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はてなキーワード: 父権とは

2017-03-16

日本会議的なるものや人たちが、あれに惹かれて籠池氏のように稲田氏のように隙だらけのマヌケ暴走をしてしまうのは

結局、自分が持ってる能力以上に権力を持ちたいからなんだろうなと思う。言葉は悪いが馬鹿のくせに威張りたいというか



ゆがんだ家父長制度のなれの果てというか、威張る力すら本当はない力のないものたちが、

幻想の「明治家父長制度的な父権」にあこがれて、おれもあのように権力をふるいたいと願う

己の力のなさを隠すために「強い父=天皇制」を利用する、というか虎の威を借る狐となる。

から彼らは平気で極右である一方で、平気で不敬なことをやったり言ったりする。本当に陛下を敬っているわけでもなくて

しろ天皇機関説的な不敬なんだけど、残念ながら馬鹿から気付いてないんだろう

平成天皇のお考えとはおそらく異なるであろう帝国主義思考、行動へまっすぐ突き進む。

現実に生きていてアジア贖罪の旅を続ける陛下はむしろ不要とすら思っていかねないほどの思考ねじれは

こう考えると理由がつくんだ



稲田氏は父親ゆずり生粋日本会議教徒安倍麻生は二人とも「不肖」であることが、

ファザーコンプレックス的というか、示唆的というか皮肉と言うか。

まぁ、安倍麻生宗教としてどこまでのめり込んでいるか分からん

安倍夫妻に関しては不妊という大きな悩みもあっただろうし第一政権時のぽんぽん痛い辞任の件もあるから

宗教的にのめり込んでもおかしくないようにも思う

そもそも安倍麻生の二人とも、先祖代々のカネモチのくせに馬鹿だもんなぁ。金掛けても馬鹿って相当だぞ。

普通はある程度金持ちなら、馬鹿に生まれても徹底的に金掛けてもうちょっとましな大学行けるのにアレだもの

そりゃ新興宗教にのめり込んでもしょうがない、かもしれん

2017-03-05

法事で会うたびに酔ってブツブツ下向いて、ネットしか見かけないようなネトウヨ電波

東日本はフクイチ汚染で人が住めないって妄言を放つニートの従兄弟がいるので、

ネットで見かける極端な右翼的発言は、従兄弟の顔を思い出して気の毒な気持ちになる

みんな従兄弟が悪いんや。



いや、従兄弟ニートにしたままほっぽって外では威張ってる従兄弟父親が悪いのかな。

兄弟ネトウヨ発言を注意深く聞いていると、エディプスコンプレックスを強く感じる。

示威的で父権強者のものの実の父は憎んでいるのに、一方で、ネトウヨ特有の強い父権へのあこがれはあるんだ

強い父権うつくしいにほん=国家主義的なもの=その実は実の父と一緒のハリボテの父権風、実はただの威張りん坊の既得権者なのに

それが分からず、頭の中の理想父親日本会議的な似非右翼コスプレに重ねてころっと騙されちゃうのが、引きこもり歴約10年のキャリアのなせる悲劇

兄弟を観察していて分かるのは、自分社会で認められることがないからこその、父権的なものへのゆがんだ憧れ

自分努力して力を手に入れようとはしない、自分他人父権を借りて威張りたいだけだからコスプレ右翼日本会議親和性が高いんだよね。

しろガチ日本文化なんかは、むしろ勝てる気がしないから近づかないんだ。

そんなに美しい日本が好きなら柔道剣道でも習ったら?って言ったら黙っちゃったもん。部屋から出られないからね。

2017-02-27

仮面ライダー時代遅れっぷりはもっとフェミ界隈から糾弾されるべきだと思っている

http://anond.hatelabo.jp/20170227094535

歴代仮面ライダーは男。サブライダーも男。変身するのは男である

かたや女といえば喫茶店でダラダラしたりただの血縁関係でさえない妹だったりと、あくまで補助する立場に終始している。

この仮面ライダーは男のもの、という構図は男の子向け番組からと言って許されるものではないだろう。明快な男女格差である

何?かつてはタックルから平成マリカまで、歴代にも女ライダーがいた、男女平等だ、だって?ハハッワロス。そんなもの全体のどれだけだというのだ?

戦隊モノならゴレンジャーから女性がいる。最新作にも女性がいる。男女比の偏りは是正されるべき今後の課題だが、戦隊モノ昭和の古いときからいち早く同じチームという同等の価値に置く。

ジェットマン女性指揮官で、タイムレンジャーに至っては女性が実質のリーダーである

なぜ戦隊モノでできることが仮面ライダーでできないのか。

できないのではなく、しないのだ。このような状況を温存してきたのがテレ朝であり、ジュノンボーイであり、バンダイであり、特撮オタクであり、全国の保護者であり、果ては宇宙なのだ

仮面ライダーという番組は、男ばかりが主役になり、女の変身と言えば怪人ばかりが充てがわれ、男が女を滅ぼす、ついでに悪い男も滅ぼす聳え立つイチモツでヒイヒイ言わせる超弩級父権主義番組なのである

では、なぜ仮面ライダーフェミニスト糾弾されずに生き残っているのか?

答えは簡単

イケメンからだ。

2016-01-09

社会性のトレーニング方法からない

明らかに、社会性によって優劣が決まっているらしい。

というか、社会性の無さはリスクになる。

から社会性を教えられるのが大切なんだろうが。

なぜかその当たりは、学校の共同生活とかで空気を読むことになっている。

  

これってつまり。教えられるものじゃないのではないか。

その人が所属する社会ごとに勝ち方が違うから学校っていうある程度学力で分類された中で判断してくれってことで。

トレーニングの場は与えられたけど、鍛えるかどうかは任せた的な。

  

でも多分、色々な教育制度があった中での妥協がこの当たりなんだろうね。

これからずれるほど、意外と難しいのかもしれない。

  

じゃあ、自分社会の中で、学ぶ能力ってのはどこから来るのか。

その社会でうまくいってる人をパクれるようにするとかか。あるいは目鼻利かせてコミュニティ操作する側にまわれるのか。

その当たりは先天的な知能とかにもよるんだろうか。

  

底辺コミュニティーでは、暴力や見た目が最上位で形成される食物連鎖かもしれない。

上位コミュニティーでは、積み上げた社会的な実績や地位形成される社会かもいしれない。

  

俺は、どーも、下位~中位コミュニティ地域で生まれ育って、現在上位コミュニティに居るから、その当たりの感覚が違うのかもしれない。

どーも。俺は見た目に対する劣等感が強いが、勝ってる奴らってブサメンばっかりなんだな。

  

あるいは、最上コミュニティでは見た目がいい奴が上り詰めているのかもしれないが。

少なくとも、医者レベルの上位コミュニティではブサメンが勝ちまくっている。

底辺コミュニティでは、イケメン暴力厨、メイクでもなんでもいいから可愛い女が勝っていたと思う。

しかし、歳とると、女のメイク理解してしまって。メイクを抜いた顔とかが容易に想像できてしまい、底辺コミュニティでのかわいいアピールは、え?ってなってしまう。

じゃあ、素材でかわいい女っていうと。そういう女は、上位コミュニティに食い物にされてるイメージがある。下位コミュニティでの無双を捨てて、脱出したいってことなんかな。

