はてなキーワード: 再生とは
「『家庭』の価値をアウトソーシングできる」と思える人は、結婚なんてしなくていいんでないの?というツッコミにどう答えるの、ってことじゃないの。
まあ、
結婚には(世間の思う)100とかましてプライスレスな価値なんてないよ、30くらいしかないよ、でも30は得だからすればいいよ、でも所詮30だから、得るも捨てるもこだわる必要なんてないよ
と言いたいのだろうとは思うけど
結婚にプライスレスどころか100の価値もなくて、他でも得られる30程度の価値がないなら、何も苦労して結婚なんてしたくないなあ
という意見との違いは、結婚を「得るも捨てるも(簡単に)できるもの」という風に捉えるか「苦労してするもの」と捉えるかが違っているだけであってさ。
要するに、まだ余裕のある(手前の方の)アラサー女子と非モテでは前提が違うということでないの。どっちがどう、つーんではなくて。
ついでに「どっちがどう」の話もしておくと、個人的には、「ものごとの面白さを味わう力のない人」に「面白いもの」はいわゆる「豚に真珠」だと思ってるので、気の毒だが、結婚に向いてない人・結婚の面白さが分からない人・面白さを味わう力がそもそもない人なんかは、別に最初から結婚なんてしなくていいよ、むしろ、真面目に結婚をしたい人から見れば迷惑だから手を出すなよ、としか思わない。勝間にそんなこと言われないと結婚する気もおきないなら、結婚なんてやめとけば?
ただ、社会的にはそういう人を少しでも上手に煽って次世代を再生産させないと困るから、いろいろ煽る人がいて、その意味で勝間にも重要な役割はあるんだろうなあ、とは思うけどさ。
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
ごめん、悪いけど本気で分からんわ。皮肉のつもりだったの?あれ。
[オレ]労働運動のやり方、少しは考えようやー。真面目にストやってみるとかさー
↓
??
ストやれば会社が損失を受けるのは当たり前だわな。しかし、それでも社会全体の利益を考えたとき(労働者の再生産とか経済規模の発展とか文化の向上とか)、労働者にストを打つ権利がないと経営の無茶に歯止めが利かないから、わざわざ憲法で権利として保護されてるわけじゃん。Ok?
そして、無意味なストは労働者自身も痛い、それも当たり前だよな。給料出んもんな。でも、それ以上に雇用者は痛い。だから、労働者側からしたら、身を削って交渉力を得てるわけだよな。もっかい言うけど、ストやれば会社傾くのは当たり前じゃん。傾くと困るから話合いになるわけでさ。
もちろん、現行のとおり流動的な雇用市場が成立していない社会において、会社が潰れることは労働者にとって相当痛いということは大前提よ?だから軽々しくスト打つわけにはいかない。けど、だからといってストを打っていけないわけでもないし、ストが交渉戦術として有効でないわけでもない。要は使い方と使い所だろ。武器というのは、得てしてそういうもんだわな。
要は、オレの最初の書き込みは、もはや魅力的でも有効でもない武器(デモ)振り回す茶番より、まだ磨けば使い所のある武器(スト)の再生をなんでやらんの? 労働組合の幹部はホント無能、という書き込みなわけ。でもってあんたの書き込み(皮肉?とやら)は「武器使ったら怪我すんじゃん」ということなわけ。それって皮肉? ねえ、それって皮肉? 根本的に話の前提が分かってないだけの、単なる無知だろ。
たとえ懐から出さないとしても、ホントに切れる武器もたにゃ交渉にも何にもならねんだよ。お子様は飴でもしゃぶってろ。
まあ、労組の連中がそこに手を出さないのは、本気で切れる武器を振るうビジョンも度胸もないからだよ。竹光でチャンバラやるような交渉芝居が主たる仕事だ(と思ってる)からそうなんだろ。まあ、そんな話はあんたにしても意味ねーがな。
ところで逆に聞きたいんだが、あんたは一体どういう立場から、自分のそのお子様なご意見を述べているのかね? 社畜の立場から?それとも糞タレブラック経営者の立場から? それとも無職か学生? まさか公務員じゃねえだろうな。その辺非常に興味あるな。少しは語ってみせてくれや。あと、「失業倒産を減らす」ビジョンについてもさ。いや、友だちのとある会社の二代目(ぼんぼん)社長が似たようなことボヤいてたから、まさか本人じゃねえだろうな、とw
ちなみにオレは、労組がスト打つ覚悟で全力を挙げて取り組むべき課題は、ワークシェアの推進に尽きると思ってるけどね。正社員の給料とか雇用とか、そんなことより、命と家庭と人生を守ることの方が百倍大事だからな。給料を敢然と切り下げて労働環境を改善するため雇用を拡大せよ、と。何ならリストラにも協力すればいい。同一労働同一賃金の原則を厳格にして、正社員とか派遣の壁を崩してく。そういうビジョンが必要だと思うんだがな。
