はてなキーワード: 少女とは
1.加害妄想について
加害妄想とは、自分が相手に不利益を与えてしまう・しまったという妄想だ
言葉による暴力、振る舞いによる加害、自己臭や自己造形とうの不快なものを与えてしまうという迷惑
「こんなことをしたら嫌われてしまう」「こんなことをしてしまったから、きっと不愉快に思われている」
一種の自意識過剰だ
それと同時に、過剰なそれは対人恐怖をも招くことになるだろう
加害妄想を持つがゆえに、人に接する時の自我をとにかく綺麗にしようとするのだ
誠実で、正直で、優しく、思いやりがあり、等々
そして、自分の素の部分を隠して接していく
そうした人ばかりだから、表面上だけをなぞるような人間関係が氾濫する
3.加害妄想を持つ人の原因と結果について
では、そうした人達はどの様な形で人と関わる欲求を解消しているのだろうか
Twitterやmixi、ニコニコ動画や掲示板、モバゲーはてなといったSNS的なもののことだ
それと同時に、サービスから離れることで緊張化した人間関係を破棄することが可能だからである
この2つを利用し、時として自分を守り、時として対人接触欲求を満たすことが出来る
ここにおける問題は、「人間関係全てをネット上だけで賄えない」という事である
そして、目の前に相手が居るような直接的な人間関係において必要な対人スキルはネット上の人間関係では育まれない
なぜなら、ネット上では理想的に振る舞え、逃げる事が可能だからだ
そうした環境であれば、互いの主張や要求の対立が生じる事は少なく、生じても逃げることで回避する事が出来てしまう
相手に踏み込む経験の少なさによって、相手に踏み込む事への不安が発生する
その不安を正当化するために、「自分は相手を不快にさせてしまうから踏み込まない」という加害妄想が発生する
もちろん、実際に不快にさせてしまった=加害してしまった事はあったのかも知れない
しかし、そうした経験がなければそもそも相手との距離感の測り方は、対人スキルは育たないのだ
4.終わりに
ここは本筋とは関係ないが
名家に生まれた彼女は生まれつき大人に囲まれて過ごすことになる
それにより、幼い頃から礼を尽くす事を強いられ、他人に踏み込むという経験が欠如する
また同時に、名家ゆえの敵の多さから自分を守るために悪態を吐く事で距離を空ける行為を繰り返す
そうした自分を恥じて、「人と真っ当に関われるようになるまでは一人でいる」と実家を出て集合住宅で一人暮らしを始める
そこで、夏目残夏という人物に「人と真っ当に関れるようになるには、他人の中で傷ついたり傷つけたりする必要がある」と指摘される
あれからtwitterなどを経由してKanon問題とかいうのを中心に
いままで知らない世界をまわったりしてずっとモヤモヤしてたのだけれど、これですごくすっきりした。
あくまで個人的には、だけど。もちろん違う人の意見は尊重する。
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-183.html
回想や思い出から若くして青春を捉える思考法って、なんか人生まちがっていると思うんだけどなぁ。そりゃあ、老人の人生だ。
この物語は愛する人の死によって、愛することの大切さや命がけの愛があぶり出されるわけなのだが、
私はどうもドラマという虚構に、死という壮絶さはいまいちフィットしないと感じるというか、虚構の死には没頭できないようになっている。
われわれは「虚構の埋没」を笑った世代である。
愛の別れはせいぜい空港どまりだった。いまの世代は虚構に埋没して、冷めた距離をおかなくなっているのだろうか。
死を笑ってはならないという神聖不可侵性を、物語にあたえるのである。
たしかに軽薄で、深みのない物語はもうたくさんだという気もするのだけど、
感動をつくれるからといって、死を乱発するのも問題だろう。
あくまで私はこれで納得した。
その上で、ゲーセン少女を素晴らしいと言ってる人の感覚をあえて理解しないことに決めた。
これでもう決着。
結局私は自分自身がどう思ってるのかがちゃんと言えれば満足だったわけで、
他の、自分と違う考え方をする人には興味なかったんだ。残念だけれど。
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。
161 ほとんどコピペ :2011/02/24(木) 03:29:45.26 ID:q32K6zHQ
BRIGADOONまりんとメラン:主人公のマリンとその周りの人達が送る心温まるストーリー!!
serial experiments lain:内気な少女がネットで暴れまわる!!時代を先取りした爽快SF作品!!
