はてなキーワード: 共同体とは
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120213/1329141809
非常に興味深い記事。
まぁ「洗脳」とか「ウェット」とか「気持ち悪い」ってコメントがたくさんつくだろうなーと思ったら
というわけで、この人はコメント欄も含めて記事作りにこだわりがあるんだなーと好感をもった。
きっと非表示のコメントがたくさんあることだろう。
もちろんブログはコメント欄まで含めて作者のものなので、このこだわりを否定するつもりはない。
こうした話を聞いて宗教的、と感じた人は多いと思う。それは間違いではない。
http://hexagon.inri.client.jp/floorA4F_ha/a4fhc200.html
「ユダヤ商法」や「ビートルズのビジネス戦略」といった本で語られている話によると、
彼らは宗教と商売を区別しない。むしろ積極的に宗教的な知恵をマネジメントにも接客にも活用する。
創業者の著書「スターバックス成功物語」にはあまり宗教の影響は語られていないが、
そこで提起されている「サード・プレイス」という考え方は、
自身の幼少時における体験が大いに影響しているのではないかと考えられる。
ユダヤ商法については、ダンキン・ドーナツや、シェル石油の逸話はアメリカでは非常にポピュラーらしいが、今回の記事のように、従業員も、客すらも、共同体や家族の一員としてみなして大事に扱うことに特徴がある。
年功序列のような儒教チックな要素は全くなく、能力や成果を重視する。
同期で入ったものをペアとして、二人三脚で協力し、競い合わせることで成長を促す。
その上で下のものの成績が振るわないときは、部下ではなく目上の者の責任となる。
だから、上の人間は必死で下の人間を教育する。部下の悩みや行き詰まりを把握して助けるのは当然。
・・・などなど、そういう教えがタルムードにあるらしいが詳しくは知らない。
ウェットで、人のつながりを重視するマネジメントスタイルになりがちであるそうだ。
とはいっても、神の教えやら、空想的な権威に服従を求めたりはしない、らしい。
私はユダヤ商法を否定しない。むしろ、積極的に日本人も見習うべき点があると思う。
ただ、もちろん、日本人には日本人のやり方があるだろうから、うまく変化させて取り入れるべきだろう。
特に今の若い人はウェットな関係を嫌う傾向があるように感じる。おそらく、親や教師などの駄目な大人を見過ぎたせいだろう。無神経で、年上というだけで偉そうにして、それでいて能力的にも人格的にもクソみたいなやつから、一方的に介入を受け続けて、ウェットな関係に嫌気が指しているのだと思う。
気持はすごくよく分かるのだが、だからといって、無条件で目上の人間との関わりや、共同体的な関係を否定し、個人主義に走るのもよくない。うまくいくやり方、自分にあったやり方を考えて、いろいろと工夫してみる必要があると思う。
(無難な締めくくりになるが、自分でも結論が出てないのでこのくらいで勘弁を)
「作る側」「管理する側」に寄り過ぎた思想であり、
「消費者側」「従業員側」の目線がかけすぎている。時代の変化に対応できず、機能不全になりつつある日本教を無理に維持しようとするものである。
こういうのは、積極的に拒否していけばいい。
違うところはないだろうか。自分たちの仕事に生かせる要素はないだろうか、
そんな風に少し考えてみると、面白いかもしれない。
意外と知らない人がいるので書いておくと
「朝起会」ってのがあります。「実践倫理宏正会」って団体の入り口みたいな感じね。
全国に1300カ所以上に拠点があり、会員数も50万人くらいだという話です。
深入りしなければそんなに悪い団体ではないです。
というより、田舎にいけばわかりますが、ゆるい宗教をベースにした共同体というのは基本です。
宗教と全く無縁なのは、三大都市圏とあと福岡くらいだと思います。
田舎というのは下手をすると家庭や親族内で閉鎖的なしきたりを作ってしまうため、
むしろ、こういう宗教が、親族以外の付き合いを担保することで、なんとか人々をガラパゴス化するのを留めてきたという経緯もあります。
最近むしろ、田舎町でこの宗教の存在感が急速に薄れていることで
20代から30代で親になる人達の道徳観が急速に低下していると問題になってるくらい。
ちょっと迷惑な会員がいるけれど、それは団体そのものが悪いってわけじゃないしね。
「朝起きは何となくいいものなんだ」「ビジネス書でもさんざん進めてるし」と、
知らぬ間にこの朝起き会やら、あと幸福の科学の関連団体に入っちゃってることが私の身の回りで立て続けに起こりました。
彼らは彼らで、特に団体の活動にのめり込んだり、とかいうことはないみたいなのですが、
なんとなく断りづらくて会報を毎月とったり、身内の人に会報を配るみたいなことはやってるようです。
早朝のボランティアなども、自分の意思に反して、付き合いで参加するようなことが多く、あまり楽しくないとも言ってました。
どうも、みんな朝起き関係の活動がきっかけのようなんですね。
繰り返しになりますが、私は別に朝起き会とか実践倫理宏正会が悪いというつもりはありません。
ただ、知らないでなんとなく入っちゃったら、お互いにとって不孝なことになるので、知らない人は気をつけてねって言いたいだけ
お前が言ってないことを言ってやる。
考えたことがあるか?
よく考えてみてくれ。
もしも遺伝子を残すことが最も重要ならお前のやるべきことは違うんじゃないか。
多数の女性に受胎させる戦略を遺伝子拡散の視点から検討したことはあるのか?
