はてなキーワード: 人類学とは
Orderly disaster reaction in line with deep cultural roots
http://news.blogs.cnn.com/2011/03/12/orderly-disaster-reaction-in-line-with-deep-cultural-roots/
災害発生時にしばしばつきものの、人々の混乱――食品・サービスをめぐる略奪やいさかい――が日本においては皆無であることは、注目に値する。
「略奪(looting)は単に日本では起きないのだ。われわれがlootingという言葉を聞いたときに想起される概念を明確に表すことばが存在するのかどうかさえ、私にはよくわからない」と、グレゴリー・プルーグフェルダー氏(コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センター所長)は言う。
日本人は「社会への責任を第一に、最優先する感覚」を持っている、と同氏。
日本文化を研究するメリー・ホワイト氏(ボストン大学人類学教授)にとって真の問題は、なぜ米国社会には略奪や無秩序が存在するかということである。同氏はその原因を、社会からの疎外と格差のせいだとする。
「確かに日本にも多少の疎外や格差はあるが、暴力をふるったり、他人のものを盗んだりすることは、文化として是認・支持されない」(同氏)
プルーグフェルダー氏は会議のため日本におり、東京での落ち着いた反応をじかに目撃している。東京は8.9Mの震源および広範な被災地からは、数百マイル離れた場所にある。
「国会図書館では、閉館時間から1時間半にわたり利用者が館内に残ることが認められた。これは私が災害の大きさを認識した理由のひとつだ。通常と比較してこれほど予定が変更されることは、きわめて異例だからだ」と同氏は言う。
夜半過ぎ、地下鉄が再び動き出したときに整然とした行列ができたことも、プルーグフェルダー氏の印象に残った。
「そのような社会的秩序や規律は、通常時においてもかなり浸透しているので、緊急時でさえ、いつもの慣れた姿勢を維持することは、日本人にとってきわめて容易なのだと思う」
日本文化の基盤となっている協同精神は、災害時のストレス下において、さらにいちだんと効果を発揮するようだ、と同氏は言う。
「(フリーマーケット的なあり方で)他者も同じようにふるまうという理解のもと、自分自身の利害を守るためにできるかぎりのことをする。そして秩序は、見えざる手のようなものから生まれる」
「日本はそのように機能しない。秩序は個々の多様な必要性を平均化するような形で、集団や共同体から発生するように見える」
このような社会的態度は、日本が災害から立ち直るのに役立つだろうか。
「ひとことでいえば、イエスだ」
http://anond.hatelabo.jp/20101120022014
海外の報道ラッシュも落ち着いてきたし、そろそろやめてもいいかなと思っていたんだがウィリアム・ギブスンのツイッターが面白すぎる。もうしばらく追いかけてみよう。
初音ミクについて勉強の必要があると言ったギブスン先生。Sankaku Complexを見た外国人から「何で心変わりを?」と質問されたのに対し、「ビデオ1回見ただけじゃ、ミクの本質は全くつかめなかったんよー」と説明。初音ミクについて報道ラッシュ以前は全然知らなかったことを素直にカムアウトしている。
http://twitter.com/GreatDismal/status/5754657171312640
で、その後しばらくはイスラエルのサイバー部隊など無関係な話をしていたのだが、数時間後にいきなり「抱き枕と結婚したヤツいるじゃん、あれとミクってサブカル的に何か関係あんのかにゃー」と衝撃的発言をかましてきた。
http://twitter.com/GreatDismal/status/5837156408885248
これを見たツイッター民。「どうしてこうなった」「そうではないと信じていますが」「釣り乙」「その通り。後は彼女がバンド『抱き枕 ピロウズ』のリードボーカルと結婚すれば話は丸く収まります」と先生を一層混乱させるようなRTを返す。まあよりによって抱き枕なんてネタを振ってきたんだから、こういう反応が返ってくるのも仕方ないところ。
多分、先生も困惑したことだろう。慌てて「かわいいアニメ(kawaii anime)抱き枕の話を持ち出したのは、別に皮肉のつもりじゃないってばよ。物事のビーズな一般的意味を知ろうと頑張っただけなんよ」と、一部意味不明のツイートをかます。
http://twitter.com/GreatDismal/status/5862455947304960
そして「ビーズ(bead)じゃない幅広い(broad)だorz。とにかくミクは物議を醸すように見えてるし、党派的意見が多いみたいに思えるんだってば」と訂正。
http://twitter.com/GreatDismal/status/5863725030445057
かなりあたふたしている様子が窺えるツイートだが、それでもどうにか先生は役に立ちそうな意見を見つけ出した。「ミクのキャラデザと名前がそういうオタ市場向けに作られたんは事実でおますけど、それからソフトウエアの人気が広まってコミュニティーが生まれましてん。Vocaloidソフトを使って企業が作った製品であるミク自身の『人格』っちゅうもんは、そのコミュニティーが作曲している音楽と歌詞によって完璧に定義づけられてまんのや」という長い解説に先生は嬉々としてRTする。
http://www.twitlonger.com/show/72gri1
さらに先生のツイートと最近の報道情勢についてまとめたサイトも発見。「よっしゃ。何かはっきりしてきた感じじゃーん」とつぶやく。
http://twitter.com/GreatDismal/status/5861095436722176
そしてここから真面目な考察に入った、ように見えた。「現在、我輩は当初におけるミクの商業的コンセプトの中から生じてきた文化的現象について探索中である」
http://twitter.com/GreatDismal/status/5862944994762752
ところがすぐに先生の腰は引けてしまう。「これらの物事に対する我輩の関心は、結局のところ一種のアマチュア人類学者の域を出るものではない」
http://twitter.com/GreatDismal/status/5864271787327490
そして最後は第三者にボールを預けてしまうのだった。「できればGiant Robotにミクの問題を取り上げ、その背景を我輩に説明してもらいたいものだ。彼らならお手の物だろう」
http://twitter.com/GreatDismal/status/5866777212887040
Giant Robotってのはおそらく西海岸を拠点としている雑誌のことだろう。
