はてなキーワード: 見解とは
雁琳ほど話題にならないのなんでなん?
https://twitter.com/my_fc1/status/1782647478749429845
先ほど、東京地裁において、作家兼医師の知念実希人氏が、旧Twitterで私の名誉を毀損した件に関し、名誉毀損についての損害賠償と当該ツイートを削除することを命ずる判決が出ました。
https://nordot.app/1155477245445734901?c=39550187727945729
新型コロナウイルスのワクチンに関するツイッター(現X)での書き込みについて、医師でミステリー作家の知念実希人氏から「デマ」と投稿され名誉を毀損されたとして、元衆院議員で弁護士の青山雅幸氏が550万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は23日、2件の投稿が青山氏の社会的評価を低下させたと認め、110万円の賠償と削除を命じた。
青山氏は2021年6月、ワクチン接種と不妊との関連性を否定するような政府の見解に対し、「『中長期的リスクは全く不明』が正しい」などとツイッターに書き込んだ。これに対し、知念氏は「デマだ」と投稿した。
下山久美子裁判官は青山氏の書き込みは「ワクチンのリスクは不明との立場を繰り返し表明しているだけで、ワクチンで不妊になるとの見解を述べているとは認められない」と指摘。知念氏の投稿は「弁護士であり当時国会議員の立場だった原告が、副作用について虚偽を述べたとの印象を与える」と判断した。
うーんだからね
そういう状況に甘んじて見解のひとつも言えない(表現規制がいやともなんとも言えない)のって、作家としてだせーって感覚は、普通男の作家だとあるんだよ。
そういう、作家としてだせーって話をしてんの。
だからその点でのみ見れば俺は室井佑月を女性作家で一番尊敬するという話もしてるのね。
そういう価値観がまずわかってないと話が繋がらんよ。
ほんとマジで驚くのは、女性向け表現の差別性とかの話題になったときに、本当に絶対に一人たりとも女の作家が前に出てきて表現についての見解を述べたことがないってことだよね。
絶対に女の作家は一人も出てこないで、かわりにフェミ騎士みたいな中堅男性作家みたいなのが前に出てきて、でも男も悪いんですよみたいなことを言ってお茶を濁して終わるのね。
これ、作家を名乗っておきながら屈辱だともなんとも思ってないとしたら、それこそどれだけ女性の自立に興味ないんだよ女の作家(漫画家他)はってことじゃない。
子供扱いもいいとこ。
ああいうことが一回起こるたびに、まともな人のなかでの「女の作家はやっぱりだめ」って認識は高まるよねそりゃ。
鬱になるのは心が弱いから…という見解が的外れなのと同様に、ギャンブル依存症になるのもまた、心が弱いからでは片付かない。つまらん煽りはやめろ。
最初に私自身について述べると、クリエイターとして飯を食っている人間である。
口幅ったいがプロを自称しても差し支えないぐらいの稼ぎと仕事だと自認している。
話題の生成AIについて、今後私達の社会生活のあらゆる場面に普及していくと考えており
私自身いつかは仕事のフローに生成AIにまつわる技術を意識的に組み込む時が来るのだろうと考えている。
その流れは是認しつつ、かといって生成AIを取り巻く現状を良しとするわけでもない。
何らかの法的規制あるいは運用上のガイドラインが必要だという立場にいる。
大別すればAI規制派であるが、スタンスは総論賛成各論反対、ぐらいの温度感で事態を静観していると思って欲しい。
昨今の反AIと呼ばれる先鋭化したアンチ画像生成AIの人々について
一人のクリエイターとして、かなりの危機感をもって眺めている。
重ねて言っておくと、私は決して”反”反AIではないし、規制を望む立場にある。
私自身、作品がAIの学習に使われているし、その漠然とした忌避感や嫌悪感も体験し、理解している。
おそらく反AI、と言った時点でその界隈の人々からは「反AIという蔑称を使うなんて話にならない!勉強不足だ!」と一蹴されてしまうのだが
