はてなキーワード: 懺悔とは
先日、オンライン会議で大号泣した。それはそれはもう、酷い有様。「すみまッッッ.......ヒュ、ゴホッ、違ッンですヴッヒッ.......」文字にするとこんな感じ。
泣けば許されると思ってる女だと思われてしまうのだな、と悔しくて死にたい気持ちでいっぱい。
せめてここで誤解を解きたい。会議相手に届かないかな、という微かな希望を込めて書き残す。
・
私が人前で号泣するのは小学3年生ぶり。昔昔、掃除をサボった女の子に注意したら大号泣され、担任に謝りなさいと怒られた。事情を説明しても、泣かせたあなたが悪い、と。
その理不尽な経験から、人前で泣く人が大嫌いだ。だから私はどんなことがあっても泣かなかった。
帰り道で1人になった時、家族が寝静まった後、そういうときにひっそり泣く。
・
お客様の理不尽な依頼とはいえ仕事のツメが甘い若い社員。客先のお偉いさんからキツめの言葉で質問攻めを食らって、答えに詰まって泣き出した。
今回、私が大号泣した状況を客観的にみるとこうだ。要は、怒られて泣いたようにしか受け取れない状況だった。
否定する言葉さえ発せないほど、嗚咽が酷かった。身体は震えるし、呼吸も上手く出来ない。
お客さんや上司から、怒ってるわけじゃないんだよという優しい言葉掛けが続いて、なおさら窮地に追い込まれてった。それは分かってるんです、と言えなかった。
・
怒られて泣いたわけじゃないなら、なぜ泣いたのか。それは号泣事件の30分前のオンライン会議が発端。
客先のお偉いさんがはしゃぐお子さんに対して「うるせぇな、すいませんねぇ」と言ったのだ。大事な会議中、子どもの声が入ってしまったことへの配慮と謝罪だったと思う。
私は「うるせぇな」の声を聞いた瞬間、涙がとめどなく溢れ、身体が震えて呼吸がしにくくなった。自分でも何が起きているのか分からず、驚いた。
とにかく参加し続けれる状態ではないため、その時は体調不良を理由に会議を抜けた。
・
どうやら私は、子どもの声とそれを叱る親の声がダメらしい。よくドラマとかでみるアレ。フラッシュバックみたいな、トラウマを思い起こさせるような、そういうの。
私にそういう明確なエピソードはないが、ヒステリックに怒る母にいつも脅えて過ごしていた。どっかでまあ、トラウマちっくなものはあるかもしれない。
人が話してる声が聞こえるのが苦手なので、外では基本的に大音量で音楽を聞く。人といる時は、会話に集中することで外野音を聞こえないように努めてる。
そんな生活をしてきたから、自分にそういうトリガーがあることに気づかなかった。
今回ついに、オンライン会議のイヤホンから強制的に聞かされる「うるせぇな」で、トリガーと対面したというわけ。
・
話は戻って、大号泣した会議。それは発表者8割私の会議だった。体調不良を心配してスケジュール変更を持ちかけてくれたが、今やらねば!な内容だったのでやるしかなかった.....。
そして「うるせぇな」という言葉が頭の中をグルグルしたまま、私は会議に挑み、「うるせぇな」の人の声で再度フラッシュバックなるものが起きて大号泣した。
・
私が泣いたのは怒られたからじゃない、「うるせぇな」の声が耳にこびりついて離れなかったから。
そもそも怒られたなんて思ってない。冷静に厳格に質問をしてくださった。確かに怒りの感情はお持ちだったけど、その矛先が私ではないと分かってました。
あの後、何人かから連絡があり、とても心配していただきました。泣いた本当の理由をお話した人もいましたが、「人間だもの、過去にね、大変なことはあるよね」と慰めてくださいましたね。
ごめんなさい、特にそういうのもないんですけど、たぶんそういうことだと思うんです。
迷惑をかけて本当にすみませんでした。泣いて許されるとは思ってません。許されたかったんじゃないんです。本当に。
心配をする手間をかけさせてしまって、思ってなくても心配の言葉を投げなきゃいけない状況にしてしまって、すみませんでした。
・
ぐだぐだと懺悔してきたが、やっぱり私は泣けば許されると思ってる女が心底嫌い。
二次創作してる人にとっての創作物って、創作者同士のコミュニケーションツールだったのか~!
新しい知見を得たし、ただ二次創作を消費するだけのロム専としての申し訳なさが軽減された?っていうか?罪悪感が軽くなった。書いてくれてありがとう!
ツイッターとかでは絶対に言えないことについてここを借りて懺悔するけど、
私は正直どちらかというと創作者とは友達にはなりたくないなという気持ちが強くて、っていうのはぬるい友達になっちゃうと全然良いと思えない作品まで褒めなきゃいけない感じになりそうなのが面倒くさくて嫌だったからなんだけど、
でもそれって絵師さんや文字書きさんのこと、「二次創作を産み出してくれる便利な存在」として見てるようなものでは…?それって作品を見せて貰ってる立場としてどうなん…?っていう罪悪感が常について回ってたんですよ。
でも増田の文章読んでそんな罪悪感感じなくて良かったんだなって気づいた。
「同じ作品が好きな人達に向けて二次創作を公開してくれている」のではなくて
「たまたま全世界に公開されてる創作者同士のコミュニケーションを覗いてる」って考えればいいんだなって気付いたし、
外野から送られてくる感想はコミュニケーションの副産物程度の価値しかないのであれば、今まで匿名で送ってきた感想も創作者にとってはあんまり意味のあるものではなかったんだなって気づけました。
作品を純粋に褒めたい気持ち+作品を産み出してくれた感謝+何も産み出さずフリーライドしてる罪悪感が感想を送る原動力になっていたけれど、これからは感想も特に送らなくて良さそうで、枷が外れたような気持ちです…ありがとう!
