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はてなキーワード: 無力感とは

2012-02-06

財政に対する学習無力感

円高とデフレ

これがあるから若者給料は上がらず、国の借金は相対的に増え続け、景気は悪くなり続ける。

なのに、円高もデフレも何も有効な対策を打たないまま、財務省野田総理マリオネットのようにコントロールし、消費税増税実施しようとしている。借金の実高も、消費の冷え込みも承知の上で、それでも増税をするんだ。なぜ? 貯金財産もない若者には「死ね」と言われているようにしか聞こえない。

けれど、きっと財務省日銀のえらい人は、そんな素朴な疑問に対しても、僕の想像もつかないような専門用語で、哀れむように、蔑むように、理路整然と解説して「だからインフレターゲット政策は誤りなのですよ。私たちの啓蒙が足りませんでしたかねえ」というような顔をするのだろう。いや、彼らにそんな暇はない。どうせ説明を求めても「愚民に説明しても無駄だ」くらいの心持でいるのだろう。

そして、今の円高とデフレ放置している理由は、僕の理解を正直超えている。財政なんちゃら学的に見て、それが妥当からなのか?

それとも、インフレ暴走することで、査定が下がることを恐れているのか?

デフレ政策を維持し続けてきた大蔵日銀OBメンツを守りたいからなのか?

デフレによって、相対的に自分給与退職金天下り先で手に入る金を維持増加させたいのか?

デフレによって、天下り先が維持される原因が生じ、それこそが彼らにとっての利益なのか?

全くわからない。だが、物心ついたときからデフレ不況と、財務官僚に国民の声なんか届かないという無力感に、影に日向に僕はさいなまれ続けてきた。

そして、財務官僚は増税反対論を敷くマスメディア論客に、税務調査で脅しを掛けるという。

権力を使ってまで、若者雇用を間接的に殺してまで、増税がしたいのか。

この構造は、霞ヶ関奥の院、密儀の神殿で、長老の如き老人たちの手で行われており、所詮、僕のような若い庶民には、何の異議申し立てをしても無駄なのだろう。

そして、無理に騒ぐ人間には、権力を使って合法的に圧殺するのだろう。そして、彼らは若者の声を「愚民どもが扇動されているな」とあざ笑いながら、政治家を言いくるめ、マスメディアを脅して、増税を押し通し、不景気を招くのだろう。そして彼らは、天下り先で高い給与退職金を得て、仕事のない若者を横目に「努力が足りない」と呆れながら、安楽な余生を過ごすのだろう。

この20年、好景気とやらを殆ど見たことのないまま、どこかの頭のいい老人たちの手によって、僕らは翻弄されてきた。それに異議申し立てをする能力も手段もないまま。

ハシズムが勃興する理由の一つは、この学習無力感を癒す可能性が僅かでも感じられたからだろうと僕は思う。頭のいい大学のセンセイなんかは「それはナチスやファシスタ党の勃興と同じ理由だ、眼を覚ましなさい」とご丁寧に忠告してくれるのだろう。

でも、もう遅い。この国に刻み込まれた、学習無力感反動が、これから荒れ狂うだろう。暖かい場所で、オーソリティ給与を得てきた大学のセンセイの言葉は、実にむなしく響くよ。

2012-01-31

無力感

俺が子供の頃から少子高齢化社会と言われていて、40年ちかくたった今もなお解決どころが議論もされていないのはなぜなんだろう。

もうどうしようもなく受け入れているのか、なるようになると考えているのか。

2012-01-16

障害者の星

乙武さんは重い障害者でも健常者より活躍成功できることを社会に示し、一部の障害者には希望を与えただろうが、

今まさに障害によって苦しんでいる人に対して「乙武さんは頑張ってるのに」という言葉がかけられる機会を作り、叩きのめしたのではないか

橋下さんも被差別部落出身でも差別を受けていない人よりよっぽど成功できる例を社会に示したが、

差別によって潰れた人間のことは叩きのめしたのではないか

性的虐待被害者水商売風俗に堕ちていくことが多いと聞くが、

性的虐待を受けていましたが、その悔しさをバネに勉強を頑張り、難関資格を取って成功しました」という例が次々出来たら、

堕ちていった性的虐待被害者に追い討ちをかけることになるのではないか

過干渉などの「毒になる親」からモラル・ハラスメントを受け続け無力感に苛まれてニートになる人は多いと聞くが、

「そんな親から仕打ちをバネに、勉強してエリート会社員エリート研究者になりました」という例が次々出来たら、

今まさに無力感に苦しんでいる人々を突き落とすのではないか

成功者が一人も居ない場合は「障害者部落虐待被害者ゴミカス人間ばかり」という偏見が生まれて問題ではあるが、

一部の成功事例を取り上げて「なんであんたもこういう風になれないの?」と言うのもまた人を苦しめることになる。

結論:人をひとまとめにして語ってはいけない。

2011-12-30

わりとまじめにフジテレビを更正させたい(願望)

