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2012-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20120214113848

スイーツ()」の語源には明らかに女叩きの意味があったんだけど記憶が変換されているのか?

語源にはねーよ

ただの甘いもんを「スイーツ」と呼び直そうと言う運動の気持ち悪さ

それを仕掛ける雑誌必死さやステマ臭さ(当時はステマなんて言葉はないがそういう気持ち悪い気配はとっくに認識されてた)

がまず嫌悪と嘲笑に晒されてた

次に実際にそれに踊らされる雑誌読者(スイーツ提唱者は女性雑誌なのでここでの読者は女だ)が嘲笑され

だんだん女叩きの人達言葉を乗っ取られた




君は記憶回路がボンヤリして書き換わっちゃったのか、

そもそもが「スイーツ()」という言葉工程の下流のほうで接したか

語源を語れるような知識がない(けどその自覚もない)だけ

http://anond.hatelabo.jp/20120214113307

スイーツ()」の語源には明らかに女叩きの意味があったんだけど記憶が変換されているのか?

そこから「男版スイーツ()=ライフハック()」が派生してはてな限定で広まったんだろ。

2012-02-10

なぜ高専に入ろうと思ったか

高専在学中, OB, OG人達高専に入ったきっかけとか、どういう系統のことが好きなのとか詳しく知りたいからできれば高専関係の方はブログに書いてほしいなーとかチラッと思った #kosen_opportunity


なんていうのがTLに流れて来てたので暇つぶし高専入学志望動機を思い出してみた。

なお、当時書いたであろう入学志望動機は現存してないのでやっぱり記憶を。

中2当時はご多分にも漏れ

人と違う何かをしたいとかそんなことを思ってたようで

漠然普通高校行きたくないな とか考えてた。

中3で

理科先生から高専存在を教えて貰う。

普通高校行きたくないし 電子工作好きだし 高専にしよう。

当時電子工作がすごく自分の中で熱くて

パチンコ液晶買ってモニタにしたり

old macを安く買ってPLLの定数変更してクロックアップに勤しんでみたり

そんな中学生でした。

住んでるのが東京なので育英高専と航空高専受験

育英高専普通に合格

育英合格の日に航空高専の願書提出

育英決まった時点で受験勉強なんてものは一切せずに

航空高専不合格

ということで育英高専入学あいなりました。

ってのが育英に通うきっかけでした。

ちなみに志望学科

育英が電気工学科→電気工学

航空が電子工学科→航空

にしたような。機械とかあんまし興味なかったですしね

俺のことが増田に書かれていたので

http://anond.hatelabo.jp/20111110111334

これの従弟だけど補足してみるよ

元増田の記事を読んで心配してくれた人のために現在の状況を書くと、従姉は退院して仕事復帰、従姪は平日は俺の家で預かり週末は従姉の家に戻る形で生活することになっている

生活費についてはこちらから特に援助はしていないが、従姪が俺の家にいる間にかかる費用を請求してないので、その分は浮いているはず

一緒に暮らしていない元増田が把握していなかったことを補足する

従姉のところの問題の源は元夫のDVと虐待

娘が気に入らないことをしたら「母親なんだから躾けろ」と妻に命じて体罰強要

号泣したところで慰めて自作自演で娘の好感度稼ぐというのが従姉の元夫の手口

これを人間関係全方位で展開して孤立した相手を自分依存させて支配していたわけだ

従姉は自分子供に手を上げたことをとても悔いていて罪悪感をもって娘に接している、従姪は虐待された記憶を打ち破って何とか母親を愛そうと頑張っている状況

虐待でヒビが入った母子関係は離婚後もなかなか回復しなかった

従姪は幼い頃母親が身体に触れようとするとビクッとなって目を瞑るような状態で、心や体が弱っている時にはその傾向が特に強かった

病気になった時など、母親が側にいるとリラックスできないので看病は他人に頼まざるをえない状況だった

親戚とはい恋人でも夫でもない独身一人暮らし男性に娘の身の回りの世話を頼んだり、契約社員正社員仕事休んで自分の子の看病してくれと頼んだり、そういう選択をせざるをえない時点で崖っぷちなのは子育て経験がある人は想像できると思う