Twitterに親の財布からお金をとって30万課金した話が流れてきた。
十分な小遣いがいくらかわからないけど、きっと子どもは幸せだろうなと思った。
お年玉も少なくてかなり苦労してた。特段裕福でもないけど、貧乏でもない家庭だったのに。
「親の財布からとればいーじゃん笑」
私はそこまで落ちちゃいないし、そもそも親が厳しかったからそんなことできないし。
そのツイートのお子さんと変わらない歳で。
ここからはフィクションだと思って読んでほしい。虚実のない混ぜでお送りします。(元ネタ分かる人いるかな)
インターネットってさ、お金を持ったおじさんがたくさんいるんだよね。
知ってるかもしれないけれど、かわいい自撮りをおじさんに送ると、お金がもらえるんだ。
肌色が多いとたくさん。
でもやめた。めんどくさくなったから。
バイトができる年齢になっても、小遣いは上がらず毎月1000円。
しかも進学先はバイト禁止だった。(部活でバイトする暇なんてなかったけど)
みんなタピオカ飲んでる中、私は100円のハンバーガーを買うか、チキン○リスプにするか悩んでた。
辛かった。だから再開した。
今度はより稼げる方法で。
ネットで画像送るより、会ったほうがたくさんお金もらえるんだよね。
時給1万とかになるともう嬉しくてさ。
10万稼いだ。同じ一ヶ月で。
やめたよ。惨めだったから。
こんな思い、しなくて済んだのにな。
親に何度も小遣い上げてって言ったけどさ、
だってさ。
結局今も理解されてないけどね。
もし、これ読んでる人の中に『親』の人がいたら教えてほしい。
どっちがマシなのか。
私にはわからない。
書いてて思ったけど、結局一番羨ましかったのは、親の財布からお金をとったことだろうな。
いいな、傷の浅い方法で。
いいな、親に怯えてなくて。
いいな、プライドがなくて。
幸せだろうな。
私も親の財布から取れたらな、増田でこんなこと書いてなかっただろうな。
今も怒りと憎しみと後悔と懺悔で、感情に押しつぶされそうになりながら書いてるよ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 56 | 8530 | 152.3 | 63.5 |
01 | 22 | 2890 | 131.4 | 50.5 |
02 | 25 | 4422 | 176.9 | 47 |
03 | 23 | 4434 | 192.8 | 40 |
04 | 15 | 1608 | 107.2 | 62 |
05 | 31 | 5804 | 187.2 | 51 |
06 | 26 | 3608 | 138.8 | 83 |
07 | 30 | 5409 | 180.3 | 92 |
08 | 39 | 4666 | 119.6 | 36 |
09 | 83 | 8195 | 98.7 | 39 |
10 | 157 | 10165 | 64.7 | 50 |
11 | 139 | 11923 | 85.8 | 52 |
12 | 132 | 12600 | 95.5 | 42 |
13 | 170 | 11943 | 70.3 | 37 |
14 | 127 | 13439 | 105.8 | 50 |
15 | 101 | 14090 | 139.5 | 30 |
16 | 52 | 6652 | 127.9 | 68.5 |
17 | 76 | 11078 | 145.8 | 61.5 |
18 | 112 | 13448 | 120.1 | 47 |
19 | 78 | 8614 | 110.4 | 36 |
20 | 74 | 14482 | 195.7 | 49.5 |
21 | 85 | 5403 | 63.6 | 44 |
22 | 92 | 9821 | 106.8 | 37.5 |
23 | 58 | 9625 | 165.9 | 60 |
1日 | 1803 | 202849 | 112.5 | 46 |
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(タイトル不明) /20170809013919(14), ■ブクマカの方って圧倒的にダサいんですね。。笑 /20200626011129(13), ■フェイルセーフとかフールプルーフとかに詳しいかたにお聞きしたい /20200626122905(10), ■ /20200626173633(10), ■百人一首ってちゃんと読むとめちゃくちゃ面白いな /20200626133925(8), ■日本国内でおすすめの移住先教えて /20200626101228(7), ■anond:20200626110646 /20200626111112(6), ■anond:20200626105515 /20200626110432(6), ■ブコメ書く・書かん基準って何? /20200625193231(6), ■5歳の娘と7歳の息子が毎晩喧嘩する /20200625231715(5), ■風俗を経てメイドになった /20200626030133(5), ■例のTikTokのキーロガー疑惑について解説するよ /20200626151740(5), ■みんな在宅勤務するときどうやってオナニー禁止してるの? /20200626154510(5), ■職質を嫌がる心理 /20200626221030(5), ■大富豪はローカルルール無しがいちばん面白い /20200626185118(5), ■たいていの女性は「性的な視線にウンザリ」していない /20200626190344(5), ■ぼくのかんがえたさいきょうの能力『永遠炎宴』に勝てる奴、いない /20200626191723(5), ■ /20200626134111(4), ■マーチは低学歴 /20200626142902(4), ■ /20200626035523(4), ■痴漢を見すごした懺悔 /20200626180423(4), ■ /20200626103324(4), ■anond:20200626100939 /20200626102121(4), ■ネットでよく見るけど読んだことない漫画 /20200624094818(4), ■無印良品が性別のない服というのを売ってるらしい /20200626130506(4), ■エコバッグ持ち歩く? /20200626132847(4), ■牛乳パック捨てにサミットに行く /20200626094042(4)
私は、人間として許されないであろう生き方をしてきた。この自粛生活の中で過ちに気付いた今、私自身に関わり、友好的に接してくれた周囲の人々に向けて全力で詫びを申し上げたい。本来ならば、これは墓まで持っていくべきものなのだろうが、あいにく幼稚な私はそれに耐えることはできず、今ここに「懺悔」として残している。
自粛期間、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』を読んだ。本の内容は、私にとって凄まじく重かった。特に後者は、この懺悔のきっかけにもなった。まだ読んでいない方は、このページを閉じて、amazonに飛んでもらいたい。
私には約2年付き合っていた同性の彼女がいた。今は全てのSNSを断ち切り、疎遠な関係になっている。疎遠とはいっても、同じ学校で共通の友人がいる以上、完全に断ち切ることは不可能だろう。
彼女と交友関係を持ったのは、共通する好みに意気投合した2年前に遡る。彼女はいわゆる何でもこなす努力家で、周囲からとても頼りにされていた。そして何より世話好きで、「皆に好かれる人間」の体現者だと思った。私はそんな彼女にどんどん惹かれていった。これが本来の恋愛感情であったならばどれだけ良かったことだろうか。
私はオタクゆえに好きなものに対しては全力で好意を表する。何でも出来て、成績も優秀、周囲から頼りにされて、その上めちゃくちゃ面白い、そんな彼女が大好きだった。授業終わりにDMで彼女に好意を伝え、「これからもよろしく」としめた。すると相手から思わぬ提案がされたのだった。「顔が好き、会う前からずっと目で追ってた。」
「付き合っちゃう?」
彼女はバイだった。驚きを隠せない中、恥ずかしながらその時まで誰かと交際した経験がなかったため、恋愛感情に似た何かと好奇心と勢いでOKした。彼女の世話焼きは一層激しくなった。何よりも自分を優先してくれるし、好意を示してくれる。人と付き合うっていいなと思った。
だが、あるきっかけを境に私は、彼女からの好意がうっとうしく感じた。
メンタルの弱った彼女がLINEの中で、「構って」と自分を求めてきた。
私はこの時点で一気に冷めた。当時は、Twitterで少し話題になっていた「蛙化現象」というやつだろうと思い、とりあえず彼女がしてくれたように甘やかした。でも一緒にいることは楽しかったし、人に影響されやすい私の成績は各段に上がった。私たちは空きコマを合わせ、二人で会う時間を増やしていき、周囲からは「ニコイチ」と認識されるところまできた。
長期休暇に入り、しばらく会えない日が続いた。私たちは毎日LINEでメッセージを交わした。そこで彼女から「寂しいから電話したい」と言われた。電話は嫌いじゃなかった。むしろ好き。ただ一つを除いて。
私は、彼女が私からの愛を求めるために「電話して?」と誘ってくるのがものすごく嫌いだった。
「愛している」と言われて「愛している」と返さなくてはならない義務が辛かった。
また、彼女が何か悩んでいたり、泣きついてくると、私は決まって適当に検索して出てくる、それに近い原因、結果、改善方法等を勝手に送り付けた。
私になんて相談しても何も得られない、だったらネットから解決策を出してくれば終わりでしょう。他人の悩みなんて至極どうでもいい、手っ取り早くその会話を終わらせたかった。そんな気持ちで接していた。
どうしても、彼女に求められると冷めてしまう。自分でも疑問に思っていたが、これは自分にとって何もおかしいことではなかったのだと、今の私は断言する。
なぜなら、私は、彼女を愛してもいなかったし、そもそもすべての人間を自分の道具だとしか思っていなかったからだ。
少し前まで、有名絵師からのフォロバを得ようとする、ゲームのような行為を続けていた。絵師の絵を毎回褒めちぎって、日常生活のツイにも反応し、故意的に仲良くなるのが楽しい。
