はてなキーワード: 論文とは
大学院では研究というものを学んできたわけですが、それにより、ニュースで良く出る「○○を新発見した研究が発表され、論文誌に載った」といった話の裏がちょっと見えるようになりました。理系の話です。
大学の研究者は基本的に税金で研究費と給料をもらっているわけですが、実績を出す必要があります。実績というのは簡単には雑誌に掲載された論文数、学会での発表数などです。自分の立場を守ったり生活していくために、色々手を尽くすわけです。
論文を載せる雑誌には、有名なところだとサイエンスやネイチャーがありますが、そのほかにも数え切れないほどの雑誌があります。論文を雑誌に投稿するときには査定があり、査定者からここを直せだとかここ間違ってるんじゃないとか言われて、修正をかけたりして、受理されると掲載されます。雑誌によってその査定の程度は違いますし、信頼できる研究しか載せないお堅い雑誌やら、インパクトのある面白そうな論文ならOKという雑誌もあります。したがって、雑誌に掲載されたからといって、それらが全て正しいことを言っているわけではありません。雑誌のレベルが高いほど信頼性が高まる程度の認識が適切だと思います。
研究者は実績を積むために、内輪で雑誌を1冊出したり、自分の手が届く程度の雑誌に一杯投稿したり、研究費を取りやすい研究テーマ(いまだと温暖化とか太陽電池とか)に絡めたりして、どうにかして稼ごうとします。なので、特にレベルが高いと言われる雑誌以外では、恣意的な議論や不適切な条件設定であることも多いです。
新しい研究成果が発表された、というのは、その研究者がそれを主張しているだけであり、認められたということではありません。雑誌に掲載された、というのも同じです。
そのような、他人の主張が正しいか否かを判断するのは自分自身であり、そのためにはその分野についてしっかりと勉強する必要があります。勉強をせずに感覚だけで判断を下すことはできません。一々勉強していられるかと思うかもしれませんが、多くの学問は繋がっていることもあり、勉強を積み重ねていくと、今まで知らなかったことを学ぶのが容易になってきます。
世の中、センセーショナルなものはお金になります。自分に判断する力がないと、お金を稼ぎたい人の手のひらで踊らされることになります。あるいは、洗脳的な言葉や宗教等にハマってしまうことにも繋がります。
広く勉強することとある分野を深く勉強することで、情報を鵜呑みにせずに自分で判断できるようになり、そうなる必要がある、ということが大学院で実感として学べました。
お前んとこの図書館が貧弱なだけじゃねえの?
ってところに,すべて集約されてる.
図書館がない立場に一回なると,手持ちがなくなった(電子化される前に書いた)自分の別刷りをもらうにもかなりの料金が必要だ.おまけに紙ではないから pdf 化された別刷りを印刷して渡すという行為も難しい.
特に問題は,そういうふうに囲い込んで
規模に応じて大幅な値引き
すなわち,裕福な図書館を持つ研究施設がある研究機関はふんだんに論文が読める.また,(時にはクソみたいな数稼ぎの)論文数はふんだんに出てる研究機関は論文へのアクセスが容易だけど,そういうポジションにいない人間が学会(?)的なところに一石を投じるのはどんどん難しくなる.ということにトップ出版社がくみしてる.ってところが問題だし,科学の発展を著しく阻害してると思うよ.
個人的には,そういうヴォリュームのみ勝負の自称研究者は○ねばいいと思ってるし,元記事のようなむーぶめんとってのが広がればヴォリューム勝負研究者は生きていけなくなるんだろうな(なるんかな?)ってか,図書館側が優位に立っていて,以前よりディスカウント厳しくってひどい話なんだよ,的な立ち位置など,研究者目線じゃなくて,コンテンツビジネス屋さんのもの言いだよね.
