はてなキーワード: 進学校とは
突っ込んでみる。
公立でも推薦はあるが一部の特殊な学科だったり、結局スポーツ推薦っぽいものだったり。
地域トップ校で推薦で行ける所なんてあるのだろうか?あるならすいません。知りませんでしたが。
ただ、公立高校で地域内から行くのに、トップの進学校なのに「推薦」って意味が分からないけど。
なんで学力じゃ駄目なん?
でそこの文章は元増田の文章がおかしいってだけで、無理やり読み取れば、推薦の話は海上技術学校だろう。そう書いてるし。
そんで、トップ進学校に余裕で行ける学力で他の学校へ推薦が難しいとかが意味不明、と言ってるだけ。
その両方に推薦で行くって話してるなら更に意味不明。何が言いたいのか分からない。
ただ、「ぼくちゃん天才」って書きたかったのか?だから実際にそういう状況にいたとは思えない。ということ?お分かり?
船乗りの給料がどういう勢いで上がってく知らん、手取り35まで7年で上がるなら最初から30とは言わないが25は最低あるだろう。
それでもボーナスがいくらかしらんが2000万くらいにはなると思うが?
手取り35ってのもいくら船乗りが給料良いからって言った通り怪しいが。
???何が言いたいの?そりゃ最初から両親がそう言ってるじゃん?
それでもこのバカ息子は自分がやれば儲けられる、やっていける、って言ったんじゃないの?何言ってるの?
お馬鹿なの?
だから、このバカ息子は色々出来るわーって喚いてる時に、親が儲からない、って言ってるのに、儲かるわー俺ならできるわー?
それはなんだったの?って言ってるんだけど?
漁師にしたいって親はまずいないと思う。どう考えてもそのまま定年まで残った方がワリいいし。
てか、親が漁師辞めるって言ったのは息子がすでに出戻りしたあとなんだが?
あんたはそこまで読解力ないの?それで人をdisってるの?なんなの?
いやー、ちゃんとしたツッコミに対する的はずれなツッコミ、まるで元増田が自分を擁護しているようですね。
この物語のテーマは「職」ではなく「バカな親とバカな息子の愛と欲望のツープラトン」だと思う。
「親離れ出来なかった僕がバカだった」で書き直したら、みんな怒らなくなるんじゃないかな。
は?別に親離れ関係ないじゃん。別に親に依存してないじゃん。親が依存してるだけじゃん。
だから漁師もできなくなって同仕様も無くなった時に速攻で切ったんじゃん。
何が「ツープラトン」てw
携帯小説採点。
大抵の場合、推薦の方が試験で入るより大変だ。この部分の文章がどれに対応してるか分からないけど公立普通高校なら推薦なんて無いだろ。
海上技術学校みたいのならあるかもしれないけど、一番の進学校に受かるくらいなら推薦なんて当たり前だ。
この中で唯一ちょっとだけ細かい描写としてエンジンを出してるが、多分、燃費ってことでちょっとだけ調べたんだろうけど、
少し調べるだけで燃費以外に重量やら部品が余計にかかることで一様に言えないことはすぐに分かる。甘い、甘すぎる。
海上技術学校出で、なんで手取り35万も貰える?どんな超優良企業だよ。
ま、「僕」ってひたすら言ってるのがキモイが。
そんな漁師町から通える様な企業じゃないんだろうから、一人暮らしじゃないのか?
なんでずっと実家に居る設定なんだ?そんな田舎からどう通ってたんだ?
一人暮らしならなんで5万だけ残して暮らしていける?どういう計算だ?
他の人も言ってる様に、7年での計算も合わない。
何の話をしてるんだ?でかい投資って新しい船でも買うってか?何の話だかしっかりしろよ。意味不明すぎるだろ。
いつの間にか男女の関係となり、僕は「家事ができないんだ」とちょっと嘘をついて告白したら彼女はいきなり僕の部屋に掃除業者と共に来てあっとう言う間に部屋を掃除してくれた。
どんな状態だよ?お前の部屋を先に見たのか?そんなゴミ屋敷で男女の関係になったのか?
たかだか男の一人暮らしで掃除業者がくるってどんだけのことだか分かってるのか?
僕はその時完全に察した。「あぁ儲けられないんだな」と。
お前、法人化しようとか色々本気で考えてたんじゃないのか?事業計画1周間でかけるくらいじゃなかったのか?
それなのになぜ状況を把握してない?アホか?そんな状態でほざいてただけだってのか?もっと設定ちゃんと詰めろよ。
で、結局、最後まで漁師が「天職」だという根拠が一切出てきてないじゃないか?
題名と内容も違う。駄目、駄目すぎる。
0点。
僕は漁師の家に生まれた。
当然の様に跡取りとして育てられ僕自身も漁師となり家業を継ぐのが当たり前だと思っていた。
祖父や父から漁師の技術を学び取り、中学校へ上がる頃には多少の波風があろうと岸壁へ船を着けられたり、漁網の補なんてお手の物になっていた。
僕は小さな頃から「力持ちだ」と褒められるのが何故か無性に嬉しくて多少辛くても重いものを調子に乗って運んだりしていた。
家業は毎日筋トレをするようなものだから、その甲斐もあってか身体は同年代の子と比べて大きく筋骨隆々を地で行くような成長をした。
ただ僕は末弟長男であり他の兄弟は全て女兄弟であり、ちょっとだけ気が弱いところがあった。
実家のある場所は田舎なものでヤンキーがハバを利かせており、身体が大きな僕は多少の威圧感があったのかよく喧嘩を売られた。
女兄弟の中で育った僕は殴り合いの喧嘩の仕方なんてわからず(喧嘩の買い方や売り方すらわからない)、気も弱いのでいつも相手を抑えつける戦法で事なきを得ていた。
しかしある日僕は人生で初めて喧嘩で人を殴ってしまった。今でもその感触は覚えていて、拳を思いっきり振り抜いた感触は「ガボッ」といったものだった。
僕が殴った相手はその場で崩れ落ちる様に倒れ、死にはしなかったけれど歯と顎は粉砕という重症だった。
相手へ重症を負わせたことで父は学校まで急いでやってきて、怒り狂い僕を何度も殴って蹴った。父も大きいので3人の先生がやっとのことで父を止めた。
