はてなキーワード: ショーペンハウアーとは
なるほど、ショーペンハウアーはためになりますね。っていうか、武者小路実篤が「ためになる」ってのもスゲーけどな。
男が男にチンコをぶっこみ、サディズムマゾヒズム趣味全開で突き抜け、当時発禁処分を食らって有害図書認定された
アポリネールが「健全でためになる」んですか。いやすげー、意味がわかんねぇ。
ホモのおっさんが書いた処女への憧れを「健全でためになる」と読むわけですか。
「お膝に女の子乗せててたら射精しちゃった。でも聞いてよ、その子ビッチだったんだよ?」で有名な
芸術とゲームの間に線引きとかムリですって。アートとエロ本の区別くらいムリ。
まぁ、つまるところ芸術なんて社会がそれを芸術とみなすかどうかだけで線引きされてるし、
民族に注目しなければならないのであればその1000倍個人の資質について注目する必要がある。
さて、成功するか否かに人間性が関係ないかといえばそんな事は無い。
人間性が悪いやつで成功する人はいない。
最悪だと感じることはあるかもしれないが、自分が属するグループにはいいはずだ。
財産のある女は財産の使い方になれているから使い方が思慮深い。
結婚してはじめてお金が自由になった女はお金をつかうのがたのしくてしょうがないからとても大まかにどしどし使ってしまう。
さて、華々しく成功した民族がお金を節約できるのは、財産の扱いになれたからなのか、それとも質素な資質の人間だったから財産を築けたのか?
ひとりでいる時よりも、他人と話したり遊んだりしている時のほうが、孤独感を感じる私は異常でしょうか? - Yahoo!知恵袋
絶対に分かり合えないんだ、という事を前提にしない限り、分かり合えないんだよ。::レビログ
私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し
[biz]中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
かけがえのない人間になるためには、
常に他人と違っていなければならない。
ココ・ シャネル
自分が自分らしくありたいと考えた結果、
たとえ友人を失ったとしても、誰が気にするだろうか。そして、
すべては私たちの頭の中にあるのだから、
それらを失わないようにするのがよい。
君は君の友にあまりに近づきすぎて彼に隷属せずにいることができるか
だから孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならぬ。
人間の自由を奪うものは、悪法よりも暴君よりも、実に社会の習慣である。
J・S・ミル
人と違っているということは孤独になるということ。
孤独は山になく、街にある。
本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。
パスカル『パンセ』
ライプニッツ『単子論』
ジェイムズ『宗教経験の諸相』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
ブーバー『我と汝・対話』
ライル『心の概念』
デュルケム『自殺論』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』
ポランニー『大転換』
オルテガ『大衆の反逆』
オング『声の文化と文字の文化』
ポパー『推測と反駁』
フロム『自由からの逃走』
デリダ『グラマトロジーについて』
ペンフィールド『脳と心の正体』
ソンタグ『反解釈』
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
イーグルトン『文学とは何か』
ガダマー『真理と方法』
ダマシオ『生存する脳』
クワイン『ことばと対象』
マッキンタイア『美徳なき時代』
ツリー内主要エントリ
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ
たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
愚か者でないかぎり誠実であることは危険である。バーナード・ショー
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[biz]中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
【人間関係】「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」
友を探し求めるものは不幸である。
というのは、
忠実な友はただ彼自身のみなのであるから。
友を探し求めるものは、
己自身に忠実な友たりえない。
Amazon.co.jp: 友情を疑う―親しさという牢獄 (中公新書): 清水 真木: 本
友人たちよ、友人などいないのだ。アリストテレス
友人と親しさの差異は何か
結果的に、
これらの言葉が「使えない」という唯一の可能な使い方であるという結論に辿りつかねばならなかった
p190
だから孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならぬ。
人と違っているということは孤独になるということ。
君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている
我々は、他の人たちと同じようになろうとして、
この望みをかなえてやるのが、人に好かれる秘訣である。
D.カーネギー
