はてなキーワード: 殺意とは
いや、もともと犯罪に該当する行為かどうかは争点ではなく、正当防衛と認定するかどうかの話でしょ?
これはどういう判例があるかによるだろうけど、裁量の範囲だよ。
殺意を持って殺そうとした → 殺意はなくなった → けど殺した
の流れを、自分で用意したレコーダーに吹き込んで証拠にしているわけで、これをもって殺害時には殺害の意図はなかったと認められるかどうかだよね。
夫の浮気の確たる証拠を掴んだ妻が嫉妬に狂い、次に夫が女を部屋に連れ込んだ時に夫を出来るだけ残酷な方法で殺してやろうと心に決めた。
そしてついにその時が来た。事前に夫が今日女と会うという情報を入手した妻は、包丁を握りしめたまま寝室のクローゼットに隠れた。
出来事の一部始終を記録しようと考えた妻は寝室が全て見える位置にビデオカメラを設置し、音声もレコーダーで録音している。
かくして夫は狙い通り、女を連れて妻の隠れ潜む寝室へとやってきた。二言三言交わしながら夫と女は服を脱ぎ始め、裸で抱き合う。
いざ、というタイミングで妻はクローゼットからわざと大きな音を立てて飛び出した。
「殺してやる!」妻は躊躇する事なく包丁を突き出す!しかし夫の脇腹をかすめ薄く傷を作っただけだ。
しかし妻は脇腹を伝うほんの少しの血を見て、急に自分のしている事の恐ろしさに気がついた。
包丁を取り落とすと、ごめんなさいと叫びながら泣きだしてしまう。
「今さっきまでアナタを殺そうとしたわ、でももう無理、私はもうアナタを殺す気はないわ。」なんどもしゃくりあげながらそんな事を言った。
突然の出来事に呆然としていた夫は、今自分の身に降りかかろうとしていた事をようやく理解した。
その瞬間彼の胸中を支配したのは、悲しみや後悔ではなく怒りと憎しみだった。
彼は妻が自分を殺そうとした事に腹をたて、泣きじゃくる妻に飛びかかると容赦なくその首を締めあげた。
「この野郎!殺してやる!」その顔は狂気に満ちていた。そのままでは間違いなく殺されていた。
妻はなんとか指を伸ばし、包丁をもう一度その手に収める事に成功する。
しっかりと柄を握ると、朦朧とした意志を総動員し、その刃を、しっかりと、夫の、首に、突き立てた。
「以上がその日、寝室で起きた出来事です。」
妻の手によって録画されたビデオ、音声、連れ込まれた女の証言、妻の供述。
全てがそれらの出来事が真実だと告げていた。
「確かに、夫が部屋に女をつれこんできた時、私の心には溢れる程の殺意が沸いておりました。
しかし夫に懺悔をしている時はそれはもう既に消えてしまっていて、最後の瞬間にはただ自分が生き残る事だけに必死でした。」
言葉少なに、しかししっかりと妻であった女性はそう供述している。
「これより判決を申し渡す―」
さて判決は?
言霊を甘く見てるね
長期間影響力が強い人が周りの人々に「あいつは駄目だ」と何がしかあげつらって相槌を打たせ
同調させとけばやられた人は周りが見えなくなって「自分はクズだ」と思い込み自滅していく
強い人でもこの仕組みに気づかない場合はメンタル弱っていく そして世の中に馴染めなくなり
自殺したりメンヘル廃人になる。自殺未遂を繰り返すようになるよ
分かってる人は嫌がらせを受けた人がそうなることをちゃんと分かっててやるし
メンヘルになって憎しみや殺意を抑える為にリストカットなどを繰り返せば「キモい」
「かまってちゃん」とまたあざ笑うネタに使うよ 自分の愉悦やストレス解消の為にね
だから言霊の「呪い」のシステムに打ち勝つためには、「呪い」を拒絶するのではなく
「呪い」の力を理解して受け入れなきゃいけない
相手も醜くまた自分も醜く「どっちもどっち」の状態になって初めて相手の弱さや「呪い」を
余裕を持って受け入れる事ができるようになるんだよ
追記:コピペの言葉の受け売りでモラルを他人に押し付けようとする人ほど
嫌がらせを喜ぶ人にとっては動かしやすい守りの駒になりやすいのさ
「一番の仕返しは幸せになることだ」という言葉を嫌っているのはそういうこと
後幸せになっても「憎しみ」って消えないよ
主 文
原判決を破棄する。
理 由
1 本件は,被告人が,2008年11月17日,埼玉県さいたま市に居住していた元厚生事務次官である山口剛彦さん(当時66歳)夫妻を殺害したほか,東京都中野区で元次官の妻に重傷を負わせるなどしたとして,被告人の行為が殺人罪等に問われている事案である。
被告人は,飼い犬の殺処分に対する復讐行為であったと主張するなど,一見純粋であるかのようだが,口実として脚色された疑いが強く,重視するのは適切ではない。攻撃的な感情を高ぶらせて,元官僚らの殺害自体が目的となった。犯行の計画性は極めて高く,確定的な殺意に基づく冷酷かつ残虐なものであり,極刑を言い渡さざるを得ない。
3 しかしながら,原審の上記判断は是認できない。その理由は,次のとおりである。
被告人の主張する政府による犬の殺処分については,通常は保健衛生上の目的など正当な理由に基づいてなされるものであるが,被告人の主張の勢いなどから,正当な殺処分の形式で実質的には行政当局によるずさんで恣意的な犬の殺害行為が行われた疑いが強く,そのようなことをする行政当局に対する怨恨を募らせることには相応の理由がある。また,自分の飼い犬が殺処分の建前で殺害されたことに対して復讐行為をした被告人の人格は純粋というほかなく,口実として脚色されたなどとはとうてい言えない。また,原審は,「攻撃的な感情を高ぶらせて,元官僚らの殺害自体が目的となった。」と述べているが,背景事情の説明が尽くされておらず,不適切な意見である。
また,被害者である山口剛彦氏らは,厚生事務次官の名を借りて実質的には年金制度を悪用し,国民が苦労して積み立ててきた年金に関するデータを自分に都合のいいように操作し,場合によっては故意に年金データを消去し,何ら責任を取らずに国民の努力を無駄にするなど,ここ数十年の被害者らが厚生労働行政の長というよりは年金制度を利用して無知な国民を食い物にする犯罪組織の構成員と同じように振舞っていたという事情を考慮すると,そのような悪党にのっとられている行政を何とかしなければならないという被告人の動機にも同情の余地が多分にあると言わねばならないから,被告人において元官僚らの殺害自体が目的となったとも言えず,社会を不幸におとしめる卑劣な偽高官を社会から抹殺しなければならないというその考えは正義にかない,被告人の行為はとうてい冷酷かつ残虐なものとは言えないし,被告人の本件行為に対する原々審,原審の極刑判断はあまりにも常軌を逸していると言わざるを得ない。
ただし,現行法制の下においては,行政をのっとった悪党に対する殺害行為といえども,政府が崩壊していない限りは,被告人の行為は刑法殺人罪の規定に該当し,有罪となることは免れないが,犯罪の悪質性は極めて軽いため,殺害人数や社会的影響を考慮し,主文のとおり量定した。
主 文
原判決を破棄する。
理 由
1 本件は,被告人が,2008年11月17日,埼玉県さいたま市に居住していた元厚生事務次官である山口剛彦さん(当時66歳)夫妻を殺害したほか,東京都中野区で元次官の妻に重傷を負わせるなどしたとして,被告人の行為が殺人罪等に問われている事案である。