僕が家に帰るなり母は言った。「あなたはもう絶対に喧嘩をしてはいけない」と。僕自身もあの感触の恐怖がありもう喧嘩はしまいと心に誓った。
それから僕はどんなに喧嘩を売られても殴られるだけにして抵抗をしないようにした。できる限り他人へ威圧感を与えないように常に笑っていることを心がけた。
常に笑っていると人は集まってくるもので、僕の学生生活は今まで以上に充実したものになっていった。
中学3年生となって進学を考えるようになり僕はそこでも夢を追って船乗りになるための高校へ通うことにした。
色々調べると「水産高校」の他に「商船高専」や「海上技術学校」があることを知った。このどれもが卒業すると高卒以上の資格を得られた。
僕はそこで「どうせ乗るなら一度はデッカイ船に乗ってみたい!」と考えて商船高専と海上技術学校のパンフレットを自分で請求し親と担任の先生に見せた。
実家の漁村では前例がない、そして僕の母校の中学校でも前例のない進学先だった。
後を継ぐたいていの漁師の子は地元から近い水産高校か普通高校へ進学するのが定番だったからだ。
親と相談した結果、商船高専は都道府県すら変わってしまい何かあっても直ぐに行けないので同じ都道府県である海上技術学校なら良いという承諾を得た。
担任へ親の意見を伝えると「君の成績なら推薦も可能」ということなので推薦をしてもらうことにした。
実は悪い同級生と付き合いを持たなくなったので生徒会や運動部、そして勉強でそこそこの力を得ており、推薦は難しいけど地元では一番の進学校へ余裕で受かる成績だったのだ。
担任は「多少もったいないけどウチのクラスの子の枠が1つ増えたと思うのなら」ということで推薦を了承してくれたのだ。
海上技術学校へ危なげなく進学した僕は学生寮住まいだったので先輩からちょっとだけ悪いことを教えてもらいながら海の知識と技術を真面目に取得していった。
それもこれも「大型船の新しい技術を何かしら漁師家業へ活かせたら」という考えのもとに頑張っていたからだった。
実際に海上技術学校で学んだ船舶機関に関する知識と技術は、夏休み中に実家の漁船を整備する点で非常に役立った。今まで細かい部分であれ業者に頼んでいたのでコストダウンが出来た。
エンジンの買い替え時期には従来型2サイクルエンジンから新型4サイクルエンジンへ切り替え、燃費向上という結果も得られて、この流れは他の漁師の家にも波及した(漁師にとって燃費は非常に厄介な問題)。
新しく使われるようになった素材も海上技術学校へ通っていると僕の耳に入りやすく、僕は実家へ勉強の成果をどんどんフィードバックしていった。正確な数字を今はもう出せないが掛かっていた経費は2割程度下がっただろう。
就職する時期になり海運企業では大手の国内貨物船へ就職できた。乗れるようになった船も全長100m超(排水トン4000G/T超)の国内ではかなり大きい方のものだ。
日本全国津々浦々まで行けて航海中は各海域の漁船が見れ、詳しい先輩上司にその漁船の情報を教えて貰って僕は非常に勉強になった。この知識を思う存分に実家へフィードバック出来る日が待ち遠しかった。
こういった海の知識だけでなく経営や経理の重要性も社会人となってよく理解できたので、上陸の際に本屋へ行っては経営の本や簿記の本を買い込んで勉強した。
船乗りになって7年、僕は引き止める仲の良かった先輩上司や機関長、船長に頭を下げて会社を辞めて実家へ戻った。
家業を手伝いながら漁師の生の感覚を思い出しているとある日両親から呼ばれた。そして父は何度も躊躇しながら僕へ次の言葉を言い放った、
「漁師は継がせない。俺の代でたたむ。お前が中学生の頃から考えていたことだ。漁師は今後儲からない生活が出来ないんだ。すまない漁師をしてもらうにはいかない」
何を言われたのか全く理解できなかった。信じられない言葉を耳にして僕の思考は完全に停止した。何を馬鹿なことを言ってるんだこの人達はと思った。
あり得ない。中学生の頃から?今更?僕は自分の人生を漁師になるために今まで頑張ってきたんだぞ。会社辞めるのも伝えたはずだ何で?おかしいだろ。
思考が動き出すと僕の頭の中は疑問でいっぱいになった。
社会人になった僕は家業が傾いていることには気づいていた。そのため僕が戻るまではと考えて35万あった手取りから僕自身の小遣いとして5万円だけ抜き、ボーナスが出ても5万円だけ抜き(ボーナスの月は小遣い合計10万円)、残りは全て実家へ収めていた。7年間毎月だ。総額1000万はくだらない額を納めたはずだった。
海上技術学校時代も独立行政法人化したとは言え、国から金が出ていたので授業料は数千円で格安、寮費もかからない。僕の学費も相当安いはずだった。
例え僕に黙ってた漁業から大きな借金があったとしても、漁師が借りられる限界はあるし、まだ残高があっても10年以内には余裕で返せるレベルの金額のはずだ。
ヤクザみたいな借金取りが来た記憶はない。ヤミ金の筋はない。全くわからない僕が継げない理由が全くわからない。
税制対策に漁業法人化することを考えてた。銀行からの融資も受けやすくなるはずだ。同様の漁業法人化した漁師の家の情報も集め、実際に各地の漁師からノウハウを教えてもらってた。
今後は今以上に収支の負担が間違いなく減る。僕はこの家の子だ。祖父や父の堅実的な仕事ぶりを見て育った。ドデカイ賭けに出るなんて気の弱い僕には勇気も無いから大型投資とかしたりしない。
なんでだ。なんでだ。なんでだ。父さん母さんなんでだよ!なんで儲けられないの一点張りなんだよ!
1週間待ってくれよ事業計画書だって直ぐに作ってやるよ。他県では新しい漁法の研究や水質改善の研究も進んでて、それを地元の大学と一緒になってやろうよ。国の補助金も出るんだよ。
僕は皆と笑っていたいんだ。父さんも母さんも泣くなよ。僕を怒らせないでくれよ泣かせないでくれよ。いつもみたいにヘラヘラ笑っていたいんだよ。お願いだよ!!!
