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はてなキーワード: マルクスとは

2012-02-07

産業構造が昔と大きく違っている中で、「道徳を涵養していけば、道徳に忠実にやってくれる人が多くなる」

と思うのは見当違いです。とくに若者はそんなことは考えていませんから処方箋をいくら出しても、

強制でもする以外、そうはならないでしょう。強制すれば、また違う害が出てくることは明らかですから、強制もできません。



「こういうのがいいんだ」とわかっていても、そうはできないし、そのとおりにはならないのが現在の大きな問題なのです。

やる人がいないし、耳を貸す人もいません。もしいてもそれは少数だけで、根本的な解決にはならないでしょう。



長く人生を生き、戦前・戦中・戦後一定視点人間というものを見ていると、どうも人間というのは、なかなか向上しない、

立派になりにくい宿命を背負った存在ではないかと思うことがあります戦争のような大きな悪の中では、

個人個人は倫理的で善良になり、平和の中では個人個人が凶悪になっていくという矛盾があります



かえって人間としては時代を経るにつれて低下していくような気がしないでもありません。戦争から比べると、

現在はご飯を満足に食べられ、家柄や男女にかかわらず行きたい大学に行け、やりたい仕事に就ける夢のような時代になったはずです。



しかし、欲望がすべて満たされたら満たされたで、人間はまた悩み始めているのかもしれません。



あれほど未来性を持ったマルクスのような人でさえ、人類がこのような時代に直面するとは予期していませんでした。

世界の現状や個々人の考え方や生き方がこうまで問題の多いものになるとは思っていなかったと思います



いまの状態は、社会主義国だと言っている国も、資本主義国だと言っている国も

そう変わりばえのあるようなことをしているわけではありません。ひと昔前に声高に論争しあった思想や政治システムといったものよりも、

人間性や人間本質のようなものが生み出すものや、人間性そのものが問われる時代になっているのではないでしょうか。



そういうことを考えていくと、現代は人類がかつて体験したことのないまったく新しい状態まできているということになります

しかすると、これから先、歴史の繰り返し以上に人類はだめになる危険性もあります



残念ながら誰の考えをたどっていっても、こうまでは考えていなかったろうと思います。これから先のことは、

自分たちで新しく考えていくより仕方ありません。



よさそうでかつ害のなさそうなことをやる、小規模でもやっていくということ以外にこの新しい時代対処する方法はないように思います



これは、科学的に社会のことを考えてきた人も想像していなかったろうと思います。そこが現在の一番の問題かもしれません。



一つはっきり言えるのは、いいことをいいと言ったところで無駄だということです。それは歴史が何回も証明してきました。

いかいかではなく、考え方の筋道を深く追わなければ、問題の本質が見えてきません。考え方の微細な筋道をたどっていかないと、

解決の糸口を見失ってしまうでしょう。



何はともあれ、いまは考えなければならない時代です。考えなければどうしようもないところまで人間がきてしまったということは

確かなのです。人間というのは善も悪もやり尽くさない限り新しい価値観を生むことができないのかもしれません。いま、

行き着くところまできたからこそ、人間とは何かということをもっと根源的に考えてみる必要があるのではないかと思うのです。

吉本隆明「真贋」より

2012-01-22

[]

クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭 - リチャード・フロリダ


池上彰講義時間 高校生からわかる「資本論」 - 池上

資本論世界 (岩波新書) - 内田 義彦

理論劇画 マルクス資本論 - 門井 文雄

資本論〉入門 - デヴィッド・ハーヴェイ

面白いほどよくわかるマルクス資本論―計画主義経済の利点とその問題点 (学校で教えない教科書) - 土肥

社会科学方法ヴェーバーマルクス (岩波新書) - 大塚 久雄

法の哲学〈1〉 (中公クラシックス) - ヘーゲル

論理学 上 改版 (岩波文庫 青 629-1) - ヘーゲル

完全解読 ヘーゲル精神現象学』 (講談社選書メチエ) - 竹田 青嗣

野生の思考 - クロード・レヴィ・ストロース

レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書) - 小田

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス) - レヴィ=ストロース

強く生きるために読む古典 (集英社新書) - 岡 敦

2012-01-13

幸福の科学モンハンに似ている

「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。

貧乏性から読んでみたけど中身スッカスカやなぁという感じ。

ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。



幸福の科学モンハンと似ている

彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。

というか、そもそも自分宗教団体に属しているという認識が薄いようです。

あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。

それよりも、ボランティア組織などがすごいらしく、

彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学グループだった、とかその程度らしいです。

社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。

自分の中でのイメージは、「幸福の科学は、モンハン」です。

そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。




以下「救世の法」から面白げなところピックアップ別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ



幸福の科学宗教争いの勝者である

世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました

幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています

世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。


幸福の科学が前提とする真理

人間本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります

 しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます

人生を生きるにあたっては善悪なるものがある。

 地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。



なぜ宗教は必要なのか

上記の真理に反すると地獄に落ちてしまます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。

霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。



エル・カンターレってなんぞや?

エル・カンターレ世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。

魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドブッダを越える大きな使命を持っています

そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。

私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。

なぜなら、私は創造そのものからです。私はこの地球創造力の顕現であり、この大宇宙創造力なのです。

これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。

クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。




真理を多くの人に広めるにはマーケティング意識する必要がある

他力信仰を説かない宗教は、あまり大きくならない。

他力の宗教マーケットは自力の宗教十倍あると言われています

わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります



なぜ政治活動を開始したのか

2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。

この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります

この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。

店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています



地球温暖化の原因

本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。

地球はやがてフォトンベルトからます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います

むしろフォトンベルト地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。



子ども手当を支給するよりも大川隆法の本を支給すべき

国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります

本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、

これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。

今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく



どうして幸福の科学を信じる必要があるのか

日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。

アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。

こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています



幸福の科学には他の宗派にはない救いの力がある

漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。

しか幸福の科学経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます



親鸞の教えに詳しい人ちょっと来い

信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。

わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります

また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。

死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分存在しないのですから何の損もないでしょう?

