はてなキーワード: 学問とは
そんな真面目に突っ込むなら
何の目的でトレーニングするのかすら設定せずに回数どうこう質問してる時点で
そんなやつ学生にすら見えないが…
大学院では研究というものを学んできたわけですが、それにより、ニュースで良く出る「○○を新発見した研究が発表され、論文誌に載った」といった話の裏がちょっと見えるようになりました。理系の話です。
大学の研究者は基本的に税金で研究費と給料をもらっているわけですが、実績を出す必要があります。実績というのは簡単には雑誌に掲載された論文数、学会での発表数などです。自分の立場を守ったり生活していくために、色々手を尽くすわけです。
論文を載せる雑誌には、有名なところだとサイエンスやネイチャーがありますが、そのほかにも数え切れないほどの雑誌があります。論文を雑誌に投稿するときには査定があり、査定者からここを直せだとかここ間違ってるんじゃないとか言われて、修正をかけたりして、受理されると掲載されます。雑誌によってその査定の程度は違いますし、信頼できる研究しか載せないお堅い雑誌やら、インパクトのある面白そうな論文ならOKという雑誌もあります。したがって、雑誌に掲載されたからといって、それらが全て正しいことを言っているわけではありません。雑誌のレベルが高いほど信頼性が高まる程度の認識が適切だと思います。
研究者は実績を積むために、内輪で雑誌を1冊出したり、自分の手が届く程度の雑誌に一杯投稿したり、研究費を取りやすい研究テーマ(いまだと温暖化とか太陽電池とか)に絡めたりして、どうにかして稼ごうとします。なので、特にレベルが高いと言われる雑誌以外では、恣意的な議論や不適切な条件設定であることも多いです。
新しい研究成果が発表された、というのは、その研究者がそれを主張しているだけであり、認められたということではありません。雑誌に掲載された、というのも同じです。
そのような、他人の主張が正しいか否かを判断するのは自分自身であり、そのためにはその分野についてしっかりと勉強する必要があります。勉強をせずに感覚だけで判断を下すことはできません。一々勉強していられるかと思うかもしれませんが、多くの学問は繋がっていることもあり、勉強を積み重ねていくと、今まで知らなかったことを学ぶのが容易になってきます。
世の中、センセーショナルなものはお金になります。自分に判断する力がないと、お金を稼ぎたい人の手のひらで踊らされることになります。あるいは、洗脳的な言葉や宗教等にハマってしまうことにも繋がります。
広く勉強することとある分野を深く勉強することで、情報を鵜呑みにせずに自分で判断できるようになり、そうなる必要がある、ということが大学院で実感として学べました。
「君たちは何のために学問をするのか 何のためにこの松下村塾に来ているのか?
日本のため人々のためといいますが、具体的にはどういう人々ですか?
的を見ずに矢を放っても的には当たりません 目的のない学問はすべてが無駄になります
何のために学問をするのか、それは学問をしたくてもできない人のためにするのです!
人々のためとはそういうことです 諸君が松下村塾に来るのは 松下村塾にも来れない人々のために来ているのです
それがわかれば一分一秒もおろそかにはできないはずです みんな私の代わりに力のかぎり戦ってください」
吉田松陰の講義は平地にありながら最新の情報に溢れており、藩校である明倫館をしのいでいたとされる。
(松陰と京都で知り合った勤皇思想家梅田雲浜=安政の大獄第一の逮捕者もこの頃松下村塾を訪れ各藩の政治状況を伝えたりしている)
とはいえ罪人の開いた私塾であるから白い目で見られ、上士の子である高杉晋作や久坂義助などは親の目を盗んで通ってくることになる。
(その他の生徒は貧農の子伊藤俊助、足軽の子品川弥二郎、中間の子山県小助など。)
松陰は一方的に教えるのみではなく、様々なテーマを与えて生徒に調べさせ、
順番に教えあい、その時は松陰も生徒となって学ぶ。これは野山獄時代と同じ。
学問といっても磁極を論じたりしているのであるから、しょっちゅう凄まじい議論となり、
先生も生徒も一緒になって朝まで大激論を戦わせたりするのであった。
したがって、松下村塾には遅刻も早退もない。各自の都合で来れる時間に来て、時にはその場で働きながら学ぶといった様子であった。
働きながら学び、学びながら働く。松下村塾は常に熱気にあふれていた。
物置を改造した松下村塾はあまりにせまく、毎日入りきれない生徒が庭にあふれていた。
(桂小五郎はこの時江戸にいて、吉田松陰とは往復書簡による師弟関係)
#薩摩 精忠組#
斉彬復帰後も、改革が第一優先であり
お家争いを防ぐため、「高崎崩れ」の犠牲者救済は、政治的バランスを考慮して後回しにされ、
結局流罪にされた者は2年以上放置されることになる。
この当時は、お家の安定が個々人の身分より優先されるのは、むしろ武士であれば当たり前、という時代だった。
斉彬は参勤交代から帰国し、洋式の事業も見通しがつき、斉興・久光派も落ち着きを取り戻してから
ようやく高崎崩れの流罪者が赦免され流罪からかえってくることに。
斉彬に直訴状を書いた。
