はてなキーワード: 独白とは
2020年4月、文春がavex創始者 松浦勝人会長の違法薬物常用疑惑を告発
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文春砲に騙されました。文春砲の真実がコチラです。 | 西内砲
https://ameblo.jp/yukoloveslove/entry-12846578924.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/37224
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/37226
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/37227
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/37836
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/37837
これじゃあブクマカが真贋も判定できず流れてくるエサに食いついて何もわかってないのに達観したコメント書いてるだけのただのばかみたいじゃん
彼女らは屋上にいる浅倉透(283プロのアイドルユニット「ノクチル」のメンバー)について会話していた。
「何か見ているのかな」「なんかずっと見上げているね、なんだろう」
透は変わったことをしていなくても目が離せない時がある。外見が綺麗だけじゃない何かがある。
そのような会話をしていた2人に近づき、樋口円香(同じく「ノクチル」のメンバーで透の幼馴染)は遅れたことを謝罪する。
円香がどこを掃除すればいいのかと聞くと、2人は拭き掃除を担当して欲しいと答えた。
2人のスタッフが写真撮影中の浅倉透について会話している。 2人のスタッフが写真撮影中の浅倉透について会話している。
表情やポーズもまだまだだが、新人にしてはかなり良く、担当しているカメラマンも張り切っているという。 表情やポーズもまだまだだが、新人にしてはかなり良く。担当しているカメラマンも張り切っているという。
「見た目だけなら、あんまり使えないかなと思ったけど……」 「見た目だけなら、あんまり使えないかなと思ったけど……」
撮影済みの写真を見ていたスタッフがそう呟きかけたところに、樋口円香は声をかける。 撮影済みの写真を見ていたスタッフがそう呟きかけたところに、樋口円香は声をかける。
円香が予定の時間より早めに着いてしまったと言うと、スタッフは「ノクチルみなさんには期待している」と微笑んだ。 円香は透の後の撮影で、少し早めに着いてしまったと言う。
スタッフは「ノクチルみなさんには期待している」と円香に微笑んだ。
樋口円香はストーブの前で同じ「ノクチル」のメンバーにして幼馴染である福丸小糸、市川雛菜と3人で写真撮影の待機をしている。
今は浅倉透の撮影が行われており、カメラマンが透を盛んに褒める声が聞こえてくる。
「みんな、透ちゃんを見ている」
撮影の様子を見ていた小糸は、ため息のような声を漏らす。
スタッフだけでなく他の出演者さえも魅了されたように透を見ている。
透の撮影が終わり、次は小糸を撮る予定だったが、カメラマンは今の流れのまま透と円香のペアを先に撮りたいと言う。
呼ばれて透と合流した円香は軽く挨拶を交わす。
円香がメイクスタッフに髪を整えてもらっている間、カメラマンは透にさきほどの撮影が非常に良かったこと、物憂げで神秘的な様子が撮影のコンセプトにぴったりだったこと、きっと今日のために色々考えてきてくれたのではないかと感謝を伝える。
透は曖昧に微笑む。
「色々考えてきたんだ?」
スタッフが離れ2人だけになった時に円香が透に聞くと、透は少し驚いたように円香を見る。
円香は知っているので答えなくて良いと伝え、透はうなずいた。
<浅倉家、透の部屋>
部屋の主にエアコンの温度を下げる許可を得ようと隣をみるが、一緒に映画を観ていた浅倉透も眠っていた。
円香に起こされると、透は続きを観るかと聞いたが、円香はもう0時を過ぎているので自宅(隣家)に帰る。透もベッドで寝たほうがいいと伝える。
布団に潜り込んだ透に、円香は明日の仕事の予定を把握できているか質問するか、透は睡魔に負けて答えられない。
円香はため息をついて、おやすみと告げた。
円香は寝ている透を見ながら少し前の出来事を回想する。
「何か見ているのかな」「なんかずっと見上げているね、なんだろう」
円香は独白する。
”私は、わかる。透が何を見ているのか”
”私は、知ってる。透が何を秘めているのか”
「みんな、透ちゃんを見ている」
”そうだね。私以外のみんなはね”
「色々考えてきたんだ?」
”知ってる。分かってる。私だけは。浅倉透を”
寝ていた透がぼんやりと目を開ける。