この手の話で従姉が凹んでいたのは母親スキルの低さを実感してよりも、虐待の結果を再認識してしまうからという理由が強い

時間の経過と共に母子関係も少しずつ回復していき、最近ではお互いうまくやっていけてるんじゃないかと思っていた従姉と従姪だが、そこで従姉の入院事件が起きた

距離をおいた途端に従姪の体調が良くなったことから、従姪にとって母親と一緒に暮らしていることがストレスだったことが浮き彫りになってしまった

それに従姉が気が付いてショックを受けたところに元増田居合わせたわけだ

後に従姪もそのことに気がついて精神的にずいぶん荒れた

本人の認識では、拒絶意識過去もので今は母親のことを好きでいるつもりだったので精神ダメージが強かった

その後話し合った結果、少し距離を置きながらゆっくり母子関係を回復させた方がいいだろいうということになり、現在の週末のみ母娘で暮らすという方法いこうということになった

最後に俺のあの頃の子育てについて

あれは目の前で母親が倒れてショックを受けている従姪を元気付けるため無理してやっていた時期の話なので、365日継続できるものじゃない

2012-02-09

[] CC-0

<雪菜だけじゃなく、きっと武也も依緒も気づいてた。

 俺の中で、いつまで経っても、かずさが思い出に昇華されてないって。

忘れることのできない存在になってしまってるって。



それでも武也や依緒…やその他無関係な奴が、俺を励ましたり、雪菜をけしかけたりしてたのは、もう一つの真実には気づいていなかったから。

俺がずっとかずさのことを忘れてないことに、 雪菜が今でも傷つき続けてるって、こと。

 俺と同じくらい、かずさのことを知ってるから。…俺と同じくらい、かずさのことを好きだから

から、俺の中のかずさの存在を見逃すことができないって、こと。

きっと、俺の心に入り込もうとするたびに、中にいるかずさの記憶と目があってしまってたんだ

俺がむりやり抑えこんでも、笑ってみせてもそんなの雪菜にとっては、ガラスに描いた絵のようなもの



まり、それってさ…

俺はもう二度と、一緒に歩いていくことができないって、そういう、ことなのかな?

世界でただ一人、小木曾雪菜とだけは



相手が雪菜でないのなら、俺はきっと、いつかかずさを忘れられる。

どうすればって…そんなの簡単だ。

かずさのことを胸に秘めたまま、忘れないまま、新しい恋を始めてしまえばいい。

だって、その時、俺の横にいるひとは、俺が無理して笑ってるなんて気づいたりしないんだから

俺が時々、過去を思い出しても、そのせいでつらい気持ちになったとしても、きっと何も知らず、笑顔で励ましてくれる。

からそのうち、心が少しずつ彼女で埋められていき、かずさを思い出す痛みが薄れていき、いつか彼女が一番に置き換わる。

「知らないことが幸せなこともある」って、あまり俺の好きじゃない言葉なんだけど、でも、その言葉通りに時間が全てを解決してくれる。

…相手が雪菜じゃなかったら



だけど、雪菜とは、その過渡期が過ごせない。

俺が過去を思い出したら、俺がつらい気持ちになったら、何杯にも跳ね返って、傷ついて傷ついて…

今日みたいに、立ち止まってしまう。先に進む勇気を失ってしまう。

きっとかずさは、もうとっくに俺のことなんか…もしかしたら雪菜のことだって忘れてるかもしれないのに。

なのに俺たちは、勝手過去の三人にこだわり、そして馬鹿みたいに自滅しあう。


相手を好きなだけじゃ、「どうしようもないこともある」

それは、俺の大嫌いな言葉なんだけど。それでも俺たちは、もう一緒にいないほうが… >

http://anond.hatelabo.jp/20120209120254

「この程度の間違い」って

言い間違いや記憶違いみたいなことなら指摘は1行でいいけど

元増田場合論理能力の問題だからそれなりにきめ細かい説明・指摘をした方がいい

2012-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20120207222656

形じゃなく記憶に残るって感じで旅行に行くとかは?

