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はてなキーワード: サブカルチャーとは

2024-04-17

ひとりの弱者男性としてオタク趣味を楽しむ若者が憎い

大人アニメを見たり漫画を読んだりするのは、かつて命がけの行為だった。

世間オタク趣味がバレるということは社会的な死を意味していた。

これは誇張でもなんでもない。

俺のオタクの友人のひとりは、勤め先でオタク趣味であることがバラされて会社に居づらくなり転職余儀なくされた。

当時は転職市場もそれほど育っておらず、待遇を下げに下げて何とか新たな勤務先に就職することができていた。

自身オタク趣味を持つことで数多の苦しみを味わった。

自分の好きな趣味他人と分かち合う」なんてごく当然の喜びをほとんど一切経験できないまま孤独に過ごしてきた。

年に1度か2度あるかないかの、僅かなオタクの友人たちとの交流の時だけが自分人生の喜びだった。

オタク趣味はひっそり隠れてやるべきことだった。

それが今ではどうだ?

新海誠映画が100億以上も売れる。進撃の巨人なんてグロ漫画国民的傑作ともてはやされる。

一体なんなんだこれは?

かつて俺達が隠れながらなんとかひっそり楽しんでいたサブカルチャーをいまの若者は当然のような顔をして楽しんでいる。

先日、職場に入ってきた新卒自己紹介で「私は漫画アニメが好きです」と言っていた。

課内の全員に向かってだ。

「流石に職場自己紹介でそれを言うのはどうなんだ」と後で説教してやろうと思っていたら、別の新人も「私も実はオタク漫画アニメが好きです。もし好きな人いたら一緒に語りましょう」なんて言いやがった。

その新卒どもは昼休みに集まって飯を食いながら葬送のフリーレンやチェンソーマンの話をしてやがる。

許せない。許せない許せない許せない。

かつて世間のみんなは言ったじゃないか。いい歳してアニメを観たり漫画を読んだりするのは恥ずかしいことだと。

オタク犯罪者予備軍だと。

日本はいつのまにか若者の大半が犯罪者予備軍になっちまった

露骨エロ描写グロ描写のある漫画アニメ日本文化の代表ヅラしてやがる。

オタク趣味は恥ずかしいことだともっと宣伝してやりたい。

何なら俺は最近フェミニストにも賛成だ。

萌え絵ポスター法律禁止しろ

美少女フィギュアなんて公然と売るような代物じゃないだろ。

なぁ、日本はいからこんな狂った国になったんだ?

アニメ漫画を楽しむ連中をもっともっと弾圧しろよ。

ひとりの狂った大人として最近若者に敵意を抱いている。

オタク趣味世間から爪弾きにされた俺達狂った人間だけのものだったはずだ。

2024-03-16

anond:20240316020948

Wikipediaにはブランディングされライト化、大衆化陳腐化してきた経緯もちゃんと書いてあるじゃん

世間からの「個性的でなければいけない」という外圧により、「無理して個性を作らなければいけない」と焦る若者が増えているとして、その理由を「カルチャーシーンからメジャー”が消えてしまたから」だと分析し[26]、「属するだけで安心できていたメジャーが消えてしまった今、彼らが探しているのは、要は“拠りどころ”なんだと思います自分が属しているだけで、楽しいと思える場所。それが、オタクという属性です。(中略)推し活動をしているオタクはすごく輝いているから、自分もああなりたいと切望する。もしそうなれて、オタクという属性を手に入れられれば、結果的自分は“個性的”にもなれる、と捉えている。だから正確に言えば、“オタクになりたい”んじゃなくて、“拠りどころになりうる、好きなものが欲しい”だし、それは“個性的自分でありたい”だし、一番正直に言うなら“

原田曜平は、非常に多くの若者たちが、自分のことを「オタク」と自称するようになっていることを挙げ、本来であれば、サブカルチャー好きを指す言葉であるオタク」というワードが、メジャーカルチャーにまで使われるようになってきていることに驚いたと述べている。また、話題になった作品だけをチェックしており、オタク知識は総じてそう深くない「エセオタク」が増えており、濃度の高いオタクガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄されることもある[28]。

また、日本政府観光資源の一環として、国策で「クールジャパン戦略を行うようになったのも2010年代からであり、迫害から一転し、おたく文化政府お墨付きの“体制側”の文化になったとも言える。

2024-02-21

ソシャゲvtuberで稼いでる奴らって昔はアニメなんかバカにしてたような連中なのに

知的障害みたいな奴ほど馬鹿みたいに金落とすのを知って商売し始めて

挙句の果てにやくざな稼ぎ方を日本の文化サブカルチャー!とか言ってるのほんま腹立つ

オタクオタクバカにする仮想敵を作ると頭に血が上ってなんでも擁護する発達障害だらけやし

知性のあったオタクはどこ行ったわけ?