寝ぼけ眼の透が、円香がまだ部屋に残っていることを不思議がると、円香はすぐに出ると伝えた。
透は自分が掛け布団を蹴り落としてしまっていることに気づき、少し恥ずかしそうに聞く。
「見てた?」
円香は答える。
「見てない」
4人の幼馴染で構成された283プロのアイドルユニット「ノクチル」のメンバー。
クールでシニカルな高校2年生。涼しげな目元と泣きぼくろが特徴。プロデューサーに冷たい態度を取る。
4人の幼馴染で構成された283プロのアイドルユニット「ノクチル」のメンバー。
自然体で飾らない性格。周囲からどう見られるかということを気にせず、おおらかでマイペース。しかしその透明感あふれる佇まいには誰をも惹きつけるオーラがある。高校2年生。
4人の幼馴染で構成された283プロのアイドルユニット「ノクチル」のメンバー。
内弁慶な小動物系の女の子。真面目な努力家で、勉強が得意。騙されやすく、幼なじみによくからかわれている。高校1年生。
4人の幼馴染で構成された283プロのアイドルユニット「ノクチル」のメンバー。
自分の「しあわせ」に向かって突き進む、奔放な女の子。幼馴染みで先輩の透を慕っている。高校1年生。
・以前のストーリーで円香が透に対してライバル心のようなものを持っていることは知っていたが、想像以上の複雑さと想いの強さに大変驚いた
・円香は普段透のことを「浅倉」と姓で呼ぶが、独白時だけは「透」と名前で呼んでいる
話数 | サブタイトル |
---|---|
第1話 | 存在 |
第2話 | 以外 |
第3話 | 部屋 |
これです。→ https://hiyokomagazine.hatenablog.com/entry/63
私怨に過ぎないのでここに書いてるんですが、この手の童貞自虐芸って女性が安易にマネていいものじゃないと思うんですよね。
ブクマ数は今の段階で一桁程度だし、ブコメも人畜無害なものしか並んでないんですけど、こんなのが受けると面白くないんですよ、僕が。
昔のテキストサイトの非モテ自虐芸みたい感じで締めてくれてますけど、この手のおもしろ系独白って、多くの男はこうしないと気が狂いそうだからテキストに吐き出していたんであって、これは非モテ男子の魂の呻吟というか怨嗟というか、そういうものですよ。
だからこそみじめな、みっともない、ダッサい嘲笑の対象である童貞どもがネタとして笑い飛ばして何とか精神の平衡を保つことができたものなんですよ。
それをね、いくら「自分が男だったら」みたいなエクスキューズ付けたってね、29歳OL様が面白ネタで安易に童貞出してくんなって話ですよ。
いや、それに匹敵するような強烈なマイナスが貴女にあればまだしもよ? 芥川賞の市川沙央とかみたいな
ブログ見るに普通に彼氏様がいる(いた?)ような量産型サブカル気分のOL様に安易に童貞弄りしてほしくないんだよねマジで。
・謎の施設
・急に飛ぶ時間
・やたらポエミーな独白
・世界の闇(ニチャァ)
ストーリーは一本道で「悲しい運命(ニチャァ)」に主人公たちは立ち向かい、そして「心の勝利(キリリ」を手に入れてメリーバッドエンド。
うーん。
要素を混ぜ過ぎだよね。
謎のルールとの戦いがしたいなら「車輪の国」にすべきだし、臓器提供メインならエンジェルビーツ、悲しい運命を受け入れるながれならNarcissusやAIRみたいな感じの方が良いと思う。
なんだかなあ。
結局さ、海外はエロゲ文化がまともに発達してないから、この程度のerogamespace中央値70点を過大評価しちゃったという話でしょ?
物凄く前向きに言うなら、「自分なりの文体を確立することに成功しすぎてしまっている」という状態に陥ってる。
自分流のパターンをこれ以上成長させられない壁に閉じ込められているような感覚。
何をどう書こうとしても同じようになってしまう。
ふと自分の書いた増田を「ブクマつきまってくんじゃん~~~」と読み直しているときに、ふと気づいてしまったわけだな。
「俺どれ書いても何書いても大体同じような文章じゃね?」ってことに。
まず軽口っぽい言い回しと「」の多様が特徴としてあるようなのでこれを封印すればいいのだろうが、そうすると急に文章力が下がるらしい。
小学生が書いたような極めて簡素でカタコト的な言い回しばかりになる。
そもそもの原因は俺のインプットがインターネットの軽口文化中心だからであり、これを解決したいならある程度硬い文章を読みまくれば良いわけだが、現代にはそういう文章が不足している。
ビジネス書だろうが学習書だろうが、「こういう新設がマチャチューチェッチュで証明されたっぽいのを知っていますか?」「猫さんありがとう!これなら僕にも出来そうだよ。とお猿さんは言いました」みたいなのばっかじゃねーかよぉおぉぉぉぉ。
当然のように小説なんて基本的には口語調でもうなんか地の文は登場人物の独白も同然の状態がスタンダードじゃねえか?
