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2011-02-16

(◕‿‿◕)ラノべえ「そんなことより僕をテーマにして研究生になってよ!」

つい先日、卒業研究を終えました。この日記は後輩やこれから卒業研究を自由に決められる人のためになればいいな、程度に書きました

私は卒研テーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せしたですので、後輩にもぜひ好きなテーマ卒研をして欲しいと思っていました

私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいましたしかし、後輩に「今の自分研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました

どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした

そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOwikipedia考察いかに素晴らしかたか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO - wikipedia ((http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%A7%E6%81%8B%E3%82%92%E5%94%84%E3%81%86%E5%B0%91%E5%A5%B3YU-NO&oldid=28528480))

また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです

CiNii 論文 -  マルチシナリオゲームにおける並列世界モデル ((http://ci.nii.ac.jp/naid/110002942865))

これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)

他にもネットを探すとユニークテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります

卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです

しかに、「好きだからテーマしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。

学生のあり方について、素晴らしい文章があります

修士論文の代わりに退学願を提出してきた - As a Futurist... ((http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733))

=====以上が、今回の日記意図です

もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。

論文とは「問い」です。一般的に論文テーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。

ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなラノベが好きか」ということになるのでしょうか?

これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。

「「好き」は理性ではなエモーショナル部分依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」

無趣味のすすめ - 情報考学 Passion For The Future ((http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html))

つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです

そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです

さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義ですが、混沌としているようですね。

青少年を対象にした娯楽小説

程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性20~30代)でしょうから。(成人男性青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)

また、文学物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念引用することが結果を導く前から既に必要となります

例えば、物語的に観れば大塚英志提唱した物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。

れとろげーむまにあ: アドベンチャーゲームを振り返って思ったこと((http://nesgbgg.seesaa.net/article/185700949.html))

ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。

また、純文学の外に広がるキャラ萌え世界について詳しい

オタクたちのメンタリティには、教養主義文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。

東浩紀動物化するポストモダン|FRAMES INTERVIEW ((http://moura.jp/frames/interview/070423/03.html))

ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワードカテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。

ところで、先ほどラノベ定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義文学に「SF」がありますね。

サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました

ここで一つのSF批評を紹介します。

小谷真理の『女性無意識』に対する松岡批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。

最初ハーバード大学フェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノイネシスはそれにもとづいて提案した概念で、

父権的な社会蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。

長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動セクハラ問題が噴出してきた。

では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性無意識を象徴するガイネシスになるのではないかと見た。

(中略)著者はこんな出だしで手をゆるめない。次から次へとバウンダリートランスグレッション(境界侵犯)を見せつけた。

また、女性SFに関してこういう考察もなされています。

それにしてもいつのまに、女性こそが文学可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。

まずはエレイン・ショーターが父権文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリーシェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した

(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。

しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。

松岡正剛の千夜千冊『女性無意識小谷真理 (( http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0783.html ))

ということで、ここでは「外部の他者」たる女性文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとはないのではないでしょうか?

では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます

そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は

「【デリダとは】仏哲学者20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」

ツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))

デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要はないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)

ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。

女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである

女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性本質存在せず」、「女性の真理は存在しない」。

女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分存在しないということを知っているということである)。

実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニスト女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)

ニーチェの『善悪彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。

真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。

そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか

デリダ女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした

つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。

(知の教科書 デリダ 著者 林好雄 廣瀬浩司

見事にややこしいこの解釈から女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。

ニーチェ芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。

つまり、オタク男性)にとって、ラノベとは

女性という存在外部性とを遊戯的につなげている文学メディア媒介装置

であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)

十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレート表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる

オタクが豚になった――「萌えるからブヒる」へ - シロクマの屑籠(汎適所属) ((http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110215/p1))

という指摘もあります

例えば、オタクにとっての現実における外部性インターネットがあります

オタク男性であろうツイッターユーザーアイコンが、イラストアニメ美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性無意識に象徴しているのではないでしょうか。

また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユング提唱したアニマ(男性女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。

このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性

先程のツイッターイラストアニメ美少女アイコン無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?

以上より「ラノベ読者はなラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです

ラノベ本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?