その当たりを思うと、俺のこの見た目に対する劣等感ってなんだろうって感じる。見た目で勝てるコミュニティーはトウに超しているわけだから劣等感意味が無い。

  

今俺のコミュニティで俺に求められてるのは、

1番は、能力。まだ若いため、そこまで地位収入は求められていない。

2番は、人間性。他人迷惑をかけず、自然メリットを与えられるようなそういうコンビ商品みたいな陶冶が大切らしい。

3番目は、清潔感。綺麗な服をシンプルに着るってか、ストレスない見た目を求められている。BMIも、25くらいには成ってないとな。

  

だが、次のコミュニティに行くころには、この順番もかわる。

1番が収入地位

2番は指導的な父権

このあたりになっていく。

  

まり、その場その場で求められている課題理解して、鍛えてますか?ってのが社会性みたいだ。

2015-12-19

姉による幼少期の家庭内暴力人生狂ったおっさんの話

姉ちゃんの家庭内暴力に怯えてるうちにおれの青年期は終わった

新聞とりに1階に降りるたびに背中蹴られて

30になる今もあざ残ってる

性格も卑屈になったし両親も

金八の健次郎みたいに父権失墜で崩壊したわ

今思うとあのとき役所相談したりできてたら、

もうちょっとまともな人生送れてたんだろうな



ヒトラーだってチビだけど

ユダヤ人200万人虐殺したし、

尼崎監禁事件だっておばさん一人が

洗脳によって成人男性殺した



これは経験した人じゃないとわからないだろうけど、

精神的な支配の前では武力は無力だよ

抵抗しようていう気力が湧かない

2015-11-09

サウスパーク腐女子回について

サウスパークS19E06、遅ればせながら見ましたが、やっぱ腐女子というか、百合厨もだが、カプ厨が持ってる気持ち悪さってあるよね。

とりあえず、ポリチカルコレクトネスを気にするあまり「俺ゲイに寛大だわアピールゲームが行われている昨今、ゲイは過剰にサポートされちゃう、というのが話の本筋だと思うのですが……

カートマンの妖精が再登場している、という点にも注目するべきだと思うんです。

妖精の初登場はS16E07ですが、このエピソードカートマンは

「あのカップリングってマジいいよね~~~完璧だわ」と腐女子あるいは百合さながらの発言をしております

この発言は、トークンとニコールという黒人カップルに向けられたもので、明確な差別主義発言ですよね。私も不快感を覚えましたし、カイルたちからドン引きされています

しかし、ここでのカートマンの気持ち悪さって、人種差別から来ているだけではない、とも思うんですよね。

自分関係性は棚にあげて」「他人関係性に対して妄想を展開して、くっつける」っていうのは、普遍的気持ち悪さを持っている。という議論結構されてますが、S19E06もこの筋の話として見れないこともないんじゃないかと。

「次分の関係性は棚にあげて」、におけるポイントは、自分ノーマルさは担保されているということです。すなわち白人カートマン)だから黒人トークン)やヒスパニックカップルを「消費」できるわけで、同様にガチガチ異性愛者だから同性愛も消費できるわけです。

ここでは白人有色人種、あるいは異性愛同性愛という権力関係担保されていない限り、すなわち自分が相手とは違う高位の地平にいるのだという差別意識がない限り、どんな快感も生まれない。

今回腐女子サウスパークの住人は、妖精と同じような役割を担う存在として描かれました。すなわち、本人たちがその気も無いのに「あのカップリング最高!」と言って、そして「ゲイなのが俺じゃなくてよかった~~(権力関係の発露!)」とこぼしながら強制的カップルをつくりあげるエートスは、人種差別主義者が「黒人同士くっつけばいいよね~~」と口走るエートスとそれほど変わりは無い。差別主義カートマンの行ったのあのきわめて不愉快な「カップリング活動」が、今回腐女子を通して再演されているのは興味深いことです。

次は「他人関係性に対して妄想を展開して、くっつける」というポイントですが、これは明確に父権権力行使に結びついた快感なんですよね。基本的自由恋愛って、「くっつけ!」っていう力に対する反逆行為だと思うんです。例えば親の決めた結婚相手とか、同じ階級結婚相手とか、あるいは同じ人種結婚相手、そういう存在とくっつけ!と強要してくる諸力に対して、断固たるNOを突き付け、「俺はあの子が好きなんだ!」を貫く。これが近代的な意味での自由恋愛だし、そういうのを描くからこそ広義の恋愛文学にはパワーというか新しさがある。これに対して、自分の思い通りの相手と「くっつけ」たがる存在というのは、もうこれはコテコテ父権なんですよね。カップリングワールドを作り上げる快感は、家長自分の血族を計画的婚姻させていく快楽と同根だと思う。普通教育を受けて育った人なら、やっぱりこういう父権的なものって気持ち悪いと思うんじゃないでしょうか。

結論カップリング厨ってたまたま同性カップルを扱ってるから、昨今の寛容ムーブメントにがっつり乗れてる感ありますけど、その根底にある思想はきわめて保守的復古的なものなのではないか。すなわちカプ厨の根底には、差別主義父権主義があり、とてもじゃないがリベラルプログレッシブポリチカルコレクトネス民を名乗れないのではないか、と思う。思った。

2015-08-02

こんなん書いてみました ご指導おねがいしま

無意識≒エス≒過剰なエロスタナトスが奔騰するカオス

≒壁に囲まれた「世界の終り」という街=影のない人の世界

世界不毛化された記憶が凝結する地下墓地ミイラや<死者>の住処

社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい

オリジナルなき代理物であり続けるシニフィアン

自己複製子の乗り物(?)

≒疎外された心的実体≒外傷的な真理が声を発する場所

相互性の平面の下方に放逐された過剰な欲動の場≒バタイユのいう「呪われた部分」

他者にとっての「私」に還元されない<私>に執着した本多

自己幻想世界=無条件の連帯肯定平等も存在しない共同体自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在=承認供給不足にある存在

権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在

≒灰の世界スケープゴート≒異人≒リンチの対象

≒仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在

植民地化された地域の周縁化された存在=ほかで許されないことが許される別世界=誇大自己を持った者の自尊心の基盤

暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象

パノプティコン的な匿名の不可視視線の下で見世物化された監視付き生活強制されている存在≒近代社会合理的理性を自称する存在による抑圧的意志の対象

≒生政治的範例

排除された後も外での動きも捉えられる存在 ≒日常においては禁止され構造から排除されている部分=構造内で下層に抑圧された者

祭りなどで一時的組み込み処理する対象

≒非差異無差別連続差異の抹消=相互暴力状態=怒号と喧嘩の音

≒警察権力市民生活の内に力を発揮する場=秩序創成暴力の対象

一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない



理想自我=想像界=小文字の他者a=内在的な他者生物的な世界

≒心像の世界クオリア世界

≒私的幻想世界意味イメージ世界

≒ナルシシック自己イメージ=自我の理想化された鏡像

自分の気に入っている、まさに自己愛のもののような自己

マスコミカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ

他人からこう見られたいと思う自分イメージ

仏教でいう我執といわれるような自分への執着の対象

≒セミオティック=母性的な世界

≒貧しい文化や洗練されていない不自然表現モテない存在=影の薄い人

≒掟の門の前で衰退していく棄民=勝手「悪」とされ共同体メンバーに愛されず衰退していく者

≒状況を自覚していない灰人と知らされている共同体メンバーとの境界線上にいる人

≒「象徴他者」の位置より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの性的慰安の対象)に留めおこうとされた「想像他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的幻想を抱いていた転移局面と比べてはるか不安定で、患者攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態

