「確信」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 確信とは

2016-12-10

. 自民党公明党戦争大好き殺人大好き。 善良な日本国民の悲願=「安倍晋三の退場」~♪♪という声がありますが、そのとおりです。 私はあん独裁者A倍しんぞーや自公では日本はだめになると確信しています











野党民進党共産党に期待します. http:/textream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp/t/02/03/552003119-fc6b....。

音楽ゲームを作った話

この記事は「#音ゲーマー達の発信所 (1枚目) Advent Calendar 2016」の参加記事です。

http://www.adventar.org/calendars/1448



当時の会社を辞めてから随分経ったが、最後仕事作詞した曲が収録されたと聞き、久々にゲームセンターを訪れ、数年振りにアーケード音楽ゲームプレイした。ユーザーカードログインに間誤付く、オプションの付け方もわからない。弱いユーザーになったものだ。幸いにも(現在立場上この表現が許されている)待っている客は少なく、ギャラリーは居なかったので、タイミングの勘が全く戻らないGOOD連発プレイでも心苦しくなる事はなかった。

初めて遊んだから10年以上も経ったが、あの頃と何ら変わらず、リズムに合わせてボタン押すだけで楽しかった。



ゲームセンターと、音楽ゲームと、その周辺の人達による、空気感が好きだった。駅前の古いゲーセンは薄暗く、筐体に付属するハロゲンランプの光が眩しく瞬いている。客はいつも変わらない面子だし、動画サイトは当時無いから、曲を聞き入るには筐体前に居るしかないし、上手い奴は偉い(偉い以外に表現が難しい)ノートにはメッセージが、コルクボードにはイラストが、気怠げな店長、客上がりでボタンメンテに熱心な店員、そんな歳とは思いたくないけど、スマホも無い頃にぼんやりと順番待ちをしていたあの頃も、良かったと思っている。



そのまま好きが高じて、音楽ゲーム制作に携わる事になった。心持ちとしてはミーハーさが大部分ではあったけど、残った誠実や矜持言葉で表すとするならば、自分が作るゲームによって、人と人とが繋がって欲しいと思っていた。自分が感じたあの空気感もっと多くの人に伝えたい。オンラインゲームが台頭し、mixi/TwitterといったSNSサービスによって人の繋がりは変わっていくけれど、同じゲームで遊ぶ時間と、ゲームセンターというリアル空間によって人が繋がる事で、かけがえのない感動を与えられるのではないか、と。



入社3年目くらいだっただろうか。新規ゲーム制作プロジェクトに参加する事になった。音楽ゲームというのは1度作ると、その後はガワを変え、曲を入れ替え、時々新機能追加を何年も続けるという事が多く、完全に新規タイトルを作る事は中々出来ない事だった。USTREAMDJが曲を回し、ニコニコ初音ミクアイドルとなり、コミケ東方アレンジ同人音楽を席巻していた時期でもあった為、CGMキーワードユーザー参加型のコンテンツを、というコンセプトのゲーム制作が始まった。その辺りにドップリ浸かっていた当時の自分は、きっと『俺達の考える最強の音楽ゲーム』になるぞこれは、という期待が高まっていた。



が、0から1を生み出す苦労をまだ、この時の自分は知らなかった。



仕事量は現在に至るまでで一番厳しかった。震災があってナーバスにもなったし、人とブツかるし、思い通りにならない事が多くて、このゲームソフトアップ後の年明け早々に、自分は泣きながら上司会社を辞めたいと話をした。色々理由自分の中ではあったけど、振り返ってみると出来上がったものに満足出来なかったのだと思う。やりたい事が全部出来なかった。力量不足の塊が形として残ってしまうのは本当に辛く、情けなくなった。見るのも嫌になって、ゲーセンに足を運ぶ事は無くなった。

この心境には確信があって、更に数年後に大体同じ理由で本当に会社を辞めてしまうからなんだけど、この時は上司に引き留められた事で退職未遂に終わった。



引き留められたからといって、心境が大きく変化した訳ではなかったけど、リリース後の当面はバグフィックス機能追加を淡々と行うだけだったから余裕が出来て、辞めてからどうするか、が考えを上回った事で前向きにはなった。特別ユーザーアイコンを与えるカードデータを仕込んだり、大会最中遠隔操作新曲を開く仕組みを作ったり、収益を考えずに人が目の前で驚いてもらえる施策を入れられたのは、自分個人には良いカンフル剤になった。公式Twitter更新は変な頭捻るから辛かったけど……



また、夏を越えた頃にはユーザーの声も良く聞く様になり、上々な反応も返る様になった。緩い通信対戦のお陰でプレイヤー同士がお互いの認識を強くした。盛り上がった事で、同人オンリーイベントが開かれたり、ユーザー参加型を謳った事で、ユーザー同士がオリジナル音楽CDイラスト集を作ったり、ゲームとは関係なしに普通に遊びに行ったりする様が、ネットでも、ゲーセン以外でも見れる様になった。



もう一度言うけど、自分自分が作るゲームによって、人と人とが繋がって欲しいと思っていた。同じゲームで遊ぶ仲間を作って、いつかゲームは遊ばなくなってしまうだろうけど、繋がりだけが残ってくれれば、それでいいと思っていた。



今では、作って良かったと、心からそう思っている。

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161209152823

「Aは良いがBは…」という構造になっているものについて判断ができないのは、勇気があるというよりは、別の何かが足りないような…。

あと、コミュニケーションの不足については、その場その場で妥当性の高い判断をしていって、祖語があればその都度修正していけばいい。

「間違いがないと確信できるまで判断しない」というのは、コミュニケーションを阻害する要因にしかならない。

ま、日本人的な完璧主義ではあると思うが。

2016-12-08

夜は短し歩けよ乙女』が湯浅監督アニメ映画化されるかもしれない

ずいぶん前から森見登美彦原作の『夜は短し歩けよ乙女』がアニメ四畳半神話大系』と同じスタッフアニメ化される」という妄想をしてきたのだが、期待しすぎてなんでもこじつけるようになってしまったのか、今年に入ってから「これはフラグじゃないか」と思うようなことがたくさん起きている。

そして、つい最近になって、これはもう決まりでしょ、と勝手確信を持った出来事があった。

はいえただの妄想なのでここに記す。



まず前提として、2つの確定した事実がある。

1.湯浅政明監督現在小説原作とした劇場アニメ制作している。
2.イラストレーター中村佑介氏が関わっている劇場アニメーション企画存在する。


まず1について。

湯浅政明監督劇場アニメ制作するというのは2015年3月に開催された東京アニメアワードフェスティバル2015授賞式で発表されていたが、この時はフジテレビと共同で、伊東伸高氏と組んでオリジナル劇場アニメーションを作るという発表のみであった。

それから現在に至るまでその詳細は一切公式発表されていない。

おそらくノイタミナプロジェクトひとつであるので、虐殺器官などのあれこれで発表が遅れているのかもしれない。

湯浅政明×フジテレビ 劇場アニメ製作! ピンポンがアニメオブザイヤー受賞 - KAI-YOU.net



そして、今年、湯浅監督海外ファンからインタビューに対して非公式に答えたものの中に新作についての言及がある。

亜細亜堂さんやシンエイ動画さんで働いていた頃の事にコツコツ答えてみました。
どう訳されているか確認できていないのですが、興味あれば https://t.co/YgHUJXM5mN
日本語で答えましたhttps://t.co/jiAeY7czfM

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

https://twitter.com/masaakiyuasa/status/718438538878910464

小説原作にしたものと、ファミリー向けのオリジナル作品の2本の劇場作品制作しています

ここで初めて、彼が小説原作とした劇場作品制作であることが明らかとなった。



次に2について。

これについては一連の中村佑介氏のツイート引用する。(書き込み制限に引っかかるみたいなのでURLはh抜きで貼る)

今日も、とあるアニメ制作のためにキャラデザ文章台詞や行動)という骨格から人間の姿を想像し、形作っていく逆算は、たぶん身元不明白骨から粘土などで肉付けする警察の復顔法にかなり似てるんだと思う。ひたすら答えを探す。

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/692607721598640128

さて、引き続きアニメキャラクターデザイン映画監督に役に合いそうな色々なバリエーション俳優をお見せする芸能事務所マネージャーの気分でGO

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/693366584920813569

引き続きアニメキャラクターデザイン。これまでで最多の合計18キャラクターサイン会でたくさんの人に会えたので、それを活かし、あの頃より、幅広く、楽しい感じに仕上がってきてるのを実感する。詳細はたぶん春~夏頃には発表できそうです。

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/693597211490283521

アニメキャラクターデザイン、総勢20名、ようやく全部決まった。もう人間と向き合いたくない程、活き活きとしたバラエティ豊かな生命が刻めたと思います。発表されるのを楽しみに、あとはアニメスタッフの方達にバトンタッチhttps://t.co/9SNQ6FasZv

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/695070587949944832

アニメに関しては、僕の口からはまだ何も言えないんだけど、皆が皆、納得するような人選とプロジェクトです。たぶん春~初夏くらいには発表されると思います。期待して待っていて下さい。

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/695071740892827648

アニメの進行は作品や規模、スタジオによってそれぞれなので、外部スタッフとしては何とも言えない部分も大きいのですが、たぶん夏か秋くらいには告知は発表されると思われます。楽しみにしていてください。

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/745110805151047681

そして僕は、こちらも皆様が待望であろう、更なるリメイクへ。年末情報公開予定の劇場アニメーション作品です。マスターピース、はじまってるで!!

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/803793469869146112

このツイートだが、これは今年アジカンアルバムソルファ』を再録して発売し中村氏ジャケットセルフリメイクしたという流れを受けてのツイートである

まり文脈に沿って考えると、以前彼が手掛けた作品を新たに描き直すのだろうととるのが自然だ。

既にキャラクターデザインは決まっているので、考えられるのはキービジュアル制作。つまり以前手掛けた小説の表紙を新たに描き直しているのではないか、と想像することができる。

来週くらいに、大きな大きな、発表があります

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/806004538129793024

お菓子はもう少しだけ先で、今回は劇場アニメのことです

中村佑介@12/17ぬりえ刊行 (@kazekissa)

ttps://twitter.com/kazekissa/status/806054755206209536

こちらも発表が遅れているようである



さて、ここで本題に入るが、私が『夜は短し~』のアニメ化確信を(勝手に)持ったのは上記の中村佑介氏の「来週に大きな発表がある」というツイートを見たのがきっかである

実は、来週の12月15日(木)にはノイタミナプロジェクト発表会2017が開催されるのである

湯浅監督制作中の劇場アニメはおそらくここで発表されるだろうし、中村佑介氏の関わる劇場アニメについての情報もおそらくここで発表されるのではないか

この2つが繋がったとき、私は確信を持ったわけなのである




実はこのほかにも思わせぶりなことが多くあるので、引用する。

今年の夏、湯浅監督はどうやら京都滞在していたらしく、『夜は短し~』の舞台となっている場所にも訪れている。

スタバに 来た

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/761400635723948032

既に帰京

レブロンズかと思ってたら木製だった。あるときとない時あると思ったら、閉店の時外して取り込まれてるみたいで

隣のパン屋さん 初めてちゃんと見た

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/761565626628321280

インクライン琵琶湖からやってきた船を貨車に乗せて下の流れに運だり、運び上げたり。動力源はそこの発電所で賄い、疎水水路閣通って京都の町を流れてる。この時は工事中だったけど、本当だったら貨車の先の橋の下に水がたっぷり流れ込んでる

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/765044550196879360

再読

森見さんの作品文章面白さでサクサク読んじゃうんだけど、他の人から言われてテーマに気づく事多い。とても共感しま

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/767005111910486016

明石さんの後ろ頭のところに中村さんの遊びがあって、、いいでしょ

湯浅政明 (@masaakiyuasa)

ttps://twitter.com/masaakiyuasa/status/767005832365998080

背景制作会社スタジオラグラスのツイートも興味深い。

湯浅監督劇場作品今日は3人の方と背景打ちをしました。1人は初対面の方だったのですが「四畳半神話大系」の大ファンで、DMでお手伝いをお願いしたら喜んで打ち合わせに来てくださいました(*^^*)Sさん、どうか宜しくお願い致しま

スタジオラグラス (@StudioLagurus)

https://twitter.com/StudioLagurus/status/775331001656496128

以前、弊社で求人募集をしていない時期に応募してきた子がいました。応募理由の一つに「四畳半神話大系が大好きだったから」でした(^^)この作品、いろんな縁を取り持ってくれています。今、その子湯浅さんの作品バリバリ描いてくれています!

スタジオラグラス (@StudioLagurus)

https://twitter.com/StudioLagurus/status/775347798791196672






というわけで、以上、妄想書き流し終わり。

2016-12-05

種明かし

何の種明かしにもならないかもしれないと思うけど。

かなりの確信を持って「絶対ブクマされて否定的ブコメで満ちるだろう」という推測を立てて、適当に穴ぼこだらけでツッコミどころ満載かつ感情を煽る内容で書いてみた。

ちょっと釣り針がでかすぎるんじゃないかとも思ったけど、そんなことも杞憂な結果だったことに、やっぱりねという思いと同時に想定以上の危機感を覚えた。

言いたいことは3つ。

コンテクスト不明確なものに対して、その欠損部分を脳内で補って発言するのは考え直した方がいいのではないか

与えられただけの情報を食べてモンスター化していませんか?