論文でさえもなんかちょっと語りかけてくるような言い方するじゃん?
俺は、文語調が、読みてえ!って主張してんだよ!
慇懃無礼。
表面上は丁寧に振る舞いながら、その実反発を受けにくい体で見下し、煽り、嘲り、マウントを取るための手法というなんともいやらしい言語の到達域である。
日本や中国に限らず世界にもこういう類型は存在するのだろうか。するんだろうな。ろくでもない人類。
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さて、主語のでかい前置きを終えて本題に入るが、私はこれの逆バージョンが好きである。表面上は荒々しい、猛々しい、素っ気無い、ぶっきらぼうな口調だけど、根底には相手に対する敬意とか親愛とか配慮とか弁えが感じられるという喋り方が。
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これに最初に気付いたのが『聖結晶アルバトロス』という漫画だった(作者は「争いは同じレベルでしか〜」のカンガルーバトルミームの発祥者でもある)。キャラクターの一人である気の強い未熟なおガキ様が、無謀な抗戦を諌める従者に対して「黙れ○○さん!」と却下し、母親を守りたい意地で主人公達に立ち向かおうとするシーン。構図自体は上の立場から目下の意見を断固はねつける、暗君とか高慢貴族とかにありがちなそれ。なのに「さん」付けで呼んでるのが、従者への親しみはちゃんと別にあるんだぞと分かってそのギャップがなんだかほっこりと面白く感じたのだ。漫画はあんまり面白くなかったけど。
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以下は既知の他の例
・『ニニンがシノブ伝』
サスケが遂に手に入れたメイドロボ・エイミー(美人ではない)が、「ゴシュジンサガッテロコイツラハオレガヤル」と臨戦態勢に入る。「下がってな俺がやる」自体は色々な作品で見られるシチュエーションだけど、ご主人呼びが入る事によって、無愛想な護衛からの(私が守って差し上げる)的な言外リスペクトを感じられるのがよいね。まあただの脈絡ないギャグシーンなんですけどこれ。
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月刊ジャンプだったんだろうか。
委細は覚えていないがスタイリッシュなバイオレンス桃太郎軍団という味付けで、猿(ゴリラ)が「桃太郎ォッ……!早くッ、命令しろ゛ォォッ!!」と血気を滾らせながら戦闘許可を求めるシーン。好戦的で上役に対しても呼び捨てだが、あくまで自分に決定権は無い事を理解している、俺への命令を下せと命令口調で叫んでるって入れ子構造がなんだか面白かった。「命令してくれ団長……今すぐ!(ウボォーギン)」に近いものがある。
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・『ニンジャスレイヤー』
敵味方上司部下の見境なく「=サン」を付けて喋るお話。なんなら口に出さない独白でも付ける。「死ね!ニンジャスレイヤー=サン!死ね!」はその畢竟だろう。wikiで解説されていた奥ゆかしさ重点とは言ったものである。……これ意図的なヘンテコ日本語楽しむ作品だから他と毛色が違い過ぎるだろ!などと突っ込んではいけない。作者は外国人だ。いいね?
