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2012-02-07

今更になって『あの花』をクリティークしてみる

 俺はあんまりあの花』好きじゃない

 ラストシーンが期待通りのものじゃなかったっていうのが大きいね。期待外れと言うか、それまでの文脈にそぐわないラストというか


 しかしそれでも俺は『あの花』に対してある種の好意を抱いてもいる

 というのも、『あの花』という作品がある特定の人々を傷つけるようなシロモノであるからだ。

「傷つける」ということは一体どういうことなのか? ということはこの場では一旦後述に回すとして、まず、『ある特定の人々』が一体何を指すのか、について言及することにする。


『ある特定の人々』。それは誰か?

 スタッフ


 特に、中心的なスタッフであればあるほど、あの作品によって多かれ少なかれダメージを受けているに違いないと私は思っている

 何故なら、あの作品がいわゆる商業ジュブナイル作品であるのが一つ。そして、もう一つはあの作品が失敗作だから

 あの作品は商品であると同時に、ある種の内的な息遣いというか、核となる生命力のようなものを欠いた作品だから


 あの作品において核となる生命力が欠如していることは、そもそもの作品のコンセプトを省みれば一目瞭然である

 というのも、あの作品のコンセプトが如何なるものかと言えば、

“何か特別な力を持っていない虚しい人間でも(まあ霊視のことはさておき)、人生を肯定するに足る思い出なり価値なりを享受できる”

ということに尽きるのである

 つまり、『あの花』はその基底となるコンセプトから言っても、中心的な何かを欠いた、ある種の虚しさを湛えた作品であるといって差障り無いのだ。

 ただ、ドラマツルギーとは往々にしてそういうものだ。それ単体ではさしたる価値を持たない物事の羅列が、ある種の偶然によって価値を持つようになるのは、ドラマツルギーの特徴だ。

 私は別に、そのようなドラマツルギー全般のことを空虚なシロモノだと言って否定しているわけではない。


 しかし、あのスタッフたちは、特にその中核的なスタッフたちは、あの作品によって生み出されたドラマに、どれほどの価値を感じているだろうか?

 恐らく大した価値を感じてはいるまい。私はそう思う。

あの花』とは、その程度の作品だ。


 しかし、私はそれ故に、その不甲斐ない出来の故に、『あの花』にある種の魅力が芽生えるのを感じるのだ。

 それは、あの作品が製作者たちのジュブナイルを、多少なりに切り売りした形で生み出された作品だからである

 そして、そのように思い出を切り売りしてまで作った作品に、あの程度のドラマしか付与できなかったということが、恐らくは中核的なスタッフの心をえぐり、ダメージを与えているかである

 ジュブナイル――つまりは彼らの思い出そのもの――というものを、はした金の為に切り売りして、そして結局あの程度のドラマしか作れなかったという事実は、恐らくスタッフの中の数人の、ナイーブで温かく息づいていた部分を傷つけたことだろう。


 そしてそのような失敗作としてのダイナミズムを持っているからこそ、私は『あの花』に対して好意を抱いているのである

 スタッフの方々、貴方達の後悔はすぐに貴方達本人によってさえ忘れられてしまうだろうが、しかしそのひとときの味わいが甘美であることには、間違いあるまい。

2012-01-31

ウェハース魔女にならないために知っておくべきこと

『まどか☆マギカ』 まどかウエハースを140枚購入してカードをコンプリートしたスレ民・・・ | やらおん!




上記の記事を見るに、どうやら25枚のカードを手に入れるためにウェハースを140個開けたスレ民がウェハース魔女に食べられたようなんだ。というよりもはや本人が絶望してウェハース魔女になりかねない。むしろ俺なら魔女化する。それにしてもこのシャルのやつかわいいな。

もうすぐビックリマンシール(第1弾)も復刻されるとかされないやらで、人々の蒐集欲はどの時代もとどまることを知らない。ビックリマンシールは第1弾の37種類に新キャラが3種類増えて全部で40種類。全部で40枚だったら…うん、ダブリも考慮して60枚ぐらい買えばコンプリートできそう!



そんな甘い考えだからひとはすぐに絶望しちゃうんだよ!



コンプリートするために、どれだけの犠牲が必要なのか。

さて、ここからちょっと算数の時間。苦手なひとや結果だけ知りたいひとは次の見出しまで跳躍してくれるといいよ。

この問題は「Coupon collector's problem」として有名な問題で、日本語だと「食玩問題」とか言われたりします。食玩ってあたりがなんだか日本の文化って感じ。

さて、全部で n 種類のシールがあるとして、1種類目を手に入れるために必要な購入回数を t1 、1種類目を手に入れてから2種類目を手に入れるために必要な購入回数を t2 、一般化して、k-1 種類目を手に入れてから k 種類目を手に入れるのに必要な購入回数を tk で表しましょう。するとコンプリートに必要な購入回数 T は t1 + t2 + ... + tn-1 + tn になりますね。あとはこの犠牲 T の期待値 E(T) を求めてやればいいことになります。そして期待値は足し算を分けて考えれる便利な性質があるので、それぞれの E(tk) を求めてやりましょうか。

確率 p で起きる事象が1回起きるまでの期待回数は 1/p ですね(幾何分布ってやつ)。確率0.5なら2回、確率0.1なら10回ってのは直観的にもなんとなーくわかってもらえそう。E(tk) は 全 n 種類のうち、まだもってない n-k+1 種類を引き当てるまでの期待回数なので、 (n-k+1)/n の逆数、つまり n/(n-k+1) です。

あとはこれを全部足し合わせると、次のようになります

E(T) = E(t1) + E(t2) + ... + E(tn-1) + E(tn)

   = n/n + n/(n-1) + ... + n/2 + n/1

   = n ( 1/1 + 1/2 + ... + 1/(n-1) + 1/n )

これだと足し算がいっぱいあって計算しづらいのでちょこちょこっと大学数学の結果を使っちゃうと、ほぼ次のようになります。どうしてこうなるか知りたいひとは教科書でもみとけ。

E(T) = n ( log(n) + 0.5772 ) + 0.5


全25種類のまどかカードを集めるために

さて、上の式をEXCELにぶちこんで計算してみますセル$A$1に全部で何種類かをいれて、次の算式をどこでもいいので適当セルコピペしてぽちっとな

=$A$1*(ln($A$1)+0.5772)+0.5

では颯爽とセル$A$1に25と入力してみると…おっと、95.4019、え、96個…? たった25種類集めるのに…? どうしてこうなった…。


何回やっても何回やっても最後の3つが出てこない

単純に考えて、ラスト1個を引き当てるためには平均して n 回の犠牲が必要。最後から2番目には平均して n/2 回、最後から3番目には平均して n/3 回。ではまどかカード場合この3種類を集めるのに平均して 25 + 12.5 + 8.333 = 46 回必要です。裏を返すと、コンプリートまであと3種類!ってところまでは 96 - 46 = 50 回ぐらいでたどりつけるということです。なんてことでしょう。最後の3種類を集めるためだけにほぼそれまでと同じぐらいの回数をこなさなければいけないなんて。もう最後の3つは諦めてショップで買ったほうがいいんじゃね…。

ちなみに、セル$A$1にビックリマンシールの40種類を入力すると、172回という驚きの結果が返ってきます。一部界隈で非難轟々だったように復刻版は1個30円じゃなくて84円なので、およそ14500円かかるというわけですね。ひぇー…あ、いや、案外普通だった。大きいお兄さんならなんとかなるな。

ただし、ここではキラシールみたいなレア物の確率考慮してないので、実際はもっと期待回数はあがるんじゃないかな。


冒頭の彼はそもそも運がどれくらい悪かったのか。

計算が複雑になるのでここでは扱う気全くないですが、 x 個買った時にコンプリートできる確率ってのも当然考えることができますこちらのサイトには導出のイメージ計算機が公開されてるので感謝しつつ計算してみましょう。冒頭のひとは140個目で揃ったということなので、

おまけの種類の数:25

これから欲しい数:25

これから買う数:139

として計算すると…0.9169とでました。つまり、139回の犠牲をはらってもコンプリートできない人は全体のおよそ 8.3% これは40人のクラスに3.3人ぐらいの計算ですね。たしかにだいぶ運が悪い方だとは思いますが、各クラスから3.3人も魔女が出てたらそれはそれは大変なこと。

知らなかったゆえに絶望して魔女化して魔法少女に倒されグリーフシードとして消費される。でもほむらちゃんにならわたし消費されてもいいかなって、ティヒヒ。




(追記)最近話題のニートアイドル

似たような話で、アイマスシンデレラガールズになぜ大きなお兄さんは大金を突っ込むのかって話が盛り上がってたのでご紹介だよ。最後の3枚を集めるのはほんと鬼畜だってばよ

モバイルSNSゲームが儲かる本当の理由。かーずSPはなぜ15万もつぎ込んだのか?

