はてなキーワード: 資本論とは
クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭 - リチャード・フロリダ
池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」 - 池上 彰
〈資本論〉入門 - デヴィッド・ハーヴェイ
面白いほどよくわかるマルクスの資本論―計画主義経済の利点とその問題点 (学校で教えない教科書) - 土肥 誠
社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス (岩波新書) - 大塚 久雄
小論理学 上 改版 (岩波文庫 青 629-1) - ヘーゲル
完全解読 ヘーゲル『精神現象学』 (講談社選書メチエ) - 竹田 青嗣
野生の思考 - クロード・レヴィ・ストロース
資本論の前に、経済学の基礎くらいを学び直した方が良いと思うぞ。
恋人というか婚姻のシステムは、女性を起点として他のコミュニティと経済的な取引をできるようにする、信用を売ったり買ったりする取引だ。
男女の中を契約によって縛る事で、失う事によるリスクを顕在化させ、あらゆる取引においての「逃げる」ような手段を封殺するために考えられたシステムだぞ。
例えば、トヨタの娘とホンダの男が結婚すれば、ホンダの男にはトヨタの仕事を受けても大丈夫そうな信頼がつくだろう。仕事だけ受けて嫁を捨てたら? 言わずともわかるだろうさ。そゆこと。これで、近親間の婚約が禁止されている理由にも想像が付くよな。
ま、嫁単体を資本として考えてるお前さんはまだまだ腋がスイートだねってことさ。
恋人と結婚は違うと言いたいかもしれないが、本質的には一緒でないといけないものだぞ。恋人の間では完全な信用が保証されていなければならないのに、それを一時的なものと仮定するパラダイムは、逆に自分が信用を裏切ることを前提としちまっている。契約破棄することを前提に契約するとか、経営側の観点からすれば論外だろ? だから違約金とかつけて縛ろうとするのに。そういう意味でいうなら、縛られてない恋愛は、ごっこ遊びにちかいんじゃね?
「古典の価値観が現代に通用するはずがない」と鼻で笑った一人だ。
300年前の偉人の足元にすら及んでいなかった。
淘汰に打ち勝った本にもっと触れてみたい。
知識や思考の流れを取り入れたい。
個々に賛否はあるかもしれないが、食わず嫌いする理由はないだろう。
おっす、オラ就職王。辞職届は提出したので、再来月から起業王へジョブチェンジだ。
ちなみに、「まだ就職してない」という人は、http://anond.hatelabo.jp/20110107214632を読んでくれ。
以前この文章を投稿した直後は強烈な鬱に襲われて削除してしまったので、二度目の人は勘弁な!
ちなみに「辞職願」ではなく「辞職届」とするのがキーポイントだということは、君も社会人になればわかるさ!
いいかい、こないだ入社式だった全ての新人達。先輩とは上手くやれそうかい?まぁ、これから理不尽地獄の社畜生活が始まるわけだけど、俺の話を聞かないかい?この心得を守っておけばとりあえず、職場のゴミ扱いはされずに済むはずだ。
①二択だ、選べ。
いいかい、君も社会人になって三日目。先輩社員から、様々なありがたいお言葉を賜ったかもしれない。中には「素晴らしい言葉だった、俺も甘えを捨てて頑張ろう、立派な社会人になろう」なんて思ってしまった人もいるかもしれない。しかし、君がまずやるべきなのは、そういう気持ちを1ミリ残らず綺麗に捨て去ること、あるいはその言葉に完璧に一ミリの狂いもなく染まり切る、すなわち狂信者になることだ。このどちらかを選ぶかは趣味の問題だ、俺は前者を選んだが君は後者が向いているかもしれない。一応、念のため言っておくけれど、後者を選ぶことは決して間違いとは言えない。場合によってはこの先40年を戦う場所なのだから、立派な信者になり布教に努めるというのも一つの賢い選択だ。日本で就職した多くの人々にとって「金こそが絶対」という信条を選ぶことは難しいから、結局はこの二つから選ぶしかない。ちなみに、うっかり投資銀行や外コンなんかに就職した人々は、例外なので俺の文章は役にたたない。君たちは、資本主義一神教の教義を読んでくれ。大丈夫、どこのホテルに備え付けられた机にも「資本論」は置いてある。さぁ、どっちにするか決めたかい?じゃあ読み進めてくれ。
②コストとリターンの諸問題
馬鹿馬鹿しい、と思う。例えば、会社に一時間早く出勤すること。これは、本当に馬鹿げてる。くだらない、狂ってる、クソの群れだ。九時から五時までキッチリ働いて賃金をいただく、あるべき姿はこっちだ。しかし、コストを支払いリターンを最大化する、という面でこの行動は一概に間違いとは断定出来ない。そして、社会人にとって重要なのは払ったコストに見合ったリターンを得るということなのは、言うまでもないことだ。過程などどうでもいい、結果を出したものが勝ちだ。しかし、新人に与えられる業務の中で周囲を黙らせるほどの「結果」を出すのは、余程特殊な業種でない限り不可能だと思っていい。金融業界の法人営業マンですら、一年目は「結果」を数字で括られることはないだろう。では、ド新人である君に求められる「結果」とは何か。それは、周囲が「あいつは頑張ってるし好感の持てる奴だ」と思うこと、つまり就職活動の延長線上にあることだ。当面、君には責任のある仕事など与えられない、会社に貢献するチャンスなどゼロに等しい。その境遇の中で、君はなんとかして周囲の信頼を勝ち取り、愛される人間にならねばならない。さもなければ、実に悲惨なハンデを背負ったまま数年を戦い抜かなければならない羽目になるだろう。この文章に食いついたということは、君はコミュニケーション能力にそれほど自信がないことだろうと思うし、では職務遂行能力に自負があるかと言えばそんなこともないだろう。だが、安心していい。そういうのは、新人にとってさほど問題にならない。コストとリターン、この観念を忘れるな。逆に言えば、それ以外は忘れろ。
③15分のアドバンテージ
君は「8時30分に出社するように」と申しつけられた。当然、君は弱気で自分に自信もないから「8時15分には出ておこうかな」と思ったことだろうと思う。しかし、そこは敢えて8時に出社するのが今日のミソだ。いや、8時に出社し続けることこそがミソだと思っていい。何故なら、新人の職務遂行にはおよそ差は出ない。あるいは、差が出たとしても数年は評価に直截的に響くことはまずない。日本の大企業は、およそ10年かけて評価を固める。最も数字に詰められる証券マンやMRですら、五年は様子を見てもらえる。(ただし、この様子を見てもらえる、というのは「詰められない」という意味ではない。無論「詰め」られる)そこで仮に新人としての君の評価がクソミソであったとしても、俺が断言するが8時に出社している限り君の評価は「アウト」にはならない。日本人というのは、凡そにしてアホだ。それもたちの悪いアホだ。怠惰な俊才よりも勤勉なクソマヌケを高く評価する傾向がある。逆に言えば「勤勉なマヌケ」である限り、君は当分生きていられる。こういう部分を細かく守ることが、非常に重要だ。他にも、気遣いポイントは無数にある。例えば、君はドアを開けた。同じタイミングで先輩が向こうから出てきた、ドアノブを最初に回したのは君だった、しかしここで君は一歩下がって道を譲り、軽く会釈をする。これを、嫌味なく最適にやれている限り、君の立場は大丈夫だ。大きな声で挨拶をして、まるで先輩たちを心から敬愛しているかの如く振る舞い、機会のある限り尊敬の言葉を口に出せ。「やりすぎかな・・・」くらいで丁度いい。この十五分のアドバンテージが、君を守る。誰かと話す時、必ず誰かを褒めるセンテンスを織り交ぜることを徹底しろ。実にくだらないが、得られるものと比較すれば実に安いコストだ。
『世界を回しているのは何か?』と問われたら、色んな答えがあり得ると思う。しかし、社会人になって俺はこれに一つの答えを得た。世界を回しているものは、マニュアルだ。しかし、社会人になった君に一冊の完璧なマニュアルが与えられる、という状況は余程恵まれた職場でない限りまずあり得ない。君に与えられる情報は常に断片的で、状況はいつだって切迫している。複数のタスクを同時並行で回しながら、職場全体の状況にも気を配らなければならない。挙句の果てに、それは間違いだらけで全ての人間の言うことは矛盾している。だが安心して欲しい、それはデフォルトだ。例えば、君は「AをBしろ」と言われるかもしれない。しかし、君にはAをBすることの目的、あるいは工程A~Zの中で、AをBすることの役割がどのようなものなのか、それを知る機会はそう簡単には与えられない。君は完成像の見えないまま、どこのパーツかもわからないプラモデルと取っ組み合わなければいけない。さらにそれは、往々にして全体像さえ見えていればサルでも出来るような工程だったりする。しかし、君はやらなければいけない。メモの重要性について君は学ぶ必要がある。どんなにクソくだらない、と思ってもメモは取れ。しかし、世の中には「メモなんか取るな」と「なんでメモの一つもねーんだよ」を同じ口から発するゴミクズ野郎も大量にいる。ボウフラとどっちが多いかな?くらいの数がいる。しかし、君はクソボウフラ野郎からなんとか情報を吸出し、戦っていかなければいけない。コレに対する方法論は幾つかあるが、俺は「フレーズ凝縮式」を推薦する。例えば、この文章は一章ごとにその章を集約的に表象するワンフレーズで取りまとめてある。メモにもこの方式を採用するといい。人間の記憶というのは、基本的にイモヅル方式で形成されている。メモは、その一文を取るだけでいい。夜にそれを見返せば、君は絶対におよそのことを思い出せる。それを記憶が新鮮なうちにノートに取れ。一年も経てば、君はマニュアルが書ける人材に育っている。いいか、メモから吸い出した一冊のノート、それは宝だ。それが世界を回している。忘れるな。メモは詩の如く取れ。君の記憶を呼び覚ます、美しい一文を素早く書きとめろ。これに慣れればいずれメモも要らなくなる。
半年も経った頃、君には「もう限界です」くらいの作業量が与えられる筈だ。これは多くの職場でそういうことにしているフシがあって、そいつが食べきれるか食べきれないか、ギリッギリの量を口にねじこまれる。ブラック気味なところだと、「精神力で食えや!」方式になる可能性も否定出来ない。しかし、俺が断言するがそれは君なら絶対にこなせる量だ。人間はそういう状況になると、概して頭が回転しない。三つも作業が並行すれば、何がなんだかわからなくなる。ジャグリングしながらテトリスをしつつダンスダンスレボリューション、みたいな気分になるはずだ。しかし、君には便利な外部記憶媒体、すなわちノートというものがある。「やべー、いますぐ手をつけなきゃ絶対おわんねー」と思った時こそ、ノートに全てを書き出せ。作業のエンドが見えないまま手を動かすな。エライことになる。いいか、まず大事なことは「俺には出来る」という確信を、全くの無根拠であっても持ち続けることだ。そして、君は実際に出来るはずだ。これは実にシンプルな話で、設計図なしで機体は組み上がらない。しかし、大量のタスクに追い立てられるとこれが見えなくなる。ヤバイ時、君が真っ先にやることはエンドまでの工程図を組むことだ。焦るな、まずはこれをやれ。これが終われば、どんな仕事も五割は終わっている。それを忘れるな。いいか、君は絶対に無能なんかじゃない。信じろ、信じなければ予定なんか組めやしない。それでも出来なけりゃ、そんなタスクを振った上司がクソ無能なんだ。いいか、これを忘れるな。
⑥お局を殺せ
どの職場にも必ずいる悪性新生物、「OTUBONE」は骨の折れる相手だ。まるで癌のように転移し、害悪を放ち続ける。あんなに愛らしかった新人一般職も、十年経てば仲間入りだ。誰だ、新人にベヘリットを配布したのは。今すぐガッツ呼んでこい、義手大砲ブチこめ。なんにせよ、「この道20年」みたいなお局は男女職種全て問わず新人にとって最初の難関と見て間違いない。カンタダみたいなものだ。個人的に、一般職の定年は35歳にすべきだと俺は確信している。君の立ち居振る舞い、仕事のこなし方、日常生活や趣味、果ては性生活や好みの体位まで奴らは干渉してくる。顔面に正拳突きをブチ込みたくなったのは君だけじゃない。これで、僕の燃料棒もブチこみたいです!みたいなヤツらならまだヤル気もみなぎってくるというものだが、あいつらは原発も一瞬で1ケルビンまで冷却するタイプの生き物だ。今すぐ福島に送り込めばみんなハッピーになれる。民主党は何をしてるんだ、今すぐやれ。しかし、大体の場合現場仕事の詳細はこの厄介な生き物から盗み取るしかない。就職王に続いて新人王を目指して戦った俺だが、この生き物の攻略だけは些か苦労した。ここだけはイケメン補正がかかるからだ。日常面での攻略は、「15分のアドバンテージ」に準ずるが、「マニュアル作成」作業が更に重要になる。早い話、現場の仕事回しがクソお局より優秀になれば、君はお局をぶっ殺せる。とにかく、血を吐く思いをしてでもマニュアルを完成させろ。これだけは言っておく。クソお局が20年かけて学んだ内容は、君なら半年で絶対にやれる。ここまでいけば、お局の存在意義などゼロに等しい。そこまでは、耐えろ!大丈夫、君は独りじゃない。少なくとも、世界のほとんどの新人(除くクソイケメン)は君の味方だ!