君は君の友にあまりに近づきすぎて彼に隷属せずにいることができるか
常に他人の心ばかり気になって・・・ - メンタルヘルス - 教えて!goo
公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである。
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸を決め込むのは正しい
いかに多くの人のためになることでも、新たに大事業を提唱するのは、提唱者にとって大変な危険をともなわずにはすまない。
ある人物が、賢明で思慮に富む人物であることを実証する材料の一つは、
たとえ言葉だけであっても他者を脅迫したり侮辱したりしないことであると言ってよい。
なぜならこの二つの行為とも、相手に害を与えるのに何の役にも立たないからである。
脅迫は、相手の要心を目覚めさせるだけだし、 相手はそれまでは考えもしなかった強い執念をもって、
あなたを破滅させようと決意するにちがいない。
古代ローマ人は、このことを熟知していた。彼らは、
この二つの誤りを犯すことほど
相手の胸中に憎悪の念をかき立てることはないとわかっていたのである。
タキトゥスも書いている。
「どぎつい冗談とは、それが真実からかけ離れている場合はなおさらのこと、
とげとげしい後味を残さないではすまないものである」と。
私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)
人付き合いは「性悪説」を軸にしたほうがうまくいく
分別よりも愚行の方がとかく仲間や追随者を呼び寄せるものだ。
―「ドン・キホーテ」―
君子の交わりは淡きこと水の如(ごと)し、
小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如(ごと)し。
君子は和して同ぜず小人は同じて和せず
光クラブ事件
「人間の性は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるが故に、私は人間を根本的に信用しない」
山崎晃嗣(あきつぐ)のモットー
他人をあてにしてはならない。
それは期待するほうがまちがっている。
あらさがしをして得意がる。
あらを見つけるのはたやすいが、
よい点とその内的必然性を知るのはむずかしいからである。
できはじめの教養はきまってあらさがしをはじめるが、
できあがった教養はどんなものの中にも積極的なものを見る。
ねたみ・批判にあったときの名言
ブッダは黙って耳を傾けていたが、
相手が話し終えると次のように尋ねた。
「人が自分に差し出された贈り物を受け取ろうとしない場合、
その贈り物はだれのものになるのか」
男は答えた。「贈り物を差し出した人のものに」
「そうか」ブッダは言った。
「では、私はあなたの批判を受け取らないことにしよう。
自分のためにとっておきなさい!」
我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。
世間の誰をも、すべてを満足させようなんて、狂気の沙汰だ。
これからは、どんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えに従う。
ラ・フォンテーヌ
我々は、他の人たちと同じようになろうとして、
自分自身の4分の3を喪失してしまう。
かけがえのない人間になるためには、
常に他人と違っていなければならない。
ココ・ シャネル
自分の心の中で正しいと信じていることをすればよろしい。
しても悪口をいわれ、
しなくても悪口を言われる。
どちらにしても批判を逃れることはできない。
十人が十人とも悪く言う奴は善人であろうはずがない。だが、
十人が十人とも良く言う奴も、 善人とは違う。
真の善人とは、
十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である。
私は他人に何も期待しません。ですから人の行動が、私の願いに反することはありません。
スワミ・スリ・ユクテスワル
人の時間には限りがある。
アップルコンピュータ社 スティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)
「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」
アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein、1879年3月14日 - 1955年4月18日)
全てを喜ばせようとすることは、結局誰も喜ばせないこと
粉屋と息子とロバ
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。
人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。
最悪のものだという証拠は群集なのである。
多数決をとってみたところで、
それが正しさの保証とはならない。
民衆ほど軽薄で首尾一貫とはほど遠いものはないとは、ティトウス・リヴィウスの評価であるが、他の多くの歴史家も、これと同じことを書いている。
大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。
われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。
隣人の語ること、
行うこと、
考えることを
気にかけないものは、
どれだけ多くの利益を受けることだろうか。