見えていた道筋が無くなり、どうして良いか全くわからない。父や母が引いていたレールを僕は信じて進み、そのレールを自ら強化していたら、突然その先のレールを両親は取っ払った。
数ヶ月間無職で居た僕は貯蓄も底を付き始めて再び海運企業へ就職した。新卒で入った海運企業よりもずっと小さなところだ。
だけどやる気がでない。仕事に身が入らない。つまらないミスを何度も繰り返し、人間関係を悪くして結局数ヶ月で辞めた。
次の会社も、その次の会社も同じように辞め、僕は海での生活自体を辞めてしまった。
派遣に登録をし、土木や解体などガテン系の仕事をよくやるようになったが気持ちはずっと上の空だった。
実家に居ると涙が出てくるので再就職した辺りから実家を出ていて一人暮らしを始めていた、
ただ、家事のやる気がでない。学生時代や新卒の頃は口うるさく掃除を教育された甲斐もあり、先輩上司から「お前はきれい好きだな」と言われるような人間だったのに、この頃はTVに出てくるような「片付けられない人」の部屋のようにゴミで溢れかえっていた。
どうでも良い、そんな感情が常にあり、そしてそんな風にしかできなくなった自分を嫌悪するようになった。
でも実家への送金はやめなかった。ちょっとでも両親を助けたかった。自分が貧乏しても両親に辛い思いはさせたくなかった。
ある時僕は一人の女性と出会う。年齢は同じだけど学年は一つ上の女性だ。
そこまで可愛くはないけれど妙に馬があった。その女性は賢く、僕のする昔読んだ本から得た小難しい話を黙って聞いて、更に自分の意見を返してくる。僕が学生時代から苦手だった英語が留学経験もありペラペラで尊敬できた。そんな女性だ。
いつの間にか男女の関係となり、僕は「家事ができないんだ」とちょっと嘘をついて告白したら彼女はいきなり僕の部屋に掃除業者と共に来てあっとう言う間に部屋を掃除してくれた。
「良い?今の状態を出来る限り維持すること。出来ないんだったら私に言って」そう頬を膨らませて言った。
こんなに素晴らしい女性と付き合えたのに僕は家事が上手く出来ないままで、職を転々としている状態だった。
ある新しい職場で比較的話すリーダーが僕に言った。「お前頭がオカシイと思うぞ。お前の様子を見ていると脳の病気を疑わずには居られない」
それから僕はよく考えるようになった。僕は頭がオカシイのかと。
彼女に相談したら少し考えた様子を見せ、数時間後にいくつかのURLを僕に示してきた。精神異常のセルフチェッカーみたいなWebサイトだ。
それで彼女と一緒に検査してみたら何処のWebサイトでも「重度の鬱」という診断結果になった。
僕は彼女に言った。「これでこのまま医者に行ったら僕は鬱を自覚してダメに成ってしまいそうだ。だから医者へは行きたくない。鬱の証明書なんて要らない」と。
彼女は「あなたが行く必要があると思った時に行けば良いんだよ」と言った。
そこから僕は何度も職を転々とする。自分を鬱だと疑いながら職を変え続けた。
僕は悪いやつだ。こんな状態なのに彼女を独占したかった。結婚したいと物凄く強く思うようになっていた。
僕の今の状況で結婚しても上手く行かないというのだ。彼女は色々と罵倒された「水商売女か?」とかそういう系のかなりひどい罵倒だ。
そして実家が結局何が言いたかったといえば「二人が結婚生活を始めてこちらへの送金が止まるのも困る」という話だったのだ。
僕はその時完全に察した。「あぁ儲けられないんだな」と。
そういうことだった僕は漁師よりも海運の船乗りをやってたほうが実家は儲かるのだった。外で金を作って実家に入れたほうが実家は安定して儲かるのだった。
僕は実家の金づるだった。全く気づいてなかった。僕の送金が両親を金の亡者に変えていた。
今まで居たアパートを引き払い、携帯電話の番号を変え、彼女以外の全てのアドレス帳を削除し、地元から県外へ僕は引っ越した。
全てにケリをつけようと精神科を受診し、やっぱり鬱だと診断されて薬を処方された。
欝だと診断された瞬間、涙が溢れて止まらなくなり医者の先生にものすごく迷惑をかけてしまった。
今は新しい仕事につき鬱を治そうと受診しながら彼女との結婚のためにお金をためている。もう海には戻らないけどね。
中学校に入るとき,こんないつ殴ってくるか分からない奴と一緒な中学校には行きたくない,私立に行きたいって言ったら断られた。入学後に「私立に行きたかった」って言ったら「社会に出たらいろんな人と付き合わないといけないからその練習になるから行かせた」とか言ってた。あんな奴らと関わり続けるくらいなら死んだほうがましなのに。
高校に入るとき,母親は担任の前で「中学校に入るとき,私立に行きたいって言ったのを拒否したらそのことを言い続けてるから高校はこの子の好きなようにしてあげたい」と言った。「高専ではなく自称進学校に行かせたい」と父親が言う中。自称進学校以外に行ったら軽蔑するような雰囲気を醸しながら。
親に都合のいい子になってたわけだ。中学在学中までは何の努力もせずただぼーっとしているだけでそうなったが。高校でわざわざ何かをしてまでそうなる気はない。誰があんたらの思いどうりになんかなるか。俺が生きていることを親が望むなら死んでやってもいい,と思う。
妹は私立に行かせたくせに。君は我が儘な妹を私立に行かせるために働き始めたのか。絶対許さん。大学に行く気,生きていく気すら失せた。
にきび跡、肌荒れ酷い、不細工、発達障害(ADHD)、腎臓疾患(ネフローゼ)持ち、身長170cmどまり中学受験で入った自称進学校で進級すら危うかった超低スペック高校2年生だ。
ものを作れる人がうらやましい。
しかし、自分には能力以外にも情熱も、ものを作るのが好きっていう気持ちも無いからものを作ってない。
ニコ生では絵師がお絵描きソフトとワコム製のペンタブを使ったお絵かき実況をしていた。
どうして、お絵かきをするのかと聞いたらお絵かきをしてアイデンティティを保つためだと言った。
2chに立っているワナビー(作家志望)スレやお絵かきスレを見ると「上手くならない」「どうやって上手くなって金にするか」「pixivでマイピクつかねーよ」という書き込みが目立ち
「pixivで3年間に1000作近くピカチュウの絵を投稿しているのに全くうまくなっていない奴がいる 努力なんてするもんじゃねーな」なんて書き込みもある。
嫉妬、方法論について何回も長文レスをする人間も沢山いる。とにかく鬱屈としている。
学校では萌え絵を描いている男子が同じクラスにいる。彼は「全く上手くならない」とぼやいていた。
彼は文化祭のポスターの表紙を一生懸命描いて文化祭の実行委員に提出した。
文化祭の実行委員は僕に「あいつは一生懸命描いても、下手だね かわいそう」なんて言った。採用された絵と彼の絵を比べてみると全く違う。
彼は今、あまり絵を描いていないようだ。
創作の世界では評価されないことへの苛立ちなのか負の感情で溢れているように見えた。
僕は消費するままでいいのかもしれない。
でもクリエイティブに憧れる。でも体が動かない。
どもども。通りすがりのお兄さん、お姉さん、おっさん、おばちゃん、学生さん。今日も酔っ払ってるんだけどさぁ、昨日に続いてあたしの愚痴にお暇なら突き合ってくだせぇ。
あたしは昨日「彼の頭が良すぎて萎えて別れた」ってエントリを書いた者です。
http://anond.hatelabo.jp/20130901015011
何日か前に、「低学歴と高学歴の世界の溝」って増田がホットエントリしたじゃない?
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
今日の昼間にコーヒー飲みながら足りない頭で考えて思いついたんだけど、私が彼に萎えて別れた原因って、この溝を自覚しちゃったからじゃないかな、って。
彼のスペックが高いのは昨日書いたとおりなんだけど、彼の一家・親戚も高スペック。父親は某旧帝国大学の大学院卒で某有名企業勤務、母親も県立の教育大学卒で学校の先生。彼の親戚もハイスペックで、従兄弟に某大学准教授がいるって言ってたし、彼氏と同じ高校(つまり地域で一番の進学校ね)・彼氏と同じ大学(つまり某旧帝国大学ね)に親戚のお兄さん・お姉さんも通ってて、高校・大学選択、受験のときに、親戚の人たちからいろいろ情報教えてもらった、とか。彼いわく「兄はあんまり成績良くなくて、浪人するか迷っだけど、現役で東京理科大行ったんだー」って!
