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はてなキーワード: フーコーとは

2011-08-07

カオスランジのこと いろいろ疑問

大分話がでつくしてきたようなんですが、ここ4、5年日本現代思想コンテンポラリーアート業界にうとかったので、色々、わからないこと疑問になっていることでてきました。


カオスラウンジ宣言、これはなに?

無尽蔵に、彼ら的な言葉でいえば機械的に、作品(前芸術てきなものも含めた)が創造されていくネットアートにすると。「ネット」と「アート」の分断を克服すると。

ただネットというのは結局現象ですよね。ファインアート意味的に作品にはならない。

ある意味でその非・固定、永久に、automaticallyにつくりつづけられるシステムとしてのネット、を、どうしてピンで昆虫採集みたいに物理的に止めてしまうのか?そうしたらもうそれは『ネット→現象』でなくて『アート→作品(芸術としての)』への変換にすぎないんじゃないの?

いちばんよくわからないのが、東氏がいうところの、いわば郵便的可能性をネットがもっていると、そういうところを、まあアートでやると。

で、その郵便的な話をちゃんと喋れる東氏が理論的に助けててどうしてこんな単純なことに気付けなかったのか?????

素朴に疑問。


ネットアートの分断を克服する?

前段の疑問を百歩ゆずったとして、そもそもネットアートを分断を克服するって?分断していたの?

このへんがよくわからない。

ふたばとかPixivが、機構としてコミュニケーションの速度と多様性を支援しているのはわかるんだけど、それってカフェや飲みや、パーティーなんかで芸術家出会ってベラベラしゃべったり酔っぱらったり、その場でなんかやってみたりしてたのと、構造的に同じではないの?そーいう場にたまたまいた人が一緒にもりあがって、なんかになっていく感じも同じだし。創作過程という意味では全然分断していない。

彼らは発表の機会が云々とかいっているのだろうけど、そういうカフェや飲みやで話したりドンチャンしたことが作品?Pixivではポートフォリオとして使っている人もいるけど、ポートフォリオは静的で、彼らいっているところの機械的につくりつづけられるネットの有り様ではない。

加えてもしここでいうところのアート近代的な(ファインアート伝統の延長線上にある)アートではなく、語源としてのアート技術創造そのものとしたら、ギャラリーネットにある作品をわけることは始めからありえないんじゃないの????

これはどうしたいんだ??


アーキテクチャ

カオスラウンジ宣言に出てくるアーキテクチャという概念を東氏は引っ張っているようだけど、これってなに?

システムと力の話?ということはマルクスの疎外とフーコーの力と、構造主義ポスト構造主義における社会への眼差しがやってきたことをまぜて焼き直しただけ?

浅田彰が「そんなことはもうやってきた」ってのはそのとおりじゃないの?

なにがしたいの?


最初お祭り騒ぎなのかーっと自分も参加して面白かったけど、なんだか疑問ばかりになってきた…。

誰か説明してほしい…。モヤモヤ

2011-07-25

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

もし「金の卵」と「ヒッピー」と「ニート」が同時代に生きていたら

現在日本高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本好景気で(慢性的人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。

 

金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5

 

周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです

 

金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです

 

自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っていますテレビ受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。

 

戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレス寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います

 

ご存じでしょうね、1960年代若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピーです

 

ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

 

我々は現在若者を「第二次ヒッピー」と推定しています世界的な現象なんですよ、日本もそうです1960年代若者現在の大人)と違って現在若者大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。

 

これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者フリードマンフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。

 

旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです東京電力九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代ヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずですヒッピー無くして今日国際社会存在し得なかったということです国際社会未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです

 

応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。

今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。

 

一緒に若者を励ましましょうよ。未来の萌芽を枯らしてはいけないよ。

2010-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20101103122728

マルクス

カントマルクス

ヘーゲルアガンベン

フーコー

フロイトラカン

バトラー

ちょっと書けそうもないのが二本ある。

元増田の書き方からして明確な元ネタありそうだから、誰か教えて。

http://anond.hatelabo.jp/20101103122257

ウンコに見る疎外のシステム論」

観念と実在、ウンコにおける疎外の構造

観念論的存在者、ウンコに見る表象の変遷」

ディシプリンとしてのウンコ

「肛門期を突き抜けて―精神制度としてのウンコ

スカトロジーークィア理論からの汚物愛好論」


どれでも論文一本書けそうだ。切り口はフォイエルバッハマルクスからフーコーまで行けるな!

ウンコ哲学、むしろ哲学ウンコだと言っても過言じゃない。

2010-04-23

中二病ポエム(笑)

いにおと空気人形で泣いて

くるり相対性理論聞いて

カバンに読まない東浩紀入れときゃ

教養のある大学生』かい


フランス辺りの現代思想を使って

深夜アニメの解説やれば、あっという間に神様

自分に近すぎる話で釣るのってどうかと思うんだよ

って。君はなにを読んでるのさ

そんなもので孤独とかごまかすの


すごくすごく狭い所で話をしている自覚があって

それでも私は私と言えるほど自意識も抑えきれず

よりごのみしてるくせに友達欲しいとかって嘆いて

バランスの悪い人間関係ばかり溜め込む


手垢の付いたやり方でも、ワイワイしたかったな

けどどうせ冷めて、青ざめて、青い顔して去るんだろうな


ベンヤミンの話がしたいんじゃないんです先生

ただ、誰かと話をする権利が欲しくて『複製芸術時代』とか精読してるんです

意味価値にすがる弱虫は僕です

「自覚のないやつは痛々しい」とか言って

自分を縛って苦しそうな目を向けて

わかってほしいとか言ってるだけ


死にたい、って軽薄に言えたら楽なのかね

軽はずみに発するには年を食いすぎたよ

まだ一つも成長してないのに


デリダフーコーバルトプルーストヴァレリーを読み切ったら

いつか誰かが僕を愛してくれるのでしょうか

やり方が間違ってるのに


だったら嫌な顔してないでサークルはいればいいのにね

ってことで明日、読書会に参加してくる

がんばろう

必要とされたい

愛されたいんだ

2010-04-18

文学部によくあること

ハードゲイ」で連想するのはミシェルフーコー

サリンジャーは好きだが読んでる奴は大体嫌い

村上春樹を貶すのは素人臭いので、むしろ褒める。

ex「非常にテクニカルだよねぇ」

中島敦梶井基次郎は大好きだが、熱く語るのは恥ずかしいと思っている

ドゥルーズ理論をフォローするのはイヤだが、どうしてもレポートがまとまらない時の最後の手段として良く使う

純粋理性批判は読んだが判断力批判は読んでない

ポストモダン(笑)とかいいながら、自分自身が相当ポスモ寄り

ドストエフスキーラノベ」とか言われると「そうかもな」と思う

イタロ・カルヴィーノポールオースターといったポスモ作家に憧れるが、同時にイラつく

「巧いとは思うけど、小手先だよな所詮」

東洋哲学をいつかやらなきゃと思いつつ、絶対やらない。

イスラム教には比較的好意的

安部工房が嫌いな文学部生なんていません!