⑦上司の足を掬え
マニュアルが完成すると、君には見えて来るはずだ。職場の全体像が。必然的に、君には「足払い」をかけられるポイントも見えてくる。散々足を払われて得た教訓がここで生かされる。つまり、あれをこうしたら上司コレミスやらかすんじゃね?みたいな部分が、君には見えているはずだ。未必の故意、という言葉がある。これは社会人生活に於いて「無罪」の同義語だ。この辺りから、君は逆襲に転じなければならない。つまり、これまでは多くの人間にへつらい、腰をヒン曲げ、頭を下げ倒して来た君だが、そろそろそこから得られる実り、リターンは小さいものになって来ている。君は手柄を立てなければいけない。しかし、所詮三年目くらいである君に「手柄」を立てるチャンスはほぼない。少なくとも、業務が正常に回っている限りは。ここは一つ、コケていただかねばならない。そして、コケたところに君ははせ参じる「こうなる可能性は見越していました!」。これは、実のことを言えば正攻法で手柄を立てるよりは、よっぽどイージーなことだと言っていい。予測された失敗には、対処が出来る。しかし、予測もしていなかった上司はパニックに陥る。もし、上司がパニックに陥らなかったとしても、君は別段何も失わない。ただし、責任の遡及が及ばないことは入念にチェックしてから行うのは当然のことが。自分の足を払って流血するなんて馬鹿馬鹿しいことをするくらいなら、何もしないほうがよっぽどマシだ。しかし、チャンスは見逃すな。やれる時は、殺れ。
⑧グチニケーション
同期というものが、多分君にもいるだろう。実際のところ、同期というのは競争相手であり君が会社に残る気であるならぶっ殺すべき相手なのだが、実際は「デキない同期」こそ大事にした方が得られるものは大きい。君の同期にも、必ず一人は「どーしようもない」と評される奴が出てくる筈だ。これは、人間関係の力学として必ずそうなる。しかし、君は常にそういう同期に優しく接し、かつ失敗談を綿密に聞き出すべきだ。「デキる同期」と仲良くするメリットは概して少ない。奴らは往々にして情報をこぼさないし、そもそもウザイ。奴らの「頑張ればいいんだよ!」論は、脳に悪い影響を与える。大脳新皮質がどんどん死んでいく。むしろ、「どーしようもない奴」から得られるネガティブな情報こそ、明日に生きる。彼のやらかした失敗は君もやらかし得る。ダメ同期から一つミス談を聞くたびに、君のリスクは一つずつ軽減される。そして、君と彼の友情は実に強固なものとなる。どんなダメな同期であっても、一応は毎日出社し、仕事はこなしている。噂に聞くほどの差は実はない。そこから得られる情報は、常に君を救い得る蜘蛛の糸だ。そして、君の存在はダメ同期を支え、助けるだろう。これほど素晴らしい情報源が他にあるだろうか?これは、職場の「ダメな先輩」にも言える。過度に職場で仲良くすることはデメリットが大きいが、それでも先輩は先輩だ。長いキャリアの分だけ多くの情報を持っている。それは、大事にしろ。デキる同期はコケるまで放置しとけ、無論デキ同期がコケた話を聞いた時は速攻で電話を鳴らすのは言うまでもない。
⑨体調
俺は社会人になって、人生最大の苦難にブチ当たったことをここに報告したい。俺は、ナルコレプシーだった。俺は学業もそれなりの成績で収めてきたし、自分が無能だと思ったことはそれほどない。しかし、思い返せば俺はあらゆる授業を眠り倒して生きてきた。なまじ、独学が得意だったせいで、この歳まで気づけなかった。俺は、自分が救いのないブサイクで初対面の女性にアメフラシを顔面に投げつけられたような嫌悪感を与える部類の生物だということは認めても、自分がそれほどのハンデを抱えていると認識したことはなかった。ちなみに、攻撃されても紫色の汁は出ない。入社直後、上司の談話を聞きながら俺は爆睡した。現在は、お薬を飲みながら問題なく業務を進めているが、「居眠りクソ野郎」の汚名を被ったまま進めた社会人生活は、正直言って辛かった。俺の職場はそんな人間に仕事を任せるように出来ていなかったので、必死に隠し通しながら検査入院の時間をヒリ出すのにも相当の苦労をした。これほど特異な例ではないにせよ、体調というのは凄まじく大事なものだ。睡眠時間が十分でなかったり、体調が悪かったりした場合職務遂行能力は7割減だと思って間違いない。新入社員は、何はともあれ六時間寝ろ。他の何を犠牲にしても、寝ろ。そして食え。エスタロンモカはポケットに入れておけ。体調に不安を感じたら、何を差し置いても病院に行け。ワイパックスを一錠を持っているだけで、人生は随分楽になる。ソリッド・スネークだって狙撃の時には使っていた。使えるものは全部使え。薬は、偉大だ。いいか、おまえはそれほど強くない。頼れるものには頼れ。ヤバい時こそ精神論に逃げるな。現実的に対処しろ。死ぬ前にデパスを飲め、それで9割は生き残れる。
⑩生きろ
正直に言えば、社畜ライフに辛いことは山ほどある。精神論に逃げるな、と言った口でおれはやはりこれを言わなければならない。おまえは、生きてるだけで素晴らしい。生きてるだけで、人間は合格だ。もし、どうしても耐えられない時が来たら、首を括るか仕事を辞めるかの二択を迫られた時は、迷わず辞めろ。やれることを全部やっても尚、どうしようもないシュチュエーションというのは起こりえる。地震が起きて津波がなにもかもを浚っていったり、飛行機がビルに突っ込んだりする世界なんだ。それは、仕方がない。そんな時、おまえが一番に考えることは「生き抜く」ということに他ならない。俺は再来月仕事を辞めて、新しい世界に挑んでいく。これは、とりもなおさず俺が組織人として適応不全であったことを示している。俺は、本当のことを言えば負けた。ここで勝ち抜いていくことに、どうしても意味や意義を見出せなかった、もっと正直に言えば同期の「とうだい」軍団にこの土俵で勝つ方法論を見出せなかった。そりゃあ、幾つかのハンデは喰らったにせよ、俺は同期の中で常に上位一割をキープした自負はある。しかし、結局のところを言えば、俺は負け組だった。「就職王」でも明白だったが、所詮俺はフェイクだった。ここには向いていなかった。でも、人生は続く。まだ生き抜かなきゃいけない。だから、こんな十カ条を完璧にこなす必要なんかハナっからないんだ。とにかく、君は生きていけ。社会生活は理不尽の繰り返しだ、また自分自身がその理不尽を他人に振るわなければならないことも多々ある。そんな中で、君は生きていかなきゃならない。いいか、君は生きるべきだ。一切の留保や付帯条件なしに、君は生きていかなきゃならない。それだけは忘れないでくれ。
どーでもいい話だが、ブコメ数に気を良くした俺は文章仕事が欲しいなぁ、とか思い始めた。
お米券とかビール券とかでも書くので、商業誌から学生の同人雑誌までそういう界隈の人、なんか仕事ください。
基本、筆は早いです。実力はともかくとして、コレ書くのに大体20分です。穴埋めが必要なら、是非。
syusyoku0@gmail.com
うん、冷静に考えて7000字を20分は無いね!秒速3.5文字は流石にムリだね。
泥酔状態の感覚で20分ってことで。素面ならもっと良いものが書けるかと言えばそうでもないから困る。
というわけで、やっぱり仕事ください。
※あくまで「とあるゼミ」について。 他は存じあげません。 教えて下さい。 お願いします。
論文とは「問い」である。(率直な疑問をテーマにしてこそ良い論文になりやすい。)
論文には以下の構成がある。※この日記は序論の「問題」と「研究目的」に対する考察(PLAN)でしかない。
問題と研究目的や研究方法の提示、用語の定義を述べる必要がある。
引用文献だけではなく、使えそうで読んだ(参考にした)本を述べる。
近年、娯楽コンテンツをテーマにする流れがとあるゼミ内であったようなので、注意点を述べる。
これは、社会的背景に迫らなければ動機以上に有意義なテーマにならない、ということである。
疑問に思う(QUESTION)→「考察(PLAN)」→調査(DO)→考察(CHECK)→発表(PRESENTATION)の流れでは「PLAN」に該当するプロセスで基本だが、大抵の大学生は多忙を理由にして調査への過度な期待をして失敗を繰り返しているという意味で最重要プロセスでもあると考える。
失敗の例として具体的には「自分の研究がなにをいいたいのかがわからなくなる。」といったものがある。
そこで、対策として社会的背景へ迫るPLANの例として娯楽に対する考察を以下に提示する。
そもそも、娯楽の意義を知らなければならない。無論、娯楽はストレス(抑圧)発散のためにある。
社会的なストレスとは労働といった規範に関連するもの。学生は学業が社会的なストレスになる。
知識の外部性を最初に指摘したのはマルクスだった、といえば牽強付会に聞こえるかもしれないが、彼は労働についての断章と呼ばれる『資本論』の草稿(経済学批判要綱)で次のように書いている
自然は機械をつくらない。それは人間の頭脳や手の生み出した器官であり、知識の力が対象化されたものだ。固定資本の発展は、社会的知識がどれほど生産の直接的な手段になり、社会的な生活の条件がどれほど一般的知性によってコントロールされて生産に適応しているかを示している。
これはネグリ=ハートが『帝国』で、マルクスが「非物質的労働」を視野に収めていたことを示す証拠として引用した文章だ。これに続く部分で、マルクスは社会的知性が科学技術による生産の条件だとものべている。そしておもしろいことに、こうした社会的知性は生産だけではなく消費によっても生まれると説いている
池田信夫 blog : マルクスとソーシャルメディア - ライブドアブログhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51671941.html
知識の外部性、社会的知性、一般的知性 というものがあることがわかる。
おそらく書籍を読解していく上で【知性やイデオロギー】等の違う言い回しで多くの似た概念に出くわすと思う。※注意は必要だが、以降は「規範」として解説する。
私たちは幼少より社会的な規範や市場的な規範を様々なものを通して学ぶ。
娯楽も例外ではない。例えば、女の子はおままごとを通して家庭の内部規範を、男の子はロボットやヒーローのおもちゃで外部規範を学んでいく。
ここから、「娯楽コンテンツは虚構的である。つまり、それ自身に本質的価値はない。」ということがはっきりわかった。
実をいうと、「エンプロイー(従業員)」という概念は近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。強い意思を持つ人間を従順な従業員に変えるために、二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、それがどれほど成功したかを見ると、マルクス主義者でなくてもぞっとさせられる。近代工業化社会の職場が求めるものを満たすために、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。
これらのどれ一つとして人間の自然な本能ではなかった(もちろん、今でもそうではない)。したがって「従業員」という概念が—また、近代経営管理の教義の他のどの概念であれ—永遠の真実という揺るぎないものに根ざしていると思いこむのは危険である。
「経営の未来」に従業員の未来を見る - アンカテhttp://d.hatena.ne.jp/essa/20080310/p1
「従業員」という一見当たり前の概念についても長い歴史で観ればつい最近確立された規範であり、社会問題を伴う。
つまり、「娯楽という概念」にも労働を代表する外部の概念が抑圧・弊害や規範として間接的に関わってくるため、視野を広めて(ここでは労働をキーワードに)考察をすることが重要ということである。
(※今回は閲覧できるようにwebをソースにしましたが、実際はキーワードに関する書籍を読解し、参考・引用してください。)
娯楽コンテンツについて調査するならば、調査対象においての労働観(学業観)、社会観、消費観を知る必要があるだろう。
むしろ、引用するしないに関わらず参考文献範囲を研究テーマの外側まで広げていかなければ、根源的な問いに対する調査の切り口が見いだせない。
娯楽コンテンツを研究テーマにした場合は袋小路に入ることになる。
しかし、研究テーマの外部の考察をすれば必ず研究に活きてくる。まず発表に際して学生間での質問に引けをとることはなくなる。
一見言わなくても分かると思われることも、しっかりと問題の本質、動機、仮定、構造の説明ができるかどうかは別問題ということである。
それは、資本の集中が起きないほどの再分配を行う国家を資本主義国家と呼んでいいかどうかという問題じゃね?
