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はてなキーワード: 学問とは

2021-10-26

anond:20211026083351

社会学学問軽視もいいけど、専門家リスペクトを払わない社会は手痛いしっぺ返しを受けると思うよ。自分職業専門性が軽視されて、コストが安くなることを想像してみるといい。

学歴差別はしても良いと思うんだけど

勉強努力カバーできる!できない奴は努力不足!

と、いうのがキツいよな


家庭環境とか遺伝とか影響するのに

スポーツ音楽なんかは向いてる向いてないの言い訳があるのに

こと学問にはそういう風潮がないんよ

2021-10-25

anond:20211025161515

東大京大に対する異常な信仰が謎

学部の1年2年なんてほんとに学問のごく入り口知識だけを習ってる状態なわけで

現実に応用できるような専門性なんてほとんどない

実際に手を動かして物を作るとなれば女子高生とも大してスタートライン変わらんし

半端に知識があるから頭でっかちになってうまくいかないなんてよくあることだろうに

東大京大生が女子高生に負けるはずないんだあああって何で必死になってるんだろ

2021-10-24

anond:20211024151326

それでも選挙に通い続けなきゃいけないって、

しんどいですよ。

そんなしんどいもんかね?公民館行って名前書くだけじゃん

その記事トラバ選挙に行ってもマイナスになるという学問的な結論があると主張するものがあったけれど真偽は不明。都会の投票所がどういう状況なのかは知らんがね

実際に横浜市長選の結果を受けて自民党総裁が変わったわけだけど、お前の言う「何かが変わる可能性」とは何を指しているのか。枝野になっても何も変わらなかったとか言いそう。青い鳥を探しているのか?

他人自分学業とか就職とか人間関係かに注力していたリソースをお前はすべて政治への関心に割いていたかのような言い草だけど

政治に興味あるなしと投票に行くいかないが後半ごっちゃになってる。単に頼まれたか脳死握手した奴に一票入れるような老人に政治に興味があるとは思えんのだがね

そもそも投票なんてリソースちょっとしか割かないんだからリターンも少ないはずでしょ。ガチドラスティックに変えたいならリソースガッツリ割いて出馬しないとさ

俺は、その時々でしっかりと日本のことを考えて一有権者として日本のためになる選択をしてきたという自負が欲しくて毎回投票に行っている。それは誇りとか価値観の話だしお前がどう思うかは知らんが、金銭的なものには変換できない部分の話だわな。電車賃+30分の時間で500円のマイナスかいう話じゃないわけだ。500円どっかに寄付すれば投票に行かずともその自負が得られるわけじゃない。(つーかそもそも投票所行くのに電車とか使うのかよ都会は)

まあ結局はオマエの自由だけど、お前が投票棄権したとして、でもぼくは政治にかかわってないんで今の政治には何の責任もありませんというのは認められないよね。棄権という投票行動で組織票に勝る自民党を利したわけだから相応の批判からは逃れられないよ。

偏差値70以下の研究者ほとんど役に立たない

長い伝統もつ成熟しきった学問分野では、よほどの秀才でなければ独創的な仕事をすることはできません。

偏差値70以下の研究者ほとんど役に立たないといってもよいでしょう。

それに対し、新しい学問分野にはまだ「偏差値50ぐらいでもやれる仕事」がたくさん残っています

そういう「新しい分野」を人為的に作り出す一つの方法が「いくつかの異なる分野を組み合わせる」ということであるわけです。

2021-10-23

anond:20211023083316

原始共産制はあるだろ。現代でも限定的に。階級闘争自体もあるだろ。明らかに。ただ、そこから壮大な想像の体系(belief system )を作っちゃった点がアレなわけで。

ただ、文系学問て、そういう面が結構あるんよね。歴史哲学文学社会学、、

2021-10-22

anond:20211022200346

文系学問を軽視してるとdappiみたいなのを使って大衆扇動したい権力者簡単に騙される

2021-10-21

パンプキン・シザーズ名言が凄すぎると俺の中で話題に

 生きていく上で"戦い"はある

「なにかを成したい」

 壮大であれ些細であれ、そこに困難が伴うなら

 それは"戦い"だ

 例えば学問を修めることだったり

 ただ今日一日を良く生きることだったり――――――

 そんな風に自分人生のために……

 費やされるべき"戦う力を"――――――

 人生の"外"から来る強大な力への対処に割り当てねばならない

 それが『戦争』だ

"戦争のせいで"

"戦争があったせいで"

 人生を十全の状態で戦わせてもらえない

 それが『戦災』だ!!

