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はてなキーワード: 思想史とは

2024-04-21

anond:20240420224125

仏の教えは合理的基本的理屈の前提となっているのは、この世界には「因果関係」があって、あらゆる物事因果関係連鎖で成り立っていますってことだけ。

・絶え間ない因果関係の連なりがあるから諸行無常」。諸行無常ってのは、あらゆる物事は変化し続けているってこと。

諸行無常世界普通人間経験すると、「一切皆苦」と感じる。あらゆる物事が変化し続けているってことは、やがては人の望まない状態になり得るし、たいていはそうなるから人生には「四苦八苦」がつきもの

普通人間は、永遠不変の私がいることを素朴に信じていて、その『私』に強く執着している。しかし実際は、「諸法無我」。つまり永遠不変の私は存在しないということ。なぜなら、私はこの世界の一部であって、世界の一部であるからには因果関係連鎖によって一時的に立ち現れている物事しかいから。身体五感思考欲求一時的に立ち現れているものに過ぎない。私という存在もまた、諸行無常であり、ゆえに諸法無我

普通人間諸行無常世界に在って一切皆苦と感じるのは、『私』に強く執着しているから。世界も私も変化し続けているものから、『私』の思い通りになるとは限らない。それなのに、思い通りにならないとそのたびに苦しい。

一切皆苦と感じる原因が『私』に対する強い執着であるなら、その執着を薄め、消し去ればいい。この世界諸行無常であり諸法無我であることを、知識としてではなく、感得することができたなら、『私』への強いこだわりは霧散し、世界一切皆苦とは感じなくなるし、副産物として利己性も消える。これが悟りの境地。

・この世界諸行無常であり諸法無我であることを感得するには、感得するトレーニングを繰り返して感得する認知能力を高める必要がある。自転車に乗れるようになりたいなら自転車に乗るしかないのと同じ。このトレーニング仏教修行の中核。昨今では「ヴィパッサナー瞑想」とか「マインドフルネス」とか呼ばれている。ヴィパッサナー瞑想で得られる認知能力を「智慧」あるいは単に「慧」と呼ぶ。

・『私』に対する強い執着を薄める方法ヴィパッサナー瞑想以外にもう一つのアプローチがある。「慈悲」つまり利他的な心を育てる瞑想利他的実践を繰り返すこと。

ヴィパッサナー瞑想だけしていれば悟れるかというと、そうでもない。「戒」:瞑想に集中するための環境や習慣を整え、「定」:ヴィパッサナー瞑想必要集中力を高めるための瞑想も行う。これらをヴィパッサナー瞑想と合わせて「戒定慧」と呼ぶ。仏教実践基本的にこの三つ。もう少し詳しくは「八正道」と言う。

というのが、私の理解もっと詳しく知りたければ「」でくくった単語検索して一つずつ調べるか、書籍なら仏教思想ゼロポイントおすすめ

思想史的な観点ちょっとだけ補足。仏教教祖である釈迦の没後、スリランカミャンマーあたりに伝わったものが初期のノウハウ比較的色濃く伝えている。これは上座部仏教南伝仏教小乗仏教とか呼ばれてる。一方、中央アジア等を経由して中国に至るうちにかなりの変貌を遂げたのが、北伝仏教大乗仏教とか呼ばれてる。日本仏教中国経由で伝わったもので、基本的大乗仏教輪廻転生仏教オリジナルアイデアではなくて、インドネパールあたりにもっとから根付いていたアイデア(輪廻転生だの神や悪魔だのの有無は、今生きているあなたが苦から逃れるために重要なことではないですよ、肝心なのは八正道実践、ってのが仏教スタンス)。天国地獄アイデアはおそらく中央アジアあたりで仏教に混淆した。先祖の供養が大事みたいなアイデアはたぶん中国で混ざった。

2024-04-06

anond:20240405165314

思想史上の左派思想

困窮する労働者をダシに金儲けに走る共産貴族やら

眼鏡かけてるだけで皆殺しにするようなパンチの効いた連中がゴロゴロいるわけだが。

全体的な傾向として、口先だけご立派な理念が出てくるが行動がヤバい

それが左翼

2024-04-05

左派絶望して自民党宗派替えした話

主語デカ政治お気持ち文章を垂れ流すのは、趣味じゃあないんだが、増田に甘えて。

俺は、学生とき、明らかに左寄りの思考だったと思う。まあ、今考えれば、今も昔も左に寄ってる中高の教師の影響だったかもしれないし、大学環境だったかもしれない。それでも、少数者が、自分の力ではどうしようもない理不尽を味わうのは、間違っていると思っていた(それは今でも思ってる)し、タカ派的な外交政策は、危険火遊びにつながるんじゃあないかと思っていた。

家庭も自分も、明らかに労働者階級人間から賃上げにも育児休業の拡大にも興味があるし、所得の再分配もある程度行われたほうがいいと思っている。当然、ジェンダー格差なんかも、是正しなければいけない問題だ。

ところで、選挙の度に、各党のパンフレットなりホームページなりを集めて眺めている。あとは、焦点になる問題があれば、たまに省庁委員会国会中継なんかも眺めることもある。ありがとうニコニコ。まあ、それで思うんだが、ちょっと特殊共産党を除くと、立民も、令和も、社民も、みんな正義を振りかざして常に怒ってるけど、めちゃくちゃ焦点の絞り方が恣意的だし、そもそも全く信念思想なく、年がら年中自民党揚げ足取りをしてるだけだし、なんだったら、労働者層にも喧嘩を売ってると思うことが少なくないんだよな。そもそも、言ってること支離滅裂むちゃくちゃだし。