という訳でギブスン先生が初音ミクに(というか世界中にいるミクオタの過剰な反応に)仰天し泡を食っている様子が窺える面白いツイートだった。でも、変に知ったかぶりをしないで素直な発言を繰り返すところは、実はかなり凄いんじゃないかと思える。60歳を超えて功成り名を遂げた人物がここまで謙虚な反応を見せるだけでも珍しい。しかも自分の専門分野だと他人から思われていることについてこうした対応ができる人物など、果たして他にどのくらいいるだろう。実るほど頭を垂れる稲穂かな。自分もかくありたいものだ。
なおWorld is Mineの再生数はやっと190万を超えた程度にとどまっている。もう落ち着いたと見て問題ないだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=DTXO7KGHtjI
*****訂正*****
ツイッターで指摘を受けたのだが、The Pillowsというバンドが実在することが判明orz。英語のWikipediaにも項目があるので、海外でも有名なんだろう。このバンドについての言及であることは間違いなさそうだ。ちなみにリードボーカルの名前はレズじゃなくて山中さわお氏。
http://ja.wikipedia.org/wiki/The_pillows
間違いを指摘してくれた人には感謝。
さて、
膨大に仕事が溜まっているが、
やっぱり書くことはやめられない。
いつ死ぬかわからないので、
記録しておく。
これってさあ、基本的にどっちかっていうと、
あんまりイイって感じじゃないよね。
だけど僕にとってはマジ基本的な思想で、
成長するにはもってこいのこと。
たとえば、すごい人がいると、
僕とどう違うのかを考える。
読んでる本、習慣などなど
あと、話し方とかから、ざっくりとした考え方や思想、
行動様式などを考える。
何が成功要因で、何がその人間を突き動かす要因になっているのかを常に考える。
で、今なにやってて、これからどうしたいのかを考える。
ってな感じで、ぼくと比較する。
この人に追いつくにはどうすればいいのかなー。
いまこの人は○○歳だから、あと○○年後には、
僕はこの人のレベルにたどりついていないとな。
○○やって、○○と○○を○○くらいやらないとだめだな。
とりあえず○○しよう!
ってな感じでざっくりとした筋道ができる。
これを何十人もやってると、
重複してくるところがいっぱい出てくるので、
それのプライオリティーを高く設定し、リソースを集中していく。
ってなことをやる。
ここで大切なことは、
修正条件として、時代のちがい、生まれた環境育った環境の違い、
思想信条のちがい、方向性の違いなどをちゃんと考慮しておくことだ。
全て負けているからといって、その人の模倣に尽力してちゃダメ。
オリジナリティがなくなるし、そんなんじゃうまくいかないからね。
あの人には勝っているとか、この人には負けているとか、
ただ常に成長したいと考えているだけだ。
これらをちょこっと抽象度を高めると、
一気に収斂し、凝縮しオリジナリティを加味し、質を高める。
やってみてあわんかったら、原因を把握し、修正するか破棄するか考える。
良かったらα版にして、完全に組み込む。
その過程でも常に改善、修正、調整は行われるよ。
人は不完全な生き物で、完全な把握もできないし、完全な方向性すらわからないからね。
つまり、人というものは矛盾した生き物であって、
だんだんとストックもされ熟成していって個人のその時期の意思とか判断が生じる。
だからね、複雑でいろいろだから変わるのは当然。
でも、たった一つの原理原則、ポリシーはあんま変えちゃいかんけど。
まあそれも20代では抽象的でいいと思う。
まだ社会のことをそんなにわかっとらんからね。
僕も今は適当に日々修正しながら、インプットアウトプットを繰り返している。
その中で今までのものとは全く異なった属性のモノを手に入れることが在る。
これはけっこううれしい。
レベルアップの源泉になる可能性が秘めているからだ。
けっこうあぶないものもあるけど、その辺は臨機応変に対処すること。
だからね、まずはベータ版で導入することが大切。
ってな感じで、生きていく。
んでもって時間ができると、
哲学者、政治家、文学者、慈善家、科学者、企業家、文明学・人類学者…
たんまりといるわけでかなり勉強になる。
一度、3年くらい集中して勉強したいが
日々のタスクを考えるとまあ無理だろう。
僕の頭の中はほとんど仮説で構成されている。
それを実証したいと思うが、
そのためにはかなりのリソースが必要なので
現実的でない。
よって、これをやったら大体の仮説に、ある一定以上の確実性を
与えることができる、というようにもっていこうと考えている。
いま渋谷にいるのです。
おわり☆
女子はどうなんだろ。
気になって軽くググってみた。
http://www.babycom.gr.jp/birth/min/min8.html
通過儀礼とは、本人が自分のそれまでのアイデンティティーを卒業して、新しいアイデンティティーを獲得するためのものでもあり、周囲にそのことを知らしめるためのものでもある。そうした儀式を通して、自分もまた周りも「この人は母になった」と自覚するためのもの。
確かに、「出産して母とならないと一人前の女性と認められない」という古い価値観はまだあることはあるね(それが正しいといっている訳ではない)。
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
http://anond.hatelabo.jp/20090120003918
モトマスダの科学をする人というのはいい着眼点。ブクマコメントの技術と科学の区分けが云々は、自分を特権化しすぎ。この議論のミソは、人は科学と技術を分けて話をしているのだろうかなので。
じゃあモトマスダをどう議論したら、説得力を持つのかということ。これはもう徹底的にコミュニケーションや行為に着目しちゃえばいい。
まず宗教って何?ていうのを観念的な一神教or多神教or云々みたいな話じゃなくて、デュルケム的に宗教とは事柄を聖/邪で区別し、聖堂に集まることみたいな、形に置き換えてしまうべき。現実には教会や寺にいかない人が増えてるとかあるけど。
じゃあ科学って何よ、といえば反証可能性やらパラダイムやらを持ち出さなくても、因果関係のもっともな説明をつくりだしていく過程で実は十分。傾向としてはよりシンプルな説明原理が好まれてるけどね。
そこで宗教を契機にしたコミュニケーションはいったいどういうものなのか。科学を契機にしたコミュニケーションはどういうものなのか。比較してみたらいい。
科学人類学とか科学についての社会学とかはそう言う分野。まぁ科学業界が宗教団体ぽいと示したら、他の組織と比較することが求められるんだけどねぇ。
http://s04.megalodon.jp/2008-1222-0908-24/anond.hatelabo.jp/20081221182757
> 作るほうがはるかに進化的に安定な戦略(Evolutionary Stable Statics)、つまり、自己の遺伝子を最大限に増殖できる戦略な訳ですよ。
スペルが違ってるから。
evolutionarily stable strategy
って言うか、statics(静力学)です。
それとも、strategy(戦略)、tactics(戦術)、statistics(統計学)から作った造語なんだろうか?
