はてなキーワード: ステージとは
「三人でいるときは、ずっと三人のままだよ…
二人でも、一人でもないよ。必ず三人だよ。
…そういうことじゃ、だめかな?」
「…あたしや北原にまで、毎年ずっと、
そんなままごとを続けろっていうのか?
相手のこと…恋人のことすら何も考えてない、
「確かに、わたしの身勝手だけど。
わたし一人が思い描いてる、夢だけど。
でも仕方ないよ…
(中略)
「そこまでいうならさ…証明してみせて
永遠の友情を。」
◆冬馬かずさ
<冬馬…俺…初めて会った時から、
ずっとお前のことが好きだったよ。>
・お前って、嘘をついたり、わざと焦らしたりして、
相手の出方を待つような奴じゃないよな?
・仕方ないだろ。
・あたしと全然違う二人が、
やっぱり…………害なんか、ないよ
・恩なんて、あたしはそんなもの売った覚えはない。
恩だなんて…感じて欲しくない。
・とにかく今はさ…思い出したいんだ。
こんなあたしでも、きっと昔は、
・…約束はできないよ、雪菜。
・今の男はあたしを正反対にしたようなやつだし。
・そうなんだよ…
なのに今のあたしは何やってんだろ?
・ホント、雪菜にはかなわない。
雪菜には、一生勝てそうにないよ。
・な、北原。
色々と…ありがとうな
・その言葉…忘れないよ
◆小木曾雪菜
<俺たちは、自他ともに認める、
・他人にどう言われたっていい。
人に言われたくらいで揺らぐような恋はしてないから。
でもさ…
冬馬さんとだけは、価値観を共有してるって信じてる
無駄だよ。
・冬馬さんは他人とは違うでしょ…
・かずさが男の子だったらよかったのになあっ
そしたら…そしたらね…っ
きっとわたし、かずさも春希くんも好きになっちゃって
やっぱり酷い女の子になってたって思う
・心配なんだよ春希くん。
誰よりもかずさのことが。…わたしよりもさ。
・うん、すごく嬉しい。
わたしのためじゃないけど、わたしたちのためだから。
・春希くんは、かずさに全然恩を返しきれてないって、
そう、思ってるんだよ。
(中略)
春希くんは、かずさのこと、神様みたいに思ってる。
・ずっと、こうしていたいね…
・ね、どうしよう?
わたし、春希くんと付き合い始めて、
どんどん悪いコになってきてるよ…?
…春希くんのためなら、もっと踏み外せるって、
そんなこと、おもっちゃってるよ?
<俺は、誰に対しても嘘はつかない。
誰に対しても、誠実でいる。
さっき、そう誓ったばかりだ>
<今まで通り、なんにも変わらない。
俺たち…三人のままだって>
俺さえ吹っ切れば、
みんな笑って、この時間が続いていくんだ>
まぁ人生全体でなくても、人生のうち一定期間のプロセスを疑似体験するものと考えます。
プレイヤーは最初はゲームの仕組みがわかりません。つまり幼児か新入社員という感じでしょうか
むしろひつようだよね、とかありがたいよね、とすら思う。
それがだんだん子供として、あるいは独り立ちできるレベルになってくると、
いつまでも決まった手順で、決まった所作しか行えないのでは不満になってくる。
活躍の場を与えて欲しいと望むようになる。
ゲームというのは基本的に、老年期になって動けなくなる状態(飽きが来てやる気が無くなる)前の
壮年期、働き盛りの頃に、心身ともにピークの状態でラスボスやらクリアできるようになっていたと思う。
(末期状態のJRPGはいつまで断ってもムービばっかり、チュートリアルばっかり、お使いイベントばっか、だったりで
心身ともに充実したと感じる状態に到達することがないまま終わってしまったりしてつらいものもちらほら)
ソーシャルゲームだとこれがない。自分で終わりを決められない人には無間地獄がまっている。
ネトゲーでも格ゲーでも同じやんというかもしれないけれど、違うんだ。
余程のコミュ障でない限り、ネトゲーや格ゲーやカードゲームは誰かと一緒にやるだろう。
まぁこれはこれで仲間に拘束される難点があるけど、仲間いなくなったらなんとなく解散ってやめどきが訪れる。
仲間がいる間が一番面白いんだから、やはりベストに近い状態でやめられるだろ。
ドリランドとかは完全に一人旅だったからやめどきを自分で決められないとやめられない。
しかも、いつまでたっても同じことの繰り返しで何一つ目新しいことが起こらない。
お金を払えば「ゲームのスピードが上昇する」けれど、カード集めとかを除いて「特に目的がない」ので早くすることに意味が無い。
なんのためにやってるのかわからないものを延々とやりつづける。
誰もここで終わりだよとは言ってくれない。 やめるなら自分でやめどきをきめなければいけない。
ネトゲーと違って、友達がいなくなったとか、課金もったいないという言い訳も与えられない。
でも、やめれば「なんでオレはこんなゲームをやってたんだろう」「今までやってた分はなんだったのか」って心の声が痛い。
きっぱりやめない限り、グリーを退会しない限りデータは残り続けるので、復帰しようと思えばいつでもできてしまう。グリーは無料です!
