はてなキーワード: 代替医療とは
気のせいかもしれないが、最近著名人ががんで亡くなるニュースが多い。
私は30代で乳がんにかかってしまい、現在は休職してがん治療を行っているのでそのせいもあるとは思う。
がん治療中の身としては、正直逝去のニュース自体シャットアウトしたい気持ちが強いが、テレビやスマホで見たくなくても目に入ってしまう。
ニュースへのコメントなどでいろいろと考えさせられてしまうことが多くなったので、すっきりしておくためにここで書いておきたい。
きっかけとなったのは、さくらももこさんが乳がんで亡くなられたニュースだ。
詳細は不明であるが、彼女は一旦病院での治療を行い、最終的には代替医療でがんを治療しようと試みていたようである。
そのニュースに対し「お悔やみ申し上げるが、怪しい根拠のないインチキ療法を行うからこんな目にあう。
病院でちゃんと治療をすることが必要だ」といったコメントが散見された。
私もがんが発覚する前、小林麻央さんのニュースを見てそのような感想を抱いた記憶があり、
がんを患ったことがない人、がん患者が周りにいない人にとっては一般的な感想になるのかもしれない。
ただ、がんを患う身となってから勉強・体験をするにつれて、若干考え方が変わるようになった。
がんの種類にもよるが、まだがんの腫瘍が局所にしかみられないステージ0~3のケースにおいては、
がんを根治することを目的に病院は手術や抗がん剤、放射線といった科学的根拠に基づいた標準治療を行ってくれる。
ただし、がんは標準治療が終わっても、必ずしも治ったと言い切ることができない。
寛解状態を維持できる方もいる一方、一旦治療が終わって寛解状態となっても、他の臓器に転移して病状が進む方もいる。
患者としては、ステージ0~3の場合は抗がん剤治療などの辛い治療を耐える気力もあるかもしれない。
私は現在乳がんの根治を目的として抗がん剤治療を行っているが、正直結構辛い(副作用が軽い人もいるが)。
最近はいい吐き気止めがあるので吐いたりこそはしないが、抗がん剤をうって1週間は寝たきりで起き上がれないし、
白血球の数が大分減り細菌・ウイルス感染をおこしやすいため体調が回復しても行動はある程度制限される。
抗がん剤治療が終われば生えてくるし、カツラがあるから大丈夫と人には言ってはいるが、やはりショックだったことは否めない。
薬によっては手足がしびれてペンや包丁を持ったりすることができなくなる。
肝臓や腎臓の数値も悪くなるなど、高齢の人や持病がある人は身体的に耐えられないこともある。
私が使っている抗がん剤の副作用は上記のようなものが中心だが、他にもいろいろなものがある。
また、手術で体の形はかわる。健康な体とはやはりどう見ても違うし、リンパ節を切除することもあるから後遺症も残る可能性がある。
「治る可能性がある」と医者に言われているから、憂鬱ではあるものの病院に行き、
我慢して標準治療を受けているような状態だが、がんが発覚してもこの治療を受けたくないといって拒む人の気持ちは理解できる。
副作用自体が仕事や価値観として耐えられないこともあるだろうし、
頑張って標準治療を受けても、まれとはいえない確率で再発・転移して一気にステージ4の病状へ進むことがあるからだ。
ステージ4は、がんの腫瘍が局所のみならず、他の臓器や部位に遠隔転移をしているような状況を指す。
このような病状では、基本的にがんを根治することを目的とせず、抗がん剤治療を中心とした、延命とQOL向上を目的とした治療方針をとる。
現代医学の限界として、ステージ4のがんの根治は難しいようだ。
樹木希林さんのケースのように転移を起こしても10年程度生きられるといったこともあるが、早期に亡くなってしまうケースも多いようだ。
自分ががんを患うようになって、ステージ4に進行した場合は代替医療をやってみる選択肢を否定できないな、と思うようになった。
病院で治療をしたとしても数年以内にはおそらく死ぬとわかったときに、
患者として副作用てんこもりの抗がん剤治療をやる気力が残っているのだろうか。
ステージ4の場合は原発巣の治療とは異なる薬剤を使うようだが、どうしても前に受けた治療の苦い記憶が思い起こされてしまう。
治らないとわかっている延命治療にお金を使うくらいなら、インチキかもしれないが奇跡的に治ったという人もいるという代替医療をやってみてもいいんじゃないか。
こんな風に代替医療を選択する人がいたって、おかしくないと思うようになった。
もちろん法外なお金をとったり、標準治療は間違っているなどと言ったりしている代替医療に関しては、
