はてなキーワード: 憂鬱とは
勤続二桁目前で適応障害でぶっ倒れ、数ヶ月休職した影響で自分は昇進できないだろうとは理解していたが、後輩が昇進するのは納得できない。
適応障害の原因は色々あったが基本的には対人のストレスだった。耄碌してミスを連発する嘱託のジジイの尻拭い、他部の上司から受けたハラスメント、先輩の育児休暇に伴う人手不足とカバーする気のない上司と後輩、相談しても「なんとかなる」しか言わず、朝言ったことが夕方には変わってる上司。「なんとかなるんじゃねえ、なんとかしてんだよ」と言う前に眠れなくなった。
休職から復帰したら、元いた部署の後輩は自身の担当の仕事以外、午後の仕事をすべて免除されていた。「技術習得のため、資格試験のため」と上司から免除されたと他の部署の先輩から聞いた。
私がやっていた仕事と後輩の仕事が免除されている分、溢れた仕事を先輩が巻き取らされているらしくめちゃくちゃイライラしていた。平謝りした。
ぶっ倒れたと聞いた途端に上記の嘱託ジジイから宗教勧誘を受けたので、ジジイから距離を取るべく元いた部署には戻らず他の部署の仕事をしばらくこなしていた。
元いた部署の後輩は部屋中にベタベタと試験勉強の付箋を貼り、談笑し、スマフォをいじっていた。「甘やかされてんな〜」と思いながら過ごした。
こちらの仕事が火を吹いて昼休憩もろくに取れずグロッキーになっていても、上司は手伝いどころか様子を見にも来ず、後輩にコーヒーを奢ってキャッキャウフフと談笑していて、爆弾を投げ込んでやろうかとも思った。
先輩曰く「いつものこと」らしい。
後輩は試験に落ちた。
何なら仕事を免除されてない別の部署の後輩は受かり、仕事を免除されていた後輩は落ちた。
自分と先輩の「は?」のタイミングがあれほど揃ったことはないだろう。
「上司は腹切るかエンコ詰めるかするんか?」と思ったが今のところ腹も無事だし小指も無事である。
それなのに試験に落ちた後輩は昇進するらしい。
しかも仕事の免除は継続らしい。今年も試験に落ちたらその時点で即退職しよ☆と思った。
めちゃくちゃ憂鬱だ。
「後輩さんが昇進するんだからそっちに仕事を回してください。自分はヒラなので」って言っても、こっちにヘルプ要請が回ってくる。昨日もそのせいで残業して、後輩はさっさと定時で帰った。チョコザップに行くらしい。
めちゃくちゃ憂鬱だ。
即座に辞めた方がいい気がするが、夏のイベントに持ち込むだけのボーナスは回収したい。お金ほぢい。
まだ上司と昨年度の業績についての面談をしていないんだが、「いつエンコ詰めるんですか?」ってどうやって聞いたらいいんだろう。
って思って付き合ってた友達が居たんだけど
ずっと私を大事にしないし
私もあんまり友達多いわけじゃないけど一人の時間も嫌じゃないし
たまに集団行動とっても、気を使いすぎることはないし
切った友達だった子に対しても、別に私を優先して一番に考えて欲しかったわけじゃなくて、自分の下ネタよりの恋愛話を聞きたくないって言ってもするところとか、身体の特徴について「太った?」とか「(胸大きくなったの)揉まれた?」とかそういう発言やめてほしいっても聞いてくれなかったりとか、私と会ってる時に彼氏連れてくるとかしてほしくなかったとか、ときかく私のやめて欲しいと言ったことは聞き入れてくれなくて、親に私が同人書いてるとかコスプレしてるとか口止めしてもバラしちゃったこととか、デリカシーがとにかくなくて、舐められてるなとは思ったんだけど本人に悪気とか一切ないんだよね
これだけ損ねてもいいんだと思ってるつもりもないみたいで本気で友達いないの自分のやらかしだと思ってないみたい
これを普通の人にいうと、悪気ないわけないとか言われるけど、ああいう人間と接したことない人にはわからない感覚なんだろうけど、何度指摘しても注意してもきょとんとしてるんだよね
自分にも悪いところは無いわけではないけど、それでもどっちもどっちの度をこえてることがあるのを指摘すると私の自分勝手とか我儘に付き合うみたいに言われるのもつらくて連絡とってない。
匿名だと人間はこんなに悪意に満ちたコメントが書けるのかと憂鬱になる。
増田のコメントを社会全体のコメントだと思うな。ここは悪意に満ちている。
外に出て外の景色を見ろ。
隣人を愛せ。
ストレスが溜まっているときは休むとか、進むのをやめるとか、そういう対処が当たり前だったけど、むしろ逆なんじゃないか。