"Evolutionary Stable Statics"でググると、あなたの記事がトップです。1件しかヒットしないから。('08/12/22 09:00 JST)
> 大学で生物学を学んでいた。人類学の教授が「生殖可能な年齢に達した個体に対して性的感情を抱くのは生物として極めて正常」と言っていたのを良く覚えている。
あなたが大学で何かを(まじめに)学んでいたのか非常に疑問です。
大学で生物学を学んでいた。人類学の教授が「生殖可能な年齢に達した個体に対して性的感情を抱くのは生物として極めて正常」と言っていたのを良く覚えている。
今、児童ポルノがどうこうとか、必死になって煽っている正体不明の団体がたくさんあるみたいだけども、初潮を迎えて子供を生める「少女」に対して性的に興奮するのは当たり前じゃないのかな?
ここでいうロリコンは、18歳以下の少女に対して性的興奮を催す人間を一くくりで指しているけれども、そもそも少女が18歳になった瞬間何らかの変化が起こって生殖可能になるなんてありえない話しで。
今のところ、生物の究極的な目的がなんであるのかはまったく分かっていないけれども(そもそもそんなものない、と考えている研究者も沢山いる)、大部分のコンセンサスを得ているのは、生物は自己の遺伝子の増殖を最大限にするということだけ。男性側からみると、35歳以上の女性とセックスをして子供を作るよりも、12歳の初潮を迎えたばかりの少女と子供を作るほうがはるかに進化的に安定な戦略(Evolutionary Stable Statics)、つまり、自己の遺伝子を最大限に増殖できる戦略な訳ですよ。
これはちょっと説明が要るかも。まずダウン症。統計学的に、35歳以上の女性がダウン症を持った子供を産む確率はボーンと跳ね上がる。ダウン症のほぼ90%以上が女性側の染色体不分離に由来するものであり、卵子は女性が誕生した瞬間から数を増やさず維持されるだけという事実(羊水が腐るわけではないけれども)を考えれば、若くてフレッシュな個体を生殖に励んだほうが男性側にとって利益は大きい。
ダウン症の何が問題かというと、精神遅滞や男性の不妊、心臓病、アルツハイマーとかかな。つまりダウン症をもった個体は、生殖能が他の正常個体と比べて著しく劣る場合が多い。これだけでもその個体の父親母親にとっては大きな不利益(莫大なリソースを投じているのに子が子を残せない)となる。
女性側にとっても、35歳まで子を産まずにいるよりも、生殖可能な年齢になった瞬間子をバンバン産んだほうが戦略としては有効なように思われるけど。
ただ、これは純粋に生物学的な観点から見た場合で、その他社会状況、経済状況を考えた場合、若くてフレッシュな女性と生殖行動に励むのが大きな利益を生むのかどうかは分からないけどね。また、産婦にかかる負担を考慮した場合、生殖最適な年齢はもう少し高くなるのでは、と思う。
児童ポルノの件を見ていて一番気持ち悪いと思うのは、歪んだ価値観、特に西洋的な価値観に極端に揺さぶられて、生物として正しくないかも知れない強制が社会に押し付けられていることなんだよね。子供は純真で、大人の性から守るべき存在である、なんてモロキリスト教の価値観じゃん。聖書を読んでいて感じるのは、「子供」と「大人」、あるいは「自然」と「人間」が綺麗に区別されちゃっているのがとても気持ち悪いっていうこと。ちょっとでも大学で生物学を学んだ人間なら、そこには厳密な区別なんてつけようがないのは知っている筈だし、「殺し合いをするのは人間だけ」なんていう大嘘もつけないんだけどね。
確かに日本は戦争に負けた国だけども、何でそこまで日本人のものではないはずの価値観を強制的に押し付けようと頑張るのかが理解不能。多分、今児童ポルノ規制を推し進めている人たちは、子供を守りたいんじゃなくて、自分の身の回りから自分が見たくないものを消しさりたいだけなんだろうね。薄っぺらい「子供を守る」という綺麗に見えるお題目を唱えていれば、どこかで儲かる人間がいるのかもしれないけど。
ちょっと話し外れるけど、性科学の分野ではポルノ規制を推し進めると性犯罪が増加すると言うのはほぼ常識になっている。児童ポルノに関しては確か研究結果はなかったと思うけれど、ひょっとしたら「子供を守るため」には「児童ポルノの解禁を進めるべき」と言う結論が得られる可能性も高いんじゃないかと思う(勿論、ここでいう児童ポルノは精々上半身裸の子供が際どくはないポーズをとっているくらいのもの)。
自分の見たくないものを強引に排除するのは単なるファシズムでしかない。今もっている「ロリコンは気持ち悪い」という感情が、本当はどこから押し付けられたものなのか、よく考えてみるといいかもしれない(個人的には、そういうことを言うのは年をとった女性が多いんだろうとは思うけれども)。
余談だけど、戦争に負けるまで、この国ではごく普通に12歳、13歳の少女を妻として娶っていた。この国だけじゃなくて、世界中キリスト教思想に汚染されていない地域ではどこでもそう。児童ポルノ規制の話をする際、「先進国では」と枕詞のように使われるけれど、その「先進国」の思想が本当に生物として理に適っているのかは充分に考える必要がある。
