はてなキーワード: 読書とは
というのも、あれはやってると脳内麻薬的なモノがドバドバ出る。
当たる・・・当たれッ!当たれェ!的なあのメソッドは、脳にかなりガシっとくる強烈な刺激で、
パチンカスはカスである、という前提を受け入れた上でもモノスゴく気持ちいい。
同様に、出会い系なんかを駆使して女の子と会ってヤるというのも、かなり良い。
人間の本能的なアレを全力で揺さぶる、まさに底辺、馬鹿のための娯楽だ。
しかし、これらには当然問題がある。
残り財産8000円、給料日まで1週間の状態で打つパチンコはヤバイほど面白い。
女に関してもそうだろう。「あー、こいつに深入りしたらヤバイよなー・・・」って時ほど面白いのだ。
ぶっちゃけて、友人の彼女を口説くのが一番楽しいのだ。人妻だったりすると更に良い。
そういうわけで、この手の娯楽はもうだめだ。
学生時代、バイト代で遊んでいるくらいなら許されたが、社会人かつフリーランスという
社会的制約の少ない状況で、これ以上この手の遊びにかまけていたら間違いなく人生が破綻する。
なにより、この手の遊びは絶頂時は恐ろしく楽しいが、その後のゆり戻しもキツいのだ。
「あー、俺死ねよ・・・」と「イヤッハァ!」の往復をいい加減断ち切りたい。
俺は多趣味な方だ。読書もするし、筋トレもする。語学もやる。料理もする。音楽もやる。
仕事自体も趣味の延長で得たものなので、それもやる。部屋に閉じこもって延々やる。
しかし、こういった「淡々と続ける」ことが続くと、放埓な遊びがしたくてどうしようもなくなる。
セックスしたいしギャンブルしたくなる。おそらく、セックスやギャンブルは本質ではなく、
脳内麻薬的なあれが欲しくて仕方ないのだろう。射精とか、大当たりとか、そういうのに付随するあの多幸感。
しかも、最近ヤバイことは「カネがある」ということだ。パチンコ屋で1万円遊んで満足できていた
ころはまだ良かった。しかし、最近はふと遊びに行った海外でバカラにハマってしまった。しかも大勝。
今もやりたくてやりたくてやりたくて仕方がない。仕事はケリがつきそうだ、一週間くらいの休みがもうじきくる。
しかし、ここでやらかしてしまったら間違いなく人生は転げ落ちる方向に行くだろうという気がしてならない。
かつ脳内麻薬がドバドバ出る。そんな娯楽がこの世にはないものか。
学生時代に格闘技やってた頃はこれが該当していた。他人を殴り倒すっていうのはモノスゴく楽しい。
KO勝ちが一回あれば、一ヶ月はその余韻に浸って暮らせた。それに咥えて、スポーツによる発散はかなり効き目がある。
ギャンブル欲も性欲もかなり減衰させることができる。
朝起きたらすぐにパソコンにかじりついている
妻は料理はしない
味オンチっているんだな
これは訓練とかいう問題じゃない
せっかくの食材を大切にする気がない
記載されている作り方のとおり作ってもらえればいいのに、そのマニュアルを読まない
タイマーかけろといってもかけない
出来ることはお湯を温めるだけ 本当に
あとツナ缶
ガスを使う料理が出来ない
卵焼きも出来ないときた 焦がす焦がす
さすがに疲れて料理を頼むと
なぜなんだろう
なぜこうも責められなければいけないのか
一応、旧帝大学院を出るほど優秀なはずなんだが、料理に関しては一切ダメ
結婚してからも毎日、朝はパンだが、夕食は帰宅してから料理していた
結婚してから妻は主婦オンリー 読書とインターネットしかしない
外に出ていろんな人と交流してくれればいいのだが、話す相手は俺だけ
さすがに疲れた
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。
1.
初めまして、こんにちは。
○○と申します。
お返事お待ちしています。
失礼しました。
2.
38歳会社員です
3.
○○さん、はじめまして。
以下が、当方のプロフです。
【HN】○○
【性別/年齢】♂/33
【生息地】関東
僕も少し前に猫カフェに行きまして、まったりと和んできましたよー(*´∀`*)
マンションなので飼える環境じゃないので、猫と触れ合う機会って
なかなかないだけにとても良かったです!
もし良かったら、お返事お待ちしてますね!
4.
掲示板見ました!年下ですがピンときたのでよかったらメールしませんか?
東京住み21歳 ○○
です!!
5.
29の男です
6.
メールしようぜー(*・ω・)ノ
7.
8.
【年齢】:○○
【体格】:165cm、61kg
【住所】:都内
【病状】:回避性人格障害
【出身地】:岐阜
【自己紹介】
9.
都内住みの27歳です。
抱き合ったり、いちゃいちゃしたいです。
お返事お待ちしています。
10.
こちら東京の31です。
11.
【HN】○○
【年齢】○○
【性別】男
【生息地】茨城
【身分】社会人
【病状】鬱、睡眠障害
【血液型】O
依存出来る人が欲しいので良かったらお返事下さい!!
お互いの出来るペースでメール出来たら嬉しいです。
12.