だが、有名絵師からのフォロバはただの課程でしかなく、自分の絵の拡散数を増やすための手段として使っていた。
また、幸運なのか、不運なのか分からないが、私には仲の良い友人、親友と呼べる者も含めて数人いる。私は、所属感欲しさに、友達が好きなものにどんどん手を伸ばしていった。
これは「私はあなたの好きなものを好きになってあげたのだから、そのお返しが欲しい」というあまりにも傲慢すぎる気持ちから生まれたものだった。
同じコンテンツにハマれば、友人は気を良くしてイベントに誘ってくれたりした。
正直そういう時以外は他人を見下し、内心馬鹿にしまくって無理矢理自己肯定感を上げてメンタルを保っていた。
ただ、感謝()を伝える脳は持っていたので、何か尽くしてくれた友人に対しては、「ありがとう」、そして「愛している」と伝えた。
彼女の話に戻ろう。私は彼女から求められるのが嫌だったわけではないのだ。私の事を好きでいてくれる「彼女」というレッテルの担保がある相手に対して、さらに貢献したいと思えなかったのだ。
例えるならば、それは、限界突破済みレベル最大のカードに経験値を与えることと同じ。報酬は取りつくした、満足した。好感度を上げきった。これでは交際として成り立たなくなってしまう。そこで私はとんでもない方向に考えてしまった。
「好感度を下げれば、また自分は彼女に対して貢献し、好きでいられるのでは?」
結局これは上手くいった。上手く行き過ぎた。意図して嫌われる態度を振舞う私に、彼女から「今少し冷めてるんだ」と言われた。言われたと同時に最高に喜んでしまった。
そしてまた好感度を上げようと、様々な手で彼女に尽くす。好感度が高くなったら満足して終わる。そしてまた彼女が冷めたら、突然愛想を良くする。そんな地獄絵図を繰り返していた。
私たちはその間、何度も意見がぶつかった。何も共感も得られないし理解も出来ない。私がこうと意見すればその間をぬって反論してくる。私は、思い通りに動いてくれない、賛同してくれない彼女に対して、「使えない」と思った。
「使えない」ものに貢献しても返ってくるものは何もない。そう思った私はとにかく嫌われるような態度を続けた。友達がいないと泣いていた彼女に見せつけるように、ストーリーやTwitterで他の友達とはしゃいでいる様子を投稿しまくった。彼女が悩んでいる時も、あえて図星を指したかのような、関連する心理学を押し付けた。
最終的にその企みは上手くいき、向こうから全SNSでブロックされ、今に至る。
私は当ても構わず、感謝と同時に「愛している」と添える癖がある。
なのに彼女から「愛している」と言われ、それを返すことが出来なかった。
それは、私にとって「愛している」とは、「使えるヤツ」と同義だったからだ。
彼女は本当の気持ちで「愛している」と言っていたのか、それは判断しかねるが、私のように「使えるヤツ」という意味では絶対にないだろう。
ごめんなさい。
私は、とんでもない人生オワコン自己中人間だった。しかも他人と比較しなければ自己肯定感を上げられない。
私と仲良くしてくれている人たちに全力で謝りたい。
本当にごめんなさい。
今になってやっと自覚した。私は人を全く信じず、道具として利用して、時には玩具として遊んでいた。自分に自信がないゆえに、他人の好意に甘え続けていた。
ごめんなさい。
ただ、私の心理について気付かせるきっかけになったこと、2年間寄り添ってくれたことに、心から感謝する。
自覚した私は、償いをしなければならない。どう償おうか。
まずは、これからの人間関係、他人への思いやり、一つ一つに目を向けていこう。
そしていつか必ず、だれかを心から愛せるようになりたい。
男をみんな痴漢扱いして炎上したのを読んで思い出したから書く。
あれは珍しく残業して遅くなり電車内もまばらな状況下で起きたことだった。
電車は2人掛けシートが並んでいるタイプで、半分近くは空席(どちらにも座ってない)だった。
2人掛けシートに若く華奢な女性が1人で座ってた所に、
50歳は過ぎてそうなオッサンが隣に座ったんだ。
見てたこっちは「は??へ??」と混乱するばかりで何もできずに10秒間ぐらい眺めてるだけだった。
そしたらオッサンが「なんだ!」て怒ってるの。
そんなつもりも無いとでも言いたげに。
あの10秒間で何ができたのか、何をすべきだったのか。
追加
痴漢の話しで男女の認識の違いが起きるのは、男は目の前で起きれば助けるのにと思ってるのに、
女は周りの男は助けてくれなかったと感じているからじゃないかな
で、自分も"助けてって言われれば助けるよ"なんて軽く考えてたけど
実際の現場では見てるだけだった
"ちゃんと訴えろ"てリプするだけじゃなく、男もできることを考えた方がいい
昔A君という友達がいた。A君は日本人とアフリカ系のハーフだった。見た目は日本人離れしてたし、アフリカ系の名前を使っていた。A君は生まれも育ちも日本だった。人間性や語学力など諸々は日本人そのものだった。自分とは何一つ変わることのない日本人学生だった。A君は体格が良くて、バスケットボールが上手だった。しゃべるのが上手くて、面白いことをいっぱい言う人だった。クラスの中心的人物で、誰からも好かれていた。