インターネットに対して冷静になりましょうよ。

今回の増田コンテクストは明かされていない、いわばXの状態が多い…というよりも、私が作りあげた全くの仮想増田だ。

こんなことを考えて書いた増田は私の脳内しか存在しない。

それにも関わらず、実在人物がそのように考えているように読み取り、さらに読者が各々の中で別人格増田を作り上げる。

思うに、まずは勝手コンテクストを補ったりするのではなく、新しい情報が現れるのを待つ、あるいは情報収集をして検討するまでコメント差し控えるというのが最適解だと私は思う。

追加情報が現れた時に手の平返しをしなくてはならないのはコメントをした当の本人なんじゃなかろうか。

(どうせ増田だろw という感覚の人って少なくなったよなぁ…)

2つ目は情報によって容易に民意というもの操作できるということが実体験で確認できたということだ。

しかも一昔前よりも簡単に、インターネットで書けばいいという状況にある。

1つ目に関連することだけれども、元増田の一部のブコメを除けば誰もコンテクストとか考えていないんだもの

例えば、ある政党政権交代のために、現政策による悲壮人物を作りあげる(*1)。

増田悲壮感を漂わせる文を書いて、セルクマ+αを行えば「こんな日本ってどうなの?」ということが民衆の中から湧き上がり政策批判の声が大きくなる。

しかし、その増田を読んだ人たちは多くの場合、現政策についてほとんど精通していない。

いわば与えられた情報だけに食らいつく飼いならされたモンスターに餌が与えられただけで、あとは勝手に腹を満たしたモンスターが暴れてくれる。

現状で政権交代も起きていないじゃないか、というツッコミがあるんだろうけど、現政権側も同じように情報を作り出せば、そのうちモンスターは過食気味になって黙り込む(*2)。

キルケゴール大衆論?…ちょっと妄想しすぎやしないですかね、なんて思っていた時期があったけど、ここ最近インターネット発の情報とその動きをみていると妄想とは思えなくなってきた。

そして3つ目は上述の2つを総合したもので、かなり端的に言えば、もう少しインターネットに対して冷静になろうよ、ということが言いたいわけです。

私は本当に、もう少し冷静にインターネットに付き合ってもらいたいとは心から切に願っています

最近はてブ界隈を見ていると、どうも過熱気味でインターネットに使わされている気がします。

ガルブレイズ依存効果を持ち出すのは乱暴だろうけど、インターネットで欲を満たすというよりも、インターネットで欲を作り出されているような気がします。

以上!

最後なので、謝るべきは謝ってきちんとしておきます

こういうやり方をしたことは卑怯かもしれません。

真摯コメントをくれた人には本当に頭が上がらない。

それは正直に謝罪すべきところだと思います

誠に申し訳ない。

*1

かなり端折って、分かりやすくするために簡略化した例という注を書かなければならないほど、たまに「?」というブコメの人がいる。

*2

くどいけど、分かりやすくするための「例え」ですからね。

2016-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20161204231146

自分が愚かな大衆とは違う、日本人を裁くに値する特別存在だと確信しているはてサの皆様は

四六時中負の感情をぶちまけまくっているんだが

キャラクター物語の駒になっている」という批判を時々見ることがあって、

実際自分も色々な作品に触れる中でしばしばキャラクター性格と行動の乖離違和感を覚えることがあるのだが、

自分場合「何故その性格設定のキャラクターにこの行動を取らせた?」ではなく、「何故この行動を取らせるキャラクターをその性格設定にした?」となることが多い。

キャラクター基準ではなくイベント基準というか、シナリオ行基準というか、テーマ基準というか。

ぶっちゃけた話、早い段階で作品の言いたいことというか、作品を通して制作側のやりたいこと(必ずしも物語の終着点という訳ではなく)がはっきり見えてくるような作品は、

多少作中でキャラクターの行動に首をかしげることがあっても大目に見てしまう。なんかこいつ普段からは考えられないようなヘマやらかしてるけど多分作品的には意味があるんだろうと思ってしまうというか。

実際そういうぼんやりとした確信を(自分なりに)得られた作品は、大体(自分なりのだが)期待にこたえてくれる。ので好きになる。

人物設定、行動指針から世界設定に至るまで、一つのテーマに集約されてることがはっきりわかる作品はやっぱり面白い、と思う。

なので逆に物語のないキャラクターにあまり入れ込むことが出来なかったりする。

物語が薄い日常系が駄目だとか言うんじゃなくて、本当に「キャラクター」単品だったりするやつ。

イラストプロフィール台詞が数種類、良くて小さな個別エピソードしかないソシャゲガチャキャラみたいなの。

ストーリーの中での立ち位置が見えないとどうしてもあと一歩ハマることができない。

なのでガチャキャラ交えて濃いイベントストーリー作ってくれるソシャゲが増えてきたのは個人的にはありがたい傾向だったり。

やっぱりまずちゃんとした主題のあるストーリーの中でキャラクター役割を与えられて動いている姿を見たい。あくまでも自分は、だけど。

新生児遺伝子鑑定は一律実施すべきでは?

まれて10日後ぐらいで細胞採取して遺伝子的父母を確定すべきだと思う。




病院での取り違えの不安が0になる。

父親がはっきりして不倫可能性がなくなる。




いいことだらけ。

というか母親自分の子だと確信できる(取り違えられない限りは)のに

父親自分の子だと確信できない現状は不公平人権侵害だと思う。

はっきりさせる技術があるのだから赤ん坊検査を基本にするべき。

疑うとか疑わないというやり取りをするまでもなく遺伝子事実提示されるのが正しいと思う。




新生児一律遺伝子鑑定はポリコレ的にはどうなんだろうか?

はてなの人の意見も聞きたい。



何故こんなことを書いてるのかというと兄の下の子が兄と血の繋がりがなかった。

どう収拾するのかわからない事態になってる。

うまくいかない

ここ最近、何もうまくいっていない

去年の今頃に脈があると確信できた男友達に振られたし、告白されて付き合った男には「美意識が低い」というわけわからない理由で振られた。

出会いがないからと入ったサークルではヤリ目男に迫られ、サークルのものに参加しづらくなるし。

三年くらいの付き合いの仲が良い友達にはラインブロックされ、やっと立ち直って好きになった人を食事に誘ったら「彼女が嫌がるから無理」と断られた(彼女がいることをその時知った)。

あんまりうまくいかいからってヤケ酒したらウン万の財布がゲロまみれになってたし(これは自業自得である)。

何でこうもうまくいかないのか。

意識が低いだなんだと言われはしたが、二か月に一度は美容院には行っているし、ちゃんと日々化粧やおしゃれだってしているのに。

周りの子たちはまともな彼氏に恵まれているのに、どうしてこうなんだろう。

あんまりうまくいかないと、これから先もずーーーっとうまくいかないんじゃないか、と思い込んでしまいそうになる。まあ、間違いでもない。私の人生はこれまで上手くいったことなんてないもの

しかし、上手くいかない人生でもちょっとはマシな時期はあったはずなのだ。良くも悪くもない時期だってちょこちょこあった。

ここまで上手くいかなかった時期なんて、中学の時にいじめられていたときくらいじゃないか

そもそも、上手くいく人とうまくいかない人の違いってなんだ。

恋愛でもそうだ「自然と付き合うことになって~」なんて言う人がいるけど、信じられない。自然ってなんだよ。もっと具体的に示せよ。

わたしなんて自然に好きになった男には皆振られたぞ。どういうことなんだよ!! 

彼女いるならもっと彼女いるっぽく振る舞ってくれ!! 彼女作る気がないなら「俺みたいな男を好きになる女なんていないからさ~~」なんて言わないでくれ!!