今、そこにいる僕:剣道少年がいきなり戦場に!?痛快アクション!!
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連日ごくごく限られた範囲でもめている「ゲーセン少女」問題です。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4077578.html
私はこの「ゲーセン少女」をみて、はじめて「まおゆう」にたいして憤っていた人が何に腹を立てていたのかと実感した。
フィクションだからではない、実話をフィクションだといったからじゃない、そこに「タチの悪いウソ」を感じた人がいたという話なのだ。
ただ、私は彼らの指摘を呼んだ上で、まおゆうは素晴らしいと思ってる。
彼らの指摘は間違いではないが、些細なこと、後で考えればいいや、という程度に受け止めた。その問題は私にとっては作品の是非を損なうほど重要度が高くなかった。
私にとって重要な部分については許容範囲内、しきい値内に入ってたということだ。
ところが、「ゲーセン少女」に対しては、私はただのウソじゃなくて、「タチの悪い嘘」を感じたわけだ。
ところが、まおゆうにおいては私がそうだったように、「感動したんだからいいじゃん」とその部分を許容出来る人もいるのだ。
このあたり、人によって、作品によって立場が変わる、完全に相対的な話なのだ。だから、肯定する側も否定する側もお互い好きにすればいい。
その前提に経つと、こういう記事は非常に遺憾である。ああもちろん島国大和の記事はこれに輪をかけて不快だけど、不快すぎるので引用しない。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20120122#p1
こういうのをハックル的行為と呼ぼう。読みの独占を主張したり、優劣をつけようとする行為のことだ。自分のブログで自著のアフィリエイトまですると芸として昇華されます。
自己の読みを、主張を正当化しようとするあまり、絶対化しようとするあまり、他者に攻撃的になる、他者をバカにしたり憐れむようになる。
僕は最近、「よくできたフィクションを消化し、必要な栄養分だけを自分に取り込む力」が、どんどん失われてきているのではないか、と感じているのです。
fujiponさんは、ハックルさん公認のハックルさん嫌いである。
そのfujiponさんが、よりにもよって自分が散々批判していたハックル的行為をするというところに、読みというものの相対性が伺える。
他人が自分の気に入らないよみをしている。しょうがないじゃないか。相対的なものなんだから。
自分の読みのほうが良いと思うなら、自分の読みを相手に提示してどや、でいいんです。
空中戦はやめよう。直接のよみじゃなくて、こういう「・・・はいかがなものか」ってメタな領域で戦うのはNOTHANKYOU。
そういうのは文学部の人間が文学部の中だけでやってればいいんです。それを極めると内田樹のような人間になるということを覚悟した上でね。
あかん、この話については語ると必ず争いに入り込む仕組みになってる。ブラックホールだ。話切り上げよう
よーするに何がいいたかというと、自分はこういうふうに読みました、だけ書いてりゃいいんです。
結局そのナマの部分の蓄積がモノを言う。最初からメタメタするのはつまらんからやめてくれ、と。
読みに対する批判合戦はやめて、作品と向きあえ、と。
最後にこれ聞いて終わり。「ゲーセン少女」は、その周りの感想記事に向きあうより魅力的な作品だったか?
