はてなキーワード: 内田樹とは
=本来の目的から解放・放逐された結果、地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的にその自由を享受する姿勢
原発推進派も、反原発推進派も、橋下派も反橋本派も、どちらも目くそ鼻くそになるのはこれが原因。
・島宇宙化
=若者の内向化のことと言われるが、実際は世間が崩壊した結果、寄る辺なく数名の仲間と共に漂流している状態と捉えるべき。
自分のことをアッパーミドルとか言っちゃいつつも不安を隠しきれない女子大生などが典型例。
=社会貢献したい若者の数は増加し続けているけど、まともな社会活動に参加する人は増えてない残念なニッポンの現状
=民衆が持つ独自の規範。これが破られるとリアルネット問わずにいきなり炎上する。
このことを知らないと非常に危険。日本のモラルは肯定より否定の形で表現されることが多い
・親密圏、公共圏
=内田樹が大好きな言葉。彼の脳内ではこれがあれば全ての社会問題解決するくらいの万能薬。
彼の語るこれは、なぜか年功序列的な概念とドッキングしており、ユートピア化している。
彼が批判しているのは常にこのユートピアの実現を脅かす何かである、と考えれば、彼のブログが非常に読みやすくなる
・承認欲求
=若者による、言っていることはわかるがお前の言い方が気に入らない、というふてくされた態度のこと。
逆に言えばほめてやれば簡単に動くのでコツをつかめばこういう若者ほどチョロい。
=友達がいなくても、ネットさえあれば、その気になれば友達は作れるという希望のこと
・近代化
=ムラの外側を創造することなく一生を終えていた村人たちを、
国民や個人という自立した存在として引き上げようとしたプロジェクトのこと。
連日ごくごく限られた範囲でもめている「ゲーセン少女」問題です。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4077578.html
私はこの「ゲーセン少女」をみて、はじめて「まおゆう」にたいして憤っていた人が何に腹を立てていたのかと実感した。
フィクションだからではない、実話をフィクションだといったからじゃない、そこに「タチの悪いウソ」を感じた人がいたという話なのだ。
ただ、私は彼らの指摘を呼んだ上で、まおゆうは素晴らしいと思ってる。
彼らの指摘は間違いではないが、些細なこと、後で考えればいいや、という程度に受け止めた。その問題は私にとっては作品の是非を損なうほど重要度が高くなかった。
私にとって重要な部分については許容範囲内、しきい値内に入ってたということだ。
ところが、「ゲーセン少女」に対しては、私はただのウソじゃなくて、「タチの悪い嘘」を感じたわけだ。
ところが、まおゆうにおいては私がそうだったように、「感動したんだからいいじゃん」とその部分を許容出来る人もいるのだ。
このあたり、人によって、作品によって立場が変わる、完全に相対的な話なのだ。だから、肯定する側も否定する側もお互い好きにすればいい。
その前提に経つと、こういう記事は非常に遺憾である。ああもちろん島国大和の記事はこれに輪をかけて不快だけど、不快すぎるので引用しない。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20120122#p1
こういうのをハックル的行為と呼ぼう。読みの独占を主張したり、優劣をつけようとする行為のことだ。自分のブログで自著のアフィリエイトまですると芸として昇華されます。
自己の読みを、主張を正当化しようとするあまり、絶対化しようとするあまり、他者に攻撃的になる、他者をバカにしたり憐れむようになる。
僕は最近、「よくできたフィクションを消化し、必要な栄養分だけを自分に取り込む力」が、どんどん失われてきているのではないか、と感じているのです。
fujiponさんは、ハックルさん公認のハックルさん嫌いである。
そのfujiponさんが、よりにもよって自分が散々批判していたハックル的行為をするというところに、読みというものの相対性が伺える。
他人が自分の気に入らないよみをしている。しょうがないじゃないか。相対的なものなんだから。
自分の読みのほうが良いと思うなら、自分の読みを相手に提示してどや、でいいんです。
空中戦はやめよう。直接のよみじゃなくて、こういう「・・・はいかがなものか」ってメタな領域で戦うのはNOTHANKYOU。
そういうのは文学部の人間が文学部の中だけでやってればいいんです。それを極めると内田樹のような人間になるということを覚悟した上でね。
あかん、この話については語ると必ず争いに入り込む仕組みになってる。ブラックホールだ。話切り上げよう
よーするに何がいいたかというと、自分はこういうふうに読みました、だけ書いてりゃいいんです。
結局そのナマの部分の蓄積がモノを言う。最初からメタメタするのはつまらんからやめてくれ、と。
読みに対する批判合戦はやめて、作品と向きあえ、と。
最後にこれ聞いて終わり。「ゲーセン少女」は、その周りの感想記事に向きあうより魅力的な作品だったか?
作品周りの方が面白いのだと思ったら、まぁそういうことだ。
http://anond.hatelabo.jp/20120119002919 以外の部分。
「目的は?問題の対象は?落とし所は?行動者は?君等が理不尽だって言ってることって大人に入ってもあるよ?
今から大人になろうってのに、そこ避けて通りたいってどういうこと?
◆「就活しないといけないの?」
就活と比べてビジネスする方がハードル高いって言うなら就活すれば?
それでも就活を選ばないといけないのかな?
就活デモを発展させてちゃんとビジネスにすればいいんじゃない?
→「就活しないといけないの?」って問にちゃんと答えられないで
やりたがってるんじゃないの?
「就活してもいいししなくてもいいしと思う」。
「他の人は」「多くの人は」「マクロ的には」みたいな口を利くな。
「経団連がー」「実態として」みたいなわかったような口も聞くな。
◆全面に敵がいる状態で戦うのってつらいよ?って言ったときに
「頑張ります」って返答をするな。アホなのか?
→誰が味方になってくれそうか?どうすれば就職生の一部でも参加したくなる活動を考えられる?
◆なぜ自分は選ばれないのだろう、と考えると劣等感を持ってしまう。
そうじゃなくて彼らは人の選び方がわかってないと考えれば
眼の前に道がすっとひらけるのではないか?
同様に、注文が多い人事は、学生を観る力がない。
何のためにやっているのかわからない煩雑な手続きを多くする企業なんて
ただのバカじゃなくて、圧迫などなんでもないじゃん。
大学に行ったってだけ、でたいして働きたくもないのに面子のために就職しようとして
ほんとに真面目で働きたい人の職の口を圧迫してるよね。そういう目線を持ったことある?