もう一つの意味「過去の文化的規範を守る」(?)を考えてみても、
「遺伝子的な連続性を重視した共同体が生き残りやすい」といった仮定を導き出せる程度。
オレとしては遺伝子の戦略というのは個体にとって利益が保証されているわけではないのだから、
ともだち地獄云々の記事を読んだけれど、
要するにこれは友達が云々というよりは「普通」の枠がどんどん狭く、ハードルが高くなってしまって
その気持ちはよく分かるし大変やなー、と思うんやけれど、この部分気になる。
別に俺はドMだからハードモードでやりたいんだって人はそうしたらいいけれど、ちょっと荷物下ろして道端で休んでる人を鞭打つ必要もないでしょう。「死のロングウォーク」(スティーブン・キングの超絶傑作)はフィクションとしては死ぬほど面白いけど、現実では一番やっちゃだめなフィクションだってのに、なんで好んであのゲームをやりたがるのか
こいつ「死のロングウォーク」ちゃんと読んだんか、と思ってしまう。あと進学校とか友達多いやつは別にドMじゃねー。
ネットでの受験や勉強に対するイメージというのはいろいろとおかしい。
例えば東大合格するには1日10時間勉強しろだとか、訳の解らんことを言ってる奴を見かけるし、
そもそも受験勉強をバトルロワイヤルのような蹴落とし合いだと勘違いしてることがまず変だ。
(これはあほな親の影響かもしれん。低学歴の親ほどこのイメージを持っている。受験とか勉強にネガティブイメージ持ちすぎ)
上のような理屈で言えば、進学校では弱肉強食の世界が繰り広げられる。プレイヤーは生き残るために
いじめが多発しているように思われるかもしれないが、そんなことは一切ない。むしろいじめは極端に少ないだろう。
なぜなら、進学校における受験勉強は、バトルロワイヤルではなく、ロングウォークだからだ。
ゆったりとペースを守って歩き続ければいい競技だ。しかも休憩ありだし特定の地点までいけばゴールさせてもらえるヌルい仕様になっている。
ロングウォークを知らない人に一応説明しておく。詳しくはWikipediaよめ。というか原作読め。
100人の少年が、時速4マイルをキープして休みなく歩き続けるだけの競技。
時速4マイルを下回ると警告が発せられ、警告の累積が4回になると射殺される。一定時間警告を受けなければ、その累積は消滅する。
またこの競技は強制的に徴収されるものではなく、志願者が審査の上選ばれるものであり、その点でもバトルロワイヤルと全然違う。全く違う。
ロングウォークにおいて、参加者は、ゲームで勝つという絶対的な目標がある、
ゴールという絶対的な存在に対して、にわかな友達関係や、友達どうしの上下関係などゴミのようなものである。
つまり参加者はその絶対的な対してどこまでも対等であり、孤独である。
友達が多いことには価値がなく、友だちが少ないことはマイナスでもない。競技上はそこに意味はない。
周囲の人間を殺すことは許されていないし、周囲の人間を殺すことに何のメリットもない。
殺すような奴は即刻警告を受けて退場させられるだけだ。
大事なことは「退場させられない」ことであり、「余計なことをして自分の速度を落とさないこと」である。
これが守れる範囲で自由にすることはできる。
しかし、この条件が厳しいので、いじめなどというくだらないことをやっている隙がない。
競技のルールを守る以上は、同じ競技者としてリスペクトされ、競技のルールを破る奴は、違反者として相手にされない。ただそれだけだ。
しかも、厳密かつ明確なルールと厳しいゴール条件があるとき、人は攻撃しあうのではなく、助けあう。
シビアな状況では、本来的同士のものであっても、時に助け合い、支え合うのだ。本当に争うのはゴール手前くらいである。
お互いルールを共有し、リスペクトしあっている場合、仲間でなくても人は助けあうのだ。ソッチの方が強いのだ。
もちろんロングウォークでは脱落者は出るけれど、別の受験では実際に死ぬわけじゃない。でも脱落するのは苦しいから皆頑張る。
イジメなんざ結局、明確なルールや、高めのゴールを持たない、暇を持て余したやつらの破滅願望みたいなものだろう。
イジメ以外に序列をつけるものがないんだろ? 原始人でもできるからな。力で序列決めるとか。
ようするに、イジメやってますって時点で、それは自分たちはサルと同程度の社会能力しかありませんって言ってるのと同じなんだよ。
何ひとつ明確なルールがないから、ともだちみたいな曖昧なものを無理やり旗印に掲げてしまう。
ともだちなんかマイルールの典型みたいなものだから、ともだち集団ごとのマイルールの押し付け合戦になってバトルロワイヤルになる。
子供らが考えるともだちなんて完成度が低くて脆弱な仕組みだと、クラス全体を支え切れないから、常に外部に怯えないといけないから
自分から敵を作って攻撃的になる。 なんか本当に話を聞いてても馬鹿馬鹿しい。
サルですら、序列さえ決めてしまったらあとは安定する。戦いはボスを巡る争いに限る。それすらもできない。サル以下だ。
無駄にプライドばっかり高くて、やってることはサル以下。イジメをやるってのはそういうことだ、と教師は子供に教えるべき。
まぁ教師もストレス多いのか、職場内いじめとか多そうだけどなー。派閥争いとか無駄なことやってそうだけどなー。
はい、どう考えても少しの人間だけが救われて外部の人間は救われてないですね。傲慢と卑屈が合わさって最悪ですね。
子供の浅はかな知恵で、わがままを制御して十分に機能する社会が作れるならSFはいらねーての。私にだってよく分かんねーよ。
まーでも真面目な話、進学校になればなるほど、共同体の一員であることの価値が大きくて、イジメごときでそれを台無しに仕様とは思わないし、
いじめというものが実に非生産的であることが分かるからあんまりいじめってやらないと思うんだ。
あとそもそも、ロングウォークもそうだけど、こういう「競技」に参加する人間ってたいていイジメ被経験者だから、いじめに強い嫌悪感あることが多いね。
高校に通ってもいじめやったりいじめられてるやつらってさすがにちょっと甘いんじゃないか?
タイトルと違うけど、
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1679541.html
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
Sexy Zoneも、Not yetも流行ってないし、会話ですらその単語を聞いたことがない。
多分、会話にそれらの単語を出すときには説明が必要となるだろう。
それは別に流行ってない訳じゃなくて、そういったのに興味がある奴が俺の周りにいないだけだ。知り合いのツイッターで話題になってないだけだ。
結局流行ってるもの、常識とされてるもの、普通とされてるものが、それぞれのクラスターで違うってだけの話だ。
俺は去年帰郷して兄弟と会話したときにRadioheadとか宇多丸とかいう単語自体が通じないことに軽く衝撃を受けたが
そういったことはありふれてる。ちょっとくらい前に話題になった「サイコ2割問題」とそう変わらない話だ。
だから、テレビで「~が流行ってるんですよ」とか聞いても、そりゃどっかで流行ってるのかもしんないなと毎回思う。
ほんとに流行ってんのか知りたくなったら、データをどっかからググって調べるくらいすればいい。
思ったより流行ってたり、流行ってなかったり、意外な層に流行ってたり、やっぱり流行ってなかったりする。
ここ最近、韓国関連のことが流行ってますよとテレビで流れると、脊髄反射のかのように毎回ネットでは反発が起きる。
「そんなの流行ってない!」だとか「そんなの普通じゃない!」とか「そんなの常識ってことにするな!」とか。
で、これはマスコミに対するネットからの批判意識として、3%くらいは評価・共感できるものかもしれないが、97%くらいはうんざりする。
「流行ってますよなんてそもそも謳うからいけないんだ!」なんて言うのかもしれないけど
逆に、結局この人達はマスコミが担っていた「普通」や「流行」や「常識」に対する信頼を持っていた人たちなのかもしれないという気がする。
オーソリティに対する信頼とでもいうべきだろうか。
「普通」も「流行」も「常識」も、クラスターによって違うということがもはや「常識」だってことはちょっとネットを眺めれば分かるだろう。
それに従って、「普通」も「流行」も「常識」も壊れてしまった。
マスコミ、メディアが担保していた共同体幻想みたいなもの、一億総クラスター幻想がそれらを作り上げていたし、それが崩壊してしまったのだから。
じゃあ何がマスコミを殺したのだろう。
一億総中流的なものから格差社会という流れもあるが、当然ネットがマスコミを殺した。
つながりあえる環境、「真実」を知れる環境、簡単に島宇宙を形成できる環境、それが可視化される環境がマスコミを殺した。
かくして、「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も、クラスター別に存在することになった。
それに人間は耐えられるだろうか。
「ほんとう」の「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も存在しないことに耐えられるだろうか。
だから、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じて生きることになる。
ニーチェは「神は死んだ」といった。
「お前たちに言ってやろう。我々が神を殺したのだ─お前たちと俺が。我々はみんな神の殺害者だ」と。
「我々が信じていた真・善・美なる価値基準や権威を根底において担保していたものは、滅びてしまったのだ」と。
日本人からしたら、「で?www最初から死んでるしwwwつか日本には八百万いるしねwww」ぐらいのもんで
なんで、そんなことに大騒ぎしたのか分からないところがある。
だけど、「メディア・マスコミが死んだ」というのはそれくらいの衝撃が日本人にとってはある。
その影響がじわじわと色んなところで見える。
「みんな」が思ってる一つだけ存在する「普通」や「流行」や「常識」が死んだ。
お前が言ってる「みんな」って「普通」って「流行」って「常識」って何だよってことになる。
それこそ一神教から八百万の神への改宗という衝撃が実は起こったんだということがじわじわとわかってくるだろうと思う。
その過程では、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じることにしたり、
そのクラスターにおける「真実」を盲信して他のクラスターを攻撃したり、クラスター別に違うモードを使い分けたり、
クラスターの中で、あるいは他クラスター同士で「ほんとう」を定めるために対話したり、クラスターを彷徨ったり、
反動として、確固としたオーソリティや序列や権威を求めて、何かに忠誠的になったり、他者に攻撃的になったり
すべてのクラスターに通じるものとして「ほんとう」のことを提唱したりすることが、日常的なこととなるだろうし、すでになりつつある。
表面上は、まとめブログによって、youtubeの再生回数によって、徐々に「大衆」における「普通」や「流行」は担保されていくことになる気はするが
その根底では、価値観を担保していたものの崩壊が徐々に起こっている。
スピリチュアルでも、自己啓発でも、ノマドでも、愛国心でも、ライフハックでも人生の指針となってくれるものを求めている。
これらの価値観でも、宗教でもなんでもそうだが、人生の指針となってくれる価値観を求める欲望は消せないし、否定すべきでない。
すべての価値観をクールじゃないと否定したあとに待っているのは、ニヒリズムか退廃と決まっている。
「ほんとう」の価値観を求めて、匿名のコメントで殴りあうことがこれからもネット上では続くだろう。
それは価値観の衝突とも呼べるかもしれないし、対話とも呼べるのかもしれない。
魔法使いがいなければ成り立たない世界(というかない共同体は蹂躙される)で、魔法使いは権力の裏に回っているということは、
更に、その魔法使いを罷免できない。そして、魔法使いはほぼ世襲制。
で、実際歪んでるのを利用されてテロ組織に利用されたりしている。
それって貴族が農民を下賤としたのと一緒では?