病気のことは詳しくないが、少なくとも私はそうだった。休むと何も変わらない日に、無為に過ぎていく日常に、取り残されていく感覚に、もっともっと深い憂鬱が押し寄せてきた。
人がこんなにも結婚や出産をするべきだという思想が根強いているのも、そこから来ているんじゃないか。
独身で日々をすごすと、何もかわっていない。社会人になってから何も前進していない人という感じがする。
このままじゃいけないような気がしてくる。人は変化を恐れるのに、変わらないということはとても大きなストレスらしい。
私が社会人になってゲームばかりするようになったのも、何も進んでいない自分を慰めるための、ただの逃避だったのだろうな。
進むとは何だろう。動物なのだから、やはり結婚して子供を持つことなんだろうか。それが「進む」ということなんだろうか。
なぜ人は進みたがるのだろう。私は進みたくない。
里帰り出産で実家に帰ってきてるけど、65歳過ぎた父親について悪い意味で昔と変わったなぁと思うことが増えた。
・大事な話を共有してくれない
去年から私が里帰り出産することは家族に言ってあったけど、父親が私が帰る頃直前になって「俺も手術するから入院する」って初めて言ってきた。
私だけじゃなくて同居家族にも直前に知らせたらしい。
家族全員寝耳に水で「は?なんて?」みたいな反応。
今までも定期的に病院で診てもらってはいたけど、体調が悪化してるなんて一言も言ってくれなかった。
病院どうだった?って母が聞いても「食事気をつけてれば大丈夫らしい」くらいの返事しか今までしてこなかった。
詳細は伏せるけど、手術後は多少なりとも家族の協力が必要そうな状態。
食事管理も必要だろうに、聞いてもどうすれば言ってくれないから私たちが自力で調べてアレは大丈夫?コレは?って一々聞くしかない。
・日常でも事前共有がない
買ってこなくていいよって言ってるのに、足のはやいものを買ってくる。
・家事ができない
布団が自力でひけない、ゴミ捨てもしない、自分が使った分の皿洗いすらしない、物は使いっぱなし。
細かいところで言うとペットボトルの蓋すらまともに閉めないでユルユルのまま冷蔵庫にイン。
非常にストレス。
・落ち着きがない
これは昔から疑っていたことだけど、貧乏ゆすりや音を鳴らしたり多動の傾向がある。
自分の気持ちを整理するために書き出してみたけど、精神的な部分で病んでないか心配になってきた(認知症の可能性含め)。
これが大好きな父親だったら全力で助けなければと思うところだけど、私は昔から父のことがうっすら嫌い。
お金周りにだらしなく、支払い関係が滞っていたことだってあったと思う(隠そうとする気配はあったけど)。
うちは裕福ではないが、そう言った部分が疎かになっていたのは絶対貧乏だけのせいではない。父親の性格だ。
私も完全に出来た娘ではなかったからか、父親にはあまり好かれていないような気がする。
だらしない父親を好きになれず、冷たくしてきたから何も話してくれない人になったんだろうか。
冗談は言うし、どうでもいい芸能人の話はするのに、大事な話ができない。
包み隠す書くなら、余計に父の性格が悪化する前に、別人のような老人になる前に、お別れの時が来たら楽なのにと思ってしまっている。
そろそろ厄介おじいちゃんになるであろう父の介護を見据えて、真面目に向き合わなくちゃいけないのかも知らない。
とても憂鬱。
自己紹介!普通の社会人で、それなりに年をとっているおじさん。
最近の苦手な語は、TPOに応じて発さなければ行けない単語全般。例えば自己紹介だったり、世間話をしてる時に、自分が発したい何らかの作品の雑談だったり。
今日は銀行の来店予約があり、銀行に来店するも不意に「お名前は?」と聞かれて、あっあってなってしまった。
何とか言えたけど、あっあってなった事実と、何でこんな簡単な会話もできないんだと言う無力感。恥ずかしさと情けなさが込み上げてきて、落ち込んでしまった。
自己分析すると、自分は過敏性腸症候群の持ち主で、それは思春期の学生時代の頃に発動しており、騙し騙し付き合ってやってきたけど、そこから併発した自律神経の乱れなどもあり、知らず知らずのうちに精神を蝕み今に至るので、自分にとっての吃音は、きっとその症状の副産物なのかなと思う。
(元々吃音の気配はあったのだけど、他の悩みに打ち消されて顕在化しておらず、ここ数年は吃音に悩まされてはいなかった)