エルゼビアって結構ヘイト稼いでいるのなw
いろいろ突っ込みどころはあるが、
第一点として、エルゼビアの製品の料金は高すぎるということ。
第二点として、論文誌の「抱き合わせ」が広く行われているために、図書館はある論文誌を購読しようとするとき、興味のない他の論文誌もセットで買わなければならないこと。
第三点として、公的資金による研究に対して政府がフリーアクセスを要求することを禁じる法案(たとえば米国議会で審議に入る Research Works Act など)を支持していること。
第三点については心底どうでもいいのでここでは触れない。
第一点と第二点は独立する問題ではない、というか「単刊購読は高くつき、何誌かのパッケージでは割安になるが、いらない雑誌も取ることになる」というジレンマを別の角度から見ているだけであって、結局「利益率高すぎ。もっと安くできるだろ?オラオラ」という一点に尽きるのではないか。
学術雑誌の世界は、定価があってないようなもので、一応最終頁に価格が印刷されてはいるが実際にその価格で買うユーザーはほとんどいない(まったくいないかもしれない。今まで聞いたことがないので)。これは「抱き合わせ」によるものもあるが、ACSとかの学会誌であっても会員には規模に応じて大幅な値引きがなされるのが常態だからである。このような場合に「高すぎる」と簡単に言っていいのか。お前んとこの図書館が貧弱なだけじゃねえの?
また、マイナーな雑誌もメジャーな雑誌も大して変わらない価格で供給しているということもある。公開されているプライスリストを見ればわかることだが、エルゼビアでは、雑誌の価格を支配しているのは、医学分野は高いとかそういう一般論を除けば、(分野のマイナーさや雑誌のダメさから類推される)発行部数ではなく、重さである。
なにより、商業誌が学会誌より高いのはべつにエルゼビアに限ったことではなく、つまりワイリーだって他の会社だって学会誌より高いのであって、それはもう商業誌なんだから仕方ないという他にはない。それがイヤだから掲載料を取るというのでは、商業誌のメリットって何なの?と言わざるを得ない。
そんなことより問題にされるべきなのは、マイナーな学会誌を業務委託という形で取り込み、自社のブランドになった途端に購読料を引き上げるというエルゼビアの営業手法である。と、思うのだが、だからといってどうしようもない。前が安すぎたというのもあるし。
以上ぐだぐだ書いてみたが、元記事は同意できる点もあり「これだから数学者は」と思う点もあり、非常に面白く読めました。翻訳ありがとう。
雪崩は、たった一粒の小石によって引き起こされることもある。
1月21日、ケンブリッジ大学の数学者 Timothy Gowers が、
長年に渡ってエルゼビア社の論文誌をボイコットしている理由について、ブログに書いた。
オランダに本社を置く同社は、一流誌 Cell や Lancet をはじめとする定期刊行誌を2000誌所有している。
ノーベル賞の数学版とされるフィールズ賞を受賞した Gowers 博士は、この状況を望ましくないと考え、
今回のブログ記事が他の学者もボイコットに参加するきっかけになれば、と望んでいた。
実際、それが起こった。
Gowers のブログに感化されて、数学者 Tyler Neylon がオンライン署名サイトを設置し、
そのサイトを通じて研究者2700人以上(訳注:日本語訳執筆時点では5300人以上)が署名し、
自分の研究をエルゼビアの論文誌に投稿せず、エルゼビアに投稿された論文を査読せず、エルゼビアの編集作業にも協力しない、と誓約した。
その数は、数学者の表現を借りるならば、指数的に増大している。
実効性をともなっていくとすれば、大出版社にとってこれは、革命をつきつけられたようなものである。
Gowers 博士による非難は3点に集約される。
第一点として、エルゼビアの製品の料金は高すぎるということ。
第二点として、論文誌の「抱き合わせ」が広く行われているために、図書館はある論文誌を購読しようとするとき、興味のない他の論文誌もセットで買わなければならないこと。
第三点として、公的資金による研究に対して政府がフリーアクセスを要求することを禁じる法案(たとえば米国議会で審議に入る Research Works Act など)を支持していること。
エルゼビア側によれば、これは誤解を招く言い方だと言う。
