はてなキーワード: 吹き替えとは
「シャアを殺して欲しい」って願うんだよな。
アムロはそれを聞いて、ああそういうことかって思うんだったっけ?
よく覚えてない。
セイラさんはセイラさんで実の兄を殺してほしいなんて願うには赤の他人にはいえないから
あまりにもアニメのガンダムが強すぎてどうしてもストーリーが記憶に定着しないんだよ。
アムロが装甲が厚そうだからガンキャノンに乗りたいんだけどなあと思いながら渋々ガンダムに乗ることとかセイラさんのオッパイに手のひらを乗せて幸せを噛みしめるとかそんな些末なシーンしか覚えられない。
後の初代皇帝アウグストゥスであるオクタヴィウス少年が恋慕する姉であるオクタヴィアと思いを遂げたあと、姉は少年に秘密を話すように要求する。
なるほどとはなんですか?と問う姉に
オクタヴィウスは
貞淑な姉上が近親相姦をするなど何事かと思ったらそういうことだったのですね
オクタヴィアは貞淑だが恋多き女でそのときかつてのカエサルの愛人であったセルウィリアと同性同士の恋人となっていた。
自分を捨てたカエサルに深い恨みを抱くセルウィリアはオクタヴィアを通じてカエサルの弱みをつかもうとする。
オクタヴィウスがその秘密を知っているようだと推測したセルウィリアはオクタヴィアに秘密を聞き出すように命じる。たとえ弟と寝ることになったとしても。
結局オクタヴィウスは秘密を話すことになるがそれはカエサルの秘密ではなかった。
しかし、その秘密がきっかけとなって最終的にカエサルの暗殺は成功する。
アウグストゥスの少年時代は天才少年と描かれていてとても魅力的だし吹き替えの白鳥哲が名演している。
このドラマは大ヒットドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の雛形となっている部分が多くあって同ドラマが好みの人なら好きになると思う。
彼女のファンだと言ってしまうと、彼女に対してお金と時間をかけている人たちに怒られてしまうだろうが、彼女が出るからと言って紅白を見た程度に彼女のことが気になっている。
私は彼女を3曲でしか知らないが、そのどれもが彼女が、とてつもない存在であることを示していると思う。
俺は、歌い手が性別で分かれて対抗戦をするという昭和のフォーマットがクソほどダサいと思うが、この時は彼女の存在によって紅白が「昇華」ないし「成仏」したと思っている。きっと紅白が始まって以来の歴史的なステージで、かつ、今後も仮に紅白が続く限りにおいて語り継がれるべきものだと思う。
紅白という場において、会場だけでなく、オールドスクール系の演歌歌手を含めた出演者にレインボーフラッグを振らせた演出は最高だった。勿論演奏も最高だ。紅白はあの年で終わりにしていたら、古いものに縛られる我が国にとってどれだけよかっただろうと本気で思う。
アニメ映画の準主役の吹き替えで出演していた彼女は何曲か歌うのだが、クライマックスシーンで歌うこれが圧巻である。元はスティービーワンダーで、元の映画では確か、あちらの有名な歌手が歌っている。その歌手の名前は忘れたが、今さら思い出したり、この文章を書くためだけに調べ直す必要もないと思ってる。なぜなら両方聞いたが、圧倒的にMISIAの方が優れているから。
俺がラッキーだと思うのは、MISIAが歌う日本語の歌詞を母国語で理解し、共感できる事だ。この映画に関しては、MISIAの曲に関わらず、原語からの訳詞に手間を惜しんでおらずクオリティが高い。確か、宇多丸がどこかで喋っていた。話は逸れるが、村上春樹の小説を日本語で読み、日本文化の文脈の中で理解して共感できることもラッキーだと思っている。話はそれたがつまりそれくらい良いということである。
この曲は本当に凄い。俺はマライアキャリーについてあまり知らないが、日本語が母国語である俺がマライアキャリーを聞いた時に感じる感動よりも、俺がMISIAのエブリシングを聴いた時の感動が勝ると自信をもって言える。ボーカルってのは、他の楽器と違って、言語と直結してて、単なる音楽を飛び越えて文学だとか心理だとかに繋がるものだと思うんだ。そう感じさせる説得力を持った歌い手は少ないと思う。