それを提供するクリニックや団体自体は問題だと思うが、患者の判断が問題といった物言いはできない。
代替医療を選択したいと思う気持ちをフラットに聞いてくれたり、下心なく相談に乗ってくれたりする人はなかなかいないと思う。
がんは日本人の2人に1人がかかる病気なので、病院の外来待合室はいつも患者とその家族で大盛況だ。
医者や看護師は忙しく、話を聞いてくれる余裕はなさそうで、「治療を受けるのはあくまで自己判断です」とオブラートにつつんでいわれるのが関の山だろう。
代替医療に科学的根拠はない、それ自体は間違ってはいないが、代替医療を選んだことを責めるのは心苦しいと思うようになった。
だって科学的根拠のある治療とやらでは、ステージ4のがんを治療したいと思う心はなぐさめられないのだから。
がんが発覚してから、ステージ4まで進行したら、と考えない日はない。
自分がこんなにも生きていたいと思っているとは、今まで思いもよらなかった。
もしステージ4に進行してしまったら、気楽な代替医療にすがってしまうかもしれない。
そんな時、「あなたの選択肢はおかしい、科学的根拠のある治療に切り替えるべき」なんて訳知り顔で言われてしまったら、本当に腹立たしいだろうな。
とりあえずすべての政策を考えるのは無理だからいくつかテーマ決めて消去方をとってるんだけど自分にとって一番大事なのは医療や介護政策で
それは自分は発達障害で家族にもうつ病を長く患っていて最終的には精神障害者手帳とるんじゃないかって言う話しになってる、それに可能な限り回避すると言われているが妻の側の親の面倒を見る可能性がある、っていう話が第一にあって、第二に家族には医療従事者が多いから医療の市場開放と代替療法に近すぎる人は消去ってのがあって。
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20160627/1467042320
これを見て家族とおおさか維新だけは絶対に無理だわみたいな話にはなっている(まあ一応幸福も)
なので今の民進が右旋回して都民ファースト-おおさか維新-民進ってライン組んだらその辺の事がグダグダになるんじゃないかなあ嫌だなあとは思ってる。
となるとまあ国会でのキャスティングボードは取れんけどとりあえず左派に入れとくかみたいな感じになり残り3党を見た時に
自由党は
山本太郎×ひとびとの経済政策研究会presents 「全てのひとびとのための経済学講座」第3回
https://economicpolicy.jp/2017/08/19/932/
この辺見ると山本太郎って案外まともなのかなと一瞬思うけど、彼が支援してた三宅洋平は
https://twitter.com/MIYAKE_YOHEI/status/695437681409392641
って感じで平然と代替療法を支持してるから第二ルールに従って絶対無理ということになって。
あとは社民と共産なんだけどどうなのかなぁ一応共産の方がその辺はキチっとしてんのかなとは思うんだけど
豊洲の時の騒ぎ方を見ると化学的でなくても火をつけれればどうでもいいみたいな空気を感じたし
とりあえず反医療に首をつっこまない限りは共産に入れとくけど正直いつまでもつかなとも思ってる。
医療という面を見たとき右からは新自由主義による小さな政府論に基づく削減の圧力が来てて、左からは反原発だとか自然保護とかにのめりこみ過ぎて代替医療が来てて、どっちにしても行く先は厳しいよなぁという感がある。
一がん患者として書く。
費用については、加入している健康保険組合による。手厚いところなら還付やらなんやらで月25,000円とかで済む。
最悪でも高額療養費の制度で上限が設けられて、高額所得者でなければ、月10万円はなかなか超えない。
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat310/sb3030/r150
がん治療では多くの場合でこの上限をオーバーするので、医者はかかる費用についてあまり気にしないで、1回10万円の点滴や1回3万円の皮下注射(それぞれ3割負担で)やらを、平気でバンバン打つ。もちろん健康保険が適用される範囲内の話だ。
もっとも入院すると差額ベッド代やら何やら別途かかる。これは病院による。
なお歯医者の詰め物と違って、がん治療では医者が保険適用外の治療を勧めることはないようである。