「宮内くんが女をいらっとさせる理系男子9つ」の条件を満たしすぎていてワロタ。
「具体的には?」とかほんとに言いやがったーしかも目上にwww
あと、岡田が一生懸命「普通の人でもできる方法」を考えてるのに
「岡田さんは成功されてるからそう思われるかもしれないですけど」ってふざけんなwオレならこの時点で殴るわ。
さすがに岡田も(#^ω^)ピキピキしとるがな。 「こいつ、偉そうに仕切るなー」とか言われとる
だから「企業はもろもろの事情を考慮してくれないと」ってなんだよ。
でも、「辛いから変えてください」って言っても、
相手に何のメリットがないなら変えてくれないよね。
「優しくしてくれるならやりたい」って下心が見え見えだよね。
就活そのものをどう変えていこうってのが具体的になってないよね。
仲間を作って対応しよう
「みんながこう言ってる」って言うな。
一緒に考えて欲しいなら、対応できる話をしろ。
自分が何を求めているのか、私にどう行動して欲しいのか言え。
「こういうのがあればいいな」ってオレにできないことを頼むな。それは不満じゃない。愚痴だ。
おい、いきなり放送が切れたぞ。リクルートこええwww
橋下大阪市長が内田樹についてつぶやいているんだけど、個人を攻撃すればいいのに「これだから大学教授は!」という文脈で攻撃してんだよな。でもこの人、もう大学教授としては「あがった」人なんだよね。変な話だなあ。それとも、橋下氏の目の届く範囲で、内田氏が高等教育の現場に復帰することを阻みたいがために言ってるんだろうか。
ていうかさ、橋下氏のとこで政策の手伝いをしてる人の中に大学教授はいないんですかね? よくあんな乱暴な物言いを許してるなあ。
前記事
http://anond.hatelabo.jp/20120108211250
一応、真面目にちゃんと反応してくれた人もいるので、もう少し突っ込んだ話を。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694
自分も先の記事は内田先生のこの記事と概ね同じ感覚で書いたつもりなんですが、「呪い」と表現するとはさすが巧いなぁと思うんですが、結局、これは過去と比べて人がそのように攻撃的に変わった、という話ではなくて、ツールの出現によって人のどうしようもない部分が顕在化され、増長されている、ということなわけで、本来はツールによってコントロールして抑制されて然るべきだと思うんですよ。人を罵ったり、嫌味な人間が悔い改めていきなり消えるわけないですからね。ありがたい説法も馬耳東風であります。
こういったネガコメというか罵倒や中傷への対応については、4~5年前からはてなは度々指摘され、はてなが抱える課題であったはずなんですが、はてなはやる気がなかったのか、まったく効果的な解決策を見出せなかったんですね。もちろん、コメントの非公開であるとか、はてなスターであるとかで対応しようとしたんですが、如何せん効果がなかった。そりゃそうです。匿名ならまだしも、投票した側のidがわかるスターなんて使う人はヘビーユーザーに限定されます。すでに腐りかけているところに記名制の投票制度なんか設けても、大きな流れを変えるような発言は封殺され、内容そっちのけで内輪の笑いを取りにいくだけです。まともな批判であればいいんですが、それすら目立たなくなってしまうんですね。
こうなってしまうと、良識ある企業なんかは、自社のページにはてブのボタンなんか置くはずがないんですよ。現に自分が仕事で制作した企業サイトには、いいね!ボタンとツイートボタン、mixiチェックは置いても、はてブボタンなんか置いたことないです。そしてどんどん日陰者になっていってしまう。別に2chを目指すのであれば、それでいいんでしょうが、はてなの目指すところはそこだったの?ということを言いたかったわけです。
次記事
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新訳 見えざる革命―年金が経済を支配する (ドラッカー選書)
商学部やら文学部の学生が、卒業論文とかサークルの出し物でワンピースを取り上げればそのまんま本になるくらいの勢い。
この手の本を買うときは「書き手のプロフィール」をよく確認してから読むようにしたい。
逆に言えば、一生に一度くらいは本を出したいと思っている人は今がチャンスです。ワンピースとコラボしてなにか本を出せないか企画を考えてみよう。
個人的に最も面白かったのは・・・「モンキー・D・ルフィの「D」はドラッカーだった」 阿部美穂 <ドラッカー学会会員
次点の高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! (野球指導書編集委員会) といい、
ドラッカーバブルに乗り遅れた方々が必死に次の寄s・・・コラボ相手を求めてさまよっている様がとても微笑ましいですね。
漫画ワンピースは、これからの時代のビジネスバイブルだ! 徳永 秦 <Amaozn書評が全員身内褒めでかなり気持ち悪い
ルフィの仲間力 『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法 安田雪 <「社会ネットワーク分析」が専門の教授
「ワンピース」はなぜ人の心をつかむのか―「ONE PIECE」はなぜ売れるのか (ベストセレクト) 富田 英太 <ワンピース=新世代の司馬遼太郎とかねーわ
『ワンピース』に生きる力を学ぼう! 平居謙 <2冊目。この人どんだけワンピース好きやねん
<1万冊を超える読書によって培われた膨大な知識をもとに、独自の研究を重ね、難解とされる古典を現代漫画をもとに読み解いていく手法を確立って・・・。ブログとかあるのかな?
ワンピースの言葉が教えてくれること (ルフィと仲間たちに学ぶ「生き方」の教科書) 方喰 正彰 <プロフィールなし
ONE PIECE STRONG WORDS 上下巻 尾田 栄一郎、 内田 樹 <内田樹のワンピース論は結構面白かった
<ワンピース「世代」>
「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱 鈴木貴博 :注目株。そういえば「ガンダム」程読者の顔が見えないのだよね。不思議!