≒心理分析官クラピカ世界

≒外部の情報が入ってこない<下>に見られた人のいる壁に囲まれ世界の外の世界を知ろうと巨人のいる世界調査しようとする人

他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界

≒暴力誘発性、脆弱性を帯びた存在

≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望

自己をそれとして措定してくれる言葉をもつ代弁者の探索にとらわれている状態

自己統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係

動物ルアーへの反応をモデルにして語りうるような直接的な関係

理想化された鏡像として他者表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き



•自我理想象徴界大文字の他者A=超越的な他者社会的世界

言葉だけの世界シニフィアンが織りなす複雑なシステム

文化の秩序、象徴秩序、言語的秩序としての構造サンボリック

ファルスを中心にして構造化された言葉システム

≒エディプス期につくられる=父、母、子どもの三者関係の中ではじめて成立する一つの小社

≒掟によって自己中心的な万能感の感覚否定し、その掟を守ることで成立する秩序と理念をもった世界

≒個々人の欲望や自己中心的感情を一度克服してはじめて、確立されるような世界

自己中心的個人的自己愛を一度否定したところから成り立っている

≒万能感を捨てて入っていく世界=個人の実質、個人の存在全体の基盤

現実社会的義務責任遂行と繋がるもの

社会的絆であり、信頼を保証し、義務の支えとなる基本的象徴契約

コミュニケーションを通じた承認で育まれ自尊心

≒豊かな愛によって言葉他者につながれている存在

共同幻想世界個体保存の欲望と各人のナルシシズム言語の内に吸収し共同化された世界≒豊かな影を持った存在

≒愛し合い尊敬しあう事で継続していく共同体エロス世界

仲間意識連帯した世界倫理的関心を内輪に限定する世界感情で動く世界=ビオスの世界

≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係差別排除がある世界

≒魅力の低い者が客観的理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界

≒魅力の高い者が客観的理屈として間違っている事を主張しても容認される世界

文脈により同じ言葉が違う意味を持つ世界

≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気人間関係の網の目に支配された世界

≒掟の門の門番

≒セミオティックの位置にある存在が自我理想を持った対等な「人間であると主張すると生意気に感じて苛立ち権力言葉の暴力を振り回し「下」に置こうとする存在

グルメで無条件の連帯肯定平等など存在しない世界

≒壁に囲まれた「下」に見られた人が知らない巨人たちの世界

≒「下」に見られた人の過失は吹き散らすが自分達の過失は隠してしまう存在

≒長い例外的状態にある<エス>や<対象a>など存在しないという主権者

≒「小文字の他者a」を対等な人間として文字に残る形式で相手にする必要がないと判断している存在

近代国家の一市民世界国家保護の下にある者=権力者側のウチワの情報ネットワークの中にいる存在

ネット掲示板コミュニティ教育的な豊かな知識を与える場所として使う事が禁止されている世界

労働勉強生産的な成果を挙げ社会的評価される事が美徳であるとされる世界

≒人が自分社会化するために選ぶ標識=名誉の対象=美徳のもとになる秩序

≒人が憧れる、かくありたい存在=モテる存在=小文字の他者aに模倣される存在

第三者の審級規範的な判断の究極的な帰属先=権威を感じ自発的に従おうと思う存在

言語的、父権的な中心ないしコード象徴的父の表象であり、制度であり、掟

共同体言語的に構造化されている共同主観的世界



超自我

羊飼いを自称する存在=選民意識を持った存在

≒誇大自己に執着した存在=他者非人間的に判断したりする存在=モラルのない世界

社会的権威精神内部に延長したもの

≒自我理想と同じ媒体の、秘密を暴く欲望と懲罰をともなう側面

非道徳的で反倫理的な審級であり、倫理的裏切り烙印

集団の「エス」をバカにしたり笑う攻撃的な文化制作

象徴界特権化する事を推奨する存在

≒法の影=狂った法であり法を無視する=「享楽せよ」という命令

集団の「エス」や「セミオティック」の位置にある存在を徹底マークして情報を「自我理想」の位置にある存在に流している存在

≒灰人以外に活動同意を得たらよいと思っている存在

法秩序の外にあり、しかしま法秩序に属している存在

個人情報漏洩する国家プライバシー侵害する国家

植民地主義国家民族差別を容認する国家人権侵害を推奨する国家死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家

近代社会合理的理性を自称する存在=非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在



対象a

現実界?=物理的な世界

≒<外>の存在=孤立した残余=メタ視点

ドライ世界

人狼の森、砂漠不毛地帯といった心象風景

≒羊抜け

現実領域対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象a現実領域を枠どっている

犠牲メカニズムにより歪められた表現犠牲者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為告発する探偵

反ユダヤ主義者にとってのユダヤ人的存在

≒メラニー・クライン的な意味での「乳房

まなざし永井均の言う<私>

秘密の宝=他者にとっての私に還元されない<私> ≒象徴秩序の外

≒寄る辺ない存在

2015-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20150527103828

弱者男性の主張って

別に女性に対して悪いこと(もいいことも)する気ないんだからとにかくほっといてくれ、十把一絡げに男性扱いして敵視しないでくれ」ってこと?

それに対するフェミの主張って

「行動上は何もしてないかもしれないけど女性弱者に位置づけようとする価値観内面化してないかどうかは一応考えてほしいんだけど」

「考えてくれないなら敵視する範囲に入っちゃうのは仕方がないんだけど」

「とにかく敵視されるのは不満で指摘するにしてももっとお母さんみたいに言ってくれないとイヤだって?なんでケアまでこっちがせなあかんねん……」

ことなの?