とはいえ、保険適用外の新しい方法のほうが功を奏しそうな場合はあるだろう。そういうときは治験が勧められることもあるようだ。やはり国立がん研究センターの情報が有用。
http://ganjoho.jp/public/dia_tre/clinical_trial/
募集中の治験とマッチすれば、「先進的な治療」もしくは「標準治療」が受けられる。
新しい方法と標準治療との比較が目的なので、標準治療のグループに割り当てられる場合はあるが、いずれにしろ治験に参加する場合は医療機関に費用を持ってもらえるのは大きい。
一般のがん治療(標準治療)の効果諸々については国立がん研究センターのWebページを見ればよい。
http://ganjoho.jp/public/cancer/index.html
「一般のがん治療」を行おうとする医者は、基本、このページに書いてあることと同じことしか言わない(はずである)。
「治療成績」を見れば、ステージ毎の5年生存率が書いてある。もちろんこれは統計的な話だし、そもそも確定診断が出た後の話なので、最初にヤブ医者にかかってモタモタしてしまうと、手遅れになる場合はある。
また実際問題として、期待されるほど標準治療の生存率はあまり高くはない。6割超えてたら「治る種類のがんだった、ラッキー」と思うくらいでちょうどいいと思う。
その割に副作用は大きい。さらに、まともな医者ほどそこの説明をきちんとするので、否が応でも患者の不安は増す。
このへんが標準治療、というか現在のがん治療の限界で、「がんが消滅した!」とか「抗がん剤は寿命を縮めるだけ!」の類の代替医療をのさばらせる原因になっているように思う。
どうしても副作用が怖いならば、医者にそう伝えるのが良いと思う。最近は緩和ケアの概念が変わってきて、手遅れの患者にモルヒネを打つだけの話ではなくなってきたそうである。
……と、長々と書いたが、以上のようなことは実際にがんを患うと病院で教えてもらえることである。
だから、
なんてことはない。
もちろん上で書いたように、医者は費用についてあまり気にかけない傾向はあるので、高額療養費制度は把握しておく必要があるだろう。それでも100万とかかかる下手な代替医療に比べたら激安である。
また以上のようなことを教えてくれる人は、医師だったり看護師だったり薬剤師だったりソーシャルワーカーだったり、基本バラバラなので自分で整理は必要だ。
それに実際にがんを患うとノイズのような情報もついつい取り入れてしまう。その峻別が冷静にできる精神状態ではないので、迷走するのが普通だろう。
また患者の混乱を避けるためとは思うが、医者は目の前の患者の状態と直接関係ないことは言わない傾向があるので、情報が出し惜しみされていると感じることもある。聞けばよいことなのだが、コミュニケーションが取りづらい医者もいるだろう。最初にかかった病院が「ハズレ」だった場合も転院はしづらいし、そもそも当たり外れの判定が難しい。
といった諸々の問題はあるものの、とにかく費用について不安なら、自分が加入している健康保険組合の制度(特に還付金)について調べておくとよいと思う。
小林麻央関連で「癌が見つかってすぐに手術すれば助かったのに民間療法に頼ったために亡くなった」という話が出ていて、
これはスティーブ・ジョブズや川島なお美が亡くなったときもそんな話があったけど、
末期ガンの患者と家族が怪しげでも代替医療に手を出す話を聞くと、スーパードクターKで、有名な医者がもう助からない末期ガンの父親に怪しげな薬なんかを買ったりして、周りから噂をされても「それでも、家族がやらなきゃならない戦いなんです」って話があったの思い出す— 寄星蟲と伝説の海 (@kisei64) 2017年7月4日
スーパードクターKの32巻のこの話、好き pic.twitter.com/JXjLiPF5zN— 寄星蟲と伝説の海 (@kisei64) 2017年7月4日
いや、そこは勇気を持って「やらない」という選択をすべきでしょう。
あなたたちのその弱さのせいで、さらに詐欺師が肥え太り、また別の犠牲者が生まれているんです。
万が一にでも効くかもしれないという甘い願望を捨ててきっぱりと民間療法を拒否する、それこそが「家族がやらなきゃならない戦い」ですよ。
別に成績に優位な変化は現れなかったし、
なんでそんな帰結になるのかがわからないし、本気で頭が悪いと思う。
現代体育的な理論(って具体的に何のこと?適当言ってるっしょw)について一通り体得してる必要があると思いますが
あなたのスポーツ歴はどんなもんですか? 現代体育についてどれほどのご経験と見識がおありで?
