反論してみたつもりだが、随分長くなった。反論があれば伺う。
http://anond.hatelabo.jp/20111226142435 から。read it laterに登録するためなんや。堪忍してくれ。
◆本屋でチェック
ビジネスマンのための「行動観察」入門 (講談社現代新書) - 松波 晴
日本基準とIFRSから考える 原則主義の会計力
受験脳の作り方―脳科学で考える効率的学習法 (新潮文庫) - 池谷 裕二;
上場ベンチャー企業の粉飾・不正会計、失敗事例から学ぶ―ケースブック - 門脇 徹雄
エスケープ・ベロシティ キャズムを埋める成長戦略 - ジェフリー・ムーア
ライフサイクル イノベーション 成熟市場+コモディティ化に効く 14のイノベーション - ジェフリー・ムーア
福沢諭吉 国を支えて国を頼らず - 北 康利
僕は君たちに武器を配りたい - 瀧本 哲史
ソドムの百二十日
死体泥棒 (星海社FICTIONS) - 唐辺 葉介
☆☆Venture Deals: Be Smarter Than Your Lawyer and Venture Capitalist - Dick Costolo
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◆子育て
子どもの話にどんな返事をしてますか? ―親がこう答えれば、子どもは自分で考えはじめる
10代の子をもつ親が知っておきたいこと
家庭のなかの対話―話しあえない父親のために (中公新書 (779)) - 伊藤 友宣
親業―子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方 - トマス ゴードン
経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)
ウィーン家族 - 中島 義道
☆「経験学習」入門 - 松尾 睦;
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◆英語
英会話ペラペラビジネス100 - ビジネスコミュニケーションを成功させる知的な大人の会話術 [CD2枚付] -
たったの72パターンでこんなに話せる英会話 (アスカカルチャー) - 味園 真紀
自分のことを英語で話すパーソナルワークブック (CD book) - 石津 奈々
1分間英語で自分のことを話してみる (CD付) - 浦島 久
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北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く (新潮選書) - 北村 薫
知識人とは何か (平凡社ライブラリー) - エドワード・W. サイード
宗教の創造力 (講談社学術文庫) - 荒木 美智雄
不完全性定理―数学的体系のあゆみ (ちくま学芸文庫) - 野崎 昭弘
The Mystery Method: How to Get Beautiful Women into Bed - Mystery
メタマジック・ゲーム―科学と芸術のジグソーパズル - ダグラス・R. ホフスタッター
社会契約論 (白水Uブックス) - ジャン ジャック ルソー
クリエイティブな習慣―右脳を鍛える32のエクササイズ - トワイラ サープ
99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書) - 竹内 薫
科学論の展開―科学と呼ばれているのは何なのか? - A.F.チャルマーズ
Loyalists - Peter Taylor
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◆暇があれば読みたい
ついこの店で買ってしまう理由
もっと儲かる全国手書きチラシ実例集
なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学
△外食の天才が教える発想の魔術
(バカ売れ販促アイデア)
創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書) - 輪島 裕介
新書で大学の教養科目をモノにする 政治学 (光文社新書) - 浅羽通明
Talking to Terrorists: Face to Face with the Enemy - Peter Taylor;
体系的に学ぶ 安全なWebアプリケーションの作り方 脆弱性が生まれる原理と対策の実践
要約 ケインズ 雇用と利子とお金の一般理論 - J・M・ケインズ
自由の条件I ハイエク全集 1-5 【新版】 - 個人主義と経済秩序 ハイエク全集 1-3 【新版】
資本主義と自由 (日経BPクラシックス) - ミルトン・フリードマン
羽月莉音の帝国 8
羽月莉音の帝国 9
武器としての決断思考
「パブリック」
もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書) - 菊池 誠
社会心理学 - 藤原 武弘
仕事の経済学
人事と組織の経済学
経験と教育 (講談社学術文庫)
組織の経済学
フィールドブック 学習する組織「5つの能力」 企業変革をチームで進める最強ツール
フィールドブック 学習する組織「10の変革課題」―なぜ全社改革は失敗するのか?
