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はてなキーワード: 語源とは

2024-03-18

anond:20240318142316

シチュー英語でstewと書く。つまりステューの方が近い

ところで執事英語でstewardという。これは「シチュー係」が語源

まり精神シチューというのは心の執事、まさに影でお支えする存在のことでございますお嬢様

2024-03-17

anond:20240317073034

いいえ、Study hard ではなく、態度(attitude)です

努力って語源はともかく現代では貴族欺瞞しか使われないからね

 

ついでに人を作るのは能力ではなく、態度

 

たとえば、自分の専門外に安易言及したり、陰謀論を唱える学者を賢いと考える人ほとんどいないでしょ

でも、能力(Ability)だけにフォーカスを絞った客観的事実は、高学歴で少なくとも低いIQではない

  

賢い人の振る舞い、穏やかな人の振る舞いをしていれば、周りの人はそのようにその人を認識するし、

長年にわたって積み重ねられた行動や習慣は、やがてその人の性質性格と呼ばれるようになる

誰が言ったか不明だけど、世界中で似たようなことが大昔から言われている(マザーテレサではないです。ウィリアムジェームズ?)

言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから

「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。

  

あとこれだな

>「乗り越えられる壁しか乗り越えてこなかっただけですよね」

https://anond.hatelabo.jp/20240317004939#

2024-03-08

「泥のように眠る」の「泥」は生物ことなのか?

まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。

泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。

泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。

『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えソース不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。

「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』の原文にはそういった表現はない。この周沢はとても生真面目な人で、祭祀管理する「太常」という役職に就いてから毎日のように斎戒をしており、彼が病に倒れたときに妻が見舞いにくると「斎戒中に妻子と触れてはいけない」と言って妻を投獄してしまうほどだった。そこで人々は「生世不諧,作太常妻,一岁三百六十日,三百五十九日斎(この世に生まれて楽しくないのは太常の妻になることだ、1年360日のうち359日は斎戒しているからずっと会えない)」と歌ったのだった。

この「三百五十九日斎」のあとに「一日不斎酔如泥(残りの一日は斎戒せずに泥のように酔っている)」という文章がくっついていることがあるのだが、それがどうも後世に補われた部分らしい。正確には唐代注釈後漢書李賢注)に「『漢官儀』にそう書いてあった」と書かれているとのこと。

たとえば唐代詩人李白は、

三百六十日 日日酔如泥 雖為李白婦 何異太常妻

私は360毎日泥のように酔っているので、あなた李白の妻だと言っても太常の妻と変わらない

と周沢の逸話を踏まえた詩をよんでおり、その頃には「酔如泥」という言い回しが広まっていたことがわかる。周沢が1世紀の人なので、ざっと700年くらいが経っている計算になる。なお先述の『異物志』も唐代、『能改斎漫録』は南宋代、『夜航船』は明代書物である

で、この「酔如泥」の「泥」は実は「ドロ」ではなく「デイ」を指しているのだ!……という説はどうやら中国でも根付いているようで、古くは『能改斎漫録』や『夜航船』においても「デイ」の説明と周沢の逸話併記されている。だが併記されているだけで何か解説が述べられているわけではない。

現代中国ネット上でも「実はドロではなくデイのことなんだよ」という雑学ネタ散見されるが(ということは中国人の多くも「ドロ」のことだと思っているのだろう)、いずれの記事も「古い本のなかでデイという生物が紹介されてるよね」「昔から『酔如泥』という言い回しがあるよね」「だからこの泥というのはデイのことなんだよ」というちょっと怪しげな論法であり、やっぱりウソ雑学なんじゃねーのと疑う気持ちを抑えきれない。

ちなみに日本ではどのように受容されていたのかと思って検索してみたが、天保年間に出された『燕居雑話』のなかで、『能改斎漫録』などを引用しつつ「蟲名とせしもたしかなる所見なし」「さして難解ことにはあらぬを斯る迂遠なる説を本説とするも奇なることなり」などと書かれていたのを見つけたので、昔の人もそう思っていたんだなあと感慨を覚えるなどした。