人間暇になると、
はぁ~。
こないだ私4回引いたやつ。
そのうち2つは私の好きな大好きなメインのキャラの景品が当たって思わずその場で飛び込み前転してクジ引きの案内をしてもらって景品交換もしてもらった店員さんも引いてしまうほどクジだけにってダブルミーニングなほどの嬉しさの舞を現すまだ獅子舞には早い時期の季節での喜びを現すぐらいだったってぐらい。
結局今日また2回引いちゃって、
まあ結果たるや
私の想像通り
あのままその時私の中の天使と悪魔がじっくりコトコト煮込んだスープを簡単にお湯を注いでじっくりコトコトの手間を省いて簡単にスープ作るぐらいに煮詰まった話し合いのとおり
お気に入りのキャラの景品が前回みたいに当たるわけないじゃん、
あれは運が良かったんだ、
次引いてお目当てのお前が好きなキャラが当たらなかったらガッカリするのがオチだぜって。
彼の言ったとおりにしたらよかったわ。
天使は、
なーに持ってんの?なーに持ってんの?クジ引きたりないから持ってるのー!ポイントカードで引いちゃえよ!
ハーイ!引いて引いて引いて~
引いちゃえ!クジ引いちゃえ!って
もうこれでクジは絶対に次の次シーズン景品が一掃して変わらない限りやんないわ。
もう天使には騙されない!
世の中そんなものよね。
本当に今年最後の運試しは終了に終わったわ。
かろうじてハンカチには私の好きなメインのキャラが4分の1の面積にプリントされているから
かろうじてまあ内容は良かったは良かったのよね。
これで今年2回目の有終の美を飾ることが出来たわ。
有終の美は何度飾ってもいいものよね。
花もない絵もない歌もない贈る言葉もないあんな飾りっ気のない居酒屋よりはマシよ。
そんで、
暇を持て余しているからそのアニメの配信の音を録って録音ファイルをスマホに入れていつでも大好きな回を聞けるようにまた全話録音しつつ観るわ。
我ながら健気だわ。
まだまだブルーレイとか出るのずいぶんと先みたいなので、
でもさ
明日からついにいよいよスプラトゥーン3の年明け1発目のフェス前のヨビ祭が始まるので忙しくなるわよ!
またここでスプラトゥーン3の話ばかりしていても年末間がないので、
私あれ苦手なのよね
清く正しく美しく生きるのこそが全てよ!ってそこまで高望み五合目までは登り詰めないけど、
健康に気を付けてて元気いっぱいだったらそれで十分よ。
強いて言うなら
整理整頓伝票はすぐに処理する!
年末一気にやんの面倒くさいじゃない。
一応は概ね今年の分のそう言う伝票処理や整理は片付けたつもりなので、
あとは確定申告本番待ったなし!ってところよ。
こうやってちゃんとお仕事も抜かりなくやってますよーってところをアピールしておかないと
そうね、
計画的には思い出すまで忘れている
ブログの増田のコピペもすっかり思い出すまで忘れていたブログの気が向いたらの更新と
これも気が向いたら電子書籍にしてみたいなってのが
一向に進まなくってそっちの方は捗らないわね。
でも昨日近所の公園の前を通ったらお正月の獅子舞の稽古の練習をしている人たちがいたので
練習がてらに私の頭囓ってもらいました!
これスゴいラッキーじゃない?
さすがにいらすとやさんも獅子舞に頭を噛まれている女性のイラストは絶対に無いと思うぐらいのレヴェルで、
あ!これもしかして獅子舞に頭囓ってもらってまたクジ引いたら良い運気邪気が払えていいのが当たるんじゃね?ってまたよからぬことを考えつつも
調子に乗ってクジハズしたらまた凹むぜ!って大塚明夫さんが声の吹き替えをやってるイメージでの言葉を胸に
獅子舞に頭囓ってもらったのを今年3回目の有終の美を飾ることが出来つつ、
年末までの間に有終の美をトータル16回ぐらいはまだまだ飾れるんじゃないの?ってぐらいな勢いの一気に沢村一樹じゃない方の一気の方の一気にいいことが訪れるんじゃ?っと思うけど、
釘を胸に打つことにしたわ。
でもラストまで気が抜けないので
また有終の美を飾ることが出来たら
みんなに教えるわね!
