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はてなキーワード: パソコン通信とは

2012-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20120107165822

ネット」ってインフラでしょ?水道とか電線とかそういった。

それの最盛期って?

ネット接続できる環境を持つ人、ネット接続しているモノという数の意味では、パソコン通信時代より今の方が上だと思うけど?

2011-10-17

分断?された日本インターネット

分断された日本のインターネット というのを読んだけど、結局狭いところしか見てないんじゃない?

ソーシャルゲームがさも革命的なもののように言って数百ブクマされてたエントリ の逆パターンだね。

MMORPGテレホ時代からあって、それが Geek 向けだった頃からソーシャルだったよ。Ultima Online成功した中では最も古く今でも続いてる MMORPG の一つだけど、機械的な狩りやレベル上げをさせるような後発のクリゲーに比べたらよほど自由度が高く生活感があってソーシャルな側面が大きい。

もっとさかのぼれば、IRCだってニフティサーブなどのパソコン通信だってソーシャルな側面はあったよ。ぶっちゃけ人間が複数いれば、どんなものでもソーシャルになりえる んだけどね。

ソーシャルゲームってのは、そうした大きなソーシャル性のあるゲームから劣化縮小させたものUltima Online のように自由にやりたいことを見つけられるのが 本質的には MMORPG なんだけど、"頭動かしたくない人" にそれは本格的過ぎたわけだ。だからクリゲーという単純作業やレベリングだけに集中させるような MMO が現れた。しばらくして、クリゲーの中でアイテム課金をもっとえげつないやり方にしてゲーム性犠牲にしてでも廃人を育成するような方向性にしたものが生まれてきた。その MMORPG から生まれた腐った一端を濃縮してガラケーSNS に持っていって成功したのがソーシャルゲームだよ。

腐った一端と言ったのはね、MMORPG があくまで擬似世界を楽しむ為のゲームであるとするなら、その世界バランス犠牲にしてでもお金を取るというのは廃人以外にはついていけないし、ゲームとしては腐ってるってこと。事実MMORPG では行き過ぎてプレイヤーが離れたり、騙されてた人もそのおかしさに気づきだして、そういうやり方はだんだん下火になってる。同じアイテム課金でも、ゲームバランス崩壊させない、無課金とできることには差がつかない、おしゃれアイテム時間を買わせるようなサービスが主流になってきてる。

ソーシャルゲームにもゆくゆくはそういう波がくるだろうとは思う。ソーシャルゲームの主流ユーザーネットゲーマーよりもさらに "頭動かしたくない人" が多そうだから気づきは遅い (ユーザーは騙され続ける) だろうが、いずれ変化は来るだろう。

つの時代も "頭動かしたくない人" 向けのサービスってのはあって、IRCニフティサーブに僕の先輩たちが夢中になってた頃は "頭動かしたくない人" はダイヤル Q2 とかをやっていた。パチスロパチンコみたいな狭い世界の中でも、パチスロは覚えることが多いからってパチンコやる人がいたりする。僕らから見たら殆ど一緒じゃねーの?って所でもそういう住み分けがある。

分断もくそも、ネットリアルももともと様々なもの住み分けしてる。ソーシャルゲームを異質なものに感じるのは、それに名前がついたから。ソーシャルゲーム名前がつくことで、それが及ぼしたり関係している事象を多くの人が意識するようになる。名前がついたら、名前を知ったら、さもそれに関係する問題が最近出来たように感じるだけだ。

ソーシャルゲームとそれ以外に見られる図式のようなもの・・・ "より多くのユーザーを未開拓の層から掘り出すために、より頭動かしたくない人向けに劣化縮小したサービスが低コストで乱造される" のは、ずっと昔からいろいろなパターンで繰り返されてきたことで、今に始まった事じゃない。

2011-08-17

webコンテンツの種類と歴史

覚えている限りの時間の流れの中から、世の中に存在するコンテンツを分けてみるテストです

黎明期

 パソコンが外につながっていることが珍しかった時代。新大陸が見つかった状態。新し物好きかつパソコン好きが移民していった。パソコン通信くらいしか商売になっていなかった。作る人と使う人がイコールだった。何かをするにはコマンドを打つ必要があった。

論文

 最初は、学者さんの論文の発表やストックするのに使われていた。

自己紹介

 イギリスホストにつないでmozaicでなんて時代には、論文の延長のノリで研究室メンバー自己紹介ってのがあった。実は、実名うんぬんってのは、一番最初にやっていた。

趣味の紹介

 ここで、実名を名乗るのかペンネームを名乗るのかの分かれ道。すでに実社会でしっかりと活動している人は、実名でやっていただろうし、ひとりで楽しむような趣味の人や背徳感がある人はペンネームハンドルネームになったんだろう。

 全国の日帰り温泉のまとめのような個人が足で調べた価値の高い情報が高い確率存在した。

日記

 まめな人は自己紹介のついでに日記を書いていた。当時はコンテンツマネージメントシステムは一般に普及していなかったので、htmlを手打ちして、ftpコマンドで送信。量が増えると大変だった。メールをみるときはなんちゃらtermというソフトコマンドを打ちながら見ていた。

写真イラスト

 デジカメが普及するまでは、写真を取り込んだりイラストを取り込んだりするのは、お金がかかることだった。まして、高価なグラフィックソフトなど夢のまた夢。デジカメが普及したあとは当たり前になった。

動画

 取り込むためには専用の拡張ボードが必要だった。カメラも高価だったし。2GBの壁があって、長い動画編集できなかった。高画質な動画に仕上げるためには職人芸が必須だった。大容量の動画をあげるサーバーほとんどなかった。

音楽

 音楽を作る人は、midiの配布していた。有名な曲のコピーが多かったので、大人の事情ほとんど閉鎖。

企業・お役所

 会社存在証明したり、サービスの案内をするようになった。

掲示板

 無料ホームページとセットのような感じ普及。ホームページ自体散発的なもので、同じ趣味趣向の人たちで同盟とか組んでいたよね。

アングラ

 そんな言葉やそれを売りにしたサイト掲示板存在した。

発展期

 大量に生成されるコンテンツは個人の手を離れていった。新大陸はいくつかの勢力に分かれて群雄割拠の状態。広告枠として大きなお金が動くようになった。作る人と使う人が区別されるようになった。グラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)が、あたりまえになり、コマンドを打つ必要はなくなった。

便利系

 地図が見れるようになった。パソコンインストールしていた時刻表ルート検索webになった。

ブログ

 コンテンツマネージメントシステム無料開放された。html作成ftpも必要なくなり、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。改行を大量に挿入してスクロールバーを有効にして、文章を読むためにマウスホイールをまわして文章を読むときに指の動きを加えて、読んだ感を高める手法流行る。

webメール

 メールwebメールが主流になった。

SNS

 会員制の閉じたサービスが登場する。内容は日記掲示板と基本は同じだが、個人が設定する必要はない。テクニカルな要素がなくなったので、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。携帯電話からコンテンツを作る文化の先駆者ともいえる。携帯しか使わないユーザー層があらわれる。

