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はてなキーワード: 主観的とは

2017-05-25

男のタイムリミットは18歳

女性にはタイムリミットが伝々という言説が定着して久しいが、男にも生涯未婚童貞になるか否か運命の分かれ目になるタイムリミットがある。18歳だ。

大学入学時点で恋愛経験(必ずしも性体験でなくて良い、それぞれの年齢相応の成功体験)のない男は「体は18!心は小6!」状態になってしまう。同年代チャレンジしても門前払いを受け続け、改善のためのフィードバックも自信を付けるチャンスも一度も掴めないまま見下され鼻で笑われ続け心が折れる学歴だけ高い生涯未婚童貞はてな粘着ミソジニー男の一丁上がりだ。

女性は三十何歳まで学生時代社会人合わせて十余年の猶予があるが、18歳で最終バスが出発してしまうのである若い大人に仲間入りしてなんとなく世の中や物事が見えるようになってきたら、なんと自分が既に手遅れで挽回不能なことに気付くのだ。

18までの環境は否応なく家庭の強い影響下にあり、本人の自己責任とだけ切り捨てるのは酷だと思う。よほど素材がイケメンかどんな環境でもアクティブ女子に突進していく子であれば心配ないが、周りを見ると上記の認識危機感もないまま、ぼんやりした子を偏差値が高いからとなんとなく男子小中(高へエスカレーター)に入れてしまい取り返しがつかなくなる悲劇が後を絶たない。

おそらく父はこの時代に既婚者なので自由恋愛の勝者であり「普通に生きてりゃ彼女くらいできんだろ」くらいにしか思ってないのだろう。母は女性なので上のような失敗男が眼前に登場したことな人生で一度もなくピンと来ないのではないか。あるいは愛する可愛い王子モテない可能性など発想自体存在しないか、悪い虫に奪われるくらいならモテなくて結構くらいに溺愛しているかもしれない。

水は桶板の一番低い高さまでしかまらない。親の自慢に役立つの学歴職業など分かりやすい高い桶板かも知れないが、子の主観的幸福を願うなら決定的な欠落が生じないよう目を配って欲しい。

※1 大学デビュー性交組の諸兄の中には、いや、22歳だろ、という異論もおありかと思うが、否定はしない。大意は汲んでいただけることと思う。

※2 学校が共学なら万事解決というわけではない。今ならたぶん下から2割くらい(もっとかな?)は脱落するのだろう。私が言いたいのは(受験に例えると)「受験があるなんて知らなかった」子の中には準備すれば受かってた子もいるだろうし、最終的にダメでもせめて「全力で勉強したが落ちた」にしてあげようということ。

2017-05-17

自分が頻繁にやってしまう嫌がられる行為

久しぶりに、親しい人を不快にさせてしまったので反省のタメに書く。

世の中的に評価されている作品を鑑賞した結果「自分は好きじゃないな〜」と、思った事があるだろう。

だが、主観的感情を抜きにして、その作品アピールポイントについて考えてみて欲しい。

恐らく、どういった魅力を持っていて、どういう人達が、どんな箇所に魅力を感じているのかは、なんとなく想像がつく筈だ。

それでも、本当に全く反応できない場合がある。「そんなにも何が評価されているのだろうか…」と。

仕事柄なるべく多くの価値規準を持っておく必要があるため、魅力の仮説も立てられない作品があると困惑する。

そんな時、一緒に観ていた人(もしくは観た事のある人)が魅力を見いだせていた場合

その作品にどういった魅力があったのか、しつこく質問してしまう。

自分と近しい関係の人であればある程、執拗になる。

単純に知りたくてしょうがないのだ。

自分の見つけられなかった魅力について、見つけられた人の視座の持ち方を。

ネット感想や評判を見れば、なんとなく仮説は立てられる。

だが、現実に付き合いのある人達の方が人となりを知っている分、もっと想像やすい。

そういった身勝手理由で、ついつい分かるまで質問してしまう。

説明する側だって自分が魅力を感じている何かについて話す事」自体はそんなに辛くないだろうと、高を括って。

ここまで書いた時点で、相当に自分勝手な振る舞いだな…とウンザリするのだが、まだまだ不快指数高まる。。。すみません

昨夜やってしまったのが、ここからである

30年ほど前の映像作品をみて、部分的には魅力を見いだせたのだが、社会的にどう受けているのか、大きな要素が想像できなかった。

既に鑑賞済みの人と一緒に観ていて、その相手は「完璧映像」と賞賛しており、作り手側の人間だったのも相まって、しつこく聞いてしまった。

ところが、具体的にどういう魅力があるのか質問しても「自分作品の良さを一々誰かと共有する文化がない」と言われ、

作品の良さを分かっていながら言葉説明しようとしないのは、表現者として怠慢なのではないか?」と詰め寄ってしまった。

その後も「優れた映像作品言語不可能だし、する必要性を感じない」と返され、

「全ての魅力をキチンと言葉表現しきるのは不可能かもしれないが、自分が感じた魅力について断片的にでも言葉提示する事は可能だろう。」

「魅力を知りたがっている人がいて、自分が魅力をみつけているのに説明しようとも思わないその態度は疑問だし、言語化の必要性が無いと思う事はおかしい。」と言ってしまった。

その後、「なんで、増田からそんな風に質問攻めにあわなければならないのか?私には理解できない。」と不快感をあらわにされ、会話は途絶えた。

こうして増田に書いて冷静に読んでいると、「こりゃ嫌われるよ。当たり前じゃねぇか。」って気持ちもあるのだが、

「いいじゃん教えてくれたっていいじゃん!ケチ!!!知りたい知りたい!教えて教えて!!!」って感情もまだまだ全然あり過ぎて、ついに寝れなかった。

でも、どう考えても絶対自分が悪いので反省します。

自分のモノの見方や考え方を他者強要している時点で論外

そもそも映像作品に対するリテラシーが低過ぎる

・人に教えを請う態度では全く無い

・親しき中にも礼儀あり

・我が儘過ぎ

もう二度とこのような事が無いようにします。

迷惑をかけた皆様、すみませんでした。

2017-05-10

男に産まれたかったと思った、産後10日目

出産をした。
私の大きなお腹には、本当に赤ちゃんが入っていた。
何度も早く会いたいねと話しかけた胎児は、外に出て私と違う人間になった。

出産後は、ホルモンバランスジェットコースターのように崩れるらしい。
知識としては有名なことだし、産後うつがそれによって引き起こされることも知っていた。
から、今この文章を書きながら涙が止まらないことも、
今後の生活が恐ろしくて逃げ出したいのも、
母と喧嘩して全身が震えるほど泣き叫んだのも、
全部ホルモンバランスのせいだとわかっている。