(判りやすくするために露悪的に書きます

日本父権社会ってもう1000年単位で続いてきたわけですよ。家長制度長男継承とかそう言うのね。現存する男性はそう言う利益を受けて生活しているわけです。ですからフェミニズム的には男性はすべて不当に受益しているわけですよ。たとえば資産数千億で広大な土地グループ企業をもつ政治家家系ってのがあったとして(げんにあるわけですけど)彼らのその資産ってのは、100年単位女性搾取で(妻女の人権犠牲の上で)形成されたと考えることが出来る。だからその分を返してくれ、と。

で、この「返してくれ」という運動を簡単に「男性ひとりあたま50万円かえしてくれればいいよ」ってものに置き換えてみたとしますよね。そうした場合、前述の政治家さん(いわば強い強者男子)はお小遣いで「どーぞどーぞ、フェミ賛成。女性の権利素晴らしい!」っていえちゃうんですが(もうすでに十分金持ってるから)、いまの日本には弱者男性もたくさんいるわけで「なんでおれら受益もしてないのにそこまで憎まれなきゃならんの? 家長制度とかなん? わい遺産も受け取られへんし、っていうか親の介護で鬱なんやけど……」ってなるわけですよね。

もちろんこれは極端なカリカチュアなんですが、フェミニズムのいう「父権社会による男性優遇歴史」みたいなのが実感レベルで死んでいる。優遇どころか、男性でいることで不遇がある。弱者男性ってのはその実感があって、そのうえで「男性優遇されている」というフェミニズムの主張自体がすでにして自分への攻撃に感じていると。

2015-01-05

負の連鎖

虐待された子供が大人になると、自分の子供に虐待を行うようになるというのはよく言われる話だが、そこまで行かなくとも親世代問題を子世代が引き継いでいくというのは何故だか多いように思われる。

現在自分が見事負の連鎖を引き継いでしまいそうなので、少しばかり冷静になろうと思い、思考の整頓のためにこれを記述する。


私は典型的亭主関白父権全盛の家庭に生まれ理不尽喧嘩の絶えない、そこまで少数派ではないだろうがあまり健全ではない環境で生育した。

いや、我が家喧嘩については喧嘩ともいえなかったかもしれない。今にして思えば、父による母や子供に対しての、一方的モラハラの嵐であった。

私はその中で、長男である兄を隠れ蓑に、さも良い子であるかのようにふるまうことで難を逃れ、ずるがしこく立ち回ってここまでやってきた自覚はある。

様々なことがあって現在父は少しずつ考え方を変え、反省しようとしている所ではあるが、私個人としては未だに屈託を拭い去ることが出来ない状況である

まれ持った気質もあるので、一概にすべてを家庭環境のせいにするつもりはないのだけれど、人格的に私は若干歪んでしまったまま大人になったな、と思うことはよくある。

精神不安定で自己評価が低く、なぜか自分に甘い、何処にでもいる類のメンヘラであることを隠そうとして、何とか私は普通人間であるかのように取り繕って生きている。


で、そんな私の両親はと言えばこれがまた面白いもので、ようやく最近になってわかったところによると、二人ともやはり自分の育った家(私からすれば祖父母)に関しては様々な屈託があったというのである

父方実家育児放棄浮気暴言で、幼少期に家庭が崩壊していたそうだ。道理正月に父方の親戚に一切会うことがこれまでなかったわけである

母方実家はといえば、我が家よりも相当な亭主関白だったそうで、飲む打つ買うのオンパレードな祖父に、病弱でどなられてばかりの祖母、という家庭だったため、母が様々な家事負担していたらしい。

要するに私の両親も、決して健全ではない家庭で育ったわけだ。

健全な家庭とはなんなのか、と問われればなかなか難しいし、健全な家庭の方がこの世の中で見れば少数派なんじゃないかなとは思うけれども、この際それは置いておく)


この身近な例を踏まえて私は考える。

今回二代に渡って、『健全ではない家庭』は連鎖してしまった。

では、私が親となった場合連鎖せずにいられるだろうか。

正直な話、私は現在非常に大きな不安を感じている。


よくよく思い出せば、これまでに私が好ましいと思った人間は大体家族との不和か、何かしらの家族問題を抱えていた。

そして現在恋人などはその極致である

ここまで人間とは子供に対して情なくあれるか、と言わんばかりの環境で育った人間の事を、私はついうっかり好きになってしまったわけだ。

おまけにいえば、今は結婚のこともある程度具体的に考えてしまうほどには相手の事を大事に思っている。


大変に不思議な話である


恋人も、自分自身人格が歪んでいることは自覚しているらしい。

おかげでかどうかわからんが、私たちはそれぞれについてよき理解者になり得るため、お互い噛みあっているときはびっくりするほど甘い会話を繰り広げる。

その一方で、一旦喧嘩をすると言い合いながらも「自分が悪いんだろ!」とこっそりそれぞれ思いながらぐしゃぐしゃに心の奥底でいつまでも悩んで、仕舞いにはそれがきっかけで死にたくなるほど勝手に苦しむのだ。

私たちはそんな奇妙なカップルである

全くもって健全ではない。

こんな二人の元に生まれ子供がいたら、それは相当な不幸であると思われるので、私は全力で避妊せねばならないとこっそり思っている。

まあ今後うまくいくかどうかなんて全く分からない話ではあるけれども、それでもおそらく、これで結婚したら健全ではない家庭がまた一世代連鎖する可能性はかなり強くなるだろう。

それは、私の望むところではない。


あれか。

結局同じ色の鳥が集まるように、モグラはモグラを、鯨は鯨を、ナメクジナメクジを好きになるわけで、私もまた自分と似たような相手しか好きにならないのだろう。

どうしようもないことだ。

どうしようもないけれど、それでも何とか幸せになる努力をしてみるしかないんだよな。

2014-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20141207232915

残念だけどどちらとも言えないと思う。というのも、現状資本主義だの新自由主義だの個人主義権利自由平等自由恋愛核家族格差社会だので、そういう社会と仕組みと価値観になっているし、生きるのに最低限必要お金がどんどん増えていくし、「専業主婦になりたい人もいるし社会進出したい人もいるし人それぞれ」という身も蓋もない答えになってしまうからしかしそれが個人主義ということで、個々人の自由意志を叶えられるようにする社会になっていくのだと思う。そんで、男女関係なく家庭に入りたい人は家庭に入り、働きたい人は働ける選択が取れるように目指していく形になるんじゃないかね。実際、男性育児休暇とりたいとか主夫という単語が生まれたりしているし、生活費がかつかつだから奥さんに働いてもらってるって人も多いし、そういうのは昔のお見合い結婚父権大黒柱大家族価値観では考えられない事だったろう。男も女も役割から離れて自由になりすぎた。

まり女性が家を守るとか社会進出したいかどうかとか、そういう質問自体があまり意味をなさなくなってきていると思う。叩いてるわけじゃないんだよすまん。

誰が望んでるかっていうと、資本家とか?今の価値観の基礎になってる資本主義自体戦争とか搾取とかそういうもののためだったような気がするけど、もうそれは過去のことで、今は誰が望んでるとかじゃなくてそういうものになってしまいましたこれからどうしようって感じではないだろうか。

2013-11-03

民法出でて忠孝亡ぶ(民法出テゝ忠孝亡ブ):穂積八束

一理あれば一害あり。私法家は個人平等の極端に捗りて社会の秩序を害し易く,公法家は権力相関に偏重して世運啓発に伴ふことを怠るは,各 其(の)専らとする所に於て免れざるの弊なり。唯 此の二元素 相 調和して始めて国家法制の美を成すべしと雖,我邦 維新以來 社会の改新を謀るの急なるより,明治立憲の法度,或は専ら私法家理論に偏傾したる跡なきにあらざるが,豈に後世史家の浩歎する所ならざるを知らんや。