フォトストレージサービス

 写真アップロードも無制限になった。デジカメの画質が上がってもリサイズする必要もなくなった。

動画サービス

 動画を受け止めてくれるサーバーも増えた。ブログSNSのおまけ的存在だったが、Youtubeの登場で無差別級サービスになった。カメラ撮影した時点で、パソコン用のファイルになっているのも参入障壁を下げた。

勝手web

 たとえば、全国の飲食店をすべて載せるとかそこに感想や評価を付けるようなサイト。個人が手弁当でまとめていた情報を商売にする会社があらわれた。

成熟

 感情の発露がリアルタイムになる。「つぶやき」という概念が生まれた。新大陸を制覇しようとする勢力の攻勢が高まる。作る人と使う人に加えて踊らされる人が登場した。「更新されたよ」ボタンクリックするだけで、ダラ見ができるコンテンツが優勢となる気配。

巨大サービスに億単位の人がぶら下がる

 巨大サーバー群を使った世界サービスネットを席巻。

黎明期に登場したサイトサービスの終了

 無料サービス系のサイト掲示板が終了し始めた。

SNSサイト肥大化

 ゲームとかやることが多くなりすぎた。

競合サービスの終了

 発展期に登場した便利サービスの中で脱落するサービスがあらわれ始めた。

まとめ系サイトの勃興

 大きな掲示板スレッドには、約1000個の書き込みがある。その中から文章を選んでコンテンツを作る手法新聞の読者投書欄のように投書されたご意見の中から好きな意見を載せることができる。文章ロンダリングソースロンダリングという言葉が生まれた。

個人風味の企業組織の登場

 コンテンツ提供形式として、素人作成風味の味付けをする企業組織があらわれた。個人が大きくなったのかもしれないし、何者かに組織されたのかもしれない。この手の人たちは頼んでもいないのにどんどんコンテンツを作る。

グレーコンテンツの氾濫

 midiサイトに対する警告に比べると2次元コンテンツはゆるい。コンテンツホルダーの手が回らないくらいにあふれいるのか、あえてあふれさせているのかはわからない。黎明期ならばまつりになっているような内容のものがあふれいる。包括的権利処理されているのかもしれない。

実名への回帰

 趣味じゃなくて仕事の人が増えたのだろうか。仕事webに出るといっても会社看板を背負うと個人ではなかなか発言できないはずなんだけど。よくわからない。



ここまで、お読みいただきありがとうございました。夏休み自由研究のヒントとして参考にしていただければ幸いでございます

2011-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20110806225005

パソコン通信が良かった/良くなかった、の話じゃぁなくてね。

元増田がね、昔のネトウヨ論理的、今のネトウヨ事実を捻じ曲げるし気持ち悪い、って話だったから。

もっと昔は論理的だったよ、って話。


お上品な空間だけではなかったでしょう

うん。悪ふざけしてたね。

http://anond.hatelabo.jp/20110806223020

ということにしたいのですね。:)

パソコン通信の時代が良かったって、見えなかっただけじゃないの?

センターネット東京がらくた工房みたいなのがあったわけで

お上品な空間だけではなかったでしょう

http://anond.hatelabo.jp/20110806221600

昔、いんたーねっつは、理系おもちゃだったよ。

マジな理系だ。

パソコン通信から流れて着た人がほとんどだった。

みんな論理的だ。



今は、本当に便所の落書きだ。

どんな低知能でも、PCネットにつなげれる。ってか自動で繋がる。どんな低知能でも、だ。



ま、そんな話はおいといて。

罪を憎んで、人を憎まず。

無知を憎んで、韓国人を憎まず、だ。



韓国人も、在日も、まぁ人間的には日本人と変わらん。

だが、奴らの主張は、容認できないものもある。

2011-07-26

ソーシャルとアングリーバードの不可解

これからソーシャルゲームの時代、らしい。

俺は普通パッケージゲームも大好きだから、あっという間に無くなるとは思ってないが

一部の論証を見るとなんかあっという間に無くなりそうな勢いらしい(笑)

で、パッケージに対しての反駁が「見ろ、アングリーバードはあんなに売れたではないか

ってのを所々で見た。

怪盗ロワイヤルソーシャルだ。それは認める。何しろ、物を取る相手ってのが同じユーザー

ある限りはそれが殺伐とした物であろうとも繋がりが発生するからだ。

なんとか牧場とかも、それが相手の作物をクリックするだけであろうとそれがフィードバック

されるのならばソーシャルには違いない。

だけどアングリーバードは、どうも見た限りでは自己完結の古き懐かしきFlashゲームしか見えない。

ハイスコアを競うったって、昔からハイスコア登録制度はあった。

ソーシャル面白いよと勧められた、ってのもメールパソコン通信とやらの時代、いやそれより

ずっとずっと前から存在してた口コミって至上最古のものと何か変わりがあるのか。

確かにアングリーバード成功したよ。それは間違いない。

だが、ソーシャルゲーム成功したってのがアングリーバード証明されたとは俺には

さっぱり思えんのよ。誰か説明してくれないだろうか。

2011-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20110710135659

私はアラサーオタクとしてはセーラームーン世代。

そんな私が昔ネットで印象に残ったサイトオカノ通信というwebサイトがあった。まぁ今もあるけど。

ネットで・リアルで(コミケで知り合った人など)自分より上の世代から聞かされた話として、やはり『宮崎勤事件は大きな転機だった』と言われる。その過程で、都市伝説なのか事実なのか知らないが「TV局がコミケに取材に来て、『ここに数万人の宮崎勤がいます』と言った」という話も聞いた。

オカノ通信の人はその辺の経験談を回想している。

「89年8月」に起きた宮崎事件を契機に、現在オタクとされている人たちと“場”は、社会の中で致命的に追いやられていったからに他なりません。

80年代に一度「アニメが好きだ」とかそういうことがオープンになりつつあったにもかかわらず、それらは潰され、再び人前でカミングアウトすることが難しい趣味になってしまった。

それくらいあの事件の中で繰り広げられたマスコミの、「魔女狩り」としか例えようがない報道や論旨の展開は大きな影響を残してしまった。

そういう中で90年代中盤には『エヴァブーム』が起こり、再び今度は別の意味で僕らが注目された。

けど、やっぱり外の人たちにしてみれば、なんであんなブームが起こって、どういう人たちがそれを喜んでいるのかがよくわからない。

(一方僕らはパソコン通信時代の中で、新たな独自のコミュニティと繋がりを持ちはじめていたわけですが、これはまた話がズレていくので割愛します。そもそもパソ通時代のコミュニティについては他にいくらでももっと詳しく書かれておられる方がいますし。)