1932-37年――続・精神分析入門講義 終わりのある分析とない分析 (フロイト全集 第21巻)
現代フロイト読本 1
超実録裏話 ファミマガ 創刊26年目に明かされる制作秘話集
就活の神さま~自信のなかったボクを「納得内定」に導いた22の教え~
数量化革命
ザ・マーケティング―「顧客の時代」の成功戦略 - レジス マッケンナ
太陽のあくび (メディアワークス文庫)
「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス (NHK出版新書) -
☆報酬主義をこえて(叢書・ウニベルシタス 704)
☆中国化する日本 -日中「文明の衝突」一千年史
承認欲求―「認められたい」をどう活かすか? - 太田 肇
取材学―探求の技法 (中公新書 (410)) - 加藤 秀俊
単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜 - 小熊 英二
暇と退屈の倫理学 - 國分 功一郎
[新訳]南洲翁遺訓 - 松浦 光修
人間の限界 (岩波新書 青版) - 霜山 徳爾
☆まんが医学の歴史 - 茨木 保
社会学入門―“多元化する時代”をどう捉えるか (NHKブックス)
データはウソをつく―科学的な社会調査の方法 (ちくまプリマー新書) - 谷岡 一郎
『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室) - 石原 千秋
プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか? - メアリアン・ウルフ
小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書) - 平野 啓一郎
☆アート・オブ・コミュニティ ―「貢献したい気持ち」を繋げて成果を導くには
「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言 (ちくま新書) - 仲正 昌樹
経済学思考の技術 ― 論理・経済理論・データを使って考える - 飯田 泰之
この世で一番おもしろいミクロ経済学
歴史哲学講義 (上) (ワイド版岩波文庫 (225)) - ヘーゲル
情報の文明学 (中公文庫) - 梅棹 忠夫
考える技術・書く技術 (講談社現代新書 327) - 板坂 元
知性の磨きかた (PHP新書) - 林 望
神話の法則―ライターズ・ジャーニー (夢を語る技術シリーズ 5)
人蕩術皆伝―人蕩術とは人たらしの術である (致知選書)
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小説
白い雄鹿 - C.W. ニコル;
鯨捕りよ、語れ! - C.W. ニコル;
猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353) - カート・ヴォネガット・ジュニア
☆バニラ A sweet partner (スーパーダッシュ文庫)
☆犬憑きさん 上巻 (スクウェア・エニックス・ノベルズ) - 唐辺 葉介;
塔の町、あたしたちの街 (ファミ通文庫 お 4-4-1) - 扇 智史
ふわふわの泉 (ファミ通文庫) - 野尻 抱介
歯みがきつくって億万長者―やさしくわかる経済の話 (チア・ブックス)
戦争を平和にかえる法
細雪 (中公文庫) - 谷崎 潤一郎
ペインティッド・バード (東欧の想像力) - イェジー コシンスキ
犬憑きさん 上巻 (スクウェア・エニックス・ノベルズ)
最近は、女性向けの同人活動ということで、pixivをメインとした活動もされるようになった。pixivのランキングで女性向けのイラストが入っていたり、一部の方が大衆の不快にしてしまう行為をしてしまうけれど、女性向け同人として、pixivは同人活動においてなくてはならないものとなっている。pixivでの活動自体は、2年前ぐらいからはあったが、現在、さまざまなジャンルのアンソロジーの企画ページを見ると、参加者の一覧での参加者ページのリンクがpixivだけになっていることが多い。もう、同人活動のメインとして、pixivがメインなのだ。
実際、pixivはあくまでもSNSサイトであって、ホスティングサービスでないのは事実。Facebookを市のサイトとして全面移行しようとした佐賀県武雄市と同様に、腐女子がpixivを作品を展示できるホスティングサービスと勘違いしているのも事実。
もし、pixivがなくなったらどうなるんだろうか。一からHTMLを学んで、レンタルサーバーを借りて、ホームページを作ったり、FC2ブログで似非サイトを作ったりするんだろうか。
私自身、pixivは、信用できない企業だと思っている。画像データがIDCフロンティアのデータセンターから配信されているのはいいのだけれども、メインシステムがpixivのオフィス、つまり、データセンター向けでない普通のビルにあるらしい。何かpixivオフィスであれば、サービス停止ということもあり得るし、セキュリティ的にもよろしくない。pixivブログのサービスもそのうち停止してしまうらしいし、需要があるのかわからない「ショーケース機能」(有料で一定タグを宣伝できる)をリリースしたみたい。
これらから、pixivはWebサービス提供者として信用できない企業だと思う。ホスティングサービスとしてのpixivに期待する腐女子もあれだが。しかし、pixivには安定した運営と、利用者の声を反映した運営をお願いしたい。というか、現在のpixiv運営だと、コラージュ騒動のときと同様に、何かあったときにうまく収めることができるのかわからない。
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
クリスマスに備えてカップルコピペ漁ってたら彼氏彼女がいる連中でさえ相手に萌えている!!!