自然に両想いになるなんてありえないだろ!! だからアプローチ必要と言うがな? わたしの好きになる男はアプローチしても動じないんだよ、なんでだよ……大体の人は好意を向けられたら自分も気になりだす人が多いけど、

わたしが好きになる男性は何故かそれに当てはまらない。自分が好きになった女じゃなきゃ付き合えないんですって。良いご身分ですこと。

はあ~~~~どうやったらうまくいくんだろう? どうしたら自然に付き合えるんだろう?

好きな人アプローチしようと意気込んだところで、彼女がいることが発覚だなんて最悪だ。ちゃんと彼女の有無を聞いておくんだった。面と向かうとろくに会話ができないのだ。彼女ますかー?なんて軽々しく言えない。

よく食事に誘えたものだ。頑張ったわたし、頑張った。もっと自分を褒めてあげよう。

また振り出しに戻るんだな。また好きな人を探さなきゃいけない。新たな恋を探さなきゃいけない。

でも、出会いがないんだよなあ。どうしたもんかな。どうしたら恋できる相手出会えるんだろう。

うまくいかないなあ……。

http://anond.hatelabo.jp/20161204034022

その後の言動で味方だってことは分かるんだけれども、ボス出会い頭に味方だと確信した理由が分からない。

ボス相手の心を読む祝福持ち。

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 30話

その後の言動で味方だってことは分かるんだけれども、ボス出会い頭に味方だと確信した理由が分からない。

私が何か見落としているのか、以前に何かフラグとかあったんだっけ(トラバ指摘で心読の祝福者からと言われて、ああ完全に失念してた。言葉が通じないから、心読んだところで意味ないと思ったけど他に理由もないし。ボスの心読がどのような処理を成されているかからなかったけど、となるとボスの心読って予想以上に融通利くんだなあ)。

寒波のなか非常識なまでの薄着については、能力関係しているかと思いきや「新陳代謝がすごく高い」って、ええ……そういうもんなの……。

ボス銃弾バットで弾くのといい、そこらへんは細かく気にしないスタンスってことなのか、今後ちゃんとしたリアリティのある設定で説明されるのか。

福者自体普通人間より身体面で高めに設定されているってことなのかな。

あと、今に始まったことではないけれども、アクション部分の盛り上がらなさが気になる。

槍が動いて敵に刺さっていることは最低限分かるんだけれども、躍動感がない。

漫画で躍動感を演出するエフェクトを使っていないせいなのか、コマ割のせいなのか。



魔喰のリース 1話

お、これ連載始まった。

連載向けにリブートされてて、多少設定とかも変わっているようだ。

ファンタジーサスペンスという路線は変わらないっぽいが、ややアクション部分も前面に出ている印象。

1話は今後の作品世界観だとか、前提として理解しておくべき設定を紹介したみたいな感じで、本作の方向性は打ち出しつつも、ストーリーとしての面白みはやや控えめに見えたかな。

まあ、これからだろうね。

サイトの他漫画で1話の盛り上げ方が良すぎせいで、以降変な方向に行っちゃった反動がきて微妙評価されがちという例もあるから1話の時点でとやかく言っても仕方ない。



とんかつDJアゲ太郎 107話

叔父と父の確執、揚太郎海外行きの件も納まるところに納まって一件落着か。

タイトルにもある通り、揚太郎はカツを揚げてDJでアゲる。

両方やっているからこそ生み出せるクオリティがあり、そのどちらかだけでは成り立たないということは作中で何度も提示されてきた。

テーマに則った構成をこれまで何度も描いてきたから、消極的ではない、むしろ無理のない結論になっている。

今回で、テーマへのアンサーも明言され、エピソードとしても佳境といえる話だったが、もしかして最終回近い?

仮に続けるとしても、主人公自身が一つの到達地点に行ったから、何らかの大きな因子を追加しないと難しそう。

2016-12-01

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である


**************


君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。



さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************


さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

**************

 

さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-28

彼氏が書いた官能小説を偶然読んでしまった

来月結婚する予定の彼氏がこっそり書いている官能小説を、Web上で発見してしまった。

彼はとある業界ライターをやっている。

最近ラノベ好きな友人と出会い彼女から教えてもらった投稿サイト適当に見ていたら、

見覚えのあるハンドルネームを見つけた。それはインターネット上で彼がたまに使用するハンドルだった。

まさか」と、恐る恐るクリック。読み進めてみる。まさしく読み覚えのある文体だった。

内容は彼が大学時代に付き合っていた彼女との性行為をひたすら描写した、絶句するほどゲス官能小説だった。

彼女過去に2度ほど会ったことがあり概要や人柄などもほどほどに知っている。

小説に書かれているその女はまさしく彼女に当てはまる。著者は間違いなく彼だと私は確信した。

彼は仕事では私にはよく分からない小難しい論文を書いている。

業界内でそこそこ評価されているらしいが、この小説は彼の性欲の掃き溜めにしか見えなかった。当たり前だが完全なる自己満足だ。

ちなみにその作品長編作品で、2年前から現在まで連載が続いている。

日付をみたら、彼を両親に紹介したその翌日にも更新されていた。

この男は定期的に、初体験相手である大学時代彼女の思い出を辿り、

文章に残し、さらWebに公開し人に読んでもらっている。

自分文章オカズ自慰行為もしているに違いない。

元々大学時代彼女のことはすごく大好きだったと聞いていたが、

現在進行形で彼はこうやって定期的に思い出し、作品という形でアウトプットしているのは非常に不快な気分になる。

こんな人と結婚していいのだろうか。

籍はまだ入れていないから今なら間に合う気がする。

恥ずかしいけど、彼氏と別れるために親知らず抜いたわ!

妊娠出産するなら手術する方がいいって医者に前々から言われてて、じゃぁ25歳になったら抜くよって決意した。

その時は4年ほど付き合ってる彼氏結婚の話を具体化できるかなって思ってたのよね!

まぁ、ビビッて25歳のうちには手術の予約入れられず、ぐだぐだしている間に確信してしまった。

現実そんなに甘くない。この相手とは結婚までいけないんだろうなって!

26の終わりにとうとう抜く日がやってきた、そのころに徐々に結婚という夢が萎んでいって、お別れの時が近づいているのが分かった。

麻酔注射をブスブス打たれ、顎の骨を削り、バキバキと歯を木っ端みじんにして取っていく。

ああ、これは先へ進むための痛みなのだ自分を乗り越えるための儀式である、痛みでこの決意を忘れないようにするのだと、自己暗示を掛けて乗り越えた。

術後も、抜歯の大穴が化膿して再切開するはめになり、どれもうまくいかないなと思って大泣きした。

深傷の毒に気ふれ身体はくさり走り来る内に呪いを集めタタリ神に・・・なるかと思うくらいだったが、無事正気を取り戻した。

最近ようやく傷口の違和感ほとんどなくなってきた。

この傷が完全に癒えたら私のこの喪失感も乗り越えられるんだと思う。これも自己暗示掛けといた。

そろそろ前に進もうかなと思っている次第である

2016-11-27

WELQの面接で落とされ、その後WELQが炎上して、思うところ

WELQの運営方針や内容の信頼性を巡って炎上が続いている。DeNAは慌てて専門家の監修を開始するというリリースを出しているが、遅きに失した形だ。

個人的な話だが、夏頃転職を考えていたこともあり、DeNA候補の一つとして面接を受けてきた。メディア系の職歴であったため、DeNAパレット(同社のキュレーションプラットフォーム。Find TravelやMERYもこれ)においてプロダクトオーナーをやってほしいというオファーがあった。