我(が)国は祖先教の国なり。家制の郷なり。権力と法とは家に生れたり。不羈自由の個人が森林原野に敵対の衝突に由りて生れたるにあらざるなり。氏族と云ひ国家と云ふも家制を推拡したるものに過ぎず。権力相関を指摘するの呼称は異なりと雖,皇室の嬖臣に臨み,氏族首長の其(の)族類に於ける,家父の家族を制する,皆 其(の)権力の種を一にす。而して之を統一して全からしむるもの祖先教の国風にして,公私の法制習慣 之に由るにあらざれば,解すべからざる者 此々 皆 然り。之を要するに,我(が)固有の国俗法度は,耶蘇教以前の欧羅巴と酷相似たり。然るに我(が)法制家は,専ら標準を耶蘇教以後に発達したる欧洲の法理に採り,殆んど我の耶蘇教国にあらざることを忘れたるに似たるは怪しむべし。

耶蘇教以前の欧洲の文化は希臘(=ギリシャ)羅馬(=ローマ)の盛世 之を代表す。当世の史料,素より富胆なり。之を詳にする難きにあらず。況や如今 法制史の大作,クルチウスの希臘(=ギリシャ)に於ける,モムセン及(び)イエリングの羅馬(=ローマ)に於けるあり。専門の士にあらざるも之を窺ふに易きのみ。古日耳曼(=古ゲルマン)に到りては僅(か)にタシタスセーザルの記傅に由ると雖,方今ワイツ以下 古独(=古ドイツ)法制 探究する者少なしとせず。而して耶蘇教以前の古(日?)耳曼(=古ゲルマン?)の制度は,期せずして希臘(=ギリシャ)・羅馬(=ローマ)と其(の)跡を同ふするを発見するときは,耶蘇教の欧洲に入らざりし以前は汎く印度・日耳曼(=ゲルマン),人類に通ずるの主想ありしこと知るべきなり。

欧洲固有の法制は祖先教に本源す。祖先心霊を崇拜するは其(の)建国の基礎なり。法制史は法の誕生を家制に見,権力の源泉を家父権に溯る。然れども何が故に家父権神聖なりやと問はゝ,之を祖先教の国風に帰一せざるべからず。祖先の肉体存せざるも,其(の)聖霊,尚(なお)家に在りて家を守護す。各家の神聖なる一隅に常火を点して家長之に奉祠す。是れ所謂 家神なり。祖先神霊なり。事細大と無く之を神に告ぐ。是れ幽界の家長にして,家長は顕世に於きて祖先の霊を代表す。家長権の神聖にして犯すべからざるは,祖先の霊の神聖にして犯すべからざるを以てなり。家族は長幼男女を問わず一に其(の)威力に服従し一に其(の)保護に頼る。

一男一女,情愛に(由?)りて其(の)居を同ふす。之を耶蘇教以後の家とす。我(が)新民法,亦(また)此(の)主義に依れり。之れ我(が)国 固有の家制にあらざるなり。是れ欧洲固有の家制にあらざるなり。欧土の古法は祖先の祭祠を同ふする者を家族と云ふ。家神は其(の)子孫にあらざれば之を守護せず。各家に其(の)神あり。之を絶滅することを忌む。家運の恒久を顕するなるべし。共に同一の神火に頼る者を家族と云ふ(古語家族とは神火を同ふすると云義なり)。後代,或は家長権の及ぶ處(=ところ)を家属とし,必(ず)しも血縁の因のみに限らざるの制あり。然れども,民法家が我(が)国に行はんとするが如き家とは,一男一女の自由契約婚姻)なりと云ふの冷淡なる思想は,絶(え)て古欧に無き所なりとす。婚姻に由りて始めて家を起こすにあらず。家祠を永続せんが為に婚姻の礼を行ふなり。茲(=ここ)を以て,古法は娶らざるを禁じ,叉 子無きときは婦を去ることを認め,或は他姓の子を養ふて家祠の断絶を防ぐ,皆 古欧の家制は今の家制と其(の)主想を異にし,祖先教に本源することを証するものなり。之を我(が)国 非耶蘇教の習俗に照応するときは相似たる者あり。欧洲は,彼の宗教行はれしより,独尊の上帝は人類の敬と愛とを専有し,子孫また祖先の拜すべきを知らず。於是乎(=ここに於いて?)孝道 衰ふ。平等博愛の主義 行われて民俗血族を疎んず。於是乎(=ここに於いて?)家制 亡ぶ。而して個人平等社会を成し,個人本位の法制を以て之を維持せんと欲す。フュステル・ド・クーランジ(ュ)は法制史の大家なり。其(の)古欧家制を解説するに序して曰く,人が「其(の)父,若(しく)は祖先を崇敬(アドレ)すると云ふの事(?)は吾人の信じ難き所なり。然れども是れ事実なりき」と。嗚呼耶蘇教国に於きて耶蘇教人に孝道を説明するの難(し)き,此の一言を以て証すべし。我(が)国 未だ他教を以て祖先教を一洗したるにあらざるなり。然るに民法の法文,先づ国教排斥し,家制を破壊するの精神に成り,僅(か)に「家」「戸主」等の文字を看ると雖,却(っ)て之が為めに法理の不明を招く空文 無きの優れるに若かざるなり。嗚呼,極端個人本位の民法を布きて三千余年の信仰に悖らんとす。而して一方に於きては,或は耶蘇教旨の我に行はるゝを欣ばず,強(い)て忠孝の国風を保持せんとす。哲学家は巧妙の弁あるべしと雖,法制史家の眼中に於ては孝道は祖先教家制の影なり。法制 先づ其(の)実体を亡(ぼ)し,教育行政は其(の)影の存せんことに汲々たり。史家は其(の)前後矛盾を笑なるべし。公法権力相関の秩序なりとは,予が公法の講堂に出入せし人の聞(き)飽きたる説明なり。然れども,公法研究は,期せずして復た此(の)原則に帰納せらるを得ざるなり。仏人フラフの近著,亦 権力相関の源泉に遡り,制度の変遷を詳(ら)かにせんとす。諸家 皆 其(の)本源を古の家制に帰す。家は家父権 之を統治す。家父は家属に対し殆んど無限威力あり。後世の羅馬(ローマ)法家 之を夫が婦 及(び)子に対して天然に優れるの実力に帰せんとす。蓋(し)誤解なり。家父は夫 若(しく)は父たるの身分に由りて此(の)権を有するにあらず。権力の源泉は祖先の霊にあり。家を守護するの家神は家属を制裁するの威あるべく,子孫の祖先の霊に服従すべきは,之を顕世の代表者に移すことを得べし。古代「バーチル」の語,常に母の夫を指すのみならず,汎く有権者を呼びたる例なしともせず,亦,以て家父権は法の源たること知るべく,法は神聖なりと云ふ語の完全なる意味をも解することを得べきなり。耶蘇教の入りしより家父権 衰ふ。祖先の霊は子孫を守護するの責を免れ,父子夫婦 同じく唯一上帝の前に平等なり。祖先及(び)父を崇敬するは,神を侮辱する者なり。法は俗界の制 何ぞ神聖と称する事(?)を得ん。博く汝の隣人を愛せ,一視同仁の天帝血縁の濃淡を認めざるなり。家制 豈(に)久しきを保たんや。家制 衰へてより近代国政の基礎を固ふするに到るの間,欧洲の社会権力相関の中心を失うこと久し。是れ法度 弛廃し,豪族(が)割拠(し)優者(が)専恣(する)の世とす。僅(か)に其(の)社会を救ふたるもの耶蘇教の力 多しとす。「神聖なる羅馬(ローマ)帝国」は実に宗教の力に頼りて其(の)主権名分を正し,人心を維持することを得たり。若(し)欧土にして急激の祖先の教法を棄て耶蘇教を入るゝことを拒みしならば,欧洲の社会道徳法制 其(の)跡を絶ちしならん,後人の鑑むべき所なり。耶蘇教の希望する個人を本位とし世界を合同するは,欧土 尚 之を実践する能はず。家制を脱し族制に遷り,方今は国家を以て相(い)依り 相(い)携ふの根拠とせり。家制主義 既に及ばずとするも,国家主義を以て法制の本位と成すべきなり。史家は一躍 三千年来の家制を看ること弊履の如く,双手 極端個人本位の法制を迎へんとする我(が)立法家の大胆なるに駭(=おどろ)くなるべし。萬世一系の主権は天地とともに久し。其(の)由る所 或は祖先の教法家制の精神捗るなきか。所謂 君子国の美俗は,祖先教を撲滅し,又,新教を容れず,唯 学校修身教課書を以てのみ保維することを得るか,史学の一好試験なり。