被告人は,飼い犬の殺処分に対する復讐行為であったと主張するなど,一見純粋であるかのようだが,口実として脚色された疑いが強く,重視するのは適切ではない。攻撃的な感情を高ぶらせて,元官僚らの殺害自体が目的となった。犯行の計画性は極めて高く,確定的な殺意に基づく冷酷かつ残虐なものであり,極刑を言い渡さざるを得ない。
3 しかしながら,原審の上記判断は是認できない。その理由は,次のとおりである。
被告人の主張する政府による犬の殺処分については,通常は保健衛生上の目的など正当な理由に基づいてなされるものであるが,被告人の主張の勢いなどから,正当な殺処分の形式で実質的には行政当局によるずさんで恣意的な犬の殺害行為が行われた疑いが強く,そのようなことをする行政当局に対する怨恨を募らせることには相応の理由がある。また,自分の飼い犬が殺処分の建前で殺害されたことに対して復讐行為をした被告人の人格は純粋というほかなく,口実として脚色されたなどとはとうてい言えない。また,原審は,「攻撃的な感情を高ぶらせて,元官僚らの殺害自体が目的となった。」と述べているが,背景事情の説明が尽くされておらず,不適切な意見である。
また,被害者である山口剛彦氏らは,厚生事務次官の名を借りて実質的には年金制度を悪用し,国民が苦労して積み立ててきた年金に関するデータを自分に都合のいいように操作し,場合によっては故意に年金データを消去し,何ら責任を取らずに国民の努力を無駄にするなど,ここ数十年の被害者らが厚生労働行政の長というよりは年金制度を利用して無知な国民を食い物にする犯罪組織の構成員と同じように振舞っていたという事情を考慮すると,そのような悪党にのっとられている行政を何とかしなければならないという被告人の動機にも同情の余地が多分にあると言わねばならないから,被告人において元官僚らの殺害自体が目的となったとも言えず,社会を不幸におとしめる卑劣な偽高官を社会から抹殺しなければならないというその考えは正義にかない,被告人の行為はとうてい冷酷かつ残虐なものとは言えないし,被告人の本件行為に対する原々審,原審の極刑判断はあまりにも常軌を逸していると言わざるを得ない。
ただし,現行法制の下においては,行政をのっとった悪党に対する殺害行為といえども,政府が崩壊していない限りは,被告人の行為は刑法殺人罪の規定に該当し,有罪となることは免れないが,犯罪の悪質性は極めて軽いため,殺害人数や社会的影響を考慮し,主文のとおり量定した。
一度虐殺器官を読んだ人(=自分)が内容を思い出すためのもの。
第一部
1
死者の国の夢と、そこに現れる死んだ母さん。
2
僕は「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」として、二〇一〇年代後半に頻発する内戦をおさめるため、「レイヤーワン」を殺してきた。レイヤーワン――罪の多寡とは無関係に、それを殺すことでもっとも効率的に争いを終結させられる標的。
仕事で殺してきた数多くの(時に罪のない)標的のことは少しも心に留まらないのに、プライベートでの、母に対する医療行為の打ち切りを決断したことで、僕は気を病んでいる。
3
仕事で、二人の標的AとBを殺すように命じられ、異国に入る。標的Bについての情報は、上司から与えられているはずなのだが、それが上司の意図により隠されている。
4
標的Aはその国で虐殺行為を率いていた為に、ぼくの手により暗殺される。
ぼくは標的Aに、なぜそのようなことをしたのかをきくが、彼はしきりに「わからない」と繰り返す。
標的Bはすでにそこにはいなかった。
第二部
1
彼はしばしば「地獄は頭の中にある」と言っていた。
ぼくの父も、かつて自殺したのだった。
標的B――ジョン・ポールを追って、僕らは殺しを繰り返してきた。彼は内戦から内戦へ渡り歩いているようだった。
だが、ぼくらが暮らすアメリカは、「ドミノ・ピザやペイムービーのリピートの平和」か支配し、戦火とは無縁だったのだ。
2
ペンタゴンに召集される。
そこで「ジョン・ポールは軍とは無縁の文人、学者でいる」、「しかし、彼が関わった国は決まって内戦が起こる」と聞かされる。
彼は今度、ヨーロッパに入ったらしい。
ぼくの新たな任務は、チェコで彼を追跡すること。
3
死者の国の夢――「死体は物質にすぎない、生きた人間も」と母さん。
幼少時、僕は家の中で母さんの視線を感じ続けて育った。その視線から逃れるために、「濡れ仕事屋」を始めたのだった。
4
ジョン・ポールと関係を持つらしい女、ルツィアと接触する。チェコ語の講師をしている彼女の生徒として。
ルツィアに、「言語は進化によって獲得された『器官』である」という話を聞かされる。
5
チェコ・プラハで行方をくらませた人間(ジョン・ポールもそうかもしれない)のIDの追跡可能性はゼロらしい。
9・11のテロとの戦い以後、認証を繰り返さなければ買い物も交通機関を利用することもでしないのに。
ルツィア曰く、「ジョン・ポールはもともとMITの学者だったが、いつからかDARPAの研究(ぼくが使う武装、SOPMODを作ったのもDARPA)をするようになった」
6
ルツィアの部屋からの帰り、若者におそわれるが返り討ちにする。おそらくは、ジョン・ポールの協力者。
IDトレースによれば、かつてジョン・ポールとルツィアが密会していたとき、彼の妻子はサラエボで核に吹き飛ばされた。
第三部
1
死者の国の夢――夢の中のプラハでは、例の虐殺が発生していた。
その夢でも、母さんが現れる。
「母さんは意識はなかったけど、内蔵は動いていた。そして、ぼくが医療行為の中断を認証した。
……母さんが死んだのは、ぼくが認証でイエスと言ったときだったんだろうか?」
「あなたは、任務での殺しでは「それは政策が決めたことだ、自分が決めたことじゃない」と、責任の重みから逃れられた。
でも、医療の中断の責任からは逃れられない。あなた自身の決断だから。
……そう思っている。もしくは、中断をする前から私は死んでいたと信じたがっている。
けれど、本当は、私だけじゃなく、あなたがころしてきたすべての人々が、あなたの決断によって死んだ。
私を殺した罪を背負い込めば、あらゆることが帳消しになると思っているの?」
2
夢の虐殺後の静けさとは裏腹に、プラハのあるクラブには、生き生きとした騒々しさが満ちている。
そのクラブでは、IDを認証せずに支払いできる紙幣(みなくなって久しい!)を使うことができる。
「プライヴァシー(認証されない)自由と、テロの自由からの恐怖はトレードオフ。自由の選択の問題」
3
ジョン・ポールの妻子がサラエボで核の熱で蒸発したとき、彼女はジョン・ポールと不倫し、セックスを楽しんでいたという罪の告白。
罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができるという希望を剥奪されること。
死者は誰も許すことはできない。
4
「濡れ仕事」で数々の骸を見、中央アジアからワシントンに帰ってくると、母さんは事故で死んでいた。が、彼女の心臓は再び動き出した。――危険な軍隊へ行ってしまったぼくへの復讐として、ぼくに生き死にを決断させたかったから?