フジテレビ潰れろ!」「放送免許を取り消せ!」

ネットでこれらの主張が飛び交っていない日はないだろう。

フジテレビに対する嫌悪感はもはや一時的なものではなく、

ネットユーザ意識としてしっかりと根付いたと言っていい。



まあ無理もない話だ。

電波国民財産であり、その公共財排他的に占有して、

他国の王族侮辱したり、自社の利益のために自国を貶めるような

放送を流す私企業に対して「見なければいい」で済ますことはできない。



明らかに悪いことをしている個人や企業が罰せられない、

と言う状況は負の感情を生む。社会にとって負の遺産として積もり続ける。



その上、彼らは一方的に自分たちの正当性だけを述べる、

または報道しない自由とやらの自由で無視するのだから

ネットユーザに限らず、憎悪が蓄積されて当然であろう。



このやりどころのない怒り、不公平感、無力感は、

それを許している法や政治、ひいては社会に対する不信につながっていく。

そのどうにもならない『こんなの絶対おかしいだろ!?』という叫び

結果的に「フジテレビ潰れろ!」「放送免許を取り消せ!」という声になっている。



それを痛いほど理解した上で。

一歩引いて考えてみる。



免許剥奪」の選択は現実味がない(むしろ倒産の方がよっぽど現実味がある)。



冷静に考えてみて、免許剥奪になるほどの放送内容というのはなかなか想像が難しい。

結局のところ、放送免許の剥奪というのは大なた過ぎて誰もふるえないのだ。

なので、いつも「現状維持(罰せられない)」という事態に陥っているのではないか



もちろん、瞬間最大風速的には私自身もフジテレビに対して「滅びろ!」と思うし、

テレビ局NHK民放1局ぐらいで十分じゃないのか、とか思うこともある。



けれどテレビ局の数を減らしたところで、その少ないテレビ局

故意かどうかは別にして)いつか問題を起こすことはあるだろう。



絶対に壊れない人工物がないのと同じで、人も企業不祥事を必ず起こす。

大切なのは過ちに対して適切な懲罰を与え、当人に更正のチャンスを与えることだ。



では、どの程度の懲罰が適切なのだろうか。

私は「短期間のCM放送禁止」が良いように思う。



例えば、今回のブータン国王夫妻への侮辱問題であれば、

「1週間の間、番組自体は放送して良いが(収益源となる)CMの放送は禁止する」というような処置だ。



これであればニュース地震速報などの情報インフラとして公の放送としての役割を維持しつつ、

売り上げの減少という形でテレビ局に適切な教訓(レッスン)を与えることができる。

そして私たちは、テレビ局がきちんと律されていること、を自分たちの目で確認できる。



分かりやすいことは大切だ。

BPOが書面で注意や勧告をテレビ局に伝えたところで、多くの国民はそれを知ることはないし、

それがテレビ局にとって、同じ過ちを繰り返さないにしようという反省を促す力があるのか不明だからだ。



提供した料理食中毒が発生すれば、その店は短期間営業ができなくなるが、

余程のことでない限り、調理師免許資格を剥奪はされない。



利用客は店が営業していないことで食中毒事実を知り、

評判は下がるだろし、一部の常連客を失うかも知れない。

けれど更正するチャンスは与えられている。



番組スポンサーの商品への不買は結果的にはCM停止と近い効果があると思う。

けれど、私たちは苛立ちたいわけでもないし、デモ不買運動をしたいわけでもない。



同じ結果を生むなら、社会的ルールとしてスマートに解決されればいい。

衣食住どれをとってもルールがあり、完璧ではないにしてもそれなりに機能している。

放送事業者はどうしてこうも罰せられず更正の機会を与えられないのだろうか。

テレビ業界の人々は叱られずに育った温室栽培のお坊ちゃまのように、幼稚で頼りない。

それは国民にとってもちろん不幸だが、彼らにとっても良いことだとは思えない。



私たちはCMがないことで、テレビ局不祥事が罰せられていることを知り、

溜飲を下げ、少し穏やかな気持ちで、そのテレビ局の更正を見守る。



そんなテレビとの関係があったらよいと思った、年の瀬

2011-12-18

溺愛、過保護、過干渉をしなければ良い

■溺愛:子供が大きくなっても親が無条件に子供を可愛がることで、子供自分を無条件で愛されるべき存在と思い込む。

から30過ぎになっても私は年収1000万の男性に愛されるべき存在などと勘違いしてしまうし、平凡な50歳である自分加藤茶のような結婚ができると勘違いしてしまう。

子供が出来たときに褒め、出来ないときは叱るという適切な教育が必要。「評価されている」という観点を持たせなければならない。

過保護:全て親任せにして育った子供は、親が居ないと何も出来ない無能になってしまう。

無能が許されるのは若くて美人処女だけ。とくに高齢の男性無能が許されない。

■過干渉:親が子供への強い発言力を持ちいうことを聞かせ続けることで、子供学習無力感を植えつけられ無気力になっていく。

無気力怠惰無能性的魅力を感じる人や、結婚して共に生きたいと思う者など居ない。過干渉は人間の魅力を根こそぎ奪う育て方だ。

http://anond.hatelabo.jp/20111218221514

http://anond.hatelabo.jp/20111218115144

やりがいのない仕事をしている人の無力感ソーシャルゲームはすっぽりとハマる。

数ヶ月で抜け出せればまだいいが、抜け出せなかった人と付き合いを続けるのは無益だから切るといいと思うよ。

2011-11-29

架空20歳が生きる20歳に植え付ける無力感

努力の人」とか「成功者」とかい露骨キャッチコピーで紹介されることは少なくなってきたとは思うが、先駆者的な役割をかつて果した(今成している)人の話というのは実際価値があるものだと思う。奇抜なアイデアや行動力は、若者ビジネスの場をはじめとした様々の環境活躍するのに、大いに参考にしてしかるべき部分が多い。

だけど、そういった人の話を積極的に取り込んで自分の糧にし、成長しようとする若者こそ、知っておかねばならないと考えることがある。それは、成功者がそのスタートラインからつの目的に向けて一定スピードで走ってきたかどうかは危ういことに気付かず、そのせいで自分自身に無力感を抱くおそれがあることだ。

インタビューや講演というのは、少なから商業用に加工された言葉をもって構成された、一連の創作だ。なので、「『○○になりたい』という目的をしっかりもってやり続けてきた」と、数年経って語るのは、いわば後だしである。何十年前、その講演者が若かりしころ。グングンと栄養を吸い、学び、考え、経験し、成長を続けていたころ。そのときから、彼はすでに目標目的を明示的な言葉で固め、自身の未来に向けて据えていたのであろうか。おそらくは違うことと思われる。今になって雄弁に自身の成功や挫折を語る彼が、まさにがむしゃらに走り続けているそのときから、確固たる『人生目標』をくっきりと頭に浮かばせていたとは考えられない。それは「がむしゃら」というべき状態ではない。目的を達成し、まさに次世代の人間たちの先達となるために自分自身の経験を惜しみなく語ってくれるその人は、語るに連れて気付かぬうちに言葉に囚われ、過去自分の脳を急激に現在の状態まで成長させた錯覚に陥っているのだ。

きっと、若さや自信に任せて夢中で走り続けているとき、彼の頭の中には言葉にならない願望や感情の断片が粒子状になったものが多数揺れ動いていたのだと思う。ときにそれらは結集し、一つの具体的な将来像を成したかもしれない。ときにそれらは霧散し、彼の眼を曇らせ眩ませるだけの濃霧にもなったかもしれない。でもその試行錯誤のうちに、ときたまチラつく幻のような自分の真意を認識し、直観を追い続けることで、何年後・何十年後に、粒子は密度を増し、振り返って考えたときに、自分が思い描くべきだった青写真がようやっと形成されるのだと思う。時が経った彼らはその写真認識することで、あたかも若かりし自分はずっと前からそれを知覚しており、それだけを追い求めた健気な青年だったと、過去を振り返るのだろう。これを読んでる人だって、きっと「今になってあのとき自分(彼/彼女)の気持ちがわかった」という経験は何度も何度もしてきたことだと思う。

