はてなキーワード: 学問とは
いえ、こちらも大変興味深いやり取りでした。以下に返答をしておきますが、夜遅いですので、後日ゆっくりお読みいただければけっこうです。
いわゆるゆとり世代だけど今の子達授業でプログラミングとか金融とかやってるの羨ましい
誰も詳しい人いなくて教えてくれないから全部自力でヒイヒイ言いながら覚えてるし
もともと自分は大学の学部を興味だけで決めて(それ自体はすごく良かったし楽しかったし全然後悔はしてないけど)
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何かなりすまし来てるけど
0:男
1:嫌いではないが好きではない。好きな絵柄のタイプはある。萌え絵にしか反応しないオタクが俺がいいなと思った絵柄を可愛くないと言って見下すのをよく目にするのでいい印象を持ててない。だがそれはオタクの幼稚な人格にムカついているだけで、萌え絵自体に罪や瑕疵があると考えたことはない。
2:学問的なフェミニズムは重要だし人権意識に基づいた不当な抑圧をなくしていくのは大事な活動だ。だが現状フェミニストの名を冠している活動家たちはミサンドリーが強すぎると思うし攻撃的な振る舞いで敵を作ることを繰り返しているので端的に言って愚かだと思う。そういう人間をフェミと呼ぶのであれば、あれらには賛同できないだけに留まらず、批判していくべきであると感じる。ただし、根幹の原因はあれらの人格にあるというよりも、生きづらさをうむ社会構造や経済的な貧しさにもあるだろう。それらは教育や文化を貧しくする根本の原因だからだ。
3:弱者とは思っていない。
0.男
1.好きは好き。
2.ふつうに頑張ってほしい。そりゃ変な人もいるだろうけどもそれはどんな社会活動でも変わらん。
社会学の中の一分野で、社会によって規定されている女性という観念を解体する学問みたいなイメージ
3.はい。
してないよ
個々のクレーマーに対して適切に処置するためには、まずその前提を共有しないと議論の前提に立てない
集団の個々じゃなくてフェミニズムそのものの学問として、社会貢献や平等社会実現としてのフェミニズムを学ばなければ相手の言葉の文脈を全く理解できてないと言ってるんだよ
正直苦手。絵柄も、アニメの女性声優の演技も昔から違和感があり、興味のある作品も純粋に楽しめなかった経験あり
姉がいる。幼少期から、ジェンダーバイアスにより姉が自分よりも理不尽な苦労をしてきたのを見ているので、ジェンダー平等の社会を強く望むし、そのための活動は基本的に応援する。更に娘が生まれて、早期にジェンダー平等を実現したいという気持ちが強まった。
印象:学問や言論としてもっと成熟すべき。社会変革に向けて戦略的に活動すべき。
集団の個々じゃなくてフェミニズムそのものの学問として、社会貢献や平等社会実現としてのフェミニズムを学んだ上で、同じステージで所作を批判したら会話が成立するだろ?それをしないでぼーっと批判してるのはオタクとして怠慢にしか見えないんだよ
フェミニズムに反論してるオタク、議論として反論したいならそれこそ色んなフェミニストが必死で説いて回ってるし、学問もあって参考文献もたくさん良書が提示されてる現代でさ、相手の主張の背景や主張の目的や包括的な主張の内容を分かった上で的確に反論すればいいのに。Amazonとかでフェミニズムで検索してランキング上位を10冊読むだけでも違うでしょ?簡単でしょ?
読解力や社会性がないから目の前のツイフェミのちょっとした言葉一つを捉えて的外れな噛みつき方をしてるだけで情報量の少ない中学生の煽りみたいな文言しか出てこないんだろうなと残念に思うな
オタクvsフェミニストなんじゃなくて、これは本を読まなくなって文字が読めない上に社会性の乏しい現代人vsフェミニストなんだと思うわ
理解できてないくせに上部の言葉遊びで無限に的外れな反論ばかりされるフェミニストと遊んでも、フェミニストは女性用シェルターを作ったり女性を保護したり社会貢献してるんだよな。あちらは社会に価値を提供し生み出す側で、オタクは与えることも生み出すこともなくただ座って批判して邪魔する側でしかないのを自覚しないといけない
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
「マスメディアや公共空間において不快な表現に接しない自由」とかいう文章書いたやつ馬鹿の中の馬鹿なのか人類を破滅に導く悪魔かなんかだよな。裕福で学歴のある馬鹿。
そもそも不快な表現ってのは考えの浅い50やら60やらのババアが嫌うエログロだけじゃねえんだよね。
90歳ぐらいのジジイから見たら女が外に働きに出るとか、女が学を付けるとか、イエの言う通り結婚しないとか、そういう表現やそういうことを推進する表現は猛烈に不快な表現ですよ。そういう人から見たら男女共同参画のポスターとか破り捨てたいよね多分。
そうじゃなくても40やら50ぐらいのおっさんおばさんにはそもそも大学に行くなんて無駄に決まってるとっとと就職しろ家の田んぼの面倒を見ろなんてのもイナゴぐらいワラワラいますよ。奨学金とか大学とか学問とか図書館とか全部不快なんで消してほしいよね。
ゲイ表現嫌ってる人もたっぷりいる。歌舞伎町にそれっぽい絵柄の人たちが仲良くしているイラスト看板だすのが取り下げになっちゃうんだぜ?蘇民祭のポスターであった程度の男臭い表現も嫌う人がいる。