(法學新報第五號 1891(明治24)年8月15日。『穂積八束博士論文集』(有斐閣1943年)を底本とし,表記を現代語に改め,適宜 句読点 及び送りがなを補った。)

2011-08-23

[] 結婚生活19の法則

自己啓発じゃないけど面白かったのでさくっと。


社会の変化に関して>

1 今の日本では安らぎのある家庭など生まれようがない

2 いつの間にか私たちは、「正しい愛情」だけを家庭の拠り所としている

3 現在結婚することは、とくに女性にとってはデメリットばかり

4 日本の妻たちの殆どは「あーあ、結婚しなきゃよかった」とおもっている

5 夫婦いつまでも連れ添うというスタイルはもう限界まできている

6 現代の女性たちにとって、もう恋愛は重荷になってきている

7 恋愛が自由市場化された社会がこれからやってくる

 この章についてはもう少し解説がほしい。




<変化についてまず夫婦関係に関する考えを変えましょうと提言

8 一人の人を変わらず一生好きでいるということはもう誰にもできない

9 一番好きなヒトと結婚したいという考え方が、あなたを不幸にする元凶



<つぎに家庭について考え方を変えてみましょうという提言

10 明確なプラン動機付けのない子育ては絶対に成功しない

11 普通の父親や夫は、家庭内のリーダーには成り得ない

 ・「なぜ夫や父親が家族大黒柱になると子供はちゃんと育つのか」について論理的に説明した本は一冊もない

 ・むしろ現在日本は「父性という不良債権」が存在して、健全育児の足を引っ張っている。

  日本社会自体がそのニーズを果たせないにもかからず、権力を保持し続けていることが問題。

  結果として善良な男性ほど、能力もないのに責任感だけがまして行く。逆に母親は父の能力が低いのを承知で依存しがち。

  父親にいろいろなことで頼り、責任を負わせるという構造はすでに無理がある

12 家庭から夫を出してみる。捨てるのではなく、リストラをする。頼るのではなく必要な時だけ使う



<「妻をリーダーとする新しい秩序」に基づいて考えを進めていく>

13 現在の家庭の問題点は、夫の体面と妻の依存心の結果、リーダーがはっきりしていないこと

 ・核家族父権がないのは当たり前。父権が発生するのは、姑がいるような、女が「嫁」として扱われる家庭だけ

  両親をリストラして核家族を選んだ時点で、それぞれが相手に昔の夫、昔の妻を要求するのは見当違い。

 ・子供は、誰が家庭のリーダーか分からないと、ルールが分からなかったり自分リーダーである勘違いしてわがままに育つ。

  よい躾のためにも、実質に即して家庭のリーダーを確定させることは絶対必要。

14 外助の功こそが、唯一妻も夫も納得できる男としての活躍の場。

 ・妻をリーダーとして、夫はアドバイザーとしての地位になる。

15 本来、家族リーダーは妻なので、「部下」である夫に判断を求めるのは間違い

 ・男の存在価値現金収入であると「妻が」割り切る必要がある。



<これからの家庭の目的を確認する>

16 ほんとうに欲しいのは安定。ひとたび杰を味わってしまった私たちは後戻りできない

 ・規制と自由の関係を理解せずに、自分が要求したことに責任をとれないガキみたいな大人にならないように。

17 一夫一婦制核家族規制緩和こそが幸せへの近道

 ・「父親と母親愛情で結ばれて、こどもの面倒をしっかり見る。母親は常に育児相談を父親にして、父親は仕事趣味時間犠牲にしても家族サービスに務める」

  ほんとにそんな家庭がお望みですか? それで生活安定しなくなってもいいの? その責任をどっちかに押し付けたりしないの?

 ・この固定概念の合理性を問い直して、自分たちにとって合理的な家庭のあり方を考えましょうよ



最後に総論的なまとめとして、考え方の基本を提示>

18 いざとなれば、ひとりでも生きていける。この自信と自負だけがあなたをほんとうに自由にしてくれる

 ・これからネットワーク社会での子育ては「不安定だけど自由」であることを念頭に考える。

  子育てに関してはその高まった自由度を有効に活用して「安定性」も確保しに行かなければいけない。

  いまの世の中は不安定の上に、昔ながらの「育児責任母親のみ」という不自由さが絡まって最悪の状況。

  安定性を確保するためにとりうる方法として「責任者母親しかし作業は外の人の力も借りる」と柔軟に考える必要がある

19 付き合う相手、子育てする相手は、夫だけとは限らない。その都度選びなおせばいい。

  選択の幅を広げる。社会の状況が変わっているので、昔ながらの固定観念にとらわれると苦労するばかり。

2011-04-14

twitterはバカ発見器なの?脊椎反射で書き込むから

ツイッターで石原当選に不満を漏らす有名人たち:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)

マンガゲーム業界では有名な人もこんな発言をしているようだし…

  

インターネット上で見られる反石原の言論というと、青少年条例新銀行東京築地移転オリンピック招致、天罰発言ばかりが目に付いた。とくに青少年条例

私も青少年条例は間違っていると思う。以前から反対のメールを出したり、メディア論の本を読んだりした。というか、つい先月までマンガ大好きのteenagerだった。だからこそ、父権温情主義的な青少年条例は大嫌いだ。

けれども、都知事を選ぶに際して「青少年条例」のただ一点だけを基準とするのはばかげている。都の将来の財政は決して明るいものはない。都民の4人に1人が高齢者、という時代も目前。国もお金がないから「都の財布に手を突っ込む」ようなことが今後もあるかもしれない。