 そうやって"戦う力"を磨り減らされ弱体化すれば更なる戦災を被る

 抗うべき者に抗えない

 歪んだ戦争残滓に屈してしまう。不条理を受け入れてしま

 その捻じ曲がったルールを正し――――――

 人生をまっとうに戦えるようにする

 それが私の目指す戦災復興


 人々が

 裕福だろうが

 貧困だろうが

 その結果に対し

戦争から」と

 言い訳しなくなった時

 戦災復興任務完了したのだと思う


氷河期自民党政権コロナ竹中平蔵民主党政権がまさにこれだったわ

日本人は一体いくつの戦争と戦わされるのか

2021-10-19

anond:20211018110917

合成の誤謬考慮せず個人の最適行動のみを追求する場合投票によって得られる効能投票かかる時間・労力的コストとを比較すると『投票に行くのは無駄』って結論になるのは、増田が言うまでもなくずっと昔から言われていることだからなぁ。

うろ覚えだけど、たしか学問的な視点でも既に語られている。

俺はまあせっかくだからくらいの気持ち投票入っているけど、増田みたいな人の考えは否定しようとは思わんな。

というか否定できる理屈がない。

2021-10-18

慶應SFCジェンダー平等についての声明文がひどい

この文章は、慶應湘南自治会が十一月に行われるSFC生総会の議題の一つとしてあげた「ジェンダー平等についての声明文」に関して、それまでの流れを簡単にまとめ、批判することを目的としたものである。多くの人に読んでもらうために煽るようなタイトルにしてしまたことを先に謝っておく。

まず、湘南自治会の始まりに遡って話を始める。SFC(湘南藤沢キャンパス)に自治会ができたのはつい最近のことである。(自治会準備会のほうは長く準備されていたように思うが)

いわゆる本キャンの方にはずっと昔からあったのだが、SFC自治会は今年の夏あたりに、賛成221票、反対14票で承認され成立した。総合政策環境情報学部生だけで4000人近くいるので、SFC生の関心度がどれくらいだったか、という部分に関しては数字で察して欲しい。もちろん、こんな文章を書いているくらいなので増田投票したのだが、まさかここまでの数字になるとは思っていなかった。世界未来を語っておきながら自分たちキャンパスのじちに関してここまで無頓着というのは恥ずかしすぎる。

SFCに対する愚痴はこの辺りにして、今回の「ジェンダー平等についての声明文」を見ていきたいと思う。

https://docs.google.com/document/d/14S5q-AGOPt_Utp4DWpChxTfTrpBA_73rZ08agTzsYK4/edit

上のリンクが、湘南自治会によって出された声明である

これに対して、あるSFC生がnote危険性を指摘してくれている。

https://note.com/ya2020sfc/n/nf14ebe8b9113

データの偏りであったり利活用であったりの話はnoteに書いてある指摘の通りかな、と思う。安宅研の方らしいので、その分野に関しては増田よりもよっぽど精通していると思うし。

なので、そこら辺は簡単に触れるだけにしておく。

まずは議題の概要の部分から

『本年9月から10月初頭にかけて弊会が実施した「キャンパス生理用品設置にかかるアンケート」では、SFC以外の学部生を含めて161名、SFCだけでも155件の回答がありました。本調査は、弊会が取り組む生理用品の設置に向けた実態需要調査することを主眼に置いていましたが、回答の分析の結果、SFCにおいて、「ジェンダー平等実現」を念頭においた行動が必要だと結論づけられました。』