こんばんは。
どこまで力になれるか分からないけど。
退屈凌ぎくらいにはなると思いますよ。
・積ん読本がだいぶ減った。
・休日の読書を考える。積ん読本はよむのに土日まるまる潰れたりする。しかもストレスがたまるが、本屋で買ってきた本であれば1日で4冊読める。
読みたい気持が一番高まっているときに読んでるから精神的にも満足度が高い。積ん読本は義務感でダラダラ読んでストレスがたまり、得られるものも少ない。
・人にもよると思うが私は読んでない本が部屋に存在するとそれだけでイラッとする。
自分のフローから考えて、処理できそうな分を明らかに越えたストックを持ってはいけないと偉い人も言ってた。
積んでいいのは読み終わった本だけ。買ってから2週間以上たって読まなかった本はリストを作って売るか電子書籍化して保存したい。
今のところ電子書籍は読まない本を視界から消す or 読んだ本で、何度も手にとって読み返す程ではないがたまに引用したくなるようなやつを保存するため。
読んだことない本をいきなり電子書籍で得られてもまず買わない。でも歌うクジラは良かった。作品としては微妙だったけど体験する価値あり。
・そもそもAmazonで買うときは動機が「他人のススメ」で一時的に盛り上がってるから、という場合が多い。
2~3日間を開けて熱が冷めた頃には他人からの影響は消えており、かなり残念な結果になる。
書評ブログで紹介されている本こそ自分で本屋に足を運んでほんとに読みたいかどうか確認すべき。
・特に小説はどれだけ全体として良い話でも、文体や走り出しなど最初の10ページの食いつきが悪いとすぐ積ん読化する。
自分が読みたい本以外は買うべきではない。無理して読むのはネットの向こうの他人じゃなく尊敬する人か親しい友人が強くすすめてくれた本だけでいい。
・Amazonで買えば値段的にはお得かもしれないが、私みたいに旬が短い人間には本屋メインのほうがいい。
積ん読にしたら安く買ってもただのゴミに金払ってるようなもんだし結局損してる。ちゃんと読む本だけ買えばいい。
あと金がそんなにあるわけではないけれど、読書に関してはやはり金より時間や心の盛り上がりの方が大事だと思う。
金ケチってマケプレで買うくらいなら図書館で借りてしまったほうがいい。
・ビジネス書の8割以上は、Amazonじゃなくて本屋で立ち読みすれば買わなくてもおkな本ばかり。
読んでも欲しいのは数ページだけだったりして買うのもったいないとか思う。その程度なら暗記してしまえばよろし。
たまに、引用してブログで紹介したいと思うページとかあると悔しいけど買わざるを得ないけどすごいムカつく。
個人的にビジネス書は1ページ50円とか1章200円とかで部分的にお持ち帰りできる売り方をしてくれないかな。
iphoneのGhost Trickみたいに1章50円とかで8つくらいに分ければ値下がり防げると思う。今の1冊85円みたいな売り方は長期的に誰も得しない。
ビジネス書は精神のエロ本だと思うので、今までエロがメディアの進化を促してきたようにビジネス書が電子出版を支えるきっかけになってほしい。
Amazonのお薦めつながりは、似たような本ばっかりだからおや?って思う作品に出会うことは少ない。
「入門編」あたりだと関連本探す能力もないし、どれがいいかなと比較する際に他人の意見も役に立つが
ある程度自信がついてきた分野なら本屋で自分が判断したほうが正解が多い。
・本屋にも不満がないわけではない。Amazonのようなリンクする感覚がないのは辛い。
目当ての本がなかなか見つからないのもAmazon慣れしているとかなりストレス。
松丸本舗ってのがすごいらしい。一度いってみたい。
・もちろんこれは私の意見であって、他の人が同じようにやるべきだとは思わないし、どうせ言ってもやらないだろう。
Python vs Ruby vs PHP vs Haskell プログラミング言語バトル part1
http://anond.hatelabo.jp/20120118220204
Rubyistってなんであんな小学校の図書室で毎日読書してそうな
顔面オジサン、オバサンばっかなの?
Scalaer: 鼻持ちならない、モヒカン
Lisper: マジキチ
Rubyist: ネクラ、オタク、キモメン、いじめられっこネクラチビメガネ、色黒、キモオタ、顔面オジサン、オバサン
Rubyのブロックが便利すぎて、Pythonをやめたくなった。
いちいちtemporaryな関数を作成してから目的の関数に渡していたのがばからしくなった。
リストやジェネレータ式の内包表記が便利過ぎて
どうせ廃れる。
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>リストやジェネレータ式の内包表記が便利過ぎて
おれもそう信じてたけど、Rubyの、メソッド呼び出しを続けて書けるほうが便利だわ。
まるでjQueryみたい。といってもjQueryのほうが後発だけど。
たとえば「xsから0以上のものを選んで、その二乗の和を求める」場合
sum([ x*x for x in xs if x > 0 ])
これだと、後ろから読まないといけないんだよね。でも
xs.select{|x| x > 0}.map{|x| x*x }.sum
これなら頭からひとつずつ読めばいいから、わかりやすいし、考えたとおりに書きやすい。
まさにスクリプトって感じがする。
Python: [[x,y] for x in xs for y in xs]
Ruby: xs.map{|x| xs.map{|y| [x,y] } }.flatten(1)
いっぽうメソッドチェーンは
orz.sage().hage().hoge().hige() タイプの問題には向いている
つまり向いている方向がちがう
(まあHaskellなら hige . hoge . hage . sage と書くだけだというのは置いといて)
強い弱いということで言うと、問題を解くのに必要な一番能力が弱い
(限定された)道具を使うという考え方があるようだよ
ベタ再帰は強い(汎用的)、がそれゆえ読むのに注意を必要とする
foldrは再帰よりは弱いが、foldrで表現可能な問題のクラス(原始再帰)はかなり
広いので、mapやfilterで済むならもちろんそのほうが望ましい
ではこの問題は弱いmapやfilterを結合させるほうがいいかというと、
俺はlist comprehensionのほうが集合表記そのもの=whatを表現していて好きだな
Pythonのlist comprehensionのsyntaxはあまり好きではないが
それは大きな問題じゃない
メソッドチェーンってバグをわかりにくくするだけだと思うなあ。もちろん性能面もあるし。linqとかは良いと思うけど。
同じメソッドチェーンでも、linqなら良いけどrubyなら悪い .....
