はてなキーワード: エチカとは
「見て本気にする人間が居るかどうか」と言う点ではどちらも変わらない。
むしろ番組全体に「ねーよwww」な雰囲気を漂わせているホンマでっかTVの方が
「これはいつも信憑性が怪しい記事ばかり載せている新聞である」と言う前知識が無ければ本気にしてしまう人も居るかもしれない東スポより分かりやすい。
ブクマで吹き上がってる人は、見た事無いか、見た事あって吹き上がってるのかどっちなんだろう。
エチカやあるあるとは全くスタンスが違う番組なのはちょっと見ればすぐ分かるだろうに。
それともそれも見抜けない位に空気読めないんだろうか。
「大人になっても頭を良くするためにはどうしたら良いか?」が特集され、
脳に良い習慣 脳に悪い習慣 などが色々紹介されていた興味深かったです。
もちろん脳に良い習慣や生活を続ける前提での話のようですが、
専門家の話によると、脳の神経細胞同士を繋ぐ神経線維は発達し、
神経線維の成長は70歳でも80歳でも止まらず一生涯成長し続けるのだとか!
1: 1日の予定を書く
3: 食事の際、目隠しをする
5: 部屋の模様替えをする
6: 月に1回思い切って高い買い物をする
7: 喧騒の中で他人の話に聞き耳を立てる
9: 知らない人と会話をする
10: 行った場所までの地図を描いてみる
●脳に悪い習慣
1: 愚痴を言う
2: 趣味がない
3: 終わりが見えると安心してしまう
朝日新聞の記事の「オーサー・ビジット2009」の「石田衣良」氏の欄を見て
この高校生たちを「いっぱしの社会者」にするにはどんなことが必要だろうか?と思った。
1/ 他人との交換が可能なレベルの、知識、知能、技能、才能、スキル、 といったもの。
2/ 自分を高めていく力、探求心、学習力、ハック力、といったようなもの。
=>エチカの鏡で見た「探求心を育てる小学校」とか、「全米注目の日本人天才兄弟」とかもその力があった。
=>また、フィンランドでは「自ら学ぶ力」の衰えた子供が増えて問題となっている、という話。
3/ 組織の中で、うまく自分の脳力を発揮できるように、自己プロデュース、自己表現力、意思疎通力、コミュニケーション力、といったようなもの
自己中心的なガキから、社会の中で生きる、人間、として変化するためには、
この3つの力が必要だと思われる。
●これとか
本来、学習の目的は『夢を実現させる道のりを歩く力を身につける』という楽しいものである
http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091213/1260653984
この話は
2/にあたるのではないだろうか
●これも
4.すべてを教えないこと
自分で理解することこそが喜びに繋がり、次のステップのエネルギー源になるのです。先取りしてすべてを教えることは、そのエネルギーを奪うことに繋がります。自分の目で見て、自分の足で歩いていると感じることが教える時に一番大切な事です。
http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091203/1259785992
────────────────────
●ついでに
社会人基礎力は、
(1) 前に踏み出す力(アクション):一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力
(2) 考え抜く力(シンキング):疑問をもち、考え抜く力
(3) チームで働く力(チームワーク):多様な人とともに、目標に向けて努力する力
という、3つの能力に分類され、「主体性」「働きかけ力」「実行力」「課題発見力」「計画力」「創造力」「発信力」など12要素で構成されるとしている(詳細は、2006年2月8日公表の経済産業省「社会人基礎力に関する研究会」の「中間とりまとめ」参照)。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091208/211328/?P=4
2009/07/26の「エチカの鏡」は、超英才教育という話題でした。
内容は、横峰吉文先生の幼稚園での取り組みの紹介、質問への回答でした。
「やる気になるスイッチ」
横峰先生の幼稚園で行われている指導は、強化原理に基づいた指導であり、能動的行動を起こさせる指導については非常に学ぶべきところがあります。
夏合宿のシーンでは、川に飛び込めない子どもを指導するシーンがありました。
またプール指導では、プールに子どもを投げ込むという事をしていました。その後はちゃんと子どもに注目し、褒めてあげていました。
恐怖の克服は、より小さい恐怖を味わわせ、恐怖の度合いを徐々に大きくする事によって克服する事ができます。
また読書の指導では、より少ない文字で、よりページ数の少ない本から読ませるという事をしていました。
これは明らかにシェイピングの手法です。
また川登りのシーンでは、一人の子どもが集団から遅れ泣きながら助けを求めるシーンがありました。
この時横峰先生は引率の先生に、「絶対に構うな、放っておけ。」と命じました。
これも正しい指導です。
子どもが泣き続けるのは、回りがそれに注目するからであり、その注目がその子どもの大きな好子となり、その子どもは泣き続ける行動をとるのです。
こうした事例は、僕の授業でも数多くありました。
そして全ての子どもが、一人で50分の授業を受け続ける事ができています。
