はてなキーワード: 概念とは
=本来の目的から解放・放逐された結果、地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的にその自由を享受する姿勢
原発推進派も、反原発推進派も、橋下派も反橋本派も、どちらも目くそ鼻くそになるのはこれが原因。
・島宇宙化
=若者の内向化のことと言われるが、実際は世間が崩壊した結果、寄る辺なく数名の仲間と共に漂流している状態と捉えるべき。
自分のことをアッパーミドルとか言っちゃいつつも不安を隠しきれない女子大生などが典型例。
=社会貢献したい若者の数は増加し続けているけど、まともな社会活動に参加する人は増えてない残念なニッポンの現状
=民衆が持つ独自の規範。これが破られるとリアルネット問わずにいきなり炎上する。
このことを知らないと非常に危険。日本のモラルは肯定より否定の形で表現されることが多い
・親密圏、公共圏
=内田樹が大好きな言葉。彼の脳内ではこれがあれば全ての社会問題解決するくらいの万能薬。
彼の語るこれは、なぜか年功序列的な概念とドッキングしており、ユートピア化している。
彼が批判しているのは常にこのユートピアの実現を脅かす何かである、と考えれば、彼のブログが非常に読みやすくなる
・承認欲求
=若者による、言っていることはわかるがお前の言い方が気に入らない、というふてくされた態度のこと。
逆に言えばほめてやれば簡単に動くのでコツをつかめばこういう若者ほどチョロい。
=友達がいなくても、ネットさえあれば、その気になれば友達は作れるという希望のこと
・近代化
=ムラの外側を創造することなく一生を終えていた村人たちを、
国民や個人という自立した存在として引き上げようとしたプロジェクトのこと。
accomplice共犯者、ぐる L.complex(仲間)に誤ってacが付いた
compliance 順守 一緒に+L.plicare(折り重ねる)+ance
complicity 共犯、共謀 *一緒に折り重ねる)
deploy 展開する、(軍事)配備する de-=dis-=apart [離れて]重ねる
diplomat 外交官
diplomatic 外交の、外交上の 二つに折った紙が公文書
duplicate 複製する、二重にする、二倍にする du-=duo-(=two [2])
explicate 明らかにする、説明する、概念を展開する ex-(外に)重ねる= unfold(たたんであるものを開く)
explicit 明白な、明白に述べた
exploit (資源などを)開発する、(素材などを)切り開く *外に重ねる
implicit 暗黙の、含みのある *中に重ねる ⇔explicit
plight 悪い状態、苦境 plicare(重ねる、織る)
倫理に従って生きるのではなく、生き残った者が倫理という協調ゲームのしくみを有していただけだ。
プレイヤーが一人になるとゲームできなくなる(せねばならない)のではなく、結果的にゲームという概念が消滅するだけだ。
生き残った者=繁殖に成功した者であり,彼らが持っている協調の仕組みは,
・夫婦になることを是とする
・子どもを持つことを是とする
・子どもを育てることを是とする
ですよね.
みなさん堂々と繁殖しているんじゃないでしょうか.
子どもを作ることに罪悪感を持つことはむしろ反倫理的なのでは.
あなたが感じるいらだちは,理性的に考えられる倫理(おそらく自由とか個人の尊重)と,
現実に存在する倫理(生き残った者が有する協調ルール)との齟齬にあるのかな,と..
ベーシックインカムならぬベーシックエデュケーションを施して,
成人になればあとはご自由に市場経済の中で生きてくださいと自由意思を最大限尊重する,
独り者で社長のお気に入りの先輩社員がいるんだけど、その人はいつ帰っているかわからない。
土日も来てるし、ほとんど会社に寝泊まりしてる。ちなみにうちの会社は裁量労働制だから残業っていう概念はない。
先週、出入りの業者と自分と社長と3人で昼飯を食べてたときに、その人の話になった。
業者:「○○さん、夜中の3時とか4時にも平気でメール来るんですけど、いつ帰ってるんですか?」
社長:「あいつは独身で彼女もいないしどうせやることないんだから、今のうちになるべく負荷掛けてやってるんですよ。仕事身に付けるのはこのタイミングしかないから。」
客からのクレームとかはもちろんのこと、社内のネットワークの設定とかいろいろ超面倒なことその人に押し付けてたのは、社長なりの愛情だったの?
今日、その先輩に「俺、もうこの会社辞めるわ」って言われて、理由聞いたら「無茶苦茶働いてる割には給料少ない、っていうか疲れた」って言ってた。
まだ社長には言ってないっていってたけど、それ聞いたら社長傷つくだろうな~って思うのと同時に、先輩が辞めちまったら先輩に向いてた矛先が自分に向きそうで怖くてしかたがない。
なにが「では、」なの?