「彼氏と○○してたらこんな事があってすごく萌えたw」「彼女にこんな悪戯したら反応がかわいくて萌えた」
ふざけんなお前ら恋してるんじゃなかったのかよクソ!!!
例え恋が萌えを内包しているとしても恋と萌えの区別はがっちりつけとけ!! つうかその境をそんなに軽々飛び越えるんじゃない!!!
それともアレか! そのアクロバティックな運動を可能にするのが愛なのか!!!
お前ら空中ブランコ乗りが飛んでる最中何を感じていると思っているんだ!? 真下は大衆で背後は宇宙だぞ!!
何なの? 恋してるやつとか本当は居ないの? 恋って非実在青少年なの?
俺が恋に萌えているだけなの?
不況だと「得するための努力」よりも「損しないための努力」の方が重要になってくるし、
全体のパイが縮んでいく状況だと「自分は損をせずに他人に損をさせる努力」が重要になる。
もっと儲けようという努力よりも、他人の足を引っ張ってでも今の利益を確保するための努力。
デフレと労働力人口減少が進む中では、社会全体がゼロサムかマイナスサムにしかならないから、
行政にしても、税収減の中で増税するか社会福祉を削るかの選択を迫られてるわけで、
「誰に利益を分配するか」という発想しか持っていない既存政党が有効な政策を打ち出せず、
特定の階層や集団を叩くポピュリストが大多数から支持を集めるのも当然だろう。
反橋下が「マイノリティを見捨てるな」と言ったのは致命的な戦略ミスで、
大衆はまさに「マイノリティを見捨てる」ことを望んでるんだから、
最初から選挙で勝てる見込みはなかったんだろうし、仮に橋下が負ける時が来ても、
社会全体が縮小していく状況が続く限り、第2第3の橋下が出てくる。
いとこが大阪で公務員として働いてるからなんとなくわかるけど「門閥貴族」みたいな人間なんていない。いても少数。
「門閥貴族」のような公務員を想像して、それを打倒すれば問題が解決すると思っているなら、絵に描いた餅でしかない。
民主党の時と同じで、橋本さんはありもしない「埋蔵金」を目当てにしているようで困る。
そもそも、橋本さんが、大阪についてどこまで危機感を持ってるのかとても怪しい。
本当に危機感を持っているなら「教育」や「公務員の勤務態度」なんて、本当の危機状況では後回しになるものを中心に据えるわけない。
長期的に見れば確かに大事だろうけれど、それは今だいいち優先度やるべきことなのだろうか?
そうでもないよ。大阪民というのは基本的に自分さえ良ければいいって考えの持ち主なんで、政治のことなんか何も考えてませんよ。
公務員にむかついたとしても、その時はむかついても、すぐ忘れて自分のことばっかり考えるのが大阪マインド。
だから犯罪率トップとか不名誉なのが多いけれどしたたかなのよね。もともと組織や規律で解決すべき問題は非常には弱くて個人が強い。
大阪人が選ぶ基準は「面白そうかどうか」「自分の役に立つか」であって「政治を良くすること」自体はどうでもいい。
「面白そう」ノ部分は期待できるのかもしれないけれど、「役に立つ」はどうだろうか。
今大阪の人が本当に危機感を持ってるのは、経済面の方です。ぜにです。仕事です。
東京の劣化コピーを通り越して、露骨に衰退してってます。東京の人にはイメージできないくらい失業率が上がっていってる。職が全然ない。
そちらについてろくな提案がなされてない。このことに大きな認識のズレを感じる。大阪出就職活動してる人なら同意してくれるはず。
ロジックマスターさんの記事が叩かれまくってたけれど、実際、問題にすべきは彼が指摘してた部分なんだよ。
(あれを直接的に橋本さん叩きに使ってた乱暴さはロジックとして論外だけれども、彼が指摘していたのは大事な事だ)
もし橋本さんには深い考えがあって、でもとりあえずはポピュリズムに徹して、まず選挙に勝利することが目的だったというならすごい。、
実際は教育や公務員改革に反対派の目線を釘付にしておいて、本題の経済対策を進めていける、とかなら尊敬する。
でも、経済についての相談役とかを読んできてる雰囲気もない。とてもじゃないが、この人は「役に立たない」という印象がある。
中田さんを副市長に呼ぶってのが基地に出るか凶に出るかだけれど、
とにかく、橋本さんは神輿として必要以上にがんばらないで、中田さんが実行部分を担当するとかなら期待できるかも、くらいにしか思わない。
先の記事でローマ人の物語の主要人物と比較してみたのも、あまりに橋本さんの「優先順位」に違和感が強かったから。