少し前からメディアや本などで取り立たされているけど、
実はこんな「特別な障害」は存在しないんだよ。
少し乱暴な言い方をすると、「あなたはA型です」と言われ、
数々の要因が当たっており、「あぁ、A型だからこうなんだ」という
ような、似非科学に近いものがある。
自分の周りには、10人に1人くらいはいわゆるアスペルガーみたいなタイプがいる。
でもね、その実態は「コミュニケーション能力が(極端に)低いだけ」だと言える。
自閉症と結びつけることは誤解を招くし、障害とすることもよくない。
身の回りに多く居る「ただコミュ能力の低い人」に奇異な症状名の
烙印を押してしまう可能性があるからね。
アスペルガーのような症状を自閉症スペクトラムに分類することが間違っている。
アスペルガー的な症状は、環境によって出来上がったコミュニケーション能力の低さで、
自閉症は先天的な脳障害や遺伝の要因で出来上がった自閉症状だ。
例えると、シャチとサメって少し雰囲気が似てるけど、進化の過程では全然違うルートを
たどった別種、みたいなもんだ。(わかりにくいか。)
コミュニケーション能力の低い人って、色々なことが共通している。
「アスペルガー特有の共通している特徴がある」わけじゃなく、コミュ能力が低いからこそ
必然的に共通する項目があるだけだ。
うん、アスペルガーって言葉は言い換えよう。「コミュ能力が低い人」と言い換えよう。
・コミュ能力が低いので、人以外の(科学・数学・鉄道・漫画・●●収集)などに没頭する。
→逆に言うと対人以外の遊びに没頭したからこそ、コミュ能力がさがったと言える
・コミュ能力が低い(コミュニケーションはある種反射ゲーム)→運動などの反射動作が苦手
・コミュ能力が低い→男に多い(もともと女性はコミュ能力が高い、という生物的な性差がある)
・コミュ能力が低い→発声の機会が少ないので、人によってはドモリが出る場合がある
こんな特徴があるときもあるし無いときもある・・・など、すごく曖昧だ。
学説によって違う所もあるし。
健常者/アスペルガー という二元論的な考えは、本質を間違った風にカテゴライズしてしまう。
本来は、「学力に差があるようにコミュ能力に差がある」だけなんだ。
「アスペルガーだから」ではなく、コミュ能力の高低の差なんだよ。
これを読んでいる人の中にも、「自分はアスペルガーかも」と悩んでいた人も居るだろう。
でも「アスペルガーだからこうなんだ」じゃないんだよ。
その能力は上達する場合もあるし、人によっては上達しにくい場合もあるけど。
コミュ能力がどうもあがらない場合は、それに関係のない職業につけばいい。
コミュ能力の低さが原因でうつになった場合、しっかりと治療をすることだ。
アスペルガーかどうかで悩むなんて、すごく馬鹿げた悩みなんだ。
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追記:2008/12/07 21:00
こんなに反響があるとは思わなかった。
タイトルのせいか。
間違った箇所&誤読されてる箇所があったので、追記&訂正を。
◆1点目。
・「アスペルガー的な症状は、環境によって出来上がったコミュニケーション能力の低さで…」の箇所。
個体差は先天的なものにも左右されうるので、この1文は訂正します。
◆2点目
この記事は、
「アスペルガーはコミュ能力が低いだけだから鍛えて直せ!」とは言っていません。
その診断を受けた人は、その人に合った職種&環境を選ぶのがいいと思います。
プログラマの人で、コミュ能力低いけどエレガントなコーディングができる人だっているし。
コミュ能力が低いことそのものは個性なので別にいいんじゃないかな。
◆3点目。
この記事は、
「(アスペルガーなんて存在しないから)アスペの診断を受けた人は健常者だろ!」とも言ってません。
コミュニケーションがうまくいかなくて、知能は正常なのに社会適応できない人がいるのは事実。
ただ、それを「アスペルガー」という曖昧なカテゴライズにはしない方がいいのでは、というのが主張。
「知能は正常だが社会で働けないくらいにコミュニケーション能力が欠乏している」っていう事実があるなら、
それを引き起こした原因・程度・症状は個体差があるからそれに合った治療なんかが必要だと思うけどね。
アスペルガーの症状って曖昧すぎだし、血液型診断みたいに当てはまる人が凄く多いから、
似非科学になってしまうんだよ。
自称アスペも出てきちゃうし、職場の給湯室でおねーちゃんたちに「あの人アスペっぽいよね…」
なんて会話がされてるなんて、最悪じゃない?
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追記2:2008/12/09 0:40
あと、よく「この本を読んでからモノを言え」みたいな意見もあるけど、
本を読んだらアスペルガーを理解できるとは到底思えない。
むしろ、本を読んだ知識でそう言ってしまえる人ってどうなんだろう?
