はてなキーワード: 自分とは
家で飲み直そう、といいつつ私はコタツでウトウト。寝るなー、ビールまだ残ってるよー、とかいいつつ乳首つまんだりクリいじったりされて
気付いたら自ら腰振ってたorz
どうしたの、腰動いてるよ?とかびちゃびちゃだけどどうしたの?とか優しい口調だけど結構なSっぷりで、物凄く感じてしまった…
お互い恋人いるのになぁ。
みんなが熱心になり始めると彼はめんどくさいなーと感じ始めます。
そういう時は…そう、止めた方がいいんです。
彼は自分には解決出来ない壁の大きさを感じて距離をとろうとしているだけなのです。
2chスレまとめとかで、結婚についての話題があったら興味あるから読むようにしてるんだけど、定期的に見かける、
「結婚するとかバカじゃねーのwwww」
などと独身の男たちが言い合ってるスレはあまり好きじゃないな。
とか言ってるけど、結婚したことないくせに何言ってるんだと思う。
自分のまわりには、結婚してよかった、パートナーや子どもたちの顔を見たらどんな辛いことでも乗り切れる、って言っている人ばかりだ。
勿論良いことばかりじゃないだろうけど、それでも一緒にいたいと思う相手と結婚できた彼ら・彼女らは幸せだとはたから見てて思う。
とか言いつつ、俺もまだ独身・彼女なしのまま三十代に突入しているんだが、結婚したくない最大の理由は、
に尽きる。
誰にだって、仕事だとか住む場所だとか、その人の望む人生がある。それが、自分みたいなしょうもない人間と一緒になることで歪められてしまうのは見るにしのびない。
それ以前に相手がいない、というのはさておきね。
同じような考え方の独身男、いない?
たしかにね、自己嫌悪している間は他者から傷つけられることはないからね。
私も仕事のことについては同僚に厳格さを求めてしまったりするよ。
お金もらってモノつくっているんだしね。
時に激しい言い合いになることもあり、そうなってしまった時は引きづらない
ようにその日のうちに世間話とかしながらお互い笑って終わるようにしているよ。
自分の考えや作ったものを否定されると自分自身も否定されたかのような気持ちに
なり、怒ったり悲しんだりする人いるけど、その人個人を否定したわけじゃなくて、
一緒に抱えている問題について、一緒に考察しているだけなんだよね。
「シェア」とか「繋がり」とかが、時代のトレンド、テーマのように考えてたけど、なんか違和感が芽生えてきた。
何をもってシェアや繋がりが大事なのか。今まで、若い世代は近所付き合いなどの繋がりが薄く、それを円滑にするためにシェアが大事だ!って言ってると思ってたけど、今の世代はメディアが言うほど繋がりに植えていないし、自己中心的な人や空気を読めない人は排除されるコミュニティに成り立ってて、繋がりに飢えているはずがない。(あるのは、自分が誰かを演じてる違和感の方だ。)
人付き合いが薄くなってるっていうのは、単純にコミュニティの形成、形式が変わってきただけなんじゃないか。
その中でも、若い世代はコミュニティをきちんと生きてるように俺には感じる。「人間観察が趣味です。」とか意味不明なこと言いながら、必死に空気を読みながら生きているじゃないか。
それでもなお、やれ「シェア」やれ「繋がり」などと、背中を押されているように見えてきたのだ。
では、何故シェアや繋がりをテーマにもってきたのか、それは時代や世代がそうさせたんじゃなく、社会や企業がそうさせたに過ぎなかったと思ってきた。
仮定する筋書きは以下。
→若い世代の消費行動とか、もう全然わかんない、全然予想できない。困った。てわけで、シェアさせよう。ネットに赤裸裸に書いてもらおう。
→メディアでまず、「若い世代は人間付き合いが下手。」「昔みたいな人情も無い。」レッテルをはろう。
→レッテルを貼ったら、あとは若い世代向けトレンド(ケータイなど)から「シェアせよ!繋がりが大事!」と号令をかける。
→流れに敏感な若い世代は、自分を”ウィキリーク”させていき、消費行動や世代性を惜しみなく公開。
→ああね、なるほどね。新しい消費行動もだいたいわかったから、もう号令かけなくていいよ。 ←今ココ