こうした状況を踏まえれば、石原に票が集まって当然じゃないの。

2011-02-16

(◕‿‿◕)ラノべえ「そんなことより僕をテーマにして研究生になってよ!」

つい先日、卒業研究を終えました。この日記は後輩やこれから卒業研究を自由に決められる人のためになればいいな、程度に書きました

私は卒研テーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せしたですので、後輩にもぜひ好きなテーマ卒研をして欲しいと思っていました

私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいましたしかし、後輩に「今の自分研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました

どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした

そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOwikipedia考察いかに素晴らしかたか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO - wikipedia ((http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%A7%E6%81%8B%E3%82%92%E5%94%84%E3%81%86%E5%B0%91%E5%A5%B3YU-NO&oldid=28528480))

また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです

CiNii 論文 -  マルチシナリオゲームにおける並列世界モデル ((http://ci.nii.ac.jp/naid/110002942865))

これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)

他にもネットを探すとユニークテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります

卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです

しかに、「好きだからテーマしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。

学生のあり方について、素晴らしい文章があります

修士論文の代わりに退学願を提出してきた - As a Futurist... ((http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733))

=====以上が、今回の日記意図です

もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。

論文とは「問い」です。一般的に論文テーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。

ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなラノベが好きか」ということになるのでしょうか?

これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。

「「好き」は理性ではなエモーショナル部分依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」

無趣味のすすめ - 情報考学 Passion For The Future ((http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html))

つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです

そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです

さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義ですが、混沌としているようですね。

青少年を対象にした娯楽小説

程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性20~30代)でしょうから。(成人男性青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)

また、文学物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念引用することが結果を導く前から既に必要となります

例えば、物語的に観れば大塚英志提唱した物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。

れとろげーむまにあ: アドベンチャーゲームを振り返って思ったこと((http://nesgbgg.seesaa.net/article/185700949.html))

ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。

また、純文学の外に広がるキャラ萌え世界について詳しい

オタクたちのメンタリティには、教養主義文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。

東浩紀動物化するポストモダン|FRAMES INTERVIEW ((http://moura.jp/frames/interview/070423/03.html))

ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワードカテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。

ところで、先ほどラノベ定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義文学に「SF」がありますね。

サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました

ここで一つのSF批評を紹介します。

小谷真理の『女性無意識』に対する松岡批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。

最初ハーバード大学フェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノイネシスはそれにもとづいて提案した概念で、

父権的な社会蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。

長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動セクハラ問題が噴出してきた。

では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性無意識を象徴するガイネシスになるのではないかと見た。

(中略)著者はこんな出だしで手をゆるめない。次から次へとバウンダリートランスグレッション(境界侵犯)を見せつけた。

また、女性SFに関してこういう考察もなされています。

それにしてもいつのまに、女性こそが文学可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。

まずはエレイン・ショーターが父権文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリーシェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した

(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。

しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。

松岡正剛の千夜千冊『女性無意識小谷真理 (( http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0783.html ))

ということで、ここでは「外部の他者」たる女性文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとはないのではないでしょうか?

では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます

そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は

「【デリダとは】仏哲学者20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」

ツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))

デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要はないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)

ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。

女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである

女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性本質存在せず」、「女性の真理は存在しない」。

女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分存在しないということを知っているということである)。

実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニスト女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)

ニーチェの『善悪彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。

真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。

そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか

デリダ女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした

つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。

(知の教科書 デリダ 著者 林好雄 廣瀬浩司

見事にややこしいこの解釈から女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。

ニーチェ芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。

つまり、オタク男性)にとって、ラノベとは

女性という存在外部性とを遊戯的につなげている文学メディア媒介装置

であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)

十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレート表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる

オタクが豚になった――「萌えるからブヒる」へ - シロクマの屑籠(汎適所属) ((http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110215/p1))

という指摘もあります

例えば、オタクにとっての現実における外部性インターネットがあります

オタク男性であろうツイッターユーザーアイコンが、イラストアニメ美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性無意識に象徴しているのではないでしょうか。

また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユング提唱したアニマ(男性女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。

このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性

先程のツイッターイラストアニメ美少女アイコン無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?

以上より「ラノベ読者はなラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです

ラノベ本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?

私はそのことについて考える限り、とても意義ある研究だと断言できると思っています。

2010-10-11

差別してるヤツに理屈を言っても無理だと思う

 自分経験でそう思った。

 

中国がどうとか在日がなんとかとか言ってる連中に、

中国人は一枚岩ではないし在日も個々の存在だしと、道理を分けて話しても

全く受け付けないのはどうしてだろうと思っていたが、なんと自分も同じ事をやっていた。 

 

自分父権主義や父権的な人間が大嫌いで、

その臭いをかぎつけると、相手を全く信用しなくなることに最近気づいた。

それも自分から遠い人間の方が全否定しやすい傾向がある。 

 

一例を挙げると保守と呼んでもいい政治家中曽根康弘に対して。

理屈で考えればパターナリストだとしても正しい選択や判断はできるはずなのだが、

自分の中では父権主義者はいつも世の中のためにならない事をするし、正しいことをしているように見える時は

何か良からぬ事を企んでいるに違いないと思ってしまう。

だから中曽根康弘なんて自分の中では、何一つ日本によいことをしなかった

ろくでなしの頂点として君臨している。 

 

そんな考え信じられない位馬鹿だと思うだろ?

もしそれが本当なら日本はとっくに滅んでいる。

これの「中曽根」を中国でも在日でもすきな言葉に替えてみてくれ。

差別主義者の言い分そっくりだ。

 

 

 

自分父権主義を嫌いな理由はわかっている。

人生の一番大切な時期にそれに凝り固まった人間複数にひどいめにあわされたからだ。

その出来事がいまだに尾を引いている。 

ただそれと中曽根を筆頭とする特定の保守政治家を全く信用していないこととの繋がりに

気がついたのはごく最近だ。 

そもそも自分中曽根康弘父権主義の権化なのかも確認してない。

保守だから絶対そうだと決めつけているだけなんだと思う。

気に入らないイデオロギーがあって、それに自分の一番嫌いな人間像を勝手に当てはめて

だから駄目なんだ、何一つ信用できないんだと思いこむ。

この図式もヘイト垂れ流す人間の特徴だ。 

 

自分はさすがにこれらを公言できなかった。いくらなんでも恥ずかしい。

でも心の中ではそう思ってるんだ。それが困るんだ。

理屈じゃないんだ。今でも信用できないんだよ。

  

 

こう書くと自分は単純でわかりやすかったなと思う。

ヘイトしている普通の人はもっと屈折していてわかりにくいんだろうが

差別する原因は差別する側にあり、

その理由は差別とはかけ離れたところに存在している場合が絶対あると思う。

 