<なぞのコラボ>
高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! 野球指導書編集委員会
ONE PIECE 海賊キャラ弁当BOOK (FLOWER&BEE BOOK)
ワンピース最強読解 (ワンピース最強シリーズ) ワンピわくわく研究会
超読解 ワンピースが教えてくれた人生で大切なこと―自分の“宝”を守るために必要なもの 海賊行動学研究会
ワンピース最終研究―海賊王の血脈と古代文明の謎 (サクラ新書) ワンピ考古学研究会
<やおい系の本が出てるけどこれどういう仕組み?>
海賊ゲーム外伝「ゾロ×サンジ ラブディスカバリー」 (POE BACKS)
同人作家コレクション114 光葉 (POE BACKS) 光葉
同人作家コレクション103早乙女神楽 (POE BACKS) 早乙女 神楽
今田まことおまめ (K-Book Comics) 今田 まこと
同人作家コレクション99ケチャップ (POE BACKS) ケチャップ
しかし、考察系が無駄に多いのを除けば、もっともっとたくさん出てもいいのにまだまだ少ないと思う。(ドラッカー関連本はこの3倍くらいある) http://uwasano3.web.fc2.com/druckertyo.html
『街場の読書論』ゲラチェック95%ほど終了。年内に「あとがき」書いて、戻せそうです。
今日は「メタ・メッセージ」論を20枚ほど書き足しました。メタ・メッセージというのは「これは嘘です」とか「後ろの方、聞こえますか?」とかいう言明のことです。これは誤解の余地のないメッセージなんです。メタ・メッセージというのは「メッセージの解釈にかかわるメッセージ」のことです。不思議なのは、「後ろの方、聞こえますか?」という問いかけには二種類の回答しかないことです。それは「はい、聞こえます」と「いいえ、聞こえません」です。不思議でしょ?「聞こえません」て、お前聞こえてるやんか!そうなんです。メタ・メッセージは「聞こえない人にも聞こえてしまうメッセージ」なんです。すごいですね。
こんな話があります。ある工員がどうも工場からものを盗み出しているらしいという嫌疑がかかりました。警備員たちはこの工員が手押し車を押しながら工場から出るとき、彼をとめて、手押し車の中をすみずみまで探しました。でも、何も出てこない。毎日、止めては手押し車の中を点検するのですが、何も見つからない。さて、この工員は何を盗んでいたのでしょう?もうおわかりですね。彼は手押し車を毎日盗んでいたのです。いかにもラカンが好きそうな話ですが、「手押し車」を「メタ・メッセージ」と書き換えると、コミュニケーションについての恐るべき真理が明らかになります。メタ・メッセージは「情報についての情報」ですので、誰もその真偽や理非については問わない。警備員はこれを組織的に見逃すのです。
だからもっとも賢いメッセージ発信者はパーソナルなメッセージを「手押し車」のかたちにして発信するはずなんです。これは誰にも咎められず、どこまでも、誰にでも届くから。
情報化社会における「情報強者」とは良質な情報をたくさん所有している人間のことではありません。そうではなくて、自分の個人的なメッセージを「手押し車」に載せてやりとりできる術を知っている人間のことです。パーソナルなメッセージをあたかも価値中立的で、真偽の判定になじまず、「警備員たち」の検査の眼をを逃れるものであるかのように発信できる人間が、情報社会における情報強者だと僕は思います。つねに「自分がいま発信している情報についての情報」を繰り込むことのできる言語能力が情報社会における階層差の形成要因であるというのが僕の仮説です。自分の言明に含まれる真実含有量についての検査値を公開しながら話すんです。楽しそうなんだけどなあ。
サンデル教授ってインチキでしょ?って言ったのはウチダの個人的な感想でありまして、理由は二つ。ひとつは、「正しい決断をしなければならない」という状況設定そのものが間違っている可能性を吟味していないこと。「正しい決断をしなければえらいことになる」という状況に立ち至る前に、「そんな決断をしなくてもいい方向」に向かう分岐点がいくつもあったはずなのに、それを見落とした自分の知性の不調についてはなぜか主題化されていない。これはアメリカ的知性の特徴なんだと僕は思っています。事が起きたあとの「対症マニュアル」の整備には熱心だけれど、そもそも「事を起こさない」ための「予防的配慮」については驚くほど関心が低い。そういう国民性格の内側から出てきた「ナショナルな弁証法」だということについて、あまり自覚がないみたいだったので・・・というのがひとつ。もうひとつの理由はホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」に出てくる伝道者たちに相貌が似ていたから。サンデルファンのみなさん、ごめんね。
えーと。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20111201/224762/
民主主義は、そもそも「豊かさ」の結果であって、原因ではない。つまり、民主主義は豊かさをもたらすわけではないのだ。
若い人たちは、民主主義と市場原理を同じひとつの社会システムだと考えているのかもしれない。
それらは、似ているようでいて、まるで違う。ある場面では正反対だ。
民主主義は、少数意見を排除するシステムではない。むしろ、少数意見を反映する機構をその内部に持っていないと機能しないようにできている。だからこそそれは効率とは縁遠いのだ。
原理的に競争的な職場では、市場原理が、怠慢を駆逐し、より高い労働へのモチベーションを生むことになる。多少の軋轢があるにしても、競争は、全体の発展につながる。
まるで内田樹の文章を読んでいるような。あの人は語りと誇張が激しくて吐き気がするほど嫌いだけれど、この人くらい抑制されていたら納得できる。
しかしそんなことより、この記事についてはてブ欄でなぜか銀英伝トークが盛り上がってることに刺激されたので書いてみる。
銀英伝もいいけどローマ人の物語の話しようぜ。橋本さんは共和政ローマ末期の政治でいうならどこまでいけるだろうかねー。
ポエニ戦争勝利以降の話ね。
とりあえず橋本さんを彷彿とさせるような要素がある人間を並べてみた。
知ってる人は説明読まなくてもわかるだろうから、適当に選んでください。
スルピチウスとかも入れるときりがないから省きましたが「あとこいつが足りない」と思う人がいたら入れてください。
<ホルテンシウス法>
スキピオ・アフリカヌス :ハンニバルに勝ったヒーロー。しかし権力持ちすぎて元老院の保守派、というか大カトーさんに嫌われ
すげーささいなスキャンダルで失脚させられる。哀れな末期。
ティベリウス・グラックス:ええとこの坊ちゃん。格差をなくそうとして護民官としていろいろやろうとするけど時期尚早すぎた。
アンチグラックス派の元老院の戦略で独裁者のレッテルを貼られ、最後民衆にリンチで殺される。
ガイウス・グラックス :ティベリウスの弟。兄ちゃんの失敗を踏まえて、独裁でもいいや、民衆が認めるほどに圧倒的な支持を得た上で改革にとりかかる。