http://togetter.com/li/255073

カードコンプシミュレータ

http://49.212.5.128/compsim/

2012-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20120119122239

面白かったよ。フランダースの犬はなんか、すごい話だったんだよね。

日本アニメ化しよう!とした人の発想と、話を寝ろ、パトラッシュラスト天国って脚本にした人はすごいよなあ・・・

コメントもおもしろかった。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20120119122239

2011-11-15

レインマンになった嫁と暮らす

レインマン」って映画がある。

トム・クルーズが若い頃、たしかトップガンの次の次ぐらいに出た作品で、アカデミー賞を取っている。

   △△△

主人公のチャーリー(トム)は、父の遺産相続問題をきっかけに、自分物心つく前から施設に入ってて存在すら知らなかった兄のレイモンド(ダスティン・ホフマン)と再会して、施設から無理やり連れ出してはみたものの、自閉症レイモンドが次々にやらかす奇行にすっかり参ってしまう。飛行機で移動しようと空港に行けば、「ABC航空はダメ19xx年x月x日どこどこで墜落○○人死亡。DEF航空?ノー!19xx年x月x日○○人死亡……」と百科事典のように正確な記憶力を見せて暴れ回る。

大丈夫だって飛行機はそう簡単には落ちないよ」

弟がいくら確率を持ち出して説得しても兄のパニックはおさまらない。

根負けしたチャーリーが数千キロもの行程を運転して行こうと高速に乗れば、今度はハイエイ死亡事故統計を口走って「いやだー!死ぬー!」と絶叫するレイモンド。

「どうすりゃいいんだよ!」とキレたチャーリーは、名前のない田舎道ばかりを走って西をめざすことに。野原の真ん中のうらぶれた安宿で熱いバスにでもつかろうと湯の栓をひねると、「ダメーーー!そんなことしたら赤ちゃんが!」とまたしても半狂乱に。

   △△△

映画だと、レイモンドのこの熱い湯船トラウマきっかけにして幼かった兄弟の心の触れ合いの記憶が少しずつ呼び戻され、そこからしみじみと感動的なラストに向かって物語が動いていくのだけれど、別にここでなつかし映画語りがしたかったわけじゃない。

書きたかったのは、あの日以来、俺の嫁レインマンになってしまったってことだ。

たぶん俺の嫁だけじゃない。日本中で、いや、遠く韓国中国欧州にも、突然たくさんのレインマンが生まれてしまったんだ。

   △△△

大丈夫だよ、この説明を見てみなよ」

「そうは言うけど、実際言われてるような事態にはなってないじゃん」

等々、いくら条理をつくして話し合ってもダメなのだ。

嫁は怖いのだ。

安心より、怖いという気持を選んだのだ。

から科学的にマユツバだと言われようと、自分原始的な恐怖心にフィットするものばかりに注目し、耳を傾ける。そして言う。

「ほら、ご覧なさいよ!みんなそう言ってる」

嫁がブックマークしているサイトやフォローしているツイッターの発信者名を見て、俺は失神しそうになった。

俺のTLでは、「○ン○○」だの「○ル○」だのと認定されている名前がきら星のごとく並んでいる。そう、微生物コロニーを作るみたいに、彼らはお互いに引かれ合って堅固なオピニオン集団を形成しているのだ。

嫁が俺じゃなくて○○○○や○o○の行進についていく。

マジかよ。

勘弁してくれ。

   △△△

映画チャーリーレイモンドのような取っ組み合いにはならなかったけど、来る日も来る日も絶望的な言い争いが続いた。

わが家の食卓からはいくつかの食品が完全に姿を消し、子供給食牛乳にかえて水筒を持参するようになった。俺自身の親兄弟との関係もぎくしゃくしている。嫁が何か新しい心配の種を仕入れてくるたび、子供に新しい命令/禁止を下すたび、俺と嫁は決着のつかない論争を繰り返した。

「何が子供にとって一番有害なのか/危険なのか」をめぐって。

「もう離婚しかあるまい」と覚悟したことも数え切れない。

   △△△

でも。

俺には嫁を放り出すことはできなかった。

「愛してるから」かと聞かれても、正直うなずけない。

そんなきれいごとにしがみついていられるには、醜悪なものを見過ぎてしまった。

でも、俺がここで見切ったら、嫁には行くところがない。

子供は俺一人でもなんとかなる自信はあるが、子供は俺のことも嫁のことも愛している。

もちろん、俺も嫁も、それぞれの人として限られた能力の限りを尽くして子供を愛している。

   △△△

四捨五入すればもう五十になろうっていうこの年で、いきなりレインマンと暮らす羽目になるとか、誰に想像できただろう。

ここで「考えや感じ方が違いすぎて落としどころさえ見つからない相手」をレインマンと呼ぶ俺には、全方向からうごうたる非難が浴びせられるだろう。

嫁のコロニーからは「人をバカにするな!」と言われるだろうし、

俺のTLで気を吐いている闘士たちからは「ダスティン・ホフマンのようなほのぼのキャラに喩えるなどぬるいわ!」と批判されるだろう。

そしてなにより、現実自閉症の人々と生活し、関わっている人たちからは、「偏見もいいところのとんだ愚か者」と指弾を受けるに違いない。この文章は、何の関係もないそれらの人々を引き合いに出す意図で書かれたものではないが、だからといって失礼が帳消しになるわけではない。そういった方々には心からお詫びしたい。

   △△△

ただ。

映画の前半で「何やってんだよ!」ってキレまくって、少しでも兄に普通の行動を取らせようと無駄努力にきゅうきゅうとしていたチャーリーが、レイモンドの目に映っている世界を、レイモンドの視点から理解して、彼に共感はできないものの、たった一人の肉親としてずっとそばにいようとするようになっていく過程を思った時、そこにはこれまでの俺の文字通りハゲになりそうな苦しみに、なんというか一条の光を投げかけてくれるヒントが潜んでいるんじゃないかって思ったのだ。

レインマン奇行を迷惑がって、施設に追いやってしまうことも一つの道だけど、

そうはできない家族にとって、できることはなんだろう。

チャーリーは、自ら悩み苦しみながら、レイモンドへの愛を見つけて再生できた。

俺はまだ、嫁への愛を見つけ出していない。

   △△△

うちのレインマンは、雨の日を極端に恐れている。

雨が降ると、家族全員に外出を禁止する。

雨じゃなくて、嫁に降り込められたうちの中で、俺はダスティン・ホフマンの顔をしたどこかのラスボスに祈りを捧げる。

――なあ、レインマン

――ここに来て、歌ってくれよ。

――心に火傷を負った俺たちみんなのために。

2011-11-10

[] 本来の「もしドラ」はこういう小説だったんじゃないか

長くなったので、先に結論だけ書いておきます

もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)

 ・人間出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。

 ・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端もったいない

全体としては今ひとつだけれど、ものすごく光る要素を感じる作品だったと思う。



というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、

この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。

ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからんですがご了承ください。





ものすごく読みたくなる西尾維新少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968

私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。

(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)

はてなベテラン小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。

 

僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。

まり、できるのだ。

西尾維新だってシンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルものを仕上げるのは容易なはずなのだ。

ではなぜそうしなかったのか?

それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。

しかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。

西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。

間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。

少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。

西尾維新という安心ブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。

そして気づく。

普通に書けば一行で済む文章に、比喩暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど

数々の言葉遊びを仕掛け、自分小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。

そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。

これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。

10年かけて築いた信頼関係がここにある。

僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。

まり、できるのだ。

岩崎夏海だってシンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルものを仕上げるのは容易なはずなのだ。

ではなぜそうしなかったのか?

それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。

しかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。

岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。

間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ



もしドラ新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。

ハックルという安心ブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。

普通に書けば一行で済む文章に、比喩暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、

自分自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。

そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。

10年かけて築いた信頼関係がここにある。

本来はこういう小説だったんじゃないかと思う。





少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。

ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。

テーマも似てると思う。 

少女不十分の少女みなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、

あるいは、少女不十分の少女岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである

(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)



そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新化物語をほめていたのが結構印象的だった。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951

しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。

多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、

化物語自分本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。

彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、

意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか

彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。

この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。

ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会い自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。

(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)

ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。

もしドラ成功後は、デュルケムの言うところのアノミー自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)





もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。

ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者仕事で会って読者の仕事ではない。

むしろ化物語ヒロイン阿良々木暦出会うことで、生まれ変わりを果たすように、

みなみドラッカーコミットしていく過程自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。

経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカー出会い

そこから何でもいいか自分物語に必要な何かを学び取り、自分自分で救い、クソッタレ世界の中で生きていく。

そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。

私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。

先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。

(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)




「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)

作者がもしドラ成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)

おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。

正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。

時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブイメージがつきまとう。

大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。

ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。

大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。





ここから蛇足。それにしても・・・

ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。

あれは物語カスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのもの茶番になっている。あまりにも若者馬鹿にしている。

出版社ダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。

もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。

から、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。

そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、

作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。  http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・




結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください

良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う

この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる

少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように

(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)

もしドラ」という作品がほんとうの意味でわかるのは、ビジネスの良いも悪いも知った40過ぎのオッサンではないか

はいま21歳だけれど、この小説を今の時点で本当にわかったとは言い切れないので、コレ以上はなんとも言えない。





次はfateかPersona4の話をしたいと思いますzeroじゃなくてstay/nightの話ね。

本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、

正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4fate stay/nightにまかせる。

2011-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20111109012900

小さいチャレンジから初めて、試行錯誤を重ねながら一つ一つ達成していくことで、自信に根拠をつけていくってのが良いと思う。

この記事、参考になるかもよ。ラストマン戦略 http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50140618.html

2011-11-04

RPGオワコン

RPGの話をする。

RPGっていっても、テーブルトークRPGMMOとかじゃなく、ドラクエFFみたいな俺が青春を費やしたやつだ。

ストーリーってもう出尽くした気がするんだよね。

かつては、ストーリーに出尽くしなんかないと思ってた。

小説だって映画だってストーリーが出尽くしてなんかいない。

もちろん、定番のネタというのはあるけれども。

でもさ、思えばRPGにおけるストーリーの制約はけっこう厳しい物がある。

その最たるところが、戦闘、勝利、目的達成!という流れだ。

町の平和を守るとか、そういう小さな目的から世界を救うといった大きな目的まで、その流れに沿って話を進めないとならない。

ハード媒体進化によって、グラフィックや容量に制限はなくなった。

いくつもの国があり、それぞれの国にはいくつもの町があり、それぞれの町には何百人、何千人、時に100万人以上の人間が住む大都市まで登場する。

そんな世界では、一人の魔王勇者が倒せば諸問題が全部解決する、なんてことはありえない。

現実と同じくらい複雑な世界では、その世界の諸問題も現実世界の諸問題同様に複雑で、誰か一人をやっつければ解決するほど単純なものではない。

独裁者魔王、そういった一個人をラスボスにすることが出来ないとなれば、ラスボスは超存在とか概念となる。

スーファミ時代から、いやファミコン時代の後期からそういう傾向はあったけどさ。

でも、そういうのってしっくりこないんだよね。

昔話、神話で刷り込まれた勇者魔王を倒すっていう基本のストーリーははやっぱり強力。

そういう単純な話、敵をやっつけて一件落着というラストに落とし込めるような、箱庭的な小さな世界観ゲームのほうが結局面白い

「世の中には善と悪だけじゃなくて、偽善やら偽悪やら、善のつもりで悪をしてたり、その逆だったり、頭じゃわかっても憎しみは消せなかったり、いろいろあるんだ」

などと説教されても

「うるせーバカ」

なっちゃうだろ?

最近になって、糸井重里MOTHER3の開発が頓挫した理由を「大作主義に陥ったため」と説明した理由が理解できてきた。

フラッグシップハードRPGは大作である宿命が義務付けられている。

グラフィックは美麗でないといけないし、美麗なグラフィック古典的で単純なターン制では許されない。

誰得な複雑でわかりにくく珍しさだけで楽しくもないシステム抱き合わせさせられる。

世界は壮大でないといけない。

ヒトの数だけ思惑が存在し、国家の対立がないといけない。

敵の目的も壮大でないといけない。

ちっぽけな主人公の存在世界の大きさに押しつぶされてしまうのだ。

(じゃあ主人公をちっぽけじゃなく、特別な存在にすればいいのか?そんな特別な存在感情移入できるのか?)

ずいぶんと後に、ゲームボーイアドバンスMOTHER3が発売された。

物語の全てが小さな島のなかで進行した。

人類が生き残っているのはその小さな島だけだった。

家族物語として始まりラスボス家族だった。

それでも、大作を目指してしまった痕跡と言うか、いろんなものを詰め込み過ぎた痕跡が見え隠れして、MOTHER2ほどの面白さがなかった。

もっと、自由で、子どもの心で遊びたいんだ。

「他の犬は知らないかもしれないけど、君達が世界を救ったこと僕は知ってるよ」

と言ってもらえるような冒険がしたいんだよ。

2011-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20111022115648

この増田の気持は本当によくわかる。私もすぐに頭に血が上る。

私は、歩道を歩いているときに後ろからチャリが来て「チリン」と鳴らされるだけでイラッとする。

そういう時は舌打ちをすることもあるが、それでチャリの人にキレられて慌てて逃げたこともあった。

逆に人がたくさんいるところをチャリで通るのはその3倍くらいイライラする。あまりイライラするので久しくチャリには乗っていない。

最近最もイラッとするときは、洗濯をした日に雨が降ったとき



から飲食店で注文を取りに来るのが遅いとか、注文を忘れられていたとかでイラッとする気持ちは本当によくわかる。さすがに来たものをひっくり返したことは無いが、ひっくり返したくなる気持ちはよく分かる。

でもそれは、次のような言葉を聞いてからイラッとしなくなった。

「安い飲食店サービスが悪いのは当然。日本人サービスに対価を払うという意識が欠如している。」

食べ物だけじゃなくて、店員の対応も値段相応だと。嫌なら高い店に行けと。確かにその通りだ。

安い飲食店に足繁く通っていれば、注文を忘れられることもあるだろう。でもそれ相応の値段だから、まあ長い目で見ればプラマイゼロなんじゃないだろうか。



私はプラマイゼロだと感じることが出来ればイラッとはしない。チャリに乗っていて後ろからトラックに追突されてチャリが大破したとか、そういう経験のある人は多いんじゃないかと思うが、私はそういう時は全くイラッとはしない。示談金がもらえるからだ。警察を呼んだり、ぶっ壊れたチャリを廃棄したりする手間はとてつもないが、まぁバイト代ももらえるし…と思えるので、トラックの運転手に対してもニコニコ対応できる。



から、出された料理をひっくり返していいのは、味噌汁の底にゴキブリが沈んでいたときだけ。



追記

そういえば最近、2時間食べ放題のコースで、一番最初に注文した料理を1時間経ってから出されたことはあった。

店の名前をここで晒したいが、残念ながら覚えていない。京都四条河原にあるなんとかという店。

注文を忘れていた、とかそういうレベルではなく、1時間の間に5,6回は店員を呼んで急かしたし、「すぐにお持ちします」とその度に言わせたが、料理が出てきたのは1時間後、だった。

結果ほとんど料理を食ってないうちにラストオーダーになった。確かにやたら安い店だったが、いくらなんでもこれは詐欺だろって思って、アレはさすがにイラッとした。

2011-10-16

イラディア攻略チャ-ト 裏面 

レアアイテムエクストラボス撃破までです

※mocoソフトさんの掲示板

ヒントはOK、ズバリネタバレは禁止とあるので、

私のサイトも遵守します。

魔王を倒すと、裏面(エクストラダンジョン

が出現します。

エクストラダンジョン勇者のたての塔から

歩いて南へ行くと・・・

攻略拠点はコマの街になると思います

魔王を倒した後の

エクストラダンジョンエリアフィールドは、

ベルと銀ベルが異常発生しています

9割以上の確率で出現すると思います

普通に魔王を倒したレベルからレベル60位までは

ベルを狩り続ければ、1,2時間程度で行けるでしょう。

エクスカリバー、光のナイフ

ダンジョンには、魔王の手下クラスの雑魚が出現します。

エクストラダンジョンには、王女の最強武器の宝箱の他に

アルミニウムの時の様に、ダンジョンの地形に

出っ張りがありその先に行き、決定ボタンを押すと・・・

エクストラダンジョンの先に行くと、

エクストラボスが居ます

むっちゃ強いので、相当気を引き締めて戦いましょう。

「オラ、何だかすっごくワクワクしてきたぞ!」

倒すと、倒すまでにかかったターン数を教えてくれます

何度でも戦えます。(ドラ○エの○竜と一緒。)