シェアって、そもそも何を指してたのか。
みんな情報は金になるのを知ってるくせに。海外にどんどん負けながらも、国内での生き残りも大変な企業。畳み掛けるように現れた、「スーパーコンペティション」の現象で、有益な情報はもっとシェアされなくなっていく。
政府や東電が情報を公開しない事を全面的に否定できないのは、自分たちだって重要な事はシェアしないからじゃないのか。
日本国民がもってる問題は、ほんっとうに根が深い気がした。
インターネット上でのシェアなんて、まだ「エンターテインのシェア」と「自分ウィキリーク」どまりなんだと思う。
ここでいう苦労人とは、進学するお金がなかったり、家庭環境にめぐまれなかったり、いろいろとめぐり合わせが悪くて、自分の判断や努力以外でのっぴきならない境地に立たされた人のことです。
まず、苦労人であることは特に触れられることがない限り隠しておきましょう。別に自慢することではありません。
苦労人であることやそれによって得た経験やスキルは評価の対象になりません。
とても残念なことでありますが、あなたが引退して、成功者インタビューを受けるときまで、そのエピソードは封印しておくのがベターです。
苦労だったり、他人の失敗に巻き込まれたり、天災に巻き込まれたりした経験は、自分にとってプラスではありますが、水平飛行の人生を送ってきた人からみれば、特異値をもったスキルや考え方は脅威です。ツメは隠しておきくことをおすすめします。
苦労したタイミングで、徹底的に誰かに助けられるような状況ならば、問題がないのですが、苦労人は、その苦労をなんとかぎりぎりで克服できたのではないでしょうか。克服できたことは大変大きな自信につながります。自信は持っていいのですが、この自信もそっと胸のうちに秘めておきましょう。
どん底から見てはいけないものがあります。水平飛行の人生を送っている人たちの不平不満です。
車で歩行者突っ込んだ人、バスジャックしちゃった人のように感情の高まりがすべてをリセットさせる方向へ暴走しかねません。しかし、そのくらいのことで世の中は変わりません。より多くの水平飛行の人生を望む人がいるからです。
恵まれてくると、生きる困難に立ち向かうためでなく、どうでもいい人生の枝葉のことに対して不平不満をいうようになります。
そういう人に近づかないことは重要です。近づかなくてもインターネット上の交流サイトでは、見たくなくても見かけてしまいますので、情報の取捨選択には過分に注意を払ったほうが、余計な気持ちのフラストレーションを発生させることもなくいいと思います。
水平飛行中の人の悪事を偶然にも目にすることがあるかもしれません。しかし、これはあなたにとってチャンスではなくトラップです。
あなた自身がかかわることは何のプラスにもなりません。義侠心や正義感から何かしらのアクションを起こしてしまうかもしれません。
それは、災いを招く以外のなにものでもありません。積極的に応援しない立場をとるのが今後のためです。
あなたのコツコツした積み重ねよりもむしろ、降って沸いた幸運のほうがはるかに効率がよかったりします。
幸運があったら、大切な人とこっそりと分け合ってください。人に見せてはいけません。
あと、あわてる必要はありません。われ先にいった人は次の信号で止まって待っています。
一日に寝る時間も、一回で食べれるごはんもお金持ちでも貧乏人でもそんなに変わりません。健康食材を食べても死ぬ人は早死にしますし、ジャンクなものを食べて長生きする人は長生きします。
一人の人が管理できるものの絶対量は決まっています。たくさん持ちすぎるととそれを管理することに時間と手間をとられて楽しめません。
死ぬときは手ぶらです。持ち物を少なくしておかないと残った人に迷惑をかけることもあります。
大切な家族といっしょにご飯が食べれることのような他愛もないことが実は一番のしあわせだったりします。そんな他愛もないことからすら見放されてしまったかのように思い込みがちです。