ただし彼も執政官ではなく護民官として改革を実行。元老院とは対立的な構図になってしまう。
「市民権」問題で富裕層の支持を失い、留守にしている間、元老院に買収された仲間に裏切られて失脚。
メンタルの弱い支持者が暴走した結果自分まで反逆者扱いになり、逃亡の果てに自殺。生存中に行った改革はすべて白紙に戻された。
マリウスたん(民衆派) :家門名を持たない二等市民。高等教育を受けず教養がなかったが、問題解決のエキスパート(優秀な軍人)として声明を高める。
軍制改革により常備軍をつくりあげたことが失業対策となり、戦争の勝利もあって貧困層から一般市民まで圧倒的な支持を得てトップに。
しかし政治や外交能力に乏しく、護民官と元老院の紛争を調停する能力がなかったので政局不安を招き、支持率急低下→失脚。
あげくスッラさまのクーデターで国外追放とか、くやしいのうくやしいのう。
スッラさま(元老院派) :敵との戦いに行ったと思ったらそのまま子飼いの軍隊を率いてローマを占拠。マリウスさんを追い出す。スッラさまのクーデターまじぱねぇっす。
ただ、お出かけしてる最中に仲間に裏切られて国外で孤立。スッラさまの運命やいかに。
逆襲のマリウス :スッラさまがお出かけ中に裏切り者の内通で戻ってきて、自分を追い出した元老院のやつらを皆殺し。エゴだよ、それは。
暴れまくってる間に寿命が来て終了。
<ヴァレリウス法>
スッラさまMKⅡ :マリウスが死んだ後復帰。ローマ史上初の任期無期限の独裁官に。 ちなみにジョブズばりの恐怖政治。
後の歴史家が言うには「時代の流れに反する」元老院強化、護民官の弱体化などを推し進める。
反動的なやり方だけどスッラさま在任中はうまくいった。スッラさまのカリスマまじ最高。
任期無期限の独裁官だったのに、途中で退職し悠々自適の生活を送った後病死。
ルクルス :スッラさまの忠実な部下。スッラさまの死後に執政官に。
優秀な軍人だったけどエリート臭が強く金に汚かったためすごく不人気。ものすごく不人気。大事な事だからry
スッラさまの遺志をつぐべき立場だったけどあんまり頑張らずに引退。
ポンペイウス&クラッスス:超金持ち出身&超優秀な軍人。ローマの勢力範囲を過去最大にする。
「俺強くね?イスカンダルより優秀じゃね?」ということで、
スッラさまが修復・強化しようとしたローマ共和制のルールをことごとく破壊しながら若くしてトップに立つ。支持率も多分80%超えるレベル。
このあたりで「もうやめて!ローマ共和制のライフはもうゼロよ!」状態に
ガイウス・ユリウス・カエサル :スッラとポンペイウスを足して2かけたレベル。きたみたかったー。ぶるーたすおまえもかー。
※ちなみに「ローマ人の物語」において、このあたり「ポエニ戦争後からカエサル前」までの記述は、
塩野七生が、大好きなカエサルを絶賛するための前説部分として扱っているようで、
むちゃくちゃ結論ありきで語られています。 特に塩野節がきつくて正直鼻につく人がいるかもしれません。正確性にも疑問が大きいところです。
そんなに偉そうに言うならお前は今回の大阪市選挙で何が正しいのか言えるんかい、と突っ込みたくなるレベル。
ただ、偏ってるということは、一本筋が通されているということでもあり、それがむちゃくちゃ面白いです。個人的にはこの時代の話は、全体通して二番目に好きです。
特に、彼女がポピュリズムや独裁についての考え方を開陳する部分は、昔銀英伝にはまった人間には非常に刺激的な部分だと思うのでおすすめ。
※私自身は橋本さんについては批判的な立場です。こういうときハイエクとかわかってたら格好良く批判とかできるんだろうかね。
私は職場が大阪にあるんで、やっぱり色々気になりますけれど、肯定的なところがほとんど見いだせない。
独裁者は必要かもしれないけれど、個人的には一番独裁者にしたら駄目なタイプだと思っていて、そこの評価をマスコミが全くできないことには恐怖を感じます。
あー書こうと思ってたことを先越された。
http://d.hatena.ne.jp/si-no/20111124/1322144982
「ゲームセンターでは、上級者が初心者を駆逐するような空気を作ったせいで、格闘ゲームというジャンルそのものが縮小した」と聞きましたが、今のインターネットも上級者しかいないゲームセンターみたいな窮屈さを感じるんだ。
まぁそういうことです。
真性さんに端を欲する「俺達のインターネットの終末と最後の希望」だけれど、もうこの手の話は食傷気味だ。
みんな、インターネットにかんする窮屈さや空気の停滞は感じてた。
でも、今まではこの話しを直接するのを避けて、
「俺たちの」ゲームセンターやら「俺たちの」アニメの衰退という少し狭い範囲で代理戦争をやってた。
でも、内容は上で言われている「俺たちのインターネット論」は所詮ゲームセンターについて語るのとほとんど同じなんだ。
それが、ついに真性さんというカリスマの記事によって、インターネット全体の話として持ち上がった。そーいうことだ。
とはいえ、結局は「俺たちの遊び場」の興隆と衰退の話をしているに過ぎない。
同じような問題は、違った場所で、すでに何度も繰り返されている。
ただそれぞれの当事者が、別々のものだと考えて、別々に騒いでいるいるに過ぎない。
何度もくりされる、避けようのない道なのに。
今のインターネットは自分にとって最適ではなくなった。ただそれだけだ。
それに対して、自分たちで自分たちの望む場を作ったり、場を再び盛り上げようという程の気概はない。
所詮そういう奴らは内田樹のいうところの「下流志向」、つまり、「消費者意識」から抜け出せないのだ。
ただ要求するだけなのに建設的な意見を言ったつもりになって満足し、
結局それを作り、与えてくれるものがなければ自分たちには何も出来ない。今度は批判して憂さを晴らすだけだ。
やってることは自分たちにとって最適であった過去を嘆くばかりである。
新しい動きをただ自分にとって最適でないという理由だけでこき下ろし、批判する。若くして老害の出来上がりだ。
老害とは過去にしがみつく亡霊のことであるが、なぜそれが生まれるかというと、
消費者意識から一歩も脱却せず、自分の狭い目線から一歩も離れず、過去を望みつつも過去から何も学ばぼうとしないからだ。
「俺たちが○○を作った」「俺たちが○○だった」
勘違いしてはいけない。自分たちは、たまたま興隆期、全盛期に運良く立ち会っただけに過ぎない。運が良かっただけだ。
自分たちはただのネット団塊世代にすぎないのだ。最初だから無茶が聞いただけだ。それが許されただけだ。
そんなものはインターネットの本来の姿でも何でもない。インターネットでできることはそれだけではない。
嫌ならさっさと逃げ出せばいい。別の対象を見つければ良い。
とにかく、自分が望んでいるものだけは既に無い。自分を肯定してくれる「俺達のインターネット」はない。それだけだ。
っていうかさ。ネット団塊世代として、十分すぎるくらい貯蓄貰ったべ。財産築いただろ?まずその棚卸しようぜ。
もう社会やら世の中が自分を肯定してくれなくたって、十分老後を自活していけるだけの蓄えはあるだろ?