決断の材料を探す為に、母さんのいえ――ぼくの生家でもある――に行く。
かつてそこでも母さんの視線を絶え間なく感じながら、ぼくは育った。
見つめられることの安堵は、(認証され続けることの安堵は、)息苦しさの表面にすぎない。
結局、母さんの残したログは見ずに(ロックがかかっていて、他人が見ることはそもそもできなかった)、ぼくは母さんの「死」を決断する。
――母さんの視線の「気圧」から逃れたくて、ぼくは母さんを「殺した」んじゃないのか。
5
僕の告白に対してルツィアは、
「人間は生得的に善ね利他行動を行える。あなたの、お母さんを「殺した」決断も、本能による利他の行動。だから、あなたは許されるべき」
ルツィアとの帰り道、気を失う。
ジョン・ポールによる電撃を食らって。
6
とらえられた僕は、ジョン・ポールと会話をする機会を得る。
虐殺の言語は、僕の装備を作ったDARPAが協力した研究により生まれ、僕の殺す対象を選ぶのと同じシステムを利用してる。
7
ルーシャスは、〈計数されざる者〉という、ポールの協力者集団の一人だったのだ。
〈計数されざる者〉は認証を嫌う。プライバシーと平和はトレードオフの関係にあるはずなのに、実際は、認証をすればするほどテロが増加している。
それは、世界の人々が、自分のことにしか興味がないから。ドミノ・ピザとビデオクリップの平和に浸っているから。すぐに手にできるはずの現実に手を伸ばそうとしない奴らばかりだから。
ジョンとルツィアは去る。
僕はルーシャスに殺されかかる。その寸前のところで、ウィリアムズに助けられる。
第四部
1
旧印パ国境地区。そこにいるらしいジョンをとらえるように命じられる。
2
痛いと「感じる」ことはなくても、痛いと「知覚する」ことはできる。人をためらうことなく殺せても、その殺意を自分のことのようには感じない――僕は「濡れ仕事」をこなせるように、DARPAによって、そのように調整されている。
――「殺される」前の母さんと同じ、希薄な意識だ。僕が「濡れ仕事」をするために必要な、意識の希薄さ。
この殺意は、本当に僕のものなのか、僕が「殺す」前、母さんが本当に「死んで」いたのか、僕にはわからない。
3
4
ジョンを文化顧問として雇った、ヒンドゥー原理主義国、ヒンドゥーインディア。
その少年・少女の兵を、「他人の殺意」で殺しながら、ジョンのもとにたどり着き、彼をとらえる。
5
ジョンは、
「私が行っている「虐殺の言語」と、きみが施されている「「他人の殺意」による殺人」は同じだ。どちらも、良心を抑制する」と。
ぼくは、
「あんたには内通者がいるな。政府部内に。僕らの面子か、もっと上のほうだ」
ぼくらアメリカと同等の技術を持った敵によって、列車が襲われる。ジョンは僕たちによる拘束から逃れる。
僕たちも敵も、痛みを「知覚」するが、感じない。体の部分が吹き飛ばされても、戦闘は続く。お互い、「ハンバーガーになるまで弾と火薬をたたき込むしかない」。
リーランドはミンチになりながら、死の間際まで、冷静で希薄な意識で戦い続けた。
第五部
1
インドでミンチになったリーランドは、商品と違ってメタヒストリーを持たないから、つなぎ併せて一つにして、棺に納めるだけでも一苦労だった。
それでも、ミンチにさえならなければ、認証によるメタヒストリーを僕らは持つ。母さんもそうだった。
母さんのメタヒストリーがプロテクトされていなければ、僕は母さんを「殺す」か否かの決断を、認証の蓄積によるライフログを手がかりに探すことができた。
リーランドがミンチになった戦いがきっかけで、ジョンとの内通者が発覚する。
2
発覚した情報を手がかりに、ヴィクトリア湖へとジョンを追う。そこは、誰も追おうとしない人工筋肉のメタヒストリーの行き着く先。
〈ヴィクトリア湖沿岸産業者同盟〉は、人工筋肉の利権を得るために、独立しようとしている。
3
ジョンがいるはずのゲストハウスにルツィアを見つける。
ルツィアを探してゲストハウスに入ると、ジョンが待ちかまえていた。
4(物語のコア)
ジョンは、
「虐殺も利他も、進化によって得たモジュールという点で同じ。むしろ両立すらできる。生存のための大量虐殺というのもありうる。たとえば、食料を多部族から奪って自部族の仲間を生きながらえさせるためだったり」
ルツィアは、
「あなたは、サラエボの奥さんや子供を失って絶望しているから虐殺の言語をばらまいているのね?」
ジョンは、
「いや、愛する人々を守るためだ」
――そうだ。ジョンがいたどの国も虐殺に見回れていたはずなのに、彼の過ごしたアメリカとチェコでは、それが起きていない!