たとえば「グラックス兄弟」は失敗したけれど、少なくとも取り組むべき問題はわかっていてそれに対して立ち向かってたんだよね。
真っ先に元老院改革だとか教員改革だ、みたいなことを言わなかった。
(この2つの問題を真っ先に槍玉にあげるって明らかに優先順位が変で、多分に橋本さんの私怨が混じってるように感じてならないんだよ)
そこのところを他の人にもちょっと感じてもらいたかったんです。
ヒトラーですら、経済政策をしっかりやったんだぜ?途中で破綻して、政治構造をいじり始めたあたりからおかしくなったけど。
この人は、何をするつもりなんよ? それどころか経済に手を付ける前にいきなり政治構造をいじり始めようとしてる。おかしいでしょ。
というのが今の私の感覚。
ここまで不信が強いのも、一見メッセージがはっきりしているように見えて、
実はマスコミや大衆に受けが良いのかもわからんが小さな問題ばかり目立って「大事なところ」についてはろくに言及してないように感じるためです。
この人、本当に大阪の問題わかってるんか?大阪のこと考えてんのか?そういう所が安心できないのな。
この点、そのまんま東さんとは大きく違う。あの人はやってることが地味だけれど、問題点をよく理解してたように外側からは見えた。
とにかく、大事なことについての橋本さんの考えがよくわからない。やっぱり堺屋太一さんとの共著で出してた本は読んどかないとダメだね。
その上で、「私の考え違いでした、バカなことをいってごめんなさい」と言えればそれに越したことはないです。
一番いいのは、橋本さんが使える人物で有ることなので。
んー。
なぜ無意味に見えてしまうのかというと、海外のデモと根本的な部分が違うからなんだよね。
「ウォールストリートを占拠せよ(OWSだっけ?)」の場合、ただ集まって馬鹿騒ぎしているわけではない。騒動自体は単なる手段に過ぎない。
とかく世間の耳目を集めて、大衆に共感の得やすい主張を流布し、政治家に「こいつらは利用価値がありそうだな」「こいつらを見方に引き入れると票になりそうだな」と思わせ、そうやって議員たちを取り込み、議会で一定の影響力を行使できるようにした上でデモ本来の目的を達成しようという生臭い計算があるんだよね。
リンク先の就活デモにはそれがない。騒いで鬱憤を晴らしてるだけ。いや、アメリカのデモ参加者も大半は鬱憤を晴らすために参加してるんだろうけども、少なくとも主催者の見ている方向はまったく違う。
これは個人的な印象だけど、日本のデモって、自分たちの主張を政治の世界にコミットしやすく設定するという発想がない場合が多いよね。だから議員たちから見向きもされないし、見向こうにも「で、我々にどうしろと?」といいたくなるような頓珍漢な主張ばかりになってしまう。リンク先の就活デモに連帯するメリットがありそうな議員ってほとんど居ないでしょ。
そうなってしまう要因はいろいろあるんだろうけれども、大きなものとしては、「政治の世界」をケガれたものと認識し、政治の世界へ足を踏み入れることを忌むべき事とみなすような考えが、彼らの中にあるんじゃないかと思ってる。特定の分野で成功し大衆からポジティブなイメージを持たれてる人、たとえばノーベル賞受賞者やオリンピックメダリストといった人が、特定の政党から議員として立候補したときに抱くネガティブな感情。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1679541.html
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
Sexy Zoneも、Not yetも流行ってないし、会話ですらその単語を聞いたことがない。
多分、会話にそれらの単語を出すときには説明が必要となるだろう。
それは別に流行ってない訳じゃなくて、そういったのに興味がある奴が俺の周りにいないだけだ。知り合いのツイッターで話題になってないだけだ。
結局流行ってるもの、常識とされてるもの、普通とされてるものが、それぞれのクラスターで違うってだけの話だ。
俺は去年帰郷して兄弟と会話したときにRadioheadとか宇多丸とかいう単語自体が通じないことに軽く衝撃を受けたが
そういったことはありふれてる。ちょっとくらい前に話題になった「サイコ2割問題」とそう変わらない話だ。
だから、テレビで「~が流行ってるんですよ」とか聞いても、そりゃどっかで流行ってるのかもしんないなと毎回思う。