そういった(今なんかとは比べ物にならないくらい酷い)蔑みと偏見。同時に湧いて出た注目というアンビバレンツで微妙な状況下で、「オタクという場の中にいるオタク自身が、外の人に“オタク”を説明したメディア」ってのは『オタク学入門』が世界初だった。

「あの本はオタクを過大に評価している」って批判も読んだことあるけど、当たり前です

そういう時代背景の中で「後ろめたい趣味であることを前提にそれを肯定する」なら、「徹底的に過剰評価した理論武装と、プレゼンテーション。そしてプロパガンダ的な要素」は必要だった。

私自身はそこまでオタク犯罪者予備軍的扱いはされたことがなかったけど、『男で恋愛物・少女マンガ好き=男として格下』という偏見くらいには遭ったことがある。そういう空気が、2chが出来て、ニコニコ動画が出来て、海外でもオタク認知されるようになって、どんどん変わっていったようには思う。それこそ、ローソンが人気アニメコラボするなんて10年前じゃ考えられなかった。長者番付作家部門に神坂一が顔を出し、読み上げたアナウンサーが『この人誰?』と言っていたような、そんな時代だった。

ガンダムマクロスからの流れでやってる人と、セーラームーンエヴァンゲリオンで入ってきたひとには確実に意識のギャップがあるし、それはおそらく宮崎事件のせい。ハルヒらきすた世代とはやはりギャップを感じることがあるけど、そっちはたぶんネットの普及のせいだと思う(つかこの世代のコミュニケーション於いて2chの影響は確実にある)



でもさ、今みたいに、深夜にしかアニメがやって無くたってどうせ地上波TV自体がオワコンとなりつつあるわけだし、けいおんで誰萌えかという話を堂々としたって確実に昔ほどは変な目で見られない。そういう時代って、70年代80年代オタクだった世代がまさに望んだ世界だったんじゃないかと思う。

2011-05-15

スーツ世界から逃亡したかった彼

社内の誰も、インターネットを知らない。パソコン通信もやっていない。

ああ悪かった、JUNETなんて君は知らないかもな。CompuServeくらいはしっているかい?

彼らは財テクも知らなくてビジネス書も読まないんだ。

Niftyフォーラムfjニュースグループ社会に与える影響について誰も語れない。

Macintoshは知るわけない。

自宅にキューハチもない。ワープロ専用機さえ持っていない人もいる。

年賀状プリントゴッコか芋版だ。

写真屋にそそのかされて生れた赤ん坊写真付き年賀状を送ってくる同僚はいる。

ゲーム機ピコピコと呼んで触れようとしない。

おかしいことじゃない。普通の人たちだ。本当に彼らは普通なんだ。

休日ゴルフや酒に興じている。カラオケも大好きだ。

喫煙所で何を話しているか想像出来るだろう?

彼らは、仕事プライベートを切り分けている、立派な人たちだ。

でも、やっぱり俺の生きていきたい世界は、ここじゃないんだ。

 

 

 

 

あの頃の彼は語っていた。とても熱く語っていたよ、

僕は技術に疎かった。言っていることはよく分らなかった。

から言葉は間違っているかもしれない。彼が生きていたくない世界から本当に逃げられたのかは分らない。

 

僕が生れたのは恵まれた家庭ではなく、親もパソコンを買ってくれなかった。

そんな意味の分らないものを買ってくれる酔狂な親が羨ましかった。

パソコンが何なのか理解できる親がどれほどいただろう。

彼は子供の頃からパソコン(昔はマイコンと呼んでいたかもしれないけれど)でプログラムを組んで遊んでいたらしい

解説をしてくれたけれど、何を言っているのか分らなかったよ。

幼い彼はとても神々しいことをしているように見えた。マンガに出てくるコンピュータはすごいものだったから。

 

早くに結婚したから独身貴族の彼みたいに金は使えなかった。

あのMacintoshは100万と言ったか200万といったか

パソコンくらい買った方がいいと言われてエプソンの一番安いものを買ったけど埃をかぶっていたっけな。

通信も金が掛かりすぎた。テレホーダイ?まともな人間は使えなかったよ。あんなもの使ってたのはどんな人達だろうね。

 

目新しいものを見つけると買ってきて、前に使っていたものはゴミだと捨てるんだ。

ああ、お下がりを友人達に売りつけていたかもしれない。

そして、まだそれを使っている人々を冷笑するんだ。彼らは普通の人だととても嬉しそうに語りながら。

今なら分るが、ネットにいくらでもいる手合いだ。自称「ギーク」のキモヲタだ。殻に閉じこもったヒキコモリと同じだよ。

 

彼は今でもテクノロジー見果てぬ夢を見て、Twitterの力を信じ

Facebookによってもたらされたかもしれない革命に熱狂し

2ちゃんねるで「情報弱者」たちを見て笑っているのかな。

はてなで高邁な理想を垂れ流しているかもしれないね

自分たちだけは特別な情報を知っていると。普通人達は哀れだと。

 

今でもゲイツジョブズの一挙手一投足に胸躍らせ、西和彦孫正義言葉に胸ときめかせているのかな。

本当にそれが続けられているならいいけど。

 

彼は今でも「未来」を押し売りしてごみを増やしているのかな。

僕も新しいものは嫌いじゃないけど。

 

自称ギーク達はMSApplegoogleFacebookTwitterを作った人達とは何が違うのだろう?

実は全く変わらないのだろうか?まるで彼らがそう信じているように?

2011-05-11

バブル期の消費電力」で可能な生活って?