自分が幸せで、生まれてきてよかったと思っていたら、幸福の再生産をするために子供を欲しがると思う。
生まれて来なければ良かった、この世は生き地獄、親のエゴ(中出し欲)によって強制的に生誕させられ、
そのせいで地獄を見せられた、すべては親のせいだ、私は親の過ちを決して繰り返さない、と思っているから子供要らないんだよね。
どんな育てられ方をして、どんな環境で生きてきたらそこまで悲観するのだろうと思う。
結婚は、男が女から財をむしりとられるだけの不平等条約と主張する男が居るけど、
最も身近な夫婦である両親がどんな状態でいたらそんな考え方になってしまうのだろうと戦慄する。
母親が専業主婦、家事はぐうたら、食事もまずい、見た目はデブスババア、いつでもゴロゴロしていて、
夫には「給料が低い」と暴言を吐き、常に当たり散らし…そんな家庭だったら、「女は負債」と感じても仕方がないのかなと思う。
子供のころから最も身近な女である母親が、誰の精液でも受け入れる公衆便所のような女だったら、
たしかにそんな考え方になってしまっても仕方がないかなと思う。
2chやTwitterを見てると、あのブログがソニーの回し者であるかのような流れになってるんだけど、何だか違和感を覚えるんだよな。
なので、とりあえず最近のあのブログのPSVITAタグの中からネガティブっぽい記事をピックアップしてみた。
1月だけでこれだけあるわけだが。
PS3の初期もこのブログはこんな感じだったし、ほんとにこいつソニーからカネ貰ってんのか?その辺はどういう解釈でみんな納得してんの?
12月も…と思ったけど多すぎて後半だけで力尽きた。
ここ数ヶ月仕事もプライベートもうまくいかず、ずっとイライラしている。
かといってそんな荒んだ心を癒してくれる存在のはずの彼女(同棲中)は仕事の愚痴ばかり言い、詳細を聞いてもはっきり答えず泣くか当たられるばかりでこちらのストレスなぞ露知らず。そして性格がだらしなく、掃除が出来ない。物忘れも健忘症レベルで、小さいことも大事なこともすぐ忘れそれの尻拭いをさせられるので癒されるどころかストレスが増す。気分転換にと外を歩きゃ当たり屋紛いに絡まれ文句を付けられる。唯一安らげる通勤時や昼の外食時は金切り声で叫び暴れる子供とそれを全く注意しない親、音洩れ野郎、携帯大音量ババア、ヲタ話を大声で恥ずかしげもなく2ch語で会話するニコ厨、そんなのに毎日のように遭遇する。
そんなこんなで今日ついに限界が来たのか、立ってるのもキツイくらいの頭痛が襲ってきたのでちょっと早めに帰らせてもらい、彼女もまだ帰ってきていないので頭痛薬を飲んで横になった。少し落ち着いて、音楽でも聞こうかとプレイヤーを再生したらハイロウズの日曜日の使者が流れてきて、普段カラオケも行かない自分が大熱唱を始めてた。
追い込まれている自分の現状と歌詞が重なり、今まさに励まされているようで、歌っている途中で涙が溢れ声が詰まった。
ブルハの頃ヒロトは好きで、ハイロウズになってちょっと離れていって、クロマニヨンズはノータッチだったけど、色々聞いて見ようかな。
【ウエルテック】 ジェルコートF 90g 歯磨剤&フッ素コート - ウエルテック
Panasonic フェリエ マユメイク ピンク ES2105PP-P - パナソニック
最短で達成する 全体最適のプロジェクトマネジメント - 岸良 裕司
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
戦略的に生きている少女が主人公。田中ロミオだと少年ですが。木地さんの『悦楽の園』では、この少女や少年たちの戦略が徐々に破たんしていく。そのときの救済はどこにあるのか。救済の道はふたつあって、ひとつは外部にあるコミュニティに逃げちゃう。もうひとつは教室の中でもう一回戦略を立て直してコミュニケーションをとっていく。これを同時並行にやっていく。田中ロミオのライトノベルは木地さんの作品と似ているけれども、外部のコミュニティでの救済は欠落している
『指輪物語』も歴史的な意味でのループの繰り返し。主要メンバーを歴史のループをなぞるようにして救済していく。でも結局は主人公のホビットは異世界に去ってしまう。木地さんの作品も社会的不適合者の学園みたいなのが、社会の外部にある。教室の中での不適合度が高まるとそこに行く。そこで再生して教室の中に戻っていく。