このように、全ての行動は原理原則に従って行われているので、それを学びわかっていれば、あとは誰でも横峰先生の幼稚園の子ども達と同様の結果を得る事ができるのです。
最後に横峰先生は、子どもを観察する事の重要性をおっしゃってました。ここなんですよねぇ。
精神性を考える、考えない、どういう手法、理論を使うかとか使わないとか関係なく、とにかく「観察する」、つまり行動を分析するという事こそがまず大事なんです。
そしてその子に合った指導をいかに施し、「能動的行動」をいかに取らせるかが重要なのです。
みなさんはどうお感じになりましたか?
http://teacherblog.blog35.fc2.com/blog-entry-1298.html
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。
パスカル『パンセ』
ライプニッツ『単子論』
ジェイムズ『宗教経験の諸相』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
ブーバー『我と汝・対話』
ライル『心の概念』
デュルケム『自殺論』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』
ポランニー『大転換』
オルテガ『大衆の反逆』
オング『声の文化と文字の文化』
ポパー『推測と反駁』
フロム『自由からの逃走』
デリダ『グラマトロジーについて』
ペンフィールド『脳と心の正体』
ソンタグ『反解釈』
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
イーグルトン『文学とは何か』
ガダマー『真理と方法』
ダマシオ『生存する脳』
クワイン『ことばと対象』
マッキンタイア『美徳なき時代』
ツリー内主要エントリ
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう。 (ビスマルク)
ネタ元:V. E. フランクル 「夜と霧」, ISBN-10: 4622039702, ISBN-13: 978-4622039709, amazonの「夜と霧」, Wikipedia 夜と霧
要旨:生きる目的を、ことあるごとに意識し、現在の悲惨な状態に耐え、抵抗できるようにする。
以下、ほぼ原文からコピペ
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを考える。
生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に経っていることを思い知るべき。
生きるとは、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。
生きることとけっして漠然なことではなく、具体的な何かである。つねに具体的なにかであるので、生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。
この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらす。だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない。
具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性がある。
生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむこと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的なもの。
苦しむことすら課題であり、その意味深さにもはや目を閉じない。苦しむことはなにかをなしとげるということ。
気持ちが萎え、ときには涙する。だが、涙を恥じることはない。涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。しかし、このことをわかっている人はごく少なく、号泣したことがあると折りにふれて告白するとき、人は決まってばつが悪そうなのだ。
生きることは彼らからなにかを期待している、生きていれば、未来に彼らを待っているなにかがある。
だが待っているものは、人それぞれちがうので、その人の話をよくきき、未来に彼らを待っているなにかについて、彼らにそれを気づかせる、思いださせる、思いつかせる。
ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性と唯一性は、仕事や創造、他の人やその愛など。
このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。
人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある。この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことをもふくむのだ。状況の深刻さを直視して、なおかつ意気消沈することなく、わたしたちの戦いが楽観を許さないことは戦いの意味や尊さをいささかも貶めるものではないことをしっかりと意識して、勇気をもちつづけてほしい。
犠牲の本質は、政治的理念のための自己犠牲であれ、他者のための自己犠牲であれ、この空しい世界では、一見なにももたらさないという前提のもとになされるところにある。しかし、その犠牲についても意味があるのだ。