まったく論理的に繋がってないじゃん。
もう一回繰り返すよ。
と
は、
まったく、
これっぽっちも、
さっぱり、
論理が繋がってない。
「年さえ取っていれば問答無用で偉い」をまるまる容れるとすれば、
これは能力や業績に関わりなく年齢順に偉いんだっていうための概念だ。
まさに
「年さえ取っていれば(勤務態度サイアクでも)問答無用で偉い」
そもそもさあ、
営業力or政治力or技術力が高いならその人は普通偉いはずであって、
君は自分で言ってる”年功序列””問答無用”ってフレーズを自分が理解してない。
繰り返しになるけど俺は態度の悪い無能な年寄り社員は大嫌いだ。
広告業界人がどうであれ、佐々木俊尚さんは言論人としてはたいしたことはない、という一般人としての評価だけどね。
一般人というか「ITジャーナリスト」をみるギーク目線だね。彼が「キュレート」する元ネタ書いてる人らは知の巨人だけど、リーグが違う。
日本の偉大なキュレーターって誰がいるかな?まあ政治経済、安全保障の世界では、青山繁晴さんだろうな、間違いない。
しかし我が国のコメンテーター(佐々木さん含む)の「売れ方」っていうのも歪だね。
やっぱ強いのは、その道の実務をやっていた人で、政治経済のコメントでも元官僚の人らはさすがにいろいろ的確。
佐々木俊尚さんで言えば、あの人ITのキュレーターとして売ってるみたいだけど、その世界の実務経験がないのが徹底的に弱い。
キュレーションっていうのは、自分は空っぽだけど、情報収集はしていてパッケージングして商品化する能力はあるんですよ、って事じゃないんだよ。
元々その人がもってる知見のすごさに基づいて、混沌としてみえる世の各種事象を関連づけて、必要ならば新しい概念化さえしてまとめあげる事なの。
日本人が自己主張しないのは、和の美徳と相まって往々にして出る杭は打たれると云う悪習にもよる。
さっきの広告業界の人らと佐々木氏のやりとりでも思ったが、なんと自己主張のしにくいことよ。
僕なんかはさしてシガラミがない立場なので(もともとそういう方向性を指向してきた一方で社会的に無責任であると言い換えることもできる)
こうやってTwitterで好き放題言えるんだけど、ああやって社名を出してケンカするぞ!と恫喝するのは、そうやれば黙るという暗黙の了解があるからだろう。
佐々木さんはさ、言論人のつもりならば(僕はすでにTLで書いたようにまったくその専門性を評価していない)なんかやるならば言論でやれよ、って思う。
君がやってるのは、そういうシガラミで自己主張できないのを悪用した恫喝だろ?”
森さんが最後に書いておられるように、個人の見解と会社員としての見解は異なる。
言論の自由とは前者のことを指し、佐々木さんはそれをXX社のだれだれと会社員の属性を強調する形で、言論の自由を抑えこむ喧嘩の仕方をした
失礼なのはお互い様。その失礼を踏まえてドンパチやるんなら最後まで筋通せと。
それも含めて言論であって、「自分と相手の立場」を利用して黙らせようとするのは言論人として恥ずべきこと。
丸山をひっぱたきたいとか言ってた人
「言論でやれよ」っていっても、その言論に上げるまでもないわけですよ。失礼なメンション返してくる奴って。本当に上から目線で「お前バカか、ちげーよクソwww」程度しか書いてこないんだから。で、そういう人に応答してあげると、待ってましたとばかりに俺論理を振りかざす。時にはまっとうな人もいるけど、なら最初っからソレをちゃんと書いてこいよと。そんなに個人であることが重要なら、匿名のアカウント取って、それで対話を促せばよかったじゃん。個人情報が分かるアカウントでクソのようなツイートして謝るハメになったのは、完全に自爆でしょ。
だってこのまとめ見てたら、個人と個人の言論のぶつかり合いじゃなくて、
「立場があるから」「守るべきものがあるから」最後に頭を下げました、ってそういう風に見えるのは万人が追認するだろうし、
佐々木さんはそういうふうに持っていったよね?
「相手の社名や実名は判明すればどんどん暴露していくよ。」と晒し姿勢を明確にして
「こっちも容赦しないからね。自分の身に振りかぶってこないことを神に祈ってなよ。」
と言いながら「反論できないなら今後ずっと黙っててくれ」って何だろうこれ??
あくまで言論で反論できないんじゃなくて、佐々木さんが反論させないように立場を利用して、その口を封じたんだろう?
これやったら言論人として終わり。まあ僕は彼は最初からまったく評価していないけれど。
相手がうんざりして退いたら相手が退くように自分が仕向けたのだと言いはる人
「佐々木さんはそういうふうに持っていった」っていうのは「立場を言い訳に逃げるように仕向けられて」って意味じゃないんですか?
「立場を言い訳に逃げるように仕向けられて」なんてどこから見たらそうなるのかな?
「立場があるから謝らざるを得なかった」というのが普通でしょう。
逃げたのは言論のぶつかりあいで逃げたのではない。
そんな形跡はこのまとめのどこにあるんですか? 社名云々、恫喝されはじめて逃げざるを得なかったんでしょ?
そんなに個人であることが重要なら、匿名のアカウント取って、それで対話を促せばよかったじゃん。
個人情報が分かるアカウントでクソのようなツイートして謝るハメになったのは、完全に自爆でしょ。
だからこんな風に個人としての文責を取るという健全な言論を、会社員としての責任に転嫁させようとし、
挙げ句の果てに貴方のように「だったら匿名でいいじゃん」とか言わせる帰結が言論人として「腐ってる」んじゃないですかね?