もちろん僕が書いている文章も人の事を言えないんだけどね。
ただ個人的に、オリバーサックスの「火星の人類学者」は面白かった。読み物として。
実際にアスペの疑いがあると診断された人も居るだろうけど、
はっきりと医者に診断されたことはないんじゃないかな。あくまでも疑いだけで。
…もちろん僕の文章も科学的じゃあないんだけどね。
僕は「アスペルガーの疑いがある」診断を受けた人も、病院行かずに自称アスペの人も見てきたし、ADHDと診断された人や
診断も自称もせずにアスペルガー的な様相を表している人も見てきたけど、
それでも尚、アスペルガーって無いんじゃないか?と思ったから記事を投稿した。
強引な例えだと、仮に「ゾンビ映画は好きだけど和製ホラーは観れない現代音楽好き」をA症候群だとして、
人口の数パーセントはこのA症候群にあたる。確実に当てはまる人はいるんだよ。
自分の周りにも「ゾンビ映画が好きで和製ホラーが嫌いな現代音楽好き」がいるからね。
でもだからといって「A症候群は存在した!」って言うのって馬鹿げてない?
アスペルガーをある定義にして唱え、確かに当てはまる人が存在するからアスペルガーはある、
というのってどうなの?って感じだよ。僕の記事と同じくらいにどうかと思うよ。
男増田です。今日ショッピングセンターのトイレを利用したところ、そこの男性用小便器のデザインが今まで見たことのない斬新なものでした、というか、率直に言うとものすごく女性器に似ていました。それだけの話なのですが、色々考えるところがあったので文章にまとめます。以降男性用小便器を『それ』、女性器を『あれ』と呼称します。私はトイレ産業の関係者ではありません。他の業界のエンジニアです。部外者の立場で書きました。
普通『それ』のデザインというと、四角いものを思い浮かべる男性が多いと思います。大きさは様々で、例えばホテルのような高級っぽいところだと、厚みがあって重量感があるものが備え付けてあったり、駅とかだとそれほどでもなかったり。丸っぽいものは学校にありました。それらは大抵小ぶりだったような気がします。正直、今日まで『それ』のデザインについては無頓着だったので、思い出しながら上のような例を書いています。
『それ』は工業製品ですから、基本的には素材の体積で値段が決まると考えられます。大型のものは高価なはずで、だとするとそれは高級感を持つのみならず、パフォーマンスも違ってくるのではないか、と予想します。じゃないと、アドバンテージが少なすぎじゃね、って。
そこで『それ』の性能の指標として『尿のユーザー及び環境へのはね返り』が重要であると想像しました。ここではそれが数字化できるものとして扱い、ユーザーと環境(例えば床)は別々のものですが、まとめて『はね返り係数』と呼称することにします。『はね返り係数』が小さい『それ』ほど優れていて、メーカーはそこで技術競争しているに違いありません。先程の『それ』の大きさに戻ると、大型のものほど尿を受ける曲面の設計に自由度を持たせることができ、結果的に『はね返り係数』を向上させることができます。
さて、開発プロセスをイメージしてみましょう。『それ』を利用するユーザーの身長は様々であり、使用時におけるユーザーと『それ』との距離にもばらつきがあります。使用状態も検討しなければなりません。ケータイで話しながら用を足しているかもしれません。設計では、あらゆる状況でまんべんなく『はね返り』係数を最適化させる必要があります。
私、男増田の経験からいうと、モデル体型を数種類用意して、それにモンテカルロシミュレーションを組み合わせているのではないかと予想します。
このあたりがエンジニアリングですね。
私が見た『あれ』の形をした『それ』に戻ります。第一印象は「細!」でした。ボウリングのピンを上下からつぶしたようで、下部はもっと丸みと厚みががあって包み込むような形状、上に行くにしたがって薄くなり、あげくには水を流す部分が突起を形作っていました。こうして書いていると、私がエロエロでひどい欲求不満のようです。皆様に『それ』をお見せできればいいのですが、写真を撮ってくるわけにはいかなかったですし、「小便器 女性器 デザイン」でググっては見ましたが、製品のサイトにはたどり着けませんでした。正直、他の男増田の皆様が同じように『あれ』を想起されるかどうかは分かりません。
しかし私に関しましては、用を足しながらいやらしい想像が浮かんでくるのを抑えることはできませんでした。思い切って書いてしまうと、中にどくどくとたっぷりと注ぎ込んでしまいました。そこで、はっと気付いたのです。これは人類学だと。
ユーザーに『それ』が『あれ』だと思い込ませることができたならば、その時のユーザーの行動をより理解することができ、結果製品のパフォーマンス向上につなげることができます。射精だったら上手に狙ってこぼさずに。つまり『それ』の曲面設計よりも、『それ』のデザインによって『はね返り係数』の最適化が可能になるのです。人類学・民族誌学的アプローチです。
短所としては、『あれ』を想起しない人、特に『はね返り係数』が高そうな子供には何の効果もない、という点が挙げられます。ただ、それ以外の長所として、『あれ』が比較的小さいために洗浄に使う水の量を減らせるということもあると思います。
色々書きましたが、中の人の意見がない限り私の空想に過ぎません。ただ、『あれ』の形をした『それ』との遭遇は、休日の私にちょっとした思考をくれました。
インターネットはいろんなものを恐ろしいほど身近にした。