うふふ。
珍しくみかんの花咲く丘公園前駅の商店街の角の喫茶店はモーニング和食もやっているって言っても
簡単なご飯とお味噌汁にランダム1品の何かのおおよその焼き魚がつく家賃の味がしないワンコイン500円のモーニングで
獅子舞に頭噛んでもらったゆえかも!
焼きたての鯖の表面がまだパチパチと焼けて音がしているところを持ってきてくれるから、
たまーにしか行かないここの喫茶店の和食モーニングは美味しくてワー!ショック!なんて言わないよ絶対に~!って槇原敬之さん風味でいいのよ。
焼きたて鯖美味しいやったー!ってところね。
ホッツ緑茶ウォーラーをちゃんと急須で煎れて2杯ぐらいゆっくりのめるゆとりのある休日の時間って感じがして
人間よからぬことを考ええるとクジを引いてしまい兼ねないように
以後気を付けるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・吹き替えで見てたが、作中では3種類の言語があったように思われる。「英語」「現地語」ともう一つの言語。
英語がわからないはずのビームも、英語しか話さないはずの総督も両方聞き取れる言語があった気がしており、どうなのか教えてほしい。
ビームとラーマの二人同士で会話している言語は、テルグ語です。
主人公の2人にはモデルとなった人物がおり、実は現在も対立関係にある異なる部族の出身ですが、どちらもテルグ語を話します。
映画の中では通訳や大衆に話しかける時はヒンディー語、身内だけで話すときはテルグ語と使い分けています。
ビームがむち打ちされてる時に歌った唄はテルグ語で、周りの聴衆はテルグ語が理解できないにも関わらず、その意味を察して泣いたという名シーンになっています。
3時間の超大作インド映画、RRRを観てきたがとてもよかった。
事前にこのTogetterの記事を参考に大福を食べてトイレ対策をしており、何回もクライマックスが来る飽きない構成もあって3時間は全然長く感じなかった。
https://togetter.com/li/1971064
時はまだイギリスの支配があった時代のインド帝国。総督のスコットとキャサリンは、鹿狩りで訪れた村から気まぐれで村娘を連れ去ってしまう。
総督府から女の子を奪還すべくデリーに向かった、虎と戦える部族最強の不屈の男ビーム。
一方、内なる大義を秘め、インド帝国の警察官となり治安維持にあたる、暴動をほぼ一人で鎮静化できるほどクッソ強い男ラーマ。
政府への反逆者と警察官。相容れない立場のはずのビームとラーマが、たまたま居合わせた場所で起きた事件を一緒に解決したことをきっかけに親友になりーーーーー
お互いの立場の違いを知らないまま、インドを舞台に物語はどんどん動いていく。
・6話くらいの連続ドラマとしてやってもいいストーリーを、3時間で一気にやる構成だった。
長い分、登場人物の背景を丁寧に描写され、また伏線も全部きれいに回収してくれるので、「あっ!これあの時のやつ!」というカタルシスを感じる場面が終盤でたくさんあった。
特に、途中の大規模ダンスの時の曲は覚えておくと終盤で伏線になっていて気持ちいい。
・イギリス領インド帝国の総督スコットと、その夫人キャサリンがきちんと極悪人に描かれていたので、最後に倒されたときに心の底から「やったぜ!!!!」という気持ちになれた。
・ちょうど真ん中のハーフクライマックスくらいで「INTERRRRRRRBAL!!!」と日本で見慣れない休憩表示が出て笑った。海外の劇場だとここで休憩が挟まるんだろうな。
・吹き替えで見てたが、作中では3種類の言語があったように思われる。「英語」「現地語」ともう一つの言語。
英語がわからないはずのビームも、英語しか話さないはずの総督も両方聞き取れる言語があった気がしており、どうなのか教えてほしい。