書いているうちに、まず百姓の上に胡坐をかき、私服を肥やす役人どもへの怒りにうつり
さらに元凶たるお由羅派をなぜ処罰しないのか、という批判に及び、
勢いはどんどんエスカレートしてついには蛮学に湯水のごとく金を使う斉彬への彈劾となった。
(基本的にこの当時の武士というのは全員無知である。何も知らされていないから当たり前だが。
特に薩摩武士は武芸や忠誠がやかましく、下級武士である西郷は狭い学問でも実力は下の下であった。
だから、目についた農村の貧しさについて、その歴史も理解できず、目の前のことがすべてになってしまう。
西郷はこのあとも、斉彬の意図を全く理解できず、そのくせ忠義と称して暴走を繰り返している
しかしこれでも農村の痛みに気づいただけまだましな方というから、どれだけ当時の武士が
ものを知らされず、また忠義と称して暴走しやすい困った気質の持ち主であったかよくわかる。
江戸時代に行われていた偏った儒学や忠孝の教えでは、基本的にこういう愚か者を作ることしかできない)
→しかし、島津斉彬は彼を用いた。そのくらい「手駒としては仕える」人物だった
「考えは180度違っているが、それは今後の教育でなんとでも変えられる
おいそれと変わらぬのが、そちが持って生まれた無私無欲の心 そこを見込んだ。今日からわしの片腕となってもらいたい」
水戸斉昭さえ制御しようとしていた斉彬は、自分が死んだ時や、動きを制御しきれなかった時の危険については一切考えていなかっただろう。
→私はこの頃の西郷のような直情径行ガ忠義という概念とセットに成った、視野が狭くすぐに他人に攻撃的になる人間が嫌いだ。
西郷に関しては当時のことだから納得はできるわけで、現代でもたまにこういう奴がいるのを見ると吐き気がする。
「これといった目的もなく、落ちているものを探すのでもなくただなんとなく歩いているのですか?
我が国でも風流人はそういうことをしますが、それは楽隠居の道楽です。
あるいは無法者、ゴロツキ、怠け者のたぐいです。
江戸で何もせずに歩いているだけの人間など、挙動不審とみなされしょっぴかれても文句は言えませんな」
「日本の役人は世界最悪と言える 犬が何も考えられないのと同じ」
とまぁこれはいいけど、やれ風呂はだめだの山菜は食えないだの、ヤンキーはほんとにwww
「この1年は何だったんだ…国際社会の常識を知らぬ無知な国が相手だ。
彼らには経緯を持った対話を重ねて教えていくしかない。そう思い私は之までずっと耐えてきた。
しかし彼らは頑として心を開かなかった それがどうだ たった一艘の軍艦を見た途端
向こうは大砲に動揺した 私も相手が怯えるように話した
ハリスよりペリーが正しいのなら、言葉はなんのためにあるのだーーーー!」
#攘夷志士の怖い習慣#
橋下はこの一回の議論で負けたらお金も地位も名声も失うというスタンスで臨んでいる。
相手の勉強をし、データを整理し、バックアップ体制を固め、どうやったら強みを全面に出せるか、弱みを隠せるかの作戦を立て、闘いに出ている。
弁護士スゲーと思わせるところがある。
他方、相手のやる気のなさ。
まず第一に、相手を甘く見てる。
というような序列が頭の中にあって、橋下は政治家ではなく民間人にカテゴライズされてる。
という意識がある。
それに、議論に負けてもまったく痛くない。
反橋下派は、反橋下派のグループ内で生きているので、仲間内での評判さえ落とさなければ痛くないのだ。
たとえば君が代日の丸反対派の中での序列は、どれだけ君が代日の丸を激しく叩くかで序列が決まっているので、いかに日の丸が、君が代が悪かを説くかに固執する。
悪という前提から始まるので議論にならないし、聴衆のジャッジでは負けるのだが、本人達はそれで満足してる。
二番目に、学者はとにかく保留しておくことが好きだ。
現時点で正しいとされていることを覆すことで真理に近づけると思ってるので、たとえ今は正しくても、といって実行に移したがらない。
そもそも、学問を世に還元するより、学問を追求したいから学者などをやっているわけで。
これは自分の個人的が想像だけど、学者の10人に1人くらいは嫌儲思想だ。
50代、60代の古株のなかには、民間就職するなんて資本家の手先になることだ!という理由で学者になった人間もいる。
文系だととくに顕著だったはずだ。
もちろん、学生運動で逮捕までされちゃったような過激な連中は途中で退学しちゃったわけだが、口先は一流、実行力はない、という人間が学者になってる(場合もある)。
あんまり過激だと出世の道もなかったんだけど、社会党が強かった北海道なんかは、思いっきり左派思想でも出世できたし。
科学は科学の発展のためだけに存在するべき、という消極的嫌儲主義。
反原水爆と相性がいい。
共産主義が勢いがなくなり、平和主義と看板を変えはじめたころから歩を同調させている。
まあとにかく、グダグダが好き。
俺が思うに橋下の
「そうはいっても予算と人を引っ張るのは金も労力もかかるし、その原資は税金だし、グダグダ言ってても前に進まないから」
という主張はもっともだ。
それに対して
という反論もありだとはおもう。
ただ、正しいことだから堂々と主張する!悪いのは橋下!