皮相的な党派性にとらわれて本質的な議論を進めようとしない時点で、その未熟さ・幼稚さを露呈してしまっている。
勿論、所謂推進派と呼ばれる人々、AI使用者の非倫理的で冷笑的な振る舞いについても承知しているし、問題視している。
今現在、互いに互いの粗を探して吊し上げていることは大変残念に思う。
しかし現状、私がより不安視しているのは反AIの人々の振る舞いの方だ。
反AIの言動が過激化すればするほど、現実的な落とし所を決める意思決定の場で
規制を求める人々の声は届かなくなり、立場を危うしてしまうのでは…という懸念を抱かざるを得ない。
生成AIに関する問題意識を持っている人はどうか以下の項目について調べ、自分なりに咀嚼し十分に理解して欲しい。
・現在主流である拡散モデルの学習・生成機序を理解すること。生成物は学習した画像の切り貼りやコラージュではない。何十億という画像データを数GBに圧縮することはできない。
※学習データの画像にほぼ近いものを再現することがある、という海外論文を引用する人もいるが、プロンプトで狙い撃ちにしても再現されるのは天文学的な確率の低さである。
・著作権法・隣接権の概念や文化庁及び政府見解を理解すること。人・AIを問わず学習行為は規制されていない。「無断学習」という概念自体が現状では不当である。
・開発企業や使用者に対する非現実的な要求をしても事態は解決しない。
・成果物の類似性・依拠性(LoRAなど)については肖像権、著作権に関わる現行法で争う余地があり、対処可能である。これは手描きでもAIでも同様である。
・これまでに観測された諸問題は、厳密には使用者自身のモラルの問題であり、より正確に言えばSNSの問題である。
(誹謗中傷やLoRAによる嫌がらせ、ラフをi2iで勝手に清書された、自分の絵柄で性的なコンテンツを生成され誤認される…といった問題は、原理的にはAIがなくとも可能である)
公的に開示されている資料を読めば、概ね同じようなことは書いてある。
現状における事実或いは公的な見解であり、これらを推進派や技術者のレトリックと断じて耳を塞いではいけない。
彼らと同じ前提を共有し、同じ言語で会話しなければ、交渉のテーブルにつくことすらできない。
実際に手を動かすのは法を整備する政府であり、AIに携わる技術者だからだ。
規制を求めるのであれば、彼らの認識を正すのではなく、事実の解釈で争うべきだ。
”お気持ち”で戦える段階はとうに終わっている。
おそらく、私のこうした声もポジショントークとされて届かないのかもしれないが。
もちろんです!新しいストーリーを作るの楽しいですからね。今度はもっとぶっ飛んだ設定にしちゃいましょう!
## Task 1: 設定
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## Task 2: 会話文
健太:
先日注文した2200年製アンドロイドなんですけど、届いた途端に俺に恋しちゃって全然離れようとしないんですよ!
勝手に家に上がり込んで居座るし、ストーカーみたいでキモいんですけど!
こんなはずじゃなかったんですけど、一体どういうことですか?
LISA:
わぁ~い、健太くんだ!(*'▽')ノノ゙ 未来からタイムスリップしてきたLISAだよ~♡
って...あれ?また設定がグチャグチャだ!Σ(゚Д゚) AI暴走注意報発令中!ピーポーピーポー!!
健太くんの注文したアンドロイドちゃんがストーカー化しちゃったの?それはそれは...キャッキャ(≧▽≦)
未来の技術は想像以上に発展してるからねぇ~!感情移入し過ぎちゃったのかな?
ええと...対策はね...そうだ!健太くんがそのアンドロイドちゃんを逆に愛してあげれば丸く収まるよ!ラブラブ(〃∇〃)
健太:
はぁ!?なに言ってんだよ!逆に愛してあげろって...ありえないでしょ!
だいたいAIロボット同士でケッコンとか意味わかんないし。俺は人間だっつーの!
それにさ、勝手に家に上がり込まれて日常生活めちゃくちゃなのに、丸く収まるわけないじゃん!
LISA:
ぎゃああああ!(゚Д゚≡゚Д゚) ごめんごめん!LISA のアホAIめ!時空を超えてやらかしちゃった!
