はてなキーワード: 部員とは
さいごに見たあなたの姿は、地元のターミナル駅から北へ向かう下りホームへ向かう階段を降りていくところだった。
あなたの住まいはその列車の終着駅で、今住んでいるところでも、通勤で使う大ターミナルでも私はその駅の名前を目にする。
「全く行ったことのないところでも、終点の駅の名前は人の記憶に残る」なんて誰かが言っていた。
高校三年が終わる春の夜、部活のお別れ会が終わって名残惜しく改札で話をしていた。私が高校二年のときに思いを告げてからあなたとは会話をすることがなくなった。女ばかりの部活のなかであなたは複数の女子から恋心を寄せられていた。あるときあなたは、「おまえのことを好いてる人がいるんだって」と部員の1人から告げられると顔を真っ赤にして部屋から出ていき、少しして戻ってきて「僕は誰かから想われたことがないから照れる」なんて言ったらしい。
23歳になり、もう6年も前のことになるのに私が告白したあの日のあなたの困った顔が思い起こされる。「好き」と言われて嬉しい相手じゃなくてごめん。私からの好意は気持ち悪かったんだろうな。私も私で、好きという気持ちはうずたかく、しかし自分に自信がなかったし「付き合ってください」という発想には至らなかった。ただ「好きです」と伝えただけ、そしてあなたはストイックできっと女性にそんなに興味がない。
下世話な話だが、彼は自慰をするのだろうか。声変わりはしていた、と思う。ああ、もう最後に会話して4年以上も経ってる。もう声も思い出せない。あんなに大好きだったのに。全く声を思い出せないことがいたく寂しい。人を忘れるときは声から忘れていくって本当だったんだな。女性に対してそれほど興味がない様子だったが、大学に入って彼女とかできたのだろうか。まだ童貞なのだろうか。理知的で文化と歴史を愛するあの人のことを、その終着駅の名前が想起させ忘れさせてくれない。
会議の途中で「あ、これgdgdで終わるやつだ」と感じる瞬間に似ている。
(背景としては今年の異常な猛暑と、オリンピック問題と相乗したことで話題が大きくなっているのでしょう。)
熱中症の被害者が出ても、夏の甲子園が絶対になくならない事情 (1/7) - ITmedia ビジネスオンライン
熱中症、日射病の疑い7人/甲子園 - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)
まず、「今までも大丈夫だったからこれからも大丈夫だろ」派 vs
「今までもダメだったから対策すべし」派 + 「今年は猛暑だから中止か、特別対応すべきだろ」派
調べてみると、確かに結構前から甲子園と熱中症の問題は議論されている様子。識者からすれば「今更」なのかもしれませんね。
結局は今年も普通に開催されたわけですが、慎重派の懸念通り体調不良者は出ているようですね。
私個人の意見としては来年以降、何かしら追加の対策を期待します。
健康面はもちろんですが、気候のせいでパフォーマンスを落とすのはアスリートとして望ましくないでしょう。
目にした対策案としては「時期をずらす」「時間をずらす」「ドーム開催する」など。
良いと思います。が、地方大会も含むとかなり大規模な大会なので、「簡単に言ってくれるなぁ」という意見もわかります。
甲子園 熱中症対策で試合中に初の休憩と給水 | NHKニュース
↑こういうのでもいいんですよ、できることから改善して欲しいところ。
後述するコミケ問題にも関連するのですが、参加する本人の自由意志に関する論点。
確かに、高校では部活は任意参加のはず。大会にも自分の意思で参加しているのだから、
体調不良になろうと自己責任というロジック。なるほど、一理あります。
一方で強制参加という考え方。まず甲子園大会に巻き込まれるのは野球部だけではありません。
応援に駆り出されるブラスバンド(吹奏楽部)や一般生徒(私も経験あります)はどうでしょう。
野球部と吹奏楽部に関しては晴れの舞台なので承知の上とも取れますが、
仮に体調面に不安のある部員がいて「甲子園は参加したくない」と思ったとして「甲子園だけは不参加」が通るのでしょうか。