という態度は、橋下に言われた通り、税金で食わされてるのにその態度はなに?
と聴衆に判断されてしまう。
それから、君が代日の丸の強制は教員だけということなので、子供の教育に~という話にできないのも大きい。
嫌なら違う高校に行けばいいって話で、小学校中学校は私立は無料じゃないけどさ。
橋下にだって、突かれると痛い部分はあると思う。
俺は大筋で賛成だけど、大阪の抱える諸問題がクリアされるとは思えない。
大阪都構想で経済の地盤沈下をどうにかできるというわけでもない。
ただ、そこんところは代案がないのなら、聞かせて欲しい、という態度で聞くべきじゃん。
ラックスマン来航(大黒屋光太夫が同行)時に、幕府は慌てて直接蝦夷の国境警備を行おうとする。
さらに最上徳内・近藤重蔵らの調査により、北方警備の怠慢・アイヌ人虐待などの不祥事が明らかになり
松前藩は直轄領にされ、さらに翌年函館奉行の預りとなり、20年あまり藩を召し上げられることになった
※とはいっても、この間にアイヌ人は人口が2割以上減少するなど、それ以上に悲惨な境遇だった)
※今まで騒乱が起こったレザーノフ時も、ゴローニン事件(この時高田屋嘉兵衛がロシアに行く)も、どちらも幕府直轄時代の騒動。
その後返還がかなって34年経ち、去年ようやく松前城の新築が完成したばかりだったが
この松前城はいきなり時代遅れだったりしてどうしようもないので幕府が直接統治して国防拠点としようとする。
「樺太が日露雑居となり函館開港となれば待つ前には荷が重い」という理由で松前藩から土地没収)
(松前藩の言い分としては、幕府にしたって外国船上陸のさいにろくな対応ができていなかったし
そもそも松前藩が十分に対応出来なかったのは、対応の権限が松前藩にない上、情報すらよこさなかった幕府の怠慢が原因であるし、
今まで騒乱が起こったレザーノフ時も、ゴローニン事件(高田屋嘉兵衛)も、どちらも幕府直轄時代の騒動なのだが、そんな道理が通じる幕府ではない)
実際は、函館開港が大きな利権になること、その他蝦夷地に寄港する船舶からの租税徴収権などに目を付けられた形。
松前藩は領土返還、通行税回復を幕府に願い続けたがかなわず明治維新を迎える。
勤勉実直な父と、陽気な母の性格、さらにとびきりの好奇心を受け継ぐ?