2024-02-20

anond:20240220112730

https://note.com/bard99/n/n7b381e2f8f35

NPOを作ったことで、立命館大学主催するゲーム保存連絡協議会もつながるようになり、そこからあっと驚く国会議員陳情にまで至る話になるのですが、それはまた次回以降の話ということで。


https://twitter.com/nakatsu_s/status/1757621540722741746

すでに国会議員2名が動いているという、ちょっと洒落にならない事態になりつつあるので、現状報告が必要なんですよ。各所からお知恵を拝借したいのです。


https://twitter.com/nakatsu_s/status/1758730975364927909

私一人では荷が重いし、忙しすぎるんですよ。すでに2名の国会議員を巻き込んで、色々と進めていく案件になっているので、なかなかに大変です。ライトノベルに詳しく、一般文芸などにも通じて知見を得やすく、かつベテランから新人まで幅広く繋がる人望のある方、協力お願いします。てなとこと今晩の→


https://twitter.com/nakatsu_s/status/1758733916016660538

地方図書館は、まず「地方図書館の利用率をあげて地元住民寄与する」ことを優先しなければならないので難しいんですよ。韓国漫画サブカルチャー保護を熱心にやっているように、日本国家レベルで考えないと。自治体レベルでは解決できないという風に、山田議員からはうかがっております

https://twitter.com/nakatsu_s/status/1756541528057823483

赤松先生言及ありがとうございます現在、私の方はラノベ名作復刊に携わると同時に、文芸評論家・星敬氏が遺されたラノベ7万冊を活用できる方法を探して、山田太郎先生にもご相談をしております。この7万冊は緊急でどうにかせねばならないため、またご助力の方などお願いいたします。



山田太郎はほぼ確定か?

正直、山田しろ赤松しろ名前が出たら反発する層もいそう。

2024-02-16

2068年のAI問題

動画は半分がAIによる自動生成で

残りのうちのほとんどがAIで加工された動画

 

昔の日本の様子について調べるとフェイ動画、偽情報にあふれていて

どれが本物か見分けがつかない

ネットの有志で本物か偽物かラベリングしていく作業が行われているが

日々生成されるフェイ動画が多すぎて進んでいない

 

東京平成館という場所にはフェイクを完全排除した昔の映像コンテンツがあるらしいが

サブカルチャーについては詳しくないので結局ネット頼りである

 

最近の若者AI汚染が進んでいて、平成世代の昔の話すら「嘘だ」と決めつけている

ファンタジー平成ファンタジー昭和が彼らにとっては真実なのだ

本物の映像より偽物の映像のほうが説得力はあるのだが、そういうのは逆に怪しいと気づいて欲しい

あと教科書には映像一般化は昭和だったと書かれているのに、この前なんかは江戸時代映像が本物かどうかで荒れていた

昔はこんなことなかった、こうやって歴史AIにかき消されていくのを目の当たりにするとは思わなかった

 

最近恐ろしいのが、たった10年前の出来事でさえ真実を調べにくくなっていることだ

いずれすべてが信じられなくなる

2024-02-15

本当に男である俺も、胸がデカいキャラが苦手

元増田には「男じゃないだろ」という言及が集まっているが、実際に男である俺も異常に胸がデカキャラが苦手だ。援護射撃ではないけれど、どう苦手なのかを語ろうと思う。そういう男もいるのだ。




まず前提として、俺の場合は正直リアルの人でもオエっとなる。オエっとなるというか、見るとストレスがかかると言った方が正しいか

感覚としては、情報として無視できない重みがあり、居心地の悪さを感じる。




じゃあアニメ漫画だとどうか。これがまたよりオエっとなる。居心地の悪さが半端ではない。

ただこの居心地の悪さは「胸であるから」「胸が大きいから」という単純な話ではないと考えている。

せっかくの匿名なので、実例作品名を挙げて語ろう。




2023年に放映されたアニメで、最もクオリティの高かった作品は何か?