あたしは人口数万人の町の外れでコメ作っている両親の下で育って短大まで行ったけど弟は同じ高校出て専門学校卒。半数近くが就職して、残りは専門学校、短大・四大に行くのは20パーセント以下って感じのあたしの高校の基準からすると東京理科大なんて過去の卒業生で何人いたんだよってレベル。それを「あんまり頭が良くない」と。
彼氏は高学歴の世界で生きてきた人だから、私のレベルの世界を知らなかったと思う。彼氏の親戚も友だちもみんな高学歴の世界。対する私は低学歴の世界。高校卒業した時に地元で親戚のおっちゃんがやっている同族経営の小さい会社で働く?って話あったけど、断って短大行ったし、今も「地元戻ってウチで働かない?」って言われる。社長のおっちゃんは叩き上げで働き者で、良い人だけど、学歴なんていらんって人間。あたしの親戚はそんな人たち。
エリート一家で育ち、エリート教育を施されてきた彼氏が、ごくごく普通に披露する感覚に、越えられない溝を感じたの。
・旧帝大、早稲田、慶応クラスの大学に行くのは当たり前(←「え、女子が短大行くのはありかもしれないけど、男で高卒の人ってほとんどいないでしょ?」って真顔で信じている)。
・英語は読み書きできるのが当たり前(←彼氏は英語の勉強なんだって言ってイギリスのニュースサイトを毎日見てた。しかも普通に辞書なしであたしに要点を解説してくれてた)。
・歴史上に名前を残すような有名作家が書いた有名どころの作品を読んでいるのは当たり前(←ごめんよ、サリンジャーの名前自体知らなかった)。
・日本史や世界史の知識があって当たり前(←生類憐れみの令をうろ覚えだったあたしが馬鹿なだけ?)。
・近代日本の主要な政策とその政策を実施した首相くらい知ってて当たり前(←田中角栄の日本列島改造論知らなかったあたしが馬鹿なだけ?)。
・30歳くらいで安くても年収500万円くらいは貰えて当たり前(←彼氏の大学、大学院の友だちとの基準)。
彼氏は「え、だれでも努力すればこのレベルに到達できるよ」なんて言ってたけど、彼氏が披露する「普通」の基準があたしに無理すぎた。低学歴の世界の住人である私が高学歴の世界の住人の世界をちょっとだけ垣間見た経験として大事に取っておくよ。彼氏には同じ世界の女が似合うと思う。
私の都合で別れたのは本当に申し訳なくて、彼氏が「え、オレなんかダメなところあった?ごめん、気付かなくて。悪いところあったら言ってよ、直すから」なんて涙が出るような嬉しいセリフ言われたけど、低学歴の世界を知らない彼氏にはこの感覚を理解できないと思うし、理解しなくてもいいと思う。セックスのときにフェラしてあげたら「フェラは女性に奉仕させて女性を下に見ている感じがあるから好きじゃない」なんて紳士的なセリフを言う男なんてきっと金輪際現れないだろうが、あたしも自分にあった男を探すのが一番だね。
上京組が、地元で暮らす中学時代の同窓に奇異の眼差しを向ける話、よく聞く。
食傷気味というか、手垢に塗れたトピックだけど、とりあえず思うところを書いてみる。
地方の進学校卒業して、そこそこの大学出た人間から見たら、底辺校に入ったような同級は異常に見える。
マークⅡ乗って平日日中にふらふらしてるような怪しい人の使い走りしてる奴とか、“おいしい商売"を紹介してくれる奴とか、ナマポでパチンコしてるバツイチとか。
こういう人間たち、本当にクズだと思うけど、彼らが極悪人だとは思わない。
学校の勉強ができなかったとか、親がバカだったとか、地頭が悪いとか、そういうほんの些細な、本人にはどうすることもできない環境依存的なことでゴミクズになってしまったのだと思う。
「怠け者だから途上国の人々は貧困にあえいでいるわけはない」みたいなプロ市民的言説に聞こえるかもしれない。ただ、程度に差はあれ、世界にこういう構造はある。
もし自分がスクールカーストの最底辺だったら、DVを受けて育ったら。誰かの立場になる想像力を働かすことができれば、真性クズが条件付きクズに見えてくるはず。
にきび跡、肌荒れ酷い、不細工、発達障害(ADHD)、腎臓疾患(ネフローゼ)持ち、身長170cmどまり中学受験で入った自称進学校で進級すら危うかった超低スペック高校2年生だ。
ものを作れる人がうらやましい。
学校で図形が左右対称に描けなかったり、文字が自然と汚くなったり、ノートを書くのを途中で放り出したりしていた。
平面幾何、立体図形の時も頑張って描いた図形が綺麗じゃないって教師に言われたりした。
僕は不器用で絵を描くとか何か作るのに向いていないのかもしれない。
自分には能力以外にも情熱も、ものを作るのが好きっていう気持ちも無いからものを作ってない。
最近からなのか、昔からなのかわからないけど、「作り手のほうが偉い」って言う風潮がネットには少しある気がする。
にきび跡、肌荒れ酷い、不細工、発達障害(ADHD)、腎臓疾患(ネフローゼ)持ち、身長170cmどまり中学受験で入った自称進学校で進級すら危うかった超低スペック高校2年生だ。
世の中で作られたものは面白いと感じなくなった。でも、自分はそんな物を作る能力がない。
だから園芸をやる老人が多いのだ。
別に園芸を楽しむ人を悪く言っている訳ではない。
人が何かしら楽しむことは良いと思う。
ねえねえ、色々矛盾してるんだけど分かってやってるの?
これを描写した上で、そういうやつらは人の事もわからない奴等だ、って差別してるじゃん?
つまり、学歴無いものはそんなこともわからない奴等だから、これだから地元の学歴ない奴等は嫌だ、って文章じゃないの?違うの?
知らない人もいるだろうけどね。
え?だってあなた、そんなことくらい嫌いじゃなくても言う、って言ったんじゃないの?
それとも、あなたも学歴ある者達と、そうでない者達にはそういった礼儀上の差も歴然として、差別すべきだと?
どうでもいいと思ってるだろうけど、他人をこき下ろして楽しむ人間はいると思うよ。
彼らがどうだったか知らないけど。
うん、この場合、彼らはそうだと思うよ?どうでもいいし、多少いじってその場が盛り上がれば良いや、って程度でしょ?