カフカカミュについて論じるのは恥ずかしい

サルトルは見下しているが、実は尊敬もしている

レヴィ・ストロースフーコーならレヴィさんが格上

しかし、ストロースについて論じるのはニワカ臭いのでヤコブソンについて話したがる

ゲイレズに限らず、ド変態に詳しい

変態を論じ過ぎてて、並の変態プレイでは驚けない

記号論が具体的にどんな学問なのか説明できない

脱構築って言っとけばなんとかなると思ってる

カルチュラル・スタディーズの全体像がわからない

ソシュールについて語るが、原著は無論読んでない

ソクラテスよりディオゲネス

ベルグソンって・・・読まなきゃダメ

共産主義については理解しているが、むしろ資本主義をわかってない

故に、経済論議をすると恐ろしく不毛

院行きたいね、は文学部で「こんにちは」の意

しかし、実際の院生を見ると同情を禁じえない

この世で一番ムカつくのは、講談社学芸文庫の値段設定

河出文庫チョイスの意味不明っぷりが大好き

就職活動を始めると、むしろ疎外感を味わう

ホモが嫌いな文学部生なんていません!

2010-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20100301021845

実のところを言えば。

これはとても不思議なことなんだけれど。

二次元ロリの(存在そのものを)規制する」っていうのは、現在哲学倫理学の潮流から考えれば

「ヴァッカじゃねえの?」ってレベルなんですよ。脳がどっか逝ってる。

中世に帰って魔女でも焼いてろってレベルなんですよ、いやコレマジで

これに関しては、多少なりともこの分野を齧ってた人間であれば絶対に異論は起こり得ない。

少なくとも、レヴィ・ストロース以降に学問を修めた人間がこんなことを言うなんて信じ難いんです。

いや、フーコー以後でもいいんですけど。

もちろん、不快原則に即して「興味ねー奴の目に触れない場所でやれ」は前述したロジックでいけるんですが、

その一方、現代法の精神に照らし合わせてもこの規制は全く以ってナンセンス、土人の所業としか言いようがない。

しかしですね、民主主義っつーのはそういうものなんです。

我々、実はミルとかその辺の色んな基盤を経由して来てはいますが、

ほんっとに最終的なことを言えば、「民主主義」ってのは全部ブチ壊しにするクソ制度なんですよ。

もし、あなたが最終的な法の基盤が何かを真剣に問うのであれば、「民主主義ってクソファックじゃん!」

って結論に至るのは最早回避出来ません。これを、ヒトラージレンマと言います。

いや、この単語は今思いついたんですが、とにかく民主主義というのはそれ自体が

非・民主主義へと向かう一つの経路なわけです。この部分を是正しようとしてる思想家としてはハーバマス辺りでしょうか。

* 娯楽上の問題。私が面白い漫画を読めなくする奴は○ねばいいんじゃないでしょうか。

* 芸術文学上の問題。人間性の多様な側面を描くことが人類には要請されているのであって、描けば描くほど人類は発展し、規制すれば規制するほど人類は衰退する。

* そして倫理・法思想上の問題。我々は一応自由主義国家として、自由主義的な思想に基づいた憲法を守らなければならない。今回の都条例はその基準に反している。

この三つ。二つ目は「それはどうだろう?」と思いますが

一つ目も三つ目も「あなたはそう思ってるかもしんないけど、ウチ民主主義国家だから。却下

っつー話なんです。そういうわけで、「ロリ」とか「ホモ」とかそういう存在は(最近は割りとホモ強いですけど)

自由主義恩恵になかなか預かれない、もう論理もクソもなく

キモいから死ねー」ということになっちまうわけなんです。

この問題に関しては議論の余地もなにもなく、「民主主義だとそうなるね」って感じな気がします。

自由主義的な原則が、多くの人にとって論題になりえませんから。感覚的にキモい、みたいなのが優先されちゃう。

我が国の教養程度が極めて低いっていう証左でもありますよね。

要するに、規制派にロジックなんか無えよって話。統計的にも、あるいは思想史的に見ても

こんな議論ケリついてんですよ。今更論じる価値もないレベル。でも、まぁ規制されるんでしょうね。どーにでもなれよって感じです。

2009-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20091001054250

ついでに学校もな。

これはつまり、病院というのは刑務所なのだ。

…はいはい。フーコー乙。

2009-05-30

日本文系、とりわけ法学部教養がない。

(この手の本を読んでいる人が、読んでそうな本を他にも挙げてほしい)


日本文系、とりわけ法学部教養がない。


理系学生書斎安藤忠雄建築事務所研究所)みたいな資料の山だとしたら、

文系(特に法)学生書斎立花隆ネコビルwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


規模だけでなく質でも文系(特に法)は見劣りがするね。

何度か連中の自宅に招かれたから、ちょっと参与観察してみたんだ。

冗談半分でさ。

仔細に文系 (特に法)学生本棚とか見てみると、これがもう滑稽なんだwwwwwww


面白いから蔵書タイトルを全部メモしたんだけど、

まずいきなり机の上に開いた状態の宮台真司権力の予期理論』!(笑)

プゲラを抑えるのに必死だったぜ。


続いて 何度も読んだ形跡のある伊藤柴田司法試験論文対策即席要点集(笑)。

お前サル かよ、それでも人間かよ、って問い詰めたくなったね(苦笑)。


他にもオママゴトみたいな社会学大辞典(笑)

カントマルクスをはじめとする岩波文庫300冊程度(笑)(日本語であって原文ではない)

オクスフォード英英辞典シソーラス(笑)

小林康夫『光のオペラ』(笑)

我妻民法(笑)佐藤憲法(笑)前田刑法商法(笑)新堂民訴法(笑)

山本国際法(←物凄い日本語w)

○○学がわかるシリーズ(プッ)

ソシュール言語学講義』(笑)

ダンスマガジン(お前ホモかよww)

スティグリッツ経済学 (笑)(しかも原文じゃなくて翻訳

ウィトゲンシュタイン論理哲学(笑)

アリストテレス詩学(笑)(せめてギリシャ語で読めよな)

フーコー『知の考古学』(笑)(「パンのように売れた」ベストセラー

三島由紀夫文庫(笑)

仏露独蘭伊中国語辞典(笑)

トクヴィル(笑)大江 健三郎(笑)コーポレート・ファイナンス(笑)ドストエフスキー文庫(笑)西尾行政学(笑)

柄谷行人文庫(笑)フロイトの技法(笑)Yale Law Journal(笑)ハンナ・アーレント(笑)浅田彰(笑)『構造と力』(笑)

別冊ジュリスト判例百選(笑)大前研一ワラシェイクスピア文庫(笑)

田中行政法(笑)中公『世界歴史』(お前高校生かよw)マンデル貨幣理論、(笑)

岩井克人ヴェニスの商人資本論』(プッ)


女子大生(特に法)が読む雑誌と大差ないMarie Claire(笑)

magazine litteraire(笑) Cosmopolitan(笑)Critical Inquiry(笑)

Le Monde(笑)The London Economist(笑) American Economic Review(笑)

Fortune(笑)Foreign Affairs(笑)Yale Law & Policy Review(笑)

The New England Journal of Medicine、Michelin(笑)


これだもんねぇ。

他にも数百冊 持っていたようだがあとは推して知るべし。

で、トドメ


ピーター・ドラッカー(笑)


ピエール・ブルデュー(笑)


フォーリン・アフェアーズ(笑)


ハーバードビジネス・ レヴュー(笑)


知の論理!!(笑)


もう俺その場で大爆笑。

プゲラー止まらなかったぜwww



参考までに連中の持ってた理系テキスト挙げようか。


ま、予想通りだけど、杉浦・ 解析入門(高校4年生の一般教養にはいいかもね)