それを俺達はがんばってるんだとロンダリングしてる。
2章途中までで通常兵力部隊が出てこないけど、
おそらく近代教育をベースとしたいわゆる富国強兵、散兵戦術はまともに機能せず、
戦力の主体は魔法使いによる火力戦と化している。
この条件下で、一般人にやらせて貰えるのは、おそらくはつまり時間稼ぎとしての盾と、弱い者虐めだけ。
しれっと普通に高潔な軍隊を出しそうだけど、んなもん嘘っぱちだと鼻で笑えるレベル。
歩兵が尊重されない軍隊がどうなるか、考えればわかるっちゅーの。
教育レベルが高い状態で社会が逆行せざるを得なかった時の精神的社会的葛藤の考察が甘く、
貴族を高潔な近代的自我の持ち主と讃えるような感触が、何なんだこれは、という感じで非常に気持ち悪い。
この作品に限らずの話、俺TUEEEEEが悪いとは言わないが、その場合は、中途半端に世界観広げないで限定があるべきだと思う。
エムゼロで、学校の外を出ても記憶も能力も消されない、というか学校の外に出ても能力使えるだったらどうよ。
09ルールの規制のないマルドゥック・ヴェロシティとか笑えない。絶チルじゃないけどそりゃ「普通の人々」は怒るで。
しかもこの「魔法科高校の劣等生」ではすでに魔法使い陣営が制圧完了してんだよな・・・。
この世界観だと30年後には鬼哭街と同じもので出来上がってると思うだ。
否定することだけなら難しくはないさ。否定した上で納得させ、協力関係を築くのが難しい。
それが妥協点を押し付けるのと比べてそれほど難しいものではないっていうことだよ。(あ、簡単ではないよ。無論のことながら)
否定して終わり、じゃぁ相手の正義はそのままで折れてないっしょ?
相手の正義が折れるってことは、相手の正義が変わるってことだよ。
例えば君が「共同体外の人間を殺すことはいいことだ」という価値観をもった人間から説得を受けたとき、君は自分がすんなり納得させられると思うかい?
そういえばこれはオウム真理教が実現してたな。
これをネタに別のトピックだけど、これさ、正義を折る派だったら「共同体外の人間を殺すことは悪いことだ」って相手を説得しに行くじゃない?
妥協点の人はどうするんだろう?
21世紀の人類の課題、なんて大きく出たけど、僕らの叡智はこの1点に集中すべきと思う、とぼんやり考えている。
縮んでいく世界でどう楽しく生きるか。
ホント、これだけ。市場がどんどん拡大して、どんどん儲かる時代はもう終わった。
(ついでにタイの洪水でサプライヤさんが止まってしまってモノが作れない)
やる気なくなっちゃうよなあ。
実家に帰省するたびに過疎化が進んでいるなあと寂しい思いになる。
バスや電車の本数はどんどん減って、駅前には老人ホームが新設され、パチンコ屋くらいしか賑わっていない。
今、住んでいるのは両親と祖父の3人だ。きっと寂しい思いをしていると思う。
祖母は自殺をした。
体の不調を感じ、(または過度に思い込んでしまって)自分の介護をさせるくらいならと死を選んだ。
自分が介護に苦労したから、母にはそんな思いをさせたくなかったし、そんな姿を見せたくなかっただろう。
でもなんで……
遊びに来るときはケーキを持ってきてくれて、年末年始の親戚の集いでもよく参加する元気の良い人だった。
老体にむちうって、鉄道にメンテナンスをやっているといっていた。
「やっぱり俺は農家の人間だった。商売人には、なれなかったなあ」
親戚の集いでふと僕に言った言葉を思い出す。おじさんは営業畑で生きてきた人だった。
何を思ってこの言葉を言ったのだろうか……
社会や家族や共同体が小さくなって、吸収しきれない絶望だけが個人の中に膨らみ積もっていく。
家も古くなっていく。手入れされない田畑が増える。
自分の身体は老いて、頭もはっきりしなくなっていく。
僕らはどう楽しく生きるか。
局所的に拡大しているサークルに身をおくのか? でも外側の老いていく両親はどうするの?