「こっちも容赦しないからね。自分の身に振りかぶってこないことを神に祈ってなよ。」ってのは、普通恫喝として解釈されるが、
「立場を言い訳に逃げるように仕向ける」的に逃げ道用意してあげる、みたいな親切心だ、ってことですか?意味分かんないな。
街角で突然挑発してくるチンピラに構わないことを「腐ってる」というなら、腐っている方が正しいですよね。そんな暇ないし
だから、佐々木俊尚が相手の個人情報が丸見えだったから、それを使って恫喝して勝ったんでしょ。
広告業界の人はヘタレ逃げしたんでしょ。佐々木俊尚は正しいし、広告業界の人は情けない姿を晒した。
ソレの何が不満なんですかね? いいじゃないですかそれで。
私もサラリーマンだから、佐々木俊尚さんのいわば反則技に対してまともに戦えと言う気にはなれない。
佐々木さんも、孫さん以外で、まともな対戦してないわけだし、実力がよくわかりません。そろそろちゃんとガチンコで喧嘩してほしいな。
世の中には自分にとって「どうでもいい話」とそうではない話が存在する。シャフトがアニメ化を手掛けた作品に限って言えば「夏のあらし!」は限りなく前者に近く、「ef」1期は明らかに後者である。僕たちが現実にタイムスリップを経験する可能性というのはほぼ限りなく0であり、0%の先の世界についての言及は全て予想の範疇を出ず、それは絶対に教訓には成り得ない。それは自らの知見を元にして築き上げた予想ではなく、他者の仮定の連続に寄り添った予想であるのだ。efに関しては話自体のモチーフは既に手垢がつくほど使い回されたものであり、新しさという概念からは遠く離れたものである。しかし全く以て新しくない≒中身がない物語についても、哀愁を喚起させる映像、叙情的かつ繊細なバックグラウンド・ミュージックが合わさればそれは十分消費に耐えうるコンテンツになるということをこの作品は身を持って証明しているのだ。それこそがこの作品が持つメッセージ性である。この例に限らず、何らかのメッセージを受け手に届けることができることがそのコンテンツが「どうでもよくはない」ものであることの証明なのだ。
先の定義で考えると、魔法少女まどか☆マギカという作品は間違いなく前者だ。まどかマギカはワルプルギスの夜という「克服しない限り未来が訪れることのない」困難の象徴に対し、何度も挑戦し続けることで打ち勝つことができると定じた。しかし実際現在の日本社会では本当に僕らが克服すべき困難と対峙できるチャンスというのは極僅かに限られていて、その事実の齟齬のせいであの物語が発するメッセージの信憑性が皆無になってしまっている。「君は独りじゃない」と液晶の中から呼びかけられても僕が本質的に孤独であることは何も変らないのだ。虚構を抜け出せないメッセージというものはそれこそ「どうでもいい」ものであり、虚構の上でしか成り立たないメッセージに価値はない。まどかマギカは最終話においてそのメッセージ性を完全に失い、ただの「どうでもいい」フィクションに成り下がったのだ。
「君たちは何のために学問をするのか 何のためにこの松下村塾に来ているのか?
日本のため人々のためといいますが、具体的にはどういう人々ですか?
的を見ずに矢を放っても的には当たりません 目的のない学問はすべてが無駄になります
何のために学問をするのか、それは学問をしたくてもできない人のためにするのです!
人々のためとはそういうことです 諸君が松下村塾に来るのは 松下村塾にも来れない人々のために来ているのです
それがわかれば一分一秒もおろそかにはできないはずです みんな私の代わりに力のかぎり戦ってください」
吉田松陰の講義は平地にありながら最新の情報に溢れており、藩校である明倫館をしのいでいたとされる。
(松陰と京都で知り合った勤皇思想家梅田雲浜=安政の大獄第一の逮捕者もこの頃松下村塾を訪れ各藩の政治状況を伝えたりしている)
とはいえ罪人の開いた私塾であるから白い目で見られ、上士の子である高杉晋作や久坂義助などは親の目を盗んで通ってくることになる。
(その他の生徒は貧農の子伊藤俊助、足軽の子品川弥二郎、中間の子山県小助など。)
松陰は一方的に教えるのみではなく、様々なテーマを与えて生徒に調べさせ、
順番に教えあい、その時は松陰も生徒となって学ぶ。これは野山獄時代と同じ。
学問といっても磁極を論じたりしているのであるから、しょっちゅう凄まじい議論となり、
先生も生徒も一緒になって朝まで大激論を戦わせたりするのであった。
したがって、松下村塾には遅刻も早退もない。各自の都合で来れる時間に来て、時にはその場で働きながら学ぶといった様子であった。
働きながら学び、学びながら働く。松下村塾は常に熱気にあふれていた。
物置を改造した松下村塾はあまりにせまく、毎日入りきれない生徒が庭にあふれていた。
(桂小五郎はこの時江戸にいて、吉田松陰とは往復書簡による師弟関係)
#薩摩 精忠組#
斉彬復帰後も、改革が第一優先であり
お家争いを防ぐため、「高崎崩れ」の犠牲者救済は、政治的バランスを考慮して後回しにされ、
結局流罪にされた者は2年以上放置されることになる。
この当時は、お家の安定が個々人の身分より優先されるのは、むしろ武士であれば当たり前、という時代だった。
斉彬は参勤交代から帰国し、洋式の事業も見通しがつき、斉興・久光派も落ち着きを取り戻してから
ようやく高崎崩れの流罪者が赦免され流罪からかえってくることに。
斉彬に直訴状を書いた。
書いているうちに、まず百姓の上に胡坐をかき、私服を肥やす役人どもへの怒りにうつり
さらに元凶たるお由羅派をなぜ処罰しないのか、という批判に及び、
勢いはどんどんエスカレートしてついには蛮学に湯水のごとく金を使う斉彬への彈劾となった。
(基本的にこの当時の武士というのは全員無知である。何も知らされていないから当たり前だが。
特に薩摩武士は武芸や忠誠がやかましく、下級武士である西郷は狭い学問でも実力は下の下であった。
だから、目についた農村の貧しさについて、その歴史も理解できず、目の前のことがすべてになってしまう。
西郷はこのあとも、斉彬の意図を全く理解できず、そのくせ忠義と称して暴走を繰り返している
しかしこれでも農村の痛みに気づいただけまだましな方というから、どれだけ当時の武士が
ものを知らされず、また忠義と称して暴走しやすい困った気質の持ち主であったかよくわかる。
江戸時代に行われていた偏った儒学や忠孝の教えでは、基本的にこういう愚か者を作ることしかできない)
→しかし、島津斉彬は彼を用いた。そのくらい「手駒としては仕える」人物だった
「考えは180度違っているが、それは今後の教育でなんとでも変えられる
おいそれと変わらぬのが、そちが持って生まれた無私無欲の心 そこを見込んだ。今日からわしの片腕となってもらいたい」
水戸斉昭さえ制御しようとしていた斉彬は、自分が死んだ時や、動きを制御しきれなかった時の危険については一切考えていなかっただろう。
→私はこの頃の西郷のような直情径行ガ忠義という概念とセットに成った、視野が狭くすぐに他人に攻撃的になる人間が嫌いだ。
西郷に関しては当時のことだから納得はできるわけで、現代でもたまにこういう奴がいるのを見ると吐き気がする。
「これといった目的もなく、落ちているものを探すのでもなくただなんとなく歩いているのですか?