岩波講座・現代数学の展開 (なぜかモジュライ理論、Lie環、Weil予想、コホモロジーw)

リーマン・アティヤー・岩澤・シュバレーヴェイユセールブルバキ・ウィーナーなど書店で目につくもの(持ってるだけね、知的ファッション

The Cell教育ママに 買わされた赤い電話帳ね)

東京化学同人分子細胞生物学』(ゲノム解析ブームの名残だろうな)

岩波数学辞典第3版(お前、万引きしたヤツだろ?これ)、

ノイマンゲーム理論経済行動』(笑)

プリゴジーヌ『散逸構造』(笑)

ファインマン 物理学講義(笑)


これだもんねぇ。

他にも何十冊か持っていたようだがあとは推して知るべし。


で、トドメ


日経サイエンス(笑)


ニュートン(笑)


大学受験過去問東大京大理系)(笑)


数学セミナー!!(笑)


もう俺、こんな連中と面識あるなんて、恥ずかしいね。

あいつらよく平気で外を歩いてるもんだ。

せめてNatureくらい読めよな、

文系(特に法)なんだからさwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



2009-05-16

節子、それ腐女子オタクやセクマイとちゃう、鏡や。

http://anond.hatelabo.jp/20090514063711からの続き。

新しく来た記事↓が、前回に引き続き色々とアレなので突っ込み

http://d.hatena.ne.jp/usukeimada/20090515/1242394132

 

前回は「腐女子は、セクシャルマイノリティ自分たちとを同列扱いしている!」と叩いておいて、今回は自分が同列に語ってるし、前回は「なぜそんなものを、遺伝子のように本質的なものとして背負い込む!?」と言いながら、今回は「おそらくそれらは自分で決めたものではないだろう。いつの間にか、そうなっていたものだ。」と言ったり、もう訳分かんないね。

  

なんかもう、「セクシャルマイノリティに対して理解ある俺」に酔ってんじゃないのかねこの人。

よくいる、自分の中の差別感情を覆い隠すために「私は差別されてる人の味方よ♪」アピールするタイプなんじゃないの。

こいつにとっては、自分の心の底に抱えているセクマイに対する攻撃性の転化先と、自分差別と戦う英雄でありたいがための悪役として、オタク腐女子がちょうど良かったわけだ。

前回腐女子に対して言ってた「「自分腐女子である」という言明を金輪際を止めればいいのだ。」って、本当はセクマイに対して言いたかったことなんじゃないの?w

案の定今回はそんな内容だし。

 

もっとも、「消費したもので私は作られる」という後期資本主義社会に位置づけられる今を生きる俺たちが、記号としての消費物からの「名付けの呪縛」から逃れることはできない。逃れることはできないが、それでもなお、その呪縛から自由であろうとする「余地」は残されているはずなのだ。それをなに、自ら積極的に背負い込んで腐女子を語り、腐女子であらざる言説を駆逐しようとするのだろう。

だから、そんなのもの最初から存在しないんだって…。

俺が批判したいのは、こういう背負い込まなくてもいい言説(レッテルといってもよい)をわざわざ背負い込み、なおかつ自虐的に語りさも自分が「虐げられる者」であるかのように振る舞うというその身振りこそが、現代的なナルシシズムの充足形態になっていることであり、そしてそのことを彼ら自身があまりにも無自覚だ、ということだ。

http://d.hatena.ne.jp/usukeimada/20090507/1241628903

言説を背負い込んでいるのは腐女子じゃありませんから。それお前ですから。

お前が腐女子に言説を背負い込ませ、レッテルを張り、呪縛しようとしている張本人ですから。

それで自由になれとかどういうことなの…? まず相手の自由を奪ってから、「おじさんが自由にしてあげよう(キリッ」ってことなの…?

よっぽど迷える子羊を救う英雄になりたいんですねwww英雄になるためには子羊が必要ですもんねwww

身近に子羊がいなかったら、ヤギを子羊に見立ててしまいましょうってかwwwヤギ超迷惑www

だから、そんな腐女子最初から存在しないんだってwwww

だから、今回あのような発作的、挑発的と思われかねない文章を書いたことは、そういう「好きなもの」を素直に表明できる人たちに対する、嫉妬心劣等感のあらわれだと指摘されれば、それは否定しようないことなのである、というのは最後に書いておく。

だったら、なんで自分の抱えている劣等感を他人に当てはめるの?

自分が『好きなもの』を素直に表明できないから、他人の足を引っ張って、表明できなくさせてやりたいです><」ってことですね。

全然自由じゃねーよwwww

そんな偶然的に決まったアイデンティティを、性だからといって自己の中核に据えるよりも、もっと大事なことだってあるのではないか。

それは、何か好きなものについて語る後ろめたさというか、語るということはおそらくいつかうちなる説明しようのない衝動に突き当たってしまうからで、そのことは僕自身にだって土台説明しようがないのだ。

どうやら自分の性質について何かしらコンプレックスがおありのようですから、「もっと大事なことだってある」と思って、偶然的な性質に向き合うことから逃げたいってことですかね?

まあ自身について個人的にそう思ってるだけなら自由だけど、それを他人に当てはめて押し付けないでくださいね^^

自分の性質について、逃げずに向き合うことのほうがずっと大事な場合もありますから。

 

どうもこの人には、自分の抱えている問題や感情を他人に押し付ける癖がありそうだな。

この人の脳内では、腐女子オタクやセクマイに向かって話しかけてるつもりなんだろうけど、それただの鏡ですから。

鏡に映った自分に対して、独り言言ってるだけですから。

他人に対して言っているつもりの指摘や提案も、全部自分に言っていることですから。

これからは、他人に対して何か言いたくなったら、その前に「もしかしてこれ俺のことなんじゃね?」って考えてみたほうがいいと思うよ。

理論っていうのは、自分の抱えている問題や感情を見つめ、それを体系付けて説明し理解するために使うには良いけど、自分の抱えている問題や感情から、目をそらして誤魔化して言い訳して正当化するために使うと、自分も周りも痛い目にあうから。

フーコーだのディスクールだのやる前に、もっと自分の感情を自覚する努力をしてみたら?

あなたが言及した人の大部分は、あなたよりずっと自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです(キリッ

 

大体ね、カミングアウトっていうのは、それをする本人の判断でやることじゃないの?