作品周りの方が面白いのだと思ったら、まぁそういうことだ。
http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20120121/p1
むちゃくちゃ同意。
人の笑いや泣きがどれだけ簡単に操作できるかについては
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8905211 でも見れば一発で分る。
世の中って、感動屋の方が人を動かすことが多いのだよね。
というか、本当に
・「嘘だとかって言う前に感情が動くほうが人生充実してない?」
・より多く感動した方が素晴らしい人生を送っているというのが正しいとすれば、我々の大半の人生はオウム真理教の信者よりもつまらないことになってしまう
こういう人多い。
で、こういう人が多く集まって、それが正しいのだって空気が形成された空間、プチ社会は本当に息苦しい。
私にはこれが形を変えた体育会系とか吉本喜劇のクソヒエラルキーのように、脳が酸素欠乏になればなるほど偉いみたいなドMの集団にしか見えない。
はてなは、そういうのが苦手な人が多いと思う。他人に笑顔を強いられるくらいなら自虐することを選ぶくらいそういうのが嫌いな人が多いと思う。
上の記事のような、ユーモアやアイロニーでこういう空気に冷水を浴びせる記事が人気になりやすい。
多くの人が批判記事を書いて抵抗の意思を示す。
ハイテンションな人がちょっと本気をだせば、あっという間に2500ブクマ越えを達成してしまう。
ゲーセン少女など可愛く思える、病弱な少女を酷使して死に至らしめておいて、泣けばすべて許されるという初期ケータイ小説的な道徳を描いた虐待推奨小説が300万部のベストセラーになることを止めることはできない。
ハイテンションな人の熱狂には結局勝てないのだ。
その理不尽な現実はますますはてな民を苛立たせるが、早いところ受け入れざるを得ないのも事実だろう。
頭が冷えているときは、「人と人って簡単に分かり合えないよね、というか絶対に分かり合えないよね、みんな一人で生きて一人で死んでいくんだよね」ということと向き合わざるをえない。
そういうのは人気がでない。人気が出ないと言うか、あまりオススメしない。
特に今みたいに、支えとなるものが金くらいしかなかったのに金すらもない状態で、そういう訓練したことがないのにいきなり一人で向きあうのはむしろ危険だとすら思う。
ある程度みんなそれがわかってるから、すごくつまらないことでも共有して盛り上がってハイテンションにはしゃぐ。
とにかく泣く、怒る、やばいやばいと黄色い声で絶叫する。そうやってうすっぺらい経験を少しでも濃いものとして錯覚しようとする。
自殺しないで生きていくためにはこういう必死の努力が必要なんだろう。
そういうことを考えると彼らは彼らなりに生きるのに精一杯なのであって、愚か者といって批判するのもなんか違う気がする。
命がけではしゃぎまわり、群れようとする彼らには勝てない。
でも負けを認める必要もない。負けを認めて、彼らのルールに適応しようとして頑張ってモテ系の記事を読んでも、どうせ一度冷めた熱は上がらない。
日本人のうち9割はドMなんだ、でも僕はMじゃないんだ、体育会系ではないんだ、とはっきりとカミングアウトする勇気が必要。
意識して別路線を選ばないと、その自覚を持ってないと、生きるのが苦しくなる。
そんなことより今週のハンターハンターがめちゃくちゃおもしろくて生きるのが辛い
うわーそうきたかー。 蟻編とはなんだったのか、どころか、24巻あたりの伏線がこんなところで生きてくるとは。富樫神すぎるだろ。
追記
だから、私はその上下とか高低ってのがいやだから、横に広げようとしてるわけよ。ヨコのものをむりやり縦に考えないといけない病気でないならそこは理解してください。
H×H単行本はシリーズ累計5500万部でていてケータイ小説のトリプルミリオンなんか鼻で笑えるくらいハイテンションな人御用達コンテンツと思うけど。あたなが横と思ってるものこそ縦かもしれんぜ
系のツッコミありがとう。それについては一つ目のトラバの返信に書いてあるから読んでね♪
ハンターハンターを好きなオレは縦社会から抜けだしたヨコの人間だと主張するつもりもないし、どんなマイナーな作品が好きだろうが、それはただのマイナー好きです。
あと、文中でも述べているように、ハイテンションな人たちを批判するつもりは全くないんですよ。それどころか彼らの気持はよくわかるつもり。
私が言いたいのは、「ただそこしか居場所がない」という考えから抜け出したい、ということなんですね。
必要ならみんなで盛り上がっていい。 何かをきっかけにして、人とつながりあう感覚は時々必要になります。キャッキャウフフな人たちを批判するつもりなど毛頭ない。
分かりやすいように話をぐっと傾けると、「・・・してたら楽しかった!」が逆転して盛り上がることやつるむこと自体が目的化され、常態化されるような状態は嫌だってことです。
これずっとやってると感情が薄まるんですよね。良い方向でも悪い方向でも自分の頭が麻痺してくる。
形的的を追い求め過ぎて、外からみるとリア充だけど中身は・・・って経験は誰にでもあるでしょう?