わかっていても、涙は止まらないし、不安は消えない。

客観的に見ても、主観的にみても、私はとても恵まれた状況にいる。
夫は優しくて協力的だし、母は家事を全力でサポートしてくれている。
なのに、私は男に産まれたかったと、出産可愛い我が子を前にして思ってしまうのだ。

今までの人生で、自分性別についてハンデを感じたことはあまりなかった。
妊娠中にボロボロになっても、産休に入り仕事が出来なくなっても、夫や会社暖かいサポートのおかげで現状を受け入れながら出産を迎えることができた。

なのに、仕事に向かう夫が今になって羨ましくて仕方がない。
私も、子供ができたかもっと仕事を頑張りますと、そういうことが言いたかった。
今まで積み重ねてきたものの延長線上で努力を重ねたかった。

男に産まれれば、こんな思いをしなくても、自分の子供に会うことができたんだろうか。
そんなことばかり考えてしまう。
である喜びを感じられる日がいつか来ると、今はそれに縋るしかない。

2017-04-30

物事主観的理解する習慣は大事だと思う

いきなり持論をぶちかますんだけど、物事理解するプロセス

主観(第一印象)→客観(一般論理論立てられた解釈)→主観(自分世界にどう取り入れるか)

と進むものだと考えている。

よく言われる「客観的物事を見ろ」みたいなものは第1段階の主観レベルで留まっているという解釈だ。

ある人物に対して何も考えてないと感じるとき自分はその人の主観理解の不足を疑っているんだと思う。

結局のところ、一般論を知ったうえで「自分はこう思う/感じる/考える」というのが重要だ。

人がこれだけいて、一般論簡単に手に入るなら、人が行うべきは主観的理解とその発信だ。

主観的理解と発信の場の代表例は議論だ。

議論が成り立つためには、相互他者理解自身理解に取り入れられなければならない。

そうでなくては議論にならない。話にならない。

まともに議論の出来ない人間物事主観的理解することが出来ていない。

2017-04-22

ハラスメントRPG破綻

ある会社員です。平日は9:00から18:00、または週に3日程度2時間ほどの残業を経て20:00頃まで勤務し、土日祝日を休暇として過ごしています。尚、周囲の社員も概ね同様です。

弊社は年間を通じて一定割合休職者を有しています

そして傷病に掛かる規則で定められた療養期間、若しくはそれと異なる規則で定められた期間ののち、彼らは退職します。

彼らが休職に至る経緯に加え、私が勤務に伴う交流体験、観察により得た情報と、インターネットマスメディア就職以前の求職活動で得た情報を照らし合わせると、どうやら弊社では日常的に「ハラスメント」的な現象が発生しているのではないか、という考えに至りました。

それと同時に、社内ハラスメント類似した現象が発生する、とある環境を想起しました。

この環境の想起は言葉通り思いつきに過ぎないものの、これに擬え改めて以上の情報を再整頓すると、今まで不規則で捉え難かった様々な現象について一定規則性を見たと感じることができました。

記事を書くにあたっての調査統計などを行なっていないため、主観的文章です。

これはある会社員が書いたブログ記事です。よって「だ」「である」ではなく「思った」「感じた」の文章です。

以上をふまえ、楽しんで頂けたら嬉しいです。

ハラスメント見方

セクハラモラハラアルハラなど、ハラスメントを示す様々な言葉を目にすることから、その発露の形態によってハラスメントの捉え方が細分化されていることを私は知っています

しかし、そのようなディティールを得られずとも、今般そのシルエットを観察し、全てのハラスメントは「不適切役割強要であると捉えることができました。

ハラスメントを「不適切役割強要」と捉える考え方に基づき、シミュレーションを行ったのはRPGという環境です。

RPGとは

RPGロールプレイングゲーム略称であり、遊戯の一形態です。

日常会話の中では、フォールアウトやファイナルファンタジーなどのビデオゲームを指すことが多いのではないかと思いますが、ここではテーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)を指します。

実際のところ、私にはTRPG遊んだ体験がありません。ですので、TRPGプレイヤーよりもだいぶ不細工になりますが、以下の通りその概略を記載します。

TRPGの概略

TRPG複数人参加者との対話(セッション)により進行するゲームです。紙や鉛筆で記録を取りながら、ダイスなどを用いて様々な選択を行い、ゲーム物語の結末を目指します。

TRPGを楽しむにはいくつかのアイテム必要になります

まず1つめはゲームマスター(GM)と呼ばれる進行役です。GMは他の参加者(プレイヤー、PL)に様々なノルマを課したうえで、ダイスの目を読み、彼らのセッション解釈し、結果として反映させることでその達成を助けます

次に、ルールブックです。これはそのゲームがどのような規則に従って進行するべきか記載された冊子です。GMはこれに則りノルマを課し、PLもまたこれに則りGMの課したノルマに応えようとします。

最後に、キャラクターシート(CS)です。これにはPLの担うべき役割特性記載されており、役割に応じた技能スキル行使することができます

TRPG労働には多くの類似点があります。なぜなら経営者管理者もまた、法律や社則等の規則に基づき労働者ノルマを課し、彼らの役割特性活用しながらその達成を助けるものからです。