もちろん『お兄ちゃんおしまい!』だろう。この答えに疑問を挟む余地はないと考えている。

中学生女子になってしまった主人公パニックや成長を、素晴らしい作画演出によって余すことな表現していたこの傑作にも、難点があった。胸のデカギャルである

ギャルの胸だけ異様に肉感があり、異様に歪み、異様に光沢があり、異様に陰影がついているのだ。

『お兄ちゃんおしまい!』は色彩もデフォルメも美しい作品だった。だがこのギャルの乳ばかりは受け入れ難い。

技巧に溺れ、揺らすために揺らされた乳に、魂はない。

それは肉の塊であり、人の身体ではない。

肉体の変化によって膀胱の容量に変化を来し、慌ててトイレに駆け込もうとするまひろの肢体のような、繊細な美しさはないのだ。




これは勿論『お兄ちゃんおしまい!』に限った話ではない。

俺が思うに、日本サブカルチャーコンテンツにおいて「お色気」要素として提示される乳・尻表象は、その技術的水準が低い傾向にあるように思う。

他の巧みさに比べて、お色気だけ稚拙と言うべきか。誇張された乳や尻を描く時だけ、不自然な動き、不自然な光沢が発生するのだ。

美しい調和世界を壊さないでほしい。

察しの悪い消費者のために、「これはお色気なんですよ。だからここで興奮してくださいね」と親切心からわかりやすい誇張をしているという事情もあるかもしれない。それはあまり消費者を信頼していないように思う。フェルンの乳は揺れないし光沢もない。けれど、きちんと消費者は乳を盛ったイラストをこさえているじゃないか

(フェルンのデカい乳は俺的にOKです。たまに本編でしょうもない下ネタ対象になってるけど、映像的にはそんなに視線誘導されないし、変な揺れとか変な光沢とかないし。話めちゃくちゃ逸れるけどフリーレンって作風とか受容層の割に、谷間がガッツリできてるキャラ多いよね。アウラとゼーリエの乳が結構デカいことを、人の指摘で初めて気がついたよ)




話が逸れた。

調和に満ちた映像表現の中に、ゴロリと紛れ込む異物。それが俺にとってのアニメ漫画デカい乳だ。美しくない割に、やたらと存在感がある。

誰かのツイートで、お色気表現マヨネーズに喩えているものがあったけれど、これには俺も深く頷ける。

それで喜ぶ奴がいることはわかるが、そこになぜマヨネーズ(乳)をぶち込んだのかしばしば不可解であり、無視するにはくどい。

しかも、そのマヨネーズ(乳)は、しばしば人気があるということに胡座をかいており、品質が低い。




そんな風に思っている男もいるのだ。

本当に男である俺も、胸がデカいキャラが苦手

元増田には「男じゃないだろ」という言及が集まっているが、実際に男である俺も異常に胸がデカキャラが苦手だ。援護射撃ではないけれど、どう苦手なのかを語ろうと思う。そういう男もいるのだ。




まず前提として、俺の場合は正直リアルの人でもオエっとなる。オエっとなるというか、見るとストレスがかかると言った方が正しいか

感覚としては、情報として無視できない重みがあり、居心地の悪さを感じる。




じゃあアニメ漫画だとどうか。これがまたよりオエっとなる。居心地の悪さが半端ではない。

ただこの居心地の悪さは「胸であるから」「胸が大きいから」という単純な話ではないと考えている。

せっかくの匿名なので、実例作品名を挙げて語ろう。




2023年に放映されたアニメで、最もクオリティの高かった作品は何か?