私は詐病ではないとしか思えない妄想にとらわれている人間をこれまで30年弱の人生で2回ほど見たことがある。ひとりは痴呆が進みつつあった祖父であり、もうひとりは高校時代の元同級生だ。祖父はあるとき突然強烈な被害妄想と見当識の異常を示し、老人性のせん妄と診断された。一過性のものであったらしく薬を飲んだり飲まなかったりしているうちになんとなく改善した。元同級生の場合はどちらかといえば思い込みが激しいだけだったかもしれない。だが、卒業後しばらくたってから唐突に私を訪ねてきた彼はあきらかに私の見えないものを見ていた。そして私に心酔していた。私が死ねといえばおそらく彼は死んでいたと思う。私は彼を恐れずにいることができなかった。
祖父はすでに亡くなった。元同級生は現在関東で生活しており、海外で暮らしている私に数年に一度、難解なメールをよこす。
祖父は漠然とした敵愾心の対象を「暴力団」と呼び、暴力に屈しつつある自分を恥じていた。齢八十を超えていたその当時、「暴力団に拉致された」ことを「一生の恥だ」と訴えていた。彼はその日デイケアセンターをはじめて訪れたのだった。
元同級生はいわゆる精神世界的な領域に傾倒し、必死に私をそちら側へ救い出そうとしていた。私は彼と接しているうちに、世界には確かに別の領域があり、そこで生きる人間がおり、我々は分かり合おうとしなければ決して交錯することのない世界に住んでいるのだと悟った。90年代の終わり頃のことだった。
私が知っている二人にとって、世界は漠然とした「悪」に蝕まれ、あるいは現実を超越した「善」が目の前に展開する地平だった。おそらくその二つは同じものだったのだろうが、私はそれを「よくわからない」といい続けた。そうすることが私自身のために必要であるように思っていた。
いま唐突に思い出したが、もう一人知っていたような気がする。大学で教鞭を執る父の研究室に遊びにいっていた子供の頃、父の同僚が配布していた一枚のビラをみた記憶がある。そこには火災報知器から発せられる電磁波が人間の精神に及ぼす影響、その装置の背後にある陰謀について書かれていた。質問した私に対する父の応答は記憶にないが、ガリ版刷りのビラに描かれていた火災報知器の分解図をよく覚えている。
ここまでは思い出話。
諸兄ご存知のようにインターネットは妄想をも媒介し、増殖させている。「ストーカー」という言葉が巷に定着したのはたしか90年代の後半だったように思う。漠然と背後から忍び寄る「悪意」が「ストーカー」と結びつけられること、そしてそれがインターネット上の語彙として流通することも十分自然なことだ。ただ、20世紀の終わりのこのときまで、彼らの語彙を正確かつ広範囲に伝達するメディアを人類が持っていなかったことは事実だろう。それまでは「妄言」かガリ版刷りのビラ、あるいは執拗に取りためたノート、医師のメモにしか彼らの「世界」は記録されることはなかった。彼らはメディアの限界によって否応なく孤立し、孤絶し、知られぬままにどこかへ消えてしまっていた。
だが、いまやメディアは万人のものだ。
「集団ストーカー」と「電磁派」、あるいは特定の宗教団体の被害を訴えるブログが溢れていることはよく知られていることだと思う。彼らの「世界」は、写真、動画、筆記によって極めて正確かつ着実に記録されつつある。その「世界」の強度は、ちょうど2ch、あるいはこの「匿名ダイアリー」のような空間の「向こう側」には実は誰もいないのではないか、という仮説が私たちにとってひとつのリアルなジョークであるのと同じくらいに鮮明で、堅固で、揺るぎないものだ。
例えば。
miyoko gotoという、現在スイスのアーラウで「亡命」生活を続ける日本人がいる。彼女は米国留学中に発症し、一度は強制力をともなった医療措置がとられたが、一度帰国を果たすものの再訪した米国から欧州へ遁走し、現在スイスに在住している。彼女の活動は現在進行形でblogやyoutube上に記録され続けている。それはすでに文字通りの圧倒的な「ライフログ」としかいいようがないものだ。それらは我々にとって彼女の困難な生存以上の事実を伝えるものではない。だがこれほどに強烈な生の記録は、私にとってはあまり目にしたことがないものだった。
人類学を専攻し、コンピュータプログラムの知識もある彼女は、自身のホームページやSNSを通じて同じ世界を共有する「彼ら」と結びつき、知見を交換し、より強固な「現実」の地平へ下って行こうとしている。
いまや我々がひとりではないように、彼女たちもひとりではない。そして無論我々も彼女たちにメールを書き、コメントすることもできる。
運が良ければ彼女は日本へ送還されるか、スイスの医療施設で保護を受けることになるだろうが、運が悪かった場合はおそらく誰も救うことができまい。いくら治安のよいスイスの田舎とはいえ、身寄りも国籍も何も持たない彼女が知らぬ間に消えてしまうことは十分あり得る。
私には、彼女のような存在を憐れむいわれもなければ、その近親者を責める理由もない。
ただ、その「生きていること」という「情報」が、日本に住む、彼女の近しい人々に伝わっていることを願っても許されるのではないかと思った、ということを記してみたかった。
なんかトラバがずいぶん
その教師というか
小中高と出会う歴代国語教師はそんな感じ
小学校時代はつらかった
ほとんど全科目、その文学脳に教わることになるから
SFにハマった季節が来たときは
そんな空想本ばっかり読んでいないで現実の本を読めと怒られた。
文学は空想だろw
面白い本が他にもたくさんあると知ったのは少しあとの話。
ちょっともったいなかったなあ。
自分の場合は面白いと思う本は読み続けたので害はないと言えば無いのだが
未だに文学の良さは理解できない
こんな科目要らないだろ
想像だが、中学まではそんなに国語の成績も悪くはなかったんじゃないか?