ちなみに、銀ベル狩りでレベルマックスに上げて、

再びラストダンジョン魔王を倒しに行くと、

ゴミの様な弱さになってました。

以上でガイラディア攻略チャートは終わりです

以下は、アイテム収集率100%にする為の

宝石の場所のヒントです

赤い宝石・・・最初洞窟

緑の宝石・・・ポートタウンからですぐ右の

        岩山と岩山で囲まれた水路を南下した先にある

        浮島の一箇所だけ草原の色が違う・・・

青い宝石・・・世界地図中央に点みたいな場所が・・・

白い宝石・・・ハワード城の上中下の中。牢屋の鍵必須

        ハワード城の宿屋本棚にヒントが。

黒い宝石・・・勇者のかぶとの塔の最上階に・・・

         ※追記 コメント欄にて巴さんが教えてくれました。

          本当にありがとう。^^

また、次の携帯アプリRPGで会いましょう^^/

イラディア攻略チャ-ト 終盤

勇者装備~エンディングまでです

※mocoソフトさんの掲示板

ヒントはOK、ズバリネタバレは禁止とあるので、

私のサイトも遵守します。

牢屋の鍵を手に入れたら、勇者装備の入手と、

魔王の手下の討伐です

まずは、勇者装備とレベル上げをしましょう。

なぜならば、魔王の手下は強力なブレス攻撃をします。

防御力の高さは関係無く、大ダメージを受けます

第二王子レベル25時の魔法を覚えるまでは、

相当運が良くないと魔王の手下の前に全滅です

レベル上げがてら、勇者装備を手に入れましょう。

ちなみに私は、レベル上げはキノコ狩りしました。

キノコは5~6体の集団で出現する為、

第二王子と第三王女の全体魔法で簡単に全滅出来、

約1000ptの経験値を稼げるからです

効率の良いレベル上げ作業がキノコ狩りで出来ます

勇者のかぶと

アルバマの街の牢屋の鍵の扉の人が

ズバリ情報」をくれます

勇者の盾

コマの街の川を隔てた南の陸地を進んで行きましょう。

塔があります。塔の入り口牢屋の鍵で閉ざされてます

第二王子レベル25になって魔法を覚えたら

魔王の手下討伐に行きます

緑手下

ハワードから北上した所にある陸地の

砂漠地帯の中央洞窟真実の石必須

赤手下

ロマリオの街の右側の以前壊れていた橋から

北上して先にある湖らしき地形の上にある洞窟

青手下(他の2体より強力、レベル30手前推奨)

ハワードから橋を渡って南下した先にある洞窟

牢屋の鍵必須

正義の証

3体の魔王の手下を倒したら、

セントルイスから少し上の陸地にあるほこらへ行き

じいさんと話しますと・・・

魔王の島に乗り込みます。岩山で囲まれた島の中で

右上に一箇所だけ、ほこらがありそこから進入出来ます

そこの門番正義の証を見せると、通してくれます

ほこらを抜けて、すぐ左にデビルタウンの街があります

魔王の島にある街の為に物騒な名前ですが、

街中は、普通の街と同じです

ダイア装備があるので、レベル上げがてら揃えましょう。

白手下の洞窟勇者の剣

デビルタウンから南へ下ると、洞窟があります

白手下を倒すと共に、勇者の鎧があります

黒手下、勇者の鎧

デビルタウンから西へ行き、ラストダンジョン手前まで行くと、

入り口に最強の側近黒手下がいます

総力を結集して、挑みましょう。

攻撃力アップと各種バリアを張り続け、

第二王子と、第三王女は回復に徹しましょう。

黒手下を倒すと、ラストダンジョンです

奇跡の鎧

いよいよラストダンジョンへ入り魔王との決戦ですが、

魔王と戦うまでには、勇者の剣を入手してる筈。

ラストダンジョンにて勇者装備4種が整いました。

するとあれですよ。セントルイス城にいたでしょ。

勇者装備そろえたら、とっておきのアイテムやる」

って言ってたじいさんが。4つ揃えて話すと・・・

ラストダンジョン奇跡ドレス

奇跡の鎧を第一王子に、勇者の鎧を第二王子に装備させ

(逆でも良いのですが)

魔王と最終決戦です

ラストダンジョンには、王女最強防具があります

魔王は、白手下と同じく、攻撃は第一王子だけに任せて、

第二王子、第三王女は攻撃力アップ各種バリアと回復に専念。

頑張って魔王を撃破すると、

ピッコロ大魔王ばりに子供を吐き出して、終了。

次回作に含みかな?)

セントルイス城に戻ると、驚くほど簡素エンディング

お疲れ様。

次の記事では、裏面と特殊アイテムについてです

2011-09-27

あの花は気持ち悪かった

それは、オタク童貞的なこじらせた身勝手恋愛感・世界観を全面肯定している様に感じたから。


あの花に出てくるキャラクターはどれも魅力的だし、青春群雄劇的な展開で流れる様に話を進める様とか、秘密基地とかの誰もが懐かしさを感じるファクターを入れてきたりとか、OP&EDテーマの曲は物語と凄くマッチしてたし、メンマは最終的には成仏してしまう事を物語前半から定時して、安易なハッピーエンドが無い事を示唆しながら、与えられたシチュエーションではベストと思える終わり方を提示していたと思う。

見ていて面白かったし、感動もしたけど、何でかラストは入り込めなかった。

それは、最後、みんなが独白するシーンが小舞台みたいな急展開で、そこで感情移入が少し途切れてしまったせいかな?とも思っていたのだけど、物語が終わってから色々考える内にそれだけじゃないなー、と言えてきた。

まだ考えがまとまりきってはいないので、チラ裏だけど、書いてみようと思う。


あの花を凄くザクッとまとめると、以下の様になると思う。

みんながメンマの死を負い目をきっかけにトラウマを抱え、疎遠になってしまう。

それを、メンマ黄泉帰りをきっかけにトラウマを解消し、関係性を再構築する、と言う物語

もちろん、他の要素もいっぱいあるけど、話を分かりやすくする上でそう言う仮定の下に話を進めたい。


各々が抱えたトラウマを、ストーリーを通して、徐々に視聴者に提示するなんてのは非常に上手だった。

このストーリー過程で、ポケモンを探したり、花火を上げたり、めんまのためにメンバーは色々行動を起こす。

ただ、めんま以外の超平和バスターズの面々は、極論をすれば、常に"めんまのため"より"自分のため"が上に来ていたと言う描写になっている。

しかも、それをメンバー同士で隠しているから、いつまで立っても昔の様に信頼感を築けない。

結局、それではダメだと言うのに気付いたのが最終話で、自分をさらけ出す独白につながる。

で、メンマ告白をして受け止めて貰う。

で、意味大円団

ただ、この独白の段と言うのがちょっと納得いかなくて、この時のみんなの行動って、結局、"めんまのため"に何かした訳じゃなくて、"自分のため"なんだと思う。

懺悔って、相手のためを思ってする事じゃない。

こう考えていくと、"自分よりメンマのためを思って行動した"と言う描写が最後まで描かれていない事に気付いて、驚愕してしまった。


これ、何かで見た事あるって考えたら、ヲタクとか童貞こじらせた人の恋愛感・世界観に似てるなーと思った。

具体的には問題を解決するのに、"自分努力する"と、"自分努力を無条件に受け止めてくれる人がいる"の二つの要素で解決が付く、っていう価値観みたいなの


例えば、恋愛をする際に自己承認欲求が強すぎて、自分コンプレックスを全て相手にさらけ出して、それを全て受け止めてくれる、みたいなのが恋愛だと夢を見てしまう。

付き合いたてとかちょっと仲良くなっただけなのに、コンプレックス丸出しの痛い長文メールなんかを送った事無いだろうか?

僕は良くそういった事をやって、ある時は相手が上手くスルーしてくれたし、ある時はそれをきっかけに疎遠になったりもした。

付き合いたてとか、そもそもそこまでの信頼感が無い時にコンプレックスを剥き出しにされるのは、相手に取って負担も大きいし、そもそもそれを受け止める義理も無い。

それを受け止めてくれるのが"好き"って事でしょう?って言うのは恋愛幻想を抱き過ぎだと思う。

もちろん、恋愛に限らず、人との関係性の中で自分を全くさらけ出さないのなんてのはつまらないけど、それは相手と重ねた時とか相手を大事にする事で、信頼感を築いて、それを担保に少しづつ自分を出していく事じゃないかと思う。

もちろん、所謂リア充と言われる共感力が人並みに働く人はこう言うのを無意識に行えるんだけど、ヲタク童貞恋愛を拗らせた人はこれが全く出来ない。

相手のために何が出来るのか?これを言ったら迷惑だろうかと言う視点リアルさが欠けてるし、欠けてる事にも気づけていない。


あの花に戻って考えた時、幼少期を一緒に過ごした仲であると言う点でメンマとみんなの信頼感の描写がある訳だけど、これは与えられた物であって、努力とか工夫をして築き上げた物じゃないよね。

あの花の話は超平和バスターズの繋がりがメインであるけれども、それを得るための他者への気遣いだとか努力とかが全く無くて、努力した点って言うのは偽りの無い自分をそのままさらけだす努力、っていう自分のための内向きの努力しか描かれていない。

じんたんの"人の事を常に考えて行動して、自分を抑圧してしまう"キャラクターに付いての描写も、実は殆ど無かったと思う。

勿論、幼少期のじんたんはリーダー格で、先頭に立ってみんなを引っ張ったり、みんなの面倒を見たりしていたんだと思う。

ただ、これらはたまたま何かのきっかけでリーダー的な立場に立った人が、みんなが望むリーダー的行動を何となく取ってたに過ぎず、やっぱり努力や工夫をして得た物じゃない。。