(福沢諭吉の命名の所以は清国の法律書「上諭条例」から一文字とっている)
下士身分であったゆえ、身分の壁に悩む。諭吉も父を見て封建社会を憎むようになる。
父は諭吉が2歳になる前に病死。その後福沢一家は中津藩に戻るも福沢一家は言語・風習の違いから疎外されたりもする。
(父の死後も母が常に父の偉さを子供たちに話し続けたため、父の教えは強く受け継がれる)
幼い頃は、家事手伝いや内職をして過ごし、内職名人として有名に。
少年になってから親戚の中村家の養子に(跡継ぎが耐えないための保険にすぎず中村家に養ってもらったわけではない)
中津藩では儒学のみならず「鉄砲とそろばん」の教育にも力を入れていたため諭吉も儒学のみならず算術に大いに才能を発揮する。
子供の頃の諭吉の夢は「日本一のお金持ちになって好きなだけお金を使いたい」であった。
諭吉は西洋文明に出会う前からかなりの合理精神の持ち主であった。
14~15まで一切本を読んだことがなく、当時としては勉強を始めるのが非常に遅かったが
白石塾に入門した時身分制度の障害にぶちあたり、なにくそと死に物狂いで勉強。あっという間にトップに。
しかし能力で抜きん出ても認めぬ身分制度になおさら嫌気が刺していたところで、中津藩にも黒船来襲。
18の時に砲術訓練の名目で長崎行きを志願し、中津を離れ、長崎ではじめて蘭学に出会う。
クリミア戦争は兵站補給、爆薬、衛生学の3つで革命をもたらしたとされる。
ロシアはノーベルの父エマニエル=ノーベルにより機雷を発明したり戦力的には奮闘したが、
産業革命により鉄道輸送を実現したイギリス・フランスとくらべて長期戦において不利を取り敗れる。
アレクサンドル2世は、国家の経済を中世以来の農奴制に依存してきたため産業革命が遅れ
クリミア戦争の敗北を招いたことを大反省し、農奴解放例を打ち出す。
大改革の過渡期には様々な矛盾が一気に吹き出すもので、逆に一揆・反乱・独立運動が続々と起こり
それらの打開策のため皇帝は軍事力を強め、国外戦を起こすにいたり、大改革は、大混乱へと突入していく・・・。
(日本も時間の余裕さえあれば、こういうことを経験できただろうということもできるし
逆に時間の余裕がなかったために、ロシアのような悲惨な流血時間や長い内乱をある程度避けれたと考えるべきか)
現代の愛国心というのが観念的な薄っぺらいものであるのに対し、
間宮林蔵は、この時代の誰よりも日本全土を自分の目と足で実際に把握し抜いた。
さらにロシア船が日本沿岸を海賊のように荒らし回った時に、択捉島で直接砲火を浴びつつ応戦するという経験までした。
ここまでくると、日本という領土に敬意を示さず土足で日本に上がりこむ外国人に激しい怒りを燃やすようになった
(しかし、土地のありがたさを知らず軽んじる人たちにはそう感じなかったのかな?そこまで考えてたらきりないか)
#その他#
昔生きていた人たちが、この本の中では今も生きてる。そう感じられる。これはスゴイことですよ!(安彦良和)
子供の頃から「こういう漫画を誰か描いてくれないかなあ」と、本気でずっと思っていました。そうしたら、ズバリみなもと先生が描き始めて下さいました。「よし!」とばかりに読み始め、「こりゃなかなか終わらないだろうな嬉しいな読みでがあるなあ」と思っていたら、本当に終わらなくて、もうずっと読み続けられて嬉しいことこの上なしです。いつまでも描き続けてください。ちなみに、小学生の頃みなもと先生のキャラをソラで描けるのは、クラスで僕だけでした(京極夏彦)
村田蔵六にその才を見出された嘉六であったが、
提灯張替えの職人に過ぎぬ最下層身分の彼が長崎で味わった苦労と屈辱は並大抵のものではない
・まず嘉蔵のためについてきた御目付役が嘉蔵を自分の下男として扱うのである
(この当時、能力があっても、身分が下であるというだけで敬意を払われることはないどころか見下される)
さらに身分はその役人の「中間」よりも下だから食事も何もかもが中間以下の待遇に甘んじるほかない。
・それでも嘉蔵が幕府の通訳や蘭学者にあって色々学ぶためには、この役人にお願いして連れていってもらうしかない。
理解能力がゼロの役人に土下座し、頓珍漢な取り調べを受け、たいして役に立たない取次しかしてもらえない。
それでいて、いざ蘭学者と接する段になると役人は役に立たず、嘉蔵の下働きをすることになる。
下働きといっても、現在の感覚であれば能力が嘉蔵の要求にこたえるため西に東に走りまわるところを想像するだろうが
江戸時代は身分があるから、嘉蔵が土下座して役人に紹介状などを書いてもらうことになる。
それでも当時の身分意識から役人は「嘉蔵に使われている」という気分になるから、必要以上に嘉蔵につらくあたる。
しかしこれで蒸気船建造が失敗すれば役人の責任にもなるから、嘉蔵の願いは結局聞いてやらねばならない。
役人は役人で、散々いじめながら身分意識の概念に囚われてストレスを抱えているという状態だった
→江戸時代は、安定という名の「怠慢許容・推進システム」が恐ろしいほど機能してたわけだな
身分が上のものしか学問をしてはならぬ。しかし身分が上のものは学問しない。
おお、時代が発展しないから努力しなくても身分は維持できる。やったね!まるでいまの○○○○みたいだ!
→そんな悪循環と貼りのむしろの中、目付も中間も寝静まった夜中に懸命に蒸気船の研究を続ける嘉蔵であった。
何のために長崎でこんな地獄の日々を送らねばならないのか、と時に思わないでもなかったが
そのたびに頭に浮かぶのは、オランダ船スンピン号の動力室であった!
