私には老いた父がいる。それと姉が一人。
情に厚く博識で義理堅く穏和で長身で逞しくてなんでも出来た父は、引きこもりになった。
今、娘たちは手が離れ父は一人で暮らしている。
私は多忙のために精神的に余裕がなく老いた父を見るのが煩わしくて、半年に一度顔を見ればいいほどだ。
引きこもりの父はすっかり色が白く筋肉は落ちて声帯は衰え、喋るのも歩くのもままならなかったそうだ。
なにより、そんなままならない自分の状態に苛立ち、絶望していたのは父だったという。
クローゼットの扉の修理を手伝うはずが立って板一枚支えてすらいられず、青ざめて座り込んだまま宥め促すまで帰れなかったのだ。
姉は長女らしくもっと会ってやらねば、少しでも頼ってやって生きがいを与え、外に出してやらねばという。
まったくその通りだと思う。
人道的にも、世間的にも、父に必要なのは家族の理解と支えだろう。
しかし私は、どうにもそれが煩わしく、とてつもなく関わりたくないと思ってしまう。
なんて薄情な娘だろうと思うが、私は早期退職した父の年金だけでは満足に養えないという理由で15歳で家を出た。
それからずっとひとりで生きてきたのだ。
誰にも頼れなくて学費を払えず高校を中退して、18歳の春に退学届を出した翌日風俗の面接を受けにいった。
ファーストキスは講習をした風俗店のオーナーに、処女をクズみたいな風俗の客に奪われた。
こんなもんかと言い聞かせ、血肉を切り売りして生きてきた。
もう10年になる。
実に人生の半分近くをそうして生きていると、一人で生きられない人間は自己責任の努力不足で甘えてるのだと思ってしまう。
ましてや父など、私より四十数年長く生きている立派な成人男性だ。
時間と気を遣って面倒をみて庇護してやるなど、本当に必要なのだろうか?
父はまだ六十代後半だ、世間の六十代といえばまだまだ現役世代と言える。
病院に通っているのだから、ケアマネージャーを頼むなりカウンセリングを受け適切な指導を受けるなり、やりようはあるはずなのだ。
しかし本人にその気がないのなら、そのまま朽ちてしまうとしても自己責任ではないのか?
父には男手一人で育ててもらった。何かと手助けをしてもらった。
だがまともに共に暮らしたのは物心が付く前の数年間と、母の虐待に耐えられず逃げ込んでからの5年ほどだ。
いつも何かに怯えて、顔色を伺って、息を潜めていた。
本当に申し訳ないし、情が薄い、薄情で、人の心がない、最低な人間だと思うのだが、
歪ながらもようやく安定した生活の時間と精神の均衡を崩すとわかっていてまで手を差し伸べられない。
ごめんなさい。
並々ならぬ痛苦があっただろう。一人の女に振り回され虐げられ、人生捨てて心を壊して哀れな男だと思う。
父も被害者だ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
あなたは赦しを求めている?現実的な解決策は社会の仕組みに任せて、あなたの心をほぐすためには信頼できる宗教を見つけて。何かに祈ったりした懺悔したりすることは行けないこと...