これは、立場を失った高校生じんたんが結局、他者のために何も出来ないし、自分の抱えている問題(不登校)すら解決出来てない事より明らかだと思う。

敢えて挙げるなら、あなるがラブホに行った疑惑の時にじんたんが立ち上がったシーンはそうだけど、何というかあれは主人公補正みたいな、まぁ主人公だったら、あぁするよね、と言うのが大きくて、アレだけで、じんたんが仲間のために努力している、と言う描写だとするのはちょっと無理があると思う。


何か色々散漫になってしまったので、繰り返すと、結局、自分トラウマを包み隠さず独白する(自分の枠の中だけで他者を意識せず努力する)→トラウマを受け止めてくれて大円団、と言うのがイマイチだと思うのだ。

努力が常に内向きにしか向かって無くてお手軽・身勝手過ぎるし、受け止めてくれる他者への視点が欠如している。

エンディングでじんたんが高校に通う描写が出てくるけど、これだって結局、不登校と言う自分の問題を解決したにしか過ぎない。

彼らが、自分自身のためだけで無くて他人のために何か生み出した事と言えば、メンマ家のトラウマ花火によって解消した事だろうか?あれは動機はどうあれ評価出来ると思うけど。

もちろん、主人公達は高校生なのだから、他者への視点不器用しかるべきなんだと思うけど、視聴者のオッサン達が感動しちゃうなら、もうちょっと考えた方が良いんじゃないかな?と思った物で。


逆に言えば、最初からメンマトラウマを受け止めてくれたら、メンバー努力する描写が無いから、花火を上げる段になっても自分トラウマを表に出せない→それじゃ解決にならない→やっぱり自分に正直にならなきゃいけない、と1段、下の状態からみんなをstartさせる事で、超平和バスターズの面々の努力表現している点は上手いなーと思った。。

けど、それは目くらましで、結局、努力が内向きにしか過ぎないと思うんだよね。

2011-09-23

探検ドリランドをやっててで思い出したクソゲー 「エルファリア」

ドリランドだが。



まずシレン好きには絶対オススメできない。

一直線なダンジョンで、ランダムアイテム拾って、時々ボスと戦うだけ。

自分努力する余地が全くない。多分発狂する。




メガテン好きにもおすすめできない。

この作品の基本成長システム悪魔合成システムである

しかし、まず合成の材料人間というのがキツイ

このゲーム人間同士を合体させるという非人道な行いを経験してしまうと、

悪魔合成がひどい行いであることを自覚してしまって、次からメガテンシリーズプレイできなくなる危険がある。

吐き気に耐えながら合成をやって見るわけだが、これがまたしょぼい。

ノーリスクであり、劇的な変化などは一切ない。テキトウに合成したら成長する。そんだけ。

無料キャラでいくら合成を繰り返してもそこそこの所で成長が止まり

有料ガチャスーパーレアキャラをひくほうが100倍強いため、虚しさも相当なもの




ドラクエ好きにもおすすめできない。

宿屋武器屋はすべてリアルマネーだ。

しかも、どんだけ上手に立ち回っていても疲労度というのがあり、

これがゼロになると、強制的にプレイが中断される。

サマルトリアの王子が目の前にいても3時間裸で正座待機余裕でした、とかになる。

そもそもあらゆるシーンで、「次へ」より上に「有料アイテムおすすめ」があり、

仲間よりも商人が身近にいるという不思議感覚を味わうことになる。

商人メッセージスクロールしなくても読める。 「次へ」は画面の制約上、スクロールしないと読めない)




トライエース好きには・・・ってそもそも戦闘アクションとかないから。




まぁ、ラストリベリオンが好きで好きでしょうがないという人なら楽しめるんじゃないかな。

ぶっちゃけやってることはレベルを上げて物理で殴れば良い、くらいだから





ここまでが前フリ。

このゲームやってて「エルファリア」というクソゲーを思い出した。

戦闘は全部オート。プレイヤーに許されているのは「回復する」か「戦う」のみ。もちろん「回復する」は有料ですがなにか?



バトルシステム以外にも、ドリランドエルファリアにはかなり共通点がある。

エルファリアは戦闘でのレベルアップは一切無く、敵が落とすアイテム自分を強化するというシステムになっている。

 アイテムを落とさなければ、いくら戦闘してもムダ。戦闘自体にも工夫の余地なし。

 レアアイテムを引き当てるまではひたすら戦闘と言う名のガチャポンに耐えるという作業。

しかも、エルファリアのザコ敵は体力がこちらとあまり変わらず、しっかり弱い敵を狙うという賢いAIが搭載されていて非常に強い。

 そのくせ、アイテムドロップ率は非常に低く、レアアイテムを落とす確率はもちろんさらに低い。

 そのため、不毛戦闘を何度も何度も何度も繰り返すという苦行。

ダンジョンのしょぼさは異常。ぶっちゃけマップ移動いらない



http://www23.atwiki.jp/ksgmatome/pages/700.html

http://www.nicovideo.jp/mylist/7864917

というか、コレ読んだほうが早かった。ごめん。




同じ年にFF4が出ていたことを考えると、こんなクソゲーを世に送り出したハドソンゲーム製作者はマジキチしか言いようがない。

ちなみに私は100円で買ったがこのゲームほど買ったのを後悔したものは未だかつて一度もない。

しかし、いまやこのクソゲーが、ちょっと洗練させることにより、今ではFFなどのビッグタイトルはるかに上回る金を生み出しているわけだ。

エルファリアはクソゲーだったのではなく、時代を先取りしすぎたのだねママン。

2011-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20110912183826

最後の5話を見なければアギト平成ライダー最高傑作だと思う。

井上敏樹メインライターやるとどうして毎度毎度最後に収拾付かなくなるんだ。お前ラスト考えずに脚本書いてるだろうと。

おかげでどうしても最終的な完成度は小林靖子脚本とかの方がよく見えてしまう。

2011-08-15

考察火垂るの墓」 ~清太と節子は戦時に生きたボニー&クライドだった~

 

 この夏、「蛍の墓」の映画を久々に見た。

 小学生の時に一度見たことがあったが、体中を包帯でまかれた母親の姿がトラウマになり、それ以来怖くて見るのを避けてきた。だから私にとっては、実に数10年ぶりという事になる。


 世間一般では蛍の墓は「反戦映画」と言う事になっている。空襲で母を無くし、残された兄と妹二人が、戦争という環境下で必死に生きる姿を描く壮絶なドラマ。劇中、栄養失調で妹の節子が死に、駅の隅で兄の清太が野垂れ死ぬ時、だれしもが涙し戦争の愚かさへの痛切なメッセージを受け取る、と言う事になっている。


 しかし、今日改めて見たら全然印象が違った。私は「蛍の墓」という映画について根本的な誤解をしていた。たしか戦争舞台装置として使われているが、これは「反戦映画」なんかじゃ全くない。もっといえば、戦争」という時代は「蛍の墓」の話の本筋には、ほぼ何もつけ加えていない。兄と妹が息絶えるという悲劇的なラストも、戦争のせいではなく、単に彼らが「俺たちに明日はない」のような放蕩生活を送っていたからに過ぎない。


 親を無くし、空襲で家を焼かれた彼らはおばさんの家に厄介になるが、やがて「働きもせず飯を食べてばっかりいる」彼らに、おばさんは苛立ちを募らせてゆく。兄と妹は居心地の悪さを感じるようになる。我慢の限界に達した兄の清太は妹を連れ出し、おばさんの家を離れる。いわゆる、逆ギレという奴である。家を追い出されたわけではない。清太自ら「居心地のいい場所」を求めて無計画に家を飛び出すのである。やがて、小さな洞穴を新しい我が家とし、外界との接触を一切断ち、二人だけの生活を始める兄と妹。兄は、そこら辺にある蛙をとったり、畑から作物を盗んだりして、食いつなぎながら穏やかに暮らすが、そんな生活に幼い妹が耐えられるわけなく、やがて妹は、栄養失調で死にいたる。


 重要なのは彼らの命の選択権は「戦争」にあったのではなく、彼ら自身にあったということだ。言い換えれば、二人は「死」という結末にならなくてすむ選択肢も取りえた。たとえば清太は、終戦まで我慢しておばさんの家に留まることもできたし、別に働き場所を見つける事は可能だった。途中でリンチされる清太を助けてくれた警察官に理由を言って救いを求めたら、違う結果にもなったはずだ。唯一、「戦争」そのものストーリーを動かしている所といえば、空襲母親被爆し不条理に命を奪われる冒頭の約10分だけで、その後ストーリーの牽引役は完全に兄の清太の(自己破壊的な)行動にある。


 そうならば、妹の節子を殺したのは実質的に、兄の清太だといっていい。しかし清太自身は、自分の身勝手さに妹は巻き込まれたのかもしれない、という可能性には全く気付いていない。少なくとも、燃え盛る妹の死体を見つめる兄の視線からは微塵の「自責」の意識も見られない。そこには、ただ、自分の道なんかを信じちゃって進まんと決意しちゃうまっすぐな瞳がある。私は、このまなざしをみた時、吐き気がした。それは、小学校の時感じた戦争のグロシーンに対してのそれとは全くちがうタイプの、この映画による2回目の吐き気だった。