自分にとって特に苦手なのは、周りが騒がしい時に自分が何かを伝えなければ行けない時で、自分が正しく大きな声で発さなければ、相手に伝わらないかもしれないと言う恐怖心や気負いから、来ているようなのだ。
これは、昔親と会話していた時に指摘された、声が小さくて聞き取れない…と、聞き返されることが多々あり、それが呪い化しているのだと思う。
(これは、親が悪いと言う事ではなく、実際に声が小さくて聞き取れなかったのは確かなのでしょうがない…親がトリガーにはなったと言うだけの話)
なので、騒がしい居酒屋などでの会話が苦手。酔っぱらってテンションが上がれば、気持ちが盛り上がり自然と声が大きくなって行くので大丈夫になったりする事もある。
綺麗なんだよね、具体的に何がってわけじゃないんだけどさ
薄曇りの朝、肌寒くて風が強くて、それでも空は青くて高い、太陽光は間接的に建物を照らして、遠くには変哲のない山、ただ濃いグレーが木や土や石の多くの集まりによって作られているだけ
ただそれだけなんだけどさ
今思い出すとなんかこう、涙袋が熱くなるくらい、目の裏に刻んでおける景色なんだよね
今日過ごす一日のあまりにも長い時間に比べれば、そのトラックやらバスやら軽自動車やらの編み上げる音なんざ、全然気にならないんだよ
日常ってさ、こういう風に僕の真横を平行に貫く国道を駆ける自動車たちみたいにざーっと過ぎ去っていくんだけどさ
そんな自動車たちに追い縋ろうとして、僕はこんなものを書いたりしてるんだ
こんなことを書いたって所詮は徒歩、牛歩に近い徒歩なわけだから、何も追い縋ることなんて出来ず、ただ自動車的毎日にびゅんびゅん横を通り過ぎられ、圧倒され、蹂躙され、こうしてコンクリートの植木の脇に打ち捨てられた白い不織布マスクなんかを横目にまた一歩一歩なわけなんだけどさ
今、この目で見えているものを見えているものそのままに扱うと、とても鮮やかだよ
今日のタスクが、とか、今日は上司が、とか、気勢を削いでくるものは色々あるけど
目で見えている生のもの、それは国道を突っ走る自動車的だけれど、実は違うの
吸い込む外気も、空の色も、遠くの山も、建物の外壁も、国道沿いのトヨタやら日産やらの販売ディーラーも、葬儀屋も、iPhone修理屋も、洋菓子屋も、ガソリンスタンドも、信号も、母と子も、中年男性も
綺麗なんだよね、
たぶん誰も興味ないんだろうけどさ
眠れない日が続き、睡眠不足、疲れているのだなと思う。
そのようなときはおとなしく休むのがよいとされるが、仕事柄休みが週に1日しかないこともあり、たった1日しかない休みをただ休息のためだけに使ってしまうのがもったいなく感じる。
その結果、状況にもよるが1日にあれもこれもとやりたいことをやりたいようにやりたいだけやるのだけど、1日が終わるとさほど充実した気分にはならず、むしろ「明日からまた仕事か…」というサザエさん症候群に見舞われる。
そしてまた眠れない夜を過ごし、疲れをとりきれないまま、また憂鬱な1週間が始まる。
あるときは文字通り1日ほぼ何もせず休息のためだけに使ってみるが、今度は何もしなかった残念感、心身も疲れていないことから、結局また眠れない夜を過ごし、気分が晴れないまま、また憂鬱な1週間が始まる。
やりたいことをやっても、やらなくても、どっちにしても憂鬱なのである。
毎日が刺激に満ちて明るく楽しいことは求めないまでも、私は何をしたら、どうやったら充実、満足した晴れやかな気分になれるのだろう。
4月から小学生になる娘がいるが、めちゃくちゃ怖がりで、敵が出てくる系のアニメは一切観ることができない。プリキュアもドラえもん大長編もダメ。クレヨンしんちゃんも大長編はダメ。
何度か映画館にも連れて行ったが、悪役が出てきた時点で、「もう出たい泣」となるので、開始10分ぐらいで退出することが続き、娘が大きくなるまでは映画観に連れて行かないことにした。
悪役が出てくる場面だけでなく、主人公が失敗する場面や恥をかく場面も観ていられないらしく、アニメ観ていてそんな雰囲気を察すると、耳をふさいで部屋から出て行ってしまう。
今ところ好きなアニメは「忍者ハットリくん」。でもたまに嫌な(と本人が感じる)場面では出て行ってしまう。「できる猫は今日も憂鬱」も大丈夫。
今はこんな感じだが、成長したらちゃんと平気になるのかな。