当然そうだが、ホワイトカラーの通常の仕事と結果と比べてほしい。
配属の運や、たまたま任せられた仕事、誰に気に入られたか、など、通常の仕事のアウトプットは非常にコントロールしにくい。
何かで判断しなくてはならないとき、「比較的」平等な条件下で行われた「受験競争」は十分に素質を一定程度見極める条件になる。
別にすべての東大生が優秀だとか、すべてのF欄が無能だとかそういう話ではない。
比較的受験競争の勝者のほうが、優秀な人間が多く、無能な人間が少ないというだけだ。
そしてそういう指標は少ないから「学歴」は能力を測る重要な一つの材料だということだ。
ただ、何度か上がったように、受験戦争に参加することが貧困により許されなかったレベルの高卒の人はかわいそうだと思う。
だからこそ、そういう人のためにより一層の高校の学費の低価格化、学生向け奨学金の充実は必須だとおもう。
君がほんとうに恨むべきは、東大のようなかなり平等な競争で国公立に入った東大卒ではなく、
親のお金で慶應や早稲田の付属高校、付属中学、付属小学校などでエスカレーターで上がった人のほうじゃないか?
あるいは、国公立ではなくお金のかかる私立大学に親に補助してもらって進学して、高卒や短大卒や専門学校卒を馬鹿にする人たちなんじゃないか?
受験こそ、タイミングが重要で、公平に能力を計っているとは言えないよ。 16~17歳という、この期間に、勉強に集中できるだけの環境と運を持っていないと。 長期間を通して、現...