時が経ち、過去のことを正確に理解し、それを後世のために語り伝えるのは素晴らしいことだと思う。だが、素晴らしいとは言え、今を走る若者に、数年経過後に知覚された経験差し出すのは、残酷だと言わざるをえない。なぜなら、彼が差し出す『私は20歳の頃こうだった』『君等も20歳のときはこうすると良い』は、本当は数十年分の経験を上乗せしたのちに多少薄めることで作られた「架空20歳」だからである

そして、若者がその真似をして自分を知覚しようとしたところで、得られるものたかが知れている。語られる20歳が隠し持つ経験の差は絶対に埋めることはできないレベルにある。先達の語るかつての20歳と、今を生きる自分20歳を比べて思うのだ。『僕は無力だ』と。

若者は、先達が優しさで示し出す架空若者などに、惑わされてはならない。

2011-11-22

「主人公が」残念なラノベが読みたい

「スキあらば病む」というか「スキがあれば壊れる」というか、薄氷を踏むように日常を過ごすやつがぐーなのです

ついでに主人公の狂気が伝染したり悪意を呼び寄せたりするとなおよし。CARNIVALのパーフェクトエンディングとか大好きです

どうあがいても絶望、みたいな作品が読みたい。もっと絶望したい。いや自分はしたくないか絶望してるひとを眺めたい。

死を直接的に道具につかわずに(究極的にはつながっているけど)絶望を描ける作品はないだろうか。ラノベでなくてもいいのでプリーズ




とりあえず「はがない」はあわなさそうなのでやめました。

主人公がまとも&臆病で周りだけが残念な話については、はてなとかtogetterで間に合ってます

というかこの類型でハルヒを超える作品があると思わんし。(ここ釣りポイントネ)

http://anond.hatelabo.jp/20111119082328

これは感想というか、はがないがこういうふう作品だったら読むという妄想。せっかくの設定が癒し系になってるのはもったいない

もうこの作品が俺的に面白くなるためには、もうちょっと人数増やしてバトルロワイヤルするしか無いと思っている。





俺の妹がこんなに可愛いわけがないは、作品の展開はともかく、私の妄想に適した設定なので面白い。殺しあえー。

今は空色パンデミックとギフテッドを読んでる。

パンデミックは設定読んで期待してる。まだいろいろ足りないけど、病状が悪化していくという設定があるため期待が高まる。俺的にはゆっくりまーちゃんを創り上げて行って欲しいんだけれど、絶対俺の期待は裏切られるんだろうな。あれ、絶望してるのは俺?

ギフテッドはもうちょっと絶望感が欲しい。

ココロコネクトピンチではあるけど、抜け道がありそうな(結末がポジティブで終わりそうな)感満載で乗り切れない。

ラノベじゃないけど桂明日香作品(神話ポンチとか)はもうちょっと盛り上がれば私好みなんやけんど尺たりねー。

略称が俺ガイルなのかはまちなのかはっきりしない奴は、ちょっと主人公が残念さに自覚的すぎるのが微妙だけど、まぁあり。

(^ω^)は私にとって不要な要素が多すぎるという難点に目をつぶれば、とても私好み。良い感じで絶望感が漂っています。まぁ規模が大きすぎて読み手に直接ズシンと来ないけど、雰囲気は大好き。私のスキな要素だけ抽出したエッセンシャル版が欲しい。

怪物王女は展開が全然進まないから読むの中断したけどいまどうなってんの-。

読むのが足りない。やっぱり古橋さんの作品に頼るしかないんかしらという状況。古橋作品さえなければそもそもラノベにはまったりしなかったのにくそう。



そう言えば、ベン・トーの作者さまは、ベン・トーの前にはなかなか面白いの書いてるじゃないですか。私の好みにかなり近いです

森田季節様にも期待してるけどいまんところちょっと違う。なんなんだろうなぁ。





応答。オススメありがとうございます

さやのうたはすごい期待したけどなんかダメだった。というか最初から詰み終わっていて、そのあとは蛇足って感じしかしない。私は絶望に至る過程がみたいのであって、絶望の向こうはどうでもいい。絶望は確認するものではなく、その侵食と抗い、最終的に負けるまでの間に何かを考えさせてくれるものだと思ってる。純愛とかどうでもいい。というかめちゃくちゃあれのどこが純愛分からん、むしろ不純だと思う。

中村恵里加大好物。ただ、ダブブリは後半がイマイチきじゃない前半は大好き。ソウルアンダーテイカーのほうがすきかも。

イリヤ絶望というよりは無力感みたいな感じでちょっと肩透かしだったかも。男舐められすぎじゃね?

幽霊列車とこんぺい糖」と「丘ルトロジック」頂きます扇智史浅井ラボはチェックします。

十文字青薔薇のマリア全然肌に合わなかったけどそれ以外にオススメある?

はがない、さすがに読まずに語るのも限界あるみたいなので、あえて最新刊だけ読んで感想書きます。間の保管よろしく。



まとめ。

えーと今のところ。はがない7⇒幽霊列車⇒丘ルト⇒塔の町⇒いつも、心に剣をのじゅんで読んでいく予定。割り込みオススメ募集。

実は月10冊ペースくらいでしか読めない&積んどくあるので感想遅れそうですがご了承ください。

はがないは借りる宛あるので一番手幽霊列車比較的早く早めに読むと思う。丘ルトはだいぶ後かなー

しかし古橋作品とソウルアンダーテイカー読み返したくなってきたってのが一番大きいな。困ったw

2011-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20111026105456

私は増田配偶者の方の立場

増田の書き込みを読んで、悲しく、怖くなってきた。



配偶者仕事ストレス精神を病んでしまって退職、私の稼ぐお金だけで暮らしてしばらく経った。

「働けなくてごめん」「お金を稼げなくてごめん」と配偶者は申し訳なさそうに毎日毎日私に言う。

調子を崩してから配偶者はよく物事を卑屈に解釈するようになったので、

自分愚痴不安はなるべく口に出さず目一杯明るい話題を振るように努めている。



でもちょっと思う。

出来れば卑屈なことは口に出さないでほしい。

物事を卑屈に解釈するのをやめてほしい。

そんな卑屈な態度は取らないでほしい。

こちらの言葉や行動を全てを卑屈にすり替えられてしまうと、指から砂がすり抜けていくような無力感がある。

私が気を遣えば遣うほど、頑張れば頑張るほど、配偶者は身を縮こませて自信をなくしていっているような気がする。

私が気を遣ったり頑張るのはダメな事なのだろうか?無駄なのだろうか?