ともあれ、本当に「酔如泥」の「泥」が「デイ」に由来するとしても、その「デイ」の名前は「ドロ」に由来するのだから、どちらにしても酔った人間を「ドロ」にたとえているのと変わらないのではないかと思う。

さて、「泥のように酔う」についてはいろいろとわかったが、「泥のように眠る」はどうなのか。

中国語で検索してみると近いのは「酣睡如泥」だろうか。「酣」は「宴もたけなわ」の「たけなわ」のことで「まっさかり」という意味。つまり「酣睡」は「熟睡」という意味になり、全体では「泥のように熟睡する」という言い回しになっている。しかし、こちらの表現については「この泥とはデイのことである」という言説は見つからなかった。おそらく「酔如泥」よりも遥かに歴史が浅い表現なので、あんまり語源が気にされていないというか、「デイ」にまつわる語源説明するなら「酔如泥」のほうが例に取りやすいということではないか

もちろん「泥のように酔うのがデイに由来するのだから眠るほうもデイに由来するのだろう」という類推は成り立つだろうが、逆に言えばそれ以上の根拠はないということだ。つまり「泥のように眠る」には「泥のように酔う」とは別の語源があってそちらのほうは根拠も確かなんだぞ、というミラクルはなさそうである

2024-03-07

anond:20240307090412

まあ語源も知らずに言い回しが使われるなんてアレに限った話でもなかろうよ

2024-03-04

中学生の息子に勉強を教えるときにやった内容

小学校小6~中学1年まで極度に勉強ができなかった。

テスト問題文の理解ができなかったり、問題文の日本語は読めるが表現が気になってその所を何度も確認して先に進めず1問目以降白紙などもあった。

このような状態だと学校集団塾では改善はしないだろうと感じたので、自分勉強につきっきりになることにした。

幸い、私はある程度勉強はでき、中学レベルなら英国数ならほぼ満点はとれる。

まず、問題文を読んで頭がパンクしてしまうことに関しては、深く考えるとパンクしてしまうということなので、そのパンク兆候がでたらその問題から離れる訓練をした。

日々の家庭学習問題集をとかせ、それが発生しそうなら知らせてスキップする。

テストときでも、損切して0点を防ぐ効果がでた。

そのあと、問題文でパンクする問題を一緒に説いて、問題文は何を求めているのか2人でじっくり考えるようにした。

そうすることで、問題文の表現パターンが分かり、次第にテスト問題文の意味が分かるようになってきた。

もともと息子は社会理科は興味があるので、問題文が読めればある程度テストでも点数が取れるようになった。

(一部追記)

なぜ小6から勉強ができなくなったのかというと、小学校の頃は雰囲気でやってもなんとかなっていたから。

しかし高学年だと英語もはじまり、内容も高度化して遅れていった。

私も「小学生なら特に何もやらなくても大丈夫だろう。」という楽観もあった。あまりテスト結果もみてなかった。だがそうならなくだんだんと置いていかれるようになっていた。

よって、6年からできなくなったというわけではなくて、表面化したという表現が適切かもしれない。

数学

問題問題が解消された後は、数学理解が進んだ。

算数小学校時代は苦手だったが、中学にきて意外にも好転してきた。

正負の計算方程式最初の関門だが、正負の計算で今まで『0より小さい数字になるような引き算はできない』というルールに感じていた気持ち悪さが解消され、調和した四則演算ができるので一気に数に対する理解度が増した。

方程式はやり方を教えて何度かやっているうちに、四則演算理解度が高まっていたので難なく扱えるようになった。

その流れで、連立方程式も進んだ。

一次関数数学の第2の関門だが、これは科学史への興味が効果がでた。

デカルトについてと、代数幾何学を同じ計算でできるということを教えたら、興味が増し。

交点が連立方程式でとけることに感動していた。二次関数自主的に予習していた。

国語

興味がある本はどんどん買った。

私が持っている本も年齢的に理解できないとしても貸した。

はじめは音読で読んでいたが、次第に黙読になりスピードもました。

最近国語の読解問題もとけるようになってきた。

たまに私が読んでいた本を息子が読んでいるときに、理解をしているか要約させたりしている。

英語

これが今もできない

元々、文章理解して意図を汲むというのを苦手としていた上に、日本語構造が違うので理解の糸口が見つからない教科だった。

単語の読み方も法則が分からないようで、理解が難しいようだ。

まずは英語文法と成り立ちから教えた。

ラテン語からゲルマン語、ノルマンコンクエストフランス語が入ってきたといういくつかの文明の交わりで言葉が変わっていったというところ教えた。歴史が大好きなのでこういうので覚えてくれる。