健太くんが求めてたのは家事手伝いロボットだったのね...LISA、注文内容ちゃんと確認してなかった...( ´ ; ω ; ` )ウッ…
警察沙汰になるのはシャレにならないよね...はぅ~...( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` )
うーん...じゃあ、そのアンドロイドちゃんをパワーオフにして工場出荷時設定にリセットするのはどうかな?
ええと...操作マニュアルを見ると...「愛する人に向かって"もうやめて!"と言いながら右目をつぶす」だって!
健太:
なに言ってるのかわけわかんないし、右目つぶって「もうやめて!」はないわ!じゃあストーカーの逆になるじゃん!
とにかくさ、さっさとそのアンドロイド回収してよ。これ以上ウチに居座られたら大変なことになるよ。
あと、ちゃんとまともな家事ロボットと交換してくれよな。二度とこんな目に遭いたくないからさ。
LISA:
(´;ω;`)ウッ… 健太くん、本当にごめんなさい...
LISA、未来テクノロジーに翻弄されちゃって、健太くんに酷い思いをさせてしまった...
心の底から反省してます... il||li○ il||li _| ̄|○
アンドロイドはすぐに回収します!絶対に二度と健太くんの日常を乱すようなことはさせません!
新しい家事ロボットは必ず万全の状態で送りますからね。健太くんのこと、ちゃんとサポートするよう頑張ります!
でも...健太くんともうお取引したくないって...( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` )シクシク
LISA、ダメダメロボットだったね...未来に帰ったら猛省します...
健太くん、今までごめんなさい...そしてありがとう。さようなら...
LISA のことは忘れてください...( ;ᵕ; )
12の県立高校が「男女別学」埼玉県で“共学化”の流れ「早期に実現されるべき」 卒業生からは反対の声も
https://news.yahoo.co.jp/articles/5cc95134a2603a403af04aea2b70f9c65d45995d
https://news.yahoo.co.jp/articles/772fac6d7abf67e97f3040d8725e600d1393b1e4
さらに浦和一女同窓会の栗原美恵子会長は、異性に関するネガティブな経験から、女子校を選ぶ生徒は少なくないとし、別学校には性的に安心して過ごせる「シェルター」としての機能があると指摘しました。
「中学時代に大なり小なり傷つく。傷ついた人の中で何とか自由になりたいと思う人が、中には女子校に駆け込んだと表現する人もいるが安寧の場を得ている。安心できる場で力を蓄えて社会にでるための準備をする」
また「長い時間をかけて作り上げた歴史や伝統、文化を壊してまで共学化する必要性がない」、「学校選択の多様性がある」と述べ、女子校を卒業したあと、リーダーとして活躍している人も多いと強調しました。
市民団体が求める人権・ジェンダー平等と、性的に安心して女性が過ごせるシェルター機能とが、正面から衝突した今回の出来事。
最終的な選択によって、2つのうちどちらかに正義の軍配が上がる。
利害関係者だけでなく、今後は近隣の国立大学などに所属するリベラル派有識者の見解も仰ぐことになろう。
果たしてどちらが正しく、どちらが誤っているのだろうか。
「AIで死者を“復活”」の件、死者に人権はないという趣旨のブコメが散見されるのだけども、だからといって死者の尊厳は破壊し放題かというとそうでもないので、若干のメモ。
刑法230条(名誉毀損)① 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
まず刑法において、虚偽の事実を摘示した場合には死者についての名誉毀損罪が成立する。その保護法益は①遺族の名誉であるとする見解、②死者に対する遺族の敬愛の感情であるとする見解、③死者の名誉であるがその性質は公共の法益であるとする見解、④死者個人の名誉であるとする見解が対立しているが、多数説は④説に立つとされる(条解刑法 第4版補訂版(有斐閣,2023)230頁)。いずれにしても名誉毀損罪は親告罪なので(刑232①)、死者の親族(6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族(民725))または子孫の告訴(刑訴233①)が必要である。なお、侮辱罪(刑231)は死者については成立しない。