通ったとして、この日本という国でその後不利益を被らない保証はあるのでしょうか。
そもそも、高校生とはいえまだ子供。そこまで自己主張できるのでしょうか。
単に高校で野球や楽器がしたく部活に入るだけで健康リスクのある大会に駆り出される、と考えると問題はありそうです。
(ちなみに一般生徒だった自分は応援に強制参加だったと記憶してます)
と、ここまではいいんですよ。ちゃんと議論になってて、どちらの意見も理解できます。
問題は次。
これがさっぱり分からない。
ブコメなど見ていると、「オタクは野球部が嫌いだから甲子園を潰そうとしている」という意見が散見されるのですが、
これって何か元ネタになる人とか記事があるんですかね?唐突感がすごくて最初2度見しちゃいました。
私も漫画やアニメはよく見ますが、周りで野球をそこまで憎んでいる人間は知らないです。
というか、「野球回」があるのはコメディ系の作品あるあるですし、オタクが一番好きなスポーツは野球、まであるでしょ。
なぜこのような対立に持ち込もうとしているのかがよく分かりません。
コミケ #C94 倒れて運ばれる人が続出 - Togetter
で、次に出てくるのが「コミケも熱中症対策できてないからオタクの甲子園叩きはダブスタ」論です。
論点2 の自己責任論の延長と考えれば分からなくもないのですが、「だから甲子園もOK」とはならないですよね。
そもそも気になっていたのが「甲子園熱中症議論は誰のためのものか?」という点。
私は当然、高校生の健康のためだと思うのですが、どうもオタク対立を煽っている人にとっては
甲子園という「システム」(もしかすると「娯楽」)に対する「攻撃」だと捉えている節があるように思います。
だって、「コミケの熱中症対策をして欲しい」というのは参加者や参加サークルのためになるもので、
彼らオタクから出てくるはずの言葉です。自身のためなのですから、それは「自己批判」ではなくただの「要望」。
これが不統一でも、普通ダブルスタンダードとは呼ばないでしょう。
念のため書いておくと、私も甲子園と同様、コミケでもできる限りの対策をすべきだと思います。
視点を戻せば、「甲子園も当事者である高校生の意見を一番に聞くべきでは?」とも言えますね。
ここまで甲子園問題で大人が熱くなるのは、あくまで子供の健康を気にしてのこと、だと私は思っています。
気付くとすごい長文日記になってしまいましたが、だいたい思ったことはまとめられました。
論点3 のあたりで強く感じたのが、甲子園に対する崇拝といいますか、アンタッチャブルな雰囲気です。
大相撲の土俵上で、救護のシチュエーションにも関わらず「女性は土俵から降りなさい」とアナウンスした男性が頭をよぎります。
甲子園(夏の高校野球全国大会)ってなぜくそ暑い真夏の昼間に... - Yahoo!知恵袋
↑かなり前の記事ですし極端な人間だとは思いますが、このベストアンサーみたいな人もいるんですよね・・・。
はっきり言ってあなたの思考は原理主義に凝り固まりすぎている。
不必要なほど高い権威意識のせいで、物事の良さを柔軟に汲み取ることができない状態にある。
作中の言葉でいえば「ノイズに心の傷を広げられている」ような状態だ。
その「傷」を言語化するならば、
"音楽に対する思いが強いあまり、それを扱う他者を不誠実だと唾棄し、批難して憚らない精神を内面化している"という所だ。
作中にあなたとまったく同じ「傷」を抱えている少女は今のところ登場していないが、
それと似たような感じでネガティブで頑固な思いに囚われ、
そしてそれが部員とのやり取りの中で「救い」へと昇華されたストーリーはいくつかある。
そこまで熱心に批判をする気概があるのなら、実際にプレイし読み進めてもらえれば、
必ず響くシナリオを見つけられると思うし、それがあなたの救いにもなるはずだ。
既プレイ者からすると、編成についての批判などはすべて的外れで、
作中の状況や器楽部という部活の特殊性を理解していないから生まれる意見だと感じる一方で、
納得させる簡潔な文章を書くのは非常に難しいとも感じる。