カミングアウトすることで本人が自由になれるんだったらすればいいし、自由になれないんならしなきゃいいだけの話でしょ。

そんなもん、抱えてる問題と状況によって本人の感じ方と周囲の環境が違うんだから、カミングアウトについて赤の他人がしろだのするなだの押し付けもんじゃないでしょ。

他人に余計なお世話焼く前に、自分のことをなんとかしろよ。

2009-04-20

最近はてなハイクの一幕

などとタイトルをつけてはいますが、どんなことが起こっているのかを説明するつもりはさらさらありません。あしからず。以下のお題に投稿するには余りに長くなったので、勝手ですがこちらを借りました。

漢字はいらない!でひとこと - はてなハイク

http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BC%81

上のようなお題がハイク内で立てられ、ちょっと盛り上がったので、以下、全力で釣られてみます。


漢字使用によるデメリット

既にいくつか指摘のあるとおり、表意文字としての漢字日本語から引き算して表音文字としてのひらがな/カタカナへ統一することは、朝鮮半島でのハングル使用が少なくない同音異義語を産出し混乱を招いている現況と同様の事態を引き起こすだろうマイナスの側面がある。


弱者とは誰のことなのか

漢字使用によって抑圧される弱者として日本語母語としない外国人を想定するのなら、その弱者の補助ツールとして各種翻訳サービスを挙げることができようが、ひらがな/カタカナのみで表記された文章の翻訳は、日本語において多量に存在する、しかし漢字による表記で区別可能な同音異義語を、前後の文脈から判断して行わなければならなくなる事態を引き起こす。現在の提供されている無償の翻訳サービスですらまともなものではないのに、余計に使えないものになるだろう。

弱者として視覚障害者を想定するのであれば、視覚障害者と晴眼者の差異、視覚障害者能力が障害と見做される由縁は、「読む」ことと「聞く」ことにおける「読む」ことの利便性に他ならない。ここで、書記言語から口語言語の優位性を説くのであれば、文字を拒否するという極端な姿勢もあり得ようが、一方では、漢字使用をやめたところで、「読む」ことと「聞く」ことの差異が縮まるというものではないことも容易にわかる。漢字の不使用に「わかちがき」の使用を追加したところで事態は変わらない。ところで、書記言語から口語言語の優位性が説かれるときに、今度は聴覚障害者や構音障害者が抑圧されているかのようにみえるのは、一体どういうことだろうか。

あるいは、単に漢字の読みがわからない、また付随して意味がわからない者を弱者として想定するならば、キッズgooなどの検索先ページへの仮名振り機能は強力なツールとして既に存在しているし、オンライン辞書ツールなどの使用による「学習啓蒙」がなされて穏当、かつ然るべきではないか。

また、補助ツールを用いずに弱者への配慮をhtml/xml記述されたページ内で完結させることを考えるならば(大体、html/xml記述されたページがメディア媒介なのだが)、例えばhtml/xmlruby関連タグを備えているが、投稿においてタグ使用できないはてなハイク仕様が抑圧的だという見方もあり得よう。しかしながら、これは視点を変えれば、タグ使用することができない弱者への配慮でもあることは付記しておくべきだろう。

それどころか、ruby関連タグxml1.1でようやく認められるに至ったのであり、この点でいえば現状のhtml/xmlが抑圧的であるという判断すらあり得よう。引き算の態度を貫徹するのであれば、漢字を拒否する前に、はてなハイクでの、いや、ネット上の書き込みを拒否する態度というのも、ひとつ考えられよう。あるいは、html/xmlにおける扱いについて問題の多い日本語使用をやめて、問題の少ないラテン系言語使用に踏み切るという態度もあり得よう。


弱者とまた別の弱者

話は変わるが、歩道に敷かれている視覚障害者用の点字ブロックがいかに妥協の産物であるか、病院等の公共施設採用されるユニバーサルデザインがいかに試行錯誤の、過渡の形象であるか、ということに目をやるのが良い。そこに横たわる根幹的問題のひとつは、弱者とまた別の弱者の利害不一致である。漢字の排除が同音異義語の混乱を招くという形式は、弱者とまた別の弱者の差異を捨象するという形式と相同的なのである。これは、弱者とまた別の弱者の双方に潜在する、共通する性質を汲み取り問題解決へ向かわんとする繊細な作業――それは、不十分とは言え、点字ブロックユニバーサルデザインを産み出す過程で行われている作業である――とは全く相反した暴力的行為に他ならない。ユニバーサルデザインが足し算の思考であるとは、確かに足し算の部分も引き算の部分もあるだろう。しかし、足し算と引き算しかできない小学一年生であれば、最小公倍数と最大公約数の思考の部分についてわからないのも無理はない。

見え隠れする幼稚なユートピア幻想

さらに、より根本的には、スピヴァク古典サバルタンは語ることができるか』で指摘したのは、サティー寡婦殉死)の実行者を被抑圧者としてカテゴライズすることだったが、スピヴァクはそれを決して否定したり退けたりなどしていない。外部の視点を持ちこんで、ある彼/彼女を被抑圧者として規定すること、これこそが抑圧以外の何物でもないが、しかしこの規定によって被抑圧者を被抑圧者と認識し、被抑圧者たる彼/彼女に語りかけることが、彼/彼女の身になって考えることができる。抑圧なしのユートピアなど幻想である。抑圧なしのユートピアがお好みならば、まずもって「私」という拭い切れない自己同一性を捨て去ってみればよい。想像はできる。「お前」と同定されることのない、「私」を「私」と呼ぶことのできない、抑圧なしのユートピアがそこに拡がっているだろう。まさに、「サバルタンは語ることができない」。かつてフーコーが打ち出した『魂は身体の牢獄である』という、一見したところトリッキーテーゼに込められていたかもしれない苛立たしさには、同意するに吝かではない。この種の原初的抑圧の暴力性には敏感であるべきだし、しかし、しばし躊躇いながらも、この暴力から笑いを産み出す昇華の方法を探るべきなのである。この昇華幻想ではない。理不尽に突き付けられた、尽きることのない、終わりのない、仕事だからだ。

終わりに

僕が何を言いたいのかというと、お題ができたら全力で釣られて、あーでもないこーでもないと盛り上がり、次第に飽きては、パロディ化して派生した別のお題で盛り上がり――そんな楽しいところがはてなハイクです。

――落ち込むこともあるけれど、私は元気です――

2009-02-06

シロクマ先生、ぼくはあなたを尊敬する。ラジオ先生を超える逸材として。

こんにちはid:mirrorpersonです。


根負けです。シロクマ先生はとにかくブレナイ。


だって、彼の手にかかれば、オタクの行動のそのひとつひとつ、そのすべてがコンプレックスの表れらしいですから。

たしかにそういわれれば、そうかもしれない。東京地検金商法違反風説の流布とかいって取り締まるくらい精神科医がおたくをあげつらうのは簡単なのかもしれません。

フロイトだって、ユングだって、夢がどうの肛門期がどうのと誰一人、科学的に検証できないことをさも真実のように騙ってきたではありませんか。でも彼らのでっちあげは今も、ミームとしてわれわれの頭の中にしっかり根付いているし、下手したらそうした物語真実としか思えないときがある。

精神科医が病を発見するのではなく創るのだといったのがフーコーですが、シロクマ先生もせっせと「オタクという病」を創っていってひょっとしたら、本当にオタク病気カテゴライズされる日もくるかもしれません。

聞くところによると、どっかの本で掲載されたらしいではありませんか。タンチョへの大いなる一歩でしょ。

最後にmedotoolz先生アドバイス

med先生もタンチョだしたいなら、もう少し、俗受けする程度の低い、なんだか決めうち、いっつもおなじこといってるような、それでいて妙に説教くさくて、すごく論理が単純なエッセイを書けばいいと思う。

がんばってね。

2009-01-29

アーキテクチャと思考の場所

仕事がはやく終わったんで、掲題のシンポジウムに行ってきた。

開始時刻に少し遅れて着いたんですが、600人収容の講堂はすでに立錐の余地もない状態。

中継会場も立見席しかない状態。

こんな「ウルトラ怪獣大行進」というか「フェラーリVS朝青龍VSミトコンドリアVS標題音楽」のような異種格闘技企画にこれだけの人があつまるなんて驚き。

まるで興味のなさそうな大学生カポーが座席でいちゃついててむかついた。

シンポジウムあずまんがひととおり趣旨を語った後に、『アーキテクチャ生態系』で名をあげた濱野智史基調講演その1で幕開。

この手の議論になじみのない人に配慮したせいか、ネットに広がるアーキテクチャ(地平)はリアル世界建築アーキテクチャと違って無限だよ、という話とある意味アーキテクト(設計者)がないネットは「人工」でありながら「自然」だよというベーシックな話を平易に語ってた。