ほんとに流行ってんのか知りたくなったら、データをどっかからググって調べるくらいすればいい。
思ったより流行ってたり、流行ってなかったり、意外な層に流行ってたり、やっぱり流行ってなかったりする。
ここ最近、韓国関連のことが流行ってますよとテレビで流れると、脊髄反射のかのように毎回ネットでは反発が起きる。
「そんなの流行ってない!」だとか「そんなの普通じゃない!」とか「そんなの常識ってことにするな!」とか。
で、これはマスコミに対するネットからの批判意識として、3%くらいは評価・共感できるものかもしれないが、97%くらいはうんざりする。
「流行ってますよなんてそもそも謳うからいけないんだ!」なんて言うのかもしれないけど
逆に、結局この人達はマスコミが担っていた「普通」や「流行」や「常識」に対する信頼を持っていた人たちなのかもしれないという気がする。
オーソリティに対する信頼とでもいうべきだろうか。
「普通」も「流行」も「常識」も、クラスターによって違うということがもはや「常識」だってことはちょっとネットを眺めれば分かるだろう。
それに従って、「普通」も「流行」も「常識」も壊れてしまった。
マスコミ、メディアが担保していた共同体幻想みたいなもの、一億総クラスター幻想がそれらを作り上げていたし、それが崩壊してしまったのだから。
じゃあ何がマスコミを殺したのだろう。
一億総中流的なものから格差社会という流れもあるが、当然ネットがマスコミを殺した。
つながりあえる環境、「真実」を知れる環境、簡単に島宇宙を形成できる環境、それが可視化される環境がマスコミを殺した。
かくして、「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も、クラスター別に存在することになった。
それに人間は耐えられるだろうか。
「ほんとう」の「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も存在しないことに耐えられるだろうか。
だから、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じて生きることになる。
ニーチェは「神は死んだ」といった。
「お前たちに言ってやろう。我々が神を殺したのだ─お前たちと俺が。我々はみんな神の殺害者だ」と。
「我々が信じていた真・善・美なる価値基準や権威を根底において担保していたものは、滅びてしまったのだ」と。
日本人からしたら、「で?www最初から死んでるしwwwつか日本には八百万いるしねwww」ぐらいのもんで
なんで、そんなことに大騒ぎしたのか分からないところがある。
だけど、「メディア・マスコミが死んだ」というのはそれくらいの衝撃が日本人にとってはある。
その影響がじわじわと色んなところで見える。
「みんな」が思ってる一つだけ存在する「普通」や「流行」や「常識」が死んだ。
お前が言ってる「みんな」って「普通」って「流行」って「常識」って何だよってことになる。
それこそ一神教から八百万の神への改宗という衝撃が実は起こったんだということがじわじわとわかってくるだろうと思う。
その過程では、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じることにしたり、
そのクラスターにおける「真実」を盲信して他のクラスターを攻撃したり、クラスター別に違うモードを使い分けたり、
クラスターの中で、あるいは他クラスター同士で「ほんとう」を定めるために対話したり、クラスターを彷徨ったり、
反動として、確固としたオーソリティや序列や権威を求めて、何かに忠誠的になったり、他者に攻撃的になったり
すべてのクラスターに通じるものとして「ほんとう」のことを提唱したりすることが、日常的なこととなるだろうし、すでになりつつある。
表面上は、まとめブログによって、youtubeの再生回数によって、徐々に「大衆」における「普通」や「流行」は担保されていくことになる気はするが
その根底では、価値観を担保していたものの崩壊が徐々に起こっている。
スピリチュアルでも、自己啓発でも、ノマドでも、愛国心でも、ライフハックでも人生の指針となってくれるものを求めている。
これらの価値観でも、宗教でもなんでもそうだが、人生の指針となってくれる価値観を求める欲望は消せないし、否定すべきでない。