うっかり復帰でもしようものなら、ますます辞めることが難しくなる。
「辞めるのが難しい」くせに
「格ゲーやシレンと違って(友達がいる限り、ダンジョンが生成され続ける限り)成長し続ける、という仕組みもない」わけだ。
こういうデザインのゲームは最初からやらなければよかった、という結論しか出てこない。
http://blog.pettan.jp/archives/50638552.html
という話はここで私よりはるかに上手に語られているのでこちらを参照して下さいませ
この問題については「コミュニティステージを上げる」ことでしか対応できないと思ってるけど
父が末期がんで死にかけている。
父なので他人というのは語弊があるが、自分以外の人の心はわからないので、自分以外という意味での他人。
昨年5月に発覚したステージⅢの癌は、何度かの抗がん剤治療を完全に無視して進行している。
「1年生存率」なんて言葉の意味とリアリティを深く受け止めたのは情けなくも11月ぐらいだった。
5月に発覚したから、1年後って、そうか……
1年過ぎるのは早いと毎年感じていたが、カウントダウン的視点で見たことはなかったし、そう考えられなかった。甘かった。
癌の進行は何て容赦がないんだ。
今、父の病状は厳しい。
痛みから入院に至り、口から食べる食事の量も1/3ぐらいになってしまった。緩和ケアという段階に至っている。
それでも、父は先の話ばかりで、決して残り時間とか自分の死後とかの話をしない。
本気でそう思っているのか、あえてそう言っているのか、それ以外に他意があるのかわからない。
そして、それを父に聞けない。とても聞けない。
父は1ヶ月後の私の結婚式に出席する予定で、でもそれは客観的に見てもかなり厳しそうで、
それでも自分が出席する前提で結婚式当日の段取りなど口出しや相談などを持ちかけてくる。
(病状が芳しくないし)事前に写真だけ撮ろうか…?とかどうしたい?とかそういう事も聞けない。
なんとなく…父が未だに治ると信じて疑っていなかったらと思うと何もいえない。
実はテレビ放送は一期しかチェックしていなかったが、個人的にロンドンに思い出があり、今回の舞台はロンドンと聞いて鑑賞。
空気系、日常系と評される本作品の中にあってもとりわけ空気「系」・日常「系」 感の強い本作品。
夢のロンドン行きが決まった瞬間、澪の歓喜する顔は、画面にない。
卒業式の日の朝、三年生の四人にとっては高校生活の最後を締めくくる、記念すべきライブ。唯はいつもの照れ笑いで、ステージを降りる。
ラストシーン 。軽音部ただ一人の後輩に捧げる、先輩からの最高のプレゼント。あずにゃんは拍手で応える。でも泣かない。
いわゆる「ドラマ」であればまず間違いなく涙で描かれるであろうシーンで、徹底的に涙が排除される。
許容されるのはただただ、回るものを怖がって怯える澪の涙だけ。萌え。
地震と津波が明らかな非日常であったのに対し、原発事故による放射能リスクは日常への疑念として、震災後も続く日常に影を落としている。この状況にあっては、日常はむしろ希求されるべき状態ではないか。
被災地では、一度は失いかけた日常を取り戻すべく活動が続いている。
未だ顕在化しないリスクを抱えたホットスポットとされる地域においては、(それが認知的不協和に基づくものであろうことはさておき)逃げ出そうとする人々は非難され、普段の生活を送ることこそが「平和」、「平穏」として志向される。
「セカイ系」に対しての「空気系」・「日常系」と評された本作。けれどそれが否定したのは本当は「セカイ」ではなくて「ドラマ」なのだと思う。
「感動」に対しての「平穏」。
涙は現実だけで十分。
今こそ平穏を取り戻そう。
http://archive.mag2.com/0000134134/index.html 12月25日号
学生が書いたエントリーシートを見ると、多くの人に似たような傾向が見られます。
「一点主義に賭けすぎ」ということです。
「一点主義」とは何かというと、一時点のことだけをやたらプッシュしている、ということです。
例えば、「あなたの学生生活はどのような学生生活でしたか」というような記入欄があったとします。
すると、一点主義の人はどんな書き方をするかというと、