一言で言うと「俺はRubyが大嫌いなんだぁーー」ということですな
内包表記は構文でサポートしないと難しい(マクロがあれば別だが)
メソッドチェーンが関数型の方法に比べて特に優れている点があるようには思えないが
パイプ順に書きたければ書けるし
680,663
Pythonには関数型として致命的な弱点があるから、メソッドチェーンでは簡潔なコードが書けない
たとえば「(1) Rubyは 条件判定が(文ではなく)式」だから以下のようなコードが書ける
if test
if test_1 then test_1_1 else test_1_2 end
else
if test_2 then test_2_1 else test_2_2 end
end
}
あるいは「(2) Rubyはブロック内で局所宣言が可能」だから上のコードを以下のように書き換えてもいい
cond_1 = if test_1 then test_1_1 else test_1_2 end
cond_2 = if test_2 then test_2_1 else test_2_2 end
if test then cond_1 else cond_2 end
}
関数型言語であれば「(1) 条件判定(if/case)が式」で「(2) 局所宣言(let .. in .. end)が可能」なの当たり前
ところが残念な事に、どちらもPythonには欠落しているから、上の例はストレートにコード化できない
だからPythonではメソッドチェーンは使われないし、「酸っぱい葡萄」に見える
Rubyでもリスト内包表記が言語として組み込まれてくれると嬉しい
だと思う
頭に浮かんだロジックをすばやくコード化するのはメソッドチェーンが適しているし、
じっくり腰を据えてコード設計するならリスト内包表記のほうが美しい
自分は、たぶんこのスレもRubyコアの中の人も見ているだろうから
そのうちRubyにもリスト内包表記が実装されるんじゃないかと期待しているw
メソッドチェーンは書き易い
内包表記は見た目が整ってて綺麗、最終的な型がわかり易い
いじょ。
元記事
http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html
9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そらが社会の理想と希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果的であるといえる。
その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピーは日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。
ネット上の無料コピーによる、著作権侵害が違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権を侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号は場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民の意識に応じて法を変えれば良い。
そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも、国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。
(終わり)
日本のメディア間の隔絶について 日本のおけるネットとオールドメディアの最適な関係の構築方法の模索
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネット、TV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44
サーバ室は携帯の電波が届きにくく、最低限の仕事上の連絡以外は誰とも連絡を取らなかった。
ただただ、作業に集中した。何も考えず。
病院と家との往復。帰宅したら、疲れて眠るだけだった。食べることすら忘れていた。
彼の事を忘れたいわけではもちろんなかった。
でも彼の事を思い出すと、どうしても後悔の底に落ちて這い上がってこれなかった。
そんな生活を2ヶ月続けて、私の心は壊れそうになっていた。
「例の彼とはどうなったの?」」と聞かれるのが怖かったから。
壊れていたのは心だけではなく、体もだった。
1年前に普通に着ていたはずの服が、ぶかぶかで着られなくなっていた。
5年間使っていた金属バンドの腕時計も、コマを詰めなければいけない程になっていた。
会う人会う人に「痩せたね」と言われ、そのうち「大丈夫?」と心配されるようになっていた。
着られる服は全くなく、買いに行ってもサイズが合わないような状態だった。
もう、限界だった。
仕事に没頭する事で彼の事を考えないようにしていたはずなのに、
仕事に集中できず、彼の事ばかり考えるようになっていた。
それまで私は、夏休みを1週間取る以外で長期休暇を取ったことは一度もなかった。
そんなに仕事が好きだったわけではないけれど、
盆・暮れ・GWが書き入れ時の医療SEは、簡単に長期休暇は取れなかった。
それに自分の仕事には責任を持ちたかったので、あえて休暇を願い出ることもしなかった。
そんな私が、初めての長期休暇を上司に申し出た。
激務が数ヶ月続いていたこともあり、休暇はあっさり認められた。
少し心と体を休めようと思った。
私のスケジュールが突然「休暇」になった事を心配した別の部の同期から、電話がかかってきた。
「大丈夫だよー。ちょっと忙しくて疲れたから休んでる。すぐ戻るよ」
そう言ってごまかした。本当の事が言えるわけもなかった。
当時私がいた部は、元々希望していた配属先とは違っていたし
仕事内容自体も、どうしても好きにはなれなかった。
プログラミングができない、サーバの知識もない、そもそも大学は文系の私に
SEなんて務まるわけもなかった。
配属されて初めてのプロジェクトでは、仕事がきつすぎて毎日泣いていた。
何かうまくいかないことがある度に、辞めたい辞めたいばかり言っていた。
実際、その年の頭には、転職活動を始めようとしていた。
そんな私に、彼がこんな事を言ったことがあった。
舞ちゃんがいつも頑張ってるの知ってるよ。
どんなに夜遅くなっても、自分の仕事に責任持って最後まできっちりやってること知ってるから。
そういうのちゃんと見てるから、辛いのは分かるけど、でも簡単に辞めればいいなんて言えないよ。
彼にそう言われてから、私は辞めたいと言わなくなっていた。
彼は仕事ができる人だった。だから彼に少しでも追いつきたくて必死で勉強して、プログラミングアレルギーも克服した。
今の私を彼が見たらどう思うかな…。
そして私は、当初の予定を1週間延ばしたものの、3週間で職場に復帰した。
復帰後は、少しでも負担の少ない仕事を、という上司のはからいで、
同じ部内で別のグループに移って、全く違う仕事をすることになった。
(というか無理矢理食べさせようとしたんだろうが)
でも、彼とよく会っていた福岡にはどうしても行きたくなかった。
福岡だけでなく、彼と一緒に行った場所を私は避けるようになっていた。
ただ、九州支社はその年の5月に別の場所にできた新しいビルに移転していて、
いつもなら、空港内にある有名なクロワッサン屋でクロワッサンを買う。
彼に「美味しいから一度買ってみなよ」と言われて買ってからお気に入りだった。
もう、クロワッサンを買う気ににもならない。
仕方なく、売店でお土産を買って時間を潰して搭乗時間を待った。
羽田で福岡行きの飛行機を待っていたら、偶然同じ便で福岡に向かおうとしていた彼に会ったこともある。
博多駅から九州支社に向かう途中の道、彼と電話しながら歩いたこと。
色んな事を思い出しすぎて潰れそうだった。
結局その日は、ほとんど眠ることもできず朝になった。
翌日は土曜日で、午後から横浜に行く用があったものの、他にする事がなかった。
ふと、ある男友達の事を思い出した。
その人は会社の同期ではあるものの、職種が違うため仕事での関わりが全くなく、勤務地も違っていた。
それでも入社してすぐの研修で同じクラスになって仲良くなってから、
定期的に二人で飲みに行っていた。彼と付き合っていた時も月1程度で会っていた。
私にとっては完全に「友達」で、恋愛対象として見たことは一度もなかったし、
それは相手も同じで、私を女として見ることはなかった。
だから、二人で会っても大丈夫だと思っていたし、彼に対して、悪いことをしている気持ちには当然ならなかった。
その友達に彼のことは話した事は一度もなかったし、
私の色恋沙汰について何か聞いてくることもほとんどなかった。
ちょうどいいや…。
さすがに当日に連絡しても空いてないだろうなー、と思いつつ、メールをした。
いるー!