私はそのことについて考える限り、とても意義ある研究だと断言できると思っています。

2010-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20101209180153

大学講義もぐればわかると思うけど、講義の質はどこも同じよ。講義の質はね。Fランだろうと相対性理論を教えるし、早稲田だろうとオタクコンテンツを用いた現象学考察をする。

友人は話しかけろ。なるだけ席の前に座っている人をな。そいつがお前とウマが合うかどうかは知らん。講義切磋琢磨できてなおかつ酒席も趣味も一緒になどというのはおまえさんの理想が高すぎる。

どっちの講義にも潜った同じくニッコマ(今年度卒)がマジレスしてやるよ。

それと、友人がいないわけじゃないだろ?他の大学にもいるだろ?

2010-10-10

数学=人の理念のつくる構造自然写像となっている

遠山は、数学における直感というものを、生得的なものと考えていた。フッサールが、人に共通に備わる「理念」のつくる構造を足がかりに<認識の素過程>を明らかにする「現象学」を建設していったように、

遠山は、無限に可能な数学の<体(てい)>の中から、ヒトが選び取ったただひとつのそれが自然純粋記述になり得ていることを足がかりに、人の理念のつくる構造自然写像となっている原理を明らかにしようとしていた。

http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html

2010-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20100301023202

まーそーです。でも我々の場合、民主主義っつっても立憲民主主義なので、憲法の部分でなんか粘らないと、本当にダメ民主主義になってしまいます。


構造主義内田樹の解説本くらいしか知らないんですよね。構造と(差異で一個一個区別される)要素は一体で切り離せないということと、「作者がどう思ってるかではなく、どう読者に読まれるかが重要だ」という理解しか持ってないのです。

私が読んだことのある哲学者といったらベンサムミル功利主義系)とカントヘーゲルドイツ観念論系)とフッサールハイデガーレヴィナス現象学系)で、構造主義とはつながってないんですね。済みません。(そういやこの前大学の頃の『全体性と無限』のメモ書きをはてなダイアリーに要約しました。大変でした)

構造主義に批判されている実存主義もよく分からない世界です。(wikipediaにはハイデガーには実存主義に大きな影響を与えたと書いてあるが、現存在のくだりだろうか)

2008-07-08

猿ベージ

http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法岩波書店

アレント全体主義起源みすず書房

ウィトゲンシュタイン哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心『東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎『風土』岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル『白鯨』

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心』

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ『文学空間』

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様』

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械』

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成『雪国』

折口信夫死者の書

太宰治『斜陽』

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥『小説神髄』

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎『日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神