「私の学生生活で最もその成果を発揮したのは、2年生の学園祭の時でした。ステージで劇を発表することになり、30名以上の出演者の
スケジュールを調整し、3ヵ月に及ぶ練習を取りまとめ、見事に全員で演じ切ることができ、大好評を得ました」みたいなことを書くわけです。
これは、「2年生の学園祭の想い出」という一点を書いているだけです。
「何々の資格を取りました」「何々という国に留学に行きました」「どこどこに海外旅行に行きました」そういうのは、全て一時点の話です。
その一点だけをいくら膨らましても、その時点の想い出話にしかならず、その人の「人生」や「人柄」は全くつかめてこないのです。
良いこと言ったので、もう一回言います。
「人生は、一線」です。
線で語らない限り、その人の「人生」は見えてこないのです。
それは、出来事を羅列しろというわけではありません。
その人生を「一線」で表す単語や表現で簡潔に表すということです。
例えば、
「私が忘れられないのは、大学3年生の前半に書きあげた自伝的小説です。自分の中学時代の頃から起こった出来事を
小説風に仕上げ、250ページもの文の量で書き上げました。その完成までには膨大な取材の量を重ねました」
みたいなことを書いたとしても、これは「一点主義」の書き方なので、「ふーん、そんなこともあったんだ」と思われて終わりです。
でも、「私は、学生作家です」「ジャーナリズム生活でした」みたいな言葉だと、たった一言なのにその人の人生が線で語れます。
作家というならば、どんなものを書いたかいくつか挙げてくれる?ジャーナリズム生活というのは、どういうものかいくつか例を出してくれる?
という続きの疑問に対するフォローの文章を書き加えればいいだけです。
一線を引いて、点を打っていく。作文でも本の執筆でも、そうやって書いていくのです。
(そして実は、そういう文章の書き方は、小学校や中学校の国語の授業でも習っているはずなのです)
一点主義だと、いくらそこに情報を詰め込んでも、その一点の情報だけが伝わるだけで、(大して伝わらないけど)その人の人生は伝わりません。
エントリーシートがどうしてもうまく書けないという人は、まずはその一点主義から離れることを考えましょう。
それだけでも、構成力はがらりと変わります。
いい記事やなぁ。
私は採用する側だけれど、質問の仕方を気を付けないとイカンな、と思わされた。
実際にこういう答え方をする学生さんはかなり多い。
どういうふうに考えてこういう答えをするに至ったかはわからないけれど、
とにかくアピールしよう、差別化しようみたいな教えを変に受け取って
自分がどういう人間であるか、ということではなく、とにかく私はすごいんだ、ってエピソードを語ろうとする人が多い。
多分、こっち側がそれを要求していると誤解させるような問いかけをしてるんだろう。
なにより、学生から見たときに、私のいる会社や、ここで働くとはどういうことか、線で見えるように伝えられていないんだと思う。
学生さんにはこういうことを語って欲しい、なぜならうちはこういう会社で、こういう人を求めているからってのがシンプルにつながるような線を考えたい。
妄想メモ書き。論点多すぎてぐちょぐちょ。もうちょっとまとまったらちゃんと書く。
ソーシャルゲームに求められているのは一般的な意味での「承認」とは違うと思う
むしろネットとは承認を求めてやるものだ、みたいな考え方に対する
アンチテーゼ・・・ではないが発想の転換すら行われていると思う。
篠房六郎さんのネトゲ関係作品は今だからこそ興味深いと思う。特に「空談師」。
元来ネトゲというかネットワークのコミュニケーションに期待されてたこと、およびその問題は
しかし、現実において、ビジネスとして資本効率を追求したときに
「篠房六郎の思い描いた可能性
(現実の大半をゲームに持ち越すほどにヘビーゲーマを中心としたコミュニティ構築)
作者自身もこの路線を放棄していることからも、こっちの可能性はもうないと思う。
作者は、ビジネス的な面からゲームを考えてなかったよなーと今から読み返すと思う。
⇒安っちい承認欲求というか視線欲求を満たすだけなら小町で十分なんだ。
ネットでは得られないというのはもうコンセンサスになりつつあるんじゃないだろか。
⇒ソーシャルゲームでは