その日は横浜で待ち合わせをし、東急ハンズで買い物をして、飲みに行った。
それからの週末はしょっちゅう旅行に行き、家にいることはほとんどなかった。
そして、旅行のお土産だとか色々理由をつけて、その男友達と頻繁に飲みに行った。
色々深く聞いてこないその友達が、一番都合がよかった。
そしてその人と一緒にいると、不思議と気持ちが落ちついた。
前年の年末は、彼がリーダーをしていた病院で正月にシステム本稼動があり、彼は当然仕事をしていて、一緒にいられなかった。
来年は一緒にいられたらいいね、と言っていた。だから、日本にいる事すら嫌だった。
そうやって、現実から目を逸らすことで、どうにか自分を保っていた。
F1が好きだった彼と私は、いつも月曜日にF1の話をしていた。
這い上がれなくなるので、私は見るのをやめた。
二人とも読書が好きだったので、会うとよく読んでいる本の話をした。
仕事が早く終わった時はいつも本屋に行って本を買っていたのに、本屋に近づくことすらできなくなっていた。
ADHDにしろ、アスペにしろ、鬱にしろ、ネットの自己診断で大抵ボーダーor疑いが強いになるんだよね。
なんかこういうのって、甘えとか言い訳みたいでどうもなぁ。
「単に自分の努力不足だよね」と、「もうどうしようもないじゃんこんなに周りの人間と違うんだし」
という思いが葛藤している。
なんか考え方が悪いんじゃね?生活習慣とかでなんとかなるんじゃね?
みたいなのずーっと思っていて本とかネットの情報とか集めてる。
心理、脳系の情報読んでみてると、あぁ確かにオレ心理的、脳科学的に悪いことしてるわ。
唯一、脳にいいといわれていることで、読書はしてるかもしれないが、
脳によくないっていってるネットが多すぎだよな。
あぁ、こうやって減点法でマイナス思考で考える時点でダメなんだろうな。
情報仕入れすぎると理想の状態つくられて、それに対して現状がダメ杉という
病気のせいにして逃げず頑張るために、情報収集してたはずなのに
最終的にやる気なくして、ADHDだのアスペだの鬱だの病気のせいにして逃げたくなる。
どーせいちゅうねん。誰か楽にしてくれ。
多くの行動は「消費」行動である。誰かが作ったものを消費することが多い。例として、食べ物を食べる、映画を観る、ゲームをする、漫画を読む、読書をする、音楽を聞く。
一方で、「生産」行動というのもある。文章を書く、レポートを書く、プログラムを作る、工作をする、など。また、語学、数学などの各種勉強をすることも、将来の生産に向けた活動という意味で、生産行動に含めていいかと思う。
消費行動の中には、一時的な消費行動と継続的な消費行動も含まれると思う。その時々の気分で行うのが一時的な消費行動で、その時に手に入れたものは、結局のところ、部屋のどこかで埃をかぶった状態になる。一方で、継続的な消費行動もある。これは、自分が大好きなものを継続的に消費する行動であり、例として映画を鑑賞し続ける、読書をし続ける、など。後者の行動は、将来的に生産活動に結びつくかもしれないので、善し悪しの判断はここではしない。
(仕事の時間を除き、)自分の昨年の活動を振り返ると、80%程度が消費行動であり、そのうち、70%程度は一時的な消費行動であったように思う。
一時的な消費行動は、気分転換にはいいが、生産に結びつくようなことがないため、人生の浪費であると思っている。時には、気分を紛らわしたいこともあるだろうが、昨年の自由時間の56%も一時的な消費行動で時間をつぶしていたことは、限りある人生の中で少しもったいないことをしていたのだ、とあらためて感じる。
本年は、
程度には、したいと思う。
商学部やら文学部の学生が、卒業論文とかサークルの出し物でワンピースを取り上げればそのまんま本になるくらいの勢い。
この手の本を買うときは「書き手のプロフィール」をよく確認してから読むようにしたい。
逆に言えば、一生に一度くらいは本を出したいと思っている人は今がチャンスです。ワンピースとコラボしてなにか本を出せないか企画を考えてみよう。
個人的に最も面白かったのは・・・「モンキー・D・ルフィの「D」はドラッカーだった」 阿部美穂 <ドラッカー学会会員
次点の高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! (野球指導書編集委員会) といい、
ドラッカーバブルに乗り遅れた方々が必死に次の寄s・・・コラボ相手を求めてさまよっている様がとても微笑ましいですね。
漫画ワンピースは、これからの時代のビジネスバイブルだ! 徳永 秦 <Amaozn書評が全員身内褒めでかなり気持ち悪い
ルフィの仲間力 『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法 安田雪 <「社会ネットワーク分析」が専門の教授
「ワンピース」はなぜ人の心をつかむのか―「ONE PIECE」はなぜ売れるのか (ベストセレクト) 富田 英太 <ワンピース=新世代の司馬遼太郎とかねーわ
『ワンピース』に生きる力を学ぼう! 平居謙 <2冊目。この人どんだけワンピース好きやねん
<1万冊を超える読書によって培われた膨大な知識をもとに、独自の研究を重ね、難解とされる古典を現代漫画をもとに読み解いていく手法を確立って・・・。ブログとかあるのかな?
ワンピースの言葉が教えてくれること (ルフィと仲間たちに学ぶ「生き方」の教科書) 方喰 正彰 <プロフィールなし
ONE PIECE STRONG WORDS 上下巻 尾田 栄一郎、 内田 樹 <内田樹のワンピース論は結構面白かった
<ワンピース「世代」>
「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱 鈴木貴博 :注目株。そういえば「ガンダム」程読者の顔が見えないのだよね。不思議!