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慇懃無礼が如何に波風立てず相手をdisるかという狡猾さの表れなのに対し、この無礼丁寧とでも呼べそうな言動は、粗雑な口調からは隠しきれない善性や人間くささの垣間見える不器用さが味わいなのだと分析している。素晴らしきかな人類。
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主語のでかい讃頌はほどほどに、ブクマカが創作で覚えているそういうシーンとか、現実でもそういうの見たことあるよとか、そういう慇懃無礼ならぬ無礼丁寧なエピソードがあったら聞いてみたい。
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注記)
ここでいう対象となるのは──それなりに知ってる人の多そうな具体例を出すが、「ワンピースで、緑牛がワノ国住民に対して非加盟国に人権は無いと言い放つ(なんやこの差別主義者は……)→非加盟国への非人道的所業が実際度を越してた(あれってお前ら危ないよって警告だったんだぁ……)」みたいな後から真意が判るやつではない。例で挙げたように敬称や立場込みのシチュエーションから、その場で判別の付くやつです。そこのところを押さえてコメント頂けるとうれしい。
CoCって知ってる? めっちゃ流行ってるやつ。TRPGのひとつで主に1d100をふって生きたりしんだりするゲーム。
私も遊んでるんだけどさ、うちよそっていう遊び方があんだわ。いわゆる自分のキャラクターと相手のキャラクターでいちゃこくやつ。人によってはなりきりチャットとか言って嫌がってる人もいるよね。私は楽しく遊ばせてもらってる方だけど、よくトラブルとかも聞くし、まあ難儀な遊びなんだなという認識は常にある。
うちよそという遊び方に限らずだが、よく学級会まで開かれてしまって、人口が多いとそらそーなるわな、みたいな荒れ具合は肌身で感じつつ界隈の隅っこでちまちまやっとるわ、という感じなんだが。
うちよそ、について、なんかずっともやもやしてることがあって、最近判明したので吐露させてくれや。
あのな、うちよそ、怖いわ。
ちょっと考えてみてほしいんだが、たとえば恋人、それに拘らずなにかしら愛している人、家族、友人、みたいな濃ゆい関係値のペアをバンバンバンバンうみだして、ロールプレイというコミュニケーションを介してさらに関係を深めていくこのクソデカ感情のやり取りを、「ゲーム」としてやってんのよ。
みたいに思うじゃん。
な、なんか、違うんだよ。うちよそって。
いやね、すごく例えばの話よ。どれがどう、とか特定のものを言ってるわけじゃなくてな。
わたしのキャラクターの為に人殺してみたり、わたしのキャラクターを思うあまり実は死んでいた!とかいう展開があったり、わたしのキャラクターのためを思って、とか、なんか、なんかな。そういうやつ。そういうやつがあまりに多いんよ。シナリオがさ、もう、「うちの子を好きになれよ!」という圧しがつよいわけ。いやそれはいいよ、そんなんなくてもお前のこと好きにはなれるけどよ(つよがり)、それが主軸ならいいよ、遊んで楽しませてもらっとるからな。
つまり、お互いが好きにならなきゃヤバいくらいの、デッケー感情とか、相互理解とかが、そもシナリオとして存在してんの。
そしてたまに人死んでんの。そのうえでいちゃこいたりしてんの。
でもやっぱ、これはさ、こわくねえか?
こんなに感情をかき乱されて、必死になって、うわ〜!大変だぜ〜!お前がすきだ〜!って頭が可笑しくなるペアを、何組と軽率に生み出すんよ。
で、たまに「PL(プレイヤー)とPC(プレイキャラクター)は別なんだから、たとえばPC同士がうちよそでもPLには入れ混まないようにね」という意見をみるんだけども。
いや、わ、わかる。凄くわかるよ、真っ当だぜ、その意見。いや、あのな、でもな。
それにしては、普通の友人、知人、一般的な人間関係とは一線を画す、いや一線どころじゃないな、えっと、何千線を画すくらいの、濃密で激しい感情のやり取りが多すぎんだわ!?っていう。
ほんまにそれ、ゲームという枠で片付けていい感情と題材ですか!?っていう。多いんよ、すごく、そういうのが。
当たり前だな。当たり前だろ?