・インド人俳優の顔を見慣れておらず、途中までダブル主人公のビームとラーマがどっちがどっちだっけ?と混乱した。日本人視点だと結構そっくり。
・エンディングはみんなで盛大に明るく踊るとてもインド映画的な感じだっだが、背景にインド解放の偉人っぽい人がたくさん出てきた。知識がなくてガンディーとラクシュミー・バーイーぐらいしか分からなかったので、誰かに解説してほしい。
海賊版サイトでfakku等によって原本から翻訳されたものが幅を利かせせているので、本来なら原本を買えば済む話なのだが、とにかく日本人側は翻訳版の再翻訳をしなければならない歪んだ状況に立たされているという話になっていた。
そういう話の流れで出たのが双龍の漫画「こういうのがいい」ってどの言語でも訳せなそうだよねという話だった(あえて言い古された「ちんちん亭」には触れない)。
もちろんこれは「こういうのがいい」の翻訳版を謳うものが出た場合は既に元の台詞回しのニュアンスが壊れているはずなので、また原本の日本語自身が独特なので、元の台詞を復元することは困難であるという含みもある。
台詞回しの一例をあげてみよう。
女:ワキガチェックしてくれたまへ
男:剃り残しがございます
女:うむむ…永久脱毛の金を稼がねば…って違うぞ違うぞぉ?臭いはどうなんじゃ
男:…なんか甘いんだが
女:スイーツだと
文章の随所において終助詞など細かく拘られていて、独特のテンポが形成されている。
ただ何より注目すべきなのは、このピンクの美少女が「違うぞぉ?」とか「どうなんじゃ」とか中性的かあるいはどちらかといえば男性的な口調でものを言っていることだろう。
この言語的倒錯が生むチャーミングさといったら一体どう翻訳すれば保存できるのだろうか。
たとえば英語圏にも男性口調とか女性口調の区別は確かにあるのかもしれないが、ただ女性に男性口調に相当する言葉を言わせる「ずらし」でそれは再現可能なのか。
上記の男口調は、俺妹にも拙者が一人称の男言葉を使う女はいるが、あの口調ともまた、それが放たれたときに読み聞きした側が感じる空気感というか味わいといったものが異なると思う。
つまり同じ言語内における言語的倒錯についても、ずらし元とずらし先の違いによってそうしたニュアンスが異なってくるのに、その各ニュアンスを別言語において再現可能なのかということだ。なかなか難しいものがあると直感される。ちなみに現代の女性が「たまえ」というだけでも面白いがそれが「たまへ」と表記されたときの独特の滑稽味もまた再現し難いだろう。
もう一例あげておこう。場面は風呂場の脱衣所で男女が裸になっているという状況だ。
女:ふいータオル貸してー
男:いいよーっておいそれ昨日使ったやつだぞ洗ったのあるよ
女:いいよ別に乾いてるし
女:むっ雄の香り
男:えっ?酸っぱい?お酢?
女:ちゃうオスメスの雄w
やや育ちの悪そうな自然体の男女カップルの会話が自然に、あるいは少し技巧的過ぎるかもしれないが、素晴らしい具合に再現されている。ちなみにネカマするならこういう本からこそ口調を見習うべきだろうとも思う。
後半の雄とお酢の畳みかけは、男の受け答えが女の意図したいことに対してあながち間違っていない(絶対酸っぱい匂いがするという意図もあったはず)という点も含めて言葉遊びとして面白い。
しかしこうした言葉遊びの翻訳は後述するが映画翻訳業界では十八番のようなもので、比較的なんとかなる類のものかもしれない。
さらに続きを見てみよう。
女:乾かして―
男:なんで至れり尽くせり体制なん
女:頼むぅいいじゃんよぅ
男:だが断る
女:えぇなんでー面白いのになー
女:でも勃起サイズアップするらしい…ってあれあれ~?復活ですかー?
男:いや刺激与えたらそりゃな?