キャンパス生理用品設置にかかるアンケート」は、主にツイッター上で行われたものであるそもそも、この161人という回答者グループには大きな偏りがあると考えられる。なぜなら、このアンケートリンクが貼られた湘南自治会ツイートは、現時点(10/18 13時)で81のいいねと57RT程度のインプレッションにとどまっており、SFC生に広く届いているとは言えないかである。それ以前に、このようなアンケート時間を割いて回答する層というだけでもバイアスが大きい。というかもう確認できないのだが、アンケート設計自体が適切だったのか、という問いもある。

そういった問題を孕んだアンケートのみを根拠としたこ声明文が、あたかSFC生の総意であるかのように執行部に提出されることは危険、としか言いようがないのである

さらに、草案の内容にも不適切と思われる部分が多い。

【現状批判 Criticism】

わたしたちは、現在SFCにおいて、次に掲げるジェンダーに関する問題があると評価する。

性別に基づく不平等存在している。

これらの不平等に対し、多くのSFC生は関心が無いか、あるいは気づいていない。またこのことから学生以外のSFC関係者においても同様の状況である推定できる。

世界共通の課題という重要性にも関わらず、ジェンダー主題とする授業及び研究会が無い。

性にまつわる理解、受容、共存共栄人権意識について知る機会が不足している。

上記のようなSFCの諸問題について、専門に検証改善を施す公式の仕組みが存在せず、それゆえにSFCにおける潜在的ジェンダー問題発見ができていない。

以上の諸問題連鎖し、SFCの現状を作り出していると考察する。

要望 Demands】

わたしたちは、この目標を実現するべく、慶應義塾大学総合政策学部環境情報学部に対し、次に掲げる事柄要望する。

ジェンダーに関する学問的知見を生み出し、社会還元することを目的に、SFCにおいてジェンダー研究する場を創設すること。

前項に掲げる研究の場を主導することを目的に、相応しい研究者を配置又は雇用すること。

ジェンダーに関する教養提供することを目的に、ジェンダー主題とする授業を開講すること。

ジェンダーを含む人権に関する基礎教養提供することを目的に、心身ウェルネス総合政策学・環境情報学その他の適切な必修科目において、同内容の授業を組み込むこと。

SFCにおけるジェンダー平等の実現状況を検証改善することを目的に、同内容を所管する委員会指定または設置し、毎年SFCジェンダー平等の現状を資料化したうえで改善を施すこと。

上記要望を実現するため、湘南自治会ジェンダー平等特別委員会と共同で取り組むことを歓迎する。同内容は、学生教職員との対話のもとに順次実現されることを企図するものである

なお、看護医療学部政策メディア研究科、健康マネジメント研究科においても、各学部研究科の事情を勘案しながら同様の目的に適う措置を講ずることを希望する。

増田の考える問題点は以下の2つである

SFCジェンダー問題に関する無理解・無関心の要因を無知であると断定している点

執行部に対する要望が、ジェンダー問題解決するための施策として適切とは言えない点

①について

根拠となるデータ公平性が不確かであるにもかかわらず、ジェンダー平等存在し、解決に向けた取り組みが行われていないことを断定しているだけでなく、その要因を、SFC生がジェンダー問題に関して無理解・無関心であると言う推論で片付けてしまっている。少なくとも、SFC全体のデータとして適切である量のサンプルを集め、十分な分析を行なってから提言を進めていくべきだと考える。必要であれば、専門知識を持った教授なり学外の専門家なりに教えを乞うことも検討すべきである

②について

ジェンダー問題に関して学ぶ場所SFCにないから作れ、と言う簡潔かつ横暴な要望であるSFC問題存在していて、それを解決するためにはその問題について学ぶ必要があるから、新しい先生を呼んで授業や研究会を作ってくれないと困る!と言う話が成り立つのならば、今後大変なことになるだろう。行動計画にあったような自主勉強会をまずは発足すること。そこから少しずつ、ジェンダー平等への取り組みを学生主体で行っていく。こういう地道な活動を続けていくことでしか、今までずっと持っていた考え方を変えることはできないし、キャンパス全体の意識を変えてくことはできないと思う。