・・・と、ココらへんまで話を傾ければ誰にでもわかってもらえるとは思うんだけれど、私がいいたいのはそこまで傾けない状態のことです。
ここまで極端な話をシなくても、もうちょっと手前の微妙なところで、しんどいって言うくらいはいいじゃない、と思うんですがどうでしょう。
単純に言えば、あんまり周りに振り回されずに、好きでないものや、必要でないもの、必要でないタイミングにはNoという。
その代わりに好きなものやここだというタイミングではワッと楽しみたいです。感情を濃くしたい。そんだけ。
追記2
反応が帰ってくるのは予定していたとおりだけれど、内容は予想以上。我ながらナイスアシストができたと胸を貼りたい気分。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120124/1327388248
彼がまともな記事を書くと、普段の彼とバッティングするというのが非常に味わい深い。
私はこれからも岩崎さんの綺麗な面を際立たせるような、彼がまともな記事をかけるような問題提起をしてきたいと思います。
今回は、直接作品について、しかも悪口の形で触れてしまったのである意味反則です。
そうではなく、岩崎さんの正義の心を激しく揺さぶるようなテーマを提供していきたい。
最近岩崎さんはスランプらしく、自分で考えて記事を書くことができないみたいなので、みんなもアシストして行きましょう。
あと非常に悲しい誤解があります。
またぼくの悪口がはてなに書かれていた。
私は岩崎さん個人は大好きですよ。
大事な決戦の前夜、兄貴分のカミナと反乱軍の少女ヨーコがキスしているのを目撃してしまう
翌日の決戦で操縦に不調をきたし、フォローに入ったカミナ機が身代わりに撃破されてしまう
…というような話をやっておいて、
シモンはその後ヨーコに対して一切興味を示さなくなる
故意に避けるようになったとかではなく、片思い設定自体が掻き消える
ヨーコに横恋慕したせいでカミナを死なせてしまったことについて後悔や疚しさも持たず、
「俺が臆病なせいで兄貴を死なせてしまった」ぐらいの鬱屈で総括してしまう
いったい何の為に三角関係描写を入れたんだ?
ヨーコというキャラもこれ以降は役どころが宙ぶらりんになり、
後から入ってきた新ヒロインと「反乱軍のアイドル」の座をめぐって争ったりした後は
「終盤で別の男にキスをする→やっぱり直後に男が死ぬ」というギャグぐらいしか見せ場がない
逆に異常にヨーコを避けるようになるとか、
ヨーコにもどこかでそれに気づかれて怖がられるとか、
「まさかカミナをわざと殺したの!?」と言われるとか、
くっつくけど内心で憎みあってるとか、
そういう展開をやらないなら嘘だろうに
何の解決も無く関係解消
本来なら一度キツい意味でヨーコと対決しなければいけなかった筈が
なにしろシモンは「兄貴~」と言ってるだけで既にヨーコには一片も執着してない
お姫様はヨーコの幻影と戦う必要がなかった
結局お姫様はシモンの隣に座ってとぼけたことを言ってるだけで、
アホさに癒されたシモンが復活するという、
せめて後年、大人になった後でシモンとヨーコが過去のこととしてこのあたりの話を交わすかと思いきや
そういうのすらなんにもない
アホみたいな奴が「ちゃんとやれよ!」「お前ダメなんだよ!」と怒鳴りつける以外に
金田伊功フォロワーのコミカルで景気のいい作画が得意な人だそうだ
ああ、いかにもそんな感じ
というまとめが話題になっているけど、創作だろ、事実だろと言い合っているのもちらほら見られた。
個人的には、創作だろ、と思って、それゆえに途中からスクロールして結末読んだ。
たぶん、ちゃんと読んだら感動するんだろう。
なので内容については批判はしないけど、創作を事実として提示することについて感じたことをメモっておきたい。
もちろん、
創作だと分かっているよ、その可能性はあるだろうよ、でもさ、別にいいじゃん、書いてある事が良ければ
という意見があることも分かる。本当はどちらかというと、そのポジションでありたい。
「別にいいじゃん、書いてある事が良ければ」よりの考え方である根拠について。
昔、4日間の奇跡という小説を読んで文章あまり上手くないなあと思った。でも、最後まで読んでちょっと泣いた。
創作でも、文章や構成が甘くても、表現しようとするものが確かであれば評価されるべきだろうと思う。
2chまとめでも、イラスト描くようになって同じ趣味の彼女もできたけどイラスト勧めてくれた親友が亡くなった話とか、
風俗嬢を好きになって親友と一緒にAV出演の契約をさせられようとしている窮地を救う話とか、