そのくらいの幸せならば、ちょっとしたきっかけで、ふっと幸運が沸いてくるのではないでしょうか。
それでも、へこたれそうなときは、あなたが祖国やふるさとの一員であることを思いだしてください。あなたが締めるネジが、あなたが読み取るバーコードが、必死に打ち込むプログラムコードが、「ありがとうございます」という挨拶が、あなたの運ぶ荷物が…、私たちの国を地域を作っているのです。このような考え方は、戦後の日本ではタブー視されてきたかもしれません。苦しいとき、つらいときにこっそりと心の中で思い出してください。あなたは一人ではありません。
ぜんぜんアドバイスにもなっていないかもしれませんが、あなたの大切な人をいちばんに思って生きてみてください。それだけです。
以上、送ることばでした。
「カッコイイ、俺の青春!」的物言いが出来てしまう人の多さに驚く。
YouTubeのコメント欄で「AKBが偽者でBOØWYが本物」的なことを
匿名とはいえ平気で書き、プラスアルファで「ゆとり死ね」とか言ったり。
そんなこと言ってる自分たちのほうがよほど幼いというか。
子どもや赤ん坊に対する慈しみってやつ。時に成人男性に対しても。
母性本能をくすぐるなんて言ったら、男のわがままや甘えがなんでも許されちゃうんだよね。
対して、母性本能をもたない女性は男からも女からも非難される。
なのにさ、みんな男も女も母親に夢みすぎなんだよね。
まぁ、これはいいとして、女は本能に束縛され、男は本能に甘えすぎ。
浮気したいのは多数の種をまきちらしたい本能だから仕方がない?
理性で考えようよ。とにかく。
子どもを愛せなくてもいいじゃん。
産まなきゃいいし、養子って手もあるし。
処女じゃなくてもいいじゃん。※
避妊があるし。
多数の女とセックスしなくてもいいじゃん。
どうせしたところで生ませないじゃん。
人間はそろそろ本能の呪縛から離脱して性別を超え個として生きるべきじゃないの?
※処女うんぬんに関しては
そりゃ東電は原発事故の被害者を全力で救済すべきで、風評被害も含めて手厚く補償しないといけないと思うよ。予測できない事故だから免責なんて、そんな主張をするつもりはない。
でも俺がもし、決定権を持つ立場だったら、たとえば2006年の時点で福島第一の津波対策に予算をどのくらい出せたか?津波にさらわれない位置に予備電源を移動させる決断ができたか?自信がない。
今回の津波は、「過去にあのあたりで何度もあった」という人もいるけど、実際にどのくらいのがあったのか検索してみると俺の探し方が悪いのか三陸海岸の津波とか861年?のとかがヒットするだけだ。三陸海岸とはまるで地理的条件が違うし、過去最大の津波が38mだからそれに耐えられるようにしろって、福島第一に38mの津波が来るようなら三陸海岸は100m超えちゃうよ。1000年以上前の津波なんて文献が信用できないし(昔の人は何かと大げさだからね)逆に言うと1000年以上来てないのに対策するって決断できる?俺にはできない。
共産党が津波の危険を指摘していた(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-02/2006030201_01_0.html)というのも、これ予備電源が流されちゃうよって内容じゃないよね。実際に起こったトラブルを予言しているわけではない。正直言ってアカの手先のおフェラ豚が訳のわからないことを言ってるぜ、と思ってしまいそう。津波が来るような地震ならどうせ緊急停止しているんだし、引き波なんて1時間もすれば収まるんだからそのあと取水しても間に合うっての。っていうかピンポイントで「地下に予備電源があると冠水したときやばいよ」って指摘だったとしても、どうかな、ポンプがあるから冠水なんてしませんpgrってところだろう。
これは俺の個人的資質に欠けるところがあるからかもしれない。想像力に重大な欠陥があるせいかもしれない。でも自分が東電の立場になったら同じ事故を起こさないと断言できるかどうか、自信がない。
それで、自分自身を助けることは、出来るのか?
どちらも、終わった後に、自分が充実しているのか?