今は笑顔楽しい話を振れるけど、このままずっと私のやることなす事が無駄になっていくのだとしたら、

そのうち私は増田配偶者のように冷たい目で配偶者を見、鬱陶しがるようになってしまうのだろうか。

弱音を吐かれたら「文句あるならテメーが金稼げ」と言ってしまうようになるのだろうか?



もし増田配偶者も私みたいな努力をしている時期があったのならば、私もいずれそうなるのかもしれない。

とても恐ろしい。

2011-10-24

世界の広さが絶望を感じさせる

括っても括っても

手繰っても手繰っても

タイプ分けも分類も出来ない

引き寄せても遠ざかるような無常感に

知っても知っても何も知れない無力感

怖くなる

「これでいい」なんて思えないよ

広すぎる世界にひとりぼっち

どうすれば満たされるだろうか

誰も教えないから、誰も知らないか

人は独りで死んでしま

2011-10-05

塾講師の悲哀

 正直あまり良い話ではないのですが、貴重な経験であった事と、これを読む人にとっても、そういう事ってあるのだなという意味で、まあ他人の経験談って何かと考える時の材料になるので書こうと思いました。

 っていうよりも自分の一つの記憶として一度整理しておきたいなと思ったってのが本当かもしれません。

 あれは2008年の春の終わり頃だったのでもう3年も前ですが、ある個別指導の塾講師として採用され働きはじめた時の事でした。

 それまで個別指導というのは家庭教師と同じ事をただ塾という場所でやっているものだと思っていたのですが、どうやら個別指導というのは会場に教壇や黒板のような物がなく、一人一人の生徒が個別に課題に取り組み個々の生徒の申し出に応じて講師が席まで行って個別に教えるというものだという事をこの時知りました。もしかしたら塾によって色々と違いはあるかもしれません。

 だから同時に学年の違う生徒が同じ部屋で勉強できるので稼働率という意味では良いのかもしれません。それに講師の個々の技量もありますが、課題制作するのは本部なので、その課題の出来具合も生徒の伸びが左右される、そんな所でした。

 判ってはいたのですが、けっこうなハードワークで時には何十人もの小中学生マシンガンのように「先生!」と呼びつけられます。朝は昼過ぎから始動なのでのんびりしていますが午後は終電少し前くらいまでが普通でした。

 そんな中、接する事になった生徒や親、そしてそれに対する塾としての在り方として、どうしても嫌になってしまった事がありました。嫌な話をするのは嫌ですが、色々と考えさせられたという意味では良い話です

 一つ目は「え?」とビックリしてしまった親の話、まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。本当にこれにはビックリしました。そんな発想はどこから出てくるのかと、ただ例え口でそう思っていると言わなくても態度や対応を見ていればそうとしか思えない。勿論断定するわけではありませんが「ああそうなんだな」と誰でも感じる事はあるでしょう。

 ああ、子供に帰って来てほしくないんだな・・・

 それが僕の頭の中に浮かんだ印象です

 しかし、だからと言って塾として預からないわけにもいきません。なんか悲しくなりますよね。なぜ?なぜそんな親の手助けみたいな事をしなければならないのか?勿論塾として経営状況が素晴らしく良ければ、その事が子供にとって良かろうと悪かろうと塾としては生徒本人の「学びたい」「塾に行きたい」という意思を尊重すべきだと思うので、そういった場合拒否する事も不可能ではないでしょう。

 そして、次これは小学5年生くらいの双子女の子の話です。ちょっと記憶あいまいなのですが、たしかその双子の親は娘達を受験の必要な私立に中学に行かせたかったみたいなのですが、片方の女の子は良かったのですがもう片方の女の子があまり勉強が好きではない様子。やりたくなくてやりたくなくて仕方がなくすぐにイタズラ書きなど始めてしまい。「同じ学校に行けなくなると」と言っても「別にいい」という様子、そして母親講師に対し「もっと厳しくお願いします」というもの

 だいたいにおいてそうですが「やりたい!」と思わせる事も大事ですが、色々とむずかしいものです

 最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通学校ではなく養護学校などに行くことになってしま場合もあれば「際どい」という場合もあります比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量普通学校に行く、もしくわ養護学校から断られる場合もあるでしょう。

 例えば6年生で10÷2を計算する時に一々

  2×1=2

  2×2=4

  2×3=6

  2×4=8

  2×5=10

 あっ答えは10だ!ってならないでしょ?

 この子は確か九九を覚えていなかったのか、知能の問題で九九を覚える事ができないのか不明ですが、一私塾でそこまで広範囲な性質を持った児童にまで対応しきれません。こんな状態であるのにも関わらずそこに、さらに親の「息子に遅れがある」という事を認めたくないというエゴが相まりその児童に対し塾として毎日時間もただ右から左数字を移動するだけのような拷問にも似た作業をさせ続けるという事をしなければなりませんでした。

 かなり主観としての表現なので、そんな事でも長い目で見ればその子の役に立つ勉強なのかもしれません。けれどその時の自分にはどうしてもそうは思えなかったのです

 もちろん、こんな嫌な話ばかりではなく、伸び伸びと成長していく子供達とかかわり、元気がだだ溢れる環境で働けるというのはとても素晴らしい事であるし、一定の生徒にとってはとても有効に活用できる場でもあると思います

 ただ自分にはやっていけないなという思いと、どうにもならないなという無力感に尽き。その仕事は辞める事にしました。

 今この瞬間も塾という場を利用して我が子を苦しめている親がいるかもしれないのかと思うととても悲しいですが、そういう事もあるのだなと知れた事が自分にとってはとても良い経験になりました。

 子供は親にとっての何なのだろう?

 もう子供のいるマイミクも沢山いると思います

 お手伝いしなさい! なんて命令はなんの為?

 もし本当に子供の為であるならば

 絶対にうちの子はあまり手伝いをしない等という

 不満に似た感情は絶対に頭に浮かばないはずです

 あなたは将来自分の子供にお手伝いをさせますか?