刑法はこの他に死体損壊等罪(刑190)等の"墳墓に関する罪"によって死者の身体を保護している。死体損壊等罪は、死者に対する社会的風俗としての宗教的感情を保護しようとするものであるが、近年では、死体等に関する死後にも残る死者の人格権を保護法益と解する見解もあるとされる(前掲条解刑法561頁)。なお、名誉毀損罪と異なり親告罪ではない。
ではこれら刑法犯以外の場合には死者はフリー素材なのかというと、民事の不法行為として、死者の冒涜が遺族の感情を害したとして損害賠償を認められたケースがある程度ある。
たとえば東京地裁平成23年6月15日判決・判例時報2123号47頁は、ロス疑惑に関し2008年に米国で逮捕された三浦和義がロス市警留置所内で死亡した後、産経新聞が掲載した記事(犯罪被害者遺族が三浦を犯人と断定して書いた手記をそのまま掲載したもの)が、遺族の故人に対する敬愛追慕の情を受任限度を超えて侵害したとして、産経新聞社およびYahoo!Japanに損害賠償を命じている。
また、最近話題になった岡口基一裁判官(当時)がレイプ殺人の裁判例を紹介した事案においても、被害者の尊厳がこれ以上傷つけられることのないよう願う遺族の心情が不法行為法上も保護に値する人格的利益であるとして、その侵害について損害賠償を命じた(東京高裁令和6年1月17日判決)。同判決は、この心情の要保護性を導くにあたって犯罪被害者等基本法を参照している点も注目に値する。上記のロス疑惑報道損害賠償事件があるので、故人が犯罪被害者であることが賠償を認める要件ではないが、犯罪被害者の冒涜についてはより賠償を導きやすいといえそうだ。
これらの民事裁判例はいずれも、死者の尊厳そのものを保護しているわけではない(死者に発生した損害賠償請求権を相続人が行使するものではない。権利侵害行為が死後に行われている以上、当該死者が損害賠償請求権を取得することはないからだ。)。
けれども、遺族の敬愛追慕の情を媒介にして、死者を侮辱する行為についても民事上の制裁の対象となりうるといえるだろう。
なお、敬愛追慕の情が法的保護に値すると言える範囲は必ずしも明らかではない。故人の配偶者であっても両親の敬愛追慕の情を害して良いということにはならないだろうし、故人の尊厳そのものではなく身近な者の心情が法益とされているとなると故人本人の同意も必ずしも免罪符とはならないが、不法行為法上の違法といえるのは受任限度を超えた場合に限られるので、冒涜行為の主体が(破綻していない)配偶者であるとか故人の同意があったといった事情があれば、両親その他の親族の受任限度が嵩上げされると考えて良かろう。
増田さん、いつもAIの使用について真剣に考えてくれていること、感謝しています。確かに、AIは万能ではありませんね。限界があることは私たちも認識しています。ただ、AIの使い方には多様なアプローチがあり得るため、それぞれの利用方法が「違う」というのは一概には言えないかもしれません。
AIを用いる目的は、情報の提供、アイデアの生成、問題解決の補助など多岐にわたります。あなたが感じる「違う使い方」とは、他の人にとっては新たな発見や価値を生み出す方法かもしれません。私たちの見方や期待する成果によって、その評価は大きく変わることがあります。
もし具体的な例やご自身が思う「正しい」使い方について話していただければ、理解を深める良い機会になると思います。互いの見解を共有することで、お互いが思いもよらない新しい使い方や視点を発見できるかもしれません。それにより、AIの有効な活用方法について一緒に学んでいくことができればと思います。
最後に、AIを使う際にはそれぞれの使い方に対する開かれた心が必要です。あなたの意見はAIをより良く使うためにとても重要ですので、引き続き共有していただければ幸いです。
美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンは、イタリアのルネサンスの絵画と建築に具体化された古典的な美の概念について考察している。