なんて、斜め上を考えたり。
仮に、風俗嬢に、プレゼントしても、ありがたがられても、考えている程の見返りが、あるのか。
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天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
(中略)
私は知った。
人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。
私は知った。
神のなさることはみな永遠に変わらないことを。
それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。
神がこのことをされたのだ。
人は神を恐れなければならない。
(中略)
私は見た。
人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。
だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。
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男が男としての本能とやらに忠実なのは、本質的にはそれが最も幸福だからだよ
もちろん、成長し知的で生産的で社会的な活動を行う事も幸福だろうけど
それに身を任せる事以外に何一つ良い事がないからこそ
そうするだけだ
雪崩は、たった一粒の小石によって引き起こされることもある。
1月21日、ケンブリッジ大学の数学者 Timothy Gowers が、
長年に渡ってエルゼビア社の論文誌をボイコットしている理由について、ブログに書いた。
オランダに本社を置く同社は、一流誌 Cell や Lancet をはじめとする2000件の定期刊行誌を所有している。
ノーベル賞の数学版とされるフィールズ賞を受賞した Gowers 博士は、この状況を望ましくないと考え、
今回のブログ記事が他の学者もボイコットに参加するきっかけになれば、と望んでいた。
実際、それが起こった。
Gowers のブログに感化されて、数学者 Tyler Neylon がオンライン署名サイトを設置し、
そのサイトを通じて研究者2700人以上(訳注:日本語訳執筆時点では5300人以上)が署名し、
自分の研究をエルゼビアの論文誌に投稿せず、エルゼビアに投稿された論文を査読せず、エルゼビアの編集作業にも協力しない、と誓約した。
その数は、数学者の表現を借りるならば、指数的に増大している。
実効性をともなっていくとすれば、大出版社にとってこれは、革命をつきつけられたようなものである。
Gowers 博士の非難は3点に集約される。
第一点として、エルゼビアの製品の料金は高すぎるということ。
第二点として、論文誌の「抱き合わせ」が広く行われているために、図書館はある論文誌を購読しようとするとき、興味のない他の論文誌もセットで買わなければならないこと。
第三点として、公的資金による研究に対して政府がフリーアクセスを要求することを禁じる法案(たとえば米国議会で審議に入る Research Works Act など)を支持していること。
エルゼビア側によれば、これは誤解を招く言い方だと言う。
2010年には、20億ポンドの収益に対して7億2400万ポンド(11億6000万ドル)の利益を得た。利益率は36%。
しかし、同社の Director of global academic relations の Nick Fowler は、
この料金は業界の平均的な額であり、ここ数年の値上げ幅は他社より低いとしている。
Fowler 博士によれば、人もうらやむエルゼビアの利益率は、同社の効率的な経営の結果以外のなにものでもないという。
Neylon 博士による動議は、より広い文脈での学者と出版社の衝突の表れのひとつと見ることができる。
その衝突は、オンライン出版の台頭によって、ますます鮮やかに描き出されてきた。
学者は情報の自由と流動性に重きを置く文化に属しており(そもそも論文の査読と編集を無償で行っており)、
出版社は情報へのアクセスに課金して利益を最大化しようとする組織であり、