 

 繰り返すが、これは戦争映画ではない。戦争それ以前に、社会において人と折り合っていくことを拒み、自分が他と独立法則にしたがっていると信じ、完全な自足の道を求めようとした若者がたどってしま足跡映画である。実際、この映画を手がけた高畑監督自身も、口すっぱく「これは戦争反対映画ではない」といっていたようだ。それが”戦争の悲しさを伝える映画”として流布されたのはおそらく、プロモーションサイドの暴走であろう。


 確かに、「蛍の墓」は悲劇だ。ただ、この映画において結果的に悲劇をもたらしたのは戦争ではなく、この頑なで、近視眼的な若さのようなものである。泣けるっちゃあ、そこで泣ける。

 すなわち、問われるのは「戦争」ではなく、「道徳」であろう。少なくとも、私が戦争被害者ならこれを反戦映画と認めないだろうし、私が教師なら上記の文脈において教え子の小学生に見せて伝える。


http://twitter.com/#!/zaway

 

2011-08-08

失恋日記 ラスト

昨日、彼女にはっきりと拒絶の意志を伝えられた。

前回言っていた「仕事上の関係」という理由はいいわけに過ぎなかった。

結局のところ、ちょっとしたことで「この人とは合わない」と思ってしまい、

それが今までどんどん大きくなってしまったということらしい。



もう忘れる。忘れる。忘れられるわけがない。

2011-07-19

[]懐古厨の特徴

某所よりコピペ

何の気なく少林サッカーを見たんだよ

少林サッカー試合が全部おわって、その最後最後ラストカット最後看板クローズアップされる直前ぐらいのシーン)で無駄に泣いちゃった

なでしこジャパンの境遇とかぶせちゃってさ

 

きっとこうやって女子サッカーが普及していくんだよきっと

初音ミクLAライブ外国人感想その12

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

 英語圏向けにボーカロイド情報提供するサイトの中でも古株だといわれているVocaloidism。そこにもミクノポリス、というかアニメエキスポボーカロイド関連イベント全体の感想が掲載されていた。といってもこれまで紹介してきたような堅苦しいものではなく、本当に只のファンによる率直な感想の羅列。率直過ぎると言ってもいいかもしれない。とりあえず、Vocaloidismの中の人ダニー・チュー嫌いなのはよく分かる。

 urlは以下の通り。

http://www.vocaloidism.com/2011/07/16/the-vocaloid-experience-at-anime-expo-2011/

+++++以下勝手翻訳+++++

アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験

 2011年アニメエキスポ[AX]が終わり、僕らの胃袋はスシポッキーでいっぱいになり、そしてそれぞれが済むタイムゾーンへの帰還までの間に飛行機の遅れにも慣れ、今年の4日間のイベント自然に振り返ることができるようになった。AX2011は、間違いなくボーカロイドに関するあらゆるものの体験場だったと言わなきゃならない。編集者blogフォロワーイベントについて何を語るべきと考えているのか、一休みした後で目を通してほしい。

0日目

 自動車だ! トヨタカローラミク・プロジェクトの公式画像をきらびやかに描いた異なる2台のミクノポリスカローラを持ち込んでいた。正確に言えば[2台の車を]2組用意し、1組をフロントエントランスに、もう1組をミクノポリスコンサート会場の外に置いていた(もう1組の画像はカローラ・ミクの記事をご覧あれ)。

http://s557.photobucket.com/albums/ss19/awsplus/?action=view&current=MikuCarLeft2.jpg

http://www.vocaloidism.com/2011/07/14/corolla-miku-roundup-2/

1日目

 僕は午前中のほとんどを4日分の入場券をゲットするための行列、それとミクノポリスチケット行列に並んで過ごした。幸運にも、そして大いに驚いたことに、コンベンションで購入できるいくつかの座席がまだ残っており、僕ら4人組の中でチケットを持っていなかった最後の一人もそれを手に入れることができた。午前8時から午前11時近くまで時間がかかったけどね。随分疲れたよ。SeyrenLK(有名なミクパ[ママ感謝祭動画の間違いか?]コンサートをアップした人)も2日目の行列待ちビデオで同じ経験をしたようだ。

http://www.youtube.com/watch?v=rXslHQ0EdCs

 2時半、僕はミク・キーノート会場に向かった。ダニー・チューが奇妙な、そして正直言って子供じみたキャッチフレーズ「Miku-san magi tenshi」つまり「ミクさんマジ天使」をコールし始めた。LAは天使の町だからって理由なんだけど、僕にはその馬鹿馬鹿しさを正当化する理由には思えなかったな。クリプトン伊藤社長がそこにいて、ボーカロイド史と短いKarenT及びピアプロの概要を含んだ彼らの製品に関するビジネスモデル方法論について、僕らのために短期集中講座を開催した。Itoh-san[伊藤さん]は同日上市したばかりの新しいビジネスモデルの大きな一部、Mikubook.comを公開した。伊藤はそれを、ボーカロイドに関連した新しい作品につながる新たな方法だと説明した。まだ「超初期ベータ版」(アルファ版?)だそうだけど、できるだけ多くの人が参加しデータを追加してほしいと勧めていた。またミク・カンファレンスでミク英語版についていくつかの情報が出るだろうとも言及していた。この告知のせいで僕はラストエグザイルプレミア上映を見逃すことになった。その後で質疑応答が行われたんだけど、僕は次のパネル行列に間に合わなくなりそうだったので残ることができなかった。その次のパネルってのは……

 MikuMikuDanceワークショップだ。行列正気とは思えないほど長く、会場に入るまで永遠とも思えるほどの時間を要した。そうなったのはミク・キーノートが1時間時間オーバーしたうえ、彼らが基調講演者のための翻訳者を用意していなかったから。おまけに[ワークショップの]始まった時間が遅かったため、僕はNirgilisコンサート(それ自体はとてもよかった)の為に早く出て行かなきゃならなかった。でも見ただけの価値はあった。主な講演者はこの業界で最良のMMD-P(MMD製作者)2人、せっぺん[ママ、せっけんPの間違いか]とブラザーP。ブラザーがそこに座っていると聞いた時、僕の顎は床まで落っこちた。ブラザーmelody.exe動画は僕をボーカロイド狂にした最大の理由だ。彼らはソフトに含まれている紹介動画全部(もちろん字幕付き)や第7回MMD杯告知動画を含んだMMDの紹介を行い、英語圏のMMDユーザーに対して誰でも締め切りまでに[MMD杯に]投稿してほしいと促し、そのうえでプログラム自体の基本とどうやって入手するかに話を進めた。そこで僕は席を離れなければならなかったため、ミクのHeart Shooterのためにブラザーが作った新しいMMD-PVを見損ねた。ユーチューブ動画を教えてくれた良き友人たちに感謝

http://www.youtube.com/watch?v=9wwSpHZk2uY

 ZANEEDSがクラブノキアオールエイジ・ダンスをやってた時……僕は寝てた。その日のイベントで疲れ切っていたせいでこのダンスは僕の瞼の向こう側を静かに通り過ぎていってしまった。Nirgilisコンサートの際にクラブノキアを見た限りではダンス向きの素晴らしい舞台だったが、撮影及び食べ物に関するナチスのようなルールと3ドルのポップコーン及び8ドルのビールはいくらかムード邪魔になったんじゃないかな。僕の友人、RemiliaScarletは実際に見に行ってすっかり楽しんできてた。後でZANEEDSが話したところによれば、これはアメリカで行った彼らの最初のDJギグであり、とても楽しかったそうだ。

2日目

 ミク・カンファレンスはもしかしたら1日目のミク・キーノートより混雑していたかも。またもダニー・チューがあの馬鹿げたキャッチフレーズを唱えていた。Koboyashi-san[ママ小林さんの間違い]は自分がミクノポリススタッフであり、そこで英語版ミクの試作品による歌があることを明かした。新しいKAITOアペンドのデモもあり、オリジナルよりずっと簡単にKaikoの声を作れることも知らされた。KAITOアペンドを米国で売り出すつもりはあるかとの問いに対する回答は、「怖い質問ですねえ」だった。でもKAITO英語版を期待することはできそうだ。なぜなら彼[KAITOの音声データ提供者]はアメリカンジャズを学んでおり、英語が流暢だから。悲しいことに前日に起きた失態を避けるためパネルは短時間で打ち切られ、この件に関する質問はできなかった。CV04に関する質問は諦めるしかなかった。

 カンファレンス直前に行われたボーカロイドコスプレ会合はVocaloidism的視点で言えば完全に失敗だった。僕らの一人は……不意打ちを食らい目の前にいるiNSaNiTY[海外PであるDoofusの曲]のKaitoコスプレに全く気づかなかった! ともかく僕はどうにかKAITOコスプレ写真の一部としてそれを撮影することができた。できれば沢山のコスプレ写真フォーラムにまとめたい。準備できたらすぐリンクするよ。

 もちろんこの夜最大の呼び物はミクノポリスだった。僕らが中に入るため半時間ほど行列している時には、少なくとも3台の放送用車両がシアターの外にいた。僕はずっと右側の席、NND[ニコニコ動画}のために撮影するクレーンカメラから1セクションだけ離れたところに座った。クレーンカメラは随分低いところまで下がってきてたよ! ボーカロイド曲のアコースティックおよびジャズ演奏が響いている間に僕らは席につき、そしてあのうっとうしいダニー・チューがまた出てきて人々に「Miku magi tenshi」と3回言わせようと試み、結局会場を暖めるためにDANCEROIDを持ち出すことになった。2人の少女はFirst Kiss! とルカルカ★ナイトフィーバーに合わせいい仕事をしてのけたが、彼女らのステージにおける本当のハイライトはLOL -lots of laugh-にあわせたサプライズダンスと、あ、そうそダニー・チューが彼女らの新しいDVDを紹介する埋め草もあったな。それから着席が終わるまでいくつかのBGMが続き、ミクはカメラ嫌いだから撮影しないでねっていう公演前の声明があったよ!