わたしの言葉を信じる人の場合あの世があるとき利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。

親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。

そして、わたしと一緒に地獄修行しましょう。


今は地球レベルの教えが説かれなければならない時代

幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。



慈悲こそが未来キーワード

慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。

運命は自らの力と努力によって創りだすことができます

ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。

そして平和を愛し、平和な人々を愛して下さい。

他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。

そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。

そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。

慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。

そのために人はみな修行をする必要が有るのです。



第三章から五章がおもしろすぎて生きるのが辛い

さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。

インド中国日本アジア三国志

ミハエルムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。

九次元霊マニがゾロアスターアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。

霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本から松下幸之助坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!

争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。


読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め





おまけ

幸福の科学グループのご案内。

基本理念三本柱。 愛・悟りユートピア建設

主な活動は以下のとおり

海外支援・災害支援」

自殺者を減らそうキャンペーン

「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア

学校法人 幸福の科学学園滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。

仏法真理塾 サクセスNo1」

不登校児支援スクール ネバーマインド

いじめからこどもを守ろう!ネットワーク

幸福実現党」で政治活動

幸福の科学出版

入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。

さらに信仰を深めたい人は三帰誓願式を受けることができます

月刊会員として「植福の会」に参加できます一口1000円からお布施をすることができます

2011-10-22

内田樹の使い方

この人は問題分析のウチ、

1問題指摘と

2関連の文学素養を

バラバラに分解した上で、別のものとして摂取するべきだな。

つのつながった文章と考えるからおかしいのであって、要素要素はレベルが高い。

解決策部分は全く期待しないほうがいい。




http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php

ふざけんな。

内田樹の中にあるゴーイング・コンサーンの前提はなんとかならんのか


弱者の切り捨てに対して効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが「連帯作法」というものを見失ってしまたかです。どうやって同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちと連帯すればよいのか、その方法を知らないのです

ここは素晴らしい。

平等・自立・団結」がワンセットで在るということを指摘している点は慧眼だと思う。

平等だけを主張することは不可能だし、自立のみ、団結のみというのも不可能であることを上手に説明されている。

これはネット出現以前のコミュニティ大原である。この原則を違えるとモンペとかバカ民主党みたいなことになる。

ネットが出現しても人が人であるかぎりそう変わるものではないだろう。とても大事な事である




ただし

それは彼らの責任ではありません。それは私たちの社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできた「イデオロギー」の帰結だからです

は論外。上のことがわかっていて、なぜイデオロギーの問題だけで解決できるように語るのか。

本当に、この人のこういうところは本当に、困ったところだ。困ったちゃんである




でこのあとはいもの贈与の話。

この人の指摘がいつもずれてるのはなんでかなーと思ってたんだけど

この人は結局のところいつまで経っても社会が存続すると思ってるんだよな




贈与の考え方ってのは大前提として、社会が安定したまま続く状態がある。

余剰は必要としないが、関係性が維持されていることは絶対に必要な条件だ。

後に自分の何かを残したい、引き継ぎたいって思う対象がいなければその発想は生じない。

むしろさっさと全てが壊れてなくなってしまえって思ってる時に贈与の発想なんてクソみたいなもんだ。

希望戦争」とまで言わなくても「何ものこさずにひっそりと消えたい」とか「何一つ引き継がないことで今の世を否定する」ことにしか希望がないひともいるんだ。





もっとはっきり言おうか。

若者の問題を論じる場合、先に親の世代が病んでることを論じるのを避けるほどアンフェアなことはない。

それは遺伝性の病気に対して、子供がその病気にかかっていたら、子供責任があるように語るほど間抜けなことだ。

自分が生きることで精一杯で、自分が生きるために子供を殺す親がたくさんいることについてはどう考えているんだ?

局所的に見たら、その過程ではすでに戦線崩壊している。どうやっても持ちこたえられない。

その状態で、なお若者戦線を死守しろという指揮官があなただ。

それは無能ではないかも知れないが、残酷であるという自覚はあるのだろうか?

私には後方でふんぞり返って最前線を見ていない無能な指揮官にすら見える。




彼にはどうせ答えられないだろう。

そんなに連帯大事で素晴らしい物なら、なぜ連帯がうまくいってた彼ら団塊世代はいまこんなにも老害晒しているのか。

彼らが連帯して世の流れに反発しているという視点をなぜ持てないのか。

なぜ「大人」のやってるというだけでそれが幼稚な反抗という評価を免れることが許されるのか。

なぜ「若者」のやってるということだけで未熟であったり不足という評価をつけることを当然としているのか。

そういうことに彼の論法では全く答えられない。

そしてなにより、連帯プラス要素もあるが、マイナス要素も多分にある。むしろ停滞期には負の面が強く出る。

それも多分彼はわかっていて、とぼけているのだ。なんともずる賢いことだ。




この人が解決策を論じるために書いているなら、まず話を若者からすたーとするのも良かろう。

しかしこの人は問題しか論じないのだ。解決策はいつもイデオロギー的な理想論に終止するのみだ。

ソレにもかかわらず、この人は若者の話しか取り上げないのだ。自分が含まれる大人たち、老人たちについては触れようとしない。

そこに大いなる欺瞞がある。そしてこの人はそれに対して自覚的だ。自覚的であるから文章のテクニックを用いて読者をけむにまく。

問題を責任者のない不可避の現象として表現し、問題について責任者存在を隠匿した後で、解決の部分だけ責任若者に割り振ろうとする。




社会の存続に必要な「少子化」に絞ってもご覧のとおりだ。怒りを通り越してうんざりしてさらに一周して怒りを覚える。

本当に頭のよい人というのは、自分立場をまもるためにここまでやるのか、と唖然とする。

http://blog.tatsuru.com/2006/11/11_1038.php

http://blog.tatsuru.com/2007/02/01_1103.php

http://blog.tatsuru.com/2009/09/13_1040.php


この人はとにかく卑怯だと思う。さすがマルクスの信奉者といったところだが、私はこういう小賢しさが大嫌いだ。

一度でいいから、マスコミ若者アメリカ陰謀以外に責任を割り振るのをやめて「私はコレについて責任を持つ」と書けよ。



もっとも、処世術としては、自分が何について責任を負うかについては自分より偉い人にのみ語るのが正しいことだ。

大衆や目下の者に対してそれを語り、そのとおり実行しても彼らは自分に報いてくれるわけではないからだ。

自分責任は、自分とソレより上の者の間で共有し、下のものには結果のみを示すのは何も間違いではない。

ハックルさんみたいにところかまわず自分の使命を吹いて回るのはキチ○イである

しかし、自らの周囲との関係を重視して、大通りに出て狂人あるいは政治家として振る舞うことを避けるのであれば、他人に対して責任を強制する資格はない。 この人は無認可で街頭演説する政治家みたいでたちが悪い。



