はてなキーワード: 低価格とは
1989年に東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界で最初のノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝、アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成した。
1990年代中頃から、国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコンの出荷台数はデスクトップパソコンを追い越した。
2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPadで代表される新しい形態の携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。
とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝に代表される日本企業が業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンがパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。
ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズのパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。
・1984年 NEC PC-8401A
(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池やフロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。
T-1100の仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大512KB
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵
・サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg
最初のノートパソコンは1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。
発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初のノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。
J-3100SSの仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)
・電源リジューム機能の提供 ・ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機
・サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)
1990年代に入ると、IBMとアップルがノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成したといえよう。
・1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載
・1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー付
・1991年 アップル PowerBook 170 世界初のパームレストとトラックボール
・1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)
・1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA
・1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ、表計算などアプリケーションをROM内蔵
・1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。世界初のトラックポイント装備
・1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池で駆動
・1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート
・1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載
・1994年 アップル PowerBook 520 世界初のトラックパッド採用
1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいことから人気が高まり、2000年にはノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る状況になった。
・1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用。プレインストールソフト多数
・1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量
・1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート
・1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート
・1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学式トラックボール搭載
・1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)
2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的にモバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争は1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。
筺体の軽量化
軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。
パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。
SSD(Flash Solid State Drive)
SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要なノートパソコンに適している。しかし高価格である。2004年頃から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。
ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格化競争が進むのに伴い、台湾や中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業の技術向上により、現地企業に生産だけでなく設計も委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内で生産している製品は、特に高度技術が要求される小型の高機能のパソコンに絞られるようになってきた。
2000年後半には、ノートパソコンが多様化した。ディスプレイサイズで区分すると、次のようになる。
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
───┬─── ─┬─── ──┬──
│ ──┬──│──┬── │
│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイルを意図せず高機能機
│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用
│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準
├ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視
シンクライアント(Thin client)とは、処理機能をサーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである。1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。
1996年 オラクル、シンクライアントの概念を提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。
1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表
1997年 マイクロソフト、Windows CEをベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表
それが2005年頃から、外部記憶装置の接続ができないこと、パソコンに情報が残らないことが、セキュリティの観点から重視され、パソコンメーカーはシンクライアントを発表、多くの企業が採用を検討するようになった。
2005年 日本経済新聞「日立製作所がパソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。
2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷
2005年 NEC Mateシンクライアント、VersaProシンクライアント 出荷
ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである。2005年頃、発展途上国の教育分野にインターネットの活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産、支援団体等を通して提供する計画が進んだ。
ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンドマシンとしての重要が高まり、2008年頃から、その用途を目的とした機種も出るようになった。
2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来の目的用の例
・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価
・記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載
・ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャを採用して、パソコンとの互換性あり
iPadの出現
タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトはタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。
2010年、アップルはiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。
http://anond.hatelabo.jp/20140803210149
と一笑にふそうとしたが、待てよと。
もしかしたら本当に今の高校生や若い世代は技術の進歩を目の当たりにしていないのではないか?
と思い、いろいろと調べてみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/PlayStation_2
確かにファミコン→スーファミ→プレステのような劇的変化は感じられないよなあ・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/AIBO
つまり、元増田が物心ついた時にはロボットとは、一般家庭にこそ普及してないが、
1999年にはiモードが日本でスタートし、インターネット網への接続が可能となり、通信速度が向上し、画像やJavaを使用したゲームなどの利用が可能となった。
ネットはパソコンでやるものではなく、ケータイでやるものなわけだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1
2000年~2002年頃にかけて、ADSLによるサービスが普及しはじめる。既存の電話線が使用できることや、価格競争による低価格化により、現在ブロードバンド回線の主流となっている。
知ってるかい?昔はダイヤルアップと言って、ネットへの接続時間に応じて料金がかかっていたんだぜ?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%81%9E%E3%81%BF_%28%E5%88%97%E8%BB%8A%29
なるほど、確かにこうしてみると、元増田が物心ついてから現在に至るまで、
子供心をときめかせるようなブレイクスルーがないのかもしれない・・・
(自分のチョイスの仕方が悪いだけかもしれないが)
俺が「かがくのちからってすげー」と感動しているものに対して、
高校生が感じるのは、物心ついたときからある当たり前のものでしかないのだ。
そんな当たり前のものがここ10年近く、ブレイクスルーなしに改良を重ねていっているだけのように見えてしまい、
などと思わせてしまうのではないだろうか?
