はてなキーワード: 言葉とは
「無理」というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ。
…途中で止めなければ無理じゃなくなります。止めさせないんです。漏電しようがブレーカーが落ちようが、とにかく一週間全力でぶん回す。そうすればスパコンはもう無理とは口が裂けても言えないでしょう。無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。
気になる、調べましょうね
調べました
車輪が発明されたのは紀元前だが、「車輪の再発明」という言い回しが発明されたのは20世紀になってからのようだ
「車輪の再発明は良くない」というのは誰が言い始めた言葉ですか? 日本で広まったのはいつごろでなぜですか? | Quora
Reinvent the Wheel – Idiom, Meaning & Origin | GRAMMARIST
The term reinvent the wheel dates back to the 1950s, often used as a business and advertising metaphor.
One of the earliest published occurrences of the phrase dates to 1956 and is found in Documentation in Action from an article concerning how research workers, executives and others use information:
「車輪の再発明」という用語は1950 年代にまで遡り、ビジネスや広告の比喩としてよく使用されていました。
このフレーズが最も早く出版されたものの 1 つは 1956 年に遡り、研究員、幹部などが情報をどのように利用するかに関する記事が「Documentation in Action」に掲載されています。
なるほどねえ
これ以前に全然別の文脈で「車輪の再発明」という言い回しがあった場合、「車輪の再発明」が車輪の再発明されていたということになりネタとして面白いんだが……流石に無いかもな
これは日記です
24.3.18
体調の最悪期が続いていて、そうなると言葉も出てこなくなるので本当にどうにかしないといけないが、立ちあがろうとすると何かしら厄介事が降り注いできて、自分を甘やかしたくなってまた不健康にというループ。彼女とは「いいね」でなんとなく繋がっている感を味わっているが、俺が週末旅行していたことを知られていないように、俺のアップしたものは念入りに見られているわけでもなく、礼節の範囲内でのいいねであり、ただそれが単純に嬉しいという微笑ましさ、いや気持ち悪さか。自分が今あらゆるものに興味を持続させられないように、他者も俺に興味などないのだという当たり前の思考ができないバランスの悪さはおそらく生まれ付きで、唯我独尊を唱えながら弟子もいない悟りもしない釈迦。悟れないというのはつまり執着を捨てられていないということだが、問題は俺が何に執着しているか自分でわかっていないところで、叶えようも捨てようもない極度に抽象化した希望だけが耳元から首の後ろをフワフワと周回していて落ち着くことがない。それがなくなった時に訪れるのが自由か悟りか諦めか死なのか、希望を弄んできたようでいて弄ばれながら夜に沈んでいる
検索システムで探せば容姿は可愛いく美人な女性が、自分の条件と合致する人は、1700人も表示される。
希に写真写りが少し違うだけで実物のほうが可愛い女性もいるが、大半は<劣化版>が来るかな。
最初は期待外れだと感じていたけど、今は違い、世間一般に受ける見た目に無理矢理させられている、と思うようになった。
素の人間なら吹き出物やシワくらいあるよな。
言葉の表現が難しいが、結婚相談所が作り出す虚飾の枠の中に生身の人間が無理矢理ははめ込まれている。
特定の価値観が支配的であるような感じで、<保守的>とも言える。
・席の確保は男がする
・プロポーズも男がする
・女性は聞き役に徹し男を立てる
まるで女性は三歩下がって後ろを付いて参ります、の世界じゃん。
伝統的な男性像・女性像に無理矢理はめられたデートを教えられ、男女関係とはそういうものだと教え込まれる。
自分は世間一般の普通という名の価値基準に照らせば、ランクが低いか、ずれた人間だと教えられたような気がして自身をなくし憂鬱になる。
だけど、今まで異性との交際経験がなかったり、うまくいかなかった人に対しては何かを教えないといけなくて、それが保守的な考え方なんだろうな。
既成の価値観のレールの上でスペックの高い者が婚活の勝者になれる。
でも、それは結婚に求めることではない。
誰かの価値基準に染まらず、自分の軸で婚活をすることだろうな。
と最近思ったりした。
いわゆる人間関係リセット症候群だろうか。これまでの人生で、何度も人とのご縁を無理やり断っている。
現実の付き合いなら習い事をやめたり学校を卒業する節目に、インターネット上の関係性なら何の前触れもなくやってしまう。突発的にLINEをブロックして、他のSNSのフォロー/フォロワーも解除、相手からは連絡が取れないようにする。
最悪のクセなのは分かっているんだけど、「自分は気持ちが悪い人間で、絶対周囲に迷惑かけている。いない方が良い」という気持ちに突然陥って、自分でも止めがたい。
人間関係のキャパシティが小さいのか、知り合いが増えると物凄く疲れてしまって、どうにか減らさないと心身ともに不調になってしまうというのもある。
ここからが本題で、最近なぜか上に書いたような縁を切った人たちのことを思い出すようになってしまった。一緒にこれをしたのが楽しかったなとか、こういう部分が人として素敵だったなとか。それで連絡を取りたくて仕方なくなってる。
やろうと思えば、ブロックリストを辿ったり昔のリプライ欄を遡ったりして簡単にメッセージを送れちゃうんだよ。でも自分から唐突にフェードアウトしたのに今更のうのうと戻ろうとするなんて、相手にとって気持ち悪い以外の何者でもない。あまりに失礼だ。そもそも忘れられている可能性も高いと思う。仮に連絡は取れたとしても、仲良くしていた頃のような関係性に戻れる確率なんて無いに等しい。
なんとか思いとどまりたいけど、誘惑に負けそうな日が続いている。もしこれを見た人がいたら、連絡を取ることについてどう思うかを教えて欲しいのと、反対派ならキツめの否定の言葉をぶつけてくれたら嬉しい。
そんな女言葉使う人いる?