一方の自分は日陰者で、A君が羨ましかった。ハーフであることもA君を引き立てる要素だと思っていたし、恵まれた運動能力にも嫉妬していた。
自分たちとは違って、外国の要素を生まれ持ったA君は、好奇の目に晒される瞬間があった。歴史や英語の授業で、A君の家族の国の出身地が出てきたりすると、みんながちらっとA君の方を見る。からかうヤツもいた。A君は笑いをとるのが好きだった。お笑い芸人のネタとかをみんなの前で平気で披露するような人だった。だけど、自分の人種が絡むことで笑いを取ろうとしたことはただの一度もなかったような気がする。もう20年も前の話だから記憶は定かではないけど、そんな気がする。その場をやり過ごそうとする、気まずそうな苦い表情ばかりが思い出される。いつもはケラケラ笑っているひとだったのに。
A君とは卒業後すぐ疎遠になった。大人になった自分の目線で、A君のことを想う機会がなかった。あんなにクラスの中心で輝いていたけど、A君は実は嫌な思いをたくさんしていたのかもしれない。ガキだった自分はただの一度もその可能性に思い至らなかった。
「差別をなくそう」なんて声高に叫んだことはない。だけどいま、恥ずかしくて、情けなくて、申し訳ないという気持ちが湧いてくる。A君に対して失礼なことをしてしまったことがあるような気がする。そしてそれをいままで気にせずに、のうのうと生きてきたのだと思い知る。
自分たちは、A君の強さに助けられていたってことではないのか。本当に申し訳ない。いまからでも、自分に何ができるか考える。あのときのA君のような苦い表情を浮かべる人が減るように。申し訳ない。申し訳ない。申し訳ない。
今夜は産まれないとタカを括って、いつもは湯船に入るけど、シャワーのみ。
寝付きが悪い。寝る前にやってたゲームを夢の中でもプレイしてる。
今振り返ると、前駆陣痛(本陣痛?)でお腹が張ってたから寝付きが悪くて夢を見てたのかもしれない。
6:55 破水
目が覚めてTwitter巡回してたら、どぅるんって胎動が下の方であった直後にシャバっと破水。
お股を手でガードしてトイレまで辿り着くも、便座に座る前に盛大にバシャっと床に落ちる羊水😂
陣痛の痛みはなし。
不規則に張る程度。
麻酔投入①
足、下腹部、腹部に保冷剤を当てられて、麻酔の効きをチェック。下腹部は本当に何も感じない(°_°)
4cmのバルーンを挿入。麻酔が効いてるため違和感程度の痛み。
麻酔がないとかなり痛いらしい、と先生から聞いて、麻酔の効きに感謝する。
11:00 やっと朝ごはん。そういえばたまに痛いかも!?程度の痛み。
11:30 お昼寝。蒸気でホットアイマスクつけてすやぁ(´-`)💤
陣痛用ご飯。かわいいサイズのおいなりさん1つとお味噌汁、一口ゼリー3個。
陣痛が激しくなったら、これしかご飯食べられないのかとびびる。
13:00 陣痛(腹部鈍痛)5分間隔に。
ゲームのイベントが14時〆だからひたすらリズムゲームに熱中。ゲームに気を取られてたら、結構痛くなってきた。
麻酔②追加。
13:45 陣痛2〜5分間隔に。
麻酔③追加
14:15 内診。4センチのバルーン挿入入れたところ、なんと子宮口5センチに😲
バルーン分よりもより開いてる‼️
ずっと上向きで寝てたら、👶の心拍が80位まで落ちる。
(正常域は110〜160程度)
助産師さん3〜4人がバタバタと駆けつけ、ちょっと異常な雰囲気。
麻酔④追加
この麻酔④から、助産師さんを呼んで注入してもらうのではなく、自分で手元のボタンを押して任意のタイミングで麻酔入れられるタイプに。
無痛分娩代(+10万円)払ってるから、絶対に痛くないお産にしようと意気込み、躊躇なくボタンを押すことを決意。
15:30 やっぱり上向くと👶の心拍が下がっちゃう。酸素マスクつけて横向きに。
やることなくて暇だから、「新鮮な空気美味しいねえ」とか「あと何時間で会えるかなあ?」とかひたすらお腹の中に話しかける。
16:30 陣痛の間隔2分おきに。👶の心拍も安定してるから、酸素マスク外す。
17:00 内診。子宮口は変わらず5センチくらい。子宮口をやわらかくするための注射をお尻に打つ💉
導尿ついでに内診したら、👶の頭の位置が下がってきてるとのこと!
18:30 促進剤やめて明日にするorつづけて今日産む会議。
→つづけるに決定!👶頑張るよー!
19:00 隣の分娩室にいきなり経産婦さん(破水始まりの子宮口全開?)はいってくる。叫び声にびびる。
隣の妊婦さんと助産師さんの「はーーー」の呼吸に合わせていきむ練習する。
廊下で助産師さんが旦那さんに電話してて、「ついたときに生まれてるかもしれません」って言ってるの聞こえる…。
こんなに叫ぶほど痛くなるのかと震えて、「この人は無痛じゃない無痛じゃない」と心の中で念仏のように唱える。
隣の人の叫び声にびびって麻酔のボタン押しそびれたから、この日一番の痛みが2分毎に。
キリキリ系痛さじゃなくて、鈍痛系痛さ。
痛さとしては、2日目の生理痛で「今日はもう仕事休んでしまおう」と心が折れる数年に一度の憂鬱な生理の日レベル。
20:00 導尿②
やったあー!!!