めちゃくちゃ語弊あるし、みんなに袋叩きされそうな例えで言うと、なんかもう、完全にヒステリーになってて、ちょっと刺激したらブチギレ始めるストーカーみたいな。学生ときは、左派って勝手ハト派だと思ってたんだけど、いつもなにかにブチギレてるよな。例えば立民だって自分たちの所属議員も、かなりやべえ奴揃ってるのに、自民党議員失言はめちゃくちゃ厳しく叱責したり、自分たちの党規も怪しいのに、自民党パーティー問題はめちゃんこに切り込んでいったり。

かと言って、結局労働者に寄り添ってくれるわけでもなく、結局賃上げも育休も、音頭取って実現に向けて動いてるのは自民党だし、別に悲しいおっさん労働者たちなんて眼中にないような気さえする。その割に、いつもツイッターで「◯◯は正義にもとる✗✗であって、到底感化できません(よね??)」みたいな押し付けブチギレツイートばっかりしてるし。立民って、旧民主の流れを引く中道左派じゃなかったのか??

あとは、ネトウヨやばいやつばっかりだけど、ネトサヨ(?)もめちゃくちゃやばい。良くも悪くも、正義感に駆られてるから自分感情客観的判断がごっちゃになって、意味わからんことばっかり主張してる。しかも、敵味方の判定がめちゃくちゃシビアで、内容に関わらず、敵判定したらめちゃくちゃに噛みつき回す。なにがよくないって、数字に基づいたデータに対しても、右翼認定したり、感情でキレ散らかすんだよな。データ(か、その読み方)で反論してくれ。で、何がやばいって、インターネットは、良くも悪くもいつも頭のおかしバカが集まってるところだから、それだけなら別に来にしないんだけど、今の左派政党って、マジでそういうネトサヨ的な論調でやってきてる感じがあるんだよな。もちろん、右派政党でも、ネトウヨ的ってか、反左翼的言動する人っているけど、まああんまり党全体の方針として出てきてる感じはしなくて。


学生とき勉強した、思想史上の左派思想って、もっと美しくて高尚なものだと思ってたんだけどな。やっぱり、社会は、理想主義的じゃないと動いていかないし、少数意見を組み上げて焦点化するのも、社会に欠かせない動きだと思う。けど、だからって反右翼っていうイデオロギーしかなさそうな既存左派政党は、どこも投票する気がしないし、そうなると結局癌があっても、自民党を支持するしかないんじゃないかな、というのが俺の今現在結論

誰か、まともなリベラル政党を立ち上げてくれ。ポピュリズム的でも、反左翼的でもないやつを。

2024-02-23

anond:20240221064125

なんで個人自由趣味嗜好を「たいしたことないこと」で片付けてるの

それこそ近代思想史人権一口でもかじってればありえないでしょ

2024-02-21

anond:20240221064125

近代史人権近代思想史義務教育でやらないせいだと思うわ

やりました。争いは同じレベルの間でしか起きない

anond:20240221052132

これが、「なんかエロいよな」という個人自由趣味嗜好だと思われて、エロいこと、たいしたことない些細なこと、として是認されてる状況が怖いって話だろ

なぜ世界人権差別にこんなに口うるさいのか?なぜ政府アカデミアや世界のものすごく賢い学者たちは研究を重ねて人権なんてものを作り出したのか?をネットオタク日本人理解できないのは、近代史人権近代思想史義務教育でやらないせいだと思うわ

全部地続きだから


戦争って、「なんかカッコいいよな」で兵隊になって、「なんかアツいよな」で民間人虐殺して、「なんかエロいよな」で何十人もレイプして、「今日畜生外人20レイプして殺したよ、羨ましいだろ」と自慢してたよ

それが気軽な雑談、そんな人が冗談のわかる人情家の気のいい人だったよ

「命乞いしてる妊婦レイプしたら金を差し出そうとしててウケた。どうせ殺して盗むんだから差し出してきても意味ないのにね笑。殺す前に腹を切って胎児を見てみたんだけど、子供だけは殺さないでって泣いてて面白かったなあ、母親死ぬんだから胎児が生まれてくることなんてないだろ笑」

はよくある些細な面白話だった。

日本世界史をちゃんと学ばないから、これも個人思想だ、個人趣味だ、嗜好だ、自由だ、という、誰でも分かる嘘にすぐ絡め取られる。

2024-02-10

anond:20240209124425

ぽわわ~んとした文系女子を期待してて

ジェンダー社会学とか女性思想史専攻だったらいいな~と思ってたら英文学専攻だった時の

気分似にている

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

2024-01-04

[]2023年後半に読んだ本

7月

読書11冊、ただし一部拾い読み)

山室信一キメラ 満州国肖像 増補版」★★

鈴木貞美満洲国 交錯するナショナリズム」★

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」

渡邊大門宇喜多秀家と豊臣政権

福田千鶴「江の生涯 徳川将軍家台所役割

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」

諏訪勝則黒田官兵衛 「天下を狙った軍師」の実像

坂野徳隆「風刺漫画で読み解く 日本統治下の台湾

地球の歩き方 E03 イスタンブールトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」

「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」

宮下遼物語 イスタンブール歴史-「世界帝都」の1600年』★★★

漫画

田中圭一うつヌケ」

ヤマザキマリとり・みきプリニウス12

美術

今月はなし。旅行の準備で忙しかった。

先月たくさん行ったしこれでOK

満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。

8月

読書(14冊)