親しかった人たちじゃないみたいだし、親しい友達たちは恐らく元増田と同じ様な感じで、何も言えないような感じだったんでしょ。
ま、もともといじめられてる様な側だったのかもしれないけどね。
そのいじめを良しとしてるのではなくて、そうやって元増田側もその人達を馬鹿にしてやってるようなら同じことだよ、ってことなんだけどね、元々の話。
貴方も一緒ね。
自分良ければ全て良し。親しい奴らが盛り上がれば何言ってもok。
ありていに言うと、イジメの発想だね。
そうですよ、そういう状態だ、って言ってるんですけど。
彼らの中では元増田なんてどうでもいいのさ。ま、オトナになってからそこまで馬鹿にしてくる、ってことは多少未だに引っかかる様な所があったんでしょ。
それが元増田のこういう人を馬鹿にする態度なのか、それとも、単にそのからかった側の人間がいじめするような人間だったのかは知りませんが。
そういう場じゃん、どう見ても?
あなたは、途中で、まるでからかってる側も好意をもちながら敢えてやってる様な風にも書いてましたが、どう思ってるんですか?一体?場をどう理解してるの?
私としては、単純に、元増田とその彼らは相容れない所があるのは明らかで、ま、向こうが馬鹿にしてきたのは良いことだと言う気はないけど、
一方で、その彼らを馬鹿にしてる元増田も同じレベルで最低な人間だな、と思っただけで。
どっちにしろ、地元をそんな嫌なものにしてしまって残念な人だな、ってだけ。
地元で上手くいかなくて仕事まともに出来ないやつでもそういうなかで励まされて頑張ってる奴は居ると思うよ?
それは何が違うか?単に、失敗した側が他を恨んだり馬鹿にしたりしないから、上手く行ってる側も励ましたりしてあげよう、って思うんじゃない?
ま、そんな単純なことではないんだけど、少なくともこうやって、高学歴だからって地元の人をばかにするようなやつを、
ましてや、しっぱいしたら、ざまーーーーwwwってなる人も中には居る、ってだけでしょ?ま、知らなきゃ知らないでべつにどうでもいいけど、で。
逆に、あなたみたいな高学歴はてなーは、そういう地元に残った人たちを、地元に残ってる低学歴ざまーーーーwww、って思ってるんでしょ?
向こうが何か知らせてきたわけでもなんでもなく、ただただ地元に残ってるってだけで、ざまーーー、って。向こうはあんたのことなんとも思ってないのにね。
どっちが質悪いやら。
完全に自分語りで恐縮なんですが、あまりに辛かったのでここに書かせてください。
26歳♂ 。一応ちゃんとした地方の国立大を出てITベンチャーに新卒入社。
ウェブディレクターとしてサービス残業、休日出勤上等という感じで自分なりに一生懸命働くも過労で4年目に心身を病み、去年の12月に退職。
現在、千葉の実家で療養しながら大したお金にはならないけど一日数時間リハビリ程度にフリーランスの仕事をしている。
まだ人に会うのは少ししんどいんだけど、2週間前に何を血迷ったか地元の中学の同窓会に行ってきた。
集まったのは今も地元の近くにいる20人。高卒で家族持ちとか、こういう書き方はよくないけどイマイチな大学出て契約社員とか色々。
同窓会に出るのは久々だったので「お前今なにやってるの?」と聞かれた。
それは適当にやりすごしたんだけど、中学のとき親しかった友人数人には、この2〜3年何があったか伝えた。
それがいけなかった。
「お前身体弱すぎだろ、うける」「PCばっか見てるからだろ。これだからオタクは」
「その歳で実家に引きこもりとか絶対彼女できない。気持ち悪い」
「俺らにいじってもらえるだけありがたいと思えよ」
その他色々言われて散々だった。思い出すのも辛いような言葉も。まじで泣くかと思った。
実家にいるのは病気だったから、といっても全然理解してくれない。仕事を頑張りすぎて心身を壊す、ということが想像できないらしい。
それに自分は引きこもりといっても、仕事してるし社会と接点はある。
とある新興ウェブサービスの運用に携わっていて今も自分のやり方で世の中と関わっている。
それにそもそも、そんなお前らはどうなんだ。リア充気取って偉そうにしてるけどそんな大した人間なのかと。
あと、自分は大学の友達とはよく会うんだけど、そっちの人たちはみんな優しい。
「一年ぐらい働かないでゆっくりしろよ」とか「IT系はきついって言うよね」とか言ってくれる。
地元の友達というか自分の古い友だちは、「この人にも色々事情があるんだろうな」と想像することができない。
自分と異なる価値観の世界にいる人のことを理解しようとしない。村社会的というか。
そういう人の方が幸せなのかも知れないけど、当分は会いたくないなと思った。
2週間経った今も結構辛くて、まだ夜中に思い出してうわあああってなる。
で、その度に大学時代からの親友に電話して気持ちを落ち着かせている。
<追記>
勢いで書いたのに朝起きたらはてブがたくさんついててうわあああってなってる。
「お前が回りを見下していたから嫌われてるんだろ」というコメントもあって、
仮にそうだとしても、比較的仲のいい連中で集まった非公式な同窓会だし……。
一次会終わった後も一部と二次会でカラオケに行ってちゃんと盛り上がったし。楽しいと感じるときもあったし……。
参加時は学歴云々とか価値観がとか全然考えてなくて会いたい友達も何人かいたし、
単純に楽しんで、できれば誰か優しくしてくれると嬉しいなといった風に考えていた、と思う。
多分変に期待しすぎていたというか、なんというか。
あと、前回5年ぐらい前に行ったときはそこそこ楽しかったです。
うーん。
<追記2>
はてブが伸びまくってビビってます。ずっとウェブ界隈で仕事してたけど300超えは初めてです。
優しい言葉をくれた方、ありがとうございます。
また、「お前は何様のつもりだ」とお叱りの言葉をくれた方、ごもっともです。
同窓会でひどいことを言われ、文章に怒りをぶつけてしまいました。かなり一方的な文章だと思います。
やはり自分が精神的に余裕がない状態で参加したことがいけなかったのだと思います。うかつでした。
「mgkiller 芸能 ネタ
えー、九州民からすると松田聖子の家庭が「普通」ってのはちょっと違うよなあ。ファンクラブ入ってた手前そう書きたいのは分かるけどさ。」
と思わせぶりなことを書いている人がいるね。普通じゃない、ってのはそれこそ普通悪い意味で用いるんだが。
松田聖子の出自については大下英治氏の著作などではっきりしている。
戦国時代の筑後の豪族、蒲池氏の末裔で、直接的には僧侶の家系である柳川蒲池氏の末裔になる。父の蒲池孜氏は厚生省の官僚で、福岡県の社会保険庁に務め、後に東京の厚生省外郭団体に移っている。松田聖子の母親の姉の嫁ぎ先は病院経営者である医師であり、松田聖子はその病院の産婦人科で生まれている。母親の実家は八女の豪農。
兄は福岡県第一の進学校、久留米大学付属高校を出ている。ちなみに孫正義氏や堀江貴文氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏なども同校出身。まあお兄さんは早稲田に進学したんで、ちょっとお遊びが過ぎたのかも知れんけど。
アホ言うなwww
小学校が公立だったから俺は低学歴の世界を知ってるって言いたいのか?www
雑魚がwww
で、中高一貫行ったくせに東大も行けないようなくせしていばんなよwww
雑魚がwww
お前が馬鹿なプライドをも元に、そういう仲間を切ってるんだろ、糞やろうwww
東大行ったって、どんな仕事に就こうが、普通に地元に帰れば地元で仕事してる奴等と遊ぶわwww
お前ただ、小学校の時友達いなかっただけだろうwww頭でっかちの割に頭悪いwww友達いないwww
そうなんですか?中高一貫に行ける人なんて結構限られてることを知りませんか???