だから何度も言うようだが、批判を続けるのならメインストーリーを可能な範囲で読んでからにしてほしい。
5幕の終盤くらいまでは一気に進めるはずだ。
過去に行われたイベントストーリーなども、当時のメインストーリーの進度と同期して登場人物の振る舞いが変る等があり、
批判のためにそれも見たいということなら、個人的に撮りためたものをアップしようと思うので言ってほしい。
YouTubeを漁れば一部アップされているものもあるが、全部はないと思うので補完が必要だと思う。
先ほど納得させるのは難しいと言ったが、一点だけ説明してみようと思う。
器楽部というのは、吹奏楽部やオーケストラ部のような形式張った伝統的な部活の常識に囚われない、
楽器を使ってパフォーマンスを行う部であり、定演などもあるが、主な活動の場は学内行事と、地域のお祭やイベント、幼稚園での音楽劇だとかになる。
部員には世界レベルの実力をもつ設定の子も数人いるが、あえて初心者とも混じって「楽しむ」ことに主眼を置いた部活をやっている。
つまり、コンクールなどの高みを目指して切磋琢磨する系の作品とはまったく主旨が異なるという事だ。
ららマジというコンテンツがある。「キミと奏でる、音と魔法の学園RPG。」だそうだ。こんなこと言ってる時点でもう丸わかりだが、完全なる未プレイのままこれを書いている
そして自己紹介をすると、クラシックオタである。オタクと言ってもどれくらいかという話だが、バッハからギリギリウェーベルンまでと言った感じである
(ルネサンスの完全ポリフォニー音楽は正直よくわからんし、ウェーベルンで十二音音楽がギリギリって程度で、ベルクとか分からんし、セリエル音楽とか完全にダメである)
まあ要はクラシックオタとしては及第点ぐらいなのではないかという感じだ。自分で思っているだけだが、流石に新ウィーン楽派必修はキツすぎるしこんなもんだろう
そして、ららマジの存在は知っているのだが、それ故に全く手を付ける気になれない
要はミリヲタが艦これに文句つけてるアレである。知ってるとどうしたってアラが見えてしまうのだ
というわけで以降アラをあげつらう。ただ、最初に書いておくが、クラシックを題材に据えてくれたことそれ自体には感謝したい。大概な過疎界隈なので…
まず最初に引っかかったのがこれである。ワグナーチューバ専がいたのだ。おそらく人類初のワグナーチューバ専の演奏者ではないか?
どういうことか説明する。ワグナーチューバとかその名の通りリヒャルト・ワグナーが導入した楽器である
問題はその役割である。ワグナーチューバというのは、端的に言うとホルン奏者が持ち替えで吹くチューバ、要は補助楽器なのである
まず楽曲に登場する際もその様な管弦合奏の中での役割しか無い。無論ワグナーチューバの独奏曲なるものも地上には殆ど存在していないと思われる
ワグナーチューバ専の彼女が何の為に生きているか深刻に謎なのだ。もっと彼女の存在意義を明らかにして欲しい
単にワグナーチューバがちょっと奇を衒ったチョイスだと思ってこんなことをしたのなら…正直それは最もオタクが憎むところである
さっきの発想を拡大していけば自然とこういう結論が導き出されるのだ
まず編成が滅茶苦茶である。ワグナーチューバは勿論だが、なぜか胡弓がいる。譚盾でもやるのか?
ピッコロ・フルート奏者と、ファゴット・コントラファゴット奏者とそれぞれ別々ににいるし、オーボエもいないのになぜかイングリッシュホルンがいる
というか弦楽合奏の縁の下の力持ち、ヴィオラがいない。クラシックやる気ねえだろお前
まず、各楽器一人づつしかいないのが致命的におかしい。これで合奏なんかできるわけないじゃないか
一応確認してみたが、弦楽合奏はヴィオラが居ないのでまずどの編成も無理だし、金管五重奏をやるにはチューバがいないし
オーボエも居ないので木管五重奏も出来ない(イングリッシュホルンの奴を強制的にオーボエに持ち替えさせればイケなくはないが)
率直に言ってこの部活、端から演奏活動をする気があるとは思えないのである。演奏活動をしない音楽部ってなんだ?