すかさずあずまんが「ようは自然に見えるから人工のアーキテクチャに対して批判ができなくなってるのが問題なんだよね」とそんなこと濱野氏はひとこともいってないのに強引にまとめる。

まぁ、彼らの議論はそういうところにあるんだからいいかと思うけど、会場から微妙失笑も。

つぎはうのたんの基調講演。

白いスーツで登壇した宇野タンですが、緊張してるのかビビッてるのか異常な早口でまくし立てる。

挙動不審といってもいいくらい。

内容は「ゼロ年代の想像力」をふまえつつ、アーキテクチャもいいけど、倫理的実存的な問いも大切だからその両輪でいこうよという話にきこえた。相変わらず「母性ディストピア」がどうとか「悪い場所」がどうとかマッチョ説教がうざかった。

だんだんわけわかんない話になってきて、会場が「空気嫁よ」というふいんきに満たされる。

これもすかさずあずまんが強引うまくまとめる。

あずまん頭いいよ!!

ウノたんのえらく冗長な話を一発で簡潔にまとめる力。おそるべきプレゼン力。

で、これを受けて浅田彰コメント

つまんなかったのか「だいたい今日趣旨とか聞いてない。宇野とか濱野とかよくしらねーし。

いろいろ言ってるけど、あんまり新しいことを語っているように思えない。だいたい今も昔も批

評の場所もないんだよ。マルクス主義が失敗した時点で!」とツン発言。

なんかこのシンポジウムはどこに行くんだろうと思ってたら中継画像が切れる。

復旧の見込みがないので、立錐の余地のない本会場に突入

しかし、全般的にこのシンポジウムはロジが最低だった。

ついたときには磯崎新が「アーキテクチャアーキテクチャってうるさいよ。なんでもアーキテクチャ

ていうな。定義汁」といい、続いて宮台も「俺も今日趣旨は聞いていない」と切り出してあとはハイエ

クがどうこうと好き勝手しゃべり、「今日シンポジウムは失敗なんじゃないの」とまでいう始末。

たしかにそれぞれが好き勝手なことしゃべって論点がまったくぼけてしまい失敗したようにみえたけど、が一番悪いようにも見えた。

宮台の散漫で冗長な話をいっしょうけんめいあずまんがまとめては一本の論点に集約させようとしていた。

結局、あずまんがいうところの「アーキテクチャ」に関してそれぞれがひとつにまとまった問題意識をもっていたわけではないので、あ

まり議論はかみあわず、お題に対してそれぞれが好き勝手にしゃべる場になっていたのは残念だけど、それなりに「アーキテクチャ

をめぐる「論点」が総花的に提示されたようにも見えて有意義だった。

なぜか「ひろゆき(2チャンネル管理人のね)と公共性」が途中からメインイシューになってたけど、これも「アーキテクチャ」を

語る上ではずせない要素なのかもね。

あと、ウノタンは最初の基調講演と1回しょうもない発言をしたあとはずっと黙ってた。

どうも場違いだったようにも見えた。うのたんの最後のコメントは聞かずに帰った。

時間立ち見だったので腰が痛い。



付記

うのたんは最後に「6割はどうでもいい話だった」といいはなち、「大文字の公共性はある」と叫んで行ったらしい。

うのたんのいう公共性って「ジャニーズドラマ仮面ライダー純文学アニメも語れる俺こそが島宇宙を越境した公

共性の司祭だ。みんな俺になれ」っていう程度のことでしかなくね。

うのたんは会社員はやめないほうがいいと思う。

批評家としては早晩寿命がつきると思うから。6割どうでもいいというけど、ついていけなかっただけなんじゃない?

メルロ・ポンティフーコーハイエクも読んでなさそうだし。ぼくも読んでないけど。

2009-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20090104162837

私が想定していたポストモダニストボードリヤールとかデリダとかフーコーでしたが、

斎藤環さんも東浩紀さんもソシュールデリダを下敷きにしている立派な学者さんなのでいいんじゃないでしょうか。

読みやすいですしね。


往復書簡の類は内容が上滑りしがちなので

本気で読むのならよしたほうがいい気がします。

2009-01-03

吉本隆明フーコー

1978年、ぼくはミシェル・フーコーに会った。彼は1926年生まれだから、そのとき52歳、ぼくあh39歳だった。会ったといっても、文芸誌「海」での吉本隆明との対談企画者として立会っただけの話である。この対談、後に『世界認識の方法』(現在中公文庫)として単行本になり、『集成』第VII巻にも再録されている。

この対談終了後、フーコー吉本隆明に「往復書簡をしたい」と語った。社交辞令とは知っていたが、編集者としては敢えて真に受け、早速、吉本隆明に長文の手紙を頼み、出来上がった原稿を対談通訳者でもある蓮実重彦翻訳してもらい、フーコーに送った。内容は忘たが、道元ヘーゲルを巡っての、五十枚ほどの原稿だった。原稿を渡す時、吉本隆明は「ぼくの書いた内容なんて、フーコーさんなら当然知っていることばかりだけどね」と言い、また仏訳した原稿ベルギー出身の訳者の夫人に見せると、「この人、頭、悪いんじゃない」と言われた話など、いまでは懐かしい思い出だ。

夫人がなぜそんな言葉を口にしたのか。欧米人らの論文は、まず結論を先に述べ、それを論証する形で話を進めるのに対し、日本人、中でも吉本隆明のそれは、紆余曲折しながら何となく結論に向かう書き方ゆえ、原文に忠実に翻訳すればするほど、外国人には「頭が悪い」との印象を与えるようだ。国民性の差というやつだ。

件の手紙を出してから一年ほど経ったころだろうか、日本在住のフーコーの友人を通してようやく返事がきた。しかし危惧した通り吉本隆明の論考は意味不明、従って「返事は不能」とのことだった。またフーコーは、「吉本さんはヘーゲルドイツ語できちんと読んでいるのか?」とも問うたようだ。口先だけで国際化を論じるのは簡単だが、こうした一例を取っても、道はまだまだ遠いのだ。