我が国でも風流人はそういうことをしますが、それは楽隠居の道楽です。
あるいは無法者、ゴロツキ、怠け者のたぐいです。
江戸で何もせずに歩いているだけの人間など、挙動不審とみなされしょっぴかれても文句は言えませんな」
「日本の役人は世界最悪と言える 犬が何も考えられないのと同じ」
とまぁこれはいいけど、やれ風呂はだめだの山菜は食えないだの、ヤンキーはほんとにwww
「この1年は何だったんだ…国際社会の常識を知らぬ無知な国が相手だ。
彼らには経緯を持った対話を重ねて教えていくしかない。そう思い私は之までずっと耐えてきた。
しかし彼らは頑として心を開かなかった それがどうだ たった一艘の軍艦を見た途端
向こうは大砲に動揺した 私も相手が怯えるように話した
ハリスよりペリーが正しいのなら、言葉はなんのためにあるのだーーーー!」
#攘夷志士の怖い習慣#
さてこんな文章を見たのです。
[文系が、インターネットの仕組みについて教えてもらった記録 - のんたんのインターネット日記]
酷い。
てへぺろじゃねーよ。
ブコメみたら、あぁ皆さん優しいなぁ〜って。
「知ってる人からみたら当たり前、でも知らない人からしてみたら凄い事なんだぞ★」みたいなのは基本的に戯言だと思っていて、
なぜなら彼女は「知っておくべき立場」ですよね。「インターネットの会社」の中の人なのだから。
あの、申し訳ないのですが、はっきり申しまして「この人が営業に来たら嫌だな」。まずはこの一言に尽きる。
だって、知識がないんでしょう?
普通の人が「頑張って勉強してます」を実直に語るのは素敵な事だと思うのだが、
「インターネットの会社の中の人」なのだ。外から見たら変わらない。シス担だろうとマーケディレクターだろうと、「インターネットの専門知識を持つ人」なのだ。
少なくとも、彼女は企業名をヒモ付したアカウントで、当該の日記を書いている。
そんな訳で、ちょっと話が変わってくるのだ。
まぁ、確かに?企画/アプリレイヤーならインフラ周りとか一切分からなくても良いでしょうよ。
まして営業となると、余計そうでしょうけど。
うん、確かにそうだ。
って事で用意してくださった研修、これの意味を軽く考えていないか。
会社としては、趣味なんかではなく「必要だから」企画したはず。
なのだが、一体いつまでの期間で行われていたかは知らないけれど、
彼女は9月の時点で「えーれこーど」の事が分かってなかったらしい。
いや、この文章が、それをありし過去の事として、段違いに成長した今の自分の目線で語ろうという試みならば痛快だった。
だがどうやら違うのだ。
理解がね、とても遅いのです…
終盤に綴られたこの一言は、当人の自覚以上に余りに色々を語っていると思う。
体系的に書かれているサイトがすごく少ない
そうかもね。
でもさ、本屋で少し立ち読みとかしてみた?一流のテクニカルライターとプロの編集者が高い意識でまとめた作品が、たくさんあるよ。
家にいながら指を10本だけ使う作業によってカバー出来る範囲だけが「勉強」だとは、とても思えないです。
ともすれば、「インターネットに書かれてないことは分かりません!」って無意識に思い込んでるよね。「逆切れ」、ってそういう事だろ。
惜しいなあ、その悔しさをバネにした素晴らしいエピソードも載せて欲しかったな。
大変だ。(笑)
というか、「理解」するまでを「学び」というのでは。理解してない、ならそれを恐らく「学び」とは言わない。
いやはや、恥ずかしくないのか。
周りと比べたら、多分遅れてるよね。同じ選考を通過して、給料で働かせて貰って。
鑑みるに、「勉強したら、分かるんだね」という経験を今までしたことが無いのかも知れない、
「知識は人に教えてもらうもの」と、そう思い込んでませんか。
第一、タイトルからして「文系」などとう言い訳がましい冠を自ら被っている。
職種は、業種は。「文系」
業務領域に対する意識の低さを見事に露呈してるようで、それがとても鼻に付く。
この文章がムカつくところは、そこだろう。