ネットで作った友達とか、そこで得たやり取りが経験になってんだろ?
その財産を元でに、自分たちの遊び場くらい作れるだろ? 自分で何とかしろよ。
なってなかったらそりゃお前のせいだ。 インターネットに生活保護はない。神様もいない。
幸運なネット団塊世代に生まれていながら、何一つ築いて来なかったなら、それはただの怠慢だろ?
サボってた奴が、偉そうになにかいう資格までは「俺たちのインターネット」でさえ許してないと思うぜ。
自分たちより若い世代は、ネット興隆期も全盛期もしらない。そういう幸運な環境を与えられなかった。
その中で、必死に自分たちの生きる道を探そうとしてんだ。俺らよりずっと立派にやってるよ。
ソーシャルゲームやらニコニコなんぞというもので満足しようと自己暗示かけてんだ。
自分たちの欲求を極限まで制限したり変形させたりしてなんとか適応しようとやってんだ。
蓄えがないところから、自分たちの生きる場所をつくろうとやってる連中に対して、邪魔はすんな。
それなりに理解しようと努力するか、それができないならクチをつぐんでただ見てろ。
そいつらのやってることがダメだとか間違いだとか言うなら、自分たちが示してやれよ。
過去の回想とかいう非現実的で、企画力ゼロの妄想垂れ流すんじゃなくてよ。
別に今からでも自分たちに最適な潮流を生み出しても構わないんだぜ?
ただそれは、今までみたいにクレクレ君としてじゃなく、自分らで作り出すべきだろ。
もう俺たちは、社会やインターネットに何かを期待してるだけの幼年期を卒業させられてんだよ。
とっとと与える側、期待させる側、なにか作る側にとりかかれ。いつまでブヒブヒやってんだ。
追記。私もこれについて全く理解できてない。この部分理解してもう一回「俺たちのインターネットの終わり」について考えてみたい。
私も「どうせ終わりなんだから深く考えるな」「全体が終わっても俺は生き残れるからどうでもいい」って乱暴に考えてた。
でもこの衰退はどういう形だったのかってのはもうちょっとまじめに考えたほうがいいのかもしれない。
ttp://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2011/11/post-474d.html
わたしは「危機」について分かっていない。本書では、「危機(crisis)」「暴落(slump)」「バブル崩壊(collapse)」が同じ意味で使われている(ように読めた)。景気循環の下降局面なら「危機」、資本の限界効率が急落し、みんなが現金を欲しがっている状態を「暴落」、さらに過剰投資(=バブル?)が行過ぎて、期待収益がゼロ以下になることを「バブル崩壊」と呼んでるみたい。いわゆる「バブル崩壊」は、そんな景気循環から外れた、日本だけの極端な現象だと思っていたが、ケインズも指摘しているくらい「予見されたこと」なのだろうか
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111116dde012040015000c.html
西尾維新の「難民探偵」思い出したわ。「下流志向」とか「下流社会」でもいいけど私は内田樹も三浦展も嫌いなのでこっちは取り上げない。
職もなく、その日暮らしの生活のはずが、ネットカフェで結構贅沢な環境を享受し、明日のモチベーションをスポイルされている人達を見て主人公二人が交わす会話の部分。
泥のように甘やかされるその場所で、危機感を持ち、立ち上がらなければ・・・堕ちていくばかりなのだ。
「格差社会なんて言って、上流であればもちろん、下流でも、そこそこセレブな生活を送るっつーか・・・・危機感を抱きにくい。
生きて暮らせる。
だけどそれは錯覚で、本当は坂道を転げ落ちるように追い詰められれているにもかかわらず、
飢え死にするその直前まで、討ち死にするその直前まで、自分だけは大丈夫だって思えるシステムが組みあがっちゃってるのさ」
「いいこと・・・なんですよね?弱者にやさしい社会なんですから」
「程度によるよ。甘やかしは、自立心を損なうだろ?」
「まぁ。そりゃ、わたしも経験しましたが・・・でも、それを理由に放り出されても敵いません」
「そうだね。だけど、保護が行き過ぎると、過保護になって、弱者に甘い社会となって・・・頑張る気をなくしちゃう。」
考えてみればお恐ろしい話だ。政府が、労働を国民の義務に位置づける理由も、わからないじゃあなかった。・・・人間の欲望の中にはそもそも労働欲なんかないのである。
「認知不協和を起こしますよね・・・・明日の稼ぎも明日の暮らしも分からないという現実と、ネットし放題マンガ読み放題、ドリンク飲み放題という現実。
すれ違うどころか、衝突するでしょう。どんな折り合いをつければいいのやら」
「ソレでいいという妥協もあり得るだろうけれどねぇ
十年後、同じように暮らしていられるかが分からないという漠然とした不安だけは、拭いようはないさ・・・って他人ごとのように言ってるけど、これは俺本人の話だな」
(私は多分・・・おじさまだけじゃなく、いろんな人達から甘やかされていて、
そして生かされている
生きているのではなく、生かされて・・・・否。
難民探偵は、ミステリーとして読むと不満な人が多いらしい。Amazonの評価は激低い。しかし、殺人事件以外の部分はすごく面白いと思うよ。
ミステリーは謎を解決するもの、じゃなくて、謎を解決する際に、あるいは謎を解決した後に残る解決不能な問題を提示するもの、って発想で書かれているから。
さあ、皆様、謎は全て解いて差し上げました。後は問題に、如何様な解決をお与えになりますか? (「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん5 欲望の主柱は絆」 P162)
殺人事件は解決しました。でもその途中で見た様々な問題は解決されません。
そもそも殺人事件は私の問題ではありません。
私の問題は一歩も進んでいません。
物語は終わっても、問題は終わりません。
そもそも、現実にはドラマティックなことなんて何もありません。
地道な現実しかありません。ドラマを求めてもいいことなんてありません。
さあここまでわかった上で、どうしますか?