もちろん『お兄ちゃんおしまい!』だろう。この答えに疑問を挟む余地はないと考えている。

中学生女子になってしまった主人公パニックや成長を、素晴らしい作画演出によって余すことな表現していたこの傑作にも、難点があった。胸のデカギャルである

ギャルの胸だけ異様に肉感があり、異様に歪み、異様に光沢があり、異様に陰影がついているのだ。

『お兄ちゃんおしまい!』は色彩もデフォルメも美しい作品だった。だがこのギャルの乳ばかりは受け入れ難い。

技巧に溺れ、揺らすために揺らされた乳に、魂はない。

それは肉の塊であり、人の身体ではない。

肉体の変化によって膀胱の容量に変化を来し、慌ててトイレに駆け込もうとするまひろの肢体のような、繊細な美しさはないのだ。




これは勿論『お兄ちゃんおしまい!』に限った話ではない。

俺が思うに、日本サブカルチャーコンテンツにおいて「お色気」要素として提示される乳・尻表象は、その技術的水準が低い傾向にあるように思う。

他の巧みさに比べて、お色気だけ稚拙と言うべきか。誇張された乳や尻を描く時だけ、不自然な動き、不自然な光沢が発生するのだ。

美しい調和世界を壊さないでほしい。

察しの悪い消費者のために、「これはお色気なんですよ。だからここで興奮してくださいね」と親切心からわかりやすい誇張をしているという事情もあるかもしれない。それはあまり消費者を信頼していないように思う。フェルンの乳は揺れないし光沢もない。けれど、きちんと消費者は乳を盛ったイラストをこさえているじゃないか

(フェルンのデカい乳は俺的にOKです。たまに本編でしょうもない下ネタ対象になってるけど、映像的にはそんなに視線誘導されないし、変な揺れとか変な光沢とかないし。話めちゃくちゃ逸れるけどフリーレンって作風とか受容層の割に、谷間がガッツリできてるキャラ多いよね。アウラとゼーリエの乳が結構デカいことを、人の指摘で初めて気がついたよ)




話が逸れた。

調和に満ちた映像表現の中に、ゴロリと紛れ込む異物。それが俺にとってのアニメ漫画デカい乳だ。美しくない割に、やたらと存在感がある。

誰かのツイートで、お色気表現マヨネーズに喩えているものがあったけれど、これには俺も深く頷ける。

それで喜ぶ奴がいることはわかるが、そこになぜマヨネーズ(乳)をぶち込んだのかしばしば不可解であり、無視するにはくどい。

しかも、そのマヨネーズ(乳)は、しばしば人気があるということに胡座をかいており、品質が低い。




そんな風に思っている男もいるのだ。

2024-02-13

トトロ火垂るの墓を同時上映したとかさ

結構やばい事してたよな

今同じ様な事したらSNS炎上するんだろうな

昔ってガキにトラウマ植え付けるサブカルチャー多かったよな

2024-02-06

anond:20240122023106

>話を本題に移すのだが、あの頃のインターネットをやっているやつは、みんなネトウヨだったと思う。

まずこの前提から納得いかない

2ch特亜板とかに入り浸ってた人をネットの全てのように錯覚したまま記憶してないか…??

てっきり「みんなネトウヨだと思っていたが、違った」ってここから目が覚めるのかと思ったら、この前提は動かないらしい…そんなことある…?

美談のつもりなんだろうし、まあある種の美談なのかもしれないけど、前提からおかしいから腑に落ちない…

サブカルチャーお約束で言えばいわゆる古典的な「不良がちょっとマトモになっただけでべた褒めされる」状態というか、

元がズレていたのが少し良くなりましたは美談なの…?

2024-02-05

anond:20240122023106

元増田と同世代で、同じくサブカルチャーを通してネトウヨを脱した。

あの時代ネットのそこかしこ半島揶揄する“悪質かつ愉快”なコンテンツが溢れていた。それらに日常的にアクセスする無知消防厨房嫌韓思想に染まるのは自然な成り行きといえるだろう。

ファビョーンと暴れるニダーイメージは、悪徳反日国家韓国北朝鮮へのヘイト感情違和感なく移行した。

今の若い子は00年代ネット空気に憧れていると聞くが、あの時代は数多のネットカルチャー黎明期であると同時に信じがたいデマヘイトに溢れた暗黒期でもある。Xで「〇〇人は劣等民族」などとほざいている悲しきおっさん達はひどいインターネット負の遺産なのだ

私も元増田と同じように、成長に伴って最低限のリテラシーを獲得し、信じていた愚劣な半島像がほぼデマか誇張だと理解した。

しか後遺症は残った。江南スタイル流行は内心怖いなと思っていたし、凶悪犯罪者が逮捕されれば「コイツもしかして」と一瞬悪い想像がはたらいた。

後遺症改善きっかけは韓国縦読みマンガだった。2012年ごろ、まだLINEマンガもピッコマcomicoもない時代

ガラケーケータイまんが王国に親しんでいた私は、買いたてのスマホでも漫画が読みたくてApp StoreLINEマンガ前身さら前身であるアプリインストールした。韓国産でも読めれば何でもいいだろうと。