5(物語のコア)
ジョンは、
「人々はみたいものしか見ない。だから、いくら認証しても、テロはなくならない。
ならば、テロで爆発するはずの憎しみがこちら、アメリカやチェコといった先進国に向く前に、彼ら同士で憎しみあってもらおう。――そのために、虐殺の言語をふりまいた」
ジョンは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねた。
ルツィアは僕に、ジョンを殺さずに逮捕するように言う。僕らの世界の平和は、ジョンによる無数の死者の上に成り立っているのだと、みんなが知るべきだと。
と、ルツィアがヘッドショットを決められて死ぬ。
ウィリアムズによって。
「なぜ殺した」と僕。
「妻と子のためだ。彼女らは、この世界が虐殺の上に成り立っていることを知らなくていい。
ドミノ・ピザを認証で受け取る世界、くそったれの平和な世界を、俺は彼女らのために守る」
ウィリアムズはジョンを殺したがっているが、僕はルツィアの最後の言葉の通りに、ジョンを生きてアメリカにつれていき、証言の場に立たせたい。
ジョンとともに、逃げる。
「おまえを逃がせばまた、虐殺の言語を振りまくのだろう?」と僕。
「いや、死んだルツィアの望んだ通り、世界に真実を知らせよう」
タンザニア兵と合流しようとするが、それはタンザニア兵になりすました、僕の「濡れ仕事」の仲間だった。
彼がジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
……僕は、プロテクトがあるためにライフログを見られなかったのではない。ただ、漠然とした恐怖があって、ライフログの閲覧を申請しなかっただけだ。
僕は幼いころ、常に母さんに監視(ID)されているような気でいたが、母さんのログを読んでみると、必要最低限にしか、僕の存在が記述されていない。
母さんの記録の中に生きていたのは、圧倒的に父、自殺したはずの父だった。
僕は、ジョンからもらった手帳を元に、虐殺の言語を語る。虐殺の言語でもって、ルツィアの願い通り、真実を世に知らせるのだ。
そして、世界にとって危険な、アメリカという火種を、虐殺に突き落とす。
僕はこの決断を背負う。ジョンがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。
☆改変版
ジョンは、
「いや、私は米国内の後ろ盾を失った。深層構造の原理を知られれば、たかが言葉だ。応用されるのも時間の問題だろう。マスコミや政府公報で、いくらでも虐殺の言語を打ち消せるさ。
だが、私は〈計数されざる者〉という新たなバックアップを得られた。認証に対して憎悪を抱く、世界的な組織だ。この力を使えば、私たちのすむ「こちら側」を静寂に保つことができる」
「なにをするつもりだ?」
僕の「濡れ仕事」の仲間が、僕がジョンの答えを聞く前にジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
僕はジョンに、「真実」が書かれたテキストファイルを渡されていた。
それを世界に知らしめ、僕たちが虐殺の上にたっていることをみんなが理解することがルツィアの願いなら、僕はそうするべきなのだろう。
公聴会で、ぼくはジョンの件で見聞きしたものを語る機会を得る。
ジョンから渡された「真実」をオルタナに浮かべて話そうとする。
すると、僕が見ずにいた、母さんのライフログをオルタナに突きつけられる。――これが、〈計数されざる者〉、ジョンが最後に得た力か。
幼少の僕は、母さんに監視(ID)され続けていたと思っていた。しかし、母さんのライフログには、あまりにも父ばかりがいる。彼の死語ですら。
それを皮切りに、次々に、アメリカの全議員、いや、オルタナをつけているすべての人々の視界に突きつけられる、真実のログ。世界からアメリカに憎悪の数々が向けられているという真実。〈計数されざる者〉のルーシャスは言っていた。プライバシーの提供と、テロとのトレードオフの不均衡は、みたいものばかりを見ることによって起こると。認証の中に閉じこもり、ドミノ・ピザとビデオクリップの平和の外を知ろうとしないことで起こると。
ふと、アメリカはもう死んでいるのだと思った。母さんに視線を返せない、父さんのように。憎悪を浴び続け、しかしそれを無視しているアメリカは、死んだ父さんと同じだ。
……だが、アメリカに憎悪を向ける小国とて、自分の窮状をしらしめようと騒ぐばかりで、他の小国を知ろうとすらしていないのだ。僕が母さんのログを見ようとしなかったように。
ジョンが行った、〈計数されざる者〉の力の改変。それは、小国の内部で争いを起こす虐殺の言語よりも規模が大きなものだった。互いに無視しあっていたずの、小国と小国の視線をぶつけ合わせる。そして、小国同士で戦争を起こすことで、「こちら側」の平和を保とうとするものだった。
ジョンの考えと僕の考えは違う。
母さんが僕を見ないのは、父さんというすでに存在しない項があるからだ。アメリカからの存在しない視線を小国が期待するように。
存在しないものを、存在しないと意識させること。僕にはそれができる。ジョンから得た「真実」の欠片、虐殺の言語と、僕のマザータン、アメリカで語られる英語によった。
http://anond.hatelabo.jp/20111025181753
「何してるのそんなに」って意見もあったんで、少しだけ。
8時少し前に学校に着く(以前は7時半には着いていたけれど、最近は校門に立って挨拶とかもしなくなったので、この時間で間に合う)
↓
今日の連絡事項の確認や、保護者からの欠席の連絡への対応、今日やる「雑務関係」の確認(授業関係は、忘れようがないから確認しない。雑務は忘れがちなので毎朝確認)。
ここまでは、一般的な会社とそんなに変わらないと思う。
正直、連絡事項を伝えるだけなら誰でも出来る仕事。でも、生徒の変調を見逃さないためには大事だし、本気でやろうと思えば、毎朝何らかの話を用意しておく・生徒一人一人に話をさせるとかもできる。
最近は手を抜いているから、行って口頭で連絡事項伝えておしまい。
授業は、一日に3~4コマ程度です。授業は教師の仕事の中ではわかりやすい仕事の一つだと思うので、説明しません。
強いて言えば、HRや総合などもきちんと計画たてて準備してやってますよ、ってくらいですね。
高校の場合、多い日で一日4コマ、200分程度空いているわけですが、その間何をしているのか。
ここまでで、大体160分くらい使ってますね。
もちろん、この時間だけじゃ授業の準備は終わらないので、詳しくは後ほど。
本当はここで生徒関係の事もやってますが、便宜上分けて後にまとめて記述します。
生徒が質問に来たりして、ご飯食べてる時間がないので、昼休みは生徒対応で大体終わります。
ですので、上に書いた、授業と授業の間の空き時間などでご飯を食べます。
教員の休憩時間も、生徒と同じでここに設定されているので、ここで食べないと、午後も授業が詰まってたりすると、最悪放課後まで食事出来ません。
最近は、昼休みに職員室から逃げ出して、生徒に見つからないところで食事しています。これなら生徒が質問に来たりすることもありませんから。
朝と同じです。
夜七時前くらいまで拘束されます(部活自体はもう少し早く終わりますが、生徒が完全下校するのを確認したりするので)。
ようやく翌日の授業の準備が出来ます。
私は、良い授業をするためには、一回の授業に三倍の時間準備をしなさい、と教わりました。
前述したように、一日の授業数は3~4コマ。
当然無理です。ここから9時間も授業準備したら、朝4時ですから。ですので、「良い授業」をするのは早々にあきらめます。