承認を目的ではなく手段とする(承認=仲間になればお得)という発想の転換があると思う。
仲間づくりはあくまでそうしたほうが便利だからそうするだけ。
⇒この発想の転換はビジネスを運営する側の都合から生まれたんだろう。
「仲間」の部分をすごいグラフィックや濃密なコミュニケーションを演出しなくていい。
むしろ単純なステータス化して極力力を入れないことで、低コストでサービス運営できる。
しかし、今のヒットを見てると、これが正解なのだと思う。
他人はそのきっかけ程度の重みしか求められてないんじゃないだろうか。
本当に飢えているのは自分の価値とかよりも、とにかく自分を楽しませてくれるもの。
自分のやってることに後暗さを感じなくていい場所というか。ここがうまく説明できない。
⇒自己完結ができるということは、それだけお気楽な、深く悩まなくて良い社会を想定してるはず。
昔の古き良きRPG、ネットワークビジネス的な雰囲気。
これらは「昔の楽天的な高度経済機の日本」という幻想の代替物みたいな。
⇒そういう「何も考えずにただ目の前のボタンをクリックし続ければいい」仮想社会を
つくろうとしたのがソーシャルゲームだとすると、実際のところは非常に不完全。
グラフィックというよりも、ゲームデザイン側に深刻な問題がある。
成長がすぐに限界に行き詰まり「増資=課金」をしないと成長できない。
しかも増資をしても、そのリターンが帰ってこないというところで現実との乖離が生じる
本当にずっとやりたいなら、増資=自分で投資をした分の見返りが必要。
⇒この問題を解決するためには
「リーダーシップとして一番大切なこと」という本に書いてあった
「ステージ乗り換え」によって成長を持続する仕組みが必要。
チャレンジできる、ということが求められるだろう。
⇒現状はどのゲームも似たり寄ったりだ。
別にパクリとかなんだとかは好きにしたらいいが、レベルが同じで
これでは「時間つぶし」以上にはなれない。
ソーシャルゲームは従来のビデオゲームとは違う道筋をたどって急速に普及した(別掲記事「激動のゲーム市場をめぐる3つの誤解」を参照)。単にユーザー同士が交流できるゲームという意味では、家庭用ゲーム機やパソコンのオンラインゲームが先に実現している。
DSと3DSでいえば、無線LANを経由した「すれちがい通信」がそれにあたる。任天堂がこの12月に発売する3DS向けソフト「マリオカート7」では、ネットを通じて「コミュニティー」で対戦仲間を募り、世界中のユーザー8人で同時にカーレースを楽しむこともできる。12月にSCEが発売する携帯型ゲーム機「PS Vita」は携帯電話のネットワークを利用して、さらに交流を密にしようという試みも始める。
一方、モバゲーやGREEに代表されるソーシャルゲームは携帯電話を利用し、ゲーム自体には無料で参加できるのが大きな特徴。ユーザー同士の交流は課金のための重要なモチベーションとして位置づけられ、ゲームを早く進められたり、強くなったりする有料アイテムの購入を促すものが多い。
最近ではGREEの「ドリランド」のように強いカードを集めるタイプのソーシャルゲームが主流となっており、強いカードを得られる可能性がある1回数百円程度のクジ引き「ガチャ」が主な収益源となりつつある。最初は無料で、のちに課金を促すビジネスモデルである以上、競争が激化するにつれ、ユーザーの射幸心をあおる方向へと突き進まざるを得ない。
「日本は欧米に比べてブームが作られやすいが、飽きのペースも速い。このままバトルもの、カードものばかりだと、ユーザーが食傷気味になる可能性はある。また、『ガチャ』を収益源とするゲームはあおり要素が強く、嫌気からユーザーが離れることもあり得る」。ソーシャルゲームに詳しい大和証券キャピタル・マーケッツのアナリスト、白石幸毅氏はこう指摘する。
ソーシャルゲームは一部のハマったユーザーによる課金で成り立つ。重課金ユーザーは全体の数%といわれ、多いユーザーになると月額数万円もの資金を投じるという。一方、家庭用ゲーム機は「ハードの保有期間や1つのソフトで遊ぶ日数を考えると、じつは娯楽の費用対効果としてはけっこう安い。問題はユーザーを惹きつけるようなジャンルのソフトを投入できるかだろう」(白石氏)