すべての価値観をクールじゃないと否定したあとに待っているのは、ニヒリズムか退廃と決まっている。
「ほんとう」の価値観を求めて、匿名のコメントで殴りあうことがこれからもネット上では続くだろう。
それは価値観の衝突とも呼べるかもしれないし、対話とも呼べるのかもしれない。
特にこの手のサービスの上位陣は出会い系サイトの一面がぬぐいきれてないから、メディアが「ソーシャルは叩いた方が大衆受けがいい」と踏んだらその時点で終わるよ。
mixiの頃からSNSは出会い系だと叩かれまくってるんだけど、叩かれた事が原因で終わった事は無いよね。
mixiは今は飽きられてオワコン、今はtwitter(と言うのももう古いか?)、と言うように流行の移り変わりはあるけど。
その中の人の認識が正しいとも限らんけどな。少なくとも国内のソーシャルゲーム(この呼称も適切かどうか微妙だが)は今年あたりで頭打ちだろう。
そして頭打ちになった時点で飽きられるのは時間の問題。
じゃあどうするかというと、海外へ打って出て同じようにぼろもうけをたくらむか、国内利用者の課金をさらにあおる方向に持っていくしかない。
しかし前者は絶望的で、後者はより悪い形(メディアバッシングや法規制)でブレーキがかかる公算が高い(これは前者にも言えることだが)。
特にこの手のサービスの上位陣は出会い系サイトの一面がぬぐいきれてないから、メディアが「ソーシャルは叩いた方が大衆受けがいい」と踏んだらその時点で終わるよ。
この文章の作者は「ネット企業に対する風当たりが強すぎる、なんとかしろ」と言いたいだけのところを、最終節で無理に
成長産業/企業全体に一般化して「フェアな目線を持とう」と言っているわけで、このような一般化には無理がある。
そうでないというなら現代日本の他の成長産業の成長企業が嫌悪感を向けられているという例を挙げて一般化して見せよ。
そもそもタイトルが「日本人のネット企業に対する意識」なのだからネット産業以外への言及を含むような文を含めなければ
このように突っ込まれることはない。おそらく関連企業に勤めるのであろう筆者から世間へのルサンチマンが見え見えである。
どこの国でも一般大衆が新しく出てきた企業に対して「フェアな目線」を持っているなどという事実はない。
「ムラ社会」云々も完全なこじつけであり論理的ではない。ホリエモンに足りなかったのは
「公務員の給料ガー、天下りガー」「ムダな公共事業ガー」「ムダな防衛費ガー」とか言ったって、
今の財政の負担になってるのって結局は社会保障費と国債償還費なんだろ?
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/materials/?mn=0000082475
今の給付水準に対して国民負担がぜんぜん足りてなくて、その分を国債で補ってる。
高齢化で支給対象が増えて、勤労者が減ってるんだから、今の負担のままで社会保障が維持できないのは自明。
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/11-2/kousei-data/PDF/23010109.pdf
じゃあ「金持ちから税金取ろう」って話になるけど、所得税だけで見ると日本は中間層以下の税率が低い。
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/income/028.htm
法人税は世界でも最高水準だから減税しようという話になってるし、
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/corporation/084.htm
消費税は他所の国が20%ぐらいになってるのに、日本は5%で最低水準。
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/102.htm
つまり、(少なくとも制度上は)もう十分金持ちから税金取ってて、中間層以下が税金払ってないことになる。
今までの政権が大衆に媚びて、税率を上げずに社会保障を増やした結果がコレ。
財政再建したいなら、社会保障を削るか所得税率・消費税率を上げるしかないし、
所得税率を上げるなら、これ以上累進率を高めるよりも、中間層以下(一般勤労世帯)の税率を上げるべき。
むしろ、消費税率上げて物価指数押し上げたほうがいいんじゃないの?