ジェンダー」というテーマは、どこまでもデリケートに扱うべきものであるし、謙虚勉強を続けていかなければいけないものでもある。

声明文を読む限り、自治会メンバーも性にまつわる理解、受容、共存共栄人権意識についての勉強が不足しているように思える。

ジェンダーに関する活動話題になりやすいのはわかるが、プロセスを軽視しているし、目的手段が入れ替わっている感じが否めない。

湘南自治会は、一定権利を持つ大学公式団体であり、適切な知識を持つ第三者を介入させながら、慎重かつ適切に議論を重ねていくべきであると思う。

増田もまだまだ知識が不足しているとは思うが、ジェンダー勉強しているひとりとして、自治会ジェンダーモラルについて散々批判にもならないようなお気持ち表明をしてしまった。

総会での質疑や請願等で、今後意見は直接伝えていくつもりである。長くなったが、放っておけばいい話題に喜んで首を突っ込み、壮大に騒いで物事を大きくしたがるのはSFC生の悪い癖なので許して欲しい。

2021-10-16

anond:20211016170121

企業づとめは大半のやつがするだろ?

商売学問やで。商学部とほぼ同じ。

2021-10-15

自分知識人だと勘違いしたバカが多すぎる

インターネット上には学問価値だの高等教育の意義だのを説く自称知識人がやたら多い。曰く「学問教養を深めるのに重要」だとか「医者弁護士等の専門職を育成するために大学教育重要」だとか。

もちろん、きちんと学を修めた人がこういうことを言っているのなら説得力があるのだが、現実的にそんなことはあり得ない。専攻にもよるが、東大等のまともな大学であっても、学部専門課程の内容を満足に理解している学生は上位の2〜3割程度しかいない。当然、レベルの低い大学ではこの割合もっと少ない。残りの7〜8割超はただ単位を取るためだけに大学に行っている。

正直、大学の授業レベルのことも満足に理解していない人が「学問教養を深める」なんて言っているのは、かなり恥ずかしい。喩えるなら、中学レベル英語もできない人が「グローバル社会における外国語習得重要性」とか語っているようなものだ。

まあ百歩譲って、「俺はろくに勉強してこなかったが、今になって勉強重要性を痛感している。だからお前はちゃん勉強しろ」という論調なら理解できる。しか現実はそうではなく、あたか自分が「論客」になったかのような錯覚に陥っている者がほとんどである。実際には彼らのほとんどは義務教育に毛の生えた程度の知識しか持っていないにも拘らず。

2021-10-13

商社の子会社なのだけど、今朝から会社セキュリティポリシーが変わって、ACM Digital LibraryがSNSとしてブロックされるようになったのくっそ笑う。

ソフトウェアエンジニア学問はいらないってことなのかな。

現社長アルコールの強さしか誇らないしリモワしたがらないで顔と顔の付き合いによるコミュニケーションはだいじだーっていう脳筋だしzoomもおこずかい程度の商流しか思ってなさそうだし納得。

2021-10-11

これのソースって雑誌

5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。

すぎやまこういち×植松伸夫


すぎやまこういち1931年東京都生。作曲家日本バックギャモン協会会長

植松伸夫1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリー活躍し、1986年スクウェア入社


(要約)


すきやま:

だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、

あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。

ドラクエやると、やれCDブックだアニメときて、レコードブラスバージョンエレクトーンバージョンピアノバージョンが出て、

そうなると色んな出版社ピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。


植松

そんな忙しい中で「半熟英雄」やって頂きましたからね(笑)


すきやま:

どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね


植松

まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)


すきやま:

でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。

植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?


植松

60近くはあるかもしれないですね。


すぎやま:

60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?


植松

1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。


すぎやま:

働き者だなあ(笑)


植松

数撃って当てようという方向でいってますから(笑)

曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。

1曲1曲のイメージが薄らいじゃいますからね。


すぎやま:

それはあるよ。IVときのがVより曲数少なかったでしょう?


植松

そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?