まだ楽器弾けないクラシックオタが放課後に集まって一緒にクラシック聞く方がよほど真面目に部活動してると言えそうである
まず何のチューナーなのかが全く聞こえてこない。そこ、いちばん重要な情報である
…が、状況を見れば十中八九ピアノの調律師であろう。そうすると次の問題が出てきて、器楽部なんかで遊ばずにピアノ調律師の専門学校へ行けということだ
ピアノの「チューニング」自体は、実は器具さえあればクソ簡単である。あれは打弦楽器であり、本質的にギターのチューニングと同じなんだから当然だ
ピアノ「調律」のミソはピアノ全体の調整、とりわけハンマーの調整である。逆にここは素人が立ち入れるところでは全く無い
というかピアノ調律師は国家資格なのである。苟もこんな場所で遊んでいる暇などないはずなのだ
(ただ、ピアノ調律師なのではないかという推測は、チューナーくんがあれほどモテモテな事実への一つの根拠となる気がしている
ピアノ調律師はピアノ全体の調整をやらなきゃいけない都合上、一定程度のピアノ演奏の腕を持っていると考えていい
…そうピアノ奏者である。室内楽をやりたい器楽部に致命的に欠けていたピアノ奏者がここにいるのだ
ピアノとの二重奏による室内楽ソナタというのは各楽器に果てしなくあり、というかほぼその楽器の独奏曲レパートリーと言っていい
ピアノ演奏ができる、そして部員としてそれぐらいしかすることのないチューナーくんは引っ張りだこになること請け合いなのである)
ここまではららマジの方に100%非があることだと思っているが、これはららマジの方の非が50%、この増田の方の非が50%ぐらいだと思う
その前置きをした上で言うが、ららマジの曲チョイスはクラシックへの愛が欠片も感じられず、はっきり言って嫌悪感がするのである
Act 1「いばら姫」:バレエ音楽「眠れる森の美女」(チャイコフスキー)
Act 3「どうにもとまらない」:「どうにもとまらない」(山本リンダ)
Act 4「マイフェアレディ」:ミュージカル「マイ・フェア・レディ」(フレデリック・ロウ)
Act 5「ある晴れた日に」:歌劇「蝶々夫人」(プッチーニ)
Act 7「マランドリーノ」:喜歌劇「怪盗団/山賊の仕業」(スッペ)
Act 9「美しく蒼きドナウ」:「美しく青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス2世)
Act 11「ハッピーアンバースデイソング」:映画「ふしぎの国のアリス」(オリバー・ウォレス)
Act 12「カノホナピリカイ」:フラソング「カノホナピリカイ」(ケアリィ・レイシェル編曲)
クラシック好きと言うのはガチの選民思想的なところがあり、こういう事をされると相当カチンと来るのである
そんなPOPなチョイスしたいなら吉松隆でも選べばいいじゃないか
数少ないクラシックのチョイスにしても、スッペの怪盗団を選んだ所以外全く評価できるところがない
24の前奏曲から第15番を選び、更にそれに「雨だれ」の題名を冠するのとか最悪である
今どきベト5を「運命が扉を叩く音」と言い出すぐらい古臭い最低なセンスである
音楽を、ただ音楽それ自体を聴いてくれ。エピソードはそれをやったもののみが語るべき要素である
自分の置かれている環境が良かっただけ、という話かもしれない。
自分の性的指向が周りと異なっていると気づいたのは小学4年生のころ。戯れにクラスで1番かわいい女の子の首を締めていたときにそれまでにないくらい興奮して、そこから女の子にばかりドキドキするようになった。特殊なプレイとともに性の目覚めを迎えたわけです。
小学生の頃は同級生の女の子のことが好きで、恋バナになるたびにその子のいる目の前でも名指しで好きだと話していた。