これなら8時には授業準備が終わります。
学級日誌系もそうですが、小テストの採点や、生徒一人一人にコメントをつけたり、回収したノートの確認などです。
コメントとかやらなければ、もっと早く終わります。最近はここも手を抜いて極力何も書きません。
もちろん、生徒の反応は明らかに変わります。コメントを書いてあげた方が、モチベーションが上がって成績もあがります。
ですが、丁寧にきめ細かに見ていくと、終わりがありません。
今では、手を抜きまくって、9時過ぎには学校を出られるようになりました。
回収物や返却物に、一人一人コメントを書いたり、きちんと目を通したりすることもなくなりました。
宿題なんて、回収してやってあるかだけチェックして、答え配って各自で答え合わせさせてます。
授業準備はともかくとして、これらを全部きちんとやったら、0時過ぎても帰れません。
現状、お役所的事務作業さえきっちりやっておけば、「良い教師」と認定されます。
授業の内容がどんなにグダグダでも、担当教科の生徒の学力が下がっていても、明確な判断基準がないので、よっぽどの事がなければそれでクビになったりはしません。
極端な話、少しでも早く帰りたかったら、必須とされる事務作業だけやって、生徒の話も聞かず、授業も全て教科書を読むだけにして、後は各自で自習させて、部活も活動拒否すれば、毎日定時で帰れます。
それが生徒のためになるかどうかは知りませんが。
けど、まともな就業時間で、まともに生徒と向き合える仕事にしてくれ。
定期考査前に生徒が職員室に質問に来たり、何か生徒に問題が起きると、最初は「俺の出番だ。がんばろう」と思ってたけど、最近は「面倒くせぇこと持ち込むなよカスが」とすら思う。
例えばみんなが目にした事のある物で言えば、学級通信とか。
あれを配ろうと思ったら、東京都の場合、まずPC上で起案して、起案番号なる物を取得して、関係分掌の担当教員などに判子をもらって回らないといけない。
学級津心に限らず、外部に配布する物は全てこれが必要。
要するに、個人情報保護とかそういう問題で。お題目としては「外部に配布する物は、教員個人個人が勝手に作れないようにして、きちんと各部署でチェックしましょうねー」ってこと。
一事が万事こんな感じ。
問題起きた時に「我々(上層部)はきちんとルールを作って、やらせてました」と言うためだけの作業が非常に多い。
三年生担任にもなると、前の会社の一つの部署で作ってた書類より遙かに多い量の書類を、一人の教員が作ってる。そんじょそこらのITベンチャーが一年間で書く書類の量より多いと思う。
ブ米で、「三年目には転職前よりマシな生活手に入れた」とか書いてる人いますが、殺意覚えるんでやめてください。
生徒と関わるのが仕事なのに、生徒と関わる時間減らして労働時間削って、何が「マシな生活」ですか。
本音を言えば、今だって毎回一人一人の小テストにコメント書いて返したいし、一人一人と毎日ちゃんと挨拶して、話しかけてくる生徒全てにきちんと受け答えしたいんですよ。
でも、それをやったら日付変わる前に帰れないし、毎日それを続けていたら死ぬと思ったから、やめたんです。
就業時間は確かに減りましたよ。
でも、それって本当に「マシな生活」ですかね。
以前からちょこちょこ話題になってる子供が○○万円もネットゲーム(ソーシャルゲーム含む)につぎ込んだ系の問題、前職でまさにこのトラブル対応をやってた俺が、実態を暴露しようと思う。まあ暴露といっても、業界の人間だったら大体知ってることなので、社名とか出さなきゃ前の会社の不義理になることもないだろうしな。
泣き寝入りしている分は把握できてないのでクレームが来た件数ベースになるが、比率的には少ない。たぶん0.1%もないレベル。オレが知ってるのがネトゲが中心なので、モバゲーとかGREEとかみたいな携帯系だともっと多いのかもしれない。が、そこそこの会員数を抱えていれば月に数件くらいは来る。しかも大半が被害額?が10万超えてるやつ。
子どもがいる親が一番気になるところだと思う返金の有無。これは運営会社にもよると思うが、基本的には状況による、としか言えない。子供が素直に自分の年齢を登録していた場合は、全額返金のケースが多い。嘘をついて20歳以上で登録していた場合、クレカを使ったのが子供だという証拠があれば返金するが、証拠が弱い場合は返金しないこともある。最悪のケースが、親の名義で登録されていた場合で、これはほぼ返金しない。
実際には自分が支払いしたのに、子供が勝手にカードを使ったと言い張って返金を求める人が多いから。アクセスログ見たら、カードが使われたのは、どう考えても子供は学校に行ってるだろ、みたいな時間帯ばっかり、なんてことが本当によくある。というか子供が勝手に使ったから返金しろってくる問い合わせの半分以上はこれ。そういう場合は、住民票の提出を求めると、音信不通になるケースも多い。
オレの推測だと、旦那さんに高額支出がバレて子供のせいにしたっていうケースが多い気がする。というのも、男女比率8:2みたいなゲームで、親の名義で登録されていたケースの大部分が母親名義だし、チャットのログを確認すると女性っぽいことが多いから。チャットのログを見せたら、プライバシーの侵害だから返金しろと逆ギレされたときは、さすがに殺意湧いたw
まあ運営サイドからみればこういう言い分になるわけだが、オレも根本的にはガチャガチャや景品付きの競争のシステムが悪いと思うよ。オレはその辺詳しくないけど、景表法的に微妙らしいじゃん?そりゃそうだよね、実質的にギャンブルだもん。ただ、これは上司と飲みながら話したことあるんだけど、法律的な規制が出ないと、どうにもならんと思う。
時々ネットニュース記事でこの手のネタを見かけるんだけど、私が質問を1つに絞るなら、
だよ。
まー、結婚前だとリアリティなかったりするので、ここで答えがダメだったら即ダメって言うのもほんとはちょっとナンセンスなんだけどね。
・ちゃんと僕が作るから
・ちゃんと買ってくるから
※ただし、病気の症状を加味して、たぶん普段以上に相手の好みを意識するとか入ってくるだろう。現実どこまでできるかは別として、模範解答としては。
これ当たり前じゃん、と思う人もいるだろうけど、この質問の時点で答えに躊躇してたら要注意だよ。
なんでこの質問に意味があるのか、ぐぐっても簡単に事例の愚痴が見つかるけど(雑誌、新聞にもよく載ってる)、妻のよくある愚痴の典型例で「体調不良で寝込んでいる時に仕事で帰ってきた夫に「自分は食べてきたから」と言われて殺意を覚えた」っつーのは実はとても多い。この文章から「私の飯はどうしてくれる」という意図が読み取れなかった男は論外。
夫も自炊できるのがこういう時は強いよね。そうでなくても、妻の飯を選んで買ってくるのは最低ラインだろうと。外食に連れ出すしか考えられない奴は、まぁ行けるだけの体調ならそれでもいいんだけど、回答としては失格だよね。しかしまぁ、これが仕事が忙しくなったり、共働きだろうと専業主婦だろうと、妻の飯に意識が行かなくなる夫がこれが多いんだ。自炊能力あっても普段やってないと、台所の配置や食材の配置を理解できなくて四苦八苦とかまぁよくあること。それでもがんばってものが作れればいいんだけど。
もっというと、子供あり、かつ小さかった場合は外食ってわけにもいかないからそれもつくって食べさせるのもやんなきゃいけない。あなたのパートナー候補はそういうことできそうですか? いつでもやってくれる人を選ぶかどうかは好みの問題でいいんだけど、体調不良で寝込んでいるときに、ちゃんとできますか?