いわゆる「健常なキミはいつまでもドラマに浸ってないで現実に帰れよ君」的な嫌がらせのようなお話なわけで。
まぁ「西尾維新にはこんなこと言われたくない」という人には何を言っても気に入らないのだろうけれど。
西尾維新はもともと、普通な人やら、青春を過ぎた大学生に優しくするつもりなんて微塵もないということをわかってない読者が悪い。
ちなみに私が内田樹が嫌いなのは、安楽椅子探偵気取りで冤罪事件をしょっちゅう起こして問題を有耶無耶にし、そのことに自覚がないから。
下流社会での主張は「学ばないのも、働かないのも、自分を「消費者」と位置づけているからだ、という主張」ということであり、それに対して嘆くだけ。
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20111023/1319342710
この文章、全体的に内田樹に読ませたい。
何が残念なのだろうか。その場で動けなかったことを自省するならば、次にどう動けばいいのかをアドバイスする提案をもらったときに、なぜ残念になるのだろうか。次も動く気がないから、残念なのではないのか。「対症療法的」であることより、「根本的に対策」をとるのがよいのは、なぜななのか。
「自分はあの場面でどうするのが一番よかったのだろうか」ということは、もうすでにTwitterで痴漢の被害経験がある人が「どうしてもらったのがよかった」「こうしてもらうのがよい」と言っているし、介入した経験のある人が「こうすればうまくいった」という話をしている。なので、答えはいくつか出ている。
しかし@ymmthrkさんがとったのは、被害者の心理の分析と、自分が置かれた状況の分析である。その結果次のことがわかったという。
・「周囲の支援はあてにならないのが実際」「女性専用車はやはり妥当」「車内マナー向上策は逆効果」といった社会学的知見を提出していることはご理解ください
・満員電車という環境が痴漢の原因であるという指摘は非常に社会学的であり卓見だと思います
これを読んで、「へ~、さすが社会学の分析は、すばらしいことを発見する!」と思うだろうか。思わない。こんなことは、多くの人が知っている。 社会学的に分析した結果、「みんな知ってる」ということが明らかになって、それになんの意味があるのか。むしろ、今まで「知らずにいることができた」という分析者の特権的無知があぶり出されるだけだ。そして、そのために分析された人は、なんの許可も与えていないのに、一方的にインフォーマントにされ、分析者の知的好奇心を満たすために利用される。
「当事者の声を聴く」っていったい何年この業界は言っているのだろうか、それを真面目にやる気がないのかはなぜなのか、という思いを、繰り返しさせられるのは、本当に苦痛
俺これが内田樹さんが近頃の若者の無気力云々と頭ごなしに言ってることや、
ちきりんさんが日本人は馬鹿だ危機感を持つべきだと繰り返し念仏のように唱えていることに対しての
「普通の人の」答えの一つだと思うんだ。
(私は、国を背負う立場の人は、もっと高いレベルの応答責任が求められると思うけれど、
私たちみんなが、例えばちきりんさんの挑発に対してきちんとした答えを返す必要はないと開き直ってます。
というか、私達よりずっと応答責任のある「わかってる人」が下々の者をおちょくって遊んでるわけで、これはもうどうしようもないな、と)
結局のところ、世の中の仕組みがよく分からないんだよね。で、どうすればいいかもわからない。
分からないなりに考えたことは、どれもワクワクしないことばっかりでどうもヤル気がでない。そういうことなんだと思う。
そういうのを学べる相手は、高い学歴を修めて、良い企業に行ったりして、さらにそこでこれだと思う人を探す、くらいしないと見つからないのだと思う。
巷に溢れている大人たちは全くあてにならない。
50過ぎのオッサンは自分が世の中の仕組みをわかってて、自分たちが世の中を動かしてるつもりだけれど、
実際は身近な会社のルールを社会のルールと勘違いして、それを家庭に持ち込んで機能不全家庭を量産してるだけ。
識者の意見を聞こうにも、テレビはあれだし、ネット識者はマッチョだし、
学者に期待しても内田樹は思考のスケールが人類1万年の歴史レベルのため今この時、にぴったりはまるような話を期待できないし、
誰も知りたいことを教えてくれるわけではない。むしろあれこれと問題を掘り返してきては私たちの悩みを深くするだけ。
わかってないことをわかってるなら学べばいいじゃないか、と思うけどこれも尻込みしてしまう。
ちきりんさんを見るかぎり、世の中の仕組みはろくでもないことになっていることはわかるし、
それをわかるといきていけるかもしれないけれど、ちきりんさんみたいにろくでもない人間になるってこともわかってしまう。
やれやれ(春樹風・・・っていうか春樹の小説は「わかってる人」が「わかってる振りの人」を書いてると思うとなんかむかつくなこんちくしょうw)
あ、ちなみに遠藤先生にこういう粘着読者がいると知れると次からコメントが面白くなくなっちゃうかも知れないから、このことは秘密な。
この人は問題分析のウチ、
1問題指摘と
2関連の文学素養を
一つのつながった文章と考えるからおかしいのであって、要素要素はレベルが高い。
解決策部分は全く期待しないほうがいい。
http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php
ふざけんな。
内田樹の中にあるゴーイング・コンサーンの前提はなんとかならんのか
弱者の切り捨てに対して効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが「連帯の作法」というものを見失ってしまったからです。どうやって同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちと連帯すればよいのか、その方法を知らないのです。
ここは素晴らしい。
「平等・自立・団結」がワンセットで在るということを指摘している点は慧眼だと思う。
平等だけを主張することは不可能だし、自立のみ、団結のみというのも不可能であることを上手に説明されている。
これはネット出現以前のコミュニティの大原則である。この原則を違えるとモンペとかバカ民主党みたいなことになる。
ネットが出現しても人が人であるかぎりそう変わるものではないだろう。とても大事な事である。
ただし
それは彼らの責任ではありません。それは私たちの社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできた「イデオロギー」の帰結だからです。
は論外。上のことがわかっていて、なぜイデオロギーの問題だけで解決できるように語るのか。
本当に、この人のこういうところは本当に、困ったところだ。困ったちゃんである。
この人の指摘がいつもずれてるのはなんでかなーと思ってたんだけど
この人は結局のところいつまで経っても社会が存続すると思ってるんだよな
贈与の考え方ってのは大前提として、社会が安定したまま続く状態がある。
余剰は必要としないが、関係性が維持されていることは絶対に必要な条件だ。
後に自分の何かを残したい、引き継ぎたいって思う対象がいなければその発想は生じない。
むしろさっさと全てが壊れてなくなってしまえって思ってる時に贈与の発想なんてクソみたいなもんだ。
「希望は戦争」とまで言わなくても「何ものこさずにひっそりと消えたい」とか「何一つ引き継がないことで今の世を否定する」ことにしか希望がないひともいるんだ。
もっとはっきり言おうか。
若者の問題を論じる場合、先に親の世代が病んでることを論じるのを避けるほどアンフェアなことはない。
それは遺伝性の病気に対して、子供がその病気にかかっていたら、子供に責任があるように語るほど間抜けなことだ。
自分が生きることで精一杯で、自分が生きるために子供を殺す親がたくさんいることについてはどう考えているんだ?