悩ましい。
悩ましいけど、どんなところであれ明るく楽しく生きていくのは人の義務だと思う。
全く新しい考え方が求められている気がしてならない。
なんつーか信者の方の発言までいちいち預言者チックになってて笑う。
日常会話で「時は来たレリ」とか「尊い~」とかホントに使ってるんじゃないだろうか。
それだけならまだしも「現在起きている地震は○○○のせい」みたいな言説はちょっと危険に感じる。
それはともかく、本を読み始めた経緯などを聞かれてもないのに語ってくれる人がいるせいで、
こういう人達がどういう経緯で宗教に入り込んでいったのかも垣間見えるような気がする。
以下はホントに少ないサンプルを下に勝手に推測した話で本とかどうかは知らない。責任が取れないので増田に書き捨て。
やっぱり自分のアイデンティティや自分が正しい人間であると確信したい人がいて、
そういう人達は共同体とか世間とか日本そのものに立脚してたんだと思う。
ところが、そういうものへの信頼というか盲信が崩れちゃってるんだろうな。
要するに、もともと別のものを漠然と信仰してたけど、それが壊れてしまった、と。
そういう何かにすがらざるをえない人たちのニーズってのがあるんだな、ト。
特に教育ママのように、過剰に何かにすがりついているような人は、
自分のあるべき像がギチギチに固まっていて、柔軟性がないようでちょっとした挫折や回り道にも耐えられず、
今回の自然災害の連続で、物事に対処する困難に挑むのではなく信仰に逃げる人間は更に増えるだろう。
老害っぽい物言いになるけれど、なんでこんなへっぴり腰な日本人が増えたのだろう。
あるいは昔の日本人は、今よりもっと困難というか理不尽な物事から逃げなかったのだろう、逃げられなかったのだろう。
そう考えると、本当に昔は「日本教」みたいな縛りが強く存在してたんだろうな、トか思った。
両極端な話だけど、みんなでまとまって戦えるのはいいけど逃げられず玉砕しちゃうようなのと、
みんなが戦う前に逃げちゃってそもそも戦うことすらできない現状と、どっちがいいのかわからん。
とりあえず、新興宗教の人間に言いたいのは、現実から逃げるのは構わんから、
逃げた場所から偉そうに現実批判をするのはやめろってことかな。逃げずに現実と戦ってる人間に対して失礼。
http://anond.hatelabo.jp/20110923092610
こんなこと書くのは心苦しいけど、敢えて書く。
東京人が電気で世話になってるってたって、一方で労働力も増えてたし交付金も貰ってたんでしょ?
福島産の風評被害を回避するために、放射線計測器で詳しく計測するとか
あるいは、各スーパーに計測器を置く。
(やましいこと沢山あってごまかしたくて仕方がない連中だから無理か...)
消費者庁の連中よ、おまえらの本分わかってるのか?例の議員とかまけて、こんにゃくゼリーで売名してる場合じゃねえだろ。
もしくは東北ってところでは
福島という共同体からのぬけがけを許さないという因習が未だに残ってるのかな?と感じる。
って、そりゃ嫌だよ。
ましてや子供らに放射能の危険(があるかもしれない⇒計測してないから)にさらせなんてな。
すっかり皆が飽きかけて、一部のキチガイじみた人だけが執拗に問題を追いかけていた状態から進展があった模様。
quadro6000という人物が中心になっている。pixivセキュリティ騒動以前にはq4500として活動していた人らしい。
まぁこういう人です。
8月28日まで開催の展覧会、カオスラウンジ(盆)にて仲山一二三の作品「save for japan」に「がんばろうニッポン(笑)」と書いてあったという問題。
「祖先の霊と交流をする「盆」を向かえるにあたり、おおきく「神霊」・「祈り」を意識したグループ展」を標榜する展示会で、「がんばろうニッポン」に(笑)を付けるセンスが非難されている。
仲山一二三当人はまとめ内において、震災以降も変わらず消費される萌えと共同体の結束を促すスローガンのギャップに対する皮肉なのだと説明している。
著作権侵害を含むカオスラウンジ作品が海外のアートフェアに展示されることに対して反発が生まれる。
quadro6000が神主にtwitterにて台湾出展を通報した結果、神主から「考えておく」という返答を引き出す。
多分「著作権侵害が許されない悪だ」と憤る人はネットにはそこまでいないと思う。
違法ダウンロードは悪だという人でも、無断転載だらけのコピペブログは見ない、ゲーム実況やBGM違法利用のニコニコ動画も見ない、tumblrは潰れるべき…とまで言う人は少ないと思う。
カオスラウンジに執拗に怒っている人たちはふたばちゃんねるの人が中心だと思うけど、ふたばこそまさに著作権侵害のコラージュや転載が転がっている無法地帯だし。
ニコニコ動画にしても、厳密に言えば同人の二次創作も、立派な著作権侵害だけど、著作権侵害でも手間が掛けられていて面白ければ問題ない、という考えの人が多いと思う。
つまりカオスラウンジが怒りの琴線に触れるのは著作権というよりも、「面白くない」「オタク界隈の軽視」「手間を掛けていない」「他人の労力でお金に換える」ことなんだろう。
特に「コミュニティが潰れても問題ない」とまで言い放った発言が災いして、親の仇のように憎んでいる人が多いように思える。
自業自得ではあるが、この国の法律は私刑を認めてはいないので、正しく裁かれる方法を模索するべきだと思うのだけどね。そういう冷静さを欠いた騒動の盛り上がり方にはウンザリする。
カオスラウンジのコラージュの抱える問題のうち、裁かれるべきものは「著作権の侵害」でしかない。
しかし義憤で戦っている人間の多くは「著作権の侵害」には直接関わらない第三者でしかなく、著作権という土俵でカオスラウンジとやりあうことができないので、
などと触れ回っている。
当然、著作権がある限りフリー素材になることはないし、顔写真のコラージュは肖像権の侵害、名誉毀損罪が適用される別次元の話なのでダブスタでもなんでもない。
外野の様々な思惑とは関係なく、「著作権者がこの騒動の落としどころをどう設定するか」というのが騒動の終着点になる。
そして神主は東方Projectの原作者であり、三次創作物であるカオスラウンジの作品に対しても権利者として申し立てすることが可能だと思われる。
だがネットに著作権侵害が蔓延するように、著作権は権利を付与するだけで、守る義務も守るための力も与えはしない。それどころか保護しようとした途端に高い壁が聳え立つ。
東方Projectにしても新作発売直後にゲームクリア動画や原曲BGM動画(原曲BGMの転用は東方二次創作ガイドライン違反)が競うようにアップロードされ野放しになっている。
まだニコニコ動画など動画共有サイトであれば、運営会社のドワンゴを介して削除申請することができるが、リアルで美術作品として発表された場合には最悪の場合には司法の判断を仰ぐ必要もある。
出版社などを通じて発表された作品ならば、企業に権利者を守るためのノウハウと力を蓄積されているが、個人では敷居が高い。
そうしたグレーゾーンの存在には、カオスラウンジのような集団を立脚させた負の側面もあるが、二次創作の活気の源泉となった正の側面もあり、一概には否定できるものではないと思うが…。(JASRACの嫌われっぷりを見よ)
ともあれ力のない個人では著作権を自力で保護することは難しく、その間隙がカオスラウンジを生み出したが、力のある神主が時間と金を費やせば、決着を付けられる可能性はある。
その落としどころが受け入れられないものでも、神主を攻撃することがないといいんだけど。(カオスラウンジに制裁を加えなかったpixivがズブズブだと血祭りに上げられ、クラックされたと火を付けられたように…)
個人的にはコラージュアートも存在してもいいと思うんだけどね。
ただし「アートとして金銭のやり取りをするのならば、著作権侵害者としての覚悟と責任を背負う」という条件付きで。
どうせ訴えられないだろう、弁護士を出せば問題ないだろう程度の覚悟でやるのはただの下衆だと思う。(というとあいつらはそういう下衆だと決め付けようとする人がいるんだろうけど、ネット越しの情報で人柄なんて分からんよ)
十字架と覚悟を背負いながら自分の作品を磨いて、いつかオタク界隈の人間を納得させられるまで頑張ればいいんじゃないかなー程度に思っている。
http://blog.tatsuru.com/2011/08/22_1258.php
これ「街場の教育論」で語られていることから特に内容は変わってない。
「お願いだから、学校にはこれ以上入り込まないで欲しい」と懇願しているのである。
ただ、この先生はマスコミに対する時も若者に対する時もなんでもそうなんだけれど
「理想はこうだ、という状態」と、「それを侵害する最大の存在」については語ってくれるんだけど現状がどうなってんのかは説明してくれない。
1「こうなることが必要だ」「○○とはこういうものであるべきだ」とは言うけれど、「じゃあどうやってそうするか」という風に話を繋げない。
そもそもなぜそれが理想なのかについての説明についても、なんとなくわかるようでじつは分からない。オルタナティブを考慮しているように見えない。
よくよく読んでみると「必要なものは必要なのである」「これはそういうものなのである」って言いきり型になってる。
このあたり、ちきりんさんとよく似てると思う。
2 「こうなる状態を阻んでいるのは○○だ」という言い方をする。 「○○についてはどうしたらいいか」とは言わない。むしろどうしようもないって言い方をする。
そして、そこで話が終わる。いつもいつもいつも、内田先生の文章ってこうですよね。
こんなもん、プレゼンだったらア ウ ト だ よ !