その内の一つがWELQだった。WELQについて調べてみると、オープン半年利用者600万人超のメディアになったと誇っていた。なるほどSEOが強烈に強く、適切な医療知識を持たない人々であればうっかりクリックし、信じてしま可能性があるほど、順位ワードもこなれたものだった。記事ボリュームも圧倒的にあり、優位性は明らかで、それなりにやりがいのある仕事ができそうに思えた。

一方でマネタイズを真面目に考えると、著作権法薬事法医師法を遵守し、内容の信頼性を高めていかなければならないと思った。記事をパクられた側の抗議によるレピュテーションリスクがあり、広告ではきちんとしたクライアントが付かない。なによりユーザーが内容を不審に思い始めるのは時間問題だろうと思った。

また、編集長という立場の人が明示されておらず(強いて言えば村田マリ)、記事匿名ほとんど。署名記事でも著者が実在するのか不明。調べればクラウドワークス等で集めた医療従事者でもないライターが激安価格で記事を量産しているという。その内パクリ元のオリジナル記事が枯渇し、内容的には過去の焼き直しでジリ貧になっていく問題も抱えていると思った。現時点でも既に、同じテーマなのに書いてあることが違うという、メディアとしての主張に筋が通っていない部分が見受けられる(例えば食物アレルギー記事)。まあこのあたりはパクリ元に収益還元する仕組みを作ればYouTubeのような発展も有りや無しや、ではある。

これらのことを面接では鋭く主張してさしあげた。面接相手KDDI出身DeNAに来たというM氏だ。まずあった反論は「医師の監修は検討しているが、今はメディアとして完全に定着させることが先」とのことだった。要するに投資ステージなので外野はゴチャゴチャ言うなということなのだろう。しかしそこは永久ベンチャー標榜しているとはい東証一部上場企業いくら面接相手でもコンプライアンス意識なしというのをあからさまに伝えるのはまずいという意識があったのだろう、「将来的にはキュレーションを抜け出し、一次メディア化したい」という補足もしっかりあった。面接自己評価としては、よりよい方向、健全な成長に導ける有能な人材であろうことを強く印象づけられたと確信し、渋谷ヒカリエを颯爽と後にした。

で、落ちた。「貴殿のための適切なポジションが社内にご用意できませんでした」という、転職業界ではテンプレート化しているお祈り文言だ。言うまでもなく、批判が図星で、わざわざ入社させてDeNAパレット事業方向性撹乱させることはしたくないという判断が働いたのだろう。

ファウンダー南場智子コンプガチャ問題で手痛い失敗をして以来、業界はもちろん、自社の事業ポリシー健全化に務めてきた。この辺は著書『不格好経営』にも載っているとおりだ。公平性や透明性意識の浸透を狙ってスローガンDeNA Quality」を定めた。しかし、WELQはもとより同社のDeNAパレット事業全体においてグレーなやり方がはびこっており、掛け声倒れに終わっている感は否めない。お友達感覚で連れてきた事業責任者にもそれを理解させ切れているのか。旦那病気療養のために一旦引退し、そして得た医療健康事業への熱い思いが、自らの社員役員らによって反故にされている現状をどう考えているのか。

何も面接で落とされたから腹いせにこういうことを書いているのではない。むしろ今は受からなくてよかったとさえ思う。キュレーションという新しいメディアのあり方と、正確性や信頼性が最重要視される医療情報との食合せが悪かったという問題だけではない。WELQを閉鎖すれば終わりでもない。DeNAソーシャルゲーム以外の事業の柱を作っていくうえで、体質を根本的に変えていかなければならない現状に直面しているのであり、それに対するしっかりとしたステートメント必要だと考える。決してWELQだけに問題矮小化するべきではないことを、DeNA理解するべきだ。

補足:なおWELQの前身はMedエッジといい、こちらは比較信頼性のある著者が書いていたり、転載元医療サイトだったりする、(相対的に)いいサイトなのだが、現在はMedエッジ時代掲載された記事は埋もれてしまいがちになっている。

2016-11-26

デスノート Light up the NEW world 感想

今更ながら見たので感想ネタバレ注意。

総評

そこそこ出来のいいB級映画、といった印象。

言われてるほどクソではないけど、流石に粗が目立ちすぎてない?

感想

今更ながら見た。前情報で「登場人物みんなバカバカ必死頭脳戦」と聞いていたのでよほどひどいと思って見に行ったが、思いのほか面白かった。

しかし、「バカ必死頭脳戦」はその通りだったし、あんまりにもひどい部分が多すぎる。

もったいないなぁ。結構面白いと思ってたのに。


良かった点

アバンロシア人医師のくだりは結構わくわくする作りだった。導入は良い。導入だけは。


あと、最後の方の展開は「なるほど……!」と驚く展開だった。予想は多少ついていたけど、そうきたか、という感じ。面白いなと思った。


あとアーマがキャラとして良かった。中の人補正もあるけど。

ダメだった点

序盤の無差別殺人の時点で「あっ、やはりこれは脳を溶かして見るべき映画だな」と確信した。


そして出てくるLの後継者。なにあれ。流石にひどすぎない?

転載要素がまったく分からなかったし、幼稚な人格破綻者にしか見えない。終盤で印象を巻き返すけど遅いよ……。

そしてお前、「L change the WorLd」のニアなのか? どうしてこんなバカに成長してしまった。あとどうして日本名前本名なんだ? 実はただの別人なの?



それからサイバーテロリスト強すぎない?

ハッキングであそこまでできるの? ハッキング便利すぎない?

デスノートなくても殺人余裕じゃないの?

というかLのクソCGからどうやって画像解析してメッセージ読み取ったんだよ。ハッカーすごいな。どうやったら読み取れるんだよあんなの。



次にミサミサ2011年には死んでるんじゃなかった? (映画版だと生きてるんだったか? 忘れてしまった)

デスノートによる殺人に気付いた時点で取り押さえておこうよ、警察無能すぎない? 「ノートを破棄した者が再びノートに触れると記憶を取り戻す」ルールは知ってたんじゃないの?

あと、あまり可愛くない。

そういえば、ノート名前を書かれた人間って死神の目にどう映るんだろう?

目を持ってても気付かないもんなのかな。


あと散々言われてることだけれど対策本部無能すぎ、デスノート対策本部と言いながら肘で顔を隠して突入とか愚の骨頂じゃないか……。死神の目についても知ってるのに、途中からマスクサングラスも、マフラーさえもないとかどうなの。ぶっちゃけマフラーでも防げるのか微妙ラインじゃない?