集中を遅らせるだけなら「回避」ではなく「先送り」だろ。
永続性のある先送りならどうだろう。
前にこのように書いたとおり、
そもそも資本主義は指摘の通りの特徴を持つからこそ、
運用にあたっては様々な再分配のための仕組みが導入されるのではないか。
税による再分配は当然のこと、あとは独禁法とか。他は思いつかんが、とにかくたくさんあるだろ。
原理的に集中が起きるとしても、システムを破たんさせてしまうような集中には至らないよう、
先送りするための仕組みを導入するのが「○○主義」の運用においては必須だろう。
攻撃的サッカーといってもディフェンスはちゃんとするように。
そういった運用面を無視して主義の特徴だけで議論すると、
あれ、もしかすると共産主義は主義の特徴だけで議論すると将来性があるのかな。
個人的には共産主義は嫌いではないのだが、どうも運用面の現実性が無い気がするんだよ。
そこの泥臭い所を無視してロジックを固めても、どうも信ぴょう性に欠けるというかなんというか。
いや、武力によるちゃぶ台返しが起こらない限り、資本主義を掲げる国家が勝つかもしれないが、そこに含まれる大多数の人間は社会主義国家の人間より幸福にはなれないだろうということ。
そう、資本主義国家は基本的に競争したら強いよね。そして世界は有限なリソースの奪い合いをしているわけだよね。
国家内で競争を取り除いたところで、国家間では競争を強いられるという状況において、社会主義はどう戦うのか。
国家間で負けても国家内では幸福度が保たれる、というのであればいいのだけど、そんなことは可能なのか。
資本主義国家に生きる身としてはなかなかそれを現実的な話として聞けないんだよなぁ。
社会主義ってのは、外部の国が別の主義を採用して世界的には競争が強いられる状況においても、
ちゃんと成立するように設計されているものなんでしょうか。
資本主義の問題は、つまるところ勝者が次の勝負で圧倒的に有利なポジションを得ることになってしまうせいで、ゲームが煮詰まることなんだよな。
そう、結局はゲームデザインなわけですよ。
んで時間経過とともにゲームデザインは更新されなくちゃいけないんですよ。人も状況も変わるから。
F1のレギュレーションもそうだし、サッカーのオフサイドとかバックパス禁止とかもそうだし。
そのとき重要なのはF1らしさ、サッカーらしさを失わずに、ゲームを成立させるデザインですよね。
話を戻すと、理念として持つのは「資本主義らしさ」なのか「社会主義らしさ」なのか、と。
それで、その理念が持つ「らしさ」を失わずにゲームを成立させるデザインが必要になってくる。
それをここでは「運用」と言ったわけだけど。
俺としては「資本の(ゲームを破たんさせるほどの)集中が起きないような再分配を行う」のは、
資本主義らしさを失う運用ではないと考えているんですね。で、あなたは違うと。
そもそもご指摘のように「資本主義」という言葉が持つ意味がお互いにずれているわけですよね。
まぁあんまり詳しくないンど得、俺の方がなんか勘違いしているのかもしれない。
つまるところ資本主義とか社会主義とか借り物の言葉で議論するから悪いわけで、
自分が理想とする理念は何か、そのために必要な運用は何か、を語るべきなんですよね。
Wikipediaで「資本主義」を調べて驚いた。こんなに違うんかいな。専門家が見れば同じに見えるのかな。
「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」をそのまま回せば、
「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」
になるのかもしれず、それだと将来的に破たんするというのはわかる。気がする。
それに対して、「生産手段が少数の資本家に集中し~生産様式」となることが問題であるならば、
「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」を維持するための運用として、そうならないルールを設ける、というのが俺の解釈だったりする。
「それは資本主義じゃないよ」と言われるかもしれないが、
資本主義を「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」くらいの定義としているので、
これも資本主義だと思ってしまっていたりする。
しかしこういう風に話を整理すると、日本が一番成功した社会主義国家という説明は正しいのかも。
かつての日本は資本主義的な運用はしたけど、社会主義的な理念を持っていたような気がする。
# まぁ詳しいことは良く知らないんだけどねー。
良いイメージを持ってないのは確かだが、ここまで来ると妄想だよな。
たとえば日共の文書に頻繁に出てくる「民主主義」や「民主」という用語だが、普通の日本国民が使っている「民主主義」や「民主」とは全く別の概念なのである。日本国民が「反民主主義」「反民主」あるいは「独裁主義」だと考えるものを、日共ら左翼は「民主主義」「民主」と表現するのである 日共などの左翼は今も変わらず、ソ連という史上最悪の独裁国家をつくった独裁者レ-ニンを神のごとく崇めているのである。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411887019
用語の意味が逆とか言って、証明も何も、全く根拠というものがないが
こんな文章書いちゃう人がいるってことは、中年以上の世代とかマスコミとか公安?の考え方って
大概こんなもんなのかな。たぶん九割がた妄想。
あと暴力性ということで言えば、他の政党だって過去に何やってたかわかったもんじゃない…
現実としてはこんな感じ。
国民からいつまでも、日本共産党とは、普通の政党ではない、異質な、やはり社会主義体制の下で、その社会主義体制に、日本という国を与(くみ)させる、そのことを金科玉条の課題とした政党であると、つまりは体制転換政党であると見られ続けているのだと思うのです。 レーニン主義批判に至っては、今日になって、ようやく、不破哲三氏が、『レーニンと資本論』という研究論文を公刊する中で開始し、その批判的検討に「お墨付き」を与えたところです。 このことがいまは、話題にもならないほどに、わが党内における「マルクス・レーニン主義」は、とっくの昔に風化さえしているのですが、しかし、「やっぱりレーニン主義も間違っていたのか」といった議論が、ごくごく小さな「声」として聞かれたりしています。このように、わが党内において、ようやくレーニン主義批判が「解禁」された格好となりました。 つまりは、こうした姿勢が、対応が、国民から、日本共産党を、何時までも「遠い存在」の政党と思わせてきた原因であったのです。国民との距離をいつまでも埋めることが出来ない最大の理由だと思います。 しかし、いまになっても、日本共産党は、61年綱領制定時から今日至る経緯の中で、コミンテルン型の前衛党として再出発したこと、また、「マルクス・レーニン主義」信奉型の党として、世界共産主義運動の一翼を担うという、ある種の「夢」を追いかけ、それが失敗に終わったことについての、総括ができないでいます。
http://www.kitanet.ne.jp/~takashi/1bu-kyou/end1.htm
(この手の本を読んでいる人が、読んでそうな本を他にも挙げてほしい)
理系学生の書斎が安藤忠雄の建築事務所(研究所)みたいな資料の山だとしたら、
文系(特に法)学生の書斎は立花隆のネコビルwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
規模だけでなく質でも文系(特に法)は見劣りがするね。
何度か連中の自宅に招かれたから、ちょっと参与観察してみたんだ。
冗談半分でさ。
仔細に文系 (特に法)学生の本棚とか見てみると、これがもう滑稽なんだwwwwwww
まずいきなり机の上に開いた状態の宮台真司『権力の予期理論』!(笑)
プゲラを抑えるのに必死だったぜ。
続いて 何度も読んだ形跡のある伊藤&柴田の司法試験論文対策即席要点集(笑)。
お前サル かよ、それでも人間かよ、って問い詰めたくなったね(苦笑)。
カント・マルクスをはじめとする岩波文庫300冊程度(笑)(日本語であって原文ではない)
我妻民法(笑)佐藤憲法(笑)前田刑法&商法(笑)新堂民訴法(笑)
○○学がわかるシリーズ(プッ)
フーコー『知の考古学』(笑)(「パンのように売れた」ベストセラー)
仏露独蘭伊中国語辞典(笑)
トクヴィル(笑)大江 健三郎(笑)コーポレート・ファイナンス(笑)ドストエフスキー文庫(笑)西尾行政学(笑)
柄谷行人文庫(笑)フロイトの技法(笑)Yale Law Journal(笑)ハンナ・アーレント(笑)浅田彰(笑)『構造と力』(笑)
別冊ジュリスト判例百選(笑)大前研一(ワラ)シェイクスピア文庫(笑)
田中行政法(笑)中公『世界の歴史』(お前高校生かよw)マンデル貨幣理論、(笑)
女子大生(特に法)が読む雑誌と大差ないMarie Claire(笑)
magazine litteraire(笑) Cosmopolitan(笑)Critical Inquiry(笑)
Le Monde(笑)The London Economist(笑) American Economic Review(笑)
Fortune(笑)Foreign Affairs(笑)Yale Law & Policy Review(笑)
The New England Journal of Medicine、Michelin(笑)
これだもんねぇ。
他にも数百冊 持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
ピーター・ドラッカー(笑)
ピエール・ブルデュー(笑)
フォーリン・アフェアーズ(笑)
知の論理!!(笑)
もう俺その場で大爆笑。
プゲラー止まらなかったぜwww
ま、予想通りだけど、杉浦・ 解析入門(高校4年生の一般教養にはいいかもね)
岩波講座・現代数学の展開 (なぜかモジュライ理論、Lie環、Weil予想、コホモロジーw)
リーマン・アティヤー・岩澤・シュバレー・ヴェイユ・セール・ブルバキ・ウィーナーなど書店で目につくもの(持ってるだけね、知的ファッション)
東京化学同人『分子細胞生物学』(ゲノム解析ブームの名残だろうな)
プリゴジーヌ『散逸構造』(笑)
これだもんねぇ。
他にも何十冊か持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
日経サイエンス(笑)
ニュートン(笑)
数学セミナー!!(笑)
もう俺、こんな連中と面識あるなんて、恥ずかしいね。
あいつらよく平気で外を歩いてるもんだ。
せめてNatureくらい読めよな、
文系(特に法)なんだからさwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
強い人だなあと思った。ご結婚おめでとうございます。お幸せに。
よい文章だったのでちょっと便乗して書いてみようかなと思う。
読み返してみたら元増田に較べてグダグダな上に人間的にもよわっちいなと思ったけど在日にも色んなのがいるって記録になってくれたらなと。
私は中学校までチマチョゴリ着て電車乗って学校通ってたよ。貧乏ではあったけど父が民族の理想に燃える人だったので朝鮮学校に通ってた。
父親は総連系の(革命家に憧れ、結局今はもう精神的にボロボロな)活動家で、母は20代の時に民族意識に目覚めて本名を名乗るようになった(父親の稼ぎが悪すぎて苦労ばっかりしてきた)飲食店経営者、でもって娘はちょっと半端なオタクでサヨクというそんな一家です。
父は拉致問題発覚した時は本気で沈み込んでものすごいショック受けてた。母は「ありうるなとは思ってた」そうだ。おとんピュア過ぎるだろ。
(家にあったマルクスの資本論の中表紙に「これを理解できずして何が革命家か!」(ハングルで)と万年筆で殴り書きしてあっただけあるよ…)
…まあ、そういう「総連」の下っ端もいましたよ、と。活動としては何をやってたんだというと、在日朝鮮人の権利保障とかそういう折衝をやってた。
父も母も通名は持ってるけど私は持ってない。別に通名なんてほしくはないけどお店とか病院の予約取る時に大概名前を聞き返されるので面倒ではある。
母には日本人の血も入っててガキの頃そっちの親戚と法事なんかで集まると、私の名前を訓読みで読み下して呼ぶ人がいて「誰だそりゃ!気持ち悪い!」となったりしたし、母のイトコだかハトコだかの旦那さんに警察関係の人がいて、なんかすごく家族ごと邪険にされたのは覚えてる。父も母も後ですごく怒ってたけど、今考えるとハトコの旦那さんもかわいそうだよなあ。純日本人と結婚してるのにソッチの親戚に総連系活動家だもん。勤め先で何か言われてても不思議じゃないし、そしてやっぱりそういう話って耳に入ってくるもんだ。うちら家族に責任はないけど旦那さんにも責任はないわけで文句言うなら勤め先だろとサヨクな私は思うけど、理不尽な気持ちになることはわからなくもない。
高校からは日本の公立高校に進んだ。大学受験資格の問題とかで高校からは日本の学校へ進学する子は多い。私の場合は純粋に人間関係うざかったからなんだけど。だってクラスの半分が9年間ずっと一緒の顔ぶれ、もしかしたら12年一緒の子もいるかもしれない、って孤独なオタクからしたら恐怖だよ! 特に体育会系の強い学年だったこともあってオタクな自分からすると肩身がせまいことこの上なかったんだよ。小学校時分はいじめられっこだったしな。今でも友人は高校以後のオタク仲間がメインだし、全員日本人だ。
高校は社会科の先生が担任取ってくれた。いわゆる「サヨク的な」教師だったけれど気配りはとても上手だったし、私は在日であることを隠さず本名で涼しい顔してたこともあって苦痛に思ったことはない。政治問題社会問題を語る上で在日に触れることはあっても私個人に在日を背負わせようとはしなかった。どっちかといったら私が背負い込みすぎてて拍子抜けしたくらいだ。
外国人登録取りに行く時も、ちょうど指紋押捺が撤廃された頃だったので気にはなってたらしいけど向こうからは「公休な、わかった」と書類にハンコ押してそれっきりだった。私の方から「外登見ますー?」「おう、どれどれ」なんて言ってた。在日だからって何も特別なことはないって、そう思いたくて逆にそういうのを何気なくやり取りしようとしてたし、先生もそれは汲んでくれてたようだった。
ただ思うのは、小中と朝鮮学校という集団にいた&高校ではリベラルな教師の下で過ごしてたおかげで、自分には「在日」をかなり軽く考えてたフシがあったってことだ。「私は私だし、それでいいじゃん」って。後々どれだけずっしりのしかかってくるかも知らずに。
何だここ! 今まで私が通ってた学校って何だったんだ!