(新型コロナのため立ち会い出産は分娩直前1時間程度とのルール。)
でも相変わらず上向きで寝ると、👶の心拍が90くらいまで下がる。
場合によっては(心拍下がる状態が続くようなら)帝王切開or鉗子分娩かもしれないと医師に告げられる。
ただ、もう鉗子できる位置まで下がってきてるから、あとは鉗子で引っ張るだけとのこと。
このあたりから、ずーーーーんっとお尻の骨が内側から押される感じ。(痛くはない。違和感。)
21:00 旦那到着🚕
待ち望んだ子宮口全開(((o(*゚▽゚*)o)))
助産師さんからもらったクラリセージ(分娩促進成分あり)のアロマを嗅ぐと、ちゃんと陣痛の波が来る。
アロマのパワーすごい(°_°)‼️
22:00 微弱陣痛になっちゃってたから、頑張っていきもう、次に👶の心拍下がったら鉗子分娩にしよう(帝王切開はしない)と医師が決める。
でも無痛で微弱陣痛だから、いきむタイミングがなかなか掴めず。
NSTの数値が上がったタイミング(陣痛がきたタイミング)でぎゅっとお腹&お尻に力を入れてみる。
この時点でもお腹の痛みはなし、お尻の骨をズーンと押される違和感しかなく、旦那、助産師、医者と冗談言いながら笑って話せる程度。
10回位いきんだところで、これ以上なかなか降りて来ないからと鉗子分娩に切り替え。
いきむタイミングで助産師さんにグイグイお腹を押されたけど、麻酔のおかげでその痛みもなし。
押してる助産師さんは大変そうだけど、痛みがないから結構他人ごと。笑
ただ、何回目かのいきんだタイミングで助産師さんが、何かをさっと拭き取ってポイッとゴミ箱に投げ入れる動作をしてたから、💩を漏らしたんだと思う。
そんな状況も冷静に観察できるくらい痛くない。
いきむタイミングで、肛門に指を入れられて、内側から押してもらう。
このとき推しカプの姿がふっと脳裏をよぎり、わたしは無痛の麻酔が効いてるから全然痛くないけど、いつも痛い思いをさせてごめんね、となぜか懺悔の気持ちになる。
会陰をチョキンと切開する。痛くない。
鉗子の挟む器具をつけてもらう。
微弱陣痛とともに5回くらいいきんだら、つるん!で頭が出てきて、にゅるん!で肩から下が出てきて産まれてきてくれた。
体力全然余ってたから、大きい声で「おつかれさま、よくがんばったねー!かわいいー!!!」を連呼。
23時以降
「会陰縫う回数なるべく少なくしてください」ってお願いするも、「細かく塗った方が綺麗に縫合されるよ」的なことを言われ、体感8針〜10針くらい縫われる。
「麻酔が切れる前に縫合おわりますように」とひたすらに願ってたから、この時間が一番長く感じた。
あとは麻酔が切れるのを待ち、部屋に戻って就寝。
生後1週間たった今は、よく寝て、よくおっぱいを飲んで、布団をキックで蹴り飛ばす脚力強い子を育ててます。
出産時より、今の方が授乳等の肩こり、おっぱいの張り、抱っこの腱鞘炎で体の節々が痛い。
兄弟に出産祝いとしてエステ券を要求したから、届くのが楽しみ。
破水始まりで、病院到着後すぐに麻酔を投入したこともあり、「痛い」とは1度も言わなかった。
これは病院が「麻酔で、生理痛レベルの痛みをMAXにする」との方針で、すぐに麻酔を入れてくれたおかげ。
また、わたしが「無痛分娩代の元取るぞ!麻酔入れまくるぞ!」と気合十分で挑んで、全然痛くなくても麻酔投入のボタンを30分〜40分に1回は押したおかげ。
痛みがないことで、ソフロロジー式呼吸やお腹の中の👶への声かけに専念することができて、結果穏やかな楽しいお産につながった。
ちなみに一番痛かったのは、38w頃の前駆陣痛。
寝てたら急にキリキリ系の痛みがきて、「痛い💢💢💢」と半ギレ状態で目が覚めて、身体中汗びっしょりだった。
38w時点で96mmと頭が大きかったので、帝王切開の可能性もあると言われていた。
自然分娩じゃないことに対する申し訳なさ等は予習段階から一切なし。
無事に健康で生まれてきてくれたら、分娩方法は問わないよってお腹の中の👶に言い聞かせてた。
インスタで鉗子分娩で生まれてきた頭の長い👶の写真をあらかじめ見てたため、頭が引き延ばされて生まれてきた👶を見ても、「まあそうだよね!」という気持ち。
頭の長さは生後2日で元に戻った。
ただ、やっぱり頭は大きい笑
だっこしてると頭がかなり重い笑
すでに腱鞘炎になりかけてるため、バンテリンの手首サポーターのお世話になってる🙏
分娩時間は11時間、鉗子分娩もしたから一般的に「最高の安産!」というわけではないけれど、個人的には最高に楽しくていいお産だった。
痛みを感じることがなかったから、心に余裕を持てたことが一番の要因かな。
無痛分娩=時と場合によってはかなり痛い、とは知ってて、かなり運要素が強いものだと思ってたけど、幸い当たりを引くことができてよかった。
本当、私はたまたま今回運良く麻酔がきっちり効いてくれたおかげで、今後あるかもしれない第二子の出産に対する恐怖まで取ってくれた。
表立って言えないあれやこれ、過去への懺悔、愚痴、属する界隈への苦言