悪名高いコンサル会社ですらこんなひどい状態で仕事しましたとは言わないよ。
「教科書ではこうなってる。後はお前らで考えて現実を教科書どおりに持って行きなさい」ってことですよね。
いやまぁ、教育ってそういうもんだと言われればそうかもしれないですよ。
教えないって事自体は否定しない。
でも内田先生自身、それについてある程度答えを持ってるんだろうか。持ってないんじゃないだろうか。
彼は複雑な現状には全く興味がないか、本人もあんまり良くわかってないのではないかといつも思う。
だから、いつも読み終わった後、「なるほどそういう視点もあるのか」で終わってしまって
「じゃあ内田先生の話に従って現実的にどうしよう」って考えるところまでいかない。
「ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終止符を打ちたい
http://anond.hatelabo.jp/20110813021554を書いたものです。
たくさんのコメント、ブックマークありがとうございます。
もうちょっと書きたいことがあるので書きます。
ぼくらはけっこう慎重なもんで、
「○○についてどう思う?」という問いかけを目にすると
という考え方に持っていこうとする。
じっさいそれは素晴らしいことだとおもう。
なにか大きな疑問があって、それに対して必ず正解があると考えることのほうが危険なのかもしれない。
もっと優しく、賢く、謙虚になろうと思ったら、自分勝手に結論をゴリ押ししないで
あまねく人と可能な限りとことん話し合うほうがいいのかもしれない。
そういうのをなんて言う?構造主義的?
現在属している共同体の文化や価値観に従って決定することを避けられないから、
ぼくたちはとんでもない誤りを犯している可能性が常にある。
慎重に慎重を重ねても、結論を出すのに「慎重になりすぎる」ということはないのかもしれない。
しかし、ぼくはもう待てない。
というコメントを頂いた。
ぼくは長期的な幸せを望む。
間違った部分とは何か、という疑問についてはもっと考える余地があるかもしれないが、
ぼくたちはおそらくみんながみんな、
なるべく誤魔化しや、
その場しのぎでない、
恒久的、
永続的な幸せを望んでいると思う。
もしかしたら、前回の増田で例に挙げた、世界の多様性を示す例(ニューギニアやアフリカの話)は
「間違った部分」なのかもしれない。根絶すべき人間の悪性なのかもしれない。
よく考えてみてほしい。
ナチスのユダヤ人大量虐殺は「世界の多様性」と言ってしまっていいのだろうか?
9.11の同時多発テロは他人が介入すべきでない文化なのだろうか?
こういう例は枚挙にいとまがない。
うーん。そういうことにYESと言える人はあまりいないような気がする。
基本的人権というシールが、いつからか(先進国の人が考える)全ての人にへばりつくようになった。
このシールを大事にする人は、生きていい人と死んでいい人という区別があるのは認められないと言って、
慎重に慎重を重ねてものを言うなら、
「人を殺してはいけない」という価値観ですら狭い考え方でしかないかもしれないし、
「人を殺してもいいじゃん」という価値観が(先進国で)普通になっていたかもしれない。
そうじゃなくなったのは、人間の理性が悪を打ち破ったからではなくて、たまたまだという気がする。
ぼくは戦争のことなんてなにも知らないけど(体験してないのに知っていると言ってしまうのはウソである気がしてる)
「戦争はいけない」という価値観を受容して(強制されて)生きている。
そんなぼくが「戦争してもいい」という価値観を持つ人のことを理解できるわけがない。
戦争のことを知らないぼくが、戦争はいいとか悪いとか言っても説得力がないが、
少なくともぼくらは、大量虐殺はいけないと言ってもいい。テロはいけないと言ってもいい。
そう考えることしかできないと思う。
さて、間違った部分とはなにか?
ネガティブな発言を減らしていくということは、
間違った部分を正していく行為なのかもしれない。
それが長期的な幸せを作っていくのかもしれない。
ぼくが言いたいのは、
「ネガティブな発言をしてはいけない」という社会的合意が先鋭化されて、
「ネガティブな発言をやめられない人は生きていてはいけない」という主張に変わり、
実際に人が死んでいるかもしれないということだ。
もう一度言うが、ぼくは長期的な幸せを望む。
ネガティブな発言をみんながやめられるということが
少なくともぼくらの共同体では正しいことならば、そうする方が望ましい。
しかし、短期的にはその考え方のせいで人が死んでいるかもしれないということならば
話は別だ。
ぼくらは結局わかりにくいやり方で人を殺しているとおもう。
いちばん救われるべきだった弱いあの人を、ぼくらみんなが団結して殺した。
死因は自殺で、直接手を下したのはその人自身だったとしてもだ。
それはちょっと考え方が突飛すぎるだろうか?
考え過ぎだろうか?自意識過剰だろうか?
そうであるならばそれが一番いい。
ぼくひとりが間違っているのなら、それでいい。
がんばらなければいけない社会、
他人を傷つけるくらいなら自分を責める人がいて
自分が傷つくくらいなら他人を責める人もいる。
かなりの人が閉塞感を覚えているのだけど、その社会を選んだ(選ばされた)のはぼくらである。
民主主義によって、多数決でこの社会が選ばれた。少数派を殺そうという選択だ。
最近はもう少数派と呼べるほど無視できる数ではなくなっている。
弱い人が、
虐げられた人が、
ネガティブな発言をやめられない人がどんどんどんどん増えている。
その問題を優しくて、賢くて、謙虚な人たちがどうすればいいかとうんうん考え込んでいる。
「はてな民」たちはそういう人たちだと思っている。ありがたい。
しかし、あーでもないこーでもないと選択を先延ばしにしている間にも
世界は止まることがない。
つねに何かが選択されて、何かが切り捨てられていく。
切り捨てられていく中に弱い人達が含まれている。
もう待てない。
ぼくは、こんなふうに話し合っていくことが、
いつか世の中全体を変えるだろうと思っていた。
弱者を救済するための装置として、ベーシック・インカムに期待していた。
もう待てない。
長期的な幸せもいいが、まずは人を殺さないでほしい。
がんばって死ぬくらいなら、がんばらないで生きてほしい。
地面をはいつくばって生きるしかない人にとどめを刺さないでほしい。
ぼくらは死ぬために生まれたとでもいうのか?