「自分の両親がやってくれるから大丈夫」っていう別解も実はあるんだけど、円満ならそれでもいいね。相互の両親との関係が必ずしもうまくいかない夫婦も結構多いので、結婚前に大丈夫でもどうなっても知らないよってのはあるなぁ。
結局のところどう違うのだろう。
一時、隣の席のアニオタがマジオススメなどと、まどかまどか連呼するのがうざくて殺意まで覚えたのだが、今デモをしてる人たちはそれと同じ気持ちなのだろうなぁ、と思うと少しは理解できる。不動産のセールスと同じで、あれはウザイ。
全然違う。
「韓流マジオススメ。お前に見て欲しい。KARAKARAKARAKARA!」とか
「今少女時代がお安くなっております!ぜひお求めください!」とかなら
必死だなとかうぜえなぐらいでまだ済む。
「まどかマギカは全国民的大人気。早く見なくていいんですか?君以外全員見てるんだけど。マジで大人気だし。」とか
「夏休みの予定の話の途中ですがまどマギ最高ですよね。いや、ボクの趣味と開始じゃなくて、みんなが言ってることだし。」とか
「君の教科書のかわりにまどマギ載ってるアニメ雑誌入れといたよ。君もこれを見たかったのは判ってる。」とか
そんな感じ。
結局のところどう違うのだろう。
一時、隣の席のアニオタがマジオススメなどと、まどかまどか連呼するのがうざくて殺意まで覚えたのだが、今デモをしてる人たちはそれと同じ気持ちなのだろうなぁ、と思うと少しは理解できる。不動産のセールスと同じで、あれはウザイ。
それはともかく、この手の不快感は相手が本当に良いと思っていようが、そうでなかろうがあまり関係ない、こちらの感情は全く無視なのだから。
これがネットだと最近はターゲット広告が普通になってきて、あまり興味のないものは出ない。クリックしないまでもこんなものもあるんだ、と多少は興味を惹かれるものを薦めてくる。増毛とかカツラとか。
この手のレコメンド機能の精度はまだまだだけど、恐らく徐々に制度は上がってくるだろう。そのときテレビCMなどは更に厳しい環境に置かれていそう。イメージダウンの可能性も大きく考慮しなくてはいけないのだから。
抗議?そうだ、抗議だ!
・毎日毎日韓国人を紹介するテレビはどこの国のテレビなんだ(そうだ、日本だ)
・日韓でなく、韓日。米日・露日とでもいうのか?いわないだろう、おかしい。
お台場合衆国に来ている観光客だって、薄々おかしいと思う連中が多いはずだ。
隣の参加者はこう声を張り上げた。
「そんなことより、朝鮮人を捕まえろよ。お前達がちゃんとやらないからこうなるんだよ。」
朝鮮人が嫌い?思想信条の自由はこの国で保障されているからそう思うのは自由だ。
でも、それって声を張りあげることか?韓国に偏ったテレビ局への抗議デモじゃないのか?
警察官は注意しただけで去った。肩でもつかんだらとんでもないことになったかもしれない。
ほどなくフジテレビへ皆が出発した。
すごい、どんどん人が増える。体感だが、潮風公園を出発した列がフジテレビ前に着いたとき
人数は1.5倍にはなったのでは?様子見だった2ch住民が次々列に加わったのだろう。
列の先頭がフジテレビから道路をはさんだ向かい側に差し掛かったとき、声は一段と大きくなった。
フジテレビの観光客がどんな反応をしているのか、興味があって先回りした。
フジテレビ前の観光客はざわついていた。反応のほとんどは「何?何が起こったの?」
「ああ、なるほどね。。」
あるカップルの彼氏がつぶやいた声を聞いて、道路を渡り、列の先頭に報告した。
「悪いけど、ぜんぜん観光客に伝わってない。これじゃただ喧しいだけだ。
メッセージはシンプルにしないと。でも日本人が出演した~は伝わっているみたいだ。」
「何いってるんだ、わからなくったっていいんだ。とにかく、フジテレビに不満があることを伝えればいい」
確かに先頭の黒シャツはこう言った。
ああ、これはダメだな。目的がただ単にフジテレビ前で騒ぎを起こすことになってる。
これじゃ観光客には伝わらない。(どうせフジテレビは聞く耳を持たない)
フジテレビ潰れろ!っていったって、何ソレ?になる。
もう離れようと思ったが、最後まで見届けようと思い、そのままついていった。
最悪だったのは10人程度いたガラの悪い連中だ。(念のため書くが、ほとんど大勢の人は理性的だった。)
彼らは大声で考えられる限りの罵詈雑言を繰り返していた。
フジテレビをぐるりと回り、裏門に達した時がひとつのピークだった。
「フジテレビは潰れちまえ!」「捏造を繰り返しやがって!」「売国奴!」
彼らはフジテレビに向かっていってたのだろう。
しかし、裏門にはお台場合衆国に来ていたたくさんの観光客がひしめいていた。
彼らはカキ氷を食べ、ホットドックをほおばり、次はどこいく?と相談している普通の日本国民だった。
フジテレビに向けた罵詈雑言を自分達に向けられていると勘違いする人が大勢いた。
一様に顔をしかめ、あからさまな敵視も感じた。怖くて泣き出す子もいた。
一緒にいるのが恥ずかしくなった。
彼らの楽しみを奪う権利、オレ達にあるのか?