ふたりで10万だとやや足りないかな。

でも自分なら、貯金10しかなかったら、それは緊急用に置いといて他の記念を考えるな。

慶弔やら病気やらケガやら事故やら家電故障やら、不測の事態が発生すると10万ぐらいはすぐ飛んじゃうからさ。

アクセサリーはもうちょっと余裕がある時に貰ったほうが嬉しい気がする。

2012-02-07

スイート10ダイアモンド

長文注意



四月からプログラム系の学校に行こうか、

結婚10周年の指輪を妻に買おうか、

迷ってました。



ネット相談して

http://anond.hatelabo.jp/20120131004052

後者に決めました。



もちろんサプライズにしたい。

でも指輪サイズがわからない。



指輪サイズを探りたいんだけど、ここで問題が起きました。



以前お話しましたが、夜になると記憶を失くすときがある…

と思ったら、昼間も約束を平気で忘れたりする昨今。



指輪サイズうまいこと聞きださなきゃ」という記憶

忘れちゃ思いだし、忘れちゃ…を繰り返してる。




ついに、忘れてしまう恐怖が勝ってしまい、

さっき、この件を思い出した時、

意を決して、ストレートサイズを聞いてしまいました。



ここでもう一つ問題が…。




うちの妻は「空気を読まずネタバレ」してしまう癖があります

ドラマ推理小説も、感動すればするほど、

まだ見てない俺にネタバレをして、怒らせてくれます

何度カーネーションを観る楽しみを奪われたことか。




そんな妻にサイズを聞いたら、

「ん?

………スイートテンならいらないよ(笑」




(笑ですよ、(笑 !!



もう頭にきて、

「絶対贈んない!」

って言ってやりました。

ええ、言ってやりましたともっ。




くだらない相談にバカにせずコメントをくれた方々、ごめんなさい。

我が家結婚10周年は、何も形に残るものはなく、終わりそうです。



ちなみに4/29は「晴れの特異日」です。結婚式にはもってこいだよ。

躁的防衛と命日





今日は父方の祖父の命日です。




喪の作業が

全く進んでいないのだなぁと

痛感しました。




当時を回想してみて

改めて思った。

まだ、否認の段階、なのだ























人間記憶って便利なもの

どうでもいいことは抜け落ちるけど

大事な特定のことははっきりと覚えている。

いや、大事なことがいつ起きても保存して置けるように

日常のどうでもいいことは抜け落ちていくように

設計されているのかもしれない。


9年前の2月7日、

1限に世界史の小テストのことを

そこそこ気にしていた朝を覚えているし

Mステがあったか金曜日なはずで、

GLAYが「いつか」を歌っていた。

いつも一緒に部活の帰りを共にしている3人のうち、

Sくんはデートか何かが一緒に帰らずに

3人で自転車を漕いで帰った事も覚えている。



その帰り道、

帰宅するまで知らされていなかったか

いつもどおり部活をして夜にちょっと集まってゲームをしようという

約束をしていた。

そして、帰り、死去の話を一通り聴いたあと

僕は友達の家でスマブラをいつも通りに

楽しく興じていた。



不思議なくらいに、いつもどおりの楽しさがあったことを

覚えている。

今になって思えば、脆弱な心を保つための

躁的防衛だったのだと理解できるが

当時は、最愛の人がなくなったのにゲームを楽しめる自分って、

とんでもなく冷淡な人間なのではないか…と落ち込んだものだ。











もともとの高血圧だったこともあるだろうが

から回覧板をお隣さんへ届けに行ったところ

倒れてしまったとの事だった。

律儀で真面目な人だった。

そして、真面目さを強さとして昇華させている人だった。



真面目ってのはポジティブイメージがあるかもしれないけれど

他人を疲れさせるだけ。

なぜなら、柔軟性がなくて頑固なだけだから

真面目な人と一緒の空間に居たら安らげないでしょ?