2010年には、20億ポンドの収益に対して7億2400万ポンド(11億6000万ドル)の利益を得た。利益率は36%。
しかし、同社の Director of global academic relations の Nick Fowler は、
購読料水準は業界の平均であり、ここ数年の値上げ幅は他社より低いとしている。
Fowler 博士によれば、人もうらやむエルゼビアの利益率は、同社の効率的な経営の結果以外のなにものでもないという。
Neylon 博士による動議は、より広い文脈での学者と出版社の衝突の表れのひとつと見ることができる。
その衝突は、オンライン出版の台頭によって、ますます鮮やかに描き出されてきた。
学者は情報の自由と流動性に重きを置く文化に属しており(そもそも論文の査読と編集を無償で行っており)、
出版社は情報へのアクセスに課金して利益を最大化しようとする組織であり、
同時に権威ある論文誌の(すべてではないにしろ)ほとんどを掌握しているからである。
一触即発の状況は長年続いていた。
2006年には、 エルゼビアが出版する数学論文誌 Topology の編集委員会の全員が、アクセスの囲い込みと料金高騰への懸念を表明して辞任した。
ドイツの出版社シュプリンガーによる論文誌 K-theory の編集委員会は2007年に解散した。
多くの人は、ことが荒立てられるまでにこれほど長くかかったことに驚いている。
出版社をそのサイクルから追い出すことができる環境は十分に整っていた。
実際、商業出版の代替物をつくろうとする動きは何度か起こった。
コーネル大学のウェブサイト arXiv (X はカイの音のギリシャ文字を模しており、「アーカイブ」と発音される)は1991年にできた。
研究者は、まだ論文誌で出版されていない物理学の論文をそこに投稿することができ、
Public Library of Science (PLoS) は2000年にできた。
そこでは生物学と医学の分野でフリーの論文誌が7誌出版されている。
こうした動きへの熱意があったにも関わらず、伝統的な出版社の支配が続いたことには理由がある。
arXiv の論文は、公開後に容赦ない批判にさらされることは確かなものの、投稿前に正式なピアレビューは行われない。
PLoS は一部を寄付金でまかないながらも、論文1件あたり2900ドルの掲載料を課す。
これは著者の負担となり、金策に悩む大学にとっては無視できない金額である。
少なくなりつつあるとはいえ、電子版のみの出版に対する偏見もある。
こうしたことが重要なのは、大学と個々の研究者が、出版した論文の数と掲載された論文誌の名声に応じて評価されるからだ。
ともすれば新しい道具に挑戦することが期待される若手研究者は、その前に既存の権威ある論文誌で出版しなければならない。
さもなければ、発言力もなく昇進もない。
そして、新しい論文の運命を決める力のほとんどが権威の高い論文誌にあるために、「権威」の定義は少しずつしか変わらない。
商業出版社は、たとえば読者ではなく著者から料金をとるなどといったオープンアクセスのアイデアを試そうとしている。
しかしボイコットが広まっていけば、ことは急激に進展する可能性もある。
けっきょくのところ、学者が出版社を必要としている以上に、出版社には学者が必要なのである。
突然失脚する直前まで、えてして体制側は無敵に見えるものだ。
来たる学術の春にはご用心を。
「ゲーセン系」の議論は一通り出たと思うけど、同時に引っかかった点がある。
ゲーセン系の話に噛みついた人はあくまでも「泣ける」と安易に感動した人に向けられたものである。
それを「感動しちゃ悪いんですか!?」って逆ギレしていた感じ。
確かに個々の感じ方は様々でいいけど、安易に「面白い」「つまらない」を言いすぎる風潮があるかもしれない。
「ここの〇〇が面白かった」「あそこはよかったけれども、この点がよくない」とか
一人一人が根拠を持っていればあそこまで大きくなることもなかったとは思う。
要は「全肯定」か「全否定」かしかないから溝は埋まることはないってわけ。
ただ、物語の読解力や全体を見る力は全体的に低下しているのかもしれない。
圧倒的に「自分が理解できない=つまらない」だと思っている人が多い。
それはあくまでも「個人」が理解できないものなのに、「全体」が理解できないと思って
感想レビューに「最悪。見る価値(読む価値)なし」とか平気で書き捨てるのはどうなんだろうと思う。