 例えば、食器洗いにしてみても

 いまだに「嫌だったのにさせられたなあ」と思いだします。

 皿洗いそのもの全然嫌じゃないのに

 そういう記憶だけはある

 だからなのか・・・

 友達自分の家で夕飯と食べた時とかに

 「いい いい 俺洗うから」とか

 誰かの家で御馳走になった時に

 「御馳走になったし、皿くらい洗わせてよ」

 などと言ってしま

 もしも「皿洗いが楽しい事!」という擦り込みがあったら・・・

 他人の楽しみを奪ってはいけない!と思ってしまから

 洗っていいよ!だとか言ってしまったり

 他人の家でそういった気遣いができなかったかもしれない・・

 お母さん!ありがとう

 でも、こういう作業は嫌がる人の方が多い世の中だから

 してあげると喜ぶよ!って教えてくれれば

 それで良かったのに

 

2011-10-04

分かってやっているという魔術

分かってやっているというと相手はああそういうものかと思って諦めようとするが本当は誰も分かってやってなどいないわけで分かってやっているという言葉は相手に無力感を与える魔術でしかない。

2011-09-18

無力感

今の仕事に対する悩みというのは、つまるところ無力感だ。

自分のこれまでの経歴と年齢からかんがみて、期待されている「仕事」というのは想像がつく。

しかし、それは、わたしのしたいことではないのだ。いや、できることではないのだ。

これまで仕事に対して不真面目だった。作業はまじめにこなしてきた。スキル経験も積ませてもらった。それは今での充分商品価値があるだろう。それは会社、大勢の同僚に感謝している。

が、しかし、仕事に対して不真面目だったのだ。会社目的に対して自分の役目を決定し、それをどのように売り上げに変換するのか。そのために必要な、会社に求めるものは何なのか。それぞれの期間でどのような出力を行い会社に対して答えるのか。

自分はこれまで言われたことをしてきただけだった。指示された作業を指示された期間内に指示された品質で完了させていく。それだけしかしなかった。会社が掲げる、同僚たちが共有している、目指している目標に対して自分コミットメント定義していなかった。ただ作業をこなしているだけで同僚だと勘違いしていた。自分ですべてを定義してそして達成する「仕事」をしていなかった。

から今急にそれを求められてまったく対応できていない。まるで転職たかのように社内の制度が判らない。作業をする前の仕事をどのように規制にのっとって完了すればいいのかわからない。

気づけば、自分で何一つ決められない人格になっていた。

ソースコードレベルの決定はその理由も添えて出力できるのだけれども、レイヤーが変わっただけでなにもできない。プロトコルがさっぱりわからない。

自信が持てない。無力感けがわたしを苛む。

これまでわたしに指示をくれた人たちを思い出す。技術的知識差から彼らを内心あざけっていたのを思い出す。

でも彼らはわたしよりよほど「仕事」をしていたのだと、いまさら思い知らされた。

今日も一日精神安定のためにソースを書いた。夕方ごろにつまらないゲーム自分アンドロイドケータイで動いた。ちょっと新しいことを書いたのだが、それが無事に動いた。

でも、それは今の「仕事」に何の役にも立たない。

ソースコードと向き合って何日も過ごしたあの日々はもう戻ってこないだろう。どうしていつまでもそんな日が続くと信じていたのだろう。もう40近いのに。

2011-09-17

デモをすればいい、と左翼は言った。

何らかの権威に対する反対表明の手段としてデモをしろ、と左翼就職問題にも、原発問題にも主張してきた。

デモ国民に認められている当然の権利であるとも、主張していた。


そして、デモが起きた。


彼らは支持しなかった。ときに数が足りないから影響力がないと、かえって大して影響がないことの証左だと主張し、ときに前大戦を引き合いに出してレイシズムには与しないと主張した。

彼らは何がしたいのだろう。よくわからない。

努力のやり方が間違っている、ということや、排除を含めた質の向上は、彼らの理念と合致しないはずではなかったか

デモをする、それ自体は何もすなわち左翼と同じ勢力に含まれることを意味しない。それは保守からさえ嫌われる在特会を見れば明らかだ。

左翼の主張する「デモのあり方」がよくわからない。


これまで、日の丸に限らず、デモには趣旨から離れた幟が掲げられることは珍しくなかった。それ自体がデモ嫌悪ひとつとなっていることは、度々指摘されてきた。

しかし、私がネット上の議論などを見続けてきた限り、どうやら彼らはそれに対する問題意識は持ち合わせていないようだ。「何が悪い」と言い切る人も見た。

まさに鏡像。

鏡像であるがゆえに一般大衆からかけ離れて市民社会を叫び、「活動家を排して欲しい」というこれまでの経緯からすれば自然ともいえる要求には唾棄する。

これが左翼だ。


鏡像と書いたとおり、これは右翼への批判も自明ものである

彼らは大衆の要求を政治ごっこと蔑むだけで改善しようとしない。これらが政府社会企業や個人を批判しようというのだから説得力がないのも肯ける。


一部の人左翼右翼を含む)が指摘しているとおり、原発関連デモも、偏向報道デモも、いずれ下火になるだろう。

デモをしてもその相手を変えられなかったことに対する諦め、そこから立ち現れる、主催者側との意識乖離から導かれる呆れと市井の人々の無力感、終末期学生闘争のようなしらけなどが、渾然一体となり場を閉塞感で満たすだろう。


そこに残っているのは、いつもどおりの人々だろう。

そして、「希望戦争」というたったひとつのことばだけが、いやでも胸に残るのだ。

2011-09-07

福島県で見てきたことを書いておく

福島県観光にいってきた。

でも、今回は一人旅。少し古めの建物を見てきた。

誰かを誘ってというと誘いにくい。自己責任範疇を超えてしまからだ。

太平洋から100km離れている街でさえもマスクをつけた人がたくさんいた。

で、おみやげを買ってきたんだ。おみやげお菓子

別にさ、食べて直ちに害があるとは思えないんだけど、「食べて」とすすめにくい。

この気持ちのもやもや感が、この事故への対処に感じる不信感なんだろう。



県境を越えてかつて水俣病の被害が出た川沿いの町にもいった。水俣病の原因となった工場はかろうじて操業しているように見えた。

この公害が起きて以来、下流の魚は売れなくなってしまった。

当時の資料に目を通すと複雑な気持ちになった。

そのときの被害の広がり方やその被害がどれくらいの年月がかかって風化されたのかを考えるとまだ慎重に行動するしかないのかもしれない。



四大公害病を経て成立した大気汚染水質汚濁に関する法律が役に立っていないのが腹立たしい。

放射線を出さないタイプの汚染物質大気中や水中に出すと罰則で会社が傾く。傾くから抑止がかかる。

放射性物質については別に定めるって、仕事してないじゃん。

法学的なバランス観点からみるとあまりにひどい。

過去の過ちから学習することができないのか。日本が擁するエリートはその程度なのか。ほんとうにくやしい。

そろそろおのれの命と引き換えに国や人を守る人が出てくるのかもしれない。

そんな淡い期待は捨てたほうがいいのか。

今は無力感を文章に吐き出すことしかできない。

2011-09-06

アダルトチルドレンは不治の病か?