蛇足かもしれないけど、
資本主義社会というのは、言ってみれば個人の自由を最大限尊重する社会だ。(その代わり平等ではない)
なにしろ死体になってしまうと、自分ではなにもできなくなるからね。
まあ、だから個人の自由を認める気があるなら、
資本主義を持続させようとするなら、一番避けるべきは誰かを殺すことじゃないかと思う。
それで、ぼくは「ネガティブな発言をやめろ」という言い方は誰かを殺すかもしれないと思うし、
解決するためには慎重に考えて、こうやって話し合っていくことが長期的な幸せにつながるのかもしれないけど、
考えれば考えるほどその間に人が死んでいってるかもしれないと思っているのだ。
まず「殺さない」ということだけでも、先になんとか決定できないだろうか。
ネガティブ発言を許せない誰かが狂ってでも、殺すことはやめようと言っているのだから。
その人はもしかしたら有能で、社会をより良くしてくれる救世主かもしれないが、
それでも誰かが死ぬことよりはマシだと思っているのだ。
理由は単純で、ネガティブ発言を許せない人よりも、
ネガティブ発言をやめられない人のほうがすぐ死んでしまいそうな「気がする」からだ
(どちらの側であっても心に余裕がないのかもしれないけど)。
ぼくは常に一番「死」に近そうな人の味方でありたい。
強い人は強い人で楽しんでくれたらいい。
ていうか、ぼくが殺されたくないからこんなこと書くんやけどね。
クズ人間であっても、最低限生きていることくらいは許してほしい。
すいません。言い方を変えます。
ぼくを殺さないでください。
上から目線で「あーしろこーしろ」と言いたくない。
ほんとは殺さないことが人のあるべき姿かどうかなんて、ぼくにもよくわからない。
このままのペースで世界の人が増え続ければ、間違いなくエネルギーや食糧が枯渇するから、
あんまり人は増えないほうがいいという説を読んだことがある。
死んでいく人が増えることはいいことなのかもしれない?
でもぼくは死にたくない。これ以上誰かが死ぬのも見たくない。
「ネガティブ発言」に込められているかもしれないと思ったのだ。それを奪わないでほしい。
もっと前向きな解決法があったらいいなーと思うけど、
「こんなふうにしてみようよ☆(ゝω・)v」
と言われて、
ぼくに必要なのは、一緒に泣いてくれる誰かだ。
後ろ向きなままでは前向きな方法は毒にさえなる。
まずは、死にそうな人を心穏やかにすることが先じゃないのかな。それも死ぬ前に。
これはちょっとさすがに自分でも意味がわからない。書けば書くほど冗長なだけになる。
1.ゴミ収集日当日、専用ボックスが壊れていない(ルール違反、モラルがない)
2.ゴミ収集日当日、専用ボックスが壊れている (システム崩壊)
3.ゴミ収集日前日、専用ボックスが壊れていない(ルール違反、モラルがない)
という感じです。
基本的にシステム崩壊と見なされる部分ではモラルは関係ないと思ってますが、4の人は時間的な余裕が全くないとは言えない例が大多数と思われるので、モラルが問えそうです。
例えば、近くのゴミ集積場に(自己判断で)持ち込むという応急処置案ですが、これもルール違反です。マンションにゴミ管理用スペースが設置されているのですから。
「いや、壊れちゃって出せないんです、緊急事態なんです」とか言われてもゴミ置き場側としてはたまったもんじゃありません。カラス避けネットが余計に必要になったりいろいろしわ寄せが出てくるとか、或いは道一本隔てて最短だからと持ちこまれたけれど、住所の区分上管理自治体自体が異なる場合もあるかもしれません。お願いしますって頼まれちゃったのでその場の勢いで引き受けたけど、今後も持って来られると困るし、そもそも何でウチ? と釈然としない。マンション管理側から話が通っていれば良かったんですが、そうでなければ結果的には集積場の関係者に余計な手間と迷惑をかけており、「マンションのゴミ置き場前が綺麗であればそれでいい」というマンション関係者のエゴになってしまいます。
他の案というか今思いつく限り唯一の真っ当な解決法はゴミ焼却場に直に持ち込むことですが正直無理だと思います。それが出来るなら回収車は要りません。
こういうわけで「ルールを守ってゴミを出す」ことはとても、とっても難しいです。この難易度をして不可能と呼びたいくらいです。
まず、ルールは明示されてないです。「ゴミ箱が壊れた時の対応」について管理会社側から明確な指示や回答がないので。
で、それは措くとしても、先述したように「ルールを守ってゴミを出す」ことは誰にもできないので、ゴミを出す人間は自動的に全員無条件にモラルのない人でなしということになります。
が、果たしてそれってどうなんでしょう?
飲酒運転は基本「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」ですが、このゴミの件では「出すなっつったら出すな、出す奴はクズ、出さないマンション住人だけが良いマンション住人だ」。
ちょっとそりゃないんじゃないのって話です。モラルを問うならそんな無茶苦茶言い出すやつのモラルも一緒に問えよって感じです。
>自身が属する共同体の明示されたルールを守らないのは、「モラルがない行為」と言える
ルールを守らないのは端的にルール違反です。逆にそれに付随する「モラルの無さ」とは何でしょうか。
意志が邪悪とか思いやりがないとか迷惑を顧みない「性質」のことですか?
話の流れをちょっとまとめてみたんだ、こんな感じの組み合わせになるのかな?
1.ゴミ収集日当日、専用ボックスが壊れていない(ルール違反、モラルがない)
2.ゴミ収集日当日、専用ボックスが壊れている (ルール違反、モラルがある?)