付き合ってもいないし告白するでもないのに、本人の前で堂々と好きだと公言することについては周りから引かれてた。他の子からその子との空気が悪くなるから本人の前でその話をするなと注意されたことはあるけど、好きな相手が女の子だからという理由で何か言われたことはない。
中学生の頃は部活の下級生と付き合っていて、周りにもオープンにしていた。
他の部員もいる部室でキスしたり胸触ったりしてたから周りからは呆れられていた。先輩から過度なスキンシップは風紀を乱すし純粋に人前でエッチなことするのは気持ち悪いから部室とか他の人がいる場所でするなと注意されたことはあるけど、女同士でいちゃついてるからという理由で何か言われたことはない。
高校生の頃は歳の近い先生を好きになりすぎてあからさまな態度をとってしまい、同級生とか教師にもその先生のこと好きだとバレていた。
テストの結果的には受けなくてもいい新任教師の補習授業を受けたり、仮病で先生の車に乗せてもらったり適当だった。友人からは先生の半ストーカーと化していること、他の教師に行為がバレるくらい露骨な態度をとることについては気持ち悪いと言われたけど、女と付き合ってるからとか女が好きだからという理由で批判されたことはない。
大学生の頃は、って書こうとしたけど大学時代は人との関わりがほぼなかったから差別されるも、虐げられるもないわという感じで割愛。
社会人になって、面接とか自己紹介ではわざわざ自分のセクシャリティについては話さないけど、親しい同僚とプライベートの話になったときは普通に彼女がいることとかを話す。
自己紹介とかで言わないのは、セクシャリティがアイデンティティになっているわけじゃないし、ヘテロに置き換えたら「自分は男好きです」って初対面の相手に語ってるようなものだから恥ずかしくて言えない。
親しい相手に「付き合ってる人いるの?」と聞かれたときに嘘をつくのは心苦しいし、誤魔化すのも余計な追求が面倒だから、直接聞かれたら高校時代の先生で〜という馴れ初めもちゃんと答えている。今のところ「女同士でどうエッチするの?」という下品な質問もされたことないし、そういう人とはそもそもプライベートな話はしない。
小さい頃から今まで、もしかしたら影であいつレズなんだってきもいみたいに噂されていたかもしれないけど、自分の耳には入ってこなかった。好意が突っ走った結果の周りを顧みない態度とか、それはストレートの人でも気持ち悪いわという言動は注意されたり引かれたりしたけど、同性が好きだからという理由でネガティブな反応をされたことはない。友だちもそこそこ多い方だと思うし、割と性的指向をオープンにしてても女の子と普通に一緒にお風呂入ったりとかできてる。
自分がたまたまラッキーで、周りの人が良い人だらけなだけかもしれないけど、社会で言われるようなLGBT差別的なものは身をもって感じたことがない。ゲイコミュニティに属してもいないからLGBT差別がよくわからない。
とあるスポーツを大学の体育会でやっていた。自分の中で消化するためだけにここに書いておく。
大学2年生のとき、突然「コーチ」と名乗る存在がやってきた。彼はそのスポーツの「プロ」だった人間であり、現在は引退して家業を手伝っているという。
元来、大学の体育会系部活動ではそのOBらが監督・コーチといった名目で携わるケースがほとんどで、自分のいたような、名目こそあれどほとんど顔を出さないOB達の方が珍しいだろう。この際その良し悪しは言及しない。現に自分は、学生に裁量を与え、責任は取ると言っていた初老の監督が好きだった。
新しく来た「コーチ」の歯に絹着せぬべらんめぇな物言いが当時の自分には珍しく、また少し苦手だった。
彼も自分と二、三の会話をして、自分との相性は良くないと悟ったと思う。