局所的に見たら、その過程ではすでに戦線が崩壊している。どうやっても持ちこたえられない。
その状態で、なお若者に戦線を死守しろという指揮官があなただ。
それは無能ではないかも知れないが、残酷であるという自覚はあるのだろうか?
私には後方でふんぞり返って最前線を見ていない無能な指揮官にすら見える。
彼にはどうせ答えられないだろう。
そんなに連帯が大事で素晴らしい物なら、なぜ連帯がうまくいってた彼ら団塊世代はいまこんなにも老害を晒しているのか。
彼らが連帯して世の流れに反発しているという視点をなぜ持てないのか。
なぜ「大人」のやってるというだけでそれが幼稚な反抗という評価を免れることが許されるのか。
なぜ「若者」のやってるということだけで未熟であったり不足という評価をつけることを当然としているのか。
そういうことに彼の論法では全く答えられない。
そしてなにより、連帯はプラス要素もあるが、マイナス要素も多分にある。むしろ停滞期には負の面が強く出る。
それも多分彼はわかっていて、とぼけているのだ。なんともずる賢いことだ。
この人が解決策を論じるために書いているなら、まず話を若者からすたーとするのも良かろう。
しかしこの人は問題しか論じないのだ。解決策はいつもイデオロギー的な理想論に終止するのみだ。
ソレにもかかわらず、この人は若者の話しか取り上げないのだ。自分が含まれる大人たち、老人たちについては触れようとしない。
そこに大いなる欺瞞がある。そしてこの人はそれに対して自覚的だ。自覚的であるから文章のテクニックを用いて読者をけむにまく。
問題を責任者のない不可避の現象として表現し、問題について責任者の存在を隠匿した後で、解決の部分だけ責任を若者に割り振ろうとする。
社会の存続に必要な「少子化」に絞ってもご覧のとおりだ。怒りを通り越してうんざりしてさらに一周して怒りを覚える。
本当に頭のよい人というのは、自分の立場をまもるためにここまでやるのか、と唖然とする。
http://blog.tatsuru.com/2006/11/11_1038.php
http://blog.tatsuru.com/2007/02/01_1103.php
http://blog.tatsuru.com/2009/09/13_1040.php
この人はとにかく卑怯だと思う。さすがマルクスの信奉者といったところだが、私はこういう小賢しさが大嫌いだ。
一度でいいから、マスコミと若者とアメリカの陰謀以外に責任を割り振るのをやめて「私はコレについて責任を持つ」と書けよ。
もっとも、処世術としては、自分が何について責任を負うかについては自分より偉い人にのみ語るのが正しいことだ。
大衆や目下の者に対してそれを語り、そのとおり実行しても彼らは自分に報いてくれるわけではないからだ。
自分の責任は、自分とソレより上の者の間で共有し、下のものには結果のみを示すのは何も間違いではない。
ハックルさんみたいにところかまわず自分の使命を吹いて回るのはキチ○イである。
しかし、自らの周囲との関係を重視して、大通りに出て狂人あるいは政治家として振る舞うことを避けるのであれば、他人に対して責任を強制する資格はない。 この人は無認可で街頭演説する政治家みたいでたちが悪い。
結局のところ、贈与云々を言ってる人が、誰よりも計算高く、出し惜しみをしているというところがオチなのだ。
若者が求めているのは年寄りの説教ではない。年寄りが何らか社会の問題にコミットする姿勢を見せることである。
今は価値が分からなくても将来は、とか、この贈与の価値がわからないのはバカだなどと言い出すならばハックルさんと同レベルである。
ちなみに、冒頭のタイトルと反するようだけれど、私は内田樹の著書のファンだ。著書は大好き。
さらに繰り返すがこの記事において「平等・自立・団結」がワンセットで在るということを指摘している点は慧眼だと思う。
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20110925/1316897912
ハックルさんはドラッカーのこの文章を理解していると振舞いたくてしょうがないわけよ。
最近は、愛想を良くすること、人付き合いを良くすること、人間を助けることが
マネージャーの資質として重要視されている。 そのようなことで十分なはずがない
事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、
とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。
このような資質を欠くものは、いかに愛想がよく、助けになり、人付き合いがよかろうと、
そのようなものは、マネージャーとしても、紳士としても失格である
マネージャーに出来なければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。
実際には文字面しか理解してなくて、状況を一切考慮せずどこでもこの言葉の通りに従う
福音主義者みたいな状態になってるだけなんだけどな。
内田樹がよく嘆いているわけだけれど、
教育って一面だけを取り出してわかったかのように語る人間がすごく多いらいしね。
特に塾教師だけやったことがあるとか、俺は東大卒だとか、俺は会社で多くの部下を育てた、とかね
なぜかわからんけど、「俺には教育or勉強の才能がある」って思い込んでる人間がすごく多い。
その状況では正しかったのかもしれない、ある一面では正しいのかもしれない、でもそこで
「真の教育」とか語っちゃう人間ってのは、それこそ小説家かマルクス主義者かどっちかだと思うのよね。
自分が知ってる一面だけとらえてすべてわかったつもりになり、
知ったかを語っちゃうのってぶっちゃけすごく恥ずかしいことなんだけれど
なぜか教育については口をだす権利があると思ってる人が多いんだよな。(「近頃の若いもの」とか「ゲーム脳」とか「ソーシャルゲー」と一緒)
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110915/1316054275
なんだろう。
一見奇想天外な言動は変わらないように見えるけれど、
冒頭から思惑がはっきりと見える記事ばかりで、「予想外」さが減ってしまっている気がする。
「え、そこに噛み付くんだ。なんで!?」という予想外さにあると思うわけだけれど、そう考えるとこの導入はないわー。
ぼくは、エンターテインメントの制作者を本業としているものの、誰かに何かを教えてきたケースは多い。お笑い学校の講師をしているし、『課外授業ようこそ先輩』では小学生相手に小説の読み方を教えた。セミナーで話すケースも多い。
「エンターテインメントの事しか知らないけど、上村愛子に金メダルの撮り方を教えてやる」とか
「エンターテインメントのことしか知らないけど、駄目な企業に経営の何たるかを教えてやる」とかそういう脈略のなさがもっと欲しい。
とにかく自分の持ち味が「目の付け所」のみにあることを自覚しているのなら、もっとサプライズというか不可解な印象をもって引き込んで欲しい。
今回の記事、内田樹の文と並べて、小学生の前に並べて「どっちがプロの文章だと思いますか?」ってアンケート取ったろか。
商品を持たない頃のハックルさんは、全力でプロレスに取り組むエンタメ精神があったと思うが、
自分の商品の宣伝をするという部分が露骨に混じっていて読んでいて醒めてしまう。
こういう点では、dankogai氏とかまなめ氏は見習いたい。
dankogaiの場合、極論すれば書評などひとつも書いてないくらいに自己主張がメインだ。
それだけコンテンツが分厚いというか余裕がある。
というか興味とか人間性に幅があるのだろう。
一方、ハックルさんは、自己肯定と宣伝だけでいっぱいいっぱいだ。
視野が狭ければ、思い違いも多い。この切羽詰まった感は嫌いじゃなかったんだけれど、