何もないっしょ?
自分がやってる神秘主義武道を持ち上げるための比較物として言ってるだけの
そうじゃないっていうなら現代体育についての自分のレベルと体験を語って。
だから還元されるほどの何かがどれほどあったんですか?と言ってるんだけど
「ぼくのどうじょうのおじいさんのはなし」はもう結構ですよ
見てないから甲野さんの動きのように否定はしないけどその一方で肯定もしようがないです
特定状況下でおじいさんが若者を転がすぐらいのことなら可能性を否定しませんとも言いました
変な練習しただけの小男がワンパンで人を空に飛ばすとかは聞いただけで「有り得ない」と言いますけど、とも
甲野ageなんかしてないけど。一例としてあげただけで。
この同じ文の序盤だけでも
「甲野の技術は吉田をひっくり返すほどすごい!総合格闘家の誰にも出来ないことを軽々やった!」
って話をしてるのはあなたです
「腹が立つので発言に責任を持たないのだ!」とか言い出すなら負け犬の遠吠えってやつです
甲野善紀に助けられた増田やTVの実演、スポーツ選手の採用なんかを拠り所として、お前なんかより実証があってよほど認められる、って話しかしてないだろ。
人柄的には面白いおっさんでしたが、彼の「武術」はどんなものでしたか?
「TVに出ていた」「あの有名人も褒めた」「世間に認められている」
こんなもん
もしご家族がガンになった時は怪しい代替医療にお金を取られる危険性大の人なので気をつけてくださいっつーことです
漢方はマジでヤバい。ちゃんとした見立てじゃない漢方薬局の多い事。それで治らないし保険治療じゃなきゃ金かかりすぎ
鍼灸もめんげん反応とか言うけど、利用価値は急性の痛みの緩和くらいで慢性痛には意味ない。メンタルには無意味。週1とか平気で通わせる。
自律神経失調症がブームになってから拍車がかかった気がする。身体の不調を自律神経のせいにして、自力じゃ駄目、医者は分からない、だから代替医療で。って流れ。
ボクの場合はアトピーだけど、まじでススメてくる周りの人うざかったわ。
・「効いた」っていってるけど、何で認可おりなんですか?
・普通に認可とって保険使って安く手に入るようにすれば儲かるのに?
・認可おりてないのに「効いた」ってのは薬事法的に大丈夫なんですか?
アトピーの代替医療の場合、大抵良くなる前に一時的に悪くなる。
・身体が頑張ってステロイドや食品添加物の毒を出している(デトックスしている)
・これは好転反応だ。
・100年以上癌に取り組んでる医学界は効果のある療法は取り込んでいく
・”医学界が認めていないけど有意な効果のある代替医療”なんてものは存在しないし
仮にあってもずぶの素人が医師より素早く目敏くそれに辿り着く可能性は超低い
ってことだ
当然であるが、深刻な病気で不安になっている患者や家族に効果のないものを効果があるように付け込むのは詐欺であり、場合によっては殺人や傷害といえる行為にであることは言うまでもない。
Wikipediaによれば「帝京大学の大野智は、科学的に有効性が裏付けられた医療は通常医療に組み込まれるため、代替医療という言葉自体に矛盾があるのかもしれないと指摘している。日本でも一部の漢方薬は通常医療に取り入れられている。」とあり、現在の通常医療に絶対的な正しさがあるわけではなく、現在は代替医療とされているものが通常医療に取り入れられることもある。
難しいのは、将来に通常医療として認められる可能性がある程度には有用であるかどうかの判断ができないところであり、「不安に付け込んでくる詐欺師」という判断をどこですべき線を引けないところだ。
さすがに「薬は身体にとって悪であり、自然な状態が人間の免疫を高める」みたいな通常医療の否定については知識をつけることで自衛できるのだが、漢方に近い健康食品などは本当に効果がないと言い切ることは難しい。