結局のところ、贈与云々を言ってる人が、誰よりも計算高く、出し惜しみをしているというところがオチなのだ。

若者が求めているのは年寄り説教ではない。年寄りが何らか社会の問題にコミットする姿勢を見せることである

欲しくないものばかりあたえて贈与だというのはおかしい。

今は価値が分からなくても将来は、とか、この贈与の価値がわからないのはバカだなどと言い出すならばハックルさんと同レベルである




ちなみに、冒頭のタイトルと反するようだけれど、私は内田樹の著書のファンだ。著書は大好き。

ためらいの倫理学日本辺境論はまじ名著だと思うの。

さらに繰り返すがこの記事において平等・自立・団結」がワンセットで在るということを指摘している点は慧眼だと思う。

からこそ、その慧眼の使い方、つまり彼のメンタリティの部分が気に入らないという話なので誤解のないよう。

2011-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20110911161716

昼休憩中に自己トラバ

けけけ。逮捕されたのはたったの12人か似非反原発のバカどもが。しかも「不当逮捕」だの何だのと。現地の平穏な住民が本気出して警察通報してれば、もっと増えてただろうにな。

それだけの事を実際にやってただろ。住民が知らぬ存ぜぬを通すとでも思ってるのか。

しかし自覚が無いんだ、アカい豚の内臓の老廃物どもはね。あいつらはおっぱいの大きなマママルクスのご本を読み聞かせられて育った腰抜けの神経症で、印鑑をつくために朱肉にトントンするのは必ず4回と決めてる(5回する奴はスターリンの手先だ)。ちびっこ野球試合では監督に大声を張り上げてピッチャーを志願し、うまく投げられずにパパに泣きついたら、いつの間にか試合自体が無くなった。高校時代に憶えた「自己批判せよ」を中野キャンバスで自慢げに連発し、どうにも浮いてしまった時に出会ったのが今の同志で、プレゼントされた「Z」だか何だか書いてある薄汚いヘルメット家宝ってな。



トラバしてくれてる人が居るみたいだけど、ごめんね、俺は書きたい事を書くだけに留める。俺は昨日のデモ見て本気でムカついてて、ここに吐き出さなきゃ収まりがつかないのだ)

2011-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20110821052717

それ単なる嫌儲主義だろ。

儲けてるやつ見て胸糞悪いんだったら共産主義国家へでも行け。

んでマルクス万歳ってやってろっつーの。

2011-08-07

カオスランジのこと いろいろ疑問

大分話がでつくしてきたようなんですが、ここ4、5年日本現代思想コンテンポラリーアート業界にうとかったので、色々、わからないこと疑問になっていることでてきました。


カオスラウンジ宣言、これはなに?

無尽蔵に、彼ら的な言葉でいえば機械的に、作品(前芸術てきなものも含めた)が創造されていくネットアートにすると。「ネット」と「アート」の分断を克服すると。

ただネットというのは結局現象ですよね。ファインアート意味的に作品にはならない。

ある意味でその非・固定、永久に、automaticallyにつくりつづけられるシステムとしてのネット、を、どうしてピンで昆虫採集みたいに物理的に止めてしまうのか?そうしたらもうそれは『ネット→現象』でなくて『アート→作品(芸術としての)』への変換にすぎないんじゃないの?

いちばんよくわからないのが、東氏がいうところの、いわば郵便的可能性をネットがもっていると、そういうところを、まあアートでやると。

で、その郵便的な話をちゃんと喋れる東氏が理論的に助けててどうしてこんな単純なことに気付けなかったのか?????

素朴に疑問。


ネットアートの分断を克服する?

前段の疑問を百歩ゆずったとして、そもそもネットアートを分断を克服するって?分断していたの?

このへんがよくわからない。

ふたばとかPixivが、機構としてコミュニケーションの速度と多様性を支援しているのはわかるんだけど、それってカフェや飲みや、パーティーなんかで芸術家出会ってベラベラしゃべったり酔っぱらったり、その場でなんかやってみたりしてたのと、構造的に同じではないの?そーいう場にたまたまいた人が一緒にもりあがって、なんかになっていく感じも同じだし。創作過程という意味では全然分断していない。

彼らは発表の機会が云々とかいっているのだろうけど、そういうカフェや飲みやで話したりドンチャンしたことが作品?Pixivではポートフォリオとして使っている人もいるけど、ポートフォリオは静的で、彼らいっているところの機械的につくりつづけられるネットの有り様ではない。

加えてもしここでいうところのアート近代的な(ファインアート伝統の延長線上にある)アートではなく、語源としてのアート技術創造そのものとしたら、ギャラリーネットにある作品をわけることは始めからありえないんじゃないの????

これはどうしたいんだ??


アーキテクチャ

カオスラウンジ宣言に出てくるアーキテクチャという概念を東氏は引っ張っているようだけど、これってなに?

システムと力の話?ということはマルクスの疎外とフーコーの力と、構造主義ポスト構造主義における社会への眼差しがやってきたことをまぜて焼き直しただけ?

浅田彰が「そんなことはもうやってきた」ってのはそのとおりじゃないの?

なにがしたいの?