<なぞのコラボ>
高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! 野球指導書編集委員会
ONE PIECE 海賊キャラ弁当BOOK (FLOWER&BEE BOOK)
ワンピース最強読解 (ワンピース最強シリーズ) ワンピわくわく研究会
超読解 ワンピースが教えてくれた人生で大切なこと―自分の“宝”を守るために必要なもの 海賊行動学研究会
ワンピース最終研究―海賊王の血脈と古代文明の謎 (サクラ新書) ワンピ考古学研究会
<やおい系の本が出てるけどこれどういう仕組み?>
海賊ゲーム外伝「ゾロ×サンジ ラブディスカバリー」 (POE BACKS)
同人作家コレクション114 光葉 (POE BACKS) 光葉
同人作家コレクション103早乙女神楽 (POE BACKS) 早乙女 神楽
今田まことおまめ (K-Book Comics) 今田 まこと
同人作家コレクション99ケチャップ (POE BACKS) ケチャップ
しかし、考察系が無駄に多いのを除けば、もっともっとたくさん出てもいいのにまだまだ少ないと思う。(ドラッカー関連本はこの3倍くらいある) http://uwasano3.web.fc2.com/druckertyo.html
『街場の読書論』ゲラチェック95%ほど終了。年内に「あとがき」書いて、戻せそうです。
今日は「メタ・メッセージ」論を20枚ほど書き足しました。メタ・メッセージというのは「これは嘘です」とか「後ろの方、聞こえますか?」とかいう言明のことです。これは誤解の余地のないメッセージなんです。メタ・メッセージというのは「メッセージの解釈にかかわるメッセージ」のことです。不思議なのは、「後ろの方、聞こえますか?」という問いかけには二種類の回答しかないことです。それは「はい、聞こえます」と「いいえ、聞こえません」です。不思議でしょ?「聞こえません」て、お前聞こえてるやんか!そうなんです。メタ・メッセージは「聞こえない人にも聞こえてしまうメッセージ」なんです。すごいですね。
こんな話があります。ある工員がどうも工場からものを盗み出しているらしいという嫌疑がかかりました。警備員たちはこの工員が手押し車を押しながら工場から出るとき、彼をとめて、手押し車の中をすみずみまで探しました。でも、何も出てこない。毎日、止めては手押し車の中を点検するのですが、何も見つからない。さて、この工員は何を盗んでいたのでしょう?もうおわかりですね。彼は手押し車を毎日盗んでいたのです。いかにもラカンが好きそうな話ですが、「手押し車」を「メタ・メッセージ」と書き換えると、コミュニケーションについての恐るべき真理が明らかになります。メタ・メッセージは「情報についての情報」ですので、誰もその真偽や理非については問わない。警備員はこれを組織的に見逃すのです。
だからもっとも賢いメッセージ発信者はパーソナルなメッセージを「手押し車」のかたちにして発信するはずなんです。これは誰にも咎められず、どこまでも、誰にでも届くから。
情報化社会における「情報強者」とは良質な情報をたくさん所有している人間のことではありません。そうではなくて、自分の個人的なメッセージを「手押し車」に載せてやりとりできる術を知っている人間のことです。パーソナルなメッセージをあたかも価値中立的で、真偽の判定になじまず、「警備員たち」の検査の眼をを逃れるものであるかのように発信できる人間が、情報社会における情報強者だと僕は思います。つねに「自分がいま発信している情報についての情報」を繰り込むことのできる言語能力が情報社会における階層差の形成要因であるというのが僕の仮説です。自分の言明に含まれる真実含有量についての検査値を公開しながら話すんです。楽しそうなんだけどなあ。
サンデル教授ってインチキでしょ?って言ったのはウチダの個人的な感想でありまして、理由は二つ。ひとつは、「正しい決断をしなければならない」という状況設定そのものが間違っている可能性を吟味していないこと。「正しい決断をしなければえらいことになる」という状況に立ち至る前に、「そんな決断をしなくてもいい方向」に向かう分岐点がいくつもあったはずなのに、それを見落とした自分の知性の不調についてはなぜか主題化されていない。これはアメリカ的知性の特徴なんだと僕は思っています。事が起きたあとの「対症マニュアル」の整備には熱心だけれど、そもそも「事を起こさない」ための「予防的配慮」については驚くほど関心が低い。そういう国民性格の内側から出てきた「ナショナルな弁証法」だということについて、あまり自覚がないみたいだったので・・・というのがひとつ。もうひとつの理由はホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」に出てくる伝道者たちに相貌が似ていたから。サンデルファンのみなさん、ごめんね。
えーと。
仮にそいつをA男としよう。A男は中学で知り合った時から全くもてず、社会人になるまで一度も彼女ができなかったんだ。
仮にB子とするよ。B子は身長が低く、華奢な体つきをしていた。
そして小顔で目が大きくパッチリしており、黒目が大きく、鼻も口も整っていて、色白美肌だった。19歳の女子大生だけど童顔で、女子高生か、どうかすると女子中学生に見えるくらいだった。
比べるとAKBが色あせて見えるくらい可愛かったんだ。本当にアイドル級という感じ。
髪はきれいな黒髪で、服装は地味でおとなしい感じ。しかも趣味は読書だという。
当然処女で、彼氏もA男が初彼氏。A男はB子をとても大切にしていて、キスより先は一切していないと言っていた。
A男に紹介されたときは本当にびっくりしたね。
なんでこんな可愛い子がコイツと付き合ってんだ?って。
A男は別に金持ちなわけじゃないし、顔だってよくない。しかもキモオタ趣味まで持っているヤツなんだ。
しかもB子はオタクじゃないのに、A男のオタ趣味を理解して付き合っているという。
本当にいい彼女ゲットしたな!と冷やかしてやったよ。
それから2週間くらい経ったとき、地元の道を歩いていたら、道路の反対側をB子が自転車で走っているところを見かけたんだ。
そうしたらB子のほうも僕に気付いて目が合い、B子がこっちに何か言おうとしたのか、会釈でもしようとしているような様子を見せたんだ。
その瞬間B子が自転車ごと転倒し、車道に転げ落ちたB子の頭を大型トラックが轢いたんだ。
一瞬のことで、何が起きたのか理解できなかったよ。
B子の後ろを歩いていたおばさんが、鋭い悲鳴をあげた。
僕は、なんだか混乱してしまって、B子がどうなってしまったのかそれ以上見ないようにして、そのまま早足で駅に向かって電車に乗り、用事を済ませて普通に家に帰ってしまった。
翌日、A男から、B子が死んだという電話が来た。「濡れたマンホールでタイヤが滑り、転んだところにトラックが来てはねられてしまった」という話だった。A男は泣いていた。
頭を轢かれて…という話はされなかった。でも僕は見てしまった。B子の頭だけが轢かれてしまうところを。
形を留めているどころか服を着たままのきれいな身体と、赤黒くなった道路が、何度もフラッシュバックする。
あれから僕はただでさえ二次元オタク傾向があったのに、三次元を一切受け付けなくなってしまった。かわいいなと思う子はたくさん居るけど、そう思った瞬間にB子の死体がフラッシュバックして、全く恋愛感情や性的興奮がわかないんだ。
こんなこと誰にもいえないよ。
日本の電子書籍の市場は2009年段階で米国の300億に対して574億とすでに世界一の規模を誇っている。
ただし日本の場合、携帯電話向けに配信されているコミックやケータイ小説が9割以上をしめているのが特徴で、すでに飽和気味である。
一般書に関しては専用端末が普及していなかった上、電子書籍化に関する契約の仕組みが整備されていないといった理由から、積極的な動きが見られていなかった。
(中略)
ちなみに、2011年はもうすぐ数字出るけど、アメリカの市場が2000億めざす一方で、日本は700億程度。一般書は50億にもみたない。
野村総研によれば、ガラケーを除く電子書籍向け端末の類型販売台数は2015年までに1400万台の規模になると予測し、それに応じて
2012年度は900億(うち一般150億)、2013年は1100億(うち一般400億)、2014年は1300億(うち一般600億)と見積もっている。
ただし、一般書が伸びるといってもipadやkindleのサービス以外からどれほど売上が発生するかは未定。ぶっちゃけほとんど期待できないといっていい。
むしろしがらみが少なくて金を払ってくれる顧客がいる場所であればはどの国よりも早く対応するんだよね。
企業で働くってのはそういうことで、やると決めたら動きは早いし、徹底的にやる。組織プレイはすごく強い
問題は、余計な法律とか、既成概念が多い所では、積極的に動ける人がいないってことなんだなぁ。
電子書籍は、既存の本から市場を奪う性質のものではないと思っている。
(マンガやラノベは除く。マンガは新作からメジャー作までさっさと電子書籍に移行すべき。ワンピースとかもう家に買って置くのは不可能。
境界線上のアレも、単行本でよむ気がしない。ラノベは電車の中で読むという読書スタイルに全く合わない。自炊サービスに頼んだけど断られるとかなんなの?)