やはりソフト次第ということになるが、「定額」という安心感から家庭用ゲーム機の世界が見直される可能性も出てきた。月に数万円課金したとしても大人は自己責任で済むが、親元にいる小中高生はそうはいかない。任天堂に子ども向け需要の追い風が吹くこともあり得る。
今年7月の決算説明会で岩田社長は、「将来、任天堂の何かのゲームの追加ステージとして、『これを遊ぶためにはあといくら払っていただけませんか』ということはあって良いのではないか」と前置いたうえで、こう明言している。
「『数字のパラメーター(設定値)だけを触って、何かの鍵を開けるとか、何かがものすごく有利になるとかという形で課金する』ということは、クリエイティブの労力への対価ではない全然別の構造です。それを追求すると確かに短期的に収益は上がるのかもしれないのですが、お客様と私たちの間での長期的な関係は作れないのではないかというふうに思っていまして、こういう形での課金は、私たちのコンテンツに対してはすべきではないと、いうことも話しています」
ないない。
言動と「乖離した」思い込みって難しいよ。
・冗談のつもりの軽口を重く受け止められる
・(本人の中では)会話の流れで思いついた別の話を、いきなり始めることで話を聞いてないと思われる
・DQNみたいな恰好で怖がられる
どれも、自分の感覚に照らしたとき、「相手の言動が」おかしいと感じるわけで、言動と「乖離」することは稀。
「あなたはお金にルーズですよね」とか、「あなたはいつも他人を悪く言いますね」とか、思っても普通は言わない。
それこそ「勝手に」酷い人だと思うだけ。
友人にしろ、恋人にしろ、これらを踏み込んで確認できる域まで達したら、そこからはまた次のステージがあるけれど。
そういう付き合いになるまでは、他人に気を使って判りやすく行動するだろ、普通。
言動が誤解を生まないように。
志を持ちたい、なんてどこにも書いてなかったし、やはり、あなたは他人の評価とか漠然とした幸せとか世間の流れの中で何を信じたらいいのかわからないまま人に言われるがまま自分の立ち位置を計って右往左往しているだけのように見えます。
それもおそらく、あなたが自分で言っているように何をしていいかわからないから、よく分からない幸せ像を追っかけての行動なんでしょう。
あなたの聞きたかったアドバイスなんて私は知りませんし、私はただあの文面に対して、世間一般の価値観に縛られただけの中身が無い人生だなあ、と感想を漏らしただけで。
あなたが言う文面の理解なんてものも、良かったら教えてくださいよ。どんな内容ですか?どういう答えをあなたが求めていたのかも面白いですね。
私はトラックバックもブクマも何も読んでないので、貼ってくれたら助かります。
むしろ結婚に有利なのは料理とかやりくり等の女磨き(?)だと思って、其れをしてきたんですけど、
それが「お前何も出来てない」みたいに元彼に言われたので、ああ教養も必要なんですね、私何もわかってなかったです、的外れでした、貴方にだけ就職しろしろ言ってごめんなさいね。私何もしてないのにね。と思ったんです。
で、教養をどうやって身に付けよう、周りの尊敬する人を見てみよう、ああみんな高学歴や、勉強したら何であの人達輝いてるんか(志持ってるんか)わかるかも、と思って模索してるんです。
資格や大学、勉強が結婚や就職に有利っていう話は、実務的な面で言っているのではなくて、相手を探す上で有利なステージに上がれるという意味です。
だって、あなたは年収と肩書きと学歴と教養がある人と結婚したいんでしょう?でも、そんな人に今の自分は相手にされないから、そのステージに上がりたい。そういう意味で勉強や貯金をしてたのかと思ってました。有利というより最低条件でしょうか。
仕事に関しては、確かに就職した事がない人間が、他人に対しては自分が知りもしない就職をしろしろ言うのはおかしいですね。そんなに人に言うなら自分ですればいいじゃんって、誰でも思います。自分がやりもしない出来もしない知りもしない事を他人に強いるのは最低ですよね。自分を棚にあげて、まさにおまえが言うな、です。でも、就職自体にはなんの価値も無いと思いますから「就職したことないくせに偉そうなこと言うな」っていう言い草はバカみたいだと思います。就職したぐらいで偉そうな事言うなと思います。