ああいうの読めるし、いい話だなーって思う。でもゲーセンは読めなかった。
たとえば、あの話の導入部分で違和感を感じた箇所が二点あった。ちなみにこの違和感は4日間の奇跡の文章に感じたものに近い。
一つは、少女と喫煙所で会話をするシーン。もう一つは、イラストと口にした途端、少女が暗くなるというくだり。
細かくは書かないけど、どっちも不自然だった。(そしてそれ以降スクロールした)
些細かも知れない。でも自分で小説書いた事ある人なら分かると思う。
登場人物の立場だったら、どういう振る舞いが自然か、自分の好みやご都合主義が混ざってないか推敲する。
作者の偏好や、その状況の想像不足、物語の展開のため仕方なく不自然になってしまったシーン。
創作ならその不協和音を作者の稚拙さということにして、読み進められる。
ん?ここ作者の個人的な好みで展開しているよねってことも、その作者の傾向として許容できる。
だけど、それが現実にあったこととして語られると、その不協和音はどこで解消すればいい。
事実と言われれば受入れ難い展開も「事実なんだから」と否定できなくなる。「事実」にはその強要がある。
あの話は不協和音の方が強すぎた。その不協和音は事実というの名のもとに感性への受け入れを強要し、受入れ難いあまりに拒否感を起こさせる。
創作と知っていれば、作者の個性や技量ということにして看過することができたのに。
「そうとは言ってもあれは創作」と鷹揚に構えられないのは神経質なだけと言われればそれまでだが。
まあでも、他のまとめを押しのけてああいうのが盛り上がるのは、ギリギリ有り得ない感だからこそかも知れない。
http://anond.hatelabo.jp/20120120122926
誤解があったようだ、済まない。
私はあの話全体は男の夢だと思ってない。
というかあの話みたいな女がリアルにいたらむしろ引く。病弱な設定とかイラね。
あくまで私がロマンを感じるのは「ゲーセンで不思議な少女と知り合う」というシチュエーション。
ゲーセンに彼女をつれていったことはあるけれど、まぁそこそこ楽しむか、下手するとあんまり興味ないって感じなんだよな。
自分がはまってるゲーセンという空間を、同じようなテンションで共有できる女の子ってのは憧れる。
まぁ「女の子との友情」に憧れるってことだと思ってもらえればいい。
ペルソナ4とかやってると時々壁殴りたくなってくるわー
女は売り物である事を早めに自覚して受け入れられないと、今の時代、女の子は幸せになれないと思う
20代前半まで、女を売り物にする事に嫌悪感を抱き、少女のままでいたがった自分はなんて馬鹿だったのだろうと後悔している
女が売り物である事に気がついてから受け入れるまでには、それ相応のタイムラグがあるから、早めに気がつくのも良いのではないかな
特に最近は、ロリコンが嫌うような小学生向けのお洒落もあるじゃない
ひとつ前のTBが指摘しているように「精神病」としてのペドフィリアは社会情勢と関係なく以前から存在しているが、商業主義による「性的対象の低年齢化」は確かに戦後日本独特の社会現象だった。「幼い」「成熟していない」ことが性的アイコンとして『メインストリームで』もてはやされるようになったのは日本における「アイドル」という概念の誕生と時を同一にしている。テレビの中の「成熟していない」少女に欲望を向けることに慣れた男たちが現実世界においてもその欲望を露わにしていく過程を「焼畑農業」と呼ぶことはさして間違いではないし、そこから戦後日本社会の病理を読みとることも可能だがそんなことは宮台先生あたりに任せておこう。サブカルチャーにおける「戦闘美少女」の誕生とその一つの達成点としての冲方丁と桜庭一樹に関しても、ここでは言及しない。
重要なのは「焼き払われた」少女性をどうとらえるかだ。男性の欲望がより低年齢へと向かい、彼女らが「私は女であり、女は売り物である」という自覚を低年齢で持つことが社会的に/倫理的に悪なのかどうかという判断はここには示されていない。もちろん女児に性的欲望を向けることをためらわない男性/そのような男性が存在する社会は危険である。だがそのような現実を自覚したうえで、彼女らにどう「武装」を施すかが、母親としての責任でもある。ジェンダーに関する教育はそのあとでいい。もちろん元増田が自分の中の「焼き払われた」少女性を自分の娘に肩代わりさせたいのだ、というなら止めはしないが。
小児性愛なんて紀元前から存在する代物だし、江戸時代には裕福な商家の妻女が男児や少女を囲うという逸話も結構残ってる。