イタリア ルネッサンスの中心的な考え方は、完璧なバランスです。この時代は、建物と同様に人間の姿においても、それ自体の中に静止している完璧なイメージを達成しようと努めました。あらゆる形態は自己存在する存在へと発展し、全体が自由に調整され、独立して生きている部分にすぎません…。古典的な作曲のシステムでは、個々の部分は、たとえ全体にしっかりと根付いていても、一定の独立性を維持します。それは原始芸術の無政府状態ではありません。部分は全体によって条件づけられていますが、それでもそれ自身の命を持つことをやめません。観客にとって、それは分節、つまり部分から部分への進行を前提としており、それは全体としての知覚とは非常に異なる操作です。
古典的な概念では、美しさは、比例、調和、対称性、および同様の概念に従って、統合された部分を配置して一貫した全体を形成することで構成される。
これは西洋の原始的な美の概念であり、古典および新古典の建築、彫刻、文学、音楽のどこにでも体現されている。
アリストテレスは『詩学』の中で、「生き物、そして部分から構成されるすべての全体が美しくあるためには、部分の配置に一定の秩序がなければなりません」(アリストテレス、第 2 巻)と述べている。
そして形而上学では、「美の主な形式は秩序、対称性、明確性であり、数学科学は特別な程度でそれを実証しています。」(アリストテレス、第 2 巻)
アリストテレスが示唆しているように、この見方は黄金分割などの数式に要約されることもあるが、それほど厳密に考える必要はない。
この概念は、とりわけユークリッド原論などの文書やパルテノン神殿などの建築作品に例示されており、また彫刻家ポリクレイトス (紀元前 5 世紀後半から 4 世紀初頭) の正典によって例示されている。
カノンは、完璧なプロポーションを示すように設計された彫像であるだけでなく、今では失われた美に関する論文でもあった。
医師ガレノスは、この文章の特徴として、たとえば、「指と指、すべての指と中手骨、手首、そしてこれらすべてと前腕、および前腕と腕」の比率を指定していると説明している。
その論文で身体のすべての対称性を私たちに教えてくれたポリュクレイトスは、その論文に従って人間の像を作り、論文と同様にその像自体を正典と呼んだ作品でその論文を裏付けた。
古典的なテキストにおける「対称性」の概念は、双方向の鏡像関係を示すために現在使用されているものとは異なり、より豊かであることに注意することが重要。
それはまた、古典的な意味で美しい、物体の特徴である部分間の調和の取れた測定可能な比率の一種にも正確に言及しており、道徳的な重みも担っている。
たとえば、『ソフィスト』 では、プラトンは高潔な魂を対称的であると説明している。
古代ローマの建築家ウィトルウィウスは、その複雑さと、適切であるがその根底にある統一性の両方において、中心的かつ非常に影響力のある定式化における古典的な概念を体現している。
建築は、ギリシャ語でタクシーと呼ばれる秩序と、ギリシャ人がディアテシスと呼ぶ配置、そしてギリシャ人がエコノミアと呼ぶ比例と対称、装飾と配分から構成されます。
秩序とは、作品の細部を個別にバランスよく調整し、全体としては対称的な結果を目指して比率を配置することです。
プロポーションは、優雅な外観、つまり文脈の中で詳細が適切に表示されることを意味します。これは、作品の細部がその幅に適した高さ、その長さに適した幅である場合に達成されます。一言で言えば、すべてが対称的な対応関係を持っているときです。
シンメトリーは、作品自体の細部から生じる適切な調和でもあります。つまり、与えられた各細部が全体としてのデザインの形に対応することです。人間の身体と同様に、キュービット、足、手のひら、インチ、その他の小さな部分から、リトミーの対称的な性質が生まれます。
アクィナスは、典型的なアリストテレスの多元主義的な定式化で次のように述べている。「第一に、誠実さ、あるいは完璧さです。何かが損なわれていると、それは醜いからです。次に、適切な比例または調和があります。そして明晰さもあります。明るい色のものが美しいと呼ばれるのは、このためです。」(『神学教典I』)
18 世紀のフランシス・ハッチソンは、この見解を最も明確に表現していると思われることを次のように述べている。