最初お祭り騒ぎなのかーっと自分も参加して面白かったけど、なんだか疑問ばかりになってきた…。

誰か説明してほしい…。モヤモヤ

2011-08-02

日本外国人に乗っ取られたって別に構わないと思ってしま自分売国奴かもしれない。

ローマ帝国ゲルマン人の流入がなかったとしても、やっぱり滅んだと思う。

外国人に乗っ取られる!」

ネットで力強く叫ぶ人たちがいるけれども、まあ、このまま行くと外国人抜きに、どのみちこの国がゆっくり沈むような。

ローマ帝国場合自作農の没落、農奴化とかいうふうに説明されたりしたけど、その説明も間違ってはいないけど正解でもない気がする。

中流層が没落しなくたって、やっぱり滅んだと思う。

社会科の教師ってマルクスにかぶれてるからそういう説明が好きだけど。

とにかくとして、今の日本にあてはめて

「中流層が没落してるからいから、中流層を復活させよう!」

も間違いだと思う。

じゃあどうすればいいんだよってとこだけど、なるようになるというか、なるようにしかならんというとこじゃないだろうか。

あいいじゃん。

昔に比べたら日本人の顔付きだって体型だって生活様式だってずいぶんと変わったけど、別に気にならないじゃん。

イスラム教国になろうが、公用語英語になろうが、中国の一つの省になろうが、住めば都だよ。

2011-06-21

BI論者に質問したいんだけど、いいかな。

ベーシック・インカム精神そのものには、私は反対の立場じゃないんだけど、どうしようもなく疑問なんで答えて欲しい。



BIの導入に伴う問題点として、税収の絶対量についてはこの際論じない。それ言えばキリがないので。「国債自己引き受けで余裕さ、地球の自転が止まらないように輪転機も永劫を輪廻するのさ」という前提を置いておく。お予算の問題は、無いものとしての議論。

その上で、まぁBIを導入したとする。日本人口一億2000万人×10万(仮にね)×12ヶ月のカネがマーケットに流れていく。すると、まぁ需要は喚起されるよね、間違いなく。みんながどんどんお金を使い、市場マネーで潤いこの世の楽園となる・・・んだろうか?

疑問は二点ある。

一点目は「喚起された需要が果たして国内に向かうのか?」ということ。我々の消費生活は、多くの場合輸入に依存している。中国産製品、例えば100均ショップにある小物類のお値段は、つめ切り一つにしても国内生産ものの四分の一とかそんなものだ。現時点でも、高品質・高価格帯を除けば国内生産品はほとんど壊滅に近い惨状にあると言っていいと思う。これは、皆さんが周囲を見渡せば容易に理解されることだ。メイドインジャパンチェア増田を嗜むブルジョワ御仁がどれだけいるか

すると、国内マーケット供給されたマネーは個人の消費性向の問題として、国内を潤わせることなく海外へと流出していくのではないかインドの綿製品が流れ込んだイギリス状態になる気がするのは私だけかな。

例えば、日本銀行最近になって通称「成長基盤オペ」と呼ばれる金融政策を打ち出している。これは、銀行にどれだけカネを供給してもマーケットに出て行かないことに業を煮やした白川さんが、「じゃあピンポイントヒモつきのカネをブチこんでやるよ!」という、局所療法に出たわけだ。これは、理解しやすい。しかし、それに対して全く逆の効果を持つのがBIではないか

確かに、総量緩和による政策は果てしないマネー預金に積もらせただけで、観念バベルの塔を築く以外にはほとんどなんの効力ももたらさなかった。しかしまた、同様にグローバル化世界において民衆にカネをばらまくことは、海に向かって魚を放流すること以上の意味を持ちえるのだろうか。もちろん、マグロ近海を泳ぐようになるならいい。しかし、そのイワシは大方が真っ直ぐ中国に向かってしまうのではないか


もちろん、魚を囲う「網」になり得る可能性は存在する。マネー総量の爆発的な増加による円安傾向、並びに通貨価値の下落(これを、通貨信認の毀損と呼ぶことも出来るが、それはめんどくさい議論になるので後述。また、「バーナンキ背理法は間違っている」という可能性も排除する。)これが天然の関税として作用する可能性はないか

円の価値が思いっきり落ちて1ドル150円になったとする。確かに輸出産業は活況を呈するだろう。しかしその一方、我々の消費傾向が国内回帰する可能性はあるか?私は難しいと思う。仮に、中国産製品の値段が二倍になったところで、それでも我々はメイドインチャイナ椅子に座り、メイドインチャイナのつめ切りを使うのではないか

この段階で、議論はフィフティ・フィフティだ。どっちに転がる可能性もある。輸出と輸入は美しいバランスを保ち、冷戦構造のような調和ある対立を得るかもしれない。しかし、BIの性質そのものメイドインチャイナを強力に後押しする可能性を考慮して欲しい。というのも、こういうことだ。労働価値というのは、A・スミスの慧眼が予見したとおり通常市場における神の見えざる手で決定付けられている。それに対して、半ばマルクス的な色合いを持つ「最低賃金」や「基本的人権」の観念、ひいては労働法規がその下限を決定付ける。翻ってこのBIの制度、これはかなり強力に労働単価を引き上げる効果を持つのではないか

平たく言えばこういうことだ。働かなくても食える世界で、時給640円で働く労働者存在し得るか?ということ。これは、人間の性質に関わる議論なので、ソヴィエト連邦国家運営がうまくいくかどうかと同じくらい「やってみないとわからない」。しかし、偉大なるレーニンやサン・シモンに敬意を払った上のこととしても、私は多分ダメだろうと思う。いや、ダメだろ?BIには、鎖国、ないしは強力な関税政策が必要になる。

そして、更なる恐怖がBIには待っている。これが疑問の二点目だ。それは、わが国の根本的性質に深く関わっている。

それは、わが国は「カロリーベースですら食料が自給出来るか微妙」ということ。そして、更に絶望的なるもう一点。「資源がありません」ということ。円高になればなっただけ、輸入コストは増大する。これに更に追い討ちをかけたのが先日の震災だ。原子力抜きで、エネルギーの自給が果たして出来るのか?1ドル150円になれば単純計算ガソリンリットル300円くらいだろうか。さて、果たしてこれはどうなる?