とても共感出来る。
漫画のみならず、映画、小説、ゲーム、音楽etc……もう娯楽には一文たりとも払ってない生活がかれこれ5年くらいは経っている。
いやもう本当にインターネット上の無料娯楽が優秀すぎるよね。むしろ、金を払って得る娯楽の方がクオリティが低いと思わされることも多々ある。
この瞬間にもyoutube上には1分で100時間分もの動画が上げられ続けている。しかもその9割9分は無料で閲覧可能。
動画だけでなく、漫画や音楽も毎日毎日未消化の完全新作無料コンテンツが大量に上げられ続けている。
最近だと商業アニメとかも放送一週間までならニコニコで無料で視聴出来る。
こんな状況で娯楽に金を払う気にはあまりなれないかな。
最近のネットコンテンツを見てると、上に挙げた教育ですら低価格で質の良いものが出始めてるし、地方の名も無い学習塾に金を払うくらいならオンラインで優秀な講師の教育に金を払った方がいい。しかも後者の方が圧倒的に割安。
こうなってくると、金を払うものは食費と住居費と通信費と保険くらいになってくる。
娯楽を生業としている人はこれからの時代一体どうやって稼いでいくんだろうなぁと考えたりもする。
私は島中と誕席を行き来するくらいの同人漫画描きです。大体300~400部くらいです。
四国在住です。
1回本を出して通販とイベントでハケる部数の売上=印刷代+交通費+宿泊費+イベント参加費が同じくらいです。
もちろんここまで来るまでに、長い時間と膨大なお金を使いました。
読んでもらえない悲しさ、悔しさは同人誌を出す人はきっと誰しも知っていると思います。
同人の醍醐味は、どれだけ下手でも情熱があれば、諦めず続けていれば、成果がちゃんと出るところでもあります。
これ以上の部数は見込めないでしょうし、漫画家にはなれそうにありませんが、今まで費やした膨大な時間を思えば、漫画を描くことをやめるという選択肢は私にはありません。
ここまで前提として。
まず、200部でイベント売りのみという、ニトロ定めるところの非営利活動に留めた場合、多分私はコミケ以外の参加を諦めるでしょう。
理由は二つあります。
①交通費宿泊費の相殺が出来ない売上になることが予想される為、コミケ以外の参加者の少ないイベントは出費の負担が大きすぎる。
②自分の漫画を読んでもらえる絶対数が減ることにより、モチベーションの維持ができない。
①の理由に関して言えば、趣味でやってるんだから相殺なんか求めるなと言われればそれまでです。
ですが、主催にもよりますが1回参加でスペース代は8000円前後です。そして交通費が、例えば大阪の場合往復20000円。宿泊代6000円。
印刷代が200部で、40000円。これでも安い方で計算しています。
東京だと交通費はその倍、新幹線を使えば三倍くらいになります。
それ以外にもファンとして公式から出されるものの購入費、イベント代、そちらにも薄給からつぎ込んでいく。
そうなると年に二回参加が限度ですし、実際最初の何年かはそうでした。
②モチベーションに関してですが、本当はこちらの方が深刻です。
二次創作は原作のキャラクター・世界観をお借りして創作しているものですが、私の場合「好きだから」そのキャラクターがもっともっと見たい。読みたい。
オリジナルも描きたいものではあるのですが、キャラが好きすぎてたまらないので、だから描いている、という感じです。
私はあまり成人向けを描かないので特にそう思うのかもしれません。小学生の頃、好きなアニメの主人公の絵をノートの端に量産したような、そういう気持ちに近いかもしれません。
イメージとしては補完している感じです。
2~3話の間に少しの空白の時間があったとして、そこに実はこんな物語があったんじゃないか、このキャラクターはもしかしてこう考えたんじゃないか。
もしくはこういう事態が発生したらどう動くか。
そして、これを読んでもっとキャラクターに萌えてほしい。知らない人には原作を読んで欲しい。原作のブームを一過性で終わらせたくない。
できたらこの萌えに同意してほしい。だれか同じように思う人はいないか、この切り口はアリだと言ってもらえないか。
これもひとつの承認欲求なのかもしれませんが、そんな風に思っています。