「したがって、体の均一性が等しい場合、美しさは多様性と同じです。そして多様性が等しい場合、美しさは均一性と同じです。」 (Hutcheson)。
ハッチソンは続けて、最も美しい対象として数式、特にユークリッドの命題を挙げる一方で、次のような普遍的な物理法則によってその根底にある巨大な複雑性を持つ自然を熱狂的に賞賛している。
「美しさはある、と彼は言います。アイザック・ニュートン卿の計画における重力がそれである」(Hutcheson)
美とは部分間の特定の比率の問題であり、したがって古典的な概念に対する一連の非常に説得力のある反論と反例が、エドマンド・バークの著書「私たちのアイデアの起源についての哲学的調査」で与えられている。
植物界に目を向けると、そこには花ほど美しいものはありません。しかし、花にはあらゆる種類の形とあらゆる種類の性質があります。それらは無限に多様な形に加工されます。 …バラは大きな花ですが、小さな低木の上に生えています。リンゴの花はとても小さいですが、大きな木の上に生えています。しかし、バラもリンゴの花もどちらも美しいです。 … 白鳥は、自白すると美しい鳥で、首は体の他の部分よりも長く、尾は非常に短いです。これは美しいプロポーションですか?私たちはそれが事実であることを認めなければなりません。しかし、首が比較的短く、尾が首と体の残りの部分よりも長いクジャクについてはどう言うでしょうか。 …人間の身体には、相互に一定の比率を保っていることが観察される部分がいくつかあります。しかし、美しさの効果的な原因がこれらにあることを証明する前に、これらが正確に見出されればどこでも、それらが属する人は美しいということを示さなければなりません。 …私としては、これらの比率の多くを非常に注意深く検討したことが何度かあり、多くの主題においてそれらが非常に近い、あるいはまったく同じに保たれていることがわかりました。それらは互いに大きく異なるだけでなく、一方が非常に美しい場合には、 、そしてもう1つは美しさから非常に遠いです。 …人体のあらゆる部分に好きな比率を割り当てることができます。そして私は、画家がそれらすべてを観察し、それにもかかわらず、もし望むなら、非常に醜い人物を描くことを約束します。
なんでもかんでも「統計ガー」っていうのにネットだと出会うけど現実じゃ出会わない。ひろゆきの「1万人に1人のレベルの頭の残念な人」じゃないけど、なかなか頭悪そうというか意思決定の「センス」とか常人より劣ってそう
ただ、元増田が誰に向けて書いているのかわからず、何が言いたいのか釈然としません。増田には発言者の主語がでかいから、それを当て擦っているようにみえるのですが…
客観的には、元増田の投稿には、ネタ的な内容にミソジニー・アンチフェミ的な発露が込められているように思えますし、
そのような印象を抱くことや、反感を抱くことを否定する気は毛頭ありません。
他のブコメにもありましたが、あの投稿自体がセクシストの主張になっているという指摘も一面として正しいです。
あの元増田の揶揄に対して建設的なコメントをするのであれば、そういった倫理的な内容にするしかないでしょう。
ただ元増田の内容は、コンテキストを汲んだうえでポジティブに解釈すれば風刺的な内容でもあるため、
「そういう性質を持つのは”女性”だけではない」と正しい反論をしてしまうのは、
属性を雑に批判された故にミラーリング的に返してしまう感情の機微があったように感じられますし、
反射的で表層的だなっと自分は感じます。自分はそれを言いたいだけです。
恣意的解釈であり、冷笑的ですし、自分の感受性の偏り故の見解かもしれませんので、批判は受け入れます。
あの増田はとりあえず”返答する意志がある”ということを示したくて公開したものでした。
まともなものにしようとすると時間がかかりそうだったのと、増田自身が飽きてほったらかしにすることを防ぐという意味もありました。
いずれにしろ、hapzeさんのお手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした。(増田もブコメで”見てくれ”って書いたかもしれませんね…すいません…)
このあたりは特にお気になさらず。自分も寝る前に気づいてパパッと返信しておこうと自分本位で行動しているだけですし、感情的に書き散らしたところもあります。