だからさ、キャラクターがとった一挙一動、プレイヤーがそうしたいと少なからず思ったor解釈したってことじゃん。そんなんさ、キャラクターの向こう側にいるおまえのことも、気になるよ。何でそうしたんだよって思うよ。たぶん、コミュニケーションが好きなら。
うちよそ、楽しいよ。
創作するのがすきなひととなにかを育むの、かなりいい経験だからさ。でもさ、感情がでかすぎんのよ。
ちょっとした人形遊びの域をやや超えてんのよ、全体的に。みんな狂っちゃってんじゃねーのかなってたまに思うレベルの感情のやりとりが日常茶飯事でよ。
それに集中して、息切らして胸おさえてたらよ、うちよそ組んでる相手のプレイヤーは別の人とまたバカデケー感情のやりとりをするためのうちよそを何組も組み始めてんのよ。
うちよそ、楽しいよ。
私もそうだったもん。でもよ、やっぱたまに、モヤッとしてたんだよ。常に上位互換のうちよそを生み出そうとしてたりすんのかな、とかさ。
あ、また、あのうちよそシナリオ回してる。私にも回してくれたやつだ。私のは微妙だったんかな、とかさ。たまにモヤってたんよ。
その理由がつまり上記に起因してて。結果的に、うちよそ、怖!!ってわけ。
それ以来大量にうちよそを組むことをやめた。
ほんでほかの人のうちよその話も聞くのやめた。
わたしはよ、デッケー感情に振り回されてよ、心がめちゃくちゃになっちまうんだわ。ゲームで留めるには危ういレベルの感情のやりとりをしすぎなんだと思っちまったんだわ。でもみんなは全然よゆーらしいんだわ。うちよそたくさん、作るらしいんだわ。そんでまた、激しい感情のやりとりをゲームという枠でやり続けるんだわ。
たぶんもうゲームじゃないよな、あれな。
でもたぶんこれ少数派の意見なんよ。
メンザコの独白よ。
もう亡くなってしまったんだけども
刑事ドラマなんかの主役やったりしてた人
おみやさんとか、9係とか、タクシードライバーの推理日誌とかね
あと亡くなるまで知らなかったんだけど、渡哲也さんが実のお兄さんなんだと
この人の遺作が、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の日本リメイクドラマなんだけど
そこで癌に侵された身で、元裁判長で末期癌患者の殺人犯役ってのをやっててさ
最後に身体にチューブ繋いだ姿で車椅子に乗りながら独白をするシーンがあって
そこで「人を殺して見たかった」って力強く言うのよ
裁判長っていうおかたい道を進んできた人物って設定でそれを言うのよ
その言葉が、まるで数々の刑事役をやってきた本人から出てきた言葉のようですげぇシビレたんよ
たしかに昼間とかにやってる再放送とかなんかじゃ、この人が犯人役やってるとことか見たこと無かったしね
共演者も仲間由紀恵やら柳葉敏郎やら向井理やら有名どころばっかりで
もしかして最期の最期、この人の為にこれだけのメンツが集まったのか?って思うとまたシビレたね
実際に本人がどう思ってたのかはわからないし、完全に自分の勝手な解釈なんだけど
癌になってチューブ繋いでる自分の最期の姿すら役作りや演技に使ったのかと考えたら、この人はすげぇ人だなって思えた
これが役者ってやつなのかって思った
話しかけない奴のことを「木偶の坊」と言ってるんじゃねえぞ。
平日にツッコミどころの多い独白をして「何かを言った気になってる」奴を指して、「木偶の坊」って言ってるんだ。
そんな奴は成敗してくれる!
坂元裕二すきなんだろうなーという印象。
企画はとても良い。二人組になって、と昔言われた時の抵抗感が4人それぞれ違って、それがキャラに活きている。
なんつーか企画の骨子見せつけるための登場人物の独白なんだなって思った。それぞれが特に切羽詰まってない感じというか。説明ぽい
4人それぞれのキャラクターに似てる人は自分含め周囲にいるあの人に似ている、と思っちゃうところはうまい。
これは自分自身が、恋人にカラオケ一緒に行ってくだらないラインしょっちゅう送れる異性の友達がいるのを許せない派だからっていうのもあるんだろうな。
ちなみに現在の自分は、男女の友情の成立は成立しないと思っている。だいたい成立したと思ってるのは片方だけだったりすること多いような。
男女の知人だったら成立すると思う。んで、友情成立するっていう人、結構恋愛で揉めたりしてそうなイメージ(めちゃくちゃ偏見)
いやいや、それは「人外側の独白シーンも追加できるようになった」とこでしょ!