でも、それを200部の範囲で、対面販売だけでやりなさいと言われると、読んでもらえる人の数は減ってしまうわけで、確率的に同じ思いの人に行き当たる数も減ってしまうのです。
それは私のモチベーションを下げるのに十分な理由でした。
ならば、版権使用料を支払って上限を上げればいいとニトロさんは言います。
でも、私はロイヤリティを支払う事によって、きっと「損をしたくない、もっと売りたい」と思うでしょう。私は小さい人間ですから。
もっと売りたいと思えば媚びた内容になるでしょうし、成人向け表現やサービスも入れる必要があると思います。
私はプロではないので、好きな内容しか描きたくない(描けない)ので、きっとそういう損得勘定でアッサリ描けなくなるだろうなと思うのです。
同時に(二次創作で権利を侵害しておきながら矛盾するかもしれませんが)そこまでして公式の領域に踏み込むことに恐れがあります。
じゃあ無料で配布、もしくはサイト、ピクシブに掲載でいいじゃないか。どうして金をとろうとするんだ。
もちろんそれはごもっともです。
ですが、無料って、本当にいいことですか。
あの時、無料とか低価格で買い叩くことに関して、散々議論されていたように思います。
ピクシブをご存知の方ならわかると思いますが、どれだけ素晴らしい絵でも必ず多少なりと嫌がらせを受けています。このキャラは気にいらないから一点評価、そんなこともよく聞きます。
そして無断転載の横行。
よしんばあったとしても、☆10個、RT数。
多分紙媒体で読むよりずっと短時間で読まれる、暇つぶしに消費されるだけのもの。
少なくとも値段をつけて売るものは、「それに興味のある人」しか買いません。
そしてお金を払った以上、しっかりと損をしないように読んでもらえます。その後ゴミ箱行きだったとしても、ちゃんと読んでもらえるのです。
無料であるものに人は執着しませんから、ゴミ箱行きよりずっと低い価値で消費されます。
具体的には、1000ブクマついた作品でも感想はほとんどもらえません。
300部の本なら、10%は必ず感想を頂けます。その違いはかなり大きいですし、やはり本の方がちゃんと読まれている、と考える根拠です。
ただそれでも読んでもらえるのが目的ならどちらも同じじゃないかと思いますか?
私はそうは思いません。
漫画を描くというのは、人のペースにもよりますが私の場合、一冊に一ヶ月を費やします。
それなりに体力も使います。脱稿後は燃え尽きたようになります。
それを素通りされて、☆をちょんとつけられるだけのものにはしたくないのです。
だらだらと長文ですみません。
だからといって権利を侵害していいわけがないし、ここからは非営利、と定められるのはある意味仕方のないことだとも思います。
ではどういうガイドラインならお前は満足なんだと言われても、今のところ答えはありません。
ただ、私はこう思いました、という日記です。
7/9追記
明日ニトロさんから何らかの発表があるようなので大人しく待とうと思います。
尚、この日記はあくまで私の同人スタンスであり、誰かのスタンスを批判したりするものではありません。
気分を害された方には心よりお詫び申し上げます。
追記
ニトロプラスさんより改訂のお知らせがありました。同人誌はこのガイドラインから外れるようです。
私の立ち位置が、自分では非営利だと思っていてもそうは思われない方もいるということ、趣味の範囲を逸脱しない為にはどうすればいいのか、どうすれば一次と二次が共存していけるのか、今回様々なコメントを頂いて色んな目線から考えることができました。
個人の範囲を踏み越えることの無い様、今一度自分の活動を振り返ってみます。
拙文をお読み頂き、本当にありがとうございました。
なんて言っても広い。
なんと2kmくらい、視線の先の人が米粒に見えるほどの直線だ。
クラーク像を右手に、古河記念講堂やら工学部やらを眺めながら長い長い並木を歩けば、つきあたりまで30分かかる。
ここで終わりかと思ったら甘い。つきあたったその道の向こう側は獣医学部。そう、まだまだずっと北大の敷地だ。
ぐるっと回ると7km~8kmほどあると思う。
北大にきたらクラーク像やら植物園やらポプラ並木まで見ようって思うだろ?
同じ敷地にあるなら徒歩数分でたどり着けると思ったら大間違いなんだぜ?