田中ロミオがいかに社会や大人といったものを信用していないかってことなんですよね。
「浄化」というのは小説空間内で発生している問題への根源的な解法、そして「サプリメント」というのは一時的な対処療法属地ベースだけで考えていると、場所による制約を常に受けることになってしまうでしょう。物理的・空間的な制約が精神的にも窮屈なものとして認識されてしまう。そこにネットベースの発想を加えることで、自身が動ける領域を拡張できるという感覚を持つ
それぞれのSNS、掲示板、動画サイトに独自のコードが存在しており、それを見抜いて、あらかじめ自身がどう振る舞うかを設定し、失敗したらもう一度コードについて思考する能力。このような能力こそがカスタマイズ・スキルである。コミュニケーション・スキルが他人に対して直接働きかける能力だとしたら、こちらはアーキテクチャの性質への正しい理解を介して間接的に他人と接触する能力。それぞれのアーキテクチャごとのルールを察知する能力を身に着けないときつい
この間漫画喫茶でドラゴンボールを改めて読んでみたんだけど、画力が圧倒的だってわかった。
画力だけで、迫力、スピード、臨場感、世界観、全てがなりたってる。
今読むと、ストーリーもセリフも珍しい部分はそうないんだよね。
むしろ、編集に言われるままに新シリーズ新キャラを出し続け場当たり的に続けたんだろうなって感想さえ受ける。
トランクスなんていうふざけた名前のキャラが準主人公でも不自然がないのはさ、あれは実は画力によるとこだったんだよ。
ベジータのセリフも、ベジータの行動も、ベジータがっていう前提がある素晴らしい。
ベジータらしさをどうやって演出してるかっていうと、初出は典型的な悪党だったし、ナメック星ではいきがった小物だったし、じゃあなんで人造人間編からの魅力はどっから来てるんだ?ベジータらしさってどこでわかるんだ?って思えば、恐るべきことに、単純に、絵をみればわかるということ。
ドラゴンボールは戦闘力という強さの数値化を発明したように僕は思っていたんだが、数字よりモブの解説より、なによりも絵で強さを表現するということの凄さ。
外国でウケたってのもわかるわ。
ニンジャがでなくても、サムライがでなくても、誤訳があろうと、識字率が低かろうと、文化的な前提が違おうと、きっと理解できるだろうなって思った。
誰も私にその生き方を強要できません^^権限を持っていません^^
それが気に食わないなら憲法で男女平等を認めていない国にでも行って存分に女性を虐待してください^^
孕ませたいといってくれる人に孕ませてもらったほうが、女として幸せなのに
孕ませたいといってくれる人が優秀な男なら幸せですが、ゴミムシのような男なら不幸です。
どうも、動画を配信するサービスのようで、色々見てみると顔を出して雑談してたり、ゲームしてたり演奏してたり料理してたり、筋トレしてたりしていた
こういう人らは人と接点を持ちたいのだろうと思うが表現の仕方は様々で面白い
私は、再生数0コメント0の放送が面白いと聞いていたので上記の生放送主の元から離れていろいろ右往左往しながら探していた配信を見つけた
初めに繋いだとき、彼は画面を見てマイクに向かってぶうぶうと息を吹きかけていた
何してんの?
動画見てる
何の動画?
ギターやってんの?
と1対1で8分ぐらい応対をしていたら、じわじわと目線が左右に動くのがわかる
これは、動画とコメント欄の表示が別々なんだろう(推測)が、次第に確認する回数が増えてきて動画じゃなくてコメント画面のほうに顔を向けてこの配信者が心を開いてくれたのかなと思った
とりあえず、私のコメントを待っているであろう配信者を見つつ他の該当する配信者を探していたが面倒になったのでそのまま消して退出することにした
最近ふとしたきっかけでツイッターで見つけたキチガイの人がすごい。
ツイートの最初と最後に0とか"フ"とか死とか後とか書いてあって
よく見ると0→0、フ→2(かな入力)、死→4、後→5ってなってて
「フよろしく死」だと2の人格が4の人格に話しかけているという事になってるっぽかった。
今はまた別の方法に切り替わっているよう。
その人が最近YouTubeにWebカメで撮ったっぽい早口の独り言の動画をUPしていて
その名前で検索してみると、色んなPC関連の書籍を出している人だった
有名LinuxOSの開発にも関わってる人だった。
実家から少し離れた所に家を買って、毎日デリヘルを呼んで過ごしている
誰も自分を分かってくれないため孤独で辛く、まともな人間になりたいが
神(一番強い人格)に怒られるのが怖くて薬が飲めないのだそうだ