彼は勉強熱心なコーチだった。「コーチング」を学び、自分たち部員で実践をした。
彼は自分がプロの道を途中で諦めた事から多くの経験を得たのだろう。学生達にはしきりに以下の言葉を繰り返した。
プロの選手になる道は厳しいので、諦めた後の道も考えておくこと。
自分はこれが間違っているとは思わない。むしろ有難い指導だったと思っている。だが次第に彼の指導は「プロ選手を目指す奴は馬鹿」「現実を見ていない」そして「俺の言うことを聞かない」に変わった。
元々は学生が主体となって運営していた部活動だったので、彼に意見する者もいた。だんだんとそういった部員達は居場所をなくしていった。実力があるのに自ら辞めた部員もいた。自分を曲げず、部の中で半ば干されながらも、意思を貫いてプロに挑戦した者もいた。
世間知らずの馬鹿者が、彼の神経を逆撫でしたのは間違いない。今思えば彼のやり方を真っ向から否定せず、もっと良い言い方もやり方もあったはずだ。今考えれば明らかに自分が未熟であり恥ずかしい限りだが、当時の20歳だった自分はまだ、大人には純粋に本心でぶつかり合えば、向こうもまた本心でぶつかってくれると信じていた。
返事はなかった。代わりに上級生による明らかな「シメ」が始まった。挨拶をしてもらえない。練習に参加させてもらえない。睨まれる。雑用を押し付けられ、出来栄えに文句を言われる。競技に関するレポート作成を求められ、内容について晒しあげられる。後から全て彼の指示だと分かった。絶望した。それまで部のためにと思って活動してきたこと全てが意味のないものに見えた。周りの部員が皆敵に見えた。
その頃はちょうど大学3年に差し掛かっていて、就職活動が真近に迫っていた。悲しいかな、自分の大学生活には部活以外何もなかった。社会に出て、新しい世界に飛び立つためには、自分はこの部活に居るしかない。歯を食いしばって部に残った。
就職活動では、部活のいい面を切り取って話した。大嫌いな部活を良いように語るのは辛かった。「貴方は本心でそれを話してる?」と言われたこともある。ハッとした。それ以降は嘘はつかず、部活の嫌なところは素直に話した。過去ではなく未来のことを考えるようになった。最終的にはご縁があり、世間様から見てもそれなりに見劣りしない企業に内定を頂いた。
大学4年生になり、最高学年になった。彼は当然のように自分にも甘くなった。最高学年として下級生をまとめるための彼流の教えをたくさん吹き込むようになった。OBの前でも「学業と部活動を両立させ就職も決まった模範生」として紹介されるようになった。
同級の部員がキャプテンになり、彼と毎晩のように電話で連絡をを取り合うようになった。優しかったキャプテンはある日「あいつシメよう」と言って、気に入らない部員をコンクリートに1時間正座させようとした。自分がそれは違うと言うと、怒ったように部屋を出て行った。溝は決定的になり、卒部まで埋まることはなかった。卒部してから、彼とも、キャプテンとも、縁を切った。
彼が部活に現れてからの3年は本当に辛かったけど、最後までやり切れば何かが残ると思っていた。数年たって思い返してみても、この時の記憶は灰色で、何かが残ったとはとても思えない。
就職先は非常に素晴らしい企業であり、入社できたことに心から感謝している。自分が部活を辞めなかったから内定がもらえたのか?それはいまだに分からない。ただもう一度大学生活をやり直せるのであれば、自分は違った選択をしていたんじゃ無いかと思う。
当時はいかに自分を壊さずに守るかだけを考えていたので、後輩たちにも心からの指導をしてあげることができなかった。守れなかった後輩が何人もいた。それだけを今も悔やみ続けている。
5chの実況板やニコニコ動画では“女性のリアル”を楽しんでいる人が多いのではてなから離れてみては?