嘉蔵は苦労について蔵六に述べることなく、蔵六とは設計の打ち合わせを行い、
その後何度か長崎に行き、そのたびに辛い日々に耐えることになる
好みが自由になれば幾度でも同じ事をします。
もちろん正気では怖くてこのようなことは言えません 私は狂人でありたいのです
しかし私の行動は周囲に迷惑を及ぼします 同志の金子くんもそれで死んでしまいました
しかし怖いとか悲しいとか言うのは私事です いつまでも泣いてはいけないのであります
私は長州藩を いや日本国全体を考えねばならないのであります!
私はこうして入られない 皆さん何かしましょう
みなさん学問をしましょう ここには私達がいるあなた達がいる 互いに教えあおうではありませんか
人と人の出会いほど尊いものはありません 私には知らないことがたくさんある
みなさんはひとり残らず私の師匠です!
悪口がお好きな人だと聞き及んでおりますが、他には何がお得意ですか?
字が得意?それはすばらしい。ぜひ私に書を教えてください
旅の経験がある人は、旅の話を教えて下さい
そうすれば私は獄舎にいながらしてあらゆるところにいけるのであります
同じ怒りが心の方向で全にも悪にもなるのです。
みなさんは言葉だけで行動しない牢の外にいる人達よりも君子たるべき素質も資格も十分備えている立派な人なのです
あとはその心を正義に向けましょう。自分のためだけでなく人のために戦うとき小さな殻を破れるのです
みなさんはあと一歩の人たちなのです!
#吉田寅次郎の思想#
・「ことは長州藩内の問題ではない。寅次郎個人の問題でもない。一藩の軍学師範が約束を違えることは、長州が満天下に恥をさらすことです。最大の不忠なのです!私人としての寅次郎がどうなろうとも、私は公人として立派な行動を取らねばなりませぬ」
・「僕は気が狂っているかもしれません。しかし狂うぐらいに行動して初めて道は開けるのです。家族にも私の突き進む道を見ていただきたい。きっと褒めていただけるはずだ」
・愚かな人間とは自分の信念を曲げてしまう男のことです 自分で一旦決めたことなら生涯をかけて貫かねばなりません
・金子くん、使命を見失ってはいけません 私達が守ろうとしているのはあの人々の平和な笑顔です
私も一瞬君と同じ気持ちになりました 我々が命がけで苦労をしているのに、と
のうのうと遊ぶあの庶民に怒りが込み上げそうになりました。
しかしだからといって、彼らも苦しまねばならんと思うのはトンデモない誤りです 驕りです!
私達が守るべき庶民が愉しむ姿に怒りを覚えるのは本末転倒であります
何のために戦うのか それを忘れてはなりません それが武士なのです
自らの意思で死地に飛び込むのが武士なのです 我々は決して「戦ってやるのだ」などと思い上がりをいだいてはなりません
逆に、どれほど苦しかろうと事情があろうと、戦うべき時に戦わずのうのうとしている武士を許してはいけません
・我米国に渡らんと欲す!我米国に渡らんと欲す!我米国に渡らんと欲す!(投夷書)
・密航計画が幕府に知れるのは時間の問題。ならばその前に自ら名乗り出よう。
「逃げ隠れしたと思われては僕達の誠実さが伝わらない」死刑を覚悟で密航を企てたとわかってもらわねば役人の心を動かすことはできない。
私から何かを説くわけではない。私の姿を見せるだけでいい。
命をかけてこの国の前途を憂えている人間がいると知れば、その人がまた真剣にこの国を考えるようになる
そんな人を増やすのが、これからの私の使命だ、喜ばしいことではないか
私は無理だったが、その人達が私の夢を継いでくれる 絶望などないさ
僕は誓って悪いことはしておりません 命を捨てて貴国の船を訪ねたことはいまでも英雄的な行為であったとおもっております
まさかさらし者になるとは思わなかった
この状態では悲しい顔を見せればそれが他の理由でも人々は僕をダラしない、情けない罪人だと思うでしょう
といって怖い顔をしてもニコニコ笑ってもトンデモなくふてぶてしい悪漢だと思われてしまします
だから僕はどんな表情もできない… まだ英雄であることに慣れていないのであります・・・
「我が国の祖法」とおっしゃるが、
我が国の歴史を見るに、学問文字仏教儒学すべて海外より伝来したもの
そもそも聖徳太子はるばる波濤を越えて隋に試写を使わされ それが遣唐使となりて交流が栄えたところから始まっております
これは三代将軍の御代 寛永年間に起こった島原の乱に原因を持つ非常時の措置にほかなりません
二百余年を過ぎてなおこれに執着するのは弊害のみが多く国家発展の妨げとなり
神奈川条約が結ばれた今、鎖国は事実上死文となっているのではありませんか?