アプリUIはとても簡素だった。広告は小さいバナーだけで鬱陶しいポップアップもない。

NAVER WEBTOONの人気作が訳され、作品ごとに割り当てられた曜日更新される。コメント欄はなく、星で5段階評価をつける以外に作品リアクションするすべはない。課金要素は皆無。チケット制ですらなく1話から無料で遡って読み放題だった。どのように収益化していたのか未だにわからない。

はっきり言って読み始めて間もなくはほとんどの漫画がつまらなかった。あの頃の韓国漫画は今ほどシュッとしておらず、大半が芋っぽかった。

絵柄がダサイ、つまらないと思いながらも通学時間の暇潰しに毎日毎日読んだ。慣れてくるとじょじょに面白く感じるようになった。

すると不思議なことに、次第に韓国社会に息づく個人生活を感じるようになったのだ。特にエッセイ漫画の影響が大きかったように思う。日々の些細なことに一喜一憂するその様子は、言語いくらかの文化の違いを除けば日本人と何も変わらない。

日本と同じで、韓国にも国民の総意なぞ存在しないという至極当たり前のことに気づいた瞬間、自分の中で未知の生き物だった韓国人が完全に同じ人間になった。

また、日本漫画への親しみの強さを感じたのも理由ひとつだ。話の中に差しまれコナンスラムダンクパロディの向こうには、日本の全てを憎んでいて日の丸を燃やして喜ぶモンスターのような韓国はいなかった。

のちに自分の身近に通称名在日コリアンいたことを知った。

彼もただの人間だった。

2024-01-30

芸能界Part2を始めるしかないし、サブカルチャーPart2を始めるしかないし、オタクPart2を始めるしかない

かなり前から思ってたこ

最初に思い付いたのは島田紳助引退騒動の時なんだけど

もう、ある年代以上の芸能界とか、カルチャーとか、そういったものを、根本的に、文字通り「切り離す」しかないと思う。

何言ってんだこいつ、と思われるかもしれないけど

国家レベルの罪悪が革命であるとか戦勝国側の裁判形式上清算されるように(それが上手くいってないという問題はあるとしても、ポーズは取り続けている)

日本も、例えば2000年以前から活動している芸能人の、公に発された言動を一つ一つ精査して、ある程度以上の悪質さが累積した芸能人謝罪引退させ、ちゃんとしている芸能人ちゃん人権教育を受けている若い芸能人だけで構成された芸能界を作り直す

そういう仕切り直しをするしかないと思う。

個人的な話に絡むけど、2010年代入ってから卒論を書くときに、国会図書館70年代後半から80年代にかけての週刊誌を読んだんだけど、もう本当に別世界だったよ

完全に男による男の男の為のセックス暴力無知の賛美みたいな感じ、今のコンビニにかろうじて残されてる実話誌みたいなのが全てのページを乗っ取ってる感じ。

チビデブハゲブス年増障害者なんでも攻撃し放題。

「そういうものを調べてるんだからそういうのしか出ないだろ」ってのは違くて、本当に今はまともな報道誌扱いされてるような雑誌でも昔はそうで、しかもそれが今より部数が多い。

行ける奴は行って見てみるといいよ、今は週刊ポストとかサンケイとか大体デジタル化されてるみたいだから

それで私達は人権だ何だって普段さわいでるけど、90年代鬼畜系とか以前に、80年代そもそも地層の様にどっしりとそういう世界があって、それに使って生きていた人間が何百万といて、

あるインフルエンサーとかが個人で「80年代90年代の私は間違っていました、セクハラを軽視してすみません反省します」と謝罪しようが他の何百万人はヘッと笑ってるわけ。

幾ら数年前や十数年前のことを掘り返そうが運の悪かった奴扱い。

これからもそういった芸風は再生産されていく。若い世代のかなりの人達いくらアップデートしようが、追い付かなくて潰されたりしてしまう。

それを断ち切るにはもう、根本的にスパッと、「はい、お前らは芸能界Part1。ここまで。これからちゃんと新しい世代の、ちゃん客観視と人権を守れる人による芸能界Part2を始めます」とするしかないじゃん。