それでも、じいちゃんの真面目さは

圧倒的に優しさと強さを持っている真面目さだった。

多分に美化をしている可能性もあるが…。













ただ、当日のことは克明に覚えているのだが

それからのこと、たとえば

火葬場で骨を焼く作業までの記憶は抜け落ちていて、

どうしても思い出すことが出来ない。

いや、覚えているんだけど、

すごく限定的。たとえば、自分がどこに居たのかは

覚えているがそこで何をして何を話して何を行動したのかは

全く覚えていない、

それに当時の場面を思い返したときに主人公の視点世界を捕らえていないことに

気づく。

自分目線じゃなくて

自分が居る空間を上から自分が観覧している」というイメージでの

記憶しか残っていない。

自分から見た世界じゃなくて、自分がその場全体を見ている感じ。


これも離人とか解離とかっていう一種の

心的防衛なのだと、今になると思う。

そう考えると

自分がそこに居るのに行動の内容が記憶されていないのは

当然のことなのかもしれない。

だって意識自分を上から見ている自分が持っていてしまっているのだから










どれだけ

「大切な人には伝えられるうちに愛しているって伝えろ」みたいな

ご高説をたれられても、やっぱり人間

愛してるって伝えないんですよね。

自分日常永遠に続いていくもの

世界は変わることなく日常を繰り返すものだと、

どれだけ悲痛な別離や死別の話を聴いても


全く他人の痛みからは学べないわけです。

だとすると、できることはたったひとつ

いっきり後悔を背負って生きていくこと。



他人が身をもって示してくれた痛みに

耳を傾けても行動に移さなかった罰を受けるしかないのだ、と。





もしも人間

他人の痛みから学ぶことが出来たのなら、

こんなにも悲しい物語は断続的に永続的に

津々浦々で発生するわけがない。


人間

今を大切にすることなど出来ない。

失うまでは絶対に気づくことは出来ない。

その鞭と無能さの償いとして

後悔という消えない荷物を背負っていくしかないのだと思う。

[]7-C

<三が日に、三人で過ごした時間も、

 とっくに昔の出来事に成り果て、

 もう、俺の記憶を彩ることはない>





今日会いたいんだ。今日中でないと、俺…>





<雪菜のこと、好きか嫌いかなんて聞かれたら、

 そんなの考えるだけ無駄だろ?好きに決まってる。

 じゃあ、どっちが一番かなんて聞かれたら、

 本当は、結論が出てたってことも。

 だけど、そんな自分の買ってな思い込みよりも、

 思いをぶつけてくれる相手の言葉の方が

 強くて尊いって、そう信じたことも。

 何も言ってくれなかった相手には、

 俺の思いは届いてないんだって、そう信じてしまったことも。>






◆武也

・忘れろ。

 あんなおっかない女のどこがいいんだ?

 お前とは、何もかも釣り合わないだろ?

 あのコは、自分の意志でお前から離れていくんだぞ。

 彼女にとってお前はその程度の存在しかないんだぞ?

 だから立ち直れ。今を、絶対に手放すな。

 




・いいか春希?

 お前と雪菜ちゃんには先があるんだぞ?

 いい加減、覚悟を決めろよ?

 …決着は、ついたんだよ。

 いや、最初から誰も勝負なんかしてなかったんだ。

 それは、お前だって同じはずだろ?

 春希、お前は俺とは違うんだ。

 …俺みたいになって、俺を失望させるなよ?





・こいつがそれで納得できるような奴なら、

 俺もそこまで気にしないんだけどな。





・春希っ!馬鹿、やめろ、戻って来い!






◆親志

・女のことで武也に説教されるなんて…

 春希って最低の屑だな





<武也のいう偽善が、たとえみんなを救うんだとしても、

 そんなのは本当の救いじゃない。本当の幸せじゃない。>

2012-02-06

mixiオワコンだとしても

最後まで希望を捨てちゃ行けない。

それはなぜか?