徳川幕府そのものがすでに町民中浜万次郎くんを直参に登用し重用されているのですよ
本年よりは急ぎ多くの優秀な若者を外国に送り、異国事情を学ばねばならぬ時ではありませぬか?
→幕府側の対応「自首してこなければこんな問題起きなかったのに」w
「以蔵、怒る!詳しく怒れ!何に、どういう訳で怒るのかをよくかんがえて怒らんか!」
「以蔵、お前の言うとおりだ、わけのわからん上の勝手なカラクリでわしらはすきにされてるんだ。お前のおかげで分かったぞ!」
「エライ人も偉くない人も同じだということを教えてくれる人が偉い人なんじゃ」
「以蔵、もうすぐ世の中は変わる。お前も何でもやれる時が来る。だから短気を起こすな」
→刀振りかぶってる相手に両手広げて真正面から抱きついてくる人間は斬れない。お前には負けた
#日本が勝てない理由#
それぞれの藩が自分の持ち場だけで戦う よそが買っても負けても知らぬ存ぜず それで勝てるわけ無いだろう!
藩が互いに連携を取らなければ作戦すらタテられないというのに 各藩が共同戦線を組むのは幕府が禁じている
各藩が仲良くなったら将軍家より強くなることを恐れている 幕府は馬鹿か!
目の前に巨大な敵が出現しても各藩は互いの顔色を伺い前の敵より後ろの将軍家に睨まれるのを恐れている
結局江戸湾防備にしても 形だけのことしかしない 幕府も各藩も、国が消えれば全部なくなってしまうのに自分のことしか考えられない
こんなことではこの国は他の国と戦争なんかできない この国を変えなきゃどこにも勝てない!
この国を何とか一つにまとめなければすべてが滅びる
#日の丸の旗の話#
海軍の創設に際して、薩摩が強く主張し、幕府が反対した日章旗であるが、
幕府が日の丸を掲げ、錦旗を掲げた薩摩は日の丸を賊軍として攻撃目標にした。
以来戊辰戦争のあいだじゅうは日の丸は皇室に背く悪の象徴として、官軍の手によって踏みにじられ引き裂かれ焼き捨てられたのであった
#大災害が起きても、大飢饉が起きても、幕府が地方を支援することはない#
安政東海地震 M8.4 五ヶ月前に安政伊賀地震、翌日に安政南海地震、一年後は江戸直下型地震
しかし幕府には蓄えがないし、そもそも幕府は他の班を助けるという発想自体を持たない。
たとえば天明の大飢饉の際には、白河藩は餓死者ゼロであるのにたいし、付近の岩手藩は最も餓死者が多い結果になった。
これをみても、徳川が日本代表や支配者などではなく、ただの一番強い藩でしかしかなかったことがわかる。
この不安定さのせいで、思想の取締や、政道への口出し禁止、参勤交代で外様藩の力を弱めるなどの措置が取られたわけで
どうせなら、徳川家が名実ともにもっと強大な支配者として君臨していれば、話は変わったかもなー。
#開明の志を持っている藩は多いが・・・#
薩摩藩を筆頭に
越前福井の松平春嶽、下総佐倉の堀田正睦、水戸の徳川斉昭など。
お互いに競争をするのはいいが、みんな自分の班のことしか考えていない。
私は攪拌の江戸湾警備をこの目で観てつくづく情けなくなった。
三百も藩があって、それが互いの垣根を取っ払って力を合わせ、西洋列強に立ち向かう方法はないのか?