吉本隆明『転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-03-15

anond:20080315145308

本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。

グーグルキャッシュ初版なので違うところがあるかも。

プラトン国家』 

アリストテレス形而上学』 

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 

ヘーゲル精神現象学』 

デカルト省察』 

パスカル『パンセ』 

ライプニッツ『単子論』 

カント純粋理性批判』 

キルケゴール『不安の概念』 

スピノザエチカ』 

ルソー社会契約論』 

バークフランス革命省察』 

ジェイムズ『宗教経験の諸相』 

ニーチェ権力への意志』 

フッサール論理学研究』 

ハイデガー存在と時間』 

サルトル存在と無』 

ベルグソン時間と自由』

レヴィナス『全体性と無限』 

フロイト快感原則の彼岸』 

ラカン精神分析の四つの基本概念』 

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 

フーコー言葉と物』 

ソシュール『一般言語学講義』 

チョムスキー『文法理論の諸相』 

ヴェイユ重力と恩寵』 

アーレント精神の生活』 

ブーバー『我と汝・対話』 

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ミンスキー『心の社会』 

ライル『心の概念』 

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法』 

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』 

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義精神』 

デュルケム『自殺論』 

バタイユエロティシズム』 

モース『社会学人類学』 

キャンベル『千の顔をもつ英雄』 

マクルーハンメディア論』 

ブローデル地中海』 

ウォーラステイン『近代世界システム』 

アダム・スミス国富論』 

ゾンバルト恋愛と贅沢と資本主義』 

ベンタム『道徳立法の原理序説』

ミル『自由論』 マルクス資本論』 

アルチュセール資本論を読む』 

シュンペーター経済発展の理論』 

ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』 

ヴェブレン『有閑階級理論』 

ポランニー『大転換』

ボードリャール消費社会神話と構造』 

オルテガ『大衆の反逆』 

ミルズ『パワーエリート

リースマン『孤独な群衆』  

イリイチシャドウ・ワーク』 

ベル資本主義の文化的矛盾』 

ネグリ『構成的権力』 

バーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 

アンダーソン『想像共同体』 

バレーラマトゥラーナ知恵の樹』 

ルーマン社会システム理論』 

ロールズ正義論』 

ハイエク『法・立法・自由』 

ブルデュー資本主義ハビトゥス』 

オング『声の文化と文字の文化』  

M・ポランニー『暗黙知次元』 

クーン科学革命の構造』 

ポパー『推測と反駁』 

サイードオリエンタリズム』 

メルロ=ポンティ知覚現象学』 

フッサール論理学研究』 

ラッセル西洋哲学史』 

フロム『自由からの逃走』 

ベイトソン精神生態学』 

ベンヤミンパサージュ論』

デリダ『グラマトロジーについて』 

クール時間物語』 

ペンフィールド『脳と心の正体』 

スローターダイクシニカル理性批判』 

フレイザー金枝篇』 

シュミット政治神学』 

クラウゼヴィッツ戦争論』

ドラッカー『「経済人」の終わり』 

リップマン『世論』 

マンハイムイデオロギーユートピア』 

ブルームアメリカンマインドの終焉』 

ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトライス』 

パノフスキー『イコノロジー研究』 

クーン科学革命の構造』 

ホワイトヘッド科学と近代世界』 

ソンタグ『反解釈』 

ドーキンス 『利己的な遺伝子』 

ギブソン生態学的視覚論』 

フランシス・フクヤマ歴史の終わり』 

ケストラー『機械の中の幽霊』 

ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 

ホーキング『ホーキング宇宙を語る』 

イーザー『行為としての読書』 

イーグルトン『文学とは何か』 

ホフスタッター『ゲーデルエッシャーバッハ』 

ド・マン『ロマン主義レトリック』 

シオラン歴史ユートピア』 

ブランショ文学空間』 

ガダマー『真理と方法』 

ローティ哲学自然の鏡』 

セラーズ『経験論と心の哲学』 

パーソンズ社会的行為の構造』 

ジジェクイデオロギーの崇高な対象』 

アガンベンホモ・サケル』 

ダマシオ『生存する脳』 

クワイン『ことばと対象』 

マッキンタイア『美徳なき時代』

こういう時、トラバツリーが各所に残る今の仕様は便利だ。

ツリー内主要エントリ

2008-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20080313030006

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル『精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義の精神』岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー『精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット『政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー『啓蒙の弁証法岩波書店

アレント全体主義の起源』みすず書房

ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン『精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像の共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎風土岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル白鯨

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル『嘔吐』

ジュネ『泥棒日記』

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集』

ベルダーリン『ヘルダーリン詩集』

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集』

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集』

ツェランツェラン詩集』

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ文学空間』

日本文学

二葉亭四迷『浮雲』

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村『破戒』

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高『死霊』

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房『砂の女』

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集』

吉岡実吉岡実詩集』

坪内逍遥小説神髄』

北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神』

吉本隆明転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他



追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

http://anond.hatelabo.jp/20080313030006

気合の入った釣り(?)だなあ。


さて、俺が読んだことあるのは下記のやつだけ。中途半端なんだ。他のはもう今読んだら恥ずかしいようなので、ストーリーさわりと主な登場人物だけ教えて。あっ、犯人まで教えちゃやだよ。

で、全部の犯人が分かると、どんないいことがあるの?幸せになれる?


アリストテレス形而上学』 

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 

ヘーゲル精神現象学』 

デカルト省察』 

パスカル『パンセ』 

カント純粋理性批判』 

スピノザエチカ

ニーチェ権力への意志』 

ハイデガー存在と時間

サルトル存在と無』

ベルグソン時間と自由』

ラカン精神分析の四つの基本概念

フーコー言葉と物』

ソシュール『一般言語学講義

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』

バタイユエロティシズム』 

フロム『自由からの逃走』 

シオラン歴史ユートピア

ブランショ文学空間』

2008-01-04

竹田現象学フッサール現象学の違い

って何だろう。竹田青嗣現象学入門』の書評では、現象学の解釈が適当でないというような意味のものが多い。今はフッサールの『デカルト省察』を読んでいるけれども、同じことを言っているように思う。