私なんかは本に書き込みができないと困るし、目次や脚注に行ったり来たりできないと読んでて辛い。基本的にはまだまだ本がいいのだ。
このあたりが解決されない限り、一回読んだ本を保存する、という「自炊」「電子で保管」程度の利用方法にとどまると思う。
むしろ、電子書籍は、最初はむしろ友達におすすめするときなどに便利だと思うので、そこで消費が伸びるはずだ。
「布教」が手間いらずで行われ、口コミなどの形で広まるはずだ。「読まれなくても買われる」本の数が伸びると思う。
Kindleのレンタル機能などにも注目しているが、これも本の消費を減らす結果にはならないと思う。
うまくやれば、しばらく本と平行して電子書籍の売上が純粋に伸びていき、途中から統合されるような形になっていたはずだ。
それを、業界内での権利の争いやら、書籍リーダーの開発遅れなのかここでも権力争いだったのかはよくわからんが、
不毛な駆け引きに明け暮れて、新規の取り組みを阻害してる間に、全部kindleかAppleに持って行かれるであろう現状がなんとも情けなや。
BDとHDDVDの争いのような、普及する前から規格争いをしていたメーカーと比べると、なんともチンタラしたお話で残念であります。
先に結論から。
岩崎夏海さんの文章には決まった楽しみ方がある。
「彼の独特の美学」をみつけた上で、それが文章の枝葉末節にどう影響しているかを探る、というものだ。
間違っても頭から文章を順番に読んで行こうとか、彼の言ってることが現状を踏まえて妥当かどうか、とかそういうことを考えてはいけない。
http://blogos.com/article/27749/
それらがいったりきたりするのでカオスぶりが半端無い。
読者としては「何が言いたいのかわからない」「マジキチ」と評したくなる。
まともに読んではとてもついていけなくなるだろう。
しかし、実は彼の記事はどれもテーマは極めてシンプルである。彼の文章は、己の美学を語るためだけにある。残りは装飾にすぎない。
彼は基本的に現実についてあまり知らないし知ろうとしない。彼の理論、現実の制約も、比較対象も、実証もなにもない。美学とはそういうものなのだ。
そういう「些細なこと」に気を取られずに本というものは、野球というものは、マネジメントというものは、読書というものは「かくあるべし」だけを考える。
だから、現実はこうだろ、とかそういうツッコミは野暮というものである。確信犯なのだから。
他者への批判とかは客寄せパンダ以上の何者でもなく、本人も力入れて書いてない。いちゃもんつけられれば前後関係がおかしくても気にしていないのだろう。
なぜそこまでいちいち煽って人を集めなければいけないかというと、まぁ個人的な美学というのは普通に書いてもだれも読まないたぐいの話で有るし、職業病というのもあるのだろう。
今回でいえば「作者と読者の関係はどういうものが理想であるべきか」という点について彼なりの美学が語るのがメインである。
Q:「購入者は何に対して金払うのか? 」
作品ではなく、作者にカネを払う。曲やコンサートというよりはAKBそのものを応援するために金を払う。
そういう仕組みのほうがお互いにメリットのある関係を築けるはずだ、という。
どちらかというと作家というか、ジャーナリズムに近づいている気もするが、確かにこの流れがうまく回ればなーとは思う。理想論としてはありだと思うんだよね。
今回の記事で理解すべき部分はここだけである。
他にも多少彼が最近かぶれているらしい「自然と一体化した人間」みたいな思想も含まれているが、そこは私にもよくわからないのでスルーする。
他の部分は、この彼の独自の美学というか理想を、無理やり現実に当てはめたらどうなるか、という話だ。
もちろん、たとえば著作権や教育に関して、彼はほとんど知識が無いので、現状を踏まえて考えると言ってることはおかしいのだが、そこは重要でない。
特に他者の引用や他者への言及が始まったら、すかさず読み飛ばすことを強く推奨する。
私が岩崎さんを好きなのは、こういう「常識にとらわれない」ことと、文章に何らかの「核(彼自身)がある」点である。
少なくともありきたりではない。彼の書く文章は彼にしか書けない唯一無二の文章であり、それが面白い。
面白い、という軸で評価するなら主張の裏付けについて、個人的な体験の比重がとても大きく、非現実的な主張が多いことも欠点ではない。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081004/1223046127
世の中には、核(自信)があってどこか堂々としている人と、核(自信)がなくてどこか不安げな人の二通りがいる。どちらが良いとか、どちらが悪いというわけでもない。どちらにも一長一短があり、そのあるなしが人間そのものの価値を決めてしまうわけでもない。それでも、ぼくはできれば核はあった方が良いと考えている。それは、ぼく自身が核のない人間で、それでずいぶん苦労したという思いがあるからだ。今振り返ると、苦労した分いろいろ学べたこともあるから、核がないのは本当に悪いことばかりではないのだが、それでも、あるのとないのではやっぱりある方が良いと思ってしまう。ないものねだりかも知れないし、隣の芝生は青いからなのかも知れないが、自信を持って堂々としている人を見ると、いつだって羨ましいと思ってしまう。だからぼくは、そういう核がない子供を見ると、なんとかしてそれを植え付けることはできないものかと、傲慢かも知れないが考えてしまうのだ
だから、みんなも枝葉末節や常識にとらわれないで、素直に彼の独特な文章を楽しもうじゃありませんか。
http://anond.hatelabo.jp/20110610173821
ひねくれて読むとこうなる。でもこういう読み方をしてはいけません。
と言う人に「どんな?」と聞くのは、自分の頭の中を検索して、相手が喜びそうな話題を探すため。
だから「話題のニュース」とか「おもしろ映像探してる」とか、相手が話題を振り易そうなことを言えばいいんだよ。
と言ったときに、「どんなサイト見るの?」「どんな本読むの?」と聞かれて、
とっさに何もでてこなかった自分に幻滅。
金をかけずに時間をつぶすためでもある。
これについては達成している。
これについては達成してる/してないは一概には言えない。
確かに、聞かれたときに、答えられなかったというのは、アウトプットという点では読書があまり役に立っていないということになるが、会話のバックグラウンドとなる知識は確実に増えている(はず。人間の脳は多くのことを記録している。ただ思い出せないだけ)。
それならば、読書やネットの後に、振り返って、記憶を思い出させる事、人に話すことを想定して整理することをこころがければいいのではないだろうか?