さて、疲れても頑張って今度は南に歩いて行こう。
一日目は徒歩で市内な。
時計台と、赤レンガ庁舎、大通公園と、見るものはいくらでもある。
初日、なんだかんだで15kmくらい徒歩な。
疲れても頑張れ。
それは正しい。
1万円でセックスできるという破格の安さ。
合法風俗が低価格高品質すぎるため非合法売春婦がそんざいしないという。
すすきのでいうキャバクラとは、東京で言うところのお触りオッケーなセクキャバだという。
美味い飯も食える。
ミシュランガイド北海道特別編で三ツ星を獲得した「鮨 田なべ」も所在地はすすきのだ。
銀座と歌舞伎町と吉原を混ぜこぜして、クリーンにしたような歓楽街、それがすすきの。
ここで性欲も食欲も満たして一泊な。
南へ南へ。
道中に寄り道出来るなら、藻岩山の夜景がすばらしいので寄るのもいいだろう。。
函館山から臨む海に挟まれた夜景も素晴らしいが、突如として札幌の街が現れる藻岩山の夜景も負けてはいない。
しかし、個人的には昼から温泉、昼から酒、朝までグダグダをオススメする。
でも、定山渓温泉はつい最近わいたお台場大江戸温泉物語みたいなもんじゃない。
歴史があるっていうか、うん、一言で言えば、昭和の温泉街という感じだ。
なんていうか、ザ・昭和。
廃墟となった潰れた旅館と、潰れそうな旅館が交互に並んでいて、やってくるのは社員旅行のバスばかり。
この時代にまだ社員旅行客なんてあてにしてるから廃れるんだと思うんだが(笑
河童押しらしい。
萌えキャラ全盛の今、定山渓の河童がどんなか、グーグル画像検索をしてほしい。
繰り返すぞ。
ここで昼から温泉、昼からビール、そのままグダグダして、ここで一泊な。
広大な敷地で、美術館だけじゃなく、野外ステージ、工房、芸術三昧。
1日遊べるんだが、それをこらえて、そこから東へ。
目指すはクラーク像。
目指すべきはスープカレー。
ほんとにほんとにほんとにほんとにスープカレー。
少しだけ札幌のとなり町にはいったあたりで、野幌森林公園っていう巨大な森林公園があってな、ざっと東京ドーム430個分の広さでな。
そのなかに、開拓の村っていうこれまた広い野外博物館があってさ、開拓当時の建物が移築されててけっこう楽しいわけ。
北海道来たなぁって気持ちになれるわけ。
夕食はサッポロビール園だ。
ちょうどよく帰り道にあるはずだ。
サッポロビール園、キリンビール園、アサヒビール園とあるんだが、雰囲気を味わうならサッポロビール園だ。
北海道において、ビール園で食べるものといったらジンギスカンなんだ。
「ビール園に行こう!」を翻訳すると、「ジンギスカンでビールを飲もう!」だ。
で、三泊目の宿。
俺ならJRタワーに泊まるね。
ワイングラス傾けながら叫んでやるね。
「見ろ!ユリア。視界に映る全てが俺のものだ!俺の街サザンクロス!」
一日目の女の子の味が忘れられないなら、すすきのに泊まるのもいいぜ。
すすきのに泊まるなら、サッポロビール園じゃなくキリンビール園なら歩いて行けるよ。
札幌にいてもまだまだ見どころはあると思うけど。
帰りの空港も新千歳空港にするなら、富良野美瑛コースか、小樽余市コースだな。
それ以上離れると、移動時間がきつい。
それより遠くに行くと、東京を拠点に箱根観光に行くようなもんだ。
知名度でいうなら富良野美瑛だが、風景以外とくになにもないから、ある意味人を選ぶ。
小樽余市コースなら、おすすめはニッカウイスキー工場見学かな。
旅の疲れピークでも運転が平気ってなら、神威岬までは行ってもいい。
4日目にもなると、美味いものもくいあきたろうから、運転しながら、月寒あんぱんとかわかさいもとかをガラナで胃袋に流し込むくらいでいいだろ。
ジンギスカンキャラメルとか、ネタでもやめろ。
石屋製菓の白い恋人は不味くはないが大半の人間は食べ飽きてると思う。
壺屋のき花は白い恋人の上位互換だが、旭川空港ならとにかく千歳空港には売ってないだろう。
一昔前なら生チョコ、ポテトチップスチョコレートが喜ばれたが、一周した感じがする。
六花亭の菓子は意外性があるわりにハズレも少なく、しかも包装が洒落ていて女性にウケる。
お気に入りの女の子には、職場用の詰め合わせとは別になにか買ってってあげるといいだろう。
重たくていいなら、北海道限定のサッポロクラシックが喜ばれる。(土産物屋じゃなくてそのへんのスーパーで買うと安い)
まあ、全部妄想ですけど。