なんだかんだいってみんな好きだから

mixiっていうサービスのいいところを知っているから。

ありあまる時間を使って書いた日記

足跡がつくのを、

コメントがつくのを、

赤い文字が出るのを待ってたあの瞬間を知っているから。

もし、今がダメでも、

もし、Facebookが猛威を振るっても

あの頃のmixiには決して勝てない、決して。


おとなになってからやったプレステ3

こどものころにやったスーパーファミコン

どっちが記憶に残っている?鮮明に?


揺るがない。揺るぐはずも無い。


から、あきらめてはいけない。

真摯にいまの若い子の話を聞こうよ。

足跡はいま無くなっちゃったけどさ、

元に戻しちゃってもかまわないんじゃないか


ライトサーフェスコミュニケーションはTとかFとかに任せて

心の中ののぞき合いみたいな、異空間みたいな、

そういうサービス、また作っていこう。

最後最後まであきらめちゃいけない。

Firefox 10

Firefox 10あかんわー、まぢ使えん



9までは「ファイルごとに保存先を指定する」設定で、

拡張子ごとに最後に保存したフォルダ記憶していたが、

10からサイトごと?に記憶してる感じ



そんなありがた迷惑いらんねん

最後に保存したフォルダを開けてくれたらええねん



Nortonツールバーも使えんようになったし、

ほんまあかん

2012-02-04

若者

便利というのは幸せを奪っているんだよ

かい部屋でコーヒー飲んでも美味しいか

寒い中で飲むときの味わいを知ってるか?

さらに高山の山頂で飲むコーヒーの味わいを知ってるか?

人は苦労した方がその見返りを多くもらえるんだよ

そしてそのときの濃い記憶人生に積み重なっていく

今の若い子達は便利を味わい苦労を知らない

からこそ喜びもなく感動も何もない

味気ない毎日人生歩いてるだけにすぎない

苦労をしてた時代の人は濃密な人生を歩き

感情の起伏のある濃い記憶のをたくさん持っている

そういう人こそが死ぬ間際に人生に満足を得て悔いがないんだよ

2012-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20120203173013

統失はいたな。懐かしい。

糸井重里はいなくなったの最近じゃない?

でも梯子(梯子は弄られてただけだったが)くらいのときが、一番増田はてな村で重宝されてた(ような気がする)ので、あの頃から後の記憶ってあんまないんだわ。



あ、思い出したんだけど、昔増田にキチフェミいたよね?

統失っていうか、最近攻撃的なサヨをあんまり見なくなったと思う。

あーいろいろ思い出した。id:kanose普通に村長って呼ばれてたこととか、弁当さんがもうちょっと皆に構ってもらってたこととか。

2012-02-01

あっという間にネタが費消しつくされる世の中

 昨日は「日本同人作家税務協会」っつー詐欺SPAMお祭りになったわけだが、

これがtwitterでつぶやかれてから首謀者特定やらをへて日本同人作家税務協会認定作家というネタに至るまで、1時間掛かっていなかった。

ほぼ全部のネタが割れた事もあってか、すでに祭りのピークは過ぎた感じで細々とネタが続く感じになっている。

 仕掛けがショボかったのもあるし、ネタとしては単発だったこともあると思うが、ちょっと話題になるような程度のネタでは、1週間掛からずに人々の記憶から消えてしまうという、現代のネタの費消速度を目の当たりにして恐ろしさもまた感じるのであった。

2012-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20120130120340

語学の話しじゃなくて映画の話しだけど、

ビデオで繰り返し何度も見た映画を、

十年ぐらい経ってからテレビでまた放送するってんで見てみたら、

記憶全然違っていることが何度かある。

ビデオベータからもう確認ができない。

不思議

橋下徹氏への期待と違和感

僕はとりたてて左でも右でもないと思うが、個人的に橋下徹氏のやり方には強い違和感を感じる。君が代を歌わない教員を罰する、などといったタカ派的な行動(http://goo.gl/fdA8f DailyMotion: これで彼自身恥ずかしそうにしてちゃんと歌っていないというのは置いておいて...)やテレビタレント時代核武装とか中国売春ツアーODA発言とか弁護士懲戒請求の扇動とか、そういう極端な言動への違和感が第一にある。ナイーブに考えて、下品で息苦しいのである

