私は、人間として許されないであろう生き方をしてきた。この自粛生活の中で過ちに気付いた今、私自身に関わり、友好的に接してくれた周囲の人々に向けて全力で詫びを申し上げたい。本来ならば、これは墓まで持っていくべきものなのだろうが、あいにく幼稚な私はそれに耐えることはできず、今ここに「懺悔」として残している。
自粛期間、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』を読んだ。本の内容は、私にとって凄まじく重かった。特に後者は、この懺悔のきっかけにもなった。まだ読んでいない方は、このページを閉じて、amazonに飛んでもらいたい。
私には約2年付き合っていた同性の彼女がいた。今は全てのSNSを断ち切り、疎遠な関係になっている。疎遠とはいっても、同じ学校で共通の友人がいる以上、完全に断ち切ることは不可能だろう。
彼女と交友関係を持ったのは、共通する好みに意気投合した2年前に遡る。彼女はいわゆる何でもこなす努力家で、周囲からとても頼りにされていた。そして何より世話好きで、「皆に好かれる人間」の体現者だと思った。私はそんな彼女にどんどん惹かれていった。これが本来の恋愛感情であったならばどれだけ良かったことだろうか。
私はオタクゆえに好きなものに対しては全力で好意を表する。何でも出来て、成績も優秀、周囲から頼りにされて、その上めちゃくちゃ面白い、そんな彼女が大好きだった。授業終わりにDMで彼女に好意を伝え、「これからもよろしく」としめた。すると相手から思わぬ提案がされたのだった。「顔が好き、会う前からずっと目で追ってた。」
「付き合っちゃう?」
彼女はバイだった。驚きを隠せない中、恥ずかしながらその時まで誰かと交際した経験がなかったため、恋愛感情に似た何かと好奇心と勢いでOKした。彼女の世話焼きは一層激しくなった。何よりも自分を優先してくれるし、好意を示してくれる。人と付き合うっていいなと思った。
だが、あるきっかけを境に私は、彼女からの好意がうっとうしく感じた。
メンタルの弱った彼女がLINEの中で、「構って」と自分を求めてきた。
私はこの時点で一気に冷めた。当時は、Twitterで少し話題になっていた「蛙化現象」というやつだろうと思い、とりあえず彼女がしてくれたように甘やかした。でも一緒にいることは楽しかったし、人に影響されやすい私の成績は各段に上がった。私たちは空きコマを合わせ、二人で会う時間を増やしていき、周囲からは「ニコイチ」と認識されるところまできた。
長期休暇に入り、しばらく会えない日が続いた。私たちは毎日LINEでメッセージを交わした。そこで彼女から「寂しいから電話したい」と言われた。電話は嫌いじゃなかった。むしろ好き。ただ一つを除いて。
私は、彼女が私からの愛を求めるために「電話して?」と誘ってくるのがものすごく嫌いだった。
「愛している」と言われて「愛している」と返さなくてはならない義務が辛かった。
また、彼女が何か悩んでいたり、泣きついてくると、私は決まって適当に検索して出てくる、それに近い原因、結果、改善方法等を勝手に送り付けた。
私になんて相談しても何も得られない、だったらネットから解決策を出してくれば終わりでしょう。他人の悩みなんて至極どうでもいい、手っ取り早くその会話を終わらせたかった。そんな気持ちで接していた。
どうしても、彼女に求められると冷めてしまう。自分でも疑問に思っていたが、これは自分にとって何もおかしいことではなかったのだと、今の私は断言する。
なぜなら、私は、彼女を愛してもいなかったし、そもそもすべての人間を自分の道具だとしか思っていなかったからだ。
少し前まで、有名絵師からのフォロバを得ようとする、ゲームのような行為を続けていた。絵師の絵を毎回褒めちぎって、日常生活のツイにも反応し、故意的に仲良くなるのが楽しい。