それも「全肯定」か「全否定」しかできないから起こる現象なんだろうか。
その流れでよく言われるのが「起承転結がなってないから最悪」という言葉。
確かに物語の基本は起承転結かもしれないけど、必ず起承転結があるとは限らない。
それをまるで鬼の首をとったかのように言い張るのはどうかと思う。
作文も起承転結、小説も映画も全部起承転結じゃないと理解できない頭になってるんじゃないだろうか。
頭に「結」を持ってくる論文が書けないという子も、「起承転結」に囚われてるんじゃないだろうか。
それもこれも「全肯定」か「全否定」かしかできないのと関係があるんじゃないだろうか。
そこまで真剣に考えている人が少ないなら少ないなりに何らかの傾向が見えたらと思ったけれども
先に結論から書くと、グローバル化のことは、「外資系社員ではなくて、中小企業のオヤジに聞け」ということ。
外資系の人は、大企業の人間に聞くよりはマシだろうけれど、かなりのポジショントークにならざるを得ない。
日本が好きで、日本のことを思い、本当にヤバいという焦りの気持ちを、叩かれるのを覚悟で率直に伝えてくれたのだとしたら
私はむしろ感謝すべきなのかもしれない。それでもあえて苦言を呈したい。
論点が盛大にずれている。というかこれポジショントークだよ。
彼は正しく現実を観て、正しいことを言ってるとは思うけれど、意識的にか無意識的にか、自分のポジションの価値を上げるよう誘導する表現をしている。
グローバル化についてはドラッカーがまだ邦訳されてない論文でこういうことを言っている。適当に要約するとこんな感じ。
まるでグローバル化そのものに価値があって、それに適応することが自分の価値を高めるかのようなことをまくし立てる愚か者のことだ。
グローバル化と呼ばれる流れで変わるのは、単に競合が国内にとどまらなくなるということだけだ。
どれだけ価値を生み出せるか、どれだけ高い生産性を保つか、という今まで私がしてきた問こそが重要であるという事実は変わらない。
新しい競合と比べて、より高い価値を提供できるか、それだけが問題なのだ。
英語や最新のテクノロジーをみにつけても価値を提供できない奴は結局職を失うことになる。
グローバルという言葉に踊らされ、目新しいことをそのものに価値があると信じて意味のない努力をするのではなく、
今まで通り、目の前の客に少しでも価値のある仕事を提供するに自分をどう磨いていくかを考えろ。
繰り返す。グローバル化や最新テクノロジーそのものは技術の変化にすぎず、イノベーションではない。
イノベーションとは現在のサービスの価値を高め、新たな顧客を生み出す変化のことであり、それこそが重要なのだ。
考えなしに新しいテクノロジに乗り出せば成果が得られると思うやつは、考えなしに多角化して失敗した一世代前のエグゼクティブから何も学んでいない。
言ってることは上のtogetterと同じだ。でも印象が違ってくるのではないか?
どちらの説を取るにせよ価値のない仕事をしている、競合と比べて費用対効果が悪いバックオフィスは切られる。この結果は変わらない。
結果が同じならそれでいいじゃないか、という人もいるかも知れないが、そういう考えだと、外資系の人だけが潤うだけだ。
ドラッカーは上の人のように、グローバル化に乗り遅れなければ助かる、というようなミスリードはしていない。
英語なんぞを頑張るよりは、世界に誇れる仕事をして、新しい価値を生み出すことを考えろ。
何でもアメリカルールに揃えようとするな、それよりは自分らしいやり方で独自の価値で勝負しろ、と言っている。
上記記事は、失礼ながら形だけ見たら植民地化された国で、まっさきに奴隷監視役を請け負って中間支配でおいしい目を見ようとする類の人と変わらないように思う。
彼は善意でこういうことを書いてくれたと思うからこそ、この手の微妙な話は伝え方に気を使って欲しい。ちゃんと真実を、誤解のないように伝えて欲しいと思う。
ぶっちゃけ、彼の言いかただと日本やばいですよと煽った挙句に、問題は解決しないどころかよりドツボにはめる結果になりそうだ。
そして彼のような人だけが儲かる結果になる。そういう結果になった時、自分の言った発言に責任が取れるのだろうか。
せっかく外資系で、日本の中に閉じこもってる人より世界の現実を見てるんだったら、
いかにして日本はアメリカ流に屈せずに自立自存の道を歩めるかまでちゃんと「自分の頭で考えて」それを伝えて欲しい。そういう議論ができるのが外資系のいいところとちゃうの?