小笠原弘幸「オスマン帝国 繁栄衰亡の600年史」★★★

釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」からちょうちょう」へ、音声史の旅』

今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアン時代まで」★★

Jam「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ」

維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」 

北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は戯れない」

Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」

田澤 耕「物語 カタルーニャ歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★

今井むつみ秋田喜美「言語本質: ことばはどう生まれ進化たか

安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」

杉本智俊「【図説】旧約聖書考古学

杉本智俊「【図説】新約聖書考古学

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」

美術

「デイヴィッド・ホックニー展」

イスタンブールバルセロナ旅行

旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。

言語学の本を少し含んでいる。

なお、イスタンブールドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行テーマ絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかたからだ。

9月

読書17冊+α)

長谷川修一「聖書考古学 遺跡が語る史実

福田 千鶴御家騒動大名家を揺るがした権力闘争

北國ばらっど「岸辺露伴は倒れない 短編小説集」

エマヘップバーン「心の容量が増えるメンタルの取扱説明書

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫10巻 上」

柞刈湯葉人間たちの話」★★

柴田勝家アメリカンブッダ

ジャン=アンリファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★

柴田勝家走馬灯セトリは考えておいて」

下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代

柞刈湯葉「まず牛を球とします。」

飯村周平『HSP心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』

きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。

堀晃 他「Genesis されど星は流れる元日SFアンソロジー

小川楽喜「標本作家」★

ブアレム・サンサル「2084 世界の終わり」

小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日SFアンソロジー

人間六度スター・シェイカー」

漫画

荒木飛呂彦岸辺露伴 ルーヴルへ行く」

美術

トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコ日本をつなぐ」

柞刈湯葉柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉表題作普段クールというか知的アイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家Vtuber文化と死後のアーカイブ肯定的表現していたのが大変面白い

ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。

10

読書11冊)

十三不塔「ヴィンダウス・エンジン

フレドリック・ブラウンフレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ

塩崎ツトム「ダイダロス

柴田勝家「ヒト夜の永い夢」

フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァヘラス」

オラフ・ステープルドンスターメイカー」★★

宮澤伊織 他「Genesis この光が落ちないように」

高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」

奥本大三郎ランボーはなぜ詩を棄てたのか」★

フレドリック・ブラウンフレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」

トーマス・S・マラニー「チャイニーズタイプライター 漢字技術近代史」★★

SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞作品は読んでいるそのとき面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。

逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。

タイプライター歴史面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。

他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。

美術

「第75回正倉院展」於・奈良国立博物館

11

読書(9冊)

池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」

フレドリック・ブラウンフレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後火星人

成美堂出版編集部いちばんわかりやす家事のきほん大事典」

池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10巻「能・狂言説経節曾根崎心中女殺油地獄菅原伝授手習鑑/義経千本桜仮名手本忠臣蔵」★

フレドリック・ブラウンフレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初タイムマシン

森万佑子「韓国併合-大韓帝国の成立から崩壊まで」★★

紀田順一郎日本語大博物館悪魔文字と闘った人々」★★★

木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計実証研究は何を語るか」☆

エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明崩壊」☆

美術

特別展やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」。

永遠の都ローマ展」。

冊数が少ないのは池澤夏樹日本文学全集がぶ厚かったためだ。

日本語の活字についてや、日本植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。

12

読書(14冊)

ジョン・ウィルズ「1688年 バロック世界史像」

伊高浩昭 「チェ・ゲバラ 旅、キューバ革命ボリビア

後藤謙次10代に語る平成史」

麻田雅文シベリア出兵 近代日本の忘れられた七年戦争

楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍学校の知られざる戦い」☆

塚本康浩「ダチョウはアホだが役に立つ」

重松伸司「海のアルメニア商人 アジア離散交易歴史

小倉孝保中世ラテン語辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★

澤宮優、平野恵理子「イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑」☆

カムラクニオ「こじらせ美術館」★

宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★

泉健太郎「ウンチ化石学入門」

土屋健「こっそり楽しむうんこ化石世界

木村泰司「人騒がせな名画たち」

美術

なし

読んだのは全体的に近現代史が多い。

第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い歴史技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいくそこまで行っていない。

ダチョウの本は父親に薦められた。

12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ

来年から方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。

まとめ

一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代江戸時代などを扱った新書が多い。外国歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールバルセロナ歴史を扱った本が印象深い。

SF新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生岩波新潮古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。

人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。

詩集は少ない。「智恵子抄」くらい。

ここ最近美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。

以上。

面倒なので来年も書くかはわからない。


2022年に読んだ本

[読書]2023年前半に読んだ本

2023-10-15

anond:20231015121232

■いや間違いなく元祖心理学だよ。

verbalアプローチしかなかった黎明期心理学心理学すぎて後には心理学じゃなくなったもの

思想史上の参照資料という「現在通用する価値」と対比させて、当時のフロイトの腹づもりとしてそれが何だったかという意味を込めて「心理学」と言ってるのはさすがに通じるだろうと思ったが増田で期待は禁物だった。

それから「俺はアリストテレスを読んでいるんだぞ」みたいな自慢こそがアホ丸出しなんだわ。教養地図ランドマークとしてサラっと触れるのと、アカデミック意味客観的に「読む」のと、書かれた意図通りに玩味するのとでテキスト意味全然違うよという例として挙げてるのにそれ自体に食いついてしまう。