異なるのは、TRPG参加者カタルシスを経て物語の決着をみることを目的とするのに対し、労働参加者社会貢献の対価として金銭等の利益を得ることを目的としている点です。

しかし、これはハラスメントシミュレーションを行うにあたっては些細なことです。

RPGとしての労働

(T)RPGを楽しむ自分想像してください。

このときとあるGM(ときにはPL)を併せて想像すれば、誰もが彼のせいでゲームを楽しむことができないと判断し、プレイ放棄したいと考えるでしょう。

彼はルールブックに違反し、CS記載されていない役割あなたに求め、その役割行使しないと見ればあなた方のセッションを歪めた上で結果に反映させます

労働の場に置き換えると、経営者ないし管理者規則違反し、労働とは無関係役割労働者に求め、その役割行使しないと見れば評価を歪めた上で待遇に反映させることになります

冒頭の「不適切役割強要」がこれにあたり、この一部ないし全ての過程こそがハラスメントであると私は考えました。

ハラスメントの渦中にあるとき労働というRPG参加者の1人である労働者は適切な利益を与えられていると言えるのでしょうか。そして、給与はその利益として換算して差し支えないのでしょうか。

待遇とは給与や休暇のみを指すものなのでしょうか。

ゲーム放棄

RPGであれば、ゲーム放棄することで不適切役割強要されることから解放されます。この場合ゲームの結末を見ることは叶いませんが、この達成をハラスメント不快感よりも優先するべきとはあまり思えません。

しかしながら、労働者にとって労働生活を維持するための資金を得ることを1つの大きな目的としています。また、社会的地位自尊心など、生活志向を決定づける様々な指標にも影響を及ぼします。

労働RPGひとつのサブシナリオに過ぎませんが、それと同時に、退場やコンティニューの叶わないメインシナリオである生活を左右する、重要なサブシナリオでもあるのです。

CSを持たない人

なぜ彼ら、ないし我々は不適切役割参加者強要してしまうのでしょうか。

RPGを楽しむとき、生身の自分が剣を持って戦う必要はありません。ルールブックにもそのような記載はありません。

RPG上で剣を持って戦うために必要ものは、あくまで剣を持って戦うキャラクターCSです。

CSRPGを楽しむプレイヤー分身であり、さらに言えばプレイヤー自身に剣が干渉しないようゲーム現実を隔てるパーテーションです。

もちろん、RPG上でキャラクターが得た財宝を実際に手にすることもまたありませんが、自分操作するキャラクターRPG上で成果を出せばプレイヤーとしても満足を得られるものです。

労働においても同様にCS必要です。

参加者がどのような特性労働力として提供するのか提示し、他の参加者ルールに従ってそれを承認しなければ、本来労働というゲームを進行することができないはずです。しかし、これを持たないままでのゲーム進行を可能にする方法があります

CSの代わりに、実際に剣を持って戦えばよいのです。

戦うためには相手必要になりますからCSを持った参加者に対しても剣を持って戦うことを要請すれば良い、ただそれだけのことです。

●我々は何をするべきなのか

適切なCSを整備することは円満ゲームプレイを行うには心強い武器となりますが、CSを持たない人と対峙するにはあまりにも無防備です。

ハラスメント対峙するとき、我々は何をするべきなのか。ハラスメント安全回避することは可能なのか。

残念ながら私にはまだわかりません。

ただひとつ思いつくとすれば、我々自身が剣を持って戦うことを我々一人ひとりが望まないことが、長期的な目で見たときハラスメント回避する方法ひとつになりうるのではないかということのみです。

2017-04-16

酒に酔った時にやられる機能の順番について

今日は久しぶりにかなり酔った。昔に比べたらずいぶん酒に弱くなったものだ。

私は酔うと割と機嫌が良くなる方であり、そういう意味では酩酊は必ずしも嫌なものではない。

だが、家族が酒飲みでそれ故に嫌な思いをしてきたこともあり、基本的酔っ払いは嫌いである。

そういう、主観的には酒がわりと好きだが客観的には酒飲みが嫌い、尚且つアルコール耐性は比較的高いという人間が、酔った時にどうなるか。

今日は語りたい気分なので、それを増田に書いてみようと思う。

尚、一般的にこれが役に立つ情報かどうかは考慮していない。酔い方は人それぞれなので、何ら役に立たない可能性の方が高いと思われる。

 

1.真っ先に小脳がやられる

本当に小脳機能が低下しているかどうか、何かしらの医学検査で確かめたわけではないが、体感的には運動機能がまず最初にやられる。

簡単に言えば、まっすぐ歩けなくなる。元々運動は苦手でスポーツなどの習慣もないので、運動機能が真っ先にやられるのはその辺も影響しているかもしれない。

この状態にはビール2杯くらいでなる然ダメになる。逆に、「今なら何をどれだけ食べても理性の野郎邪魔されないぜ!」みたいな気持ち

お腹は一杯なのに甘いものを食べが、そうなっても理性や記憶は割とちゃんと仕事をしていて、後で思い出して後悔するような行動はとらない。

ただ、足元はおぼつかなくなるので、狭い階段のある居酒屋などでは帰り道の危険性がちょっと上がる。

はいえ、理性が運動機能の低下をちゃんと感知して、「手すりを掴め」等の指示を出してくるので、今のところ大事には至っていない。

 

2.次に情動が変化する

具体的には、マイナス思考機能しなくなる。

これが酩酊を歓迎する最大の、かつほぼ唯一の理由であると言える。

私は素面だと物事の負の面ばかり気にするタイプなのだが、酔っているとそれが全然気にならなくなって、とても楽しい

普段からプラス思考の人は毎日こうなのかと思うと、正直少し羨ましくもある。

だが、気が大きくなったがゆえに、自分意図しないところで人を傷つける可能性などには思い至らなくなり、諸刃の剣だとも感じる。

ダイエットなどもこの状態ではまるでダメになる。それどころか、「今なら何をどれだけ食べても気にならないぜ!」とドカ食いしまったりする。

理性に耳を傾けようとしても楽しさが勝ってしまう、幸せだが危険状態である

 