ここは図書室はあるしプールはあるしグランド広いし音楽室は防音完璧だし!
図書室の本もちゃんと整理されててブッカーかかってるしさ! 貸し出しカード渡された時は感激したよ!
何せ中学まで図書室とは名ばかりの空き教室に事務用スチール本棚並べて、父兄からの寄付/処分品と「どう見てもフリマで買ったか公共図書館で『御自由にお持ちください』状態のものを必死で集めてきただろ!」ってな本が突っ込んであるだけだったからね! おかげでアイリッシュとか読めたんだけどさ! 小学校ではかろうじて江戸川乱歩とルパンとマガーク探偵団があったけどさ! しかも図書室が開くのなんて年に数回でその時しか貸し出しがされてなかったもんだから、マガークの続き読みたくてこっそり窓から忍び込んで無断持ち出しで全巻読破するという有様だったしな!
だから今でも本棚整理する時は子供向けにしても大丈夫そうなラノベとかSFは寄付することにしてるよ! オタクは国境や民族越えると信じてる。
(何でもかんでも手弁当でやるのが十八番の朝鮮学校だけれども、さすがに跳び箱の革を張り替える金すらないと聞いた時は思わず笑っちゃった)
あー、あとJR定期券割引とかないから! 一条校じゃないから普通の学割より割高だったくらいだから! 中学の時、定期券安くしてくださいって嘆願のハガキ書かされたし! 大人になった今だって普通に通勤定期買ってるから!
大検資格も免除してくれるところはありがたいけど大体は通信制高校に通うか大検受けてるし!
それでも今考えてみれば朝鮮学校に通って良かったとは思ってる。
言葉も一通り習得できたしチマチョゴリ着て歩くことで、わかりやすい「徴」をつけて歩くことの意味も身を以て理解した。私自身は在日の親戚がほとんどいなかったけれど、何かあるごとにクラスメイトの親類達が祭祀(法事)や集りを行ってたのを見て「民族的なもの」を肌に感じることもできたしね。その分、父兄同士のビミョーな力関係が子供達にも影響してて在日の親戚がいなかった身としては色々鬱陶しいこともあったけど。
外から見れば思想教育云々って危惧があるのはわかる。でも正直なところ教師含めて本気で「将軍様~」とか思ってる人は誰もいなくて、教科書の中身は笑っちゃうようなものだったけど(それも今は改訂されたと聞く)もうそういう部分は惰性でやってたと言うしかない。電車に乗って学校に通うから中吊りの雑誌広告とかっていやでも目に入るんだけど、見出しを読むと学校で聞いてる話とは全然違うのよ。文春新潮から朝日まで色々だけど「自分達が学校で教わってる『我が祖国』ってのはウソだよな」って生徒はみんな思ってるわけ。多色刷りの中吊りが真実を告げているように見えてくる。テレビや新聞と違って雑誌の見出しってインパクト重視だし。そこらへんの間で揺れながら話し合う子も多かった。
「将軍様~」絡みの授業はかったるかったし誰もあんな授業好きじゃなくて、気の利いた先生だったらそのコマを「怖い話」や「ビデオ鑑賞」とかにしてくれてた。
音楽の時間もコマの中で将軍様の歌とかはさっさと終わらせてクラシック観賞(別名昼寝タイム)や、朝鮮民謡、あとウェルナーの「野ばら」を朝鮮語訳にして合唱したりしてたよ。特に理系や芸術系の先生はそういうことをよくやった。宮沢賢治の本を朗読して、この物語の絵を描いてみましょうとか。
そりゃまあ勿論、カリキュラムの建前は「将軍様」「主体思想万歳」なわけでそれが自分に影響及ぼしてないとも言わないけどさ。今の北朝鮮の姿勢については否定するけど、父親のしょぼくれた背中眺めたりしてると擁護もしたくなるしさ。子金孫金(今の将軍様とその息子ね)はどーでもいいけど金パパ死んじゃった時はさすがにショックだったしな。
あと、朝鮮学校の中にいるとすっごく世界がせまくなるなと思う。校内に従兄妹やハトコも多いし親だってほとんど親類縁者、同僚同業者顔見知りだし。日本の同世代との交流なんてほとんどなくて、私なんかは近所の子達と遊んでると話したら「おまえ日本人の友達いるの?!」と言われたこともある。正直学校の友達よりよっぽど仲良かったですが何か。
晴れ着にあたるチマチョゴリは綺麗だし、他の民族衣装もかっこいいしキムチ美味いし焼肉好きだし朝鮮民謡大好きだし、ハルモニ(ばーさま)、ハラボジ(じーさま)が踊ったり歌ったりするのも素敵だし、歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし、だから韓国朝鮮民族は大好きだけれども、私が付き合わなくちゃいけなかった在日コミュニティはあまり私と合わなかったのも確かだ。生徒の絶対数の少ない朝鮮学校の中で、一般的に少数派であるオタクの割合を代入したらそりゃもう孤独なことになるわけで、親類がコミュニティの中にはいなかったこともあって居心地はあまりよくなかった。窮屈な場所だったと思う。私自身は左翼だけど、父以外の総連系に関わる気はまったくない。ていうか、今関わったらきっとあの体育会系の連中に出くわすに決まってる。そのくらい狭いんだよ、あの世界は!! 結束は必要だと思うけど私はもうあの場所には戻らない。
元増田は「GO」に共感したようだけど、私は李相日の「青~Chong~」が自分の過ごした時期と重なって一番思い入れがある。パラフィン紙で顔の脂取ろうとするあたりとか。
映画での朝鮮学校描写の年代差はなかなか面白くて「パッチギ!」→「GO」→「青~Chong~」の順で下ってる。そして登場人物達もどんどん「在日」である自分を捉えづらくなっていくんだよね。強固な仲間意識(パッチギ!)から、そこを突破しようとして民族に足を取られもがく子が出てきて(GO)、ぼんやり境界線の上を漂って地に足の着かないままの子が今生きてる(青)、という具合に。朝鮮学校の中にいてもそうなってる在日青少年の実情がよく見える流れだなと思う。
ついでに言うと和菓子大好き短歌大好き、京都大好き、寿司はうまいしマンガ好きだし、NO GAME,NO LIFEだと思ってるし、J-POPも民謡も好きだし、好きな作家ほとんど日本人だし、チャンバラ時代小説すっげー面白いし山田風太郎と竹本健治と火浦功は天才だと思ってる。
で、先述したようにチマチョゴリを着て歩くっていうのはなかなか忘れ難い経験で、朝鮮学校の女の子が大人びて見えるのはそれがあるからじゃないのかなって思ったりもする。「徴」をつけて歩くことはすごく振舞いを意識させられるんだよね。もう見るからに「自分は朝鮮人です!」って表明してるわけだから「私」が何かすると「朝鮮人」が何かしたことにされちゃう、っていう意識だけは絶えず持ってた。それで帰り際にB'zのCDとか買ったりもしてたわけだが。自意識過剰かもしれないが「朝鮮人の女の子がB'zのCD買ってった」って思われるのかな、と思いながら歌詞カード眺めたりしてたよ。
今はもう見かけなくなったけれど、自分が卒業した後も街でチマチョゴリの女の子を見かけると「こう見えてたんだ」って思って迂闊なことした記憶と共にアタマ抱えたくなったりもした。
聞こえよがしになんか言う人もいたが、暴力でさえなければその場ですれ違って終わりだから黙ってた。
そうやってやり過ごせばいいと思ってた。
考えてみれば本名で通すのもそれと同じようなものだし、私の日本の友人の中では「在日」と言ったら私なんだよなあと気がついて結構怖くなったりもするんだけどね。うわ、ヘマできねえ…!とか、仲がギクシャクしちゃった友人の在日観とか考えると頭抱えたくなったりもする。本名を名乗る、在日だと告げるってのは少なくともそういうことになる。代表してるつもりはないけど代表になってしまう。そうじゃなければ一番いいけど、そこはいかんともしがたいので行動には気をつけてる。
自分の「在日」がものすごく重くなったのはネットでの嫌韓発言に出くわしてからだ。
在日三世にもなると面と向かって「チョーセンジン!」を罵倒に用いる人はそういないし、元増田が書いてた通り斜め上に飛んだ気遣いの方が鬱陶しい。私が本名で渡っていけるのも、父母が通名くれなかったから名前が一つしかないてのと同時に、そんな罵倒をする方がどうかしてると私だけではなく「社会が」判断してくれると信じてたからだ。それが一世、二世の苦労を知らない、三世の中でも特にお気楽な部類の私の感慨だった。
けどネットの嫌韓コピペだの在日認定だのブログ炎上だの見てそれはガラガラと崩れてった。
見ず知らずの多くの人間が、私に流れてる血に向かってすごく軽い気持ちで憎悪を向けているのを見るのは本気で怖い。ヒットポイントをがしがし削られて死にそうな気分になる。
だからリアルでは本名を名乗るけどネットでは匿名に紛れてる。はてなのid、ある意味ではこれが私の「通名」だ。
あんな悪意と無神経を正面からかぶるなんて絶対無理だ。ネットで自ら在日であると表明しているid:F1977さんは本気ですごい。
拉致問題が大きく取り上げられてから(この問題自体はきちんと解決せねばならないと思ってる)の嫌韓、嫌朝の流れは本当にキツかったわ、うん。
例えば、私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃうんだよ。考えても仕方ない、意味のないことだしはっきり言って卑屈だと思う。でも考えちゃう。考えて自分で落ち込む。アホじゃないかと思いながら振り切ろうとして、なのに嫌韓なコピペや書き込みを思い出してまた沈む。
この「もし私が朝鮮人だと知ったら」というのが、通名を名乗るか本名を名乗るかid:F1977さんが逡巡することと共通するとこなのかな、と思う。もし違ってたらすんません。
そしてそういった逡巡や怯えが存在するんだよ、と伝えることの難しさにまた凹む。
結局今でも色々凹みっぱなしなんだけどねー。元からダメ人間でもあるので更に凹みがちだしなあ。オマケに非モテ非コミュなので元増田みたいにこれからの生活展望とか語れる物がないw
で、最近はどうかというと。
高校時代の友人(A)の一人と会って話す機会があったので、他の友人たちの消息も聞いてみたら、その中の一人(B)がネトウヨになったという。「はァ?!」と聞き返すとmixiで典型的嫌韓嫌中発言をしてるというので頭を抱えた。私はmixiのアカウントを持ってないので事実確認はできておらずどの程度の嫌韓発言なのかもわからない。伝聞で判断したくはないが、もし事実だったら私は泣くし多分しばらく立ち上がれないだろう。Bとは趣味が近かったおかげで一緒にでかけたりもしたし、卒業後も何度か酒を飲んだりもした。今だって会えば普通に飲める気がする。
「元からBってそんな感じだったじゃん。でも会えば普通に飲めるんじゃないの?」とAも言う。
Bだって私の前で嫌韓発言するようなことはしないだろう。
けどなあ。
それってどういうことなんだ?