 あらゆるすげーものが解き放たれる前のキャンペーンを始めたカローラミクのCMから、公演は始まった。Project Diva desuが始まると熱狂は目に見えるようになり、そしてワールドイズマインが続いた。安部潤の隣に座っていた新たな弦楽器部門はバンドへの素晴らしい追加になっていたけど、僕には弦楽器が多すぎるように感じられた。半分に減らしてもそこから必要な力強さを引き出すことはできたんじゃないかな。ケミカルライトリズムに合わせてはためき、20列目以降と2階席の全員は立ち上がって曲ごとに喝采していた。12種類あった新しいコスチュームごとに歓声はさらに大きくなった。最後は声をそろえてアンコールを叫ぶのにも疲れのどを嗄らしていたにもかかわらず、誰もが自分の意見を述べ、そして実際に彼女は戻ってきて、さらに愛言葉とハジメテノオトを含む3曲を歌った。それは決して忘れられない体験だった。僕の描写がイベント全体をほとんど取り上げていないことには気づいているけど、でも僕は他にも色々話したがっている多くのコンサートに参加したVocaloidism関係者のためにも短くまとめたかったんだ。

3日目

 ボーカロイド・ファン現象……は酷い落胆をもたらした。あの東方の霊夢コスプレをしたヤツが誰なのか、彼がボーカロイド関連で一般的に何をしたのか僕は知らないんだが、2つの点は明らかだ。1. 誰もがヤツが女の子だと騙されていた。罠王国における罠の中の罠に嵌っている状態だ。2. これは公式パネルじゃなく、一人の人間の見解に過ぎなかった。僕は30秒と残らずに立ち去った。実際にこのパネルに残り、何があったのか僕に話してくれる人はいるかい

 僕はその後でしばしホールを歩き、ミクノポリスのブースを再び通り過ぎた時、ハチとWowakaサインしているのに気づいた。不幸なことにタイミングが悪く、彼らは仕事を終えて荷物をまとめる2分前だったうえに、僕は彼らのためのペンも持ち合わせていなかった。Vocaloidism関係者の何人かはどうにかサインをもらえたようだ。ラッキーだよな。

 それはそれとして、Mirai no Neiro:未来音色コンベンションの中で圧倒的に得るところのあったパネルだった。この3時間パネルは驚くべきことに行列すらほとんどなく、入場するためバッジスキャンする入り口のところで籤さえ配っていた。Mirai no Neiroがアニメエキスポで開催されるのはどうやら2回目。去年はもっと短かったそうで、従って彼らはまず同じことをやった。ミク、リン、及びレンのレイヤーが現れ、キャラたちが「今日ここで開かれている技術会議に挑戦する」場面を演じていた。後に知ったところによれば彼らは実際はその場にいたコンベンション参加者で、キャラとして脚本を演じるように頼まれたのだという。彼らは脚本にかなりたくさんの疑問を持っているように思えた。それはそれとして、そこにいたのは僕が見た中で最も華やかなリンだった

 パネルの前半は何人からアーティスト作曲家による様々なPVの上映、及びアニメエキスポのファンに対する彼らのメッセージの紹介だった。中にはインターネットのどこにもまだ投稿されていないワールドプレミア動画、例えばまさたかPのデビューであるストロボナイツのMMD-PV[ママストロボラストの間違い]、かごめPの国際的に安全なinnocent girl(社会人が巨大なパンダぬいぐるみになっている、そう、これなら問題ない)、さらに完成していない悪の娘/召使ワールドイズマインアニメ版(後者はある意味卑猥だった)などがあった。

http://www.youtube.com/watch?v=ri-M9O6h1pg

 後半はゲストボカロPたち、PENGUINS PROJECT、すんzりヴぇrP、そしてZANEEDS(piperP[ママパイパンPの間違い])が紹介された。皆アメリカ向けに紹介する新しいワールドプレミア動画を持ってきていた。それぞれガラパゴス(リツカ客演)、退屈なボウリング、そして社会主義/社会主義★だーりんっだ。どれも聴衆から大きな反応を引き起こしていた。時には愉快に爆笑しながら、でも誰もが称賛と伴に作品の真価を認めていた。もう一人のサプライズゲストアーティストアレイアニメエキスポ内の同人誌即売会場]にブースを持っているアーティストパネルイントロ動画を描いた女性だが、とても恥ずかしがりやで顔は見せなかったな。最後にボーカロイドエンジンそのものの製作者がサプライズゲストとしてYAMAHAからやって来て、どのようにエンジン機能するかをその場で実演し、おまけにSweetAnnにハッピーバースデーを歌わせていた。パネルの中でも一番楽しかった場面で、多分もっと多くのボカロPをゲストに招いたうえで来年も見てみたいと思ったよ。僕は自分インプットカードにSamfreeとDeco*27名前を入れたから、他の連中も同じことをしていれば彼らは来年招待されるんじゃないかな。わかんないけど。

http://www.youtube.com/watch?v=t4EH535hR8g

http://www.youtube.com/watch?v=jM2d5rW42Mo

 全体として素晴らしい体験で、参加したことに満足している。コンベンションにおけるダニー・チューの存在は称賛より損害に値すると思うけど、ボーカロイドファンの関心を惹きつける沢山のものがあって、全部ひっくるめて余分な2日間を過ごすことができた。展示ホールアーティストアレイのばかでかさにも触れなかったな。これらの時間をまた思い出すとしよう。世界中ボーカロイドファンには、僕らの愛する業界がますます盛況を迎えていることを知ってもらい、安眠してほしいね

+++++勝手翻訳終了+++++

初音ミクLAライブ外国人感想その1「再生の約束」逐語訳

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生の約束」フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」

http://anond.hatelabo.jp/20110709211718

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10「アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11「世界は彼女のもの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

http://anond.hatelabo.jp/20110719203237

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-06-30

キャラ名前

キャラクター名前考えてるんだけど、カタカナより漢字の方が有利だよね。

漢字の方が情報量が多い。



名前って、単なる識別記号としての機能以外に、そのキャライメージ作りにも役立ってる。

名前を見れば、そいつが主人公ヒロインクラスなのか、味方なのか敵なのか、またはその性格能力まで大体分かることが少なくない。

から、なるべく名前イメージを付加してキャラ立てを強化したいと思ってる。



漢字なら読み以外に漢字そのものイメージを持つので、そのイメージを活用できる。

ゲームラノベだと名前の字が視覚情報として常に使われるので、このイメージは割りと有効だと考えられる。

カタカナでもラストネーム(?)は自由にイメージを付加できるが、普通ゲームラノベ中に常時表示されたりせず、弱い。



ただ漢字名前にも弱点があって、世界観ファンタジーだと使えないんだよなぁ

全く使えないワケじゃないけど、基本的に苦しい。

2011-06-22

ONEPIECE雑感

どこにも書けないから、増田さん



漫画ワンピース面白い面白くないかといわれると、「面白いかな」
泣けるかといわれると、「泣けない」
他人にお勧めするかと言われると「無理には薦めない。巻数多いから。」