それを心配するしないは単に個人の価値観の問題なだけで、いちいち一般化するような事柄じゃない。急激に増えたように見えるのだとしたら、当人の視野がそっち方面に急激に広がってるってだけだよ。
世の中には真性ロリコンと代替ロリコンが居て、数的には代替ロリコンの方が多いのではないかと言われている。
■女児8人にわいせつ 無職の男「成人女性と交際できなかった」
大阪府警西堺署などは11日までに、5~10歳の女児8人の体を触ったとして、強制わいせつなどの疑いで堺市西区の無職男(28)を逮捕、送検した。
逮捕、送検容疑は2010年2月~11年6月、堺市や同府高石市で女児に声をかけて胸などを触った疑い。
西堺署によると、町田容疑者はマンションの階段やエレベーターなど周囲に人がいない場所で女児に声をかけていた。「成人女性と交際できなかった」と話し、容疑を認めている。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/11/kiji/K20120111002409340.html
■ロリコンの動機
宮崎勤氏は日頃から少女に拘っていたのではなく、グラビアアイドル誌や『若奥様の生下着』とか読んでいたわけですが、犯罪対象は少女だけだったわけです。
このように、日頃は少女を求めていなくても、いざ思い切ったことをする場合には少女に拘る男も居て、それを『潜在ロリコン』と名付けておきます。
http://theendou.adam.ne.jp/lib/b12/b12-2.htm
こういったケースの増加への警戒心ではないかな。
読後感として「はあ、何見当違いなこと言ってんの?」かな。
まるでロリコンという病理がここ2~30年で形成されたような口ぶりだけど。
純粋云々という言い訳をする輩もいるかもだが、あくまで少々の後ろめたさに拠るため。
残念でした。
おじさま率の高い会社組織というものに、新卒22歳のOLが入ってくると、それはもう大人気になった。
彼女たちはチヤホヤされることで己の価値を知り、より高値で自分を売ろうと画策し、当然の権利として高価なデートを求めるようになった。
そうなると男性たちはその小賢しさに辟易し、「女子大生ってピュアだよなあ」と思うのだ。
男子大学生はお金を持っていない。彼らと付き合う女子大生は、安価なデートに慣れている。
同年代に囲まれているから、自分の若さに価値があることにもまだ気付いていない。
だから社会人からちょっと高価なデートをしてもらえると、「同い年の男子はこんなことしてくれない」と目を輝かせる。
男性たちは新卒OLより女子大生の方が安く買い叩けることに気付き、女子大生ブームが起きた。
ブームになると、女子大生も自覚する。私たちは女子大生という最高のブランドを持っている価値ある存在なのだと。
そうなるとデートへの期待度も上がり、よりお金持ちでイケメンな男性と付き合いたいと考えるようになる。
男性たちは女子大生が値上がりしてしまったことに気付く。そして起きたのがコギャル(女子高生)ブームだ。
以後は繰り返しだ。女子高生が己の価値に気付いて援助交際し、大金やブランドバッグを手に入れるようになると、
「あいつらも自分の価値に気付いてしまったのか」と、男性の目線は「JC」へと降りていく。
しかしニコニコ生放送でJCたちが人気生主として注目を浴びるようになると、自分の価値をわかっているJCが増え、
JCも既にピュアでは無くなったのかと悲観した男性は高学年JSに向かうが、高学年JSも高学年JSでオシャレに目覚めており、
高学年JS向けファッション誌には「かっこいい同級生男子から注目を浴びるファッション」などの特集が組まれているのだ。
若い女の子の持つ素朴さや素直な心は、男性たちに「この年代は安く買い叩けるんじゃないか」という目で見られることによって失われてしまう。
OLは焼かれ、女子大生も焼かれ、女子高生も焼かれ…女の子は「私は女であり、女は売り物である」という自覚を低年齢で持つことを迫られるようになる。
より自分を高く買ってもらうため(できるだけ高収入で性格のいいイケメンと結婚するため)、
占領下における兵士のレイプ問題への対策として慰安所を設けるという考え方。
レイプは軍規違反だが、(所属した隊の気風にもよるが)多発していた。
戦闘活動などで、危機にさらされる状態が続くと、人によっては性欲が高まるのだろう。
日本側も敗戦後、大陸に居た日本人はロシア兵から、 国内ではアメリカ兵から、
広範な規模でレイプ被害をうけている。
・身内に売れらた人間(当時の時代背景においてはめずらしくない)
・ブローカーに騙された者
・完全に占領下におかれた際に、兵士にみつくろわれ、ブローカーに引き渡された例