もはや語尾の小文字と長音符の使い分けなど、この作者の文体の妙を説明するうえでは些末な類だろう。
「至れり尽くせり体制」などの日本語母語話者が談話においてしがちな咄嗟な造語はどう訳せばそのニュアンスを海外の読み手にも届けられるのか。
伏字になってない伏字も面白味があるがこれは比較的なんとかなりそうだ(相変わらず女の使う「だぜ口調」が翻訳の難所になろうが)。
男がジョジョの言葉を使っていることも注目しておきたい。誤用であるかもしれないことは作者も承知している可能性があるのであえて触れないとして、こういったものはどう訳せばいいのか。
そもそもこういった台詞は元ネタを知っているかしないかで同じ日本人でも読んだときの感覚は異なっているだろう。
結局ジョジョが世界的に有名な作品なだけあって、その言語圏で出版されているジョジョの該当セリフをそのまま引用してあげれば割とスムーズに我々が感じているニュアンスを届けてあげられるのかもしれない。
・
ある言葉が翻訳可能かについては、そもそも出版や映画の世界の翻訳技術の長年の蓄積があるのだから、薄っぺらなのは承知でこれらにも触れておく。
先述したが言葉遊びの部分を別の言語に落とし込むことは映画翻訳が得意とするところである。
その言語の音韻体系でしか成立しないだろというものもうまく落とし込まれているものである。ぴんと来ないなら参考にtedの生音声と字幕を比較してみることをおすすめする。
「ぼくのワンダフルジャーニー」の原題は"the dog"である(the objectを「遊星からの物体X」と訳すのとは似て非なる事情だと思う)。
素人目にはどうしてこんなアクロバティックな翻訳な成立するのだろうと思わずにはいられない。
逆に向こうの人にとって"the dog"という訳はどういう印象を持っているのか?個人的にはお堅い文学的な味わいすらも感じられるが、それを母語とする人にはひらがなで「いぬ」と書いた程度のニュアンスまで幅広くカバーしているのかもしれない。
「いぬ」と「ぼくのワンダフルジャーニー」なら、まずまず対応していると言えなくもない…か?
あるいは端からニュアンスを丸ごと保存しようとは翻訳家も考えないものなのかもしれない。
その文章の文体やテンポが、鑑賞者にとってのニュアンスや味わいに対して重要な要素としてどれだけ影響を与えているか、支配しているかということは弁えているものなのかもしれない。
たとえば注意書きの文章をテクニカルライターとして翻訳するにあたって、日本語の注意書き、特に箇条書きが持つ淡泊さを独特のニュアンスとして捉えその存在性を肯定することはできるかもしれないが、日本人が注意書きを読むにあたってそのニュアンスを重要としていないのと同様、そのニュアンスが保存されているかどうかにまで気配りする必要はないだろう、という具合だ。
とっくの昔に源氏物語が様々な言語に翻訳されていることも押さえておくべき事実だろう。
これもまた古文が持つ独特の味わいをどう翻訳しているのか、あるいは翻訳を放棄しているのかという話になる。
日本人の心には中等高等教育を経て古文単語に対して、仰々しさをはじめとした独特の感性が培われている。
その感性を通してこそ「変態糞中納言」は独特のギャグとして成立するわけだ。
しかし源氏物語にはギャグの要素はあったとしても重要ではないだろうし、結局助動詞とか係り結びに使う助詞が持つあのニュアンスは全部放棄しているのだろうか。
アーサー王物語時代の古英語でも使えばあるいは教養ある英語話者に似た味わいを感じてもらえるかもしれないが、これは英語圏の人間に限られる手法となってしまう。汎用的な手法を見出せないものか。
ところで海外の人が日本のアニメを字幕付きで見るということが大いに行われている。
主観になるが吹き替え版は可愛くない。仮に可愛いのだとしても、少なくともそれは日本人声優の演技とは別質のものである気がする。そのあたりにもなにがしかのニュアンスが宿っているかもしれない。