「人の言うことを簡単に信用するな、欺されんな。」
「他人が何言ってるか分かるようになれ。言葉の裏に何があるか考えろ。」
「でもって、自分が何を言ったか、も、気付けるようになれ。」
「それが出来て始めて、お前は隣にいる『他人』と握手ができるんだぜ。」
一貫して国語の成績は悪かったよ
今でも人を疑うのは好きではないが、そんなものは実戦経験で嫌でも身につく
と言うかその「高校国語」とやらははむしろ歴史や部活の役割であって
自分から他人を楽しませることが出来るかどうかと言われたらそれなりに自信はあるし
それに人を楽しませる文章は文学なのか?
時代小説、ラノベ、歴史書、SF、ファンタジー、推理小説は好きだが文学
少なくとも純文学とは言わないだろう
あんたが「クズ」と切って捨てた作家が、本当の所どんな人生を送ってどういう考えの果てにその作品を書いたか考えたことはあるか?
考えたことあるが、アキバ加藤より遠いところに存在して、優先順位も低い
そもそも表現された文章を面白いとは思えないので作者にまで興味が持てない
国語教師もそうだったが文学好きには小説と現実の区別がついていないと思う
だから、空想のロマンスを実現しようとするから不倫したり、生徒に手を出したりするんだよ
で、うまくいかなくてひねた性格になって
算数が生徒より出来ないからって生徒に八つ当たりするなよ
不倫を弁護するつもりはさらさらねーが「頭の足りない不倫儲氏ね」じゃなくて人間がどうしてそういう馬鹿なことをしてしまうかに興味は?
不倫に至る理由に関しては興味はあるが
それを見苦しく正当化しようとするのは見てらんない
本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。
パスカル『パンセ』
ライプニッツ『単子論』
ジェイムズ『宗教経験の諸相』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
ブーバー『我と汝・対話』
ライル『心の概念』
デュルケム『自殺論』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』
ポランニー『大転換』
オルテガ『大衆の反逆』
オング『声の文化と文字の文化』
ポパー『推測と反駁』
フロム『自由からの逃走』
デリダ『グラマトロジーについて』
ペンフィールド『脳と心の正体』
ソンタグ『反解釈』
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
イーグルトン『文学とは何か』
ガダマー『真理と方法』
ダマシオ『生存する脳』
クワイン『ことばと対象』
マッキンタイア『美徳なき時代』
ツリー内主要エントリ
Hidden camera investigation: Do looks really matter?
http://www.msnbc.msn.com/id/3917414/
このエントリーは、「見た目がいいと、ビジネスに役立つのか?」という内容だが、この記事は、NBCの社員男女2人と、超美形モデルの男女2人が、街を歩いて人々の反応の違いを見る、というもの。(ルックス以外の条件(年齢・人種など)はなるべく同じにしたとのこと)
ということで、書類をばさっと街角で落とした場合、どんな違いがあるか。
When model Allison drops her file, there seems to be a sudden change in the weather. Is it raining men? A man even uses his cane to stop the pages from flying away.
「急に雨でも降ってきたのか」というくらい、周り中が騒然となり、皆必死に書類を拾ってくれる。杖を付いている男性まで、杖で書類を押さえる。
2)女性社員の場合
NBC staffer Loren is about to be that someone else. She drops the papers and people step by, rather than stop. About a dozen people pass by before, finally, a woman offers help.
10人以上が歩き去ったあと、やっと一人立ち止まって書類を拾ってくれる。女性社員氏は、“I felt embarrassed・・・・You know, wait a second, I think I'm somewhat attractive. Why didn't anyone help me?”
「私だって、割合魅力的だと思うんだけど、どうして誰も止まってくれないの、と恥ずかしかった」とのこと。いや、よーくわかりますなぁ。。。。
3)社員の男性の場合
But that's nothing compared to our other NBC colleague, Anthony. When he drops the folder, the sidewalk literally clears. Even as he spreads out the papers he's supposedly collecting, people just walk on by.
書類が散らばった瞬間、道行く人はくもの子を散らすようにいなくなって、ぽっかり空間が。拾うふりをしながら、敢えて書類を広げるも、誰も手助けしてはくれない。むなしい。
Model Anthony wouldn't know how that feels. He drops the folder and immediately an entire family stops to help.
男だから助けてもらえないわけではないのである。美形の男性の場合、即座に通りがかった家族が全員で書類拾いを手伝ってくれる。
これ以外にも、道を聞く、列に割り込んで許してもらう、など、いろいろトライするが、結果は一緒。コメントを求められた専門家いわく
"we are just hard wired to respond more favorably to attractive people. ・・・This is something anthropologically that has existed for as long as history exists,
ということで、「人類学的に見て人間は魅力的な人に優しくするようにできてるんです」という実もフタもない答え。
去年の12月18日号のEconomistには、こんな記事もありました。
Hey, big spender: Men lose their fiscal prudence in the presence of attractive women
http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=2299980
明日25ドルもらうのと、1年後に100ドルもらうのとどちらがよいか、といった質問をいくつかすると、その人の時間価値がわかる。一般的に男性は女性に比べて「将来の大金」より「今の小金」を選ぶ傾向があることは知られている。
さらに、実験として、200人の男女に、12枚の写真を見せる。ある人は、12人の魅力的異性の写真を見る。他の人は、12人の普通の異性、12台のかっこいい車、12台の普通の車の写真を見る。写真を見た後、「今」と「将来」の選び方がどう変わるか。
As predicted, men who had seen pictures of pretty women discounted the future more steeply than they had done before??in other words, they were more likely to take the lesser sum tomorrow.
魅力的異性の写真を見た男性は、「たくさんだが、もらうまでに時間がかかる報酬」よりも、「少なくてもいいから、なるべく近い未来にもらえる報酬」を選ぶようになる。
(I)t was as though a special “I-want-that-now” pathway had been activated in their brains. After all, the money might come in handy immediately. No one else was much affected.