やっぱりこの芸風は、いまだ成功してないときにこそ輝くものだなぁ、と思う。
彼の一途さとか毒が薄まってしまっているせいか、最近はイマイチ乗りきれない感じがする。
こちらとしても「じゃあ300万部売ってみろよ」という伝家の宝刀持ち相手にマジになりきれないところがある。
ぶっちゃけエンターテイナーというかはてな芸人としては、もう全盛期のころには戻れないだろう。
どちらかというと、その読みにくい文章を磨いて、
タイトルは、下記のyuhka-unoの記事に対して感じたもの。
みんないろんな方法で「オレの正しさを聞けー」って叫んでる。面白いな。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51724292.html
内田樹さんは、まず自分は先生として語っているというポジションを確保しないとものが語れない。
=私の言ってることが正しいかどうかはどうでもいいから受け入れろ。話はそれからだ。
dankogaiさんは、俺として語るということを重視している。
=他の人にとっては正しいかどうかわからんけど、とにかく俺はこう思う。信じるかどうかは好きにしたらいい、でも俺の意見は俺にとって正しい。
http://anond.hatelabo.jp/20110902194440
ハックルさんは「自分を批判する人が正しくない限りは自分が正しい。むしろ批判されきらなかった以上自分が生き残りで勝ち」という消極的な方法で自分を正当化する。
=文学理論を知らない奴に批判されても痛くも痒くもない。それどころか、そういうやつに批判されてるってことは自分は正しい
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472
この人は、相手の間違いを叩き潰すために、自分の正しさを主張するタイプ
=どうしてもあいつは許せない。あいつは間違っている。あいつと闘う私は正しい。正しくなければいけない。
個人的にはハックル論法が最も害が少なく、yuhka-uno論法が最も害が大きい論法だと思う。
ハックル論法は、あくまでハックルさん個人を救済するためのものだから不快なだけでこちらに影響を与えない。
内田論法はごく少数の人間に対して深い影響を与えるが、感染力は低めだから問題ないと思う。良い影響もあるから総合では悪く無いと思う。
dankogai論法は根拠は個々人で考えることを要求するから、深く考えないで結論だけつまみ喰いするバカ以外には悪影響は及ぼすまい。
yuhka-uno論法は、個人的にもっとも嫌悪すべきタイプのもので、私はこの手の語りをする人が出たら逃げるようにしている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0
長いけど引用。
人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティックな工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物的スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルやケータイ小説、アニメやゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」
しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場の論理がすべてだとは絶対に思わない」。とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパとアメリカの臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつのモチーフになる」と述べている。
この鋭さはやはりすごい。
これについこの前の内田樹の話がかぶってくる。
http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php
こちらは引用しないけど、ネット上の言論が暴力的になってきているという彼の印象と、それについての言説。
で、
サブ・カルチャーが社会において力を持つということは社会の教養レヴェルが(全体的に)落ちたということではないのか?
教養の不足、というのは、他者との距離感を錯誤する。わたし、と、あなた、の違いが曖昧にしか感じられなくなってくる。
総理大臣に『バカッ!』ということが、冗談でなくて本気で彼に伝わる、そんな感覚さえもつようになるのでは?
そして政治家もまたひとしく教養を欠き、彼らの十八番であった言葉遊びができなくなって、記者会見で泣き出す?
政治家でない私が政治家と違うのは、互いの囲まれた環境(circumstance)が違うのだから当然で、彼の言葉を理解できないから『理解しようとする』。
今そういうことを皆できなくなってきてるのではないか。
『おマエ氏ね』と書き込むひとは、案外以前より一層、本気で書くようになってきたのではないか。
二人のコトを読んでそんなことをぐるぐる、もやもや、考えた。
はてなのイメージって、はてなブックマークがたくさん付いている記事だけ見ると気持ち悪いの一言だった。
マスコミに騙されるやつを斜めに見て馬鹿にしながらも、ニュー速よりも空気読むのに必死な情弱(感情面でひ弱)。
いつまでもライフハックブログやブクペなどのサービスにリンクを貢ぎ続けるだけで自らは成長しない奴隷ども。
でもちゃんと読むと、バランスをとる動きもあるのだよね。
本を読むのが下手というのは、何よりその人達にとって不利益である。非常にもったいない。あとちょっと上手くなれば、あるいは想像を働かす骨を覚えれば、彼らももっと面白くこのシーンを読むことができたはずなのに。それができないというのは、端的に言って可哀想である。
かかる状況は、作者としては何とかしなければならないのではないか。そうした問題が眼前に横たわっているならば、それを解決することこそがぼくの使命ではないか
という吹き上がりに対して
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20110808
http://anond.hatelabo.jp/20110810122334
思い込みが強すぎるのではないか
という水を差してみたり
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110807
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20110808/1312803570
誰が辞めてもいいように作られたレールの上にお仕事の流れが存在しますので、そのレールに5年も疑問を覚えず乗りっぱなしでいると世間知らずのおバカさんになってしまい、高確率で自分の頭で仕事を作り出せない市場価値ゼロの人間になるかもしれないよって、指摘する必要もないのにわざわざちきりんさんは指摘していらっしゃるのです。上から目線とDISってる程度の方にはわからない、ありがたい人生の先輩ですね。
に対して
http://d.hatena.ne.jp/tgk/20110809/1312861323
ポータブルスキルの正体が何なのかは、よく考えなくてはならない。
であったり、
と翻訳する女性のかた寄った視線に対してもそのうち水を指す人が出てくるだろうし、
こういう水を差してくれる人がいる。
マスコミ批判しながらも、かなりの頻度で自分がマスコミと同じになってる内田樹のについても
きちんとその都度ツッコミ記事が書かれたり、
耐性がついてニヤニヤしながら眺めるだけの余裕のある人が多くいることがわかる。
でもさ。これ、片方しか読まない人がいたらどうするんだろう。
というより、片方の記事を絶賛してる人ってもう片方の記事ってたぶん読まないんだよね。