はてなキーワード: ハイソとは
ご近所には鳩山会館や椿山荘などのハイソなところもあるけど、それとはまったく関係のない庶民。
土日は、鳩山会館目当てのゴスロリ甘ロリ・椿山荘に行くドレスアップ組・街ハイクのお年寄りがいり混じってカオスな状態になっているステキなところだ。
昨日静かにまどろんでいたところ、突然の騒音に叩き起こされた。街宣車。
大音量で軍歌を流し、拡声器でなにやら激高しながら主張しているが、何を言っているかわからない。
どんなにあの人たちがあそこで正しいことを言っていたとしても、誰も耳にとめないだろう。
騒音だと判断して耳をふさぐからだ。せいぜい「また迷惑なうるさいのが来た」くらいにしか思わない。
そんなこともわからないほど馬鹿なのか、騒音で気を引かないと聞いてもらえない情けない内容か、いずれにせよ傾聴するだけの価値はなさそうだ。
それ以前に気がつかなければいけないんだけど、鳩山さんはあそこには住んでません。
(16:17追記)
タイトルを右翼→街宣車に乗ってる人たちに変更し、本文内を右翼の街宣車→街宣車にしました。
確かに、右翼を騙って好感度が低下するようなことをわざとやる人がいる可能性はあるので。
返事ありがとう。
…と言ってくれている以上は、少なくとも撮り食するのは「充分にハイソな店」では非常識だ、なぜならそれを他人が不快に思うからだ、ということについては同意があるんだよな。元増田はたぶんそれ以上のことは求めてない。だから、お互い言い合う必要ないんじゃね?……ってのが俺の言う「本質」だ。
あなたが文句をつけてるのは、たぶん「マイルール押しつけんな」ってコトなんだろう。それは、まあ、分かる。マイルール押しつけんなってのもマイルールじゃね、なんて皮肉を言うつもりもない。それ言ったら堂々巡りなるしな。特に、昨今の日本て、それこそ牛丼屋のように殺伐としてて、誰もが誰かからの批判に神経をとがらせてるから、「お前少し弁えろよ、客が店の雰囲気作るってことも考えてさあ」なんて理想語ったら、次の瞬間刺されかねない。恐ろしいねえ。
だから、そんな時代に、元増田が自分の理想を実現しようと思ったら、それはもうテロしかない。たとえば、撮り食のトラブルから何度か事件が発生したり、とかそういうこと。それに比べれば、言葉で説明しようとしてる元増田は、ずいぶんお行儀がいいと思うんだよ。だから、この件であんまり彼を責めても意味ない。俺はそう思う。ありがとな。
マナーを守れないような客は特別な店でこそはしゃぎまくって迷惑をかけるから
本当に迷惑をかけられたくないのなら個室をとるべき。
そこに拘るのはただの言葉遊びだよ。
それとも、その違いが話の本質だとでもいうの?
品が良ければより多くのマナーを知ってるし守れる。
だから、「飯屋では(その飯屋なりの)マナーを守って食え」というのは、基本的に正しい。
そして、写真撮影がマナー違反である飯屋は、確実に存在する。どこからがそうか、と問うのは無意味だ。それは各自の想像力の問題だからだ。
今のマナーを守らない人が、新ルールだから守るとか、そんなことはありえないよ。
そんなに大切な彼女との食事なら、
そういう店では互いのテーブルが視界に入りづらいレイアウトにするし、
シャッター音や他人の話声を緩和する上品なBGMを流しているところもあるし、
望めば個室もあるし、
貴方の言うとおり本当にノーマナー行為であれば店が止めてくれます。
「相手のマナーが悪いのに、どうして私がそんな大金を!」と思いますか?