某会社のインターンにて、人生で初めてというぐらい大量のT大生に遭遇。
つーか、大学の話は極力したくなかったのにあのK大の野郎が・・・!
「あのー大学はどちらですか?」
あちらデスヨ!!
くそーー。こんなところでコンプレックスを感じる俺は卑屈だなぁと思った。
で、インターンの内容は「排出権取引の新しいビジネスモデルを提案しろ」みたいなんで。
なかなか面白かったよ!
人類学的に参与観察してきましたww
優勝したグループには長期インターンの権利が与えられるなんて知らなかったしww
しかしねぇ。T大の彼は素晴らしかったよ!!
知識
輝く笑顔
人を引き付ける話し方
他人の意見に耳を傾ける度量
俺が欲しいものを全部持ってる感じ。あながち学歴っつーのも判断基準として正しいのかも?
まぁピンキリでしょうけどね!
く・・・くやしい。。
知識の伴わない情熱は無力で
ふぅ。精進します。
まず書いておくが別に私はパーソナルスペースについて無知なわけでも否定したいわけでもない。
むやみに男性になつく女はアホかと思うし、それで襲われたとしても(力にものいわせた男性が悪いのは当然としても)「あなたにも原因はあるよね」くらいは思うだろう。
だからと言ってヘテロセクシャルの場合の異性間友情、あるいはホモセクシャルな場合の同性間友情を否定したいわけでもない。
なぜなら、なぜ「親密フラグ」が立つとされるパーソナルスペース内に存在していても「家族」とはセックスしないで、「男女」なら友情が成立せずセックスすることにつながるのかという記述がないからだ。
恋愛文化のドグマについて語るのであれば、そもそもそれ以前のタブーについても考えるべきではないだろうか。
私は別に人類学や社会学を専門に習ったわけでもないので、ここから先の記述がおかしい場合は申し訳ないがどなたか訂正していただけると助かります。
さて。
人間同士のセックスについての基本的なタブーといえば、やはりインセスト(近親相姦)タブーを第一にあげるべきだと思う。。
http://anond.hatelabo.jp/20070118224317では「家族はセックスしない」というのを当たり前の前提としていえるが、セックスだけを考えたら血のつながりなどたいした問題じゃない。
私にも彼氏がいるし、弟には嫁と息子がいる。お互い仲がよく、いままでセックスをしようなどという話題は一度ものぼったことなどない。
でも私と弟はある特定の状況下に入ればおそらく9割以上の確率でセックスするだろう。
それは例えばこうだ。
私や弟の家族、友達がそろってどこかに閉じ込められている。
そして私と弟だけが別室に呼ばれて、見知らぬ人間がむごたらしく殺されるのを見る。
この状況で「あなたたちがここでセックスすれば家族は助けてあげますよ?」と言われたら?
このような類の限界状況を考えれば、行為としてのセックスに、不可能はあまりない。
目の前で二人、三人、と殺されていけば自らを狂信的異性愛原理主義者だと言っている人でも、同性とでも家族とでもセックスする方を選ぶことが多いだろう。
肉体的にセクシャルな関係、など所詮その程度のものなのだ。
そもそもインセスト(近親相姦)タブーや制度としてのエクソガミー(外婚)が存在するのは、我々人間が血のつながりなど関係なく、手近な人間とセックスできてしまうからだ。
原始社会においては乱婚が当然だったし、社会によっては未だにエクソガミーを禁止していないところもあり、そこでは近親婚が当たり前のように行われている。
それでも現代日本に住む私達は家族とは普通セックスなどしない。
ヘテロセクシャルな例で言うならば、娘にべったりされた父親は「親密フラグ立ちまくりでたまったものじゃない」はずなのに、裸で一緒に風呂に入ってもセックスしないのだ。
なぜなら私達は、そのようなタブーや制度を『お互いが暗黙のうちに受け入れているものと信頼して』家族という集団を形成しているからだ。
ちなみに私は一度だけ、男性の友人の布団が敷かれたままのワンルームマンションに、終電がなくなるのを承知の上で、ひざ上のスカートで入っていったことがある。
なぜなら「翌日提出の卒論がPC以外で受け付けないっていうんや!」と泣きつかれたからだ。
終電がなくなるまでにパソコンを運び込むことに気をとられていて、洋服のことなんてまるで考えが及ばなかった。
お互い顔をつきあわせて「こんな文字、手書きじゃ教授だって読めないよ!」と叫んだり、私のすぐ横でパソコンの画面を覗き込んでは「打ち間違えとるで」「うっさい!!」とか大騒ぎを繰り返し、半分に折り重ねた布団を横にしたまま、作業は3時間ほどで終わった。
つまり、親密フラグを3時間くらいかけてたてまくったあげく、朝までセックスをするだけの余裕は十分にあった。
それでも私達は「じゃあちょっとついでに乗っとくか」みたいなセックスはしなかったし、今でも普通の友人だ。
そして、その状況と同じことになっても、世の中のほとんどの男女はセックスしないと私は信じたい。
でも、「親密フラグ」のコントロールができる人間にのみ、性的欲望の対象となりうる関係性での友情を得ることができると考えるのは、信頼を前提とした社会に生息する人間としては、原始的な欲望を優先させるものの見方にわりと近いような気がしてならない。
肉体の距離を第一の判断基準として、精神を劣後させるような記述は、相手が一人の人間である以前に物体だという考え方をとる人間が増えていることのような気がして、あまりにも哀しい。
正義感とか、観念的な話で盛り上がるのもいいけど、学術的、定量的研究をもとにして話をするとエラい人に見えるかもよ。ということで、タダで全文あるいはアブストが読める研究論文をいくつか。