強制性を訴える者においても、親による児童売買、ブローカによる騙しがその大半。
完全に占領下におかれた地で、村の娘を連れて行くような行為はあった。
兵士が関与している例は、軍全体の規模ではなく、あくまで兵士個人の腐敗だったと言える。
悪質な業者の取締りは一部に留まり、このように、手段を問わず女をかき集めて成り立っていた
慰安所の実態は黙認されていた。
(袖の下を受け取って見逃す図式は 現代の性産業と警察の関係と一緒)
余談ですが、
性行為に不適切な生理前の小学生程度の子供を使っている慰安所を黙認し
(原発やくざがピンはねするように)当然、給与のピンはねもありました。
酷い事例だと12才で連れて行かれて昼夜を問わないレイプ下におかれた上に
ブローカーに中抜きされて、手元にお金は届いていなかったという例もあります。
そのように占領側としての立場を使って、幼女に性行為を働き、悪質なブローカーから
リベートを受け取って見逃してきた人間は糾弾されるべきでしょう。
占領下のレイプを防ぐために慰安所を半公認で許すというアイディアは間違ってないと思います。
ですが悪質なブローカーをコントロールできず、プロの大人の女性による淫売業だけにできず
結果として、“性奴隷=慰安所=日本軍”という最悪のイメージを流布することに
なってしまったのです。
その質を管理できないのであれば、慰安所を認可するべきではなかった。
管理面における政策的失敗なのです。(戦争中という危機下で手が回らなかったとも言えますが…)
韓国、中国の方々は、自国のブローカーが果たした役割を認識し、そのような経路で財を獲得した人間を、
徹底して糾弾すべきですし、ひいては現在の国内がかかえる人身売買の問題撲滅の契機とするべきです。
日本国内でも、<軍規にそむいたレイプ>や、幼女の慰安婦の黙認、袖の下をうけとり悪質業者を黙認した等
慰安所のうまみをなめた人間を裁いてほしいと思います。(もうほとんど死んでるでしょうが)
問題の所在をあいまいにしたまま、なあなあでごまかそうとしてきたために、
当時を知っており、責任の一端を担う人々がほとんど生き残っていないということが
もはや解決を限りなく不可能にしてきたのですね。
「売春婦に自発的になりたいと思う人間はいない。それは貧しさや女性差別を背景にしたもので本人の責任ではないのだから、元売春業の女も、占領下の村で兵士によってブローカーにひきわたされた幼ない少女も、平等な補償をうけるべきだ。」などという詭弁を弄してきたことだと思います。
ニュース更新頻度は、まあ普通レベルな印象。今のところオリジナルの企画としては、インタビュー記事が多い。(だが角川系レーベルへのインタビューができていないので、今後はMF文庫Jのインタビューもできなくなる可能性も?この辺りは「このライトノベルがすごい!」あたりと事情が重なっている?)
今までのニュース更新を見ている限り、中の人のニュース更新スキルは(まだ慣れていないからか)中途半端な印象が強い。それにライトノベル全般の知識量も半端な印象があり、サイト構築に使っているブログツールの「WordPress」を上手く使いこなしていないようにも思える。せっかく「WordPress」を使っているのにスマートフォン対応用のページが用意されていないようだし。
あと正直なところ、単価が高いアニメ関連商品を除いて考えた場合、1冊の単価が安いライトノベルで商用サイトとして(Amazonアソシエイトだけで)儲けを出すことができるのか微妙ではないかと思うのだが、実際のところどうなのだろう?儲けが出なければ運営が先立たないので、長期間に亘る運営は難しいのではないと思うのが……。
どこかの小金持ちが趣味で運営されていることを期待して、それなりに長くは続いて欲しいとは思っています。
こちらもある意味では商用サイト的な存在。元「活字倶楽部」、現在は「かつくら」の編集部が運営されているブログ。
「ラノベニュースオンライン」と比べると商売気がかなり少なく、雑誌「かつくら」を作る上での情報収集的なログみたいな印象が強い。その分、長く安定して運営してくれるようにも感じる。
情報はかなり多め。ただし少年向けライトノベル以外の情報も多く、というか少女向けのライトノベルの情報や、若い人に人気の高い作家の情報なども多いので、少年向けのライトノベル情報だけが欲しい人には、やや不向きなところもある場合も。
しかし現在のところ、更新頻度は高いので、チェックしていて損はないところだと思います。
ライトノベルの公式サイトの更新情報を見るだけであれば、便利なところ。