いやいやいやいや、私は朝鮮人だから。あなたが嫌いな朝鮮人だから。別じゃないから。朝鮮人から私だけ切り分けられても困るから。ネトウヨの嫌韓発言にキリキリしてる朝鮮人だから。
「韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは嫌いじゃない」ならまだ納得する。
私自身「ネトウヨは嫌いだけどBのことは好き」だから。
…と考えて、でもそんなこと聞きようもないし、第一事実確認からして怖くて出来てないし、どうすりゃいいんだと途方に暮れてたりする。頼むからAの誇張表現であっていてくれ。ていうかこんなこと一人で考えててもどうしようもないのに何やってんだろ私。
…とかそういうことを日々考えてしまう一人の在日がここにおりますよ。やっぱり割り切ることが未だに出来てないんだよなあ。
元増田とは違って、私は子供のことは考えないでいいので今のところは(父)親孝行のためにもまだ朝鮮籍でいようかと思う。韓国行きたいのも確かだからいずれ韓国籍に変えるかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090415070440
うわ、まさかお返事いただけるとは思わなかったので恐縮です。
ネトウヨさんの何が怖いってあの軽やかさとコストパフォーマンスです。ブログコメントたった二行でこっちは一日グロッキーだったりとかする。街に出るのも杞憂とわかっててもやっぱり怖くなりますよね。
何かあってからでは遅いという御心配もよくわかります。私が上げたidの方の文章に私は強く惹かれていて、応援したいと思うのも確かだったりします。生活を守ることと気持ちを伝えることがどこかで衝突してしまうのは苦しい。うまく着地点があるといいんですけど。
韓国は、いずれ行きたいと思っています。私も本籍地が今はどうなってるやら。肉大好き!なのでかなり夢が膨らみました。
お互い、がんばっていきまっしょい!ですね。ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090415073233
ちょっと思ったのは、日日間での暴力や差別についてはまた別の文脈で私は言及することにしてるかなあ。別に「在日です」と宣言する必要のない問題だし、やはり「在日」と宣言するというのはその属性をある種代表してしまうことになるから。私個人の意見なのに「在日の意見」になっちゃうと議論にとっても有害だと思う。だから私は在日とは明かしてないidでのブクマとかでしょぼしょぼとサヨクしてて、日日間での軋轢や暴力(というのが増田の指してるそれと一致するかはわからないけど)についての言及はそういうところでやってる。在日が「在日です」って断わりを入れてから物を言う時ってのは自分の経験などを語る上でそれが必要だからするのであって、必要ないなら(特にネットでは)せずに済ましたいというのが私の本音。
ついでに言うと在日は在日のことで手一杯なので、というのも結構正直なところで、権利の追求しか、と言われても「実際ここが何とかなってくれればなー」と思うこと多いしなあ。
うちのじーさまがいわゆる「無年金」の人で80過ぎまで働こうとしてたのを父が必死で説得してただでさえ少ない給料から生活費捻出してたし。そうやって実際見てると権利追求することは別に悪いとは思わないんだよね。同時に日本の人でも窮している人は権利追求すればいいと思うし半端なりにサヨクなので私は応援&支援する。
日本人は、って一括りにしてるように見えたのならそれは申し訳ないです。在日にも色々いるし日本の人にも色々いるのは当たり前ですし。
在日です、って表明するってことは相手にもある種の対応を迫ってるみたいなとこあるから(そーいうのがなくなればいいんだけどね)、個人的には気を使うようにしてる。でもみんなが気を使わなくちゃいけない!とはあまり思ってない。そうなるとまた斜め上の気遣いとか出てきちゃうと思うし。うまく折り合いつけられるといいんですけどねー。
通名に関しては、いかんせんずっと実名使ってきてるから細かいことはわからんです。役立たずですんません。もうちょっと物を調べてからもしかしたら増田でまた書くかもしれません。ただ、通名は別に在日じゃなくても使えるのではないかなあ。これも調べて考えてみます。あやふやでごめんなさい。ただ「特権」という感覚は今のところあまり持てずにいます。
チマチョゴリでの通学中、「すたーらいと☆」シリーズとガルディーンと死に急ぐ奴らの街とを矢継ぎ早に読んで惚れ込んでから十ン年、今は絶望的な思いと共にパクパクと口を開けながら新刊を待ち続けるばかりです…。
ちなみにすたーらいと☆の三作目にはニンジン嫌いの「キム・ウィルソンさん」が出てきたりする。
お昼休みに増田に来たらえらいことになっとるー?! 100ブクマ超えってなんですカー!
ついでにちょこっとお返事。
KQZ 読み物 もしかしたら知り合いなのではないかと思うくらい普遍的な話なのかと好感。ただ「歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし」というくだりには「それ、ファンタジー小説だから!」と突っ込んでさしあげたい。
もしリアル知人だったら見て見ぬ振りしてやってください。すんません。
ところで、えー、金庾信とかかっこいいと思うんだけどダメですかねえ。この人、朝鮮学校の歴史の授業でも悪者扱いだったんですけど半島三国統一した人でなかなかかっこいいと思うんですよね。
HEX68 差別, 在日 火浦功に触れた時点で僕の中の何か壁みたいなものが氷解した。人を隔てるのは「血」ではないのだよなあ。
すいません、ありがとうありがとうとブクマコメント読ませて頂いて、このコメントでじわっと来ちゃったじゃないですか。お昼休みなのにー。
とりあえず結論:火浦功は偉大ということで。
http://www.new-makura.com/archives/562475.html
ここで話題にあがっていたけど、肝心の日記の内容が掲載されてないみたいなのでmixiのチャンコ増田氏の日記から転載(転載OKらしいので)
(改行修正済み)
四月馬鹿には一日早い3/31、ホワイトキャンバスを運営する有限会社セルビテックより取引サークルに対して下記のメールが送りつけられた。 ↓ここから引用 ---------- 拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申しあげます。平素は格別のお引き立てにあず かり、ありがたく厚くお礼申しあげます さて、この度は3月度の委託支払いにつきましては、従来より細心の注意を払ってきたところでございますが、委託集計のデータ破損により、委託支払額の過払いが生じましたことをご報告させていただくと共に、多くのサークル様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。 本メールは過払いに該当するサークル様へ、個別にご連絡させていただいております。 現在、弊社は多額な過払いにより出納業務に支障をきたしております、また今後の委託支払いの経理処理にも問題が生じるため、大変にご迷惑をおかけいたしますが、過払額の返納に何卒ご協力いただけますようお願い申し上げます。 誤データによる振込金額 xxxxx円 データ修復後の修正金額 xxxxx円 A様への過払金額は、xxxx円となります。 過払分弊社返金先につきましては、以下の口座になります。 (以下省略) ---------- ↑ここまで引用(一部略&伏字) 言葉を選んで丁寧な文章で書いてありますが、要約すると 1、うっかり間違えて振り込みすぎちゃった 2、原因は管理ミス 3、悪いけど金返してね ということです。 しかしながら、取引先サークルにこの手のメールを送るのはご法度です。 なぜならば、金員の支払いは信用を築く最も根本的な事項にもかかわらず、自社ではそれを管理できる能力が無いというのを自分で言ってしまっているからです。サーバー用PCが火災などでクラッシュしてしまっうなどのやむを得ない事情の場合でも、それは会社の自己都合ですので取引先には関係ないことです。さらに過入金してしまった場合でも、委託作品は預かり続けているので次月の売上と相殺するのが一般的な処理の方法です。 実際にこのメールを送ってからの反応はどうなったか。 私のマイミクさんとその先に連なっている例大祭やコミケで(西だけど)壁取っているサークルさんが片手では足りないほど、取引停止&在庫引き上げを明言しています。2ちゃんねる同人板では、とうとう単独スレが立てられてしまうほどです。まあ炎上というほどでは無いですが。 同人誌取扱店として、仕入先であるサークルさんを怒らせてしまうのは愚の骨頂ですしそれを送ったときにどういうことになるのか、わかっていないのか天然なのか確信犯なのか……そのあたりについても考察したいと思います。 1、わかっていない場合・天然の場合 たいへん申し訳ないのですが、商売でも会社経営でも全ての根本は「人」、人材です。資金とか経営手腕は二の次です。人を人として思っていない企業とはとてもではないですがお付き合いできないと考えるのが通常です。 2、確信犯の場合 こちらの方がより深刻で取引サークルは速やかなる在庫の引き上げと清算をお勧めします。 なぜならば、会社を畳むのを前提となるからです。 4月末が会社の決算ですので、思いっきり黒字で決算出して銀行から金借りて2-3ヶ月したら計画倒産する……とここまで想像するのは難しく無かったです。なんでこういうことがいえるからというと、普段の会話の中でも「債務の圧縮の仕方」(子買いの名目上第三者に債権を1掛けで売り飛ばす)とか「会社をコカすまえには借りられるだけ借りてから」というのが再三再四でていたからです。 どちらの場合でも、即時取引停止・在庫の引き上げをするのが正常の反応です。 在庫をとりもどして、各自の目で在庫数を確認してそれでも返金しなければいけないという場合のみ返金するというのが筋というものでしょう。 返金額については、振り込み手数料以下のものから50万円代のものまで聞き及んでおります。 私が責任者でしたら ・一万円以下→報告だけして来月以降の売上で調整 ・1~10万円→同上+電話で連絡 ・10万円以上→上にプラスしてさらに個別対応 あたりの対応ですかね。 返金してくれっていうのは口が裂けても言いません。 先に「人が大切だ」と書きましたが、それがわかっていない明確な証拠があります。 諫言苦言を呈した人物は全て解雇されたか不当な扱いをされて辞職したからです。 みんな若くて真っ直ぐでイイ奴らでした。 これ以上無い悪い待遇で必死に働いて会社の売上が5年で7倍になったのになにも報いてくれませんでした。資本論のとおりで、ただ経営者は搾取するばかりです。中にいるときはネタで「プロレタリアートよ団結せよ! われわれ労働者は食料を要求する」とやったものです。そうしたらピザくらいはおごってくれましたが(苦笑)。一度たりとも深夜残業手当てなどついたことはないですが、それでも店一件まかせられたんだから……というプライドだけで、私は金沢と大阪の店を切り盛りしていました。それを取り上げられたときのショックは……仕事している方なら深くご理解していただけると思います。ポジティブなことは自分でも認めますが、それでも正直一ヶ月腑抜けになりました。 元々人付き合いのヘタクソさには定評のある同社でしたが、その原因の根本は全て経営責任者S氏の資質と性格にあります。私は5年ほど付き合いがありましたが、最後に喧嘩別れするときに本性を表して如何に人を見下しているか・俺たちが一番頭いいんだというのがひしひしと伝わってきましたし、 「おまえを含めてサークルの奴らは所詮オタクで常識がない。だからお前は会社を潰したんだ。俺が引き取ってやって面倒見ていたのに言うこと聞かないとは何ごとだ」 とまで罵られました。 喧嘩別れした理由はカンタンで、Sオーナーに全く誠意が無かったからです。 当時販売代行・委託管理をしていた「dakimakura.net」の売上の報告はあったり無かったり。支払いについては時給800円の時給月給と社宅の支払い以外一円もありませんでした。何度請求しても「後で」「そのうち」の繰り返しで、挙句の果てに「てめーしつこいんだよ!」とキレて私と同姓の事件屋まがいのまで出てきて脅されました。 私も小さいながらも会社を経営していた人間ですので、ほどほどのところで見切って企画も出さないでノウハウもしまい込んで適当にしていましたが、充分ノウハウ吸収して自分でも同じようなことができると思ったころ、先方からお払い箱にされました。むこうから手を切ってくれたYO! (・∀・)bヤッタネ! (※一部改変) 下の点線内は一部追記しました。 追記部分は【】すみつきカッコでくくってあります。 --------------- そのあと【同社では】「サークル・ホワイトキャンバス」としてZUN氏に無許可で「企業が商品作って販売」しております。 【以下同社HPリンク】 ttp://www.w-canvas.com/shopping/doujins.cgi?sec=show_catalog&search_type=maker_key&key=405&no_item=1&listing_style=graphic 【最近同社では】抱き枕をいろいろと頒布していたのは周知のご存知の通りです。【製造元や製造、販売のノウハウまで盗用して】在庫残さないシステムなにのになんで死ぬほど在庫残しているの? バカなの? 死ぬの? といのが感想です。企画と製造ルートの盗用も看過出来ないのですが、どっちかっていうとアホさ加減に空いた口がふさがりませんでした。 --------------- 前半はメールの分析でしたが、後半は内情バラシになっちゃいましたね。 しかしながら、一点の誇張も虚偽もない事実であることを明記しておきます。 サークルの友人各位に置かれましては、ご判断の材料としていただければ幸いです。 ひとりでも多く被害者が減ればこれ以上のことはありませんので。 ※転載・抜粋はご自由に。日記も全公開にしています。