現象学現在

フッサール現象学についてはハイデガーデリダなど様々な哲学者が批判を行っていて、私の知る限りかなり根本的な部分が疑問視されているように思う。

現在現象学の手法はどのように評価されているのだろうか。もはや活用するのはナンセンスな、古い思想なのか。フッサールが好きな私としては、そうでないと思いたい。

2007-10-12

[][][]裕福な家庭の子が進学で有利

ピエール・ブルデュー - Wikipedia

単に裕福な家庭の子が進学で有利というだけでなく、

文化資本(上品で正統とされる文化教養や習慣等)の保有率が高い学生ほど高学歴であることを統計的に証明した。

またその子供も親の文化資本相続し、同じく高学歴になることも統計的に証明した。

彼はこれを文化再生産と呼んだ。特権的文化の世代間継承と、学校がそれに果たす役割を解明。

社会構造再生産され変化するメカニズムについて考察し、現象学主観主義を発展させることも目指した。

これらの研究は、自己を他者から区別する「卓越化」が構造化される過程の分析から

階級闘争まで触れた著書『ディスタンクシオン』としてまとめられた。

文化資本 - Wikipedia

「客体化された資本」(家庭の中にある文化的なもの、本、楽器美術骨董品、蔵書等)、

制度化された資本」(親の「学歴」、各種「教育資格」)、

「身体化された資本」(ハビトゥス;慣習行動を生み出す諸性向、「構え」「ふるまい」)

の3つの客体がある。

[フィンランド教育][ゆとり教育][詰め込み教育][つめこみ教育]

[教育][三つの教育][モンテスキュー]

シーサー株式会社

Amazon.co.jp: 封印される不平等: 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 佐藤 俊樹, 苅谷 剛彦: 本

上層の出身階層で育った子弟は、その家庭環境からして教育を受けることをはじめとして、

仕事においても努力をする意欲を強く持つのに対して、

低い階層の子弟ではそれが弱くならざるをえない。


学校外での学習時間は、低い階層の子弟ほど少ない。


「落第しない程度の成績でよい」と考えている比率は、低い階層の子弟ほど高い。

大学および短大は52.3%、大学に限ると42.4%

私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、扱いが変わる

[書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ

本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、

大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです

 決して「早稲田大学日本一大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、

ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、

名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います

 それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。

 社会って、不思議世界で、私は短大ときの私と何か変わった訳でもないのに、大学看板があるだけで扱いが変わるんですね。

 「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います

 でも、大学看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。

生まれた時代や、環境、性別から生まれる差は、自分努力だけでは乗り越えられないものかもしれないけど、

受験努力と運でなんとかなるから

自堕落生活…勉強本当にできない…

吉川徹の「学歴格差・不平等」という本

1親が中卒の場合子供大卒であるのは13.9%

2親が高卒場合子供大卒であるのは38.9%

3親が大卒場合子供大卒であるのは66.4%

YamaguchiJiro.com | 希望格差社会の現実

7月23日NHKニュースは、

10%の高校生授業料免除を受けており、

首都圏の高校では新入生の半分が学費を払えないために退学するところもあると報じていた。

生活保護 - Wikipedia

asahi.com(朝日新聞社):地デジ受信機支給へ 生活保護107万世帯に - ビジネス

足立区の小中学校に通う児童生徒の成績は、いずれの教科でも東京都全体の平均点を下回り、都内23区中最低ラインだった

同区の生活保護所帯は1万1000所帯。

これは、東京23区生活保護所帯の1割以上、日本全体の約1%だという。

家庭の生活苦は最終的に、子どもたちの学力低下に結びつく。

有名大学付属校ライフ、トータルでおいくら? お受験ブランド校・学費比較!