だが、僕が結構ファンである佐々木俊尚氏(http://twitter.com/sasakitoshinao)や夏野剛氏(http://twitter.com/tnatsu)など、わりとリベラルで先見的と思われる人たちが橋下徹氏に好意的な評価をTwitterでしているのを見て、どうしたものだろうか、としばし考えた。

たとえば佐々木氏は、橋下氏の実行力を評価し、橋下氏の批判者が感情的な批判しかできていない、ということを指摘していた。たしかに、行革財政再建を目指す政策は私も賛成である。また、部落問題や暴力団のような複雑な問題も、彼くらいの突破力がないと解決できないだろう(私が橋下氏に一番期待しているのは、そのような問題の解決においてである)。ただ一般に彼のやり方は、敵を作り、スケープゴートを作ることで住民の溜飲を下げさせていることで勢いを維持しているように見えてしまい、その手法に狡さ・醜さを感じるのである。さらに言えば、それに乗ってしまう人々の多さにも空恐ろしさを感じるのである(こういうと香山リカ氏みたいだが)。私は、橋下氏はルサンチマンに駆り立てられて動いている人間だということに気づいたが、彼がさらに住民の潜在的なルサンチマンを煽っている構図なのではないかと思うのである。そういう点で、現代のヒトラーという指摘はあながち見当違いではない。

私みたいに、緊縮財政行革による財政再建は大いに結構、だがイデオロギー的な押しつけの空気タカ派挙動、さらには彼を突き動かしている感情にはアレルギーがある、という層は多いのではないだろうか。

佐々木氏が今日になってついに「橋下氏について行けない人たち」などという(そこまで言ってしまうと戦時中非国民とかと同じメンタリティーにしかすぎないだろう)気持ち悪い全体主義的なポストまで挙げていたので、なんだかガッカリさえした(本当の知性や強さというものは、結論の出ない曖昧から目を背けず、それに耐えて批判的に考え続けることではないのか。)のと同時に、自分の中でどういう立場を持てばいいのか、折り合いをつけなくてはいけないのかな、とも感じたのである

私は科学者だが、周りを見ていてたしかに偉大な科学者が必ずしも人格に優れているわけではないし、科学者を見る際には業績と人格、さらに教育者としての資質は分けて考えるのが普通だ。政治家もそれと似たようなもので、イデオロギー実質的な政策を分けて考えるべきなのかもしれない。彼の財政再建のための活動は評価するが、彼の人柄や彼を突き動かしているイデオロギーものには疑問を感じる、という折衷的なスタンスをとれば、私自身感じている息苦しさにも折り合いをつけられる。

余談だが、橋下氏、昔はテレビではけっこうチャライ感じでいじられキャラだった記憶があるのだが、いつの間にあんなに強者のキャラになったのだろう。そういうパブリックイメージの変遷のメカニズムにも興味がある。

ひとりのAnonymous Cowardより

2012-01-29

増田に書くのって数年ぶり。

ちょっと訳あって昔(2008-2009頃)に自分が書いてたログを発掘しに来たんだけど。

増田の「ログインするだけで自分の該当書込みが全部わかる」機能めっちゃ便利でありがたい。

でも、ツリーを見るといくつかの書き込みが削除済になってる。

記憶の中にある当時のリプライツリーは問題のあるような内容じゃなかったし、もしかしてカキコ増田はてなID消すと本人の増田ログも全消滅する」って仕様だった?