曜日ローマ神話、月名とラテン語の数詞とカエサルアウグストゥスなど、そういった言葉語源も添えると覚えてくれる。

そのあとで、主語動詞特に中学校では後半にやるけど5文型は先に教えた。この子構造理解したら先に進めるタイプなので、文法構造からやった。

そのかいあって、単語並び替え問題等では最初は全くすべてをランダムにおいていたのに、今は少しずつ文法構造はわかってきた。

文法は言われればわかるが、単語がどうも覚えられない(覚えてくれない)

単語効率の良い覚え方はレクチャーしたが、英語以外の教科では理解をした後に一気にすべてがわかるブレイクスルー体験したがために、どこか暗記に銀の弾丸があると思っている節がある。

から本人は怠けてしまう。

1年1学期の白紙よりかは良くはなってきているが…今後、改善必要ポイントだ。

勉強のやり方

定期テスト後に学校指定問題集を提出が義務付けられている。

テスト直前になると問題集を解くだけに忙しくなると勉強ができないので、2週間くらい先を進めて予習して問題集をやらせている。早めに課題を終わらせて、自分自身の問題点に向き合える時間をふやす

余談だが、学校でもその問題集を使うので毎日持って帰るのが大変だ。今は学校では置き弁がゆるされているが(じゃないと運べない量)、ちゃん勉強するとなると荷物が大量になるというジレンマがある。