まあ、公立中学、公立高校へ行って、貴方ほどの高度な教育を金かけて受けなくても、
自分の努力次第で東大行ける当たり機会平等なんでしょうかね?www
お金持ちは何の努力もしないで同じ"機会"を得られるのねwww楽ねwww
当たり前だろwww30で独身なら、世の中殆どの人間が不自由なく過ごしてるわwww
さみしいねwww
http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155
話題になっているので読んでみたが、いろいろと衝撃だった。
http://anond.hatelabo.jp/20130813213536
それからこれを読んで、ああ、なんか近いなと思った。
この手の話題は、こどもを持った今、ますます考えさせられる。自分がこどもに与えている環境は、一体どういったものなのか。
家庭で話題になること、親のすること、家にあるもの、すべてがこどもに対する環境である。こどもの世界はとても狭く、そこから受ける影響は計り知れない。それを気にしているかいないか、というのはとても重要なことだと、今本当に思う。
私 自身は、超とは言わないがまぁ高学歴一家に産まれた。いつからか知らないが、医者の家系だ。父の兄弟はみんな医者もしくは医者の妻であり、妻たちはたいて い薬剤師だ。母も大卒の高校教員だった(結婚するまでの数年だけ)。父方のいとこたちは当然、みんな医者で、女であれば医者との見合い話が転がり込んでく る。医者にならず医者の妻にもならなかったのは私と兄だけだ。
母方のいとこたちは医者プレッシャーは特にないが、大学を出て一流企業に勤めたり公務員になったりする人から、引きこもりまで様々だが、親の世代はみんな女でも大卒だ。当時にしたら高学歴ファミリーだと思う。
こんな家系に産まれたので、当然私と兄にも医者になれプレッシャーはあった。プレッシャーというより、医者以外の職業をほとんど知らなかった。だから『なり たい』という気持ち以前に「大きくなったらお医者さんになるんだろう」くらいに思っていた。親戚のおじさんおばさんにも「何科がいいのかな? 皮膚科なん て楽って言うわよ」とか「お医者さんの奥さんになるのね」とか、もうそれ以外の選択肢は全くみんな頭の中になかった。
私の産まれた街は田舎 なので、私がこどもだった30年くらい前には自営業以外はほとんどいなかった。そもそも、いまでいうサラリーマン的な人が働く職場はなかった(と思う。少 なくとも当時の私には見えていなかった)。何屋さんのなんとかちゃん、みたいな感じで、家業とその家の人が結びついていた。街中の友人の実家はみんな何か 家業をしているし、ちょっと離れたところはみんな農家だ。たまにお父さんが外国にいて帰ってこない家があったが、それが「商社の駐在員」である、というと は、これっぽっちも知らなかったし、知っていたとしてもきっと「しょうしゃのちゅうざいいん」のしごとが具体的にはわからなかっただろうと思う。お父さんがテキ屋さんで「こようそくしんじゅうたく」に住んでいる友達もいたが、その子と遊ぶなと言われる意味が分からなかった(のでもうしょっちゅう遊んでいた)。
今 大人といわれる年齢になって、いろんな人と出会い、ようやく世界にはいろんな仕事があり、いろんなルートでそうなれる、ということがわかってきたが、こど もの頃の私には「医学部にいって医者になる」「法学部へいって弁護士になる」「薬学部へいって薬剤師になる」「家を継いで○○屋になる」ほかは、あまりピ ンと来なかった。それ以外の世界との接点があまりにも少なかった。
今話題の「低学歴の世界」と同じく、おそらくは「高学歴の世界」の住人だったが、それ以外の世界について知る機会もなければ教えてくれる人もいなかった。
人 生の転機は小学校のとき。父が死んだ。父は開業医だった。残された母は、親業も家事もとことん 苦手だった。家の掃除も出来ないので、父の死後もずっとお手伝いさんがいた。私の世話もお手伝いさんの仕事だった。ゴミの分別も出来ないので、全部まとめ てゴミ袋にいれ、ずっと自宅に清掃業者がゴミをとりにきていた(有料)。道ばたにあるゴミ収集所が無料で使える市のサービスだと知ったのは高校生くらいの ことじゃないかと思う。
それでも私は自分の家は超貧乏だと思っていた。なぜならお金を稼いでくる人が死んでしまったのに、母が無職のままだ からだ。公立の学校もお金がかかっていると思っていた。保険金とか、遺族年金とか、寡婦年金とか、全然知らなかった。学校ではうちが母子家庭だと知った先生に「生活保護を受けたらどうか」と言われて(そのあと「お父さんはなにしてたの」「医者です」「あ、それは失礼した」というやり取りがあった。)そ れを母に言うと、うちは生活保護は受けられない、と言われた。中学から新聞配達のバイトをしようと、新聞屋を回ったが、何処もやらせてくれなかった。高校 に入ってすぐバイトをはじめた。いつも飲食店で働き、食費を浮かせた。そして、父の残したわずかばかりのお金を食い尽くすだけのニート母にものすごい嫌悪 感を抱いていた。あるいは借金もあるかもしれないと思ってびくびくしていたし。家族旅行は父が生きていた頃もお正月に近場の温泉に一泊するくらいだったし(開業医だったので学会などの出張時に代理の先生が頼めるときしか家から離れられなかったらしい)、父が死んでからはそんなことはしたことがない。仲の良い友人たちから家族旅行の話を聞いたり、留学した友人たちを見て、いいなぁ、お金がある家は、と思っていた。
私自身は、高校は田舎なりの公立の進学校に進学したものの(田舎なので公立のほうがレベルが高く、私立は滑り止めという扱 いだった)、大学には行かなかった。家は超貧乏だと信じ込んでいたので、国公立で年間80万円くらい、4年で300万円以上の学費、それに生活費。そんな お金なんてひねり出せないと思っていた。当時は、今だって毎日バイトしたって月に数万円しか稼げないのに、学費生活費を全部自分で稼ぐのは到底無理だと思ってい た。今となればなんと視野が狭かったんだろう、自分でリミットを決めてもったいない、と思うが、当時はそういう風には考えられなかった。母には「医者か弁 護士になるなら投資するがそうでないなら大学へ行く必要はない」と言われた。投資する気はない、と。「あんたはどうせ医者にはなれない」。母はよくそう いっていた。