ううむ。それはちょっと、寂しい。

2012-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20120128034412

あれ・・・。あれおかしいな。職場ってこんなんだったか。俺の知ってる職場ってこういうものじゃなかったけど。

俺も文学部から金融のバック業務に入ったんだけど。

泣きながらテーラールールやら利子率計算やら、いやこんな高度じゃなくてもそれこそイールドカーブ辺りから

死ぬ気で勉強した記憶があるんだけど。いや、同じことを二回教えてくれない職場おかしいと思うよ。

俺も何度も質問したことはあるし。でも、こんな和やかな文章が書けるような状態じゃなかったな。15回て。

微分積分とか忘れたよ!俺死ねよ!」とか思いながら会社行った日々を思い出したよ。

いや、他人のことをどーこー言うのはどうかと思うけど。ほんとなんかもう、

人生ってツライな。でも、こんな風に生きられる人はもしかしたら、選ばれたとても幸福な人なのかもしれない。

ある意味特権的な能力や才覚があるからこそ、これが許されているのかもしれない。

羨ま死ね

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

1 - 2 - 3

この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。



そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。



このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。



村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。



村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。



そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。



村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。



村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。



作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。



村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。



時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」



「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」



そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。



低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。



話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。



「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

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井の中の蛙だけどもうすぐ放り出されるし生きるのがツラい

学生勉強仕事だ」とか「いい成績をとってればそれでいい」とか言うくせに,

社会人になると「勉強ができるだけ仕事はできない」とか言い出すからこの世界理不尽

勉強しかできない風に育った私はどうすればいいんだ,と,途方に暮れながら就活している.

死にたい

とよく思う.生きていくのが不安で苦しく思う.



自分が小さいときに,父は事故でなくなった.

記憶はないけれど,母はきっと相当悲しんでいたんだと思う.

それが影響してか,母を悲しませまい,苦労させまいと,

自分はひたすらいい子ちゃんに育った.

勉強をがんばって,通知表ではよくオール5をもらった.委員長もやった.

公立の中学へ行き,公立の高校へ行った.

そこは進学校で,みんなが大学へ行くというので私もそうした.

から近くで,偏差値がちょうどよかったので旧帝大を選び,

数学が得意だから工学部を選んだ.

やりたいことも,夢も希望もなかったけど,

そのうち見つかった時のために,選択肢が広がればいいかと思ってた.

3年生までをサークルもせずにだらだら過ごし,

ここでも,みんなが行くから大学院の進学を選んだ.

そしていま,研究室に入って2年目になる,修士1年生.

就職活動が盛り上がってきて,なーんにもできない自分絶望している.



やりたいことの選択をいつも先延ばしにしてきた.

そのつけがいま回ってきたけど,やっぱりやりたいことなんて分からない.



勉強以外のことはだめなことだらけの自分

集中力がない,逃げてばかり,計画性もない,効率悪い,アイディアも出せない.



研究室は優秀な人が多くて,自分のくずさがよく分かって悲しい.

作業量が多いのもつらくて,進捗報告は毎週すごいプレッシャー



面接は数社で受けたけど,考えていることが空っぽだったり,

あってもうまく言えなかったりで,だめだって手応えしかなかった.



たぶん,推薦で最後はどこかしらに内定が決まるだろうけれど,

こんなくず,入ったってまともに働ける気がしない.



そもそも卒業まであと1年,もつんだろうか.

研究室迷惑をかけてる申し訳なさと,逃げ出したい弱い気持ちでいっぱい.



他の人と同じように大企業を目指してしまうけれど,

くずには相応な,名も知らぬ会社にそっと入って,そっと辞めるのが似合ってるのかな.



頭脳を売ろうとするからいけないのか,

体を売るか?女を売るか?でも,コミュニケーションだってできないくずなのに.



染み付いた「母を悲しませまい」という気持ちはなくならず,

頼れないな,学費は返さなきゃな,こんなくずに育ってごめんな,と思ってる.



いつか,こんな風にくるくる悩んでた頃を,懐かしく思えるのかな.

それか,地球はやく滅びればいいのにな.

あぁ,生きるのがツラい.

贅沢な悩みだこと.