そもそもワクチンをうちましょう!っていうのが不快で不快でしかたない馬鹿が石投げたらあたりそうなぐらいいっぱいいるじゃないこの世間。
こんなものは認めちゃいけないんですよ。分断のための道具。万人にとって不快じゃない表現なんてひとつもないんです。それをこらえてみんなで許容することが多様性なんです。
だけど野良カウンセラーは答えをくれる。さらには霊感商法とかも。
さらに心理学カウンセラーは学問として心理学をベースにしたものにしているが、それには学問にならない程度のレアケースが含まれていない。人を騙すための悪意だ。
野良カウンセラーはその悪意と向き合ってその悪意を知り、生き残ってきた。
そもそも心理学を修士まで収められるということで、いいとこの坊っちゃんで人間に対しての悪意に触れることが薄いから、人間としての悪意に対して知見が薄いように思える。裏でカウンセラーやってるから実際のところどうか知らんけど。
弟が心理学カウンセラー、母親が霊感商法信者ということがあった。
妹の結婚に母親が難癖をつけてきた。さらに霊感商法が加担した。妹が結婚しないように誘導した。弟はお互い話しを聞こうというのと、自分で考えて答えを出そうというスタンスに見えたが、母親がギャースカ騒いでそれに妹が引きずられてだいぶ参ってるようだった。
さらに母親に意見を話させてその後妹に話しをさせるという会が開かれた。まず母親がギャースカ騒いで、妹がだいぶそれに引きずられて凹んでるのが見えて、ああこれはあかんわと俺がギャースカ騒ぐ立場になった。
結局僕がギャースカ結婚の方に誘導するようにして、無事結婚して幸せになってそうですな。弟はカンカンだったし、向こうの言い分もあるかもしれないけど、僕からみた世界はそうです。
あ、霊感商法は途中でくだらない悪い占いをしてきて母親の気持ちをそらそうとしたよ。見事にその悪い占い外したけどな。弟が「その話もありえると考えないの?」とかふざけたこと言ってきたけど「何ふざけたこと言ってんだ」と一蹴したけど。
あと、霊感商法の刃が僕に向いてきたときに弟が変な加担のようなものが見えたな。蹴散らしたし、軽く蹴散らしたら何も言ってこない。
ということなので、学問になってない人の悪意について心理学カウンセラーは弱い感じがする。まあ、それでも霊感商法もカウンセラーみたいなことをしているわけで、悪いカウンセラーと仕分けをしようとしたら学問を修めた心理カウンセラーという線引が必要とは思うが。
恐らく今後何十年かして振り返った時に今回の選挙が最後の分岐点だったな、と思うだろう。
コロナ由来の与党支持率低迷という数十年に一度のチャンスを物にできなかった日本はもうダメだろう。自民は庶民の暮らしに全く興味がない。地元民と経済界の話には耳を貸すがそれ以外はどうでもいいと思ってるだろうね。これから格差は進み金持ち・大企業とそれらの養分になる庶民との2つに大別され、庶民は真綿で首を絞められようにじわじわと殺されていく。
で、搾取側の大企業がどうかと言うと世界に羽ばたくこと無く国内の縮小傾向に有る市場だけでしか通用せずこれまたジリジリと苦しくなっていくと思う。消費税減らして法人税上げると企業が海外に逃げるぞ!とか言ってるやつが居るが今の日本企業程度に逃げ場所有るか?技術力も人材も無い企業にできるのは国内の小さいパイの奪い合いだけ。IT企業は育つ土壌が無いし自動車産業はEV転換が間に合わず落ちぶれそう(その以前に品質偽装で評判落ちてると思うが)他なんか有った?
元々日本て技術で食ってる国じゃなかったっけ?それが科学軽視の末に技術も無くなっちゃった。Facebookがメタバースとかいうのに兆単位で投資するって言ってる時に日本は半導体に億出しますとか言ってるんでしょ?世界市場はゾウ、日本市場はアリって感じだよね。科学というか学問自体軽視の自民が仕切っている間は日本はほぼほぼ浮上しない。
少子高齢化、貧困の拡大、挙げ句に基本的人権も奪われ日本には何も残らないだろう。もう後は滅びの道を行くだけ。
少しは議席伸ばすかなと思ったけど局所的に大勝利をあげたが戦局全体を見れば敗戦。次にワンチャンあるとすれば今後10年20年かけて地道に準備しない限りスタートラインにすら立てないと思う。反ワクチンの候補とか目先の利益に走ってるようじゃ無理の無理。しかも維新が伸びてきてるから仮に自民公明と拮抗できても自民は次は維新を仲間に入れて勢力保持するだろうから敵が増えただけなんだよね。維新が存在しなかったらもう少し伸ばせたと思うんだけどね。そう考えると橋下徹って間接的に日本を滅ぼした人間として教科書に載るレベルだよね。
「男性皆殺し協会」というのも、それがどのような社会構造に対するカウンターとしての役割、政治的な役割を期待されたのかとか、学問的に論じる価値は十分にあるはずだよね。
そのようなことをきちんと説明することができれば、取り下げる必要なんて全くないと思うんだけど。
まあ、初めから何も考えておらず、単なる悪ふざけでしかなかったから説明できないんだろうね。
まあその程度のことで大学辞めさせられるとなると、学問の自由どこいった?くらいには思うので、「辞めさせよう!」みたいに言ってる連中気持ち悪いなぁとは思うけど。
それはそれとして、授業で自分が今論じている対象の意味と価値を自分の言葉で説明できない人、学者としても教育者としても三流だなぁとは思う。