はてなキーワード: 吹き替えとは
アニオタを脱して長いんだけど、最近のアニメを大人しく見てられない。
見てられない理由は色々あるんだけど、1話終わるまでに見るのやめてしまうのは声優理由が多い。
小説からマンガへの「見た目の解釈違い」がマンガからアニメの「声の解釈違い」「スピードの違い」で起こる。
あと演技の技巧が気になるのと、櫻井みたく演じるキャラ属性が固定化しちゃった声優の「どれ演じても櫻井」とかが気になって仕方ない。
演技下手くそ問題は本当に辛くて、それだけで原作レイプされた気になる。今はどうか知らないけれどWJ系マンガのアニメ化は声優が本当に酷くて、アニメ化の話を見る度にガッカリした。
で、その流れでハウルの城が見られない。千と千尋も耳障りなんだけど、ハクが出てくるまでに物語に引き込まれるので面白さ優先で耐える感じ。
声優でない人を声優させる取り組みは脱アニオタしてても目に付いて、客寄せパンダで金取れるから仕方ねーよなと思いつつ、見ない(金を落とさない)ということが続いた。
衝撃的だった。
これなら日本語喋るのが下手でも気にならない!!外国人だから!!納得!!!!
そして今年、スーパーマリオブラザーズ。
吹き替え声優に「こいつがいたら絶対見ない」と固く決意している声優の名前があったので、字幕で見ることを決めた。
最高だった。
声の演技にイライラするような脳のリソースが全部ほかに振り分けられた。分からないからこそノーストレスで楽しめた。マンマミーア!
そうだ、これで私はついにハウルの城を見ることができるのではないか。
外国版ハウルの城を日本語字幕で見たら、やっとジブリ映画としてハウルの城を楽しめるのではないか。
……まぁ恋愛ものらしいので、見ても「ゔ」ってなるかもだけど。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを見てきたので感想を残しとく。
[視聴環境]
[事前情報]
世界興収がスゴイらしい。評論家からの評価は悪いらしい。吹き替えはマリオが宮野守でルイージが畠中とかいう奴らしい。予告チラ見した感じ、声が微妙だったので字幕でみることにした。
[どんな話か(うっすらネタバレ)]
現代のニューヨーク在住の冴えないイタリア人配管工の兄弟が、ひょんなことから異世界(マリオワールド)に飛ばされ、キノピオ、ピーチ、ドンキーコングとともに悪者クッパを倒そうとするお話。
[総評]
普通に面白かった。良くも悪くもファンムービー。映像的な革新性、脚本の秀逸さ、思わず吹き出してしまう小気味よいジョーク、心動かす感動的なシーン、胸が熱くなる激アツ展開、などはない。
かといって出来が酷いわけではなく、一応どれも及第点は取れてる、と思う。(脚本はかなり雑で突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけど、子供向け映画にマジになっても仕方ないよね)
[おすすめ度]
劇場で何度も見たくなるタイプの映画ではないけど、人生でマリオのゲームに触れたことある人なら一回は見といた方がいい映画だと思う。
[誰向け?]
万人向け。マリオのゲームをやったことある人なら、小さい子連れのファミリーから、デートムービー、友達グループ、独り身の暇つぶしまであらゆる層に対応してる。
[グロ度]
なし。ただしギャグ演出として暴力的なシーンが多用されている。痛々しい演出は多め。(例:手をピアノで挟む)
<良い点>
・キャラクターのモーションやSE、BGMが原作を忠実に再現していて楽しい
<悪い点>
それに加えて各シーンの演出や各エピソードの繋がりがとてもご都合主義的。
どのような「ご都合」かというと、「原作のこの絵を再現したい!」→「じゃあこういう展開でこういう演出にしましょう!」というのが明け透けに見えている。
たとえば、「ベビーマリオを出したい!」→「ルイージに幼少期を回想させよう!(何の脈絡もないけど)」みたいなのが盛りだくさんとなっている。
原作再現が最優先なため、伏線を先に引いて、後で回収する・・・というのがほぼない。
ピーチ姫がSWのレイみたいになってたり、キノピオが陽気な友人キャラみたいになってたり。どれもハリウッド映画に出てくるお決まりのキャラではあるけども。
<まとめると>
どのシーンにも「物語上の必然性」がない。かわりに「原作再現上の必然性」がある。
だからマリオを知らない人が見たら「なんでそうなる???」「唐突・・・」「最初からそうしとけばいいのに・・・」「無理矢理だなあ」「この人たち出てくる意味あった?」「え?なんでみんな普通に受け入れてハッピーエンドみたいになってるの?なんか説明合った?」「こいつは一体なんなんだよ」と突っ込みどころ満載かもしれない。
が、それもこれも原作再現を楽しみにしてるファンを思ってのことだと思うので悪く言うつもりはない。
全体の1/3くらい進んだのにまた最初のとこに戻れって言われてハア!?ってなった
徒歩だよ
一応戻ったけど、今後も行ったり来たりの水増しされんのかなって思ったらやる気なくなった
いやまじでつまんねえのよこれ
移動・お使い自体をゲームにしてしまうってのはなるほどって思うけど、揶揄されがちなお使いゲーってのを誉め言葉かなんかと勘違いしちゃったんじゃねーのって思う