そして仲間たちが特に使えるわけでもなくあっさり死んでゆく。あまり印象にも残らなかったなぁ。



そしてキラ後継者、あの展開はちょっと……。あれはないでしょう、そりゃあ無理だよ。子供だもん。



総評

そこそこ出来のいいB級映画、といった印象。

思ったよりは楽しめたけど、最初から「これはギャグ映画だろうなぁ」と思ってたからだと思う。頭脳戦を期待して見に行った人は本当にがっかりだったんじゃなかろうか。



結局、「バカ必死頭脳戦」の話だけが独り歩きしている印象。言われてるほどクソではないけど、確かにみんなバカだし流石に粗が目立ちすぎだと思った。

最後の方の展開とか面白かったのになぁ。「ここで共闘するのか、すげぇ……!」と思ったけど、最後最後あんまり……。超法規的措置でいいのか、あれ。



面白い部分は面白いのに、それを埋もれさせるレベルのしょーもない粗ばかりが目立つ。

もっと面白くなりそうなのになぁ。本当にもったいないと思った。


どうでもいいこと

どうして約束場所マヤカンだったんだろう?

とても気になった。どうでもいいけど。

2016-11-25

この宇宙よりも上の次元存在する

この宇宙は上の次元の膜に張り付いたパン切れの1つのようなもの

それが高次元の球の上をいくつも浮かんでいるという世界だ。

俺はその高次元の球の方に行きたいと考えているが何も手段がない。

この世界はいくつもある世界の内の1つに過ぎないのなら、その基本世界に行きたい。

何もかも捨ててもいいからその基本世界に行きたい。

この宇宙があまたある世界のうちの1つだとしたら、基本世界は1つしかないたった1つだ。

そこで俺は新しい宇宙を創る。

不幸の無い宇宙を創る。

俺を神にしてくれ。

俺という人間を拾い上げろ。

お前らよりも俺の方が遥かに使えるぞ。

俺には夢がある。欲望もある。

死ねばいいのか?

生きてる内に確信が欲しい。

くそが。

この世界の神は最低の世界を造りやがった。

死んでも恨むからな。

ちくしょう

2016-11-24

そーいう確信をソーリはお持ちなんですか?

シン・オオカミ少年


オオカミ!!すぐにげて!!」



あのオオカミ少年オオカミに食べられてから5年。

今では別の少年羊飼いをしており、オオカミが来ると村人たちに必死の形相で繰り返し大声で叫ぶ。しかし……



「……オオカミじゃなくてキツネだったか

「まぁ、オオカミじゃなくてよかったじゃないか。無事が何よりだよ」



5年前のオオカミ襲撃時には、オオカミ少年や羊だけではなく、多くの村人も犠牲になった。

村人たちはオオカミ少年ウソが油断を招いた結果被害を拡大させてしまったことを反省し、新たな羊飼い少年には、オオカミを見かけたらすぐみんなに避難を呼びかけるよう、強く言い聞かせた。

この新しい羊飼い少年は、オオカミ少年とは反対でとてもマジメな少年であったが、良くオオカミを見間違えた。この前はタヌキだった。



「今度はキツネか。いい加減にしてくれよ。これじゃオオカミ少年と変わらないよ」

「大体、言い方が大げさすぎるんだよ」



避難場所に集まった村人たちの中の数人が愚痴をこぼす。

するとそれを聞いた他の村人たちが一斉に非難した。



「なんてこと言うんだ。5年前の悲劇をもう忘れたのか!?

オオカミの群れを確信してからじゃ遅いってことがわからないのか!」

オオカミかどうか判断する時間が無い以上、強く呼びかけるしか無いだろう!」

「まったく、お前みたいなバカオオカミに殺されればいいんだよ」



それ以降、愚痴をこぼした村人は何も言わなくなった。

その後も羊飼い少年の見間違えは改善されず、あれから更に数年経った今では多くの村人が羊飼い少年の呼びかけを聞いても避難することはなくなっていた。

ここまで信頼を失っているのにもかかわらず、羊飼い少年やその呼びかけに公然と異を唱えるものは誰もいなかった。

いまや羊飼い少年の呼びかけを非難することは不謹慎とされていたし、なによりそのことで村八分にされることを誰もが恐れていたから。



……




オオカミ!!すぐにげて!!」



オオカミの群れに追われた羊飼い少年必死の形相で叫んだ。

村人たちはその声を聞くと一旦足を止め、やがて何事もなかったかのように日常に戻った。




http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20161122/k10010777991000.html

女装世界

http://anond.hatelabo.jp/20161123235437

ゲイ世界はあまり詳しく無いが、自分女装世界は詳しい。

意外とゲイ女装って別のコミュニティで、女装一見すると普通で地味な人が多い。

深く話すまでは、趣味女装していて、実は良識人で知的なんですよというフリをする。

女装する人たちの欲望は内向きなもので、ナルシスト人間が非常に多い。

自分の美しさを証明する、自分の優位性を確保する、そんな目的女装している人間が多いと思う。

社会では不当に自分は扱われていて、自分はちやほやされるべき存在

そういう想いを実現させる手段として女装をする。

時には、女性への恨みが深く、恋愛市場で不遇な扱いをしてきた彼女らよりも、女性的な魅力を持っていると確信することでその復讐を果たそうとしている人間もいる。

自分より綺麗な女じゃないと付き合えない、なんてセリフは掃いて捨てるほど聴いた。

 

ゲイ経験人数が多いのが特徴とあるが、女装援助交際割合が非常に多い。

どんなにおとなしそうでも、どんなに女装が似合っていなくても、パパのような人がついており、

服を買ってもらったり、コスメを買ってもらったり、女装ハプニングバーイベントに連れてってもらっていたりする。

趣味で始めたと公言していた子持ちの中年も、半年後にはSNSで「アナルマゾ奴隷です。男のご主人様を募集しています」だなんて書き込んだりしている。

子持ちだろうが既婚だろうが関係無い。猫をかぶっていても、最初ノンケだって言っていても一年以内には男性経験豊富になる。

 

若い年代に限れば、その世界は完全にルッキズム支配されており、容姿女性であるかどうかがヒエラルキーを決める。

特定地位までいけない者は女装世界に敗れ公の場を引退をし、個人間のやり取りで別のパパを探し続ける。

ある程度以上の者のうち何割かは、認めてくれている世界自分こそが真実自分だとおもうようになり、性転換まで行き女性世界一般人に逆戻りする。

中途半端な者はその世界にとどまり続け、経験が長い分女装評論家を気取るようになる。

ルッキズムが染み込んでいるので、時には、性同一性障害である人々を見下し、矮小な者として扱うようになる。

 

時々、本当の性同一性障害のコがその世界に迷い込むが、繰り広げられている惨憺たる光景を目にすると、すぐにその場から逃げていく。

ルックスという戦闘力マウンティングを繰り広げるその世界は、さながら男性的な世界とも言える。

 

