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はてなキーワード: 解釈とは

2024-05-08

セックス下手な男、表情読めないんだよね

ちゃんといっても謎解釈して

ガシガシと

読めないのはいいけどさ

言葉言葉通りに受け取れ

anond:20240508164639

よくお分かりで。

教職現場労基署が入れないのは労基監督権限を人事委員会ないし教育委員会が握ってるから、仮に残業代付けるっなっても自主解釈でもみ消すの余裕なのよね。

裁判まで持ってく根性持ちも0.1%あるかどうかだし、団体交渉権も無いから大半は泣き寝入りで終わる想像も容易につく。

anond:20240507123506

「実はおれ魔法少女と告げる雪」

  

結社に入ったりしてない不勉強な身でよければ。

俳句としては「「実はおれ魔法少女と告げる/雪」」と二つの流れに分かれるね。

意図たかどうか分からんが、「告げる」で切れが来ている。季語を「雪」にしたのは良いチョイスだ。おふざけで詠んだのかもしれんけど、これわりと俳句になってるよ。分かち書きしてないのも良いね俳句っぽい。

   

「実は」と「告げる」からすると、これは秘密にしていたことを誰かに告白する/し終えたっていう場面だと想像できる。そういうことを人が多いところでやるのは考えにくいから、真っ先に思い浮かぶのは、「おれ」と告白する相手との二人きりの場面だよね。人気のない場所、人気のない時間帯だろうか。昼間の冬枯れの雑木林だとか、夜の静まりかえった公園だとか、そういう寂しげなイメージがある。

「雪」は、降っているだろうか、それとも積もった雪のことだろうか。それは読み取れないけど、雰囲気としてこれは動きがあって欲しいから降っているところを想定しよう。秘密にしていたことを告白した瞬間、打ち明けられた側は驚きで一瞬動きが止まるのではないだろうか。その「静」と雪の「動」が重なってくる。そして「おれ」は、告げた事実に対して相手がどういう反応をしてくるのか、「静」の時間の中で固唾を呑んで待っているのだろうな。じっと待っている中、視界の中でちらちらと雪が舞っている。時間が止まった二人と、動き続ける雪。もしかしたら「おれ」は、「静」の時間を迎えて初めて雪に気付いたのかもしれない。それまでは、秘密告白意識が集中していたとも思えるから。そうやっていろいろ想像が出来るね。

今のは、告げた後の解釈だったが、告げる前だとしたら、いよいよ秘密を告げるという緊張感の中、心臓も早鐘を打つようになる中で、ふと雪に気付いたということだろうか。秘密を持っていたという後ろ暗さに、白い雪が被さってくるという対比にも読み取れるね。

そしてもう一つ。「秘密にしていた期間がある」ことが想像できるということは、相応の期間、「おれ」は秘密を打ち明けるべきかどうか悩んでいたのかな、という想像もできるわけだ。その期間の長さ、思い悩んでいた時間の長さの「重み」も、言葉としては書いてないけど感じられる表現になっているのがとても良いね俳句にはスケール感(より大きなものを、短い中で表現すること)も大事なんだけど、時間的なスケールの大きさ(長さ)を感じるよ。

  

隠していた秘密魔法少女だというのはアンリアル事象なんだけど、実は案外この「句」の中では効いてる気がする。「おれ」はまず男なんだろうけど、それが魔法少女」という二重になったアンリアル感。それを句の中ではおふざけなしに告げている。全体が俳句として成立しているからこそ、そのアンリアルさが「なんの冗談だよー」からの「え……マジなやつ?」という反応を想像させ、それが上で書いた「静」の時間とも繋がっていくと思う。

俳句客観写生と定めるならこのアンリアルさはアウトなんだけど、ここでは固いこと言わないどく)

  

よくぞ最後季語を「雪」にしたなと思う。だから映像フォーカスできてる。「冬」とかの時候にしてたら、映像や情景ではなく、告白した「おれ」の体験や状況や心情にフォーカスされてしまうので、それだと俳句としては「心情入れすぎ」なものになってしまったんじゃないだろうか。雪だから俳句になった。

  

映画のワンシーンみたいな、演出された映像、情景に感じられるので、自然に発生した情景ではない分、俳句としての評価はどうかなと思うけど、俳句俳句じゃないかといったら、俳句だと思うよ。