3.徐々に記憶障害が出てくる

短期記憶はそうでもないが、長期記憶がやられる。

具体的には、その場での暗算他人言葉の復唱などはまあまあできるが、次の日までそれを覚えていられなくなる。

この辺になると、(気分の高揚で饒舌になっていることもあり)自分が何をしゃべったのか次の日には覚えていなくて、割と危険である

平素から裏表のない人ならいいのかもしれないが、自分普段から「この相手には何をどこまで喋って良いか」というのを強く意識しているというのが、

抑制が取れたこの状態からこそ逆に理解できる。明日になって後悔するような事態があり得るのは、この段階からである

 

4.理性も怪しくなる

ここまで行ったら明確に飲みすぎである

物事判断が上手くできないし、もちろん割り勘の暗算などもできない。

特にかい部分での集中力減退が著しく、Aのことを考えている間はBやCには全く気が回らない、というような状態になる。

この状態になると忘れ物も増えるし、周りへの気遣いなんか丸っきりできなくなる。有体に言って迷惑酔っ払いである

 

普段はせいぜい3くらいで「これはヤバいな」と思ってペースを落とすのだが、今日飲み会自分が主役だったせいもあって少々飲みすぎた。

こんな時に人目に触れる文章を書くのもどうかと思うが、何せそういう慎重さはマヒしているので、敢えて酔っている状態増田を書いてみる。

 

皆さんは、どういう順番で機能が低下しますか。

興味本位で聞いてみたいです。

2017-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20170413151918

「数年前のものが古臭くて聴けないくらいガラッと変わってくような瞬間」みたいな完全におまえ個人主観的経験を俺に聞かれても。

2017-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20170412032353

俺もいずれ自殺すると思うわ。

でも、半端な気持ちで生き続けることはできるけど、半端な気持ち死ぬことはできないから、ためらってる。

ずっと死にたいと思いながら毎日を過ごして、気持ちが妙に落ち着いたときに「今なら逝けそう」と感じて、なるべく穏やかに淡々自殺の準備をするけど、やっぱり最後で踏ん切りがつかない。

ノリや流れで自殺はできないなぁ、やっぱ。

主観的に「自殺して当然」と感じられるようになるまで、まだまだ苦しむ必要があるんだろうな。ほんと、うんざりする。

あんたが自殺を完遂できたなら、気持ちや状況などあらゆる面で機が熟していたってことなんだろう。

失敗したり途中でやめたなら、まだまだこの世界での苦悩や嫌悪が足りてないってことなんだろう。

俺はまだまだ苦しんで、周りにも迷惑をかけ続けるんだろうな。

どうせ苦しむなら、生きる方向で苦しんでみようとも考えるけど、やっぱり、生死どちらの方向でも、決断はなかなかできない。

いや、無理して虚勢を張って決断しても、後でおじけづいて逃げ出す経験を何度も繰り返してきたからなぁ。

体に素直に従うことにする。

2017-04-09

東京観光感想 byカッペ

普段ネット上でトンキンwwwなどと煽ったりもしたが、ちゃんとしたかたちで東京を見てみた。

俺は今の日本経済についての知識が欠落しているのであくまで一個人主観的感想として見てほしい。

まあ、腐っても鯛というか、一言東京スゴイ東京発展し過ぎwwwと思った。


まず熱気が違う。どこも人に溢れ、各人が明日の夢と成功を求めていきいきと生きているようだ。

海外旅行で熱いアジア新興国へ行った帰り、日本家路につく時に感じる落ち着いた空気、冷えた空気、少し寂しさの残る空気が、東京に限っては皆無のように思われる。


そして、資本密度田舎のそれとは明らかに異なる。ここだけ異常だ。

日本全体の資本の4割くらい東京に集まってんじゃないかと目まいがするほど、東京の街は執拗ギラギラとしていた。

道を3メートル歩く度に、雑貨食べ物個性的な素晴らしいお店が立ち並ぶ。東京は街そのもの遊園地のようだ。

街中にメーカーロゴや店の看板がこれほど絶え間なく多く寄せ集まっているのを見たことが無かった。田舎繁華街が、東京では1ブロックごとに配置されていた。

麻布という言葉は知っているものの、どうしてメディアによく登場するのか分からなかった。実際に夜の麻布に行ってみてそれが分かった。

少し歩くと六本木へとつながる麻布では、日本一般的な戸建て住宅とは異なる重厚外国風の豪邸が立ち並び、日本ビバリーヒルズ?と思った。

歩いていると大使館玄関に次々と遭遇し、ここが首都であることを改めて実感した。

洒落た少戸数型マンション帰宅する人たち、1分に1回の間隔で見かける品川ナンバーの高級外車・・・

日本の上位数パーセント成功者支配階級寝床とするコミュニティ、外の世界喧騒からの影響を受けない住み心地の良い閉じたコミュニティに足を踏み入れていた。


海外エスニック料理が好きなのだが、普段日本ではそれが食べられないと嘆いていたものの、東京では全く心配いらない。

ここは本当に日本か?と思うほど海外経験したスパイシーで胃袋を鷲掴みする良い香りの熱気があちらこちらから流れてきて心が躍った。外国人の数も非常に多い。国際色豊かでカオスな感じ、料理が不味いわけがない。いつか夜の居酒屋巡りをしてみたい。


同じ日本人でも、地方田舎で住むことによって形成される日本に対するアイデンティティ東京形成される日本に対するアイデンティティは異なるということに初めて気が付いた。

田舎の落ち着いた日常の心休まる日本東京の激動の熱い日本、どちらも素晴らしいものだ。交互に味わえたらどれほど幸せだろう。

2017-04-05

何のまとまりもない書き散らし

Twitter投稿している限り、必ず人の目に触れる。だからいつも人の目を気にしたモノを書く癖がある。ブログに書くにしたってもちろん人の目は意識するけど、投稿したことを言わなければ限りなく少ない人間しか目にしないからここに書き散らしておく。Twitter病み披露するよりよほどマシ。このあとの文章はまとまりがないから、見つけた人は期待しない方がいい。