https://twitter.com/koumoli/status/1714300399191208007?t=huQHeIXp0gEU874U8F9mEA&s=19
ネタバレしてる
映画を鑑賞したのはだいぶ前。原作者と監督のアフタートークがセットになってたやつ。
今は本編はDICE+というサイトでレンタル配信中らしい。トークはここから動画と書き起こしが読める。
https://diceplus.online/feature/94
映画見た後に原作小説読んだけどけっこ〜違うのね!ってなった。
原作は平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』収録の短編小説「無垢の祈り」
とにかくインパクトが凄まじかった。虐待のシーンは全面的に恐ろしく、特に性的虐待のシーンは人形を使っているとはいえ気持ち悪い。曇りしかない世界には陰鬱な雰囲気が漂っていて、どこにも救いが見い出せない。音楽も雰囲気作りもクオリティが高く、90分があっと言う間だった。
スラッシャー映画における「殺人鬼」はある種のかっこよさを備えている。悪魔のいけにえのレザーフェイスしかり、エルム街の悪夢のフレディしかり。バッタバッタと人を殺していく様はワクワクとドキドキを呼び起こすし、時には「嫌いな奴を殺してくれる/自分を殺してくれる」存在として胸を躍らせることもある。
あらすじを読んだ時にはそういう文脈の、「殺人鬼に嫌いな奴を殺してほしい/自分が殺されたい」という祈りとそれが叶う展開を想像していた。ちなみにざっくり言うと映画の祈りは「自分を殺して欲しい」がメインで原作の祈りは「嫌いな奴を殺して欲しい」がメインだと思う。
でもこの映画には救いがなかった。最後の「殺してください」の絶叫、殺人鬼が握りしめる鉈から、画面に映されてはいないものの殺人鬼は少女を殺してあげたんだ、救いはあったんだ、と思いたくなる。だけど恐らくこの作品は時系列をごちゃまぜにしている。着けたり外したりする眼帯、西暦の違うラジオと謎の首吊り現場、すれ違う2人などを考えるに、祈りは届いていないし救いはなかった。
時系列はどう考えても良いと監督が言ったらしいが、恐らく殺人鬼に殺してもらえなかった主人公は犯罪者になって殺人鬼の死刑と同時に首吊り自殺?してると認識した。一度見ただけなので間違ってるかもだけど。ここらへんの徹底的な救いのなさが、原作と一番異なる部分だ。
なんとなくだけど、短編集の一連のテーマ、書かれているものは「グロテスクな閉鎖空間でうつくしく光る小さな何か」だと思った。
ざっくり言うと映画は児童虐待下にある少女の状況を深く掘り下げるのがメインで(もちろん暴力を受ける子供をただ写すだけではない前提で)、原作は酷い状況下にもどこかにある輝くもの(この場合は祈ることそのものや救いへの希望)を表現するのがメインなんじゃないか。
あと、映画で刑事役をした原作者が改変に積極的に見えた。刑事の台詞が原作とは正反対だから。原作の刑事は「ああいう人間は誰かがそばにいてやらなくちゃいけない。/本人も苦しんでいるはずだ」と言っているが、映画では「キチガイは早く捕まえないと繰り返す」である。
かなりニュアンスが違うし、刑事にとって殺人鬼が単なる悪なのか助けるべき者なのかは作品のテーマに大きく関わってくるはず。個人的には原作と映画でやろうとしていることが違う、のを原作者が分かっていて台詞を変えたと思う。
そもそも主人公(虐待といじめを受けてる少女)の性格や考え方からして違う。
原作は殺人鬼が喋るし救いとして機能してるし主人公も未来に希望を持っているけど、映画は殺人鬼に対する祈りを「嫌なやつを殺して欲しい」から「自分を殺して欲しい」に変えてる上に殺人鬼が救ってくれない、主人公も希望を持ってないので後味がキツくなったし「胸糞悪い」と言われているんだろう。
「救い」という意味では、例え原作で主人公がこの先幸せになれずに死んでも、人生の内に優しく手を差し伸べてくれた人は確かにいたんだ、ということが「救い」になる。トークショーでの原作者コメント「たった一人でも理解者がいれば」も合わせて考えるとおかしくない。
それに原作は、社会から排除され、必要とされてない者同士が互いを必要とすることによって生きる目的になる、そういう希望がある終わりだった。
原作ファンはこの映画版を見てどんな感想持ったのかすごく知りたい。
〜
その音楽的ピークはとうとうあっちの世界に踏み込んじゃいました。
アメリカーナとは関係なく、フォークロアや地域性に根を張った手垢のようなものを感じさせない普遍的、天国的で透徹した音楽。
(などと勝手に感じてしまってるけど勿論、この国の偏った舶来文化の大勢の意識の中で生きている一個人の独りよがりですが)