もう一つ、マウンティング欲の奴隷状態のお前には見えてないだろうが俺は一つ前の投稿からの「横」なんで、人文だったらどうのこうのというお前の中でできあがった人物像はあたらないよ

2023-07-02

岩永直子さんが退職するエントリーを読んだ人たちに

Buzzfeedハフポストに買収されて報道部門が廃止、それに伴いメディカル部門ディレクター岩永直子が医療記事執筆を禁じられたという報が先週に流れてきた。

正直ホッとした。Buzzfeed自体が閉鎖されて欲しいと思っていた為だ。

そして昨日には岩永が「医療記事を書きたいから」独立するという。だから金を振り込んでくれとの事だ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/naokoiwanaga.theletter.jp/posts/66023f60-16ef-11ee-ad5a-a36b89620c35

冗談ではない。これを機会に筆を折って欲しい。

はてなでは「お金します」というコメントが沢山付いていたが彼女コロナ禍で何をやったのか判っていないのだろうか?「脳外科医ですが病院から執刀とカテーテル検査禁止され閑職に回さされてます助けて」って投稿があったら助けるの?

 

PCRデマ

Buzzfeedコロナ禍で最低最悪のデマメディアだった。これはディレクター岩永PCR特性について勘違いをし、その間違いの指摘をフィルターバブル編集権を用いて排除して体面を保ち、やまもといちろう罵倒されるまでそれを続けていた為だ。

 

まず最初2020年2月26日に聖路加病院坂本史衣のインタビュー形式で「希望者にPCR検査をしないのは感染確率が低い集団検査すると的中率が下がる」論が披露される。

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-sakamoto

これは後に知的背伸びしたい連中に散々弄ばれる検査確率と「ベイズの定理」の話で普通化学検査には妥当するが、後述するようにPCR特性的に妥当しない、端的に間違いである。

また坂本はこの記事とその後の記事での抜擢によって「タレント」と化し、NHK婦人公論などにも登場するようになり、入院患者数検査は無駄という非常に危ない主張を広める事になる。

なおBuzzfeedメディカル記事がなぜ大きい影響を与えたかというと、Yahoo配信されたかであるBuzzfeed Japanの親会社ヤフージャパンで、記事配信契約がされていた。

 

東京女子医大への攻撃と犬笛

講義を停止していた東京女子医大が再開前に全学生へのPCR義務付けと陰性証明を求めるとこれを批判する記事配信

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/inseikakunin-tokyojoshiidai

これも「検査確率が低い集団検査すると偽陽性がー」「陰性確認は出来ない」という勘違いに基づくものだ。

記事ネタBuzzfeedや医クラの扇動に感化されて大学の行動に憤った意識高い系学生タレコミだろう。故にこの記事SNSでの大学炎上を狙った犬笛であろう。

でもなぜ彼大学がこの決定をしたかと言えば「医学部」だからである仕事で使う検査機器特性を熟知しているのは当たり前の事だからである。そして医学部の後半では実習で病院への出入りが増えるから無症候感染者は弾いておく必要があるからだ。

 

日経記事で流れが変わる

当初、国は保健所病院パンクを恐れて検査を絞りに絞っていた。他国が数十万件/日のペースでやってる時に50件/日みたいなナメプだ。この為救急病棟コロナ専門にしていた病院などは経営難に陥った。また簡易ロックダウン頼みであった。

この状況に最初に異を唱えたのは日経新聞で、ちゃん検査数を増やさないと制圧できない、PCR検査特性に誤解がある、という意見を明確にした。(5月

これで流れが変わって来たのだが、Buzzfeedでは相変わらず「PCR検査論争が不毛だ」などという記事を延々と掲載。論争も何も岩永一方的に間違えているだけの事である

 

生化学研究者を悉くブロック

日経記事の前から生化学研究者生物学科卒業生などが医クラや岩永PCR特性説明特に現在主流のリアルタイムPCRの仕組み、製薬会社構造試薬製造会社バイオテクノロジー関係シーケンサーPCR関係等を丁寧に説明していた。またタカラバイオサイトに初学者向けのPCR解説マニュアルプライマー金額表まであるので見るように説得していた。

だが彼等は一向に見ないどころか「検査しても隔離しなきゃ意味無い」などの幼稚なすり替え、治療のための検査と防疫検査意図的なすり替えを続け、そのしつこい説得を「PCR真理教」と揶揄するなどを続け、岩永はこれら生化学系人士らのツイッターブロックした。意図してバブルを作ったわけだ。悪質な人物と言う外無い。

試しにツイッターで「岩永直子 ブロック」で検索してみて欲しい。

因みに以前はもっと沢山のブロックされた生化学人のツイートがあったのだが、PCRデマが周知されコロナが一段落したのでアカウントを消したりROM専になって検索スコアが下がって掛からなくなったのである

じゃあなぜその人らが語りだしたかと言えば医クラとBuzzfeedのせいなのだ。致命的な間違いを流布しているから座視できずに声を挙げたのである

 

唐突ネトウヨ批判

岩永唐突に「医クラにはネトウヨRTしたりする馬鹿が多い」と批判した事がある。

三浦瑠璃も「日本会議ってネトウヨからw」と同じ事をした事もあるのだが、これは三浦学者としてあり得ないミスをしたり、学知が不十分だったり、国際経済思想史経済一般という周辺知識に暗いのがバレたり、宗教右翼等の如何わしい所でばかり講演するなどで評判が低下したのを気にして切断処理したのであった。