あと、就職と教養も対極にありますよ。日本企業のほとんどの就職は、大学教育を活かす場ではありませんから。
教養教養っておっしゃるけど、あなたは教養を何だとお考えですか。少なくともファッションではないですし、より良い相手と知り合うための道具でもありません。
私は教養とは、何かの分野で世の中を良くしたいと思う時に前提として最低限知っておきたいこと、身に着けておきたいこと、だと思います。教養ってのはあくまで基礎であって、土台でしかありません。
例えば、私は経済学部でしたが、学部生ならアダムスミスの国富論を読んだ事無い人はモグリだと言われました。ほかに学部生なら大抵誰でもマックスウェーバーやケインズは読みますし、社会学やる人はデュルケーム読まない人はいないと思いますし、政治思想を学ぶならバークを読むとか、勉強する上ではそういった古典の理論や仮説を知っている事、それが用いられてきた、解明されてきた、覆されてきた歴史を知っている事、それらについて知っているだけでなく自分の意見を持っている事、が前提になります。勉強しない大学生はいくらでもいますけど、そんな人たちでさえそれぞれの概要ぐらいは知ってました。でないと単位も取れないしゼミも選べないし卒論なんて書けないから。
教養とは、今を考える上で、過去の人類の歴史と教訓であり遺産だと考えます。
あなたはただ高学歴の人がカッコ良くて真似がしたくて教養を得たいようですが、 確かにそれも入り口としては大切な事かもしれません。否定はしません。でも本当は教養なんて物事を考える上での土台でしかなく、手段にすらなりません。ましてやそれ自体が目的だなんて。どうかその域を脱して、どうぞあなたに見合った学問なり芸能なり文化が見つかり、教養が土台となる事を祈るばかりです。あなたは一般教養のことをおっしゃってるかもしれませんが、専門的か一般的かの違いで基本的には同じです。ただの基礎です。自己啓発本で教養は得られませんよ。
んなこたねぇよ。
手取りで月150万とか貰ってる役員に、お茶くみ・掃除なんかやらせねぇよ。やって欲しくねぇよ。
もっと言えば、実務もしなくて良いよ。
役員には、役員にして欲しい仕事があるよ。
部下が仕事出来なきゃ叱っていいし、やるべきことを「経営方針」として決めるべき立場にいる。
大黒柱のやるべき事は、稼いで家族を養うことで、英語を勉強することじゃねぇよ。
むしろ、考えてない親の方がごめんだよ。
(確固たる意志で「放任する」と決めるのは、「きちんと考えてる」からな)
自分が数学が苦手だった(今でも)奴は、子供に「そろばん」やらせちゃいけないのか?
楽器がさっぱりだった(今でも)奴は、子供に「ピアノ教室」通わせちゃいけないのか?
アホらしい。
ではなくて、あんたら仮にもゲーム作ってんだろ?
あんたらがやってるのは子どもやノータリンといった弱者から小金を巻き上げるためのワナとか仕掛け作りばっかりじゃん。
中身は二の次にして、ただ小金を巻き上げることばかり考えてるだけ。
「ゲーム性がどうでもいいフェーズからゲーム性が高くないと勝負のステージに上がれないフェーズに変わっているの。」っていうのは「クソゲーだと小金を巻き上げるのが難しくなったから多少は面白いゲームにしないと獲物がひっかからなくなりました」って言ってるだけじゃん。
あんたらが「ゲーム作ってるんです」と言う限り、嫌われ続けるんだよ。
もう大分反発を受けてるようだけど、法規制が無いからって反省せずにやりたい放題やってるとしっぺ返しが来るぜ。
まっ、どーでもいいんですけど。
http://anond.hatelabo.jp/20111102165350
とりあえずy_arim
有村さんは今仕事を頑張ると決めた時期だと思うから煩わせたくないな…
http://anond.hatelabo.jp/20111102170726
おお、ここがいいね。
そうします
…と思ったら、金さんか…
ちょっとピンと来ないステージで話をする人と言う印象だな…
聞いてみるもんだ。
二人ともありがとう。
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/09/post-346.php
フジ子・ヘミングについて冷泉彰彦が書いた文章を「いまさら」見たので,わたしの雑感を書く.