自分病気なのかどうかで言えば自信はない。人より暗い考えはしているし、時折自分でもおかしいんじゃないかと思うことはあるけど、医師の診断を受けたわけではないからそのへんは不明自分が本当に病気なら、それを自覚するのが怖いのかもしれない。

人付き合いはかなり考えて選んでいる。自分に損か、得か、ある程度そういう勘定をする。気に入らない、面白くないと思った相手なら、絶対に関わらない。どうしても関わらなければいけない時は、不機嫌な顔や文章意識して表に出して対応する。すべての人に同じ対応をできる人類存在しなかろうが、俺はそのあたりを演技的にやっているフシがあると思う。実際の勘定より誇張して表現してる。

最近それが演技なのか本心なのかよくわからない。勝手にやってしまうなら本心なのだろうとも思うが、あえて人と険悪になろうとするのは人間としてどこかおかしいのではないかとも思う。よくわからない。機嫌のいい時はどんな相手でも愛想よく接するのに、次の瞬間には同じ顔で陰口を叩いたりするし、急転直下テンションがガタ落ちしていたりする。我ながら感情の振れ幅が大きい。

以前から感情の振れ幅が大きくなったと思っていたものの、近頃それは安定してきていた。でもぶり返してきた。いいかげん楽になりたい。死にたいとまでは言わないが、消え去りたいとはよく思う。

死にたいと思うほど人生絶望していないけど、生きたいと願うほど気力がない。このまま生き続けるか、何の苦しみもなく今すぐ死ぬかと言われたら、おそらく後者選択する程度。それはたぶん、比較調子がいいときでも同じだと思う。何もしなくていいなら、それが一番楽だ。

自分言葉が、思った通りの反応を示されると気分がいい。自分言葉が、思わぬ方向で人を傷つけるとおどろくほど消沈する。今ここまで落ちているのは、きっと後者のせいだと思う。

いつも自分のことは少し外側から見ている。人から見てどうだろうか、人から見て変ではないだろうか。常に考える。常に人から視線を考えてる。でも結局それは妄想で、主観的ものから、予想外の反応を受けることがある。そういう時、一番ダメージを受ける。

自分の思った通りに事が進まないから、自分が思った通りの反応を周りが示さないから、そんな子供のままの精神性が本当に憎らしい。俺は八方美人で、見栄っ張りで、おどろくほど臆病だと思う。

人が自分の思った通りに動くわけないのに、それをひとりで勝手に期待して勝手に落ち込んでる。馬鹿馬鹿しいと常々思う。

基本的にいつも一人相撲をしている。頭の中でぐちゃぐちゃと余計な事を考えて、ひとりで何もかも物事を進めて、実行すると一歩目でつまずいて動けなくなる。

ああダメだこれも本心じゃない。こういうことが言いたいんじゃない。

女性は苦手だ。自分の「かくあるべき」という姿を装って、その仮面の下でなら普通に会話ができるのに、それが剥がれると一気に何もできなくなる。何も喋れなくなる。何も出てこなくなる。Twitter過去の栄光に浸っていい気になって、女に慣れているような顔をしていて実際はこれだ。女性という存在が俺は本当に苦手だ。ああそうだ、これが言いたかった。この一番恥ずかしい部分をもう暴露たかった。

ぶっつけ本番で女性と会話ができない。あらかじめ用意した話題がないと何も喋れない。あらかじめ設定した自分の姿がないと目を合わせることも出来ない。素の姿を見せることが怖くてできない。Twitterでは口を開けば下品なことばかり言っているのは、あれは装ってるわけじゃない。本当に口を開けば下品なことしか言えない。もちろん普通の会話もできるけど、何かあればすぐシモにつなげる癖がある。

相手ならべつにそれでいいのに、女性相手になると頭はブレーキをかける。それ以上口を開くなと命令する。目の前の女性がそれを気にしようが、しまいが、全くそれが言えなくなる。女性に対して下品言葉をかけてはいけないと強烈に頭に刷り込まれてるんだと思う。原因はわからない。そのせいなのか、女性相手には自分のかくあるべきという姿を設定しないと会話が出来ない。口を開けばキツいシモを言葉にしてしまう恐怖がある。きっと。今までそんなことを考えたことはないけど、きっとそう。以前女の子に、俺の下ネタは生々しくてキツいと言われたことがある。アレがよほどこたえたんだと思う。

女好きというより、俺は女性依存しているんだと思う。目に入る女性は、油断するとすぐ自分の中でプライベートラインに入れてしまう傾向がある。それも怖い。二次元相手ならいくらそれをしてもただの変態で終わるけど、現実でそれをするわけにはいかない。でもしてしまう。だから「かくあるべき姿」を作って対応する。現実で話さない。自分仮面を通して喋る。その結果奇跡的にパートナーになってしまうと、徐々に仮面が剥がれて、ごく短期に別れることになる。

だんだんわかってきた。書いててだんだん見えてきた。一番暴露したくないことを暴露していくとだんだんまとまってくる。そうか俺はこれがしたかったのか。わかってきた。

悲しいくらいに下半身に直結した人間なのはよくわかった。それがわかっただけでもこのクソみたいな書き散らしにも価値はあった。とりあえず満足だ。

2017-03-31

菊池誠どうしてこうなった

菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。

現在では一山いくらネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。

しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。

というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。

菊池誠とは何をしていた人なのか。

2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。

これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。

この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。

また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいか評価すべきかということについて学んでいった。

よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。

当時その運動の中心にいたのが菊池誠である

ニセ科学ニセ科学批判

ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。

ニセ科学とは自然科学に関する嘘である

ニセ科学批判対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。

証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である

科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である

しかしながら個人霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判スタンスだ。

ニセ科学主体も様々である

営利企業大学教授特定肩書のない個人的ブログ政党や国そのものである場合もある。

彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益金銭)・社会的利益名誉)・思想利益党派性)・倫理的利益善意の施し)である

どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。

例えば近藤誠武田邦彦動機は金と売名だし、安倍晋三下村博文共和党言動党派性の発露であり、有象無象ブログ代替医療他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。