こういった事はどのように考えたらいいんだろうか。
魔性とは一体何なのか、何故彼女たちは魔を宿すに至ったのか、どうすれば魔に魅入られず無難にやり過ごすことが出来るのか、知りたい。
まず、私が魔性の女性に大きな関心を抱くようになった経緯をお話したい。
もう十年以上前の話だ。
大学に入ったものの、雰囲気が全く合わず、精神的に追い詰められていた。医療系の大学だったが、勉強する内容の重要性について頭では理解出来ていても、全く興味を持てなかった。授業も、半強制的に入部させられた部活動もストレスでしかなかった。
詳しいことは省くが、家庭の状況もあまり良くはなく、どこにも安らげる場所がなかった。独り暮らしでも出来ていればよかったのだろうが、地元の大学ということもあって親の意向により却下された。
経済的な問題ではなく単に束縛したかったのだと思う。ちなみに増田は男性なので、娘を心配する親心とかそういうものではない。
そんなこんなで、入学してから数年は、内面を押し殺して級友たちに愛想を振りまきつつ(閉鎖的な環境だったので、浮いてはならないという意識があった)、何とかかんとかやっていたが、ある時、留年した。
留年したことによる自尊心の損耗と、牢獄から抜け出る時期が遅れることへの絶望を覚えたのと同時に、大学からしばらく離れられるという安堵があったことは否めない。一年間の休養を経て大学に戻ったが、当たり前だが一つ下の学年と合流しての再出発だった。そこでPさんと言う女性に出会った。
Pさんは清楚な美人で、社交性もあり、学年の中でも慕われていた。成績も優秀な上、運動神経にも優れ、所属する部活動の大会では毎年優勝候補に挙がるほどだった。力のある教授が運営する研究室にも出入りしており、要するにパーフェクトに近い人だった
そんなPさんがどういうわけか私によくしてくれた。彼女の交友範囲はとても広かったが、特に学士や留年生のグループと仲良くしていて、その関係もあったのだろうが、傷心だった当時の私にとっては有難いことだった。
有難いと思っているだけで済ませられればよかった。
お察しの通り、彼女に恋をした。入学してから一瞬たりとて心の休まる時がなかった私にとって、彼女の笑顔は天使のそれに思えた。彼女はよく、誰にも見えない角度でわざわざ上目遣いになって、輝かんばかりの笑顔をこちらに向けてきた。
この他にも色々あったが、当時の私が非常に純粋であったことを差し引いても、Pさんのこちらに対する態度は異性への好意を示すものと解釈して問題なかったように思う。あの状況下で彼女の内心を疑う者はまずいないだろう(個人の主観ではあるが)。
ほどなくして私は彼女に告白をした。彼女の反応はすげないもので、私はとても焦った。何故? あれほど好意を向けてくれていたのに、どうして? 焦りから、青臭い感情を凝縮した内容のメールを送ってしまった。この一通のメールだけで、この後は一切電話をかけることもしなかったが、本当によかったと思っている。
あっさりと流したが、この時は本当にしんどかった。全身の血液がドス黒く濁り、冷たく沸騰しているような感覚が続いていた。そんな時、あるクラスメイトの男と話す機会があった。仮にYとする。
始めは野郎二人で食事をしながら世間話をしていたのだが、慰めてもらいたい気持ちがあったため、ついPさんとのことを話してしまった。するとYの血の気がみるみると引いていった。
まだ心の整理が出来ていなかった私は、どうして彼女はこちらに好意もないのにあんな態度をとったのか気になって仕方がなかった。むしろまだ好意を持ってくれているものとどこかで信じていた(よくある話だが)。だからYにも意見を求めた。そうしたらこの反応。何かがおかしいと思った。問い詰めた。確実にSは何かを知っている。何を?