年金や生活保護は物価スライドで給付が増えるから、生活に困ってるような弱者は消費税上がっても影響ないし。
「社会保障は維持しろ、でも消費税上げるな」って声があまりに強すぎて、
本当に問題なのが、理想に燃える無敵の人(フリータ・ニート層)が義士となり政治家の暗殺を行う事。
確かに確実に問題のある政治家は屠れるだろう、しかしこのシステムが許容される社会に政治活動の自由は無い、
ある一定の思想の基なら殺してもいいという基準が出来てしまう為、後は機械的に殺される人間が増え、
暗殺を肯定する人間に迎合した思想の政治家が主導権を握って来る。これは国民民主主義の精神的後退その物に繋がるだろうね。
正直鳩山・菅政権の時は本当に殺されないか心配だった、屑の擁護ではないが、総理という立場の人間が簡単に殺されても困るのである。
しかし官邸に男が押しかけて逮捕されるという事案が数件起きているのも事実。キチガイが住居侵入したという論調だが、
タイトルは「まだ」と付けているが、こんな事が発生する時は確実に大衆の政治判断能力が劣った時にしか起きない。
政情不安も国会の迷走も、それの原因を作ったのは国民であり、「お上」ではないという事を覚えておかないと、
だが、ほんとうのジョブズは、もっと冷酷な人間だったそうです。
妹はさすが作家だけに、事実を美しく描くことに長けているけれども、たとえば、
というエピソードの実態は、
Macintoshの開発中にもスタッフらのガールフレンドや妻たちを酷評することは日常だったという。
誰だって自分の彼女や女房の悪口など他者から言われたくはないが ジョブズは他人の思いなどに気持ちが向く人間ではなかったようだ。
だったとしたら、笑えませんか?
ぜひ、ジョブズの妹の弔辞を読んだ後に、このブログ記事を読んでください。
(元の文は長いため、所々を中略している)。
スティーブ・ジョブズの陰の部分に光を当てる!
スティーブ・ジョブズ氏はいまや世界でもっとも有名な経営者でありそして大金持ちのひとりである。
アップルの共同経営者でLisa、Macintoshは勿論 iPodやiPhoneといった世界的ヒット商品を生み出したというだけでも歴史に名を残すのに十分だが、瀕死のAppleに復職した後の活躍たるやまさしくスーパーマンである。
しかし彼は常に負の部分を多く持つ人物としても知られている。
(中略)
彼の負の部分、陰の部分とは 誰の人生にもあるであろう例えば青春の一時期…粗野で他人を顧みない言動をする…といったことではない。
私が最も忌み嫌うことは 信頼している人たちを裏切るというその一点にある。
筆者は、ジョブズが人を裏切る例として、まずは、比較的よく知られた、ジョブズの詐欺話を紹介している。
アタリ社からブロック崩しのゲーム機の設計を頼まれたジョブズ。彼は親友のスティーブ・ウォズニアック一人に仕事を丸投げし、ウォズニアックは48時間で設計を完成させた。
ところが1,000ドルという報酬額を隠し、「600ドルをもらったので折半しよう」と言って、400ドルを懐に入れてしまった。
親友を裏切ったジョブズ。後日それを知ったウォズは、泣いたという(多分ほんとうだろう。ウォズは感激屋で、ジョブズが亡くなったときのインタビューでも、泣いている)。
しかしジョブズは、親友を裏切ったことを「覚えていない」で済ましたそうだ。
また、1978年5月にジョブズの娘・リサが生まれたものの、ジョブズは実子であることを決して認めず、その頃は億万長者だったのに、養育費もまともに払わなかった。
1979年の夏、ジョブズはやっと父子鑑定テストを受けることを承諾したが当時はまだDNA鑑定はなかったものの結果はスティーブ・ジョブズがリサの父親である可能性は94.97%と出た。
しかしそれでも彼は自分の子供ではないと主張し続け養育費を払おうとはしなかった。
リサの母親はやむなく生活保護を受け、裁判沙汰となりようやく養育費を支払うことや医療保険を与えることなどに合意したものの、当の子供に会うことを拒絶し続け父親であることを認めなかった。
暴君として振る舞う彼のエピソードもある。
また有名な話のひとつにApple社のストックオプションの話題がある。
すでにジョブズはAppleが株式公開を果たしたことでアメリカ有数の金持ちになっていたが、自身の力を見せつけるためか 創業期から苦楽を共にしてきた社員たちの多くがジョブズのひとことでストックオプションを与えられなかった。
なにしろ従業員第一号だったビル・フェルナンデスにも恩恵はなかったというのだから酷い話だ。