ニセ科学批判はこれらの動機や背景を問わずに殴りつける。

ニセ科学批判党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠言葉であるが、定義上これは正しい。

また、個々人のレベルで見ればその批判対象選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動総体として捉えればそれは働かない。

組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能からである

運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身党派性を表明しているに過ぎない。

例えばid:finalventにはニセ科学批判左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタから当局におもねった保守的運動である批判されている。

ニセ科学は大きくデマという概念内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学手続きの有無を利用している場合それをニセ科学呼称すると言い換えても良い。

ここからニセ科学批判方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。

例えば歴史学における歴史修正主義である

ニセ科学人文科学社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判ニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分からというだけである

ニセ科学批判参加者自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。

そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである

「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」

そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。

kikulogとtwitterから見た菊池誠

さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初テーマに関して結論を出さなければならない。

でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。

よく考えたら私は菊池誠親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。

でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。

(4/2追記)

どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。

・7年ぶりくらいに菊池先生名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。

菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災それから1年以上後。

2009年から現在に至るまで菊池誠ネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置id:hazumaちょっと似てる。

2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。

・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。

どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEASTSである

STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。

・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。

ブクマニセ科学批判ってもっとからあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語webだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。

以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。

今日からプロ野球が開幕らしいので通勤神宮球場の前を通って10数年、全く野球に興味のない私が主観的球団ファン外野席整列ランキングを発表する。

ヤクルトファン判断できないので除く

1位 中日ファン 

心得た場所取りとファン同士の交流の濃さで情報の伝達が早いらしく全く混乱が見られない。

スムースに並んで一般の通行人邪魔もしない。

並んでいるときの暑さ寒さ対策暇つぶし対策バッチリ

遠方から来たらしきファン遠征慣れしている。

安心して見ていられる。

2位 広島ファン

中日ファン以上にマナーも甲乙つけがたい広島ファンであるが昨年の優勝騒ぎで浮かれすぎて列をはみ出たりとちょっと迷惑だったので減点。

昨年まで心のベストワンであった。

3位 横浜ファン

まったく印象に残らないのでマナーはいいんだと思うけどそもそも神宮試合をしているのかどうかすらわからない。

4位 阪神ファン

毎年浮かれすぎ。

並んではいけないところに並んでいたりスクーター歩道に止めて並んだりするので道が通れない。

近寄っても話に夢中でどいてくれない。

一番酷いのは熱射病対策をしないところ。

野球ファンならキャップ持ってるはずなのに真夏でも被らない。日傘もささない。

神宮では場所取りをしたら整理券を配る時間までそこにいなくても良いというローカルルールになっているらしいのだが修行のように日向にしゃがみこんでる。

心配なので並んでてもいいか熱射病対策だけはして欲しい。

神宮スタッフも声をかけてあげればいいのに。

5位 巨人ファン

コアなファンがいないのか先輩ファンからコツを伝授されないのかみんな球場の前でどうしていいかからずウロウロしている。

ういういしいというよりもむしろ気の毒な印象を受ける。

番外編 つば九郎

心の準備ができていないのにいきなり道に飛び出してくるのは辞めて欲しい。

主観検証

主観的意見が先にあり、それに合わせてテキスト解釈していくのだと思っていたが、そうでもない気がしてきた。

ある単純な思い付き(多くの場合、苦難の中を生きることの突破口としてこれが思い付く)があり、この観点からテキストを読み直すことで、単なる思い付きが形を持ち、同時に限界が定まっていく、というのが実情に合っている。

2017-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20170324091745

違うんだよ、増田

面白い/つまらない」という評価軸は主観的ものではなく総体的ものなんだ。

その「つまらんわ」っていうのも、個々人のプリミティブな感情表現したものではなくて、大阪人風のコミュニケーション拒絶プロトコルの一つでしか無いんだ。

増田はそのプロトコルを使える。ということはまあコミュニケーション能力問題ない定型発達であって、アスペとは認められないんだ。

もっとアスペっぽく振る舞うなら意味の通りづらい造語などでまくし立てるなどしなきゃ。

まだ増田は正常な域だよ。もっとアスペっぽく!

2017-03-22

向井秀徳当事者性による二重性批判


「俺がそこにいた!」

初期ナンバガ歌詞を振り返るとこういう文体が多い
omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ

これは一人称の文に見えるが、実は三人称
俺“は”ではなく俺“が”と書くためには
「俺」という登場人物第三者視点から見る必要がある
まり三人称視点登場人物としての「俺」を描写していることになる

だが、この三人称の語り手は客観的ではない
いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする
語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない
まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的記述した三人称、となる

自分自身物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ
向井映画監督を目指していたそうだが、
カメラファインダーという隔たり越しに登場人物描写する手法もうなづける

だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしま
その対象が持っていた熱や存在感当事者性はどんどん薄まるだろう
そのメタ的な隔たりによる当事者性の薄まり向井は冷たいと感じた
そういった客観性集合体こそが「冷凍都市」であり
それを攻撃するための当事者性の象徴こそが「性的衝動」となる

語り手の俺が登場人物としての俺や少女描写する、という二重性
正確に描写しようとカメラの精度を上げるほど当事者性が薄れるジレンマ
こうした二重性を自覚した上で破る矛として性的衝動を用いたのが
初期ナンバーガールの詩の原理なのではないか

ではザゼンだとどうなのか
カメラ技術進化すれば、もはや人の目で見ているのと変わらなくなる
そうした現在において「メタフィクション批判」はもう古い、リアリティもない
向井秀徳カメラ技術もこなれてしまった
だが、世間当事者性は弱まるばかり、性的衝動を用いて復権させなければいけない
(よみがえる性的衝動
性的衝動は二重性を攻撃することでこそ、その強さを示せるのだ
から語り手/登場人物という入れ子構造を使わずに二重性を作らなければいけない