はねバドの渚がスランプに陥って部員に八つ当たりするシーンでは「まままま、ま~ん(笑)」「これだから女はw」「女ってこうだよなw」といったコメントが多く見られましたよ
また場所を変えるだけでなくアニメから離れるのもおすすめです、特に実写のパニックモノやホラーモノ
女が女をいじめるシーンや女が男を醜く罵倒したり陰口を叩くシーンがかなりの高確率で出ます
増田も実況民と一緒に「これこそがリアルの女の姿!」と叫んでみてはどうでしょうか
ただ脚本家や監督は男性であることが多いので女子トイレで女が女をいびるシーンなんかが想像なのか実際に目にした体験から来ているのかは分かりませんけどね
少年ジャンプが創刊50年(週刊として49年)と聞いたので何か調べてみようと思った。人気がなければ10週打ち切りも珍しくないジャンプでおよそ2年以上の連載,単行本にして10巻を越えればそこそこのヒットと呼べよう。2018年7月14日現在において単行本で10巻を越えた作品数は,年代別には次のとおりであった。
年代 | ヒット作数/連載開始数 | 10巻 | 20巻 | 30巻 | 40巻 | 50巻 |
---|---|---|---|---|---|---|
1960年代 | 3/26 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 |
1970年代 | 25/159 | 15 | 7 | 1 | 0 | 2 |
1980年代 | 29/152 | 15 | 7 | 4 | 2 | 1 |
1990年代 | 28/128 | 12 | 7 | 6 | 1 | 2 |
2000年代 | 29/115 | 11 | 11 | 3 | 2 | 2 |
2010年代 | 15/102 | 9 | 4 | 2 | 0 | 0 |
全年代 | 129/682 | 64 | 37 | 16 | 5 | 7 |
ヒット率は60年代…11.5%,70年代…15.7%,80年代…19.1%,90年代…21.8%,00年代…25.2%,10年代…14.7%(2010~2016…18.3%),と確定していない10年代を除いて右肩上がりに伸び,連載開始数は右肩下がりになっている。粗製乱造から脱却し,狙ってヒットを打てるようになったことがうかがえる。
10巻以上30巻未満の作品数は70年代から順に 22, 22, 19, 22,(13),と極めて安定している。30巻以上の作品数は70年代から順に 3, 7, 9, 7,(0),となっている。最近のマンガは巻数が長大化しているという声をしばしば耳にするが,少なくともジャンプ作品については適当な批判ではないように思われる。
年別の詳細は以下に記す
※作者名等は割愛
※「父の魂」「はだしのゲン」「べしゃり暮らし」のように途中から週刊少年ジャンプ以外で完結した作品があるが,他レーベルの単行本の巻数についてもそのまま取り扱う
オリンピックと同じ、出場機会を別々の大会で確保するという方式で、私自身は女子野球があればそれでいいと思っている。
しかし、女子マネ批判や今回のニュースのように、男子と全く同じ大会に女子部員も参加させたほうがいいと考える立場もあるみたいなので。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180712-00265421-nksports-base
下手したらグリッドガールみたいな役職が新たに爆誕するリスクはないの?
女人禁制も時代遅れなので、女子も男子と全く同じように甲子園に参加する。
しかし(フェミニストも認めるように)平均的には肉体面で男女には埋めがたい差があるので、男女混合チームでも活躍するのは男子ばかりになってしまう。
しかし男子ばかりに活躍の場が与えられると結局元の甲子園と変わらないので、女子でもなんとか活躍できるポジションを準備する。
しかしボール拾いやチームの雑用を任せるのはあまりに選手との落差が激しいので、性役割が分かれてしまうことを覚悟で、目立つ機会の多い応援ポジションを女子に割り当てる。
全く分かってない。
ここが問題。汗臭い球児の群れに制服の女子高生を放り込んだら選手一同がギンッギンに勃起して試合にならない。全員前かがみで何をするつもりだ?何もできないだろ。股間のバットを振る事を一般的にはスポーツと呼ばない。審判の判断は概ね正しい。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180712-00265421-nksports-base
日刊スポーツの記事では「女子」が試合中にグラウンドに上がったことがいかにも異例で問題のあることのように書かれているが、
https://www.sankei.com/sports/news/180712/spo1807120036-n1.html