一時期、女装ブームだなんて言われていた時期もあったが、その実情を目にした時、嫌悪感を抱く人間が続出することは想像に難く無い。

表面では仲良くしていても、コミュニティの裏側やネット掲示板などでは醜い貶しあいを続けている。

知り合うことで損をする人がたくさんいる。

一見すると特異で面白そうな人間に思えても、本当に関わらないほうがいいだろう。

表でどんだけ笑いながら趣味ノンケだと言っていても、裏でやることはやっているのだから

[] #7「少年と当たらぬ棒」

とある村に、とある少年がいた。

彼は気骨のある若者であると同時に、反骨精神溢れる若者でもあった。

手ごろな棒を片手に村を闊歩して、時にそれを振りかざして見せたり、或いは素振りをして見せたり。

そうやって、自分という人間を誇示するのだ。

しかし、そんな彼の粗野な振る舞いを、いつまでも村長が見逃すはずもなかった。




ある日、少年村長と年長者たちに囲まれて詰問された。

貴様は何をやっている」

少年は怯まず、取り繕うこともなく、屈託のない表情で答える。

「見れば分かるだろう」

小癪な態度に年長者たちは色めき立つが、村長は依然として訊ねる。

生憎だが、年ゆえ目が悪い。見ても分からぬ」

村長毅然とした返しに、若者はフンッとあからさまに不機嫌そうな鼻息を吹き付ける。

周りを威嚇するかのように、大きな体で腕を広げて見せて答えた。

「棒を持って村を歩いている。それだけだ」

「それだけ?」

「振りかざして見せたり、素振りをしたこともあるが、当たらないという確信があるときだけだ。実際、これで人を殴ったことは一度もないし、そんなつもりもない」

実際、嘘を言っていなかったし、故に心から自分に否がないとも確信していた。

「まあ、それでも当たる人間がいるとするならば、それは自ら当たりに行くくらいだが、それは自業自得だ。俺は悪くない」

どうだとばかりに口元を緩めるが、村長は依然としてたじろぐ様子も見せない。

「ふむ、無理やりやめさせてもよいが、出来ればワシもお前に納得してもらった上でやめてもらったほうがよい」

すると、おもむろに町長は近くにあった小枝を拾い上げると、少年の顔のまえに突きつける。

それは触れるような距離ではなかったが、思わず少年は身動ぐ。

更に町長は、小枝を持った腕を振ってみせる。

当たることはないのだが、その勢いに怯んだ少年は後ろに倒れこんでしまった。

倒れた若者を見下ろしながら、村長はまた訊ねた。

「さて、貴様の真似をしてみたが、どうかな?」

村長の突飛な行動に、してやられただなどと少年は思わない。

すぐに立ち上がると、「ふざけるな!」と怒号する。

「異なことを。腕を目一杯伸ばしていたのに、それでも小枝はお前から離れておる。その状態から腕だけ振ったのだ。貴様も、そのつもりで振りかざしたり、振り回したりしていたのだろう?」

村長言葉に、さすがの少年も悔しそうな顔をする。

貴様は『殴っていない、殴るつもりもない』などといっているが、本来そんなものを振りかざしたり、振り回す時点で問題なのだ

村長は畳み掛けるように話を続ける。

「さて、貴様が納得した上でここでそれを置いて帰るならよし。できぬなら、これから毎日貴様の前で我らは振り続けよう。もちろん当たらないように。貴様のほうから当たりに行くなら話は別だが、それは自業自得なのだろう?」

若者はとうとう観念し、八つ当たりするかのように持っていた棒を地面に突き刺した。




それから少年は気骨溢れる生き方をしたが、棒だけは二度と持つことすらなかった。

後に彼が村長となったとき子供たちに「棒を持つな」と言い聞かせていたという。

(エピローグへ続く)

2016-11-19

増田に書けばフィクションって事で済まされるよね! 34

まあこの時期はもう募集終わってるところがほとんどだと思うが、お正月巫女アルバイト

これは学生の応募がほとんどであり、さらに言えば、学生にとってはバイト先で痛い目見るのも社会勉強の一環とは思うんだが。

まあ神主様はとっても優しいので書いてあげよう。と思う。






<<   巫女バイト応募時の心得   >>






1:まず何で給料がクソ高いのかよく考えましょう





基本的に、巫女正月バイトに出す給料というのはかなり高い。正月しか来ない一見さんに払う給与と考えるとさらに高い。

高校生相手とかでも普通に一万くらい出たりもする。

で。

正月で。神社で。巫女恰好して。ニコニコ笑って。参拝者にお札だのお守りだの渡すだけで。

一万もらえる。

ま、そんな水商売みたいなボロイ仕事はないわなあ。

常識的に考えてないわなあ。

そんな美味しい仕事をわざわざ学生に分け与えたりはしないわなあ。

無論、ひな壇芸人のような、並んでニコニコ笑っている若い女が境内景色に欲しいからってわけでもない。

正月デカ神社境内巫女大勢ニコニコしてるのがずっと伝わってきた伝統からそうしているだけだろ、と言われれば確かにそうなんだが)

じゃあなんで給料がクソ高いのか。

それは単に死ぬほど働かされるからです。

皆が寝ている時間や年明けを祝ってパーリーしている時間に目ん玉おっぴろげて波打つ参拝者の群れと対峙し、朝が来るまでひたすら紙幣と神札類を交換し続ける過酷お仕事から給料クソ高いのです。