そして問題芸能界とか、サブカルみたいな分野だけじゃないんだよね。

オタク自身もそう

80年代90年代オタクって弾圧されてたとかそういう被害者面ばかり取り上げられるけど

コミケとかのイベントに「ぼくのロリータを紹介します」とかいって、大学生中学生とかを連れ込んで無修正80年代当時は黙認されてた)のエロ同人の売り子をさせてたとか

昔のオタクは明らかに少女ヌード児童ポルノも許容して一流の文化扱いしていたとかそういうことは忘却されているわけで

そういう時代の人脈、漫画家とかライターが今でも大手を振って下手したら文化人扱いされてるわけだよね

そしてコメントを求められても、明らかに本気でやっていたことを「あれはシャレ、遊びだった」「本気にしだす人がいて困った」とかいって逃げたりする。

逃げるなら逃げるで退場しないとだめだよ。

そして今のオタク文化もそういうものの上に成り立っている以上、存続したいなら切り離すしかない。

絵柄とか美意識とかは今現在は無理だとしても(あくまで今現在はね)、「もう繰り返しません」「この人脈の賛美はやめ、二度と肯定的引用しません」みたいなやり方をするしかない。

そうしないなら全部規制されるしかないよ。

突拍子ないとか狂ってるとか言われるかもしれないけど

数年前の時点では私も薄々どうかなって感じだったけど

今となってはもう被害者を直接産み出すシステム(それも熟成された何百年ものの)の否定をどう行うかが重要なんだから

あなたの息子や娘や友達が、そしてあなた自身がそういう昔の価値観被害者になったら、そして「そういうものから仕方ないじゃん」っていう空気に押しつぶされる側になったら遅いんだよ。

「もう被害者は発生させない」芸能界サブカルオタクPart2を始めようよ。

2024-01-23

anond:20240123221734

シンプル夢精で済ますのは賛成だけど、日本オタクサブカルチャーって性的消費が盛り上げてきた側面はやっぱり大きくて、いまからトロッコのレールを切り替えたら轢き殺す過去は丸ごと黒歴史化する事になると思う。