企業家にとっては恐ろしい未来が待っている。労働単価は高止まりし、原料費は高騰する。こうなると、「円建てで取引するのがそもそも間違ってんじゃないか」という思考に陥る可能性すらある。折角需要が喚起され、天然の関税障壁に守られたかに思えた国内生産品も価格競争力を持つことが全く出来ない。

そして追加的な怖さはこれだ。確かに、私もバーナンキ背理法は間違っていないだろう、と思う。確かに、マネーの総量が経済に影響を「与えない」と仮定するなら、世界はすぐに楽園になるだろう。なるほど、どこかで必ず飽和点は訪れ、円高は終わりを告げる。問題は、緩やかに落ちるかキリモミ落下して地面に突き刺さるか、だ。確かに円は高い、しかしわが国の財務状況は決して明るい未来を指し示してるとは言えない。つまるところ、通貨バブル国債バブル(私は現在の状況をそう認識しているが、これには異論があるかもしれない。むしろ、通貨の絶対価値とはスイスフランによって計測されるべきである、という考え方に対しては一理を認めるしかない)が大爆発するリスクはどうだろうか。BI,とはベーシックインカムである。それは、やはりベーシックインカムと呼びえるだけのキャッシュフローでなければいけない。しかし、それだけのマネー市場に放った結果について、我々は誰も知りえない。バーナンキ背理法は「リフレ政策の効力を約束した」わけではない。むしろ、「長期的に人は必ず死ぬ」といったニュアンスに近い。老衰で死ぬか、腹下しで死ぬか、爆散して骨も残らないか、誰にもわからない。

以上の観点から、私はBI制度が成功するとは思えない。

しかし、これは端的に私の知識不足、ないしは知能・理性の絶望的不足に根ざしている可能性も否定できない。

私は、BIの精神性を否定しない。むしろ高く評価するし、すばらしいと思う。ここがウクライナだったり、あるいはアルゼンチンであるなら、是非にもやるべきだと思う。また、日本産油国であればもっといい。しかし、そうではない。

ベーシックインカム論者の反論を求む。

あ、ごめん。労働単価の高止まりの根拠として、「BIは高税率が回避できない」ってのがあった。多少働いても、まぁかなり少なめに見積もっても半分は税金で持ってかれる。厳密に計算したわけじゃないけど、「どんなに少なくても」それくらいは要る。労働意欲の喚起はかなり難しいだろうと思うよ。

2011-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20110619125915

詳しくないけど、著者の著書リスト見るとマルクスのことも書いてるね。

ググった限りではマルクス主義者かどうかは判断付かない。グレー程度。

まあ、ルソーマルクスヒトラーは同じ思想を持っていたという説もあるくらいだから

そういう人がフランス革命を書くとそうなるよね。

2011-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20110611232237

“「モウタクトウ」と言えば「シセン」と言えば通じると思っている日本人”は相当のアレだと思うが。

赤ん坊の臍の緒が、母親の臍と繋がっていると思っている人の数くらいはいるかもしれない。)

元増田が言うように、毛沢東=Mao Zedongくらいは知っておいても損はないと思う。逆に知らないと英語の文献読む時に困るだろう。

からといって、カタカナ表記は微妙ではある。マオツートンという表記は、いまいち間抜けな感じがして好きではない。

そもそも、中国語は、四声、Uウムラウトの発音、ケンゼツ音、有気音・無気音など日本語では表現できないので、モノによっては原音と乖離すること甚だしく、人民乖離するよりタチが悪い。原音表記したところでウソになってしまう。こういうところはハングルの表音力がうらやましいところだ。

先生ルーシュンじゃなくて、Lu Xunです。Lu Xun。いえ違います。Lu Xunです。いややっぱり違います

Luも、Xunもちゃんと言えてません。発音も声調も違います先生怒らないで下さいよ。

はい。わかりました。先生。もう無理に中国語話すことないです。ロジンっていえば私ちゃんとわかりますから

発音もさることながら、まず中国についてもっと教えるべきだと思う。お隣さんなのに知らなさすぎだ。お互い様ではあるが。

毛沢東選集4巻全部読めとは言わないが、老三編くらいは読んでも悪くあるまい。

中国の偉大な作家魯迅だけじゃない。老舎、巴金、丁玲、茅盾、いくらでもいる。中国の懐は深い。中国を知ること其楽無窮!

英語マオザドーン!(英語圏の人はけっこうそういう風に発音する)と言われて、毛沢東のことだと分かるのは出発点としては大事であろう。

しかし、中国人が、Mao Zedongと発音するのを聞いて、天安門にかかっている肖像画だとか、百元札とか、一切の反動派は張り子の虎だとか、女性は天の半分を支えるとか、戦争は血を流す政治だとか、あの書法とか、あの「雪」という詩とか、東方紅メロディーとか、タバコのヤニで真っ黒な歯とか、胸の皮膚に直接刺して止めるバッチとか、さまざまな記憶が一気に思い出されるような日本人がもっと増えてほしいと思う。

こんなのは中国語勉強すれば済む話であるが、日本義務教育化するのは大人の事情もあってすぐには難しかろう。

たった一つの冴えたやり方は、英語教科書に、中国現代史文学史を掲載することではなかろうか。

Mao Zedongが、Hongjunを率いて、Long March やりました的な話にして。べチューンとか、スノー、スメドレーあたりを絡ませると面白かろう。ちょっとさかのぼってパールバックあたりを出してもいいかもしれない。北京は、Beijingということが分かるだろうし、アヘン戦争あたりから始めて、ついでに動詞shanghai意味とか教えとくと教育上なお良かろう。歴史教科書でこういうことを教えようとするから、余計な奴らが口出ししてくる全部駄目にしてしまって、我が国にバカ者を大量生産してしまう。いきなり都市を攻めようとしてはならない。農村から都市を包囲すべし。味方を保存し敵を消滅すべし。遊撃戦を展開すべし。畢竟、英語教科書でコソッとやればよい。