でも、何だかなあ。
元々、人と話すのが苦手だからこういう一人でできる趣味をしてるのに、
本末転倒もいいとこ。
飲み会での話された内容と敗因と今後の課題について以下のようにまとめてみた。
家政婦のミタがかなり流行っているようで、全くチェックしていなかった為頷くだけしか出来なかった。
テレビ無いからって言った時のみんなの哀れみの目が忘れられない。
要テレビジョン。
星座に絡めて性格や伝説を覚えておくことで相乗効果が生まれ記憶に定着しやすくなる可能性が高い。
要天文ガイド。
星座と絡めて一発で当たった時にかなりの盛り上がりを感じた。
対処法がよくわからないが、星座と同じように性格等を絡めて覚える必要あり。
動物占い。
釣りとか、鉄道とか、とにかく何か一つ強い奴はモテると言うのがわかった。
話し振られて特に趣味がなく、しばらく沈黙した挙句に、思いつきで古いファミコンゲームの話を切り出してしまい完全に無視された。
よく考えれば読書と絵があったが、ラノベと漫画じゃちょっと恥ずかしい。
テレビが無いと言ってそれほど経っていないのに嫌がらせ??なのかと思った。
思い出せる限りの女子アナの中ではチノパンとか好きだったと思う。
もう相当古いと思うけど。
今はカトパンと言うらしいが、見た目は全然好みではないし、イマイチ。
高橋真麻は正確がよさそうで良い。
石原さとみの唇最高とか言って、なぜかかなりの盛り上がり。
そう言う話で良いのだろうか。
最近の若くて可愛い子で言うと大橋のぞみちゃんとか…さすがにこの年ではキツイだろう。
昔ファンだった貫地谷しほりちゃん。
以上、次回飲み会に向けて頑張ろう。
思えば僕は積み重ねというものができない。
(これは深夜に活動するのが嫌なと手の皮膚が弱く荒れるので仕方なかった)
小学校のころ習ってて今もたまに泳ぐ水泳も上達することなく競泳的な泳ぎ方ができない。
今はほとんど聞かない。
だっていくらお金づきこんだところで2年に一度来るかこないかわからないアーティストだし
未だにとりあえず聴いている。良いのはわかる。気に入ってプレゼンにつかった曲もある。だから何だ!
てきとーに本屋に足を運んで
気軽に読めるものだけ読む
せっかく読んだ本の感想とか書こうとおもったけど続かなかった。
意識高く熱くなろうと頑張る。
でもインプットしたものもアウトプットしたところで金にならず終わる。
何もやってないわけじゃないけど
何やっても単発でおわる。好きなことも
お金とかの問題ややっぱ目の前で連載や放送されてるそのものが好きだから。
絵とか描いてみたいと思うけどめんどくさい。
自分に関係ないと思ったものに対しての熱の入れようがあまりに低い。
人の名前はほんとにそれが原因かも。
かなりドライ。ケータイみたらわからない名前がいくつかあって消した。
長期的な視野が大切と「理解」はしても「納得」できてないから結局コツコツした努力が無理。
まじめっぽくふるまってていつの間にか辞めることおおい。
もちろん友達も少ない。
これを読んだらこう思うべきなんだろうか?とか想像してしまう。
実際やるとその過程で見えてくるものがあると頭では「理解」してても、実際過程を楽しむ行動が取れない。
将来とかもどうでもいい。
みんながするんでしょ?とか思っちゃう。これ何二病?