でも、一般以上に厳しいマナーを求めるなら、つまりハイソな環境を望むのであれば、
それなりの対価が必要です。
上流気取りが下流のお店にわざわざ出向いて文句を垂れてるんだと納得してください。
facebookの成り立ちの説明で、一番判りやすかったのは
「ザッカーバーグが彼女に対して『お前は二流大学だから勉強しても無駄』って言って、
それでブチ切られてふられたから、ブログに悪口書きまくりながら、腹いせにハーバードの学生リストをハックして、
女子学生全員の顔写真を手に入れて品評会形式のサイトを作ったら、停学くらった。その噂を聞いたヤリチンの
ハーバード学生が『あの品評会っぽく、俺ら用のSNS作れよ。俺らエリートだから玉の輿狙いが食い放題だぜ』って
言って、それでザッカーバーグが顔出しハイソ用SNSを作った。ちなみに、その学生には作ったことを教えず、
まぁ、元々が出会い系なんだな、とw
昔は、社会を論じるハイソな中上流の目に下流相手のビジネスが映ることはなかったんだよな。自分でその商売やっていない限りは。
今は可視化されているから論じられるってことで、社会が劣化しているわけではないよな。
車の件はどうだろうな。
かつては下流が車を一台しか買えなかったから下流ビジネスなんかできなかった。下流の若者でも一人一台持つ環境になって下流に照準を合わせられるようになったかと。これ自体は劣化になるのか疑問だな。
で、フルフラットは、SUVだったかボックスカーだったか、何にしろ中流向けレジャー向けに売りだされたんじゃなかったかな。「恋愛仕様」っつー宣伝文句で売ってたぐらいだから元々カーセックス用ではあるが、中流向けで、ホテル代浮かす趣旨とは捉えられてなかったような。それが今は宿泊費を浮かす車中泊やホテル代を浮かすカーセックス用と捉えられているなら、そこはまあ劣化と言ってよさそう。
http://anond.hatelabo.jp/20100831203134
はっきり言って、HMV、Right On、ピンクラテ、IKKA、ヴィレッジヴァンガード、ワーナー・マイカル、無印良品がある程度で「擬似東京」なんて言う人がお目出度すぎる。あんなもん、東京資本が中国の工場で作ったものを売ってるだけで、別に東京の文化を売っているわけでもないし、東京の記号ですら無い。確かにそれっぽい服を買ったり、けいおん!のCDを買ったり、特攻野郎Aチームを見に行くにはいいかもしれないけど。でもそれ、別に東京じゃなくてもできるじゃん。
そういうわけで、本当に擬似東京「トーキョーモール」に有るテナントを妄想してみた。
紀伊国屋でも三省堂でもなく青山ブックセンター。今となってはブックオフ傘下となってしまい、スノッブハイソ書店としての地位はすっかり凋落してしまったけど、それでもここで洋書や美術書を買ったり、トイカメラを買ったりするというのは、一種のトーキョー的消費じゃないだろうか。どれもこれもアマゾンで買えるものだけど。
イオンモールがランドマークになるようなクソ田舎で一番文化的にレベルが下がるのは映画。フジテレビとかが制作するような映画とか、ハリウッド大作とかはワーナー・マイカルで十分だけど、ユーロスペースでやるような単館系は田舎じゃ見る機会がない。いや、それどころか「涼宮ハルヒの消失」ですら見れない県は沢山ある。
ここも青山ブックセンターと同じで、アマゾンで買えるんだけど、でもかつての田舎の音楽少年ってここに憧れてたよね。
去年のここの銀座店オープンの時、田舎のおしゃれ好きさんたちが、現金握りしめてならんでたよね。
アップルストアを家電量販に含めるのは間違っているんだけど、扱い的にここ。MacもiPhoneも別にヤマダ電機で買えるんだけど、最上階でやるワークショップとかイベントとかはアップルストアでしかやっていない。
あとは神田古書店街とか下北沢のライブハウスとか秋葉原とか中野ブロードウェーとか色々あるんだけど、それを言い出すとモールじゃなくなるので除外する。
いや、それは分かってるって。
でも元増田の話だと
親との関係を良好にしておかないと、自分の子だけ声をかけられなかったりする
って話でしょ?
普通は
「XXちゃんと遊びたい」→親の承諾→どこの家に行く?行かせられる?
って話になる。
勿論送り迎えあり、遊び先の親監視ありだよ。それは当然。
でも、「親同士が決める」から、それによって「子供が誘われなくなる」はウソ。
「誘われても行けない」はあるだろうけど。
元増田の論理だったら、親同士が仲良くて子供を遊ばせてる図しか浮かばん。
そんなの3歳児以下の話でしょ。
(3歳にもなれば、好きな子嫌いな子出るから、そんなコントロール効かない)
親がお茶会…なんてのもおハイソな所は知らないけど、いちいち大人が入り浸ったら鬱陶しいし面倒な方が多いでしょ。
(勿論、家&監視役を提供しあったり、おやつ差し入れしたりは必要)
XX附属!とかはそうなのか?