一人のAC体験の先輩として、この問を否定する内容で記事を書く。

葛藤の真っ只中にいる人には、すぐには受け止められないと思うけど、何かしら伝わるものがあるといいな。



アダルトチルドレンは深刻な問題ではある。

特に完璧主義」はアダルトチルドレンに共通する特徴であり、これがACの回復を著しく困難にする。

他者からの評価を押しつけられ、自分感性を極端に否定され続けてきた人間は、自分の現状や目標自分で設定することに困難を覚える。

「求められていることをこなしている」間はすごく頑張るのだが、少しでもそこから遅れをとったり、間違いを指摘されると急に動けなくなってしまう。

あるいは、外面上は完璧にできていることを装うために、不都合なことを隠しがちで、いわゆるホウレンソウがしっかりできないとサれることがある。

これを、なにもしらないオッサンたちが「最近のこどもはひ弱だ」というが、根本的に間違っている。

また一般的に指示待ちとかアスペと言われる現象もACに起因することが多い。指示内容が不十分だったり曖昧だと、行動しなかったり戸惑ったりする。

自分からイニシアチブを設定することができないほか、権威のあるものに認めてもらわないと行動ができないのもACの特徴とされる。

(実際はそれだけじゃないんだが、ACの人たちは、すべての問題を自らのAC体験に還元してしまう傾向があるため、これを無視することはできない)




AC問題の恐ろしいところは、一度はまると加速度的に状態が悪化していくため、回復が不可能に思えてくるところだ。

AC人間は、上記のようにACでない人間にはまったく理解出来ない「ささいなこと」で躓き、そしてそのことをいちいち深刻に受け止めがちだ。

世間のACでない人間からは「ささいなこともできないやつだ」として無能扱いをされると、ただでさえ完璧主義なのに、ますます自己イメージが低下し、無力感に囚われて何もできなくなってしまうケースが多々ある。ひどい時には、動けなくなり、ACが関係ないすべてマイナス要素を自らのAC体験に還元することで自分を慰めるしかできないような人間になってしまうこともある。私も一時期この罠にはまりかけた。数年間何もやる気が起きず、ひきこもり続けていたりもした。

それでも何とかなった。その体験からACはあくまで認知の歪みであり、その気になれば抜け出せると思っている。






というのを前提にして、一昨日くらいに話題になった記事の感想

過渡期というか、正念場を過ぎて言葉を発することができるようになった状態だな、と思う。

確かにこの人の母親の歪みは事実だろう。そして、それによって書き手の人が傷ついたのも事実だろう。

でも、その事実いつまでも支配されなきゃいけないものなのだろうか。

この人は母親の歪みを過去ではなく現在進行形自分に悪影響を与えるものとして語っている。

表現の端々ではもう過去のことだとか、自立したとか言ってるけど、また囚われている感がある。

しかし困難を感じつつもなんとかその過去のつらい思い出を整理することで、今の自分との間に距離を設けようとしている。

過去が辛かったから今の自分がこうなんだ、とは言うまい、と前向きに考えようとしていると思う。

当然その途中の段階だから、余計なおせっかいを焼きたがる人もいれば、「それは正しくない」という人もいるようだが、

書き手の人はそのうち先の段階に進むという予感がある。

きっと、すごく、頑張ったんだなぁ、と自分の体験に合わせてしみじみと感動する。








問題は、彼女に便乗して「私がアダルトチルドレンになった体験を聞いてくれ」に始まり「今私がダメなのも親のせいだ」って擦り寄っている人たちだ。

勝手ながら、私はここに宣言します。

yuhka-uno さん、thor さん、私はあなたの味方です。私はあなたの仲間です

あなたがた二人が何を思おうと、なにを言おうと、なにをしようと、

ほかに世界のどんな人たちや思想や宗教や、あなたがた自身があなたを否定しようと

私は全力であなたがたを肯定します。

全力であなたがたを守ります

それは、他でもない私がそうされたかたかです

まりほとんど自己満足です

また、私の頭できるだけ客観的に考えても(純粋な客観なんてそもそも存在しませんが)

この世で少なくとも誰かひとりが、

あなたがたに対してそうすべきだと思ったかです

これはつまり、義憤です


(中略)

同じく私は宣言します。

ここでyuhka-uno さんに対して、

批判的なことや否定的なことを書いてらっしゃる方々。

あるいは書かずとも、心に批判的なことや否定的な気持ちをお持ちの方。

あなたがたは私の敵です

あなたがたがどんな常識や、論理や、手段や、量的な優位性をもって

yuhka-uno さんを批判したり否定したり、

あるいは社会的抹殺しようとしたとしても、

私はあなたがたに反論します。魂と矜持をかけて反論します。

反論するし、私の心の中には、

あなたがたに反論し続け、反論し切るだけの想いや、

できる限りの客観性吟味し続けた証拠があります

ネット上にはそれを証明しうる、まごうかたなきログがあります

それが私という人間存在意義であり、人生上の仕事であると思っています



あなたの言っていることは多数派の社会常識に沿っていて、そういう意味では正しい。

だけど、間違った育てられかたをした人は間違っていて当然であり、それを矯正するために「親は間違っていた」と言って自分の歪みを直そうとしているところに首を突っ込んで何が得られると言うのでしょうか。

歪みをただそうとしている手段を封じて、甘えずに直せとは、言っていることが矛盾しています

黒さんが見ている世界は、頑張ればできる人間しか生き残れない、恵まれた世界です

自分が駄目だと思い込んでいる人間は、生まれてから何十年もずっと自分は駄目だと思い続けてきたような人間ばかりです

少ない努力で報われた経験を積み重ねた人は、自分が正しいと思い、成功経験を積み重ねていきます

どれだけ努力しても報われない人は、自分が何をやっても間違えると思い、罪悪感を積み重ねていきます

そして、少ない努力で報われる才能溢れた人たちは、自分努力がこんなに大きな成果を上げたか自分は正しい、

同じだけの成果が出せないのは自分より努力が少ないからだと言って他人を説教したがります

それは傲慢です

本当に不幸な目に遭って苦しみ抜いた人ほど、どれだけ努力しても報われない人がいることを体験から受け入れており、できない人に甘えだ怠け者だと言って追い詰めたりしません。

あなたの「甘えないでください」ほど無責任暴力はない。

できない人はできない。それが本当の厳しい現実です

なんというか、いじめられっ子が、他にも孤立した人を見つけると擦り寄って集団をつくろうとするのに似ている。



その人が仲間を求めているかなんて分からないのに、自分いじめから救われたいばかりに「私はあなたの気持ちがわかります」といって勝手に仲間ヅラをしているようなそんな感じ。

そんな「ぬるい連帯」をyuhka-unoさんが本当に求めているだろうか?