anond:20240123113234

任天堂には昔から親衛隊がいるんだよ 20年前の俺なら妊信必死過ぎとゲハレスしていたろう」


喜び組ってキモいよね(笑)ポケモンゼルダの辺りは特に

単にゲーム遊んでるだけの暇人オタのくせに「称賛承認」取り付けようとしてるんじゃねぇよ。

その反対行動で自己称賛しようと試みてるのが『パルワールド批判な。

ゲームなんてパクりパクられが普通で、単に「金になった」「社会現象を起こした」から上昇しただけのサブカルチャーなんだぞ。

本質は何一つ変わってない。褒められるような趣味じゃねぇんだよ。

売れたから褒められる。金になるからゲーム会社への就職を親に承認される。それだけだぞ。

anond:20240123094210

答えは複雑。

アメリカから乳房を性徴として重宝する文化を輸入したときから始まる。

それ以前の日本では乳房女性らしさとしての価値を持たなかった。

風呂場でも晒されていたし、絵画の中にも強調表現はない。

ブラジャーなどが日本根付いたとき、女らしさとしての乳房社会的に認められた。

それ以来、乳房の平均サイズは上昇し続けてる。

マンガ表現でも女らしさを表すために乳房強調はよく用いられる。

乳袋などが有名な記号表現だ。目を大きく描くのと同様に、女性性を前面に出す際に役に立つ表現だ。

日本旧弊男性中心社会にとっては、ホモソーシャルを支える便利な道具だった。

女性性をオモチャのように扱って、女性を囃し立てるのを、男たちは愉しんだ。

オタク趣味は、最初はそんな後ろ暗さから社会に出てこなかった。

だけどテレビアニメ子どもたちを引きつける中で、サブカルチャーとして広まっていった。

女子たちも幼い頃からオタクコンテンツの中での女性の扱いに慣れている。

女性として男性オタクから腫れ物扱いされつつも、性欲を煽る道具として女性性が使われるのを見てきた。

から、女とはそういう生き物なのだ、と刷り込まれしまったんだ。

かくして、日本では男女関係なく女性性の強調を好むようになった。

典型的女性キャラクターは男に都合がいいような、慕ってくれそうな赤ちゃんのような特徴を持つ。

大きい目、消された鼻、低い背丈。それでいて女性の性徴である乳房は強調される。

そういう女キャラを、男オタクのみならず女オタクも好いている。

作家はそういう表現を先輩から受け継ぎ、売れると分かっているので多用する。

2024-01-15

anond:20240115160604

あのころガキの使いが大好きだった人間的には

癇癪持ちだった

テレビで見せるキャラクタを真面目に受け取りすぎだと思う。

ゲームで癇癪起こしたことが0とは言わないけど、それはゲーム如きで怒るほどマジになっている人っていうコントをしてるだけ。

ごっつでもガキの使いでも、そういう体のコントとか、コント風の企画山程ある。

割とたまにスベっていた

常にホームランを打つタイプではないけど、滑る時に大怪我しない方法システム化したのがすごいと思っている。

全力でリカバリーを図ろうとしている姿しか記憶にない。

少なくとも、滑って、それを受け入れないとか、むくれるとか、それは俺の見てきた松本の中にはない。

知的ではなかった

自分が一番正しい!と言い放つ人だった

サブカルチャーへの興味は薄かった&自分大好きだった

これはほんとそう思う。ガキの使いのコーナーで、自分に点数をつけるとしたら?で100点だからね。

無茶苦茶なことを言っている人間を演じてる時もあるから、しばらく笑えるんだけど、

え、こいつまじやん・・・ってなる瞬間はあった。

映画は向いていなかった

怖くて未だに見れていない。

結構から松本は「自分が一番面白い」という看板は下ろしてて、「若い頃ほど面白いことができない」も自覚している。

自分は偉い」の看板の下ろしせなかったけど。

ダウンタウン双方力の衰えを自覚しながらどうやってゴールするのか単純に興味があっただけに、それがぶつ切れになってしまって残念。

anond:20240115160604

体系だって勉強しなければサブカルチャーへの興味が薄いとかは権威主義的で好きじゃないな

ゲームでも映画でも昔の特撮アニメでも、自分の好きなサブカルチャー貪欲に楽しんでたでしょ、松本は。

というかこの増田、全体的に年取って社会に出て自分が尖れなくなったから、他人評価してる権威主義に流されただけに見える。

自分が一番正しい!と言い放つ』のも常に「周囲はわかってくれない…」とのセットの笑いだったし、片方しか見ようとしてない感

ダウンタウン、好きだったんですよ。

蛇足を補足しました***************************

https://anond.hatelabo.jp/20240116110533

訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24

https://anond.hatelabo.jp/20240124115643

以下本文*************************************

中学生就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。

東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだビデオを送ってもらってクラス友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回からごっつええ感じパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏デート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。

面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツ面白かったんだけどね…。

松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間バラエティ番組で、コント企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃん簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。

  • 割とたまにスベっていた

彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利番組ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃん面白かったが、同時にそこそこの打率ドン滑りもしていた。大喜利センスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタント打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。

この「松本ファイトスタイル大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。

松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタ悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑い世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう

ベストセラーエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生中学生相手塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。

知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあい出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。

  • 自分が一番正しい!と言い放つ人だった

松本人志と高須光聖放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます

高須氏に諫められた後の松ちゃん聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須ちゃん松ちゃんだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…

音楽番組HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。

そもそもあの番組歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティスト創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんトークギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。

そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。

  • 映画は向いていなかった

ごっつええ感じTV局との複数もめごとで終わり、コントDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。

まり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミ的外れ評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。

そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。

頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙コメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。

それまでの芸人世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。

でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人対峙自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。

発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディアデイリーで流れていくウェブ世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。

若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑い権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちハラスメントしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。

爆笑太田じゃないが「椅子からコケ王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。

松本人志がお笑い世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助レギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いバラエティ番組マストゴーオンだ。M-1審査員紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。