  

anond:20240508105822

文脈無視してそこだけ切り取るからそんなおかし解釈になる

ジェンダー政策の部分で言っているのは、子どもに対する性暴力絶対さないということだ。

児童ポルノ子どもへの性暴力から許されないということだ。

ただし、児童ポルノという言葉を使った表現規制ということに対しては明確に否定している。

表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。

どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。

具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う

吉良よし子=共産党の思惑は「子どもに対する性暴力は許せない」という前提からなぜか「クリエイターによる創作児童ポルノと同一視」したうえにおいての「ゾーニングを通じた表現する意思の萎縮」に尽きるんだから完全に間違った前提条件から導き出した経済活動制限を通じた表現規制

ゾーニング目的表現対象者以外のものの目に触れることを避けることであり表現自体を取りやめることではない。

たとえば現状の二次元ポルノ作品もそのほぼ全てが(意図的脱法行為をするのでもない限り)流通ルートにおいては最初から子供や興味のない一般人に向けて販売されていないし、そうではない購買層だけで経済が成り立っている。

からゾーニングが「作らなくなる」理由になることは無い。

ゾーニングによって儲からなくなる=売れなくなるならそれはゾーニングではなく流通規制

からあるアイデア

私達が十進法を使うのは指が両手で十本あるからで、

三本指だったら6進法になるだろう。

指という器官がなければ2進法、あるいは両手両足使って4進法だったかもしれない。

もし手も足もない生き物だったらどうだろう。

地球じゃない環境で、物を数えるのに使える器官を持たず、

周囲の環境にも数える対象存在しないまま進化し、十分な知性が発達したら?

その生物記号を使わない思考記号に依らない数学を獲得するんじゃないか

で、このニュース

鳥が翼でジェスチャーシジュウカラで初確認

https://www.sankei.com/article/20240326-6APXS6ZHPVPATPAJXGG4BKXGXA/

羽を動かす動作のもの記号ではないのに、記号脳の私達に解釈された結果記号と化してしまった。

このことは複数の異なる思考様式は併存できず、どれか一つに統合されてしまう事を意味する。

と思うんだけど、みんなはどう思う?

anond:20240508010502

全てを自分の都合のいいようにしか解釈できなくなっちゃったんだね…

かわいそうに…

2024-05-07

超巨大解釈コンテンツことブルーアーカイブ

というかまぁ売れる奴は解釈余地余地を生んでさらにその上から月に一回のサービス週間でキャラ萌えスマッシュヒットしそうな物語作って金を集めてるから解釈解釈解釈までして濃くやれとは言わないけど解釈解釈ぐらいはしておかないと金出してきた人は納得してくれないんだよな

聖書読みゃわかるけどユダヤ系3宗教って別に絶対的な良い教えが根本にあるわけじゃなくて時代地域によって良いように解釈できる教えが代々受け継がれてきただけの話で、それは仏教とかヒンドゥー教とかも含めてでかい伝統宗教には大体ある性質じゃん

ユダヤ系3宗教特別なのは地中海に面してたからその後に世界中に伝播して多数の人口範囲を占めるに至った点だけだよね

僕ヤバの最新話で

クラスメイト向けに市川が振られる演技をした」

ではなく

「二人は別れる決断をした」

って解釈してる人がいるのを見た

anond:20240507125629

「非常に限定」してるのではなく「個人的解釈勝手意味に加えようとしてるのを阻止」してるんですよね

anond:20240507094609

サプリメントCMとか全然悪くないもんな!!

関係ないけど事実は一応事実効能をひたすら宣伝する

それがサプリから効率よく得られるとは一言も言ってないか勝手勘違いしただけ

何都合よく解釈してんだよこれだから情弱相手商売はやめられねえぜ


ってことですかわかりません

anond:20240506233546

この句における一茶はあくまでも風景の一要素としてやせ蛙と並列されている。つまりは蛙ごときに向かい合って必死になっている俳人描写である

すっげーオリジナリティ溢れる解釈だな。

普通は痩せガエルに対する共感だとか痩せガエルに仮託された長男への応援とか解釈されてるよね。

anond:20240507001122

国語教科書に載ってた。

今読み返すと、なかなか解釈しづらい。

2024-05-06

規格上の許容上限調べても意味ない

元増田の要旨としては

と言うことで、メーカに対して批判的にまとめると「規格上の許容上限調べてそれを超えてたらOKといったオレオレ定義が横行しているが信用するな」ってこと。

これに対して「規格上の許容上限調べて来いよ」ってのは流石にあんまりじゃない?

anond:20240506115921

ここで俳句解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアル相談した方がいいよ。

…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト文脈)に依存する芸術からだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力もつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。


それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。

「ここで昼餉(ここでひるげ)」

初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わず17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこち公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。

ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)

「真赤な夏の/花佇つゆゑ」

最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初のんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。

もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。

一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くそ花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的楽天的天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。

二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかたからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反用字である

結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。

そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的俳句もっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用物語調で独特だ。一般的俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか

まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。

良い宗教ってひょっとしてめちゃくちゃ重要

少子化ひとつとってもさ

子供を生むことが神からの祝福だと解釈されて、伝統的な家族観大家族で助け合う自助が生まれ地域社会との結びつきも濃くなって共助も生まれ

経済的にも人が増えればその分需要も増えて良い

政治的にも少子高齢化が起きないか年寄り中心の政治にはなりにくい

他にも上げればきりがないぐらい効果あるだろ

良い宗教を持つことは良い社会を生み出す効果があるんじゃないか

とある観光地で聞いた話

信じるか信じないかはあなた次第で。

GW中に行ったとある国内観光地での出来事

同行者が若干スピ好きで、パワースポットを案内してくれる女性ガイド個人ツアーをお願いした。

どんなもんかなと思ったが解説が丁寧で人柄も良かったし楽しかった。

で、その女性ガイドは「見えるひと」なんだそうで、オプションで「おつなぎ」をしてくれた。

守護霊を見るか、親しかった故人からメッセージをもらうか、みたいな感じ。

守護霊って誰にでもいるというけど、スターとか有名起業家とかはその数も多いんだって

応援隊みたいなもので何かあったとき助けてくれる存在から守護霊の数が多い人は常に大勢から応援されアドバイスされ、

なんか困ったときにも救いの手が無数にあるってことらしい。

それを聞いてちょっと羨ましく思った。

大谷翔平サンには守護霊何人いるんだろ、とか。

で、自分も同行者も守護霊を見てもらった。

同行者には中国人商人3人がついててずっと喋ってるらしい。

同行者は話好きなのでらしくて笑ったけど、その雰囲気を見て言ってるんじゃないかとも思った。

自分は「今見えるのは1人です」って言われてちょっとがっかりした。

守護霊はどこかへ出かけてるときもあるから」って言ってたけどフォローじゃないのかな。

先祖にあたる女の子なんだそうで、絵を描いてくれたらおかっぱに着物で、座敷童みたいだなと思った。

まあそれはいいんだけど、女性ガイド曰く「女の子が、あなたが困っていると言ってる」と。

それで「知らない人から悪口を言われたことはありますか?」と聞かれた。

すぐに思いついたのは少し前にネット上で叩かれたこと。

詳細は伏せるけど、炎上してインフルエンサー個人情報拡散されて、まとめサイトにまとめられて叩かれた結果何が起こったか想像してもらえれば大体合ってる。

正直あんまり思い出したくない話だし、ましてや初対面の相手に言いたくない話なので、自分は「いやー、どうでしょうねー」ってはぐらかしたんだよね。

そうしたらその女性ガイドが、

インターネットの中は念が行き来しやすいです」って言った。

ネットことなんて言ってないのに。