たぶん社内SNSで日報として学びをUPするのはとてもいいコミュニケーションであり、等身大の自分を伝えたほうが上司にとっても有難いだろう。
なぜ、はてブロに書かなければならなかったのか。
「ソーシャルメディア」に載せるというのは360度どこから刺されてもおかしくないリスクがある訳だが、
そこで「専門領域」に関して「素人」となる事に関して、何も気持ち悪さを感じなかったのだろうか。
15回ほど色んな方に説明をしていただいていました
そのうち、10〜13回くらいはうんざりされたんじゃないかな。どうだろう。
村田蔵六にその才を見出された嘉六であったが、
提灯張替えの職人に過ぎぬ最下層身分の彼が長崎で味わった苦労と屈辱は並大抵のものではない
・まず嘉蔵のためについてきた御目付役が嘉蔵を自分の下男として扱うのである
(この当時、能力があっても、身分が下であるというだけで敬意を払われることはないどころか見下される)
さらに身分はその役人の「中間」よりも下だから食事も何もかもが中間以下の待遇に甘んじるほかない。
・それでも嘉蔵が幕府の通訳や蘭学者にあって色々学ぶためには、この役人にお願いして連れていってもらうしかない。
理解能力がゼロの役人に土下座し、頓珍漢な取り調べを受け、たいして役に立たない取次しかしてもらえない。
それでいて、いざ蘭学者と接する段になると役人は役に立たず、嘉蔵の下働きをすることになる。
下働きといっても、現在の感覚であれば能力が嘉蔵の要求にこたえるため西に東に走りまわるところを想像するだろうが
江戸時代は身分があるから、嘉蔵が土下座して役人に紹介状などを書いてもらうことになる。
それでも当時の身分意識から役人は「嘉蔵に使われている」という気分になるから、必要以上に嘉蔵につらくあたる。
しかしこれで蒸気船建造が失敗すれば役人の責任にもなるから、嘉蔵の願いは結局聞いてやらねばならない。
役人は役人で、散々いじめながら身分意識の概念に囚われてストレスを抱えているという状態だった
→江戸時代は、安定という名の「怠慢許容・推進システム」が恐ろしいほど機能してたわけだな
身分が上のものしか学問をしてはならぬ。しかし身分が上のものは学問しない。
おお、時代が発展しないから努力しなくても身分は維持できる。やったね!まるでいまの○○○○みたいだ!
→そんな悪循環と貼りのむしろの中、目付も中間も寝静まった夜中に懸命に蒸気船の研究を続ける嘉蔵であった。
何のために長崎でこんな地獄の日々を送らねばならないのか、と時に思わないでもなかったが
そのたびに頭に浮かぶのは、オランダ船スンピン号の動力室であった!
嘉蔵は苦労について蔵六に述べることなく、蔵六とは設計の打ち合わせを行い、
その後何度か長崎に行き、そのたびに辛い日々に耐えることになる
好みが自由になれば幾度でも同じ事をします。
もちろん正気では怖くてこのようなことは言えません 私は狂人でありたいのです
しかし私の行動は周囲に迷惑を及ぼします 同志の金子くんもそれで死んでしまいました
しかし怖いとか悲しいとか言うのは私事です いつまでも泣いてはいけないのであります
私は長州藩を いや日本国全体を考えねばならないのであります!
私はこうして入られない 皆さん何かしましょう
みなさん学問をしましょう ここには私達がいるあなた達がいる 互いに教えあおうではありませんか
人と人の出会いほど尊いものはありません 私には知らないことがたくさんある
みなさんはひとり残らず私の師匠です!
悪口がお好きな人だと聞き及んでおりますが、他には何がお得意ですか?
字が得意?それはすばらしい。ぜひ私に書を教えてください
旅の経験がある人は、旅の話を教えて下さい
そうすれば私は獄舎にいながらしてあらゆるところにいけるのであります
同じ怒りが心の方向で全にも悪にもなるのです。
みなさんは言葉だけで行動しない牢の外にいる人達よりも君子たるべき素質も資格も十分備えている立派な人なのです
あとはその心を正義に向けましょう。自分のためだけでなく人のために戦うとき小さな殻を破れるのです
みなさんはあと一歩の人たちなのです!