1.不純さへの疑念
「あの有名クリエイター」が亡くなった、と聞けば確かに大きな喪失感はある。
だが、自分のような一般オタクはあくまで、コンテンツを通して当該人物を知っていただけのいち消費者に過ぎない。
それはつまり、本人の存在の消失というより、その人が生み出すコンテンツがもう増えることがない、という事実に対しての嘆きに過ぎないのではないか。結局は己の損得でしかないのでは。
そのように疑ってしまうと、「ご冥福を心からお祈りいたします」とは軽々しく言うことができない。
2.消費への抵抗
SNSとは一種のUGCであり、そこに参加するということは、互いに言葉をコンテンツとして消費し、消費される関係に同意することだと思っている。
ふだんはあらゆる出来事をネタにして軽薄に笑い合っていても、人の死と「お悔みの言葉」まで消費の輪に組み込むことにはどうしても抵抗がある。
それならば、心の中だけで冥福を祈って、表面的にはいつも通りのくだらない大喜利ツイートを続けていた方が、まだしも純粋な追悼の気持ちを守れるのではないか。
死は、人間にとって最も重大な出来事の一つだ。故人の存在が大きければ大きいほど、それは残された人々を激しく動揺させる。
そんな状態で口を開けば、余計な本心や、逆に思ってもいないようなことをつい言葉にしてしまい、あとで後悔することにもなりかねない。単純に炎上の可能性もある。
安全性の点からいえば、何も言わずに済むに越したことはないだろう。
同業者や関係者など、半ば義務としてひとこと言わざるを得ない立場の人々には正直同情する。
とはいうものの、そんな小理屈は当然わかっているがそれでも何かを言わずにはいられないんだ、という意見もあるだろう。
そこまでの強い衝動が生まれないのなら、それはその程度の悲しみに過ぎないのだ、と言われれば返す言葉もない。
なんにせよ、あくまで自分はこう考えた結果として訃報をスルーしているという話であり、他人の行動を制限するつもりは毛頭ない。
皆、それぞれの形で故人を悼めばいいと思う。
llmの登場によって私の思考には新たな側面が加わった。うん、私はllmをしばくうちに次のような考えを得た:
辞書に載っているような言葉の定義は、意味ベクトルの説明のために他の言葉の意味ベクトルを合成しているわけだ。
もう一つは、言葉と意味ベクトルは、時の流れと状況に応じて離れたりくっついたりするということだ。
貴様の意味が変わったのは有名な話だ。せいぜいとか、お前、もそうだな。
そして、言葉と言葉の意味ベクトルは、個々人の知識と経験に依存する辞書によって個々人に届けられる。
哲学者とかは、その辞書による曲解を防ぐために、できるだけ意味の限定された言葉を合成して物事を説明しようとする。
あるいは、抽象出来事の隠喩に意味ベクトルを持たせたりすることもある。
もし自分を表す言葉がなければ、自分の意味ベクトルを表す言葉を考えれば良い。
ポツチャマみたいな頭MURだと言葉を選ぶ知能すらないから多少はね?
しかし…一旦職場に慣れはじめると何考えてるのかわからない近寄り難いダディーに大変身!
おちんちん喋らせてくださぁい?
ご褒美はないんだど?
「推し」なんていないし、何か夢中になれるコンテンツがあるわけでもない、
ただネットで無料のエロを漁ってるだけの人間が「オタク」を自称しているケースが多い
エロコンテンツは基本使い捨てで、別に「推し」もいない、いたとしてもすぐ飽きてころころ変わる、「推し」に大して金を使っている訳でもない(むしろネットで無料調達ばかり)、
漫画もアニメも大して興味はなく、原作もろくに知らずにネットでエロ二次創作を漁っているだけ、
そういう「男オタク」、沢山いるよね
彼らは「二次元エロ絵を好む人間=オタク」と思っていて、「何かに夢中になっている趣味人=オタク」という定義でオタクという言葉を使っていない
日本では相変わらずの人気ジャンルである一方、海外ではそこまで人気というほどでもないRPG。最近では「JRPG」という言葉も定着しつつあり、「Fallout3」や「Fable II」のような海外製RPGと、日本製RPGとを明確に分けて考える動きもあったりする。
そんな中、イギリスのゲーム雑誌「THE OFFICIAL XBOX MAGAZINE」のサイトにおいて、「JRPGが変えなければならない7つのこと」(原題「7 J-RPG Hates(And What Needs To Change)」)なる記事が掲載されて話題を呼んでいる。
多少筆者による意訳が入ってはいるものの、記事内で指摘されている「変えなければならないこと」とは、簡単にまとめると以下の7点。
パーティに一人はいる、幼い子供のキャラクター。でも生きるか死ぬかのミッションに、9歳の子供を連れていくのはどうなの?