余談だが、マルクスなんかも英語で読んだ方がいいらしい。あれはマルクスじゃなくて、マークスって感じになるんだそうだ。

2011-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20110423130901

マルクス政権をとった後のことはあまり具体的なビジョンを示していないが、歴史をみれば、確実に暴力のツケがやってくることがわかる。

プロレタリアート権力を奪取する手段として暴力は便利この上ないのだがポルノ並みの中毒性がある諸刃の剣でもある。暴力革命を成し遂げた政権がその後に示す暴力性は凄まじいし反動勢力も含めて人民全体に暴力癖がしみついてしまう。中国を例にとると、偉大なマルクス主義者の毛沢東晩年文化大革命などで大荒れだったし、鄧小平も結局戦車でカタをつけた。最近では反政府側のチベット暴動なんかも然り。(中国についてはもともと暴力革命伝統があるので、鶏が先か卵が先かの論かもしれないが。)まさに「剣をとる者は剣によって滅ぶ」ということであろう。元増田のいう「誤り」がどういうことを指すかはわからないが、臨床的観点から副作用がきつ過ぎる故まず採用しないのが賢明であろうとは言えると思う。

P.S. 話は別だが労働者一般人に置き換えてはならない。マルクス主義が骨抜きになってしまう。

2011-04-23

暴力革命って否定できるのか?

マルクスの演説

しい労働組織をうちたてるためには、労働者はやがては政治権力をにぎらなければならないが、われわれは、この目標に到達するための手段はどこでも同一だと主張したことはない。

「われわれは、それぞれの国の制度や風習や伝統考慮しなければならないことを知っており、アメリカイギリスのように、そしてもしわれわれがあなたがたの国の制度をもっとよく知っていたならば、おそらくオランダをもそれにつけくわえるであろうが、労働者平和的な手段によってその目標に到達できる国々があることを、われわれは否定しない。

だが、これが正しいとしても、この大陸の大多数の国々では、強力がわれわれの革命のてことならざるをえないことをも、認めなければならない。労働の支配をうちたてるためには、一時的に強力にうったえるほかはないのである。」

wikipedia暴力革命」より引用

 

労働者一般人に置き換えた場合、どこに誤りがあるのか分からない。

2011-02-21

とあるゼミ論文注意:(再整理)

※あくまで「とあるゼミ」について。 他は存じあげません。 教えて下さい。 お願いします

とりあえず、伝えたいことを要点としてまとめる。

研究テーマを決めたあとで調査結果からテーマの全てを導こうとすると痛い目をみる ― 『疑問に思う→考察→調査→考察』 の流れについて
研究テーマに「娯楽コンテンツ」は意外と難易度が高い ― 考察のしがいがある

 ものすごく簡単に論文について

論文とは「問い」である。(率直な疑問をテーマにしてこそ良い論文になりやすい。)

論文には以下の構成がある。※この日記は序論の「問題」と「研究目的」に対する考察(PLAN)でしかない。

序論

問題と研究目的研究方法の提示、用語の定義を述べる必要がある。

本論

研究結果とその考察研究限界問題点を述べる必要がある。

参考文献

引用文献だけではなく、使えそうで読んだ(参考にした)本を述べる。

 研究テーマについて

※ここでは、自由に論文テーマを決められるとする。

近年、娯楽コンテンツテーマにする流れがとあるゼミ内であったようなので、注意点を述べる。

自分で決められるからといって「好きなのでテーマにしてみました。」程度では[ぬるい]。

これは、社会的背景に迫らなければ動機以上に有意義なテーマにならない、ということである

疑問に思う(QUESTION)→「考察(PLAN)」→調査(DO)→考察(CHECK)→発表(PRESENTATION)の流れでは「PLAN」に該当するプロセスで基本だが、大抵の大学生多忙を理由にして調査への過度な期待をして失敗を繰り返しているという意味で最重要プロセスでもあると考える。

失敗の例として具体的には「自分研究がなにをいいたいのかがわからなくなる。」といったものがある。

 そこで、対策として社会的背景へ迫るPLANの例として娯楽に対する考察を以下に提示する。

・娯楽コンテンツは虚構的である。つまり、それ自身に本質的価値はない。

そもそも、娯楽の意義を知らなければならない。無論、娯楽はストレス(抑圧)発散のためにある。

社会的ストレスとは労働といった規範に関連するもの。学生学業社会的ストレスになる。

池田信夫マルクス引用によると

知識の外部性最初に指摘したのはマルクスだった、といえば牽強付会に聞こえるかもしれないが、彼は労働についての断章と呼ばれる『資本論』の草稿(経済学批判要綱)で次のように書いている

自然機械をつくらない。それは人間頭脳や手の生み出した器官であり、知識の力が対象化されたものだ。固定資本の発展は、社会的知識がどれほど生産の直接的な手段になり、社会的な生活の条件がどれほど一般的知性によってコントロールされて生産適応しているかを示している。

これはネグリハートが『帝国』で、マルクスが「非物質労働」を視野に収めていたことを示す証拠として引用した文章だ。これに続く部分で、マルクス社会的知性が科学技術による生産の条件だとものべている。そしておもしろいことに、こうした社会的知性は生産だけではなく消費によっても生まれると説いている

池田信夫 blog : マルクスソーシャルメディア - ライブドアブログhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51671941.html

知識の外部性社会的知性、一般的知性 というものがあることがわかる。

おそらく書籍を読解していく上で【知性やイデオロギー】等の違う言い回しで多くの似た概念に出くわすと思う。※注意は必要だが、以降は「規範」として解説する。

私たちは幼少より社会的規範市場的な規範を様々なものを通して学ぶ。

娯楽も例外ではない。例えば、女の子はおままごとを通して家庭の内部規範を、男の子ロボットヒーローおもちゃで外部規範を学んでいく。

娯楽コンテンツとは労働社会規範)によるストレスを消費(市場規範)で発散するモノであるといえる。また、娯楽をする条件が労働によるストレスならば、娯楽自体には焦点がなく、娯楽がストレス発散することにしか効用(と消費者の動機)を持たない虚構であることがわかる。