慶応

16年間

1700万円

ゴールドマン・サックス・グローバル・リーダーズ・プログラム

下記大学の2年生であること。

京都大学慶應義塾大学国際基督教大学上智大学

東京大学東京工業大学一橋大学早稲田大学

慶應義塾幼稚舎 - Wikipedia

幼稚舎出身の著名人

子供を幼稚舎に通わせた著名人

【教え育てる】慶応義塾幼稚舎

幼稚舎教育の大きな特色に、「6年間担任持ち上がり制」があります

入学から卒業までクラス替えがなく、基本的には担任も替わりません。

担任児童一人一人の成長と発達を6年という長い目で見守り、理解していきます

まり児童にとっては幼稚舎の6年間、担任は1人だけ。

SFC 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス - おかしら日記

「幼稚舎の歌」  

  福澤の 大先生

  お開きなさった 慶應義塾

社会学理論・研究ノート-大昔の偉い人は何を考えたのかー : ブルデューの文化的再生産論

大学以上の高等教育機関への進学者において、

中産階級子供たちと労働者階級子供たちとの間に明らかな階級格差が生じている現実を指摘する。

asahi.com:フランスの学歴インフレと格差社会―能力主義という幻想

管理職の父親をもつ男子の53%が管理職に就いたのに対して

労働者の父親をもつ男子では11%に留(とど)まっている。

東京大学入学者の70%以上が上層ノンマニュアルの子弟 - shift-jis

専門・管理職としてくくられる

上層ノンマニュアル医師弁護士大学教授などの専門職や、大企業官公庁管理職、および中小企業経営者など)と呼ばれる階層の出身者の割合が、

すでに1970年代から一貫して、ほとんど大きな変化もなく、高い値を示していることである

この20年間に、公立高校から東京大学に入る者の割合は、70%から50%へと大きく変化した。

かわって、私立高校の出身者は、30%から50%へと大幅な増加を示す。

しかしたとえ、どのような高校を経由してこようとも、もともとの出身階層の構成比率自体にはこの間ほとんど変化が生じなかったということである

・・・東大入学者は、私立高校の出身者の寡占状態を生み出すずっと以前から、すでに特定の社会階層出身者の寡占状態となっていたのである


成績と父親の職業中学2年生)

成績と家庭の年収単位:万円)(中学2年生)

成績と母親学歴中学2年生)

家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい

東大入学を有利にしているのは、「上層ノンマニュアル」の財力だけではない。

先の調査で示した20年間に、公立高校から東大入学する者の割合は70%から50%に減少した。

一方、私立高校の出身者は30%から50%へと増加した。

まり東大入学者の出身校が教育費の安い公立から高い私立へと移行しても、保護者職業構成は全く変わっていないのだ。

これは、財力以上の文化力、すなわち、眼に見えない「階層」が、そこに存在していたことを示している。


苅谷氏によれば、「家庭の所得が高いほど、また親の学歴が高いほど、子どもの成績がいい」という事実は、学者の間では一種の「常識」だったという。

しかし、そうした事実は、高度成長が始まる直前の1950年代後半から90年代後半まで、まるで存在しないかのように無視され続けてきた。

家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?

単純に進度が速いのだ。

公立高校生が3年間一杯一杯で学習するまでの内容を、

多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。

単純に早く終わるというだけでも、

ぎりぎりまで受験範囲の学習に追われるよりもアドバンテージはあるし、

さらに、その結果生まれたゆとり時間を使って、

演習などの受験対策も行なってもらえる。

教育について考える 「学力」をめぐって5 社会階層間学力格差

東京大学学生の親の年収は、どこの大学の親の年収よりも高く

2006年 読破した本紹介 : 稼ぐが勝ち / 堀江 貴文

東大

早稲田慶応より

お金持ちが多く、

お父さんが社長とかの子供が多く

東大入学者の保護者職業構成を、「東京大学生活実態調査」に基づき、20年にわたって調べたデータが紹介されている。

これによると、保護者職業1970年代から90年代まで、

医師弁護士大学教授などの専門職や、大企業官公庁管理職、および中小企業経営者などの

「上層ノンマニュアル」が約7割を占めている。

苅谷剛彦氏の「大衆教育社会」論

苅谷氏は『大衆教育社会のゆくえ』の中で、「SSM調査(社会階層社会移動全国調査)」において、

尾嶋史章氏が1990年にいわゆる一流大学旧帝大東工大一橋大、神戸大、東京外大大阪外大早稲田大慶應大)の親の職業を調査し、

上層ノンマニュアル医師弁護士大学教授などの専門職や、大企業官公庁管理職、および中小企業経営者など)の出身者がどれくらいか分析した調査結果を紹介し、次のように分析している。