これって日本を知らないアメリカ人が自分たちの作法が絶対的に優れてるという前提で語ってることを、日本人側として素直に受け入れちゃってるような気がしてならない。
上の記事の人にはすみません。言いがかりみたいな記事を書いてしましました。完全に憂さ晴らしです本当にありがとうございました。
私が勤めてるSI企業ってのは、この人の何倍も腐ったアメリカマンセーなコンサルタントさんがですねうわなにw
なんだかんだ偉そうに言ってるシステム屋より、実際に海外と勝負して売れる価値を作ってる彼らのほうが偉いし、ずっとよく物事を考えてる。
小熊英二にボッコボコにされてる記事を読んで興味を持ったので本も読んでみた。
視点は全部パクリで、それを裏付けるデータとか中途半端な近代史は新しいの持ちだしてきて味付けしてるけれどなんというか、薄っぺらい。
しかも、クルーグマンと違って、現象を裏付ける「なぜ?」の分析が弱く、さらにそれを受けて「じゃあどうする?」って提言もない。
すべてが借り物という感じがする。
20年経ってようやく日本がアメリカの抱えていた病を身をもって理解し始めたというのを指摘するのは大事な事だ。
なんつーかすごい投げやり感で読んでて萎える。
なんつーか、お前はマミさんかと。
「結局こういう時代なんだから親におんぶに抱っこするしかないじゃない!」
「親が養ってくれないならみんなで死ぬしかないじゃない!」と魔女化フラグびんびんのまま放置。
脚本家としてどうなんだよこれは。
全体が暗いならなおさら、著者だけでも頑張るとかいってさやかっぽく振る舞うか、
嫌われ者覚悟で私だけは生き残ってやるぜ、と杏子っぽく振る舞うとかやり方はいくらでもあるでしょ。
別にまどかになれとは言わんけど、なんでよりによってマミさんなんだよ。
マミさんが主人公の物語なんか誰も読みたくないよ。欝になるだけだろ。
本を書くなら社会全体じゃなくても自分の周りだけでももうちょっと前向きの芽を探してからにしろよ。
千鶴子さんなんでこの本褒めてんの? 親父どもを叩くためなら若者死んでもいいの?あんたのフェミってその程度なの? ババアなの?
30分くらいで読めるライトな本だけど、内容だけじゃなく、著者の態度といいそれを取り巻くもろもろといい、いろんなことを考えて1日欝な気分になる本。
読むんじゃなかったわ。
イケメンというわけでもなく、気の利いたことを言えるわけでもなく、洋服にも映画にも音楽にも疎い親友が、結婚した。
合理的で、部屋には異常なほどモノがなく、かといって無機質で冷たいわけでなく、いつものほほんと暮らしていた彼が結婚した。
彼に、男としての魅力がどこにあるのか?
彼は女性の気分を舞い上がらせるような話術の才はない。
ぐいぐいひっぱるような男らしさもない。
知的ではあるが、彼の知的さは、数学の点数が恐ろしくいいという程度の評価だったと思う。(東大模試、東工大模試で上位にのるくらいだった)
二十代中盤から日経新聞を読み始め、ずっと読み続けているため、今でこそ経済ニュースに関してはかなりのものになったが、経済に結びつかない話はさっぱりだ。
でも、自分だけは知ってる。
憎しみや嫉妬という感情を持ち合わせていないかのように見える。
押し殺しているのだとしたら、それとて立派だ。
少なくとも親友の僕を完全に騙し通してる。
蹴落とそうとか、出し抜こうという意識がない。
まるで数学の問題でも解くように、すいすいと段取って、さくさくとことを進める。
クールにでもなく、熱くもならず、いつもどおりの朗らかな顔のまま。
彼が結婚する話を聞いて、彼のことを評価する人間が、自分の他にいたという事実が、とても嬉しかった。
「彼の素晴らしさが解る女性がいて、それが嬉しい。彼みたいな人間は世界中に二人といない。あなたはいい買い物をした。」ということを、彼の奥さんの前で口に出した。
その瞬間、「あ、失言かな?」
って思った。
「アイツにはもったいない綺麗な嫁さんだ」
と言われているであろう感じだったので。
俺のその言葉が彼の嫁を感動させたらしい。
後日だが、彼が「えらく喜んでいたよ」と教えてくれた。
彼は不可解そうな顔をしてた。
彼は裕福だ。
家が裕福だし(欲が異常になかったから、そうは見えなかったけど)
勤務先だって経団連会長を輩出するような大企業だ。(致命的に論文能力がないので、昇進試験には苦労してるようだが)
それでも、あんな性格(俺からすると最高なんだけど)だと女とは無縁だったんだろうなと。
頑固で、古風で、寂しがり屋で、たまに情緒不安定になったりもするみたいで、面倒くさそうな感じもうけたが、それも彼の仏のように合理的で広い心で包み込めるだろう。
つまり、つまりはだ、アスペルガーだって、仕事ができて、高収入で、家が資産家で、底抜けに優しくて、無欲ならば、他がどうであっても、結婚くらい出来る可能性もあるってことだ!