●メールの考察・追記 担当者の名前がありませんでした。 このことはどういうことか客観的に考察してみました。 甲、故意に書かなかった 乙、流石に名前を出すのが恥ずかしかった 丙、名前を書けるだけの人がいない 丁、単に書き忘れ 甲についてですが 「明確に責任を取る」という企業倫理の点からいただけません。 サークル側が誰に連絡していいかわからなくて困るからです。 この手のデリケートな内容の場合、特定の担当を決めるかor全社に通達を出して「どう対応するか、誰に話をふるか」を決めておかない会社はありえません。 この場合の担当者って誰? 電凸して担当誰だったか分かった方は、ぜひ教えてください。 乙については 恥を知るという点は理解できるのですが、以下は1-甲と同じなので割愛 丙については これが一番深刻かもしれない事態でして、実際に営業担当者がクビになったり配置転換でいなくなったりということがままありました。3月半ばに「最後の良心」と二つ名与えたい営業担当者が退職しましたが、そのこと自体を知っているサークルさんが少ないようです。 常識的に考えて 「担当者がコロコロかわる、退職する」(特に経理) 「金員の支払いがおかしくなる」 あたりの地雷を踏むのは、取引先としてどうかと思うのは皆様方にもご理解いただけると思います。 参考までに http://www.j-cast.com/kaisha/m/2009/02/10035712.html 丁についてですが これも論外だ。事実ならアホすぐるw 過去に同社から届いたメールには、ほとんど営業担当者の苗字が書いてあります。 ですから、名前が無いほうがおかしいです。 ただし、これもないとは言い切れなかったので併記してみました。
月に約30冊のペースで図書館にリクエストしてました。それこそ様々な本を。
新刊で気になる本はもちろん全てリクエスト出すくらいのペース。
自分で買うにはちょっと高い本、マルクスの「資本論」もそれで読んだし、上野千鶴子の「家父長制と資本制」のような買うと高い本もそれで読んだ。
フーコーとかも高いよね。社会人には買えるかもしれないが、高校生が買うにはちょっと高いんだ。本当に図書館と図書館員には感謝してる。
絶版本をリクエストしたら、近隣に無い場合は国会図書館から取り寄せてくれる。図書館は素晴らしい社会インフラ。
もちろん、それだけリクエストしてたら、様々な本が入るんだけど、もちろん全部答えてくれた。
デヴィッド・ハミルトンとか、ロバート・メイプルソープの写真集とかも普通にリクエストしてたけど普通に入れてくれたよ。
デヴィッド・ハミルトンはもちろん思春期の少女のえっちぃソフトフォーカスな写真がいっぱい載ってるようなものだし、
メイプルソープはわいせつ物にあたるかどうかで最高裁まで争われるほどのものだったけど。
俺はまだ本気出してないだけ
虫歯になって慌てて歯磨き
鰯の頭も信心から
千代の富士はこう答えた
1001勝です
「よく禁煙に成功しましたね」
俺は勇者になりたかった!
だが魔王がいなかった!
お前には魔王がいる!
Living well is the best revenge
優雅な生活が最高の復讐である
もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ。
マルクス・アウレリウス 自省録
我々は、現在の知識によってのみ物知りであるにすぎない。
男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。
「第一の性」より
人は死の間際になってはじめて、本気で生きてこなかったことに気づく。
人を見て、「こいつはまだまだだな」と思ったら、実際には自分とそいつは同じくらいのレベルで、
「俺と同レベルくらいかな」と思ったら、実際にはそいつは自分よりも上のレベルで、
「俺よりも少しできるな」と思ったら、そいつはもう手が届かないほどレベルが違うのです
強くなければ生きていけない
マーロウの名台詞
今君は夢を僕に言えるか?あの日と同じ瞳のままで
英雄とは個人的な恨みや、失望や、復讐心に駆り立てられてではなく、
人の小さい過失をいちいちとがめないこと。
人の隠し事・秘密を暴いたりしないこと。
人の過去の過ちを掘り起こして蒸し返さないこと。
この三つの点を守れば、人格を高められるだけでなく、人の恨みや反発を買うこともないのです。
司会「北京オリンピックに何か特別にもっていく物はありますか?」
浜田雅功「あたりまえや、こんなところで何言うとんねん。」
若いときは知ってるフリをしたがる
歳をとると知らないフリをしたがる
金は集めるより散じるが難し
生きる時間は変えられない
生き方は変えられる
人を呪わば穴二つ
スナフキン語録
1.ぼくは、あっちでくらしたり、こっちでくらしたりさ。
今日はちょうどここにいただけで、明日はまたどこかへいくよ。
テントでくらすって、いいものだぜ。きみたちは、どこかへ行くとちゅうかい?
2.自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。
その気になれば、世界中でもね。
3.そうだな。なんでも自分のものにして、 もって帰ろうとすると、むずかしいものなんだよ。
ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、たちさるときには、
それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくはそれで、
4.それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。
すててしまえよ。小さなパンケーキ焼きの道具も。
ぼくたちには、用のなくなった道具だもの。
5.ありがとう。でも、いまも考えたんだけどもちものをふやすということは、
ほんとにおそろしいことですね。
昔から仏教では「足を知る」ていうんだ
あれも欲しいこれも欲しいで尽きることのない欲望の果てが
『自滅』
だから賢人は必要なもの以外は切り捨てるようにするんだよ
駒田「とりあえずお疲れ」
悩むってのは余裕があるから
海で溺れてる時悩みますか?必死で泳ぐでしょ
悩まない代わりに溺れて死んでます
人生の大きさは悔しさの量で計るんだ
「サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。」
「(交代策は)うまくいくときもダメなときもあるもんだよ。采配が全部当たるなら、
「私には、理想とするサッカーはない。こういうチームと決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。
完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。」
「日本人はシステム論議が好きらしいが、システムは保証でしかないことを理解したほうがいい。
「古い井戸があります。そこには水が少し残っています。それなのに、古い井戸を完全に捨てて新しい井戸を掘りますか?古い井戸を使いながら、新しい井戸を掘ればいいんです。」
勝てない見込みのほうが大きい戦に
あえて臨む人間にはなんとなく肩入れしたくなる
「理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを認めることにある。
それを知るところまで行かなければ、理性は弱いものでしかない」パスカル
「いいか、おまえら。恋愛というものはなだな、まず相手を好きになる。そして、好きが恋になって、
恋に愛が加わって恋愛になる。それで恋が消えて愛だけになると落ち着いてきたあたりが一番幸せだな。
俺、ビルゲイツが目の前にいたら言ってやるんだ
うらやましいだろ、ざまあみろ。ってね
弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。
ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい
信じるものがすくわれるのは足元だけ
夜なのに僕が見るのは蒼井そら
「ボクは火星人であることとチンコが小さいことをなんとも思ってませんから!」
「チンコ出して街歩きたい」
「虹がヒットしたら俺の下の毛を虹色に染めてお前ら(リスナー)にプレゼントしてやるよ!」
「空中でオナニーしてみたけど踏ん張りが効かなくてエクスタシーに達するのは無理だった」
「陰毛は直毛です」
人生は全て次の二つから成り立っている。
したいけど、できない。 できるけど、したくない。
この人が王であるのは、ただ他人が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。
ところが、彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思うのである。
『資本論』第1巻第1章
「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、
われわれもそれを若い人に強いたのだが、
これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。
もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、
海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」
久方の光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ
ラストサムライの最後のシーンで、若い明治天皇が、トムさまに、渡辺謙が
演じたラストサムライ勝元(西郷隆盛がモデルらしい)の死に様を聞く。
「Tell me how he died」
アメリカ騎兵役のトムさまが、自信に満ちた微笑をかすかにたたえて答える。
「I'll tell you how he lived」
人の通わぬ山道に咲いた紅葉の心意気
「金」以外のものを絶対に信用してはいけません。
信用できるのはお金だけ
よく聞く言葉だけど、インフレおこしたらそのお金にも裏切られるわけで
国は信用できるって(信用する)ということにつながるんだろうか
強情を押し通すと、周囲にも自分にも苦しみとなる
やっぱり一番悪いと思うのはアルコールだ
勝った人はこちらへ 負けたら向こうへ
そんな訳には いかない いかさない
子供たちがのびやかにすくすく育つために必要なのは、
実は“誰かに世界一愛されている”という実感なのではなかろうか。
今日逃げたら
明日もっと大きな勇気が必要になる
生き残るためには自ら変わらなければいけない
何事も 貴方が同じ土俵に立つから腹が立つのです
一歩退いて周りを見渡して御覧なさい
腹の立つ程の事ですか?
聞いちゃダメ!