18世紀の江戸中期、ウナギはもともと川の中でのたくってる、生活に余裕があるやつなら絶対喰わないような下賎な食べ物でありまして、すげー安い食い物だったんだよ。
19世紀の江戸後期、マグロの赤身トロはすぐに痛む足が早い食べ物でありすぐに腐って売り物にならないわけで、やっぱり下賎な者が買いやすいすげー安い食い物だったんだよ。
20世紀の昭和中期、クジラの肉は牛豚鳥の動物肉タンパクが大量に安く手に入らない中にあって、一発銛入れればまとめてそれなりの量が確保できる、やっぱりすげー安い食い物だったんだよ。
安い食い物の評判がよくなり人気が出て、高価格の高級料理路線と低価格の庶民の味路線の二本立てで国民食になり、それを聞きつけた海外でも喰い始めて需要が急騰、原材料の価格が急騰すると貧乏国の連中が乱獲に走り、水産資源の枯渇を招きレッドリスト入りで、好きなだけ喰えなくなるって寸法。
マグロはトロの部位がすぐに痛むし、油でコッテリで粋な味じゃねえってんで、投げ売りされてたんだね。
トロに比べて赤みの方が長持ちするので、こちらの方が高かったと。
電気による冷蔵技術が確立し配送用トラックにそれが載るようになると、トロを痛めずに店頭に出すことができるようになり、昨今の油まみれで柔らかいトロが歯がガタガタのじーさんばーさんと孫のセットにベストマッチで喰いまくってくれたおかげで、価値観の逆転が起こった的な。
うなぎを腹から開いて串をさして関西の薄口の上等な醤油を塗って蒲焼にして露店売りしてた。
それを武家の総本山の江戸に持ち込んだところ、腹を開くうなぎは縁起が悪いハラキリだってんで武士に嫌われるし、上方の旨味で勝負する醤油は東方の真っ黒でしょっぱいガッツリくるものとは違って受け入れなれないわけで、結局ヒエラルキー上方の連中に相手にされる食べ物にはなり得なかった。
それが変わったのは、千葉だったかの方で東方風味ながらも上質な醤油が開発されて、上方からうなぎの伝道よろしくがんばった意識の高い露天商の連中の満足を得たのと、その醤油とみりんを混ぜたところ糞甘いタレが出来上がって江戸の連中に受けてからですね。
いやだから、買い物したこと無いの?
他メーカー品と比べて、
なんだって。
http://www.topvalu.net/items/detail.php?id=3498
http://www.sej.co.jp/sej/html/products/7premium/2010/419102.html
味見まではしてないけど、
他ブランドと並べて売るにあたっての路線は違うっしょ。
参考までに、なぜドンキ(低価格路線の店)に更に安い商品の開発を!ではなく。コンビニ(高付加価値路線の店)に安い商品の開発を頼むんだ?
ようするにスパイ技術者ってのはいるだろうが、そいつが持っていけるのは今現在の技術まで。
他方、オリジナル技術者は、自分が発明した技術なんだから、さらなる技術革新を見込める。
つまり スパイし続けるためには、引き抜き続けなければいけないから、案外コスト高。
自分で発明していない技術をもって転職する技術者を採用すれば、そりゃまぁ行き着く先は低価格路線だわなぁ。
だからこそ、GoogleやAppleなどの先端的な会社は盗まれるよりも早く技術を革新するという意味でイノベーションを重要視しているし
さっさとブームを変更してくるわけ。あれって、スパイ対策の意味もあるんだよね。
当然そうだが、ホワイトカラーの通常の仕事と結果と比べてほしい。
配属の運や、たまたま任せられた仕事、誰に気に入られたか、など、通常の仕事のアウトプットは非常にコントロールしにくい。
何かで判断しなくてはならないとき、「比較的」平等な条件下で行われた「受験競争」は十分に素質を一定程度見極める条件になる。
別にすべての東大生が優秀だとか、すべてのF欄が無能だとかそういう話ではない。
比較的受験競争の勝者のほうが、優秀な人間が多く、無能な人間が少ないというだけだ。
そしてそういう指標は少ないから「学歴」は能力を測る重要な一つの材料だということだ。
ただ、何度か上がったように、受験戦争に参加することが貧困により許されなかったレベルの高卒の人はかわいそうだと思う。
だからこそ、そういう人のためにより一層の高校の学費の低価格化、学生向け奨学金の充実は必須だとおもう。
君がほんとうに恨むべきは、東大のようなかなり平等な競争で国公立に入った東大卒ではなく、
親のお金で慶應や早稲田の付属高校、付属中学、付属小学校などでエスカレーターで上がった人のほうじゃないか?