インプットアウトプットの間隔を短くさせるために、1ページごとに採点・間違えたところの確認・再度問題を解く・というサイクルを持たせている。

最終的に、独力で自分課題発見解決のサイクルができればいいが、まだそこは難しい。問題がとけない原因を言語化させるように努めている。

言語化ができれば、半分以上解決したようなものだ。

採点の際には私も一緒にやって理解度を確認している。その際には、あてずっぽうで答えて当たったことをさせないために、回答の根拠ちゃんと聞くようにしている。

今やっている範囲以外のことの理解も足りているか確認もここでする。英語だったら授業範囲ではないが、以前やった単語表現が出てきたらちゃん理解しているかを聞く、

学校指定されている問題集以外にも、たくさん解かなければ身につかないので、市販問題集で補ってやっている。

試験を想定した実戦形式問題場合時間を短めに設定して、制限時間内に終わらせるようにしている。

これはなるべく家庭学習で実戦より難しい状態にしておくことで、実戦が楽になるためだ。

以前のように問題文でパニックになるのを防ぐためでもある。

学校と塾について

学校はあまり勉強に熱心でないと感じた。

良い教師もいるが、教えるのが苦手な教師もいる。

それどころか、学校教科書も体系立てて書かれておらず、そのまま読んでも理解しづらい。

特に英語に感じたことだが、読む・聞く・話す・表現する を重視するあまり文法単語に関してはサラっと先に進んでいる。

指導要領が増えているため時間がないのかもしれないが、とにかく内容がスカスカだと思う。

to不定詞を例にとれば、名詞用法形容詞用法副詞用法 があるがそれをまとめて説明しているページがなく、

英語表現コラム的な位置ちょっと書いてあるだけなのだ

旺文社の『中学総合研究』など総合的な説明が書かれている本を買って、体系づいた知識アクセスできるようにする必要がある。

これに関しては数学も同じだ。

また、受験に関しても中学校の教師はあまり良いアドバイスをしてくれない。問題の傾向などの情報も持っていないようだ

私は塾はなるべく通わせたくなかった。本人の集団学習に馴染めない傾向というのもあるが、それだけでない。

高校義務教育でないにしてもほとんどが進学するようになった現在、進学への対策義務教育の範疇だと思う。

貧乏でも義務教育をちゃんとしていればいい高校に入れるべきなのだが、塾に通わせなければならない現状はおかしいとおもう。

また、塾と部活をやると大人でも過労死基準労働時間に相当する拘束時間になってしまう。それを子供に強いるのはおかしい。

なので、社会の歪みをそのまま迎合するのも避けたかったので、学校がクソなら親の私がその穴を埋めようとしていた。

だが、今年の春から中三なのだが、学校高校受験に関する良い情報を何一つ持っていないので不安しかない。

また、英語がやはり伸びない。

私は勉強はできても教えるプロではないので、やはりプロの力は必要だと思い、個別指導に通わせることにした。

受験の開幕前だが、今までを振り返ってみるとまあ親としてちゃんとできたかなとは思う。

引き続き、今後も息子の自己学習監督していく。

追記

反響があって驚いている。

読み返してみると、勉強のことばかり書いていて詰め込みさせ過ぎなんじゃないかという印象を与えそうなので、一応勉強以外のことも追記しておこうと思う。

まず、ゲームスマホ禁止をしていない。

私がゲームをするし不公平だし、禁止したところで不満が出るだけだ。

ただ、ゲームも「負けて・リプレイをみて・問題点を改善して・試合に挑む」という姿勢学校勉強と同じだということ。成績の上位層の生徒はゲームも大体うまい。ということは教えている。

ただ、ゲームカジュアルにやってほしいので、介入することはない。

スマホ問題をとく15分か30分はLINEをしないという制約をつけている。やることは一つに絞れと。

どうやら女子メッセージ取り合って一喜一憂しているらしいが、私は気づいていないふりをしている。

恋愛などに介入すると親への信頼を損なう可能性があるからね。

anond:20240303050639

語源は陵辱のほうなのにそちらをあえて陵辱してやるやさしい?増田

2024-03-03

anond:20240224161009

そもそも理不尽にオークとかに凌辱されてる推しをみながらオナニーするのが語源

リョに「ナ」が入ってる時点でNTR要素が入ってるのが本当なのではとおもうわけ

本人がやるのは普通に凌辱だろ

それも精神凌辱とか四肢切断とか吸血だけとか普通に古典に分類たくさんあるやろ

教養のないやつらはこれだからこまる

2024-03-02

anond:20240302140958

歴史って英語historyで、その語源ラテン語のhistoriaでしょ?

historiaって歴史だけじゃなくて物語逸話出来事から先史時代歴史じゃねえの?

三角関数いらないだと!?古文漢文不要だと!?」と憤っている奴、「勝利至上主義スポーツ体育会系はいらない!」と思ってる説

割と当たってると思うけど、どう?


スポーツ語源は『気晴らし』であって…」とか言い出して否定してくると思うわ

2024-03-01

暇空茜と相棒なるくん、「プラットフォームプラットホームは違う」

アノンネットリンチされてる堀口英利、2/28に暇空との裁判で勝訴するもリンチが更に苛烈になり希死念慮を語る

堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi

2024年2月29日 20:03

パソコンを買いに出掛けたものの、プラットフォームに入ってきた電車を見ると「いま飛び込めば楽になれる」との考えが浮かびます

https://note.com/hidetoshi_h_/n/n2f4ac24b100a

暇空茜の反応

暇空茜

@himasoraakane

×プラットフォーム

プラットホーム

https://twitter.com/himasoraakane/status/1763161646720274593

なるくんの反応

なる

@nalltama

プラットフォーム 主にコンピュータの基幹部

プラットホーム 電車ホーム(乗降所)

これカタカナ語ではなく完全に英語から英国留学生が間違えることはないと思うんだけど

https://twitter.com/nalltama/status/1763167318908227830

プラットフォームプラットホームもplatformをカタカナ語にしたもので同じ単語

プラットホーム【platform】 の解説

《「プラットフォーム」とも》

1 演壇・講壇などの壇。また、舞台重量挙げで、競技(試技)を行う場についてもいう。

電車列車への乗客の乗り降り、貨物の積み下ろしのため、線路に沿って築いた駅の施設ホーム

3 大型の無人観測衛星

4 車台 (しゃだい) 。シャーシー。また、自動車の異なるモデル共通して使われる車台を中心とした基本的構造のこと。プラットホームを共有することで、生産費用圧縮できる。