聞いて偉くなった人は誰もいない!
勝ちに不思議な勝ちあり
負けに不思議な負けなし
女を腕に抱くと、やがて腕にぶら下がられ
そのうち背負う事になる
離婚の動機ですって?
ありますとも、弁護士さん
私が結婚してるという事です
今考えるとあの時食べておけばよかった
アーサー・ゴッドフリー
カニ光線にかぶれたとかそういう人間ではないつもりだけど
小選挙区では今で言う自民の「上げ潮派」的な人、比例では共産党に分けて入れてきた。
資本論も文庫版の一巻目で寝てしまう自分なので、彼らのイデオロギーがキライな方と論争する能力も持ち合わせていないし
今までの悪行をソウカツしろなんて増田もあったけど、正直この先数十年はできそうにないと思う。
で、そんな連中を支持する理由って何さ、といわれると、子どもの頃周囲に信濃町系の人が多くてヘキエキしたから。
今信濃町が与党の側にいるってこと自体虫唾が走る。ので、代々木にもう少し頑張って欲しいかな、と。
せめて千駄ヶ谷あたりで落ち着く、バランス・オブ・パワーを維持できるくらいになってほしい。
外苑東通りまで進軍しちゃっても、明治以来の日本のシステムだと宗教よりアカの方が潰しやすいでしょ、いいじゃん、という感じ。
カニ光線ビームのおかげで入党者増えても、長きに渡って取り込む懐の深さはないのが心配。
そんで取り込めないと団塊と一緒に消えてしまいそう。でも消えると真剣に信濃町が怖い。
カール・ローブとか呼べそうにないし、今の共産党に出来る範囲で面白いことをやってもらうほかない。
1.志井ちゃんをキャラクター化する
ムダに文化的素養のあるあの世代、連中が見下してるサブカルの海に放り込んでみると意外に良い反応を起こしそう。
志井ちゃんはエロの趣味濃そうだし、SPA!(グループ的にないけどさ)あたりに出てきて弄り倒すと人気出るはず。
あとは深夜番組か。
2.もっとデザインにこだわる
共産党にクセにロシアン・アヴァンギャルドのブームに完全に乗り遅れたのも痛い。
ポスターもそうだし、代々木の本部も予備校のビルか何かに見える。
3.スタイリストをつける
赤旗のポスターに出てる女が、いかにも性格とか面倒くさそうな女で正直引く。
4.
5.
途中で飽きた
オンライン上で、fromdusktildawn氏のエントリを見て正面から、反論してくる組合の人はいるだろうか。
と呼ばれたので少し書いてみようと思う。もっと分裂君(fromdusktildawn氏のこと。以下こう略す)のエントリに言及するのは気が進まない。だって本人が「このブログの内容は極論でありありていにいえば嘘、極論を述べて楽しみ、極論の中の一片の真実を探るものだ」と言ってるわけだから。
だから、正直「正面からの反論」に意味があるとは思えない。その極論は、「極論」だけに様々なことを故意に無視して、あるいは故意に前提としてできあがっているから。
その中には、たとえば引用した上の増田さんが指摘した通り「想像上のサヨクでなく、現実の左翼が日々どういう活動をし社会の中にどう組み込まれているか」と言った問題が潜んでいたりする。大体御用組合とそうでない組合の差なんて、組合の中枢部で動いている人間にだって分からん。それこそ「経営評価委員会」みたいなものでもつくって、組合の功罪について裏表全て出してみて、「結果として」その組合が労働者により役立っているのか、会社にとってより役立っているのかが評価できるかどうか、というところだし。大体、労働者だけに有利で会社にとっては不利な存在でしかない組合など、現代の労働者自身が求めていないしね。
まあ、増田さんとは違って分裂君は、そのあたりの事情をあえて無視している(経営者とかにも知り合いが多いと書いてるから知らないわけはない)のだと思う。まあこれは些細なことに過ぎないけれども。
そんな彼のエントリが「真面目に」読まれているとしたら、それはやっぱり不幸なことだ。だから反論しようとは思うのだけど、そうやって真面目に分裂君のエントリに「反論」しようとすると結局それは彼の「極論」を成立させているネタのネタバラシみたいなことをするしかない。これはぶっちゃけ彼のエントリをつまらなくするので読まない方がいいくらいだ。やれと言われたからやるけど、本来これは自分の作法ではない。先に謝っておく。
:::::::::::::::::::::::ツッコミ開始:::::::::::::::::::::::
(1)経営についてもサヨクにしても、実は想像上のそれしか比較されていないこと。
彼のサヨクに対する批判が想像上のものだと上で述べたが、良く読めば分かる通り彼が述べる「経営体」としての企業の役割や社会に対する貢献、そしてその評価についても、全て理念的な話でしかない。
現実の所、企業が提供する「豊かさ」(A)が、我々の望む豊かさ(B)とイコールであるかどうかについて評価しない限り両者は比較できない。そして、明らかにAをBに一致させるよりは、AをBだと勘違いさせる方が安上がりであり、そして現実の社会というのはそういう安易で安上がりな方向へと流れていくものだ、ということさえ、分裂君はあえて触れない。
一方、ネオリベの提唱する「理想社会」のイメージだけを見て褒め称えているが、本当の所彼だって、現実のネオリベが混乱と貧困をもたらしていたとしてそれを「ネオリベの『理想を正しく実現していないからだ』」などという原理主義者のようなことは言わないだろう。だから「極論」
というわけで、理想だけを見て現実をみていない、これが第一ポイントです。
(2)話の根幹となっている「労働者に必要な『経営スキル』という概念」について
さんざんドラッカーを引用して語って、これも各個人が戦略的に社長のように振る舞い、その総和としての社会が…という話に見えて、全然違う。本当のところ分裂君のこれ、実は『資本論』を下敷きにしてるんだろう。「サヨク」を揶揄しながらこういうことをする。分裂君、結構人が悪い。マルクスが言ったことの中でもっとも重要なポイントの一つはまさに「労働者は企業の奴隷じゃねえ!『労働力』を企業に販売する経営者なんだZE!」ってことで、言ってみればそれは組合の理念の根幹部分。だから、個人的にはこれ笑うところかなと思いながら読んだ。このエントリ自体が高度な釣りというかJokeなのだとすれば、このあたりに一つクスグリをいれてみたということではないか。
(3)結局のところ彼の論に基づけば、社会的なセーフティネットは『無い』という事実
まず、一所懸命繕おうとして繕い切れない問題として、分裂君は有効に機能する社会的セーフティネットについて論じていない、という点。たとえば教育に関して「教育クーポン」が機会の平等を実現するかのように語っていますが、教育クーポン自体こそが社会的強者にとって最も有効に使えるツールであるという点には触れない、つまり結果の不平等が拡大されやすい政策だ、とかね(個人的には、アイデアとしての教育クーポン自体には意外と賛成だがそういう負の問題を解決しないとどうにもならないとも思う)。公害問題についても、色々なアイデアは紹介するけど、それが実際に公害を解決するかどうか、は言わない。
そこを彼は「経済的自由と結果の平等はトレードオフだから仕方ない」という理屈でクリアしようとしてるわけですが、ここにも詐術があって、
1.経済的自由と結果の平等がトレードオフだというためには、「稼ぐ金=やる気(インセンティブ)」という価値観が前提される必要があるが、これが正しいとは限らない。というより、それは明らかにドラッカーさんに批判される考え方。
2.結果の平等を実現することで発生するインセンティブには触れない。『歴史的な社会主義の失敗』を批判する一方で、『ある種の成功した社会主義』と言える社会(たとえば戦後「総中流社会」日本)には全く触れない。
という二点。
この二つを無視し、そして人間を統計の比喩で語って「一部の10km/hでしか走れない車のために、大多数の時速を10km/h制限にするのは正しいか?」という極端な比喩を持ち出す。
確かに、人間を統計的にしか処理しないなら「1%の人を見捨てる社会は99%にとって住みよい社会」と言えるかもしれない。でも実際問題、そんな風に考えて我々は暮らしていけるだろうか。
たとえばみなさんが子どもなら、1%の人を見捨てて幸せを謳歌する自分の両親を見て心豊かに育つだろうか?
行動力ある青年なら、1%の人が見捨てられている社会に対して信頼感がもてるだろうか?
実際に見捨てられる1%になったとき、ナイフをもってトラックに乗り込み秋葉原に行く以外の幸せをみつけられるか?
実際に見捨てている99%になったとき、何の心配もなく秋葉原に行って楽しむことができるだろうか?
友達が見捨てられる1%になったとき、それは君自身の責任だと切り捨てることができるだろうか?
自分の子が見捨てられる1%になったとき、それは君自身の責任だと切り捨てることができるだろうか?
……
こういう『人間性』に根ざしていない「社会」論は、本当は無意味。
繰り返しますが、良く読めば分かる通り《結果の不平等》の発生を分裂君は認めている。それは「起こさないように頑張って起きてしまう」ではなく「社会が計画的に(貧困を)発生させる」ということで、そんな社会が我々の「人間性」に反していることもまた明らかである。
:::::::::::::::::::::::ツッコミここまで:::::::::::::::::::::::
まあ、ドラッカーが考える『仕事における人の「位置づけ」と「役割」の両方を満たすために組織の「マネジメント」がある』という話は普通に面白いので、「ドラッカーの仕事観」を推奨する分裂君はもっとそちらを丁寧に紹介して欲しいと思う。できれば偉大な経済学者E.シューマッハーの仕事観と併せて論じたりしてくれると面白い。また、『近代国家システム自体が1000万人を越えると機能しないのではないか』という指摘も大変面白いので、そのあたりを丁寧に研究してくれると読み応えがあって面白いのだけど、そうすると釣りにはならないんだろうな。
というわけで、お返事してみました。以上。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1
あと、今日になって真面目に反論している人がいた。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
社会主義の方は、読み手(の感覚)が分かりやすい表現ってことで例を挙げた感じです。
流通か・・・確かに余り考えてませんでした。
現場を知らないので何とも言えませんが、Amazonの場合は1日に何回もトラックがモノを運んでると考えると、トヨタの「ジャストインタイム」のような方式を採用しているはずです。
となると、トラックを若干待たせる(トラック運転手に払う給与が増える)という無駄はあるものの、運送会社に膨大な数の注文を出すと言う立場を生かして、量販店よりも流通コストを安くできるのではないでしょうか?