「消費電力をバブル期の水準に戻せば、原発は全廃できる」という人がいる。

かにバブル期の消費電力は今の3/4程度だから、ちょうど原発を無くしたぐらいの発電量で賄えるだろう。

じゃあ我々がバブル期にどんな生活をしてたか、具体的に列挙してみよう。



まず、ごく一部の金持ち以外は携帯電話自動車電話、ショルダーホン)を持っていなかったし、

パソコンも一部のマニアがいる家庭しか持ってなかった。

ISDNが始まったのが1988年で、電話回線モデムを繋げられるようになったのが1985年

パソコン通信が始まったのがこのくらいの時期。衛星放送はまだ始まっていなかった。

ビデオデッキ電子レンジがようやく半数の家庭に普及した程度。ウォシュレットがある家が珍しかった。

エアコンも一家に一台あればいい方。今みたいに全部の部屋にエアコン付けてる家庭は稀。

家庭用ゲーム機も、今みたいに100Wぐらい電気を食うPS3ではなく、4Wしか電気を食わないファミコン

会社仕事するときも、社員全員に1台づつパソコンが行き渡っているわけではなく、

書類を手書きしたり、電卓を叩いて計算してる人も多かった。

ちょうどワープロ中小企業まで普及し始めた時期だったはず。

コンビニ店舗数は今の1/4くらいで、ドン・キホーテのような24時間開いている店は珍しかった。

駅にはま自動改札がなく、駅員が鋏で切符を切っていた。地下鉄はま冷房車がなかった。

青函トンネル瀬戸大橋が開通したのが1988年。それまではフェリーや連絡船を使っていた。

南北線大江戸線副都心線りんかい線ゆりかもめ成田エクスプレス長野新幹線等の路線は未開業



何もかもがそのまま20年前に戻るわけではないとしても、消費電力を当時の水準に戻すのは、

実はものすごく大変なことなんじゃないか

2011-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20110324023648

ほんといつもコイツばかだなーって思いながら、TL眺めてる。

今回の大震災でバカが更に抽出、浮き彫りにされた感じだね。

脊髄反射のRT厨が以外に多い。

煽り耐性も脆弱

パソコン通信2ちゃんねる黎明期からネット論争に関わっているオレからしてみたら、

明らかデマツイートに翻弄されている奴らの冷静を欠いたツイートはま面白いわw

2010-11-03

韓流以前

最近、10数年前の韓国音楽関係ビデオの整理を始めた。本数はたぶん100本弱。

10数年前なので、当然「韓流」とか「K-pop」という言葉はなく、マニアックなファンがパソコン通信同人誌を通じて細々とつながっていたころで

お目当ての歌手や現地のファンに「日本のファンです。」といえば、それだけで印象づけられたほどである。

当時、CDビデオを買いあさり、コンサートイベントと聞けばすぐに韓国に行っていた私に対して、周りの反応は冷たいというよりは蔑んでいた。

自分自身がオタク入っていたこともあるだろうが、自分たちが全く知らない「何か」にはまっている人間をすぐに理解しろというのが無理な話である。

でも、そんな反応にひっかかることは一切なかった。別に他人がどう感じようが、自分が感動して、のめりこんで、遠い地に住む友人と語り合うだけで幸せだった。あれほど何かにのめりこんだことは二度とないだろうし、失ったものもいろいろあったが全く後悔していない。

蔑まれていた自分が少しだけ見直されるには、それから5、6年過ぎた頃だろうか。冬ソナおそるべし。

2010-10-10

初音ミク英語版は果たして人気を集められるのか

 Vocaloid関連の思いつきと偏見に基づく仮説をちょっと書いてみた。

http://leetneet.com/component/k2/item/286-nyaf/

 初音ミク英語版を発売する、とクリプトン社長がNYで発言したらしい。Youtube動画を見る限り、現地の反応はよさそうに見える。「この製品が欲しいですか」という司会者の質問に対し、撮影している女性がYeah, Fuck Yeah! と叫んでいるのも聞こえる(まあ、お下品)。

http://www.youtube.com/watch?v=1oHEP8cwb0c

 ただ、海外掲示板を見ると不安視する声もある。「そんな英語大丈夫か」となるのが心配のようだ。「英語を話せる声優が音声データ提供したルカならともかく、ミクの中の人英語しゃべれねーだろ」

http://vocaloidotaku.net/index.php?/topic/8336-english-version-of-hatsune-miku-in-the-works/

 でも、実際はもっと心配すべきことがある。海外メーカーが発売している英語Vocaloid海外ではEngloidと呼ばれることが多い)が、ミクどころか他の日本語Vocaloidと比べても全く人気がないという、目を逸らしてはならない事実が。

 最も古いVocaloid製品であるLeonやLolaが歌っている動画Youtube検索してみると、Leonで最も再生数の多いものはたったの3万件強。Lolaは3万件弱で、しかもその歌はLeonと一緒に歌っているMagnetだったりする。もちろん日本語で、日本人が作っている。

http://www.youtube.com/watch?v=jFlgQrqTV1g

http://www.youtube.com/watch?v=Ut_olrFLVQ8

 他のEngloidを見ても、再生数を稼いでいるのはMiriamの歌うFly Me to The Moonくらい(かろうじて10万超)。おまけにこれも日本人制作だ。他のEngloidは言わずもがな。

http://www.youtube.com/watch?v=-jVBJ5bajNo

 100万再生超の動画が10曲を軽く超える初音ミクはもとより、数十万の再生数を持つ曲があるクリプトンVocaloidやがくぼ、Gumiにも遠く及ばない。要するにEngloidは全然人気がなく、加えて数少ない曲の製作者に占める日本人の比率が高い、即ち外国での人気は一段と低いってことだ。そんな状況で英語版ミクを出したとして、果たして米国を含む外国人はきちんとそれを購入し、曲を作ってくれるのだろうか。

 で、こっからが仮説。そもそも何で初音ミクはこんなに沢山の人気曲を出せたのだろうか。人気と言っても再生数が軽く億単位に乗っているLady Gagaなんかに比べれば微々たるものだが、それでもVocaloidの中では突出しているのは事実。一体何が初音ミクと他のVocaloidを分けたのか。思いついたのは以下の3点だ。

(1)DTMの利用者層

 DTM業界のことはよく知らないのだが、MIDI音源の2大メーカー国内にある点などを見ても、実は日本は「DTM大国」なのではなかろうか。メーカーサイドだけでなく、利用者サイドでも。つまり、日本世界的に見ても「素人による曲作り」がかなり盛んな国なのではないかと思えるのだ。昔のパソコン通信の頃からMIDIで作った曲をアップしている人はいたし、そうした分厚いユーザー層という基盤があったからこそVocaloidが発売された時にも多くの人がそれを上手く使いこなした。その結果、多数のVocaloid曲が作成され、その中からヒット作も生まれてきたんじゃなかろうか。

 んなこたない、海外にも分厚いDTMユーザー層は存在する、と言われてしまえばそれまでの仮説なんだが、YoutubeVocaloid曲を見ているとそんな気がしてならない。実際、最近でこそ外国人の作ったVocaloid曲をちょくちょく見かけるようになったが、昔はGiuseppe氏くらいしかいなかった。

http://giuseppevocaloid.blogspot.com/

 いくらVocaloidというツールを与えられても、それを使いこなすユーザーがあまりに少なければ、なかなか名曲は生まれてこない。Engloidの中には日本語Vocaloidより古くに発売されたものがあるにもかかわらず、Engloidの人気曲が存在しないのは、ユーザー層の厚みが違うから、じゃなかろか。

(2)使いやすさ

 日本DTMユーザー層が外国に比べて分厚いのが事実だとしても、初音ミク以前にはVocaloidヒット曲が生まれてこなかった。おそらくKaitoMeiko初音ミクに比べて使いにくい(声の調整が難しい)ソフトだったからではないかと思う。