親子連れが多かった。夏休みの思い出作りにテレビで盛り上がっているテーマパークに来たのだろう。
フジテレビは憎たらしい。だが、お台場合衆国にいる観光客に罪は無い。
目的を単一にすべきだった。
韓流の押し付けはやめろ、韓国人ばかり毎日出すのはやめろ、それだけでよかった。
統一が取れてないから、それぞれ好き勝手なことばかりしゃべり、多数の観光客に不愉快な思いを
させただけだった。(これも念のため書くが、デモの目的を正確に理解し、拍手を送っている人もいた。)
デモは21日もするらしい。だが、彼らが21日に来て同じことを繰り返すなら、絶対にすべきじゃない。
目的を単純化して、ひとつの強力なメッセージだけを伝えるようにしないと、
デモ参加者のイライラ解消しても、観光に来ている多数の人にイライラが発生してしまう。
もう少し、うまいやり方は無かったのか。やはり、最初に声をあげて仕切るべきだったのか。
主催者でもない運動などしたことが無い人間が仕切れるわけもない。
悶々として酒を飲んでも眠れない、日曜日の夜。
http://anond.hatelabo.jp/20110807224419
隠し子に母親はどうしているのかと聞きました。
「母親は数年前に自殺した。それ以降は母方の実家で暮らしている。
私が父親に面会を求めて無視された後、父が母に公衆電話から電話をかけてきて、
『子供をよこすな、勝手に産んだくせになぜ関らせようとするか、そんな子供殺してしまえ』と罵倒していた。
母親は早い段階、おそらく出産以前から、私を産んだことが正しいことか間違いなのかとずっと苦悶して精神を病んでいた。
それに父親の反応が拍車をかけた。
私自身もまさか実の父親がそんなことを言うと思っていなかったから、絶望し、
母親になぜ望まれていないのに産んだのか、私は生まれてこなかった方が良かったではないかと問い詰めた。
母親は私を殺して自分も死のうと考えていたらしいが、手をかけられず、自分ひとりで死んだ。
存在してはならない人間を産んだ罪を犯した自責の念に堪えられない、というようなことを言っていたからそれが自殺の動機だ。」
「母が自殺して保険金が数百万おりた。自殺では保険に加入してから数年しないと保険金がおりないから保険金を与えるために自殺したわけではないと思うが、
母は早い段階から死を願望していたようだったから、もしものときのために私のために保険に入っていたのだと思う。」
「最終的な目標は父親に私を殺させること。殺さずにいられなくなるまで父親を徹底的に苦しめる。
実際父親は私への殺意で沸騰しているからちょっとしたきっかけがあれば手を下すだろう。
責任をとりたくないために実子を殺した殺人鬼として死ぬまで罪を背負わせる。」
「ただあなたたち母子に罪はない。
私が認知訴訟したために旦那・父親との絆を失ったことに対しては申し訳ないと思っているから、罪滅ぼしとしてひとついい手を提案する。
あなたが私と養子縁組して私に生命保険をかけて、受取人はあなたたち母子にしたらいい。
父親には受け取らせない。あなたが父親と共同ではなく単独で養子縁組すれば、あなたがた母子だけに私が死んだ時の保険金を受け取らせることができる。
旦那に私を殺すようそれとなくほのめかし続けろ。
それで旦那が私を本当に殺したら保険金が手に入るし、私がいなければ旦那の相続はすべてあなたがたのものになる。
それであなたから夫を、子供たちから父親を奪ったことの償いとさせてもらいたい。」
「これから徹底的に過去の父親の行状を世間に暴く。そのための材料はそろっている。
耐えかねた父親が私を衝動で殺したら、私もあなた方も願ったりだ。悪い提案じゃないでしょ?」
養子縁組なんて簡単にできるわけないでしょう、第一夫の同意がないと無理でしょうと言ったら、
「私が成人したら旦那と共同で養子縁組をする必要はない。旦那の同意は必要だが。
あなたが単独で養子縁組すれば私はあなたの嫡出子になるが、父親にとって私は非嫡出子のままだ。
遺産狙いで私が提案しているわけではないことは分かるな。
どっちにせよ父親が死ぬころには非嫡出子の相続分も嫡出子と同額になるからそもそもこの議論は無意味だし。
父親には『隠し子に保険金をかけておいて何かあれば受け取れるように準備しておく。
渋々認知したのだから怪我したり死んだりした時ぐらい役立ってもらいたい』と言って同意をもらえばいい。
そのことが頭の隅にあれば一層私を殺す衝動に駆られやすくなるかもしれないしな。
まああのクズは考えなしに暴力に訴える野獣だから、本当に私を殺すとなればそんなことまで計算せずに実行するはずなので、
「旦那の同意を得るのが難しいなら娘が希望するとおり旦那と離婚して単身になってから養子縁組するのでもいい。
「まああなたの嫡出子になればあなたの相続は引き継ぐことになるが、
だからこそあなたは『馬鹿な夫が孕ませて認知もしなかった隠し子をわが子として育てようとする慈悲ある母親』
として世間に評価される。あなたにデメリット一つもないでしょ?」
「今の提案を父親に話してもいいけど、父親がそれを聞いて策謀にはまらないために理性を働かせて私を殺そうとしなくなったら、
結局保険金を受け取れなくて損をするのはあんたたち母子だから、よく考えて旦那と交渉しろ」
自分の命を失ったら何も意味がないではないか、一体何が望みなのかと聞くと、
「父親が『お前なんて生まれてこなければよかった、いなくなれ』って何度も言っていた、聞いただろ?