 戦後生まれの若い世代である第三コーホート(四六~五五年生まれ)と第四コーホート(五六~六五年生まれ)の比較である

入学からすれば、第三コーホートの多数は、いまだ私立の六年生一貫校が隆盛をきわめる以前の、公立高校優位の時代に入った世代といえる。

(中略)この世代と、私立高校が有力になっていく次の世代とを比べると上層ノンマニュアルの親をもつ割合は、ともに七五%とまったく差がない。

まり東大だけではなく、それより範囲を広げた「有力大学」への入学チャンスをみても、私立高校が有力になる以前から特定の階層の出身者が入学者の四分の三を占めるという「寡占」状態が存在していたのである

ブログ&SNS コミュニティ CURURU(クルル)

2002年度の東京大学の第52回学生生活実態調査では、

入学者の保護者年収は、高所得者の割合が多い

(450万未満が10.1%、450万以上~750万未満が18.2%、

750万以上~950万未満が15.2%、

950万以上~1050万未満が22.6%、

1050万以上~1250万未満が12.8%、

1250万以上~1550万未満が10.6%、

1550万以上が10.6%)また、


平均年収では1014万円となる。

注4)飛びぬけて年収が多い層があるため中央値はもう少し低いと思われるが、それでも


同じ年の1世帯ごとの平均年収が589万円

注5)であることを考えれば、倍近い格差がある。

【東大生≒富裕層】中高一貫私立出身が半数以上、親の年収高水準 東大の学生実態調査★2

東京大学学生のうち、中高一貫私立校の出身者が初めて半数を超えたことが、同大実施した

2002年の学生生活実態調査で分かった。親の平均年収は相変わらず1000万円以上の高い水準だった。

調査を担当した市川一教学研究科教授は「公立高校出身の学生も大勢おり、

中高一貫私立校に行かなければ東大に入れないというわけではない。親の年収にもばらつきがある」と 概観しているが、

「(親の年収が高いことが東大入学に)何らかの形で有利に働くことはあると思う」と 分析した。 

http://anond.hatelabo.jp/20070826235204

格差云々よくわからんけど、学力的に難しい大学にはやっぱり金持ちな家の子が多いのは最近感じるようになった。

今、ボクは大学生でそこそこ入るのが難しいような大学に入れたと思ってる。これは個人的な感覚だけど。

勉強ができない人・成績の悪い人 - Slow Jamz


夫の学歴が高卒で、妻の学歴が大卒、結婚の同類婚指数は0.19

学歴と結婚と階級社会

母親が高学歴の男性、結婚相手の学歴も高い傾向=米調査


Amazon.co.jp: 階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ: 苅谷 剛彦: 本

Amazon.co.jp: 大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史 (中公新書): 苅谷 剛彦: 本


Amazon.co.jp: 格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには~ (宝島社新書): 三浦 展: 本


裕福でないと大学にいけないという幻想 - odz buffer


ところがその階層は決して上流じゃないという現実

上を見ればきりがない

ネクスト・ソサエティは知識社会である。ドラッカー


http://anond.hatelabo.jp/20110816094649

2007-10-09

現象学のフッ君は数学から哲学入って来てて

フッサール数学出来るけどギリシャ哲学を知らんからダメダメ

って、経済学者岩井克人が言ってたよ??

DK4R

2007-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20070723220214

まぁ根元増田見ると、

最初の段落で「みんな思考停止してるし、まぁ生きるためには実際しょうがないよね」

次の段落で「思考停止するためのツールとしては、歴史より宗教のが優秀かなー。」

って言ってる。

参照:http://anond.hatelabo.jp/20070723011850

 

で、元増田はそれに対して

「それは思考停止じゃないのか?」

って言い続けてるように私には見える。

(ここでいう思考停止ってのはいわゆるエポケーね。)

 

いやー、私も元増田の言ってることは間違ってないと思うね。

主客一致問題とかっていう問題でしょ?根元増田のひとつ下のレイヤーだよね。

でも根元増田は、そもそも主客不一致とかを最初から前提にしているのでは?

 

増田が気にしてる部分については現象学の本をかじれば載ってると思う。

竹田の「自分を知るための哲学入門」とか読みやすくていいね。

 

 

追記:

下のほうでも本を薦めてる人が居た。

http://anond.hatelabo.jp/20070723223245

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