 これまた個人の偏見と独断だが、Meikoは使う人によって極端に声が変わるソフトだ。上手い人が使えばとてもゴージャスな声になるが、普通にやると妙に耳障りな典型的機械音にしかならない。個人的にVocaloidの中ではMeikoの歌が最も聞き応えがあると思っている(例えばCradle of Destinyなど)。しかし、それだけ聞き応えのある曲を作る人は本当に限られている。

http://www.youtube.com/watch?v=TQOdrqXRPrs

 Kaitoも上手く歌わせないと細く弱々しい声にしなからない。それに対し、初音ミク初心者でも割に安定した質の声を出せるソフトだ。もちろん初音ミクも作り手によって結構違う声が出てくるんだが、少なくともMeikoほど極端な違いは生じない。Meikoで上に紹介したレベルの曲を作ろうと思えば相当な経験を積む必要があるだろうが、初音ミクはそこまで行かずとも「これならアップしていいんじゃね」と思える曲になる。つまり、それだけ曲を作るハードルが下がり、作られる曲の数が増えるって訳だ。数が増えれば、その中から出てくる名曲の数も増えることが期待できる。

(3)声質

 初音ミクの声は要するにアニメ声だ。声優が音声データ提供しているんだから当たり前っちゃ当たり前なんだが、初音ミク以前のVocaloidアニメ声はなかった。LeonやLolaはセッションシンガーモデルに作られ、Miriam、MeikoKaitoSweet Annは実際に歌手が音声データ提供した。この差は意外に重要だったのではないかと、これまた独断と偏見だが、最近はそう思っている。

 歌手の声を使ったVocaloidの歌は、そのジャンルポップスであれロックであれダンスミュージックであれオペラであれ、人間が歌った当該ジャンルの曲と比べられるのを避けることはできない。Meikoの歌は同じようにゴージャスな女性ヴォーカル好きな人に対して一番訴求しやすい性質を持っているが、ゴージャスな女性ヴォーカル好きな人は当然のようにMeikoの歌を人間の歌と比べるだろう。そうなると合成音声であるVocaloidは不利だ。普通にやる限り、人間の声には勝てない。そして、Meikoに限らず、歌声を聞かせることを商売にしている歌手データを使ったVocaloidは同じ問題に直面する。

 外国人がEngloidに対してしばしば不満を述べているのは、これが原因ではないだろうか。彼らはLolaやMiriamやSweet Annの声を、例えばLady GagaBritney Spearsあたりと無意識のうちに比較し「なんじゃこりゃ」と憤っているのではないかと思う。彼らにとって外国語である日本語Vocaloid場合機械っぽい声もそれほど気にはならないだろうが、母国語で歌われるととたんに拒否反応が出るのはそういう「無意識のうちに比較するスタンダードな声」が頭の中にあるためだろう。

 ではなぜ初音ミクは成功したのか。アニメ声だから。アニメ声で歌われる曲といえば日本ではアニソン、いやむしろアニメキャラソンだろう。キャラソンはそもそも上手く歌うことに力を入れるジャンルではない。むしろキャラっぽさを演じることが重要な曲であり、その意味Vocaloidでも太刀打ちしやすい曲なのだ。下手であっても、キャラクターとしての特徴さえ出ていれば聞き手はおそらく満足する。初音ミクの初期のヒット曲である「みくみくにしてあげる」や「恋スルVOC@LOID」の歌詞を見れば、それがまさしく初音ミクの「キャラソン」であることが分かるだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=UnpSAMnGi78

http://www.youtube.com/watch?v=Emt20uQzyuU

 他のVocaloidより戦いやすい戦場を選んだ初音ミクは、順調に曲を増やし、その曲を聴く消費者も増やした。一度そういう流れを作れば、キャラソン以外のジャンルに打って出ることも可能になる。耳を「みっくみくにされた」(聴覚神経がおかしくなった)ファンがそうした曲にもついてくるからだ。かくして歌のジャンルも広がり、より多くの人の耳に触れるようになり、その中から新たにみくみく菌に棲みつかれた感染者が現れ、以下このスパイラルの繰り返し。かくて現在に至る。

(4)結論

 さて、以上の「仮説という名の独断と偏見」を踏まえて、それでは初音ミク英語版は成功するのだろうか。もし(1)にあげた「DTMユーザー層」が英語圏で極めて薄いのだとしたら、これはすぐには成果が上がらないと見た方がいいだろう。初音ミク購入をきっかけにDTMに触れる人が出てくるとしても、そうした中から名曲が生まれるまでにはどうしても時間を要する。英語で歌う初音ミクヒット曲100万再生超が達成されるまでの道のりは遠い。

 だが、DTMユーザー層がある程度、せめて日本並みの規模で存在するなら、案外早く成果が上がると期待できる。もちろん英語版でも(2)使いやすく(3)アニメ声、という特徴は保持しなければならないが、それができれば日本で起きたのと同じことがまた起きる可能性はある。え、そもそも海外に「アニメキャラソン好き」市場なんてものが存在するのかって? いい質問だ。普通に考えればそんなものは確かに存在しないか、存在するとしても極めて小さな市場だろう。だが、ちと待て。クリプトンによれば最近海外Vocaloidの人気が高まっているそうじゃないか。これが英語みくみくスパイラル入り口になる可能性があるんじゃないか。

http://blog.piapro.jp/2010/07/vocaloid-1.html

 問題は今Vocaloidを喜んで聞いている外国人が、初音ミクの何を気に入ったのかということだ。日本語の響きが好き、という理由だったら、英語版にとっては厳しい。だがそうではなくアニメ声が耳に染み付いてしまったということなら、これはチャンス。英語版を使ってアニメ声を広げ、感染者を増やすことが可能になるかもしれない。

 そしてもし以上が全て上手くいったなら、これまで不人気をかこってきたEngloidたちに日の目が当たるかもしれない。KaitoMeiko初音ミクのヒットで見直され、販売が増え、曲も増えていったように、LeonやLolaやMiriamやSweet AnnやPrimaやSonikaBig AlやTonioの歌う曲が続々と作られ、多くの再生数を積み上げていく日が来るかもしれないのだ。そこまで行けば初音ミクは本当のお化けソフトになるだろう。自らの売上高だけでなく、市場自体を作り上げてしまう商品。T型フォードなど過去にも限られた数しか存在しなかったような消費市場の頂点に君臨する存在。ただでさえ天使のミクが市場という名の世界創造する女神になる。

 以上で偏見と思いつきの仮説終了。異論はいくらでも。

2010-09-25

初音ミク紀伊国屋文左衛門説

http://anond.hatelabo.jp/20100920233848

 確かにvocaloid音楽制作民主化大衆化を成し遂げた面はあると思う。でも初音ミク自体は最初vocaloidLeonとLola)が発売された3年後に登場したもの。ミク以前からvocaloidは売られていたし、DTMやっている人の中にはそれを使って音楽制作していた人もいるだろう。そもそも合成音声を使って最初コンピューターが「デイジーベル」を歌ったのは1961年まで遡る。制作側から見ると「民主化の旗手」ではあるかもしれないが「先導者」とは言いづらい。