岩永も医クラが医療問題を韓国などの差別デマに転換して歓心を得たり、英語論文根拠反論したが読んでみると内容が全然違う(つまり虚仮脅しとしての英語)事がバレたりと切断したくなったのだと思われる。だがフィルターバブル形成してその中で自意識肥大させたり犬笛で炎上惹起したり(しかも間違い)しているから筋が悪い人間が集まるのであると言う外無い。

 

Buzzfeed私益化、私物化

段々筋が悪い事に気が付いてきた岩永は「無兆候検査無意味」「検査数と感染者数は反比例しない」などの意見を述べてくれる人なら医学疫学生化学関係ない人にインタビューするようになる。内容はただの相関関係がどうのこうののこじつけのナンセンスな論考である

これらは防疫も医学関係がなく「岩永ミスをしていたとは言い切れない感じもする雰囲気みたいな」という代物であって岩永私益しかなく、メディア私物化である

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga

 

やまもといちろう批判されて口を噤む

こうやってダラダラと部下をも使役して保身の為に間違ってない論を続けていたが特異度が99%でも99.999%でも議論は同じ(低事前確立だと偽陽性が多数出る)、という記事を書いたところ、やまもといちろうに食いつかれる。「 【久々に怒ってます誤報案件!】BuzzFeedさん、PCR検査の特異度が99.9999%と99%で「議論が変わらない」は雑すぎませんか? 峰宗太郎さん/岩田健太郎さん/岩永直子さん/千葉雄登さん 」

https://youtu.be/hZaB9Chi1ek

buzzfeedが下らない保身記事を打ち続けて防疫の邪魔をしているのは明白だった。この動画再生数はあまり伸びていないが、昔からネットやってたらやまもとに絡まれる厄介さを知らないはずがない。

するとこの動画が出るや特異度が99.9999999%がみたいな言い訳は止まったのだ。医学に関する事なのに事実確認じゃなく厄介なインフルエンサの方が影響あるのかよ。

 

形を変えて言い訳は続く

特異度が変わっても同じ論は引っ込めたがやはりダラダラと言い訳記事は同年冬まで続いた。紙面私物化も良いところだ。

その間に空気感染に近いというのが周知され無症候検査重要性が喧伝されてもそのまま続けた。

 

院内感染

女子医大の例にもあるように、Buzzfeedや聖路加タレントが何を言おうが、判っている病院では職員入院患者の全数検査を行っていた。

だがそれをしていない、検査環境を整えていない病院病棟ではコロナ院内感染が発生した。

例えば埼玉県戸田戸田中央病院では職員100名以上と患者141人が感染し、患者31名が死んだ。市内での致命率は1~3%だが、病棟では20%以上が相場だ。このケースでも致命率は20である。術後患者病人ばかりなのだからそうなるのは当然である

更にこれにより他病院の受け入れが相次ぎ埼玉南部救急パンク救急車が何時間も出発できずこの時に重病になった人は助からなかった可能性が高い。

こうなるから数検査の体制を整えていたのにBuzzfeed女子医大炎上させ聖路加タレント検査すべきではないと言ってNHK雑誌に取り上げられていたのである。途中で生化学人士らの説明を聞き改めて訂正をする機会はずっとあったのにだ。

 

続 https://anond.hatelabo.jp/20230702202134

2023-03-03

「再投稿は甘え」などという嫌がらせ書き込みにあって意気消沈している時期にネット広告を見かけて行くことにした。国立施設から学費完全無料で、寮費も安い。シンプルだけどきれいな部屋に泊まって一泊200円くらい。寮には自分と同じように「再投稿は甘え」のつきまといにあって暗い顔をしている人たちがけっこういたけど、授業が進むにつれてみんな明るくなっていった。

午前中は再投稿理論の授業。再投稿することは埋もれているコンテンツを多くの人に発見してもらうことで、すべての人を豊かにする、再投稿は正しいことなのだということを理論に学ぶ投稿思想史の授業もあり、再投稿は人が生まれながらにして持っている権利で、誰にも奪うことができないものだと確信することができた。

学校の中には立派な食堂があって、某イタリアンレストランのチェーンに内装がよく似ている。料理ボリュームが多い割に価格良心的で、入店後にその場で再投稿をするとドリンクバー無料になる。だから店内で再投稿練習をしている人をけっこう見かけた。

午後は実技の授業で、3人に1人位の割合チューターがついて、どれくらいの頻度でいつ頃の時間帯に再投稿すれば効果的か、実例を示しながら教えてくれる。「再投稿は甘え」がついても再投稿を続けることで振り切れることがわかったのは大きかった。再投稿をした周りの人たちと励まし合ってポジティブ気持ちになることができた。

こういう暮らし半年くらいして戻ってきたところなんだけど、また来年くらいに支援学校へ行ってもいいかなと感じている。再投稿することのミッション理解して、コンテンツ効果的に提示する実力も身についたので、これからもどんどん再投稿をしていこうと思う。

2023-02-08

anond:20230208035743

マルクスに限らず思想史展望思想家単品の解説書ではあまり見かけないと思う。

あったとして、現代における意義を最後に説いて明るい調子で〆る、みたいな。

2023-01-22

数学者無名具合に疑問

第一線の数学者は他のどの科学者よりも難しい問題を達成していると思うのだが、特に現代数学において誰でも知っているというような人が全然いない事実にひっかかるものがある。

マルクスみたいな経済学者とか、ファーブルみたいな生物学者など、他の学問には数学者よりは高度なことはしてないというのに一般の人でも知っているという人がいるのに、これはどういうことなのか。