まあ現代で「知らない人から悪口を言われる」状態って、大体インターネットのことかもしれないけどビビった。

なんか自分も生き霊飛ばされてる、みたいなイメージがずっと頭にあったから。

ここからは、その女性ガイドが言ったことの自分なりの要約。

メモとかとってなくて一度聞いただけの要約なので、ちょっと間違ってるところとか、自分勝手解釈しちゃってるところもあるかもしれない。

インターネット世界は目に見えないものだけど、目に見えないものにも念は宿るし、生きる。

大勢の念が集まっているので、それはそのうちに合体・成長して生き物みたいになる。

昔はよく、古い鍋とか皿が妖怪になるって言われたけど、今はインターネットの中に妖怪がいるみたいなものだって

それでその妖怪寄生先を探している。なぜかというと、そのほうが行動しやすいから。

幸せなパワーはパッとその場で散りやすいけど、悪意はジワーってシミみたいに残る。

悪意の念の方が圧倒的に強いので、基本的インターネット妖怪は悪意妖怪

悪意妖怪は仲間を増やすために、寄生先にもっと悪意を書き込ませる。

寄生先は人格を乗っ取られちゃって、今は悪意妖怪ネットの中だけじゃなくて現実にうじゃうじゃいる。

同行者がじゃあ悪意妖怪普通人間を見分ける方法はあるのかって聞いたら、○色と○色を好むようになるって言ってた。

これ何色か書いたら「お前それあのアイコンインフルエンサーのこと言ってるだろ」ってなるから書けねえ。すまん、適当想像してくれ。

Twitter連想させる青とか黒ではない。あまり暗いイメージの色ではない。

あとその女性ガイドから忠告っぽくパソコンの前で「○したい」「○にたい」とか考えない方がいいと言われた。

悪意妖怪寄生先に選ばれるからだそうです。みんな気をつけてね。

自分が叩かれまくったとき「こういうことしてくる相手はどうせ現実世界幸せじゃない」って考えようとしたんだけど、

悪意妖怪の話がマジなら、悪意や不幸は伝染して増えていく一方じゃね?って思う。

キャラ付けプロンプトを書いていたら興奮してきた

生成AI理想アシスタントにすべく、プロンプトとして渡す設定を書き連ねている。

年齢、身長、体型、住む場所普段の就寝時間、起床時間趣味嗜好、口調、について、自分性癖を羅列している。

自分性癖AI解釈できるよう客観的に羅列することそれ自体に恥ずかしさを覚えて興奮してきたぞぉぉ。

メッセンジャーアプリって、、、疲れる。

なんか現代人失格のような気がするけどLINEとか使うと、、、疲れる。

もうやりとりするのがね、億劫で、、、。

これを書いたら、どういうふうに読み取られるんだろう?とか気になり始めると嫌になってくる、、、。

相手からメッセージも、どう解釈したらいいんだ?と考え始めると疲れてくる。。。。。

LINEとかなくなったらいいのに、、、。

  くりんたに対して弁護士代々木総合事務所の、平成29年3月14日に黒羽に旅行して、15日に代々木の新宅に会いに行ったら門番のクソガキに追い返されて交番相談したことがあってね

    もうああいうところはクソガキのマンコの臭いかいでいるので、くりんたのブログに色々書いてあってもウソばかり

   くりんたは平成22年に民事訴訟技術解釈が嫌であるといって、法律の人道的側面ばかりに拘泥し、技術を捨てた女の腐ったような弁護士である

    

   一見無関係指導形象から当該解釈確立されている最高裁判例の部分を1つ指摘して分かりやすいように論ぜよ。

AIとの対話

生成AI議論で頻繁に見かける、以下の流れ。

AI存在肯定派「この部分において、生成AIと〇〇は同じです」

AI利用反対派「〇〇と生成AIが同じなんてありえない何言ってんのバカアホボケ

目にするだけでもアホらしい、反論にすらなっていない事を理解できていない、よくある反AI発言

人間学習AI学習はまったく同じ」と本気で信じている者が居たら、バカだと思うだろう。同じことだ。

あくまでも一定の条件下で特定観点から見ると、という話でしかないのだ。

反生成AI活動家急先鋒カーラ・オルティス女史は、生成AIの出力を「21世紀コラージュ」と見做す。

生成AIは、さまざまな作品から拝借切り貼りしている<ように見える>

厳密に、技術的には違うとしても、そう見える。故に「21世紀コラージュ」だと言っているにすぎない。

コラージュという技法抽象化し、比喩に使っているだけなのだ馬鹿でも理解できるように。

しかし便乗しているだけの反AIは、ここが理解できない。

生成AIの出力を「単なる合成、切り貼りコラージュ」と公言して憚らない。みんながそう言ってるから

学習データの一部が<実質的に>復元できてしまうことと、単なる圧縮解凍区別も出来ない。

生成AI文明から排除するために誇張された言葉を、すべて鵜呑みにしてしまう。

「生成型検索エンジン」という造語がある。StableDiffusionの顔、Emadの言葉だ。

これは「いままでは画像必要な時に検索していた。しかしこれから検索するかのように生成する時代が来る。生成AI次世代検索エンジンだ」という意味で、ターゲットであるビジネスマンに向けた造語である