2008-12-23

ロリコンセクシュアリティとしての特殊性と、その措置の妥当性

http://anond.hatelabo.jp/20081223010218

まとめると、前提として、「幼児性愛者と、幼児性愛行為による加害者は全く別物」というごく当然の常識を置いた上で、

a.合意形成した場合の、合意主体間の非対称性の問題と、

b.一般的な規範システムとの齟齬:「法律上」「社会通念上」

c.他のセクシュアリティよりも、性犯罪に至る実質的な危険性が高い

の問題の3つの要因から、ロリコンは他のセクシュアリティとは区別されるべきである。という話な。

[a].合意主体間の非対称性の問題について:非対称性があるというのはホントか。

性行為そのものに同性愛全般や、異性愛全般よりも、当事者間に非対称性が発生する可能性が高く、それが問題となりうる可能性が高い、というのはその通りだと思う。

ただまあ、ロリコン一般ってもけっこう含意がひろいからある程度、グラデーションなのよね、そこは。

性行為については「被害者」「加害者」のくっきりとした色分けが難しい場合があるからなぁ

a1.相手が性行為について十分な知識と判断能力を持ち、かつ行為を行った相手に対して一定以上の性的欲望を抱いていており、合意した子の場合。(これはOKではないか、と)

a2.相手が性行為について十分な知識と判断能力を持つが、行為を行った相手に対して合意をしていない相手の場合。(これは大人のレイプと同じ扱い)

a3.相手が性行為がどういうことであるのか、理解が中途半端な場合。(いちばん微妙

a4.相手が性行為の意味を理解していない場合。ただし、被性行為に対して被害者感情を抱かず、実質的な被害(妊娠など)がまったく起こらない子の場合。(これも扱いが微妙

a5.相手が性行為の意味を理解しておらず、かつ、被性行為に対して被害者感情を抱く、あるいは実質的な被害(妊娠など)が起こる子の場合(これはわかりやすくアウト)

現行の社会通念や、法律との衝突さえなければ、「a1」に関してはOKだと思うけどね。

a3」「a4」はめんどくさいけど、まあ、グレーだから、黒ということにしたほうがラクなので、1と2の間で、白と黒の境界線を引くのがいいかなぁ。



[b].合意形成の非対称性を認定する規範システムについて:法秩序に反するとまずい、という説明はどこまで妥当か

「現行の法秩序に反する」からダメ、という議論については以下のような反論がありうる。

「現行の社会通念にはまったく反しない(むしろ推奨される)が、現行の法秩序には残念ながら反する」行為があった場合、それは法秩序のほうの変更が要請されると思われ。「法的にまずいから、まずいんだ」式の議論は、個人の利得を考えた上での行動基準としては妥当だと思う。だが、一般論としてそれを言ってしまうと、いかなる悪法もそれが法である以上、それに背く全ての議論がだめだと言うことになってしまうのできまずい。よって、「法に反するから」はそれ単体では責めを追うべき十分な理由とは言えない。

同様に「社会通念に反する」からダメという議論については以下のような反論がありうる。

現行の社会通念に反するとしても、様々なことを鑑みると、社会通念からするとよくないことになってしまうが、社会通念から外れた考え方をしたほうが、意外とみんながみんな幸せになれる解決法に近いもの、というのがある。よって、社会通念に反するから、ということだけでは十分な理由とは言えない。

ただ、もちろん。「十分な理由」ではないだけで、「一定程度、説得的な理由」だとは認められるべきではある。考慮されるべき指摘ではあるが、それで議論をすべて終了させてしまえるほどに強い理由ではない。

まあ、そのことを確認した上で

 [a]で確認したグラデーションは、どうやって認定するのか、という問題がある。たとえば、

b1.年齢

b2自己申告

b3.周囲の大人10名程度

b4.性知識にかんする常識チェックテスト

b5.精神科医等によるチェックシステム

b6.一般的な知能検定

 などが考えられる。いずれか一つかの認定基準だけでは、不完全だと考えられる場合が多い。

 (例えば、IQ160で性知識豊富な15歳の女の子が、1年以上悩む期間を与えられた上、あきらかな自発的合意の上で行為に至ったと認められる場合に、子の親が被害届けを出したとき)

 現行は、「1:年齢」の基準が適用されているが、

 あたりまえだが、年齢という基準だけでは、「a1」「a2」に類する事例も含んでしまうので、現在の法システムはかなり不完全ではある。なので、「ほんとにまずいロリコン」と「別に実質的にたいして問題がないと考えられるロリコン」とがかなりおおざっぱに放り込まれている。よって、「ロリコンは悪いのか」といったとき「ロリコン全般」の問題が迷路に迷い込んでしまう。「現行の法的基準上、問題になってしまう」ということではおそらく、議論が難しい。



c.ロリコンが他のセクシュアリティの持ち主よりも、強硬手段に及ぶ可能性は本当に高いのか

 わからん。

c1. じゅうぶんに妥当と認められる程度において小児への性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の小児性愛志向を有する者の全て

c2.じゅうぶんに妥当と認められる程度において同性愛への性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の同性愛志向を有する者の全て

c3.じゅうぶんに妥当と認められる程度において異性愛への性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の異性愛志向を有する者の全て

c4.じゅうぶんに妥当と認められる程度において両性愛への性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の両性愛志向を有する者の全て

c5....じゅうぶんに妥当と認められる程度においてその他の性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定のその他の性的志向を有する者の全て

 の割合を比べた場合に、c1が、c2,c3,c4,c5...と比べて有意に高いと言えるのかどうかを調査した研究があればそれに従う。

 しかし、グーグルスカラーでさらっと論文検索してみても、この問題をきちんと正面から調べてるっぽい研究みつからず。

 確かに、理屈的に言えば、13歳以下のロリコンの人とかは、13歳以下と行為に直接に及ぶというのが最大の性欲求達成行動にはなる。

 しかし、チャイルドポルノロリコン向けエロマンガ等による代理的機能がどの程度でかいかも、わからず。結論:わからない。

 よって、たぶん、現在までのところ、「ロリコンが異常で犯罪に及ぶ率が明らかに高いセクシュアリティである」は出ていないと思われる。

 あるいは、たとえ、ロリコンが他のセクシュアリティよりも、多少危険だったとしても、

 「酔っぱらって、レイプしちゃうオヤジ」とかの危険率を上回るかどうかとかいう議論に応じて、議論にはかなりグラデーションが出るはず。

ということで全体の結論:

 改めて議論をまとめると次のようになる、

1.深刻な小児性愛者の一部が、他のセクシュアリティの持ち主よりも、当事者の合意を得ない性行為を行ってしまう可能性はある。だが、そうでない可能性ももちろんある。

2.現在小児性愛犯罪を認定する法的基準がじゅうぶんに妥当であるとは言えない可能性がある。

3.小児性愛者は、他のセクシュアリティの持ち主よりも危険であると推測される理由は存在するが、実証的に示しうる根拠はない。

 つまり、

 小児性愛者が、他のセクシュアリティの持ち主よりも危険である可能性はありうる。

 だが、ほんとうに危険かどうかはさっぱりわからないので、それは可能性の議論にすぎない。

 小児性愛者を犯罪予備軍として扱うのに十分妥当と言いうるだけの根拠はない。

 よって、

 小児性愛者を犯罪予備軍として扱うのは早計であるばかりでなく、セクシュアルマイノリティへの妥当ではない社会的差別や抑圧として働く可能性がある。

 少なくとも現時点では、小児性愛者全般を、深刻な犯罪を犯す可能性が高い人々だと考えるのは積極的には認められるべきではない。

補:新たな論点・性犯罪から子供を守ろう運動の妥当性

 はあると思う。

 ロリコンの人全体が非難されるべきではないけれども、

1.レイプセクハラが防止されるべきなのと同じ理由で、その運動は妥当な運動である

2.しかも、レイプセクハラよりも、被害を受ける側がより一方的に無力な被害者となりうる可能性は高い。

 なので、レイプセクハラよりも重点的に行われるに足る理由がある

 しかし、

3.子供性犯罪から守る運動が、小児性愛者を抑圧する形で展開された場合、それは過剰な社会的差別や抑圧として働く可能性がある。

 子供性犯罪から守る運動が、小児性愛者への攻撃として行われているのはなんともなぁ。

補2:

この記事では、ロリコンペドフィリア小児性愛者といった用語をあまり厳密に区分して使っていません。すみません。

補3:

fromはてブ

「家庭内DVみたいなものとして、ロリコンが問題になりやすい」点も要考慮とのことです。

これは、統計とかで出してくるのが難しいからなぁ…

被害者がだまってしまうだろうし。でも、たいへん重要な指摘。

 ただ、これも「ロリコンセクシュアリティとして禁止すること」によって積極的に解決ができるタイプの問題というよりは、「非公共圏(親密圏)における暴力の解決」という枠組みで処理したほうがいいように思われる。セクシュアリティそのものを抑圧しても、問題が目に見えなくなるだけで被害は増えると思うので。

 非公共的な空間における暴力発生メカニズムについては、最近まで積ん読して放置しておいた内藤朝雄の『いじめ社会理論:その生態学的秩序の生成と解体』は評判通りけっこうおもしろかった。でも、どういった介入が効果的か云々って話はむずかしいよなぁ。そこから先は専門家の領域になるんだろうなあ。ただ、「専門家」においても、ロリコンを、セクシュアルマイノリティとして認めるよりも先に、「犯罪者予備軍」的な先入観から入る人が多いから、なんかあんま会話にならない場合とか多いよね。この領域こそ、まさしくフーコー的な話の出番っつーか、いや、まあ専門でやってる人たちはおそらくそこのディスコミュニケーション状況とかにとっくにげんなりしたままはや数年とかっていうような世界なのだろうけれど。漏れも、知り合いの福祉関係仕事やってる人にロリコン擁護的と受け取られる発言するたびに、白い目で見られるものなぁ。

 あと、人に教えてもらったがこのページも問題提起的ですた

 http://www7.plala.or.jp/vitamin/p/sub01.htm (昔懐かしの、トップページでいきなり音楽がながれるページなので要注意)

補4

→続き的なエントリを書いたよ。

ロリコン」の論点整理2

http://anond.hatelabo.jp/20081224223749

2008-12-17

my nature is ...

消したようなのでバックアップしておく。

http://anond.hatelabo.jp/20081216205541

僕の周りにいる人間はみんな馬鹿でして、ああこいつなんて頭が悪いんだと思ったことは数知れず、いや、数はどうでもよいのですが、僕が人を見下すことにかけてずば抜けた才能を持ち合わせているのかについて多少書いておこうかと。

小学校に入学したときから卒業するまで、ずっと「今学期先生クラスみんなの前で名指しで何回褒められたか」を数えることを欠かしませんでした。授業中積極的に手を上げた、1回、進んでクラス委員を引き受けた、1回、今学期は12回だったので前より減ってしまったな、とこのような調子でした。クラスみんなの前でというのが大切な条件であり、例えば班を組んでいる中で褒められたものは数に含めません。どのように振舞えば先生に褒められるか考え、意図した行動で褒められればよしやったという気分になりました。3年生と4年生のときには、帰りの会でその日のクラスメイト善行を褒め非のある行いを諌める制度がありまして、そこでもできるだけ僕の名前が出るよう、音楽時間には楽譜の読めないクラスメイトのために楽譜カタカナのド・レ・ミを振ってやったり、給食係の後片付けを手伝ったり、分度器を2セット持ってきて忘れたクラスメイトに貸し与えたりと、さまざまな恩を振りまいていました。恩のパターンを増やしてできるだけクラスメイトが僕を褒めやすくするよう気をつけ、また適度に僕もクラスメイトのよかったところを褒め、褒められてばかりの状況にしないよう気をつけました。おかげで先生の僕に対する心証はすこぶるよろしく、三者面談ではクラスの中心になってよく頑張っていると必ず褒められ、毎学期の通信簿も上々の出来でした。いや、さすがに小学生の僕でも意図してここまで厭らしく点数稼ぎを行っていたわけではなく、どのような振る舞いをすればよく見られるのかということを意識しないまでも身体に染み付け、そう振舞うように僕は自律していたのでありました。

僕が勉強しなくてもよい成績を取れることに気がついたのは中学生の時分でありまして、テスト前に1週間くらい勉強すれば普段はなにもしなくても簡単に高順位が取れる、勉強時間では周りの生徒より少なかったかもしれません。そのころは親や先生や友人にちやほやされて気をよくしていたものですが、高校に入ってからは同じやり方で学年トップが取れるようになりまして、周りの皆様は僕のことをさらに頭がよいとみなすようになったものですから、すっかり天狗になってしまい、それと同時に頭がよいことは僕のアイデンティティであり触れえざる自尊心のよりどころとなりました。これで周りの人間普通に接することができれば僕は普通秀才君になれたのですが、元より卑しい性根の持ち主ですから、必死に勉強して自分より成績の劣る生徒を見下すことに快楽を覚えるようになって、それでもその卑しい性根を表面に出さなければまったく問題のないことなのですけれど、そんなことできるわけもなく、勉強の話になるとどうしても自分を売りたくなってしまいます。河合塾模試で全国20位くらいになったときが絶頂期でした。教壇の前で先生から模試結果と図書券をもらった日には、一日中にこにこと気色の悪い笑みを浮かべ、友人が僕に模試の話題を振ることをまだかまだかと期待していたのでした。そんなことをしながら僕は自尊心をさらに肥大化させるのですが、臆病な自尊心尊大羞恥心といったところでしょうか、恥をかかされることを極度に恐れ、周りもそれは察していたようで何か壊れやすいガラス細工の置物のように僕を扱うようになりました。

それなりによい成績を維持し続けることができたので、大学も難関と呼ばれるところに合格し晴れて入学、さあ知の世界とやらにはどんな人間が集まるのかと期待していたものの、1年くらいたつと、あれっ、どうも違う、こいつらは自分と同じくらいの学力のはずなのにどうにも頭が悪いらしいと感じるようになりまして、そうなるとさあ持ち前の腐った性根の出番だ、友人との会話にちょっと難しい言い回しを使ってみたり、アーレントだとかフーコーだとか少しかじっただけの知識をべらべら披露してみたり、そうすると友人は僕のことを頭がいいと尊敬するようになるので、僕の悪癖は余計に拍車がかかるのでした。小難しい言い方をするやつは頭がいいと見せかけたいだけで本当は馬鹿だなんてよく言われますが、これは案外あたっているような気がします。

大学生はみなTOEICを受けるというので僕も受けてみところ、1回目は何も対策を採らずに740点くらい、世間では皆様が730点を突破するのに必死こいているのに僕は易々と通過してしまい、2回目は3日勉強して830点くらい、何だ簡単ではないか、TOEICが難しいといっている連中馬鹿ではないのかなどと今でも思っているのですが、とにかく程ほどの得点が取れたのでTOEICには飽きてしまいました。TOEIC830点なんて何のことはない、実はTOEICで流れてくる英語が聞き取れるだけで、普通英語英会話教室の教師のようにゆっくり話してもらわないと聞き取れませんし、会話などできるわけもなく、外国人教官に質問するときはあらかじめ質問文と対応を考えておいてそれをそのまま述べるという情けない有様でした。それでいてリスニングスピーキングの特訓をして英語力をつけようともしないのです。なぜならばれて恥をかく心配がほとんどないから。己が羞恥心それだけが汚されないために勉強してきた人間なのです。そのような恐れがなければ当然努力するはずもありません。