数学者で有名といったら、せいぜいピラゴラスといったような古代人、現代数学でいえばリーマンとかラプラスとかだ。

これらの人物共通するのは小学校から大学までのカリキュラムで扱う理論公式発見者かどうかということに過ぎない。

特に古代人が考えたことは現代から見れば易しいものなので義務教育の内容に採用されやすい。だからあのへんの時代人物数学者でも知名度が高い人がいることになる。

ようするに言いたいのは数学者の有名無名はただ単に教育制度次第になっているということだ。

高度な現代数学でも岡潔望月新一と有名な人はいるじゃないかと言う人もいるかもしれないが、あれらが有名なのも、実績の価値が正しく一般の人にも伝わって認知度が高まってきたというものではない。

岡潔なら統合失調症だったなかで戦時下を生き抜いたこと、望月新一なら自分コネを使って論文掲載させたこと。

そういう生き様センセーショナルなところがもっぱら庶民の関心を呼び起こしているに過ぎないのだ。

ポアンカレみたいな「未解決問題を解いた人」というわかりやすラベリングを持った人間が有名なのも本質的には上述したのと同じところにあるのだろう。認知している人の多くが業績の概要価値だけでも正しく理解してるか疑わしい。実績の内容に関する関心ではなく、未解決問題を解いたという一点で共通認識化されているように思われる。

ちょっと単純化が過ぎるかもしれないが、数学以外の科学者土俵はもっぱら実験実証なかにあると思う。

実験により、何かをしたらこういう結果が出た、という目に見える因果関係を把握する力さえあれば誰でもその分野の大学者になれる素質はあるとさえ言える。

もちろん実際に誰もが知ってる大学者になれるかどうかはもちろん有用な結果をはじき出す実験にこぎつけられたらという話になるが、どちらにせよ彼らは比較的易しい具象の中で研究対象と戦っているということには違いない。

一方で数学ときたら現時点で新規性のある高度な数学論文をしたためるには何万ページという論文が語る知見に対する確かな理解の積み上げが無いと無理だろう。

理解する過程においても数千ページ目にあたるある論文理解できないとなったときどこに理解の欠落があるか今まで読んだ論文から探しなおさなければならないわけである

理論構造自体も目に見えるようなわかりやす因果関係から成っているのではなく、抽象的なわけだから知識の欠落がなかったとしてもその理解純粋に難しい。

しかし高度な論文作成はその先にあるのだからこの数学研究というものは果てのない作業なのである

望月もそのような作業を経てついにはIUTの創出という高みに至ったはずである

そして望月以外にも当然少なくとも月ごとには相当数、同程度の高みから発した高度な内容の論文が公開されているはずだが彼らの中から一般人にも有名という人は現れて来ない。

ようするに現代数学者天才である。あの手の分野の数学者受験勉強を全くせず東大に悠々と合格するような人間がざらであるらしい。もっと現代数学者絶対数が少ないのだから「ざら」というのは数ではなく割合問題なのであろうけど。

そんな数学よりは高度な理解力を要しない学問では誰からも知っている人が出てきているのに、現代数学ではせいぜい専門家の間で有名という程度にしかなれないというのは理不尽なことだと思う。

私にはそれほどの数学の才能はないので数学ができる人間に対して劣等感がある。

から劣等感元凶である彼らにはせめてとことん栄誉ある立場にあってほしいのだ。

彼らすら大して評価されないのでは彼らと違って能力のない私には何も救いがないではないか

あるいはこういうことなのかもしれない。既存知識理解するという力と新しい見識を発見する力というのは異なるものなのではないかと。

まり数学の功績は高度な理解力の上に成り立っているものだけども、高度な理解力をもった彼らがもし別分野を志していたとしたら果たして一般の人の記憶にも残る大学者になれていたのかどうか。

現代数学者チョムスキー生成文法もその理論を考え出した背景にある理論も含めてその気にさせれば簡単理解してしまうだろうが、かといってもし彼らがチョムスキーと同時代に生まれ言語学を志していたらチョムスキーを出し抜いてあのような文法理論創造できたのだろうか。漢字世界白川静みたいな業績を打ち立てることができただろうか。丸山真男のような戦後思想史巨人になれただろうか。

理解力は結局脳の処理能力という量的な要素に還元されるものに思われるが、理論創造というものはどのような分野にしても大胆なひらめきがものを言い、これなるもの量化などもちろんできない、一種特殊能力なのではなかろうか。

数学はむしろ知見が論理的に緻密な状態でに充実に蓄積されているのに比べ、他学問の知見は相対的には雑駁というかなんというか、とにかくそういったところから新しい理論を考え出すのには数学以上に何かアクロバティックな部分が必要にも思える。

コペルニクスだったか海上水平線帆船が見えなくなる事実から地球が丸いということを歴史最初に悟った人物らしいが、彼のような発見は彼より多くの知識を持った、つまり理解している天文学者には出来ないはずだと朝日新聞の轡田だかい論説委員の本に書いてあったと思う。

本当だろうか。現代数学者がその時代に生まれても無理だったのだろうか。でももしそういう発見という意味での知性が特殊な力なのなら、ここは素直に認めておくべきことなのかもしれない。数学者こそ昔の偉人発見した事実ベース論文をしたためることができているだけで、彼らがいなかったらならば今のような仕事はまるでおぼつかないものになっていたかもしれない。

ただしコペルニクスデカルトみたいなあの手の啓蒙思想の潮流で偉人扱いされている人がもしも今生まれたら、史実でその発見をしたときインパクトと同じぐらいのインパクトを持った発見ができるのだろうかという疑問はある。