こういうのを書くために、俺はここを活用してる
だってTwitterみたく垢名出た上で公開するサイトだと、何がきっかけで燃えるか分かったもんじゃない
燃えたら最後、鳴り止まぬRT通知とマシンガンの如く飛んてくる様々な返信
そして最終的になんJか嫌儲辺りの連中が個人情報掘って晒し上げ、哀れ永久フリー素材
界隈系の愚痴や苦言ならその界隈の大半が敵として襲いかかってくるおまけ付き
そうなるのが嫌だから、ここで書いてる
バズっても誰かわからないもんね
……でも、投稿時の注意書きを見てわかるように、誰かが通報して、コイツ悪者なんで!って言えば削除される
これ私への悪口ですよね、書いた人誰ですか?って言えば個人情報が行く
ヲチ系やネトスト界隈の中には、クラッキングが大好きな所もあるそうだし、はてなの鯖クラックされて抜かれる可能性もある
だから怖くなってきた、俺の個人情報はもう抜かれてて、Torでしか見られないような掲示板で晒し物にされているのではないかと
怖い
【嫁が100%悪い時】
「俺が気づかなくてごめんね」と誠心誠意謝罪する。言葉の謝罪で許されるのはこの時だけ。
【嫁が90%悪い時】
誠心誠意の謝罪は当然だが、数日の無視・厳しく当られるのは覚悟しなくてはならない。その際も嫁が気持ちよく俺を非難できるように、迷惑過ぎず大げさ過ぎない愚かな自分を提供できるよう心掛ける。
【嫁が80%悪い時】
このレベルになるともはや許されるという事はない。夫に20%も怒られる原因がある時点で、ニュースで報道されるレベルのDV被害を引き起こしてると自覚すべき。自分の全てを嫁と家族の為に捧げますと改めて懺悔すると共に、年間レベルでのあらゆる個人的要望の自粛が必須。
【それ以外】
もはや考えるのもおぞましい。生きる意味を考え直す必要がある。
【最後に】
自分の要望を言うなぞ論外だが、嫁のリアクションや要望全部にいい顔をしようというのも未熟な証拠。夫とは、嫁が気持ちよく見下せて、欲しいものを欲しい時に出してくれて、かと言って押し付けがましくもなく叩きたい時には気持ちよく叩けるサンドバッグで、汚い物は全部引き受けてくれる肥溜であれ。
Vaioのパソコンを買った。ボーナスと会社の補助と新生活キャンペーンを駆使して20万円もする物を勢いに任せて買った。
長野の工場で組み立てられ、カスタムされた製品を目にするまで、箱を開くまで、私は自分が誇らしかった。
包みを開いて黒光のパソコンを手にしたとき、走馬灯のように人生で初めて与えられた自分のパソコンを思い出した。もう10年も会っていない父親が、当時まだ大学に入って間もない私に買い与えた最新のVaioだった。オリジナルカラーの薄型モデル。安くはない。
憎たらしい子供で、素直な感謝よりも「どうしてこんなに高価な物を与えるのだろう」という疑問を先に抱いていた。どうせ使いこなせないのに。単純作業にしか使わないのに、と。感謝よりも申し訳なさと、それを感じさせられることに少し怒りも覚えていた。
激しい夫婦喧嘩の後、殴られて休んでいる母を置いていつも父親は子供達を連れ出した。デパートに連れて行って、欲しがる物を買い与えるために。欲しいものなどないし、いつも質素な生活をしているから欲しがる知恵もない。長男だけが賢くて、そのチャンスにナイキのシューズとか高価な物をリクエストする。姉も私と同じで欲しがるものがなかったから、「最新鋭の商品だ」とか「流行っているんだ」とか言われてGショックの時計を買い与えられていたのを覚えている。他人のものは覚えているのに、自分が買い与えられた物を覚えていない。Gショックの記憶が姉だったか、私だったか。覚えていないのだから、多分大切にも扱わなかったんだろう。欲しくもなかったんだから。
今はそれを申し訳なくも思う。たとえ父の完全なる自己満足で「俺はここまでやってやったんだ」と思いたいがためだけの行動であったとしても、本人はそれが本当にいい物だと思っていたのだろう。相手の気持ちを察するだとか、そういう機微がない人だったから、すれ違ってすれ違って、重なり合わない会話だけを上辺で流すことになったんだろう。
ずっと疑問だったことに対して、ふとした時に答えを見つけることがある。もしかすると、本当に喜んで欲しかっただけだったんじゃないかと。不器用だけで済まされる問題でもないけれど、そこに生身の人間がいて、父なりの苦悩もあったのだと思う。Vaioのパソコンは本当に高いのだ。高いけど、本当に最高で、買えるもんなら買いたいと憧れられるほどに良い物なんだ。価値も分からない小娘にポンと与えるおもちゃでは無いのだ。きっと娘を考えてオリジナルカラーでカスタムしたんじゃないか、高くても軽量で薄型を選んだんじゃないか。自分が予算と性能を照らし合わせてカスタムしたパソコンを手にした時、あの時の父は何を考えて、あのパソコンをカスタムしたのかと考えてしまった。
思い出を美化するわけでもなく、ただ単に社会に出て視野が広がり、物事の価値や苦労を知ることで、もしかしたらあの時の両親はこうだったにではないかと感じることが増えた。