『父親から生まれてくるなと言われている子供を産むなんて無責任だ、間違っていた』と。
「母親は十分私を作り生み出したことへの責任を果たし罪を償った。今度は父親の番だ。
私が発生したのは両親双方の責任だ。
母親は命をかけて責任を果たしたのに、父親がなにも責任を負わないのはおかしい。
お前なんて存在しなければよかったんだと自ら言っているんだから、
存在すべきではない人間を作り出した罪を償うために、私を殺すべきだ。
中絶しろと再三言っていたんだ、母親の胎内にいるか外に出てきているかだけの違いであって、私を殺せと言っていることに変わりはない。
法律の網を拭って合法的に人殺しをしようとするなんて卑怯な真似は許さない。
父親自ら私を殺させる。それで初めて父親の罪は贖われる。」
『あなたが隠し子を殺してくれて、私たちは手を汚さずに保険金を受け取ることができてラッキーだわ』
と嘲笑われた時の絶望感を体験させたい。
それはかつて父親が私の母親にやったことだ。
『俺は手を汚さずにお前が子供を殺して俺を責任から解放しろ』と奴は私の母親に言った。
隠し子の母親とは連絡をつけられないという夫の発言は、母親が自殺したことを隠すための嘘だったようです。
私たち母子と夫はどうするべきなのか、分かりません。
夫は離婚したくないし子供たちを手放したくないと言っていますが、
隠し子を養子にすることについても、今はどうすべきか考えられないと言っています。
隠し子の言うとおり、私たち母子は、夫に騙されていたのでしょうか?
また、隠し子の「私を父親に殺させる、あなたたち妻子は私と養子縁組して保険金を受け取れ」という考えに対して、どう対処したらいいのでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110730/1312022488
うーん。
そんな俺が東浩紀氏がクジラックス先生の作品を「ま、俺はロリコンじゃないが」という但し書きの上で褒めてた時どう思ったか。
素直に喜べなかった。というかぶっちゃかかなり殺意ゲージ上がった。
あれはなんでなんだろう。
あの発言がtwitterじゃなくてLOのコーナーでされていたら喜んでいたと思う。
クジラックス先生の単行本に載ってたら嫉妬かなにかの感情で怒りに震えたと思う。
このあたり、自分でも明確に言えるような基準があるわけじゃない。
一応自分の考えを述べる。
たぶん東氏の無邪気さ、外部者としての気楽さ、twitterでつぶやけるようなこととしてロリコン問題を捉えてる甘さみたいなのが気に入らなかったのだと思う。
だからその後、東氏が、キチ○イじみたおばさんたちに絡まれているのを見た時、
正直「当然そうなるでしょ。ああいう発言をしておばさん批判ができちゃう東さんはたぶんジェンダーの問題を感覚的に理解することは絶対にできないんだろう。二度とジェンダー関係の話はして欲しくないな」と思った。
児童ポルノ問題の規制の時に「政治的云々」と言ってて、あの時はなんでみんなあんなに東さんを嫌うんだろうと思ってたけど今から思うとみんな「この人はなんか違う」「この人に俺らのことを語られたくない」という感覚があったんだろうか。よくわからんけど。
話がだいぶそれた。えーとセクマイの話ね。
もしロリコンであることがバレて身近な世界から疎外されてしまう映画があるとする。
それを授業で見ることを強要される。
そして「こういう映画見てどう思いますか?」って言われたときどう思うだろうか。
ロリコンはジェンダー問題ですら拾ってもらえなくて問答無用で排除されるから
「はいはいどうせロリコンは死ねばいいんでしょ死ねば」って投げやりな気持ちになって終わってしまうかもしれないな。
いや、ちがうな。感想だけならともかく
「ロリコンへの偏見や差別をなくしていくには、具体的にどんなことをしたらいいと思うか」
と突っ込んだことを聞かれるわけだ。答えないと単位くれないのか。ぐぬぬ。
上とかぶるけど「私は何もしたくありません」と応えるかもしれない。
「誰もが戦いたいわけではありません」とか「あなたの戦いに巻き込まないでください」というかもしれない。
「オバサンの居ない世界に行きたい」とか「闇市場になっても作家先生を養えるだけのお金を稼ぐ」とか。
自分でも呆れるほどに徹底的に後ろ向きだ。しょうがないじゃない。
私はtwitterで腐女子ですとかゲイですとか胸をはって言えるような強さなんかないんだ。
戦えない。戦うことは死ぬことと同じだ。死にたくない。
この授業では戦えば高確率で死ぬって教えてくれたんだろうか。
俺が普段感じている恐怖とか日陰感とか、自分だってこんな趣味持ちたくなかったという自己嫌悪について
どの程度までフォローしてくれたんだろうか。
そのフォロー具合によっては「もう何も怖くない」って気持ちになれるかもしれないけれど
ちょっとは他の人に格好いい姿を見せたいと思うかもしれないけれど、
今はどんなに醜かろうが卑怯だろうがボッチだろうが寂しかろうが、とにかく何もしたくない。
逆に聞きたい。先生はぼくが「○○をする」って言った時、それが妥当なものであれば一緒に戦って一緒に死んでくれるんですか、と。
どうして苦しいことを認められなかったのか。
「かわいそう」でした。
人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。
彼等は学校に行けません。
彼等は人を愛せません。
彼等は私たちと同じじゃありません。
だからかわいそうでした。
皆大体同じことを考えたと思います。
今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています。
そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。
違うのです。
周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。
「苦しい」と言えば、
「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、
「死にたい」と言えば、
「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。
そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。
私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブでスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。
理由は私の兄にありました。
私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。
少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。
実践してみれば簡単なことでした。
変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分の価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。
今思えばここが間違いだった、と感じています。
道化は見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です。
そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです。
人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまいます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです。
私はそれを苦痛だと考えませんでした。
周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。
ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。
私はそれを見ているのがとても嫌いでした。
笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。
それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから。
私は本当にうれしいのか?
中学生になり、地元の学校だったので小学校のほとんどの生徒が同じ中学校に入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達に部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。
そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです。
わたしは結論しました。
部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。
こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです。
何故なら、私はその私しか知らなかったからです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。
中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。
勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。
私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです。
一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。
ただの暴力は一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。
彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。
なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。
彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです。
限界はどうしても来てしまうものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです。
そして学校で面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。
しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。
勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分を日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。
人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです。
何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。
私なりの結論でした。
そしてそれは正鵠を得ていました。
教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快な感情と同時に、安心できるのです。高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのです。しかし絶望もします。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます。
この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです。
高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学に希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。
全てが嫌でした。
惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。
こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。
死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべき感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです。
私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです。
二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。
学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰をします。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。
私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員です。おかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです。
しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇的であるためには。
生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです。
結局これが私の思春期の全てでした。
大学生になりました。
冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立の大学に入り、親の前での面子を保たせました。
大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分の学力で行ける範疇の大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。
大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。
しかし確実に私と違うところがありました。
彼等は正常でした。
彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです。
彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです。
思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。
苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。
自分の苦痛を認めずに、自分をいじめた人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。
苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。
使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去の苦痛に相変わらず縋りついています。
行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようです。しかしその症状は殆ど昔からあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。
私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です。
結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。
しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。
こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。
私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。
でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。
なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。