そうじゃなきゃ、そんな付き合いしかできない親ばっかりじゃないはず。
てか、そんな有閑マダムばっかじゃないでしょ。
くだらないことから、……やはりくだらないことまで増田にいろいろ記事を書いてきたが、そうだ、苦手なジャンルの記事も書いてみよう、ということで、音楽の記事を軽く書く。
とは言え、私はほとんどアニソンしか聞かないので、さて何を書こうと思ったとき、前々から思っていた疑問である「駅前で演奏している生の音楽に(音楽のセンスのない私が)たまに異常にインパクトを受けるのはなぜか?」をちょっとだけ言及したい。
もちろん、音楽にはちゃんと音楽理論があるらしいので、的外れかも知れないが書いていきたい。
まず、やはり私がインパクトを受けるのは、「演奏が(ある程度)うまい奏者」だと思う。別の楽器から紡ぎ出される……別の場所から空気の振動として、自分の体それ自体にも伝わってくる音色やリズムがアセンブルされて一つの調和になってしまうという驚き、インパクトというのはあると思う。ヘッドホンやスピーカーでは、あまりその辺が分からない。もっとも、私の使っているオーディオがしょぼいから、という面は大いにあるだろうが、音響の良い映画館で音楽を聴いても、やはり、何か違うなあ、と思ってしまうのも確かだ。
それでもう一つ思ったのは、月並みだが、ライブかどうか、という面が大きいのではないかという点だ。
なぜ、ライブかどうかが重要かというと、観客の心の一部に「演奏者の失敗を期待している自分」という面があるからではないかとと思う。それを別に責めている訳ではなくて、スリルの裏返しでもある訳だから、それも含めて観客は楽しんでいるし、演奏者もそれも含めて楽しませようとしているのではないか。
だから、そういう意味……ストリートパフォーマーという意味で、大道芸人とミュージシャンは一緒くたにされるのだろうと思う。
そして、題名の件に話が移る訳だが、「良いコンサートは眠くなる」らしい。私もネットで見た発言なので、そうらしい、としか言えないが。おそらく高級なクラシックコンサートやハイソな現代音楽のようなコンサートの話をしていると思うので、ふーん。そうですか。おにぎりおいしいです。としか言えない面はあるが、何となく理由は想像できるような気がしてきた。
要するに、無茶苦茶設備が整ったホールで、マナーの良い観客の前で、一流の演奏者が演奏する訳だから、もはや「精密すぎて」もはや人間が演奏しているのか、機械が音を出しているのかよく分からない境地に達しているのではないだろうか。……いや、そう書くと語弊があるか。「安心感」が異常にありすぎるということだと思う。
だから、街の雑踏の中では、「それなりにうまい奏者がうまく弾ききれるか」という面で、スリルを感じた衆目の目を惹きつける、という様な意味では、なかなか良くできたシステムだと思うし、「良いコンサートは眠くなる」という話は、なかなか贅沢な時間の使い方で大変結構なことではないか、などと思う。
有名すぎて逆に見たことない映画を鑑賞してみようと思って
『サタデー・ナイト・フィーバー』を手に取ってみた。
見る前の印象としてはトラボルタが頭上を指さして
お世辞にも今から見たらカッコいいものとはいえず、
制作が77年って知るまでは「今見たらダサい」を強調したコメディだと勘違いしてた。
しかし、中身は意外なほどシリアスだ。
ディスコという場所から想起されるような「イケイケ」的な雰囲気も、
そういうシーンも一応はあるけど、全体的には薄い。
この映画に出てくる奴らは主人公も含めてみんな「地方でくすぶっている若者」だ。
あらすじは簡単に説明するとこう。
賃金も低く、神父になった兄貴とは違い、自分はクズだと思い込んでいる。
そんな鬱憤を晴らすかのように彼は週末になると
踊りの上手い彼はそこでは「キング」としてちやほやされる。
そして、そこのディスコ主催のダンスコンテストで優勝することを目標にし、
トラボルタの父親は仕事をクビになり、求職もせず毎日ぶらぶら。咎められると逆ギレ。
母親はすぐに兄と弟(トラボルタ)を比べ、嫌味ったらしい言葉を吐く。
トラボルタが家を飛び出ても外にいる仲間はみんなドロップアウトした落ちこぼれ達だ。
ダンスコンテストでトラボルタとパートナーを組むヒロインも同様。
トラボルタはディスコでたまたまヒロインと知り合い、パートナーになってくれと口説く。
このヒロインはトラボルタが住んでいる街とは川を挟んだ向かい側に居住している。
荒れているトラボルタの地区とは違い、治安のいいハイソなところだ。
しかも、彼女はホワイトカラーでいわゆる「ギョーカイ」と繋がる仕事をしている。
このヒロインが事あるごとに自分の仕事の自慢をしてきて本当にむかつく。
有名な人間と仕事することが自己実現だと思っている悲しい女だ。
はっきり言って見た目もそんなによくない。
二人は時間を合わせてダンスコンテストに向けて一緒に歩むことになる。
クソッタレな日常を送っているトラボルタの唯一のよりどころが「ダンス」だ。
この設定を読みとって、きっとこういう展開になるだろうと予想した。
困難を乗り越えてダンスコンテストで見事優勝するトラボルタたち。
みんなも自分の表現を見つけて、それに打ち込むことでつまんない日常を乗り切ろうぜ!