→薩摩の西洋化にした所で所詮一昔前を追いかけているに過ぎない。
イギリスやアメリカの最新兵器に比べればおもちゃのようなものよ。
攘夷も開国も、どちらも無理なんだ。このままじゃどっちにしろしてやられる。
しかし、やつらは数百年ずっと相互貿易で文明を発展させ富を蓄え、その力で東洋へ次々と乗り出していった
そんな連中を相手に 訳もわからず国を開いて交易を開始してもいいように食い物にされる。
だからまず船だ! 一隻でもいいから最新鋭の蒸気船を購入するんだ。
プログラミングが異常に得意な非プログラマなんてたくさんいるよ。
ていうか理系の学問とか専門分野って、独学が基本なんだよね(プログラミングが「理系」かどうかはさておき)。
大学の授業は基本的に独学してることが前提で行われるし。
(それにしたって、過去問ちょろっとやっとけば余裕で受かるような資格のためにわざわざ学校行って授業受けるなんてむしろ効率悪いと思うけど)
その順番で書いた意味をきちんと子供に確認して、掛け算の意味(小学校的なルールのことではない)を理解してないことを確認した上で×としたなら
でも、もう一つ忘れちゃいけないのは、理解できているか否かの判定として俺哲学で導き出した俺理論を使うのはクソってこと。
それができて初めて
一般化すると「数式を導き出すまでの思考過程をある一つのものだけに限定するべきではない」
ということが分かっていることになると思うよ。
算数ってのは、何を何倍したら何になりますか、の思考でしかなくて、数式で書くべきではないような思想の抽象化をあえて式にしてるってだけなんだよ。
算数って学問の考え方も、実はそれに近くなってるんです。
「6本×8人/本=48本」
ていうのは数式にしたら正しく見えるけど、言葉で書いたら、
「6本を8人/本倍したら48本になるね」
「8人/本を6本倍したら48本になるね」
先生が正しいんだけどね。
それわかってないやつが多すぎて痛い。
6【本】 ×8 = 48【本】
であって、
「8人に6本をと6本を8人には同じだろ」って批判してるアフォもいるけど、もちろんそれは当然同じだけど、だからと言って
8【人】 ×6 = 48【人】
と表記していいわけじゃない。
「~学」っていう哲学の話なのに、問題の核心を履き違えている人が多いなあ。
横だが、この手の議論を見ていると、高尚な学問の広がりの先に(いや逆か?)小中高生のやっているガクモンがあり、その広がりというか敷衍している状況を教えるべきだ、もっと言うなら知らない奴はバカ、
みたいな議論が出てくるんだが、はたしてどうなんだろうか。
教育課程の範疇を意識するなら、標準的なレベルを想定するべきだろうし、塾などでは余興や知的好奇心を喚起する意味でも、学問の香りをかがせることに意味があるかもしれないけど、
そういう例外を除けば、たんにツールとして使えればいいんじゃないかと思うんだが。
なんてことを書き出す「自称哲学分かっている俺」のせいで哲学は世間では「かっこうわるい、うざい」印象を持たれてしまって悲しいよね。
最初の疑問に立ち戻るなら、幼少期から知的好奇心を十二分に刺激された人が、今現在どのような環境に置かれているかを観察することが求められているのかもしれないし、
そこに何か鍵があるんじゃなかろうかと思ってしまう。いや、そういうところの学習能力は、高尚な学問ではどのように整理されているのだろうかと疑問に思ってしまう。
ううん、違うよ。
算数ってのは、何を何倍したら何になりますか、の思考でしかなくて、数式で書くべきではないような思想の抽象化をあえて式にしてるってだけなんだよ。
↑というのが「世界の真理」や「これが算数というもの」という考え方の標準であったことは無いのに、
そういうものを「これが算数で、それ以外は低能のアホが考える算数です」と教えることはただの嘘ですって話だよ。
あえて書くなら「ソシュールが言うところの算数では」と書くべき、これまたローカルな話でしょう。
本当は「(増田が理解していると勘違いしているところの)ソシュールが言うところの算数では」だけどね。
あなたが「算数って学問の考え方も、実はそれに近くなってるんです。」と思うのは勝手だし、面白い考え方の一つだけれど、
それを小学2年生に「押し付ける」のは、完全に間違っているんですよ。
ちょっと余談で申し訳ないけれど「これから哲学の話をしますけど」みたいな前フリも付けずに、
いきなり算数のかけ算の話題に「哲学」や「ソシュール」を持ち出して
日本はなんで馬鹿ばっかなんだ、って偉そうに言ってる増田ほど数学内の話をしかできてないんだよな。
俺から言わせれば日本人ってなんでこんなに哲学を知らないんだ、なんだけどね。
前増田は基礎教養サボらなかったかもしれないけど、哲学の授業はなかったんだね。
かわいそうに。
なんてことを書き出す「自称哲学分かっている俺」のせいで哲学は世間では「かっこうわるい、うざい」印象を持たれてしまって悲しいよね。
研究っていうのは学問の思想、境界を理解して、その壁を広げること。
学問と学問の境界の話をしている元増田に対して、一学問内のルールの話をしている前増田。
前増田が言ってるような学問内の話なんて、誰もがとっくに理解してたうえで算数の話してんだよ。
日本はなんで馬鹿ばっかなんだ、って偉そうに言ってる増田ほど数学内の話をしかできてないんだよな。
俺から言わせれば日本人ってなんでこんなに哲学を知らないんだ、なんだけどね。