オペレーティングシステムハードウエアなど、コンピューターを動作させる際の基本的環境や設定。

報道機関配信したニュースをまとめて読むことができるウェブサイトサービス。従来のポータルサイトのほか、ニュース掲載する専用のニュースアプリやソーシャルメディアなどを指す。

7 商取引情報配信などのビジネスを行うための基盤。→プラットホーマー

8 ⇒卓状地

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/

プラットフォーム(platform)とは、元々の語源からすると“平らな(plat)形(form)”という意味ですが、現代では様々な場面で様々な意味として使われています

例えば、駅でプラットフォームと言えば、乗降場を指す“ホーム”という意味ですが、政治世界では“演壇や演説の場”という意味になります

一方で、IT世界では“基盤となるハードソフトなどの環境”を指しますが、ビジネス世界では“商品サービスを集めた場”を指したりします。

https://www.nttdata-value.co.jp/glossary/platform

プラットホーム」とは、複数の要素が組み合わさって機能する基盤や仕組みを指す言葉であるコンピューターやインターネットの分野では、ソフトウェアやアプリケーション動作する環境や、サービス提供される基盤を指すことが多い。例えば、WindowsmacOSオペレーティングシステムOS)としてのプラットホームであり、スマートフォンiOSAndroidも同様である。また、鉄道では、電車地下鉄が停車し、乗降が行われる場所を指す。

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

2024-02-28

サンドイッチ語源は「サンドする」という動詞名詞になったか

はさむことを「サンドする」って言うよね?

そこからサンドイッチ」という言葉食べ物が生まれたんだ

じゃあ「サンドする」の語源は何かって?

そこなんだよ!

それはね、「サンドイッチ」からまれたんだ!

まりこれは語源がぐるぐる回るタイプ言葉なんだ

語源回廊型」と呼ばれるんだよ

勉強になったね!

お礼はセブンカフェラテでいいよ

2024-02-27

オムレツオムニバスいかにも「オム」の部分の語源が同じっぽさがある

とりあえず語源由来辞典見るか

オムレツの意味・語源・由来を解説 : 語源由来辞典

オムニバスの意味・語源・由来を解説 : 語源由来辞典

このサイトコピペ禁止しているのか

オムニ - Wikipedia

あー、なるほど……「オムニ」で区切るのね……

じゃあオムレツ無関係だわ

omni- - ウィクショナリー日本語版

うーん、語例を見てもオムニバス以外は知らない単語だった

ロボコップのオムニ社はこれが由来なんだろうな

スプーンから宇宙戦艦まで」……はべつの企業だけど、そのくらい全てやるということなのだろう

帰宅したら改めて新明解語源辞典を引いてみよう

日記

2024-02-23

anond:20240223141205

typhoonの語源アラビア語「嵐」意味する「tufan」が、中国語の「颱風(Táifēng)」になり、それがそのまま日本では「台風」、英語では「typhoon」になったという説が有力です。

2024-02-22

ぼっちざろっく最終回

この曲には殺意が足りない!ので、演奏中私が常に中指を立て続けてあげます

なあ、パンクスにとって中指は、ふわふわ世界から身を守る鎧なんだ。今なら期間限定でもう一着無料

から私がヤクザに入って出る時も中指は詰めない。な。で、つまりヤクザを入って出て入って出て入って出て入って出て入って出て入って出て入って出て入って出てを八回できるわけであって、まあこれが七転び八起き語源です、今からなるんです。

ベースはハッパで捕まったし、ドラムポン中、ギタボはギンギンの眼でコンサータを夢見ている、ギターは死んだ、じゃあ私は誰って話です。

から、これが「ぼっちざろっく」って話だったよね後藤さん。え?なんかキマッちゃってるね?