僕の怠惰性格はとうとう大学へ通うことすら妨げるようになりました。と、ここで疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。「大学へ行かないで引きこもるのは恥ではないのか?」そこは舌先三寸、まず「自殺したい」と言って心療内科にかかって抗鬱剤などを処方してもらい、家族教官に「鬱になった。医者に薬を出してもらった」などと言えば、大概は「無理をしてはいけない、しばらく休むといい」と心配してもらえます。最近はこのように鬱でもないのに医者にかかって「自分は鬱だ」と言い訳をする人が増えているらしいのですが、自分の両親は落ち込んだ表情と声色を使って「鬱で死にたくなった」と言っておけば簡単に信じ込むことは心得ておりましたので、当初の見込みどおりに鬱を装い実家帰省、こうして日本にまた一人のニート誕生したのでありました。いや、人を騙すのは簡単だ、両親が二人とも馬鹿でよかったと、そんなことをたまに考えることがあります。

未だに僕の邪悪な性根、穢れた精神は誰にも知られておらず、嫌味なやつと思われることはあってもここまで腐りきっていることは誰も想像できないでしょう。裏表のある人なんてのはかわいいもので、外見は変哲もない人間、中を見たら中はダニゴキブリ、ハエ、蟲、蟲、蟲、糞便、尿、吐瀉物、血液、汚泥、悪臭、ありとあらゆる汚物が満ち満ちており、誰も想像しえぬほどの穢れた、醜く、忌まわしき、獣の、ああ、言葉では言い尽くせないほどの本性を僕が隠し持っていると考えるだけでも、気持ち悪い、殺したい、殺したい、殺したい、なんとかしないと。

鏡で自分の顔をずっと見つめていると段々おかしな気分になってきて、鏡に写っているのは本当に自分の顔なのか、実はそうでもないような気がしてきて、そんなはずはないのだけれど、物理法則は絶対のはずなのだけれど、頭の中が掻き回される感触、ぐるぐる、ああ気持ち悪い、見ていると吐き気がする。

少し落ち着きました。ついでにネット上での活動も懺悔ついでに書いておきましょう。一丁前にウェブサイトブログも運営しておりまして、そこでもまた例のごとく、どこかで聞きかじった知識をつぎはぎしてさも自分で考え出した理論であるかのように雄弁を、そうネット上では雄弁をもって披露していました。それらしいことが書いてあるので馬鹿がどんどんブクマしてくる、まともな人が見れば「これはひどいタグをつけるところでしょうが、若干のアカデミズムをちらつかせておけば文盲を引き付けることは十分容易いのです。「こいつら本格的に馬鹿だなあ、これでネットリテラシーとか言ってたりするのかなあ(笑)」などと思いながら、一方では人がたくさんいる掲示板を首尾よく荒らす方策などを練っていたり、はてなにいくつかアカウントをつくって気に入らない記事にネガコメ攻勢をかけるなど、裏ではネットの荒れ模様を作り出すことに労力を費やしていました。2ちゃんねるで6年くらい続いていたスレッド糞スレ化することに成功したときは快感でした。FAQに載っているような質問をパターンを変えてしつこく繰り返す、自分で投稿した質問に対して「テンプレ読め、ぼけ」などの煽りを入れるとたいてい誰かが加わってくれます。自作自演と見破られないように手を変えながら同じことを、徐々に間隔を詰めて繰り返し、返答の煽り具合も過激にしてゆけば、次第に通常の質問でも荒れ出しついに人がいなくなってしまうという手法でした。かなりたくさんの人数を操作できたので非常に満足しました。よもやあの○○さんがこんなことをしているとは思わないだろう、あはははは。

ネットは僕の本性を活かすには恰好の舞台でありました。リアルな僕の存在を知られる可能性は警察沙汰にならなければ限りなく0に近いので、僕は本性に従った行動をほぼ無制約に起こすことができ、それは大変素晴らしい所でした。甘美。エクスタシー。こんな馬鹿げた駄文匿名でなければ流すことはできないわけでありまして。

人間はみな、かくも恐ろしき二面性を持ち合わせているのでしょうか。僕はいつからか自分の本性に薄々感づいていましたが、自分内面を覗いてみたついさっきはっきりそれを自覚したため、言葉にして綴ってみたら気持ちの悪い感覚が離れず、自分の身体の中はどうなっているのだろうか、本当に筋肉があって臓器があって人間の身体なのだろうか、皮膚を切ってみたら肉は少し見えたけれどバラバラにしないと本当のことはわかりそうにないので、しかし自分でバラバラにして自分の目で中を見るような器用な技は持っておらず、諦めるしかないのかなあ。考えれば考えるほど、螺旋階段を下りるように、闇の底へ、もう戻れない、何もないのか、いつまで続くんだこれは。

2008-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20081216205541

なんか、きもがられたり、ネタ扱いされたりしてるけど。

とりあえず、ネタなのか、マジなのか、よくわかんないけど。

ネタなら問題ないのだろうけど。

マジなら、とりあえず、これ完全匿名で書いてないで、もう少しだけでも同一人物であることが同定可能な場所で書くことをおすすめするよ。

別にずっと同定可能でいろとはいわないから。

わたしは、あなたが気持ち悪がっているあなたは、あなた自身が内面化してる視線に他ならないので。

耳学問でも、フーコー知ってるなら、わかってくれることを期待。

あなたが内面化してる、自己自身に対する観察が、いまどれだけあなたが思っているようなものなのか。

あなたがどんな記事書いてたか知らないけど、DQN釣り系の記事書いてたら、そういう尊大さは自己循環するだろうけれど、せめてDQN相手にしない記事かいてみたらいいんじゃない?っていうか、ガチ高学歴モヒカン族相手に論争してないでしょ?ガチモヒカン族相手に論争しかけたら、自己観察はもう少し変わるとおもうよ。

2008-11-19

図書館には何でもリクエストしていいと思うけど。

月に約30冊のペースで図書館リクエストしてました。それこそ様々な本を。

新刊で気になる本はもちろん全てリクエスト出すくらいのペース。

自分で買うにはちょっと高い本、マルクスの「資本論」もそれで読んだし、上野千鶴子の「家父長制と資本制」のような買うと高い本もそれで読んだ。

フーコーとかも高いよね。社会人には買えるかもしれないが、高校生が買うにはちょっと高いんだ。本当に図書館図書館員には感謝してる。

絶版本をリクエストしたら、近隣に無い場合は国会図書館から取り寄せてくれる。図書館は素晴らしい社会インフラ

もちろん、それだけリクエストしてたら、様々な本が入るんだけど、もちろん全部答えてくれた。

O嬢の物語も、ソドムの120日もリクエストして読んだ。

デヴィッド・ハミルトンとか、ロバートメイプルソープ写真集とかも普通リクエストしてたけど普通に入れてくれたよ。

デヴィッド・ハミルトンはもちろん思春期少女えっちソフトフォーカス写真がいっぱい載ってるようなものだし、

メイプルソープわいせつ物にあたるかどうかで最高裁まで争われるほどのものだったけど。


で、官能小説とかポルノ図書館で実際に制限されてるとか自重とか言ってる人は何なの? 妄想

リクエストして、そのようなリクエストの頻度がそれなりにあれば普通に購入されると思うけど。

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