そのニュアンスは非言語的な要素が持つものであって話がずれていると言われればそれまでだし、因果関係上は先に生の動画があってその日本語が分からないから字幕をつけているというものに過ぎないわけだが、とにかく日本人声優の演技というのも、字幕の持つニュアンスを補うための日本語の音声という側面があると私は解釈している。
私なりに長々語って来たわけだが、私の関心はあくまでこうした「多言語に訳せない言語」が日本以外に諸言語にあるか、それにはどういった事情があるかなどといったことであって、巷で言われるような「日本語は難しい」的な自言語を特別視する態度は持ち合わせていない。
むしろ浅学でわずかな日本語と英語の例で比較したり考察したりすることしかできないのが嘆かわしいぐらいである。
戸田奈津子や村上春樹や、最近だと東大に40言語話せるハイパーグロットがいるらしいが、彼らに自分が「訳せない言葉」と思うものを持ち込んで翻訳をお願いし、その翻訳作業をじっくり見学したいものである。知見も深まるというものだろう。
Hunter X Hunter、幻影旅団の過去編が急に始まって、自分の中で盛り上がっている。
旅団の団長は、まっすぐで賢い子どもだが、演じる能力に秀でていた。おそらく、ビデオテープの吹き替えで目覚めた「演じる」能力が、その後の人生を決定付けている。
盗賊という役割を演じる。色々な人格を演じて人に接し、能力を奪う。盗賊のリーダーという役割を演じて、残虐の限りを尽くす。
そうして欲しいものを手に入れていった結果、団長は目的を見失う。本来、自分が欲しかったものは何であったか、本当の自分とはどういう存在であったか。演じることが日常化して、役が人格を上回った状態。
過去編が描かれるということは、旅団の壊滅が近い。団長もおそらく死ぬ。その散り際に、どのような自分を演じるのか、または本当の自分を取り戻すのか。その演技のために、最高の舞台が用意されるはずだ。
どんなに好きな作品で気合い入れて見ようと思っても、そもそもの生活環境やすべての生活音が気になるし途中で眠くなる。
まだスマホで電車の中とか外でイヤホンして見たほうが集中出来る。
やっぱり映画や舞台は外行く服に着替えて靴履いてその空間に行かないとダメだわ。
よっぽどつまらん映画やミュージカルでも映画館や劇場という環境に出かけるという行為が特別でそもそも眠くならんわ。
家ではゆるいテレビ番組やYouTubeのショート動画くらいの軽いメディアがあってる。
若い頃はクソだと思ったけど、テレビで映画流すには吹き替えで色々なシーンカットしてCMや字幕バンバンでEDは全カットのあの軽さでちょうどいいと気付かされる。
ずっと気になっていたけど、あまり見る気のなかったデッドプールシリーズにとうとう手を出した。
正直デッドプール2が見たいがためにデッドプールを見たと言っても過言ではない。
なぜいきなり2?なぜなら、ジャケットに渋いおっさんが写っていたから。
どうやらこのおっさん、ケーブルという名らしい。残念ながらマーベルシリーズの知識皆無の自分は当初「ネーミングセンス(笑)」と馬鹿にしていたが、そんなことは気にならないぐらいの渋おっさんっぷりに数秒でハートを射抜かれた。やはり私の目に狂いはなかった。
あと話し方いいよね。声低くして掠れてる感じ。呆れた時の声とか("Uh-hun"、"Ugh"、"Jesus"あたりリピートして聞きたい)あと腕に浮き出た血管。性癖に刺さりまくりでしょ、殺す気か。かかってこい。
しかもかっこいいだけじゃなくて、可愛い要素もあるとか最高かよ。リップクリーム塗り塗りしたり、最大出力でぶっ放そうとしたら、あっさり取られちゃったり。あれ絶対手渡しただろ。あそこら辺の演技はもうちょっとなんとかならんかったのか。
ただ「ケーブル デッドプール」で調べても、検索結果少ないの悲しい。英語で検索すると結構出てくるのに、なぜだ。why Japanese people!? みんな好きだろ?かっこいいおっさん。もっと燃料投下してくれよ!熱く語り合おうよ!!!