今日本に溢れているカジュアル差別やヘイトを減らすには

抑圧をうけたときに内面化させない方法を充実させるとか

個人個人が自分内省できる手段を提供した方がいいかもしれないと思う。

2010-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20100809023021

その生物のくびきから逃れて文明社会築くのに、生命の根幹からもともとはずれていた雄が中心になった時代があった。

それが国家運営による父権社会の始まり。

文明は、生命自然からはずれることで、初めて発達した。当然もともと生命の中心から阻害されていた男性だからこそ、それを推進できた)

その時には、文明的でない要素としては、暴力による支配ってのが、結構大事だった。

文明的なものとしては、物事を属性によって、ツリー形式の分類に当てはめていくのが、世界観の基準になっていた。

(ツリーの上にあるモノが、下にあるモノを支配しているという世界観。ツリーのてっぺん神様神様の下には人間人間の下には、非人間要素に近い自然物とされたもの、すなわち生命の根幹に関わる女や未開人が、その下に自然界があてはめられた)

で、そのあともっぺん文明革命が起きて、貨幣経済が発達した。

そうなると、本能レベルの敬意やら恐怖やらに囚われた、支配・被支配関係は、ずっとフレキシブルに機能する貨幣に取り替えられた。

これによって、個人主義社会が始まり、人間属性で分け、支配のツリー構造を作る思想も、役に立たなくなった。

ツリーがほどけた後は、ばらばらの個人が、平等な平面の上にちりばめられ、個々の人々は金の流れで繋がっている、という世界観になった。

金は支配構造よりもフレキシブルなので、ツリー構造ではなく、メッシュ構造で、あらゆる個人との間に流れた。

支配のための分類に意味が無くなったために、人を人種やオスメスで区別する必要もなくなった。

同性愛・未婚・なんでもあっていいことになった。それがその個人に適した生き方なら、と。


ただ、いつの時代も、新しい感覚について行けない人がどうしてもいる。

権威本能による統率が必要だと感じる人、個人の自由に心苦しめられている人。

あらゆる個性が認められる中で、「個性を認めたくない」という個性を持つ彼らは抑圧されている。

その抑圧が、ネットに吹き出しているんだろうのかもしれない。

権威のツリーに全てを組み込む世界観を持っているから、そういう人は、自分に当てはまるだけのことも、俺はこう感じるもの、私はこう感じるもの、ではなく、男はこう感じるもの、女はこう感じるもの、と主語が大きくなる。

絶対普遍の真理が世界を支配していると世界認識しているから、真理はこうだ、現実はこうだ、という言葉を使うことも多い。

(ツリー形式の世界観では、ケースバイケースを本質的に理解しづらい。ケースによって異なる事例は「それはたまたまの例外だ」と思うか、ねつ造だと考える)


のではないかな、という、余り根拠のない予想。

2010-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20100808195601

まぁ、結構根が深いだけでなく、ややこしい問題ではあるんだよね。

それこそ原始母権社会から、セム的一神教圏で流行った父権社会への流れ、その後に発達した個人主義社会への流れ、みたいなのも全部ひっくるめて議論すべき事だろうし。

現在において、急にオタク若者ネットワークの間で、個人主義社会以前の発想である、処女信仰(と言うより、非処女叩き)が復活し、しかもそれがどうも従来のものと、一部似ていながら、一部異なる、ってのは、考察対象としては、面白いものだと思う。

コレに関しては、もうちょっと詰めて考えてから、エントリーし直したいところだけど。

確かなのは、彼らは何かを猛烈に恐れていて、そのために処女性に価値を置かない現代の標準的価値観を、必死に攻撃せざるを得なくなっていると言うこと。

仮にそれが幻想の「お母さん」崇拝と、それを生み出す「男根」崇拝だったとしても、何故それが今になって、非モテオタクの間で急に流行したのか。

多分原始的な恐怖となるような感覚存在しているのは、確かだと思うんだけど。

処女厨って、処女が嫌いなんじゃなかろうか

逆説的だが。

理由は、日本母権社会だから。

そもそも父権社会が生まれる前の、母権社会における処女というのは、今みたいな清らで優しいなイメージとはほど遠いものだったようだ。

処女神は地母神の対義的存在であり、まぁ端的に言えば、流血と死を好む、闘争的でヒステリック存在だ。

例えば偶然迷い込んで自分の裸を見ただけの男を、残酷な手口で殺す女神アルテミスだとか、

血と死にまみれた道を自分の領分として、平気で歩き進む娘だけが、処女神のよりしろとして選ばれるクマリだとか。

荒ぶる御霊のご機嫌をとって、味方に付けるというアニミズムの発想から、彼女たちは崇拝されるのだが、基本的にはとても残虐な、あらゆる男を自らの処女性を犯す穢れとして殺害しかねない存在。それが処女神だ。

これ、処女厨が忌み嫌い、思い描いているらしい「フェミニスト」の絵にぴったり嵌る。

で、彼女たちを優しく穏やかで、男達を包み込み、育む豊かな存在である「地母神」にする手段があると、昔の人々は信じた。

それが最初セックスだ。

処女セックスすることは、荒ぶる神である処女の怒りを買うことだから、彼女たちに対抗できる呪力が強い、呪い師や長みたいな人が、村の処女と一度セックスして、それから他の男とセックスしてもイイコトになる、みたいな風習もそこかしこにあったらしい。

要は、もう男を受け入れて、優しくしてくれる地母神になったので、セックスしても祟り殺されないよ、ということだ。

これが男根崇拝にも繋がるのだろう。すなわち男根には、女神達をコントロールできる呪力があるという信仰だ。

ところが現実の女はそうはいかない。

女にとっては最初セックスなど、他のセックスと同等以上の価値はない。別に特別でも何でもないという。

男根には、女をコントロールできる呪術など何も備わっておらず、ただの生殖器にすぎないのが現実だ。

セックスしてもセックスしても、地母神にはならず、処女性を失わない現実の女が、多分処女厨は恐ろしいのだ。

なぜなら、セックスに女を母に変える呪力がないことを、すなわち「自分だけを愛してくれるお母さん」を新たに獲得する術などないという事実をつきつけてくるからだ。

さらに不公平感も誘発する。

女の子宮は生命コントロールする力を持ち、男の男根はその女をコントロールする力がある、という幻想が、「男も女も生命の営み、流れに影響する呪力がある」という幻想の源だった。

だが、実際に男根に呪力がない現実がつきつけられているにもかかわらず、「女の子宮は生命コントロールする権限」だという幻想は、未だ効力を失っていない。

人工精子は作れても人工卵子は未だ作れないし、人工子宮は未だ夢のまた夢だ。

昨今は病院出産するため、嬰児殺しは簡単に出来ないし、そもそもそうしたいのなら堕胎するのが普通だが、その気になれば女は一人で産んで、その子供を捨てることも、完全に不可能ではない。すなわち、確実に出産に立ち会えるという保証から、生まれてくるべき生命とそうでない生命を決める原初からの権限を、未だ女達は失ってはいない。

母権社会であった日本では、生まれてくる赤子を育てるか否かの決定は、出産儀式のうちに組み込まれており、当然その判断は母親や義母などの、出産儀式に参加する女達で決められた)

少なくとも処女厨たちはそう思っているのではないだろうか。

 
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