しかしできないのだとしてもそれは役割問題なのだということになるんだろう。コペルニクスにはその特殊能力をもって彼にしかできない発見をしたのだし、現代数学者も彼らの理解力をもって高度な論文を発表している。それでよしとするべきことなのだろうか。19世紀から20世紀イギリスでは優秀な人間天文物理学に行くものだという常識・慣習があったのも引っかかる。

学者としての優秀さというのは最終的には理解力のような計り知れるものではない、ひらめく力・直感センスで決まると認識があった証左なのだろうか。

そうであるなら私についてもまだまだ人生これからで、数学以外の学問でひらめきを発揮する道はあるのかもしれない。

そうだとすれば劣等感を抱く前提条件も崩れ、数学者一般に知られていようといまいが気にする問題ではなくなってしまうはずであるけれど、ここまで掘り下げて考えてしまったので、まあそれはそれとしてこの疑問は解消されるまでことあるごとに私を悶々と悩ませるには違いない。

まあそれでも既存知識理解することにおいては絶大な才能があること、つまり学者がどんな難解な理論提唱しようがたちまち理解してしまうという意味で、あらゆる人に対してタイムラグはあるにしてもそれを無視した見かけ上はどちらの方が物事をよく理解してるかということについては遅れを取ることがないという点にはやっぱり羨やむものあるかなノー勉東大に受かる素質というのも素直に?率直に?畏敬の念に駆られてしまう。

dorawiiより

2022-11-17

歴史勉強とか普通に好きなんだけどこれなんの価値も産まない無駄行為なんだよな…

大学時代専門分野の思想史とか成り立ちの歴史結構読んだ

普段本買わないけど図書館で読んで面白かった思想史の本も買った

 

今はIT系で働いてて技術の成り立ちとか調べるの結構好きなんだけど

APPNETや半導体がどうやって作られたのか知っても俺の技術はなに一つ上がらないんだよな…

歴史って面白いだけで本当役に立たんよな

2022-06-23

思想歴史狭間

 研究の専門を問われると、答えに窮する。一応、思想史をやっているのだが、思想史というとよくわからない。そこで簡便のため、歴史をやっています、と答えることもある。しかしこれこそ、全く間違い千万自称である日本史研究として自分研究を認めてもらいたいと、何度も歴史学系の雑誌論文投稿したが、一度も採用に至ったことがない。査読結果に書いてある不採用理由簡単である。僕の論文はあまり思弁的すぎて、実証性を欠く、というのだ。この指摘は、思想史立場にいるものにとっては、非常に頭の痛い指摘である思想史の分野では、あまり事実の羅列に過ぎて、思弁的でないということが批判対象となる。思弁的な論理合理的に組み立てることに研究論文の眼目がある。これが、歴史学と真逆なである

 思想とは、人が思ったこと考えたことであり、思想史とは、人が思ったこと考えたことの歴史であるしかし、人の考えたことがそのまままるっと資料に残されていることなどまずない。大著をいくつもものした人であっても、そこに書かれていることに矛盾があったりすると、その人が何を考えているのか途端にわからなくなったりする。一つ一つの概念時代によって、また人によって意味が異なり、それをどのような意味で用いているのかを確定するには手間がかかる。そして、そうであるからこそ、思想史研究の叙述は思弁的にならざるを得ない。単に書かれていることではなく、書かれているものと書かれているものとの間の関係、書かれた時の状況などから総合的にその時その人が考えていたことを明らかにするからだ。新しい資料を積み上げて細かく実証しても、矛盾と不整合が増えるばかりでどこにも辿り着けなくなってしまう。ここが、細かく明らかにすればより解像度が上がる歴史学と、思想史学とが決定的に異なる部分だ。

 だからといって、思想史学が歴史学でないというわけではない。人の営みを分析するとき、どのような政策が出されたか、どのような契約が行われたか、何について合意たか、といったことを分析すれば、人の営みの歴史はわかるが、なぜそれらの人々がそれを行ったか、ということについては十分に明らかにならない。たとえば、資料を発掘すれば、太平洋戦争期に戦争協力をした人などいくらでも新しく発見することができる。しかし、その事実いくら指摘しても、なぜその人たちが戦争協力をしたのか、どう考えてそれを正当化したのか、あるいは正当化せずとも正しいことのように考えているように振る舞ったのか、ということについては、何もわからないのである。何の思想史分析もなしに、その人たちは国に騙されたのだ、とか、ファシスト的心性を抱えていたのだ、と断じることは、客観的見方ではない。なぜ戦争協力をしたのか、ということについては、一人ずつ、その人の生きてきた人生、書いてきたものを取り上げ、分析し、その人の価値観優先順位、置かれていた状況、表現戦略といったことを、コツコツと吟味していかなければならない。その時に取り上げる資料がすでに広く知られていたものであったとしても、その資料から思想を読み込んでいくという作業がそれまでなされていなかったというのであれば、その研究には新規性があり、意義があるのだ。あるいはその場合、たとえば検閲弾圧があったり、出版事情が悪かったりして、かえってその人の考えを示す何の手がかりもないということがあり得る。それでも、ある人の思想総体的分析するという場合は、合理的範囲でその人の考えの範疇を示すぐらいのことは、しなければならない。そうした思想史分析を、実証的でない、と切り捨ててしまえば、いつまで経っても平板人間理解しか歴史の中に生まれない、ということになってしまう。