いいや、次の曲はFlower Travellin' BandのSatori (Part I)ピーーーーーーーー(水平になった心電図の警告音)

https://www.youtube.com/watch?v=M5qYBhacTLo


死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2024-02-19

宗教」という問題について語ろう

「私に宗教必要ありません」

宗教勧誘を受けたときによく口にしてしまうこの言葉

多くの日本人にとって宗教は「必要のないもの」という感覚が共有されているように思う。

しかし、本当にそうだろうか。

あるいは、「宗教必要のないもの」という認識宗教問題について冷笑的な態度を生み出し、本当にその問題について考えることを無意識的に避けてしまうのではないだろうか。

宗教(Religion)」という言葉は実は近代語だ。

もともと、この語源となるラテン語における「Religio」は、「(精神的な)深い絆や繋がり」を指す言葉であり、もしくは今日においても「Religious」が指すように「信仰深い態度」そのものを指す言葉として使われていた。今日における「○○教」といったような言葉は、単に「○○の弟子たち」あるいは「○○の後を追う者」といったような言われ方がされてきたし、日本においても「茶道」「武道」などの言葉に残るように「仏道」など「○○道」という言葉があてがわれていた。近代に入るまで「信じる」ということが、より実践的な行為と不可分なものとして扱われていたことがうかがえる。

私なりに「宗教」という問題が何を指すのかを考えてみるところ、それはおそらく「生き方(a way of life)」そのものなのだ

このように言うと、「ならやっぱり必要ないじゃないか。現に私たち宗教に頼らずとも、自分たち生き方に不満がないのだから」と言いたくなるかもしれない。それもひとつの「生き方」だ。

しかし、もう少し俯瞰してみると、これには以下のような構造が見て取れる。つまり日常生活においては必要のないものいるかもしれない。しかし、自身の生きる目的や指針などが根底から揺らいだ時にも果たしてそうだろうか。宗教的契機は必要ときに必ずや立ち現れるものなのかもしれない。

少したとえ話をしよう。

人類史における長い間、「地球は平だ」とする見方が優勢だった時期があった。しかし、当時に生きる人々はそもそも、大半が一生を自分の村で過ごす農民だ。たとえ貴族であっても交流範囲は限られていた。シルクロードを通じて、遠くから物品が運ばれてくるとしても、それは「遠くから運ばれてきたもの」であり、具体的にどのような道を通ったのか、その間に地平線を意識することもなければ、時差について説明する必要もあまりなかったはずだ。つまり、「丸いと考える必要がなかった」のだ。

しかし、時代は移り変わり大航海時代領域国家なども生まれ、人々の交流範囲がどんどんと地球規模に発展していった。その過程で、例えば「他国より手短にインドに行ける方法」を知らなければいけなくなったし、「離れた地域の人と連絡を取る方法」を考えなければいけなくなったし、「大規模な航海を行う必要」にかられた。その過程で、新たな発見を迫られ、徐々に「地球は丸い」という考え方が受け入れられてきた。

これは、地動説VS天動説しろアリストテレス目的論VSニュートン力学しろニュートン力学VSアインシュタイン量子力学しろパラダイムシフトというのは、往々にしてこのように「新たな問題に気付き、これを解決する過程で、認識全体が変容する」ことによって起こってきた。

宗教においてもおなじことがいえる。

まり、「宗教」というものも、そのようにより深い、目の前の生計や、人間関係さらには政治技術、そういった問題を超えた「自分自身は何のために生まれて、何のために生きているのだろう」「この世界は何のためにあるんだろう」といったような問題対処するための、プラグマティック実践論といえる。