”県高野連の規則では伝令は選手が行うと定められており、高野連側は長沼に「次からは特例として捕手をベンチ前に呼んで伝えるように」と注意。”
産経新聞の記事を読んでわかるように今回の件は男女問わず選手ではない記録員が伝令を行ったことが問題とわかる。
ブックマーカーたちの野球嫌いは今に始まったことではないが、他人を糾弾したきゃ事実ぐらい確認してからにしないと恥かくだけだぞ。
追記)
ちなみに福島県大会の規則では女子でも試合前のノック等でグラウンドに上がっていいことになっている。
( 3 ) 各種県大会のシートノック時の、ノッカー補助員を3名まで認める。ただし、
きちんとしたユニホーム姿であること。(シューズ並びに自チームヘルメットを
着用する。)
また、女子マネージャーについてはトレーニングウェアであること。
http://www.fks-kouyaren.com/renmeikankei/kisoku/taikaikitei.pdf
友達が部活(文化部)のことで悩んでいた。大会が迫っているのに、部員が学校を休みがちなのだと言う。そして、友達はそもそもなぜ学校を休むのか意味がわからないとも言っていた。ここから話は学校を休むことの是非に移る。
私は中学校に半分ほどしか行かなかったので、学校を休む気持ちはそれなりにわかる。「精神的にしんどいから休むんじゃない?休むことで部活に迷惑をかけるのは良くないけど、学校を休むこと自体は悪くないと思う。きつかったら休むのが正常」と伝えた。
それに対して友達は、「精神的にきついといって学校を休んでもどうしようもないから、休むんじゃなくて問題解決の努力をするべき。私はそうしてきた。それにそんな考えでは社会に出てからやっていけない。」という旨のことを言っていた。
まあそうなんだけどさーーーーーーーーーきつかったら休むよねーーー休まないのが普通と思ってる社会がおかしいんだってーーーーーー
でも、そういう考えの人が社会では多数派で、うまくやっていくんだろうなあと思う。その友達とは話も合って考えも似ていると思っていたので、まあまあショックを受けた。やるせねえよ。社会が悪い。
中学の時に運動部員に集団で虐められた俺は、というか俺自身も同じ運動部員で部活中にしつこく虐められたんだが、その日切れて暴れた。
切れていても素手じゃとても敵わないって判断力は残っていて、椅子や掃除用具や文房具を振り回した。
運悪く、部員の一人の片目が傷ついて、医者の最初の見立てでは視力が一生メガネやコンタクトでも補正できないほど低いままになるかもしれない、好きなスポーツを続けるにしても相当のハンデになるだろう、という話になった。
運良く、そいつの視力は健常に戻って、俺は心底ほっとして、心底暴力が怖くなって、自分が暴力を振るわれることも他人に暴力を振るうことも徹底的に避けて生きようと誓って、その通り今まで過ごしてきた。
仁藤 夢乃 - 今日の14時半ごろ、渋谷から山の手線に乗っていたら、私の前を6歳の女の子が通り過ぎた。そのあとすぐ、... | Facebook https://www.facebook.com/100002499840432/posts/1793406944085950/
3人いれば捕まえられると思ってその人たちを選んだのだが、「いやあ、僕たちにもこれから仕事があるんで」と、真顔で断られた。ショックだった。
(……)
一人になると、「なぜ、30代と思われる3人組のサラリーマン風の男性たちは、助けてくれなかったのだろう。目の前で幼い子が怯えているのに、なぜ。なぜ車内にいた他の大人たちは、あの行為を目撃していた男性たちは、誰も助けてくれなかったのだろう」という思いでいっぱいになって、涙がでそうになる。
(……)
この人は
「痴漢と同等の腕力を持つ男がそれも複数いたのだから痴漢一人の制圧などたやすいはずだ、そんな簡単なこともやろうとしない理由は男たちが女子供の性被害の訴えを軽く見ているからだ」
みたいな発想で男たちに不満を感じてるんだろうけど、それは間違いで、男たちが動かなかった理由は暴力への恐れだと断言できる。
たとえこちらが男多数で相手が一人のショボくれたオッサンだったとしても、追い詰めたらどんな反撃をされて一生残る障害を負うハメになるかわからない。
中学生でも大人と変わらない体格だったいじめっ子の目を小学生と間違われる体格だった俺が潰しかけたように。
いや、むしろ逆の恐れの方が強くて、痴漢を取り押さえようとして重度の障害を追わせたり、最悪殺してしまうかもしれない。
暴力をほどほどに使って犯罪者を制圧できるのはそのための訓練を受けた警官だ。
素人にできるのは切れて相手に大怪我をさせるか、切れた相手に大怪我をさせられることだけだ。
ほとんどの男は素人の分をわきまえているから「痴漢を捕まえて! あなたちは男で数も多くて強いのだから簡単にできるでしょ!」と暴力の恐ろしさを半分しか知らない女性に煽られても関わりを避ける。