まだこの時期になっても作業をしていて論文の根幹となるデータが無い状態だ。
どうしてこんなになるまで放って置いたんだ!というツッコミは甘んじて受ける。正直卒業できなくなるんじゃないかという恐怖もある。だけどその怖さをいまだ現実のものとして十分にとらえていないのではないか。現に起きるのが遅くてラボに行くのが午後になったり、休日も作業すべきなのに何かと理由つけて部屋でゴロゴロしている有様だ。このままでは卒論の要旨提出に間に合わないことも頭の片隅に残したまま。
他の同期や他大学に行った高校の同級生は順調に卒論の執筆に取り掛かっている一方、私はこの体たらくだ。もう卒業できなくてもいいんじゃないかとさえ思いはじめている。研究に対する熱は今のラボに入ってからどんどん冷めている。ラボ配属当時の熱は今はもう無い。ラボに行くのですら億劫と思っているほどだ。私の性格は研究に向いていない。身にしみてわかったことだ。
父が「大学なんて行かなくてもいいじゃないか」と言っていたのがここにきて考えさせられる。自分は何のために大学に入ったのか。学士が欲しいから?モラトリアム続行のため?今まで自分は何も考えてこなかった。ネガティブな考えがぐるぐるしている。
でも、今やっていることがどんなにほかの人と比べて遅くてもやることだけはやらなければこれからの人生はないと思ってやっていこう。自分の怠惰な心を振り払って進めよう。たとえ周りから蔑まされて自分の仕事が評価されなくてもいい。いっぺん精神の地獄を味わうつもりでいこう。卒業できればお慰み。
落ちるところがなくなるまで自分を落としていこう。
教授が教えてくれない.
大学院に入って与えられた研究テーマとは異なっていたので,バイトと称して与えられた研究テーマのことはあまり知らなかった.
実験環境や,プログラムを渡されてもよくわからなかったので,教授に尋ねると
「今までもウチにいたのになんで知らないの?それにわからないなら俺の論文を読めよ」と怒鳴られた.
教授の論文を読み,プログラムのわからない点を尋ねると,「んなのプログラム読めばわかるだろ」と怒鳴られた.
論文に書いてあることやプログラムになっているものは聞いてはいけないのかと思った.
別の日,同じ研究室の同期が教授と話していた.聞いた内容は,教授の論文に書いてあるようなことだった.
その同期は,教授との仲が良く,たとえ研究の進捗がなくても怒られなかった.
僕が,同程度の進捗を教授に見せると「なんでこれしかやってないの?」と怒られるのに.
それだけならまだ良い.教授は,僕にだけ授業の手伝いや,部屋の掃除,後輩の指導を押しつけてくる.
研究室にいると雑務を押しつけられるので,家で作業をすると「なぜ来ない」と怒られた.
もちろん登校すれば雑務を押しつけられる.
研究室のバイトでは,業務日報として,報告のメールを送っていたが,教授の基準に見合わなかったのか
何しに研究室に入ったのだろう.