投資ととらえるととてももっともなのだが、当事者かつ思春期の娘としては、これはとてもやる気を削がれた。彼女はこどもを投資物件ととらえており、さらに医者か弁護士以外は価値のない人間だと言っている。そして娘は投資対象として適切ではない、つまり価値がない。
こ どもが育つ上で一番大切なのは『無償の愛』を感じられるということらしいが、そういえば私に注がれる愛情はいつも有償だったなと、今になって思う。プロセ スをほめられることはなく、絵画で賞をもらっても、賞をもらった絵ではなく賞状をあがめられた。賞状だけ集めていれるファイルはあったが、その肝腎の絵を とっておく仕組みがなかった。学校の成績で上位何番以内に入るといくら、というのもあった。勉強はお金をもらう為のものだった。
こういうのも、環境の一部だ。
私はこういう環境から、自分は価値がない、というメッセージを受け取り続けてきたのだろうと思う。これは自分のこどもには絶対にしたくない。
と、話はずれてきたけれど。
まぁ、そんなわけで、私は高学歴一家の中の落ちこぼれである。ただ、落ちこぼれたと言っても、やはり「低学歴の世界」の話をブログで読むと衝撃だったけど。落ちこぼれたおかげでかどうか、いろんな人たちに会い、いろんな世界を知り、選択肢は沢山あるのだなぁ、というのを今になって感じで来た。高学歴の世界の住人たちとも付き合いがあるけれど、最初から高学歴の世界の住人だったひともいれば、そうでないひともいる。全くの低学歴ででも、高学歴の世界にすっとなじんでいる人もいる。本当にいろんな世界で育って、いろんなルートで、今そうなっている人がたくさんいる。
あのままあの世界にいたら、親戚友人知人は医者だらけで、自分も医者になっていたか医者と結婚していたのだろうと思う。そちらがよかったかどうかと言うと、どうもそうとは思えない。それは高学歴の世界が嫌だというのではなく、あまりにも選択肢が狭いためだ。
こ どもの頃は世界が本当に狭かった。職業は医者弁護士以外にも選択肢がたくさんあったし、医者弁護士になれないからと言って人生終わったわけで はない。高校は基本学区内で一番偏差値の高いところに行かないと行けないと思っていたし、学校の成績で平均値をとると馬鹿だと思っていた。大学はあんな親にお金を出してもらっていくなんて胸くそ悪すぎ る、そもそもそんなお金ないし、と思っていた。でも、本当は高校なんていくらでもあるし、世界には大学まで無料で行ける国も沢山あるんだ。世界は広く、選 択肢はとても多い。
選択肢が沢山あるのだということを、こどものうちにもっと知っていたかったと思う。本当に。高学歴の世界の住人たちのなかにもほかにもきっと他の選択肢を現実的に受け止められなくて、自分の世界に適応できずに苦しんでいる人もいるに違いない。私みたいに落ちこぼれてしまえばあきらめもつくけれど、そう出来ないと自分で命を落としたりする。
高学歴であれ低学歴であれ、選択肢があることを知っているか否かは大きいと思う。こどもにとっては親とその親の作り出す環境がすべてなんだ。私は高学歴の世界の住人じゃなくなっちゃったけど、いろんな選択肢があることは伝えたい。そういうことも含めて、大人たちはもっとその環境に気を配るべきなんだろうな、自戒を込めて。
姉と兄は、自分と3歳差ぐらい、妹は5歳年下。
で、妹が大学を卒業した。キリもいいので、ここらへんで何故このような状況になったか振り返ってみたい。
まず、僕達の親は、どちらも大卒であり、子どもに対する教育も当然のことながら熱心であった。
姉と兄と妹は大学進学を選択し、僕は就職(とはいっても僕は浪人してからだから既卒就職)の道を選んだ。
そして一人暮らしのために、最初に家から出て行った。姉の顔は、希望に満ちていた
兄も、国立。とても優秀だった。確か、工業系の学部だった気がします。
昔からおもちゃを分解して壊すのが好きなひとだった。だから当然とも言える。
姉と同じように、巣立っていった。笑顔だった。
99%の人は大学に行く、15名ほどが東大に行く、そんな高校。
一度目は落ちてしまった。国立の経営学部だった。経済的な問題で、私立には行く気がなかった。
すると両親は浪人を勧めた。僕も当時はそのとおりだと思った。浪人した。
1浪で、どっかの国公立でも、と思っていた。成績は悪くなかった。
それでも、何故か落ちてしまった。高望みしたわけでもなかった。けど落ちた。
両親は、私立を勧めた。僕は嫌がった。
「大卒者ですら厳しいのに、何で就職なんだ。もう一回浪人しろ」
とは言われても、当時の自分には辛くて仕方なかった。
確かに、そこそこ進学校だし、「大学いけ」というのは間違っていなかったと思う。
上京して、せっせと働いた。スーパー、コンビニ、パチンコ、衛生設備など色んな所で働いた。
プライドなんてかなぐり捨てて働いた。(※それでも飲食店のバイトはしなかった)
22ぐらいの時に、「経理」というモノに興味を持った。
もちろん、税理士とか公認会計士とかも興味はあったけど無理だと思ったのでやめた。
「経理事務」の正社員は意外と早く見つかった。実務なんて全くなかったのに、運が良かったと今でも思う。
このとき22、3ぐらいだった。
同じ時期、上2人の方は卒業していた。正確には、姉の方は1年留年して、卒業した。
兄の方はもうとっくの昔に内定が決まっていた。しかし姉は少し就職に困っている様子だった。
4年の半ばが来ても就職できてなくて、よく知らんがこれはまずいらしい。
姉は、大学でもう1年職探し。
僕は、相も変わらず「経理事務」の仕事を続けていた。性に合っていた。
姉は、1年我慢しても希望の職に就けなかったらしい。いったん、実家に帰った。
両親は愕然としていた。それでも、励ました。そして、大学院に進むことを決めた。
受動的なコトが嫌いなのは、よく知っていた。兄は、今にも仕事を辞めそうに見えた。
僕は、働きながら転職を考えていた。「企画」の仕事につきたいと考えたからだ。
もちろん「経理事務」も性にあっていたが、チャレンジがしたくなったのと面白そうだと思ったのが理由だ。
多くの面接で落とされ…なんてこともなく、これまたすんなりと転職できた。しかもそこそこ大手。平社員だけど。
妹は、家族の不穏な空気を感じつつも、地元の大学に通い出した。
この辺で、僕は25ぐらいになっていた。
姉は、院に進んでもまた就職に困っていた。
結局、中小企業の正社員になった。(※僕はそれでも十分だと思うんだけれども)
兄は、会社にしがみついているようだった。僕の推測なので、はっきりそうとは断言できないけれど。
それでも、給料はいいし賞与も沢山出るし、兄は満足していたかもしれない。