2012-01-26

この前、就活終わった部活友達同士で話をしていたのだけれど、ふとした流れで部活の思い出話になった。みんなエントリーシートにありもしない美談リーダーシップを発揮した経験を書きまくってたせいでセルフ記憶改竄がされてて、誰一人として思い出が正確に一致してなかった。

ツイッターからの拾いもんだけど、そんなにひどいのか。

もう新卒なんかトラネ。

2012-01-25

モゲマスに夢を抱いている方々へ

アイドルマスター シンデレラガールズ 通称モゲマス

 

近頃人気ですね。一時期のGREEモバゲーバッシングはどこへやら。

 

と言う話はさておいて、今までソーシャルゲームとは縁の無かった方々がプレイしている影響か、

このゲームにやたらと夢を抱いている人が多いようです。

特に、『アニメ化されないか』『アイマス新作に誰か出演しないか』等のメディア展開に関係するものや、

『新イベントの提案』『全体的な動作改善』『ゲームバランスの変更』等のゲームそのものに対する要望が目立ちます

 

断言しておくと、動作改善がやや望みある程度で、他は「ありえない」ですね。

理由は下記。

 ・KONAMI戦国コレクションアニメ化と言う前例がありますが、

  あれはKONAMIが自社で製作しているゲームから実現できた話です

  モゲマスバンナム製作ではありません

  よって、新作への出演も無理

 

 ・新イベントもここの技術力では無理でしょう

  知っての通りモゲマスは、既存ゲーム(神撃のバハムート戦国サーガモゲマス)の

  グラフィック挿げ替えでしかありません

  モゲマス独自の要素(親愛度)もありますが、バグの温床となっています

  (しかもそのバグ修正の方法が非常に稚拙かついい加減だったことは記憶に新しいですね、

   皆さんもう忘れてしまいましたか?)

 

 ・ソースを覗くと誤字脱字が大量に存在しま

  英単語スペルミスは当たり前、構文も統一感がありません

  (ダブルクォートがあったりなかったり、スラッシュで閉じていたり閉じていなかったり)

  パーサに掛けたらエラー連発でしょうね

  既存ゲームの挿げ替えであるがゆえに、上記2つのゲームの同じ箇所で誤字脱字が存在しています

  気付いていないのか、直す気がないのか…

 

 ・モゲマスに限った話ではありませんが、

  この手のゲームは『人よりお金を多くかけた人』が俺TUEEEEを実現出来ないと成り立ちません

  人よりお金を払わない・そもそも一銭も落としていない人に対する運営の優先度は極端に低いです

  だからこそSRカードの性能は壊れていますし、今後もっと壊れていきます

 

 

これらを理解した上でプレイしたり数万円つぎ込むのは、別段問題があるとは思いません。

それでは楽しいモバゲーライフを(^^ゞ

細胞記憶

http://anond.hatelabo.jp/20120125044542

人は生まれてすぐは興奮という感覚のみがあり、乳児期に快と不快分化します。

2歳ぐらいの乳児期には快から愛情と喜び、不快からは怒りと恐れに分化し、さらに5歳頃の幼児期に怒りから羨望・嫉妬失望が、恐れから心配羞恥分化すると言われています

主さんが何歳頃にその体験をしたかによって、細胞記憶としてその体験による体の生理的な反応に付随する感情希薄ものでも不思議だとは思いません。


体験した記憶をその時に対処できない場合、人は体験ごとその記憶細胞筋肉に閉じ込めてしまます

快・不快という強烈な感覚が伴っていれば尚更だと思います

人が対処できる時期になると、その記憶タイムカプセルのように開かれていきます

現在、思い出したことで怒りなどのやり場のない感情を感じるのでしたら、カウンセラーなり心理セラピストなりに話を聞いてもらって、気持ちを理解し共有してもらうことで、今後の感情の行き詰まりは最小限に防げるかと思います

その体験から、今どのような怒りと不快感覚を感じるか、とても理解できます

http://anond.hatelabo.jp/20120125044542

たかが1歳2歳の記憶がそんなにはっきり残るわけねー。

保育園行ってたらおむつ外すのも早いし(保育士が外すよう訓練する。大勢の子供のおむついつまでもいちいち変えてられないからね)

20年前なんて今みたいに大きい子用の紙おむつなど無かっただろうから、3歳以降だとは考えにくいし。

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