 さらに厄介なのは思想史分析の結果が、概念だけ取り出すと、既存研究との違いがわからない、という場合である。たとえばある歴史上の人物Aが主張したXという概念重要だったとして、当然様々な歴史研究はAはXを主張した、と論じる。そして、思想史研究がそのXについて分析し、それはこれこれこういうXであった、と論じたとしても、その研究を遠目から見れば、やはりAはXを主張した、という論文に見えてしまうのである思想史研究者の間では、「これこれこういう」という、そのXに至りそれを規定するところの論理重要になるわけだが、歴史研究者には、その論理の中に何か新しい資料だとか、裏付けるこれまで知られていない資料だとか、そういうものが入っていないと何が新しいのかわからない。AはXを主張したという歴史事実に変わりはないではないか、というわけである先の戦争協力の論理で行けば、いかなる理由があれ、結局皇国日本肯定して戦争協力をしたではないか、というわけだ。それで結局、その「これこれこういう」という論理の部分が思弁的で実証的でないと歴史研究者に批判されることになり、思想史歴史との間の溝はますます深まるばかりなのである

 これは研究分野、手法の違いということで、仕方ないことなのかもしれない。だが、だからと言って思想史研究新規性学問無意味だということにはならない。全ての人間行為にはその人の思想が伴っているからだ。

* * *

 以上のことは全てイチャモンである。僕の思想を表したものではない。実際のところ、僕に宛てられた「思弁である」「難解である」という査読結果は、「お前の論は一貫しておらず破綻しているのでまず論文になっていない、小学生からやり直せ」という意味であるから、変に解釈して大きな敵と戦わないようにしたい。論理シンプルに、証明実証的に、新規性は明快に。それに沿ってたくさん書けば、評価も頂けて、就職もできるというわけだ。僕にはできない。せめて諸賢の憐憫を乞う。

2022-05-31

野生の思考とシンウルトラマン

【シン・ウルトラマンネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】

 

 

 

 

 現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。

 ところで、その感想叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの

 別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロース名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミ言葉ネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味考察をちょっぴり披露させてほしい。

 

 

 

 

●要約と見出し
①『野生の思考』を超要約すると「いわゆる”文明人”の思考と”未開人”の思考根本構造的な違いはないよ。つまり両者の思考のものに優劣はないよ」だよ

 

 

②ザラブ、メフィラスは地球人類をいわゆる『未開人』と見ていたよ。ゾーフィもたぶんそう。

 

 

③『野生の思考』がリピアくんあるいはこの映画に与えた影響は不明だよ

 

 

 

 

①『野生の思考』(クロード・レヴィ=ストロース/1962)

 1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学思想が「西欧文明における思考と、アジアアフリカ中南米の未開文明思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術文化の面での進歩史観優越感、啓蒙思想資本主義と結びついて植民地主義覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身人類学レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想もつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。

 

 

 内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義特に西欧文化を中心とする思考科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。

 「文化構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているか研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。

 

 

 「野生動物思考方法」みたいな生物学の本ではない。

 

 

 

 

②ザラブ、メフィラス、或いはゾーフィの考え方とは

 ザラブにしろメフィラスにしろコミュニケーションの初手は「自分科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感無力感……謂わば絶望によって人類心理的支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。

 

 物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷植民地後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。

 宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。

 使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマン意思感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステム自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。

 そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。

 

 

 逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。

 しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類歴史悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン

 

  

 自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったかなのだ

 

 

 

 

レヴィ=ストロースウルトラマンにどれだけ影響を与えたか

 結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。

 というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがピアくんの人格形成思想信念の確立寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロース思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。

 そもそもピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。

 

 

 文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。

 

 

 

 

結論

・『野生の思考』という本は生物学ではなく文化人類学の本だよ

・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ

・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ

以上

2022-03-24

ゼレンスキー人類平和理念をまとめ上げた功績が大きすぎる

ゼレンスキーまりにも偉大過ぎて政治家としてでなく人間思想史においてもひとつの転換点になりそう

戦後国際的な年紀法をゼレンスキー以後ということでAZにしても良いと思う

2022-01-22

anond:20220122003031

英文学既存人文学だけど、そこに沢山カルスタが入り込んで変質した。

科学思想史というか科学技術社会論という分野があるけど、これは、カルスタ人文学に対してやったことを理系相手にやろうとしたもの。でも、科学人種とかジェンダーで結果が変わらないから、あまり影響力はない。

BL研究カルスタのものでしょう。

2021-11-22

anond:20211121195115

後世の思想史の流れの中では無視されてしまうかもしれないが、小林よしのり日本人に与えた害悪は本当にひどい。停滞した30年の一因は彼にあるかもしれない。

2021-10-20

anond:20180506185019

経済系って古典読んで思想史を追って初めてどう研究されて、どう理論提唱され、どうそれが検証されてきたのかってのが掴めるようになる感あったなあ。

マクロミクロ理論だけ覚えていっても無味乾燥で頭の中で繋がりが掴めないというか。

レポート論文書く時に原典当たらないのもよくないし。

まあ大学図書館に大体全部あるだろうけど、単純に古典との接触機会が減るのは良くないわな。

目に入ればふと興味が湧くこともあるだろう。

2021-10-04

anond:20211004002946

大事もっと言ったれ。

でも、その論拠ってヨーロッパ思想史に負うところが大きくて、日本で万人に、理屈なしに浸透させられるかは常に気になっている。

でも、俺はそうあって欲しいと思っているよ。

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