全ての曲が完璧ですが、とりわけrebecca sylvesterはこのアルバムのハイライトです。
そしてGastr del Solの最高到達点…のひとつでもあると思います。
「why did the sharks watch him drown?(なぜ 鮫たちは彼が溺れるのを見守ったのか)」
という述懐と共に奏でられフェードアウトしていくコーダの、夜空へ飛び立つような心地よさに何度涙したことか。
the sea incertainの複雑な和音を多用した繊細なピアノのつぶやきは、大友良英さんのおっしゃる「恋をしている気分」そのもの。
hello spiralはポストミニマルがロックやノイズと結びついた、明るみに向けてグラデーションを伴いながら上昇していく、
構造的ではあるものの、光の回廊を進んでいくようにみずみずしい喜びにあふれた名曲。
バランスを失うとときに過剰な禁欲性を聴き手に要求しがちなミニマリズムの厭味がありません。
孤独とメランコリーの彼方を遠目に深呼吸するよう甘やかな浮き沈みを繰り返すthe relay、
our exquisite replica of “eternity”の一部分と同様のループの中で(この形態での)最後の爪弾きと独白のような歌を終えるGrubbs…。
そしてエンディングはJohn Faheyの名曲に、天かけるTony Conradの純正律バイオリンと、
わずかに3(4)回ピアノの和音が雨しずくのようにそっと寄り添う雄大なもの。
もちろん冒頭our exquisite replica of “eternity”はコラージュにおけるGastrでのO'Rourke畢生の大作。
そしてアメリカ、スイス、スウェーデンなどから参集した数々の即興・ノイズ畑の実験音楽ミュージシャンとのインタラクションは壮絶です。
これは共同的な創造プロセスの成果としても音楽史に刻まれるものではないでしょうか。
中核となる二人にしろ、誰が強固に支配的であってもこの音楽は生まれなかったのは間違いありません。
聴きすぎて一通りの音が頭に入ってしまった後は(それ俺です)自分の聴く環境・コンディションの変化の中でいつまでも楽しみましょ~!
GrubbsとO'Rourkeの敬愛するLuc Ferrariが言っていました。
「結局、私の最も興味があることは擦ることのようだ」
人にもモノにも、擦り合わせることで新しい何かが生まれる興奮があるっていう事でしょうね。
さまざまな異種の要素たちが無時間的な感覚で摩擦し、それらの反発や調和が要素の単なる総和をはるかに超え、躍動的・神秘的に関わり合っていくGastr del Solの作品群も、その音楽的大成者に違いないと思います。
・悪くはない
おもしろくなくはない。
少なくともクソ邦画見たときみたいに時間全部返せとは思わなかった。
正直、キャストの一部は滑ってると感じた。
オチはクソ。
地獄の花園は「OL派閥もの」と「ヤンキー漫画」を悪魔合体したような作品で
「これ、ヤンキー漫画によく出てくる〇〇なやつだ~」
みたいなのを、全部セリフで説明してくるんだけど、これがすげーウザい。
映画はさ、映像のメディアだから見てれば「あ、これヤンキー漫画のやつだ」ってわかんのよ。
バカリズムはフリップ芸的な静的な笑いから来てるからかわからんけど、
見てれば全部わかることを追加でセリフでしゃべらせてしまうのは本当に止めてほしい。
そこを含めてギャグなのかもしれんけど、ただただウザったいし、
素直に洗練されてねーなって感じになってるのがイタい。
ただ、ヤンキーみたいな見た目の女性がコント「OLの日常」みたいな会話をしてるのは地味に好き。
この辺はバカリズムの強み出てたなと思った。
昔、バイオレンスアクションをバカクソDisったときにも書いたんだけど、
アクションを真面目にやれよ。
主役の永野芽郁は実は喧嘩が超強いという役どころなんだけど、キック一つとっても
常に足が曲がっていて「こんな奴が強いわけねーだろ」としか思えない。
パンチも腰が入ってないし、強さに説得力がない。あんなフォームで人殴ったら手首折れるわ。
カンフー・ハッスルよろしく敵がポーンって飛んで行ってもそれは視覚的に強さを見せることにはならない。
ジョン・ウィックにハル・ベリーが出た時だってハルはキアヌお気に入りのコンバットスタジオで
実銃バカクソ撃ちまくってタクティカル指導もめちゃくちゃ受けてちゃんとアクションしてたぞ。
ハル・ベリーくらいの出演料もらってたらそれくらいやりますわ!って言われたら、まぁ、
るろうに剣心とかキングダム、ハイローみたいにアクションちょっと頑張ってる作品も増えてきてるのに
アクションが大事な作品にこんな素人女を素人のまま連れてくるの、やっぱよくないと思うんだよ。
マトリックス撮るときにキアヌは1年半くらいカンフーの修業したらしいよ。