ニュースの過去ログはないみたいなので、情報を遡って探すというのには不向き。
ブログ的にはライトノベルのニュース専門でもないようだし、情報収集や更新も不安定なところがあるので、今のところは微妙な印象。
更新頻度は高め。ただ公式情報というよりは、個人ブログやまとめサイトなどの情報経由でのニュースが多い印象。
最後にこちらを。
自分の中では、ライトノベルのニューサイトのスタンダード的なところでした。安定したニュース更新、シンプルな記事構成、他では取り上げていない公式サイト外からのニュースを見つけてくる情報力の高さなど、ライトノベルの情報を扱っているところとしては、トータルバランスの高さで隙がなく、非常に優秀なところでした。
ニュース記事のカテゴリー分けも細かく、はてなダイアリーの機能を上手く活かして運営されていたので、過去記事の一覧性も良く、便利で完成されていたところだったと思います。
下手なライトノベルの感想サイトのログよりも、大変貴重と思われるニュースログなので、是非ともプライベートモードの解除をお願いしたいところ。まだログの削除をしていないことを期待します。
長い間お疲れ様でした。
自分としては長く見ていた分、「気が向いたらのライトノベル週報」はライトノベルのニュースサイトとして完成度の印象に非常に強いです。
ページを開けば、数日分の何個かのニュース記事を閲覧できるシンプルな構成で見れましたし、カテゴリー分けがしっかりとされていて、レーベルごと、アニメ情報、ドラマCD、部数情報など、キチンと分かれていていました。
基本的にはシンプルな記事構成でしたが、何気なく「関連記事」や「関連リンク」情報も加えられていて、その記事で取り上げられていた作品や作者情報の中から関わりの深い最近記事などをピックアップしていたので、これらは他のところでは余りされていない付加情報でしたので、丁寧さを感じるある種の職人的な仕事ぶりだったと思います。
復活、または後継サイトの登場を期待したいところです。
http://anond.hatelabo.jp/20120103142318
http://anond.hatelabo.jp/20120103150939
女性が成人ロリコンに嫌悪感を持つのは、精神的・知的に成熟しているべき大人が自分のエゴで「母体死亡」に繋がるような危険な出産をさせたがっているように見えるからだと思う。
小説やマンガで、少女が大人になったことのメタファーとして初潮の表現ってたまにある。
「ツツツーって血が足を伝って流れて、女の子がショック受けて泣く」みたいなやつ。
でもあれって嘘ですよね。
初潮って、おしっこ拭いたらちょびっとティッシュに経血がつくくらいのごくごく軽いものなんだよね。
血が伝うほど量が多くなってくるのは1年~2年後くらいだったかな。
個人的な体験から言ってるだけだけど、小6の初潮から20歳くらいまではじわじわと重くなり続けた印象。
初潮後はまだ生理が軽いっていうのは、赤ちゃんを育てるためのベッドである子宮内膜を作る能力がまだまだ未完成ってこと。
妊娠能力ってそれだけ長い時間かけて成長し続けてるというわけ。
だから、自らの体験から初潮がどんなものか知ってる女はみんな、
「初潮=妊娠可能のサインなんだからセックスしておkなはず」というお説を聞くと
なんとなくいやーな気持ちになる。
こっちの都合は無視なんだな、って感じですよね。
そもそも、女子中学生は「最も繁殖にむいているであろう年齢」ではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%94%A3
10代という低年齢母による出産は、早産や早産に伴う出産時低体重などのリスクが高い発生率を示す。10代の少女の多くは、ホルモンバランスが整っておらず、母体としての発育が不十分な場合が多い。
10代の母の発達不十分の骨盤が出産時に母体、子供ともに危険を及ぼす医学的に示唆されている。そのため出産は帝王切開によって行われる場合が多い。発展途上国などにおいて十分な医療を受けられない場合、それは乳児の死亡、または母体死亡へ繋がりえる。
女子中学生を妊娠させる男は未成年だろうと成人だろうと許せない。
女性が成人ロリコンに嫌悪感を持つのは、精神的・知的に成熟しているべき大人が自分のエゴで「母体死亡」に繋がるような危険な出産をさせたがっているように見えるからだと思う。
未成年が未成年に欲情するのは「近くに居させられてるからしょうがない」「若いから若年出産の危険性を理解できていなくてもしょうがない」みたいな理由で寛容になりがちなのかもね。