デルは組立工程をを運送会社に投げて、運送会社自身が組立すぐ発送と言う手法を取ったとかなんとか。(大前研一「新・資本論」)
流通に関しては良く知らないので、良い解説を頂けると嬉しいです。(単に知りたい)
デルとAmazonの比較ですが、後者は複数のジャンルにわたる商品を1つのボックスに詰めるわけですから、工場の固定資産税、箱詰めする従業員の賃金、などがかさみますね。
あと、
>>巨大資本と零細企業の競争に関しては、飛躍があり過ぎて話にならない。<<
と
次回以降、もう少しまともな記事を書けるようになるためにも、流通以外で飛躍してる点と、自分勝手な理論の部分がどこらへんにあるか、そしてそれは何故かを具体的に教えて下さい。(バカですみません)
>>自分勝手な理論から脱出できない。それこそが、別次元同士での不毛な議論を生み出してしまう原因です。<<
確かに良くあることだと思います。
>>(と思うよ)<<
優しさが滲みでてて、嬉しかったです
長いので、興味ない人は1行くらいでスルーしてください。
「疎外論」批判というのが一部でちょっと盛り上がっていたみたいですが。
なぜ「疎外論」という発想が生まれたのかと言えば、それはたぶん、他人を説得する時にそういう方法しか思いつかなかったからじゃないかと思います。「本来の人間の姿」と「本来的じゃない現在の人間の姿」とを対比させて、その差異を見せ付けることで「ほら、現在はこのような問題があるんだから」と問題のありかを指し示すというのは、他人に自分の意見を示す上でも非常にわかりやすくなりますし。
じゃあ逆に、疎外論抜きで「私は社会に対してこのような問題意識を持っている」ことを指し示すとしたら、どうなるでしょうか。
「見ろ、このような社会のあり方は問題だ」
「なんで? 人間の生活はあるようにある、ただそれだけじゃん」
「なんでだよ、こんな社会のあり方は人間にとって生き難いだろうに」
「生き難いって、何と比べて言ってるのよ」
「そりゃあもちろん……いけね、“あるべき仮想的な理念像”はここでは使えないんだっけ。えーっと、それじゃあ社会の上層のあの人や中層のあの人と比べてだね」
「おいおい、そうやって万人を万人といちいち一対一マッチングさせる気か。地球シミュレータをフル回転させても無理だと思うぞ」
「いやだから、技術的な問題じゃなくて社会構築の原理的な問題をだね」
「そうやってすぐ空想的な原理原則を持ち出す、君は本当にどうしようもないほど形而上的だな」
「うがー。目の前で死にかかっているこんなに人がいるのに放っておく気か」
「その人を手当てすりゃいいじゃん」
……話はどこまでも噛み合わないまま終わりそうですが。
「あるべき理想的な人間像」とか「あるべき理想的な社会像」の提示(による疎外論の提唱)をどこまでも徹底的に否定していくと、実は現行の国家や行政機構の役割が限りなくゼロに近づいていったりするんですな。
例えば教育。そもそも公教育制度って、政治や社会活動(経済活動を含む)に参加する上で必要最低限の知識を万人に保証するために行うものですから、教育の意義そのものが「あるべき“教育された国民像”」と「教育されていない国民像」との差分に基づいて、まさに疎外論的に「あるべき理想像を国民に保証する」ことにあるわけです。
だから、指を折って数えられる以上の数字を知らなかったり漢数字以外の漢字が読めない国民がいたって、それを「あるべき“教育された国民像”から疎外された、非本来的な国民のあり方」と捉えることは出来ないのです。そもそも「“教育された人間”の本来的な姿」が棄却されているわけですから。その人については、それはそういうものとして「まあそんな人もいるよね」と受け取っておくしかありません。学力比較がしたければ、無理に一般的な学力基準を作らなくたって、めいめいが勝手に「あいつ俺より頭よさそうだなー」「奴は俺よりバカだ」とかって思っておけばいいんです。
警察組織も必要なくなりますよね。別に治安がいいことをもって「社会の本来的なあるべき姿」とする必要は無いんですから、もし199X年に地球が核の炎に包まれた後のような暴力の時代が到来しても、またそこで弱者を救う世紀末救世主みたいなのが出現しなくても、「これは人間が生きていく本来の社会のあり方じゃない」と嘆くことは出来ないのです。それはそういうものなのですから。
他にも、現状を維持したり向上させたりする政策を立案・実施するためには、そもそもの発想の根源に、現状がそのまま維持された延長線上に想定される未来像や現状から何らかの意味で改善された未来像が、「本来そうあるべき像」として時系列的未来に投影されていなければなりません。もしそうしなければ、「本来あるべき未来」と、「現在」ないしは「メンテナンスを何も行わないという条件下で現在からの延長線上に出現しうる未来」との差分を検出することが、まったく不可能になってしまうからです。比較対照としての「あるべき像」が無いのに何と比較しろってのさ。
だから、さっきの199X年に、ミスミじいさんが種モミを必死に抱え込んで「明日がー明日がー」と叫んでいるところに割り込んで、明日の収穫のためではなく今日の俺の腹の足しのために種モミを食ってしまっても、何の問題もありません。そもそも比較すべき「明日=あるべき社会像」が存在しないんですから。「明日の収穫」なんてものは、勝手に「本来あるべき社会像」を未来に投影してこしらえた幻影なのです。その幻影と現在とを比較して「人間は本来的にあるべき“明日の収穫”から疎外されている」などというのは形而上学もいいとこです。厳然として存在するのは、目の前の「種モミ」だけなんですから。これがやがて稲穂の波へと弁証法的に発展していくなんてまだ見ぬ未来を夢想するのはヘーゲルやマルクスの読みすぎというものです。さあ、種モミなんて食ってしまいましょう。え、将来の人間が飢えてしまう? 何言ってるんですか、将来の人間なんてここにはいないじゃないですか。いたら今すぐここに連れてきて「飢えた人の発生」を実証してくださいよ。だいたい飢えたところでせいぜい死んで人口がちょっとばかり減るだけですから、むしろ上手い具合に人口の調節が図れていいんじゃないですか。それとも何ですか、まさかあなた、年がら年中腕に止まった蚊を叩き潰したり肉を食ったりして他の生物をどんどん殺しているくせに、ホモ・サピエンスは他の生物種とは異なって神に祝福された特別な存在だから常に生き残る価値があるだなんて、今のご時世に信じていたりするんですか?
いやー、しっかしそう考えると、なんでよど号ハイジャック犯が『あしたのジョー』を引き合いに出したのかがよく判るなー。あれってきっと、連中にとっては「擬人化された疎外論」だったんですよ。ほら、「あしたのために」とか「泪橋を逆に渡る」とか、本来性の掛け声がビシバシ響いてるじゃないですか。ジョーの本来あるべき姿って、段平オヤジにとっては「ボクシングのチャンピオン」、ジョー自身にとっては「憎いあんちくしょうをリング上で叩きのめしている自分」なのであって、そうじゃない現状のジョーはあるべき理想的ジョー像から「疎外」されているわけですよ。だからこそ段平はあるべき姿の「あした」を目指して、「あしたのために その1・フォイエルバッハテーゼ」「あしたのために その2・資本論」「あしたのために その3・共産党宣言」とかってのをせっせと書き綴るし、ジョーはジョーで欠かさずトレーニングして「内臓をえぐるように(カラシニコフを)撃つべし!撃つべし!」なんてやってるし。こんなふうに「あるべき姿」を必死に目指したって碌なことにならないのは、「ジョーをバンタム級のリングの上でぶちのめす自分」を「あるべき自己像」に据えて、「だめだ、この体重では俺はバンタム級のリングから疎外されたままだ」とばかりにむちゃくちゃな減量を行った力石徹が、自らの死をもって示しているのにねえ。
だから、庵野監督も大月Pも角川の偉い人も、エヴァンゲリオンをテレビ版の最終回でさっさと終わらせておけば、「僕はここにいてもいいんだ」→「おめでとう」パチパチパチで「そのままの姿でここにいる自分の全肯定」として話がきれいに収まったんですよ。それをよしゃあいいのに、劇場版(97年の)なんか作って「あるべきコミュニケーションのあり方」に話を膨らませちゃったりするから、「あれ、本当はこんなコミュニケーションのあり方はいけないんじゃないかな? 本来のコミュニケーションのあり方ってどんなのかな? 今の僕たちは本来のコミュニケーションのあり方から疎外されてるんじゃないかな?」みたいな方向に考えを向かせる契機を作っちゃうわけで。もう「そのままの自分まるごと全肯定」でいいじゃん。マルクス先生が「宗教はアヘンだ」って言ってるってことは、マルクスが失効した時代には文化的アヘンで疎外感を麻痺させて心の安寧を得ることもOKってわけですよ。アヘン超OK、全能感超OK!(ちょっと古いか。)
なに、そんなのはまやかしだって? おいおい、「現実」に目を見開いて「本来のあり方から疎外されたこの社会を何とかしなくっちゃ」なんて操作主義的な観点に目覚めた人がこれ以上増えたら、一億総ポルポト化ですよ。日本全国隅から隅まで「ドキッ!ポルポトだらけの粛清大会 ──(頭蓋骨)ゴロリもあるよ!」になっちゃいますよー。
ポルポトや文化大革命を呼び込みたくなければ、そんな疎外論チックな発想はさっさと捨てちゃって、身の回りの小さなことに幸せを見つけていきましょう。そうすればほら、きっと水さんだってきれいな結晶を作ってあなたの心の美しさを祝福してくれますよ。おっと、非科学的だなんてツッコミは無しですよ。「科学的に正しい世界観を持った国民」というのだってやっぱり“本来的なあるべき像”なんですから、そんなものを持ち出したら途端に「君の世界観はあるべき科学的世界観から“疎外”されている、再教育しなければ!」なんてことになってポルポト化ですよー。
……結局のところ、何かしら広義の「啓蒙」的なこと、つまり人々の精神や知的要素が無知蒙昧の「闇」に閉ざされているところへ「光」をもたらそうという時系列的進歩の考え方は、どうしても「光」の比較対照物として「闇」を必要とするし、また「闇」の比較対照物として「光」を必要とします。社会のよりよき状態を想定するところでは、その対照物として「よりよくない現在=闇」が、「光から疎外された状態」として持ち出されますし、現状を批判する場合には、それの比較対照物として仮定された「よりよき未来=光」が、一種のイデアとして持ち出されるわけです。「啓蒙」と「疎外」は、そういう意味でコインの裏表のように、切っても切り離せない関係にあります。
「疎外論」を完全に回避しようとすれば、結局のところはよりよき方向への変化という考えを完全に捨てて、「あるべき姿など無い、世はただあるがままにある」という考えに徹するしかないのでしょう。税制改正の提言は「よりよき税制度から人々が疎外されている」という現状認識の現われだし、著作権を巡る議論は「よりよき(ry」だし、そういうのを全部回避するとしたらもう、時系列的に制度などが変化した部分については「ああそう、変わったのね、まあそんなもんでしょ」、変化しない部分については「ああそう、変わらないのね、まあそんなもんでしょ」と等閑視するくらいしか手はなくなります。スピノザあたりがそんなことを言っていたような気がしますが。ニーチェの運命愛もちょっと似てるかも。
……でもこれって、
「“人はあるべき姿から疎外されている”なんてことを考えて現実を直視しようとしない連中の世界観は、人が本来的に持つべき物の見方から疎外されている!」
という主張にはならないのかな? それとも、「“あるべき姿”の主張がマルクスの論点に基づいていればそれは疎外論でありポルポトだが、マルクスに基づいていなければ疎外論やポルポトではない」という前提でもあるのかな。もしそうだとしたら、悪の大魔王マルクスの「悪のカリスマ」性の長命ぶりには驚くべきものがありますな。それとも、冷戦終結によって魔王バラモス(=マルクス)が死んだと思ったら、その背後で真の黒幕である大魔王ゾーマ(=真・マルクス)はしっかり生きていたという、ドラクエ3型のオチなのかしら。早乙女のジジイ!
例えば、
「やい臨獣殿! “強い者が世界を統べることこそ本来の姿、その本来の姿から疎外されたこの世界を変えてやる”なんて言って人々を苦しめるなんて、このゾワゾワのポロポロ野郎!」
「なーに言ってるのよ、あんたたちこそ“本来の獣拳は正義の拳、いまはそこから疎外されている状態だから臨獣殿を倒してあるべき姿に戻す”なんて言って、力ずくで正義を押し通すポルポトじゃないの。文句があるなら実力であたしたちをねじ伏せてみなさい、このカクシターズ!」
とか、
「おばあちゃんが言っていた、俺は天の道を往き総てを司るってな」
「天の道という“本来あるべき道”のイデアを前提して、万人をそこから疎外された者として見下すとは、君も愚かな男だな。社会においてもっとも重要なこと、それはパーフェクトハーモニー……完全調和だ」
「そう言いながら俺をつけ狙うのも、おまえの言う中和だか調和だかのうちか」
「ライダーは二人も要らない」
「一人のライダーに率いられた組織の完全調和……そこからはみ出した俺は疎外された存在ということか。おばあちゃん、いやポルポトは言っていた、そういう存在は完全調和のイデア世界には不要だとな」
「貴様、俺を疎外論者に仕立て上げるつもりか……だが俺は貴様を倒す。そうしなければ、俺が俺でなくなってしまう!」
「やはり“本来の俺”か……おまえは天の道を外れた」
「!……待ってくれザビーゼクター、戻れ、戻れ……戻れぇーーーー!」
(半年後)
とか。