そして、「自身生き方に行き詰ったとき」「自身生き方を見直さなければならない時」に、必ずこうした宗教問題に取り組む契機が訪れるのだ。

これは、「既存伝統宗教新興宗教は信じるに値するか」といったような問題とは異なる、より根本的な「宗教的契機の構造」の話をしている。その上で、「どんな信仰体系がその個人にとって意味があるのか」は、その個人マインドセットや、置かれている社会的文化的環境によって異なってくるだろう。もちろん、その人が置かれている社会的文化的環境によっては、特定信仰体系が反社会的であるとされることも容易に想定できる。それこそ、人々が宗教的契機に恵まれる、「自身生き方根底が揺さぶられるショック」を受けた状態に、巧みな言葉を投げかけ、献身的信者を作ろうとする商業主義宗教は、必ず唾棄されなければならないと考えているし、宗教もつ「強固な集団形成力」が誤った方向に向けられ多くの不幸を生み出した事例は人類史を見ても枚挙にいとまがない。伝統宗教価値を見出すとすれば、それは「長年生き残ってきた風習であることに意味を見出す保守主義観点からだと言えるかもしれない。いずれにしても、それが「生き方」の問題である以上、ひとりひとり、さらに状況によっても異なって当たり前だし、多様な実践が見られて当然だろう。

宗教は我々の生き方(a way of life)を根底から見直すときに必ず立ち現れる根本的な認識論であり実践である

これが私の考える宗教という問題であり、宗教に関する多元主義的視座の土台である。ぜひ、みんなの意見も聞かせてほしい。

2024-02-15

尻尾はtail

仕立屋はtailor

なるほど燕尾服と言うくらいだものなと感心していたらなんか語源無関係らしい

英語ってこういうところがゴミ

2024-02-14

anond:20240214171931

おとうと語源は貶しめて疎んじるからだゾ(大嘘)

本人にお前がうるさいからもう料理作んねぇぞって伝えとけ

2024-02-09

私は「遊女」という言葉が嫌いだ

ちゃん理由がある

遊女語源は遊行女婦とされている

この遊行女婦は宮仕えの男性相手にした、教養を持った売春婦とされている

よくある吉原の◯◯太夫イメージは遊行女婦を起源としている

もともと、遊行女婦は女性だけで組織されていたのだが、いつの間にか男性支配され、今で言う管理売春組織になった

なので、管理売春された売春婦を当時遊女表現していても、現代人が遊女と呼ぶのは間違いだと考えている

言葉は悪くとも、吉原などの遊郭や飯盛旅籠で働いていた女性淫売とか女郎の方が適切だろう

ただ、残念なことに世の中そんなことを知っている人はあんまりいない

吉原太夫とか花魁という言葉がいつ使われていたのかも知らないと思う

知らないなら使うな、とは言わないけれど、知ろうとしてほしいと考えている

そして、知ろうとするきっかけは沢山あった方がいい

大吉原展がどのようなものになるのか知るはずもないけれど、知りたいと思えるような展示であればいいと願っている

友達が本当にいない(追記あり)

「本当のぼっちなので学食で一人で食ってるww」→「エンカ!🍻」

弱者男性なので女に一人も相手にされない」→体面に女性がいるカフェ写真

ブルーアーカイブしかやってない」→「友達大会出てXXX入った!」

ネットでこういうこと言ってる人、みんな普通人間だな

こういうの見ると苦しくなる、俺には本当に友達がいないか

俺も友達作ろうとしたんだけど全くできない

中学2年生以降友達が1人もできなかった

通話界隈で友達を作ろうとしていた時(18歳ごろ)

ほとんど数分で切断され、誰とも仲良くなれない

本当に何もなかったのでエピソードがないが、5chで1回だけ晒されていた(しか晒しすら誰にもレスされていなかった!)

ゲームのフレンドを作ろうとした時(19-21歳ごろ)

自分ゲームパーティー募集に参加して友達を作ろうとしていた、何度か募集に応じて何とか通話に漕ぎつける

その後2回ほど通話してゲームしていたんだが、相手が引いてるときになぜか後ろの人を蘇生しようとして呆れられる

さらスモーク位置おかしすぎてキレられ、抜けられる→その後ブロックされる

XでVtuberファンの仲間を作ろうとしていた時(23-25歳ごろ)

イラストを上げながら、配信感想つぶやき、同じファンフォローしていた

しか半年間たってもフォロー300/フォロワー0で友達どころかFFすらできない

その後、お絵かきスレで「半年イラスト上げてもフォロワー0なんやが」みたいなスレを立てて、フォロワーが6になる



本当に友達ができない、ツイッターを8年ほどやっているが累計のフォロワーが200にも満たない

その上小時代先生に嫌われており、テスト満点で挙手しまくっても成績が〇(3段階中2)や4-3(5段階中)だった

思えば中学時代高校時代、ずっと授業中寝てたり、約束破りまくるやつばかり友達がいたり、先生から気に入られていた気がする

社会へのコストだけ(勤勉な労働や勉学)ばかり支払って、リターン(友人や収入など)を一切得られないような人生が続いている

みんな俺には見えない何らかのチャネルを用いてコミュニケーションを行っているのか?