そこで向井リフレインに注目する
同じ場所言葉を何度もダブらせることで、反復が差異を生む
フィルムの一コマコマを切り分けるのと同じだ
(繰り返される諸行無常
こうして場所を移すことなく二重性を生み出すことに成功した
ナンバガ時代の二重性が
登場人物としての俺を乖離させることで生み出す客観的二重性だとすれば、
ザゼン以降の二重性は、単独で生み出せる主観的二重性といえるだろう
向井カメラシャッターを切らず、
ただ自分の目のまばたきでフィルムを切り分ける方法を見つけたのだ

はいえこ主観的二重性は『omoide in my head』の時点で芽生えている
思うに、福岡時代当事者性=性的衝動の強さを無根拠に信じていられたのではないか
カメラを手にしたばかりの少年にとってはどんな景色自分のものに思えるように
だが東京に来て、描写対象性という問題に直面して当事者性を鍛え直す必要が生じる
そうして鍛え上げた結果、福岡時代のような信頼を取り戻しつつあるのが
現在ザゼンボーイズでの素朴な描写に至るのではないか


ブログツイッターもやってなくて書く場所も聞いてくれる相手もいないのでここに
誰かツッコミ入れてくれ

2017-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20170319214851

そりゃ自分職業について

定職である以外に誇れるところがない人ってのは一定存在してしまうのが現実からじゃないのか。

定職だけど、それ以外に誇るところが大いにあるから、きちんとその部分に誇りを持って働いてる人もそりゃいるけれど。

でも、どんな職業しろ、誇れるかどうかってのは主観的すぎてむやみ矢鱈と誇らしいと行ったら叩かれる要因になるし

結局定職()かいうところに頼ってしまうのかもしれん。

http://anond.hatelabo.jp/20170319194804

馬鹿ってのはある意味主観的評価から

誰が評価するかによって同じ人間でも馬鹿かどうかは違うし

高学歴とかの一番上からしたらそりゃ馬鹿多数派に見えるのは当たり前なのでは。

視点のズレを考慮せずに雑に語るのが頭がいいってことなのかって話でもある。

2017-03-11

震災リアル

変わり映えのない家族愛に注目した特集が多い。無難で分かりやすいからだろうか。御涙頂戴でPV視聴率稼ぎやすいからだろうか。

実際のところ家族愛など微塵も感じたことのない毒親に悩む人間だっているんだけども。

外野からはとてもじゃないけどそんなことは言えないし、内野からでもわざわざ言うことでもない。オフレコしか流通しないエピソードを見聞きする人はいるでしょう。

被災者がいい加減なことを言うんじゃねぇ、と、被災者不謹慎厨は言う。分断。

ここにもちょっとしたポリコレポリコレ棒の問題存在するように感じる。

ポリコレというか、弔い合戦というか、死者にゲタを履かせ花を持たせたい心情というか。

報道側・外野側の気持ちもわかる。無難だし、攻めたことをするのは覚悟必要なのもわかる。かくいう私も増田でね。

個人的ミクロ主観的には震災はまだ続いている人もいる。しか社会全体のマクロとしては、もう感傷に浸ることから抜け出さなければならない段階であって、そういった段階だからこそシン・ゴジラが作れるわけでしょう。冷静さと客観性を取り戻してきているわけです。

なのに先へ進めない時代シルバーデモクラシー感傷、反知性などによって合理性蔑ろにされる。

鉄道の復旧なんかでもそういう話がチラホラと。元通りにするよりも、かねてよりの問題も鑑みてアレコレしたほうがマシでは?がポシャったりする。

「悲しかったり辛いけど、未来のために必要なんだ」という、社会としての意思言動希薄に感じられる。

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307202400

文化人種国境、あるいは時間を超えたら理解するのが難しくなる、

実に主観的普遍性の無い概念が「感情移入」なんだわ

その主観的感情移入

もし万人に通用するものを作ろうとしたら

「よわいひとをたすけましょう」的な酷くローコンテクストで幼稚なものになる

そんなつまらない道徳めいたもので縛られるくらいなら、

最初から評価勘定から無視した方が良いと言うのが評論家コンセンサスなんだろう

○○選挙というAKB最低のレガシー

二次三次わず、あれのせいでグループ内でも内紛が当たり前のように発生するようになった

昔は「○○の方が可愛い」「嘘つけB専」とあくま主観的なおふざけdisで済んでた

人気な推しが前面に来るような、商業上の序列無視することが出来た

今は数値として明確に序列が付く

上位は下位を心置きなく罵倒でき、下位は下位の小汚い争いに甘んじるのが当たり前の光景

糞ったれ商売としては正解だが、あれで大多数の人間幸せになれたのか?

2割が甘い蜜を吸って、8割が辛酸を嘗める娯楽を娯楽と言えるのか?

偶像は死んだ

2017-02-28

平等過労死しよう

 日本はこの先どうするのか。残業禁止効率の悪い無能社会から排除するのか、このままゆっくり過労死していくのか。

残業禁止政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています

 

労働者ブラック企業反対にかじを切ろうとしたさなかに日本的労働奴隷主義の波にぶつかってしまった。残業禁止など不可能です。

 主観的観測としては、残業日本にとってツケが大き過ぎる。ドイツ国民は「仕事の後の家族との時間」と言いましたが、日本は「残業当たり前」の国。残業は偉い神話が信じられてきた。日本人成果主義に耐えられないでしょう。

 

 だとしたら、日本長時間労働過労死を引き受けるべきです。平和過労死していく社会モデルになればいい。家族との時間とか、ホワイト勤務とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。ただ、上り坂より下り坂は難しい。どう犠牲者を出さずに軟着陸するか。日本場合、みんな平等に、緩やかに過労死していけばいい。分配する仕事を増やし、労働時間を強化する。つまりブラック企業な方向です。

2017-02-27

ラスボス恋人にもう一度会うためなら世界とかどうでもいい!!!