すぎやま:

そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。

その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。

でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。


植松

作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。

そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。

から作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、

自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。

30曲に抑えようとしたんですよ。IVときちょっと多いと思ったんです。

今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまますね。


すぎやま:

僕も曲を絞り込むとき断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。

前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。

でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。

それでカバーしていくともっと絞り込めるかもしれない。


植松

なんであんなに増えちゃったんだろう(笑)


すきやま:

働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから

それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。

スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。


植松

今回そのアイルランドリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れます

ユーザー意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)

別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。

以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンときとかって難しいじゃないですか。


すぎやま:

ちょっとやりにくいよね。


植松

いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位民族音楽好きだから

入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。

先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、

そういう教室へ行くと民族楽器かいっぱい売ってるんですよ。


すぎやま:

なんか君の部屋に不思議楽器が置いてありましたよね。


植松

日本人だったら日本音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。

日本に昔からある音楽自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、

一度「雅楽(古来の宮廷音楽総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製管楽器)を習いに行ったことがあるんです。

そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、

ブライアン・イーノシンセサイザー音楽に近い印象があったんですよね。


すぎやま:

笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。


植松

そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。

雅楽朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、

逆にヨーロッパ民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。

だったらそんな日本人のルーツかいってないで

自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、

最近自分日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。


すぎやま:

僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。

和風喫茶レストランエアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。

アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人なっちゃうでしょう。

僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。


僕が植松さんの音楽でこの人やっぱり日本人だと感じたのは、

町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、

ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。

あれって西洋音楽で育った人では絶対やらないことなんですよ。


植松

バッテンなんですよね。


すぎやま:

植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。

で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。

「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、

西洋音楽エフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。

それは江戸時代三味線や琴の音楽しょっちゅうやってることなんだよな。

ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、

そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。

あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。

で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。

意識的にやらずに自然にやったんでしょう?


植松

僕はフラットナインのぶつかり具合とか、

ミとファの半音メロディ伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。

自分でもああぶつかってるな、クラシック音楽テストなら絶対バツだなと思っても、

その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。


すぎやま:

それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。

いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。

それが前後関係音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。

ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。

ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら

これは単なるひとりよがりしかないんだよね。


植松

難しいですよね。音楽学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。

どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。

中学校を通して音楽というもの学校教育に取り入れて100点取った人は偉い、

50点取った人はしっかりしなさいという教育を受けてるから

大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。


すぎやま:

音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、

文部省現場教師の考え方に反省点は多々あると思いますよ。


植松

すごい話してますよね(笑)文部省がどうだって


すぎやま:

笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。

音楽の楽しさを感じてもらうというのはとても大事なことでね。

からファイナルファンタジーとかドラゴンクエスト音楽というのは大事なんですよ。


植松

最近音楽全然興味ない子供達でもゲームとかで遊んでて、

ドラゴンクエスト音楽が好きになってコンサート行きますよね。

すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。

それはものすごい影響力だと思うんですよね。

子供オーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。

そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。


すぎやま:

他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。

から、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。

ドラクエの棒振りは何はなくとも行くようにしてますけど。


植松

教育の一環ですよね(笑)


すぎやま:

しかし、いつもゲーム音楽作るときに、昔の大作曲家作品聞くじゃない。

とてもかなわないなと思うことが多いね


植松

すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)


すぎやま:

昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。

チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。


植松

チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。

そのときは一番最初チャイコフスキーを挙げますね。


すぎやま:

とんでもない大天才だよね、あの人は。

あの時代20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションうまいこと。


植松

この前、西田敏行ロシアに行ってチャイコフスキー足跡を辿るという番組テレビでやってたんですよ。

僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーホモであるというのを聞いて、

「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)


すきやま:

その良かったというのはどういう意味なの?


植松

どこかプラマイゼロじゃないとダメということです(笑)

チャイコフスキー人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。


すきやま:

モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。


植松

チャイコフスキーしろモーツァルトしろメロディが非常にわかやすいんですよね。

クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。


すきやま:

ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。


植松

やっぱりメロディなんじゃないかという気がするんですよ。


すぎやま:

くそうだと思いますよ。


植松

からドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。


すぎやま:

ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。

他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)


植松

民族音楽というか黒魔術の呪術音楽のようなやつですね。


すきやま:

からそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。

吟遊詩人マップの中のトルコアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、

それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。


植松

また曲数増えちゃいます(笑)


すぎやま:

増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。


植松

一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。

どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。


すぎやま:

他を減らさなきゃならないからね。町の音楽全部一緒にしたり。


植松

でも町は2個だけですからね。マップの曲も3つだし。


すぎやま:

ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。


植松

いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。


すぎやま:

でもなんかすごく多い気がしたな。


植松

実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。


すぎやま:

チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。


植松

あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。


すぎやま:

ピアノお稽古面白かった。


植松

あれも最後は何の曲にしようかということで、うちの坂口が、

ヘタクソなやつが最後コンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、

最初メトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後ドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、

あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。


すぎやま:

グリークとかチャイコフスキーピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。

僕に相談してくれれば良かったのに(笑)


植松

そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。


すぎやま:

でもああいう遊びの部分も楽しかったよね。


植松

息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。


すぎやま:

作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから植松さんはドラクエは上がったの?


植松

実は最後ダンジョンの手前でFFVアレンジCD仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。


すぎやま:

上がってないの!?


植松

申し訳ないっす(笑)

今日までに終わらせるつもりだったんですけど。


すぎやま:

僕は対談頼まれときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、

元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。

途中でやんなっちゃゲームだと上がれないけど、やってて楽しかたから相当寝不足になりましたよ。


植松

今回はアマチュア勝利ですかね。スクウェアメンツって、単独独立して音楽で食っていけるか、

絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。


すぎやま:

植松さんは大丈夫じゃない。


植松

いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。


すぎやま:

ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。


植松

結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。

そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。

全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。

そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。

そういうことが5のチームには無かったんですよ。

とにかく最後最後まで、〆切のマスター任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、

そこらへんの適当プロの人を集めて作っても、ああい気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。

今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、

終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。


すぎやま:

結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、

好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。


植松

その気合いみたいなものが通じるんですかね。

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2021-10-10

宗教カルト教団みたいな認識の人

なんであんなに極端なんだろうな

近くに寺があるから先祖代々檀家やってますって人に「お前らは満足な豚だぁ!」って言って回るのかね?

宗教を信じたいから信じるって人は稀なんだよ

日本だと先祖代々檀家やってたから感じのゆるい人が多いし、墓や葬式の時に関わってた方が楽とか、コネを作れるからとかみたいなその人なりの合理性で関わってる人も多い

そもそも現代の様々な学問神学から派生してる訳でしょ

法律だって根底にある倫理道徳宗教に根ざしてる

宗教って現代に至るまでにずっと人類が積み上げてきた物の土台になってる部分だよ

だるま落としじゃあるまいし、土台の部分だけスコンと取り除けるとでも思ってるのかね?

2021-10-09

フェミニスト生理的キモいと感じる。

自分女性ということもあってフェミニズム概念学問理念)には同意するのだが、フェミニスト(人)はどうも苦手だ。なんか生理的に無理な部類の人ばっかで近寄りたくない。

2021-10-08

やはりマンスプレイニングなんて存在しない。あれはフェミのただの被害妄想しかない

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2021/10/08/080000

『注意力を取り戻し、社会に潜むコンテクストを深く理解するための「なにもしない」という方法』という記事に「マインドフルですね」ってブクマを書き込む行為

自制という言葉を胎内に置き忘れてきたマヌケか?