たいていの人は異性に興味持つ年ごろというのがあり、大体は身近な人に恋をする。
誰かにときめき、ドキドキしたりワクワクしたり、もう少し相手に近づきたいと自然に思い、うまく仲良くなれれば手を繋ぎたいからキスしたいと夢見るようになり、次第に一人の異性が自分にとってとても大事な人になっていくだろう。
でも、好きになった人とすべての人が結婚できるわけはない。
恋愛が結婚に変わっていくのには、その時々の様々な条件がうまく双方合致して合意に達さないとできない。
独身の頃はあっさりと結婚していく友人たちを眺めては、どうやったら結婚にこぎつけるのだろうと、あれやこれや妄想してた。
そして結婚して一時は幸せそうでも笑顔を忘れていく友人や、壊れていく夫婦関係をこれまた眺めては、どうやったら幸せな結婚ができるのだろうかといろいろ考えてみたりもした。
どれだけ妄想しても、幸せな結婚を手に入れられるべくどれだけ条件を整えても(容姿・教養・センス・仕事等々)、そんなのは現実の生活の中ではたいして役に立たないのだと最終的に知った。
世間体という概念により自分の為の結婚から軸がずれ、親の為の結婚に微妙にすり替わっていく感もある。
そして何より女には結婚適齢期というより妊娠適齢期というのがある。
だいたい卵巣にそれぞれ200個づつくらいの卵子の種があり、女性が生涯に妊娠できる可能性は400回くらいとして約33年と3か月、中学生くらいまでに初潮を迎えれば40代半ばには卵が終わってしまう。
35歳を過ぎれば卵は劣化していくし、子宮内膜もやわらかく心地よく胎児を育めるだけのやわらかさや強さは衰えていく。
子どもが欲しいと思わなければ結婚は考えなかったかもだが、この事実に気付いてからはすごく結婚をしたいと強く望むようになった。
当時月収100万以上のキャリアを捨て、子どもを産むために家庭に入った。
子どもを産み育てるにはまず安全な巣が必要で、そして生活していくにはお金もかかる。
仕事辞める必要なんてないじゃないかと思う人もいるかも知れないが、妊娠出産育児の期間中は母親としてこの腕に抱いて育てたかったのと、何より流早産の危険性から妊娠期間中のほとんどを病院で過ごしてた。
飲み代や服代、そして結婚前に主人が作った借金の精算に主人の収入が消えていく現実に気付いたときは、マジで身動きが取れなくなってた。
子どもが生まれるまでは、自分が我慢できるところは我慢しよう、生まれれば子どもには父親も必要だと思う気持ちもあり、それがずるずると7年という歳月になった。
イケメンで憧れのカタカナ職業で年収1000万弱の社長で…と条件だけ書けば何をそんなもったいないと誰からも言われたけれど、ステイタスではおなか一杯にもなれず、心が満たされることもなかった。
おしゃれな会話や趣味の会話でコミニュケーションはそれなりに楽しかったが、ハートで触れあえることはなかった。
何のために結婚するの?
誰のために結婚するの?
主人を愛しているのかどうか、私のとっても一番大切と思うその部分が、いつも泣いてた。
息子には無条件の愛がハートからいつでも溢れてくるのに、主人に向き合うとひび割れてざらりとしている感じがつきまとい、次第に同じ空間で暮らすことが苦痛になっていた。
愛って何?
愛してるって感じたい。
それがお金よりなにより大切だと思う年齢になっていった。
小学生のころ、水曜日の昼休みは決まって友達とコンピュータ室でゲームをするのが常だった。
もちろん今のようなゲームではない。
ちゃちなレーシングゲームと出題されたものをフィールドから探すゲームの2つだけだった。
一緒に行く友達と僕はいつもレーシングゲームばかりやっていた。
ほかにはペイントのようなツールもありそれであそんだりもした。変な絵を描いて友達と笑いあったりした。
このころに「パソコン=おもしろいもの」という概念が自分の中で定着し、パソコンに対して強気でいられるようになった。
強気でいられる分、トラブルが起きたら両手を挙げるのではなく立ち向かうことができた。
おかげで周りからは「パソコンに詳しい」と思われた。下から見上げられるのは気持ちがよかった。
当時の僕からして主な用途といえばゲームをするか動画を見るか位であったが、
ネットサーフィンをするようになってチャットというものを知り掲示板というものも知った。
たまにテレビで目にする「2ちゃんねる」というところにいってみたりもした。
このころはかまってちゃん気質だったのでチャットや2ちゃんねるでよく実年齢をさらしたのだが、
そのたびに若い若いといわれ、うらやましがれてニヤニヤしたり馬鹿にされて本気で憤慨したりした。
いまもその当時の記憶が残っており、心の片隅で「自分はこの世界で最年少だ」と思っていると思う。
最年少と思っていた自分は、年上の人たちと並んでいると考えていた。
レベルだけ見れば平均より高い、有能な人間だと勘違いしてたところがあったかもしれない。
20ではないが最近成人を迎えた。
2ちゃんねるをみてるとたまに中学生だの高校生だの正体を明かす人間がいる。
有名人を見れば自分より若い人なんて腐るほどいる。同年代なのに親より稼ぎまくってる人もいる。
それを見るたびに違和感を覚える。
自分が最年少ではなかったのかと。
僕が一番だったのではないのかと。
今現在の自分は、友達の中でもトップとは言えずそれは中学生のときから気づいていたが、
やっとこの年になって実感できるようになってきた。
今の自分は何かをするごとに、この違和感を感じてしまい悩んでいる。
別に1番でなくてもいいことを、それに関してで一番の人と比べて落ち込んだりする。
そしてそれをすべてインターネットの所為にすることもあった。
そして夢がある。
このスレまとめ
http://michaelsan.livedoor.biz/archives/51687981.html
わたしも当事者で、状況的に似た人(性転換・戸籍変更済み、既婚)です。非常に率直に書かれていると思います。最近はこういうの見ると色々思い出してしんどくなるので見ないようにしていますが、よく書かれていて感心しました。