でもそんな生活実際やったら楽しいんだろうなとか思ったりもしている矛盾
何したら楽しいの。
何かを好きになるのは自分の自由なのに
それを好きと言い続けられる精神がない。
それはまわりの目を気にしているからだと思う。
何が好きかがステータスになるから。褒めてくれる人や賛同してくれる人同調してくれる人を求めてしまう。
一方でステータス全面に出している人と会話するのめんどくさい。
今論文やってるんだけど
他に関心が移る。まぁ実際そっちをやっても対してできないんだろうけどさ。
せめて何か一つのことに強制で集中させてくれる合宿とかあったら
よろこんで参加するのになー。
30歳までに1000万貯めるのが目標。
私はまともな人と再婚できるのでしょうか。
私の今までの人生、聞いて下さい。
高校卒業後、専門学校へ。学費を親に返す為にバイト代を節約した結果、コツを覚え今これだけの貯金が出来ています。
更に「シンプルライフ」に目覚めた為、更に毎月の貯金額が増えました。
結婚は1年間していました。
今とは価値観が全く違います。恥ずかしい過去です。DVで別れました。
時給900円、22時から1000円。
月に9~10万貯金して、年に約100万口座に。
残りのお金は年に2回くらい海外旅行で使います(安いアジアやグアムへ行きます)。
こんな生活を続けながら、彼氏とお付き合いしていました。
お互いに結婚を意識して付き合っていましたが、相手は35歳フリーター(同じバイト)。
絵の仕事をしたいから、バイトしながら絵を書いている、らしい。
結婚したいから就職して、と言い続けていましたが、2年間「するする」と言いつつ活動せず。
頑張って~♪、と思っていたら後日、
「FP3級の資格とる!職業訓練コネで紹介してもらえる事になりそう。月に10万も貰える!」
と言い出しました。
『ハァ?FPとDTPに何の繋がりがあるねん!?ハァ?????』
驚きついにブチギレた私は顔に水をかけて罵声を浴びせました。
その結果殴られました。
そしてその時に
「お前就職就職言うけどなぁ、何がお前に出来るねん、貯金と料理と一人暮らし出来たら偉いんか?ああん?」
と言われハっとしました。
確かに私は何も出来ないです。
後日、この彼氏の前に付き合っていた彼氏からタイミング良く連絡があり、元サヤになりました。
久々に会った彼は1ヶ月前に就職していたのです。付き合っていた当時は派遣社員でした。
29歳・月収手取り15万・ボーナス無し・ローン有・貯金無し・パラサイト
こんな人です。
就職してる~!!
と嬉しくて付き合いました。
この彼氏にも後日
「お前フリーターの癖に何なん?社会経験何もしてない癖に俺に文句言える立場?就職してから文句言ってくれる?」
でも好きなので別れるか迷っています。
この彼氏の母親は教師なので、女は就職して働くのが当たり前という考えです。アルバイトやパートの女性を見下しています。
当時彼に言われて渋々就活し、2回面接に通った事もありますが、1・2ヶ月で辞めました。
それに、就職しても今より手取りは減るし、専門卒でも高卒と一緒なのでボーナスのある会社に28歳で入れるとは思えません。
最近、日本が破綻すればこの貯金の意味も無くなる可能性が出てくると知り、ただやみくもに貯めるだけでは駄目だと思い、バイトを減らしています(だから今の手取りは24万です)。
減らした時間で勉強・読書・自己啓発しています(本とネットで)。
私は読書を殆どした事が無く、学校も授業を聞いて居なかったので漢字が読めません。
本が読めるようになりました。
そして次は簿記2級を受けます(3級は取得済)。これは何となくの理由です。
とにかく「何がお前に出来るねん、貯金と料理と一人暮らし出来たら偉いんか?」と言われ、何かやらないと、と思って適当に選びました。
2級程度で就職出来ると思っていません。
かなり厳しい道のりですが、無理なら無理でいいし、知識にはなるんやし、やってみようかと思っています。
もちろんFランに行っても意味が無いので、国立大学以外に入る気は無いです。
私のようなフリーターで貯金と料理と一人暮らししか出来ないような馬鹿な女でも、いずれまた恋人が出来て再婚出来るのでしょうか。
再婚願望は、酷い言われかたをしたので正直そんなに無いですが、今のバイトもいつ無くなるか解らないので不安です。
自己啓発していると、同じような人としか付き合えないと書いてありました。
そうすればいい人と付き合えるかなと思って。
私がまともじゃないから、相手もまともじゃない、んだと思います。思いたくないけど。
年収は少なくても、身の丈に合った暮らしが出来る人なら良いです。
お付き合いしていた彼氏はあればあるだけ全部使う人だったので、辛かったです。
用事を済ませたあと、怖くない先輩として有名な俺は、後輩と部員ではないが後輩の友達という院進学を控えた女子大生一緒に談笑。
ひとしきり語り合った後、「何かあったらアレだし(どれだよ?)、連絡先教えて」と女子大生に声をかける。
厳密にいえばナンパじゃないかもしれないが、ナンパを始める前はこんなメアド交換の申し出もできなかった。
ナンパなんてしない(できない)けどサークルやバイト先で彼女を作ってる奴らは、これくらいのことは平気でできてたんだろうな。
コミュ障の俺はナンパという迂回路を経なければ、ここまで来れなかった……。
自宅への帰路、レザージャケット、デニムのショートパンツと黒タイツに身をつつんだスタイルのいいメガネっ娘を発見。女子大生のこともあり、深追いすることもないかとそのまま帰宅しようとしたが、「それは逃げじゃないか?」という内なる声に気がついて、追いかける。交差点の信号で見失ったが、おそらくこの先のスーパーで買い物だろう(手ぶらでバッグも持ってなかったので駅までは行くまい)。案の定、店内で再度見つける。店内の照明でようやくはっきり顔を見たが、造形はまあまあであるものの、ニキビで肌荒れがひどい。これは行かなくてもいいか、という気もしたが内なる声にまたもや叱咤され、店を出た後を追いかける。今度は交差点で追いつき、信号待ち。
「こんばんは、すごくきれいな人だったんでご挨拶しなくちゃと思って」
「あはw…・・・(照れ笑い)」
声をかけるとたいていの人ははにかんだ笑顔を見せる。嬉しさ30%、恥ずかしさ70%というところか。
娘「いえ、まだ何もやってないんで」
娘「いや」
娘「いや、彼氏のところで」
俺「あ、彼氏いるんだ?じゃあ、メル友だけでもなって(「そりゃこんなに可愛かったら彼氏いるよね」くらい持ち上げれば良かった)」
娘「彼氏が怖い人なんで」
俺「彼氏、メル友くらいはいいよって言ってなかった?」(某ブログからパクリ)
俺「じゃあ、番号教えるから一度だけでいいんで記念に連絡ちょうだい」とメモ渡す(あわてて書いたから字が汚い、何とか読めるだろう)
俺「よろしくね。突然話しかけてごめんね。怖かった?」
娘「いいえ大丈夫ですw」そう、非モテが声かけたくらいで女の子は気分を害したりしないのだ。
俺「じゃ、またね。レザージャケット決まってるね」
ちなみに俺は、割と読書家でフェミニズムやジェンダー論もある程度読み込んでいる。この知識とナンパという行動が矛盾してるのかどうか、いまの俺にはまだわからない。