2024-01-12

anond:20240109200144

中卒ヤンキーの現役チンピラが「俺はマルチを作る!」って専門学校に行こうとして挫折したってのをソイツの友人から聞いた。


件のアニメ、本件に関しては食わず嫌いで、見ないようにしている。今でも見る気はない。

あの時代を懐かしみながら礼賛するアニメだって分かっていたから。

あの時代はヘドロなのに。

あの時代から俺は飯を食えてもヘドロはヘドロ。

礼賛しているネットオタク大学生共には「落ち着けソイツらは働いている人間だ」って何度思ったか

礼賛すな。まじで。

ネタにすんな。まじで。

金にすんな。まじで。

忘れられるべきなのだよ、サブカルチャーポップカルチャーは。

エライ(笑)歴史権威が「~~~だったんだよ!」って勝手なことを抜かすウォッシュされた歴史が残ってりゃいいんだよ。

本当の当事者関係者の声なんか表にならんのだから

結局はDやPやメインを張っているメンバーだけの歴史

だったら歴史権威簒奪して構わんよ。


ああ、あのオタク王様自称してる奴は駄目。DやPと同じだからね。


追記:メインを張っているヤツの尻拭いはこの世にはたくさんあるんだげど、その話は闇から闇へだからね。そのシナリオは彼は書いていない、とか、その作画は逃げたのでアニメーターが描いた、とか、金を払わないで逆に裁判し返した、とか。

そういうヘドロしかないのに、学生だったオマエラはそれを知らない。まぁ、知りようもない話だ。闇から闇へ。

2024-01-01

anond:20210406094750

面白い仮説で、途中までメトロノームのように頷いていたが、ここからズレた。

なぜ男の問題自分たち解決しようとしないのか。

だって同じように弱者男性のために自分たちで行動を起こせばいいだろ。女性にばかり救いを求めるな。

コミュニケーション能力の低さも弱者男性の生きづらさの原因だと言うが、それはただの努力不足だと思う。

女性社会から幼い頃から気配りや思いやりを求められ、温良貞淑女性像に適合することを強いられるため、

自然コミュニケーション能力は高くなる。

女性はたくさんの苦労や抑圧を乗り越えて高いコミュニケーション能力を獲得しているのだ。

男はコミュニケーション能力が低いから〜と甘ったれるな。

(強調と省略は引用者)

女性コミュニケーション能力社会から強制されたために身についたもの、としつつ、同様の態度を取らない男性を責めている。だが、フェミニズム的に考えて、そもそも女性強制する家父長的社会こそが問題なんじゃあないのか。結果的ケア能力を高めざるを得ないような気配りや思いやりを求めてくる男性中心社会こそ本来否定すべき対象だろう。抑圧を受け入れてミイラ取りがミイラになってしまうのは、いわゆる内面化だ。女児に男女不平等な優しさを要請するな、と突っぱねるべきだ。

「女は薄っすら好かれる、男は薄っすら嫌われる」というネットミームがある。

私見だが、これは生物本能に由来するものではなく、社会の底にへばりついた頑固な男女不平等が未だに存在するためではないか。私は昨日、「知らんでぇ」というVtuber3人グループショート動画を見た。3人が仲睦まじく声を掛け合う動画だったのだが、「女の子3人で可愛い」のようなコメントが人気になっていた。実際は男性一人が含まれるのにも関わらず。これは要するに、人当たりのいい柔らかい態度を取っているのだから女性のように見える、ということが言いたいのだろうが、サブカルチャーの見えやすい部分にさえ、このような価値観が残っている事が女性への優しさの要請存在する証拠だと思う。

2023-12-30

俺はさ、面白いサブカルチャー作り出すのは女の人だったりすると思うのよ

そういえばコミケの始まりがほぼ少女漫画系?だったってのをどっかで見たなぁって思って

同好の士みたいな、そういうので集まってなんかしら始めるってのは、女の人たちから発生するイメージある

そんでそこに共感する男の人、マンコ狙いのオスがやってきて規模が大きくなる

で、規模がデカくなってくると、男の人たちの間で数字やらなんやらって競争的なもの意識され始めて

仕事として見るというか、そんな価値観がどんどん蔓延してって

悪い意味効率化というか、駅前チェーン店まみれになるみたいな感じというか

物珍しさというか、僻というか、発信する側の熱意というか、まぁなんか見えないけどそういうのが薄まって面白くなくなる

そんな気がする

俺「◯◯はサブカルチャー」 敵「◯◯なんぞがサブカルチャーなわけないだろ!」

俺「◯◯はメインカルチャー」 敵「◯◯なんぞがメインカルチャーなわけないだろ!」


俺はカルチャーを諦めた

anond:20231229150110

もしかしてサブカルチャー」って「売れていない」「ファンが少ない」「露出が少ない」って意味だと思ってる?

2023-12-29

anond:20231229134415

テレビに連日出ているような人間サブカルチャーなわけないだろ

ただ単に、狼藉を働く権力者が許されなくなってきているというだけ

喜ばしいことだ、もっと炙り出して行こう

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