伏線はあるし、キーワードに謎解きめいたものがあるから、そういった面や世界観的には面白い

キャラクターもわかり易い個性付けされてるし、絡み合う人物相関も明かされる内に一喜一憂する。

が、面白いと思うけど、一番面白いというわけでもないのは王道漫画の読みすぎかも。

そして泣けるかどうかが非常にネック。

キャラ感情移入しているかシチュエーションや個々のツボ、感性感受性によるから、泣ける人は泣けると思う。

が、どうもワンピースにおいては世界観萌え要素が強いせいかキャラ達の織り成す物語歴史書を読むような、

例えば目の前で太平洋戦争の資料映像を見せられても、資料と見るかドラマとして見るか位の違い有。

仲間とのシーンのヒロイックな場面が泣けるんだろうけど、仲間との王道たるヒロイック性に燃えないとも言う。

男の散り様とか、男がさりげない中で愛を告白するとか、ドリーミン過ぎるけど

ウルフウッドが死ぬシーンのが断然号泣シーンになってしまうw

女なので、タッチやめぞんみたいな正統派もうるっとくるし、異色所ではGOD SAVE THWすげこま君のラストも。

漫画は正直巻数が多いから薦めない。というか長編物は読むのに覚悟が居るからワンピース以外でも安易には薦められない。

何編が面白い?そこだけ読むと言われても、話が繋がらなかったりするから嫌な質問。

そもそも私自体、60巻越えで覚悟の大人買いワンピースに着手した位のワンピにわかだし、大変。



でも、少年漫画で他の漫画に比べて癖がない+世界観キャラ王道から

ワンピースは他の漫画に比べて序章からすんなり入れてとっつきやすいし、まぁ面白いと思うのですよ。

2011-06-18

気づいたら1週間脱オナニーしてた私に、至高のオナニーネタを教えて下さい

タイトル通りです

日曜夜前乗り、金曜深夜帰宅の1週間の長期出張してたら、気づいたらオナニーを6日間してませんでした。

小学校5年生の頃、父の隠し持っていたエロ本で覚えたオナニー

その後20年以上、ほぼ毎日のように自家発電してたのに、正直ビックリしています

(※別にインポテンツになった訳では無いです。アレはアレな状態なので。)

「せっかく偶然にもオナ禁出来たんだから、せっかくなら至高のオカズ、至高のオナニー方法で、華々しくオナ禁ラストを飾りたい」

そう思って、某アダルトサイトを巡回してみたけど、なかなか「これだ!」というオナネタにめぐり合えない。

そこでお願いです。私に至高のオナネタを教えてください。

次元エロゲ漫画共)でも3次元動画写真他)でも構いません。

宜しくお願いします。

お金かかってもいいので、出来たらダウンロード可能な物でお願いします。

通販DVDブルーレイを紹介されても、到着まで辛抱できそうにありませんので。

==========================================

追記 オナニー方法については、洗浄後アルコール乾燥してある某ヴィーナスクローンか、某フレッシュライト等の愛機があります

エロゲ右手が止まらない僕と幼なじみ姉妹」にあった、掃除機オナニージャンピングオナニー

ホースオナニー潮吹きオナニーにも興味がありますが、せっかくの1週間の脱オナのフィナーレ。

好奇心に走って残念オナニーにしたくはありませんので。

2011-05-15

魔法少女まどか☆マギカがつまらなかった理由

私にはどうもハマらなかったのだけれども、周りが皆さん大ハマりで気分を共有できず悶々としていたので。

売り方・見せ方に優れたアニメだと思うけど、あまりにも「売る為の工夫」ばかりが目についてきつかったというか。

評価すべきは、短い放送期間の中で視聴者の期待を裏切るべく工夫を凝らした事であり、

破滅のラストを予感させて「最後どうなるんだろう」という興味を抱かせ続けた事であるるが、お話はつまらなかった。

哲学的」とか「世界観が深い」とかい意見もよく見るけど、それも売り方の手法として上手だったというように見える。

考察しちゃった気分」は気持ちいいもの

でもそれは「設定」にすぎない。その深い世界観からどんな人間ドラマが、感動が生まれたのかしら。

ファンシー魔法少女が「意外にも」死んだり悲劇に襲われたりすること「こそ」が重要でそれ以外に何もないように感じた。

キャラクターにあるのも「設定」で、人間性の厚みはなく、台詞も薄っぺら。行動はご都合的。

さやか悲劇マミさん悲劇まどか人間性もうすっぺら。

それとも私の感度が低すぎるのかな…。自信なくなりますね。

10話はちょっと面白かったです

10話で初めて、薄っぺらじゃない、ちゃんとキャラクターがしゃべった気がしました

時間ループする設定は…まあ斬新ではなですね。個人的には結構好きだけど。

「売る為の工夫を凝らす」ことが悪い事だとは思わないです

むしろそれこそが最も大事な事だと思います。

でも…もうちょっとかくして欲しいよね…。

物語キャラクターをないがしろにして、視聴者を驚かせて楽しませるような作品に感じたので、

ちょっと世の中のアニメ好きな人たちにがっかりしました

◆追記1 ================================================================================

>ちょっと世の中のアニメ好きな人たちにがっかりしました

ってのは確かにちょっとあんまりな言い草だったと思います。

しかもファン一緒くたに否定するような書き方はよくなかった。ごめんなさい。

面白かった感想や気持ち自体を否定するつもりはないんですよ。

2011-05-01

おっさんがまどかマギカを見終わってマミってみた

そう考えると俺が面白かったというだけの話。長い。呪文唱えとく。ティロ・フィナーレ




破でシンジが「世界がどうなったっていい!」(だっけ?)と叫んだとき自分は「ポストエヴァがやっと終わった。」と思った。

からまどかマギカを見ながら、このアニメが終わったときに、いったい何が出てくるんだろ?と思っていた。

でも違ったようだ。まどかマギカポストエヴァの総決算みたいなアニメだった。



ここで俺の見たアニメを二つに分ける。さすがにこれで全部じゃないが、すごく少ない。



【なんとなく出来た/お題を出した

TVエヴァ



【理詰めで作った/お題に答えた】

トップをねらえ2!

ハウルの動く城



エヴァはよく分からん。あれはどうも「作っている最中になんか出てきたwよく分からんけど、とりあえず入れとけ。」

みたいな感じで作ったように見える。

でもそれに対して、「あれはこういう意味なんじゃないの?」と答えるようなアニメが沢山作られた。

それがポストエヴァと呼ばれるものだと思う。とりあえずそういうことにしといて。



一方、トップ2!とハウルは分かり易い(と思う)。尺が短いってのもあるだろうが、やりたいことが決まっていて、

最初から最後まできっちり考えて作られているように見える。

(ちなみにポニョ分からん。ちょっと不愉快に感じる分からなさだ。)



で、自分はこの2つをエヴァが出した問いに答えたアニメだと思っている。

この2作には「世界を救わない救世主」が出てくる。最終的には救ったりもするけれど。

まあそうなのよ。別に救わなくていいのよ。

この答えは当初はともかく、今ではかなり受け入れられたんじゃなかろうか?破でシンジもああ叫んじゃったことだし。

まどか世界を救った訳じゃない。ストパン2のラストは、今時こんなの流行んねーよって思った。)



でもねえ、あいつら全員すごい力をもってる訳よ。お前らそれでいいだろうけど、俺はどーすればいいのよ、

ってな感じで、まああまり使えない。



横にそれるが、当然トップ2!はエヴァよりも「トップをねらえ!」を意識している。

ところでトップ2!って不人気なのかね?まどかマギカラストはトップ2!のパク…リスペクトだと思うんだが。

もっとも、俺が知らんだけで、まどかマギカリスペクトしているアニメ漫画は他に沢山あるだろう。

ハウルはあれだ、こんなの爺さんに作らしてちゃだめだろって思ったんだが、どうなのかね?





で、まどかマギカだ。

まどかマギカは次のようなお題を立てた。

希望絶望の間に入る記号は何か?』



その答えは、

希望絶望



普通常識的だ。

たったこれだけのことに、なんとも手の込んだことをしたもんだ。でも単純であることと、それが伝わるかどうかは別なわけで。

物語ほとんどの時間を、まどかは泣いたり悩んだり何も出来ずにおろおろしている。

最終的にまどかは神的存在になって魔法少女達を救うけれど、彼女達を救ったのは彼女の力ではなく願いだ。

(別の終わりもありえたけれど、あの願いだからこそあの終わりかたになったわけで。)

希望絶望

そう信じることくらいなら、自分にもできるだろう。




改変後の世界の魔獣は白くて皆同じ姿をしている。あいつら多分感情を持っていない。

それに対してほむらの翼は黒く濁っている。

希望絶望であっても、希望があるからこそ絶望もする。逆も然り。そういうもんだ。

からあの黒い翼は、まどかマギカというお話最後に、とてもふさわしいと思うんだ。

2011-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20110423100555

かわいい絵柄で騙して中身はっていうそれだけだったんじゃないかな。

期待と予想を裏切って、視聴者をひきつける古典的な手法。

願いと引替に対価を払うという設定自体はよくあるしね。

で、夢オチラストも別段珍しくもない。

この作品を機に魔法少女モノがダーク路線になるとは思えない。

しかに、萌え流行ってるからこの作品だっただけで、時代劇が全盛だったら印籠を出したら斬り殺される水戸黄門をつくったんじゃないかな。

その水戸黄門は個人的には見てみたい

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