たまたまこのスレを見る前にどこかに書こうと思っていたことがあったので、ちょっと書いてみると、皮膚感覚みたいなのが変わりますね。
これは物理的な意味での皮膚感覚も変わるのですが、精神的な面も大きいように思います。
具体的には、内分泌が女性化することで、皮膚が薄くなるというか、バリアがなくなっていくように感じます。似たようなことを言うMtFは他にもいるし、著名なFtMが真逆のことを言っていた(男性ホルモンでバリアができていく感じがする)ので、多分ある程度一般化できることかと思います。
このバリアというのは、精神面にもあって、例えば鋭い言葉などが緩衝なしにズバッと心に突き刺さるようになりました。冷静に考えれば言葉は言葉であって、考えた上で論理的に返せば良いものが、そんな余裕もなく突き刺さってしまいパニクる、というようになりました。
この辺は慣れもあるので、今では昔ホルモンを始めたころに比べると大分ふにゃふにゃかわせるようになってきた、要するにオバハン化してきた訳ですが、当初は「バリアなし」状態に慣れていないせいか、些細なことでやたらダメージを受けてしまう、ということがありました。
この辺、普通の女性はどうなのか知りませんが、よくある男女の物の考え方の違い、みたいなのは、多少この辺と絡んでいるのかもしれません。
とはいえ、個人差も相当大きいでしょうし、多分環境因子の方が重要なので、内分泌だの何だのに還元するのは危険な発想だと思いますが、それを分かった上で知っておけば、相互理解のヒントくらいにはなるかもしれません。
全然違う話ですが、あのスレの1さんのGID観もよく分かります。ただ、GIDというのは単に症候を記録しただけで、極端な話GIDの現象的条件をクリアしていればGID、というだけの話です。
例えば熱がある時、それがインフルエンザなのか風邪なのか別の病気なのかは別問題ですが、熱があるという事実だけは確かです。GIDというのは単に「熱」と言っているだけです。
わたしはGIDの診断を受けていて、多分あのスレの1さんもそうでしょうが、そういう風に医者が言ったなら、それはGIDです。それ以上のことを語る概念ではありません。
別に方便で良いと思います。わたしたちも生きなければいけません(1さんの言う通り、わたしも保険適応は必要ないと思う。そこまで面倒見てくれなくてもいい、あとは自分で何とかする)。
「男性として育てられているのに完全に女の考えになるわけがない」というのも全く同意。なんせわたしなんて男子校だしねwww ちなみに、以前に女子高出身のFtM(見た目完全オッサン)と話して、二人で大笑いしたことがありました。
かといって「普通の男」の発想でないのも確かなのですが。普通の男はちんこ取ったりとかしたくないだろうし。
まぁこの辺も個人差あるから、男脳女脳みたいな発想はくだらないと思いますよ。
わたし個人で言えば、マンガは男性向けの方が好きだけれど、女性キャラとかはキモくて辛い。格闘技好き(経験者)。でも料理も掃除も家事全般大好き。機械は見た目とかは好きだけど弄ったりするのは旦那に頼る。ちなみに、旦那は普通の男だけど少女マンガ好きでスポーツも苦手。わたしはガンダム好きで彼は理解してくれない。もう、この辺からして男女で考えるのは限界アリアリだと思う。
40代くらいの研究者とかビジネスマンとかも嬉しそうにセンターの話してる。
http://anond.hatelabo.jp/20120115081716
まぁ俺は実際社会不適合者だからなあ。普通にリーマンやってるけどね。
受験に関しては、やりたいやりたくないじゃなくて、「やらなければならないものだ」という空気をそもそも全く読めてなかった。
というか、「空気を読む」という概念を認識したのが社会人になってからだった。
生まれもアレだし、なんか全然理解してなかったな。
・・・要するに衛生条件と動機づけ条件をわけろってことでおk?
「人間はネズミではない」という、当たり前の事実が忘れられるとするなら、よくありません。
「動機づけとは、教育の手段ではなく、目的である」ということです。
例えば、子供に勉強をしてもらいたければ「知りたい!」という動機づけをすることが必要なわけです。
ところが、勉強を「させる」ために、しばしば用いられるのは、誰かに勝ちたいとか、褒められたいとか、ご褒美をもらいたいといった手段としての動機づけです。
この背後にある問題を考えるため、以下、本書の記述をピックアップしてみます。
・アメによって反応を引き出せはするが、同じ行動をさせ続けるためにはアメを与え続けなければならないという事実そのものが、
アメの長期的効果(あるいはその欠如)についてのカギを提供しているのではないかということである。(p25)
・ごく幼い子供たちにはコントロールをもって対することも必要なときがあろうかと思う。
最低の基準として、例えば三歳児がよちよちと表の通りに出て行こうとするのを見過ごすわけにはいくまい。
しかしコントロールに頼る前に、それほど強圧的でなくもっと相手を尊重した世話の焼きかたはできないかどうか、しっかりと確認すべきではある。(p49)
・報酬と罰とは基本的に同じようなものである。現代の社会心理学の創始者であるカート・ルーインが言うように、
両方とも「そのときの自然の場面からは生まれないような行動」を引き出そうとするときに使われる。
さらに、長期間にわたって見るとどちらもまったく同じ様相を示すことが分かる。
つまり、こちらの望むような行動を続けさせるためにはやがて賭けるものを上げ、報酬なり罰なりをどんどん増やしていかなければならないのである。(p74)
・親が子供に、ずっとおとなしくしていれば日曜日にサーカスに連れて行ってやると言ったとする。
土曜日に子供が親の気に入らないことをした場合、親がよく使うせりふは、「そんなことをしているとあしたのサーカスはだめだぞ」であろう。
褒美をご破算にするということの脅しが、罰を与えるという脅しと同じ機能を持っているのは明白ではないか。(p77)