ここから、「娯楽コンテンツは虚構的である。つまり、それ自身に本質的価値はない。」ということがはっきりわかった。

また、労働に関連として以下を引用する

実をいうと、「エンプロイー(従業員)」という概念近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。強い意思を持つ人間従順な従業員に変えるために、二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、それがどれほど成功したかを見ると、マルクス主義者でなくてもぞっとさせられる。近代工業社会職場が求めるものを満たすために、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。

  • 生産物はなくて時間を売ること-仕事のペースを時計に合わせること-定められた間隔で食事をし、睡眠をとること-同じ単純作業を一日中再現なく繰り返すこと

これらのどれ一つとして人間自然本能はなかった(もちろん、今でもそうではない)。したがって「従業員」という概念が—また、近代経営管理の教義の他のどの概念であれ—永遠真実という揺るぎないものに根ざしていると思いこむのは危険である

経営未来」に従業員の未来を見る - アンカテhttp://d.hatena.ne.jp/essa/20080310/p1

「従業員」という一見当たり前の概念についても長い歴史で観ればつい最近確立された規範であり、社会問題を伴う。

つまり、「娯楽という概念」にも労働を代表する外部の概念が抑圧・弊害や規範として間接的に関わってくるため、視野を広めて(ここでは労働キーワードに)考察をすることが重要ということである

(※今回は閲覧できるようにwebソースしましたが、実際はキーワードに関する書籍を読解し、参考・引用してください。)

娯楽コンテンツについて調査するならば、調査対象においての労働観(学業観)、社会観、消費観を知る必要があるだろう。

これは研究テーマの外部にある要素をキーワードにして迫る方がテーマ本質は見やすい、ということである

むしろ、引用するしないに関わらず参考文献範囲を研究テーマの外側まで広げていかなければ、根源的な問いに対する調査の切り口が見いだせない。

娯楽コンテンツ研究テーマした場合は袋小路に入ることになる。

しかし、研究テーマの外部の考察をすれば必ず研究に活きてくる。まず発表に際して学生間での質問に引けをとることはなくなる。

一見言わなくても分かると思われることも、しっかりと問題の本質、動機、仮定、構造の説明ができるかどうかは別問題ということである

なにより真剣研究することは学生として正しいし、好きなことを真剣に考えることは充足感を伴うので楽しい

2010-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20101201212714

むかし、似たようなパターンで「ブルジョア死ねよ」が加速した時代があってだね・・・。

なんつーか、共産主義ってマルクス理論がどーとか言う以前に自然発生的に生まれてきた理論なんだろーな

最近思うようになった。いや、「鳩山死ねよ」って気持ち自体はわかるけども。わかるけども。

2010-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20101125232316

横だけどマルクスイデオロギー論以降、実存主義とか構造主義とかポストなんたらとか変わりながら連綿と続くあれだよねそれ。

2010-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20101122061105

ヴェーバーマルクス原著に「日本語暴力装置」なんて書いてるわけがないじゃないか

暴力と訳すのは強制力と訳すのか実行力と訳すのかは訳の問題であって、まあこの暴力には軍だけでなく警察など強制執行権限を持つもの全般が含むため誤解を招きやすい訳ではあるのだけれど、原著では暴力に相当する単語が使われている

ともあれ細かい用語はともかく近代国家暴力の独占によって成り立っているという考え方自体は共通だよ

そもそも当たり前だが「いわゆるサヨク」的な「軍隊けしからんので非武装中立しましょう」みたいなことはマルクスだってこれっぽっちも言っていないし、「自衛隊は軍じゃないか暴力なんてけしからん」なんてのもそもそもこの場合暴力強制執行力全般のことを指しているので警察だって含んだものだし、今回はさすがに野党側が藁人形論法すぎて頭が悪い

http://anond.hatelabo.jp/20101122034648

ヴェーヴァーだろうがマルクスだろうが、本当に彼らは(原著に)そんなこと書いているのか?という検証が盛ん。

暴力装置の件

暴力装置の件なのだけど

(1)ヴェーバー的なコンテキスト

単純な社会契約の問題として、私的暴力が横行してるとみんなが困るので国家暴力を行使する権限を一元化してみんなは暴力を振るってはいけないことにしましょう、というのが国家の最小単位概念だよ、という話

(2)マルクス的なコンテキスト

これから共産国作ったら(1)はきっちりやらないといけないけど、逆説的に言うと(1)がちゃんと成立してる国だと革命クーデターも起こしようがないよな困ったな

(3)暴力装置という訳語が出てきた日本国内でのコンテキスト

元々は左翼の連中が使い始めた訳語だが現在では左右関係なく一般に使われている。用途としては左翼が使う場合であっても主に(1)


仙石はアカだからどうこうみたいなこと言ってる人はいるのだけど、そもそも論として今回の話は政府は軍によって革命クーデターを「起こされる側」なのだから(1)~(3)まで指しているものはすべて同じなんだよね

それにしても日本ってクーデターに対する警戒心なさすぎ。クーデターを警戒するなんて軍人さんに失礼じゃないか、無条件に信じなさいってか、平和ボケにもほどがあるわ

日本よりはるかに軍への信頼が厚いアメリカですらクーデターへの警戒は常に怠らないのに

2010-11-19

暴力装置

ウェーバー概念は、Gewaltmonopol des Staates、直訳すれば「国家暴力独占」。

暴力が一般的には悪いものであるから、主権のもとに独占されなければならないという思想が背景にあるので、「暴力」という日本語をあてるのは正しい。

英語だと The monopoly on legitimate violence (合法的な暴力の独占: 日本語での一般的な訳)となって、この時点で意味がちょっと違ってるような気がする。

ただ、件のGewaltapparat(暴力装置)は、ウェーバーじゃなくて、マルクスの用語じゃないのかなあ。あてずっぽだけど。

2010-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20101103122728

マルクス

カントマルクス

ヘーゲルアガンベン

フーコー

フロイトラカン

バトラー

ちょっと書けそうもないのが二本ある。

元増田の書き方からして明確な元ネタありそうだから、誰か教えて。

http://anond.hatelabo.jp/20101103122257

ウンコに見る疎外のシステム論」

観念と実在、ウンコにおける疎外の構造

観念論的存在者、ウンコに見る表象の変遷」

ディシプリンとしてのウンコ

「肛門期を突き抜けて―精神制度としてのウンコ

スカトロジーークィア理論からの汚物愛好論」


どれでも論文一本書けそうだ。切り口はフォイエルバッハマルクスからフーコーまで行けるな!