目標に向かって頑張る若者が麗しく描かれ、すかっと爽快なエンディング。
そんなものはこの映画にはなかった。悲しくやりきれない結末が待っている。
「うーん、たぶん今後も上手くいかないんじゃないだろうか」
そんなざらついた舌触りを残した結末だ。
ただし、鬱映画というほど暗くもないし、踊りのシーンはカッコいい。
特に中盤のパートナーに約束をすっぽかされ、トラボルタが一人で踊る場面がある。
周囲の客たちが一斉に彼に注目し、身体の動きを止め、トラボルタに見とれるのだが、
単なる演出にとどまらず、こっちにまで伝染するようなキレのある動きを見せてくれる。
そして、何よりもBGMとして使われるビージーズの楽曲がいい。
冒頭、ファッションを決めて街中を颯爽と歩くトラボルタ。重なる曲。
そして、その歌詞が「歩き方でわかるだろ? 女が夢中になる男さ」。
夢中になったのは女だけじゃなく、世界中でヒットしたこの映画。
単なるオシャレ映画じゃありませんでした。面白かったです。
どことかの問題じゃないんだよこういうのは。あるあるネタとしてすで陳腐なまでに普及され尽くした話なんだよ。
一回もそういう話聞いたことがない?マジで?それは地域とかの問題じゃなく日本語圏かどうかの問題と言ってもいいレベルだよ。
「夕方のスーパー」と言えば「弁当半額!」というレベルの話だよ。ハイソサイエティなスーパーでは半額なんかにしないのかも知れないが、それでも話には聞いたことあるだろう、しかもその時の感じはまるでそれが(半額が)当たり前という感じだったから、日本全体である共有感があるんだろう、という感覚を普通は得ているはず、って話だよ。例えるならね。
手短にいこう。俺は長編小説が読めない。
事情とはなにか。
第一に、俺は読むのが遅い。時間がない。小説は、長いというだけでハイソだ。俺はハイソじゃない。
第二に、俺は飽きやすい。「飽き」は意志の弱い人間に挫折を受け入れされるのに十分な言い訳になる。永久に。
第三に、無理をして読む動機がない。『白鯨』や『失われた時を求めて』以外にも魅力的な他の選択肢はある。
たとえば、以下にあげる50の選択肢が。あなたにとってはどうだろうか。
■海外編
「しあわせの理由」 グレッグ・イーガン★
「9マイルは遠すぎる」 ハリイ・ケメルマン★
「ライ麦畑でつかまえて」 J.D.サリンジャー
「ねじの回転」 ヘンリー・ジェイムズ
「長いお別れ」 レイモンド・チャンドラー
「地図にない町」 フィリップ・K・ディック★
「ポップ1280」 ジム・トンプスン
「99999」 デイヴィッド ベニオフ★
「眼球譚」 ジョルジュ バタイユ
「虎よ、虎よ」 アルフレッド・ベスター
「無常の月」 ラリイ・ニーヴン★
■国内編
「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野 晶午
「最悪」 奥田 英朗
「バイバイ、エンジェル」 笠井 潔
「姑獲鳥の夏」 京極 夏彦
「ハサミ男」 殊能 将之
「大いなる助走」 筒井康隆
「生首に聞いてみろ」 法月 綸太郎
「百億の昼と千億の夜」 光瀬 龍
「すべてがFになる」 森 博嗣
「瓶詰地獄」 夢野 久作
謝っておかなければならない。
好きな小説を上から50数えたら、こんなに★があったわけだ。
そういう奴もいる。
あんたは俺を哀れだと思うか。
あれだけハイソな家庭に生まれて潤沢な教育を受けたにも関わらず、大学が国内、ましてや東大ですらないという時点でかなり残念。
ヨーロッパの香りを漂わす裕福な家庭に生まれ、父は劇作家であり博報堂の取締役、母は映画女優という、生まれながらにして「ハイソ」な環境が周りにあった。