私が引きそうになかったため、Yは遂に折れた。絶対に誰にも言うなよ、俺から聞いたってことも秘密だぞ、と念を押してからYは言った。
「宗教だよ」
今度はこちらの血の気が引く番だった。混乱する私に対してYは自分の携帯電話の画面を見せてきた。そこにはPさんからのメールがあった。
「セミナーに一緒にいきませんか? 料金は私の紹介で、特別料金の〇〇〇円です」
という内容が女の子らしいテンションで書いてあった。何のことはない、Pさんの正体は美人局だったのだ。そして私は獲物に過ぎなかった。かつてのYと同じく。Pさんがセミナー勧誘を切り出す前に私が舞い上がって告白をしたため、その後の展開は違ったが。
後にSから引き出した断片的な情報を基に彼女のブログを特定した。目を剥いた。子供の頃UFOを見た、宇宙のエネルギーを感じている、アセンション、などなど彼女が本物であることを認めざるを得ない内容がこれでもかと綴られていた。
彼女は様々な種類のカルトを次から次へと渡り歩いているようだったが、当時、彼女が入れ込んでいたのは代替医療詐欺をメインとするカルトだった。彼女は、医療系大学の学生という肩書を利用して、明らかに効果がないと思われる高額な代替医療商品の宣伝をブログ上で行っていた。彼女自身もモニターとなっていた。
本当に恐ろしかった。あの天使のような笑顔も、何もかもが嘘だったことが。そしてその嘘に踊らされていた私自身の滑稽なまでの無防備さが。
恐怖とともに、怒りと恥ずかしさ、情けなさが爆発的に湧き上がって全身がねじ切れそうになった。吐きそうだった。
ここで私は最大の失態を犯す。傷ついたプライドの代償行為。弄ばれたという被害者意識の炸裂。どこまでもみっともなく、どこまでも愚かな行動。
「前回のメールの内容は冗談だった。ところであなたのことは全て分かっているよ」
といった内容のメールをPさんに送ってしまった。勿論、前回のメールの内容が冗談なわけはなかったし、本気だった。何を今更としか言いようがない。見苦しいこと極まりない。
そして「あなたのことは全て分かっているよ」。これは示威行為だ。Pさんは自身の裏の顔を隠すべきものとして認識していた。事実、事が広く知れ渡ったら大きな問題となっただろう。まだ学生とは言え、医療者の端くれが代替医療詐欺に手を貸していたのだ。ブラックジョークでは済まされない。
私はPさんのアキレス腱を握っていた。そのことをあえてPさんに伝えることで、Pさんと同等以上の立場に戻ろうとしていた。惨めな男としか言いようがない。
さて、この行動がどんな結果を生んだか。
死ぬほど後悔することになった。
想像してみてほしい。私は留年生、つまり成績不良の劣等生だ。対してPさんは先述したようにどの角度から見ても完璧な優等生だった。学年内のどのグループとも交流があり、誰からも信頼されていた。教授陣からの好感度も高い。留年生で、味方がほとんど大学内にいない私が彼女に立ち向かうことは、自殺行為でしかなかった。
おそらくPさんはそこまで計算した上で、獲物を選定していたのだと思う。もし私を型に嵌めることができず、私が暴れ出したとしよう。周囲はこの状況をどう見るだろうか? 身の程を知らない勘違い劣等生が学年のマドンナに振られてトチ狂っているとしか思わないだろう。
そうした保険をかけた上でPさんは私に近づき、魅了してきたのだ。気づいた時は後の祭りだった。
私は学年内において孤立することになった。いや、孤立で済めばよかった。表立っては誰も口にしなかったが、私の学年内における扱いは完全に狂ったストーカーのそれだった。
告白を断られた時に送ったメールは既に広く出回っていた。Pさんが「勘違いされて変なメールが来た」と、多方面に流したからだ。このことはYが教えてくれた。だが、Yこそが最悪の敵だった。彼の立場にたって考えてみてほしい。
誰が私にPさんの正体を知らせた? 内通者は当然Pさんにとって敵となる。そうなることをYは恐れたのだ。Pさんと敵対して、この学年で、この大学で生きていけるわけがない。だからこそ、Yは誰よりも激しく私を攻撃してきた。Pさんに睨まれないために。彼自身が生き延びていくために。
私は全てを理解した。これ以上、足掻けば足掻くほど状況は悪くなってゆく。あの時点で私に出来たのは、ただひたすら身を縮めて、ひっそりと残りの学生生活をこなしていくことだけだった。復讐の手段がなかったわけではない。インターネットの掲示板に彼女のブログを貼り付けて拡散すれば、彼女とて無傷では済まなかったろう。
だがそれをして何になる? 私に対する大学内での風当たりはさらに強くなるだろう。裏では散々なことを言われていても、表向きは何もないことになっていた。私が何もしなければ、向こうも直接的には何もしない。そういう冷戦状態で安定していた。
その時期、何度か私の携帯電話に非通知の電話がかかってきたくらいで、特に何事もなかった。だから私はそれ以降、影になろうと必死に努力した。
こうした経緯で私は魔性の女性というものについて、大きな興味を抱くことになったのだった。
少し長くなってしまったので、一旦、ここで区切らせて頂く。私自身の魔性についての考察は次回に持ち越したい。ところで、もしよかったらこれを読んだ方の中で、魔性の女性について思うところがあれば、是非、コメント欄に書いてほしい。ブコメでもいい。魔性の女性について、自分の考えを整理するための参考にさせて欲しい。よろしくお願いします。
菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。
現在では一山いくらのネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。
しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学対非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。
というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。
2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。
これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。
この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。