あとでかっこいいおっさんジョシュ・ブローリンを検索したら、DUNEに出てたおっさんだった。どうりで。あの時も主役そっちのけで、あのおっさんに目が釘付けだったもんな。
あと字幕で見てたけど、この映画セリフが多いからか、字幕が追いついてないというか、訳されてないセリフてんこ盛り。吹き替え版だとそこらへんも回収されてるらしいってことで、ちょっと見えてみたらマジでそうでありがたかった。けど、デッドプールの吹き替えは声低すぎてなんかしっくりこない。ライアンレイノルズの高さぐらいの声の方が軽薄っぽくてよい(個人的な意見です)
騒動の本筋とは全然関係ないのだけど、微妙に勘違いしている人がちらほら見受けられる
田中敦子さんはゲーム本編とは関係のないナレーションとかで少し関りがあったけど
ベヨネッタ役として参加したのはアニメ版以降、ゲームだと2以降のこと
だからオリジナルのベヨネッタの声は今騒動になってるヘレナさんの声
ついでに、日本語版と英語版以外のバージョンでも吹き替えなしでそれぞれの言語の字幕になってて
基本的にベヨネッタの声は万国共通でヘレナさんの声と認識されてる
田中敦子版を選ぶ日本人と、あえて日本語音声を選ぶ物好きな外国人以外はね
まあだからこそヘレナさんにも「ベヨネッタはワシが育てた」っていう矜持があるのだろうし
そのプライドに基づいて替えのきかない存在として大きく吹っかけたのだろう
けど制作側としてはそんなに法外な譲歩をしてまで引き留めるほどではなく
悲しいねえ
アマプラでエージェント・スミスって映画を見たんだよ。
私は、国家の凶悪な武器。スーザン・スミスは、地域一帯を支配する麻薬密売人であるキャッシュの女として、裏社会に生きていた。だが薬物所持の現場をFBIに押さえられ、罪を問われない代わりにFBIの情報提供者となるよう、捜査官のマーク・パットナムに要請される。パットナムは裕福な不動産開発業者の娘と結婚していたが、ある日、スミスの誘惑に負け関係を持ってしまう。ベッドでパットナムに抱かれながら、スミスの脳裏にはある計画が浮かんでいた。男たちをその妖しい魅力で引き込み、女の武器で操りながら仕掛けた復讐が、今幕を開ける…!
なんかすごいエージェントものだと思うじゃん!タイトル見てもさ!
でも全然中身違うんだよ!
実際には売人の元妻として底辺の犯罪者として生きる生活にイラついてる女が、エリートFBIに出会って恋に落ちて不倫状態になって元夫の犯罪を告発するんだけどエリートFBIは妻を選んで他所へ逃亡、主人公は地元でチクリ屋としてゴミカス扱いされてボコられる毎日。なんとかエリートFBIを探し出してヨリを戻してよ!!!ウンコ!!!とヒスった結果、ブチ切れたエリートFBIにぶち殺されて、エリートFBIは自首して終了。
底辺犯罪者女がエリートFBIになんとか選ばれたくて奮闘するんだけど結局空回りして本人に殺される話。
あのさぁ……
原題は「above suspicion」疑う余地もない、という意味。
原作はノンフィクション小説の「死体とFBI 情報提供者を殺した捜査官の告」で実際にあった事件らしい。
本当に怒るよ。
win95とか98じだいのゲーム
たぶんどれ選んでもキャラは同じで被害者とか犯人が違うんだと思う
話をきいて自分で大事だと思ったところをメモして犯人を特定する必要がある
タイムリミットがあって、供述のビデオきいたり移動すると時間がへってく
現場検証みたいなのもあったきはする
小学生のガキがガキなりに全部動画きいてすくねえ脳みそで考えて、
確かパーカー上院議員みたいな名前のやつが見た目あやしいからこいつにしようって犯人指名したけど外れた
全然クリアできなくてつまんなかったから、親の知り合いのめっちゃ頭いい子供がやりたいっていってたから無料であげちゃったと思う
ちなみにそいつの家系は東大灘当たり前の医者家系でめちゃ頭いい
そのゲームあげたあとも短期間は交流あったから、クリアしたかどうか聞けばよかったな
すまんグーグル大先生のおかげで20年越しの疑問があっさり解決してしまった
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12231438847