高価な物を買い与えられるほどに口封じのように感じられて頑なになってしまっていたけれど、そこに一切の気持ちがなかったとは言えない。冬にものすごく傷つけられた時、対話や謝罪ではなく電気毛布だけが送られてきたこともある。それがとても悔しくて、使わないまま放っておいた時間があった。当時の私は物ではなく言葉が欲しかった。今思えば、父は言葉のかけ方が一切分からなくなっていたんだろう。冬だから、寒いから、そこで選んだ物に少しでも気持ちは入っていたのだと気づく。物でしか伝え方が分からなかったのかもしれない。
仕事でもVaioのパソコンを叩いて、アメリカにもEUにもメールを書いて、今の私が結構立派に社会人をしていることを父は知らない。
もし知ったら驚くと思う。その後に喜ばれる、だなんて単純に考えてはいない。怒りとか、憎しみとか、邪魔をしてやろうとか、どんな感情を持たれるかは想像がつかない。彼の抱えているであろう孤独や沼は深いから、私はもう近づけない。
Vaioのパソコンを見るたびに父を思い出す、そんなこともきっとない。ただ、今後の人生においても何かのきっかけで彼を思い出して精神で対話することはあるだろう。それは教会の懺悔室に似ている。何をどうすれば良かったかは分からないが、ただ祈って許されたい。
父のことを思い出す日が増えたから、父の死が近いのかな。逆に私だったら笑えるな。
最後に会ったのは10年前の名古屋。神戸の大学で当時付き合っていた彼氏のバイクで旅行したついでに父親に会ってみたのだ。彼氏を名古屋の繁華街にほっぽりだして、1人だけ父親とランチに行ったんだけど、今思えば本当に理解のある彼氏だったなあ。
食事が終わると父はお小遣いをくれた。そして「あの角まで彼氏が迎えにきてるから、ここで」とレストランの前でお別れを言ったのが最後だった。その後にメールで「なんであの時に、娘の彼氏に会ってみたいって言えなかったんだって、後悔している」と書かれていた。その後も家族でイザコザが続いて、一切経済的な援助も何もなくなった代わりに、父との関わりもなくなった。それ以来声も聞いていないし、メールすらない。
でも記憶には残っている。
一時期ゲーセンの某ゲームの晒しスレに張り付いて知らんやつを叩いてた。
擁護のフリしてわざとバカなこと言って逆に苦しい立場に追い込んだりした。
叩きたいやつと別の晒されてるやつをわざと比べて対立を煽る。
あとツイッターを監視して、そいつの別趣味のジャンルの人達に悪評を流した、風に見せた。(好きなものを見る度に晒しスレのことを思い出してもらうため)
ひたすら他人を巻き込んで追い込んでたらゲーセン引退して別ジャンルに行った。(確かボドゲ)
だから「ボドゲ界隈でそいつか古巣の悪口を言ってるらしい…」という風評をバラまいた。
ついでにボドゲのコミュでもこいつ晒されてたクソってマジ?って質問するフリして荒れネタにした。
別に恨みもないし、嫌いでもなかったんだけど少し悪いことしたかなーと思う。
まあでもいい暇潰しになったんでまたヤツには戻ってきて欲しい。
くよくよすんなって。
愛犬が旅立った。
ここ数年は自分が体調を崩した関係で、パートナー不在時に代わりに世話をするのも厳しく、粗相の度に耐えきれず罵声を浴びせたりもした。もう16歳を過ぎた老犬。オムツをしていても駄目な時は駄目。頭の中ではどうにもならない事は分かっていたから、犬の方は見ずに毎回壁に向かって怒鳴りながら後始末をしていた。
早くしねばいいのに、とも言った。実際、しんでも悲しくも何ともないと思っていた。悪臭もなくなり掃除の手間も減り、逆にせいせいすると。
しかし、実際居なくなってみると、全く自分の感情に整理が付かない。こうして吐き出して今自分に何が起きているのか把握するしかない。
素直な感情としては、悲しい。居なくなってどうしたらいいのか分からない。一緒に遠出した事や些細な日常を思い出す。スマホの写真の整理をしていると、心がかき乱される。あんな酷い言葉を放っていたのに?パートナーの方が何倍も辛い思いをしているのに?自分の身勝手さに腹が立つ。何もしていないのに。都合のいい人間過ぎる。悲しむ資格などない。
犬の服を洗濯して干した。この服を干すのもこれが最後だと思うと、また心がグチャグチャした。
もう悪臭の原因は居ない。余計な掃除が増える事もない。自分が望んでいた生活になるのに?なのに悲しんでいる?本当に自分勝手。
パートナーには、悲しいと伝えられない。大した世話もしていないのに、と思うに違いない。この思考回路も保身か?情けない。
日を追うごとに衰弱していく姿を見ながら、撫でる事しかできなかった。早くしねばいいのに、とか言っていたくせに?犬には全部見通されていたのかもしれない。最低な奴だって。
今悔い改めてもどうにもならない。赦してはもらえない。
心がグチャグチャなままで生きていくことが罪滅ぼしになるのか?分からない。もう手遅れ過ぎる。懺悔させて下さい。ごめんなさい。