私が聞いた時,彼女の調子が悪かったのかもしれないが,彼女の「音」にはまったく感慨を覚えなかった.個人的に感想としては,演奏が始まる前,調律師が調律していた音の方が,よっぽど「ブリリアント」であった.おまえはなぜヨーロッパのオーケストラを聞くのか,と問われたら,こう答えるだろう.「音が違うから」と.それだけ,日本のオーケストラとヨーロッパのオーケストラでは,音がちがう.ピアノ演奏はあまり聞いたことがないが,少なくとも一人立体的な音を出している人はしっている.アルゼンチン出身の女性が出していた音は,立体的でたいへん美しかった.
たしかに,フジコの演奏を予断なく聴いて感動している人に水を差すようなことはしない.しかし,朝日新聞に出ているような広告をみたり,フジコがそういった過去を持っていることと彼女の演奏を結びつけたりといったことが過剰であると見受けられるためにクラシックファンに批判されているのではないか.
クラシックの音楽を解釈するために,人生観そして世界観に絡めて理解するというのは理解できる.しかし,それは立ち現われている音と「わたしの」人生観,「わたしの」世界観を絡めて解釈する行為であって,演奏者個人の来歴はさほど関係ない.演奏者個人の来歴が関係してくるのは,演奏に対しての価値判断が行われる場所においてであろう.つまり,フジコの演奏を聴いて,「天涯孤独だから」演奏に感動するというのはあまりよろしい態度ではないとわたしは思う.よって,「ブレンデル引退コンサートに巨匠の人生が凝縮されている」とわたしは述べない.「ブレンデルはさすがに引退か」とは思うが,そことは離れた場所で演奏を聴き判断する.そして演奏を判断するためのものとして,「音」「技術」「技巧」というものがあるのである.どんない偉大な経歴であったとしても,その場で聞いてしっくりこなかったのであれば,しっくりこなかった感動したのであれば,感動したと思えばよい.その場所に,「フジコの半生はこんなで」とか「ブレンデルの引退コンサートだから人生が云々」という話は関係ないのである.そういった話を引きはなして,演奏を聴かないがためにフジコファンは「耳がない」と馬鹿にされるのである.(フジコの弟が大声でブラボーと曲毎に叫ぶのも興ざめ)
物語を作って,物語の登場人物をステージにのせ,半生を聴衆に回顧させ,お涙頂戴芸をやっているから,フジコは批判される.それにわたしから言わせてもらうと,最初にフジコなんぞの演奏を聴いてしまった方がかわいそうである(フジコの演奏をすべて私は否定したいのではない,最初に出したアルバムは良いと思う.その後は練習不足がたたってか,年なのかしらないが全然ダメだと思っている).
ピアノの演奏には,お涙頂戴芸以上に素晴らしい芸術がある.それの根幹となっているのが各人が出す音である.フジコは全くそこができていない(というよりも年で,もうまともな音が出ないのではないか.長年鍛錬してきた他の老ピアニストと違って彼女にはブランクがある).その点から,フジコはさっさとお涙頂戴芸をやめるべきだし,フジコの演奏を非難しているのは,頭の固い日本の馬鹿クラシックファンだという発言をするのもやめていただきたい.
あとCDだといくらでもごまかせるので,実演聞いて判断するべき.
わたしのおすすめのピアニストは,ハンガリー出身でいまはイタリアに住んでるおじさんとか,ルーマニア出身で最近日本に演奏に来たのにおなかが痛くなって残念ながら帰ってしまったおじさんとか,アルゼンチン出身で体調不良でコンサートをキャンセルしてしまったおばあさんとか,もっといろいろいるがこの辺で.