また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいかに評価すべきかということについて学んでいった。
よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。
ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。
ニセ科学批判の対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。
証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である。
科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である。
しかしながら個人が霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論(宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判のスタンスだ。
営利企業や大学教授や特定の肩書のない個人的なブログ、政党や国そのものである場合もある。
彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益(金銭)・社会的利益(名誉)・思想的利益(党派性)・倫理的利益(善意の施し)である。
どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。
例えば近藤誠や武田邦彦の動機は金と売名だし、安倍晋三や下村博文や共和党の言動は党派性の発露であり、有象無象のブログが代替医療で他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。
ニセ科学批判は党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠の言葉であるが、定義上これは正しい。
また、個々人のレベルで見ればその批判対象の選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動を総体として捉えればそれは働かない。
組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能だからである。
運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身の党派性を表明しているに過ぎない。
例えばid:finalventにはニセ科学批判が左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタからは当局におもねった保守的な運動であると批判されている。
ニセ科学は大きくデマという概念に内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学的手続きの有無を利用している場合それをニセ科学と呼称すると言い換えても良い。
ここからニセ科学批判の方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。
ニセ科学と人文科学や社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判がニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分だからというだけである。
ニセ科学批判の参加者が自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。
そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである。
「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学的事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人が党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」
そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠の言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。
さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初のテーマに関して結論を出さなければならない。
でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。
よく考えたら私は菊池誠の親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文の執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。
でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。
どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。
・7年ぶりくらいに菊池先生の名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。
・菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災とそれから1年以上後。
・2009年から現在に至るまで菊池誠はネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置はid:hazumaにちょっと似てる。
・2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。
・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。
・どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造に求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから、専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫の専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEAはSTSである。
・STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。
・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。
・ブクマにニセ科学批判ってもっと前からあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構前からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語はwebだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。
以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。
母親がガンとの診断をうけて、もうすぐ5年半になる。
診断されたときには、ステージⅣで5年後生存率は20パーセントといわれていたが、幸運なことに、今でも調子がよいときは自分で車を運転して病院に通う程度に元気だ。
病院は、昔の社会保険病院(何年か前に制度改革で名前変わった)だから、まあ公立みたいなもんで、いわゆる「保険の範囲内」の治療を続けている。
基本的には、抗がん剤を月に一度うって、それから週一で検診をうけて、また抗がん剤うって、が基本パターンで、
だいたい抗がん剤うったあと数日はかなりダルそうにしているが、それ以外の期間は、病人とは思えないほど元気だったりもする。
その時期に人とあうと、誰も彼も「お元気そうでよかった!」というもんで、
「アタシだって病気なのに・・・」というのが数年来の悩みで、その手の愚痴はもう、聞くだけ聞いて右から左に流している。
で、ある薬が効かなくなったり、副作用が強く出てきたりしたら、新しい薬に変える。
薬が変わるごとに、医者から家族も同席した上で説明を受けるのだが、素人が聞いても分かったような分からないような話にしかならず、
母がかかるようになった当初、入れ替わり立ち代り看護師が「愛想は悪いけど、腕は確かな先生ですよ」とフォローに来たくらいだ。
まあ、その分、ある意味で信用はしている。余計なお愛想や、変に希望を持たせることも言わないし。
でも、実際、この先生が合わなくて転院していった人が、いなくはないらしい。
なんっていうか、身もふたも無い言い方をしがちなので、そういう人がいるのはよく分かるし、
そういうときに、なんか笑顔でへんな希望をもたせる代替医療屋が近づいてきたら、コロっといってしまうのではないか、などと思う。
で、3ヶ月ほど前、また抗がん剤が変わった。
今度の薬は、数年前に認可されたばかりで、はじめは肺ガンにつかわれており、母のガン(卵巣ガン)に使われるようになったのはごくごく最近であり、
母の主治医は初めて使うらしい。
「高額の薬ですけど、保険が利くようになりましたからね」と説明を受けた。
幸い、母には向いていたのか(抗ガン剤の向き不向きは、その人の病状やら体質やらガン以外の持病やらによって千差万別らしい)、
最初の投与のときは、若干副作用が重く、体重もかなり減り、心配もしたが、
その後は、当初のときほど副作用が重くない様子で、血圧も安定し、なにより腫瘍マーカーの数値がよい。
で、食欲も旺盛で、下手したらガンになる前よりあるんじゃないか?というくらいになり、実によく食べている。
なのに体重は増えないようだ。
よく分からないが、ものすごい勢いで体内のがん細胞を殺しまくっているのかもしれない。
この夏も、暑い暑いといいながら、友人と映画見に行ったりしている。
というわけで、医学の進歩は、はなはだありがたい限りなのだが、請求の明細を見ると、やはりいろいろと考えてしまう。
母の抗がん剤治療には、1回60万円以上の金が注ぎ込まれているのだ。
ところが、後期高齢者である母は、高額医療費の免除を勘定に入れれば、実質1万5000円程度しか払っていない。
この数字をみると、ここ数年、ほとんど医者にかかったことのない自分の健康保険料が「高い!」などという気分は、吹っ飛ぶ。
こんな風では、確かにこの国は医療費でつぶれてしまうのではないか?と思わないでもないが、
そんなマクロな疑問を、目の前の親の病気というミクロな大問題を前に考えていられるほど、自分は大人物ではない。
今の抗ガン剤も、いつまで使えるのかよくわからない。
一般論としては、どんなに長くても2年がせいぜい、らしい。
まあ、まだ使用例がさほど多いわけでもないので、医者もよく分かっちゃいないのだが、いずれ限界がくるのは明らかだ。
そこで、また新しい薬が出てきて、今度は1回100万(自己負担は2万数千円くらい?)みたいなことになるのかもしれないが、
そうなればまた、日本の医療制度に感謝して、淡々と母親のことを見守ることになるのだろう。
なお、ちょっと話は変わるのだが、素人ながらに母親とその周辺にいるガン仲間をみていると、
今のところガンに特効薬は無いのだが、
2 食生活がちゃんとしていること
大体、ガン以外に持病があったり、肥満だったりする人は、正直、ガンになってからの生存年数が短いようだ。
治療には体に負担がかかるので、「健康(ガン以外)」でないと絶えられないものらしい。
幸いにして母は、患う前、年齢の割には健康診断の星が格段に少ない人であった。
あと、やっぱり食事が偏った人や、食欲が無くなった人は、どんどん衰弱していく。
その辺は母も思うところがあるらしく、毎日時間をかけて野菜ジュースつくったり、いろいろ献立考えては買い物に行くのが
ちかごろの生きがいになりつつあるようだ。
とはいえ、そんなのは対症療法で、結局は高額な薬を主軸とする治療に頼っていかざるを得ないのが現状なわけで
これから先、どのくらいの期間にわたって、どれくらいの金額が母の命に注ぎ込まれていくのか、
できるだけ考えないことにしている。
追記書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20160824212145
(2017/3/6)
半年ぶりに追記書きました。