前増田は基礎教養サボらなかったかもしれないけど、哲学の授業はなかったんだね。
かわいそうに。
ツリーのどっかの増田さんが言ってたけど、あなたも数字信奉者よね。
算数って学問の考え方も、実はそれに近くなってるんです。
算数ってのは、何を何倍したら何になりますか、の思考でしかなくて、数式で書くべきではないような思想の抽象化をあえて式にしてるってだけなんだよ。
だから今回の例でいえば、
「6本ずつ8人に配ると48本になるね」
っていうのは、それ以外ではないってこと。
誰かがしつこく言ってる数式の単位、
「6本×8人/本=48本」
ていうのは数式にしたら正しく見えるけど、言葉で書いたら、
「6本を8人/本倍したら48本になるね」
「8人/本を6本倍したら48本になるね」
っていう、世の中の現実と照らし合わせたら完全に無意味で数字遊びをしているだけの可変性になるわけよ。
「ずつ」にこだわるなんてナンセンス、って言い方はわかるけど、「ずつ」そのものが掛け算と同じような事象を表し、かつ、何を何倍するか、の本質なんだよね。
この話、まだ続くのかー。
参考書も読んで、指導要領も読んで、現役の教師に話を聞いたりもしたけど、
・かけ算には順序がある
・1あたりの数」×いくつ分
・かけられる数とかける数
もちろん、初めてかけ算を覚える生徒に対して、
・1あたりの数」×いくつ分
・かけられる数とかける数
という教え方が想定している「モデル」を使って説明することが有益である場合も多いよ。
でも、モデルは一つじゃないよね。
「沢山あるモデル」が結局は「かけ算で表記でき、順序は関係無い式まで抽象化できる」ところに気づく。
これがこの段階では一番重要な事柄でしょう。(その他はそれこそ「厳密にいうと・・・」の数学の世界に任せると良いよね)
そのはずが、何故かある特定のモデルのみが「算数という学問の唯一の真理」と勘違いする人が出てくる。
これは端的に言って間違いだよ。
「想定された順序でないと×にする」
「1あたりの数×いくつ分、かけられる数とかける数のような特定のモデル以外で思考するのを禁ずる」
ことが有益であることなんてほとんど無いと思うんだけど、どうだろう。
交換法則が成り立つことを自明として話進めて「超疑問だわ」とか言ってるのが超疑問だわ。確かに増田の例題では、たまたまMN本で答えは変わらなかったけれども、交換法則が成り立つ、ということを明示的に言わない限りそれはあくまで「偶然」であっていつも一致すると言いきってしまってはいけないよ。
もちろん、小学生にそういう証明の順序を一から説明するのは不可能に近いけれども、勝手に前提条件を決めつけて計算に取り掛かってはいけないという「空気」を感じ取ってもらうだけでも、例の小学生に対して何かしらの追加指導をする、というのは間違ってない。(※答えまでペケにしたのはやりすぎだし、あんな身も蓋もない採点は無いだろうとは思うが)
http://anond.hatelabo.jp/20111224022709
↑あたりが増田でも頑張っていて、定期的に話題になるかけ算の順序問題。
一応、基本的にはケリがついています。
<主な争点と結論>
1.順序が違うと×
「式からのみ(かけ算の順序)」で判断することはできない。
2.算数と数学は違う学問であるので算数におけるかけ算には順序がある
→きまりごととして区別がされたことはないし、あったとしても1.のように式から分かっているかは判断できない。
→そんなことはない(下記URL参照)
→そんなことはない。「算数でのきまりごと」でもないし「算数教育業界での標準的な方法」でもない。
「順序をつけることで理解を助ける」と主張する「一部の教育人がいる」という状態。
5.指導要領に書いてる
→そんなことはない。「式の順序を重視せよ」という記述は無い。
<まとめ>
算数かけ算において「立式のきまり(順序がある)」は無い。
算数かけ算において順序を守るように指導せよという「教え方のきまり」は無い。
「順序をつけることで理解を助ける」と主張する「一部の教育人」がいる。
<参考URL>
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html
昔は育児休業制度なんてなかったし、今よりもはるかに男らしさ、女らしさで縛られてた
明治時代なんか女学校=お嫁さん探しの場でほとんどの女性はその時期に結婚をし、
でも、今はその手の制度はあるし、法律上は差別をしてはいけないことになっている
少なくとも昔に比べればはるかに働きやすくなってるし、子供のことを度外視すれば職場復帰も夢ではない
(元の地位に戻れるという保証はないが)
いやいやいや、「自由な発想」ってあくまで先人達が築いた知識をちゃんと把握した上での話でしょう。
正直登場した先生の、「文章に出現した順」とか「ずつ、があるほう」とかのテクニックは、学問として嘘を教えている+単にバツをつけて「俺の教えたことに従え」状態なので論外としても、増田の「嘘教えちゃダメでしょ」というところはその通りでしょうが。
そのURLは数学的な話としてはおもしろいと思うよ。
でも今回の話に対してはそんなに強度は感じない。
そして、「算数業界の馬鹿馬鹿しいマイルール」とするか「数学と算数は似てるけど違う学問」とするかで納得いくかいかないか割れるのかな、って気もした。