世の中には不思議とモテる男の人がいます。「不思議と」というのは、美しい容姿や高い収入、優れた能力等の一般にモテると言われる要素を持ち合わせていないということです。持ち合わせていないのに、そういった要素を持つ男性よりもむしろモテていたりする。このエントリではそういう男の人の話をします。
「不思議とモテる男」について女性が語る言葉は抽象的なものばかりです。優しい、一緒にいると落ち着く、穏やかetc モテたくてモテたくて仕様がなく日々血眼になってモテるためのtipsを読んでいる男性諸君は、このような言葉を前にして何度となく肩を落としたりぶち切れたりしたことでしょう。どうしろって言うんだ! と。喜ばしいことにより具体的な情報を寄せてくれるひとたちもいます。曰く、「わがままを聞いてくれる」。男たちはこれを聞いてさらに怒り狂います。結局女は召使が欲しいだけか!自分殺して媚びへつらえってことか!既に試したけどモテなかった!女なんて嫌いだ!
気持ちはわかります。しかしこれは早とちりです。よくよく読んでみれば「妹がいる/いそう」「面倒見がいい」といった言葉が一緒に並んでいます。多くの女性が憧れているのは召使ではありません。お兄ちゃんやお父さんです。手垢にまみれた言い方をすれば包容力を求めているわけです。お兄ちゃんやお父さんは、女の子が汚い部分を見せても彼女のことを見捨てたりしません。弱さをさらけ出した後に柔らかい所を傷つけてきたりしません。だから女の子はお兄ちゃんやお父さんのことが大好きです。信頼して全てを預けることができます。
こういった角度から女の子の「わがまま」について考えてみましょう。お兄ちゃんやお父さんは女の子のわがままに寛容です。大抵のことは喜んで受け入れてくれますし、問題があることであっても優しくいなしてくれます。女の子は「わがまま」を通じて男性の包容力を、二人の信頼関係を確認するのです。逆に言えば、お兄ちゃんやお父さんではない男性にとって女の子のわがままは自分の包容力を示すチャンス、信頼関係を築き強化する機会であるわけです。わがままの内容は重要ではありません。いちいち嫌な顔をしたり説教したりミソジニーを丸出しにしたりするのは愚かです。
女の子は誰にでもわがままを言うわけではありません。それなりに仲の良い男性、見込みのある男性にしか試験を受けさせてくれません。女の子のわがままは逃すことのできないボーナスステージです。わがままこそモテキです。わがままがフラグなのです。女の子にわがままを言われたら全力でニコニコして受け入れるべきです。そうすればあなたも優しいひと、居心地のいいひとになれます。
注意事項としては、いつまでもわがままばかり言う女の子やわがままの程度が過ぎている女の子は地雷だということです。気をつけましょう。
そんなことを先日問いかけている人がいたが、答えは簡単なのである。
たとえばAKB48とかを見ていると、テレビにも雑誌にもガンガン露出している。
それがどれほど気持ちの良いことか、自己顕示欲の強い女性はそれをわかっていて目指す。
一方の女子プロレス、露出は専門誌の小さい記事と専門会場のみ。
専門会場に来る人数は50~300人、数か月に1回でやっと500人越えるくらい。
たまに出るテレビでの扱いもぱっとしない。
もっと自分で自由にできるお金がほしければアルバイトするしかない。
そんなイメージは覆らないし実際その通りだ。
しかしそこにはそれらを我慢して余りあるおいしいエサがぶら下がっているのである。
ひるがえって。
女子プロレスをやって、何が得られるのか。
それに対して今プロレスをしている選手は胸をはって答えられるか?
じゃあ女子プロレスやりますとあっさり転ぶような人間がどこにいるのか。
このご時世、女子プロレス程度の規模まで「知名度を上げる」だけなら
もっと楽な道はいくらでもあるのだ。
地下アイドルはもっと少ないコアなファンを相手に、バイトをしながら細々と生活している。
しかも、そこには私生活にまで口を出してきて、見られたくない写真をブログに晒すような先輩もいない。
圧倒的にそっちのほうが楽じゃないか。
そうでないプラスアルファが今のプロレス界、しかも女子プロレス界にはない。
そのために露出をあげろだなんだということは口でならいくらでも言える。
プロレスに興味を持っていない、横浜に住む人間は誰も知らない。
地道なドサ回りは地道に顔を覚えてもらえるチャンスなのに、ポスターの1枚も会場以外に貼られていない。
それでなんで、どうして、「プロレスラーになりたいって言う人が出てこないの?」なんて言えるのか。