 ミクがもたらしたのは、「作る側」ではなくむしろ「聴く側」の変化じゃなかろうか。パソコン通信の時代からMIDI音源を使ってオリジナル曲をつくりアップしていた人はいるが、それを聴いている人はごく限られていた。インターネットが普及して以降も、素人がアップした曲がミリオン単位再生されることはほとんどあり得なかっただろう。それが初音ミクの登場によって変わった。「初音ミクに歌ってもらいました」と書いてある曲を、大勢の人間再生し聴くようになった。http://d.hatena.ne.jp/hattorikazuaki/20100920/1284982969の冒頭に書いてある通りだ。初音ミクを使い、DTM過去になかったほど広大な市場を開拓するのに成功した。

 初音ミク音楽制作を独占する貴族から作る権利を取り戻そうとする民衆を率いる「自由の女神」というより、巨大な客層(消費者)の手元にDTMを届ける「現代の紀伊国屋文左衛門」に見える。

2010-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20100903095016

タイトルに出てきたホメオパスについて、何で嫌われているのか、言及されて無いな。

ついでに言うと、あれは砂糖玉を薄めてるんじゃないの。

金属とか毒物を薄めて飲ませてる。

そうすれば抵抗力が付くんじゃないかって事で。

そして、それで十分であるとして、それ以外の医療、つまりは機械医療を放棄しているのが問題なんだ。

そういった事でおきている問題の積み重ねによって、叩かれるに至っている。



村上隆が叩かれてるのは、

村上隆表現しようとしているオタク像、オタクエネルギーって奴を現代のオタクは持ち合わせていないから共感できないという事。

岡田斗司夫に「発想が古臭い、とにかく顔がブサイクすぎる」と94年に言われているほど当時ですら過去オタク像を表現している。

国内に向けて、「これがオタクですよ」って言っても「それは30年も昔のオタクで既に絶滅している」と即否定されるんだから、

海外に向けて、「This is..., the "OTAKU"!」と言ってウケを取る。



国内オタクからすると、海外オタクとはそういうもんだという認識をもたれるのが嫌なんだ。

日本に来る外人が、「Where is a ninja?」、「Where is a samurai?」と聞いてきても困るだろ。

同じように、アキバであんな30年前のオタクを探されても出てこない。

あれは、パソコン通信や、雑誌投稿欄、コミケの変質といった状況で生まれたもの。

今の、インターネットや、ニコ同、同人誌卸の存在といった状況には生まれえない。

当時の彼らの欲してやまなかったもの全てに最初から手が届くんだから。



葉鍵が売れたたとかももはや過去の事だろ。

あなたも、もはや過去のものとなった「Key信者」なんてものに語りかけている。

そんな物を現代のオタク界隈に探した所で、村上隆と同じように「そんな時代のオタクはもう居ない」と叩かれるだけだよ。

2010-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20100902200728

その文脈なら村上フィギュアが本当にヌケる出来だったら叩かれない

ヌケる、ヌケ無い以前に、ブランド付いてなきゃ売れないだろ。



村上隆ブランドを付けないでワンフェスに持って行ったら売れないだろってフィギアを、

芸術だ何だって、あたかも日本オタクアイコン的な扱いされてるのが気に食わんのだと思うよ。



例えば、ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展のわたおにフィギアは、叩かれるどころか、オマージュされたりしてたし。

現在オタクニーズに即していれば、アイコン的な扱いされても何も問題は無い。



あの人が表現しているのは、1980年代オタク界隈を表したものであって、あの頃のサブカルの仄暗いエネルギーでしょ。

色んな事件があって世間に引っ張り出され、パソコン通信インターネットになった現在のオタに、

黒歴史として忘れ去られてたネタを、「これがお前らだ」って突きつけられたら、そりゃキレるわな。

2010-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20100706124614

そうか、パソコン通信って煽りワードだったんだな。以後気をつけよう。

ありがとう。

http://anond.hatelabo.jp/20100706111905

パソコン通信の時代に言われたようなことをいまさら書くこの人は

すぐ煽り煽られに突入してスルー出来ない人なんだろうな。

2010-06-25

批判は良いことなのか

>ひはん 0 【批判】

>(1)物事の可否に検討を加え、評価判定すること。

>「学説―」「―を仰ぐ」

>(2)誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。

>「政府外交方針を―する」

三省堂より、特に2について。特に創作活動に対する物として。



1.当然あることとして

 創作物を公表すれば批判はあるものである。その際の定型的な文句としては「批判されるのが嫌なら公開するな」と言う言論。これは正当であるし、創作側は批判を覚悟しておくべきだと私は考える。しかし、それは批判をすることの良し悪しとは関係がない。「鍵を締めていなければ泥棒に入られる」「裸の女が歩いていればモラルなんて吹っ飛ぶ」「無防備国家は侵略される」、これは当然起こりうることとして考えなくてはいけないが、泥棒もレイプも良いことではない、当たり前だが私が考えるには悪いことだ。鍵を開けて外に出る家主は泥棒を覚悟すべきだが、泥棒は鍵を開いていることを理由に盗みを働いて良い理由には成らない。同じように創作物を公開すれば批判されるのは当然あることとして創作者は覚悟すべきだが、だからといって批判して良いという物ではないのではないか。



2.批判という手法

 創作行為に対して批判をする理由は幾つもある、個人個人で様々であり一概に藻言えない、その中で創作者への好意的な理由として用いられると私が考えるのが「改善させるため」と言う物がある。確かに欠点は指摘されなければ気付かない事もあり、またその指摘が強い物であればより強く受け取ると言える。しかし、改善させるためならば、リクエストアドバイスという方法もある。「こういう風な方が好きだ」「こうなったら面白そう」そう伝えることにより創作者に道行を示すことも出来る、また「こうした方が良いのではないか」「ここをこうするというやり方もある」そういった提案をすることによって改善を促すことも出来る。これは、どの手法が良いという物ではなく、様々な手法とそのメリットデメリット、中でどの手法を選び、その必要性と優位性。それを考えることが出来るということだ。




3.対人問題と芸術への問題

 創作物への批判の良し悪しを考えるときに2つに分けて考える必要があると私は考える。言う相手との人と人と付き合いとして批判することの良し悪しと、批判が創作活動に対して及ぼす良し悪しだ。

 対人問題として良し悪しを考えるときに、やはり相手の嫌なことを故意的に行うことを良いとは私は判断しづらい。相手にもよるが、殴られたってマゾヒスト以外喜ばないし、マゾヒストだって誰から殴られたって良い物でもなく、叱られるのであっても親から教師から友人から間柄があってこそ感謝が出来る。無遠慮に見ず知らずの人が乗り込んで嫌なことをしても良くはないと私は感じる。誰にでも良い物ではなく、相手を良く知った上でその人その人に合わせて批判と言う手法が適切であるか考えなくてはいけないのではないか。批判という手法は基本的には良くないと個人的には考える。