ウンコ哲学、むしろ哲学ウンコだと言っても過言じゃない。

2010-10-12

[][][][][]

日本語

エピクテートス http://web.archive.org/web/20040408184351/http://www.maharshin.com/PDA/Hepi/epi.html

修養訓

エピクテトス 『生きる手引き』 (The Enchiridion by Epictetus)

提要[1] - エピクテトス

英文

The Internet Classics Archive | The Enchiridion by Epictetus

Kindle Book

Amazon.com: A Selection from the Discourses of Epictetus with the Encheiridion eBook: Epictetus: Kindle Store

http://www.amazon.com/dp/B000JMKZHM/

Kindle for PC登場、日本からもダウンロード可能 -- Engadget Japanese

http://japanese.engadget.com/2009/11/10/kindle-for-pc/

mp3

http://www.archive.org/download/enchiridion_librivox/enchiridion-01-epictetus_64kb.mp3

http://www.archive.org/download/enchiridion_librivox/enchiridion-01-epictetus.mp3

書籍

Amazon.co.jp: 人生談義〈上〉 (岩波文庫): エピクテートス, Epictet, 鹿野 治助: 本

Amazon.co.jp: 人生談義〈下〉 (岩波文庫): エピクテートス, Epictet, 鹿野 治助: 本

Amazon.co.jp: 世界の名著 13 キケロ/エピクテトス/マルクス・アウレリウ: キケロ, 鹿野 治助: 本

Amazon.co.jp: 世界の名著 (14) キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス (中公バックス): キケロ, 鹿野 治助: 本

Amazon.co.jp: 幸福論 (第1部) (岩波文庫): ヒルティ, 草間 平作: 本

提要 エピクテートス 人生談義〈下〉 エピクテートス

諸々の存在のうち
ある物はわれわれの権内にあるが
ある物はわれわれの権内にない
意見や意欲や欲望や忌避
一言でいえばおよそ
われわれの活動であるものは
われわれの権内にあるが
肉体や財産や評判や官職
一言でいえばおよそ
われわれの活動でないものは
われわれの権内にない
そして
われわれの権内にあるものは
本性上自由であり
妨げられず
邪魔されないものであるが
われわれの権内にないものは
脆い隷属的な
妨げられる
自分ものでないものである

そこで次のことを記憶しておくがいい
もし本性上隷属的なものを
自由なものと思い
自分ものでないもの自分ものと思うならば
君は邪魔され
悲しみ不安にされ
また神々や人々を非難するだろう
だがもし君のものだけを
君のものであると思い
君のものでないもの事実そうであるように
自分ものでないものと思うならば
誰も君に決して強制はしないだろう
誰も君を妨げないだろう
君は誰をも非難せず
誰をもとがめ立てしないだろう
君は何一ついやいやながら
することはなく
誰も君に害を加えず
君は敵を持たないだろう
けだし君は何も害を受けないだろうから

エピクテートス 提要 1 人生談義〈下〉 epictetus

リンク

【人間関係】他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。

ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer http://anond.hatelabo.jp/20080105172324

[ゲシュタルトの祈り][Gestalt Prayer]

私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。

浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者

あなたを怒らすことができる人は誰でもあなたの主人となる。エピクテートス

[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

自分と未来は変えられる。他人と過去は変えられない。

「すべては主観である。」モニモス

[人間関係は腹六分]

人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン

2010-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20100907204805

そんなの当たり前じゃん。「何でもこれをやれば解決する」なんてありはしないんだもん。

1-1.英語勉強しろ

1-2.海外(特にアジア)に行け

1-3.プロマネプログラミング金融などの能力を身につけろ

これらは一見正しいように見えます。

しかしながら、これらには重大な嘘が隠されているのです。

これ、

1-1.マルクス勉強しろ

1-2.海外(特にアジア東欧)に行け

1-3.批判的思考・アジテーションディベートなどの能力を身につけろ

とかそんな風に書き直せば一昔前の全共闘世代が言ってたことと同じだよね。要するに、「ここではないどこか(いつか)」にユートピアがあり、そこに行きつきさえすれば全てが解決するという思想。そんなのが子供たわごとであることは連合赤軍とかオウムが十分証明してるよね。

問題は、言っている本人がこういう類のアジテーションを半ば本気で信じている節が見受けられるところだけれど、まあそれはいわゆる「進歩知識人」と同じ精神性ですよ。「愚民共は○○という一番重要なことがわかっておらん、だから問答無用ダメなんだ!」(○○には英語でも金融でもプログラミングでもあるいはマルクス経済学でも好きなものを入れるといい)とか思ってる人はだいたい自分が「愚民」なわけで。大抵の場合その人たちはその肝心な「○○」についても半可通だったりするしね。実際、何であってもその道のことをそれなりにわかっている人なら、それで全てが解決するなんていう思い上がりはとっくに克服してるもんだしね。

まあ、団塊の世代の高校の社会の教師とかに一人か二人はいたパターンですよ。そう思えばもうだいたいどう対処すればいいかはわかるでしょ。敬して遠ざける、これですよ。

2010-08-11

「もし高校野球女子マネージャーがドラッ(ry」のパクリ本予想

もしくはすでにあるネタ教えてくだしあ

とりあえず「もし○○の女子マネージャーマルクスの『資本論』を読んだら」は出ると思うんだ。思ったんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20100811234730より

>「もしお嬢様学校生徒会長アンドリュー・カーネギーの『富の福音』を読んだら」

- 転職ならen
- 派遣ならen
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