自身が属する共同体の明示されたルールを守らないのは、「モラルがない行為」と言えると思うんだが、
国を愛するのはよいが、熱狂的なナショナリズムはたいていの場合ファシズムを伴うから嫌いだ。
自分たちを同じように愛し、同じようにやり、同じような反応をしなくてはいけないように言ってくるのが気持ち悪い。
そもそもからして、その地位に必要な共同体への義務さえ果たせば、そんなことを他人に強制されるいわれなどないはずなのに。
彼らはまるで、学校でヒステリックに叫んでいた女学級委員長のようだ。
なんでまた、学校時代のような度を逸した共同意識への強制を叫ばれなくちゃいけないのか。
なにより気にくわないのが、みんな一緒じゃなくちゃいけないという意識だ。
普段の時には、そっちから一緒になるのを拒否してはぶっておいて、そんなことを言い出す。
そちらから手を払っておきながら、手を繋いでない奴がいるとか言い出す喜色悪さ。
その話は置いておいても、最近のナショナリズムというのは、バカにする文化から来ているような気がしてしまう。
愛していると言うよりも、寄っかかっている。
だいたいからして、最近の日本人は中国人化、韓国人化が進んでいるように見える。
中国人や韓国人が帰化した日本人が増えたという事じゃなくて、日本人が三国人化してる。
ちょっと前までは中国韓国人しかやってなかったことを、カウンターとでも言うかのように、同じようなことをして返している。
将来を考えないただ叫ぶだけの浅薄な愛国心。薄っぺらい自尊心。
貧民のような守銭奴根性。村農民出のような強制する共同体主義。
昔は脱亜して入欧しようとしてたのに、わざわざアジア式に染まっていって、なんの得があるのか。
どうもこんにちは。重度知的障害者の兄貴です(7/27「まとめ」に一部追記。「自分の苦労を他人に押しつけるな」という「書いていないことを読み取る」コメントにくたびれたので。別に自分が理不尽なほどの苦労をしたとは思ってない)。この記事とブクマみて血圧上がってます。
出生前診断で異常発見し中絶、10年間に倍増 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm
まずこれ読もうね。
T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4、英: T4 Euthanasia Program)は、ナチス・ドイツにおいて優生学思想に基づき1939年10月から1941年8月にかけて行われた安楽死政策を指す。名称は本部の所在地、ベルリンのティーアガルテン通4番地 (Tiergartenstraße 4) に基づき第2次世界大戦後に付けられた名称である。一次資料には E-Aktion(エーアクツィオーン、E作戦), もしくは Eu-Aktion の名称が残されている。この政策により、20万人以上が犠牲になったと見積もられている(ニュルンベルク裁判の検察側による見積もり)。(略)
この政策の目的は、ドイツ国民の「遺伝的な純粋性」を守るためのものであり、また身体障害者や精神障害者を組織的に根絶するというものであった。障害のある子供たちは、普通の病院と違う特別な病院に入れられた。障害を持つ成人に関しては、すでに 「Gesetz zur Verhütung erbkranken Nachwuchses」の結果として強制的不妊手術の対象となっていたが、この政策の対象にも含まれた。
読んだら次にいってみよう。君らが1930年代のドイツにいたとして、自分が「ナチスに投票した4割」と「投票しなかった6割」のどちらだったか、よく自問自答しながら下を読んでくれ。
まず、こういうことが罷り通るってこと自体、日本が法治国家としてダメダメってことなんだけどね。これを読もう。
第十四条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。
子供に障害があるからって中絶できるなんて書いてないよね?母体に危険がある場合か、貧乏で育てられないか、レイプ被害の場合のみだよ。日本は中絶は無原則に自由とか思ってるの、それ完全に間違い。つまりDQNカップルとかが避妊もしないでできちゃった子供を中絶するのって違法ですからね。堕胎罪ですから。一年以下の懲役ですから。覚えとけよ。
中絶する親は被害者なんかじゃない。法律的には間違いなく加害者。
そして倫理的にもそうだよ。胎児とはいえ命は命。まさにレイプとか母体の危険とか経済的理由とか、そういう「緊急避難」的なものでなければ圧殺していいはずがない。違うか?良心の呵責ぐらい持てよというのはおかしなことか?こういう連中を「被害者」呼ばわりできるとか、どんだけ世の中なめてるの?
皆さん好き勝手に、「障害者を育てるなんて無理」とか色々言ってくれるけど、言われた方がどう思うかわかってるの?中絶する両親には同情しても、中絶される障害胎児には同情しないんだね。ふーん。
もっと馬鹿げてるのが、先天的に障害がなければ障害とは無縁だとか思ってること。あのね、人間はいつでも障害者になります。事故とか病気とかね。統合失調症とか一番わかりやすいと思うけど。そうなったら「育てるの無理」とか「生きていけない」とか下らん御託言ってられなくなるよ。とにかく育てなきゃいけない、生きなきゃいけない。そこに現実があるからにはね。やってもみもせずに「できない」とか、何を甘っちょろいこと言ってるのかね?
うちの例でいうと、弟は生後僅かな間は「健常児」だったよ。ところが詳細は省くが医療ミスで脳出血起こして、それでその後遺症で知的能力のほか色々障害を負った。そんじょそこらの先天性の軽度障害者なんかよりよっぽど重いのをね。そういうことが起こりうるってわかってるのかな?出生前診断と中絶で問題を「なかったこと」にできるとか思ってる君ら、本当におめでたいよね。それとも我が家みたいなのは弟を間引けるようにすればよいとでも思ってるのかな?すごいね、まさにT4作戦だよ。ハイル・ヒットラー!君も将来歳を取って認知症になったときはアウシュヴィッツで「人道的」な「安楽死」を迎えることができると思うよ。
ちなみに、メガネ・コンタクト族の皆さん、君らの多くは近代以前だったら生存能力のない「視覚障害者」だからね。そこ覚えておくように。社会制度や技術で少なからず「障害」は「障害」でなくすることができるんだよ。育てられないとか生きていけないとか、そういうことやって見てから言ってるのかね?
で、ブクマに書いてあるので多いのは「障害者は生きていても不幸だ」みたいな話。すごいね。まさに「生きるに値しない命」だよね。ハイル・ヒットラー!
ヘレン・ケラーから乙武洋匡にいたるまで、いろんな人がそんなの迷信だ、とどれだけ説いてもわからない人はわからないんだね。確かに障害者は生きて行くに「不利」があるよ。でもそれは絶望的なものってわけじゃない。
それこそ上に書いたみたいな目の話をするならさ、メガネ族・コンタクト族は既にパイロットや宇宙飛行士になる夢は絶たれている。矯正可能な近視・遠視・乱視だって立派な「身体障害」であることの証明だね。しかし、あなたそれで人生に絶望する?しないよね。程度の差はあれ障害者の人生って同じことだよ。そしてその「不利」の程度を弱めていくのは「健常者」のつとめだよ。あなた自身やあなたの親兄弟や子供がいつ障害者になるかわかったもんじゃないんだから、それは「保険」と同じようなものだ。それを問題視するならT4作戦発動するしかないね。ハイル・ヒットラー!
あと、ブクマに目立ったのが「この日本の国で障害者を育てる事なんてできましぇ~ん」みたいなの。ふざけるな。
みんな育ててるんだよ。多かれ少なかれ苦労してな。別に同情なんていらん。だがな、その「苦労」の中身にはお前らみたいな連中の無理解と偏見が少なからぬ比率で混じってることぐらい覚えておけよ。
でな、「日本の国」の制度が悪いのは(7/27追記:本当にそこまで悪いとは思わないが、まあ完璧ではないので一応「悪い」として)誰のせいか知ってるか?お前らのせいなんだよ。曲がりなりにもこの国は民主主義国家だ。主権者は国民だ。この国の制度は国民が作るんだよ。それをやってこなかったツケが回ってきてるんだよ。
ただし勿論、当事者でなければわからないことは色々ある。例えば世の中のエスカレーターは大抵は「上り」ばっかりだが、足の悪い人にとっては「下り」こそが重要だというのは自分がケガしたり身内に足腰弱った老人がいないことにはわからんだろう。逆に言えば、当事者が声を上げるというのは民主主義国家における国民の権利であり、義務でさえある。そういうことを石頭のお役人やら政治家やらに硬軟とりまぜて教え込んでいくことで、障害者が生きやすい環境というのは少しずつ整備されていくんだよ。
何?この国は民主主義でもなんでもないって?そうだね、すべてはアカとユダヤの陰謀なんだ。ハイル・ヒットラー!
長々書いたが、俺の言いたいことは要するにこういうことだ。
この辺のことをよく考えた上で、諸君がナチス的な思想をさっさと卒業してくれることを祈るばかりだ。
はてなの連中は普段リベラルぶってるくせに障害者問題になると本当に差別的でカスだと思ってきたが、本当になんとカスの多い事よ。
なんでそこまで先天性の障害が特別だと思ってるんだ?お前の子供が病気や事故に遭わないとなんでわかる?「健常者」であっても犯罪者や引きこもりやニートにならないとなんでわかる?その覚悟なしに子供を生み育てようとか思ってるわけ?それ、ほとんど確率の問題だぞ。
大抵の障害児はそんなケースに比べりゃずっと楽だぞ。障害児なんて育てられないというんだったら、病気や事故に遭った子供、あるいはDQNやニートが親の子供も育てられないから育児放棄して殺してもいいって話になる。お前らが言ってるのは要するにそういうことだ。なんでその程度の想像力もないの?