これ法律禁止してくれねーかな。

半端ないレベル萎えるんだけど。

おっと主観的には地球よりも価値がある物があるって考えが間違ってるとは言うつもりはないぜ。

私が否定してるのは創作オチに困ったから頭の悪いデウス・エクス・マキナ登場させますっていう怠慢でしかない物語だ。

主人公ヒロインを守るために世界犠牲にする系も超絶ゴミだけど、唐突ラスボス恋愛脳になるよりはまだナンボかマシだ。

世界滅ぼすような奴は頭おかしくなきゃいけないってのはまあ分かるけど、その理由が好きな女や好きな男が死んだからですってのは本当勘弁してよ。

そういう話にするにしても前々からその話としてちゃんと進めろ。

いきなり最後最後で「うおおおおおおおおおマンチンコドッキングしたいセックスしたいよおおおおおおおうぴょおおおおおおおおおお」みたいな事ラスボスが言い出して見てる側が萎えねえわけないだろ。

少しは考えて脚本作れ。

とりあえずで恋人の死を理由世界を滅ぼさせんな。

マジで

ストーリーに困ったらとりあえず恋愛が原因ってことにしときゃどうにかなると本気で思ってんのか。

思ってる奴らは今すぐ死ね

創作未来のために今すぐ死ね

氏ねじゃなくて死ね

久しぶりにこの表現使ったわ。

2017-02-21

「逃げろ」という奴は、死に追い込んでる輩と本質的に同じだ

個人批判ではなく、このマンガを持ち上げてる奴らに対するアレだが

娘へ ~将来死にたくなったらコイツを読め~ - ひつじブログ

http://shinya-sheep.hatenablog.com/entry/2017/02/19/212326

この話もはてブコメントもとても気持ち悪い。端的に言ってオナニーだろ。

死というイベントに対して、周りがキラキラに飾り付けてキャッキャしてんの。お前らが死ねよ。

な~にが「良いアドバイスですね!」「逃げることで救われる人がたくさんいる!」だ。

自己満足のためにかけた強者からの「逃げろ」という言葉当人にとってどういう意味を持つか何も考えてないでやんの。お前らが死ねよ、と思う。


直接的にしろ、間接的にしろ、死に追い込んでる輩が彼/彼女に対してやっているのは広義の人格否定だ。

罵倒して「お前はダメだ」と突きつけたり、(結果として)過剰なタスクを与えて失敗させて落ち込ませたり。

はじめは他者から勝手な低評価だったものが、本人の主観的相対的評価となり、気がつけば本人の中で自己評価が地に落ちる。

こういう人格否定プロセスが人を自殺に追い込むんでしょ。

で、「逃げろ」という奴。

彼や彼女にとって「逃げる」という行為がどういう意味を持つか考えてないだろ。一度死ね

学校しろ仕事しろ、はじめは自ら進んで行くものだし、やるものだ(ひと目でヤバイとわかりゃ、強要されない限りその時点で逃げるに決まってる)。

友達と楽しく通い、新しいことを勉強し、、あこがれの会社の、あこがれの職業の、あこがれの仕事、、それがどこかで歯車が狂ってしまう。

歯車が狂ってなお、勉強しろ仕事しろ学校会社に行けば必ず進捗する。努力がコツコツ積み上がる。

「逃げる」という行為は、そうやってどうにかこうにか積み上げてきた過去全ての努力を捨て去るということだ。

過去から続く現在までの努力を捨て去り、それどころかその先にあったはずの未来の夢すらも捨て去るということだ。

それってつまり、今の自分だけでなく、過去未来自分さえも否定しろという、ド直球な人格否定だなわけだ。

「逃げろ」という奴は、そういう最大の人格否定を強いようとしていることをわかってるんだろうか。

会社から逃げることは、小学校中学校高校大学と16年間以上費やしてきた、親から教育費と自分努力を自ら塵芥に帰し、

今以上の会社にも入れないということを受け入れなければいけない喪失感想像した上で、気軽に「逃げろ」と口にしているんだろうか。


何度も言うが「逃げろ」という言葉は、実質的に直接的な人格否定だ。

そういう意味では、間接的に死に追い込むやつよりよっぽどたちが悪い。

心の中をキラキラさせながら優しい言葉をかけてやったぞと人格否定するあたり、もはや罵倒して死に追い込むやつよりもたちが悪いかもしれない。

憎むべきは、死に追いやられた彼や彼女でも、死に追い込んだ輩でも環境でもない。

そうなるまで、手のほどこしようのない状態になるまで放っておいたお前だよ?

2017-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20170218224319

すぐに解決できるようなものではない。専門家相談したほうがいいと思う。

せっかく話してくれたのにこれだけじゃなんだから素人なりにアドバイスを。

あなたも薄々わかっているかもしれないが、その恐怖や不安をなくすことは難しい。なのでそういう感情とうまく付き合っていくことを考えたほうがよい。

あなた感情あなたの思い通りにならない。何とかしたいと思っても、何ともならないので、さらに苦しみが生じる。

感情を変えようとするよりも、受け入れようとするほうが楽である不安や恐怖は避けがたい。

しかしそれらに圧倒されて飲み込まれないように、よく自分を保ち、苦しみを増やさないようにする方法はある。

一人でも、どこでも、いつでもできる。瞑想である

重要なのは「気づく」ことである

感情に気づくことで、感情から自分を分離して、圧倒されないようにする。

具体的な瞑想の手順だが、

1.自分の呼吸に集中する。

空気が鼻や口を出入りする感覚お腹が膨れたりへこんだりする感覚意識する。これが基本である感情で一杯になっている脳の注意をそらし、自分状態に気づく余力をつくる。

2.感情に気づく。

例えばもし胸のあたりが苦しかったら、「怖れ」「恐怖」のように言語化する。

この時「怖い」とか「苦しい」のような主観的な(「私」が主語になる)言葉ではなく、名詞のような客観的言葉を使う。感情自分を一体化させないためである

感情に圧倒され流されるのではなく、感情があることに気づいて、他人の心を見るように自分の心を見る。

3.感情に気がついたら、それは放っておく。

不安や恐怖は消そうとしても消えるようなものではない。消えればいいとか、なくなればいいとか思っても、思い通りにならないのでさらに苦しみが増す。

なので思い通りにならないものだと思って、そのままにしておく。

感情感情であって、あなたではない。感情に打ち負かされ、支配されないように、よく気をつけていれば、苦しみは減る。

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