 創作活動に批判が良い影響を与えるか悪い影響を与えるか。メリットと言えば、よりよき物が生み出される可能性や創作者の欠点改善される可能性。デメリットで言えば、創作者の意欲が落ちる可能性や創作活動をやめてしまう可能性。メリットに奮起してやる気が上がる可能性もあるが、もちろんデメリットに間違った方向に進んでいく可能性があるが、そういうものは希な物として私は考えている。さて問題なのは創作活動が落ち込むほどに指摘することが、そのデメリットを覆す程にメリットがあるかどうかだ。上に記したように、アドバイスリクエストという手段がある。より活動を落とさない手法があるのに、批判という手法をとるメリットは無いように私は感じる。



4.権利倫理して

 もちろん、受取手創作物に感想を持つことは当然の権利であり、またその感想を口に出すことにも権利がある。そして、その口に出す感想をどこまでも発信する権利創作者がそうしたようにある。しかし良し悪しとはまた別にあり、その中で考えなくてはいけないのは口に出す感想をどこまで伝えるのかという問題だ。まず受けて独り言を出すのに何も問題はなく悪いはずがない。次に仲間内で話す、ここで問題になるのは仲間の中に好意的な感想を持っている人を嫌な気持ちにさせる可能性がある、それを意識的に行って良いかどうかは、その仲間内の人と人との関係である。さて創作者に向かって伝える、ネット出版社が間に入ってることもあるが、例えば目の前に作者が居て「お前の作品は駄目だ」と伝える、蹴っても良いよね。軽く軽く。次に、公に向かって発信する、これは創作物であり、他人を公然とあげつらって良いとは私は言えない。

 個人でならともかくとして、他人が関わってくる時には行為が他人に与える力を考えなくてはいけない。嫌な気持ちにさせることを何の状況判断もなしに行うのは浅慮と言える。権利を有していても、その行為をすることが悪いことはあり、行為は時と場所を考えて行わなくてはいけない。



5.出来ることと出来ないことの間に

 ネットではとにかくとして、出来ることと出来ないことが判断の基準になっていることを私は多く見る、その次に法律と各々のサイトルール。「出来るんだからやらせろよ」「やらせたくないなら出来ないようにしろよ」「法律にないじゃん」。語調は私が書きやすい語調であり他意はない。単純に言えば「ウェッブルールもクソ喰らえ」「無断リンク禁止」問題か。可能不可能で言えば、プリントアウトしても無断でリンクしても問題はない。しかし相手を嫌がらせていることが消えるわけでもなく、嫌がっていることを故意的に行う人間性を良いとは個人的には言えない。悪し様に文句を言ったウェッブの人も無断リンク人達も問題はある。

 パソコン通信からインターネットになり、企業や国の公的なサイト個人サイトブログがある。個人対個人であり、公人でなく私人であることが最近は特に多くなってきた。インターネット存在する物は全て公的な存在として考えるべきかどうかは社会学者に任せるとして、個人対個人の場合というのはやはり人付き合いなのだと私は考える。

 ネチケットネットマナーというは基本的に気持ちが悪く一笑に付される存在である。技術も変わり環境もたえず変わりネットには新しい人が絶えず足を踏み込み、共通の感覚というのが未だ成熟していない。自分と相手の間に、どこまで足を踏み込んで良い物なのかおっかなびっくりである。直接出会う人ならばどうするかといえば試行錯誤をしながら足を踏み入れていくところだ。さて創作者とはどうか。ネットにより、以前より際だって創作者と受取手が直接交流することになった。しかし、ニコニコ動画やぴくしぶは、それまでの出版社プロダクションなどに属していた状況と違い、より個人対個人の交流に成ってきた。それはテレビの前でぶつくさ言ったり、手紙を出すのとは違い、モニターと言うテーブルを挟んだ座談会だ。それを今までと同じように感想を述べて良いか、これは先ほど書いたように時と場合が違うことを思い出さなくてはいけない。ネットマナーネチケットは分からないが、人と人との付き合い方ぐらいは分かっているものではないのだろうか。



6.駄サイクル(ださいくる)

 漫画家石黒正数先生の作品より。身内で、作る→褒められる→見る→褒める→作る→褒められる、を繰り返すださい駄目なサイクルの事である。これを見るに、批判は必要なように思えてくるが、駄サイクルの問題は閉じた世界で満足していることであり、開いた世界で褒められるならばそれは傑作である。そして無理に批判をしなくても褒めないという手もある。



7.個人的な結論として

 創作して公表すれば批判されるものだ。創作者は、それを排除してはいけない。しかしそれは創作者の態度である。受け手の態度はまた別である。創作物を受けたときに批判という手法は良いのかどうなのか。私は積極的にはとるべき態度ではないと考える。さて、しかし、上で記したアドバイスと批判というのは実は曖昧な物である。アドバイスと思っても創作者は不快に思うかも知れないし、どこからどこまでが批判とも言えない。そこで重要なのは受取手感情で、嫌がらせ目的でやらないことなのだろう。

 そして、批判をする側が「制作者はかくあるべき」と言うことを言い訳にしないこと。その言い訳は自身の行為を正当とはしない。ただ独り自身の行為として良し悪しを自身の倫理で考えるべきであるとして、私の考えを締める。

2010-05-29

伝達ツールとデマ

デマを封じる手段としては、コミュニケーション・ツールの制限は、恐らく無意味であろう。

全てのコミュニケーション・ツールとコミュニティにおいて、デマは企まれるものである。実名制であろうと会員制であろうと、それを防ぐことはできない。1対1の口頭ですら、デマを平然と徹底的に行う人々はいるものだ。長年かけて信用を築き、たったひとつこっそりと意図的なデマを混ぜる者もいれば、歩くデマというべき、年がら年中間違ったことを怒鳴り散らす者だっている。

特定のコミュニケーション・ツールやコミュニティが目障りな者たちは、どう動くだろう。すさまじい量のデマを垂れ流す生贄を作り、また別の者はこう叫ぶであろう――「ほらあのコミュニケーション・ツールやコミュニティデマに弱いじゃないか!さあみんないますぐ使うのを止めよう!」――そのコミュニケーション・ツールやコミュニティが防いだデマの方が多い可能性を吟味せずに。

それとも一般国民は目と耳と口まで塞いでいろとでもいうのか?愛する人に好きだとすら告げるなと?それこそバカバカしいことであろう。

パソコン通信メールウェブページBBSmixitwitter…、さまざまなコミュニケーション・ツールやコミュニティデマの温床とされ、一部で叩かれていった。しかし、人の口や書物からしてデマの温床であることも、よく思い起こすべきである。

哀しいかな人類社会は、デマ永遠に戦い続けなくてはならない宿命なのだ。

(この増田中二病を発症したようです。ただし、わっふるわっふるレスしても続きません。)

2010-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20100524202141

そうやってきちんとした態度で質問すれば答えてやろうという気にもなる。

半角英数が望ましいのは、コンピュータ世界伝統だよ。専門的な話になるから詳しくは説明しないが、コンピュータ世界では全角は迷惑千万なわけ。

だからネット黎明期の重度なオタクばっかがパソコン通信とかしてた時代やテレホーダイでダイアルアップ接続してた時代とか、

要は1990年代から2000年代の頭にかけての時代には、「全角より半角を」というのが当たり前のルールだった。

その流れから、ネットでは全角を見るとあまり快く思わない人が多いんだ。「全角厨」という言葉はそういうことね。

ところが、いまはライト層がネットに流れ込んできたので、お前みたいにそういう歴史事情を知らない人間が多いんだ。

事情は知らなくても、空気を読めば全角が叩かれてることくらい分かるだろう?