90年代以前のような、記憶に残るような悪役がいない。誰だって魅力のないケチな悪役なんかと対立したくはない。
3:装備を変えたら外見も変わるべき
せっかくすばらしい防具を手に入れて装備しても、彼らが着ているのはいつも同じ服。主人公たちが成長している実感がない。
ほんのちょっと前までは華麗に銃弾をかわし、巨大なモンスターを翻弄していたキャラクターを、ムービーシーンで突然殺すのはやめてほしい。
「ゼルダの伝説」のように、ダンジョンではもっと頭を使わせてほしい。単にザコとのランダムバトルでイライラさせられるだけのダンジョンにはうんざり。
7:ヒーローにも悪の側面を
私たちが見たいのはもっと複雑で、深みのあるストーリー。世界はそうはっきりと白黒に塗り分けられるものではないし、時には世界を破壊するようなヒーローも必要では?
http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0902/03/news054.html
今話題の車椅子の人がなんで批判されてるか、「平等」とか「公平」って言葉を出してる人がいたので絵にしてみた。 pic.twitter.com/YPMPdes0Mw— もっちーに (@motsura) March 17, 2024
本家(インプ8000万、いいね1万ちょい)を除くと数字上はたぶんこれが一番バズってるのかな?
わー、車椅子で映画館でゴネた女、れいわ信者で役満だけど。
それ以外にも猫を車内でケージから出してる😓
画像は多目的室らしいけど、車内ではペットは全てケース内にしまうように書いてあるね?https://t.co/mFUZ3JBxaU… pic.twitter.com/FjkwqgxjBr— もふもふ(白) (@pmanrouu824) March 17, 2024
過去、多くの車椅子ユーザーが自分を担いで階段をのぼれと要求して炎上してるけど、
『障害ゆえに自分が重い物を持って運んだ経験がないから、車椅子ごと人間を持ち上げて階段を運ぶことがいかに無茶なことか想像ができないんだろう』
というツイートを見てめちゃくちゃ納得した。なるほどね。— Henry (@HighWiz) March 17, 2024
インプレッション数は350万だが、いいね数3.5万と驚異のいいね率(閲覧者の1%越え)を誇る
批判側のポストはインプ数が7桁でもほとんどはいいね数4桁止まりで、5桁でもギリギリ1万越えくらいが関の山
いやぁすごいなこりゃ
これまでも車いす炎上は数あれど数字で見てもここまで批判側が上回ったのはちょっと記憶にない
なんとなくウクライナ侵攻やパレスチナ紛争以降の戦前ムードと能登半島地震の非常時ムードが合わさって「今は平時じゃないからそんな余裕社会にない」って内心思ってる国民が増えたのかなと感じてる
昨晩はダンジョンの奥深くにある小さな空間で寝泊りしたんや。天井から垂れる滴が時折聞こえるくらいで、ほぼ無音の暗い場所やった。フェミちゃんと一緒に寝ることになり、ドキドキしたけど、結局何も起こらんかったわ。
今日は、ダンジョンをさらに進んでいく中で、変な生物に出会った。蝙蝠に似てるけど、体はもっとふわふわしてて、目が大きくて、なんとも言えへん愛嬌があるんや。最初は驚いたけど、この生物は怖がらせるつもりはなさそうで、むしろ好奇心旺盛にワイたちを追いかけてきた。
しばらくすると、この生物がついてくるのが面白くなってきて、フェミちゃんと相談して「ゴミー」と名付けることにした。「なんか、そのふわふわしてる感じがゴミみたいやな」とワイが言ったら、フェミちゃんが「でも、可愛いゴミよね」と笑って、その名前に決まったんや。
ゴミーは不思議な生物や。何かを食べるときは、空気からエネルギーを吸収してるみたいに見えて、直接何かを口にするわけじゃない。そんなゴミーを見てると、ダンジョンって本当に不思議な場所やと改めて感じるわ。
食事の時、フェミちゃんが突然、男性への憎悪について語り始めた。「本当に、男性って自分たちのことしか考えてない。女性を蔑ろにして…」と彼女が言い、ワイは男なのに、と思いながらも黙って聞いてた。フェミちゃんの言葉にはいつも強い信念があって、それを否定することはできんかった。
ダンジョンを少し進んで、今は次に何が待ってるかわからん状況やけど、ゴミーも加わって、少しは心強い。ただ、フェミちゃんの男性への憎悪を聞いて、ワイがこの旅でどう関わっていけばええのか、少し考えさせられるところがあるやで。