自分よりはるかに博学の基本読書の著者に対してそんなわかり切ったことを平気で書ける無神経さもすごい。

やはり、人類には一定割合

相手がどんなにすごい奴であろうがアドバイスしたがるバカ」というものが男女問わず存在するのだ。


これ男女関係ないぞ絶対

男性だってそういう人間からさんざんうっとうしい目に合わされている。これは女性からもだ。

にも関わらず、女性けが「それはマンスプレイニングだ」などと被害を訴える権利を持っている。

この言葉をつかう女はバカというのは相場が決まっているのだが

お前は、自分の周りの女性が、同じ女性にクソアドバイスをしてるのを本当に見たことがないのかと言いたい。

そもそも女性男性普段どんだけマヌケみたいなコメントをしてるのか知らないのかと言いたい。

マヌケ人間相手が男とか女とか関係なく語りたがる。 ところが、男女問題になるとそういう当たり前のことがわからなくなる。

フェミニズムはこういうことすらわからないマヌケのための学問

2021-10-07

図書館文学作品学問書もあるよな

電子書籍がお得!だの便利!だの言ってるけど本当の敵は図書館なのでは

漫画は漫○村が敵

2021-10-06

学問やそういう書をほぼ一言一句変えずにそのまま紹介するyoutuber

ファスト映画とかそういうのじゃなく そういうyoutuberいないか

全部とはいわないが 読んだ本の内容を感想かいれずにただ読むだけ

絶対再生数少ないと思うけど 検索ちゃんリーチするのかね

2021-10-05

anond:20211005092546

誰も学問の話とエビデンスに基づいた主張はしてないし個人経験に基づく「「「偏見」」」だからシラネ

2021-10-03

リモートワーク、予感を失った俺たち

なんか誰かと最近考えていること、思ったこと、見たもの、読んだものなどなどばーーっと話したい。そういう友達とか、コミュニティとか欲しかった。。。今も昔もそんなのは自分にはなかったな。。

twitterがそういう空間だった時もあった。でも最近はてきとーにTL眺めてるだけ。。。誰の、、なんのコミュニティにも属さず漫然と生きてきたな。悲しい。寂しい。

ずっと一人で仕事しつつ(リモートという意味)、スーパーとか生活のための買い物だけの静かな生活全然それでいいんだけど、たまには本屋とか服屋とかにも行きたいような。クラブとかライブかもたまーに行きたいような。カフェ読書なんかもしていないなあ。

もう出かけると疲れちゃうんだよね。おしゃれ着だと肩凝っちゃう。昔からだけど今は特にそう。痩せてきて体力もだいぶ落ちたから、ふらふら散歩しながらウィンドウショッピングなんかもうできないんじゃないかな。

静かで老人のような生活だ。それでいい。でももう少し世界と関わっている感覚があってもいいんじゃないかという気がする。昔は音楽トレンドおったり、情勢を眺めたりしていた(とはいえtwitterメインで誰かのフィルターを通してだけど。)ニュースとかも見ないもんなあ。なんだか一人ぽつねんと向いていない仕事に奮闘していて逃げ場がない。

目標、ないなあ。成長したいという欲求もあまりない、少なくとも仕事においては。楽になりたい、とだけ思う。。ほんとは成長とかしたかったんだけど、ずっと挫かれてきた。これが挫折か。。?成長意欲は仕事とは違う方向に向いているんだ。芸術学問、なんでもいいけど。なんだかビジネスは心が萎縮してしまう。競争とか。競争苦手だなあ。

サイレントテロ。何も欲さず静かに死んでいくというそのコンセプトに惹かれる。けど、いそいそと心を削りつつ仕事をしている。静かに死んでいきたい。悲しいけれど。

今思い出したけど、なんかいろいろやりたいこととかあったんじゃないかな。。高校生のころ学部卒業したら芸大かにいけたらなって一瞬思った。結局なんの努力もせず今ここにいる。自分のやりたいことを誰にも話してこなかった。それがいけなかったのかもしれない。うーん。芸術に憧れたり、脳科学神経科学に憧れたり。そういうのはあったけど。。誰にも相談しなかった。する相手もいなかったし。

アイデンティティが壊れ続けるこの数年間。かつてアイデンティティ確立されたことがあっただろうか。そんなこと気に止めたこともなかったか。俺は何がしたくて何を選択してきたんだろう。。仕事していると打ちのめされる。楽しく仕事している人を見ると羨ましさと恨めしさどちらも感じる。俺はあまりこういう世界で生きていくのは向いていない。でも他の世界を知らない。世界はどんどん狭くなり、行き場をなくし、想像力が奪われ、静かに死んでいくのを待つだけになる。

このまま人生を進めていって何か「喜び」があるのだろうか、と思う。誰かがラジオで、「喜びや恐怖」は「予感」だって言ってたけど、けだし名言だと思う。「予感」がない、のである

未来への「予感」を徹底的に奪われてきた、あるいは自分スポイルしてきた。という感覚がある。

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