さる土曜日、国立国会図書館の関西館にヒマを潰しに行ってきました。存外良かったのでみなさんにお知らせ。
Official サイトはここ。http://www.ndl.go.jp/jp/service/kansai/index.html
外観がこれ。
http://mbp.tumblr.com/post/13545972949
中は天井が異常に高く、吹き抜けみたいなホールを下っていくのでなんか得した気分になれます。
なかはあんまり写真とっちゃダメっぽい雰囲気だったので写真ありません。
設計どこだろ。
第一の目的はこれ。最近論文読める環境にないのでネタ探しと興味本位で行ってみた感じ。
しかし!蔵書はされていても全部のジャーナルが電子化されているわけではありません。
化学系だとScience Direct系は読めるんですが、ACS系やNature系は書物としてなら読める感じです。
車で行くしか方法がないと言っても過言ではないほど区画整理された土地にあります。
SPring-8を彷彿とさせる。しかしあそこよりは都会かも。
場所は京都府相楽郡精華町といって京都の南、奈良との県境くらいの場所です。
B5以上の書類が入るバックはロッカーに入れる必要があります。電話とかも原則禁止。
カメラ禁止。持ち込みPCは場所を限定して許されているようです。
入るために一時入館証を発行する必要があります。住所電話番号まで必須。
館内でインターネットするためには継続カードみたいなのを発行する必要あり。
こんな僻地の国会図書館来てまでスポーツ新聞やらインターネットしてるひと、
かたや難しそうな本を読んでいるひとなど。
ビニール袋みたいなのに入れれば持ち込みできる?のかな、
隣のおじさんはずっと縮刷版の新聞読んで唸ってました。
ボロクソ書いたとこもありますが、みんなの財産なので国会図書館、一回暇つぶしに行ってみてはどうでしょう。
思えば僕は積み重ねというものができない。
(これは深夜に活動するのが嫌なと手の皮膚が弱く荒れるので仕方なかった)
小学校のころ習ってて今もたまに泳ぐ水泳も上達することなく競泳的な泳ぎ方ができない。
今はほとんど聞かない。
だっていくらお金づきこんだところで2年に一度来るかこないかわからないアーティストだし
未だにとりあえず聴いている。良いのはわかる。気に入ってプレゼンにつかった曲もある。だから何だ!
てきとーに本屋に足を運んで
気軽に読めるものだけ読む
せっかく読んだ本の感想とか書こうとおもったけど続かなかった。
意識高く熱くなろうと頑張る。
でもインプットしたものもアウトプットしたところで金にならず終わる。
何もやってないわけじゃないけど
何やっても単発でおわる。好きなことも
お金とかの問題ややっぱ目の前で連載や放送されてるそのものが好きだから。
絵とか描いてみたいと思うけどめんどくさい。
自分に関係ないと思ったものに対しての熱の入れようがあまりに低い。
人の名前はほんとにそれが原因かも。
かなりドライ。ケータイみたらわからない名前がいくつかあって消した。
長期的な視野が大切と「理解」はしても「納得」できてないから結局コツコツした努力が無理。
まじめっぽくふるまってていつの間にか辞めることおおい。
もちろん友達も少ない。
これを読んだらこう思うべきなんだろうか?とか想像してしまう。
実際やるとその過程で見えてくるものがあると頭では「理解」してても、実際過程を楽しむ行動が取れない。
将来とかもどうでもいい。
みんながするんでしょ?とか思っちゃう。これ何二病?
でもそんな生活実際やったら楽しいんだろうなとか思ったりもしている矛盾
何したら楽しいの。
何かを好きになるのは自分の自由なのに
それを好きと言い続けられる精神がない。
それはまわりの目を気にしているからだと思う。
何が好きかがステータスになるから。褒めてくれる人や賛同してくれる人同調してくれる人を求めてしまう。
一方でステータス全面に出している人と会話するのめんどくさい。
今論文やってるんだけど
他に関心が移る。まぁ実際そっちをやっても対してできないんだろうけどさ。
せめて何か一つのことに強制で集中させてくれる合宿とかあったら
よろこんで参加するのになー。
匿名なのをいいことに書きたいことを書きなぐってみることにする.
現在工学系修士M2.幸いにも就職は決めることはできた.(苦しみはしたが)
しかしこの時期だというのに,とある問題に行き詰って研究室に行こうとすると吐き気がする.
またいやなことに,研究を進める上で通らなきゃならない問題なのにもかかわらず一向に解決が見えない.
教授には感謝しているし,研究室の同期にも心を許している.少なくともそういう感情は持っているつもりだ.
教授の車や人影を見るとぞくっと緊張が走る.
これまで,自分は少しは能力がある人間なのかもしれないなんて,そんな自惚れを持っていたのかもしれない.
でも,ここ半年(特に就活を経験してから)そんな自惚れは自惚れだったと気付かされた.
自分はいくら努力してもおそらく努力の向きを微妙に間違えていて,
書いたコードの行数は多いかもしれないけど,間違いなく成果には繋がってない.
さっき惨めで一人で泣いた.こころがしんどい.