見るに見かねたスティーブ・ウォズニアックは「ウォズプラン」と名付けたプランを実施する。
こういう威圧的な専制君主ぶりのためか、ジョブズはよくハシゴをはずされるが、彼は、はずされたハシゴの代わりに他人を踏み台にして上を目指すのがお得意なようだ。
それは「宇宙をへこましてやる」と豪語までして開発を進めていたLisaプロジェクトから外されたことだ。
この決定は社長のマイク・スコットによるものだが、マイク・マークラらも賛同していたという。
会長というポジションに祭り上げられたジョブズだったが目標を失っていたものの、翌年ジェフ・ラスキンが細々と進めていたMacintoshプロジェクトに目をつける。
そしてCPUをモトローラの68000にするよう圧力をかけるなど大幅な路線変更を命じ、様々な口出しをするようになるが ジェフ・ラスキンはなすすべもなかった。
そのMacintoshプロジェクトでのエピソードが、冒頭に挙げたもの。
Macintoshの開発中にもスタッフらのガールフレンドや妻たちを酷評することは日常だったという。
誰だって自分の彼女や女房の悪口など他者から言われたくはないがジョブズは他人の思いなどに気持ちが向く人間ではなかったようだ。
そして開発スタッフらと外食に行けばスタッフらはジョブズの態度に目を伏せ恥ずかしさに震えなければならなかったという。
なぜならジョブズには出てきた料理を突き返すという癖というか習慣があったからだ。
自分の権力を見せつけようとするかのようになんだかんだと難癖をつけて料理を突き返す。
間違った料理が運ばれてきたわけでもないのに…である。マナーも思いやりも彼にはないようだった。
さらに大金持ちなのに払い汚いことでも知られていたという。
先日ジョブズが通った寿司屋のインタビュー記事を読んだが、TBNというニュースサイトの主は、そういうジョブズを「海原雄山」みたいだと指摘していて、笑った。
記事にはこの後、彼がアップルに返り咲いて、彼を引き上げてくれた恩人たちをどのように追放していったかも書かれている。
この辺り、講談社の最新の伝記には、どう書かれているんでしょうね……。
さらに、彼の恐怖政治の実態について。
とにかくAppleの体制を立て直し業績を上げるという目的のためには恐怖政治さながらの雰囲気を社内に作ったことでも知られている。
よく話題になることだが、この頃Apple社内ではジョブズとエレベータに乗り合わせるのを怖がり階段を利用する社員たちが目立ったという。
エレベーターでいきなり「お前はクビだ」といわれる恐怖。
ヤダヤダヤダ。
考えたくもない。
こんど私が社長と一緒にエレベーターに乗ったら、この話を思い出して、オシッコをちびりそうだ。
さてAppleに復帰しAppleを盤石の体制にした功績は間違いなく彼にあるし最近ではジョブズも丸くなったという説もある。
まあ、こんな憎まれ口をたたいても何の得もないわけだが、世間にはAppleの躍進を追い風にし諸手を挙げてスティーブ・ジョブズを素晴らしい人物と評価する傾向があるのが些か気になるのだ。
確かにビジネスで成功することや金持ちになる…有名になるということが人生の目標であってもそれが悪いわけではない。そしてAppleという企業や魅力的なプロダクトも無くなっては困るわけだがスティーブ・ジョブズという人物は正当な理由も無く、理不尽きわまりないことで立場の弱い人はもとより、信頼すべき周りの多くの人たちを不快にし傷つけてきた男であることも忘れてはならない。
( 引用元 http://www.mactechlab.jp/from-mactech-with-love/11840.html )
なお、こういう文章をはてなに転載すると、「筆者乙」などと書かれそうだけど、違いますよ~。
そして、こんなに立派なジョブズが、リサの母親と別れた理由は何かを「ジョブズ」「離婚」「理由」などの言葉で検索するうちに、一年前以上前のこの記事をみつけたのだ。
妹の弔辞を裏打ちする、面白い記事だと思うけど、どうでしょう?
(もしもブログ主の筆者にとって不愉快ならば、すぐに削除するのでご自身のブログにてそのようにお書きください。すぐに指示に従います。)
そして、それとかけ離れた、彼と仕事をともにした人々から見た、ジョブズの姿。
異なるエピソードならともかく「スタッフの恋愛に関心を持つジョブズ」のように、まったく同じエピソードですら、正反対の評価になるのだから、なにが正しいのか、よくわからなくなる。