だが、有名絵師からのフォロバはただの課程でしかなく、自分の絵の拡散数を増やすための手段として使っていた。
また、幸運なのか、不運なのか分からないが、私には仲の良い友人、親友と呼べる者も含めて数人いる。私は、所属感欲しさに、友達が好きなものにどんどん手を伸ばしていった。
これは「私はあなたの好きなものを好きになってあげたのだから、そのお返しが欲しい」というあまりにも傲慢すぎる気持ちから生まれたものだった。
同じコンテンツにハマれば、友人は気を良くしてイベントに誘ってくれたりした。
正直そういう時以外は他人を見下し、内心馬鹿にしまくって無理矢理自己肯定感を上げてメンタルを保っていた。
ただ、感謝()を伝える脳は持っていたので、何か尽くしてくれた友人に対しては、「ありがとう」、そして「愛している」と伝えた。
彼女の話に戻ろう。私は彼女から求められるのが嫌だったわけではないのだ。私の事を好きでいてくれる「彼女」というレッテルの担保がある相手に対して、さらに貢献したいと思えなかったのだ。
例えるならば、それは、限界突破済みレベル最大のカードに経験値を与えることと同じ。報酬は取りつくした、満足した。好感度を上げきった。これでは交際として成り立たなくなってしまう。そこで私はとんでもない方向に考えてしまった。
「好感度を下げれば、また自分は彼女に対して貢献し、好きでいられるのでは?」
結局これは上手くいった。上手く行き過ぎた。意図して嫌われる態度を振舞う私に、彼女から「今少し冷めてるんだ」と言われた。言われたと同時に最高に喜んでしまった。
そしてまた好感度を上げようと、様々な手で彼女に尽くす。好感度が高くなったら満足して終わる。そしてまた彼女が冷めたら、突然愛想を良くする。そんな地獄絵図を繰り返していた。
私たちはその間、何度も意見がぶつかった。何も共感も得られないし理解も出来ない。私がこうと意見すればその間をぬって反論してくる。私は、思い通りに動いてくれない、賛同してくれない彼女に対して、「使えない」と思った。
「使えない」ものに貢献しても返ってくるものは何もない。そう思った私はとにかく嫌われるような態度を続けた。友達がいないと泣いていた彼女に見せつけるように、ストーリーやTwitterで他の友達とはしゃいでいる様子を投稿しまくった。彼女が悩んでいる時も、あえて図星を指したかのような、関連する心理学を押し付けた。
最終的にその企みは上手くいき、向こうから全SNSでブロックされ、今に至る。
私は当ても構わず、感謝と同時に「愛している」と添える癖がある。
なのに彼女から「愛している」と言われ、それを返すことが出来なかった。
それは、私にとって「愛している」とは、「使えるヤツ」と同義だったからだ。
彼女は本当の気持ちで「愛している」と言っていたのか、それは判断しかねるが、私のように「使えるヤツ」という意味では絶対にないだろう。
ごめんなさい。
私は、とんでもない人生オワコン自己中人間だった。しかも他人と比較しなければ自己肯定感を上げられない。
私と仲良くしてくれている人たちに全力で謝りたい。
本当にごめんなさい。
今になってやっと自覚した。私は人を全く信じず、道具として利用して、時には玩具として遊んでいた。自分に自信がないゆえに、他人の好意に甘え続けていた。
ごめんなさい。
ただ、私の心理について気付かせるきっかけになったこと、2年間寄り添ってくれたことに、心から感謝する。
自覚した私は、償いをしなければならない。どう償おうか。
まずは、これからの人間関係、他人への思いやり、一つ一つに目を向けていこう。
そしていつか必ず、だれかを心から愛せるようになりたい。
うーん、この
人類ってくだらないなぁ。
相手が望む物を与え代わりに自分が欲しい物を手に入れる、互いの需要供給バランスが崩れたら離れる、って人間関係の基本的な在り方だと思うけどなあ そんな自責的にならんでもよく...