私は本文を読んで全くそうは感じなかったが、彼女たちは切羽詰まってるからそんなこと考えたこともあるまい。

断言するが、彼女たちの求めてるものと、yuhka-unoさんが求めているものは違う。ぜんぜん違う。

実際に、彼女らの過剰な摺り寄りに対してyuhka-unoさんが、慎重に切り分けを行っているのだが、

そこを読もうとせずに、人の庭でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるのは醜い行為ではないだろうか。

過去が気の毒であったことはわかるが、それを盾にして現在自分正当化し、しかもその恨みを世界にばらまかずにはおれない苦しみ。

対等に話ができる状況で、自分たちを意図的に低い位置におき、相手に譲歩をねだるその卑屈さ。

同じAC体験者として気持は痛いほど良くわかるけれども、それは決して私たちが「一般人」と呼ぶ人には伝わらないのだ。

そうやってコミュニケーションを取ろうとすれば、こじれることはあっても何かが良くなることなど絶対にありえない。




この人達は、自分が何を望んでいるのか全くわかっていない。

ただ自分が嫌なことをされたから、それを返そうという機械的な反応をしているに過ぎない。極めて非人間的だ。

自分たちが醜くて卑しい存在であるということを承認してもらいたいのだろうか?

「醜くて卑しいけどそれは親のかけた呪いのせいだ」というのを他人に認めさせれば何か状況が良くなるのだろうか?

「毒になる親」とか「良心を持たない人たち」を読み返し、AC仲間で共有しあって、自分たちを哀れんで、それで自分世界が少しでも救われるのか?

いや、哀れんでもいい。「自分たちが悪かったのではなかった」という確認はとても大事だ。

でも、なんでそこで立ち止まっちゃうわけ?なんでそこから先に進もうとしないの?

甘えるなとか言いたいわけじゃないけれど、純粋に疑問だ。そこで立ち止まってて幸せなのかい

幸せならそれでもいいけど、前を向いて進もうとしているyuhka-unoさんを、自分の惨めな人生に引っ張り込もうとするのはやめたほうがいい。




以下は「氷の海のガレオン」より引用

「なんか嫌なものねぇ。」と多惠子さんが言った。「胃が痛くなってしまう」

「やっぱり?」とわたし。「後味悪いよね。まるであたしがいじめたみたい。」

「私はできるだけ、あの子にも気を配ったつもりだったんだけれど。」

「あたしだってずいぶん我慢したわよ。」

「お互い不幸になってしまう。」

「もっとひどい不幸から逃れるために、あたしを引っ張ったのよ。二人で一緒に耐えましょうってなもんでさ。」

「でも、つっぱねなかったんでしょ。」

「めんどうくさくてね。」

「わかる・どっちにしても、自分じゃないような。」

「そうそう。」

「かかわること自体、間違いであるような。」

「そうそう。」

「どうしてあげればいいのか、わからないわ。」

「わからない。でも、あたしが彼女の望む通りになって一緒にかばいあったとしても、彼女は本当には幸せにはなれない。それはわかる。」

過去自分を支配させるな。あなたたちの語る言葉には過去しかない。現在未来もない。それじゃあもったいない

どれだけAC同士で傷の舐め合いをしても、傷が癒されることは絶対にない。

西洋菓子骨董店」とか読め。過去を修正したり、傷を治そうとするんじゃなくて、

うそれはどうしようもないものとして受け入れて今の自分と向き合ったときに、初めて前にすすめるんだ。




ちなみに先ほどの引用には続きがある。

「今は誰も、そこまでの幸せを望んではいないのかも。」

「わからいね。どっちがしあわせだか。」

「正しいのは、実はあの子かもしれない。」

「本当にそう思う。みんな他愛ない話してるじゃない。平和でいいな、と思うことある。」

「みんな決して悪い子たちじゃない。楽しそうにしてるよ。もしかしてそれがしあわせってやつかもしれないって。

 だけど」

詰まってしまった。多恵子さんも沈んでいた。

その後の気持ちは、今の万倍の勇気を出してさらけ出さないと、言葉にできそうもなかった。

今の自分は、まだそこまでの成長を、幸か不幸か、していないのだということを思い知った。

yuhka-unoさんはこのことを自覚して、勇気を出して先に進もうともがいている。

引用した二人は中途半端な状態でそこそこ満足して立ち止まっている。

二人の将来は交わらないところにある。 そのことを自覚したほうがいい。




アダルトチルドレン問題は深刻ではあるがあくまでもそれは傷痕であり認知の病だ。

それによって人生が決定してしまうわけではない。

それに屈するのも、それを克服して先に進むのもあなたたち次第ですあなたたちの責任です

アダルトチルドレン問題を中途半端に知って、自己正当化することを覚え、そこで成長を止めてしまった人間は、

そういう人同士で傷を舐めあって生きていればいい。いつまでも後ろを向いて嘆いていればいい。

しかし、その地点にとどまらないで、成長しようとする人の足をひっぱるのだけはやめてあげてください。

そして、願わくばあなたたちも、今の地点で十分休んだら、立ち上がって前を向いて歩いてください。




大事なのは、肯定するのではなく、過去をひとまずそういうものとして受け止め、そこから未来を考えること。コレしかない。涙が出るほど悔しいけど。

2011-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20110905120304

http://anond.hatelabo.jp/20110905120550

あ、ごめん

さっき俺が言ったのははてな記法全体についてで

はてな記法検索してもまともに出てこない」という無力感学習したので

取り消し線について検索したことはない。

2011-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20110828150724

あー、バカ容認というよりはむしろ、無力感共有のお誘いなのね

そんなもん百害あって一利なしなのでお断りするけどね

余談だけど、「ためになる議論」が国会議員の議論以外に存在してないってのは、相当ペシミスティックな世界観だなあ

2011-08-24

どうしようもない無力感に効く、シンプルすぎる薬

無力感にきく、二文字の薬「走る」

体中の血管に、ドブから汲みとった汚水を流し込んだような気持ち。

白い画用紙を尖った黒鉛筆でぐしゃぐしゃに塗りつぶしたような、軋んだ暗さ。

僕の気分を包んでいたのは、そういう黒みだった。

意味不明無力感かられて、マクドナルドで隣にいる女子高生の笑いは僕をあざけっているようにしか思えなかった。要するに、僕は軽度のうつ病になっていた。

ライフハック自己啓発も全部試した。結論からいえば、全部無駄だった。安定剤を飲めば、マシになったけど、根本的な解決じゃない。

ポジティブシンキングNLPとやらは僕の無力感をかきたてるだけだったし、

GTD生産性の高い日々を送ろうとしても、結局つみあがったタスクは僕をGTDゴミツナ缶を混ぜあわせたような、どうしようもない気持ち)にさせただけだった。

ある日、ふと思った。走ろう。気がつくと、いつもより足を高くあげて、いつもよりうでをふっていつもより早いスピードで土手を移動した。

それだけだ。要するに、走った。そしたら、汚水はどぶどぶどぶと体から抜けていった。気分がしゃんとした。りんりん、しゃらしゃらという鈴虫の音が僕を励ましてくれているような気さえした。