僕は、「企画」の仕事を楽しんでいた。
とはいっても、営業のようなこともしなくちゃいけないし、大変な部分、嫌な部分もあった。
けど、「経理」の経験も活かせて楽しくできていた。
妹は、3人分を見てきているので、就職に余念がない様子だった。大学3年だった。
現在、僕は27になった。
今は楽しそうだ。
僕は、今も「企画」の仕事を続けている。
「課長」とかではないけど、少し平社員からランクアップした。給料も上がった。
多分兄弟の中で一番堅実だ。
というのも、大学行かずに就職した自分の事件が価値観を変えたそうで。
良かったのか悪かったのか、よく分かりませんが。
英語が得意で偏差値52~55ならそれが叶えられる大学があるんだけど学費が高いんだよね。仕送りと学費合わせて一年間に300万円くらいかかる。
300万円X4年=1200万円 老後を犠牲にしても一人しかやれない。偏差値52~55なら非進学校や田舎と都会の学力格差を埋められる現実的な数字
とくに最近はてブとかで人気の学歴関係のエントリを読んだわけじゃない。
自分は都内の大学院でドクターとって地方国立大で研究員やってる。
大学生がまわりにいつもいる状態。
出身大学とか学位の件で違和感や溝みたいな感覚を感じることはある。
親もだいたい似たようなガクレキ。
父親なんか無駄に海外でのポスドク経験なんかある。もっとも、かなり昔にアカデミアから去って会社員やってる。
「戦争でろくに学校なんか行けなかった」と言ってる祖母にしても師範学校出身だ。
で、ガクレキ的には良家? っぽい自分と両親だが、父親の実家はなんか違う。と、少なくともわりと有名な進学校に行き出したあたりから自分は思うようになった。
父方の祖父は中卒だが、なんとか全員大学に行かせたかったらしく、一応どんなにお勉強が不得意でもそれなりに行ける大学を探してきて放り込む、という考えだったらしい。
父方の祖母についてはわからない。
自分も「溝」を強く感じることはある。
東大はじめとした旧帝大出身の教授や準教授たち(自分は誰でも入れる大学から誰でも入れる大学院に行って学位取った)、海外での留学やポスドクをやってきた同世代の知り合い…といったように。
地方と都会とか、低学歴と高学歴とかいう括りもあるけど、それぞれ一様じゃないんだよなぁという感想を持った。
元増田の人は私と同世代のようであるが、大卒以上/高卒以下でそれを括っていたけど、私の同級生とか見ると
大学出るのは2割くらいかな。元増田の学校よりも進学者そのものは多かったと思う。
中学100人のクラスで20人位は大学か高専など大学に準ずるレベルの高等教育は受けてたと思う。
だけど、その20人のうち、首都圏に行くのは2~3人、地方の国公立に進学は5人くらい。
残りはいわゆる地元の名前書けば入れそうな大学に入る人だったな。そういう人はいわゆるここで言う「低学歴」の人と思考はそんなに変わらんように映った。
だから大卒か高卒かで区別することの妥当性は俺は無いんじゃないかなぁと思う。
地方だと、いわゆる早慶や、その下のマーチとか言われるような大都市圏の有名私大に行くためには、学力だけじゃなく
両親の経済力というハードルもクリアしなきゃないというのが問題で、もちろんバイトなどを頑張って自力で行くという選択肢はあるだろうけど
それやっちゃうと学業がやっぱり中途半端になってしまうし、本末転倒になりそうではある。
学費以外の生活コストを考えると、国公立だろうが私立だろうが東京や関西の大学に行けるだけで、地方にとってはすごい事だと思うわ。
自分も両親からは私大だろうが国公立だろうが都会はダメという約束で、高校は地域の進学校に進学した。
親父は大学行きたかったが行けなかったらしく、経済的には余裕はなかったが、それでも私にはそれなりの大学に入って欲しいと思ってたらしい。
成績はそれなりをキープしてたので、3年時に担任から某関西と東京の有名私大(今大河ドラマになってるとこと、マーチのRなところ)の指定校推薦に行かないかと誘われた。
早慶やマーチなどこういう有名私大の指定校推薦が全て揃っていたが、埋まるのは半分くらい。
早稲田政経は流石に人気だが、年によっては慶應も指定校推薦応募者がいなくて、
教師が慌てて成績優秀者に声をかける(0だと取り消されかねない)が、経済的事情からなかなか行く奴は現れない
という現状があったりする。
かくいう私も担任からも親に色々説得してもらったが、結局うちの経済力ではかなわず。
んでも、田舎の国公立って、入試難易度の割りには元増田が書いてるような意識の高い感じの人ってあんまり多くないと思う。
東京のもっと入るのが簡単な大学のほうがそういう人が多いように自分には映った。
「壁を超える」には、学歴とか頭の良さじゃなく、多様な人材が集まる場所で学業や仕事をする機会が必要なんだろうと思う。
そして、都会で何不自由ない良い家庭環境に育つと、意識せずともそうじゃない人と交わる機会が減る。
日本にはいろんな階層があるということを知らなければならないのは、アイスのショーケースに入ってるような奴もそうだが、
だから、その"地域"で選べる高校ですら偏差値が低くて底辺なら、
旧帝まで含めて浪人も含めれば数十人は居たけど、それでも上と下の差が物凄いんだよ。
で、仮にその地域の1つ下の高校に行ったとすると、その高校からは東大合格者なんて今まで一人も居ないし、
旧帝に行く人も殆ど居ない。
東京の偏差値70と地方県立しかないとこの偏差値70じゃ意味が違うと思うよ。
(高校の偏差値ってそもそもどう出してるのかしらないし、そんな田舎じゃ受験の時偏差値とか言わないし、
単に中学の成績で輪切りにされて、大体この辺り受けられます、って振り分けられるだけだし)
と、元記事を馬鹿にしてたら、
今度は「高専を行くのはやめとけ」という超ネガティブな元高専生の寄生記事が新着に上がってきた。
http://shimobayashi.hatenablog.com/entry/2013/08/06/高専はすごいかも知れないが行くのは止めてお
クラス替えも何も学校それぞれだろ。。。高専には狭い単位での専門のくくりがあるのかもしれないけど、
例えば高校に入ったまでなら、5年分の学生が居る分、普通の高校より"ムラ"はでかいし、
編入する事も出来るし。
つまりはひきこもり気質なキモイ人間だと言うことはよくわかった。
ってか、高専って、高校の中では結構偏差値高い方だと思ったんだけど違うのかな。
勿論、都内にあるような進学校と比べたらあれだけど、