しかし反AIは知性が無いので「生成型検索エンジン検索して切り貼りモデル学習データのものを保存=やっぱりコラージュだ」と、ここでも誤った解釈をしている。

最低限の学が備わっている者ならば、早々に見切りをつけたことだろう。救えぬものじゃと。

事実、反AIの中でも理解力の高かった者は次々と脱落していった。

自身から湧き出る要求自己中心的で、何を言ってもどこかでダブルスタンダードになってしまうことに気づいてしまったのだ。

部分的に、ある側面から見れば同一である」事に理解を示してしまうと、生成AI全否定しか許されない村から追い出されてしまう。反AI村に居たいなら、黙るしかない。

そうして濃縮されたものが、今の反AIである

言葉が通じない相手と、どうして対話ができようか。

2024-05-05

追記ありFGOで今やってる「魔法使いの夜コラボ」が最悪な件について

追記ここから

魔法使い」について知らんかったか自分なりに掲示板とかで調べたけど

要は型月の世界FGO以外も含めて枝状に分岐してる世界があって

その並行世界の先の全てが最終的には積んでるから宇宙移民する世界線を1つでいいから作る必要があって

蒼崎青子は「宇宙移民を目指せる可能性がある世界人類絶滅フォローする」っていう立ち位置なのはわかった

ただ宇宙移民とかカルデアの全員は誰も望んでないし考えてもない

逆に言うと人類が残り10名以下になるような事態でも異聞帯を巡る事でストームボーダー含めて色々と充実してるFGO世界はまたとないチャンスって見ていいとして

世界剪定とかしてるのって魔法使いサイドじゃねーかそれって思うんだけど

まりゲーティアとか異星の神を上回る敵じゃん

やろうとしている事が数世紀後だか数千年後だか知らんけど人類が積む事のない世界線を作ろうとしてて

でも独力ではORTかに勝てるほど強くもなくて

地球を捨てると言うか脱出する為に世界ガチャ回して世界線の育成してるようなモンじゃん

共感できないとかそういう意味で「蒼崎青子はすごい」ってよりも「蒼崎青子は敵チームの一味」って感じてしま

今回のコラボも青子がもしも暴走したプロイキッシャー倒せないなら倒せないでこの世界線をこれ以上伸ばすのは諦めようって上位レイヤーから判断されて終わっちゃうワケで

そういう視点で考えると今回のコラボってトンチキイベントの皮被った世界観の迂遠な補完であって今まで潰してきた異聞帯を剪定するように要らないって判断した上位存在達の傲慢みたいなのをすごい感じるんだけど・・・

イベントからって思考停止する方が間違いなんじゃねえかなって

追記ここまで】

FGOでは今、型月原作コラボとして魔法使いの夜コラボなるものをやっている。

これが最悪なのだFGOを語る各種掲示板では絶賛されていて意見封殺されるのでここで筆を取った。

コラボについて要約すると

コラボ先の主人公である蒼崎青子FGO主人公を彼が所属している組織カルデア丸ごとと比較して個人で圧倒する程の超存在である

という事が未履修のFGO以外興味無い民にもわかるように丹念に描写されているコラボだった。

じゃあFGO主人公ってなんなの?っていう

FGO主人公が失敗して人理修復失敗してもその時になって動き出す人達いるかFGO主人公のやってきた事は警察のお世話になる前に自警団でなんとかしようレベルの話だったって事?

そしてこの「魔法使いの夜主人公」なんだが死んでもギャグっぽいノリで復活してくる

今までFGO主人公対峙してきたクリプターという魔術師達はたった1つの命をどう使うかでエゴだったり愛だったりでドラマを見せてきた

そのドラマをないがしろにするような勢いで「死んでも別の時間から自分がやってきて特異点解決すれば辻褄はあう」というノリで加わってくる

そしてしまいにゃ青子が独力で2年間も時間軸を固定化してた事がわかってしま

FGO主人公レイシフト1つするのに組織施設大勢職員の手を借りないとできないのに青子は手ぶらで軽い気持ちでできてしま

・青子は死んだとしても別の時間から干渉してくるから個の死が即座に意味をなさな

・青子はFGO世界に介入できないとかの設定があるわけではなく特異点からFGO主人公ストームボーダーに復帰する前に先回りしてやってきてしま

この3点の設定による過去主人公持ち上げって不快しかねーよマジで

あと、まほよコラボさぁ

出てくるサーヴァントが「日本人男子高校生1名」そんだけ

他出てくる人みーーーーーんな2001年だか1999年日本富山県に来てた存命人物ときたもんだ

FGOに出てくる英霊の子孫とか聖杯戦争参加者親族とか空の境界関係者だったりしてみんなサーヴァントじゃねえの

こちとら歴史上の偉人とか大昔の小説演劇キャラの型月解釈楽しみでFGOやってんの

なーにが悲しゅうてサーヴァント登場0の平成温泉宿物語読ませられにゃならんのだってのと

FGOの他の章に比べてやけに豊富な絵素材と立ち絵があって気合いの入れ方全然違ってて

なんだこのクソコラボは!!!

って思ってたのにめちゃくちゃネットでは好評で

はぁ????ってなりました

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