世界一嫌いなスポーツ世界一好きなスポーツ

僕は走るのが死ぬほど嫌いだった。ゴキブリをすりつぶしてつくったチョコムースケーキよりも吐き気がしていた。なぜかって、強制されてやっていたから。

マラソン大会部活動、体育、なんでこんな胸がきしみ、視界ぼやけ、足ゆれる、しんどいことをするのか疑問だった。

けど、今ならわかる。なぜなら、走るのが楽しいからだ。ただし、強制されなければ。強制するというのは、ものごとを嫌いにさせる一番効果的な方法だ。強制されていると思うならば何も楽しめない。たとえ篠崎愛ちゃんのおっぱいを、水をたゆたゆと染み込ませた太筆で、ゆすゆすと撫でる作業だとしても、強制されたら、それは拷問だ。

自分の意志でやるだけで、自分からやるだけで、走るのはとても楽しかった。

楽しく走るコツ。

楽しく走るコツは簡単だ。強制しない。つまり、ペースや距離を具体的に決めない。課さない。

じゃーっとはして、ひーふー休む。どしゃー、ぜーはー、どりゃー、ひーふー、走って休んで、走って疲れて。これを繰り返すだけ、そこには自分の意思しかない。だから楽しい。そもそも強制された運動が大嫌いだから自分で「何キロ走る」とか決めると、それだけで嫌になる。だから、決めない、ただ走る。それだけ。

それだけのことで僕の気分は改善した。

人間は座っているようにできていない

僕らは、生物的にいえば、運動していた時期のほうがずっとずっと長い。数十万年以上、サルとして、運動してきた。運動しなくなったのなんて、せいぜいここ数十年の話だ。人間の体は、オフィスパソコンをながめて、コードを打ち込むように、できていない。ずっと座ってじっとしているようにできていない。だからデスクワークだけの生活は、暗黒コカコーラを1・5リットルがぶ飲みするようなものなんだ。ライフハック効果がないとはいわないけど、せいぜいここ数年でブロガーが編み出したやり方が、人類がその遺伝子の中で培ってきたやり方に勝つわけがないんだ。


人間は動くようにできている。お猿さんとして、ネアンデルタール人として生きてきた歴史はそういうものだ。ちなみにおさるさんは、縛って動けなくするとすぐに発狂する。

動かないってのは、つまり発狂するための訓練をしているようなものなんだ。

走る

ただ、走る。難しくない。いつもより足を高くあげて、前に進む。それだけだ。それだけのことが、どんなライフハックよりも効果的だった。

走ろう。無力感を打つ消すために。

走ろう。よくわからないけど胸に立ち込める不安を消すために。

走ろう。そよそよ風とか、しゃんしゃる鈴虫とか、緑とか、朝日とか、そういう素晴らしいものを、ありのままに味わうために。朝、いつもより30分早く起きて、家の周りでもいいから、どばっーと走る、それだけでいいから始めてみよう。走ってみよう。きっと、それはすごくいいことのはずだから


さて、僕はオナニーするよ!そして、寝るよ!そして、走るよ!

おやすみ!!

2011-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20110816212154

羨ましいか

本当に羨ましいのか?

人の金だぞ。自分で稼いだ金じゃないんだぞ。



無力感が半端ないんだけどそれは俺の頭がおかしいからなのか?

2011-07-26

何かができる

頭の中って意外と狭い。

つのまにか大切なものがぽろぽろとこぼれ出てるのに、そのことにすら気付けない。

私ができること、自信のあったこと。どんどん忘れていく。



今、私には何があるのだろう。何ができるのだろう。

今やろうとしていることが何もできない。わからない。

独り暗い部屋の中で泣きながら、無力感に押しつぶされそうになる。

http://anond.hatelabo.jp/20110726123550

記事中で元増田承認を求めたつもりはないですよ。


本来言いたかった事は最後の行になります

書いた目的は「子ども目線で見ただけの主婦世界の一面だけを捉えて、安易な判断される主婦の皆さんも大変だなぁ」という上から目線です

私は元増田のお母さんを存じ上げている訳ではないと思いますので、実際にその通りの方なのかもしれませんがね。

そうでない人もいるよ。主婦にも色んな人がいるんだよと、元増田個人にではなく、記事に目を通す人達に向けても言ってみたかっただけです

元増田が読解力があり、誠実なレスポンスを寄越す人であろう事を見越したという打算もあります

主婦叩きの記事・エントリー・まとめも良く見ます

こういう人いるいると思う反面、自分もその中にひっくるめられているのかなと思うと、カチンと来る事もあります

主婦叩きや女性叩きの場は、一方的に言われっぱなしのことが多いので、公開の場所で笑い者にされているクラスタとして自分も扱われているのだろうなという無力感はあります


私は違う。確かに。

それでスルーし続けられないのは、どこかに的を得表現があるからかもしれませんね。

2011-07-05

負け犬

大学時代につまらないことして徹夜して、朝キャンパスの木の下でボーっとしていた時の事を思い出した。

何故か矢沢永吉を聴いているときに思い出した。当時矢沢を聞いていなかったからデジャブではないな。

多分、今の状況と一緒なのかなと思った。

孤独だったんだと思う。友達も少なくつまらなかったから。

今は敗北感。

認められず、みんなに置いていかれ、後輩にも追い抜かれ。

当時感じていたのに似ているように思った。

自分に不定期で現れる、無力感モチベーションの低下。

必要なことだろうが、評価制度が憎いな。

あと、自分不器用さも。

2011-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20110704090447

いじめられっ子なら、学習無力感を分かるはずだよね。つらいけど。言葉じゃなくて。

チンコ野郎さんが自分で行動するしか解決はなされない。

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