あるいは、国公立ではなくお金のかかる私立大学に親に補助してもらって進学して、高卒や短大卒や専門学校卒を馬鹿にする人たちなんじゃないか?
ちよっとしゃれにならないくらいやばい
商品を注文したのだが20日以上連絡もないし問い合わせの返事も何回送っても全然かえってこない
初めての店で買うときは用心するのだがヤマダということで油断してしまった
価格comとかでかなり低価格でお客を集めてるみたいで、商品も24時間以内で発送と書いているのに全然送ってこない
ココを見ると分かるがかなりひどい
http://kakaku.com/shopreview/1865/PrdKey=K0000587980/
サイトのマイページにもキャンセル方法がないし、メールの返事が返ってこないのでキャンセルも出来ない
それってさ。海外に売る専門。国内では売りません。という事なら
豊作貧乏にはならないんじゃない?
ようするに、海外専門ルートというのをちゃんと農協を通して作って、
たとえば、北海道の農協だけじゃがいも海外専用ルートを作りました。
1トンなら1トン買います。ただし、絶対に国内では売りません。なんらかの封印でも作って海外でそれを開けます。
ならいいんじゃない?
関税をかけることはTPP違反でも、海外にだけクソ安く売ることはTPPに違反しない。
何度も言うけど、国内の話はしてない。国内は一切今までどおり。海外専門。
需要が一定なんだから、海外に売れば需要が増えるでしょ?って考えるのがこのディベートの根本なんだけど。
目立ったデメリットはその規模の海外流通を誰がするんだ?という話だけで、農家その物には目立ったデメリットはないと思うけど。
多くの人は農家が増産は無理とおもってるけど、実際問題増産は余裕で政治的な問題が山積みなだけ。でしょ。つまり海外に低価格で野菜を売ることそのものは農家は可能。
そして、増産すれば(海外向けの)低価格化は実現される。競争になる。 そこをみんな間違えてるんじゃないのと。
本当に出来るかどうかは、別問題だし、競争に勝てるかどうかも別問題だから議論はもっと必要だけど。日本の野菜が海外で価格競争に負けるというのは
どうやら元増田にそって考えなおすと。野菜は潰すくらい余ってるから海外だけなら価格競争は可能。って事でしょ。 それにより国内価格が下がるのが嫌だけど。内外価格差を付けて販売してるのは車だってやってる。 同じように 国内では高く海外では安く売ればいい。
バイトを奴隷扱いするすき家が、痛いしっぺ返しを食らっている。
「すき屋」でなくあえて「すき家」とファミリー風を装いながら、社員
以上の責任を背負い込ませる極悪経営。休業中の店舗には「パワーアップ」
の文字とともに復活を予告しているが、どの面下げて増強復活なのか。
おそらく、奴隷の大量離脱で復活は困難を極めるだろう。そこであえて、
超現実的なパワーアップ復活を考えてみた。
その牛丼も、「バイト作」と変わらぬクオリティのレトルトとする。
作るのは客だ。といっても特製レンジでチンするだけ。
セルフ式にするリターンは価格。提供価格は1杯税込み200円。
なにより、無人化するのか、というとそうではない。
こないほうがいいかもしれない。
全精力を掛けて考案するのだ。それでいて、限りなく、
飲食で働く人間は、本当に奴隷のように苦しみ、搾取されている。
それは、低価格メニューをなりたたせるために、コストを削りすぎている
ならば、削る所は削る、そうでないところは、残す。そうやって
考えるべきである。