なのに、それでも全角を使い続けるのは、要するに空気の読めないDQNということなんだよ。分かったかな?

礼儀には必ず合理的な理由はあるのでそういうのを理解することは大切だとは思う。

だが、理由を知らなくとも、郷に入れば郷に従えと言うし、理屈抜きに従うのが正常な人間である。

2010-05-14

勝間和代の長女の無念――ハンドルネームに込められた真意とは

Tophet (トペテ)というハンドルネームで活動していた女性がいる。勝間和代の長女である。

TOPHETが活動している場所

http://one.freespace.jp/rabbitpie/

この長女は、勝間最初結婚した夫との間に生まれた子である。夫との出会いのきっかけは、パソコン通信オフ会であった。保育園への送り迎えもこの夫が引き受け、子育てを放棄した勝間に随分と苦労されたようである。

といった話は、週刊文春 2009年12月31日1月7日 新年特大号ですでに報じられている。

http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/shukanbunshun100107.htm

自宅が火事になり、自分たち子供が焼死したと書いた長女

文春の記事には長女のブログエントリーから、こんな引用がされている。

経済評論家のK氏の自宅が本日燃えて死亡
氏は出張中で、娘二人がベッデオに横たわる姿でまっくろこげ!
自殺志願者の次女だけが生き残る


K氏は悲しみを胸に1冊の小説を書き起こし、大ヒット!

ノーベル文学賞経済学賞を同時に受賞!

受賞した日にひとこと「人生無駄経験はありません。火事を起こした長女も浮かばれていることでしょう」! 

ブログを見てみると、長女が綴った文章にはさらに続きがある。

ティッシュをのどに詰まらせで窒息自殺なんてできるかな。
ティッシュを胃袋の容量いっぱいに食べて!詰め込んで!
急性テュッシュ中毒患者世界中から、ドバイの海沿いの病院に集結!

これぞティッシュのご一生!

てゅっしゅ 2008/10/21(火) 22:10:53
http://rabbitbpie.dtiblog.com/blog-entry-30.html

一目見て、どこか精神バランスが損なわれているように感じられて仕方がない。長女は、鬱病患者に投与される「デパス」を服用していることを明かしているが、精神疾患を抱えているのだろうか。

眠れない 2008/09/25(木) 02:54:44

http://rabbitbpie.dtiblog.com/blog-entry-21.html

興味深いエピソードはさまざま綴られている。

子供たちが母(勝間和代)のお祝いにとケーキを準備してあげたにもかかわらず、和代は次女を泣かせる。長女曰く、「母は、妹へのデリカシーがなく、僕はフォローの才能がありません」 (2008/12/16(火))

リビングにはおびただしい量の洗濯物がたまり、子供たちが学業のかたわら片付けるしかないようだ。「洋服が見つからないレベルであり、山が崩れてくるレベルであり、想像を絶している散らかり具合です」 (2008/12/16(火))

長女は母 勝間和代から離れたいといって家を出て一人暮らしを始めるが、結局は和代の金で生活することには変わりない。それを嫌がり、やがて父親のもとに身を寄せることとなった。

長女が使っているハンドルの Tophet (トペテ) とは何か。

Tophetとは、エルサレム近隣の地名で、かつてユダヤ人が、Moloch(モレク)神にささげる生贄(いけにえ)として子供たちを生きたまま焼き殺した場所である。転じて、Moloch という言葉は、「恐ろしい犠牲を要求する人物」という意味も持っている。長女が記した、自宅の火災エントリーと重なる神話である。

灼熱地獄子供たちが苦しみながら死んでいった土地を、長女が名乗っていたことに、涙せずにはおられない。

=====

はじめに書いた活動場所にはURLが記載されていないが、長女はFC2でも1年ほど前までブログを書いていたようだ。最後のエントリーでは、「リアル世界に居場所がなくなってしまった」と書き残し、その後の更新は途絶えている。

ニコ送局ブログ by TOPHET

http://hanahana2.blog57.fc2.com/

2010-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20100416020221

ていうかtwitterがただのコミュニケーションツールの1つとして使われているのは、むしろだいぶそういうネットコミュニケーションに対する偏見が減った結果かなと思っている。

その昔あったパソコン通信テーマにしたドラマではパソコン通信らしさを演出するために「モデムに向かって語りかける」なんていう場面があったりしたわけで、それに比べたら格段の進歩だよな。

別にコミュニケーション取れるならtwitterじゃなくてもmixiでもブログでも一緒じゃんというのは実際まさにその通りなわけだし。

ネットで知り合うことの特色といえば、顔あわせる前から既に相手とある程度密なコミュニケーションをとっていてなんとなく知った気になれて、だけどその気になればリアル生活については詐称することもできるっていう部分なんだから(そういう行為の是非はともかく)それがまことに正しく表現されてるんじゃないか。

ハンドル名前呼び合うのは気持ち悪いっていう価値観の人も別にそうめずらしいものでもなくて、ネットやってない人の間では割とメジャーな言説だったりする。

逆にそういうスタンスの人でも使っているネットツールという形で紹介されたのは「キャズムを超えた」ってことなんじゃないかね。

2010-03-22

本屋の親玉「電子書籍とかやると本屋絶滅しちゃうんだけど・・・。どうにかしてよね」

ttp://alfalfalfa.com/archives/389476.html

6 三角架(東京都) :2010/03/19(金) 20:53:41.55 ID:gKvmzb1H



amazon本屋なわけだが



83 げんのう(千葉県) :2010/03/19(金) 21:53:53.35 ID:BRZ9eXsI

»6で結論は出ているんだよ。

電子書籍をやろうとしているamazonは「本屋」なんだよ。



アメリカ本屋が新しい販売形態を切り開いて、それについてこれない旧態化した本屋

規制をしろと騒いでいるだけ。



つまり、パソコンが普及して大型コンピューターが売れなくなったから

パソコン所持を法規制しろ、インターネットが普及してパソコン通信に人が来なくなったから

インターネット接続を法規制しろ と言っているのと同じなんだな。



それを主張した段階でその業態は終わりってことだ。

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