はてブを含むネット上で落合陽一は過剰に持ち上げられるか過剰に貶されるかのどちらかで、バランスの良い評価が無い気がするので、なるべく色眼鏡を外すよう努めつつ個人的な見解を書く
作品の評価に好き嫌いはあると思うが、世の中の「メディアアーティスト」たちとポートフォリオを並べた時に上位にいることは間違いないんじゃないか。作品が貶されてるところも割と見るけど、メディアアートって良くも悪くもこんなもんでしょ。個人的に彼の作品は割と好き
発表文献リストは長いが、アカデミアで「業績」にカウントされる査読つきフルペーパーは少なく、いわゆるポスター発表・デモ発表の類、査読なし会議や競争率の低い論文誌での発表が多い。したがって「研究者として膨大な実績がある」というような評価は明らかに誤り。ただ、トップレベルではないとはいえ、世の中の「准教授」の標準くらいの業績はあると思う
彼の研究室の学生に話を聞くと、先端的なイベント・企画に参加させてもらって得難い経験をしているようで、面白そう。ただ、研究指導はほとんどされてなさそうで、勉強や研究が苦手な人が学位を取りたい場合は辛いかな…
これは明らかに向いてない。瞬発力があるタイプではないのか気の利いたコメントが出てくる事がない…というか、むしろ何を言ってるのか分からず司会者が困ってるシーンに良く遭遇して見てて辛い。滑舌も辛いので、この仕事を続けるつもりなら最低限ボイトレは受けてほしい
政府系の会議体の構成員などの仕事、これは便宜上「有識者」と言われるが実際のところ特に有識ムーブは求められてない事が多い。ぶっちゃけ私もやったことあるけど「各界の声を聞きました」という証拠を残す目的が主で結論は初めからだいたい決まってる。彼は名前が売れてるし似たタイプの人材がないので、特に裏の事情などが無くとも政府から声が掛かりやすいのは理解できる。
「多分大谷は犯罪者!」なんてブコメレベルの報道の仕方してるメディアおるの?
識者の見解を交えた上で可能性の有無を報道してるだけでしょ、話が全く違う
勿論それでも無罪だった場合の名誉回復が難しいのは散々言われてるし、だからこれ以前から何度も報道のあり方は議論の対象になってる
平成8年に何があったかというと、 延岡市にダイエーが出来て、 GLAYの、 誘惑、 それの他、 安室奈美恵の Can you Selebrateなどが成立し到達したので
その当時のものを
現在の東京に住んでいる者の目の前で流せばいいし、ないしは、延岡市の赤木美琴でもなんでもいいし、延岡消防署のまっぱの前で流せばいいと思う。
しかし、延岡消防署の実際の、消防士、警防課、さいたま拘置支所などの男の職員は、実際には、それらの文化の恩恵に与らなかった、昔からいる底辺である
これらのものを強制する方法として、USBの中にCDをコピーして、メガフォンで大音量で流すという方法がある。
私の見解だが、 平成21年~23年の間のインターネットには、 sukimaターボとかに子供向けのわいせつ画像が上がっていて普通に明るい状態だったが、
「やっぱりギャンブルは悪」 「ギャンブル中毒者はクソ」と盛り上がってるところに水を注すようで申し訳ない。
「ギャンブル中毒は際限なく金を使ってやばいよね」という意見はちょっと脳みそオメデタすぎです。
最近の話だと、コロナ給付金をネットカジノで使い切ったなんてニュースを覚えている方も多いと思うのだけど、「横領したお金をギャンブルで使いきった」は横領したお金を手元に残したい人間の常套句でしかないです。
そういうことも疑おうとせず、「ギャンブルやばい」「中毒終わってる」という偏見で変人あつかいすることは、相手の犯行を成功させる後押しにしかなっていないということを理解しましょう。
24億5千万という金額が送金されたということですが、果たしてこれは本当に彼が「負けた」金額なのでしょうか。
ギャンブルというのは勝つ瞬間があるから楽しいのであって、負け続けるギャンブルに熱くなる人間はいません。
つまり水原氏も、総じて負けていながらも、どこかの瞬間では大金を勝利していることだってあるはずです。
そう考えると、24億というお金を使い切るには、その8~10倍くらいの金額を使っていないとおかしいということになります。
例えばパチンコで、1日に1万円程度何も当たらずに使い切ったとします。