・報酬は、ひいき目に見ても、こういう協力や仲間意識を促進するのになんの役にも立たない。
アメを奪い合うときには必ず「争いと嫉妬」の底流が生じるのであって、それはすでに二世紀近くも前にニューヨーク市の教育者たちがある行動修正プログラムが実施されているのを見て出した結論でもあった。(p80)
・報酬主義の問題は、報酬を与える場合、そもそも問題がなぜ発生したかに注意をすることは全然必要でない、という理由である。
子供が泣きわめいている原因、生徒が宿題をやって来ない原因、従業員が気の乗らない仕事ぶりをする原因を考える必要はなく、ただ該当者を買収するか脅すかして活を入れればいいことになる。(p87)
・「こうすればあれをあげるよ」と言えば、関心は「これ」ではなくて「あれ」に行ってしまう。
従業員に給料袋の中身について考えさせたり、生徒に通知票のことを心配させたりするのは、創造性を重んじようという場合にはほぼ最悪の戦略である。(p99)
・先生は肩をすくめて、「試験に出るよと言わなければ、子供たちは覚えようとしないわ」と言う。
経営者は、キチンとした仕事をさせるためにはボーナスを出さなければダメだと主張する。
親は、子供が誘因なしでも「やるべきこと」をやるだろうと期待するのは現実的ではないと信じている。
しかしもう一度考えてみよう。そういった言い分は通俗行動主義を擁護するものではなく、教室や職場の設定のしかた(あるいは人々がなすべく要請されていること)に何か大きな間違いがあることを示すしるしなのだ。(p123)
褒めたり操ったりすれば、その自然な動機づけを押し殺し、そのかわりに盲目的従順や機械的学習態度や権威に対するあからさまな反抗を生み出すだけである。(p142)
・大抵のおとなが褒め言葉を連発しようとするのはなぜなのか。
褒めることは安上がりで簡単なのだ。
それとは対照的に、技術と工夫と配慮がなければ、人を励ましてしかも今やっていることへの興味を持続させ、その上コントロールされているとは感じさせないようにすることはできない。(p168)
・一般に報酬というものが業績を伸ばすのに役立たず、しばしば業績を妨げることは、いろいろな種類の仕事において見られるが、それは特に創造性を要する仕事において著しい。(p182)
・仕事にほかのもっと重要な面で欠けているところがあると、次善の策として給料の額が重視される傾向がある。
つまり、課題が本当におもしろく意味のあるものでなかったり、自分のやることを自分で選べなかったり、社会的な支持が得られなかったり、自分をみがき自分の能力を発揮する機会が与えられなかったりすれば、
給与がいくらかということに目が行きやすいということである。(p197)
・強調しておく必要があるのは、こうした事情があるからといって、経営者が給料を出ししぶるのが正しいということにはならないという点である。
だれも給料は十分かつ公正であってほしいし、いちばん単調できつい種類の仕事をする人たちは特に高い給料を望むように見えよう。
しかし金こそが人間を動かすと考えることは、人間の動機づけというものを貧しく解釈することになろう。(p200)
・家庭でのものごとを自分で決め、自己決定の感覚を持つ機会を親からあまり与えられていない子供は、学業成績もあまりふるわないということも明らかにされている。=私はそうでもなかったけどな。多分日本のテストはバカ向けなんだな
こうした事実は何を意味するのか。基準を厳しくしたり、点を辛くしたり、誘因を増やしたりすることは、益よりは害になるということについては強力な証拠がある。(p225)
・自分がどれぐらいよくやっているかを気にしている人は、自己概念をかけているということがある。
自分を利口だとか有能だとか思っている自己イメージは、一定の活動水準に達しないおそれがあれば危険にさらされることになる。
そういう自己イメージを守ろうとすると、普通は、自分の最善を尽くしたいという欲求を犠牲にすることになる。
そういう欲求は危険だと思われるのである。やらなければ失敗もしないわけだ。(p233)
望ましい行動を取らせるために報酬というニンジンを与えることは、その人が持っている「行動そのものへの興味」を殺し、ニンジン中毒を作り出してしまう可能性があるのです。
僕たちは、これを慎重に回避するための方法を学ばなければなりません。
「うれしいな、月曜日だ」と思える人生を、より多くの人に実現してもらうということが、教育に関わる人の責務であり、それは人生をかけるに値するものです。
ひとつ前のTBが指摘しているように「精神病」としてのペドフィリアは社会情勢と関係なく以前から存在しているが、商業主義による「性的対象の低年齢化」は確かに戦後日本独特の社会現象だった。「幼い」「成熟していない」ことが性的アイコンとして『メインストリームで』もてはやされるようになったのは日本における「アイドル」という概念の誕生と時を同一にしている。テレビの中の「成熟していない」少女に欲望を向けることに慣れた男たちが現実世界においてもその欲望を露わにしていく過程を「焼畑農業」と呼ぶことはさして間違いではないし、そこから戦後日本社会の病理を読みとることも可能だがそんなことは宮台先生あたりに任せておこう。サブカルチャーにおける「戦闘美少女」の誕生とその一つの達成点としての冲方丁と桜庭一樹に関しても、ここでは言及しない。
重要なのは「焼き払われた」少女性をどうとらえるかだ。男性の欲望がより低年齢へと向かい、彼女らが「私は女であり、女は売り物である」という自覚を低年齢で持つことが社会的に/倫理的に悪なのかどうかという判断はここには示されていない。もちろん女児に性的欲望を向けることをためらわない男性/そのような男性が存在する社会は危険である。だがそのような現実を自覚したうえで、彼女らにどう「武装」を施すかが、母親としての責任でもある。ジェンダーに関する教育はそのあとでいい。もちろん元増田が自分の中の「焼き払われた」少女性を自分の娘に肩代わりさせたいのだ、というなら止めはしないが。