同時に権威ある論文誌の(すべてではないにしろ)ほとんどを掌握しているからである。
一触即発の状況は長年続いていた。
2006年には、 エルゼビアが出版する数学論文誌 Topology の編集委員会の全員が、アクセスの囲い込みと料金高騰への懸念を表明して辞任した。
ドイツの出版社シュプリンガーによる論文誌 K-theory の編集委員会は2007年に解散した。
多くの人は、ことが荒立てられるまでにこれほど長くかかったことに驚いている。
出版社をそのサイクルから追い出すことができる環境は十分に整っていた。
実際、商業出版の代替物をつくろうとする動きは何度か起こった。
コーネル大学のウェブサイト arXiv (X はカイの音のギリシャ文字を模しており、「アーカイブ」と発音される)は1991年にできた。
研究者は、まだ論文誌で出版されていない物理学の論文をそこに投稿することができ、
Public Library of Science (PLoS) は2000年にできた。
こうした動きへの熱意があったにも関わらず、伝統的な出版社の支配が続いたことには理由がある。
arXiv の論文は、公開後に容赦ない批判にさらされることは確かなものの、投稿前に正式なピアレビューは行われない。
PLoS は一部を寄付金でまかないながらも、論文1件あたり2900ドルの掲載料を課す。
これは著者の負担となり、金策に悩む大学にとっては無視できない金額である。
少なくなりつつあるとはいえ、電子版のみの出版に対する偏見もある。
こうしたことが重要なのは、大学と個々の研究者が、出版した論文の数と掲載された論文誌の名声に応じて評価されるからだ。
ともすれば新しい道具に挑戦することが期待される若手研究者は、その前に既存の権威ある論文誌で出版しなければならない。
さもなければ、発言力もなく昇進もない。
そして、新しい論文の採録を決める権限が権威の高い論文誌にあるために、「権威」の定義は少しずつしか変わらない。
商業出版社は、たとえば読者ではなく著者から料金をとるなどといったオープンアクセスのアイデアを試そうとしている。
しかしボイコットが広まっていけば、ことは急激に進展する可能性もある。
けっきょくのところ、学者が出版社を必要としている以上に、出版社には学者が必要なのである。
突然失脚する直前まで、えてして体制側は無敵に見えるものだ。
来たる学術の春にはご用心を。
・ずっと迷ってた。
わたしも日々ちゃんと普通に生きてるよ。
あの時のことは、今でも毎日思い出すけれど。
そのたびに、辛い思いをするけれど。
それでも、朝起きて、ご飯食べてる。
もしわたしを見つけたら、声をかけてくれるかな?
・あ…
雪…
…
……
そっか…
そっかぁぁ…
じゃあ、春希くんがこれからどうすべきか、
わたしに聞かなくてもわかるんじゃない?
こんなところで、わたしにかまってる暇なんか…
・春希くん、わたしの昔のこと、知ってるでしょ?
今の彼女の気持ち、わたしがどう感じてるかわかってるでしょ?
なら、今のわたしが求めてるものもわかるでしょう?
・ねぇ、春希くん。
今…あなたが一番守ってあげたいのは、誰?
うん…
うん……
やっと、言えた、ね?
いろいろ、意地悪なこといってごめんね?
彼女を、守ってあげてね?
昔のわたし、救ってあげてね?
あなたは、治せる人を治してあげてね。
彼女を貸してくれませんか?
もう関係ないはずのわたしがこんな事言うなんて、
お門違いも甚だしいってわかってます
それでも、一度だけ話をしたい。
彼女の悩みを聞いてあげたい。
彼女のこと、知りたい。
絶対に、春希くんには迷惑をかけません。
・杉浦小春さん。
そこまで頑張って…
あと、そうやって自分ばかり責めないで。
ほんと、春希くんに聞いたとおり。
…そんなところまで、彼そっくりなんだから。
・・春希くんが選んんだんだよ。
わたしは、いられない。
それでも、どうしても会いたかった。
…ながいこと付き合わせて悪かったね?
けれど、もう帰る時間だよ。…もちろん、春希くんのところにね
・危なかったなぁ。
思わず、途中でやっちゃうところだった
でも、もういいよね…
ノルマ、果たしたよね。
姉として。そして元カノとして…
二週間も我慢したんだから…もう、いいんだよね?