お仕事はよく想像してからやるかやらないか決めましょう。






2:アルバイトに応募する時は連絡先を伏せず、ハンドルネームではなく本名を名乗りましょう





ここまでくるともう社会常識の話になってくるんだが、社会に出てない学生社会常識持ってないのかよお前と言ってもしょうがない。

ちょっと話を聞いてみたい、詳しく話を聞いてみたい、そんな軽い気持ちで応募窓口に接触してくる方も大勢いらっしゃいます。それはいい。

話を訊いて大丈夫だと確信したら改めて個人情報を開示したい。そういう慎重さもこの現代社会サバイバルする上で素晴らしい姿勢だと思います

でも具体的な話を聞く段階なら連絡先くらいは伝えましょう。こちらから連絡できません。

ハンドルネームを名乗るのではなく本名お話しましょう。アナタのお名前呼べません。





3:察してもらわずにちゃんと用件は最後まで言いましょう





日本人はお察し上手。そして日本サービス業お客様第一

から別にいつも最後まで喋らなくても、周囲の人々はアナタ意向を察して先回りして対応してくれます日本人はとっても親切。

でもお正月神社はいろいろな人が来ます普段神社に来ない人も来ます

要するに、上品で親切で敬意と謙譲を忘れない、普段神社に来るようなタイプの人々…それ“以外”の層も来るという事です。

参拝者相手に限らず、職員間においてでも、つまらない些細なコミュニケーション不足が致命傷となり得る状況があっさりと巡ってきます

報告連絡相談はし過ぎるくらいで丁度よく、態度ははっきりしっかりと、言葉台詞はちゃんと最後まで喋る。

バイトから問題ないと思って責任感のない仕事をするのは別に構いませんが、もらう高い給料分くらいの責任感は持って働きましょう。





4:アナタがどれだけ巫女服が似合うか、どれだけ有能かに神社は一切興味ありませんが、アナタ時間通り出てきて求められた仕事キッチリこなす事にはとても興味あります





応募時に能力アピール。いりません。

履歴書めいた画像写真。いりません。

巫女服風コスプレ画像。いりません。(←これから応募しようというバイト先の人間全員をコスプレと暗に切り捨てていくスタイル

一般的営利業務におけるアルバイト募集に対してそれらのアピール価値あるものなのかもしれませんが(…そうか?)、神社には必要ありません。

大昔から毎日毎日、決まった時間に決まった事を決められた通りに行い続ける神社において。求められる人材とは、まず決まりごとに従う人間です。

指示をよく聞き、決まりごとには従いましょう。





5:思い出ジャンキーにはならないでください





“このアルバイト経験はきっと、いい思い出になるはず”。 その志望理由だけを武器正月という怪物と戦い抜こうとするのは、ちょっとつらいと思います

“せっかくの珍しい経験から、何かを持って帰らねば”。その意識高さが生かされるのは恐らく、もっとゆとりある忙しくない職場であるかと思われます

業務に集中しきれない余念が渡し忘れや勘定ミスを生み、何よりもアナタの思い出をだいなしにしたり、意識高いアナタ自己評価に傷をつけたりします。

思い出はずっと後になって振り返った時に遠くから綺麗に見えるくらいでちょうどいいのです。目の前の業務に集中しましょう。








いや、本当に色んな人が来るもんだ。

2016-11-17

この世界の片隅に」は「ものすごい」作品

この世界の片隅に」を昨日観た。昨日は感想を言える状態ではなかった。

まだ自分の心をまったく整理できる状態ではないけれど、感想を書く。

この感想が人の目に留まる可能性は少ないと思うが、もし未見の方がおられたら、この感想を見ずにまず映画を観ていただきたい。ストーリーネタバレほとんどしていないが、これから私の書く情報がない状態で、この映画体験してほしいので。

また、この文章自体興奮冷めやらぬ中書いているので、改めて落ち着いたり再見して考えの変わることもあると思うが、整理されていない最初の印象というのも重要だと考え、勘違いなどがある可能性を承知の上で書き残したい。



この世界の片隅に」は「ものすごい映画」だった。「良い映画」「泣ける映画」ではなく、「ものすごい」のだ。

私もいい年なので、良い映画、泣ける映画を観て涙ぐんだ経験はある。しかし、映画の印象的なシーン一つ一つ思い出す毎に涙がこぼれる映画が、この世に存在するとは思わなかった。

この映画を「観た」というのは正しくない。この映画は「体験する」映画だ。映像・音声の中にちりばめられた何かが作用して、主人公すずの人生を観客が「体験させられる」のだ。だから、後でいくつかの印象的なシーンを思い出すだけで、何かしら感情が「あふれざるを得ない」のだ。

ストーリー自体は、複雑でも何でもない。あらすじだけ読んでも、たいして感動するポイントがあるわけではない(まあ、あらすじとはそうしたものだが)。戦時中の設定であり、ましてやあの広島を題材に採っているから、何かしら悲しいシーンが入ってくることは予想できるし、邪推して「お涙頂戴映画だろ」と言うことはできる。そして、実際にそういうシーンはある。しかし、この映画のすごさは、私が思うに、そういう大枠のストーリーのものではない。

観客は、主人公すずの人生を、バーチャルリアリティのように(と書くと厳密には間違っていると思うが、他に言葉が浮かばない)「体験させられる」のだ。広島と呉の人々の営み、嫁入りした先での苦労、鳴り響く対空砲、町と軍艦を焼く敵機の容赦ない爆撃、無慈悲な時限式爆弾の爆発、そして原爆かがやき衝撃波楽しいこと、嬉しいこと、誰かをいとおしいと思うこと、不安、悲しいこと、喪失感、悔しさ、怒りも、観客は「体験」させられる。それも、普通映画とは違う、もっと深いレベルで、だ。

そのような「疑似体験」が観客側にあればこそ、一見物語上盛り上がりのないシーン、いわゆる「泣き所」ではないシーンの一つ一つを思い出して、涙がこぼれる。だからこの映画は、映画を観ている時だけでなく、印象的なシーンを(喜劇的なものであっても)思い出すだけで胸に迫るものがあるのだ。

昨日、家に帰って虎の子の古備前徳利で酒を飲みながら、「この世界の片隅に」に関する映像片淵監督、主演ののん氏のコメントなどを読み漁った。当然、いくつかのシーンを思い出す。そうするともう、ただもう「思い出す」だけで涙がこぼれるのだ。

私の人生で、こんな思いをさせられた映画は、他にない。

体験させる」仕組み・仕掛けについて、私には残念ながら分析する能力知識も不足している。ただ、映像音楽にちりばめられた何事か(例えば入念な取材に基づく非常に精緻映像や音声など)が、言い方は悪いが催眠術サブリミナルのように観客に「効いて」来るのだ。

非常に限定的な例えで悪いが、漫画ジョジョの奇妙な冒険」に出てくる登場人物である岸辺露伴スタンド能力ヘブンズドアー」。露伴漫画を読んだ人を本に変え、その人の記憶を読んだり、書き込みをすることで人を操ることができる能力。私にとって、この映画は、そのうちの「書き込みをすることで人を操る」に近い影響力を発揮した。しかし、それは何らかの超能力によって発現したのではない、片渕監督が、資金のめどすら立たない6年前から、おそらくある確信をもって様々なものを積み重ね、それに対してスタッフキャストが力を発揮した結果なのだ。私は、その事実に身震いする。こんな「効果」を持った映画が「ものすごい映画」でなくて何なのだろう。

私は昨日youtubeに挙げられた公式の「予告編」の、すずと周作のキスシーンだけでも何度も泣いた。話の展開的に、このシーンが、いわゆる何らかの悲劇の「フラグ」というわけでも何でもないのにも関わらず。普通の「泣ける映画」であれば、、この後周作には何らかの不幸が起こらねばならない。しかし、この映画ではそうはならない。しかし、それでもこのシーンが私には泣ける。

なぜ、私はこのシーンで泣いてしまうのだろう、と私は酒を飲みながら考え、そして気が付いた。この映画で得た「体験」は、それほどに強く主人公すずの人生を私の心に焼き付けてしまったのだ。それは、「すずの人生が我々71年後の日本人と地続きである」というレベルを超えている。これは、私の人生の中では「異常」な体験だ。

大げさなことを書いてしまうが、私は上記のことをもって、この映画が、人類が到達可能なある限界点に到達したか、少なくとも片足をかけている世界最初映像作品ではないだろうか、とすら考える。少なくとも私は、このレベルに達している映画を他に知らない。

(もしかしたらごく短い映像作品では世界のどこかに存在するかもしれないと想像はする)

実は、わたしはこの映画原作は未読である。私が体験した要素が、どれだけ原作から来ているか現時点ではわからない(原作はもちろん今後読むつもりだけど)。

この映画も一回観ただけで、いろいろ取りこぼしや考え違いもある可能性は高い。特にストーリーに対する評価がまるでできていない(これも重要なはずなのだ)。

また、万人に私と同じような「体験」を保証することもできない(そもそも万人向けの作品など存在し得ない)。

それでも、このアニメ映画が「ものすごい」作品であることは、疑いない。そしてこの映画はその「ものすごさ」ゆえに「尊い」。まさしく、神の技に到達した、少なくとも手をかけた奇跡的な映画なのだ

おっぱいってあの中にいっぱい夢が詰まってるのに今の日本語表現力は貧弱だなーと

おっぱい確信

おっぱい(懐疑)

おっぱい(感嘆)

おっぱい(狂喜)

おっぱい(納得)

おっぱい機微

おっぱい哀愁

おっぱいおっぱい