一応マップに他プレイヤーの看板(簡易メッセージみたいなの)とかいいねつけたりとかはしごとかあったりもするけど
最初に伝説の配達人っつってるのに、ステータス画面のランクは新人配達人とかなってるし
変なとこでゲームの都合いれててもうしっちゃかめっちゃかだよ
ロープレで武器99個とか持ってると普通歩きにくいよね笑ってのをガチでやっちゃった感じ
敵もいるけどみつかってもよけたりするだけだし
やたら岩がころがってごつごつしてて移動しにくい草原と山と川だけ
まじで楽しくない
ゲームを楽しみたい人間にとってはこれやるくらいなら他のゲーム、もしくは仕事してたほうがましってくらいだった
それにしても冒頭1時間で操作できる時間が15分くらいしかなかったのはやりすぎだと思うけど
そんだけムービー入れてるならがっつり世界観やら没入感高めてくれてるならまだしも、
お使いだけどNPCだーれもいなくてVR映像みたいなのだけだし
世界にまじで人がいない
赤ちゃん泣き出してたびたびあやすのも龍が如くのゴミミニゲーム思い出したわ同じ赤ちゃんあやすやつ
津田健だけどなんかねっちょりしたしゃべりかたするのが全然あってない
車もめっちゃあるのになんで使わせてくんねーんだよ
大抵の人は辞められない。
頻尿の人はRRRを見ることは出来ない。大福を食べても尿意は止まらないし、水を飲まなくても尿は出る。オムツを履いて映画館に行くという変態プレイが許容されるのはエロ漫画の世界だけ。
会社で携帯を持つことが義務付けられている人は映画館でもバイブを常に意識する必要がある。特に自衛隊はそれが顕著。映画を見ている間に遠くで災害が起こり、それに気づかないで2時間の間報告義務さえ怠りましたは許されない。
色盲の人は普通の人と同じように映画を見れないし、時には色盲であるが故に重要な情報を見落とすだろう。まして盲目であれば……盲目の人でも音を楽しむために映画館に行く人はいるだろうが、その人は映像を見ることが出来ない自分という存在から離れることは出来はしない。逆に難聴の人間にとっては映像だけしかそこに存在しない。
単に語学力や読解力が試されることもある。吹き替えのないアクション映画で必死に字幕を追わされたり、訛りの独特なニュアンスを感じ取れなかったり。外人の顔は区別がつきにくいが、相貌失認気味の人間であればそれはなおさらで、時には登場キャラクターが少し髪型を変えただけで誰が今どうしているのかを見落としてしまうだろう。
「映画館で映画を見ている間は自分が自分であることを辞められる」というのは、自己の心身や能力に纏わる事柄によって映画鑑賞に支障が起きない人間が一時全てから離れて自由になれる権利を有して初めて起きる現象だ。
本当に完全にこの条件を満たせるのは日本人の半数程度だろう。
当たり前に誰にでも起きうるものとして扱うのは辞めてもらいたい。
なんで吹き替えがないん?(-_-)
最近、「働きたくないから生活保護を受けてみた。毎日が豊かになった。」というタイトルのnoteを読んだ。「働きたくない」という理由で生活保護を受給し始めた人の体験談で、労働に追われることのない悠々自適な暮らしを手にいれ、現在は読書を通じて勉強したいことを自由に勉強する日々を送っているという。「現代の高等遊民」ともいうべき生活をしている様子が窺える内容だった。
しかし、ふと疑問に思った。
「どれだけ知識を身につけたところでそれを使って世の中に影響を与えないなら無意味で、いわば"百科事典の下位互換を目指すだけの人生"なのでは?」と。
確かに読書や勉強は世界の見方を変えるとは思う。例えば英語が分からない人生よりは英語が分かる人生の方が読書も映画鑑賞も幅が広がるし、翻訳や吹き替えでしか作品に触れることができない人よりも深い理解や感動が得られるだろう。だから働くつもりがなくても知識を身につけ続けること自体は悪いことではない。
しかし、それでもやっぱり"百科事典の下位互換"を目指しているようにしか思えないのだ。
学んだ知識で(良くか悪くか)世の中に影響を与え、賞賛や批判というフィードバックを受けることが現代人の「生きる実感」なんじゃないだろうか?
noteを読む限りまだ若い人のようなので、この人自身は読書の日々で得られたものが将来何かの仕事に繋がることもあるかもしれないし、仕事ではなくてもSNSで多数のフォロワーに影響を与えるのも「世の中に影響を与える」に当てはまるかもしれない。
ただ、このnoteを見て「ワーキングプアになるくらいなら生活保護」と言っている人が一定数いるのは事実で、その人たちの多くはSNSで多数のフォロワーを抱えるわけでもない、「なんでもないただの無職」になる確率が高いのではないだろうか?いくら労働から解放されて自由に学べたとして、それを発揮する機会のない人生に虚しさを1ミリも感じないほど達観できる人はそれほど多くないと思う。
最近はひろゆきブームもあってカジュアルに語られることが増えた生活保護だが、「働きたくないから生活保護」の人生にはそれなりの苦労があると思う。「耳をすませば」のセリフじゃないけど、「人と違う人生は、それなりにしんどい」というのが現実なんじゃないかな?