当然、御学友たちも文化的香り満載の本物のセレブが多かったに違いない。
小さい頃から本物を見続けてきた望夫は、それらに比べて自分の力がいかに劣っているのかを思い知らされてきただろう。
おそらく、例えば自分で文学的な文章を書いてみたこともあるだろう。
しかし、出来上がってみたものは今まで見てきた本物と比べていかにちっぽけなものだろうか。
下手にそう判断できるだけの客観性と教養があったがために、しだいにどんどん身動きがとれなくなっていった。
文学者の息子が理系に進むのは、偉大な父と同じフィールドに進むことから逃げるためだろう。
違う場所なら自分も人並みになれるのではないかと期待を持って。
他人の能力のすごさを嫉妬せずに理解できる、できるからこそ、同じ舞台にあがろうとしない、畏縮して上がれなくなってしまう。
無能の自分ができること、それは埋もれた天才を世に広めることだけ。
指したところで一流の棋士には、どうあがいたって彼らにはかなわないから、最初から指さない。
自分は優れた人間で無いことを自覚してるから、自意識を守るために勝負しない。
一流と戦って、負けることでも成長して、いつかは彼らの高みに近づこうという気力が無い。
一流のそばにいて、彼らは一流ですとアピールしてれば、彼らと勝負する事がないから、負ける事がない。
不良に「アツシさん、マジハンパねぇっす」といっている線の細いヤンキーのメンタリティー。
彼の不幸は、本が売れ、自分も勝負を挑まれる立場になってしまったこと。
「それなら、自分でなんとかしてみろよ」という批判に答えるためには、自分で何かをしないといけないが、自分で何かを作り出す事から逃げてきた人生。
やればできるかもしれないこともやらない、やっても一流の人にはかなわない。
「はてなブックマークはバカばっかだ」取締役という立場を離れないと言えない
逃げて逃げて逃げて。
ホワイトハウスの前で、
と少女漫画風の娘さんが言う。
俺としては、・・・これってどうなの?みたいな感覚だった。(そう思った人は俺以外にもいると思うんだけど)
なんか、アメリカにあこがれを抱いている40代の感覚だよな、というか。
問題は、映像のリアリティではないか。
ニコニコ動画などで、アマが作る映像の方が時代の生きている感覚、リアリティを感じる。
世界の中心は、ホワイトハウスでもアキバでもない。ここであり、そこだ。つまり、ネットだ。
時間の感覚が止まったプロは、思い出の中で生きる老人用の映像でも作ればよい。(と、暴言)
あー、でも、分からないな。
ハイソな(?)海外留学に憧れるコジャレた学校に通う娘さんの感覚って、こんな物なのかも知れないよね。
まー、単に俺は視聴対象に入っていなかっただけということだ。
取り溜めたプリキュアでも見るか。
取引先の付き合いで、カード作らされた。
付き合いの飲み会で皆の飲食代を立て替えた。
もちろん私は十万単位で現金持ち歩いてるようなハイソな人間ではないので
皆を待たせるのも悪いし仕方がないから、こっそり隠し持っていたカードの出番となりました。
いままで食わず嫌いというか、使わず嫌いだったんだけど、カードって便利ですね。
サインをさらさらっと書いてお会計をさらっとすませるあの感覚といったら!
ちょっと自分のグレードが上がった感じで気持ちいいですわ。
すぐにお金を集めたからお財布も傷まないし、それどころか一時的にリッチです。
まー毎月少しずつ引き落とされるんだけどね。そんなん誤差でしょ。
絶対つくらない!って人やっぱりいると思うけど、
一回試してみるといいですよ。