要するにお前らの「育てられない」なんてのは「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って子供がダダをこねてるのと同レベルなんだよ。子供に先天的な障害がなくたって四苦八苦。親になるってことはそれだけ大変なことなんだよ。その覚悟を持て。
以下、目立ったブコメに返信(7/27追記 以下、ブクマの傾向を見て適宜加筆・修正・削除する)。
md2tak 障害というか知障ね。理性なき者は社会合意できないから社会の倫理に委ねられる。「俺ができるんだからお前もできる」はマッチョな意見。少なくとも社会保障の議論を。コストの話になると経済的理由が適用できちゃう 2011/07/25
「知障」とか差別用語使いやがってカスが。だいたい読売の元記事は知的障害に限った話じゃないだろう。
ああ?何がマッチョだぁ?ふざけるな。うちの場合みたいに後天的に障害を負うことだってあるんだよ。そんなとき「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って言ったらどうなるんだ。育児放棄、児童虐待、殺人だ。違うか!違うなら言ってみろコラ。社会保障なんて曲がりなりにも日本にはあるわいボケ。調べもせんとなにを贅沢ぬかしとんじゃカス。障害者の親が全員金持ちだとでも思ってるのか。障害児を養うと明日の飯に困るような貧窮なんてないわ。
sankaseki だからと言って、本人に「障害を持ち人生を歩む」と 親に「障害を持つ子供の親」という重責の強制はできないと思うがな。ややもすると「自分がやっているから他人もやれ」という押し付けに見える
じゃあ、うちみたいな後天的障害の場合はどうするの?「押しつけ」だとか能書き垂れて育児放棄とかできるわけ?だいたい「親」であること自体が超絶的な重責なんだよ。障害があるかないかなんてそれに比べたら微々たる差でしかないだろうが。つーかうちの親をはじめ障害者の親なんて別に「重責」に耐えた偉人なんかじゃないぞ。その辺のオッサンオバサンだよ。その辺のオッサンオバサンができることをやれというのが過重な重責なんかだとは思えない。
自分の子供を殺してまで守る家庭なんて守る価値なんかないわ。しかも「良心的」とかどこまでカスなんだお前は。それは「ポア」の思想だよ。
p__o__n 私は障害者になりたくないし、子供が障害者として生まれて欲しくないし、可能な限り障害が治れば良いと思う。これを優性思想だと言われればそれはしょうがないです。 2011/07/25
いや、それはそういうもんでしょう。社会を生きて行くに不利があるからこそ「障害」なわけで。矯正可能な近視がもはや障害とは呼べないのと同様に、「障害」は克服できるもんだし、そうすべきなんだという話ですよ。
虐殺の考え方も人類の中で脈々と受け継がれてきたものだね。これはもっと受け継ぐべきだね。ハイル・ヒットラー!
egpehcbd 西原の夫が「もし障害児だったら?沢山産めばいい、そうすれば弟妹が助けてくれる」と語ったというハナシがあったと思うが、あれはたいしたものだなと思った。
いえ、それは結構微妙です。障害児の兄弟にもそれぞれの人生があるわけで、親から「助けてくれる」ことを期待されると非常に辛いです。元々子供なんて親に全面的に「助けてもらう」存在なわけで、自分のことで精一杯なわけですから。
私の場合は余りそういうことはなかったですが、それでも無意識のうちに「親に負担を掛けないように」と過剰に空気を読む癖がついたりで色々苦労がなかったわけでもありません。これに親の過剰期待が加わっていたらと思うとぞっとします。
とにかく、特定の子供に他の子供を奉仕させるというような考え方はよくないです。これは障害の有無に限ったことではありませんが。
tikani_nemuru_M 個人レベルの優生思想と共同体レベルの優生思想は異なる。また、経済的理由による中絶が認められていることで、現実には「どんな理由で中絶してもいいよ」といっているのと同じ。 2011/07/25
そんなわけがない。例えばビル・ゲイツが「経済的理由」を持ち出せば当然しばき倒されるべきだろう。また、個人レベルであろうとそれが共同体内で容認されるなら同じこと。胎児どうこうでその意味がわからないのなら「寝たきり老人を介護なんてとても無理だから姥捨て山に放り込んでもよい」という法律ができたとしたらどうなるか考えてみればよい。それをナチス的と呼ばないとすればそいつの頭の構造こそがナチス的だろう。
産む前からそんなに信頼できないことがわかっている男の子供なんて最初から産もうと思うなというだけの話だし、母親だけに責任を押しつけているわけでもないし。
tswi (略)生命倫理について何ら学問していた形跡が見えず、反射的に自分が正しいと思うことを書きなぐっているだけという印象。 2011/07/26
そんな「学問」様を語ってるつもりはないんでね。こちらは当事者としての率直な実感を述べている。それを蹂躙する「学問」様ならば、実験事実を無視する「科学」と同様無価値だろうよ。
mujin これは完全に同意。イヌのときは「病気になって育てられないならイヌを飼う資格はない」って言われて、なんで人間のときは「育てきれないなら仕方ない」「生まないほうが子どものため」になるのか。森岡正博を読め。 2011/07/2
愕然としました。確かに、犬や猫の話なら普通にわかってもらえますね。要するにみんなそこまで子供が嫌いなんですね…。
annoncita うちは中間所得層のちょっと下だと思うけど、日本では結構やっていけるものですよ?重度障害児がいても。(略)
全くその通りですね。日本で「障害児を抱えてやっていけない」なんてのは大嘘。
junmk2 この問題については障害者側の人よりも、本当の本当のそもそも論を考える側の人の方が、社会的に不利で意見を表明できない。(略)
じゃあその「そもそも論」というやつを述べてみろよ。この件で「障害者を差別するな」以上に「そもそも」なことがあるものか。あるわけがない。
つまり、生きるためにコストを払うのではなく、コストを払えなければ死ねということですね。ハイル・ヒットラー!
自分が親として「普通の人」以下だと思うなら子供を持たなきゃいいんです。でなきゃ「普通の人」並に慣れるように努力しなさい。障害云々と関係なく当たり前でしょそんなの。
yoko-hirom 増田は自分の記事をご両親に読んでもらって意見を聞いてみては?/増田は幸せそうに見えないし,出産前に挫ける人がいても仕方ない/健康面の問題で心中や自殺を選ぶ人もいる。増田はそれらの人を非難するか? 2011/07/26
それ以前に出生前診断の話なんてガキの頃から家庭内で頻出の話で、「論外」という共通認識。そんな話ができないような家庭環境どころか、親の方が俺を教育しようと熱心だったよ。それから俺は十分すぎるほど幸せだ。まあ、こんな断片的な文章から俺の人生の幸不幸を推し量れると思い上がったあんたが俺の増田記事(障害ネタはこの一件だけ)にことごとくアホなコメントしてくれるのは全然想定外でも何でもないが。そして自殺は自分が死ぬだけだが他人を巻き込む心中は非難されて当然。
Crone 増田の怒りも分かる。でもただでさえ不安定な中、自分のせいかもと苦悩する妊婦さんへの共感なしには届かない。(略)
「自分のせい」とかいまどき思う人がいるとしたら勉強が足りないの一言でしょう。