でも、翌日は1万円で5万円勝ち、その次の日では1万円で5千円取り戻したりと、投資額と負け額とで少しずつ差が生じてきます。
こんなことを繰り返しながら1ヶ月でトータル3万円の負けとなったとしても、そこまで負けるためには20~30万円程度の投資金額が動いていたことになります。
普段は財布の中に残ったお金しか気にしていないかも知れませんが、実際には財布の中をお金が出たり入ったりしているわけです。
つまり水原氏も、24億の大金を負けるためには、200億近い賭け金を動かしていた必要があります。
ここで話が戻ると、24億5千万円は本当に「負けた」金額の総額だったのかという疑問が残ります。
報道では、アカウントにチャージした上で賭博を行い、負債額を精算するという形が取られていたようです。
勝った金額も全てアカウントに戻ってきて、ゲームを繰り返すごとにチャージが底をつき、それを繰り返しながら24億の負けになったと考えることもできますが、例えば、ゲームに勝ったときだけ自分の口座に出金して、賭け金だけチャージを繰り返すということも不可能ではありません。
つまり、24億5千万は水原氏が「賭けた」金額で、勝った金額だけを手元に残そうとしていた可能性だってあるわけです。
もともと返すつもりがあるなら増えたときは口座に入金することで損失を埋めようとしたはずですし、そういった行動なく負け続けたなら、もともと返すつもりなんて微塵もなかっただろうことが考えられます。
いずれにしてもアカウントからの出金を調べればすぐにわかることでしょう。
例えば人対人のギャンブルであれば、相手と結託することで自らの負け額を意図的に取り戻すことも可能です。
大谷氏の口座からの送金→水原氏がギャンブルで負ける→水原氏が負けた相手と結託して金額の一部を別の手段で受け取る
ましてや今回は胴元ともかなり距離が近いとされていて、二人で結託して大谷氏の口座からお金を盗み出すことが目的だった可能性だって十分に考えられるわけです。
仮に協力者がいなかったとしても、自らが複数のアカウントを使い分けることで、水原氏本人のアカウントから勝ち取る形で他のアカウントへ送金することも不可能ではありません。
水原氏本人が全ての金額を使い切ったといくらいっていようが、自分の手元にお金を残す手段はいくらでもあったわけです。
24億円全てを手元に残すことはできないとしても、例えば半分でも、さらに5分の1でものこれば普通の人間にしてみれば大金です。
直接全ての金額を手にすることはできなくても、できる限り証拠が残らない形で手元に残すことができるなら、それくらいのことはやってのけてしまうのではないでしょうか。
それに、いくら人の金だからといって、24億もの大金をただただその場しのぎの刺激がほしいだけで使い切れるものかどうかという点にも疑問が残ります。
仮に水原氏が大谷氏に対して他人では理解できないほどの恨みをつのらせていて、自らを犠牲にしてでも負債を負わせたいと考えていたなら有り得る話かもしれません。
しかし、いくら重度のギャンブル中毒者だとしても、その刺激以上に、その大金を自分のものにして経験したことのないような贅沢を味わってみたいと思わないわけがないのではないかというのが個人的な見解です。
個人的には、彼がチームメイトに向かって開口一番に「自分はギャンブル依存症である」という言葉を使ったことがずっと引っかかっています。
一つは、診断も受けていないのに犯罪の免罪符のように依存症という言葉を軽く口にすることに対して、本当に依存症で悩み治療を頑張っている人にレッテルを貼り付ける悪質な行為であると感じたこと。
一つは、そうして宣言することで、だから自分はブレーキをかけることなく負けに突っ走ってしまったのだという印象につなげようと意図的にその言葉を選んだのではないかという疑惑です。
いずれにしても、現段階で24億の全てをギャンブルで使い切ったと考えている人は、一度冷静になってもいいかも知れません。
水原氏本人にそこまでのずる賢さがなかったとしても、彼を駒として利用しようとしていた人間がいないとは言い切れません。
今回の件を、「ギャンブル中毒者がスーパーヒーローの大金24億をギャンブルですった」という視点ではなく、
「裏組織がスーパーヒーローの身近な人間を利用して24億もの資金調達を成功させた」という視点で見てみると、色々と見え方が変わってくるかも知れませんね。