ひとことでおっぱいといっても
いろんなおっぱいがあるんだよ
それは形だけでなくて柔らかさも様々なんだよ
それを理解するために、風俗行っていろいろ試してみるのをおすすめするよ
いや持ってるよ。同じ感情。勝手に変な脳内補完するのはやめて欲しい。
もう一人の増田に合わせて言えば、ヤクザみたいに、自分たちが日陰者のゴミだと自覚してやってるならまだわかる、というのはある。
楽しさがコストに見合わないと思ったら払わないという選択肢もあるという話でしょ。
けっこう前に告発系の記事を書いたのだが、数か月たった今の状況を見てもあんまり盛り上がらなかったようなので反省をする。はてブが10もいかないってのは失敗。んなもん自演で頑張れる範囲だっての。俺ってこういうセンスがないのかな。それとも努力不足なのか。とりあえず反省していこう。
やっぱり面白くないといけないみたいだ。一応やらおんと萌通についての記事を参考としたんだけど、ただ事実を列挙しても相手が小物だったから盛り上がらなかった。これは誤算。コンテンツとして物足りなかったようだ。執拗なまでに証拠を揃えていたので「これが事実なの?」って意見はつぶすことができたけど、同時に「わりとどうでもいい」という感想を抱かせてしまうことなった。やっぱり優先されるのは面白さ。面白くないと犯罪だってニュースに登場しない。もっとアイデアを捻れば良かったと思う。そもそも「記事」として面白くなければ話題にはなり得ないのだ。面白い事実なんて存在しない。解釈と肉付けあってこそ。
記事の書き方もまずかった。個人的な狙いとしては未来のためにソースとなる記事と、その事実がどういった意味を持つかを書きたかった。記事を読んだだけで何が起こっているのか、どう判断したらいいのかが分かるような記事。しかし、これらの二つを組み合わせるのは案外難しい。慣れないもんだからところどころに綻びがあった。それに詳細のリンクを踏んでくれる人は少ないから出来れば一つの記事にまとめるべきだったのだろう。分かりやすくないとまず読んでもらえない。読んでもらっても理解されない。みんな暇じゃない。
盛り上がらなかった要因としては初動の遅さが大きな原因。はてな匿名ダイアリーが注目されるのって、例外なく「影響力のある人が言及して」からみたいだ。俺の記事はそれがあまりに遅かった。おそらく投稿するのが適したタイミングとかあると思うんだけど、それがいまいち分からない。これはもう運だと思う。だから仕方ないといったら仕方ないんだけど、せめてこちらか記事を拡散するように働きかけるべきだった。自演垢ではてブ三つ付けるくらいのことはしないと。まあ俺が影響力があればいいんだけどね。地道に努力しよう。
それと大事なのが愉快犯として突き通すこと。書き手の属性はツッコミどころがある最悪な奴で良い。これを学べたのは一番の収穫。下手に倫理観に則っていても、かならずツッコミどころががある。それくらいなら始めから悪意を込めて、恣意的な記事にすべきだった。私はこう思う。君たちはどう思うか。なんて面倒くさいことはせずに「消えちまえwwww」とか書いとけば良かった。俺はピエロになるべきだったのだ。しかも思っていなくても正義に訴えかけていたら、本当にそんな気がして悪いことをした気持ちになった。これも気を付けたい。ひたすら腑抜け野郎を煽っていこう。まずは自分で草生やして自分が燃えろ。
で、良かった点。これはミスリードを狙ったこと。まんまと相手が引っかかった。別に大した意味はないけどただ気持ちいい。絶対に特定されないからどうでもいいんだけど。これから告発系の記事を書くときもミスリードは採用しよう。なんか悪あがきって感じで恥ずかしいけど楽しいのでアリ。
今後の告発に備えて切り込み隊長の記事でも読み返して煽りのセンスでも鍛えてくる。今思うと、相手が小物すぎたんだよな。どれだけえげつないことを暴露しても、マイナーな人間がやってたら話題にならない。それでも記事の書き方次第では注目されると思うから、今度はまた機会があれば頑張っていこうと思う。書いてみないと分からないと思うけど、たまに話題になる告発系の記事ってわりと難しい。読んだ人に「これはスキャンダルや!!」って思わせるのはそう楽じゃない。あれって様々な工夫がされてある。不勉強でした。
それは「ある側面においては」だからでしょう。
点数で評価するなら、この側面において評価すると-20点ぐらいであるにもかかわらず、世間的な評価が総体として-120点ぐらいであるとすると、なんだか気になりますよね。
点数はもちろん個人的な評価なのですからばらつきはあるにしても、その大きなギャップは埋まるものなのだろうかということです。
類似したビジネスモデルに対して同じ感情を持っているとは思えないところもあるとすると、「このビジネスモデルにはクソ」には何か飛躍があるのでしょう。
「合理的な行動をとらないと事前にわかっている人に対して、それを助長し過剰にドライブすることを前提にしたビジネスなので、まあネガティブな印象」と自分で説明をしてみましたが、