本当にどうすればいいんだろう



追記

友人をリターンと表現している部分にやたら噛みつかれてるけど、「頑張っても何も嬉しいことがない」、ということをちょっと変わった面白い文章にするためにそう表現したに過ぎず、他者時間や労力を使ったら自動的に友好関係が結ばれるべきという価値観の表出ではない

またなんか言われてるけどリアルではこんな変な表現はしない、ネット匿名コミュニティ文章を伸ばすためにはツッコミどころや変な表現を混ぜると良いという経験から変わった文章を出力しているだけ!

エンカとは?

ツイッターFFなどネットの知り合いとオフで会うこと

エンカウント(遭遇する)が語源ではあるが、普通アポは取る

鯖と錆が読みも漢字も似ているのなんでなんだろう

語源が同じなのかな

ぐぐりましょうね

こういうとき漢字の「鯖」の語源大和言葉の「さば」の語源の両面から攻めないといけない

さば

→小さい歯を意味する「小歯」「狭歯」という説、あるいは多数で群れをなすことから多いことを意味する古語「サハ」が濁音化して「サバ」になった説

さび

→いわゆる「わびさび」の「さび」と同じ語源か、すなわち古びたもの意味する「寂び」、これをさらに遡ると「荒び」

うーむ、「さば」と「さび」で音が似ているのは偶然と

じゃあ「靑」のつくりが「さば」みたいな読みをするのかな?……って、それはない

音読みの音が似ているならともかく

音読みなら「セイ」と読みたくなるわな

そうか、この疑問って「似た漢字音読みが似るのはよくあるというか当たり前だけど、似た漢字訓読みが似るのは珍しい」という発想から来たものだったのだなあ

銅が錆びると青くなるから「錆」……と思いたくなるが、どうもその説は薄そうだ

元々は金属の澄んだ音を表す漢字だった?澄んだ様子を表す「靑」が「金」とくっついた漢字ということか

それが日本誤用されて金属酸化したアレを指すようになったという説か←なぜ誤用されたのか?ここの疑問を掘るのも面白そう

じゃあ鯖の方の成り立ちはなんやねん

もともとは魚や肉を混ぜて煮た料理を「鯖」としていた?なんか怪しいサイトばっかでてくるな

本当はちゃんとした辞典を引きたいのだが出先だから仕方ない

それがサバが青々とした魚だから「鯖」という漢字をあてた……ということらしい

うーーーーん、こっちも漢字が似ているのは偶然じゃあないか

両方ともたまたま青に連想される性質を持っていたからってこと?

まとめると

「さば」と「さび」の音が似ているのは偶然

「さば」と「さび」の両方がたまたま青っぽい性質を持っていたから「鯖」と「錆」の漢字があてられた←「錆」の説明を端折りすぎだろ

こういうことって結構あるんだよな

なんか関連のありそうな二つの言葉語源を調べたら全然違うってこと

「偶然なわけない、釈然としない」と言う気持ちを「偶然だぞ」と説き伏し組み伏せるパワーが必要になる

日記

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帰宅したら『新明解 語源辞典』で引いてみよう

あーそうだ、「青」じゃなくて「靑」なのは何故なのかって視点での調べ方はしてなかったな

「靑」が使われてある程度日本メジャー漢字は画竜点睛の「睛」くらいか

鯖と錆でつくりが旧字の青なのは同じ理由があるのか?という疑問文を作ることが出来るか

これも偶然くさいなあ(未調査

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おすすめエントリに出てきた「帝王切開語源のややこしさの話」って日記おもしろかった

語源を調べるのが好きって人はやっぱそこそこの数いるんだな

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